理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

 

もくじ



264:Big Bang Blow  ジョージ川口
   
  ジョージ川口さんの、昔の演奏を収録したものです。

1. オール・マン・リヴァー
2. ホワイト・ジャケット/ ジョージ川口とビッグ・フォア
3. ビッグ・フォア・プラス・ワン・テーマ:ラヴァー/ ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワン
4. ビッグ・フォア・モッブ/ ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワン
5. セヴン・カム・イレヴン/ ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワン
6. バラード・メドレー:ネアネス・オブ・ユー〜マイ・ファニー・バレンタイン〜オータム・イ ン・ニューヨーク/ ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワン
7. ドラム・ブギー/ ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワン
8. ジャングル・ドラムス/ 松本英彦とジャズ・コンボ
9. チェロキー/ 松本英彦とジャズ・コンボ
10. 今宵のきみ/ 松本英彦とジャズ・コンボ
11. 四月の思い出/ 松本英彦とジャズ・コンボ
12. スイート・ジョージア・ブラウン/ 松本英彦とジャズ・コンボ
13. 死刑台のエレベーター/ ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワン
14. ウォーキン/ ジョージ川口とビッグ・フォア・ワン


演奏は、ジョージさん、松本英彦さん、中村八大さ ん、小野満さんのビッグ・フォー、ピアノが八木正生さんのもの、渡辺貞夫さんが、加わったもの、村岡健 (サックス)、鈴木宏昌(ピアノ)、林哲雄(トランペット)によるもの、などなどです。

録音も演奏もとてもよいです。13,14は他の演奏より録音の年代が新しい(1960年代初め)ですので、更にいくらか良くなっています。

全員、20代、30代の録音ですね。
とてもうまいです。


右の写真を見ると、こんなかわいい顔をしている人が演奏をしているだなんて、とても信じられないくらいです。

骨格を見ても、まだ子供に近いですね。
当時の栄養事情もあるでしょうか?
骨格がしっかりしていないとスーツが似合わないですね(笑)。

その意味では、スーツというのは、基本的には、がっしりした西洋人のものなのかもしれません。

ただ、昔の人は丈夫です。
きっと食べ物でしょうね。
天然の塩、無添加の食物、きれいな水、きれいな空気・・・これが一番ですね。
サプリメントなどいらないのです。

この時代の演奏者は譜面、演奏などの資料が少ないですので、大変な苦労があったようです。
その点は今は恵まれていますね。


ただ、いつか、外国にずっといると、胸の谷間がなん とも感じなくなる、という話を書きましたが、それと同じで、ないと、すごく有り難く、そして大事に扱う、という利点があります。

私で思いますと、以前学生のころ、あまりLPは買えなかったりした時は、一生懸命ラジオに釘付けになり録音したりしていました。

そして大事にすることは、ものに対して、良い波動を与えるようですので、いろいろな良いこともあるでしょう。



となり左の写真は、上のものよりもう少し落ち着いた感じがありますが、スーツの色のせいでしょうか?

グリースで・・・日本でポマードの方が普通でしょうか・・・頭がテカテカ光っています。

こういうなで付けた髪型が流行だったのでしょうね。

撫で付けた髪、というと、橋本元総理とか、例の横井さんなどが、私は頭に浮かびますが(笑)、個人的イメージでは、性欲が強そうな印象があの髪型にはあり ます。

左端が松本英彦さんですが、印象的な眉毛です。
中年以降は、もみ上げと一体になった髭と長い髪の毛のせいで、それほど目立ちませんでしたが。
先だって引用した宮川泰さんの話をもう一度掲載してみます。
(http: //www.ntvm.co.jp/int/b6.htmlより引用)

「当 時、シックスジョーズのメンバーと、ビッグスリー(松本英彦氏=サックス奏者、白木秀雄氏=ドラムス奏者、ジョージ川口氏=ドラムス奏者の有名ジャズメン の3人を、愛称でこう呼んだ)のバンドとの共演を大阪でやったんです。
その時の三つのバンドのそれぞれのドラマーが三人で共演をした時に、僕らは楽屋で休憩していたんですが、三人のドラムソロのメドレーが終わった後、演奏が 終わったジョージ川口サンが帰って来て、『あれじゃ、オレは叩けねぇョ!』と、白木サンの悪口をメチャクチャに言うんですよ。
そうすると渡辺晋サンが『まァまァまァ…』となだめたんです。
しばらくすると今度は、白木サンが戻って来て、『ジョージは最悪!!イモ!!』とわめき、晋サンは、また『まァまァまァ…』となだめる。
そして最後に戻ってきたジミー竹内は『あいつら二人はどうしょうもねえよ、トーシロめ(=素人)!!!』と怒鳴ると、またまた晋サンは、『まァまァまァ… えー加減にせーよ!!!!』とにかくこの三つのバンドが、共にステージで共演すると、ドラムのソロがバタバタでしたね…(笑)でも、あの頃はジャズが全盛 期でした。その点、渡辺晋サンは統率力のある人だったから、仕事以外の事でもミュージシャンを大事にしてくれましたね。当時、まだ渡辺プロ(ダクション) も小さい会社だったのに、給料をポンとあげてくれたりね…(笑)」


(以上)
ちょうど、この頃の写真でしょうか?

その宮川さんですが、なくなったようです。
昨日、世良さんのネットを見ていましたら、ここに、宮川泰さんが、世良さんをしのぶコン サートを開いていることを知りました。

その夕方、ネットで宮川さんがなくなった記事をみつけました。


 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060321-00000312-yom-ent
です。
それによりますと、
(引用)

 「ウナ・セラ・ディ東京」「宇宙戦艦ヤマト」など数多くのヒット曲を手がけた作 曲家の宮川泰(みやがわ・ひろし)氏が21日午前、虚血性心不全のため東 京都世田谷区上馬5の30の2の自宅で亡くなっているのが見つかった。75歳だった。

 告別式は25日午前11時30分から港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。 喪主は長男で作曲家の彬良(あきら)氏。

 大阪学芸大(現・大阪教育大)時代からピアニストとして活動。中退後、ジャズの 平岡精二クインテットなどを経て作曲家に転身し、1962年にザ・ピー ナッツが歌った「ふりむかないで」で注目された。63年、「恋のバカンス」でレコード大賞編曲賞、翌年には「ウナ・セラ・ディ東京」で同作曲賞に輝き、 ザ・ピーナッツとのコンビで売れっ子となった。

 その後も梓みちよ、小柳ルミ子、沢田研二さんらに作品を提供。東宝の「無責任」 シリーズを始めとする映画やミュージカルなどの音楽を手がけた。中でもア ニメ「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲は人気を集めた。
(読売新聞) - 3月21日19時39分更新
(以上)

ということです。



私は宮川さんのピアノは聴いたことはありません。
機会があれば、是非聴いてみたいと思います。


みなさん、70代ですね。


日本のジャズのありかたは、変わっていくでしょう。
と言いますのでは、日本のジャズは戦後ブームに活躍した方たちが、ずっとポピュラーな意味で
芸能人的スターの姿も持っていて、それ以後の方たちは、海外 と同じく、ポップスほど売れないけど、良い音楽をやっている人達、という感じです。

どうしても、一般的な音楽でもないですし、売れる音楽でもないですので、世良さんたち世代の人達が活躍することにより、ジャズ界を引っ張ってきていた、と いう印象がありました。

これからはそれは変わるでしょう。


確かに、若手の方・・・その後の方達が、表に出難い状況もあったかもしれませんので、良い面も悪い面もあったのでしょうが、さて、これからどうなるので しょ うか?


