理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

 



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クリスマスアルバムのコーナー    2005年船 井幸雄オープンワールドの感想
                       

 







3月8日です。
普段は見ないのですが、ふと国会中継を見ましたら、自民党の
加治屋義人さんが、面白い作文(当人がそう言った) を読んでいました。
要するに・・・
金儲けばかりに走らず、足りるを思い出そう。
昔の日本を思い出そう。
ということです。
私は教育勅語は知りませんが、
「敗戦で日本は軍国主義に通じるものを捨ててきたが、関係ない正しいものまで捨ててしまった。教育勅語はなどは、今読んでも正しい・・・」
というようなことも言っていました。

竹中さんがどう聞いているかも映してしましたが、やはりいくから意識しているのか、変にそわそわしていましたね。
小泉さんは、さすがに、どうどうとしていましたが(笑)。


こういう人も自民党にもいるでしょうね。







さて・・・
ライブドア・ショックでとうとう株を始めそこないました(笑)。
決まっていたとしてか思えませんね。

みなさんはどう思うでしょうか?




たまには、音楽の話でも・・・
http://www.ntvm.co.jp/int/b6.html
は、宮川泰さんのことが、書かれています。
「シャボン玉ホリデー」の音楽や、「ザ・ピーナッツ」の育ての親、息子さんは、最近の「マツケン・サンバU」の作曲で有名ですが・・・
元々はジャズ・ピアニストです。

私が物心ついた時には、この年代の方たちはすでに40歳を過ぎているくらいでしたので、大人になった後しか知りませんが、若いときの話を聞くと、若い時は あったのだな、と思います(笑)。
引用しますが、
(http: //www.ntvm.co.jp/int/b6.htmlより引用)

「当 時、シックスジョーズのメンバーと、ビッグスリー (松本英彦氏=サックス奏者、白木秀雄氏=ドラムス奏者、ジョージ川口氏=ドラムス奏者の有名ジャズメンの3人を、愛称でこう呼んだ)のバンドとの共演を 大阪でやったんです。
その時の三つのバンドのそれぞれのドラマーが三人で共演をした時に、僕らは楽屋で休憩していたんですが、三人のドラムソロのメドレー が終わった後、演奏が終わったジョージ川口サンが帰って来て、『あれじゃ、オレは叩けねぇョ!』と、白木サンの悪口をメチャクチャに言うんですよ。
そうす ると渡辺晋サンが『まァまァまァ…』となだめたんです。
しばらくすると今度は、白木サンが戻って来て、『ジョージは最悪!!イモ!!』とわめき、晋サン は、また『まァまァまァ…』となだめる。
そして最後に戻ってきたジミー竹内は『あいつら二人はどうしょうもねえよ、トーシロめ(=素人)!!!』と怒鳴る と、またまた晋サンは、『まァまァまァ…えー加減にせーよ!!!!』とにかくこの三つのバンドが、共にステージで共演すると、ドラムのソロがバタバタでし たね…(笑)でも、あの頃はジャズが全盛期でした。その点、渡辺晋サンは統率力のある人だったから、仕事以外の事でもミュージシャンを大事にしてくれまし たね。当時、まだ渡辺プロ(ダクション)も小さい会社だったのに、給料をポンとあげてくれたりね…(笑)」


ジョージ川口さん、白木秀雄さん、ジミー竹内さんの若い頃の話ですね。

渡辺晋さんは、渡辺プロダクションを興した人です。
実は私は新卒の時、ナベプロの説明会へ行って来ました(笑)。
結局、願書は送りませんでしたが。


この話は、おそらく20代のころののだと思います。
今で言うところのロック世代の若者と同い年ですね。
基本的には同じなのだと思います、今の若い人達とも。
ただ、この年の人の特殊性は、戦争に行ったことがある、あるいは、もうすぐで行かなくてはならなかった、ということでしょうね。

良く分かりませんが、精神のどこかの部分が、今と比べると、異常に年を経た状態になっていたかもしれませんね。
それでも、少なくとも、上のようなことは言い合っていたようです(笑)。

みなさん、実力があり、個性的なプレーをしますので、なかなか曲者だったかもしれません。
あるいは、同じ楽器だったから、余計そうなのかもしれませんね。

世良譲さんは不思議で、この3人とも縁が深いですね。
ジョージさんとレギュラー・コンボを組んだことはないようですが、ジョージさんのお葬式で、「私などは一番可愛がってもらった・・」と言っていましたし、 白木秀雄さんとは一緒にやっていましたし、ジミーさんとは、頻繁に演奏していましたね。







今この世代で生きている方というのは、すごく少ないのですが、北村英治さんなどは存命で、70過ぎです。

大滝詠一さんたち・・・フォークジャンボリー前後の人達が60前後くらいということです。
大滝詠一さんは、1948年7月28日生まれということらしいですが、
58歳でしょうか?

ジョージ川口さんが、1927年6月15日
北村英氏さんが、1929年4月8日(存命:77歳)
世良譲さんが、1932年3月10日
ジミー竹内さんが、1930年
(存命:76歳)
白木秀雄さんが、1933年1月1日だそうです。

ジミーさんは、生年月日がなかなか、見つかりません。
ネットによると、ジミーさんは、原信夫とシャープス&フラッツを一緒に結成した、というような書き方がされています。



最近、サディスティック・ミカ・バンドが、CMに出ていますが、ベースの方は私はだれだか映像では分かりません(笑)。
後藤次利さんか、小原礼さんなのでしょうが、テレビになどほとんど出ませんので、知っている顔は20〜30代の時くらいのものです。
小原さんは先だって、尾崎亜美さんがテレビに出ていた時、自宅訪問の映像でちょとだけ出ていましたが、その顔とCMの顔を見て同じ人かどうかを判断できる ほどには、頭に焼き付いていないです。


その意味では逆に世良さんたちは、昔の写真を見ると、だれだか分らない時がありますね(笑)。
これは、なんとも逆転で面白いです。

左:松本英彦さん、中後ろ:小野満さん、中下: 中村八大さん、右:ジョージ川口さん、ということです。

先だってライブドア事件で、20代後半〜30代の”取締役”の人達がたくさんテレビに出てきましたが、私の印象を隠さないで言えば、「青臭い」、「生臭 い」顔をしていました。

しかし、人相まではどうか私にははっきり言えませんが、20代後半というのは、大体がこういう顔のようです。

どうも、年を経た顔を知っていて、若いときの顔を見ると、「青臭い」というような印象を招くのでしょうか?
あるいは、そういう立場だから常識的に、〜いう顔つきをしているべきだ、というような概念を持っていると、そう感じるのでしょうか?

普通に20代の人の顔見ても、何とも感じないのに、こうして、年を経た顔を知っている人の若い時の顔を始めて見たりすると、「妙」な感覚があります。

みなさんは、どうでしょうか?

ちなみに、大滝詠一さんの若いときの顔を良く見かけますので、何とも感じませんが、あの時代の若者はみんなふけた格好をしています(笑)。
細野さんも大滝詠一さんも、おそらく40〜50代が一番若い顔をしていたのではないでしょうか?



年を取ると良い顔になる人というのはいますね。
田村正和さんなどは、若いときから人気ものですが、40歳過ぎくらいから、数段良くなったように感じます。
もっとも、7・3分けから、今の真ん中分けにしたのが、その理由かもしれませんが。


鶴田浩二さんは、若いときのスタンダードな二枚目と50過ぎの渋い二枚目で印象が違いますね。
男にはあの50過ぎの顔の方が受けるようにも思いますが。
その意味で、出演の作品の趣がぜんぜん違っていたのかもしれません。
最後の方には、クリーニング屋さんまでやっていました。


高倉健さんは、若いときと70を過ぎた今と、あまり印象が違わないですね。
年は取りましたが。


近藤正臣さんは最近テレビで見ませんが、どんな顔になっているのでしょうか?

変わらない、と言えば、吉永小百合さんは、あまり変わりませんね。
すごいことです。
由美かおるさんもそうですが。

日本映画の評論には、何とかいう映画をめぐって、吉永さんがヌードになるのを拒否して、出演しなかったことに対して、「女優の巾を広げるチャンスを逃し た」というようなことが書かれていましたが、どうも思うに、脱がなくて良かったのではないでしょうか?
私は芝居は知りませんので良く分かりませんが、何となくそういう感じがします。

みなさんはどう思うでしょうか?






民主党で、渡部恒三さんが、国体委員長になりました。
良く分かりませんが、やはり、変化というのは、何度か戻る、ということをするのかもしれませんね。
螺旋でしかも、大変化の時には、何度か行ったり来たりする、ということですが。

そしてある”日”、急にデジタル的に大変動が起きるのかもしれませんね。
そうすると、やはり、何か大きな変化は近いですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?




スケートですが、安藤美姫さんが、オリンピックで曲を「マイファニー・バレンタイン」から変えましたね。
古い話になりますが(笑)。

あの曲は難しい曲ですね・・・。
スローでは抑揚が付け難い曲です。
ジャズでは途中でリズムを変えたりして演奏しますが、そうでないと、最後まで平べったい曲です。
曲を変えたこと自体は良かったと感じます。


しかしオリンピックというのは、なんと言いますか・・・
スケートの場合、向こう何年かの記録を加点して出場メンバーを決めているようですが、それ自体は私は良いことだと感じます。
しかし、メダルが目標ならば、寸前の成績で良い順番に出場すべきなのでしょう。

これはオリンピックにおけるパラドックスですね。
ご褒美、名誉、夢・・・を優先するか、オリンピック委員会、スケート委員会、国益・・・を優先するか・・・。
ご褒美で良いように私は思いますので、今のままで構わないのですが。
その意味では初めから、メダルはどおうでもい良い、と思って見ていました。
もちろん、最高の演技を見せてくれて、結果として、メダルが取れるのならば、それに越したことはない、と感じますが。


むしろ、受験などは、向こう何年かの加点方式などの方が良いのでしょう。
受験の日に風邪をひいたとか、たまたま知っている問題が出た、とか・・・・・・
もちろん、運命が決まっているとすれば、どんな方式であろうと一緒なのだと思いますが。
決まっていない、と本当に思っているシステムならば、加点方式にすべきでしょう。

もちろん、奥には、本当にできる人はどんな問題が出ても出来ます、という考えはあるのでしょうが。



ちなみに、スケートの放送の時間帯はなんでも、水道 の使用量が著しく減って、記録になった、というようなことを聞きました。
すごかったのですね。


261:SWINGING ON BIRDLAND:世良譲
   
  世良譲さんです。
これは一期一会のCDです(笑)

