理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 


1〜20   21〜40   41〜60   61〜80   81〜100   101〜120   121〜140   141〜160   161〜180 181〜200      
201〜220   221〜240   241〜243

245〜250
251〜260
  261〜280   281〜300                        
クリスマスアルバムのコーナー                          




す ばら しい明日に向かって

その6

   すばら しい明日に向かって http://www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt6.htm

それで、 あなたのゲームプランは何ですか? 
望ましい世界を創るのに、あなたの《力》をどう扱いますか? 
何を信じることにしますか? 

覚えておくべきことは、あなた方の時代の出来事を、どのようにあなたが見て解釈するかによって、あなた自身がその中にいる、世界のバージョンが決まるとい うことです。
世界には、1つのバージョンしかないように見えるかもしれませ んが、それも幻想です。
可能性は、地面に生える草と同じくらいありふれたもので、あなたの思い、感覚、欲望、そして感情に基づく決断から、湧き出すものです。

あなたが創る現実は、たとえ同じ街路に住んでいるとしても、あなたの隣人とは同じでないかもしれません。
現実はトリッキーなもので、それを創ることも同様です。

そして《力》は、最もトリッキーなものです。
そして、友よ、《力》を避けることはできないのです。
《力》は、そして《あなたと力》は、《存在するすべて》の一部だから、あなたは《力》そのものです。

私たちの質問を言いましょう――あなたの《力》をどう扱いますか? 
あなたの創造力には限界がありません。
あなたの挑戦は、強力な存在になることへの恐れを克服すること です。




【ここでは、きわめて重要なことが伝えられていますが、私 たちの既存の観念では、全編のなかで最も難解な部分なので、以下の解説を参考にして、しっかり読み取ってください。】




あなた自身がその中 にいる、世界のバージョン」が、つまりあなたの「可能 性」が、「あなたの思い、感覚、欲望、そして感情に基 づく決断から、湧き出す」というのは、創造のプロセスについての、つまり天賦の力を実際に使う方法についての、的確な説明です。
これに加えて必要なことは、それが可能であることを信頼することです。

 
現実はトリッ キーなもので、それを創ることも同様です」というのは、こういうことです。
つまり、私たちは間違いなく《自分の現実》を創る力を持っています。
そうすると、自分が創った現実と、他の人が創った現実とは、どういう関係になるのだ?という疑問が出てくるでしょう。

それに対する答えはあ なたが創る現実は、たとえ同じ街路に住んでいるとしても、あなたの隣人とは同じでないかもしれません」ということです。
つまり、空間には、 それぞれの人が創る、《いくつもの現実が同時に存在》していて、重なっている部 分もあれば、重なっていない部分もあるということです。
これは、たいへん「ト リッキー」な(手が込んでいて騙されやすい)話だと思いませんか?

 
この点を、私たちの3次元意識でも、ある程度理解できるように説明してみましょう。
基本的に、あらゆるものは波動で構成されています。
いわゆる固体でさえ同じことで、私たちの感覚器官や計測器の機能で、固いものとして把握しているに過ぎません。

地球の教科書にも、《電子》には粒子の性質と、波動の性質の両方があると書いてあります。
どちらの観点を採っても、原子は、したがって原子から成る物質 は、《隙間だらけ》です。

《粒子説》­­によって原子の構造をみれ ば、陽子や中性子などで構成される《原子核》の周りで、大きい円を描く数個の軌道を《電子》が周回しています。
そして《原子核》は、原子の大きさの1万分の1し かありませんが、原子の質量のほとんどを 占めています。
つまり、原子の99.99%の部分を《電子》が占めているわけですが、その質量はほとんど無視でき るほど小さいので、原子は全体として、ほとんど《カラッポ》です。
したがって、原子で構成された物質も《スカスカ》なので、空間には《いくつ もの現実が同時に存在》することが出来るのです。

《波動説》によれ ば、話はもっと簡単で、テレビやケータイの電波のように、異種のものがいくらでも 同じ空間を占めることが出来ます。
つまり、「世界には、 1つのバージョンしかないように見える」のは、私たちの「幻想」だという次第です。



《力》は、最もト リッキーなもの」で、「《力》を避けることはできない」 ということにも、重要な含意があります。
まず、暴力や武力は低次元の力で、現実を創造する力こそが、本来の力だということを、しっかり頭に 入れておきましょう。
そこで、「《力》を避 けることはできない」ということは、私たちが、否応なく現実を創造していることを指します。