どうもテレビに出るには「しゃべり」が巧みでないと難しいようです。
世良さん、北村さん(存命)は、しゃべりもうまいですね(笑)。


渡辺貞夫さん、日野皓正さんなどが、一つ下の世代のスターですが、それでも、もう70歳近いですね。

どうしても、モダン、フュージョン系のジャズが多くなっていますが、スイング系の方も多く出てきて欲しいな、と感じます。





今日は高次元的話はありませんでした。










さて・・・・・・
3月24日です。

私はだれでも知っていることでも、知らないことがありますが、だれも知らないようなことを知るのが好きな人間でしたので、それを人に教えても、「そんなこ とあるはずないじゃん」と言われた経験が多くあります。

それは、中学生くらいの頃からの傾向で、思うに、それが3次元的原因になり、「人は素直じゃない」、「認められない」、というような無意識な意識がどうも あるようです。


それにより、どうも必要以上に「素直である」、「落ち度を認める」、という方向に針が触れすぎているように感じます。
それが、頭に思った通りの映像が出難い原因ではないかと想像しています。

つまり、詳細に全てが自分の思った通りの映像でないと「間違えた」、「思った通りに出ていない」というようにする・・・すべきだ・・・しよう、のような潜 在意識があるようだ、ということです。


これはこれで、少しずつ訂正、微調整していくつもりですが、これから考えるに、頭の中、というのは、すでに高次元なのではないか?というような気がしま す。

私が何をやっているかと言えば、頭の中の映像を出す、という行為において、3次元と全く同じことをしているようです。

それでは、私が考える普通、正常な状態とはどういうことかと言いますと・・・そいれは、つまりこれを読んでいるほとんどの方がそうなのですが・・・自分の 思い通り、自分がそう思ったらすべてがそうなっているのが普通、当たり前・・・と思っているわけなのです。


ですので、頭に「好きな食べもの」を出そうと思ったら、別に試験用紙のような詳細な確認をしませんし、何の疑いも持ちません。
それで正しいのだと思います。


しかし、多くの人は3次元、つまりこの物質世界では、私が、3次元でも、頭の中でもやっているように、「考えただけれ全てが思った通りになっているわけは ない」と考え、いろいろとやります。

慎重だったり、点検したり、疑ったり・・・などなどですが・・・。



仮に、ここに何かあるのならば、私が頭に映像が出し難いのと同じように、多くの人は3次元は”難しい”と思っている故に難しい、ということはあるかもしれ ませんね。


願望実現を肯定しているような考えではありますが、多くの人は、頭の中の世界がそうであることを理解できれば、3次元においても、もう少し簡単にハンドル を手放すことができるかもしれませんね。


私はむしろ逆で、頭の中より、3次元のほうがハンドルが手放せているかもしれません(笑)。



ちょっと分りにくいですので、もう少し言いますと、今私が超高速でキーボードを打つとします。
そうすると、

「今私がs超高速でキー日オードを撃つとします、そうすると・・・」
というようになってしまいます(笑)。

しかし、みなさんは、ほとんどの方は頭の中では、超高速で打って、完璧に打てている、という映像を出すことはできますよね?

ですので、怒りっぽい人の多くは、自分の思い通りにならないと怒るのですが、それは要するに、頭の中の映像のように、何でも自分の思い通りにならないの で、怒る、ということなのでそうね。

その意味では、私も怒りっぽかったですので、それを直そうと思い、「何でも、自分の思い通りになるということではない」ということを強く思い過ぎたのかも しれません。

それを、頭の中にまで、持ってきてしまった、とも言えるかもしれませんね。




みなさんは、どう思うでしょうか?








宮川泰さんの追悼番組がやっていましたが、前田憲男さんなども出演していました。
私が唯一、握手をしたあの年代のジャズ・ミュージシャンの方ですが。

ザ・ピーナッツなどの昔の映像も流れていました。
きれいだったのですね、今日、改めてそう感じました。
きれいな映像でしたが、紅白のものです。
1インチVTRというのに録画して、それを近年D1、D2などのデジタルVTRダビングしてとっておいたのでしょうね。


私は宮川さんという方は、生前は特別に興味を持つことはなかったのですが、なぜか、この1週間くらいとても情報が入ってきます。
きっと、前世ではファンだったのかもしれませんね。











3月24日です。

私ごとですが、引き続き、頭に映像が出難い、の話ですが・・・
かなりで易くなりました(笑)。

何をしたかと言いますと、いままで、いつも「どうして頭に思った通りの映像がでないのだろう?」というように考えていた・・・あるいは問おていたのです が、それを、逆に「どうして、頭に思った通りの映像がでるんだろう?」に変えてみたのです。

それで随分改善されました。

今後どうなっていくか分かりませんが、もしこれが何らかの事実を表わしているのならですが(笑)・・・・・・
ひょっとしたら、他の事象でも・・・たとえば、「なんで私は金運が良いのだろう?」などと考える、問う、ということをやると、3次元上、そうでない人で も、金運が良くなるということがあるかもしれませんね。

いくつか試しにやってみます(笑)。
とりえず、「なんでこんなに私は女性にもてるんだろう?」からでしょうそうか?