これは、「
SWINGING ON BIRDLAND」と言う世良さんの人気アルバム・シリーズのベスト 盤ですが、私はこのLPが大好きでした。
当然、当時中学生でしたので、新品はそうそう買えず、中古でこのシリーズを4,5枚(?)持っていて大事にしていました。

何曲かは、テープに録音してありましたので、それをCD−Rにはしてありましたが、ネット・オークションんでこれを見つけたときには、本当に驚きました し、金銭感覚が下の方にずれている私が、確か5,6千円ビッドして、手に入れました。

好きな3次元的理由は、
世良さんが私にとっての生まれて初めてのピアノ・ヒーローであること、
中学生の時に親に連れて行ってもらい生まれて初めて行ったジャズ・クラブがここ:六本木バードランドで、しかも世良さんの日だったこと、などが考えられま す。


曲目、共演者は、どのサイトにも出ていませんので書くのが大変ですので書きませんが(笑)、北村英治、五十嵐明要、中 本マリ、ジミー竹内、ハーモニカのツゥーツ・シールマンスなどの方との共演になっています。

ツゥーツ・シールマンスとの共演では世良さんは、な かなかすごいピアノを弾いています。
彼は「真夜中のカーボーイ」のテーマソングを吹いた人です。

世良さんはプロとして良いことなのか悪いことなのか・・・演奏に非常にムラがあります(悪)。

良い時の世良さんは、本当に「なるほど、すごい」と思わせる演奏をしますが、中には「???」というような演奏もあります。
この演奏と、「鈴木章治VS北村英治(バードランドでのライブ)の演奏などは、本当に良い演奏です。

特にLPで気に入っていた「明るい表通りで」(ボーカル:中本マリ、アルト:五十嵐明要)、「スターダスト」(シャープの福島さんなど参加)、がちゃんと 入っていたので嬉しいです。
ピアノ・ソロの「That's All」が入っていないのが少し残念ですが、そのうちレコードが聴けるような環境になれば、また聴ける機会もあることでしょう。

LPでは聴いたことのない演奏として、デキシー風アレンジの「シカゴ」などが入っていますが、なかなか良い演奏です。

ところで、今かりんとうを食べながら書いていますが、時々「ホットケーキ」に味が似ているな、と思わせる瞬間があります(笑)。
それはそうですね。小麦粉と黒系の甘さ(メイプル・シロップ)、そして油(マーガリン)で揚げてあるわけですので。

中本マリさんは、この演奏で好きになったのですが、仙台にいたとき、「中本マリとか好きだよ」と言ったら、バンドのメンバーが「彼女は仙台出身だ」と言っ ていました。
そうなんだ、と思いました(笑)。

バードランドは今はどうなっているか良く知りません。
あるはずです。
確かロアビルという名前のビルでした。
今もそうかは知りません。

私は六本木は、あまり頻繁に行く場所ではなかったです。
もっとも、これからの人生でどうなるか分かりませんが。
なぜか、バブリーなヤツ(笑)とか、最先端の遊びの流行、などの言葉が嫌いで、あまり寄り付きませんでしたが、意に反して、なぜか、行く時は行くことにな ります(笑)。
それはそうですね。
今は横浜ですが、東京23区というのは本当に狭いです。
あんなに狭いものだと知ったのは、35近くになってからです。
電車で行っていた場所が歩くと以外に近いのでびっくししました。
とても、東京生まれ、東京育ちの人間の言葉ではありませんね(笑)。


六本木周辺で言うのなら・・・

30代の時、外国に憧れていましたので、時々広尾のインターナショナル・マーケット(だったかな?)に行きました。
そうすると、ちょっと歩くと、有栖川公園がありますね。
それをまたちょっと歩いて行くと、六本木の端の方に出てきます。

あるいは先達て書いた増上寺ですが、ちょっと歩くと、東京タワーですね。
それをまたちょっと歩くとソビエト大使館、それをまたまたちょっと歩くと六本木です。

良く仕事で赤坂に行きましたが、そこをちょっと歩くと、乃木坂ですね。
そして旧防衛庁の裏まで来て、表に出れば、六本木ですね。


五反田、品川、目黒から白金、高輪は歩いてすぐです。
少し歩くと麻布、広尾のあたりだったでしょうか?
最近歩きませんので忘れましたが。
そこから、いくらか歩きますと、田町あたりまで行ってしまいます。
そうしたら東京タワーも近いですので、上のケースで六本木まで行きます。

何かの機会で六本木で飲んで終電が無くなった時には、確か、渋谷まであるいて、さらに新宿まであるいて、そこからタクシーに乗ったように思いますが・・・ 渋谷からタクシーに乗ったのかもしれません(笑)。


何度も書いていますが、なにせ、自営業時代は赤坂の事務所まで巣鴨から自転車で行っていました。
それでも、せいぜい1時間以内です。
早ければ30分強でしょう。
巣鴨から17号沿いに神保町あたりまででて、そうすると、もう東京駅は近くです。
そうすれば、あの港区一体は、自転車ならせいぜい10分強の位置関係にありますね。
昼間車だと大変ですし。地下鉄で変な乗り換え、駅の中を歩く、ということをやりますと、結構距離を感じてしまいますが。

その意味では、23区はすごく狭いです。

しかし、それは山手線の中の話ですね。
そこからはずれた場所、思いっきり、千葉、埼玉、神奈川よりの場所は、やはり遠いです(笑)。



で、どうかと言えば、何度か書いていますが、電車、車時間は、必ずしも正確な距離を表わしていない、ということですね。
わざとではないでしょうが、使用地の関係などで、結構遠回りをしているケースというのがあるようです。

違う視点で言えば、かかった時間と距離に相関関係を感じてしまっていることに間違いがある、ということですね。



近くて遠い道のりとは良く言ったものです。
きれいにまとめるには、「高次元もかように近いところにあるのかもしれませんね」ですが(笑)、ちょっと安直で職業的ですので、やめておきます。

それでも、自分の中に高次元・・・5次元があった、という森田健さんの著述は、まさにこれですね。




時間ですが・・・
重力があるから、時間を意識できる、ということはあるでしょうか?
何となくあるような気がするのですが。

もう少し何か思いついたら、また書きます。

時間ついでですが、時間も螺旋状に進んでいる、とするのなら・・・
比較的短い時間で割って考えていくと、直線的ですので、長く感じていきますが、長い単位で見ると、それは螺旋の曲がり角→曲がり角で、時間の流れを見るこ とになりますので、今度は短く感じる、ということはあるかもしれませんね。

まさに地下鉄が短い単位で、歩くのが長い単位でしょうか?


つまりは、右回りの進むことを考えれば長いですが、 これを縦と言いますか、ある緑線上の点から中心に直線で別の緑線の上まで進んでしまったら、それはもうワープですね。

時間の概念には、そういう現象があるのかもしれません。
学生時代アルバイトで早く帰りたいときなど、時計を見ていると、なかなか時間が経ちませんでした。
逆に、楽しいことをしていると、時間がすぐ経ちますね。

これを時間は直線である、という理屈から考えると、楽しいと時間が経つのを忘れる、というだけの単純な気持ちのせい、だけで終わらせてしまうことになりま す。

しかし、もし時間が螺旋なら、楽しい、には、時間をワープする何かが隠されているのではないだろうか?とも想像したりできますね。

その意味では、二元性、相対性というのも、直線的志向から来るようにも感じます。
もし、能力も何もかも、螺旋であったら、そして、何かの拍子でワープ的なことができるとするのなら、それこそ、二元性も相対性もあまり意味がないことかも しれません。

仮に、3次元の多くのものが、実は直線ではなく螺旋で動いている、とするなら、そう思えない理由はなんでしょうか?

一つは、物の有様を紙に書いたりして表わす時、それは2次元的な表現になることが多いですので、そのせいがあるかもしれません。
貸借対照表でも戦力分析表でも良いですし、時計のようなアナログ式メーター、営業成績表のような棒グラフ、株価のような折れ線グラフ、なんでも2次元で す。

しかし、あれらの現象ですら本当はうねっている、としたら・・・そしてその事実を知ると、もっと正確にものの有様が分るとしたら・・・面白いですね。

もし、ホログラフィーでしたか(ちょっと違うかもしれませんが)・・・天外伺朗さんの本に良く出てくる、「光を当てると、立体的な光の像が出てくるもの」 ですが、あの技術などを応用して、立体的な表現で図、グラフなどが書けるようになったりすると、何かが変わって来るかもしれませんね。










いろいろ考えますが・・・
今、アメリカなんかでは、世界中の食べ物が食べられるようになっていますね。
おそらく、今10代のアメリカ人は、それが普通になっているでしょう。
日本人などは、もうずっと前からそうですね。

すると、アメリカ人も今までのスタンダードなアメリカン料理ではなく、いろいろなものが混じり、あるいは、どちらかの方向へ寄ったようなものが、いわゆ る”普通の食べ物”となっていくのかもしれないですね。

ハワイではライスは相当食べられているようですが、本土でも、パン(ブレッド・・・:ブレッド&バターというバンドがあります)から、スパゲティを飛ばし て、ライスが主食になる日が来るのかもしれないですね。
そうしますと、肉料理なども、ステーキから豚のしょうが焼きへ・・・
そして、魚も塩焼き、干物へ・・・
最後には、昆布の佃煮の世界が現れるかもしれません。

そうなると酒も日本酒になり、演歌が全米チャートに入っていたりするのかもしれません。

みなさんは、どう思うでしょうか?