なぜなら、現実は、「あなたの思い、感覚、欲望、そして感情に基づく決断か ら、湧き出す」ものだからです。

表面意識で《そのつもり》があるかないかに関係なく、私たちは、瞬間ごとに自分の「現実」を創造しているのです。
そして今のところ、人類の圧倒的多数は、前に出てきた《ネガティブ創造のマジシャン》になっていま す。――メディアから、ネガティブな波動をしっかり取り込みながら、それを やっています。
《力》は、最もトリッキーなもの」というのは、その ことを指しています。

私たちは、私たちの「思 い、感覚、欲望、そして感情」に、くれぐれも注意する必要があります――それが、どこに由来するか、ということを含めて。
 
あなたの《力》をど う扱いますか?」という問いかけは、「あなたは、どういう現実を創りますか?」と同じです。
私たちが、《ネガティブ創造のマジシャン》から脱皮するには、現実創造のメカニズムをしっかり認識 した上で、強力な存在にな ることへの恐れを克服する」 必要があります。


(以上:引用)


なかなか興味深いことが書いてあると思います。
・・・と、書き出そうと思ったのですが、ふと頭に浮かんだことを先に書いておきます(笑)。



一喜一憂という言葉がありますが・・・
良く、「一喜一憂してはいけません」と言いますね。
私は、学生時代「そうなんだろう」と思い、「一喜」も「一憂」もするのをやめよう、と思いました。
つまり、何が起きても、「喜ばない」し、「悲しまない」ということなのですが。
表面だけみると、まるで、悟ったようにも見えます。

どうも、これが傍から見ると「理解したがたい」ものに見えたようです。
私は、「だって、一喜一憂してはいけない、っていうじゃないか?」と思っていましたので、やり続けていましたが。
ただ、最近、思うのは、「一喜一憂してゃいけない」じゃなくて、「一喜0憂」なのかもしれない、ということです。

何でもかんでも喜んでいれば、良いのかもしれない、と思えてきました。
つまり嬉しいことは喜んでよいし、嫌なことも、「喜ぶ」と言うと御幣がありますが、「ああ、こういう筋書きだったのか」とでも、思ってやればよいのかもし れない・・・ということなのですが。

果たしてどうかは、分かりませんが。





さて・・・
さて、なんでも、兵庫県で、アスファルトから大根が出てきたようです(驚)。
ア スファルトの厚さは3cmで、その下10cmが「砕石」、そこから下が土になっているそうです。

実は、政木和三さんの本に、「無限小の力で無限大の 時間をかければ、奇跡のようなことが起きる」という話が載っているのですが、それは、アスファルトから芽を出した雑草を見て思いついたことだそうです。
原理的には・・・
「水に飛び込むのでさえ、ものすごいスピードで飛び込めば、水の抵抗はコンクリートなみになる。
空気でさえ、飛行機への抵抗を考えれば、気体ではなく、液体のように考えなくてはならない。


ものごとをなす時も、無限小の力を持ってすれば、抵抗は信じられないくらい少なくなり、普通ではできないようなこともできてしまうも のだ・・・」
というようなことです。
なるほどな、確かにアスファルト道路に雑草が芽を出していることはあるな、そう考えれば良いのか、と思ったりしました。

どうも、この大根も、その原理で、アスファルトを破って出てきたのかもしれませんね。
ゆっくり、ゆっくり、と・・・
確かに、無限小の力で無限大の時間をかければ、こういうことができるようです。
但し、決して無限大の時間ではなく、長いのではあるでしょうが、ちゃんと、覚えていられるくらいの時間内で芽は出てこられるようです。
無限小の力で一所懸命がんばってみたいと思います。


みなさんは、どう思うでしょうか?









私たちは間違いなく 《自分の現実》を創る力を持っています。
そうすると、自分が創った現実と、他の人が創った現実とは、どういう関係になるのだ?という疑問が出てくるでしょう。

それに対する答えはあ なたが創る現実は、たとえ同じ街路に住んでいるとしても、あなたの隣人とは同じでないかもしれません」ということです。
つまり、空間には、 それぞれの人が創る、《いくつもの現実が同時に存在》していて、重なっている部 分もあれば、重なっていない部分もあるということです。
これは、たいへん「ト リッキー」な(手が込んでいて騙されやすい)話だと思いませんか?