また、何か結果がでたら、書いてみます。







さて・・・・・・
「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)ですが・・・
33ページに、”目的”ということについて、面白いことが書かれています。
引用してみます。






(引用)
「人生の目的」と「目的の表現」−−−思い込みから自由になる

さて、地球上の人々は、この人生で探求しようと選んできたことを「人生の目的」とか「使命」という言い方をしていますが、私たちはそのことをただシンプル に「全般的なテーマ」と呼んでいます。
なぜなら、私たちが知っているかぎり、この人生でみなさんが持っている唯一の目的や 使命は、「できるかぎり自分自身でいる」ということだからです。

もちろん、みなさんは自分の人生の目的をさまざまな形で表現することができるでしょう。
しかし、その異なった表現のしかたそのものは人生の目的ではありません。

それらはただの表現につぎないのです。
人生の目的とはただ、「できるかぎり自分自身でいる」、つまり、「大いなるすべてと調和のとれている自分本来の波動でいる」ということです。
みなさんがもっともワクワクすること、魅かれるもの、もっとも情熱を感じること、そ れらはすべて「自分自身でいる」という人生の目的の「表現」なのです。
(以上)








私たちが、一般に言っている目的、使命、あるいは目標というものは、「全体的なテーマ」というものであり、「
私たちが知っているかぎり、この人生でみなさんが持っている唯一の目的や使命は、「できるかぎ り自分自身でいる」ということだからです。」としていますね。

これは、よく分ります。
もっとも、この2,3年のことですが。

岡田多母さんが言っていることにも近いですし、森田健さんの「目的を持ってはいけない」、も、これに近い意味があるのかもしれませんね。


「みなさんがもっともワクワクすること、魅かれるもの、もっとも情熱を感じること、それらはす べて「自分自身でいる」という人生の目的の「表現」なのです。」

としています。

「人生の目的の表現」という書き方が、どことなく岡田多母さんの文体ぽいですね。
翻訳ものですので、こうなるのかもしれませんね。

それを考えると、岡田多母さんは、チャネリングを日本語に翻訳するからこういうような文章になることがあるのでしょうか?
私は神の声が声としてちゃんと聞えてきて、これをどうこう、というようなことは経験がありませんので、分かりませんが、違う言語を違う言語に置き換えると いう過程で、このような文章が現れる、ということは感覚的に分るような気がします。

みなさんはどう思うでしょうか?



その意味では、これは、チャネリングを英語にして、それを日本語に直していますので複雑です。
よくある日本語っぽくすれば、「人生の目的というものの表現」、「人生の目的を表現するなら・・・」のようになるのでしょうか?






みなさんは自分の人生の目的をさまざまな形で表現することができるでしょう。
しかし、その異なった表現のしかたそのものは人生の目的ではありません

ともありますので、
いわゆる目標は、「
もっともワクワクすること、魅かれるもの、もっとも情熱を感じること」の特定の 人にとっての具体例のひとつであり、「唯一の目的や使命は、「できるかぎり自分自身でいる」」という説明なのでしょう。


「できるかぎり自分自身でいる」・・・


なかなか重たい言葉に聞えますが、どうも真実に近い ように思います。

これを考える時、いつも思うのは、”好奇心”と”欲”の違いです。
あるいは、”自分勝手”と”本当の自分”の違いです。

その鍵もまた、
もっともワクワクすること、魅かれるもの、もっとも情熱を感じること」という言 葉の中にあるのでしょう。

欲の中にも、見方によっては、「ワクワク」はありますね。
「魅かれる」、「情熱」は、そういでもないですが。




自分勝手には、ヒトラーなどの独裁者・専制君主、カルト宗教の教祖、などのイメージがあります。
大きな時空の流れの中では、それらすら、使命があるとは感じますが、どうも違うように感じます。

ヒトラーにしても、人を惹き付ける方法などを知っていた訳でしょうし、カルト宗教の教祖たちもそうでしょうし、場合によっては、高次元にいくらか通じてお り、使い方によっては、別の道もあったでしょう。

その意味では、「自分勝手」が、かならずしも、本当の自分、を表現する方法ではないように感じます。




独裁者・専制君主、カルト宗教の教祖を考えれば、多 くの場合、「金」と「人を自由に操りたい」の2つですね。
その内
基本的に、「お金」を稼ぐことは良いことです。
また、3次元的に人を操る、ということは、組織においては、それもまた良い能力です。
そう考えれば、お金を稼ぐ手段が間違っていて、人を操るもまた、手段と、操って、その後どうするのか?ということに間違いがあるのでしょう。


これらに、
もっともワクワクすること、魅かれるもの、もっとも情熱を感じること」を当ては めれば、何か分かるでしょうか?

私は独裁者の気持ち、カルト宗教の教祖の気持ちは分かりません。
想像すれば、とにかく自分は贅沢で何不自由なく物質の手が手に入り、だれも自分の意見に反対しない、そういう状態が欲しいのでしょう。

ここまでは理解できなくもありません。

しかし、私は音楽を演奏しますので(最近しないが)、周りの全員がイエスマンだったり、私の言うことにびくびくするような状況はつまりません。
また、反対意見をいう人間を手段を選ばず、滅ぼす、ということもしようとは思いません。


そうしますと・・・
そもそも、「金」は大事ですが、「金」自体に「ワクワク」するということはありえることなのでしょうか?
魅かれるもの、もっとも情熱を感じること」を「金」に対して抱かないのは分りやすいように感 じます。

やはり、「金」によって達成される何らかに対して、「ワクワク」するということはありえますが、「金」そのものに対して「ワクワク」を抱くということは、 「コイン」のコレクター的なことでもない限り考えにくいですね。


やはり、ここの勘違いでしょうか?
「手段」と、「ワクワク」の対象が、逆になってしまっているのでしょう。

こういうことは良くありますね。
あるいは、逆になっても良いケースもあるでしょう。
または、逆になった方が良かったケースもあるでしょう。

オーディオなどはそういうところがあります。
多くの場合、音楽が良い音で聴きたくてオーディオに凝るのですが、道具であるオーディオ自体の方に魅力を感じてくることもあります。

コンピューターなどは、通常の人にはできないようなスピードで計算をしたりできるような手段はないだろうか?というようなことで道具として登場したので しょうが、今では、コンーピューターそのものの可能性の方に、魅力を感じている人というのはたくさんいます。


逆になって、あまり良くないのは、大学受験でも良いのですが、勉強そこのけで、どの大学が0.1ポイントでも偏差値が上か?とか、そんなことばかりに興味 がいってしまうようなケースでしょうか?
ブランドものというのは、これに近いところもあるでしょうか?
本当に「東大」が好き、「慶応が好き」ならそれで良いのでしょうが。



逆に発想しますと、多くの人達が「金」で動かないようになれば良いのでしょうね。

どうすれば、良いのでしょうか?

常識をはずして考えれば、「本当に良い」ものは、金ではないもので売買されれば良いでしょう。
善行の多さでは、変ですので、いっそ、「あなたは、これのどこがどう気に入ったのですか?」という小論文でも書かせて、良い内容の人にでも売ってみたらど うでしょうか?


また、給料の良い仕事には良い人材が集まる傾向がありますが、手段とワクワクの対象が逆になった人が多く集まるのも事実でしょう。


いっそ、全ての仕事で、採用はランダムに行います、とでもしたらどうでしょうか?