努力はいけない・・・
ですが、今はこれは、もう麻痺するくらい私には普通の言葉になっていますが、それでも、とても微妙な言葉ですね。
森田健さんのサイトにも宇宙人の話として掲載されていますが、簡単に言えば、「嫌なことをするのが努力、好きなことをするのは努力ではない」ということで す。

つまりは、それが自分にとって楽しいことであれば良いのですが、もう少し噛み砕けば、自分の好奇心のための、「練習」、「訓練」、「試行錯誤」、「チャレ ンジ」などは、気にせずすれば良い、ということなのでしょう。



いろいろ頭に浮かびますが、西郷隆盛という人がいますね。
昨日、廃藩置県についてテレビでやっていましたが、当然そこにも西郷隆盛はいました。
確かどこかで・・・と言いますか、何度か目にしましたが、西郷さんのあの良く見る肖像画や像の顔は、本当に当人なのだか分らない、ということだったように 思います。
100%確かではありませんが。

そういう人もいるでしょうね、あの時代なら。

先達て、犬養毅さんと板垣退助さんの名前を間違えて書きましたが(笑)・・・・・・こんな感じで、受験でも間違えます・・・・・・あの時代の政治家の人は みなハンサムですね。
私は性的にはノーマル
(笑)ですが、10代、20代の時に映画評論などをたくさ ん読み過ぎたせいか、男の顔つきというのには関心があります。
その時に得た直感(?)と言いますか、感じでは、今残っている写真などいを見る限り、みな映画スター並の顔つきのように感じてしまいます。

小泉さんが、顔がリチャード・ギアに似ているとか、声がかっこよいとか、しゃべりが面白いとかで人気があるようですが、これらを含めてちゃんと運命で決 まっていたということなら、あの明治維新からしばらくの時代というのは、同じように、人民の人気を得るに十分なものを持った人達が、一人二人ではなく、本 当にたくさん登場した、ということなのでしょうね。

その意味では、100年後に小泉さんの写真を見て「ああ、これなら、人気があったのも当然だ」と書く人が出てくるのかもしれませんね。
その時、どんな政治家として歴史上に残っているのでしょうか?

しかし、こう考えると、”顔”を見ると、ある程度、運命というか、役割のようなものが分ってくるのかもしれないですね。




木戸孝允さんなどは、なかなか二枚目です。
国会図書館の 
近代日本人の肖像、というサイトがあ りますが、ここだと、みなさん晩年の顔ですが、木戸さんなどは、http: //www.ndl.go.jp/portrait/datas/65_1.html に超アップ画像があります。

しかし、長生きすると晩年顔が地球が終わるまで載せられてしまうのだとすると、考えものですね(笑)。
勝海舟さんなどは、若い頃の写真が良く利用されていますが。

また良い写真のあるサイトを見つけまいたら紹介いたします。








3月12日です。

テレビでピラミッドについてやっていましたが・・・
ピラミッドは奴隷の強制労働だと思われていたらしいのですが、新たに発掘されたもにより、どうやら違うと言うことが分った、と言っています。
ピラミッド建設時の出勤記録が発見されて、それにいろいろ書いてあるようですが、休んだ理由に二日酔いで休んだ、などともあるようです。

つまり自由出勤だった、ということですね。

おそらくは、ピラミッドについて調べ始めた当時、自分たちの分っている限りの歴史の状況から、当時は強制労働だったろう、と推測したのだと思われますが、 地球の歴史は長い、ということですね。

要するに、 何も今が最先端の時代ではない、ということでしょうか?
過去の文明は捨てたものではありませんね。


科学も、 似たようなところがあるように思いますが。


みなさんはどう思うでしょうか?




テレビの時間表示や、PC の時間表示を見ていると、「9」特に「49」が良く出てくる、という話を以前書きましたが・・・
これは、トランプとは少しだけ違うかもしれませんね。

やはりテレビでおそらく七田さんの所らしい子供の右脳教育についてやっていましたが、そこでは、右脳を鍛えることによりサイコロで自分の意図した数字を出 せる、ということの実演や、先生が出したカードのどちらに、先生が言った図形などが書いてある、かなどをカードの裏だけ見て当てる、というようなことの実 演をやっていました。
芸能人も挑戦しましたが、最後にはサイコロで目隠しをして、好きな数字を出していました。
なんでも、モーツアルトの曲をものすごい速さで聴いた後か何かだったようですが、そこら辺は良く見えいませんでしたので確かではありませんが。

七田さんは右脳、松果体は良く出てきますね。

ただ、これは、森田健さんの実験を読むと、どうも、サイコロに関しては、右脳と言うより、サイコロに念が乗る、ということのように感じます。
どうなのでしょうか?

さて、それはさておき「9」ですが、トランプに念を乗せることにより、好きな数字やマークを出すというのは、念理論で分るのですが、私の「9」は、テレビ やPCに念を入れている、ということだと少し分かりません。
つまり、たまたまテレビなどを見ると、そういう数字が出ている、ということですので、どうも、テレビなり、高次元的な何かが教えてくれている、あるいは、 狭い意味で、自分で「9」がでる瞬間に気づく、という方が、当たっているように感じます。

セレンデピィティに近いのかもしれませんね。
というより、それそのものでしょうか?

そうすると、事象のような”ふんわりしたもの”以外にも、このように数字というようなデジタルなものにも、
セレンデピィティはあるのかもしれませんね。
少し認識が変わりました。

「セレンディピィティ」、 「セレンデピティ」などいろいろな表記がされているようですが・・・

celendipity
 というスペルのようですね。
とすれば、
セレンデピィティでしょうか?




さて、ありようとしては、「テレビが教えてくれている」と楽しいですね。
「ほら、9だよ・・・」ということですが(笑)。



高次元的には・・・いろいろな解釈ができるでしょうか。
守護霊が教えてくれた、
本質が教えてくれた、
アーカシックレコードから、その瞬間の情報を引っ張った、
私の問いにテレビが答えてくれた、
テレビも私もネットワークにつながっており、そこで「9」がシンクロした、

などなどでしょうか?

まず事実として、このような事象があり、それはどういうことか?という発想から、いろいろな考えが生まれてくると思いますが・・・
間にある何かが教えてくれた式か、繫がりにより情報が来た式か、ということになるのしょう。

たただ、それも、事象がある、が実は意識が作り出していて・・・というような実体が実はない式になりますと、また違いますね。

この意識が作りだしているですが、仮にあるとして・・・
意識が物事を呼び込んでいる、なのか?
意識により、物事が物質化しているのか?

の2つの違うことを言っているケースがあるように思うのですが、これは同じことを言っているのでしょうか?
どうも違うように感じます。

前者は波動的ですね。
後者は、どこかで「ウルトラQ」のようにギュ〜と何かアメーバー状のものが変化し、それを3次元に投影するとある物質になっている、というイメージがあり ます。

2つともあるのかもしれませんが、これは別物ですね。


また、ギュ〜・・・の物質化と、森田健さんの光の超能力者のようにどこからか持っきてしまうやり方も違うものですね。

時々頭を整理しないと自分で分らなくなってしまいますので、ちょっと考えてみました。

みなさんは、どう思うでしょうか?






3月13日です。

13は理由はそれなりにあるのでしょうが、なぜか、私のラッキーナンバーの一つです(笑)。
理由は分かりません。
いろいろなところで13が出てきますが、大抵良いことが起きています。

4月9日生まれの4+9で13になりますが、それが理由になる理由が分かりません。

そう言えば、4と9というのは、日本では嫌われる数字ですね(笑)。
私にはラッキー・ナンバーです。
昔「ゲゲゲのキタロウ」で、銭湯の下駄箱の4と9が空いている・・・という巻きがあったように思いますが(笑)、どうでしたでしょうか?

確かに4は一時期、「悪い番号だろか?」と思った時期もありますが、ジョン・レノンが「9は誕生日だからラッキー・ナンバーだ・・・」と言っているのを見 てから、「じゃ、4月の4もラッキーナンバーだろう」と自然に思うようになっていました(笑)。

占いなどみますと、私は6がラッキーナンバーだ、と書いてあるものに良くお目にかかります。
9という数字は、完全を表わすので、その意味において、吉凶いろいろだ、と書いてあるものもありました。


何が事実でしょうか?
そもそもラッキー・ナンバーなどあるのでしょうか?


1はあるカルト宗教が良く使っていましたので、一時期嫌いでしたが、私の名前の宗一に一が入っていますので、「きっと本当は本当は良い番号なんだろう」と 思っています。
まあ、政木和三さんの「一生懸命ではなく、一所懸命だ」の一ですね。



ラッキー・ナンバー・・・みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・・・・

時間ですが・・・
確かに、気のせいではないと思いますが、短く区切って使うと、「長く」なりますね。
もちろん、3次元的には、計画的だとかいろいろな説明はあるでしょうが、どうもそれだけではないように感じます。
短く区切ると長くなるのではないかと思います。

その意味では、3次元的に差を付けたければ、短いスパンで区切って計画的に使おう、ということになるのかもしれません。
高次元的な意味でも、テストなどで、「問い1は5分、問い2は10分・・・」などとするのは、良いことなのかもしれませんね。
想像ですが。


高次元的にはどういうことでしょうか?
想像するに、「短く切ろうが長く区切ろうが、一区切りが高次元的には同じ長さになる」、というようなことがあるのかもしれません。

短く区切ると良いことのひとつに、マラソン、長距離走などをする時に、短く「次の電信柱までがんばろう」とすると、苦しさが軽減される、ということがあり ます。
しかし、これと今話ていることとは違うように思います。
むしろ時間論で言えば、上の想像が当たっているなら、走っている時間そのものは長くなるのではないかと感じます。


人は経験から時間を想定することがありますね。
ラーメンやさんに入って、せいぜい注文後10分経って出てこないと、「遅いな」と思います。
そのくせ、コンサート・チケットを買うために、何時間も並んだりする時には、1,2時間なんとも思わなかったりしますね。
3次元的には、「覚悟ができている」、というような言い方をするでしょうか?