は、なかなか凄い内容ですね。
「セスは語る」にも、似たような話が出てきていましたので、概念としては、理解できます。

但し、セスは、原子は点滅している、ので、点滅のスパンで違う世界が物質化している、という書き方をしていたと思います。
そして、どの点滅を見るかは、確か、その人の持っている波動による、ということだったように思いますが、少し不確かです。

こちらでは、原子で構成された物質はスカスカなので、いくつもの現実が同時に存在できる、としています。
そして、どの現実を見るかは、その人が創造したものを見ることになる、と書いてあるようです。

また「
《波動説》によれ ば、話はもっと簡単で、テレビやケータイの電波のように、異種のものがいくらでも 同じ空間を占めることが出来ます。 」と、波動的な見地からの説明もされています。

こちらは理論的には分りますね。
しかし、私には、原子の方は知識が少ないせいかと思いますが、理解しにくいですね。
分るのは、「スカスカらしい、とすると、他のものも存在する余地はあるらしい」、という表面的なことだけです。

みなさんは、理解できるでしょうか?


私が岡田多母さんのサイトに質問を書いた中で、「
あるいは、3次 元でも多面的側面を持ち、「人を殺す」というようなことも、「殺さずにすんだ」というようなことも、同時に起こっており、2つを同時に体験する、というよ うなことでしょうか?」と書いたのは、、正にこのセスの言ったことが頭にあったからなのですが、それでも、「本当かもしれないし、ひょっとしたら違うのか もしれない」と思ってはいました。

この小松さんのサイトでも登場したことにより、「本当の可能性」が、私の中でまたいくらか上昇しています。

但し、それ事態は、基本的には、どうっちでも良いことなのでしょう。
その本質は、良い悪いは別よして、とにかく、自分で現実を創造できるようだ、ということなのだと思います。


自分が創った現実と、他の人が創った現実とは、どういう関係になるのだ?という疑問が出てくるで しょう。
それに対する答えはあ なたが創る現実は、たとえ同じ街路に住んでいるとしても、あなたの隣人とは同じでないかもしれません」ということです。

は、とにうかく、同時に異なった現実が存在する、ということは納得するとしても、隣人同士違う現実を作った場合、その相互のあり方とは?という疑問が出て きます。

例えば、ピアノの音がうるさいか、うるさくないか、というようなことについては、好みや精神状態というような、3次元的解釈で考えられますが、どのような ことを指してこれを言っているのでしょうか?

催眠術を考えて見ると、催眠術にかけられた人の体が、意志のように固くなり、まっすぐにした体の上に人が乗っても、なんともない、というような後継をテレ ビなどで見ることがありますね。

これなどは確かに思いの効果の最たるものだ、という気がしますが、こういうことなのでしょうか?
但しこれは、催眠術ショーを見ている人達の中で、「そんなことはない」と思ってみている人の前でも、それは起きていますので、やはり、このような3次元的 なことを言っている訳でもないのでしょう。

セスの本には、「ここに机があるが、私の目には、この机の四方に、これと同じ机の画像が重なって見える・・・」というようなことが書いてあったかと思いま す。

私は自分の住んでいる建物の位置口にだれかが捨てたごみなどがあると、拾って捨てます。
別に善行ではなく、位置口にそういうものがあると嫌だからですが、例えば、私のように、「ごみが落ちていたら拾おう」と思っている人にはそれは見え、どう でもいいや、と思っている人には見えない、ということかもしれません。

これだと、どっちが良いのか分らなくなりますので、別の理で言えば、
結婚相手を探している人には、適当な異性が見えるのに、結婚なんてどうでもいいや、と思っている人には、そういう異性が見えない、というようなことかもし れません。
良く分かりませんが・・・。


何となく分るようで、人には説明できない、と言った若干もどかしさの残る解釈状態です。

みなさんは、何か具体的な説明をできるでしょうか?