あるいは、論文だけでも良いですが。
大企業のいくつかは、これをやった時もあるようですね、・・・大学名を隠して採用試験をする、というものですが。

ただ思うに、これもそれも、親と社会が、手段とワクワクが逆になってしまうような教育をしていることが、3次元的には、そうなってしまった理由なのでしょ う。

何がそうしうているかと考えれば、おそらく戦争に負けてからの期間の長さ、ではないでしょうか?
その意味ではアメリカは負けていませんので、原理的資本主義傾向になっていくのは当然のことでしょう。


それはつまり、「金」が万能に近いものに見えてしまう状態の長さとも言えるでしょう。

「金」ですらどうにもならない”何か”の存在に気が付かない人が多いのでしょうか?
堀江氏は気づいたでしょうか?


彼は勉強も得意ですし、知能も高いのでしょう、相当に。
そして、興味も、そんに関したことにあったのでしょう。
ですので、努力し、後は「金」さえあれば、どんどん良くなる、という人生感があるのではないでしょうか?

私など、いくら時間と金があっても、素質なのか興味がないのか、「東大合格」すらできないように思いますので、すでに、その土俵では、「金」に対して、絶 対的価値観を持っていません(笑)。

しかし、これも、当人のワクワクの対処が間違っていなかったとするのなら、もうそれは運命ですね、仕方のないことなのかもしれません。


楽天は大丈夫でしょう、きっと。
なぜなら、いくら金があっても、それだけでは、人は動かせないことは、野球を通じて次第に分っていくはずだと思いますので。
田尾さんのテレビでも発言を聞きますと、まず、契約年数がまだ残っていたのに、強引に止めさせられたようです。
いくらか、お金はもらったようですが。

残念ながら、野球選手というものは、お金を貰えばそれは嬉しいでしょうが、それより、3年、5年とじっくり時間をかけて、球団、選手を作っていく、その機 会を与えてもらえた、という方に感謝をしますし、最初の約束を破った、ということには、いくらお金を払っても、納得などしてはいません。

また、プラス、1年だったか、期間は忘れましたが、「一定期間、楽天の悪口を言わなければ、それまでいくらかのお金を払い続ける」という話も出したようで す。
田尾さんは、奥さんと話し合って、その話は飲まなかったようですが。

これも、プロ野球選手とその奥さん相手では、もっての他の申し出ですね。
彼らは残念ながら、お金より、明確にワクワクの対象がある人間ですし、そして、そんな男性を好きなって支えてきた女性です。

ここら辺がまったくもってIT企業、という感じがしてしまいます。


で、それがどう影響するかと想像しますと、今回野村さんが監督になりましたが、恐らく、会社自体が考え方を根本的に改めない限り、選手も当然、プロ野球選 手ですので、本気でやる気はでませんので、強くはならないでしょう。
そして、良い監督もあの球団には行かないでしょう。

これが私の想像ですが。
ただし、運命はどうなるかは分りません。




で、
、”好奇心”と”欲”の違いと、”自分勝手”と”本 当の自分”の違いですが、ワクワクすること」よりも、「魅かれるもの、もっとも情熱を感じること」の方 が、私などには分りやすいかもしれません。

あるいは、
 
魅かれる、情熱を感じる  ワクワク
なのでしょうか?

ワクワクにはいくつかの要素はあるが、その内の、
魅かれる、情熱を感じる、が「できるかぎり自分自身でいる」ために必要なことである、ということなのかもしれま せん。


もっと言いますと、「情熱」という言葉だけの方が、さらに分り易いでしょうか。

「金」と「人を自由に操りたい」に、情熱を傾けるこ とができる人はいるのでしょうか?
ヒトラーは「情熱」を持っていたのでしょうか?

多くのカルト宗教の教祖たちは、どうだったのでしょうか?


と、書いていて思ったのですが・・・
堀江氏は情熱を持っていたのかもしれません。

そうすると、思うのですが、
私など出して良いのか分かりませんが・・・・・・私には、本当にすごい人は、大事であればあるほど金では動かない、という概念があります。
これは、きっと、堀江氏にはないように思いますし、ヒトラーは消してしまえ、とは思っても、そこら辺のことはまったく考えてもいなかったかもしれません。
カルト宗教の教祖たちもそうかもしれません。



その意味では、私にも武士道精神があるのでしょうか(笑)?


どうも、この概念は大きいように感じます。


みなさんは、どう思うでしょうか?







3月27日です。

いろいろ考えますが・・・
私は素性の良さ、と言いますか、手を加えない状態で”良い”ということに拘り過ぎる傾向があるように思います、自ら(笑)。
これは間違いだと何となく感じています。

たとえばスピーカーなどですが、低音、高音というのは、スピーカーの素性、置き方などの一切電気的な処理を加えないことでも変わりますが、手っ取り早いの は、アンプで音質を調整してあげれば良いのです。
しかし、オーディオ界の常識でも、それに影響を受けた私の常識でも、それは、悪いこと、本当の能力・・・音質ではない、として毛嫌いする所があります。

確かに、電気的処理をすればするほど、ノイズが乗ったり、ピュアでない音、になるわけですが、もともと、音というのは多くの過程で電気処理がされているわ けですので、出ている音が気にならないわけなら良いわけです。

その意味でも、素性にこだわるのはおかしいです。

どうして、そこまで素性に拘るのだろうかと考えますが、おそらく中学校で私が通信簿がそれほど良くなかったのに偏差値がある程度良かった性ではないかと想 像します。

良いと言ったところで、タカが知れているわけなのですが・・・また学校の通信簿が良くなかったのは、一生懸命学校の勉強をしなかったのがいけないのですが (笑)、そこで、自分のアイデンティティを保つためにそう思ったのかもしれません。

また、3次元的には、偏差値テストの名前が「実力テスト」などという間違った名称であったことも関係あるかもしれません。
「学校の勉強なんかやっていたら、応用力が付かないじゃないか」
などと生意気なことを考えていたものでした(笑)。

今思うに、運命が実力の内ならば、先生の言うことを素直に従って、箱の中で栽培されたって、ヒイキされたって、お歳暮あげたって・・・社会でなら、家柄 だって、着ている服だって、顔の良さだって、学校の名前だって、結局のところ、全て実力、と呼んで良いのだろうと感じています、最近。

素性、素性と言ったところで、どうやら運命さえ同じだったら、人間は、それほど変わらない素性を持っているようだと感じています。
ですので、暴力、卑怯なこと以外なら、なんでも実力として、採用していって良いのでしょう。

むしろ、今までかたくなに、”実力”ということに拘っていた状態の方が、息苦しいように感じます。

そして、
本当は、それらも、今までかたくなに思っていた個人の実力 だって、実際は個の、ものではなく、時空全体のものであるようです。
場合によっては、創造主のもの、としても良いのかもしれません。



みなさんは、どう思うのでしょうか?





