理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー
CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。 |
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クリスマスアルバムのコーナー |
221:ア・ハード・ディズ・ナイト(ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!) :ビートルズ |
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ビートルズです。 曲目です。
このアルバムから、録音機材が変わったそうです。 もう忘れてしまいましたが、2トラックから4トラックになったか、なにかだったかと思います。 前2枚のアルバムと比べますと、音(音色)の密度が高くなっています。 |
これは、一番最後に購入したビートルズのオリジナルアルバムになります。
別に一番嫌いな訳ではなく、とにかくそうなってしまいました。
理由は次に登場する海賊盤アルバムのせいだと思います。
このアルバムの曲がステレオで収録されており、加えて「ライブ・アット・シェアスタジアム」まで入っています。
この正規盤のアルバムはモノラルです。
LPではステレオでした。
例によって極端なステレオですが、前2枚よりは、まだ極端差加減が少なくなっていました。
私は以前は、このアルバムに代表されるような初期のビートルズが好きでした。
今ではどちらも好きですが。
どうもそれは、本当はポールの音楽性よりも、ジョンの音楽性が好きだからではないか?と感じ ています。
以前は単に荒削りな生のビートルズのような雰囲気の方が好きなのではないか、と思っていまし
た。
あるいは、どこかに50’Sの匂いを色濃く残しているからか、とも思っていました。
実際、初期の作品には過去のスタンダードがたくさん収録されています。
今思えば、それすらジョンの音楽性だったのでだろう、と思っています。
私は、大学生だったか、それより前だったか、性格を変えようと思い、ジョン好きだったのを強引にポール好きに変えました(笑)。
物心付いた時から、いろいろな人に、わがままだ、とか、素直じゃない、とか、落ち着きがない、とか、頻繁に言われていました。
ですので、「そうなんだろうか?それでは、革新的(音楽的ではなく、行動的に)なジョンよりも、ポール好きに変えたら、うまく立ち回れる人間になれるかも
しれないな・・・」
と思ったのでした。
しかし、結果は確かにポールを好きにはなりましたが・・・・いや、別に前からポールも好きで
したので、ジョンを聴かなくなっただけかもしれません。
性格は変わったかと言えば、別に変わらなかったように思います。
ただ、抑えるようにはなったかと思います。
変わったのではありません。
この傾向は、例の”前の会社”で更に助長されたように思います(笑)。
結局、性格なんてものは、変えられないようです。
変える必要などもないのでしょう。
いろいろ読んできましたが、運命の流れを考えるとき、たとえば悪い場合ですが・・・
その状態を指して、「氣の流れが停滞している」、「運命の流れが悪くなっている」、「霊に憑依されている」、「ポジティブな気持ちではない」、「先祖供養
ができていない」・・・などなど、他にも、いろいろと解説されており、また、それぞれの”事象”が見える人にとっては、本当にそれが見えるのでしょうが、
全部同時に起きているように感じてきました。
どれが先かと なれば、おそらくは、運命でしょう。
ただ、自分の意識の中では、気持ち・考え・思い、と言うものが、先頭に立っているという感覚
が良いのかもしれません。
もし、自分で、”良い”とされる、気持ち・考え・思い、というものが、持とうと思って持てる
状態(但しある程度長いスパン)を作れたなら、それは、正に”運命の流れ”が良い方向へ流れている状態であり、その時は、「氣の流れもよくなっている」状
態であり、「霊の憑依も取れた」状態であり、「ポジティブな気持ちを得られている」状態で、「先祖の供養もできている」状態になっているのでしょう。
森田健さんによれば、「自分は何も変わっていない」→「しかし、外側に配置されているものを
変えたことにより、運がよくなる」ということですが・・・
そうであれば、自分で、”良い”とされる、気持ち・考え・思い、というものが、持とうと思っ て持てる状態を作れたなら、それは、外側の人、物、その他全ての配置が、自然とよい状態になっている”時”なのでしょう。
ですので、、”良い”とされる、気持ち・考え・思いを持つ、氣を入れてもらう、霊の憑依を取
る、など、運命の下に流れるものを取り去ったとしても、肝心の外側、あるいは、運命、というものが、よい方向へ流れてきていない状態ならば、それらはすぐ
またもとの状態に戻ってしまうのでしょう。
但し、この仮説は、1:魂:精神のレベルを上げることと・・・2:ツキをよくすることと・・・3:
天国へ行けることは・・・全く別物のようだ(仮説)。
が、前提となっているのですが。
もし、この前提がないと・・・
運命を上げるために、ひたすら意識的な仮善行のみに従事し、運命が悪いと、その理由で地獄と称される場所(実際は古来かから言われているような所ではない
が・事実を知らない人の集まる場所)へ、行くという不条理なことになってしまいます。
善行ですが・・・
100円で仕入れたものを150円で売ることは、善行でしょうか?
絶対違います。
しかし、悪業でもありません。
その意味では、賃金を貰っている、稼いでいる人は全て、”善行”でないことを行っていること
になります。
しかし、そこで経済活動が発生して、当人が認識していないうちに、世界を活性化しているとい
う、無意識の善行が行われています。
この状態が、善行のベストな状態であるようです。
つまりそれは、善行とは、意識してできるものではない、ということなのだと感じます。
ひょっとしたら、これすら、運命の流れが関与しているのではないでしょうか。
政木和三さんの本の中に次のような話がでてきます。
裏覚えですが・・・
政木さんが経営者の方を集めた講演会を行った時に、ある会社の社長さんが質問をしました。
「私もよい年になりましたので、そろそろ会社を息子に任せて、社会奉仕のようなことをして、社会のために世間のためになることをしたいと思っています。何
をすれば良いでしょうか?」
政木さんは、
「あなたは意識して良いことをしようと思っている。それこそ我欲であり、そのようなことをしても、本当の善行とは言えない。引退しようなどとは考えず、で
きる間はずっと会社の仕事に携わっていなさい。それこそが本当の善行です。」
というような回答をしました。
政木さんによれば、「その経営者は、何のことだかさっぱり分からない様子であったが・・・」と書いていたように思います。
この話は、善行は意識してできるものではない、ということを、私よりはうまく説明しています
ね。
それはそうで、私がその考えにたどり着いた理由の内のひとつは、この政木さんの話ですので(笑)。
森田健さんも同じようなことを書いている時があるように感じます。
ただ、言い方が、少し違いますので、ちょっと読むと、善行否定、のように読めてしまう人もいるかもしれませんが。
要するに、「意識して善行をしても、それは善行ではありえない」ということなのだと思いま
す。
ですので、奉仕を直接強要するような言葉は、私は間違いだと感じています。
みなさんはいかがでしょうか?
ちなみに、アメリカ・ドラマのフレンズのあるシーンには、「善行は良いことだが、自分の利益に結びつくことをしてはいけない」、ということで、それを面白
おかしく演ずるシーンがあります。
私はこのドラマは、とても好きです。
内容、ギャグの種類など考えても、アメリカ人にしては、意識レベルの高い人達が作っているなぁ、とか思いながら見ています。
しかし、これは、アメリカ人にしては、比較的ましなことを物語っているようですが、まだ違っ
ているようですね。
別に本当の善行は、自分の利益に結びついても良いようです。
ただ、意識してやってはいけないようです。
ドラマでは、
善行=「自分の利益に結びついてはいけない」→「自己犠牲が含まれていなければいけない」
と演出されていますが、これも違うようです。
どこか西洋的な理論展開を感じます。
もっとも、私の以前はそれに近い考えを持っていましたが。
もし、同じような理論展開をするのであれば、
善行=「意識してできるものではない」&「自分の利益が含まれていても構わない」→「宇宙の
理に沿った生活、意識レベルの高い生き方をしていれば、普段の生活の中でそのレベルの度合いによって自然に行われる」
となるかもしれません。
ただ、なんでもそうですが、初心者の内は「形から入る」と身に付きやすいですので、その意味では、多少の意識が入っていても良いのかもしれません。
ただ、それは、本当に最初の内だけで、いつまでもそうではいけないようですが。
今、「ただ、それは、本当に最初の内だけで、いつまでもそうではいけないようですが。」で、
「本等は」ではなく、「あくまで」と言う言葉を使おうと思いましたが、「本等」にしました。
「あくまで」とは、普段使ってはいるものの、実際はどういう意味なのだろう、とずっと思って
いましたが、どうやら「本等は」、という意味なのかもしれません。
「あくまで」とはどういう漢字を書くのでしょうか?