さて・・・


《力》は、最もト リッキーなもの」で、「《力》を避けることは できない」 ということにも、重要な含意があります。
ま ず、暴力や武力は低次元の力で、現実を創造する力こそが、本来の力だと いうことを、しっかり頭に 入れておきましょう。
そこで、「《力》を避 けることはできない」ということは、私たちが、否応なく現実を創造していることを指します。

なぜなら、現実は、「あ なたの思い、感覚、欲望、そして感情に基づく決断か ら、湧き出す」ものだからです。
表面意識で《そのつもり》があるかないかに関係なく、私たちは、瞬間ごとに自分の「現実」を創造しているのです。
そして今のところ、人類の圧倒的多数は、前に出てきた《ネガティブ創造のマジシャン》になっていま す。――メディアから、ネガティブな波動をしっかり取り込みながら、それを やっています。
《力》は、最もト リッキーなもの」というのは、その ことを指しています。
私たちは、私たちの「思 い、感覚、欲望、そして感情」に、くれぐれも注意する必要 があります――それが、どこに由来するか、ということを含めて

ということです。


思うに、「普通」、「あたりまえ」、などという言葉がありますが、確かにこれらはやっかいな言葉だと感じます。

どのような時に、こういう言葉を使うでしょうか?
いくつかケースがあると思いますが・・・



1:特にむつかしい努力、あるいは多額の金銭を必要とすることなく、できてしまう、手に入れられる場合、
2:標準的な努力、標準的な金銭というものがあり、それをクリア、支払うなどすると、多くの人が出来る、手に入れられる場合、
3:努力、金銭の量というより、それぞれのレベルで標準的な能力、水準の場合、
など、でしょうか?


1は、字(母国語)を読むなどの能力・・・言語力、会社に履いて行ける様な革靴程度の品物、をイメージしています。

2は、九九の暗唱、ピアノのバイエル(私は弾いたことはないが)、中学生程度の数学、自動車免許などの能力、5万円前後の液晶テレビ、2万円程度のフラン ス料理、10万円程度のハワイ旅行などのことをイメージしています。

3は、オリンピックに出るマラソン男性選手なら2時間10分程度の記録、音大生ならちょっとむつかしい曲の所見での演奏、ギターマニアなら、10万円 〜30万円程度の外国製ギター、オーディオマニアなら、片側10万円程度のスピーカー、などのことをイメージしています。


私の感じでは、人は普通だと感じると、大抵のことができてしまうように思います。
私の例で言えば・・・
私は、前の前の会社を(笑)・・・辞めた時、何回か書きましたが、ホテルを3日だけ予約をして、ハワイへアパートかシェアードルームを探しに出かけまし た。
これを読まれる人がなんと思うかは分かりませんが、30歳前の私でしたら、絶対にこんなことはできません。
ハワイへ何度も旅行している人というのは、たくさんいると思いますが、それではなかなかそんなことはしないのではないかと、想像します。
しかし、当時、私の勤めていた会社は、留学関係ということもあり、務めている人も、お客さんである人も、日本人も外国人も、そういうことをする人がとて も、多かったです。


そして、知り合いで先にハワイへ留学している人間が、「できるんじゃない」と言っていました。
実際は、
なかなか大変なことでしたが、確かにできました。
3次元的には、ツイテイタ、ということでしょうか、それとも、3次元的には自分の力ということでしょうか?


このように、回りがそうだと、周りの「普通」が、自然に普通に感じられてきてしまうことがあります。
そして、できてしまう・・・。




始めの会社でもそうでした。
今思うと、とてもむつかしい機械を扱っていたわけですが、周りがみな、できてしまいますので、それに引きずられていってしまうのです。

しかしながら、必ずしもそうばかりではありません。
別の仕事では、真逆で、ほとんど同じ機械を扱っていましたが、上の人間が、まず機械を知りませんし、下の人間にも、知識の必要性をむしろ「悪」としていま した。
しかし、それらを含めた状態・状況が、間違っている、と感じていましたので、「絶対に引きずられないように」していました。
この場合は、結局、引きずられませんでしたが。
但し、そうするには、ものすごいエネルギーが必要でした。
一体、波動的にはどんな状態だったのかと思います。
竜巻に飲まれないように、踏ん張っているような感じだったでしょうか?

しかし、順序が逆だったら、どうなっていたかは、何となく想像がつきます。
その意味では、ツイテイタのだと思っています。



レコードの価格の話を良く書きますが・・・
30年前1枚2500円だったレコードは、高かったですが、それが標準的な値段でしたので、「高い」とは思いません でした。
もっとも、たくさん聴きたかったですので、主に中古を買っていましたが(笑)。
しかし、CDは今、2500円〜3000円程度です。
30年前だったら、きっと1000円から1500円程度の価値ではないかと思います。
逆に言えば、30年前の2500円は、きっと今の4000円〜5000円くらいの価値かもしれません。

