理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

 

1〜20   21〜40   41〜60   61〜80   81〜100   101〜120   121〜140   141〜160   161〜180 181〜200      
201〜220   221〜230
231〜240
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クリスマスアルバムのコーナー                          

 






221:ア・ハード・ディズ・ナイト(ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!)
:ビートルズ
   
  ビートルズです。

曲目です。

1.ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!
2.恋する二人
3.恋におちたら
4.すてきなダンス
5.アンド・アイ・ラヴ・ハー
6.テル・ミー・ホワイ
7.キャント・バイ・ミー・ラヴ
8.エニイ・タイム・アット・オール
9.ぼくが泣く
10.今日の誓い
11.家に帰れば
12.ユー・キャント・ドゥ・ザット
13.アイル・ビー・バック


このアルバムから、録音機材が変わったそうです。
もう忘れてしまいましたが、2トラックから4トラックになったか、なにかだったかと思います。

前2枚のアルバムと比べますと、音(音色)の密度が高くなっています。


 これは、一番最後に購入したビートルズのオリジナルアルバムになります。

別に一番嫌いな訳ではなく、とにかくそうなってしまいました。
理由は次に登場する海賊盤アルバムのせいだと思います。
このアルバムの曲がステレオで収録されており、加えて「ライブ・アット・シェアスタジアム」まで入っています。


この正規盤のアルバムはモノラルです。
LPではステレオでした。
例によって極端なステレオですが、前2枚よりは、まだ極端差加減が少なくなっていました。


私は以前は、このアルバムに代表されるような初期のビートルズが好きでした。
今ではどちらも好きですが。

どうもそれは、本当はポールの音楽性よりも、ジョンの音楽性が好きだからではないか?と感じ ています。

以前は単に荒削りな生のビートルズのような雰囲気の方が好きなのではないか、と思っていまし た。
あるいは、どこかに50’Sの匂いを色濃く残しているからか、とも思っていました。
実際、初期の作品には過去のスタンダードがたくさん収録されています。

今思えば、それすらジョンの音楽性だったのでだろう、と思っています。


私は、大学生だったか、それより前だったか、性格を変えようと思い、ジョン好きだったのを強引にポール好きに変えました(笑)。
物心付いた時から、いろいろな人に、わがままだ、とか、素直じゃない、とか、落ち着きがない、とか、頻繁に言われていました。
ですので、「そうなんだろうか?それでは、革新的(音楽的ではなく、行動的に)なジョンよりも、ポール好きに変えたら、うまく立ち回れる人間になれるかも しれないな・・・」
と思ったのでした。

しかし、結果は確かにポールを好きにはなりましたが・・・・いや、別に前からポールも好きで したので、ジョンを聴かなくなっただけかもしれません。
性格は変わったかと言えば、別に変わらなかったように思います。
ただ、抑えるようにはなったかと思います。
変わったのではありません。

この傾向は、例の”前の会社”で更に助長されたように思います(笑)。
結局、性格なんてものは、変えられないようです。
変える必要などもないのでしょう。

ただ、その性格が正しく発揮できるように、”事実”をたくさん知る必要はあるのだろうと考えています。
輪廻転生する、という事実だけでも、知っているといないとでは、ずいぶん性格の活用方法も変わってくるのかもしれません。
みなさんはどう思うでしょうか?


ビートルズは初期はジョンが音楽面でのリーダーであり、中期にかけて段々とポールに移って行き、最後の方はほとんどポールのバンドのようなイメージすら 漂ってくる音楽性を帯びていたようです。

時代が、ポールのような試行錯誤をする音楽性を求めていたということもあるでしょう。
ベーシストであったため、音楽面での深い部分をポールが一番吸収して行った、ということもあるでしょう。

但しそれらは3次元的理由であり、本当の理由は、そういう運命だったのだと思います。
それは、ビートルズというバンドができた、ということとまったく同じ理由なのだと思います。
もっと言えば、同時期にメンバーの4人がこの世に転生してくることを決めたのも、同じ理由なはずです。


ジョンの音楽的特徴は、ポールと同様、分かりやすいメロディラインにあると思います。
しかし、ポールのそれとは、メロディラインにおいて、ずいぶん違いがあります。

ポールの曲は、イージーリスニングにも成り易いメロディが多いですが、ジョンのものは、難しいものが多いです。
もちろん、イマジン、ガールなどは、イージーリスニング・オーケストラにも、取り上げられています。

しかし、それは稀であるように感じます。

むしろ、「ノルウエーの森」、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」などのように、モダン・ジャズの題材として取り上げられるような曲に、その特徴があるでしょ う。


ビートルズの曲には、曲の前半と後半で、作曲者が異なるものが多くあります。
「ベイビー・ユー・アーリッチマン」などは、非常に分かりやすく分かれています。

ここまで極端でなくとも、4人がそれぞれ、意見を出したりアドバイスしたりして、1曲が作られている場合が多いようです。
そういうことがいろいろ書いてある本を以前持っていましたが、貸したまま戻ってきません。
ルーティーンというビートルズのコピーバンドにいた小松さんというジョン役の人ですが、返ってくるのを待っています(笑)。



「ミッシェル」のサビの部分、「I love you, I love you, I love you〜」の所などは、ジョンが「もっとブルージーに」と言った事によってできたメロディらしいです。
ポールは解散後、いろいろな人をジョンの代わりとして、音楽的なパートナーとしてきましたが、ポール曰く、「ジョンほどの相手はいなかった」ということで す。
それはそうでしょう。
今書いていて、ポールよりも、きっと私達リスナーの方が、よく分かっているのだと感じました。
あまりに当然過ぎます。

どうも、自分がすご過ぎると、自分の立場というか、他人が自分をどう見ているのかが分からないということはあるようです。

きっとポールは、ポールとジョンというコンビを我々がどれくらいモノ過いものであると認識しているのかを、正しく理解していないことでしょう。
無理もないと思います。
きっとポールは、「キャロル・キングとゲーリー・ゴフィンよりは、少しはすごいかもしれない」、程度にしか思っていないのかもしれません。
音楽ファンであるポールのことを考えると、ビートルズをファンとして聴くことができなかったということが、可愛そうなことなのかもしれません。

きっとビートルズくらいです。そのもの自身になるよりも、ファンでいて良かった、と思えるのは。


もしポールが今、「だれかと組みたいんだけど、誰がいいだろうか?」と相談してきたとしたら・・・
是非、日本人と・・・・・・佐野元春さんと組んでもらいたいと思います。
あの人は、相手がだれだろうと、手加減しないようです。
どんなに偉い人でも。

それに、西洋人ではだめです。
日本人でないと。
理由はそれだけですが。






いろいろ読んできましたが、運命の流れを考えるとき、たとえば悪い場合ですが・・・
その状態を指して、「氣の流れが停滞している」、「運命の流れが悪くなっている」、「霊に憑依されている」、「ポジティブな気持ちではない」、「先祖供養 ができていない」・・・などなど、他にも、いろいろと解説されており、また、それぞれの”事象”が見える人にとっては、本当にそれが見えるのでしょうが、 全部同時に起きているように感じてきました。

どれが先かと なれば、おそらくは、運命でしょう。



ただ、自分の意識の中では、気持ち・考え・思い、と言うものが、先頭に立っているという感覚 が良いのかもしれません。

もし、自分で、”良い”とされる、気持ち・考え・思い、というものが、持とうと思って持てる 状態(但しある程度長いスパン)を作れたなら、それは、正に”運命の流れ”が良い方向へ流れている状態であり、その時は、「氣の流れもよくなっている」状 態であり、「霊の憑依も取れた」状態であり、「ポジティブな気持ちを得られている」状態で、「先祖の供養もできている」状態になっているのでしょう。