「飽くまで」でしょうか?
「厭くまで」でしょうか?
最初にそう思ったのは、よく、同じ発音の言葉同士は同じような言霊が含まれている、というの
を読んだときで・・・
「あくまで」と「悪魔」は一緒なのだろうか?一緒なら使いたくないな・・・・・・
と感じた時ですが。
どうやら、船井さんでもだれでも、「あくまで」は使っているようですので、少なくとも悪い意味などは入っていないようですので、今は気にしませんが。
とりあえず、「あくまで」≒「本等は」ということに、自分の中ではしておきたい、と思いま
す。
222:The Beatles Hard Day's Night Special: ビートルズ |
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海賊盤です。 曲目です。
後半はシェアスタジムでのライブですが、LP[ライブ・アット・シェアスタジアム」とまったく同じ曲目ではありませんね。 あのライブは確か2年間の何回かのライブを編集して作ったものですが、音源は同じでしょう。 2曲目は、LPでは「She's a woman」のはずです。 また何曲目か(はじめの方)に、「ディジー・ミス・リジー」が入っていたはずです。 |
音質はまあまあです。
レコードから高音質のカセットテープに落としたくらいの音質は保っています。
このCDが街でワゴンに入って打っている頃には、確かまだ、ビートルズのCDは全て発売され
ていなかったように思います。
ですので、このようなものが貴重だったのです。
トラックは、レコードから落としたもののようですので、もちろんステレオです。
CDでは、今でもモノラルのものしか発売されていませんので、それだけでも貴重です。
もっとも、現在は海賊盤で、ステレオのものもいくつかあるようですが。
かなり早い時期に、このCDを所有していましたので、どうしても、正規盤の購入は遅くなってしまったようです。
これと同じシリーズで、「ヘイ・ジュード」も持っています。
これは、LPでは発売されていたアメリカ盤の後期のベストです。
今では、やはり海賊盤で数種類出ているようです。
さて・・・
最近、「あなたはどう思いますか?」というタイトルの出会い系サイトのメールが良く来ます。
共鳴したのでしょうか(笑)?
共鳴と言えば、
例の音叉のように、近くでもう一つの音叉が鳴っていると、それに共鳴して鳴っていない音叉も鳴り出す、という原理がありますが、
同様ラジオ、テレビ式のこちらから受けたいものと同じ周波数を出すことにより、特定の電波を受け取る、というシステムを考えると、形から入る、思い込む、
というのは、その波動を受け取るに際して、効果のあることなのかもしれませんね。
ちょっとしばらく、やってみます(笑)。
(上のCDで書きかけでしたが、こちらへ引っ越してきました)
先日、細木数子さんが、面白いことを言っていました。
「男女平等だけれども、質は違います」
これは、彼女がよく言うことです。
「平等とはむつかしいものです。お年寄りとも平等です。しかし、電車の中では席を譲ってあげ
ます・・・。席を譲るといういことは平等ですか?(しかし席を譲ることは正しいことです)。」
(しかし席を譲ることは正しいことです)は、私が加えたものですが。
細木さん自身に関しては、私よりは、よっぽど意識レベルも波動も、高い人なのだとは思います
が、決して、頂点に達しているような人ではないと感じています。
まず、
怒ります(笑)。
脅します(怖)。
きらきら輝く不必要なぜいたく品を身に付けています(羨)。
あれくらいなら、発展の途中として、怒っても別に良いのでしょう。暴力を振るう訳ではありませんし、どうやらその人のことを思ってのようです。
ある程度未来が見えている人なら、発展の途中として、ある程度脅しても、危険を回避させるのは良いのでしょう。
しかし、本当のことを脅さなくては分からない人は、上で書いた仮説が正しければ、またすぐ元に戻ると感じますが。
当人が納得しなくては、またすぐ元に戻ります。運命の流れがそうだからでしょう。
きらきら輝く不必要なぜいたく品は・・・・・・
船井幸雄さんが、増田俊男さんと初めて会ったとき、増田さんは、金ぴかの腕時計をしていたそうです。
船井さんは、
「これからあなたと付き合って行きたいので、まずその時計をするのを止めてください。そんな時計をしていたら、人から信用されません」
と言ったようです。
船井さんは、
「彼は納得してくれました。素直な人です・・・」
としています。
223:LET IT BE:ビートルズ |
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ビートルズです。 私が初めて買ったビートルズのLPはこれでした。 しかし、その前に、ジョン・レノンのベスト盤を買ったように記憶しています。 確かではありませんが・・・。
このアルバムは、同名映画のサントラですので、映画同様、曲の頭や終わりに、メンバーのやり取りが録音されています。 当時中学生だった私はそれがとても好きでした。 なんとも、現場的と言いましょうか、人間味を感じました。 ですので、以降、ビートルズのLPを買った時には、「ああいうやりとりは、入っていないんだな。なんだか無機質だ」と感じたのを覚えています。 それはそうで、いちいちそんなのが入っていたら大変ですね。 映画は映画館で、見たことはありませんが、当時、2,3年に一度くらいは、夏などに深夜テレビで放送されていたように思います。 かまやつひろしさんのナレーションが入るものですが、ムッシュは好きですが、ナレーションは余計だな、と思いながら見ていたのを覚えています。 |
確かレコードやさんが、このLPを買ったとき、いろいろおまけをくれて、今はプレミヤが付いているメンバーが馬に乗った下敷きなどをくれました。
実家にあるはずです。
「アイ・ミー・マイン」は、当時中学1年生でしたので、正に英語の授業みたいなタイトルです
ね。
フィルスペクターが、プロデュース、アレンジで参加しています。
ポールが、「ワインディング・ロード」の女性コーラスが気に入っていないのは有名な話ですが、私はこのアレンジは好きです。
他のメンバーも気に入っていたはずです。
当時、イージーリスニングもたくさん聴いていた私には、ここでのストリングス、ブラスの加
わったアレンジは、とても耳に馴染んだものだったのかもしれません。
それがまた、私がビートルズにはまっていった、3次元的理由のひとつになっているのかもしれません。
例の江原さんと三輪さんの番組ですが、江原さんが、波動という言葉を始めて使っているのを聞
きました。
何か新しい知識を取り入れたのでしょうか?
三輪さんは、悪霊がいる、と言っています。
江原さんだったでしょうか、あるいは、森田健さん
の不思議エネルギーシリーズだったでしょうか、どこかに、「悪い霊、というのは、いないのよ(女性だったように記憶しています)。ただ、真実を知らないだ
けなのです」、というようなことが書いてあったように思います。
要するに、成仏していない霊というのはいる。それを悪霊と呼んでいる。
それらは、真実をしらないから、フォーカス27以上にいけない、
ということを言っているのだ
と思いますが、私はもしそういう意味なら悪霊という言葉は好きではありません。
もちろん、そういった霊に同情するわけではありません。
同情してはいけないようです。
若山敏弘さんによれば、「自分で修行して、自分で救われなさい」
と思わなくてはいけないようです。
霊能者ではない限り、守護霊などの霊以外には、関わらないのが良いそ
うです。
また、関英男さんや、政木和三さん、江原さんなども書かれていますが、動物霊にも、基本的に
は関わってはいけないそうです。
稲荷などにも、人は物を頼んだりしてはいけないようです。
商売繁盛などを稲荷に祈願するというのはあるようですが、確かに結果が出るようなこともある
そうなのですが、その代わり、見返りのようなものを求めてくる、というようなことが、江原さんだか、だれか他の人だかの本には書かれていたように思いま
す。
ちなみに私が読む限り、上で言われている動物霊というのは、”動物の霊”ではないようです。
稲荷と言うのは、”キツネ”の霊でもないようです。
”動物的な霊”、という意味だそうです。
基本的には、稲荷神社と名前がついているところは、宇迦之魂命(うがのみたまのみこと)とい
う神様が祀ってあるのだそうです。
きっと、その存在が、創造主の分魂なのでしょうか?