それでも、1枚2500円のCDを今買おうと思うと、買えますが、1枚5000円のCDとなると、買う気がなくなります。




私は、1万円以上の金額と言うのは、なかなか出しません(笑)。
イスラエルのおばあさん宅に泊まって、1万円支払った五日市さんと、大違いかもしれませんが(笑)。
きっとあのおばあさんに、「お金の使い方を知らないのね」と言われてしまうかもしれません。

しかし、ギターを買うと思いますと、30000円だと、「すごく安い」と思えてしまいます。

これは・・・
私が中学生くらいの時はギターは高級品でした。
まだ、$1=¥360の時だったのか、それとも、200いくらくらいだったのか、とにかく、今10万円で売っている輸入ギターなどは、同じグレードでも、 30万円でした。
物価を考えれば、50万円近いのではないでしょうか?

また、日本製のものも、ありましたが、2,3万の、ものでは、粗悪なものがほとんどで、良いものは5万、10万と出さないと買えませんでした。
ですので、今3万円程度で、まともに弾けるギターを見ると、「すごい!!」と感じてしまいます。

これらから、つまり・・・・・・
普通、標準、あたりまえ、などの概念は、外側から植えつけられているのだろう、という推測ができるように思います。


この意味で、小松さんの言っていることは、「なるほど、そういうことか」と理解ができます。


と考えますと、普通などの概念と言うのは、また、「私にも、それができる、それが買える」、などの気持ちもこもっているとも言えるかもしれません。

すると、この意味で、将棋などで「より上級のレベルの高い人と交わることにより、うまくなります」と言われることは、理解できます。


これらが、波動、共鳴、共振によるものであるとも説明できますし、気持ち、意識が大きいとも説明できると考えます。

非常に3次元的ではありますが、やはり、できるだけ、いろいろなことにおいて高いレベル、高い多次元的精神レベルの人達に混じっている状態というのは、良 いことなんだろう、と感じます。









そこで、小松さんも言っているメディアですが・・・・・・

人類の圧倒的多数は、前に 出てきた《ネガティブ創造のマジシャン》になっていま す。――メディアから、ネガティブな波動をしっかり取り込みながら、それを やっています。
《力》は、最もトリッキーなもの」というのは、その ことを指しています。

私たちは、私たちの「思 い、感覚、欲望、そして感情」に、くれぐれも注意する必要があります――それが、どこに由来するか、ということを含めて。


という表現ですね・・・。




まず、とても3次元的なところからいけば、良くある「最近の若者に聞く」みたいな番組で、きばつな格好をした者や、過激な者ばかり集めて、「最近の若者」 とやりますと、世間の多くの人は、それを最近の若者の代表、標準と思いますし、若者自体も、仮に自分の周りがそうでなくとも、そうだと思うことでしょう。
そこに、暴力、フリーセックス(古い言い方)、麻薬、売春などが普通の日常として語られれば、それを標準と思い込むでしょう。

そうではなく、今度は、「最近の若者」と同じタイトルにして、「10代で起業」、「5ヶ国語は当たり前」などとやったりすれば、この度はそれが標準になる かもしれません。

これが、別に良いと言っているわけではありませんが。




例の百匹目の猿現象の何とかさんという外国人が、テレビで答えを発表してから、答えを知らない人達にある問題の回答を聞いたところ、手発表前より、解答率 が上がっていた(ちょっと違うかもしれない)、ということなどを考えあわせると、高次元的な効果も合わさるのだろう、と想像できますので、本当にマスコミ のやり方ひとつで、世間に大きな影響を与えることはできるのだとう、と考えます。


今日、TBSで筑紫さんは、「スマトラ沖地震ではあっと言う間に、必要な募金は集まったが、パキスタン地震では、集まらない。これは、テレビで放映する機 会の多さの違いによるものだと思う。マスコミには、そういう役割もある、ということです」
というようなことを言っていました。

分っているようですので、明日から、パキスタンの報道が増えるのだろうな、と思っていますが、そこまで、マスコミの影響力を分っているのなら、もっと思う ことはあるのだろうな、と思います。
あの若者の右翼化特集は、一体なんだったのでしょうか?
日本がアメリカの奴隷になっている特集なら分りますが、むしろ、その逆を意図しているとしか、私には思えないのですが。


マスコミは、今の日本を憂い、その理由を探すよりは、自らの影響力により起した点を省みて、今度はその影響力を違う使い方ができるように考えるべきだろう な、と感じます。

みなさんは、どう思うでしょうか?