もし、先の想像が正しいのなら、ラーメンで想定した10分と、チケットで覚悟した2時間は、高次元的には同じ長さあったりするのかもしれません。
単なる想像ですが。


左の図で、緑色の螺旋がエハンさんなどが言うところの時間の流れで・・・
今は中心に近づいていますので、仮に一周を1日とするなら、一周が外側より短くなっていますので、時間が短く感じられる、という仮説の根拠です。

良く分かりませんが、短く区切ると、体感時間と言いますか3次元時間は螺旋であり、長く区切っていくと、オレンジ色の直線(あるいは半径)になってしまう ということでもあると、本当は、時間が長く使える説の説明が簡単なのですが、単なる想像です。

今のところ、こんな想像しかありませんが(笑)。








さて・・・・・・
なわ・ふみひとさんのサイトの「2012 年の黙示録」で、を読んでいましたら、長年?と持っていることにつてい少し触れられていました。

http: //www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki09.html#悪口を言う人
ですが・・・
そこで、カルマの法則について語られています。

スタンダードなカルマ論が書かれていますので、
詳細はお読みいただければ良いのですが、・・・
そこに、キリストの言葉として「
自分がしてもらいたいと思うことを、人にもしてあげ なさい」ということが書かれています。


以下内容は、非常に3次元の一般的善行話ですが・・・
私はこれを読んでいて、昔から感じている自分の中のジレンマというか、パラドックス(逆説)のようなものを思いだします。
この言葉は善行の基準が分らない時などに、学校の先生なども良く言いますね。

私は、一般と趣味・嗜好が違うものが多いのですが、それ故、これに関しては、本当に悩みます(笑)。
分りやすい例で言えば、おもてなしの料理を出すのに、刺身好きの人に「私も好きだから、これを出してあげれば、絶対喜ぶ・・・」という発想で刺身を出さ れましても、ぜんぜんおいしく食べられません。
もちろん気持ちはうれしいですが。

ですので、そういう時は、「自分がしてほしいことではなく、その人がして欲しいことをしてあげるべきだ」と今でも基本的には思っています。

しかし、もし、「してあげたことが返ってくる」に従えば、「相手が喜ぼうがどうであろうが自分がして欲しいことをしてあげれば、とにかくそれが自分に返っ てくるから、自分にとっては幸せだ」ということになるのかもしれません。


逆の場合もあり、たとえば非常に変わっている例を上げれば、私は「一人にしておいて欲しい」と思うことが良くあります。
あるいは、「任せて欲しい」と思うことが良くあります。

ですので、人もそうだろうな、と以前は良く思い、「一人にしておいてあげたり」、「何も言わないから、何かあったら言って来い。後は君に任せる。自由に やって良い」などとしたりする時が良くありました。

これは、正に、私がある場面においてはそうして欲しいことを、他の人にもしたわけなのですが、どうも思い返しますと、多くの場合、「私を無視した」とか、 「何も教えてくれなかった」とか、「私に押し付けた」とか、「何もしてくれなかった」とか、そう思われていることがあったようです(笑)。

どうも、一般的には、「一人が嫌で」、「任せられるのが嫌」、なのが普通のように感じていますが、そうなのでしょうか?

ですので、この場合、やはり振り返ってみますと、波動で言えば、今のところ、「良い波動」は返ってこなかったように推測します(笑)。

私にしてみれば、逆恨みですが、言ってみれば、私が、刺身好きに刺身を出されたようなもので、しかも、「おもてなしの宴」という目に見えるものがありませ ん ので、「あいつは私のことを嫌っている」などとあらぬことを思われたケースもあることでしょう。


キリストの言葉を善意(?)に解釈すれば、「刺身嫌いに刺身を出しても、そのもてなそう、という気持ちは返ってくる」という内容も含んでいるかもしれませ ん。
その意味では、私のしたことでも、良いのかもしれません。

ただ、上の2つは極端なケースですので、基本的には、私は、刺身嫌いに刺身を出すようなことはせず、「相手がして欲しいことをする」ということが善行をし たいのなら最善だと思います。

で、なにが言いたいかといえば、本当に正しい説明は、「もし相手を喜ばそうとするのなら、やみくもに自分がして欲しいことをするのではなく、相手の好み、 嗜好を確認する必要がある」ということでしょうか。



それらを加味して言えば、「何かする時は、相手の好み、希望を確認する」が、私にとってはして欲しいことでしょうか?(笑)

それでも、思い返しますと、「あなたは、任されるのが好き、それとも、細かく言われるのが好き?」と聞いていた時期もあったような気がします。
別に仕事だけではありませんが。

ただこれも、ケース・バイ・ケースですね。
「任されたい」と言った手前、今度は聞きたくとも聞けない、という状態に相手を追い込んでしまうこともあったかもしれません。

あるいは、細かく指示、手間をかけ過ぎて、”うるさい”と思われたこともあったかもしれませんね。


こういうのを反省というのでしょうか。




これこそ、パラドックスですね。

今日テレビに、松井証券の社長が出ていましたが、今流行の部下も上司を評価する、をやっているそうですが、しかし、さすがにちょっと違っていて、「好きか 嫌い」だけで判断しろ、ということのようです(笑)。
「嫌いが極端に多いのであれば、それはそれで、どこ かに問題がある、ということでしょう」ということでした。



そうしたところ、上司役の人から、「嫌われるのではないかと心配して、怒ったりしにくい」という声が出たようですが、「そこまで考えて接しろ」というよう なことを言ったそうです。
しかし、それをやればやったで、「今度は一体何がどうなっているのか分らなくなってしまうでしょう」(社長談)ということのようで、結局、「自然にやれば いいんですよ」が社長 の真意のようです。
森田健さんの言うようなことに似ていますね(笑)。


どうも、これは「自然にやれ」も、「好き嫌いだけで判断しせよ」も正しいように感じます。
みなさんは、どう思うでしょうか?

やはりそうしますと、私にはどうも、極端に「嫌い」の声を受けない限りは、自然にするしかないのはないかと感じます。
自分の好みを出せば、逆(?)に、それに共鳴した人達もネットワーク的な効果で集まっても来るでしょうし。





で、結局何が言いたいかと言いますと、「自然に任せる」、ということで、それは、「ハンドルを手放す」に近いのでしょう。

私の以前の発想はまるで「ハンドルを握り締める」のお手本のようだ、と感じました(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?






262:The modern Playing Mate: 世良譲・笠井紀美子
   
  1967年録音のCDです。
世良譲、ジミー竹内、栗田八郎、によるピアノトリオにラテン・パーカッションと笠井紀美子のスキャットで、なんともジャパニーズ・’70調のボサノバが演 奏されています。
「枯葉」は4ビートです。

今の私と同い年くらいの世良さんのピアノが聴ける作品です。

曲目です。
1. ソー・ダンソ・サンバ
2. 枯葉
3. キャント・ゲット・オーヴァー
4. デイ・バイ・デイ
5. 不思議の国のアリス
6. いそしぎ
7. アイ・ラヴ・パリ
8. ケメコ
9. サマータイム
10. ホワット・アイ・セイ

8は、笠井紀美子さんの作曲で、歌謡曲調・ボサのような感じになっています。

ライナーによると、笠井さんも、世良さんが世話をしていた女性歌手の一人のようです。

ここで、初めて、世良譲さんと山下達郎さんの接点が、私の中でできました。
 
以前は、「好き」な音楽を探す手段として、一人、好きなアーテイストのネットワークを探っていく、という方法を良く使いました。
音使い、趣味などが似ているのです。
そして、それにはずれは少ないです。

しかし、それとは別の手段で好きを求める時もあります。
結果、どこかで繫がっていたりするのですが、世良さんなどの系統のジャズの人と、ナイアガラ系の大滝詠一さんたちとは、ほとんどつながりがありませんでし た。


しかし、ここで、笠井紀美子さんつながりで、山下達郎さんと世良さんが少しつながりました(笑)。
薄いつながりですが。



録音は少し多目のエコーに包まれ、いかにも、70年代前後、というような雰囲気のものです。
ですので、ジャズと思って聴くと、少し違いますね。

私はこういう作品は好きです。








さて・・・・・・
今日、「雨あがる」という映画を見ました・・・テレビで。
黒沢明さんが残したシナリオで撮られた映画ということのようですが、詳細は知りません。

ただ、なんとも・・・考えさせられるストーリーでした。

見ていない人は読まないほうが良いかもしれませんが、ざっと、書きますと・・・

ある浪人がいます。
寺尾聡さんです。主人公です。

いろいろありますが、欲のない・・・えばらない・・・3次元的に言う良い人のお侍です。
ある日、主人公が、無益な決闘を止めたことで、刀の腕を認められ、その決闘をしようとした侍の勤める城の殿様に呼ばれました。
剣術指南番がなくなったので、探していたということです。

殿様は、彼に身の上を聞きます。

それによると・・・
城に勤めていたが、机にじっとしている仕事が勤まらず脱藩した。
道場で賭け試合をしながら、資金を稼ぎ、江戸まで出ますが・・・
当時は今のように剣術はうまくなく、どうしたかと言うと、戦わず、まず道場主と立会い、はじめの一刀が来る前に、「参りました」、と誤る、
すると、道場主は気分がよくなり、酒を出してくれたり、金をくれたりしたそうです。

そうやって江戸まで来て、お金を得る為、最後だと思い、ある有名な道場で同じことをします。
その道場はとても有名な所で、殿様もその道場主の名を知ってしました。

彼はまた最初の一手が来る前に誤ろうと思っていたところ、立ち会いましたが、しばらくして、道場主が参った、と言いました・・・。


その後、道場主と主人公が話をします。
彼は、上に書いてあるようなことを話します。
道場主は、「どうりでで隙だらけなのに、欲が全く見えないはずだ。たくさん対戦はしてきたが、初めての相手だった・・・」
ということで、気に入られ、内弟子になり、剣術を習い、師範代にまでなったそうです。

その後、道場主のおかげで、
また城に勤めましたが、しかし、そこも長く勤まらなかったそうです。
知らず内に評判が悪くなり、辞めたそうです。
そうして、また今また浪人の身でいるところである・・・ということでした。


殿様はこの話がいたく気に入り、彼を剣術指南番に登用しようとします・・・・・・


最後まで書きたいですが、これから見ることがある人もいるかと思いますので、とりあえず、ここまでにしておきます(笑)。






私はこれは分かるような気がします。

何が分るかと言えば・・・・・・「知らない間にどうしてか、評判が悪くなる・・・」です。

その後の場面で、急に出てきた新参者の登用に、気分 の良くない城の侍たちが「あんな腰の低いのは、嘘をついているに違いない・・・」などと話しているシーン がありました。




おそらく彼は、剣術の腕前がこのときほどでない時でも、つまり前の城勤めでも、城の仕事はそれなり以上にこなした人なんだろう、と想像します。
それでいて、欲も競争意識も少ない・・・。

で・・・想像するに、競争意識の高い団体、欲の強い団体にこういう人・・・欲や競争意識は高くないが、それなりにちゃんとやってしまっている人・・・がい ると、他の人には不気味に見えるのでしょうか?
想像ですが。


私は彼のようなすごい剣術の腕のようなものはありま せんでしたし、決して、神業のごとく仕事が出来る、という人間ではありませんでしたが、「知らない間にどうしてか、評判が悪くなる・・・」 という感覚は、良く分ります。

どうも、分りますが、が多いですが、この「知らない間」という感覚が”分る”のであって、なんとも説明のしようがないという感じです。
それでも、それも私の多角的レベルから見・感じた主観・事実でしかありませんが。



この現象を強引に解釈すれば、自分が欲むき出しでやっているのに、相手はそうでない、ということに対しての自己嫌悪の意識が、逆ぎれのようなものを起させ ているのかもしれません。

これは、正しいのなら少し分ります。
営業などで必死になってやっているのに、必死さがこちらには見えてこないような人間がいると、「こっちはこんなに死に物狂いでやっているのに、コイツ は・・・」などと、20代の時には思ったこともあったように思います。

この感覚と同じ感覚でしょうか?