江原さんの本にそう書いてあったように思いますが、私は、神道の専門家ではないので、良く分
かりません。
関さんの本には、戦後、アメリカ進駐軍が、穴吹稲荷神社を取り壊そうとしたら、羽田空港の滑
走路にキツネが現れて飛行機の進行を邪魔した、というような話も書かれていたと思いますので、きっと、神社を守る役割か何かがあるのでしょう。
良く分かりませんが。
そうではあっても、稲荷に対して、人は願ったりしてはいけない、ようです。
ただ、政木さんが良く書く「神仏とは、物を叶えてくれる存在ではない」、「神仏とは自分の中
にある」と考えれば、神様に対してでさえ、ものをお願いするこ
とは、間違っているようですね。
政木さんによれば、「脳波をシータ波、アルファー波にし、氣を体に巡らすため」に、手を合わ
せて、そして祈
る形を取るようです。
ちょっと思い出しましたので、書いてみますが、山咲梅代
さんの本だったか、誰かの本には、
終戦後、天皇が進駐軍に「戦争の責任を自分が取る」と言いに行った際には、多くの神々が天皇を守ったので、そうはならなかった、というようなことも書かれ
ていたように思います。
池田邦吉さんの本には、皇族は波動が高い、というようなことが書かれていたように思います。
普段の生活もそうなのでしょうが、軽井沢や葉山、塩原のような場所は、”イヤチシロ”なのかもしれませんね。
軽井沢と塩原には言ったことがありますが、葉山は行ったことがありません。
きっと、今の自宅から1時間で行けるのだろう、とは思うのですが(謎)。
船井幸雄.COMでは、
「なぜか高山市と伊賀市と、私のいる熱海市が氣になる。この三つの市が「超イヤシロチ」になると、日本だけでなく、世界中にいいことがありそうだ。」
という船井さんの言葉が書かれています。
みなさんは、どう思うでしょうか?
また、少し疑問が出てきました。
先の江原さんの番組で、江原さんも、三輪さんも、どうやら、ひどいことをされた相手などを「ひどいことをしたな」と思うと、その人に悪いことが起きる
ようです。
これは、船井さんも似たようなことを書いています。
船井さんは、会社などに新入社員が入っていたときなど、「あの人はよくないな」思うと、2,3ヶ月で辞めてしまうそうです。
ですので、最近は「嫌いにならないようにしよう」と思っている、と3,4年前の本に書いてあったような気がします。
ちなみに、先の2人も、似たような理由で、人を嫌わないようにしている、ということです。
ここで、思うのは、船井さんの波動の原則によれば、自分の出した波動は自分に返ってくる、ということなのですが、上記のような人達には、そのようなこと
は”ない”のでしょうか?
波動の原則すら、その人の持つ霊的能力、波動レベルなどによって、変えられてしまうのでしょうか?
疑問です。
まあ、上記のような人達なら、よほどのことでない限り、人を悪く言ったりはしないのだろう
とは、思いますが。
そう言えば細木数子さんが、
「私はめったに、人を脅すようなことは言いません。そうテレビで見えるのは、編集で前後を切り取られているのでそう見えるのです」
というようなことを言っていました。
それは十分有り得ますね。
私は、いつの頃からか、人を見て議論をするようなところが出てきていました。
それは、人によっては、あまり長い話、少し聞き慣れない(むつかしい)?、と思う話をすると、全体をぜんぜん聞かず、切れ切れに文章を持ってきて、そこば
かり攻めてくる人がいるからでした。
これなどは、本当に、ビデオの下手な編集に似ているな、と感じます。
224:LET IT BE...NAKED, BEATLES | ||||||
「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」は、当初、ポールの意図していた作品になったようです。 私はやはり、前のものが好きですが、ポールがそれでよいと言うなら、それで構いません。 曲目リスト ディスク: 1(リミックス)
ディスク: 2(アウト・テイク)
|
225: John Lennon, Collection |
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ジョンのベストです。 曲目です。
ジョンの ベスト盤は、何種類も出ていますね。 私は、 5.「#9 Dream」(夢の夢)が入っていればどれでも良いです。 この曲は、メジャー7コードの塊のような曲で、その意味では、「ジュリア」などと共通するところがあります。 先だって、ビーチのシーンで、ビートルズの「ジス・ボーイ」をTVで使っていました。 これもジョンの曲ですが、おそらく当時のライバル、ビーチ・ボーイズを意識した曲なのでしょう。 他にも、「テル・ミー・ホワイ」などもそういう曲です。 |
ただ、いかにもジョンらしいのは、ジス・ボーイは、メジャー7で始まる、ところでしょう。
私はこの曲は、比較的後で聴いたビートルズ・ソングです。
いわゆるイギリス盤のアルバムには入っていない曲ですので、聴く機会がありませんでした。
確か、「抱きしめたい」のB面の曲のはずです。
中学生くらいのとき、「ラブソングス」というビートルズのバラードばかり集めたLPが発売されました。
そのPRでラジオからこの曲が流れているのを聴いたのが、初めてだったと思います。
サビに入る前にC7になるのですが、そこでの、ジョンの絶叫が「かっこいいな!」と思ったのを覚えています。
ポールのメジャー7の曲というのは、「マイ・ラブ」などが有名ですが、ビートルズ時代はあまり覚えがありません。
しいて言えば、「ユア・マザー・シュド・ノー」くらいでしょうか?しかし、これも。、基本的にはマイナーの曲です。
ジョンがなくなった時、なぜか、泣けなかったのですが、LPで、シェイブド・フィッシュ(ベスト盤)を聴いていたら、「Happy Xmas
(War Is Over)」が流れてきて、その時初めて、「戦争っていけないんだ」と思ったら、少し、泣けてきたのを覚えています。
少しです。
私は、小学生の時、買っていた手乗りインコのピーコが死んでしまったとき、1日中泣いた後から、ほとんど泣けないようになってしまいました。
それが理由かどうかは、分かりませんが。
ほとんど泣きませんが、「フィールド・オブ・ドリーム」を見たときには少し泣けました。
ああ・・・・思い出しましたが、この映画も映画館で見ました。
すっかり忘れていました。
今日、テレビを見ていましたら、ヨーコさんが出ていました。 転寝をしていたのですた、たまたま、そのシーンで起きれました(笑)。 「戦争以外なら、なんでも美しい」というようなことを、言っていました。 あいかわらず、大きな胸をしていました。 少し前より、きれいになったように見えました。 と、書きながら、隣のジョンの写真を見ると、照れて(はにかんで)いるように見えるから不思議です。 別にお世辞を言っているわけではありません(笑→ジョン)。 そう言えば、ニューヨークへ行き、2人の住んでいたダゴタ・アパートを訪問してみたい、と思っています。 そのうち、そういう機会もあるでしょう。 |
ただ、もう少し、アメリカ人の意識レベルが上がってから、いきたいと思っていますが。
さて・・・・・・
浅見帆帆子さんの 「大丈夫! うまくいくから」(幻冬舎:2003年発行)を読んでいます。
非常に3次元的なことかもしれませんが、私には、実に、ピン、と来る箇所がありました。
以下の通りです。
(引用:89ページ)
『精神レベルが上がると、苦手だった人、「嫌だなあ」と思っていた人に対して、今まで嫌と思っていたことを感じなくなります。だから、苦手な人とも深く関
わらずに済むようになるのです。
相手に腹が立つのは、自分が相手と同じレベルにいるということで、あなたのほうがレベルが上であれば、なにも感じません。子供が言うことに本気で腹を立
てる大人はいないようなものです。なんとも感じなくなります。そして、その人の良い部分とだけ付き合えるようになります。
たとえば、同じ職場に評判の悪い人がいる場合、簡単に環境を変えることはできません。
ところが精神レベルを上げていると、その日との嫌な面を見ないで済むようになるので、同じ人なのに嫌な思いをしなくなるのです。
企業に勤めている友達が、「上司に評判の0悪い人がいて、同僚がみんな嫌がっているんだけど、わたしはそんなに嫌な人ではないと思うし、そこまで言うこと
かなあって思う」と話していました。
これは、彼女だけがかわいがられているとか、彼女が鈍感だから気づかないということではなく、彼女はその上司の良い面とだけ付き合えているのです。彼女
の前では、その上司の嫌な面が出ずに済んでいる、ということです。
実際に、相手より精神レベルが高いと、相手がそれにともなう接し方を自然としてくれるようになります。自分に置き換えるとよくわかりますが、自分より素
晴らしいなあと思う人と接するときには自然と丁寧になるし、うれしいので、明るくにこやかな態度になりますよね。
精神レベルが高くなると、以前だったら気にしていた人の言動には左右されなくなります。つまり、「苦手な人と縁が切れる」という意味は、会わなくなるということだけでなく、精神的に
縁が切れるということです。見た目には関係が続いていても、付き合い方が変わったり、嫌な部分が出てきたときに気にならなくなるので、そう
いう意味で被害を受けないようになる、ということなのです。』
(以上:太字は、本文中も太字を使用)
これを読んでいて気づいたのですが、、、私は大きな間違いをしていたかもしれません。
私は、周りに、意識レベルが低い人が寄ってくると、その人に対して、どう間違っているのかを、相手が納得するまで、説明することが、課せられたこと なのだ、と、どこかで思い込んでいたようです。
そして、そうすることにより、その苦しい状況から、逃れられる、あるいは、乗り越えられるのだ、と思っていました。
しかし、大抵の場合、説得などできませんでした。
しかし、どうやら、そうではないらしいように感じてきました。
意志レベルが低い人が寄ってくる、ということは、広い意味で、自分の意識レベル、波動が下がっている、ということのようです。
実に思い当たります。
であるならば、その時しなくてはならないことは、下がってしまった意識レベル、波動を上げる、ということなのだと推測します。
そして、意識レベル、波動というものが、前の水準に戻る、あるいは、前よりも高いレベルに上がったならば、近寄ってきた意識レベルの低い存在、ある
いは、それによって、起された(自分が起したといっても過言ではない)災難、アクシデント、不遇、というものも、同時に立ち去るのではないでしょうか?