森田健さんによれば、「自分は何も変わっていない」→「しかし、外側に配置されているものを 変えたことにより、運がよくなる」ということですが・・・

そうであれば、自分で、”良い”とされる、気持ち・考え・思い、というものが、持とうと思っ て持てる状態を作れたなら、それは、外側の人、物、その他全ての配置が、自然とよい状態になっている”時”なのでしょう。



ですので、、”良い”とされる、気持ち・考え・思いを持つ、氣を入れてもらう、霊の憑依を取 る、など、運命の下に流れるものを取り去ったとしても、肝心の外側、あるいは、運命、というものが、よい方向へ流れてきていない状態ならば、それらはすぐ またもとの状態に戻ってしまうのでしょう。


但し、この仮説は、1:魂:精神のレベルを上げることと・・・2:ツキをよくすることと・・・3: 天国へ行けることは・・・全く別物のようだ(仮説)。
が、前提となっているのですが。

もし、この前提がないと・・・
運命を上げるために、ひたすら意識的な仮善行のみに従事し、運命が悪いと、その理由で地獄と称される場所(実際は古来かから言われているような所ではない が・事実を知らない人の集まる場所)へ、行くという不条理なことになってしまいます。




善行ですが・・・

100円で仕入れたものを150円で売ることは、善行でしょうか?
絶対違います。
しかし、悪業でもありません。

その意味では、賃金を貰っている、稼いでいる人は全て、”善行”でないことを行っていること になります。

しかし、そこで経済活動が発生して、当人が認識していないうちに、世界を活性化しているとい う、無意識の善行が行われています。
この状態が、善行のベストな状態であるようです。

つまりそれは、善行とは、意識してできるものではない、ということなのだと感じます。
ひょっとしたら、これすら、運命の流れが関与しているのではないでしょうか。


政木和三さんの本の中に次のような話がでてきます。
裏覚えですが・・・
政木さんが経営者の方を集めた講演会を行った時に、ある会社の社長さんが質問をしました。
「私もよい年になりましたので、そろそろ会社を息子に任せて、社会奉仕のようなことをして、社会のために世間のためになることをしたいと思っています。何 をすれば良いでしょうか?」
政木さんは、
「あなたは意識して良いことをしようと思っている。それこそ我欲であり、そのようなことをしても、本当の善行とは言えない。引退しようなどとは考えず、で きる間はずっと会社の仕事に携わっていなさい。それこそが本当の善行です。」
というような回答をしました。
政木さんによれば、「その経営者は、何のことだかさっぱり分からない様子であったが・・・」と書いていたように思います。

この話は、善行は意識してできるものではない、ということを、私よりはうまく説明しています ね。
それはそうで、私がその考えにたどり着いた理由の内のひとつは、この政木さんの話ですので(笑)。

森田健さんも同じようなことを書いている時があるように感じます。
ただ、言い方が、少し違いますので、ちょっと読むと、善行否定、のように読めてしまう人もいるかもしれませんが。

要するに、「意識して善行をしても、それは善行ではありえない」ということなのだと思いま す。

ですので、奉仕を直接強要するような言葉は、私は間違いだと感じています。

みなさんはいかがでしょうか?


ちなみに、アメリカ・ドラマのフレンズのあるシーンには、「善行は良いことだが、自分の利益に結びつくことをしてはいけない」、ということで、それを面白 おかしく演ずるシーンがあります。
私はこのドラマは、とても好きです。
内容、ギャグの種類など考えても、アメリカ人にしては、意識レベルの高い人達が作っているなぁ、とか思いながら見ています。

しかし、これは、アメリカ人にしては、比較的ましなことを物語っているようですが、まだ違っ ているようですね。

別に本当の善行は、自分の利益に結びついても良いようです。
ただ、意識してやってはいけないようです。

ドラマでは、
善行=「自分の利益に結びついてはいけない」→「自己犠牲が含まれていなければいけない」
と演出されていますが、これも違うようです。

どこか西洋的な理論展開を感じます。
もっとも、私の以前はそれに近い考えを持っていましたが。


もし、同じような理論展開をするのであれば、

善行=「意識してできるものではない」&「自分の利益が含まれていても構わない」→「宇宙の 理に沿った生活、意識レベルの高い生き方をしていれば、普段の生活の中でそのレベルの度合いによって自然に行われる」

となるかもしれません。


ただ、なんでもそうですが、初心者の内は「形から入る」と身に付きやすいですので、その意味では、多少の意識が入っていても良いのかもしれません。
ただ、それは、本当に最初の内だけで、いつまでもそうではいけないようですが。




今、「ただ、それは、本当に最初の内だけで、いつまでもそうではいけないようですが。」で、 「本等は」ではなく、「あくまで」と言う言葉を使おうと思いましたが、「本等」にしました。

「あくまで」とは、普段使ってはいるものの、実際はどういう意味なのだろう、とずっと思って いましたが、どうやら「本等は」、という意味なのかもしれません。
「あくまで」とはどういう漢字を書くのでしょうか?
「飽くまで」でしょうか?
「厭くまで」でしょうか?

最初にそう思ったのは、よく、同じ発音の言葉同士は同じような言霊が含まれている、というの を読んだときで・・・
「あくまで」と「悪魔」は一緒なのだろうか?一緒なら使いたくないな・・・・・・
と感じた時ですが。
どうやら、船井さんでもだれでも、「あくまで」は使っているようですので、少なくとも悪い意味などは入っていないようですので、今は気にしませんが。

とりあえず、「あくまで」≒「本等は」ということに、自分の中ではしておきたい、と思いま す。



ビートルズでした。



222:The Beatles Hard Day's Night Special:
ビートルズ
   
  海賊盤です。
曲目です。 

1.ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!
2.恋する二人
3.恋におちたら
4.すてきなダンス
5.アンド・アイ・ラヴ・ハー
6.テル・ミー・ホワイ
7.キャント・バイ・ミー・ラヴ
8.エニイ・タイム・アット・オール
9.ぼくが泣く
10.今日の誓い
11.家に帰れば
12.ユー・キャント・ドゥ・ザット
13.アイル・ビー・バック


14:Twist and shout
15.You can't do that
16.All my loving
17.She loves you
18.Things we said today
19.Roll over Beethoven

20.Can't buy me love
21.If I fell
22.I want to hold your hand
23Boys
24.A gard day's niht
25.Long tall Sally


後半はシェアスタジムでのライブですが、LP[ライブ・アット・シェアスタジアム」とまったく同じ曲目ではありませんね。
あのライブは確か2年間の何回かのライブを編集して作ったものですが、音源は同じでしょう。
2曲目は、LPでは「She's a woman」のはずです。
また何曲目か(はじめの方)に、「ディジー・ミス・リジー」が入っていたはずです。

音質はまあまあです。
レコードから高音質のカセットテープに落としたくらいの音質は保っています。

このCDが街でワゴンに入って打っている頃には、確かまだ、ビートルズのCDは全て発売され ていなかったように思います。
ですので、このようなものが貴重だったのです。

トラックは、レコードから落としたもののようですので、もちろんステレオです。
CDでは、今でもモノラルのものしか発売されていませんので、それだけでも貴重です。
もっとも、現在は海賊盤で、ステレオのものもいくつかあるようですが。


かなり早い時期に、このCDを所有していましたので、どうしても、正規盤の購入は遅くなってしまったようです。

これと同じシリーズで、「ヘイ・ジュード」も持っています。
これは、LPでは発売されていたアメリカ盤の後期のベストです。
今では、やはり海賊盤で数種類出ているようです。



さて・・・

最近、「あなたはどう思いますか?」というタイトルの出会い系サイトのメールが良く来ます。
共鳴したのでしょうか(笑)?