みなさんは、どう感じるでしょうか?




但し、最後のこのお城への剣術指南役登用は、部外者が急に城の良い役職に付く・・・ですので、まあ、普通に考えて嫉妬する人もいるだろうな、とは思います ので、その後、自然に評判が悪くなる・・・という話とは少し違うのだろう、とは思いますが。


但し、剣術指南役という、特別な技術職の場合は、内側にいなければ、外から引ってくるしかありませんので、それに嫉妬するというのも、少しお門違いのよう に感じます。





・・・これ以上、発展し難いので、ここまでにいたします(笑)。















3月15日です。


パラリンピックの結果を報道していますが、見ていま すと、カルマの法則はどこか間違っているんじゃないかと、考えさせられます。
彼らを見ていると、むしろ逆で、正統的精神世界理論を正しく適応するなら、魂のレベルが高いからこそ、逆境の状況に生まれ、3次元的意味で大きなことをす る使命で生まれてきたのでは ないかとか思わされます。

私は五体満足な自分に”感謝”をしていますので、「五体満足な自分が情けない」だなんてことは思いませんが、すごいなぁ、と思います。
特に日本人には感激します。


私が身体的にハンデを負ったら、まず間違いなく、あのようなことはできないのではないか、と感じます。

カルマを語る人の多くが、3次元的に大きなハンデ、欠陥、不幸があると、前世のカルマだ、行いが良くなかったからだ、と言っているようです。
きっと、正しいのだろうと思います。

しかし、普通に考えて、そういう所謂ところの”精神レベル”の低い人にそんなハンデを負わせたら、どうなるでしょうか?
それでは、営業成績の悪い順に高い達成目標を課しているようにも感じますし、逆側から見れば、何かをクリアした順に、窓際に追いやられるような印象もしま す。

3次元では逆で、
初級の人には簡単な課題を、
上級の人には難しい課題を、
というのが普通ですね。

その意味では、”高次元的発想は3次元的発想の逆を行っていることが多い”ですので、これで良いのかもしれません。


ただ、例の「宇宙の理」の田原澄さんなどは、読んだところによれば、「神」と言っても良い生命体の人のようでしたのに、今生は相当きつい課題だったようで す。
もちろん、”使命”と言っても良いものがあったようですが。
他にも、似たようなケースの人は多いですね。

ですので、どうも「辛い」ことが多くとも、必ずしも、自分の前世の行いが”悪かった”ということでもない、と思っても良いようですね。

運命が決まっているとすれば、そこら辺のことは、生まれて運命が走り出す前に決められるのでしょう。
ただ、決めてくるにしても、それがどのような具合で決められるのかは、良く分かりませんが。


みなさんは、ここら辺をどう思うでしょうか?






先日、例の夜にテレビ東京でやっている経済ニュースで、”
EDLP”という言葉を使っていました。
これは、船井幸雄さんがウオルマートにアドバイスした、
”EVERYDAY LOW  PRICE”の略語のことだそうです(笑)。
なんでも、縮めれば良い訳ではないないだろうに・・・とも思いますが、船井さんは知っているのでしょうか?

私は”EDLP”と見た時に、新しいMDの録音モードか何かかと思いました(笑)。


船井幸雄さんの本によれば、アメリカでウオルマートの経営者に会った時に、「あなたは日本で一番有名な流通業の経営コンサルタントだそうですが、何かアド バイスはありますか?」と言われ、「セールで安売りをするのは、お客さんを騙していることになるから、そうではなく、いつも一番安い値段で売るのが良いで す」のような感じのことを言ったようです。

それ以来ウオルマートでは、
”EVERYDAY LOW PRICE”をやり、全米ナンバー1のスーパーマーケットになったそうです。

私は、流通業に関わったことがないので良く分らないのですが、ここで言うセールとは、仕入れ業者に泣いてもらって、いつもより安い仕切りで物を入れてもら い、そして行うセールのことではないのかもしれませんね?

いつも売っているものをセールでもちゃんと利益が出る価格設定しているのに、普段は相当高い利益が出るような値付をしている、ということなのでしょうか?

私は品物の売買では、電気製品しか知りませんが、あれは、上で言うところの泣くに当たる「特別仕切り」のようなことや、
半期ごとの仕入れ量に応じたバック・マージン制度、
年度ごとの仕入れ量に応じて、次の年の仕切り値段の変化、などがありますね。

流通業が同じようになっているのか、違うのか、良く知りません。
食料品から家電、服飾まで扱っているので、いろいろあるのでしょうが。



また同ニュースで、MDI情報を記録可能なDVDが開発されている、というニュースをやっていました。

MDIとは、要するにデジタル機器を動かす情報のことで、つまり命令系統の情報で、楽器で言えば、「ここの鍵盤を、いつ、どれくらいの強さで叩く・・・」 とかそういうものです。

これをDVDに入れると何ができるかと言いますと・・・
映画のあるシーンで、MDI信号に反応して煙を出す装置をどこかに置いておけば、煙が出ますし、場合によっては臭いも出るようです(これは放送で言ってい ました)。
MDIで動く調光システムがあれば、映画のあるシーンで部屋が明るくなったり、暗くなったりするでしょう。

もし、臭いで特定のパヒュームを入れ替えられたりするなら、ワイキキの浜辺のシーンでワイキキの臭いを出す、という芸当も出来る訳です。


もちろん、これらは映像だけでなく、音楽でも良いわけですので、ベートーベンの運命でも良いですが、「ジャジャジャジャ〜ン・・・」で急に部屋が点滅した り・・・なんてことも可能な訳ですね。

さすがに時間の関係か、ここまで放送していませんでしたが、私が考えているのですから、似たようなことは、もうすでに考えていることでしょう。

要するに、ピアノで言えば200前後の鍵盤全てに対してのトリガーになる訳です。
業務用AVのコントロール装置にはトリガー端子というのが付いている場合がありますが、今はどうだか知りませんが、昔は大抵1系統でしたので、何かの動作 に反 応して、幕が開くとかスクリーンが下りてくるとかそういう用途に使われていましたが、こうなってくると、なかなかすごいですね。

みなさんは、何かアイディアが浮かぶでしょうか?

何かビジネス・チャンスを感じたりもしますが。




ただ、サラウンド装置などは、アイディアは面白いのですが、日本の家の広さなどの実情に必ずしもあっていないですね。
またこれで、大きな装置が部屋にやってくることを考えると、どうなのだろうか?と思ったりもします。

やはり、ラジカセは大きくないからヒットしたのかもしれませんね。

みなさんは、どう思うでしょうか?












3月16日です。


いろいろ変更しますので、本当はフレームをきった方が良いのではないかと思いますが、あれをやるとページが小さくなりますので、嫌です(笑)。
フッターにすれば、いいとも思いますが、何か嫌です(笑:2)。




さて・・・・・・
船井幸雄オープン・ワールドで岡田多母さんに本にサインとしてもらった時に書いてもらった「スク」ですが、どうも「主苦」という字のようです。
ある日突然そう読めました。

「クが付いているので、苦労なさらぬように、ご活躍ください・・・」でしたが、何か”キリストが苦しんでいる”、ようで変な感じです(笑)。

苦しいのは嫌ですね、普通。





格闘技やスポーツなどを見ていると、どうも、息を吐く瞬間でいうのが、要注意のようなのですが、瞑想、腹式呼吸などしていますと、吸っているときよりも、 吐いている時の方がリラックスできますし、気のせいかエネルギーも豊かなように感じます。

森田健さんの本に「気持ちを内側に向けるのがエゴ、外側に向けるのが良い・・・」というような文章がありましたが、何かそういうことでしょうか?
今は漠然と、息を吐くときにエネルギーを感じる、としか言えませんが。






フナイ・ドット・コムに、夫婦は顔が似る、と科学的に書いているも のが掲載されていますね。
どうも、できれば良い地域に引越しをした方が良いようです。

引っ越したい、と思っていれば、その内、引っ越せることでしょう(笑)。
ただ、本当に不思議なのは・・・
偶然、不動産やさんに任せて引っ越した場所ですが、私の大学を作った人が明治維新の時に住んでいた寺が近くにあったり、なんやかや、と不思議に縁のある部 屋です(笑)。






天外伺朗さんの「宇宙の神秘 誕生の科学」(PHP:1999年)のあとがきに、面白い話があります。
フナイオープンワールドの絡みで1997年の同も会でミッシェル・オダン博士を紹介した佐藤恵美さんという方と知り合い、意気投合し、何かできないかと 思っていたところ、1998年に同博士が来日するというので、ジョイント講演会をしようということになったそうです。
しかし、予定の日には正業からみで、外国で会議の予定が入っていたそうですが、相当悩んだあげく、講演会の方を取ったそうです。
これは会社人としては普通いけないですね。
しかし、好奇心のあるものを択ぶ、という意味では正しいですね。
そうしたら、突然会議の日程の方が変更になった・・・ということです。

私は、今まで好奇心より道徳(もっぱら仕事上)を選択するのが正しいことだと思っていましたので、このような経験はありませんが、ひょっとしたら好奇心に 従うと運命も自然に・・・勝手に変更してくれるのかもしれませんね。

今度は好奇心を選択してみたいと思います。


ただ、好奇心と欲の違いが往々にして分り難い時がありますね。
「やりたい・・・」ではどちらだか分かりません。

上のケースが好奇心だとするのなら、「こっちの方が面白そうだ」
ということでしょう。
そこには、金銭、大変さ、世間の評価・・・というものは、まったく選択材料に入っていないのでしょう。


私は、以前は、無理して道徳的なことを選択して、うまく行きませんと、がっかりしましたし、本当にどうしようもなくなっても、意地で道徳を選択し、挙句に は、「運命を憎む」、「一体俺の運命はどうなんってるんだ」、と思ったりもしたことがありますが・・・波動で考えても、その他の私が理解できる高次元的な ことで考えても、”無理”して道徳的なことを択んで、良いことが起きるはずはありませんね。

もちろん選択のもう一方が私の考える宇宙の理に反しているようなことである場合には、また話は別になりますが。

もし、また天外伺朗さんの会社の関係の仕事をするようなことがあったら、「だって、○○さんは、会議より講演会を択んだよ・・・」って良い口上も見つかり ましたし(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?