さて・・・・・・
そのスピーカーですが、例の政木和三さんの「アルファ・シータ」でもなんでも良いのですが、周波数と脳波というのは、間違いなく関係があります。
よく分らない人は、思いっきり、高音が聴いている音をかけながら寝てみてください。
きっと、むつかしい、と思います。

高域を抑えて、中低域を効かした音にしますと、多くの方は寝やすい、と思います。
脳波が下がっていくのでしょう。











森田健さんの不思議研究所のサイトで、コインを振って答えが出る事に関して、どんなエネルギーが乗るのだろうか?ということを書いていますね。

なんでも、重いコインで振ると更に正確な解答が得られるそうです。

これは、プランクスケール、という発想は関係しているのではないでしょうか?

コインが重たければ重たいほど、落ちるスピードは速くなりますね。
手からコインが放れて、どこかに落ちるまでの時間というのは、どれくらいでしょうか?
1秒あるでしょうか?
その時間が更に短くなるわけですので、本当にプランクスケールの世界です。

プランクスケールについては、いつか書きましたが、もう一度、天外伺朗さんの本を引用しておきます。


「宇 宙の神秘 誕生の科学」(1999年3月発行:PHP)
(引用:77ページより)
ブランクスケールは時空間を非連続的なものにする? 天外伺朗
現代物理学では、ジョージ・ガモフの提唱した「宇宙はビッグ・バンによって誕生し た」という考えが、理論的には正しいとされています。宇宙が誕生して10のー44乗秒後に、宇宙の直径は10のー33乗センチメートルというプランク・ス ケールとなり、そこから全宇宙のビッグ・バンが始まったと考えられるわけです。

「全宇宙のエネルギーがすべてそのミクロの世界の中に納まってい た」などというこ とは、常識では考えることさえできませんが、理論的にはそういうことになっています。ついてにいうと、宇宙の大きさがそのプランク・スケールに達した時の 温度がなんと10の22乗ケルビン(絶対温度)だというのです。これはもう、信じられないような超高温です。

プランク・スケールは物理的に特別なスケール で、それより小さいスケールになると、ゆらぎが大きすぎて時間も空間も定義できなくなります。たとえば、ある人が長さを測ると三〇センチだが、別の人が測 ると一〇メートルだ、というような世界になっているのです(こういう時間も空間も定義できないプランク・スケール以下の時空間を「ミニ・ブラックホール」 と呼ぶこともあります)。

プランク・スケールより小さい領域では定 義できない、となると、「時間も空間も、 決して連続しているものではない」ということになります。細かく切っていくと性質が変わってしまうということは、非連続であるということに他ならないから です。
しかし、そうなると、時間とか 空間というものが一体何なのか、わからなくなってき ます。時間や空間は連続的なものなのか、あるいは非連続的なものなのかーー、物理学者はそのへんをどう解釈しているのでしょうか。もしも非連続なものだと したら、時間や空間の「本質」というのは一体何なのでしょう。ぜひ知りたいところです。
(以上)


これと、例の政木和三さんのいう「脳波がシータ波になると、1秒で300年間のことが分ってしまう」を考えあわせると、無欲になった状態の人が振ったコイ ンと、コインが何分の1秒かで、裏表の結果を出すの2つの要素が、3次元の何かを越えるのではないか?と想像してしまいます。

1秒が300年分に相当するは、考えると、もう時間も空間も、物体の全てが混沌と混ざり合っているような状態に近いのではないでしょうか?

しかもそれは、どうも、プランクスケールのような極小の世界に存在している・・・。

ひょっとすると、その瞬間は、コインも人も、未来も過去もみんな一つになってしまっているのかもしれませんね。
ですので、未来も分る、コインで分る、ということかもしれません。
想像ですが。

その意味では、重ければ重いほど、落ちる位置に近ければ近いほど、正確な答えが出るのかもしれませんが、良くは分かりません。





この概念は速読などの概念とも近いものなのでしょうか?
もし同じだとしたら・・・
当初、即読は、あまりの速さに、3次元能力がストップして、生命体の力が出てくる、のように理解していましたが、そうではなく、プランクスケールを速読の 最中に作り出すことにより、字も人も何もかもが一体となる瞬間が訪れるのかもしれませんね。
想像ですが。



みなさんは、どう思うでしょうか?








3月28日です。

どこかの新聞に、ある大学教授が、「日本人の寿命が延びたのは、肉を食べるようになったからである。今の日本人の高齢者の肉の摂取量は、戦前並なので、 もっと食べるべきだ」というような内容が書いてあるらしいです。

どう思うでしょうか?

私は、それは間違いなのではないか?と感じますが。
変な意図さえ感じてしまいますね。

私は肉を止め続けていますが、最近、まず早起きができるようになりました。

もっとも、きっと少しくらいなら食べても良いのだと思いますが、私はここ数ヶ月、中華丼に入っていた一切れ程度しか肉は口にしていません(笑)。


ですので、野菜を見ると、生唾がでるようになっています(笑)。
野菜界では、驚異の存在になっている可能性もありますが、一説によると、食べられたがっている、ということですので、それが事実なら、その心配もないこと でしょう。

しかし、こんなに、昆布の佃煮や、お新香がおいしいオカズであったなんて、知りませんでした(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?




何かの本に、人からひどいことをされると、自分のカルマを、した人が負ってくれる、というようなことが書いてありました。
これは、本当でも、方便でも、”良いもの言い”です(笑)。

少なくとも、「あなたが辛い目にあるのは、過去世のカルマのせいです」よりは、やるせない気持ちが軽減されますね。


今読んでいます「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)にも、「現在、急激な勢いで人のカルマが解消されています」というようなことが書いてあったように思います。

カルマがあるかどうかは別として、なかなか嬉しい話です。




ところで、先だって書いた、「どうして私は〜なんだろう?」という問いかけ形式の”嬉しいこと”を考えると、どうなるか?という話ですが、どうも良いよう です。

たとえば、「どうして、私はこんなに異性運が良いのだろう?」と、嘘でもいいので、思ってみる、というものですが、何か良いです(笑)。
究極の過去完了形とも言えるかもしれませんが、隙な方は試してみる価値があるかもしれません(笑)。



と、いろいろ書いてきましたが、今
「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)を読んでいるのですが、読んでいるわりには、「こんなことを書いてみよう」というような衝動が起きません。