共鳴と言えば、
例の音叉のように、近くでもう一つの音叉が鳴っていると、それに共鳴して鳴っていない音叉も鳴り出す、という原理がありますが、
同様ラジオ、テレビ式のこちらから受けたいものと同じ周波数を出すことにより、特定の電波を受け取る、というシステムを考えると、形から入る、思い込む、 というのは、その波動を受け取るに際して、効果のあることなのかもしれませんね。

ちょっとしばらく、やってみます(笑)。



(上のCDで書きかけでしたが、こちらへ引っ越してきました)

先日、細木数子さんが、面白いことを言っていました。

「男女平等だけれども、質は違います」
これは、彼女がよく言うことです。

「平等とはむつかしいものです。お年寄りとも平等です。しかし、電車の中では席を譲ってあげ ます・・・。席を譲るといういことは平等ですか?(しかし席を譲ることは正しいことです)。」
(しかし席を譲ることは正しいことです)は、私が加えたものですが。

細木さん自身に関しては、私よりは、よっぽど意識レベルも波動も、高い人なのだとは思います が、決して、頂点に達しているような人ではないと感じています。

まず、
怒ります(笑)。
脅します(怖)。
きらきら輝く不必要なぜいたく品を身に付けています(羨)。


あれくらいなら、発展の途中として、怒っても別に良いのでしょう。暴力を振るう訳ではありませんし、どうやらその人のことを思ってのようです。


ある程度未来が見えている人なら、発展の途中として、ある程度脅しても、危険を回避させるのは良いのでしょう。
しかし、本当のことを脅さなくては分からない人は、上で書いた仮説が正しければ、またすぐ元に戻ると感じますが。
当人が納得しなくては、またすぐ元に戻ります。運命の流れがそうだからでしょう。

きらきら輝く不必要なぜいたく品は・・・・・・
船井幸雄さんが、増田俊男さんと初めて会ったとき、増田さんは、金ぴかの腕時計をしていたそうです。
船井さんは、
「これからあなたと付き合って行きたいので、まずその時計をするのを止めてください。そんな時計をしていたら、人から信用されません」
と言ったようです。

船井さんは、
「彼は納得してくれました。素直な人です・・・」
としています。

「そんな時計をしていたら、人から信用されません」が本等の理由かどうかは、分かりません。
程度の低い人に信用させるには、そういう手段が非常に有効である時もあります。

あるいは、船井さんが何を言うか・・・増田さんはわざとしていった可能性もあります。

増田さんは、この時点ですでに大成功を収めており、また世界経済のアナリストとしても超一流だったようです。
ですので、そのままでも、、ある程度今世の成長は果たせた状態だったのかもしれません。

しかし、当人も納得した、ということですから、金ぴかの時計をしない、は正しいことなのでしょう。
確かに、一目置く人(私に一目置かれてどうだということもないでしょうが:笑)は、”良いもの”は身に付けていますが、”派手なもの”は身に付けていない ようです。

今流行のセレブを特集している番組にでてくる大金持ちたちは大抵派手な宝飾品を所有しています。
きっと、運命の流れで”お金持ちになる”ことを決めて、今世に出てきた人なのだろう、と解釈しています。

それは、ひょっとしたら、私たちへの落とし穴の役割をになっているのかもしれません。
良く分かりませんが。

ということですので、きらきら輝くぜいたく品をしている人は、どうしても、今ひとつ、信用しきれないところが有ります(笑)。
ただし、良いものは身に付けても良いようですが。

しかしこれも、先の善行と同じで、自分で意識してやっても、何にもならないのだろう、と感じています。
その時自分が、そういうものを欲するのであれば、無理をするより、素直に身に着ける方が、良いのかもしれません。

その意味では、少なくとも、細木さんは、素直ではあるのだと感じます。







さて・・・・・・
「平等とはむつかしいものです。お年寄りとも平等です。しかし、電車の中では席を譲ってあげます・・・。席を譲るといういことは平等ですか?(しかし席を 譲ることは正しいことです)。」
(しかし席を譲ることは正しいことです)は私の加筆:
ですが、


私はこのパラドックスによくはまります。

上のような場合ならば、今ではほとんど困りませんので、構いません。

年を取っているのです。
自分だって、赤ちゃんの時はあった訳です。
幸い、こうして生きています。いろいろな人の力を借りて。
年を取るのと、生まれたては同じことです。
親から受けた恩は、子に返せ、と言いますが、それの亜流だと思えば良いのです。
生まれたての時の恩は、お年寄りに返せば良いだけのことです。



確かに20代くらいの時には、そうはいきませんでしたので、
「このおばあさんも、若いときにはがんばっていたんだ」
「私が今10感じる負荷は、おのおばあさんにとっては、100に違いない。私が赤ちゃんの時だったら、その負荷は1000だったかもしれない。」
などと、少しずつ自分で納得のできる理由を考えながらそうしてきました。

ただ、これは、納得しているというのとは、少し違いますので、本当は正しいこととも言えないのかもしれませんが、形から入る、という意味においてはこれも で良いのかもしれません。


お陰かどうか、女性でも、年下の同性でも、平等ではあるが、その質を考慮する、ということは、”通常の状態”では、今ではほとんど、苦慮なくできます。
年下には、時々、やり過ぎてしまう時もありますが、改善点でしょう。




ただ、はまってしまうのは、競争という概念が混じってしまうような場合です。


なぜはまるかと言えば、私の場合、たとえ競争という状況でも、少なくとも私からは、年齢、性別、その他、考慮すべき質の違いに対して、絶対的に考慮する、 ということをはずさないからのようです。
意識レベルが高いのか、波動が高いのかは知りませんが、そうった人が相手の場合には、暗黙のルールが存在しますので、競争があっても、問題になりません。

しかし、そういう人でない場合、競争、という概念があると、人は、ルールを外して、”法律の範囲内で、法に触れないこと”を全て利用するようです。
もちろん、法に触れること、までやる人は問題外ですが。

但し・・・・・・これは私の場合だけかもしれません。
私は、少し変わっていますので、相手がルールを犯すような相手であった場合、たとえどうであっても、本当に立てなくなるくらいまで、ぶちのめされません と、参った、をしません。
と、言うか、ぶちのめされても、参った、という言葉を言いません。
それでいて、相手がルールを犯して、反則技を使っていることも、相手に告げません。
普通は、適当なところで、嘘でも、「参った」をしますよね。怪我をしたら、大変です。


以前は、そのくせ、後になって、「あいつ、汚い手を使いやがって・・・」なんて、ぼやいていましたが、どうも、このぼやきは、悪い波動、悪い未来を生み出 す可能性が高い、ということがやっと分かりましたので、もう、言わないと思います(笑)。
ようするに愚痴、悪口、うらみ、などということに通じるもののようですので。

さて、ぼやかないと、何かが、変わってくるでしょうか?
楽しみです。





どうして、私は、こんなことをするようになったのでしょうか?



