みなさんはどう思うでしょうか?

1〜20   21〜40   41〜60   61〜80   81〜100   101〜120   121〜140
121〜131はこちら
  141〜160   161〜180 181〜200      
201〜220   221〜240   241〜260   245〜249

250〜253

254〜255

254〜260


  261〜280    281〜300                    
クリスマスアルバムのコーナー    2005年船 井幸雄オープンワールドの感想
                       

 




259:ドライヴィン:八代一夫
   
  八城一夫さんです。
この人は、世良譲さん、前田憲男さん、中村八大さんと並んで、私が学生時代ピアノの師として仰いだピアニストの一人です。

そしてこのアルバムは最近購入したものですが、これもまた24,5年ぶりに聴くことのできたアルバムです(笑)。

テナー:松本英彦さん、ベース:原田政長さんなどが参加しています。

1973年の録音です。
LPで私が中学生の頃、すでに安い価格のシリーズとして1500円で発売されていましたので、古いアルバムですね。
LPで聴いていたころも、どこか淡い録音だな、と思っていましたが、今はそれが、何とも言えないライブ感のある音でよいです。
菅野沖彦さんの録音ですが、印象では、このように雰囲気を大事にする録音が多いように感じます。
 

録音は大事で、ここ10年くらいの日本製のイージーリスニングなどは、カラオケと同じような録音で、妙にくっきり、すっきりした録音をしますので、ぜんぜ んイージーにリスニングできません(笑)。
イージーリスニング、ムードものなら、中高域、中低域あたりを少し上げなくては雰囲気がでませんね。

思いますに、ライブでもなんでも、PA経由で音を聴く機会が多い時代ですの、その影響があるのかもしれません。
要するにエンジニアがそういう音しか聴いて育ってきていない、と・・・。
スピーカー経由の生演奏を生演奏のような音と勘違いしている、ということです。

ああいう仕事をするなら、自分で演奏をするか、PAを通さない音を聴けるジャズ・クラブなどで耳を作った方がよいのではないかと感じます。
どうでしょうか?


八城さんは・・・
私が中学生の時、店番をしていた母親から
「今八城さんがラジオに出て生演奏をしている・・・」

と電話が入ったことがありました。

八城さんがラジオでパーソナリティのリクエストに答えて生演奏をしていたのです。
AMでしたので、良い音ではなかったですが、良い演奏でした。

アナウンサーの女性が
「音を探している八城さんの目が・・・」
というような表現を使っていたのを覚えています。
「ああ、ア彫り部とはそういうものか・・・」
と思ったものでしたが、今思うと、探している、ではタイムラグが出ますので、ちょっと違いますね。
きっと、ピアノだか、本質だかに、聞いているのだと思います。
「次の音は何?」
という感じですが。


私のピアノ好きの3次元的理由のひとつは父親がピアノのイージーリスニングが好きで年がら年中なっていたから、というのもあります。
もっとも、母親も好きだったようで、秋満義孝さんのラテン演奏のLPが好きだった、ということですが。

ですので、エレキギターは、やれ「成績が落ちるのはギターのせいだ」などと言って、弾かせてくれませんでしたが、ピアノは、ほとんど反対されたことはあり ません(笑)。
現金なものですね。

私はピアノを弾くと理論派になり、どちらかと言うと、一人の世界に入りがちになります。
ギターですと、どちらかと言うと、勢い的な傾向になり、他人と一緒に演奏したがります。

で、ピアノを多く弾きましたが、ここらへんも、決められた運命ということでは、私の性格、行動などを決めていく一つのキーであったのかもしれません。

その後、クラリネットやサックスなども演奏しましたが、あれは音が大きすぎて、練習が大変ですね(笑)。






なんでも、次の参議院選挙で自民党の一部では、コンピューターを使った投票をやりたがっているようですが、一部では反対があるそうです。
反対派の理由は導入費用が割に合わない、ということのようです。

でも、時期尚早ですね・・・
よく分かりませんが、最後に、「決定ボタン」のようなものを押さなくてはならないのでしょう。

それは、大変です。
特に70歳以上の方には。

そうなると、無効票が多くなるでしょうし、投票所でも、質問の嵐でしょうね。
これは自民党にとって、きっとマイナスのはずですし、あのようば機械はすぐに高性能のものが現れます。

おそらくは、「決定」を押すと、更に一度「あなたの投票したのは○○さんです。間違いないようでしたら、お手持ちの投票カードを機械に差し込んでくださ い」
のように、2重式になるのではないでしょうか?

それでも、間違い投票はあるでしょうね。



もう10年くらい待った方がよいのでしょう。
あるいは、2012年まで、後6年くらいですので、少なくともそれまで待つのが良いのかもしれません。
地上波デジタルだって2012年なのですから。
あれはひょっとしたら、もっとものすごいテレビが登場している可能性がありますね。
なにせ、2012年です。
「あなたも、お茶の間にいながらドラマに出演できる」
なんてことになっているかもしれませんね(笑)。




2月24日ですが・・・
どうも、民主党が、劣勢ですね。
これからどうなるか分かりませんが。
立場が変わるときというのは、波が一度引くこともあるのでしょうか?
冬から春になるときがそれですが・・・寒の戻り、というやつです。

そうすると螺旋状に発展の螺旋階段は、常時上を向いている訳ではなく、暗いところから明るいところへの変わり目あたりは、多少、あぜ道のようにガタガタし ているのかもしれませんね。

もし、正しいとして、そのガタガタで諦める人というのも、結構いるかもしれませんね。
それは、発展の形状を上下の二元性で、見ているせいがあるのでしょう。

そうすると、せっかくやっとの思いで明るくなってもい、ガタガタ、とくると、「ああ、また下へ落ちている・・・」と思ってしまうのでしょう。
私はそうだったように思います。



また、風邪気味なのですが、調子よいというか、良い感じなのです。
ものごとがテキパキと、進みます。
文章も良い感じで書かれているように思います。

思うに、
「思うように行かないのは、自分のせいではなく、風邪のせいだから仕方がない。自分では、どうしようもできない。ジタバタするのはやめよう。できる範囲 で・・・体調に任せて、やろう」
とい感覚が良いように感じます。
風邪をひいていると、昔から腹が立ちません(笑)。

そうすると、私は本当に普段、ジタバタしているのでしょうね(笑)。
風邪ですら一つの運命なのでしょうに。
体調が良い時に思うように行きませんと、イライラしてきます(笑)

今度は、
「思うように行かないのは、体調が良いからだ。自分ではどうしようもできない。ジタバタせず、運命に委ねよう・・・」
とでも、思ってみようかと思います。


みなさんはこういう感覚はないでしょうか?






さて・・・・・・
天外伺朗さんを読んでいますが・・・
面白いことが書いてありますね。

粒子理論的(?)では、波動を意識によって素粒子にすることにより、物質化する・・・
相対性理論では、宇宙の初めから全てが決まっている、なぜなら、全ては公式で決まっていて、初めの数字を入力すれば、後は、その公式通りにしかならないか ら・・・
そして、素粒子理論と相対性理論を一緒にすることも考えている・・・

などなどですが。

素粒子理論を波動理論、相対性理論を全てが決まっている理論としても、良いのかもしれませんが、今のところ、想像の段階です。




そして、相対性理論では、時間も空間として捉えるので、その意味では、時間も空間であり、意識によって変化するものである、とするなら、時間とは何か?
ということも書いてあります。











さて・・・・・・
他に何が書いてあるかと言いますと・・・
胎教について書いてあります。
なんでも井深大さんから、「子供の危機」についての話を聞いたことがきっかけで、書いているそうなのですが、これは、「魂」がどの時点で赤ちゃんに入るの か?を考えさせられるところがあります。



また、理性についても書かれています。
理性があると、要するに本質につながり難い、あるいはアーカシックレコード、あるいは、時空へ・・・ということです。



要するに、私にとって興味を惹くのは、
波動を意識によって素粒子化する、
いつ魂は赤ちゃんに入るのだ、
理性とは?

の3点、ということですね。

詳しく書いてみたいと思います。





さて、その前に・・・
今日は、早く寝ようと思いまして、夕方6時にPCの前に座り、これを書き始めようと思ったのですが、すでにとっくに寝ていてもおかしくない夜中の2時です (笑)。

6時にPCの前に座ったら、スカイプにメッセージが入りました。
相手はマイアミに住む西洋人の女性で、もちろん初対面です。
簡単に言えば、なんとかいう健康ジュースをAMWAY式の販売方法で売ることをしているようで、3月に日本に行き、日本にある邦人と一緒に、イベントをや る、ということだそうです。
それで、通訳をやりませんか?仲間に加わりませんか?という話を3時間くらい、チャットでしました(笑)。
とりあえず、資料をい読むので、2,3日待ってくれ、と書きました。




ネットワークビジネスなわけですが、船井幸雄さんは推奨しています。
私は、実はまだ、自らやろうと思うほどに、有り様を信用しきれないところがあります。
ねずみ講のイメージが完全にはぬぐえません。

ただ、私がお世話になった東大出の牧師さんの奥さんはやっていました(笑)。
友人の一人は、それを始めて以来、疎遠になりました。
以前、遠くへ営業へ出かけた時、電車のボックス席で一緒になった女性もやっていました。
「個人の考えでやるならいいなじゃないですか」
と言いましたが、少し気の強い女性でした。
(但し、その後、基本的に女性はみんな気が強いものであり、別にそれで、良し悪しは関係ない、と思うようになりましたが)。

その他いろいろありますが、あまりよいイメージはありません。




ガンなどに効く、ということだそうです。
グラフィック・デザインの仕事で腰通がずっとあったが、直ったと言っています。

ちょうど先日、船井幸雄さんのサイトで、「薬以外には病気が治る、ということをむやみに言っては、法律に触れる」というような話が載っていましたので、 「日本は法律が厳しいから、ちゃんと科学的データを出さないと危ないよ」などの話をしました。
また、変な団体がガンに効く、と称して商売をして、ニュースになったばかりだから、気をつけなくてはいけない、というようなことも話ました。
少なくとも、この人は宗教団体ではない、と明言していました。

彼女はグラフィック・デザイナーだそうですが、「何を勉強した?」と聞いて来ました。
精神世界的なことに興味があるんだ、と書きましたら、ジョン・レノンの「イマジン」のMP3ファイルを送ってきてくれました。
CDを持っている、と書いたのはもう送った後でしたので、3分くらい待ちましたが(笑)。

さて、私はこのイベントに行くでしょうか?
あるいは、この商売に関わっていくのでしょうか?

自然に任せてみようと思います。

が・・・

せっかくなので、コインの易を見てみますと・・・
「やるかどうか?」で振ると、
水山蹇
というもののようです。
どうも手元の資料ですと、止めたほうがよいみたいです。
有識者、目上の人の言うことを聞くべきだ、ということみたいですが。

やはり、やらないようですね(笑)。
慎重で理性ばりばりの私がやるとは、どうも思えません。






さて・・・・・・
波動を意識によって素粒子化する、
いつ魂は赤ちゃんに入るのだ、
理性とは?
ですが・・・


理性から書きたいですが、

「宇宙の神秘 誕生の科学」(1999年3月発行:PHP)
の71ページを引用します。
『理性を外す
よく、芸術をきわめるためには悪魔と取引をしなければいけないとか、デーモンがの りうつらないと自在にならないなどといいますね。
デーモンにとりつかれるとデーモンがその行為を導いてくれるというのは、天才崇拝 の傾向にともなう近代の芸術観ですが、ゲーテは芸術にはたらくデモーニッシュは力が道徳的な秩序を突き破る、と指摘しています。
これはしかし、むしろ理性との関係でとらえるべきではないでしょうか。つまり、ふ つう一般に私たちは、自分の心を理性で必死にコントロールしています。現在人の特徴は、理性のコントロールがとても強く、ある意味では自分を見失っている とも言えます。ところが、修行に入ると、心が理性の奴隷になっている状態では悟れないため、ある時点で、そっくり理性を外さなければいけないわけです。理 性を外す段階で、心が十分に純粋になっていれば、その人は大きく変容します。ところが、まだどおどろしたものが多く残っていると、それが理性のコントロー ルなしに表に出てしまうのでひどいことになります。
戒律の厳しい仏教などでは、理性が強く残ってしまい、「悟り」の入り口である見性 (けんしょう)のレベルになかなか行けなくなることもあります。
理性を外すのは、むしろ今のニューエイジの若い子のほうがはうかに早いでしょう。
ところが、理性をあまり速くはずしてしまうと、オカルトチックな新興宗教の教祖の ようになってしまうわけです。そこは非常に難しいところです。
第三章で、出産の問題を扱いますが、現代の出産のひとつも問題は「こう生まねばな らない」という意識で、理性で出産をコントロールしようとすることです。理性のコントロールを外して原始的な要求に素直に従えば、母子ともに楽なすばらし い出産を迎えることができます。
芸術というのも出産と同じで、理性のコントロールが強いとうまくいきません。絶対 に作品として昇華しないのです。どこかで理性を外さなければいけないのですが、おそらく芸術は、かなり早い時点で理性を外すと思うのです。すると、まだま だ残っているどろどろしたものもいろいろ出てきます。それを「デーモン」と読んでいるのではないでしょうか。
(以上)