そのように感じます。
この考えは一見、非常に、道徳的ですが、波動の法則を考えると、実に理に沿った仮説であるように思えます。
しばらく、試してみたいと考えます。
ただ、高次元的には、
実際は、ある時に、「自分の波動が下がる」、「そういう人が寄って来る」、「災難が起こる」、ということが同時に起こるということは、生まれる前から決
まっていたのかもしれません。
そうであったとしても、もし上の仮説が正しいのなら、私は前と違うことをするわけです。
そして、
1:正しい仮説を今、思いついた、
2:今後は、同じ間違いをしない、
まで含めて、それも、生まれる前から決まっていたことなのかもしれません。
みなさんはどう考えるでしょうか?
226:Live in Los Angeles, California 1974 & John Lennon's 31th Birthday Party 1971 |
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海賊盤です。 1974年のスタジオ・ライブ・セッションと、1971年の誕生日のセッションです。 曲目が多いので書きませんが、ビートルズやジョンのオリジナルなどが演奏されています。 1〜4がスタジオセッションで、ポール、スティービー・ワンダー、ハリー・ニルソンが参加、 5〜12が誕生日で、リンゴが参加しています。 1〜4は、ドラムも入っています。 誰が叩いているのかは、分かりません。 ライナーには、ポールかもしれない、とありますが。 海賊盤にライナーというのも、すごいですね。 何となく気持ちは分かります。 ただ(に近い)でもいいから、書いてみたい、という人がいたのでしょうか。 発売者本人かもしれません。 いずれにしても、こういう音源を持ってくるのですから、マニアですね。 ボーカルの声は確かにジョンの声です。 ギターのフレーズも、ジョンらしいような気がします。 「MOVE OVER MS.L」に出てくるジョンの癖が出ています。 「ルシール」は、リードはポールっぽいです。 コーラスをつけているのが、ジョンぽいように聴こえます。 「ルシール」を歌いう時のポールの節回し癖が出ています。 |
キーボードはスティービーでしょうか?
どうも、ポールっぽいですね・・・・
今まで、これにポール参加は嘘だろう、と思っていましたが、本物かもしれません。
このあと、「スタンド・バイ・ミー」をやります。
ベン・E・キングのアレンジに近いようにも聴こえます。
まだこのころ、「ロックンロール」は出ていませんので、あのアレンジも存在していなかったわけですね。
こちらは、スタジオらしく、変なリバーブに包まれた録音になっています。
すごいメンバーです。
そう言えば、「ポップ・ボイス」のドノバンのページで、彼らがイギリスのディランと騒がれて出した頃、ジョンだかだれかに呼ばれてホテルに行ったら、ビー
トルズのメンバー全員と、ボブ・ディランがいてびっくりした、と書かれたいたように思います。
次は誕生日です。
こちらは、部屋の中、という感じの録音です。
とても、乾いた音です。
「What'd I say」で始まります。
結構ちゃんと演奏しています。
続いてもちろんリンゴがいますので、「イエローサブマリン」です。
リンゴが歌っています。
リンゴがどうした、とだれかが叫んでいます。ジョンでしょうか。
その後、ロック・スタンダードのメドレー、「イエスタディ」などが歌われます。
「パワー・トウ・ザ・ピープル」なども歌われます。
最後に「ギブ・ピース・ア・チャンス」、「Clippled Inside」、「アンクル・アルバート」(ポールのヒット曲)などが歌われます。
どうも、ジョンはポールの曲を何度か出すところを見ると、ポールにも参加していて欲しかったのかもしれませんね。
分かりませんが。
良く分からないのですが、解散後、ポールと本が仲が悪いと日本ではされていますが、ひょっとしたら、それはレコード会社の売るための戦略であったか
もしれませんね。
第三者的な情報しかありませんので、そのまま信じる方が、間違っているかもしれません。
売るためなら、相当嘘の情報も流す可能性があったでしょう。
実際は、分かりませんが。
ポールのインタビューで、途中で急にテープに青いノイズが入り、ポールが、「それはジョンだよ」と言うのがありましたが、どうも、仲が悪いとは思 えません。
ニュースステーションは古館さんになってから、かなり良くなりましたが、マスコミは、本当に信用しにくいところがあります。
やはり、スポンサーが付いているわけですから、どうしても、本当の本当は言いにくいでしょう。
そういう、律儀な理由ではなくとも、お金が絡んでいるのだから、なかなか本当のことは言えないでしょう。
まして、今の生活がとても、快適な人ばかりで作っているのでしょうから、普通は、現状維持をしたい、で正しいと思います。
10月 9日(日) | 10月 10日(祝) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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10月 9日(日) | 10月 10日(祝) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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227:ジョン・レノンのアウト・テイク集 | ||
一部ビートルズの曲もありますが、基本的に解散後のジョンのスタジオ・セッションあるいはアウトテイク
のオムニバスです。 「She said She said」あたりから、「Woman」あたりまで、収録されています。 音質は、それなりに良いです。 Made in Australiaとなっています。 BANANAというレーベル名になっています。 販売元が中に日本語の他の発売CDの広告を入れていますので、相当がんばって営業したのだろう、とは思います。 今このシリーズが発売されているのかどうかは、分かりません。 ピアノやギターで弾き語りをしています。 リズム・マシーンが入っているテイクもあります。 ほぼ全ての曲が、完全な形で弾き語りされています。 「オー・ヨーコ」では、リトル・リチャードが「トウッィー・フルッティー」でやる例の掛け声なども入っています。 ジョンのファンなら、相当に楽しめる内容だと思います。 実際、今までは、それほど聴く機会がなかったのですが、どうもこれからは頻繁に聴くことになるそうです。 |
ロイ・オービソンの「オンリー・ザ・ロンリー」を歌っています。
彼はビートルズと一緒にツアーを回ったこともあるようです。
ジョンは、彼のようなメロディ・ラインは好きだったようです。
「プリーズ・プリーズ・ミー」も、彼の影響がありますし、彼が取り上げたスタンダードの「ミスター・ムーンライト」のあのオリエントさはロイのメロディに
通じるものがあります。
彼がプレスリーと同じサン・レーベル出身なことも理由かもしれません。
こうして理由を思いつけば思いつくほど、「どうも、見えざる手が働いているな」と感じずにはいられません。
その意味では理由はない、としか思えざるを得なくなってしまいます。
ビートルズとプレスリーは、一度会ったことがあるようです。
確かエルビスの邸宅でだったように覚えていますが。
その後プレスリーが・・・確か麻薬がらみか何かでビートルズの批判か何かしたような気がしましたが、どうでも良いので忘れてしまいました。
エルビスの1960年代後半のテレビショウでは、イートルズ達の音楽について、「リズム&ブルースが基本になっている・・・・」と方っているシーンがあり