しかし、今、アメリカ発ではありますが、書物(本)、電波(ラジオ、テレビ)に続いて、このインターネットが登場したことで、そんなありさまも、これから ぐっと変わってくるように感じます。

私は、意図してではないですが、音楽とこういう話を一緒に書いています。
それは、好奇心のあることを、まとめてかいているので、そうなっているだけなのですが、これから、エッチな話と、こういう話、あるいは、もっと高次元的な 話を一緒に書くサイトが登場したりすると、ずっと速く、世間にいろいろな隠れた真実が広がるように感じます(笑)。


VTRが普及したのは、エッチ・ビデオによるところが大きい、と良く言われます。
そこにはエッチという要素は、女性は良く分らないのですが、少なくとも男性にとっては、あまり年に関係なく、みな興味津々であるからなのでしょう。

但し、不思議なのは、PCが発達したのは、エッチのせいだ、とはあまり言われませんね。
もちろん、昔からそういうソフトというか、画像はインターネット以前にも出回っていたようですが。


おそらくは、テレビでの動画、つまりVTRやDVDによって、簡単で高画質な動くエッチは、ある程度確立されてしまっているからなのでしょう。

そう考えると、エッチとこういう話を結びついたサイトがあっても、あまり効果がないのかもしれません・・・。


それを考えると、今の混沌とした世情というのは、船井幸雄さんの言う、「必要、必然、ベスト」、と言いますか、小松さんの言う「悪の役割」と言いますか、 自然に、いろいろなことに興味を持つ人が増えてくる状況担っているとも言えるかもしれません。



もちろん、中には森田健さんのように、ずっと前から”下位の問い”を持っているような人もいますが。


一般的には、3次元的に何らかの理由があって、不思議なことに興味を持つ人が多いのだろうと思います。
それでも、高次元から、「これを伝えてください」と言われるので、そうしている人もたくさんいるようですが。
多くのそういう人は、それに対して別に嫌がってはいないようですね。


しかしながら、本当に、宇宙エネルギーの降り注ぐ量が、毎日のように、何倍にもなっているのであれば、近いうちに、状況に関係なく、不思議なことに興味を 持つ人がどんどん、どんどん増えてくるのかもしれませんね。

みなさんは、どう思うでしょうか?






その7

   すばら しい明日に向かって http://www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt6.htm

 
《ナノセ カンド》が終わったとき、後ろを振り返って、「何が起こっているのかを、誰かが教えてくれればよかったのに」などとは言わないでください。
私たちは、今それを教えているのです。

生存のゲームは、いのちのゲームであり、気付きのゲームであり、意識のゲームであり、エネルギーのゲームであり、そして自由のゲームです。
どのバージョンも、《ナノセカンド》が提供する膨大な変化を航行するのに、あなた方の創造力を使うことを含んでいます。

私たちは、この変容の時代に生きることを選んだ、あなた方に敬意を表明します。
あなた方に、内面を深く見て、あなた方の輝きを見付けることをお願いします。
そこでは、不屈の人間精神が、辛抱強く、あなた方が注目するのを待っているからです。

私たちは、あなた方がさらに前進して、あなた方の人生を優美に楽々と変えるように励まします。
あなた方が、愛することと愛されることのリスクをとることを、アドバイスします。
そして、あなた方が最も望む世界のバージョンを創る際に、私たちは、最も真剣に行っているこのサポートを、さらに広げます。
賢く夢を見て、最も望ましい未来を見つけ、それを心の中に定着させてください――進路は既に選ばれていることを意識しながら。


 

いつもの ように、あなた方とあなた方の世界との間で、アイディアとエネルギーを分かち合う機会を持つことができ、この並外れた変容の時代に、多少のインスピレー ションと高揚をお届けすることができたことを、たいへん嬉しく思います。
友よ、これは大いなる選択の時です――思い、言葉、行為などの。そして、私たちの知恵の最後の言葉として、あなた方が可能性を賢く選んで、夢に近いところ に立つことをアドバイスします。
あなた方が選ぶ進路が、いつも楽しい旅になりますように。