ということが書かれています。

天外伺朗さんはデーモンを「
まだ残っているどろどろしたものもいろいろ出てきます。」としていますね。
私は相対性によるもののように感じます。

つまり理性を本来0地点に戻せば良いのではないでしょうか?
それが現代では普通の状態で思いっきり、右に触れているので、0地点が「悪の領域」に感じられてしまうのではないか、と感じます。

少し違いますが商品の過剰包装などを見ると、あればだんだん過剰になっているわけです。
そして、少し前を振り返るとそれが質素なものに見えてしまうわけです。
私の実家はパン屋でしたが、幼少のころは、お菓子類は量り売りでした。
「おかきを300グラム」とか言われれば、秤で計って、袋に入れて売るわけですね。

これは、ゴミも減り、よいことのはずですが。


時計などは、リッパな箱があり、それを紙で包んで、それがメーカー出荷状態で、それをまたお店の紙で包装して、お店の袋に入れたりします。
きっと、顧客というより、お店の意識として、他より良くしたく、そして、どれかひとつ足りないと、手を抜いた、と思われかねない、とでも思うのかもしれま せんね。

なんとなく分ります。


それで、理性ですが、「
現在人の特徴は、理性のコントロールがとても強く、ある意味では自分を見失っているとも言え ます。」とありますが、分かる人と、分らない人がいそうな 言葉ですね。

きっと反論を言う人は、「理性がなくなったら、犯罪だらけ、我欲だらけになってしまうではないか」というのではないでしょうか?
それは理性をはずす、を、思いっきり右から思いっき左へ振ることだと思っているように感じます。
そうではなく、0地点・・・2次元の図なら真ん中へ戻す、ということなのでしょう。
多次元の図なら螺旋の中心のように感じます。

同様、理性を思いっきり左から発想していくと、0地点を通り越して、理性意は強ければ強いほど立派なことだ、と思い込み、思い切り右へ振ってしまうことに なるように感じます。
どうも、それが現代のようにも思います。



理性のコントロールを外して原始的な要求に素直に従えば、母子ともに楽なすばらしい出産を迎 えることができます。
芸術というのも出産と同じで、理性のコントロールが強いとうまくいきません。


とあります。
森田健さんは、芸術にひとことあるようですが、芸術を3次元的な行動の一つと考えてみれば、私は良く分かります。
私はしばしば3次元的行動においてぎくしゃくしますが、思い返してみれば、理性を強めることにより、人間は暴力を振るわなくなり、人に優しくなり・・・と 真剣に考えた時期がありますので、どうも、良く行いたい、と思うと理性のメーターを思いっきり上げ、それにぎくしゃくの原因があるように最近感じていま す。

本質が全て知っているはずなのに、それを理性の力で封じ込める、ということをやっているのでしょう。
要するに本質と繫がらないようにしている、ということですが。

俗に言う「緊張」の正体はこれかもしれません。
正確には緊張ではなく、「びびる」、「強張る」の類であるように思いますが。

みなさんはどう思うでしょうか?











さて・・・・・・
次に、「
いつ魂は赤ちゃんに入るのだ、」ですが、森田健さんの生まれ変わりの村調査によれ ば、どうやら、生まれる寸前のようです。
政木和三さんは、確か、受精後、3ヶ月だったか6ヶ月だったか、そこら辺のようなことだったと思います。
他にもいくつか見たことがありますが、大抵、受精後、数ヶ月というのが多かったように思います。

天外伺朗さんは、胎教についていろいろと書いているのですが、事実として、胎教・・・つまりおなかにいる赤ちゃんに話しかけたり、音楽を聞かせたりする と、そのことを覚えていたり、ある種の能力がついていたり、ということはあるようです・・・人の調査結果ですが。

このことから理論的に考えれば、生まれる寸前でなくとも、その前から赤ちゃんに生命体といいますか、魂といいますか、そういったものが入っていたとして も、不思議ではありませんね。

六爻占術では、「おぎゃー」と泣いた時点が、「生まれた時」となるようです。
おそらく、「おぎゃー」と泣かなくとも、出てきた時にはすでに魂は入っている訳ですので、「おぎゃー」の時点が、生命体が入った時点である、ということで はなくて良いのでしょう。


これらからいくつか想像していきますが・・・
ひょっとしたら、おなかの中の赤ちゃんにコンタクトを取った時点で、生命体が赤ちゃんに入るのではないか?ということはありえそうに感じます。

つまり、おなかの中の赤ちゃんに、「話しかける」、「意図して音楽を聴かせる」、などの行為を行った時、ということですが。
言ってみれば、3次元的接触を初めて持った時、ということですね。


ただ、それでも、きっと、運命が決まるのは、「オギャー」の時なのでしょう。






天外伺朗さんの本には、生まれた時に、時空との一体感から初めて切り離され個になる、「宇宙とのセパレーション感覚」を覚える、と書いています。

先の森田健さんの「オギャー」の瞬間で、運命が決まる、などを考えてみても、どうも、母親のお腹の中というのは、実質上、高次元にいるのと同じ状態と言っ てよいのかもしれません。

そう言えば、どこかで、お腹の中の赤ちゃんにいろいろ聞くと、真実を教えてくれる、というのを読んだような覚えもありますが、不確かです。


ここら辺は、だれかが本気で調べれば分るようにも感じますね。
天外伺朗さんは、やってみないでしょうか?

私はやっても良いですが。











さて・・・・・・
波動を意識によって素粒子化する」ですが・・・
波動を意識で素粒子化し、それが原子になり、原子が分子になり・・・物質化していくということですが、「セス」の本に、物は、着いたり消えたりしてい る・・・と言うようなことが書いてありました。

少し思いますが、真っ暗な状態というのは、物が見えない訳ですが、見えなくとも、そこに物があれば、つまずいたりしますね。
とすれば、どうも単純に、光として捉えられていないから、「ない」ということでもないのでしょうね。
ただそれでも、見えなければ、触ったり、その他の五感、あるいは高次元的能力で感じない限りは、「ない」とさほど違わないことのようにも感じます。

「観測するから、初めて物が存在する」
「観測する人の意志によって、波動が形になる」
「観測するまでは、ただ波動が存在するだけであり、どのような形にもなっていない」
というのが、どうやら、素粒子論的な考え方のようです。

想像ですが・・・
素粒子の段階では、本当にそれこそ、観測の瞬間に波動が形になり、それが、
原子、分子、と大きなものとなっていくに従って、形になる までには、時間がかかることになるのかもしれませんね。

つまり、仮に・・・素粒子なら1秒、原子なら1日、分子なら1年、細胞なら10年・・・・・・というような感じですが。
そして、仮に・・・素粒子なら、観測者の意志、原子なら周り10メートル四方の人間の意志、分子なら周り100キロ四方の人間の意志、細胞なら周り 100,000,000キロ四方の人間の意志・・・によって、波動が形になっていくとか・・・
そういうこともあるのかもしれませんね。



こんなことを天外伺朗さんは
「宇宙の神秘 誕生の科学」(1999年3月発行:PHP)で書いています。
(引用:62ページ)

『前にも述べたように粒子力学によれば、素粒子の存在というのは波動であり、非局所的なのです。どこか特定の場所に存在することはありません。素粒子を物 質としての素粒子と観測するまでは全宇宙に分布し、無限の「過去」から「未来」まで存在していることがわります。これを「非局所的な存在」といっていま す。
 素粒子が「非局所的な存在」であるなら、Aという素粒子とBという素粒子は基本的に分離不可能であり、両方とも全宇宙に分布しているということになりま す。
 また、私たち人間が生命体であるならば、「全体として、ひとつの宇宙」も生命体であるにちがいない。
 したがって、「宇宙は、全体として、ひとつの生命体」は、粒子力学そのものからも論理的に導かれる理論なのです。
 宇宙が全体としてひとつの生命体であるなら、地球もひとつの生命体だろう、という「ガイア仮説」も納得できます。』

(以上)

段落を1字下げてみましたが、見にくいですね?

局所的とは、相対性理論のような、時間的な初めと終わりのあるもの、
非局所的とは、粒子論のような、時間的な初めと終わりが無いもの、ということです。


こう考えて見ると、相対性理論は、どこか非常に3次元的であり、素粒子理論は高次元的な気もします。






天外伺朗さんの本ですので、もちろん高次元的、宗教的なこととも絡めて書いてあります。

同書、58ページには、
粒子力学のコペンハーゲン解釈は、仏教の唯識思想に対応しているのではないか?としています。
そして、概略ですが・・・

『仏教の唯識は、一般書では末那識、阿頼耶識がどうしたとあり、深層心理について書かれている。それはフロイトやユングと似ている。
末那識はフロイトの個人的無意識とほぼ同じ、
阿頼耶識は西洋心理学では該当するものがない、
このように唯識の本は深層心理について書かれているものが多いが、深層心理がポイントではなく、人間の意識が「物質」を作り出している、ということがポイ ントであろう。
普通確固として物質が存在していると思うが、実は人間の意識がつくりだしている・・・これが唯識の基本です。』

ということです。

ここでは、「運命」を意識によって作っている、とはなっていないです。
波動を素粒子化し、物質化する、ということです。







59ページには、
概略ですが、
『先に述べた「コペンハーゲン解釈」、スープ状態になっている波動としての素粒子を、意識を持った人間が観測することによって、そこに物質としての素粒子 が出現するというのは、唯識とまったく同じことを言っているのではないか。
そう考えると、「時間」も普通に考えている概念とはずいぶん違う物になる。
物理学でいうように、時間と空間が区別できないとすると、時間も人間が観測することにより作り出しているということになる。
そうすると、時間というものは、一体なんのだろう?
21世紀以降には、時間、空間の概念が根本からひっくり返るような事実が明らかになるのではないでしょうか?』

というようなことが書かれています。









2月28日です。

さて・・・・・・
増田俊男さんのサイトが更新されました。
日本は農耕民族、ひつの場所にいて畑を耕す。
競争相手がいるとすれば、他の家族。
基本的に和を重んじる。

アメリカは狩猟民族。
獲物を求めて、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりする。
個人が基本。
個人個人が競争相手。

その日本で二大政党制は、あっていない。
なんでもアメリカのまねをすればよいというものではない。
民主党が分裂するのだろうか、そこら辺も考えよう・・・

というようなことが書いてあると思います。


天皇の関係と絡めて書いてあるところが面白いですね。
確かに、伊勢神宮が日本を守っていてくれたのなら、天皇が日本のために祈ってくれている・・・という発想は正しいですね、きっと。

伊勢神宮が森田健さんによれば、六爻占術のようなことをしているようなのですが、古来、一度でも、伊勢神宮が日本を守っている、ということを公に説明した 時期というのはあったのでしょうか?
あったとしたら、どのように説明していたのか聞いてみたいですね。

あるいは、皇族の人達は伊勢神宮について、なんらかの説明を受けているのだろうとは思うのですが、私はそれをそのまま聞いてみたいです。

どなたか皇族のお友達はいないでしょうか?






オリンピックが終わりましたが、解説者である、もと有名選手たちはいろいろ言いますね。
中には、「当人はそういうけど、本当は違います」のような言い方をする人もいます。
確かに、そういうこともあるのですが、それで終わらせないで、「私はこう思ったのですが、本当はどうなんでしょうか?」と当人と解説者の討論が見たいで す。

例のスケートで言えば、荒川選手は「メダルのことは考えずに、楽しみことを念頭にいれて滑りました」と言うのに、元選手は、「勝ったから、そう言えるんで あって、本当は・・・」
というようなことを言っていました。

「本当は・・・」
の後は何だったか忘れてしましたが、
「絶対金メダルをとってやる、という強い意志があったに違いありません」
なのか、
「メダルのことを一時でも忘れるようなことがあったはずがありません」
なのか、
「この何年間かは、ずっとメダルを取ったときのことをひたすらイメージし続けていたに違いありません」
なのか・・・。


どうも私としては、メダルを取るという欲は捨て、ただ自分が好きで好奇心のあるスケート、良い滑り、というものをひたすら追い続けてだけなのではないかと 感じます。

今日のテレビで、荒川静香選手が昨年の日本の大会で、例の浅田真央選手に抜かれてしまった話にからめて、「彼女を見ていて忘れていたものを思い出した」と いうようなことを言っていましたが・・・
私はそれは、「大人たちが望むような名声とか、結果とかを求めてすべるのではなく、彼女の年のころのように、すべるのが好き、楽しい、スケートにはどんな 可能性があるんだろう、というような好奇心をひたすら追うような気持ちだけ持って、すべっていれば良いのではないか?」というようなことを思い出したので はないか?と考えます。

規定演技でよい点数だった選手が浮き足立ったりとか、本当はもっとよい点数のはずなのに、とがっかりして、我を忘れてしまった選手などいがいた、という解 説もありましたが、いずれにしても、とても資本主義的、点数という相対性の権化、マーヤそのもの、にやられてしまったのいではないかと想像します。

もっとも、それでも、私は、「一体、世界の2位とか3位とか4位になって、なにがそんなに悲しいんだ???」と思わずにはいられないところもありますが。

私の理想は、全員100点満点で、それが10人くらい・・・という状態ですが(笑)。


でも、荒川選手のすべりは生放送で見ていましたが・・・
例のごとく転寝して、ふと起きテレビを着けると、安藤美姫選手のひとつ前の選手が滑っていました。
その後、安藤選手を見て、「おお、4回転挑戦したか!!」と思いながら見て・・・・・・

荒川選手は金メダルを取ったから言うわけではありませんが、出てきた瞬間”美人”でした(笑)。
本当はオーラがどうした、とか波動がどうした、と言いたいところですが、私は超能力者ではありませんので、そういったものは見えません。
ただ、出てきた瞬間、美人だったと感じたのは事実ですね。

3次元的な描写をすれば、背筋が通っていて、鼻筋が通っていて、目がきれいで、身のこなしが可憐で・・・ということですが(笑)。

はっきり言って良いのかどうか分かりませんが、いつもの彼女と違う顔の”形”をしていました。
きれいでした、いつもテレビで見る彼女より、ですが。
お化粧なのでしょうか?
いつものと違うお化粧をしていたのでしょうか?