ますが、最後まで言わずに、なにか濁したような印象があったように思います。
そこでエルビスは確かギブソンのES-175を引いていたような気がします。
私も以前、オービルのコピーモデルを持っていました。
ジョージ・ベンソンモデルを買うために売りましたが、そのギターもサックスを買うために売ってしまいました。
サックスはまだあります(笑)。
ローリング・ストーンズがツアーを開始したようですね(2005年8月)。
彼らはバブル真っ只中の時に日本に来ました。
正確にはバブルが終わった直後くらいでしたでしょうか・・・良く覚えていませんが。
私は行きませんでしたが、妹は行ったようです。
当時証券会社に勤めていて、お金持ちのお客さんがチケットを持っている、ということで、行ったようです。
そう言えば不思議に、ストーンズにはプレスリーの薫がしませんね。 ジョージ・ハリスンへの何かがあるのかもしれません。 良く分かりませんが。 |
ところで、直感ですが・・・・・・
直感は、第一段階としては、左脳とかは、関係ないのだろう、と思います。
良く分かりませんが。
メンタル体なのか、生命体全てなのか、脳のほかの部位なのか分かりませんが、そこが、アーカシック・レコードなり、高次元なりの情報をキャッチする のでしょう。
そして、その後、それを右脳でイメージ的に解釈するのか、左脳で文字・言語情報として解釈するのかですが、いろいろ読む限り、声として聞こえるとい
う人もいるようですし、映像のようなものが見える、という人もいるようです。
池田邦吉さんなどは、「創造主の声が聞こえる」というような表現をしています。
どちらで得られたとしても、その言っていること、見えていることが抽象的なことであるのならば、そこでまた、次の直感のようなものが働くのでしょうし、最
後に言葉にするには、左脳が使われるでしょう。
何かの色が知りたいときに、「赤」という情報が得られたような場合、何か赤い映像が見えるのかもしれませんし、赤を想像させる映像が出るのかもしれ
ません。赤を想像させる気持ちがわくのかもしれませんし、「赤」と言う文字が見えたり、聞こえるのかもしれません。
また、問いの回答としての外応もまた、それを判断するのは直感なのではないか?と感じています。
今身の回りで起きていることの、何を見るか?それは何なのか?というような部分ですが。
良く分かりませんが。
そしてそれが何を表しているのか?は、きっと左脳の発達具合、3次元的な知識具合なのでしょうか?
グラフかもしれませんし、形かもしれませんし。
グラフの意味がどうなのか?かもしれませんし、形の意味がどうなのか?かもしれません。
何が言いたいか、と言えば、直感を右脳、左脳以外で得た後、結局それを3次元におろしてくるには、右脳、左脳(主に知識)の発達の度合いが、関わっ
ているのだろうな、ということです。
変な話、「トマト」が見えたとしても、「トマト」がいつ季節のくだもの(野菜じゃないらしい)なのか、どんな味のものなのか、何と言う名前で呼ばれ
ている食べ物なのか、などを知っている人と知らない人では、きっと、3次元へのおろし方も違ってくるでしょう。
方位なんかに至っては、どこを基準としてかで、ずいぶんと違ってくると思います。
そうなると、自分の住んでいる場所の地球から見た位置、などなど知っているか知らないかでは、おろし方も違ってくるでしょう。
自分のことなら、「そっちへ行く」とか、「あっちの方」とかで良いでしょうが。
その意味では、自分で形にできるもの、つまり「音」とか、そういうものは、3次元に下ろしやすいと感じます。
あるいは、その人の一番分かりやすい方法で直感を得るようになっているのかもしれませんが、それにしても、右脳、左脳の発達具合が良い方が、正しく情報を
得られるように感じます。
どのチームが優勝するか?ということに対して、答えを得られたとき、仮に龍が見えたとしても、それが「ドラゴンズ」に通じるためには、球団名を知っ
ている必要があります。
「ド・・・」というような情報が来ても、「ドラゴンズ」を知らなくてはいけません。
「真ん中よりは西方面にあるチームで、有名な選手だった人が監督をしている」という情報なら、タイガーズだってそうですので、なんとも言えません。
占いで、全ての監督の運を占って、その上で一番運の良い監督をして、優勝する、とするような方法であれば、直感は関係ないのでしょうが。
その意味では、直感のするどい人が近くにいる場合でも、「どんな感じ?」とでも、聞いてみれば、ものによっては、その人よりも、他人の方が、正しく
情報を判断できることもあるのかもしれませんね。
意外と、それではずれている超能力者、というものいるかもしれません(笑)。
単なる空想ですが。
ネット上で長文を掲載する時は、。で改行すると読みやすいように感じます。
以前、海外の大学のサイトを作成したことがありました。
担当の人は、文章の始めで一字開けて、・・・・などなどと、紙で書くときとまったく同じやり
かたを求めましたが、それをそのままやると、非常に読みにくかったです。
結局、ネット上での全体の構成で判断することになりましたが。
さて・・・・・・
私は人が「創造主の分身である」とするのが、好きです。
理由は分かりませんが。
ただ、変な宗教のように、偉い人がいて、その下につく、というあり方が、「みんな創造主の分
身」ということで、「あってはならないこと」となりますので、好きなのいかもしれません。
この「あなたも私もポッキー!」状態が、私はても好きです。
ここでも、「祈る」事はいけない、と言っているようです。
また「手放す」ということについても、語っています。
「実現を妨げるよう
な無意識の「信条」または「思考形態」を、どこかから取り込んでいないか点検して、それを手放すことも大切です。」
と書かれていますが、これは、私にはあるかもしれません。
それらは間違った概念であるのでしょう。
ひとつずつ取り去って行く必要があるのでしょう。
ある日突然、全てなくなることを希望しますが。
なにせ無意識なので、分かりにくいですが、私なら・・・
「実力相応のもの・・・」
というような概念でしょうか?
そもそも、全てが生まれる前から決まっていた、ということなら、実力もへったくれもないはず
です。
また何をして「その人の真の実力」といっているのかも疑問です。
一番知らないのは自分かもしれません。
「努力相応・・・」
でしょうか?
そもそも、この世は努力相応になどなっていません。
生まれた時点で差が付いています。
「正しいことをした度合い・・・」
でしょうか?
何が正しいかだなんて、きっとあの世から見てみないと分かりません。
「宇宙の理に従った度合い・・・」
でしょうか?
本当に自分がそうしているのかだなんてことは、客観視できるでしょうか?
見える事実とは、自分の意識レベルによる主観でしかないように感じます。
「ずうずうしいかもしれないが・・・」
でしょううか?
「自分だけ幸せになって良いのだろうか?」
でしょうか?
「自分は日本人としては、今のところ、決して恵まれているわけではないが、それでも、自分と、自分より恵まれていない人では、何が違うのだろう?」
でしょうか?
「自分より恵まれている人と自分は何が違うのだろう?」
でしょうか?
「金持ちで社会的地位もあるが、あんな奴のような人間にはなりたくない」
でしょうか?
「差をつけたくない」
でしょうか?
「対等とは、どういうことだろか?」
でしょうか?
「自分が財産、地位、学歴などが下でも、対等になれるだろうか?」
ということでしょうか?
逆に
「自分より恵まれていない人と、対等になれるだろうか?」
ということでしょうか?
みんなさんは、どう思うでしょうか?