テレビで、江原さんが、「霊能者は、ものすごく太っているか、やせているかどちらかが多い。大抵は太っていてかっぷくが良い方が多い です」
と言っていました。

たくさん霊能者を知っている方、どう思うでしょうか?
私には今の所分かりません(笑)。




暗算というか、超人的な能力(超能力で良いのか?)でものを暗記したり、計算したりする人の番組もやっていました。

その人(イギリス人?)をアメリカの科学者がいろいろ実験したり、分析したりするのですが・・・
その人は、一桁の数字、つまり1,2,3,4,5,6,7,8,9,0は、大きさが異なって見えるそうです。
9が一番大きくて6が一番小さい、と言っていました。

また、二桁以上の数字は、ひとつひとつの固まり(例えば396)が独特の形を大きさ、色をしているようです。
計算をする時は、例えば987665432×234567889などは、独特の形をした塊が左右に見え、回答は徐々に、真ん中に見えてくるそうです。

そして、特定の数字の塊(2486とか、942875849)は、いつでも、同じ形をしているそうです。
粘土でそれを作っていました。
後日、同じ数字をもう一度作りましたが、頭の中にある映像は同じようです。

また、アイスランド語を1週間でマスターする、というトライもやっていました。
少なくとも、普通には話せて、聞けるようになっていたようです。
すごいですね。

例のレインマンの人とも対面したりしていました。
この人は、読んだ本など全て覚えている、という人で、市外局番でもなんでも暗記しています。
読む時は、左の目で左のページ、右の目で右のページを読むそうです。
何年、何月、何日と言われれば、曜日が全て分るようです。

数字の塊が独特の形、色で見える、というのは、数字の波動を感じ取っているのでしょうか?

何度か書きましたが、私も音に色が付いて見えることはありますが、こういう人は、ある程度いるようです。
ちなみに、ピアノはピンクです(笑)。
サックスはそのままゴールドですね。

私の場合は、丸い玉になって見えます、特にピアノですが。(綺麗)。
これを始めて意識したのは、小学生の5,6年だったかと思います。
深夜放送を聴きながら寝ていた時、音楽が流れ出して・・・
すると頭だか、目の裏だかに、ピンクとか、ゴールドとかの艶のある・・・というか金属的というか、要するにメタリック系の色の玉がたくさん見えたのです。

最近は特に意識しませんが、思い出したように意識すると見えます。
こういう人はいると思います(笑)。






さて・・・・・・表題ですが、
ゲーム、という言葉があります。

英語では、野球の試合のことも、ゲームですね。
トランプ遊びもまたゲームです。
おそらく、ゲームに正しく対応する日本語というのは、ないのではないでしょうか?

試合は、「真剣勝負」的な意味合いが強いように感じてしまいます。
ここで、英語圏の人が宇宙意識から
得た「ゲーム」という言葉は、どんな内容を含んでいたのか興味があります。

生存のゲームは、いのちのゲームであり、気付きのゲームであり、意識のゲームであり、エネルギーのゲームであり、そして自由のゲームです。
を、考えると、ドラマ(演劇)の実行でしょうか?
しかし、ドラマとしてしまうには、あまりに意味が大きいようにも感じます。
修行とするのは、嫌です(笑)。
努力の意味あいが強すぎるように思います。


ゲームというと、もちろん、大勢でやるのでしょうが、主体としての”自分”を感じます。
試合は、個としての”2つ”の団体あるいは個人が、行う、というイメージがあります。

どちらが、宇宙意識の真意に近いのかは分かりません。
ゲームが近いのかもしれません。

いずれにしても、日本人のチャネラーが聞いても、”試合”とは、ならない、とは感じます。


みなさんは、どう思うでしょうか?







私たちは、あなた方がさらに前進して、あなた方の人生を優美に楽々と変えるように励まします。
あなた方が、愛することと愛されることのリスクをとること を、アドバイスします。
そして、あなた方が最も望む世界のバージョンを創る際に、私たちは、最も真剣に行っているこのサポートを、さらに広げます。
賢く夢を見て、最も望ましい未来を見つけ、それを心の中に定着させてください――進路は既に選ばれていることを意識しながら。」


愛することと愛されることのリスクをとる」というのは、面白い表現ですね。
私は以前はよく、「別にほめられたいのでやったわけではないから、いいよ」と、という変わった態度を取る人でした。
最近ようやく、「良かったね」くらいには、「喜びを分かち合う」ことが普通にできるようになってきましたが(笑)。

なんと言うか、私は人に要求することが、あまりできない体質です。
命令するのも嫌いなのですが。

宇宙意識が言っていることと同じなのかは知りませんが、愛することは別として、愛されることのリスクということは何となく分ります。
きっと、対価を支払うこと以外で、「もらう」ということが、どこか嫌いだったのだと思います。
つまり、労働に対しての給料とか、愛したから愛されるとか、そういうことですが。

しかしそれでいて、無償で愛したり、何かを上げる、ということはするのです。

船井幸雄さんは、「ギブ&ギブ」と言います。
私はこれは正しいのだと感じています。

但し、以前の私のように、無理に「無償では貰わない」というのは、「ギブ&ギブ」を自分に認めて、相手には認めないということですので、これもまた、「宇 宙の理」には反したことでしょう。
無償でも、もらえるような人間に徐々になりつつあります(笑)。

みなさんは、どうでしょうか?