願望実現法にやや寄っている内容のせいかもしれませんし、翻訳物のせいかもしれません。

あるいは、基本的に全てを知っている、というスタンスですので・・・それはそれで自信に溢れていますので、不安なことがないので良いのですが・・・考える 余地が少ないのかもしれません。

そうでなければ、私が納得できる内容ばかりなのかもしれません。

・・・と3つ書いてみましたが、どうも3番目、「
私が納得できる内容ばかりなのかもしれません。」が一番私の感情に近いのかもしれません。




もっとも、まだ、すべて読んだわけではないのですが、「セス」が言う、「時間は同時進行しており、過去世も今生も来世も一緒に進行している」であったり、 原因の世界であるブループリントの話、地球に他の星から生命体が移り住んできた話・・・などなど、今まで私が他の本を読み興味をもった内容が、「正解で す」のように登場してきます。

確かにその意味では、目新しい内容は少ないとも言えますが、それでも、ここまで他の多くの本から私が興味を持ったことばかり、寄せ集められているのも、な んとも面白いです。


少なくとも、今読み進んでいるところまでに、「アセンションに失敗すると、消されてしまう」という私が???と感じてしまうようなことも出てきませんし、 それでは、納得がいかない、という強い衝動にかられる内容もありません。


ただ、さすがに森田健さんの言っている五行という発想は出てきてはいないようです。
まだ、最後まで読んでいませんが、おそらくないでしょう。





私がひとつ不思議だな、と思うのは・・・
地球上は確かに西洋・東洋と分かれていますが、時空全体はそのようなことはないはずです。
ですので、啓示を受けている人へは、特定の宗教などに偏った内容が着ている訳はないはずなのですが、どうしても、西洋のチャネラーの方のものは、やはりど こかキリスト教の雰囲気がありますし、日本の方などは、神道、仏教の雰囲気があります。

やはり、啓示を翻訳する際に、文化的影響がでるのでしょうか?
それとも、神が、チャネラー自身に一番分りやすい形で伝えるので、文化的影響がでるのでしょうか?


チャネリングしても、それを言葉に翻訳するのは、チャネラー自身の文化的背景などが影響するのは、当然と言えば当然のように感じますが、そうであるなら、 ひょっとすると、六爻占術のようなものについての情報も伝わっているのだけれど、翻訳するチャネラー自身に、それについての下地がないので、分らない、と いうこともありえるかもしれませんね。

「まさか、そんな!!!」とやはり思うでしょう。
十二支の置物で運命を変更したりなどは、日本人、東洋人は元より、西洋人には到底理解できないことでしょう。

西洋にもゾディアック(
黄 道十二宮・私は詳しくない)というものがありますので、動物達 が何らかの意味で、運命と関係している、という発想はあるのかもしれませんが、日本の様に、干支として毎年毎年、全ての人々が、それを語るようなことはな いでしょう。


それでも、近い将来に、五行的考え方を含んだ啓示の内容を語るチャネラーの方が登場してくるのかもしれませんね。


みなさんは、どう思うでしょうか?










3月30日(の深夜)です。

先日、試しに姿見の鏡を横置きしてみました。
ちょうど目の高さくらいにですが。
非常に動きを感じます。

鏡というのは3次元世界を2次元にしてしまっているわけですが、動きとしては3次元というのは上への動きはあまりしませんし、鏡に対して垂直になるような 動きは、2次元ではただ大きくなったり、小さくなったりするだけですので、もっぱら鏡に対して水平な動きというのが、”動き”として、大きく感じ られます。

ですので鏡というのは2次元ですが、変わっていますね。
紙の上なら、2次元はちゃんと縦横の2つに大きな動きが見えるわけですが、鏡は鏡に対して水平のみが 目立つわけです。

想像ですが、4次元、5次元を3次元に変換するということは、この鏡のような具合になってしまっているかもしれませんね。
2次元の映画が鏡の世界に似ていますので、そう感じるのかもしれません。

そうしますと、3次元から2次元に変換した鏡の世界が一般的な鏡の世界とは異なるように、4,5次元を3次元に変換した世界は、一般的な3次元観で考えて みてもしかたないのかもしれません。


思うに、鏡とか映画は2次元ですが、変な2次元ですね・・・
と、言いますか、言ってみれば重力に対して、素直に平たく置かれている紙状態を、立てて見ているわけですの、変に感じるだけでしょうか?

その意味では、鏡の世界は、実際は横(水平)と上下の2次元ということですね・・・。


これは、私の潜入感でした。
2次元と言うのですかっり、垂直と水平(というか、縦横)かと思ってしまいました。


そうしますと、4,5次元を3次元に変換しますと、縦、横、高さではない3次元なのかもしれませんね。
たとえば、縦、横、時間とか、縦、高さ、時間とか・・・ですが。

守護霊は、霊能者の方によると、大抵人の後ろにいて守っていてくれているようですが、幽体との関係なのかもしれませんが、3次元的常識で考えれば、横で も、あるいは霊なのだから上でも良い訳ですね。

ひょっとしたら、4,5次元から3次元に変換されると、横というのは無いのかもしれませんね。
横でなくとも良いのですが。


みなさんは、どう思うでしょうか?
(と、言われても・・・という声が聞えそうですが:笑)。








さて・・・・・・
先ほど、不思議研究所のサイトを見ましたら、森田健さんが、「
「好きなことをしろ」「得意なことを伸ばせ」と言います。でも私にはまったく魅力がありませんでし た」というようなことを書いていました。


思うのですが、私は森田さんほどではないですが、好きで得意(
専門家ほどではないにしろ、他の人よりいくらか)が結構多いです。

ですので、船井幸雄さんの本を読み、「「好きで得意なことをする」という言葉を読んだ時、それまでは、「辛くて苦しいことをがまんしてやるのが良い」と 思って生きてきましたので、とても嬉しかったのですが、船井さんの言葉に従って人生を構築してみようと思い、しばらくたって時、迷路にはまりました (笑)。

つまり・・・
「好き」でそれなりに「得意」なことが多すぎるのです(笑)。

これは、新たな自分探しとしては、結構驚きでしたが、迷路からはなかなか抜け出せません。

好きで得意なこと・・・とは・・・、
音楽、文章を書く、料理をする、英語、時計、オーディオ・ビジュアルの機械、などなど・・・

その中でプロの足元くらいに及ぶものは少ないですが、それでも、ある特定の分野だけ取り出せば、結構やるじゃない、というものもあります。



苦手なこと、というのもあります(笑)。
決められたことを決められた通りにやる、ということですね。





ただ、森田健さんも、「仕事なんか何でも良い」と言っていますので、仕事として「好きなことをやってはいけない」、ということではないのでしょう。
どっちでも良い、ということでしょう。
「吐かない程度に・・・」とも書いていますが。