ちなみに、”択ぶ”、と”選ぶ”は違うのですね(笑)。
”択ぶ”は良いほうを選択することだそうです。
”選ぶ”は、選挙などで、選ぶことのようですが、洋服を選ぶ、は、こちらだそうです。
むつかしいですね(笑)。







3月17日です。
風邪が強いみたいです。
もうすぐ春ですね。


さて・・・・・・
WBCの野球がありました。
日本は韓国に負けました。
応援していたので残念でしたが、8回がキーですね。

日本が負ける、ということが運命で決まっていたとするなら、そういうシナリオを導くような流れも、またあるはずです。
私はこの8回については波動で考えると非常に分りやすい流れがあったのですが、決まっている運命と波動とはそういう関係もあるのかもしれないですね。
つまり、トリガー・・・最初の指示である波動を出す事柄がある、ということですが。

どういうことかと言いますと・・・

8回の韓国の攻め、日本の守りで、イチロウ選手にファールフライが上がります。
彼はそれをファールグランド・・・スタンドぎりぎりまで追いかけて行くのですが、取れませんでした。
テレビで見る限り、スタンドの観客は邪魔ではありましたが、手を出して邪魔をする、というほどではなかったです。
しかし、イチロウ選手は他の選手を鼓舞するためもあるでしょうが、いかにも「観客が邪魔で取れなかった、クッソー」というような分りやすい表情・・・言っ てみれば、残念+なんで邪魔すんだよ、一生懸命やってんのに、というような”怒り”を含んだ、悪い波動系のものを出していたようです。

順序は忘れてしまいましたが、その後、センター前にヒットを打たれます。いい球が返ってきますが、、名手 ぞろいのはずなのに、なぜかサードの選手がボールをこぼしてしまい、ランナーは2塁、3塁になります。
これも、波動で考えれば、イチロウ選手が出した悪い波動が他の選手にも伝わり、そしてエラーしてしまったのかもしれません。

また、これを解説していた衣笠氏は「これはまずいです。絶対やってはいけないエラーが出ました」のようなことを言いました。
私は波動的に「まずい」と思いました。
もし衣笠氏が、「大丈夫です。ここは落ち着いて、飛んできたボールにだけ、しっかり集中することを心がければ、必ず切り抜けられます」
とでもい言うとまた違ってきたかもしれません。
何せ、日本中がこのテレビを見ていました。

中には、「いや、そんなことはない。がんばれ」
と心で思った人もいるかもしれませんが、多くの人は衣笠氏の解説につられて、「ああ、まずいんだ。きっと点を取られてしまう・・・」と思ったのではないで しょうか?


そうすると、おそらく、その波動が次ぎの選手の一挙手一動に影響を与えたかもしれません。

そして、やはり、案の定、代わった投手が打たれ、韓国が2点を取ります・・・。


少なくとも画面から見て取れる範囲では、波動で想像してみると上のようなことが言えるかもしれません。
そして、画面の限り、トリガーはイチロウ選手のように感じます。

もっとも、それを呼ぶ要素は先日のアメリカ審判の嘘判定、あるいはもっと遡ればいろいろあるんかもしれませんが。


で・・・
どういうことかと言えば、波動では上記のように見えるが、実はその大元には「日本が負ける」という決まった未来があり、それに向けて、多くの人のネット ワークが、実に巧妙に影響しあっているのではないか?ということです。


ですので、仮に、あの時、イチロウ選手が、怒ったりせずに、「ドンマイ、ドンマイ」でいたとしたなら、日本が勝ったようにも見えますが、ひょっとしたら、 イチロウ選手が3次元的理由ではない他の何かによって、日本は負けることになっていたのかもしれませんね。
想像ですが。

ただ、このできごとによって、何か影響し、アメリカがメキシコに負け、日本が次ぎに進み、優勝でもする、という可能性もまたありますね。

あるいは、今年はだめでも、何年か後の優勝などの決まっているできごとへの布石(附箋ではない)になっているのかもしれません。



また、別に野球以外のことへのトリガーになっている可能性だってありますし、実際、3次元的にも高次元的・決まっている運命的にも、なっていることでしょ う。

先達てのアメリカ人審判の態度は、日本のアメリカ観へ影響を与えたでしょう。
それは3次元的にも、いくらでも、影響は想像できるかもしれませんし、高次元的には、何かすごいことへの複線かもしれません。

「あ、アメリカ留学やめてオーストラリアにしよう」
という学生もいるでしょうし、

もっと分りやすいものなら、あの日、新聞の売り上げは上がったはずですね。
それは流通から販売している店の売り上げ、等々さまざまなところへ影響していることでしょう。


そういった3次元的な想像しやすいことだけではなく、これが、何年か後の東洋の国々の結束なんかに関連していたりするのかもしれません。
想像ですが。


実際、なんでも、北朝鮮の拉致からみで、アメリカ大使が、現場に足を運び、家族とあったりしているようですが、これなど、最近のアメリカへの日本の不信感 が影響して、初めて実現したこと・・・アメリカがしかたがない、と思ったか、どう思ったかは知りませんが・・・やっとい重い腰を上げた、ということでしょ う。

これにアメリカ審判の件が関係しているか分りませんが、あっても不思議ではありませんし、その前から打ち合わせし、決まっていたのかもしれません。

あるいは、今後の何かに、同じように関係してくるのかもしれません。

これも波動で考えれば、多くのアメリカ人を含めた世界中の人が、「あれはセーフだ」と思い、日本に同情していたようですので、その波動が関係したとも考え られます。

しかし、おそらくは、決まっていた何かを導くために、起きた出来事であったのでしょう。



考えるに、いわゆる正義と悪がいて、はじめて、上のようなそれぞれの波動の流て形作られていくように感じますので、もし全てが正義であったのな ら、この決まった運命はどのようにして、導かれることになるのでしょうか?


もちろん、ここでも正義、悪はそれぞれの人間の主観によるもので、その実態、本当の正義、本当の悪が何であるのか?あるいは、あるのか?は疑問ですが。

ただ、主観の中に正義と悪はあるようです。

そして、その概念が波動という目に見えない氣の流れを動かしている、そして決まった運命をあたかも偶然のように導き出している、というように感じます。


戻りますが、全てが正義だったなら・・・
主観ですので、つまりは、すべての人の(正義の)価値観が一致したなら、ということですが・・・
何か大きな変化があるかもしれませんね。

それがアセンションか?と言うば、少し突拍子のない話ですが、大体がアセンション自体、今では麻痺してきましたが、もともと突拍子のない話ですね。

それでも、似たようなことは起きるように感じます。
であれば、全ての人間の価値観が何かの拍子で同じになる、だなんてことも、可能性としてはあるかもしれませんね。

想像してみました。


みなさんは、どう思うでしょうか?








3月18日です。
WBCで日本が準決勝に進めることになったようです。
あの審判がメキシコ戦でも、卑怯な判定をしたようですね。

3次元的ですが、どうなんでしょうか?
プライドの高い大リーガーが、あれをされては逆に戦意を失ってしまうのではないでしょうか?
第一、観客の反応も悪いですね。
最後の最後、あるいは本当にどっちとも取れる場面でなら有効な卑怯な手段かもしれませんが。

また、同じく3次元的ではありますが、思い返すと、イチロウ選手の韓国への「30年は勝てないくらい・・・」発言はいけませんね。
道徳的にもそうでしょうが、思い返すに、日本シリーズでも近鉄VS巨人での・・・確か、なんと言いましたか、加藤だったか鈴木だったかという近鉄のピッ チャーが、巨人に3連勝したその後のヒーローインタビューで「巨人はロッテより弱い(当時万年最下位)」発言を受けて、次の日から4連勝したことが、だぶ ります。

あれは、もともと普通の人より闘争本能の強いスポーツ選手の”闘志に火を付ける”以外の何ものでもありませんね(笑)。

それらを考えると、闘志への刺激、という点でアメリカの審判も、イチロウ選手も間違いを犯していると言えるでしょうね。

やる気の起こし方というのはむつかしいですね。
と、言いますか、自分と同じことを考えている相手以外の闘志を正しく刺激すること、がむつかしいのでしょう。




私の例で言えば・・・
ある会社で私とあまり年の違わない上司が、「〜しないと、どこそこの部署へ移すぞ」みたいなことを言った時があります。
私は、当時、矢沢栄吉ではありませんが、強がり・・・と言いますか、怖がりであることがいけないことだ、という思いがありましたので、そんなことを言われ ますと、「へえ、そうかい。怖かねえよ。勝ってしろよ。」となり、逆に、脅しで人を動かそうとするその意図が嫌いで、逆に、何もする氣がなくなってきま す。

おそらく、この人は脅されると、「やる」人なのでしょう。
素直で良いと思います。

ただ、その後、運の流れがどうしようもなくなった時、そのことをふと思い出し、反省し、怖がることが良いことなのだ、としてみて、なんでも怖がってみまし たが、これもまた間違いのようですね。

で、どうかと言いますと、どうも私にとっては、本当に怖くないことは、無理して怖がってもしかたがない、ということのようです。
反省というのは、言葉が間違っているのではないかと感じます。
正しくは、微調整ではないでしょうか?

みなさん、どう思うでしょうか?


それとも、私の反省観が間違っているのかもしれません。
どうも、今生での経験では、反省=今やっていることと反対をする、というイメージがあります。

そこまで、私はまちがっているのか?とも感じますが、私に反省を求めてくる人達は、みな、それを期待していたようにも感じます。

ですので、私はきっと、今日からは、人にアドバイスをする時には「微調整しなさい」とは言えるかもしれません(笑)。


それで、野球ですが・・・
WBCは今後も続くのでしょうか?

アメリカは負けが込んできた時点で、審判も含めて、わざと負けるようなシナリオにしていたとも考えられるでしょうか?
なにせ、もうすぐ、お金儲けのシーズンが始まります。
どこのチームも、早くチームプレーや、それこそ微調整をしたくて仕方がないのも事実でしょう。

しかし、ここまでアメリカが中になって世界的にやっておいて、そこまで手の込んだことをするとも思えませんが・・・。



あるいは、あまりにも日本戦でのあの審判の行動の評判が世界的に悪かったので、悪いのはあの審判であってアメリカという国ではない、ということにするため に、ざわとメキシコ戦で猿芝居をした可能性もあるかもしれません。


疑えば切がないですね。
私はこういうことを考えますので、「自分が悪いことをしても、他の人にもすぐこれくらいの深読みができてしまうに違いない・・・」と思い、自分では卑怯な ことはできないたちです(笑)。

お釣りを多くもらっても、「ああ、レジを閉める時に、お金が足りなくて、”ひょっとしたらあの人に多く渡したかもしれない”と私の顔を思い浮かべるのだろ うか?」あなどいと思い、返してしまいます(笑)。

こういうのは気が弱いと言うのでしょうか?
正直者とい言うのでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?