きっと、違うと思うのですが。
だって、形が違って見えたのですから・・・。


そうすると、美人の条件というのは、根本から変わってきますね、きっと。
「好奇心に素直に生きると美人になる」にかもしれません(笑)。
想像ですが。





さて・・・・・・
時間の概念すら違ってくる、という天外伺朗さんの考えですが、例の、最近時間が短くなったという話が気になります。
エハンさんによれば、確か、脳が活性化されたことにより、時間が短く感じられるようになってきた、ということだったように思います。
違う人の意見かもしれませんが。

エハンさんと天外伺朗さんの考えをあわせますと、脳が活性化されたことにより、意識が時間を短く物質化している、ということになるかもしれません。

どういうことでしょうか?
いろいろ考える、ということでしょうか?

私はどうも、3次元において、螺旋が今のようにどんどん中心に向かっていき、サイクルが短くなって・・・というのは、決められた運命の一環だと思います。


言ってみれば、きっと何らかの公式に当てはめれば、当然出てくる答えの一つということでしょうか。
その中で人間が意志により波動を物質化していく、ということも同時に行われているようにも思います。

ただし、それは、基本的には決められた運命に従って「意識」を発して言う部分と、「何らかの事象によって、決められて運命以外の物質化をしている」部分が あるのでしょう、きっと。


少し、?なことがあります。
例の大財団が国連に送ったという文書ですが、意味としては、「大変革がある。その後、一部の特権階級が世の中を支配することになるだろう、そうならないよ うにしなくてはならない」という内容だと思いますが。

勘違いがあったら、教えて欲しいですが、私はこれを、良く言われている悪の勢力が、
「アセンションに伴い、良い世の中になってしまっては、自分たちの特権階級としての立場が危ういので、アセンションできないようにしよう、」
という画策と理解しているのですがどうなのでしょうか?


もし、そうならば、そういう種類の人というのは、死ぬことを非常に恐れます。
であれば、アセンションできなくて、全てがなくなってしまうくらいならば、まだ、自分たちの特権がなくなってしまっても、生きている方がまし、というよう な考えにはならないのでしょうか?
悪なら悪で、「とにかく生きていれば、また支配する機会が出てくる」くらいには思うように思うのですが。

そして、よくわかりませんが、そういう勢力は、またアセンションについての情報も持っていて、自分たちの立場、つまり、今までのような特権でいるならば、 地球は滅びる、いわゆる良い世の中になるなら、特権はなくなるが、とにかく地球は次元が上がり、理想的な世の中になる、その人たちにとっては、理想的では ないにしろ、と言うことも知っているのではないかと思うのですが。

ここら辺にパラドックスを感じます。



運命が決まっているのに・・・つまり性格も能力も、何をするのかも決まっているのに、「アセンションせよ」ということにも、パラドックスを感じています。


とにかく、自由意志がどこかにないと、これらのパラドックスは解けないように感じます。

悪の勢力は悪なりになにかするのだろうけれども、その人達が「自由意志」によって、心を変える、あるいは、いわゆる正義は正義なりに行動を起すのだろうけ れども、「自由意志」がなくては、とにかく宇宙の初めから決まっていた通りにしか物事は動いていかないはずだ、ということです。




何を欲しているかと言えば・・・
アセンションを唱える人達は、一度、真正面から六爻占術なり、盲師派推命占術なりに対面してみたらどうか?、ということです。
もちろん宇宙意識は嘘は言わないとは思いますが、ひょっとしたら、宇宙意識にも言えないことや、知らないことも、一つや二つくらいあるかもしれないではな いですか?


そして、その上で、アセンションがあると言うのなら、矛盾点、本当に今唱えている「人間の進むべき方向」というのは、正しいのかを、逃げずに、一緒になっ て考えてても良いのではないか?と感じます。

小松英星さんなどは、一度、ご自分で森田健さんなりにコンタクトをとってみられたら、どうなのでしょうか?
と、私のような人間が言って、どうなるというものでもありませんが。

このような意味で、私が六爻占術を勉強したりしたら、勝手な行動を起こすだろうな、とは思いますが(笑)。


良く分かりませんが、何らかの占いで、皇族に男子の赤ちゃんを産ませたり、アメリカが急に日本から軍隊を引き上げたりしたら、アセンションを訴える人のな かで、「運命が決まっているだんなんてことはない。」と、検証することなしに、言っている人は、「何か、勘違いがあるかもしれないな?」と思ってくれるで しょうか?


私は、基本的に、「本当はアセンションはどうなっているんだろう?」ということが知りたいだけですので、結果がどっちであろうとも、それによって利益、不 利益をうるものではありませんが、どうしても、いろいろなところに矛盾を感じてしまいます。


「愛」というような相対性のあるものを、一番に唱える人が多い、
以前の時だって、今回と似たようなことを一生懸命にした人達がいるはずで、今回も、おそらく全く同じような方法と理論を掲げているのではないだろうか?
神がアセンションできない人間を、その理由だけで消す、というのは、本当だろうか?
今までの神の概念とあまりに違いすぎるし、「愛」はどこに行ってしまったのだろう?
自由意志があるのなら、その事実は好ましいことだが、デジタル的に一時一句まで決まっている運命を当てたり、変更したりできる、という事実は、自由意志と いう事実とどのように融合して考えれば良いのだろうか?


だれでも良いのですが、
確かに、森田健さんと議論をした大変だろうとは思いますが (笑)、神に持ち上げられて落とされても従わなかった岡田多母さんとか、極真の黒帯の井出さんたちなら、怖いものはないでしょう?

私は、決まっている運命とアセンションの矛盾、矛盾を解決した後の新しい方向性について、とても関心があります。
「関心」というと不謹慎だと井出さんから上段回し蹴りが飛んできそうなので(笑)言い換えれば、その矛盾を解決することは大切なことのように感じます。


たとえば、おそらく六爻占術で、世界中の全員を億万長者にすることは可能でしょう。
それで、世界は平和にならないでしょうか?
ならないかもしれません。

それでは、六爻占術で、世界中の全員を、心優しい人に変えたらどうなるでしょうか?
世界は平和にならないでしょうか?

オリンピックで、全員同点1位もできるかもしれません。


「そんな欲があるから世界は滅んでしうまうのだ」
という理屈は分ります。

しかし、欲があるのは、相対性と二元性の賜物ではないでしょうか?
全員、同じ家柄で、同じような能力だったら・・・少なくとも、全員同じことができてしまったら、争いあいも何も起きないのではないでしょうか?

しかし、それでも、アセンションには足りないかもしれません。
しかし、大幅に近づくかもしれません。

良くは分かりませんが・・・。

正統派アセンションの人達の意見を是非、聞いてみたいと思います。

みなさんは、どう思うでしょうか?




・・・と、書いていて分りましたのは、「
私は、決まっている運命とアセンションの矛盾、矛盾 を解決した後の新しい方向性について、とても関心があります」ということのようです。

これは私流の「神は何を考えているのだろう?」ということなのかもしれません。


みなさんは、こんなことには、興味はないでしょうか?




260:GINMAKU VOL.1 尾田悟&ハンク・ジョーンズ
   
   テナーの尾田悟さんと、ピアノのハンク・ジョーンズによる映画音楽集です。
写真は裏ジャケットになっていますが、表がありません。
正確にはあるのですが、VOL,2のものが付いています。
ネット・オークションで買いましたが、ジャケットが違っていた、というわけです。
結局、半額にしもらいました(笑)。
私は体裁はあまい気にならない方ですので、こえで構いません。
曲が聴ければ良い、ということです。

演奏は良く、「白い恋人たち」などは斬新な解釈です。
これはグルノーブルでの冬のオリンピックの記録映画ですね。

小学生時代読んでいたスヌーピーのマンガに、やたらと「グルノーブル」という言葉が出てきましたので、この言葉はよく覚えています。
どこの国かは知りませんが(笑)。

「めぐり逢い」は、私にとって、「太陽がいっぱい」と同じくらいに、今生に出てきて映画というものに触れた時に、感動を受けたもののひとつです。

どちらも、終わりの場面の驚きの展開が痛快というか、すごいですね。




さて・・・・・・
森田健さんの本に、超能力者孫さんによって、小さく小さくなっていき・・・体の内側から高次元へ行き着いた話が掲載されていますが、
「宇宙の神秘 誕生の科学」(1999年3月発行:PHP)に、面白い話があります。

この本は、京大助教授を経て、NASA主任研究員、現在(と言っても1998年当時)、神奈川大学・学長の桜井邦朋さんという人と対話形式で書かれていま す。

私の部屋から、歩いても1時間以内のところにある大学ですね。


桜井さんの文章を読むと、ところどころに決まっていた運命を感じさせるようなことが書いてあるのですが、当人は、それをぜんぜん意識していない様子ですの で、話がたんたんと流れます。
そこらへんが、天外伺朗さんのもの言いと異なり、なんとも面白い感じにできあがっています。

天外伺朗さんがどう感じているのか分かりませんが、決して、そこら辺については突っ込みを入れません。
おうおうにして、「ここらへんは現在の物理学ではどう解釈しているのですか?」のように流れて行きます。

天外伺朗さんのここでの立場は、「欧米の科学者たちはキリスト教なので神というものを意識しているが、日本の科学者にはそれは無理だろうな・・・」という もののようです。

さて、その面白い話ですが、プランク・スケールということについての話です。

(引用:77ページより)
ブランクスケールは時空間を非連続的なものにする? 天外伺朗
現代物理学では、ジョージ・ガモフの提唱した「宇宙はビッグ・バンによって誕生し た」という考えが、理論的には正しいとされています。宇宙が誕生して10のー44乗秒後に、宇宙の直径は10のー33乗センチメートルというプランク・ス ケールとなり、そこから全宇宙のビッグ・バンが始まったと考えられるわけです。
「全宇宙のエネルギーがすべてそのミクロの世界の中に納まっていた」などというこ とは、常識では考えることさえできませんが、理論的にはそういうことになっています。ついてにいうと、宇宙の大きさがそのプランク・スケールに達した時の 温度がなんと10の22乗ケルビン(絶対温度)だというのです。これはもう、信じられないような超高温です。プランク・スケールは物理的に特別なスケール で、それより小さいスケールになると、ゆらぎが大きすぎて時間も空間も定義できなくなります。たとえば、ある人が長さを測ると三〇センチだが、別の人が測 ると一〇メートルだ、というような世界になっているのです(こういう時間も空間も定義できないプランク・スケール以下の時空間を「ミニ・ブラックホール」 と呼ぶこともあります)。
プランク・スケールより小さい領域では定義できない、となると、「時間も空間も、 決して連続しているものではない」ということになります。細かく切っていくと性質が変わってしまうということは、非連続であるということに他ならないから です。
しかし、そうなると、時間とか空間というものが一体何なのか、わからなくなってき ます。時間や空間は連続的なものなのか、あるいは非連続的なものなのかーー、物理学者はそのへんをどう解釈しているのでしょうか。もしも非連続なものだと したら、時間や空間の「本質」というのは一体何なのでしょう。ぜひ知りたいところです。
(以上)


これに対して、桜井さんは、
(要約)
「考えたことはないが、時空というのは運動量空間も入れて六次元で考える。そして時間と空間の大きさは「プランク・スケール定数(粒子力学における基本定 数)」で決まる。
しかし、プランク・スケールより小さなサイズは、六次元空間で考えることができない。
そこではもう、不確定性原理が働いてしまう。
電子のような素粒子を空間的に小さい領域に閉じ込めようと思っても、その瞬間に運動量空間は無限の広がりになってしまって、その正確な量は定義できなく なってしまう。
このことからやはり、プランク定数で決まる時間と空間の最小単位(容量)というのはあるように思う。
したがって、最小単位より小さな世界では時間も空間も 連続していないかもしれない」
(以上)
というようなことを回答しています。