競泳の田中雅美選手(だったかな)が潜水の記録に挑戦しました。
無事、日本記録を達成したようですが。
彼女が、なかなか、私には響くことを言っていました。
彼女曰く、「現役時代が一番輝いていた、と思いたくないので挑戦しました・・・。」
私には、とても響く言葉です。
是非、今が一番輝いていることを目指したいと感じます。
228:Rubber Soul |
||||
ビートルズです。 有名なアルバムです。 好き、ということに関しては、「サージェントペパー・・・」より好きです。 曲目です。
有名な曲が多いですが、以前は「ミッシェル」、「ガール」と言った曲が好きでした。 「愛のことば」は、好きな曲です。 オルガンのせいか、どこかゾンビーズを感じさせる曲調ですが、どこか60年代を強調したようなテイストを持っています。 ビートルズらしくない曲とも言えます。 |
この一つ前が、「ヘルプ」ですので、急にこのアルバムあたりから、テイストが変わってきた
ようですね。
と言いますか、やはり、このアルバムは変っています。
この後の、「リボルバー」、「サージェント・・・」、「ホワイトアルバム」、「マジカルミステリー・ツアー」、「テット・イト・ビー」、「アビーロード」
なども、名アルバムと言われるのですが、どこか違います。
音が妙に高域が耳に残りるせいかもしれません。
ライナーによるとギターに、ストラトキャスターを数曲使用しているようですが、そのせいかも しれません。
ステレオが、なぜか、極端なものに戻ったせいかもしれません。
シングルヒット用の曲が、ないからかもしれません。
「一人ぼっちのあいつ」、「ユー・ウオント・シー・ミー」などはポップですが、どこか全てのビートルズを通して見ると、角がある印象です。
ギターの音色のせいかもしれませんが。
私個人の思い出としては、このLPを買ってきたとき、ちょうど親戚が遊びにきており、鉄板で焼肉をやったのですが、モツを焼いたとき、油がはねて、ライ
ナーノーツにしみが出来てしまった(笑)ということがあります。
さて・・・・・・
また江原さんのテレビを見ていましたら、定職につかない男性に対して江原さんが、「仕事は楽しくないものです・・・」
というようなことを言っていました。
こういう人はたくさんいますが、私は本当にこれは、誤解があるように感じます。
当人も分かっているのかもしれないのですが、私はやはり、少なくとも「得意で好きなこと」を
選び、その中で「辛いこともあって当たりまえ」、という言い方をしないといけないのではないかと感じます。
ああいいますと、以前の私のようなバカが、本当にわざと「嫌いで、不得意」な仕事を選んで、
これが運をつかむコツだ、これが魂を磨く早道だ、と勘違いして、失敗をするように思います。
「それは、あなたが極端にバカだっただけです」
と言われれば、「まあね」とも思いますが(笑)。
ただ、人間、ワラにでもすがってしまわなくては、しかたがない状態の時というのはあるように
思いますので、是非、正確に言ってほしいと思います。
多くの人間は、そういう時でなければ、霊能者だとか、宗教だとか、そのたぐいのもには見向きもしないものだと思います。
もちろん、本当に「仕事はつまらないものだ」と思っているのでしたら、私とは意見が違うよう
ですので、それで良いのですが。
もちろん、どうしようが、運命の通りにしか職業も選択できない、という”事実”を考えれば、どうでも良いことのようにも感じますが。
また、同じ番組で、その相談者(正確には相談者の夫)に、「18才くらいから憑依されてい
る」と言っていました。
その後、江原さんは、「私は掃除屋のようなものなので、あなたが生き方、考え方を変えなければ、また憑依されるので、しません」
とも言っていました。
確かにその通りだと感じます。
ただ、もっと言えば、運命で、彼がそういう生活態度をその期間取る、ということは決まってい
たように思います。
それを霊能者的に見れば、憑依されてい
る、というものが見えるだと思います。
精神科医が見れば、うつ状態です、と見えるでしょう。
栄養士さんが見れば、ビタミンが足りない、と見えるかもしれないです。
今の状態を見る一般的な占い師が見れば、「今はよくない」、と出るでしょう。
それが直ったとしても、
霊能者的には、「心がけで霊が去った」と、言うかもしれませんし、
精神科医が見れば、「気分転換・薬の投与で、うつ症状が改善された」と言うかも知れません。
栄養士さんは、「栄養バランスがよくなった」と言うでしょうか。
今を見る一般的な占い師さんは、「運がよくなった」と言うかもしれません。
しかし、それぞれの立場の人のそれぞれの反応も含めて、それは生まれる前から決まっていた運
命なのだと感じます。
仮に霊能者でも、精神科医でもなんでも良いのですが、この場合なら江原さんのアドバイスに
よって、ある人が、よくなったとしても、その時、その人と会い、直す、直る、ということ自体が、運命で決まっていたように感じます。
しかし、そうとは言え、それが事実でも、「どうせ決まっているのだから」とだけしてしまう
と・・・
この場合なら・・・
江原さんという霊能者と会って、相談者が直る、ということが運命で決まっているのかもしれないので、前向きに、その流れに素直に乗るのが良いのでしょう。
「どうせ直るのが運命で決まっているのだから、全てを無視しても、やはりなおる」、という発
想だ
と、その無視をしているそれ自体がまた決まった運命の可能性もあるので、どんな流れにでも、乗ってみたほうが良いのかも知れません。
これは、なかなか面白い発想だな、と自分では思っています。
つまり一体全体、どこまでが本当に決まってるのだ、ということにも繫がるのですが。
船井幸雄さんや森田健さんの書いていることを解釈すると、本当に、口から出る、一言一言ですら生まれる前から決まっているのではないか、とすら、思えてし
まいます。
どうせ決まっているのなら、少なくとも自意識の中では、積極的に、あるいは自分が納得できることをやりたいと感じます。
ただ、森田健さんは、ハンドルを手放せ、と言っています。
これは両立できないでしょうか?
エンジンだけは自分で走らせ、ハンドルは持たない、というような状態ですが。
ハンドルを切るのはもちろん高次元の何か、決められた運命となるのだと思いますが。
川の上のたらいでは、エンジンすら、高次元のものです。
これは事実なのかもしれません。
そうであるなら、もう仕方がないことなのですが。
諦めない、ということは、ハンドルを持ち続ける、ということなのだと思います。
諦めたとたんに、願望が叶う・・・
これを考えると、ひょっとしたら、ハンドルを握りしめてエンジンを加速して、加速しきったところで、ハンドルから手を放してしまうと、何か別の次元に行け
るのでしょうか?
まったくの空想ですが。
それとも、動力もまた、川の流れのように運命下のものなのでしょうか?
動力とハンドルを分けて考えることに、運命の流れに歩いて、どれほどの意味があるのか良く分
かりませんが、ちょっと面白いな、と感じました。
http://www21.0038.net/~gaia-as1/qa03d.html#intentに、
次のようなものがあります。Q&Aの回答です。
(引用)
『(03/06)意図したら手放す
(A)私が頂くメールの中で、「意図する」ことにつ
いて混乱がみられますので、ここにまとめておきます。
私たちに与えられている最も大きい特性は「創
造」です。
私たちは、天賦の創造力によって、自分や周囲
環境の現実を創造しながら今生での目的を遂行するために、やって来た存在です。「意図」や「行動」は、そのための具体的な手段です。
ここまでの理解には大きい混乱はありません
が、問題はその先です。
意図したことが実現するまでに、普通は、何年
もかかります(波動レベルが上がるにつれ、この期間は短縮されていきます)。
特に多数の者の意識や行動を変えることは、実
現するまでに相当な期間を要することが避けられません――その内容が地球の意思に沿い、全体の進化に寄与するものであれば、これすらも不可能ではありませ
んが。
そこで、いったん何かを意図したら、それが実
現することを信頼して、「手放す」ことが肝心です。
しかし、「手放す」といっても、簡単には「忘
れてしまう」ことはできないでしょう。
ここから、「完全には忘れていない」点では同
じでも、微妙な違いが出てきます。
(Aさん)手放して、その実現を信じている心の
状態
(B
さん)ちっとも実現しないと思いながら、いつまでもそのテーマを引きずっている心の状態
(B
さん)のように、いつまでも引きずるのは、うわべだけ意図していて、本心では(潜在意識では)それが実現することを信頼していないのです。
信じていない現実を創造することは物理的に不
可能なので、せっかくの「意図」が生きてこないことになります。
(B
さん)のようなワナに嵌まっている方は、自分の創造力を、もっと信頼する必要があります。
そしてそれを、「望ましくない現実」の創造に向けるのではなく、「望ましい現実」の創造に使
う習慣をつける必要があるでしょう。
(以上)
願望実現についてですが、
そこで、いったん何かを意図したら、それが実
現することを信頼して、「手放す」ことが肝心です。
しかし、「手放す」といっても、簡単には「忘
れてしまう」ことはできないでしょう。
ここから、「完全には忘れていない」点では同
じでも、微妙な違いが出てきます。
(Aさん)手放して、その実現を信じている心の
状態
(Bさん)ちっとも実現しないと思いながら、いつまでもそのテーマを引きずっている心の状態
やはり政木和三さんの「完全に諦める」は、正しい可能性が高いのですが、「諦める」より、「忘れる」、「手放す」のほうが、針をマイナスに向けるようなイ
メージがありませんので、きっとしっくりくる説明なのでしょう。
私に足りなかったことの最新情報としては、「手放して、その実現を信じている心の状態」です。
これは、最近読んでいる浅見帆帆子さんの本にも、似たようなことが出てきます。
参考にしてみます。
ただ、どうして、こういう人達はそれを知っているのか?と感じてしまいます。
もちろん、政木さんなり、小松さんなりは、高次元や宇宙からの情報で知った、ということで、
良いのですが、浅見さんに至っては、「私は何かが見えたりする体質ではないです」とまで、言っています。
もちろん、知る運命であった、ということで、全てかたはつきますが、一体3次元的には、どう
違うのでしょうか?