幼児期の体験もあるでしょうし、意識にあるものとして、それを後押ししたのは、鶴田浩二さんの映画であったように思います。
タイトルは忘れましたが・・・

確か、鶴田さんの組の人だったかだれかが、相手の組織に幽閉されてしまうのですが、それを鶴田さんが、連れ戻しに行きます。
鶴田さんは、返せ、と言いますが、当然相手は返しません。

相手は、当然、暴力を使ってきます。
しかし、何かの理由で、鶴田さんはこちらから手を出してはいけない状況でしたので、一切手を出さず、殴られ続けます。
「さあ、殴れ・・・もう気が済んだのか・・・」
と言って殴られ続けます。

そのうち、相手も、その氣に怯んで、
「連れて行け!!」
と、言い出します・・・・・・




何か、この映画を見て以来、「たとえこちらにスジがあると分かっていても、あるいは思っていても、それが言えないような状況、言っても相手が理解しないよ うな状況では、こうするしかないのだな・・・・・・」
とでも、思ったようです。

と、書いていて分かってきましたが、こんなことは、バカなことですね(大笑)。
なんで、こんなバカなことが、バカなことであると分からなかったのでしょうか?私は・・・。
あの映画が潜在意識にでも、入ってしまっていたのでしょうか?



これからは、おかしい、と思ったことは、だれが相手でも、言うようにしようと思います(当たり前でしょう)。
ただ、ただでさえ、組織で生きにくい私のような人間は、もっと、生きにくくなってしまうかもしれませんが。
大元を正せば、組織で生き難い人間性を、なんとか、組織に合わせるためなんとかしよう、という理由があったように感じてきました。

なんだか、ここら辺を20年間くらいループし続けているような気がします。


みなさんは、組織は好きですか?

私は好きな組織はものすごく好きですが、好きでない組織には、どうしても、だめなのです。






組織ということで、いろいろ考えたり、今までのことを振り返ってみますと・・・・・・私には年功序列が、正しく思えてしかたがありません。
競争は一切するな、ということです。
もちろん、20代の時は、そうは思っていませんでしたが(昔との辻褄は合わせません。路線変更です。そうしないと真実に行きつけませんので)。

もう少し正しく言えば、年功序列と能力の折半のようなものが、資本主義下での、最大限の「理」なのかもしれません。
一番いけないのは、年功序列・能力抜きでの、勤続年数序列のように思えてしまいますが・・・。









上記同様、細木さんの出るテレビを見ていましたら、高校生に司会の芸人さんが、ものすごく顔の良い人とものすごく金持ちでは、どちらと結婚する?と質問し てい ました。

答えは「金持ち」だったように思います。
どうでも良いのでよく覚えていませんが。

それよりも、その後に、ハンサムな芸能人を引き合いに出し、「この顔でお金がなかったら?」だったか・・・
3枚目の芸人を出して、「この顔でお金持ちだったら?」・・・
かのどちらかの質問をしていました。
どちらでも、同じなので、覚えていませんが。

答えはどちらだったか、よく覚えていませんが、どうも、「心は?」とか、「精神レベルは?」という質問は出てこないのですね(笑)。



ただ、あそこに出演した人々が全人類を代表しているとは思いませんので、テレビにこまかされないようにしようとは思っていますが(さぁて・・・)。

ただ、少なくとも人類の60%は、代表しているでしょうね・・・

そして、あれを見た35歳より下の人の90%は、あれが人類の縮図だと思い込むのかもしれません。
よく分かりませんが。


ビートルズでした。


223:LET IT BE:ビートルズ
   
  ビートルズです。
私が初めて買ったビートルズのLPはこれでした。
しかし、その前に、ジョン・レノンのベスト盤を買ったように記憶しています。
確かではありませんが・・・。

1.トゥ・オブ・アス
2.ディグ・ア・ポニー
3.アクロス・ザ・ユニバース
4.アイ・ミー・マイン
5.ディグ・イット
6.レット・イット・ビー
7.マギー・メイ
8.アイヴ・ガッタ・フィーリング
9.ワン・アフター・909
10.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
11.フォー・ユー・ブルー
12.ゲット・バック

このアルバムは、同名映画のサントラですので、映画同様、曲の頭や終わりに、メンバーのやり取りが録音されています。
当時中学生だった私はそれがとても好きでした。
なんとも、現場的と言いましょうか、人間味を感じました。
ですので、以降、ビートルズのLPを買った時には、「ああいうやりとりは、入っていないんだな。なんだか無機質だ」と感じたのを覚えています。

それはそうで、いちいちそんなのが入っていたら大変ですね。

映画は映画館で、見たことはありませんが、当時、2,3年に一度くらいは、夏などに深夜テレビで放送されていたように思います。
かまやつひろしさんのナレーションが入るものですが、ムッシュは好きですが、ナレーションは余計だな、と思いながら見ていたのを覚えています。

 確かレコードやさんが、このLPを買ったとき、いろいろおまけをくれて、今はプレミヤが付いているメンバーが馬に乗った下敷きなどをくれました。
実家にあるはずです。

今思い出しますと、「アイヴ・ガッタ・ア・フィーリング」が一番お気に入りだったようです。
この曲も今聴いてみると、おそらく、2つの曲を合わせたものでしょう。
そのようなことがどこかに書いてあったようにも思います。

「アイ・ミー・マイン」は、当時中学1年生でしたので、正に英語の授業みたいなタイトルです ね。

フィルスペクターが、プロデュース、アレンジで参加しています。
ポールが、「ワインディング・ロード」の女性コーラスが気に入っていないのは有名な話ですが、私はこのアレンジは好きです。
他のメンバーも気に入っていたはずです。

当時、イージーリスニングもたくさん聴いていた私には、ここでのストリングス、ブラスの加 わったアレンジは、とても耳に馴染んだものだったのかもしれません。
それがまた、私がビートルズにはまっていった、3次元的理由のひとつになっているのかもしれません。




例の江原さんと三輪さんの番組ですが、江原さんが、波動という言葉を始めて使っているのを聞 きました。
何か新しい知識を取り入れたのでしょうか?

三輪さんは、悪霊がいる、と言っています。
江原さんだったでしょうか、あるいは、森田健さん の不思議エネルギーシリーズだったでしょうか、どこかに、「悪い霊、というのは、いないのよ(女性だったように記憶しています)。ただ、真実を知らないだ けなのです」、というようなことが書いてあったように思います。

要するに、成仏していない霊というのはいる。それを悪霊と呼んでいる。
それらは、真実をしらないから、フォーカス27以上にいけない、
ということを言っているのだ と思いますが、私はもしそういう意味なら悪霊という言葉は好きではありません。
もちろん、そういった霊に同情するわけではありません。
同情してはいけないようです。
若山敏弘さんによれば、「自分で修行して、自分で救われなさい」
と思わなくてはいけないようです。

霊能者ではない限り、守護霊などの霊以外には、関わらないのが良いそ うです。



また、関英男さんや、政木和三さん、江原さんなども書かれていますが、動物霊にも、基本的に は関わってはいけないそうです。
稲荷などにも、人は物を頼んだりしてはいけないようです。

商売繁盛などを稲荷に祈願するというのはあるようですが、確かに結果が出るようなこともある そうなのですが、その代わり、見返りのようなものを求めてくる、というようなことが、江原さんだか、だれか他の人だかの本には書かれていたように思いま す。


ちなみに私が読む限り、上で言われている動物霊というのは、”動物の霊”ではないようです。
稲荷と言うのは、”キツネ”の霊でもないようです。
”動物的な霊”、という意味だそうです。


基本的には、稲荷神社と名前がついているところは、宇迦之魂命(うがのみたまのみこと)とい う神様が祀ってあるのだそうです。
きっと、その存在が、創造主の分魂なのでしょうか?