不確定性原理とは、
(引用:80ページより)
原子や電子などのミクロの世界では、ひとつの粒子について、空間(位置)と運動 量、時間とエネルギーのように、お互いに関係のある物理量を同時に正確に決めることが不可能であること
(以上)
としています。





プランク・スケールは物理的に特別なスケールで、それより小さいスケールになると、ゆらぎが 大きすぎて時間も空間も定義できなくなります。たとえば、ある人が長さを測ると三〇センチだが、別の人が測ると一〇メートルだ、というような世界になって いるのです

ということですね。
面白いですね。

ゆらぎとは、つまり、変化の有様を一つの式のようなもので表わすことができない・・・一貫性、一定性がない、ということなのでしょうか。

人によって長さが変わる、というのは、おそらく意識によってでしょう。
現在の日本式科学をこのまま進歩させていったとしても、おそらく、ものすごく小さなものを測定できる計測器というのは今後も改良されていくことでしょう。
何か、そこら辺に、何らかの変化を起すものがあるような気もしますね。

プランク・スケール以下の世界・・・何かここら辺がキーワードなのかもしれませんが、まだ良く分かりません。
ただ、どうも、意識によって変えられるものがあるのだとすれば、それは、プランク・スケール以下の世界、ということになるのかもいれませんね。

どうなると、政木和三さんのいう「汝のゴルフは汝の足元1メートル四方なり」という生命体からの啓示も、ひょっとしたら、「汝が考えることは、汝のプラン ク・スケール四方の世界である」ということにもなるのかもしれません。
本当はどうだか、分かりませんが。


プランク・スケールの世界が意識によって返られるも のだとすると、どういうことが想像できるでしょうか?
物が相似形で出来上がっていることを念頭におけば、一番小さな単位の世界が変わってしまえば、目に見えるようなものでも、あるいは大きなものであっても、 あり様が変わる、ということはあるかもしれませんね。

目に見えるくらいのものは、意識では変更できないが、それを目に見えないくらい小さなところへ働きかければ、ひょっとしたら変わるのかもしれませんね。

良く願望達成というか・・・イメージ系の本には、「小さな小人が体の中に入ってきて、病気を治しているイメージをずっとしていたら、知らない間に治ってし まいました・・・」というようなことが書かれています。
検証していないので、何とも言えませんが、ひょっとすると、あながち間違ってもいないのかもしれません。
従来、そこでのポイントはイメージ、ということでしたが、そうではなく、「小さな」というところにあるのかもしれません。


子供に超能力がある、というのは良く書いていますし、いろいろなところで、見かける内容ですが・・・
子供と今の自分で一番違うことは何かと考えてみますと、ものの大きさというものがあるかもしれませんね。
すっかり忘れていましたが。

何でも大きく見えたように思います。
しかしながら人間ですので、当然、目視できる範囲内の事象を見るのだと感じます。
それでも、何でも大人より大きく見えますので、当然、大人より小さなものから対象になっているのでしょう。
ひょっとしたら、そのへんにも何かあるのかもしれませんね。

ちょっと試しに、ミクロの世界を意識してみようかとも感じます。

みなさんは、どう思うでしょうか?



また、マーヤとは、正に、このプランク・スケール以下の世界のことを指しているようにも感じます。
それはまた、大きなものを見るのではなく、ミクロの世界を意識すれば、よいのだよ、という意味にすら感じられます。

例の大きなツヅラと小さなツヅラの話は、本当は子のことを言っているのかもしれません。
「普通は、大きな箱では欲が強すぎる。小さいのにしておきなさい」、
というような意味に取るものなのでしょうが。


確かに、この大きい、小さいは3次元の世界を考えると非常に何か意味のあることのようですね。
人は成長すると、背が高くなります。
会社は成長すると社屋が大きくなります。
金額でもなんでも、数字は多くなると、桁が多くなります。
その他なんでもそうですね。

より大きなものを念頭において、目標を立てていくように3次元はできているような気がします。
そして、成長とともに、ミクロの世界から離れていく・・・本質とのつながりが薄くなっていく・・・。
ありえることのようにも感じます。


それをして、マーヤを象徴しているのだとすれば、何ともすごいです。







もっと想像していくと・・・
赤ちゃんというのは、ハイハイしていますね。
目線は地上10〜20センチくらいでしょうか?
日本人は旧来、欧米人より小柄ですし、床に座る生活をしています。
床からの目線は、大人でも1メートル前後でしょうか?
座高にもよりますが。
欧米人より目線が低いですね。


欧米人は大きいです、昔から。
そして、椅子の生活をしています。
床からの目線は、おそらく、自分の身長より、せいぜい、30〜50センチ低い程度ではないでしょうか?
すると、180センチの人なら目線は床から130センチ以上の所、ということですね。

何か、目線が上がれば上がるほどに、本質、時空とのつながりが薄くなっていくような印象があります。




少し気が早いですが、どうも、ひょっとすると、欲 を捨てる、とは、大きなものを見ないで、プランク・スケールの世界を見なさい、という可能性もあるでしょうか。
あるいは意味くらいあるでしょうか?

そうでないとしても、小さな世界には何かありそうですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?










3月2日です。

さて・・・・・・
養老孟司さんが、テレビに出ていました。

そこで、面白いことを言っていました。
「夫婦の性格は直角が一番良い」
というものです(笑)。
図にすると、
|__
です。
合力が一番大きくなるので、どちらか一方が成長すれば、それだけで、合力が増す、とも言っていました。

一番いけないのが、180度、で、理由は相反するから。
これは、___です。

同じ向き、というのも言っていましたが、これは、長さが大きな方だけいれば良い、ということになるので、やはりあまり良くない、ということでした。

面白いですね。





またアナウンサーが何かの質問で、「たったひとつ上げるとすれば何でしょうか?」と聞いたとき、
「ひとつ上げろ、と言うのは、分りやすいからなんだろうけど、困りますね。虫(研究している)が一番といったら、女房が私は?っていうだろうし・・・」

というやりとりをしていました。
これは選挙中の候補者や堀江氏がテレビに出ている時にも、やはり同じようなやりとりがありましたね(笑)。
私はこれは良く分かります。

ものごと単純だけれども、言葉にするのに、一言、一つ、というのはどんなに単純なことでも不可能だろうと思います。
テレビ的には良いのでしょうけれそも。
ひと言にした瞬間から誤解が生じていきますね。


またこんなことも言っていまいた。
確か、これからの時代だったか、若い人へだったかへの回答で、
「自分を大切にするということです。(分りますか?)」
と回答しました。
( )内は、言うには言ったが、どのタイミングで言ったか、忘れました。

するとアナウンサーが
でも、自分自分と言っている状態が悪いことを生んでいると言うような風潮がありますが・・・」
という内容のことを言いましたら、
「そう、だから難しいでしょう」
のように言い、それで時間が来てしまいました。

意味深ですね。










インターネットの掲示板に「平和論者集え」みたいな掲示板がありました。
私は、どちらかと言いますと内面の人間ですので(笑)、こういったものを見つけると、やたら長い文章を書き込むのですが、なぜか、これを見て、何も書こう という意志が沸いてきませんでした。

なぜだろうな?と思いましたが、どうもこれが森田健さんの言うところの「前提」ということなのだろうかな?と感じました。
私は森田さんがかねがね言っている「お金持ちは前提」という意味が、良く分かりませんでしたが、きっと、こういうことなのではないか?と思います。

私が言いたいことは、どうもいろいろあるようですが、「平和」を目標にしているわけではないようです。
平和はどうも前提であって、「当たり前」のようです。
ですので、その前提については、あまり書く気は起こらないようです。

みなさんは、この前提、という概念は分るでしょうか?

一応書いておきますが、「当たり前」だから感謝していない、ということではありません。
前提だ、ということですね。










さて・・・・・・
船井幸雄さんのサイト、フナイ・ドット・コムで紹介されていた「地 球核力 激震10年」(飯田亨:産業能率大学出版部:2006年発行)が本日届きました。

良くあたる占いの本で、今後何十年かの、世界と日本についての予想の本です。
字がやたら少ないですので、ほとんど読みましたが、面白いことがたくさん書いてあります。
明日以降、いろいろ書いてみますが、とにかく2008年くらいまで生きていれば、何か大きな変化があるようだ、と思わせてくるようなことが書いてありま す。

また、私の想像と合致するようなことも多く書いてあります。
石油に代わるエネルギーの登場、時間の概念が今までと一辺するだろう、目に見えない世界を扱う学門の台頭・・・などなどです。


明日以降、書いて行きます。









さて・・・・・・
同、フナイ・ドット・コムで、八正道について書かれています。
八正道については、船井幸雄さんの近著にも掲載されていますが、八正道の概略は同サイトによると、以下の通りです。
いくらか省略して引用します。


正しい生活
この世の中は、すべてが二つの組み合せからできています。
天と地、昼と夜、男と女、善と悪。
どちらに片寄っても、地上の生活は、なりたちません。
二つの組み合せが、たがいに調和され、
たすけ合っているから生命が育ち、
生きてゆけます。
苦の歩みをすてて、まんなかの道(中道)を歩くことを、大自然が教えています。
中道こそ、人間の正しい、生き方なのです。
中道の、みちしるべが、八正道です。
シッタルダーが、瞑想すると、八つのみち(八正道)が、心のなかからうかんできました。



一、正しく みる(正見(しょうけん)) 
あいてのたちばを考 え、自分を見ることからはじまります・・・。


一、正しく おもう(正思(しょうし)) 
正しくない思いかたは、いかり、ぐち、そねみ、どくぜん、足るを知らぬ欲望か ら、生まれます・・・。


一、正しく かたる(正語(しょうご))  
心はいつも平静でなければなりません。
正しい言葉は、おさなごのような、すなおな、 くったくのない心しかありません。


一、正しく しごとをする(正業(しょうぎょう))

仕事は、おかねもうけのためにあるのではありません。仕事は、さまざまな人生 の、けいけんをつむためであり、苦楽を学んでいく、だいじな修業場です。
みんなが輪になり、心を一つにすれば、世界は平和になります。
人生のありかたと、仕事の目的を、しっかり、身につけましょう。


一、正しく せいかつする(正命(しょうみょう))
正しい生活は、長所をのばし、短所をなおすことです。
つねに反省をし、自己中心からはなれて、ものに片寄らない、生活をすることで す。


一、正しく みちに しょうじんする(正進(しょうじん))
との道は、慈悲の心と、愛の行為です。わたしたちは、両親の愛、兄弟の協力、隣人、友人の たすけあいのなかで、生活しています。
 人をわるくいうまえに、自分を、見ましょう。ふへい、ふまんは、神様の慈悲と無限のめぐみを、忘れた心です。


一、正しく ねんずる(正念(しょうねん))
この世の中は、人の念によって、で きています。あれがほしい、こうもしたいという心が、いろいろなものを、つくりだしています。
 世の中には、人々に役だつものもあれば、ほろぼすものもあります。
 正しい念は、人にやくだつものです。それには、神さまに、心をあわせ、祈る心を忘れず、欲望を、つのらせてはなりません。
 いつも中道の心をわすれず、正しく、生きることです。



一、正しく じょうにはいる(正定(しょうじょう))
正しい反省は、心を高め、神さまに 通じます。
 今日一日の生活をふりかえり、友達や両親、兄弟たちを、困らせたりは、しなかったか。もし、困らせたり、自分だけ楽をしていたとすれば、そうした心は、 どうして生じてきたか。反省は、こうした心の動き、行ないについて、右にも、左にも、片寄らない慈悲と愛の、神の物差しをもって、自分をながめることなの です。


(以 上)






詳細はフナイ・ドット・コム にありますので、ご覧ください。
フナイ・ドット・コムへの要望:字の
大きさを小さな字にして固定フォントにしてありますが、私のように視力が良くない人や高齢者には読みにくいので、せ めて固定にするのをやめて欲しいです。そうすれば、ブラウザの設定で簡単に大きくなります。
そうでないと、ユーザー補助の設定を変えなくてはなりませんので、大変です (笑)。


これは高橋信次さんや、井出章彦さんなども掲げているのです。


いつだったか、この八正道について、「内容は詳しくは知らないが、池田邦吉さんの本で、九州の八正道こそ人のある道だ、と唱えるグループが議論に来た、と 書いてあったのを見たことがある。少し読んだ限り、両方とも似たようなことを言っているようだが・・・」のようなことを書いたことがありますので、関英男 さんが講義していた先心についても書いておきます。



(関英男さんの「高次元科学2」(中央アート出版社:1995年発行)の110ページよりレイアウトを変えて引用)

(引用開始)


洗   心
宇宙想像の神がすすめる霊性を高める方法

@いつももつべき正しい心。
強く(Be strong)
明るく(be cheerful)
正しく(be righteous)
我(が)を折り(Be humble)
宜しからぬ欲を捨て(Abandon avarice)
皆なかよく、相和して(Maintain harmonious friendship)
感謝の生活をなせ(Live in gratefulness)

A心のなかからなくすべき感情。
憎しみ(hatred)
不満(Discontent)
嫉(ねた)み(Jealousy)
疑い(Doudt)
猜(そね)み(Joundice)
迷い(Bewilderment)
羨(うらや)み(Envy)
心配心(Anxieety)
呪い(Curse)
咎めの心(Reproach)
怒り(Anger)
いらいらする心(Irritation)
不平(Dissatisfaction)
せかせかする心(Restlessness)



(以上)



この2つはやはり、極端には違わないように感じますが?
みなさんは、どう思うでしょうか?