それを言ったら、お金持ちと庶民に生まれてくるのとの違いと同じこと、となってしまうかもしれませんが、少なくとも、生まれた状態、と、知識とでは、3次
元的にだけは、別に考えて見たいものだと思います。
浅見さんの本を読んでいると、どうも、母親の影響があるように感じます。
きっと、そういう家系は、そういう知恵、知識を先祖代々、ついでいくのかもしれません。
その意味では、皇族の方々はたくさんのことを知っているのかもしれません。
小松さんのサイトにも、太古からの情報を伝承していた人達がいつしか、それを隠し、その知識
を知っている家系の一族が存在しており、それ相応の活動の仕方をしている、というような内容があったように思います。
財閥の一族などはそうなのでしょうか?
その家系に生まれたことも、運命だと言ってしまえばそうですが、それでも、家系のどこかで、
こういった高次元的な情報を知る、ということは、必要なようにも感じます。
そして、それを代々伝えていく、と・・・。
もちろん、代々間違ったことを伝えてしまっていて、時流が変ったことにより、いよいよ通用し
なくなった、という一族もあるようですが。
それを考えると、皇族は、正しいようですね。
これ以上、このアルバムでは続けられないので、ここまでにします。
ビートルズでした。
229:Magical Mystery Tour: ビートルズ |
||||
ビートルズのTV映画のサントラ+当時のシングルヒットが収録されています。
私はこれは、映画館で見ました。 確か中学生の時で、母親と妹と行ったように覚えています。 この作品と、シェアスタジアムでのライブの2本立てでした。 小学生の高学年では、どちらかと言うと太り気味だったのに、映画館の大きな鏡に映った自分の姿がものすごくやせていたのでびっくりしたのを覚えています。 男ですので、ほどんと鏡、しかも姿見など見ませんでしたので。 それ以来、私は基本的にほとんど同じような体型をしています。 ただ、当時はずんどうでしたが、今は男の体つきをしていますが(笑)。 映画は、なんとも、アバンギャルドな内容でしたので、中学生の私には、ピンと来ませんでしたが、「ユア・マザー・シュッド・ノー」という曲がものすごく良 く、その後、何日か夢に出てくるような状態でしたので、なけなしの小遣いを叩いて購入しました。 |
『時
間
の圧縮とその効果
地球の波動上 昇と共に、太陽や宇宙の脈動との 同期がとれるようになってきています。その結果「時間の圧縮」が現実に起こっています。2001年9月までの 12ヶ月間に、地球の時間は3ヶ月圧縮されたとのことです。つまりこの間、15ヶ月が経過したことになります。さらに2002年には6ヶ月圧縮される見込 みなので、1年で18ヶ月経過することになります。年とともに、圧縮の幅がさらに大きくなります。1年の間に、何年分も経過するようになります。地上での 低次元の争い事などに関係なく、「神の計画」は着実に進行しているのです。
これは何を意 味するでしょうか。アセンション していない者にとっては、この1年間で15ヶ月分老いたことになります。さらに将来にわたって、寿命の短縮が加速 することを意味します。全ては選択の問題だから、良し悪しには関係ありません。しかし地球の視点では、地球のアセンションのために必要な「浄化」が加速す ることになるのです。一方、アセンションしている者にとっては、15ヶ月分のアセンションのプロセスを、1年で実現できたことになります。』
(以上)
時間が短くなった、ということです。
私はこれが、”本〜当〜う”に、実感されます。
『2001
年9月までの
12ヶ月間に、地球の時間は3ヶ月圧縮されたとのことです。つまりこの間、15ヶ月が経過したことになります。さらに2002年には6ヶ月圧縮される見込
みなので、1年で18ヶ月経過することになります。年とともに、圧縮の幅がさらに大きくなります。』
ということのようです。
2001年で3ヶ月、2002年で半年ですので、今は、ひょっとすると、単純すぎる計算をしますと、1年で3ヶ月としてしまうと、2002年から3年経っ
ていますので、3ヶ月が3年分で、9ヶ月、増えた・・・つまり今は、6+9で、15ヶ月、1年で27ヶ月の時間が経っているのかもしれません(驚)。
1年が2年と3ヶ月・・・と言うよりも、私の感覚では、10年前との比較では・・・
1日が半分くらい、1週間が2,3日くらい、1ヶ月が1,2週間くらい、1年が、半年くらいの感覚です。
私の感覚が麻痺しているのかもしれません。
良いところは、待つのが辛くなくなった、ということですが(笑)。
みなさんは、いかがでしょうか?
そうすると、この1,2年で10年前の、4,5年分(正確ではない)の何かが出来ていても不思議ではない、ということなのでしょうか?
身の回りを見てみますと、確かに、知りもしなかった、あの世の仕組みなどが、知識として、かなり入ってきました。
世良譲さん、ジョージ川口さん、松本英彦さんなど、私の中で一世を風靡した方々が、多くなくなっています。
後は・・・実感できることとしては、それくらいですが、きっと他にもあるのかもしれません。
船井幸雄さんの本など読んでいますと、確かに、ここ数年の高次元についての新しい情報というのは、森田健さん
の活躍もありますが、圧倒的に多くなっています。
これが本当かどうかは、分かりませんが、私には、本当のように思えます。
みなさんは、どう思うでしょうか?
ビートルズでした。
230: ABBEY ROAD, The Beatles |
||||
あまにりにも有名なアルアムです。 左の自動車のナンバーや、ポールがはだしであることなどから、ポール死亡説まで、飛び出しました。 曲目です。
あまりにも、いろいろなところで語られていますので、できるだけ違うことを書こうと思います。 いつもそうだ、と言えばそうですが(笑)。 |
私的にこのアルバムは、ポールがベーシストとして主張した最後のアルバム、であるのではないかと感じます。
この後、ソロ、ウィングスなどで、たくさんのアルバムをリリースしていますが、私の耳には、それらには、ベーシストとして主張するポールの姿はなくなって
いるように思います。
メロディメーカー、シンガーとしてのポールの姿は見られますが。
もちろん、それらのアルバムでも、ポールは、”良いベーシスト”としてプレイしています。
しかし、ベースという楽器で主張することは、していないようです。
理由はなんでしょうか?