さて・・・・・・
フナ イ・ドット・コムで紹介されていたバシャールさんという人の本を買いました。
「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)というものです。
今日から読み始めています。
「ワクワクに素直に生きるのが良い」ということについて、詳細に書かれているようです。


実は少し前に注文したのですが、やはり同サイトで 紹介されていた光悠白峰さんの「温泉風水開運法」
と一緒に注文を出していたところ、1週間くらい経っても、届きません。
ここ2,3年「あせってはいけない」が、やや強めに出すぎていまして、こういう時でも、待ちすぎてしまいます。
そこで調べましたら、この本の出荷が、来月になっていました(笑)。
在庫がないのですね。

そこで、あわてて取消し、
「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)のみ注文したところ、次の日に届きました(笑)。





で・・・・・・
初めは、「ん・・・どうもマーフィの亜流を思わせる願望実現本みたいだな・・・」と感じましたが、読んでいくとどうもそうではないようです。

今のところ、1,2章を読み終わったところですが、高次元から投影、ということについて面白いことが書かれています。

本日までの解釈でいきますと・・・
投影は、高次元からまず3次元の人に信号が送られ、それが人の中にあるフィルターを通り、一度高次元に戻り、そして再び3次元に投影される、という解釈で 書かれているようです。

もちろん、森田健さん式の言い方で言い直していますので、違う言い方をしているのですが、今までの知識内で読み砕くと、こんな感じです。

フィルターは、要するに人の持つさまざま思いで、時空としては、その人が最も輝くような元の絵・・・ブループリントと呼んでいますが・・・を送っているの だけれども、それが、その人の思いというフィルターによって、いろいろ変化してしまう・・・、という言い方をしているように読めます。

また、深く読みましたら、正確に記載します。

この人の素性は良く知らないのですが、おそらくチャネラーなのだと思います。

表紙が不思議で、初めは何か抽象的な絵が描いてあるな、と思っただけで気にとめませんでしたが、さきほど読んでいると天使の顔が書いてあるのが分りまし た。

それで、今また、見ますと、天使の羽も描いてある分りました。
今見ますと別に分りにくくは描いてはありません。
良く見ますと、体も足も描かれています。

どうも、離して見ませんと、分らないような絵のようです(笑)。



263:世良譲&フレンズ
   
  世良譲さんです。

曲目です。

1.エヴリシング・ハップンズ・トゥ・ミー
2.五つの銅貨
3.L-O-V-E
4.スタリク・アップ・ザ・バンド
5.時の過ぎゆくままに
6.ライク・イット・イズ
7.キスへの前奏曲
8.ザ・プリーチャー
9.マックス・ブルース
10.ザ・セカンド・タイム・アラウンド
11.スプリング・イズ・ヒア

世良譲、 与田輝雄 、松崎龍生、光井章夫、 清水万紀夫、 小西徹、横山涼一、 辻村昭一のみなさんです。

http://www.neowing.co.jp/JWAVE/detailview.html?KEY=CRCI-20596
で視聴ができます。


1996年の録音で、追悼盤として再発売されたそうです。
ジミー竹内さんや北村英治さんが入っていませんね。

スケジュールでもあわなかったのでしょうか?

 
90年代の録音の世良さんは、あまり聴いたことがあ りませんが、これを聴く限り、失礼ながら一番”うまく”なっているように感じます。
モダンとはスイングとかの範疇でなく、世良譲の世界を味わえます。

世良さんとバイブの松崎さんの共演を聴いたのはこれが初めてです。
いつもは増田一郎さんですね。
一郎と打つと、最近、イチロウと出るようになっていて面倒くさいです(笑)。

清水万紀夫、 小西徹、横山涼一、 辻村昭一、などの方は知らないのですが、面倒をみていた若い人か、それとも、個人名でメジャーには出てこないが、昔からやって いる古い人なのかどちらかなのでしょう。

ビッグバンドに所属していたり、昔からやっていはいるのだけれど、表舞台にはほとんど出ない人というのもいるようです。
特に世良さんは、人付き合いが良く、奥田宗宏とブルースカイ・オーケストラなどにも、昔所属していたようですので、交友関係は広いです。

私が世良さんを最後に見た関内のライブハウスでは、20代のバリトン・サックス奏者が練習と称して出てきましたが、そういうように、若い人の面倒も見てい たようです。

7曲目の「プレリュード・トウ・ザ・キッス」は好きな曲です。
はじめて聴いたのは世良さんの別のアルバムでしたが、きっと世良さんも好きなのでしょう。
「マックス・ブルース」は世良さんのオリジナルで同名のアルバムもあります。
モダンなブルースです。

与田輝雄さんは、シ
ックスジョーンズで有名な方ですが、昔の演奏はそうでもないですが、こ のCDでは、非常に癖のある独特な音色で吹いています。
好き嫌いの分かれるところかもしれませんね。
実は2000年くらいに横浜で行われたジャズ・フェスティバルにも出ているのですが、また失礼ながらお年のせいかなにかで、吹くのが困難なのかな?と思っ たりもしたのですが、これを聞く限り、あの音が与田さんの晩年の特色のようです。


急に思いだしたのですが・・・
映画の話です。

実は実家がパンやさんをやっている頃、近くの大塚駅の商店街にはまだ名画座がありました。
うちのパンやの近くの壁に、その映画館の宣伝を貼るところがあったのですが、新しい映画がかかり、それが張り替えられると、映画の無料チケットを大家さん に渡していたようで、それが良く家に来ていました。
はっきり覚えていないのですが、どうもそのせいで、私はその名画座に入り浸っていたのでしょう、きっと。

私がそうしていたのは、もう改築がされた後でしたが、私が幼少の頃は、もっと昔風のいかにも映画館と言う感じでした。
改築後は、ビルになり、地下が映画館でしたが、改築前は1階だったはずです。
その頃は入った覚えはありませんが。


記憶が昔に戻っているので、いろいろ思いますが、人間というのは、小学校の下級生くらいまでは、ひょっとしたら、40,50の大人なんかよりずっと”本 物”に近いのかもしれませんね。
それは言いすぎとしましても、20,30よりは確実に本物に近いように思います。

悟り、と書こうかと思いましたが、本物の状態が悟りかどうか、良く分かりませんので、本物としました。


世の中のものには必ず陰と陽がある、とは良く言われますが、確かにそうでしょう、そうのようです。
私は陰陽を良いことと悪いこと、と理解していましたが、これはどうも間違いのようです。
確かに陰陽はあるが、3次元的に言うところの良い方に陰陽の両方があるようです。
全部かどうかは分かりませんが。

どういうことかと言うと・・・
正義と悪は陰陽と言われますが、たとえば、警察が陰なら陽は泥棒ではないようです。
もし、強引に言うのなら、戦後あった私設警察のような存在でしょうか?
つまり、男と女が陰陽であっても、どっちも3次元的価値観でマイナスではありませんね。

昔、佐野元春さんがデビューした時、吉川こうじという歌手がそっくりの歌い方でデビューしましたが、あれなどは陰陽と言って良いかもしれません。


ですので、正確には、陰陽は3次元的に言って、±が逆のことではない、ということですね。
ですので、天使と悪魔は陰陽ではないかもしれません。
天使ならば、さしずめ妖精などが陰陽の関係でしょうか?
ちょっと違うような気がしますが。

犬と猫は陰陽かもしれません。

とにかく陰陽は±
が逆の存在ではない、ようです。

みなさんはどう思うでしょうか?








いつだったか、グルノーブルと言う場所の話を書きましたが、フランスのようです。
テレビでやっていました。
だから「白い恋人たち」はフランシル・レイが曲を書いたのですね。
ちょっと考えれば分りそうなものですが(笑)。













さて・・・・・・
音楽ですが、ある特定の音楽が好き、ということは、その音楽に共鳴している、と言っても良いのかもしれませんね。
もちろん、音楽以外でもそういうことなのでしょうが。

と言いますのは、ネットを見ていましたら、「飢餓感を感じない音楽は音楽ではないウ・・・」というような内容の書き込みを見つけたからですが、実際は、別 にそんなものはなくとも、良い音楽は良い音楽ですし、その良いは”好きなのか””理論的に良い”のかなど、いろいろな方向性はあるとは思いますが。

思うにそれを書いた人というのは、その人の言う”飢餓感”のようなものを感じさせる音楽に惹かれるのでしょう。
そして、惹かれる、ということは、好みのわけですが、つまりは共鳴している、ということではないかと想像したわけです。

良く言いますね・・・聴きたい音楽は、その人のその時の精神状態を表わしている、と。
確かにそういう側面あるでしょう。

但し、それによって、その状態が運が良いのか悪いのかまでは、分らないようです。
どんな曲でも、好きな人にはツイテイル人とそうでない人がいるようですので。

みなさんは、どう思うでしょうか?








「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)ですが、時間の概念について面白いことが書いてありました。
75ページ当たりにあるのですが・・・
要点だけ書けば・・・

(要約)
相対性理論に、光速くらいの速いスピードで動く・・・そういう乗り物に乗っていると、時間の経過が遅くなってくる、とあるが、同じように、ワクワクしてい ることをしていると、波動が上がり、同様に時間の経過が遅くなる。
遅くなるとは、時計上の3時間を他の人と過ごしていても、普通の人には3時間だが、ワクワクしている人には1時間程度にしか感じられない、という意味のよ うです。

そして、時間と空間は合計100%になるようになっている、と書かれています。
空間を25%のエネルギーで移動していると、時間の経過を75%感じ、空間を75%のエネルギーで移動していると、25%だけ時間の経過を感じる、とも書 かれています。
(以上)

なるほどな、と感じます。
ワクワクしていると、波動が上がるは、多くの方が理解できると思います。

それが、相対性理論の光速に近い速さで移動している状態と同じ状態である、というのは、””なるほど”の解釈ですね。

時間の経過が遅くなる、という表現は分り難い表現ですが、要するに3時間が1時間になることのようです。




ですのでワクワクしている人は若々しい・・・とも書かれています。

他の相対性理論の説明のサイトでは、「新幹線の運転手は他の人より多く生きていることになる」と書かれていますが、この解釈は正しいのでしょうか?
あるいは表現に問題があるでしょうか?