で・・・・・・私は、自慢できるくらい、今まで反省してきました(笑)。
もちろん主観ですが。
詳しくは、バカ話以外の何モノでもないですし、お涙頂戴話になってしまいますので書きません。

簡単にだけ書けば・・・
20代、30代は運命、見えない世界が3次元に及ぼす影響などというもの意味など詳しくは分かりませんでしたので、結果が出ない=やり方がおかしい、とい うことことで、ひたすら自分の器量の中で努力と反省をしました。

知識も当時の私の器量で集まられるだけ集めて参考にしました。
確かに、努力しますと、中にはある程度の成果、結果の出るものというのもありました。

当時はいまほど精神世界の本なども一般的ではなかったですので、営業をうまくやるために福富太郎さんのハウ・トウ本を読んだり、社会で生きるには男らしく ならなくてはいけないと考えて安藤昇さんの本やらなにやら読んだり、どうも本当らしいことを言っているようだ、と思い竹村健一さんの本を読んだり・・・な どなど今考えると実に子供っぽいこともしました。

もちろん、先輩のやっていることを盗んで、真似したり、こうでだめだからこうしようと、一定期間で成果がでないと、たえず、反省し、その逆の方向をやって みたり、というようなこともしました。

どうも、体に関することは努力しますと、うまく行くことが多かったですね、昔は・・・。
体が硬かったですので、お相撲さんの話を参考にして強引にスジが切れるまで体を曲げて、体を柔らかくしたりもしました(笑)。
腿が紫色にはれ上がってしまい、しばらくまともに歩けませんでしたが、お陰で今でも前屈はピタンと下まで掌が付きます(笑)。


しかし、結局最後には、これ以上反省すら浮かばないところまで「自分は間違っているに違いない」と思い込み追い込んだりもしましたが、それでも、一体3次 元でどう生きていけば良いのかということは分かりませんでした。
もっとも、今でも完全には分かりませんが(笑)。

ただ、こういったこととは別に、高次元的なことにも興味を持っていたのは確かで、それと3次元的なことを本格的に結びつけて考えてみようと思ったのは、比 較的最近・・・ここ10年くらいでしょうか。









で、何が言いたいかと言いますと・・・

例えば、今日もテレビでやっていましたが、若い起業家たちでIT産業での起業を目指している人というのは、嘘の報道でなければ、やはり堀江氏のような人を 見て、憧れるわけですね。
それはつまり、「ああなりたい」だけでなく、方法論、から場合によってはライフスタイルまでそうしたりする可能性だってあるわけです。
流石に、好みの問題でしょうか、外見まで堀江氏のまねをしているな、と思わせる人はあまり見ませんが。



昨日は、いろいろな自営業などを起したりした後、うまくいかなくなり、2年も3年も立ち直れなかった人達が、たとえば矢沢栄吉さんの影響を受けて立ち直っ た、とかそういうことをテレビでやっていました。
みな、私と同い年くらい・・・40代前半くらいの人達でしたが。


で、結局何が言いたいかと言いますと・・・・・・
・・・良く分かりません(笑)。

本当は、最初は、もっと若者にも、一般的な若者にもとっつきやすい言い方は無いのか?と書こうと思いましたが、どうもそうではないようです。

やはり、”本当はどうなんでしょう?”
が解決されていないように思います。



八正道が正しくない、とは思いません。
しかし、やはり精神世界を語るには、六爻占術をクリアしなくてはいけないのではないでしょうか?

六爻占術を避けて通るのは、これはある種、大槻教授が、見えない世界を”政木和三さんばりの精密な実証”をすることなしに否定し続けるのと似ているように 感じます。
(政木和三さんは、検証の結果、”ある”と判断して、それから不思議なことが起き出しました)


こんなことを考えてみてはどうなのでしょうか?
前の文明が滅亡した時にも、やはり100%当たり、99%運命変更ができる方法が見つかっていた。
しかし、当時の精神世界を語る人達は、今回と同じようにそれと接触することを拒み続けた・・・。



トランスチャネラー同伴で良いのだと思います。
六爻占術を目の前にして、宇宙意識や高次元にいる高級霊、神のコメントを聞いてみたいです。

そうしたら、
「実は努力なんかしなくて良いのです。だって努力なんかしたら、欲でいっぱいな人間になって場が取れなくなってしまいます。そうしたら運命変更できません ね」
というかもしれません。

もちろん、多くの方は、
「そんなもので、運命変更などしたらいけません。そんなことをしたら、人生で修行ができなくなってしまうでしょう」
と言うと思っているのだと思います。

私は利害関係はありませんので、それならそれで良いです。
真実が知りたいだけです。


やはり、六爻占術と真剣に対面することなしに、次は語れないのではないでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?



追記風:
八正道は確かに、きっと高橋信次さんの生き方は100%表現されているのかもしれませんが、私にはどうも、政木和三さんの生き方が80%しか表現されてい ないように感じます。
どこなのかは、まだ分りませんが。

















3月2日です。
明日はひな祭りですね。


さて・・・・・・
最近、青い閃光(球状)が目に走るのですが(笑)、これは目の病気でしょうか???
直径、2,3ミリの円形です。
パッと光って消えます。
瞑想をしている時に現れる雷状の閃光とは違います。
眼鏡をはずしている状態・・・特にシャワーを浴びている時などにこれが良く現れますが、何でしょう?
もちろん目を開けている状態です。

よく幼少の頃、まぶたを手で押さえると、青いきれいつぶつぶが見えますので、しばしば抑えていました(笑)。
これは、何かの本に白血球だか何かが見えるのだ、とあったように思います。
(目が悪くなるので、やらない方が良いです)
あれと似たような感じなのですが、最近のは、まぶたも押さえませんし、もっと明るいですし、パッと閃光のように走ります。
これが、タマユラのように良くあることなのか、目の病気なのか、なんだか良く分かりません。
分る人はいるでしょうか?


ついでに書きますと、裸眼と眼鏡状態では見え方が違いますね・・・。
裸眼は0,1くらいなのですが、どこを見ても、薄い右回りの渦が見えたりします。
極度な近視ですので、目の中のゴミなども見えてしまうのですが、それらと似たようなものでしょうか?
だれか知っていたら、教えて欲しいですが・・・。


ここからは、単なる想像ですが・・・
乱視というのがあるのですが、私もそうです。
乱視状態のものの見え方と、良くオーラや氣が見えるという人の描写が、非常に似ています。
ひょっとしたら、乱視ではなく、そういうものの見え方がする人というのは、思いのほか多いのかもしれませんね。
但し、そういう状態の説明をあまり目にすることがありませんので、光学的に強引に矯正してしまっている、というケースもあるのかもしれません。

乱視の方、どう思うでしょうか?







で・・・
禁煙・・・というか減煙(笑)をがんばっていますが、案の定太りました(笑)。
飴を舐めたり、甘いものを食べたりしていますので。

しかし、干し柿はおいしいですね。
昆布やタラロールなどの乾物も試していますが、おいしすぎて、食べ過ぎます(笑)。
だれか、よい禁煙方法を知らないでしょうか?









なんでも、ソニーが物作りへ戻っているそうですね。
よいことのように感じます。

第一思いますのは、自分でMDとか出しておいて、デジタル・コピーの音の良さに驚異を感じる政策を取る、というのは変な話ですね。

同時に、WAVからWAVのコピーという・・・いわゆる本物→本物コピー禁止にこだわるのも変ですね。
なぜなら、もうMDへの音質を落としたコピーで一般民衆は満足している、というのに、それ以上音の良いものがどうであっても、同じではないかと思うので す。

せいぜい気にするのは、私のようなオーディオマニアか、放送関係、海賊盤作成関係者くらいではないでしょうか?

私はもうダウンロードもでき、MDにも焼け、CD-Rにも焼け、MP3プレーヤーにもダビングできる究極のミニコンポを発売しても良いのではないかと思い ます。

いっそのこと、無料にして、広告収入で稼いだらどうなのでしょうか?
これは、どのメーカーもサイトもそうですが。


あるいは、PCや少しむつかしい機械を操れない方向けに、ダウンロード料金だけで、オリジナルCDを作ってあげたらどうなんでしょうか?

クラシックで「この曲とこの曲だけ聴きたい」という人などは、結構多いのだと思います。
特にもう趣味が固定されてしまっている比較的お年を召した層などには。
外側包装も簡略化し、いくつかのパターンからCD表の印刷、ジャケットの紙などを選択肢、その上で、曲と曲順を専用申し込み用紙か何かに書き入れてCD ショップ、電気店で申し込む、すると、それが完成して、送られてくる、というわけです。
ダウンロードよりよっぽど、いいように思いますが。
もっとも、ハードも売りたい、ということなのでしょうから、いろいろあるでしょうが。

ただ、もうすでにサーバーに曲は入っているのでしょうから、番号だけ入力していけばすぐにCDはできるでしょう。
後は、CDに好きな写真を印刷するとか、アーテイストものなら、「生声」で、「おはよう!きょうもがんばってね!」WAVなどをオープションで入れてあげ るとか、何かそういうサービスを考えれば商売になりそうな気もしますが。

そういう自動販売機も面白そうですね。



ただ、世界をまたに駆けている大メーカーだと、そんなこそくな儲け方法にはきょうみがないのかもしれませんね。
そこがまた、低迷の原因でもあるのかもしれません。
一種のホリエモン現象的なものを感じます。

一攫千金を夢見ているわけですね・・・ソニーとかは。
体が大きいですので。
しかし、人間一人の大きさは3次元では、昔からそう変わっていないはずです。
一人が支払ってもよい、と感じる金額とか、そういう話ですが。

そうなると、思うに、もう大企業家は止めて、部門ごとに切り売りするなりして、小さな会社を目指す、というのも一つの手ですね。
縦割りもいけませんが、大きすぎて、何をやっているか分からない、と言うのも、またきっといけないのでしょう。

みなさんは、どう思うでしょうか?













さて・・・・・・
「地 球核力 激震10年」(飯田亨:産業能率大学出版部:2006年発行)です。
文章が短いですので、引用していくと、本をほとんど写してしまいそうです。
ですので、極力引用を避けて紹介してみようと思います。

まず、あまり硬くないところで、私個人に関するような箇所から始めますが・・・
この方式の分類では私は、私は

4月5日〜5月4日 辰[9]年辰[3]月 南北 [6]型

ということになります。
分類だけなら、自然法則学会 のサイトで調べ ることができます。
これで、別に私の未来がデジタル的に分る、ということではありませんが、性質的には、そうだったのか、と思わせるものがあります。

「地 球核力 激震10年」(飯田亨:産業能率大学出版部:2006年発行)の137ページに説明がありますが、これは・・・
平等で、融和型社会を本分とし、権力社会を破壊し、平等交流し、左右均衡の中で能力を発揮するようです。

私はどこかで自分のことを、上にたたなくては能力が発揮できない、上下型なのかとも思っていましたが、どうもそうではないようです。
確かに思い当たるところはありまして、私が上にいると、つまり、えばりませんので、対等が築けるのではないかと勝手に想像します。
しかし、下にいますと、多くの人は私より上になりたい、と感じているようですので、対等にしようとしますと、それはつまり攻撃も能力の不要なひけらかし も、追い越し行為もしませんので、要するに相手の思う壺なわけですね(笑)。

加えて、上にもあるように・・・これは自覚していますが、私はえばっているヤツを自分のところまで引きずり落としたい気持ちがいつもありますので、相手が 私を下へ下へと方向付けたいとなれば、うまくいくはずはありませんね。

私の場合、引き摺り下ろして、どうするかと言えば、別に私の下に付けようだなんて思わないわけです。
対等ならよいのです。
もちろん、役職についているなら、命令されても構いませんし、給料をたくさんもらっていても構いません。
ものを教えてくれてもありがたいですし・・・
要するに対等に付き合えるように状況に作り直したいという見えざる要求、と言うか、生まれ着いての何かがあるように感じます。

ですので、人間関係において、上下しかない、と思っている人とは、うまくいったことはありませんね。
私や下にもなりませんが、上にもなりませんので。
きっと、そういう人には未知の状態なのだと思います。
受け入れる枠がないのでしょうか・・・。


ただ、わきまえる、ということは、どうも”してしまいます”ので、たとえ対等でも、丁寧語を話さない年下とは、うまく行きません。
彼らが為口を聞くことは、それだけで、彼らがこちらを下だと思っていると感じてしまうのですね。

私は、愛の告白ができない人間の癖くせに、子供や動物とは遊べます(笑)。
これもきっと、言葉で上下を感じないからでしょうか。
子供がため口をきいても、何とも感じません。
動物には小さい頃からため口ですね(笑)。
インコのヒナに、ため口でえさをやっていました(笑)。