江原さんの本にそう書いてあったように思いますが、私は、神道の専門家ではないので、良く分 かりません。



関さんの本には、戦後、アメリカ進駐軍が、穴吹稲荷神社を取り壊そうとしたら、羽田空港の滑 走路にキツネが現れて飛行機の進行を邪魔した、というような話も書かれていたと思いますので、きっと、神社を守る役割か何かがあるのでしょう。
良く分かりませんが。
そうではあっても、稲荷に対して、人は願ったりしてはいけない、ようです。

ただ、政木さんが良く書く「神仏とは、物を叶えてくれる存在ではない」、「神仏とは自分の中 にある」と考えれば、神様に対してでさえ、ものをお願いするこ とは、間違っているようですね。

政木さんによれば、「脳波をシータ波、アルファー波にし、氣を体に巡らすため」に、手を合わ せて、そして祈 る形を取るようです。



ちょっと思い出しましたので、書いてみますが、山咲梅代 さんの本だったか、誰かの本には、 終戦後、天皇が進駐軍に「戦争の責任を自分が取る」と言いに行った際には、多くの神々が天皇を守ったので、そうはならなかった、というようなことも書かれ ていたように思います。

池田邦吉さんの本には、皇族は波動が高い、というようなことが書かれていたように思います。
普段の生活もそうなのでしょうが、軽井沢や葉山、塩原のような場所は、”イヤチシロ”なのかもしれませんね。

軽井沢と塩原には言ったことがありますが、葉山は行ったことがありません。
きっと、今の自宅から1時間で行けるのだろう、とは思うのですが(謎)。


船井幸雄.COMでは、
「なぜか高山市と伊賀市と、私のいる熱海市が氣になる。この三つの市が「超イヤシロチ」になると、日本だけでなく、世界中にいいことがありそうだ。」
という船井さんの言葉が書かれています。

みなさんは、どう思うでしょうか?



また、少し疑問が出てきました。
先の江原さんの番組で、江原さんも、三輪さんも、どうやら、ひどいことをされた相手などを「ひどいことをしたな」と思うと、その人に悪いことが起きる ようです。
これは、船井さんも似たようなことを書いています。
船井さんは、会社などに新入社員が入っていたときなど、「あの人はよくないな」思うと、2,3ヶ月で辞めてしまうそうです。
ですので、最近は「嫌いにならないようにしよう」と思っている、と3,4年前の本に書いてあったような気がします。
ちなみに、先の2人も、似たような理由で、人を嫌わないようにしている、ということです。


ここで、思うのは、船井さんの波動の原則によれば、自分の出した波動は自分に返ってくる、ということなのですが、上記のような人達には、そのようなこと は”ない”のでしょうか?


波動の原則すら、その人の持つ霊的能力、波動レベルなどによって、変えられてしまうのでしょうか?

疑問です。


まあ、上記のような人達なら、よほどのことでない限り、人を悪く言ったりはしないのだろう とは、思いますが。



そう言えば細木数子さんが、
「私はめったに、人を脅すようなことは言いません。そうテレビで見えるのは、編集で前後を切り取られているのでそう見えるのです」
というようなことを言っていました。

それは十分有り得ますね。

私は、いつの頃からか、人を見て議論をするようなところが出てきていました。
それは、人によっては、あまり長い話、少し聞き慣れない(むつかしい)?、と思う話をすると、全体をぜんぜん聞かず、切れ切れに文章を持ってきて、そこば かり攻めてくる人がいるからでした。


これなどは、本当に、ビデオの下手な編集に似ているな、と感じます。

ですので、話をする時に、非常に覚悟を要する時もあります。


こういった意味では、テレビに出る、ということ自体も、非常に覚悟を要するものですね。
池田邦吉さんが、ノストラダムスの話で、テレビ出演依頼が来たときに、周りのみんなは反対した、と書いていますが、テレビ局側とすれば、その場限り、とに かく視聴率が取れれば良い、としか考えていないようですし、「出してやって宣伝になってるんだから、いいじゃないか」とも考えているようですので、まじめ な話をする場所としては、非常に不適切な場所であるのは確かですね。





細木さんの言うとおり、「本当は脅していない」、ということであれば、本物の可能性が高くなりますね。
私には、見ただけで完全に人を見抜く超能力などありませんので、一つずつ検証していくしかありません。
ただ、脅すのは絶対にいけないようです。

人によっては、脅されただけで、本当は正しいことを言っているのに、「嘘に違いない」と判断する人もいるでしょう。





最近、とうとう、何を読んだら良いのか分からなくなってきたのか、読む本が本当になくなってきたのか、次へのステップの時期が来たのか知りませんが、読む 本がな くなりました(笑)。
とりあえず、浅見帆帆子さんの2,3年前の本を注文しましたが・・・。




ビートルズでした。


224:LET IT BE...NAKED,   BEATLES    

 
レット・イト・ビーのリミックスおよび、アウトテイクを集めたものです。

「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」は、当初、ポールの意図していた作品になったようです。
私はやはり、前のものが好きですが、ポールがそれでよいと言うなら、それで構いません。

曲目リスト
ディスク: 1(リミックス)
1.ゲット・バック
2.ディグ・ア・ポニー
3.フォー・ユー・ブルー
4.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
5.トゥ・オブ・アス
6.アイヴ・ガッタ・フィーリング
7.ワン・アフター・909
8.ドント・レット・ミー・ダウン
9.アイ・ミー・マイン
10.アクロス・ザ・ユニバース
11.レット・イット・ビー

ディスク: 2(アウト・テイク)
1.サン・キング
2.ドント・レット・ミー・ダウン
3.ワン・アフター909
4.ビコーズ・アイ・ノウ・ユー・ラヴ・ミー・ソー
5.ドント・パス・ミー・バイ
6.テイキング・ア・トリップ・トゥ・カロリナ
7.ジョンズ・ピアノ・ピース
8.チャイルド・オブ・ネイチャー
9.バック・イン・ザ・USSR
10.エヴリー・リトル・シング
11.ドント・レット・ミー・ダウン
12.オール・シングス・マスト・パス
13.シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウ
14.ポールズ・ピアノ・ピース
15.ゲット・バック
16.トゥ・オブ・アス
17.マギー・メイ
18.ファンシー・マイ・チャンセス・ウィズ・ユー
19.キャン・ユーディグ・イット?
20.ゲット・バック(※順不同)


アウト・テイクは、海賊盤などで、たくさん出ていますので、いまさら珍しい、ということはないと思います。
出すのが遅かったと感じます。

もちろん、はじめて聴く人には、とても興味深いものがあるかと思います。



NAKEDは、裸の、という意味ですが、良く会話などにも、出てきますね。
”ネイキッド”という感じの発音です。

私は、発音を何とかカタカナにしようとする癖があります。
もちろんできない言葉もありますが。
これは、先の「人間力UPセミナー」の講師の一人でもあった、ハイディ矢野さんの影響だと思っています。

ハイディさんは、ラジオでやっていた、「百万人の英語」という番組の英語の先生でした。
私は、何年か、ずっと聞き続けていました。

ハイディさんは、今は知りませんが、当時、発音を、より正しいカタカナで表すようなことをしていました。
What a beautiful day! でしたら、きっと、「ワラ・ビュリフォー・デイ!」というようなカタカナにしてくれます。
What are you going to do? でしたら、「ワラ・ユー・ゴイング・ルー(またはトウ)・ドウ?」

などです。
いかがでしょうか?