船井幸雄さんは、もうひとつ言っています。
「昔からツキがあって、縁のあること・・・」
確かこういうことも書いていたと思います。
さすがに、何十冊も読みましたので、どの本かは分かりませんが(笑)。


思うに、糧を得る仕事とそれ以外の何か、というものがあると思いますが、大抵の人は、仕事しかできませんね。
体力、気力的、時間的にめい一杯である、ということもあるでしょうし、下位の問いを持っていないから、とも言えるかもしれません。
人によっては、仕事=下位の問いが一緒の人もいるでしょうし、趣味=仕事、という人もいるでしょう。

ちなみに、船井幸雄さんの言っている「仕事を趣味にしなさい」は、趣味=仕事、とは違うようです。
「仕事を趣味のように一生懸命やりましょう」ということのようです。
「そうすれば、楽しくできるでしょう」
ということです。

趣味=仕事、とは、私で言えば、差し詰め、レコード会社にでも勤めることでしょう。


仮に、仕事しかできないのであれば、趣味=仕事、というのは、楽しいことでしょう。
仕事以外の何かが、何かの衝動によってできる人なら、仕事はそれこそなんでも良いですね。
「精神的嫌悪を抱かない」程度のものであれば何でもいいのではないかと思います。


そうなってきますと、自分の衝動はどこにあるのか?ということになるかもしれませんが、こうなってきますと、自分の心の叫びをきちんと聞けるかどうか?と いうことになるでしょう。

私は、いつの頃からか、これが苦手になったように思います。
ひょっとすると多くの方がそうかもしれません。

資本主義に制約が多いからか、そういう教育を受けたからか、それとも、自分が勝手にそういう世界観を作りだしているからか・・・でしょう。


ここ、2、3年、いくらか自分の心の声というものが聞え出して来たようにも思います。
ある日突然、はっきりと聞える、あるいは感じられるようになると思います(笑)。

「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)には、「苦しんで魂のブループリント(青写真)をクリアしなくてはならないと思っていたとしても、ただ楽しん でクリアする方法もあるという観念をただ持てば、そうできるくらい簡単なことです」というようなことが書かれています。

これだけですと、願望実現法とあまり変わらなく読めますが、実際は、もっといろいろ書かれています。

どうも、基本的な観念の部分が大切なように思います。
観念とは、自分で持つものと、教育によって、なされるものがあるように思います。
素直で謙虚なのは、良いことだと思うのですが、それには、周りに事実を知っている人がたくさんいる状態が良いですね。



たとえば・・・
今相撲でモンゴルの2人が強いですね。
日本人の多くは、日本人が弱いとすぐに、「ハングリー精神が足りないからだ」と言います。
私は詳しくは知らないのですが、2人の1人は確かに一見ハングリー精神があったので、強くなったようにも見えるのですが、もう一人はそうではない ようです。

どうも、好きなようです、相撲が。
その意味では、相撲のように1日中、練習付けになっていなくてはならないような職業ならば、「好き」が良いのでしょう。

やみくもにハングリー精神のみをよ寄りどころにする考えはどうでしょうか?
それなら、一般的な意味で恵まれない人ばかり集めてくれば、さぞかし強い選手ばかりになることでしょう。
それは、資本主義の裏返しにしか過ぎません。
要するに負の部分からの脱却、ということですので、資本主義そのものですね。
共産・社会主義も似たようなものですが。
戦後生まれの人の特徴としては、なんでも、資本主義と共産主義の2元論でみようとしますね。
民主主義=資本主義だと思っていますね。



しかし、そうではないのは確かです。
一般的な意味で恵まれている人でも、優秀なスポーツ選手はいますし、そうでない人もいます。

むしろ、ハングリー精神を言うのなら、同じ3次元的な物言いなら、「生まれてきてから今まで食べてきた食べ物について、もう一度考え直直してみよう」の方 が、私は的を得ているように感じます。
モンゴルの人の食べ物は、昭和50年以降に生まれて生きた日本人よりはずっと、体に良い食べ物を食べているように思います。
なにせ、カップヌードルとハンバーガーですので、日本でも、戦前生まれの人とでは、ぜんぜん体の元が違います。



いろいろありますが、結局、突きつめて行けば、運命というものに突き当たるのだと思います。
やはり事実が知りたいです。



みなさんは、どうも思うでしょうか?












3月31日の深夜・・・というか朝で、つまり30日の夜の続きです。

森田健さんの不思議研究所で、今書いている螺旋の話ですが、私はこの螺旋の話は以前から興味があります(笑)。
3次元的理由は、いろいろありますが、
たとえば、学校の授業で、スピロヘイター(確か梅毒のスピロヘイター)を初めて聞いた時に、「ああ、ネジの理論なんだな」と感動したこと、
オーストラリア出張の時に、水が日本と逆回転で流れることを知って、見たこと、
などなどです。


このネジ理論は面白いですね。
3次元ですのでネジでも、それなりに力は必要ですが、釘とネジを比べると、ネジの方が小さな音で物を留めることができますね。
釘は大きな音をださなくてはなりません。

その意味では、ネジ理論の方が無理がない、ということなのかもしれません。

ネジが直線に力を加える釘より無理がないということを考えますと・・・
実は、3次元でさえも、本当は物の原子でもなんでも良いのですが、構成要素の並びというのは螺旋になっていて、それ自体は今の科学では見ることができな い、あるいは3次元的肉体では見ることができない、と言うこともあり得るかもしれませんね。

ですので、直線ではなく螺旋に力を加えると、大きな音を立てずに締めることができる・・・。
想像ですが。



螺旋階段というのも不思議ですね。

同じ高さを登る階段を作るのに、普通の階段であったら、同じ不可で登るためには、ものすごい床面積を必要とする階段になってしまいますが、螺旋階段です と、ぐっと少ない床面積ですみます。

はしごもありますが、不安定ですね。
とても、物を運んで登れません。




また螺旋というのは、ネジでもなんでも良いですが、進む、という力が加わっています。
回転とは違うということですね。

進まず回転しますと、目が普通回りますが、螺旋に動いたら、目は回るのでしょうか?
スピードのせいもあるでしょうが、螺旋階段を、ある程度のスピードで登っても目は回らないように感じます。
しかし、同じスピードで回転したとしたら、きっと、それでも、目は回るのではないでしょうか?