何か
「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)が正しければ、新幹線の運転手は他の人より短い時間しか経過していない人生時間を生きている・・・つまり10 年経っても7,8年しか年取らない・・・という説明の方が分りやすく、しかも、そうなると、むしろ、他の人より短く生きている、の方が正しいように感じま すが。

ですので、80年経って、新幹線の運転手は60年分しか年取っていない、なので彼は、100歳まで生きた・・・の方がより正しい言い方で、運転している途 中でもって
「新幹線の運転手は他の人より多く生きていることになる」 のように言われましても、ピンときませんね。



その意味では、ワクワクしてものすごく波動を上げて生きていけば、それこそ、100でも、200でも生きられるのではないかと感じてしまいます。



その意味では、私はよく「年寄り若い」と言われることが多いですが(笑)、苦労知らずな訳ではなく、ワクワクして高い波動で生きていたのかもしれません。
まあ、もともと若作りな顔の家系ですが(笑)。
その意味では、ものごとがうなく行かなくなっていた時に、どうも人と接する時に前の接し方が通用しなくなっていた時期がありますが、その時は波動が下が り、年を取っていたのかもしれません。
それにより、何かが”違っていた”ということですが。
どうでしょうか?
全て想像ですが。





逆から見ていきますと・・・・
今時間が短くなっている、と多くの人が言っていますが・・・

時間と空間は合計100%になるようになっている、
空間を25%のエネルギーで移動していると、時間の経過を75%感じ、空間を75%のエネルギーで移動していると、25%だけ時間の経過を感じる・・・


が正しいのなら、時間の方で自動的に短くなると、波動も自動的に何もしなくとも上がる、ということもあるのかもしれませんね。
机上の理論っぽいですが。


しかし、どうも必ずしもそうはなっていないようですが。
これは、時間が短くなっているということを認識しない限りは、その自動的なことですら起きないのかもしれませんね。
想像ですが。


例の「セス」にある、チャネリングする瞬間に「加速を感じる」というのは、要するに波動が上がっていっていることを意味しているのかもしれません。




いずれにしても、ワクワクしている人達が若々しいのは、だれもが認める事実ですね。

会社でそれなりの役職についている人を見ていると、両方いますね(笑)。
若々しい人と、必ずしもそうではなく苦労をし倒してきたような人と・・・。

どちらが正しいとは言えませんが、ワクワクしてきて今その状態についている種類の人はきっと、若々しいのかもしれません。
以前はそういう人を見ると「性欲が強い種類の人なのだろうか?」とか、いろいろ想像していましたが、どうもこのワクワク理論が正解のような気がしてなりま せん。

みなさんは、どう思うでしょうか?




3月21日です。
いよいよ明日は、WBCの決勝ですね。
高次元的には森田健さんの不思議研究所のサイトを見ますと、どうも日本が勝つように感じますが。

3次元的データから考えますと、キューバは2点くらいしか取れなさそうに感じます。
日本は4,5点取れるのではないでしょうか?
ですので、4対2で日本が勝つと予想します(笑)。







さて・・・・・・
今不思議研究所のサイトで、五行は相対的・・・と言う話をしていますね。
一般的な風水であっても、本命掛が基本ですので、運の良い方向など、人によって全く異なることになるようです。
私の部屋は、本命掛で見ると、玄関、張り、初めから置いてあり大きく動かせない冷蔵庫、洗濯機の位置など、私の掛では良くありません。
しかし、違う人ならば、きっと良い掛の可能性がありますね。

ちなみに、私は1964年4月9日生まれで、本命掛は離で、


本命掛 東北 東南 西南 西 北西
離(り) 中吉 小凶 最大吉 大吉 小吉 中凶 大凶 最大凶

のような感じです。

一般的に、
吉方位には、電気製品や使うもの、エネルギーのあるものがあると良いようです。
凶方位は、物置系・・・つまりタンスなどが良いようです。

できるだけそうしていますが、玄関は西、冷蔵庫、洗濯機も分け合って西、北西には風呂・トイレ、キッチンも北〜北西、最大吉の東には張りがあります (笑)。


しかしこれが、乾の人だと西が最大吉ですので、良かったりするのかもしれません。



さて、これはこれで良いのですが、相対性、二元性があるにも関わらず、まやかしである、とするのなら、ひょっとすると、ワクワクを考える時、能力というも のは、あまり気にしなくとも良いのかもしれませんね。
想像ですが。

つまり不得意だろうが、得意だろうが、上に立とうが下に付こうが、なんでも、とにかかうワクワクできることの中にいれば運の流れ的には良いのではないか? とも感じます。


逆に、上に立とうが、お金をいっぱい貰いえようが、そのやっていることそのものがワクワクできるようなものでない場合には、運というものは、下がっていく のかもしれませんね。

それを、相対性を感じるが故、本当はワクワクしないにも関わらず、偉くなれるもの、お金がいっぱい貰えるもの、見栄えのするもの、などをやっていると、運 の流れ的には、その内、下がっていく、
逆に、あまり世間的、3次元的には、ちやほやされない種類のものでも、それがとくていの人にとって、ワクワクできるものであるのならその中にいる人という のは、遅かれ速かれ、運の流れは良い方向に行くようなこともあり得るかもしれませんね。





まあ、一般的に言ってもこれに近いことは言えるでしょうが、相対性がもし悪さをしているとするのなら、「時流の評価・世間の評価」と、「自分の評価」の違 いに誤魔化されること、なのかもしれません。

何を言っているかと言えば、例えばブランドの名前、ですね。
好きな何か・・・時計なら時計で良いのですが、比べるものがあり、そちらの方が、高級なブランドであった、とか、あるいは、友人が良く言っていなかったブ ランドである、などの理由で、本当の自分の好みではないものを選んでしまう・・・というようなことです。

それは、食べ物でも良いのですが、いつか書いた明治維新後、アメリカの医師が人力車の引き手に肉と、従来の玄米おにぎりとおしんこの2通りの食事で競争さ せたらダントツにおにぎりが勝った話で、その医師のコメントには「一見貧相に見えるこの食事・・・」のようなものがありましたが、必ずしも、見た目豪華な ものが必ずしも良いものではない、ということを良く表わしていると感じますし、なんでもきらびやかに見えるアメリカ文化というのは、ある意味、相対性の権 化のような存在であるのかもしれない、とも思います。

今見ても、パンとご飯は置き方、見せ方を間違えますと、パンの方がずっと高級に見えたりしますし、写真の小道具にテーブル・パンのようなものはあるとして も、お茶碗にご飯というのは、なかなかあり得ませんね。

流石に、茶道のお茶はどこか氣を発していますが、お茶よりコーヒーの方が、高級感というより、見栄えがしてしまう時があります。


服装もそうですね。
純日本風のものより、西洋風のものの方が、近代的、というような雰囲気がちゃんと漂っています。

こう考えると、西洋文明というのは、3次元的には、内容を問わず、外観は東洋的なものより見栄えがする、内容の相対性を無視した外側の相対性(世間の評 価・時流の評価)へ人を向かわせやすい要素を持っているのかもしれません。


また、内容と外観の二元性もまた、やっかいですね。
一番良いのは、きっと外観も内容も自分にあっているものが良いのでしょう。
こういう話をすると、ついつい外見より内側だ、という極端な話になってしまいますが、両方良いのがきっといいのでしょう。
もちろん、外観、外側、共に人それぞれの相性があるでしょう。





少し関係があるかもしれないので書きますと・・・
先日テレビであるお笑い芸人の方が司会を勤めているスポーツ番組で、キューバについて語っていました。

キューバ在住か何かの日本人の人の話では、キューバでは、経済危機の際、町中が停電になってしまった時ですら、野球場だけ電気を通して試合をやったそうで す。
1食抜いてでも、野球の試合をやる国だそうです。

そこで、司会者が「韓国のように、兵役免除みたいな特典はないのか?」
と聴いたところ、「ない」ということでした。
そして、「カストロ大統領が飛行場にみんなを迎えに来る、ということです。それはすごいことです。」
と言っていました。

そこで司会者は、「それじゃ、韓国より戦いやすいんじゃないですか?」
と言っていましたが、どうでしょうか?

確かに、同じように賞金、賞品をいかけられた同士が戦ったら、賞品の価値によって勝敗が変わるということはあるでしょうが、むしろ賞金などかかっていない のに強い相手と戦う方が怖いように感じます。

幼少の頃から、英才教育をしているというのも強い原因でしょうが、どもキューバの人は野球が好きでしかたがないように感じます。
カストロさんが野球が好き、というのもあるでしょうが。
ですので、強敵です。


きっと司会者は韓国が勝ったのは、ご褒美がかかっていたからだ、と思っているのでしょうが、それは違います。
もし、ご褒美が関係しているとしたら、それは兵役にいかないで、野球が続けられるということへの気持ちの方でしょう。
兵役をサボりたいから、という理由だったら、返って悪い方に作用していたかもしれませんん。
なぜなら緊張するでしょう、きっと・・・。


これも実に3次元的相対性、二元性が出ているように感じます。
勝ったのは、ご褒美が価値のあるものだったからだ、と見えるわけですね。

それは絶対錯覚のように思います。
特に、好きなことをやっていて、それでいながら、「いつか成功してお金持ちになってやる」という気持ちでがんばって成功した人はそう思い易いのではないで しょうか?

その成功の原因は、高次元的にはそうなる運命だった、というのがあるでしょうが、3次元的には、間違いなく「ワクワクできることをやっていたから」なのだ と思います。


ですので、まず第一にあるのは、ワクワクできることをやる、ということですね。

もっと若いうちに知っていればよかったな、と感じます(笑)。
私はいつまでバカなことをやっていてはいけない、という世間の声聞きながら中途半端にいろいろやってきました。
ですのでいつもどこかで悪いことをしているな、早く止めなくてはいけないな、という気持ちでいっぱいだったように思います(笑)。

それで結局、中途半端な人生になっていますので、万一20代の人が、何かの間違いでこのサイトのこの文章を読みましたら、ワクワクすればいいだな、と思っ て欲しいな、と感じます。

まあ、まだ40代ですので、これからの人生でこの知識を使えることでしょう(笑)。

ただ、中途半端でも、きっとこれで最善、ベストの方向へ進んでいるのだと思っています。
何せ、運命はデジタルで急激に変化するようですので。


みなさんは、どう思うでしょうか?


1〜20   21〜40   41〜60   61〜80   81〜100   101〜120   121〜140
121〜131はこちら
  141〜160   161〜180 181〜200      
201〜220   221〜240   241〜260   245〜249

250〜253

254〜255

254〜258

258〜260





  261〜264

264〜

265〜280

現在更新中
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クリスマスアルバムのコーナー    2005年船 井幸雄オープンワールドの感想
                       

 


 

 

 

 

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