その意味では英語を話していると、だれともうまく行きます(笑)。
言葉で上下対等を氣にする必要が極端に少ないです。

これだけは、西洋の私にとっての良い点だと、感じています(笑)。



これらから考えると、なんとも、当たっていますね。
こういうもの言いで、ここまで当たっていると気持ち良いです。

すぐにすべて引用できるくらいの量しか書いてありませんので、これ以上は中に身ついては書きませんので、興味のある方は、ご自身でご覧ください。















さて・・・・・・
2008年4月から2009年3月にかけて、多くの 大変革が起きる、と予言しています。
いくつも書いてありますので、ひとつづつ書いていきます。

まずは、精神世界関係ですが・・・

61ページには、「精神革命の潮流がはじめておこる」(引用)としています。
「人間を含む新しい社会構造の全体をとらえる新しい学術の誕生」(引用)という言葉がありますが、なんとも意味深げですね。
だれかが、何かをするのでしょう。

その後のページに「なぜ精神大改革が招来するのか」、「何をもって精神大改革とするのか」、「超自然的精神科学が台頭する」、「各種学術分野に革命がおきる」、「学術分野にヒーローが続々誕生」などの精神 世界の新しい波を感じさせるようなことが書かれています。


できるだけ暗記した内容で書いていきますが、とにかく今までの経験に捉われないようなことであり、物理計算では分らない種類のことのようです。
そして、目に見えない世界のことであり、自分とは何か?を地球との関係においてあきらかにするようなことである、としているように読めます。

61ページにはキーワードとして(引用開始)「新しい東洋」、「新しい陰陽観」、 「新しい自然観」(以上引用)という言葉が書かれています。
また86ページには、(引用開始)「時間の特性を調べる分野」、「人間精神の因果経緯を調べる分野」、「地球と人間と時間の相関関係を調べる分野」(以上 引用)、にニューヒーローが出てくる、と書かれています。




この方の研究のおおもとに「時間の概念」というものがあるからかもしれませんが、「新しい時間の概念」というような言葉に関係したいろいろな言葉が登場し ます。

ここら辺は、私も興味があるところですので、大変面白いです。



また、「あらゆる上下関係がなくなっていく」というようなことも書かれていますので、私のような人間には良いのかもしれません。
ただし、この方の予言では、大統領級の存在感でこれからの世界を変えていく、という人間には、私の属している6型はないようです(笑)。
それは、ブッシュさんなどを含めた存在であるようですので、良しにつけ、悪しくにつけ、ということのように読めますので、出てこない方が、身のためではあ るようです。








さて・・・・・・

「各種学術分野に革命がおきる」
、には興味深い内容が書かれています。
と言っても、大きな字で9行ほどしかないのですが。
どんな内容かと言いますと、
「精神科学などの目に見えない学術で、新発明、発見が続出するだろう。それは物理系さんえは表わせない理論の世界である。」
というようなことです。

この方の予言があたるとすれば、やはり、精神世界的なことで、何か大きな・・・一般レベルにまで及ぶようなことが発見させるのでしょうね。


そして先の86ページの、(引用開始)「時間の特性 を調べる分野」、「人間精神の因果経緯を調べる分野」、「地球と人間と時間の相関関係を調べる分野」(以上引用)、にニューヒーローが出てくる、をあわせ て考えれば、精神世界の前途は明るいですね。



時間の特性、と書かれているので書くわけではありませんが、それでも、変に問われたように思いつきましたが、
例の天外伺朗さんの時間に関するものですが・・・

やはりプランク・スケール以下の世界に何かあるようだと考えさせられますが、
政木和三さんなどが言う脳波が下がり、アルファ波、シータ波となると本質に通じるということ、
あるいは同じく政木和三さんの言う、脳波がこのような状態になると1年が・・・というか3次元の時間がのもすごく短くなり、瞬時で未来のことまで見通せた り、ものすごい速さで物事をこなしてしまうことができてしまう、というようなことをあわせて考えますと、脳波と時空のスケールには何らかの関係があるので はないだろうかと想像します。

単純化すれば、脳波が下がれば、時空のスケールがものすごく小さくなっていく。
そのことにより、時間と空間に、通常の3次元では考えられないような現象が起きる、ということがあるのかもしれませんね。

小さな世界に、非常に惹かれます。
茶室も、無限の宇宙を感じる、というような意味があるようですが、ある意味母親のお腹の中のようでもあり、プランク・スケールのようでもあり、あるいは男 性が良く作りたがる秘密の部屋(エッチな意味ではない)でもあり・・・きっと、みんな無限の高次元という意味において、繫がっているのかもしれません。



みなさんは、どう思うでしょうか?









2,3日前、ニュースで世界中の高校生にとったアンケート結果で、何を望むか?という質問で、他の国の学生の70%前後が「学校の成績をよくすること」と 回答していたのに対して、日本の学生は2〜30%で・・・
暮らして行けるだけのお金を稼いだら、残りの時間は、楽しむことに時間を使いたい、というようなことであった、と言っていました。
裏覚えですので、若干違うかもしれません。

この本にも、2008年4月以降、農地への回帰が起こり、町のあり方が変わってくる・・・というようなことが書いてあります。
今の高校生たちが2008年には20歳くらいになるわけですが、何が起こるのかは分かりませんが、何か大きなことが起きるかもしれませんね。

たとえば・・・自治医科大学ではありませんが、卒業生は、どこそこで、 農業に卒業後何年関わる、という約束で、授業料金が無料の農業大学ができたらどう なるでしょうか?
あるいは、卒業したら、農地を何年か、無料で貸し与える、その後、場合によっては特価で、譲渡しても良い、という条件の農業大学だ開校したら、どうなるで しょうか?

私は案外、高人気を得るような気がします。
ちゃんと大卒です(笑)。
また、個人事業主の権利を与えられたようなものです。
そして普通の会社に就職したら、10年くらいかかる独立資金をもらえるようなものです。
結果として、農業人口の増える、地方に人も増える、なにより、若者が農業を欲している・・・。


もし、そういう大学があるなら、私は、願書を取りに行くかもしれません。
来年入学を目指してしまうかもしれません(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?












3月4日です。

さて・・・・・
いろいろ考えますが・・・・・・
リーダー役をやる、ということと、上下、上にたつ、下につく、とは少し意味が違いますね。
私はこれも、長いこと迷っていました。
中学生の時までは、迷い無く良くいわゆるところの”リーダー役”というのをやっていたように思います。

しかし、その後ころから、人の上下に疑問を持ちましたので、人を指揮する、ということが極めていけないことのように感じ始めました。
学生時代の私は自慢するわけではありませんが、ある程度運動もでき、勉強もできましたし、まじめで実直(あまり自分で言う言葉ではありませんが)そうな雰 囲気が漂っていましたので(笑)、何かというと、そういう役割が回ってきました。
学級委員の選挙では、望むと望まないとに関わらず、ほぼ毎回何票か入ってような感じです。

しかし、人を指揮することに疑問を持っていましたので、当然、そうされることに悪い感情を持っていました。

ただ、最近思いますのは、リーダーというのは水先案内人だな・・・と。
その意味では、別に上下もなにもありませんので、良いのではないかと感じます。


ただ、人を測る基準が異様に少ない組織内では、やはりリーダーになることに嫌悪感のようなものが付きまといますね。
その意味では野球は好きです。
どういうことかと言えば、打率、ホームラン数は元より、盗塁、打点、守備、出塁率、等々、選手をい査定し評価するのに多くの基準がありますね。
打者に限らず、ピッチャーだってそうです。
勝利数、勝率、中継ぎ、押さえ、等々ですね。

もっとも、中継ぎで、まだまだ評価の基準が確立していないようではありますが。
これから良くなるでしょう。

少なくとも、ホームランと勝利数だけで評価される組織では、ホームランと勝利数にすら、興味がなくなります。

まだまだ未熟者のでしょうか(笑)?











梨花(リンカ)さんという芸能人がいますが・・・
私は、なぜか生まれて以来、ハーフの女性が好きなようでして・・・梨花さんは好きです(笑)。

その彼女が手例に出て、次のようなことを言っていました。
「すごい嫉妬の強い彼氏と付き合って、それまでは、私は嫉妬なんてぜんぜん感じたこともなかったんだけど、その彼と付き合ってから、嫉妬というのがどうい うものが分って、私も嫉妬ということを覚えた・・・」
というものです。

私はなんとなく分かります。
これを聞いて、ふと、その事実を思い出した、という感じです。
そうすると・・・想像ですが、やはり今でも本当は嫉妬なんていう感情は、生まれてきた時点では人は持っていないのではないでしょうか?
そして、どこかの時点で、嫉妬というものを人から教わる・・・と言いますか、うつされるのではないでしょうか?

それは、人の場合もあるでしょうし、テレビなどのマスメディアなどからの場合もあるのかもしれません。

どうも最近意識してみているせいかもしれませんが、テレビの視聴率獲得法のひとつに、「なんとか嫉妬の原理をおりこんだ番組にしよう」というのが見えるよ うに感じます。

例の「勝ち組、負け組み」、「負け犬」などという表現もそうですし、その他、二元性と言いますか、上下と言いますか、そういうものを無理にでも織り込んだ ような番組構成がやたらに目に付きます。



この嫉妬というのは、私が止められない(笑)たばこに似た性質を持っているのかもしれませんね。
私がたばこを止められないのは、ニコチン中毒的なものもあるかもしれませんし、ニコチンにそもそもいくらかの常習性もありますし、最大のものは、嘘か本当 か、精神安定作用がある、という触れ込みが刷り込まれているからだと思っています。

私はタバコを吸い始めたのは、30代になってからです。
家族からの薦めてで(笑)、精神安定のために吸った方が良い、というので吸い始めました。
反省したわけです(笑)。
私はたばこが大嫌いでしたので、両親は吸いますが、私は絶対に吸いませんでした。
しかし、一度目の大病の後、「何かが間違っている」と感じ、吸い始めました。

今では「止めたほうが良い」と言われますが、なかなか止められません(笑)。

止められないのは、「いらいら」してくると、タバコで安定しよう、という動作が身に付いているからだと思います。
ですので、根が深いですね。


で、それと嫉妬がどう関係しているかと言えば・・・
嫉妬は、相対性、二元性の権化のような存在ですので、目標・目的を作る作用と、それをクリアした時の達成感、嫉妬している状態での一種の”酔い”、といっ たものと一組になっているように思います。

それらは、どうも思いますに、人間がもし本質とのつながりを絶ってしまった状態では、
3次元で生活する上で、快適になるための一種の麻薬 効果があるのではないかと想像します。


それ故、嫉妬はいけない、と仮に理解できても、「目標を持つのは良いことだ」という概念や、「目標をクリアできた時の達成感」、「嫉妬している時の酔い」 などが、それから放れにくくしている、という点において、たばこと類似性があるように感じます。

ですので、私は飛行機の中では、まったくたばこを吸いたいと思わないですが、吸える状況ならば吸いたくなりますし、なんとか吸おうと思います。

同じように、きっと嫉妬なんてものは、一切捨て去られた状況下であれば、結構多くの人が、簡単に捨てられる可能性はあるのですが、たばこの自動販売機と一 緒で、こう年がら年中マスコミで流しますと、やはり常習性故、それを見よう、という気持ちが働くのではないでしょうか?


要するに、たばこにおけるニコチンが、マスコミにおける嫉妬である、ということですね。
想像ですが。



しかし・・・
相対性、二元性と一人一人の違いというのは、別もののようです。
私が幼少〜小学生の年少の頃の時代を思い出しますと、幼稚園、学校、近所を含めていろいろな友人がいました。
顔に大きなほくろのある大阪弁の友人、母子家庭の友人、新興宗教を親がやっている友人、トイレまで着いている自室のある友人、大企業の寮に住んでいる友 人、ある日突然、夜逃げでいなくなってしまった親友、などなど。

しかし、おそらく普通だと思うのですが、私はぜんぜん相対性・・・つまりどちらが恵まれているとか、社会的にどちらが上だとか、そんなことは考えませんで したし、感じませんでした。

これを、「社会的知識がないからだ」と言うのは、どうかと思います。
社会的知識を付けて、変な相対性を身に着けてしまうのならば、そんあ知識はない方が増しかも知れません。
もちろん、社会にはいろいろな危ないことがあるんだよ、というような知識は確かに役に立ちますし、それよりもっと、好奇心をくすぐることもあるんだよ、と いう知識の方が役に立つかもしれませんが


それでも、違うんだな、とは感じていました。
それは違いますね、当然です。
それを考えると、やはり、単純に違いを感じる、と相対性を感じるを一緒にするのは、きっと違うのではないかと思います。

やはり、はじめに嫉妬はなかった説を私は、しばらく持っていようと思います。


みなさんはどう思うでしょうか?