想像するに・・・これはきっと、3次元的に正しい解答は出ているのではないかと思いますが・・・回転時に生じたエネルギーを螺旋は進むエネルギーに変換し ているのかもしれませねんね。
それ故、目は回らない。
しかし回転は、そのエネルギーをそのまま自分で受けてしまっているので、人間で言えば目が回る、と言うことなのかもしれません。

ここら辺は、天外伺朗さんでも、小松英星さんでも、坂本さんでも、科学の専門家の方には、基本的常識として、正しい解答が分っているのかもしれませんが (笑)。




同様、重力の影響を受けないと、物は螺旋回転するのが普通なのかもしれませんね。
今試しに、紙を上から落としてみましたが、螺旋ぽく落ちますね。

ある程度以上、重さのあるものは、重力がありますので、基本的には真っすぐ落ちます。

当然ながら、紙は螺旋に落ちて、結果、壊れたりしません(笑)。
そのままです。
最強ですね。

その意味では、人間の体が紙でできていたら、どんなに高いところでもへっちゃらです(笑)。


しかし、森田さんによると、電波には直線のものも、螺旋のものもあるようですので、必ずしも、重さだけの問題でもないのでしょう。



もし、人間が回転のエネルギーを進むエネルギーに簡単に変換することができるのなら、それこそ政木和三さんの「汝のゴルフは汝の足元1メートル四方なり」 で、ずっと1メートル四方のみ見て回転していたらどこまでも回転エネルギーだけで進んでいけるようにも感じ案素が、どいうでしょうか?

ちなみに、イチロウ選手は以前”振り子打法”といわれていましたが、名称の元祖は、政木和三さんのゴルフの”振り子打法”ですね(笑)。
イチロウ選手はどうやら田尾選手の打法に影響を受けているようですので、政木さんは関係ないのでしょうが?
恐らくは、スポーツ新聞で、政木さんのことを知っていた人がつけた名前でしょう。






音楽で螺旋と言えば・・・
エレキギターのピックアップのコイルは当然としても、太い弦などは、螺旋に巻かれた巻き弦構造になっています。
それがどういう効果があって、そうなのかは、分かりませんが。


音的には、回転スピーカーというのがあります。
今のようにデジタル技術が発達する前にあったものですが、オルガンの音をドップラー効果を使って、今で言うところの、フェイザーのようなエフェクト効果を 付けるものです。

どんなものかと言えば、スピーカーが回転するのです(笑)。

そうしますと、音は前に出ますので、回転すれば、音の出口と聞いている人の耳とに距離がたえずできますので、音に位相、と言いますか若干の音程の変化が生 じ続けるわけです。

わずかな違いの音同士が混じりますと、コーラス効果と言いますか、うねりができますが、それが、あの回転スピーカーの音の原理です。

しかし、一箇所でスピーカーが回転するくらいで、音程に差が生じてしまうのですから、やっぱり、オーケストラなどは厳密な意味では、音程にさが生じている のでしょうね・・・聞いている位置でも、演奏者同士の距離でも。

どうなのでしょうか?





昔のスプリング式のエコーも同じような原理でしょうか?
ちょっと違うかもしれません。
昔のエコーマイクは、振ると、「プルンプルン」と、バネの音がしますね。

あれは、まっすぐなケーブルとバネ状のケーブルが入っていて、2つのケーブルの長さの違いで、音が出てくる時間に差を付けているのでしょうか?
よく分かりませんが。













4月1日・・・3月31日の深夜です。

さて・・・
政木和三さんの「脳波がシータ波になると、1秒が300年になる」ですが、これはどうことかと想像しますと、
1:アーカシックレコードに通じて、いろいろなことが分る。
2:時間という軸のない次元(4,5?)に行くことができ、未来も過去も見てこれる。
3:2のようなことができる存在と繫がる。

の、どれかでしょうね。


アーカシック・レコードに通じるようになるとしても、情報の量は莫大ですので、よほど速いスピードで、大きなメモリーがないと、なかなか処理が難しいです ね。
関英男さんが、面白いことを書いていたのを思い出しましたが・・・

http://motions.fc2web.com/love10-2.html
で書いたことですが、
関英男さんの 「高次元科学2」(中央アート出版社:1995年発行)には、念波と呼ばれるものがあるとしています。
私がまとめたとろこでは、以下のような感じです。


幽体とよばれるものを、見えない脳、というように表現しているようなのですが、それが、7重構造になっているということです。

まとめますと次のような感じです。
(40ページ、61ページなどより)

※下の方が肉体に近い位 置にあり、上に行くと外側になる。
不可視の脳
(幽体)
不可視の脳が出している念波の 種類
速 さ
念波の周波数(Hz)

念波の説明
容量(それぞれに繫がったとき の)
コード体
複合波
(すべての念波が混ざっている)
秒速10の100乗センチ 10の1億乗


ケシ体
フィーゴク波
秒速10の70乗センチ 10の42乗

物質化

コーザル体
ディレッジ波
秒速10の40乗センチ 10の38乗
神とのコンタクト
物質化
読書の速度100億倍。
記憶容量は100億の4乗倍。
メンタル体
ギネマ波
秒速10の40乗センチ 10の22乗
高度な直感、啓示、予知など。

ガン治療可能。
100億光年を、10000分の1秒以内
アストラル体
セギン波
秒速10の10乗センチ の3倍 10の18乗
テレパシー、透視など
相当自我が少なく、目に見えない世界のことが十分に受け入れられるよう になった人なら出る。
エーテル体
ディレカ波
秒速10の10乗センチ の3倍 10の22乗
エーテル体と見える3つの脳をつなぐ、アンタカラーナという潜在神経が ある。
第六感、直感。
相当自我が少なく、目に見えない世界のことが十分に受け入れられるよう になった人なら出る。

病気治療可能。スプーン曲げ。
10の61乗ビット
シン体
ケゴット波 秒速10の10乗センチの3倍
10の10乗
誰もが出している。
肉体の脳
脳の種類:は虫類的脳、大脳辺緑系、大脳新皮質




アンタカラーナが伸びると、容量は10の10乗ビット
※光速、電波は地球上では、秒速30万キロ メー トル


それぞれの脳の間は、アンタカラーナという線によってつながっているそうです。
所謂高次元とのつながりが太いということは、このアンタカラーナが発達している、ということのようです。

これが伸びますと、肉体の脳の記憶容量は10の10乗ビット・・・100億ビットになり、エーテル体だと10の61条ビット、アストラル体、メンタル体と いくと、もう想像の付かないほどだ、となっています。
当然情報処理のスピードも速くなるとしています。

コーザル体の中にある数100万本のアンテナを駆使すると、大宇宙の知識宝庫の情報が七次元波を通して得られる、ともしています。
そうなると、読書の速度は少なくとも約100億倍、記憶容量は100億の4条倍くらいになる、そうです。




確かにこれだけ速ければ、アーカシックレコードから情報を引っ張ってくることもできるでしょうね。


みんさんは、どう思うでしょうか?


今日は、朝まで生テレビがあったので、ここまでです。






以下作成中





 

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