 

「いつも の ように、あなた方とあなた方の世界との間で、アイディアとエネルギーを分かち合う機会を持つことができ、この並外れた変容の時代に、多少のインスピレー ションと高揚をお届けすることができたことを、たいへん嬉しく思います。
友よ、これは大いなる選択の時です――思い、言葉、行為などの。そして、私たちの知恵の最後の言葉として、あなた方が可能性を賢く選んで、夢に近いところ に立つことをアドバイスします。
あなた方が選ぶ進路が、いつも楽しい旅になりますように。


とにかく、運命は決まっているようですが、それでも、変更はでき、ひょっとしたら、選べる可能性もあるのかもしれない、と思っていま す。

選べる、ということを目標にはしませんが。
選べることが前提になるように、希望しています。

何となくですが・・・
森田健さんの言うように、時空にとって、もし、全ての事象に善と悪がないとするのなら、ないから善と悪が選べるのではないか?
という気もします。


大学に受かる、落ちるは、決まっていても、それを善にするか、悪にするか・・・
というようなことですが。
これは何も、「ああ、落ちたけど、あのせいで今はこうしていられる」ということではありません。

まだ、自分の中ですら抽象的ですが。



小松英星さんのサイトには、以下のように、毎年宇宙から降り注ぐエネルギーの量が増えてる、ということが書かれています。


●   更なる加速  http://www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt6.html

1987年以降は年毎に、あなた方の惑星に影響を与えている宇宙エネ ルギーの流入は、次第にその強度を増しており、生活の脈動が加速し ています。
(中略)
1997年か ら2006年までの、この加速の第2段階では、エネルギーが毎年100倍の割 合で増えて、あらゆる体験が更に激しさを増すようになります。・・・・・・

2007年に始まる第3で最後の期間は、その強烈さの点で大幅な新たな飛躍をもって始まるで しょう。
エネルギーは、残り5年の各年ごとに、毎年10万倍の割合で加速し、基 本的にすべての人を、いわば天の軌道へ舞い上がらせるでしょう。
《ナノセカンド》の、この最後の5年間に必然的に現れる、隠れていた真実の 各層に対して、あなた方がどう反応するかについては予想することができません。
ともかく、あなた方の力は、各瞬間ごとに増えるのです。
あなたは、その力がすべり落ちるのに任せますか、それとも、その力を使い、あなたの成功物語を年代記に寄稿しますか?


(以上:引用)

私はこれが、いろいろ世間を見たり、自分が感じたりしていることを総合すると、本当の可能性があるように思います。

良く書く、プロレスの流れを見てもそうですし・・・
野球も、アジアチャンピオン戦が始ります。
スポーツ界でなぜか、「あいちゃん」がいっぱい出だしたり・・・
ここ数年、何十年も手に入らなかったものが、急に入手できたり・・・
昔の友人関係が、まったく途切れてしまったり・・・


確かに、3次元は100倍100倍では変化していません。
人によって、このエネルギーの消化スピードが異なるのかもしれません。
しかし、どこかの時点で、そのエネルギーが全人類に効率よく溜まり出した時に、その相互作用もあいまって、急に何かが変わり出す、ということもあるのかも しれません。

そうならないとも、限りませんので、私はそうなるのを信じていようとも思っています。
言ってみれば、今日の常識が明日の常識でなくなっているかもしれない可能性がある、ということです。
毎日がスタートという視点から見れば、それで困ることはないように思えます。

みなさんはどう思うでしょうか?



1〜20   21〜40   41〜60   61〜80   81〜100   101〜120   121〜140   141〜160   161〜180 181〜200      
201〜220   221〜240   241〜243

245〜250
251〜260
  261〜280   281〜300                        
クリスマスアルバムのコーナー                          





 

 

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送