LET IT BE なら、さながら「レリビー」でしょうか?
BEATLESは、「ビートウズ」でしょうか。

今でも、ハイディさんは、先生をしているのでしょうか?
写真で見る限りでは、20年以上前と、あまり変わっていません。
若々しいです。 









さて・・・・・・
1:魂:精神のレベルを上げること と、2:ツキをよくすることと、3:天国へ行けることは、全く別物のよ うだ(仮説)。
ですが、政木和三さんの本に次のようなことが書かれています。

フーチパターンというのがあります。
フーチとは、磁石の棒を芯にした振り子のことなのですが、それを作る円のパターンにより、人間性、未来のことなどを知ることがでできる、というものです。
船井さんも、政木さんから、教わり、達人のようです。

(引用83ページ:超脳革命:1996年発行:創工能力開発研究所)
『私自身のことをいえば、フーチパターンを作ったばかりの頃は図にあるように、直線である。強情、偏屈で、人の意見は一切受け付けない自我心を表わしてい る。次に二年後には二番目のように変わった。このときにさきに話した真珠の発生現象が起きたが、まだ神を完全には受け入れてびなかった。そして大黒天像な どの仏像が次々に発生し、神秘の世界を疑うことができなくなったとき、三番目のような大きな円い人間性に変化したのである。文字通り、心の器を大きくした ことで、「類は友をよぶ」のことわざ通り、付き合う人間まで変わってしまった。
実は第二生命体が変化する少し前に、フーチパターンによって私は、「昭和五四年二月に死ぬ」と、自分の死期を告げられていた。しかし神の存在を認識し、 「なるようにしかならない」と欲望を捨てて人間性を丸くしたところ、昭和五四年の元旦に啓示があり、「汝は、長年にわたり、多くの陰徳を積たるがゆえに、 寿命を延ばし、力を与える」
といわれたのである。陰徳とは「○○のためにこうしよう、ああしよう」と思わなくても、自然と行為が人のためになっていることを表わすものである。発明の 特許権を放棄し、自分の私利私欲に構わず多くの人に喜びを与え、奉仕し続けてきたことが陰徳と認められたのであろう。
とにかく人間の運命は、宿命とは違って、自分の誠意と意志で自由に改造でき、自分自身の正しい心の形を知ることによって寿命まで変えられるのだ。この世の 中には何かと反目しあっている人が多いが、自分が円満で明るい想念を持ち続ければ、周囲にもそういう人たちばかり集まってくるようになる。相手の人間性を 変えようと思うなら、まずは自分の性格を変えるのが早道なのである。』

図は掲載しませんが、図の説明だけ掲載:

最初の図:昭和59年3月 自我の強い偏屈な人間性
2番目の図:昭和51年7月 自我は強いが超能力型となる(真珠の発生)
3番目の図:昭和53年 まるい人間性となる(仏像の出現  大黒増、恵比寿像、観音像)
4番目の図:昭和55年一月 八幡大菩薩が守護神となられたとき


(以上)


ということです。

政木さんは、幼少時は、良く分かりませんが、比較的うまくいっている人生だったようです。
少なくとも、上記の昭和49年以降は、一般論で言えば、うまく言っている人生です。

その中であっても、例えば昭和49年当時は、「自我の強い偏屈な人間性」です。
昭和53年には、「まるい人間性となる(仏像の出現  大黒増、恵比寿像、観音像)」、ということですので、相当意識レベルの高い人となっていたようで す。


これを見て思うのは、やはり、人間性、魂の成長といったものと、ツキをよくする・良い運命である、ということは、別物のようだ、ということです。

私はこうであったほうが、納得がいきます。

両方がまったく相関関係がないうものである、ということであれば、片方を見て、片方を見間違えることがなくなります。
つまり、今、いくら魂を高めようとがんばっても、ぜんぜんツキもあがらないし、運命もよくない、ひょっとしたら、やっていることが間違っているのではない か?と、かんがぐることがなくなります。
当然、今、ツキを良くしよう、運を良くしようとやっているが、これで、魂の成長が得られるのだろうか?と、関係のない2つを関係付けてしまい、間違った結 果を出すことがなくなります。




やはり、1:魂:精神のレベルを上 げることと、2:ツキをよくすることと、3:天国へ行けることは、全く別物のよ うだ(仮説)。
の3つは、別物であり、別々に考えないと、大きな間違いをすることになるような気がします。

「この世の中には何かと反目しあっている人が多いが、自分が円満で明るい想念を持ち続ければ、周囲にもそういう人たちばかり集まってくるようになる。相手 の人間性を変えようと思うなら、まずは自分の性格を変えるのが早道なのである。」
とありますが、これは、性格、ということではないでしょう。意識レベル、波動の高さを言っているのだと感じます。

書かれていることは、波動の法則に従えば、正にその通りだと思います。











さて・・・・・・
平等、ということなのですが、私はこの概念に、さまざまな勘違いというか、知恵の輪の輪がこんがらがっています。
今また、一つ解けかけているのですが、「人は対等であるが、対等ではない」、というのが、正しいような気がしてきています。


これは、逆に人は対等ではない、という考えを持っている人には、分かりにくいことかと考えます。

どういうことかと言いますと、先だっての、”お年より理論”の亜流なのです。
私は対等を非常に重んじていました。

「人それぞれ得手不得手があるものだ。それをして、下とか上とか言うのはおかしい。それぞれ特徴があってよいではないか。その能力をみんなで、持ち合って 協力すれば良いではないか。すべての人間が、同じことをやったってしかたがないではないか」
という考えを持っていました。
今でも、大体似たような考えを持っていますが。


ですので、私の勝手な言い分ですが、人・・・上でも下でも良いのですが、人から「おまえ、そんなこともできないのかよ!!」といった内容を言われますと、 「こいつ、対等の原理が分かっていないな・・・」とまず、頭に血が上り、
「それじゃ、お前は俺のできること全てできるんだな。俺のできることが一つでもできないって言うなら、前の言葉を取り消すまで、対等には扱ってやらん」
という考えが支配的になっていました。
これは、能力差のある人間に対して、”対等”を貫き通そうとすることから起こる、パラドックスと言うか、板ばさみというか、そういったものが警告してい る、”間違い”への、「じゃあ、どうしたらいいのだろう?」という気持ちの表れのように感じます。

また、何かの縁で、人の上に立たなくてはならないような場面では、対等、ということが必要以上に、頭を支配してしまい、人に命令、指令、リード、する、と いうことが、どうしても、罪悪感を伴ってしまい、どうしようもありませんでした。
もちろん、それ以前は、何の迷いもなく、人に命令を出す、というこをやっていたわけなのですが。


そんな中、最近、思っているのは、「人は対等であるが、対等ではない」、というものです。
対等である、お年寄りに席を譲ることが、”正しい”のだから、対等である部下に、”命令”を出すのも、理由は分からないが正しいのではないか?
とも、思えます。
ただ、そういうことではなく・・・
理由はまったく分かりません。

高次元的には対等だが、3次元的には対等ではない、ということであり、それを受け入れればよい、ということなのでしょうか?

波動の低いやつは無視しろ、ということなのでしょうか?