ちなみに・・・
お涙頂戴話になりますが(笑)、上の夜逃げしてしまった友人ですが、本当に仲が良かったです。
いろいろなところへ遊びに行ったりしました。
毎日、私は自転車に乗り、彼のアパートの前まで行き、そいつの名前を呼ぶのです。
いれば出てきます。
しかし、ある日、私がいくら読んでもだれも返事をしません。
そいつがいない時は、お母さんが出てきて、「今、いないのよ〜」と言ってくれていましたが、その日はそれもありません。
私はその日何度も、同じようにアパートの前に行き、そいつの名前を呼びました。
家に帰って、「もう、戻ってきているかもしれない」と思い、また自転車でそいつの部屋の前まで行きます(笑)。

どの時点で聞いたのかは忘れましたが、家族が、「○○君のうちは夜逃げしたので、もう戻ってこない」ということを教えてくれました。
それでも確か、その後何日かは、同じようにそいつのアパートの前まで行き、名前を呼んだように思います(笑)。

この「帰って来ているかもしれない」、という気持ちは、インコが死んだ時、体が硬くなってきたので、「生き返るのかもしれない」と思った感覚に似ている なぁ、と今思いました(涙)。

不思議ですが、この友人もインコも私の人生で後を引いていないのです。
おそらくは、思いっきり悲しんだし、思いっきり何度も、名前を呼びに行ったからではないかと想像しますが、本当のところは分かりません。


ちょっと思い出したので書いてみました。










さて・・・・・・
「地 球核力 激震10年」(飯田亨:産業能率大学出版部:2006年発行)です。
2008年4月〜2009年3月ですが・・・
(引用74ページ)「テレビ、ネット、新聞、放送が完全に一体化する」(以上)と書かれています。
そして、「それらが、情報過多により、人に情緒不安定をもたらすので、徐々に視聴覚を休ませる時代になる」としています。



この一体化が、堀江氏などが言っていたような、すべてがPC画面上に統括されるような状態なのかは書かれていません。
資本関係が一体化して、大マスコミ連合できるのかもしれませんね。

まだ地上デジタルの年ではありませんので、テレビを介しての双方向ということでもないように思います。

思うに、リアルタイムニュースの紙版というのは、あるかもしれない、と感じます。
イメージでは、A社ならA社のニュース・サイトが存在し、そこに、入ってきたニュースが、全てアップされていきます。
そして、街中には、印刷機能の付いた端末器のようなもの置かれます。
そこで、昼の2時なら2時に、100円を入れると、高速プリンターにより、その時間での最近のニュースが瞬時に印刷されて出てきます。
後はそれを読むだけです。
もちろん、広告なども印刷されるでしょう。

少なくとも、運送費用、配送費用、がなくなりますね。


あるかもしれません。
みなさんは、どう思うでしょうか?





(引用58ページ)「2008年4月に石油が大暴落する」ともあります。
これは、石油に代わるエネルギーの開発や何らかのできごとによるものと予想されています。

私事で言えば、政木和三さんが特許を放棄した、無公害エンジンはどうなったのか知りたいですね(笑)。
水素エンジンのことなのでしょうか?

なんでも、ブラジルだったか、どこかの国ではエタノールを原料にした車が売れているようですね。
その国で精製できるので、ガソリンより安く、公害も少ないそうです。
日本だとエタノールの輸入費用で、今のガソリンとあまり変わらないようですが。
そうなると、燃費ではガソリンの方が上のようです。


但し、何も、これだけではないでしょう。
もっと違う燃料が出てくることも考えられますね。

重力をどうかすれば、よいのでしょう。
たとえば、リニアモーター・カー理論ですね。

あるいは、政木さん式の重力を媒介する物質を通さない何かが開発されると、ものすごいようですが、果たしてどうでしょうか?

みなさんはどう思うでしょうか?













3月5日です。

なかなか次の写真へ行きませんが、次に行くときは大抵、何を書いて良いか分らない時に、きっかけを作りたくて、移りますので、要するに、最近はなぜか、書 くことが”ある”ということなのだと思います(笑)。

今日テレビで、
和宮親子内親王(か ずのみやちかこないしんのう)
について、やっていました。
(この振り仮名はどうやって出すのでしょうか?)
14代将軍徳川家茂(いえもち)の正室として有名ですね。

私は本当に歴史を知らない人なのですが、この方も、明治維新の際の江戸城無血開城に大きく関係しているようですね。
初めて知りました。

なんでも、徳川家茂死後は、京都にも戻らず、家茂への愛の強さもあり、出家していたそうですが、15代将軍徳川慶喜の依頼で、朝廷へ手紙を書き、徳川家の 存続をお願いしたそうです。
その手紙は数回に渡り、「もし徳川を打つというのなら、自分は朝廷の人間ではあるが、徳川方の人間として、運命を共にします。ですので、お助け下さい」と いう内容だったようです。

どうも、学校で教える歴史は、あまりに簡略化し過ぎて、この江戸城無血開城にしても、和宮さん、山岡鉄舟さんなど、ちゃんと教えておくべき人物というの は、何人もいるようですね。
40歳を過ぎて、始めて知ることが多すぎます(笑)。

思うにここら辺のできごとは、私にとっては歴史ですが、70歳前後くらいの方にとっては、歴史というより、親などから聞き伝えで、頭に入っている可能性も ありますので、「わざわざ教科書に書くことではない」とでも思われてしまっているのかもしれませんね。

私は年号の暗記より、ここら辺の”人”
tついてもっと時間を割いたり、テストで、「無血開 城に おいて、あなたが一番重要だったと思われる出来事を、あなたの考える理由と共に記述しなさい」のような問題を出したりした方が、よっぽど、よいことのよう に感じます。

みなさんはどう思うでしょうか?


ちなみに、この仲の良かった家茂と和宮のお墓は、東京・芝の増上寺にあるそうです。
あそこも、何度も何度も行ったことも、前も通ったこともありますが、そんなことはぜんぜん知りませんでした。
一般参拝はできないそうですが、私は無血開城に関係した人には、全員興味があります。
次に前を通る時には、今までといくらか違った気持ちを持つことになるでしょうね。







さて・・・・・・
政木和三さんの脳波が下がると時間が・・・という話ですが、政木さんの本によると、「1秒間で300年になってしまう」ということです。
どうしても、プランク・スケールを感じてしまいます。




で・・・・・・
椅子の生活を止めて、数ヶ月になりますが、正座をしても足はしびれませんが、膝が痛くて困りますね(笑)。

また、肉を止めて、2,3ヶ月になりますが、今のところ、大きな変化はありません。
肉の臭いをかいでも、昔のように「おいしそう」とは思わなくなったくらいでしょうか。
お通じは快適ですが(笑)。





花粉症についても天気予報などで、良くやっていますね。
今日などは、アナウンサーが、「絶対勝ちましょう」などと言っていましたが・・・
私は花粉症ではありませんが、以前、ひどい鼻炎でしたので、思うところがありますが、本当はできるだけ鼻へ神経を向けない方が良いのだろうな、と感じま す。

普通の状態であっても、鼻に必要以上に神経を向けますと、だんだんつまってきたり、どうでもよいことが気になったりしてきます。
なんと言うか、気にしていますち、そこの神経が、過敏になってっくるように思います。
すると、小さな出来事が大きな症状に感じられ・・・の連鎖で、あまり良いことにはならないように感じます。

私のいくつかの病気の体験では、「○○には神経がない・・・」と唱え続けると、過敏なった神経がだんだん元に戻ってくることがあるようです。


まさかとは思いますが、花粉症も、だれかが人の意識を薄くするために画策していることのひとつだったりするかもしれませんね。
単なる想像ですが。

いずれにしろ、今日見たテレビのように、あんな大きな声で、「勝ちましょう・・・」だなんてことは言わないほうがよい様に感じます。
みなさんは、どう思うでしょうか?







北里柴三郎さんのことをテレビでやっていました。
いろいろ言っていましたが、私は無知なので何でも感動してしまうのですが、血清というものの説明をしていましたが、あれは・・・
病原菌の毒素を動物に入れ、そしてそれによって動物の血液内で毒をやっつけるために抗体ができ、それを取り出して人間に注射すると、病気が治る、というこ とのようです。

そういうことか、と思いました(笑)。
これで、次に例のダスティン・ホフマンの映画を見るときには、もう少し緊張して見ることができるかもしれません。


でも、この血清療法というのは、北里さんが発見したもののようですね。
明治維新からそれほど経っていない時代に、ドイツ留学中とは言え、すごい人です。








さて・・・・・・

「地 球核力 激震10年」(飯田亨:産業能率大学出版部:2006年発行)です。
2008年4月〜2009年3月ですが・・・
83ページには、(引用)「地球自然学的精神科学が台頭する」(以上)とあります。
その中に(引用)『「我、考える」にあらず、「我、なぜ、そのように考え振舞うか」を探求する時代がくる』(以上)とあります。

非常に漠然とした短い言葉ですが、なかなか深いですね。

これを3次元的に迫るのか、高次元的なアプローチをするのかでも、いくらか違うでしょうか?
私は、最低限、輪廻転生が常識・・・つまり肉体と生命体の存在が常識になるところまでは、2008年くらいの時点でならないものだろうか?と感じます。




またこの方の予言の特徴に、「個人重視の時代」というような言葉がよく登場します。
企業のあり方から、教育のあり方・・・いろいろなところで個人重視の傾向が出てくるとしています。
ただ、おそらくは、そうであっても、アメリカ的なものではないでしょう。

何をしてアメリカ的と言うかといえば、きっと弱肉強食でしょうか?
要するに、自分だけが大事、という意味ではない、ということですね。

そして、内容的には、少なくとも、「これをやれば、どんな人間でもお金持ちになったり、えばったりすることができるので、その能力を伸ばす」というような 教育もなくなってくれるのではないでしょうか?

ここら辺は、3次元的には同書にある”年金、税制の破綻”、”農地、地方へ人口の移動”というようなこととも関係してくるでしょうし、高次元的には、もっ といろいろあるでしょう。







どうも、この本は文章が短く、ちょっと深く行きますと、全て引用しなくてはならないようなことになってしまいますので、外すことを意識しながら書いていま すので、なかなか深い話になりにくいです(笑)。


どうせならもっとアバウトに行きますと、2008年4月から、大きな変化がはじめることを具体的に語っているのがすごいと思います。
具体的がすごいのではなく、2008年からか?!ということですが。

もう、後2年です。
当たっているとすれば、秒読みですね。

アセンションがらみでは、いろいろな人が聞き、書いている宇宙意識、神などからの啓示と、実際起きている出来事を照らし合わせながら、今と未来を見ること をしますので、どうしても、どこかに待ちの姿勢と確認の姿勢が出てしまいがちのように思います。

ハンドルは手放しますが、ひょっとしたら、この時期に、こういうことが起きている可能性が高いという指標があると、まだまだ”動きやすい”という面が残っ ているのはしかたがないところでしょうか?




どうであれ、近いうちに高次元に興味を持つ層の裾野が広がってくるように思います。

だれもがやって来れる様な場所が、もし必要なら、そろそろオープンしてても良い頃なのでしょう。

ただ、やはり、精神世界としては、六爻占術と一度正面から向かい合うことが必要なように感じます。
なぜなら・・・
「でも、森田健さんがこう言っています。私の親戚が言うとおりにしたら、庭から温泉が噴出しました。神様に、これでお金儲けをしても、良いのか聞いてみて ください。」というな意見が出てきたら、従来の考えからは、私なら何と回答して良いか分かりません。

変に精神世界、宗教などの知識がない人が、何の潜入感もない状態で発した疑問、というのは、きっと、奥が深いように思います。
今は、だれも、そんな質問はしません。
なぜなら、???と思われてしまいますので・・・。




みなさんは、どう思うでしょうか?


260:MOVIE ALUBUM:バーブラ・ストライザンド
   
  これも、一度紹介したのかもしれません。
現在までのところ、私が最新でハワイへ行った2003,4年くらいに発売されたものです。
映画音楽を歌っています。
曲目です。

1.「モダン・タイムズ」~スマイル:Smile {from Modern Times}
2.「ティファニーで朝食を」~ムーン・リバー:Moon River {from Breakfast at Tiffany's}
3.「毎夜八時に」~アイム・イン・ザ・ムード:I'm in the Mood for Love {from Every Night at Eight}
4.「野生の息吹き」~野生の息吹き:.Wild Is the Wind {from Wild Is the Wind}
5.「卑怯者の勲章」~エミリー:Emily {from The Americanization of Emily}
6.「黙示録の四騎士」~モア・イン・ラヴ・ウィズ・ユー.:More in Love With You {from The Four Horsemen of the Apocalypse}
7.「結婚しない族」~ハウ・ドゥ・ユー・キープ・ザ・ミュージック・プレイング?:How Do You Keep the Music Playing? {from Best Friends}
8.「南米珍道中」~バット・ビューティフル:But Beautiful {from Road to Rio}
9.「バグダッド・カフェ」~コーリング・ユー:Calling You {from Bagdad Cafe}
10.「ゲパルト・パパ」~セカンド・タイム・アラウンド:Second Time Around {from High Time}
11.「レッズ」~グッバイ・フォー・ナウ:Goodbye for Now {from Reds}
12.「サンセット物語」~ユア・ゴナ・ヒア・フロム・ミー:You're Gonna Hear from Me {from Inside Daisy Clover

チャップリンの「「スマイル」は、最近、よく外国人 ポップス系の人に取り上げられているように感じます。
何か惹くものがあるのか、それとも何かを意図しているのかは、良い分かりませんが。

おまけにDVDもついています。
全編、オーケストラをバックに歌いますが、DVDはスタジオでのオーケストラとの一発録りの模様です。
さすがにミュージカル女優だけあってすごいですね。
あいかわらずうまいです。
ちなみに、これも購入は米アマゾンの中古で、どこか知らないアメリカの中古ショップからです。

それで思いましたが、大滝詠一さんは、ライブDVDを出していませんね(笑)。
見てみたいですね。
あの代々木競技場の演奏のライブ映像はないのでしょうか?