一つはバンドメンバーの演奏能力が上がったことがあるのだろうと思います。
特にギターだと思います。
ジョージは味のあるギタリストではありましたが、決してスタジオミュージシャンのように、多彩なプレイをそつなくこなす、というタイプではないように思い
ます。
ジョンもリードを弾きますが、決して、本格的にギタリストをやろうとは思っていなかったのだろうと感じます。
そんな中で、ポールがサウンドを作っていこうとすると、自然自らのベースで全体のサウンドを彩っていかなくてはならなかったのだろうと感じます。
このアルバムでも、例えば「カムトウギャザー」でも、ギタリストが、一般的なギタリストであったならば、きっとああいうサウンドにはならなかったの
かもしれません。
ジョンのライブで、この曲が演奏されていますが、ギターはエリック・クラプトンです。
エリックは当時、いろいろあって、実力の半分程度しか発揮できない状態でしたが、それでも、やはりギタリストが一般的な人間であれば、ポールのあのベース
フレーズは、ギターが演奏していた可能性は高いだろう、と感じます。
ほかでも、ポールのベースが目立つ曲として、例えば、「タックスマン」などでも、もし、ギターが、もっと複雑なリズムを刻めたりしたなら、あのベースの音
の大きさのミキシング、あるいはフレーズはなかったかもしれません。
うるさくて仕方がありません。
しかし、ジョージはシンプルなリズムを刻みます。
そうであれば、今度はベースが動かないことには、間が埋まりません。
「ペニーレイン」などは、おそらく意図して、ああいうサウンドにしたのでしょう。
「サムシング」はどうでしょうか?
あの曲はどうも意図して、ああいうサウンドになったのではないように思います。
もし、キーボード奏者なり、一般的なギター奏者なりがいたら、ずっと音数が多かったことでしょう。
そうなりますと、あそこまで、ベースが動きますと、うるさいです。
少なくとも、ミキシングでベースのバランスを小さくする必要があったろう、と感じます。
「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」なんかは、ベースが聞こえると聴こえないとではまったく違う印象になります。
「ヘイ・ブルドック」、「ドント・レット・ミー・ダウン」など、他にもいくらでも、ポールのベースラインが絶妙な曲はありますが、基本的には、そう いったバンドメンバーとの兼ね合いから生まれたものだろうと思います。
但し、それによって、結果として、ビートルズのサウンドに特長が出たのは確かです。
あるいは、普通、そうなるであろう、と思われるサウンドよりも、ずっと良くなったのも確かだと感じます。
ここを考えると、やはりもう3次元的に理由を考えるのは不可能だと感じます。
やはり、高次元のどこかで、何かが決まっていて、こういう種類のメンバーが一緒になり、こういうサウンドが出来上がり、ビートルズの名が今のようになった
のでしょう。
同じ方面から考えると、このビートルズのジョンの奥さんが、”日本人”である小野洋子さんだ、ということは、すごいことだと改めて感じます。
みなさんは、感じませんか?
フジの中野アナなんて、軽井沢でジョンとヨーコと一緒に写真まで撮ってしまっています。
経済とか、そういう話で日本人が登場するなら、ある意味3次元的によく分かる話ですが、ジョンの奥さんが洋子さん・・・・・・
今ではあまりに、知られた話で、麻痺している人も多いと思いますが、これはすごいことです。
ちなみに、日本人であるがゆえに麻痺する話というのは、いくつかあるようで・・・
ヘレン・メリルの息子さんが、日本でロックバンドをやっていた、とか、
ポール・ギルバートが、良くテレビに出ている、とか、
デビ婦人が芸能活動をしている、とか、
北野たけしの本業がコメディアンである、とか、
世界的に見ると、不思議なことが日本にはたくさんあるようです。
アルバム最後のヒュージ・メドレーですが・・・
これは、出来かけの曲の繋ぎ合わせということですが、これらの4人のメンバーによって断片として作曲されたメロディが、いろいろ組み合わさって、数々の名
曲になっていたのですね。
解散後のそれぞれの作品でビートルズっぽいと思われえる作品として、ジョンの「ウーマン」や、ポール「アンクル・アルバート~ハルセイ提督」などが、思い
つきますが、やはり、ビートルズのそれとは、いくらか違います。
きっと、そこへ、ジョンならポール、ポールならジョン、あるいはその他2人のメンバーのエッセンスが入ってくると、”ビートルズ”になるのかもしれませ
ん。
ポールの「バンド・オン・ザ・ラン」などは、メロディの形を取っていますので、あたかもアビーロードをおじさせるような曲ですが、あのマイナーになるBメ
ロが、たとえば、ホワイトアルバムも、「ハッピーネス・イズ・ア・ウオーム・ガン」のマイナーのメロディの部分であったりしたら、まったくアビーロードの
ような気がします。
その意味では一番ポールらしいメロディをもった曲は何か?と考えると、私は「マル・オブ・キンタイアー」ではないか?と思えてしまいます。
あのいかにもアイルランド、という感じのメロディがポールなのではないでしょうか?
ジョンは?と言えば・・・・・・
私は「恋する二人」が、そうなのではないかと今は感じます。
リズムがストレートで、大きな特長的な変化がなく、それでいて、サビでマイナーを少しブルージーに聴かせるメロディ・・・
これがジョンのように感じます。
ジョージは、良く分かりません。
どんどん進化、変化していたようにも感じます。
ただ、初期の「ドント・バザー・ミー」などの曲は、いかにもギタリストが作ったk曲、という雰囲気に溢れています。
ギタリストでああいうマイナーの曲を書く人は、多いように思います。
何か共通したものがあるのかもしれません。
一つはロック・ギタリストは、音が大き目立つせいでしょうか、ギターが女性の体をイメージさせるせいでしょうか、古典的な二の線が好きな人が多いように感
じます。
そこらへんが、どこかニヒルなものを好むようなところがあるのでしょうか?
それが、マイナーのああいう曲に通じる、と。
よくは分かりません。
単なる仮説ですが。
ついでに書いておくと、ジョージはカントリー調のフレーズをプレイしているときが一番活き活きしているように感じています。
本当は、そういう人なのかもしれません。
それでも、インド風を取り入れたり、いろいろと努力をしていたようですね。
そうやっていれば、きっと、「サムシング」のような名曲が突然やってくることもあるのでしょう。
シナトラが声を出して評価したビートルズソングは、この曲だけだと思います。
リンゴは、カントリー&ウエスタンのアルバムも出していますので、カントリーが好きなのかもしれませんが、「ハニー・ドント」を選んだのは、ジョージに
もっとカントリー調のギターを弾かせてあげようと思ったのかもしれません。
もし、会うことがあったら聞いて見ます(笑)。
ちなみに、リンゴがCMに出たことがある、というのも、日本にいて麻痺しているすごいことの一つだと思います。
さて・・・・・・
対等、ということですが、一体何が同じなので対等、と言うのでしょうか?
人は能力はそれぞれ違います。
地位も違います。
年齢も違います。
お金の量も違います。
運命も違います。
しかし、人は対等のようです。
私が考える「人は対等であり、対等でない」は、どう正しいように感じています。
この言葉がしっくりくるのです。
それでも、何が対等で、何がたいとうでない、という意味が込められているのか、自分でもよく分かりません。
みなさんは、どう思うでしょうか?
科学的には、証明できないでしょうから、仮説なのでしょうが、少なくと
も彼女の統計的には、事実なのだと思います。 そして、これは、どうも私の統計的にも事実に近いようです。 今振り返ってみて、精神レベルが高いとき、と低いときを見てみますと、確かに、それと近い状況が見えてくるようなのです。 |
横の図で言えば、仮に黄色が精神レベル100であれば、赤が80、青が
60とします。 私の経験とあわせれば、これは、仕事上のでの人間関係、恋愛、その他のつきあい、全てに渡って、そのようになっているようです。 |
↑ 上 昇 ↑ |
さて、この螺旋を見ていて感じたのは、「同じような登場人物が出てく
る」ということに、どこか決まった運命を感じました。 しかし、それは、自分でコントロールできる精神レベルによって、相手の精神レベルも変わってくる。 良い時には、良い時用の「配役」があり、「悪い時には悪い時用の「配役」がある。 何となくですが、これだけでも、私には、100%運命は決まっている、ということはないのではないか?と感じてきています。 ただ、変えるにしても、時間は必要なようです。 仮に浅見さんの本にある事例を見てみても、8ヶ月であったり、3ヶ月であったりしているようです。 |
1〜20 | 21〜40 | 41〜60 | 61〜80 | 81〜100 | 101〜120 | 121〜140 | 141〜160 | 161〜180 | 181〜200 | |||||||||||
201〜220 | 221〜230 231〜240 |
241〜260 | 261〜280 | 281〜300 |
クリスマスアルバムのコーナー |
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