大体、人に命令する、指示する、などということ自体が、あってはいけないことであり、やるなら、何も考えず、やれ、ということなのでしょうか?
理由はさっぱり分かりません。
ただ、「人は対等であるが、対等ではない」、という言葉は、私の心にしっくりと来て、そして、それにより、今まで罪悪感がありできなかったことが、できる ようになってきたような気がします。

一体これは、正しいのでしょうか?
それとも、正しくないのでしょうか?
あるいは、どういう意味が込められているのでしょうか?

みなさんは、分かるでしょうか?


ひょっとしたら、人は対等であると知りつつ、(3次元では)対等でない配役を演じなくてはいけない、なのかもしれません。
いずれにしても、これは、人は対等である、と思っていない人には、関係のない話なのかもしれませんが。













さて・・・・・・(3回目)
卑下をする、ということが、森田健さんの不思議研究所のサイトで少し出ていますが・・・
私はこの卑下、というものには、考えるところがあります。
ここ数年、私を悩ましてきた”謙虚”という言葉とも、多いに関係があるように感じますので、少し書いてみます。



まず結論を言うと、卑下はいけないようです。



ただ、きっと卑下しない人は、これだけで分かるのでしょうが、卑下する人はこれだけでは分からないように思います。
私も卑下をしていた、あるいは、卑下する傾向がありますので、何となく分かります。



卑下しない人には、
正しいことが分かっている人と、
単なる自身過剰傾向の人の2通りがあると思います。

これは、少しみていれば、簡単に見分けられると思います。




卑下する人には、私の、今のとりあえずの判断では、以下のような人達がいるのではないかと思われます。
1:日本の伝統的な卑下に従っている
2:本当は自身があるくせに、格好をつけている。
3:格好をつけている人には、それ(格好をつけていること)が理解できている人と、
4:できていない人がいる
5:周りに、必要以上に謙虚にしろ、などと言う人がいる。多くの場合、そういう人は、相手の自身を奪うのが目的か、自分自身、卑下・謙虚病にかかってお り、人にも、同じ状態を強要する傾向を持つ。


1は、船井幸雄さんの本などにも書かれていますが、日本人には「自分のことを悪く言うことが美徳だ、謙虚である」とでも言うように、そうする傾向がありま すが、それは、それ自体、 マイナスの波動を生み、呼び込むだけですので、やらない方が良いです。
元々は相手の嫉妬を避けるための処方だったのでしょうが、それをやるなら、自分側を悪く言うのではなく、相手を褒めてあげた方がマシだろう、と今は思って います。


嫉妬する人は、要するに自分が、相手より下なのが嫌なだけですので。
何が下かと言えば、3次元的解釈での社会的序列ということなのでしょうか?
犬などは、群れになりますと、序列を作るようにDNAがなっているようです。
その上で、ボスとかができて、秩序を保っていくようです。

その意味では、序列を作りたがる人間というのは、動物並、ということなのかもしれません。

ですので、卑下するということは、動物並の人間に合わせている、ということでもあるかもしれません。
そうしなくてはならない、ということは、波動の法則からすれば、そういう人を回りに集めているわけですので、そういう波動は出さない方が良いはずです。
その意味でも、卑下はしない方が良いでしょう。

日本には年功序列という良い習慣がありましたが、この習慣に適合しない存在、つまり年齢が上がっても相応に波動が上がらない存在、年功序列の正しい意味: 競争しない、が分かっていない若い存在などがいるので、嫉妬があり、争い合いを避ける日本人は、卑下という方法を取ったのかもしれません。






2は、1や5の亜流ではありますが、そうするのが、どこか「かっこ良い」という意識を持っている人もいるはずです。

私がプロのピアニストの前で、「いや〜私のピアノなんてまだまだですよ・・・」と言うのは、本当ですので、良いのですが、まったくの素人の前で、同じこと を言ったとしたら、それは、嫌味以上のなにものでもありません。
但し、言う方は、何となく優越感に近いものを得られますので、気持ちよいです。
また、同時に「私は、謙虚にしている。おごっていない」という別の優越感も得られることが出来ます。

しかし、これが身に付きますと、波動の法則通り、本当に、自分を卑下しているような感覚に包まれてきます。
波動の法則もあるでしょうが、それだけではなく、人間特有の、「もっと、もっと」という気持ちが、もっと欲しなくては、という気持ちにつながり、もっと謙 虚にしよう、もっと卑下しようという気持ちを生むように感じます。

私の経験では、結局、ある程度はまってきますと、最初はどうだったかのか、ということは、さっぱり分からなくなってきます。


更に私の経験で言えば、この傾向は、誰かが、その状態を「誉めてくれるまで」続きます。
要するに、卑下、謙虚にしている状態に対して、他人からの評価が欲しいのです。

評価が得られなければ、得られるまで、どんどん、どんどん卑下していくように実感します。
しかし、もうすでに度をとっくに越えていますので、その卑下を決してだれも評価などしてくれないでしょう。

私は生真面目なところがありますので分かりますが、こういう人は、脅迫神経症ぎみに陥りやすいところがあります。
今では、私は、大抵のことは、調整できるようになっていますが。
何度も何度も、ガスの元栓をチェックしたり、何度も何度も手を洗ったり、というのが、良く言われる脅迫神経症ですが(なぜか、私にはこれはない)。



ちょっとはずれて、幼少時の経験を言えば、私は、唇の真横の部分をまねる癖がありました。何か刺激が足りないような氣がしてしまうのです。
これをしますと、そこがかさぶたになってしまいます。

また、鼻の内側、少し上に、刺激が足りないような感じがしていたこともありました。
これを意識しますと、年がら年中、鼻を動かしていなくてならなくなりました。

どうやって解消できたかと言えば、通常は、ほっておけば、いつのまないかしなくなりますが、意識的に直すには、「その箇所に神経はない」と思い込むと良い ようです。 

この方法をほかに応用できるかもしれませんが、今のところ、良く分かりません。




さて、戻りますが・・・・・・
要するに、生真面目、素直、優しい、そのくせ、波動、意識レベルがまだ、不十分な人は、プラス方面へも、マイナス方面へも行き過ぎてしまうのです。
それをして、世間の人は、「もう少し、いい加減にやれば」というように、アドバイスしてくれますが、そうすると、今度は、いい加減になりすぎる傾向が出て きたりしますので、むつかしいところがあります。
要するに、プラス100が良いのでもなく、マイナス100が良いのでもなく、0地点が良い、ということなのかもしれませんが・・・
良くは分かりません。




私の経験では、一番良いのは、他人から、「あなたはもう、十分、謙虚にしました。もうこれ以上しなくて良いです」
と”誉めてもらう”のが一番良いようです。
しかし、他人はそんなことをしてくれませんので、その場合には自分で、そう言ってあげると、少しは効果があるようです。

それで、少し良くなるようであれば、
「今の状態はやりすぎです。本当は、卑下なんかしなくて良いのです。素直に、自分を認めましょう」
という言葉が、理由はよく分かりませんが良いような気がします。



しかし、本当に、「まだ足りない」というような事柄については、これをやっても、効きませんので、その場合は、それは、本当に、やり足りないのだと思いま す。
その場合は、徹底的にやり通すしかないでしょう。
ここで、語っているような種類のこととは、根本的に違いことのように感じます。





3、4ですが、理解できている人は、ある意味まだ、重症ではないので、即刻、卑下するのを止めて、自分を認めるのが、良いようです。
理解できていない人は、上に示した状態ではないかと思います。
私は、ある意味、この状態になっていたことがあります。