なんでも、ポール・マッカートニーが、先達ての中国 の動物虐待発言に続いて、今度はカナダのアザラシ捕獲について、行動を起しているようです。


http: //www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060303k0000e030043000c.html によ れば、「ア ザラシ:ポール夫妻が流氷上で捕獲禁止を訴え」 ということで、ポールと奥さんのヘザーさんが2日いん、カナダ東部のセントローレンス湾に浮かぶ流氷の上でアザラシの 捕獲禁止を訴えたそうです。
国際動物愛護基金によれば、カナダ政府はアザラシの捕獲を許可し、毎年30万頭前後のアザラシの赤ちゃんが捕獲されているそうです。


それで・・・
もちろん、アザラシの赤ちゃんはものすごく可愛いですが、私はひよこも大好きです。
幼稚園の時に、縁日で買ったひよこが死んでしまった時には、みなんが悪化羅漢としているのに、私一人だけ、がっかりしていたのを覚えています(笑)。
また、みんなが好んで食べる肉というのは、「若鳥」、「仔牛」、などなどですね。
羊でも、ヤギでも、赤ちゃんというのはみんな可愛いです。
もっと言えば、成人した動物だってかわいいです。



ポールは昔からみれば、よくも悪くも人間味が出てきました。
また、奥さんは障害者であり、こういう問題に精を出している立派な方である、という事実を前提に書きますが・・・
よく考えて欲しいのは、ポールが見て可愛いと思うものは、多くの人が見ても、可愛いです。
私は食べませんが、肉なら、牛でも、豚でも、鶏でも、なんであります。
それでも食べるということは、それなりに意味がある、ということでしょう。
ポールはイギリス人ですが、どうもアメリカ人的なのでしょうか?

アメリカ文化で理解できないものを、ハナからなんでも否定していれば、良い、というような価値観は一度考え直してみたらどうでしょうか?
私は少なくとも、
この種類の行動には、捕鯨国の国民として、カナダの人間の意見をきちんと 聞かない限り、ポールと言えども、諸手で賛成するわけには行きません。


アン・マレーさんはどうしたでしょうか(笑)?








http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060302-00000206-yom-bus_all
には、アメリカの「通称年次報告」の記事がありました。


「日本企業の買収防衛策「投 資妨げる」…米通商年次報告」というタイトルの記事で、
日本に対する問題点では新たに「投資」を取り上げ、敵対的買収に対する企業側の防衛策が、米企業の対日投資を妨げることに懸念を示 した、とあります。
日本に対する指摘というか要望というか・・・は昨年と同じ17分野だそうです。
昨年までの「鉄鋼」に代えて新たに「投資」を加えた、とあります。

昨年、ライブドアがニッポン放送に敵対的買収を仕掛けたことを紹介し、「これをきっかけに、大きな資本を持つ外国企業に日本企業が乗っ取られ る危険性が広く語られるようになった」と分析し、「株式交換による企業買収は敵対的な行為ではない」「(買収に対する)防衛的な手段がなぜ必要なの か疑問がある」などと言っているようです。

どうも、思いますのは、アメリカが、「我々の真似をすれば、資本主義がうまくいくから・・・」と物事を押し付けるのなら、日本は、「我々の真似をすれば、 今後絶対戦争をする必要はありませんから、軍事費もいりませんし、治安も良くなります・・・」と日本式を押し付けてみたらどうでしょうか(笑)?
もっとも、押し付けないのが日本式の所以(ゆえん)ではありますが(笑)。
これも一種のパラドックスですね。














船井幸雄さんの「人類と地球のアセンション だからこれからこう生きよう」(2006年:徳間書店)ですが、田村京子さんは、なかなか私好みのことを言っ てくれます(笑)。

143ページを引用してみます。
『私のメッセージの主は、おかしいと思えばそう思ってかまわないといっていますし、私が疑問に思うことには答えてくれます。上から押し付けるようなことを なく、まったく対等な立場です。
ですから、メッセージの送り主を恐ろしいと思ったこともありませんし、お慕いするとか、恭(うやうや)しくメッセージをおうかがいしなければと思ったこと もありません。ちょっと失礼かなと思うぐらいですが、偉い人と思ったこともないのです。
本を書いたことに関しても、「書きとめよ!」と強い口調でいわれましたが、命令されているわけではなく、最終的な判断は自分に任されていると思っていま す。宗教の神様とは違って、友だちのような感覚に近いものです。』
(以上)


変な話ですが、これは私の知っている神(?)の姿に近い描写です(笑)。
「どこであったんだ?」と言われますと、今生で会った記憶はありませんが(笑)。



ふと、思いましたが・・・
例の牛肉問題で、マスコミの方針もあるでしょうが、アメリカの議員がへんてこな理屈をこねたり、脅し交じりの言葉を言ったりして、なんとしてでも、日本へ 病原菌の入っている可能性のある牛肉を輸出しようとしている映像が何度か流れましたね。

「日本は交通事故で死ぬ人間が多い。それにくらべれば、狂牛病になる可能性はぜんぜん少ない。・・・」
「直ちに輸入開始しなければ、経済的な制裁を行うべきだ・・・」
「日本がごねている性で、関係業界で、何万人もの失業者が出てしまっている。日本のせいだ・・・」

などですが。



これらは、アメリカの大きな勘違いでしょうね。
今までもアメリカはこういうような具合で、日本人の常識から見れば、屁理屈に聞えるような、あるいは、気持ち・心情・誠意というものが全く欠けている理論 上の理屈によっての交渉というのをしてきたのでしょう。
そして、日本は、結果として、アメリカの求めるものを受け入れて来たのでしょう。

問題はここで・・・
私が考えるに、日本人が今までアメリカの上のような形式での議論で、相手の要求を認めてきたのは、決して”怖いから”ではなく、”可愛そうだから”に近 かったのではないかと想像します。

この”可愛そう”は別にバカにしているのではなく、「そこまで屁理屈をこねてでも、自分の要求を通したい、というのなら、きっと、止むに止まれない事情が あるのでしょう。分かりました。要求をお受けしましょう」
というような感じです。

もちろん、日本側の交渉相手によっては、「面倒くさいから」とか、「本当に何かされそうだから」とか、そういうケースもあったろうとは思います。
それでも、いくつかは”可愛そう”的なものもあるのではないでしょうか?


みなさんはどう思うでしょうか?





しかし、もしアメリカがこれを勘違いして、「日本人は臆病者だから、ちょっと脅しをかければ、すぐに言うことを聞くさ」とタカをくくって、上記のような種 類の発言をしているとするのなら、牛肉は一生輸入されないかもしれませんね。

いくら日本人が優しくても、食べるものは別です。
自分が食べてどうにかなるなら、日本人は”可愛そう”で動くこともありますが、これが、他人、子供なでに影響を及ぼすことになりますと、日本人は絶対に” 可愛そう”を使いません。

ニューヨークには、「子供を何時間か以上、一人きりにしておいてはいけない」という法律があるようですが、そういう法律を作らなくてはならない国と、そん な法律のない国との違いかもしれません。

ですので、アメリカがこの”食べ物問題”におてい、「屁理屈」、「脅し」を使えば使うほど、日本人は、アメリカ産牛肉から遠ざかるでしょう。
アメリカ人の頭には安全でも、日本人の心では安全でない、とい判断されたものです。
脅さなくては、説得できないほど危ないようだ、と感じさせるようなものを絶対に、許可したりはしないでしょう。




・・・で、どういうことかと言いますと、
アメリカ人の・・・あるいはアメリカ化された資本主義の価値観の基本というのは、すべからず”量の多さ”の価値観なのでしょう。
今更ながら、という気もしますが。

より多く、より強く、より大きく・・・ということですが。
どこからそれが来ているのかと言えば、多角的人間性レベルの内で、西洋人の体の大きさとアメリカという国の土地の広さなのでしょうか。

もちろん、日本人にだって、そういうところはきっと昔からいくらかはあり、相撲なんかは、そういうことかもしれません。

しかし、日本人には、何度か出している茶室の話もそうですし、どこかに「大きさ、多さを超えたもの」への理解と言いますか、真実に近い合意、把握、納得、 のようなものがあり続けているように感じます。

その意味では、「
これは私の知っている神(?)の姿に近い描写です (笑)。」と書きましたが、日本が古来から持っている”神”  の概念というのは、田村京子さんが書いているようなものに近いのかもしれないですね。

しかし、やはり、時が経つに従って・・・あるいは特に戦後のアメリカ追従の姿勢によって、そういうものが失われているのかもしれません。




それでは、アメリカ人の神観というのは、どんなものなのでしょうか?
見当つきませんね・・・・。



ただ、もし、
明治維新後、あるいは第二次大戦後、今日まで日本がまだ日本的なものをいくらかでも 多めに残して来れているとしたら、それは、体が小さく(私は平均より小さいですが:笑)、国土が狭い、ということがいくらか要因になっている可能性もあり ますね。


先だってジェームス・ディーンの番組がテレビでやっていました。
私が初めて「ジャイアンツ」を見たのは小学生くらいの時ですが、金持ちのロック・ハドソンと食堂の親父が、30歳だか40歳だかを過ぎて、「昔はお互いな らしたもんだったな」みたいなことを言って、殴りあうシーンがありました。
私はこれのシーンを見びっくりしました(笑)。
ひとつは「でかいな、2人とも」
もうひとつは、「なんで殴り合いなんかするんだ?」
でした。

こんなこともありました。
ハワイで部屋を探している時、知り合いの女性と食堂(海辺のオープンテラスのちょっと洒落たレストラン)へ入りました。
ワイキキではないので、何か家族でやっているような雰囲気のある所でした。
化炒るあ・ビーチの位入り口のところです。
私は皿の上に、大きなハンバーガーとポテト、その他いろいろが乗っているようなプレートを注文しました。
流石にやや胃がもたれていたこともあり、「大きすぎて食べきれないな」と言いましたら、食堂の女将さんは、「そうよ、アメリカは何でも大きいの!!」と、 嬉しそうに言っていました(笑)。

どうも、いろいろ考えてみますと、歴史が浅い、ということもありますが、アメリカ人の性質というのは、あの体のでかさ、と土地のでかさ、に大きな理由があ るのかもしれないですね。


で、何が言いたか、と言えば、アメリカは間違っていることは事実だが、もしその理由にあの体と国土が関係しているよするのなら、それを直すのは大変なこと だな、むしろ、その意味では日本人よりアメリカ人のほうが、大変なのかもしれない・・・3次元的にも高次元的にも、ということでしょうか?
自分で書いていて、でしょうか?もないところですが、



良く占いや高次元を語る人達が言うことに、「東洋と西洋の発展は何十年、何百年置きに、順繰りに巡ってくる」というのがあります。
船井幸雄さん、岡田多母さんによれば、
嫉妬のDNAをONにした理由は、より地球上の発展を速め るため、であったようです。
その意味では、正に、西洋の発展時期というのは、経済、科学などの分野での急速な発展を促す、という高次元的な使命があったのかもしれませんね。
そうだとすれば、あの大きな体、国土は、正に、その使命のためにあったということになるかもしれません。
想像ですが。

そして、今正に、東洋の番が巡ってくるようですが、ひょっとしたら
高次元的には、精神面での発展をどうにかして、という高次元的な 使命がある可能性があるかもしれませんね。

これらを考えると、どうも、アメリカをはじめとする西洋諸国は間違ってはいますが、やはり責任はないのかもしれませんね、高次元的には・・・。
3次元的には別なのでしょうが。


そうしますと、逆に、西洋諸国は、高次元的な使命を果たした、とも、ある意味言えるのかもしれません。
そうなりますと、今度は、東洋がその精神面での発展を任されている、ということにまりますので、本当に高次元的決まりで、東洋、西洋が回り回って発展して いるとするのなら、これからの時代がうまく行なかった時、それは西洋の責任ではなく、東洋の責任ということになるのかもしれません。

実にうまくできていますね。

ただ、責任と言いましても、もし、そういう使命があるにしても、今までも日本などは経済、科学の発展にも尽力し結果も出してきましたので、必ずしも、東洋 だけの責任、ということでもないのでしょう。


使命があるのか、どうかは分かりませんが、日本人の性質とアメリカ人の性質だけ考えてみますと、どうも、こんなことが浮かんできました(笑)。

それでも、地球は東洋と西洋だけではないですし、東洋も日本だけではないし、西洋もアメリカだけではありません。
きっと、何かあるにしても、もっと深いのかもしれませんし、もっと単純なのかもしれませんね。


みなさんは、大きかったら、違った人間になるでしょうか?










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