5ですが、謙虚にしろ、という言葉を口にする人間のことは、信用しなくて良いと思います。

船井幸雄さんの本にも、「謙虚」は、「勉強好き」などの言葉と一緒に書かれていますが・・・
ただ、それは、船井さんの目を通してのものだと感じます。

これは、つまり、船井さんのアドバイスする経営コンサルタント的指示、高次元や、不思議な現象についてのこと、など、普通の人からみれば、極端に遠い存在 であるよう に感じている事象について、船井さんの言うことを聞かない人がいるので、言っているのだと感じます。



その意味では、謙虚にしろ、とは、正しく使われるなら、言われている人の実力が程遠い場合に、もっぱら、上から下へ対して、発せられることが多いように感 じます。


仮に船井さんが、「人は輪廻転生します」と言ったとします。
一般的な人が、「そんなわけはない。一度きりの人生だから、俺は、物欲に徹して生きるんだ」

と言ったとします。

このとき、、もしも、船井さんが、
「もっと謙虚にしなさい」
というのは、文法的、場面的に、正しいでしょう。

あるいは、船井幸雄さんが「長所を延ばすのが良いです。ですので、一番の売れ筋商品を見つけて、その売り場や在庫を増やせば、売り上げが上がるはずで す。」
と言ったとして、コンサルタントされる方が、
「こんな時に、在庫を増やしたり、売り場を増やしたりするのは、間違っています。おっしゃることは聞けません」
などと、言った場合にも、
「素直に(謙虚に)、私の言うことを聞きなさい」
と言うかも知れません。


逆もあるでしょう。
仮に私が、
「あなたも、私も、前世では友人だったのかもしれないですよ。いい加減、私に嫉妬ばかりするのはやめたらどうですか?」
と言ったとします(まあ、言わないけど)。
部長が、それに対して、「○○さん、人は生まれ変わりなどしない。人生が一度だけだ。金さえ儲かれば、文句はないだろう?もっと謙虚にしたらどうだ?」と 言ったとします。

こういうこともあるでしょう。


別にこういったことは、3次元的な何かテクニカルなことでも、あると思います。






謙虚にしろ、という言葉は、非常に難しい言葉であるように感じます。
また、同様、理由をうまく説明できない場合に、最後の切り札としても、使われる言葉でもあります。

つまり、謙虚にしろ=とにかく言うことを聞け、ということです。
ですので、使い方として、正しく使えることもあります。
小さい子どもや、ひねくれた反抗期の人間、鼻っぱしらの以上に高いやつ、などに対しては、使いやすい言葉です。

いろいろ考えれば、言えることは、謙虚になどは、意識しては絶対にしなくて良いのだと思います。
することは、ただ、この人の言っていることは、正しいか、正しくないか?
自分の考えを一度だけ取り下げて、言うとおりにしてみる気持ちがあるかどうか?

ということだけだと思います。





そもそも謙虚とは、何でしょうか?

船井幸雄さんに、だれかが、
「人は輪廻転生などしません。謙虚に私の言うことを聞きなさい」
と言ったとしたら、船井さんは、絶対そ人の言うことを聞かないでしょう。

非常にむつかしい言葉です・・・。



船井さんなら、
「どうしても、納得ができませんでしたので、言うことを聞きませんでした」
と言うかもしれません。

もしそう言ったら、「謙虚」ではありませんね(笑)。


船井さんなどが言いたい、本当の「謙虚」、という意味は、何となく分かります。
おごらず、まだ知らないことがあることを肝にすえ、勉強好きな人間でいよう」
というようなことなのでしょう。


実際問題、謙虚、という言葉は、素直な人、優しい人であって、波動レベル、意識レベルが、まだ十分高いレベルに達していない人を、陥れる要素を持っている 言 葉であるように実感していますので、まず、そういったレベルになるまで、謙虚、という言葉を一切捨て去り、そして、卑下状態に陥らないことの方が良いよう に感 じます。

ほとんど、自分に言っていますが(笑)

船井さんに会う機会があったら、聞いて見たいと思います。
もっとも、浅見帆帆子さんでも、正しい解答をくれるかもしれませんが(卑下してるのか?→私・・・)




「謙虚」という言葉を「正しい心」のひとつとして、詳細な説明なしに取り上げてしまうのは、船井さんなど、意識レベル、波動レベが高い人、あるいは社会的 地位の高い 人、などが、することなのだなぁ、と感じます。(ここでは、謙譲語は使いません。私は「雅子さん」、とまで書いていますので・・・)。

事実とは、その人の持っている意識レベルによって判断された主観のこと、という私の仮説から見れみると、なおさらそう感じます。
謙虚に、と言う言葉は、その言葉を言う存在が100%、自分より、世の中の森羅万象を正しく知っている、という前提であって、はじめて使われる言葉なのだ と思います。
言い過ぎでしょうか?

謙虚、という言葉は、卑下を呼び込む、という意味において、非常に危険な言葉だと、感じています。


ですので、謙虚、嫉妬などは、忘れて、まずは、「自分を卑下しないで、自分を認められる人間であること」が、それこそ、船井幸雄さんの言う「宇宙の理」に 近づけることであ る、と考えるのが、良いのだと感じます。

以上、全て私の仮説でした。

みなさんは、どう思うでしょうか?




ビートルズでした。


225: John Lennon, Collection
   
  ジョンのベストです。

曲目です。

1.Give Peace A Chance
2.Instant Karma!
3.Power To The People
4.Whatever Gets You Through The Night
5.#9 Dream
6.Mind Games
7.Love
8.Happy Xmas (War Is Over)
9.Imagine
10.Jealous Guy
11.Stand By Me
12.(Just Like) Starting Over
13.Woman
14.I'm Losing You
15.Beautiful Boy (Darling Boy)
16.Watching The Wheels
17.Dear Yoko
18.Move Over Ms. L
19.Cold Turkey

ジョンの ベスト盤は、何種類も出ていますね。
私は、 5.「#9 Dream」(夢の夢)が入っていればどれでも良いです。

この曲は、メジャー7コードの塊のような曲で、その意味では、「ジュリア」などと共通するところがあります。

先だって、ビーチのシーンで、ビートルズの「ジス・ボーイ」をTVで使っていました。
これもジョンの曲ですが、おそらく当時のライバル、ビーチ・ボーイズを意識した曲なのでしょう。
他にも、「テル・ミー・ホワイ」などもそういう曲です。
 

ただ、いかにもジョンらしいのは、ジス・ボーイは、メジャー7で始まる、ところでしょう。
私はこの曲は、比較的後で聴いたビートルズ・ソングです。
いわゆるイギリス盤のアルバムには入っていない曲ですので、聴く機会がありませんでした。
確か、「抱きしめたい」のB面の曲のはずです。

中学生くらいのとき、「ラブソングス」というビートルズのバラードばかり集めたLPが発売されました。
そのPRでラジオからこの曲が流れているのを聴いたのが、初めてだったと思います。
サビに入る前にC7になるのですが、そこでの、ジョンの絶叫が「かっこいいな!」と思ったのを覚えています。

ポールのメジャー7の曲というのは、「マイ・ラブ」などが有名ですが、ビートルズ時代はあまり覚えがありません。
しいて言えば、「ユア・マザー・シュド・ノー」くらいでしょうか?しかし、これも。、基本的にはマイナーの曲です。

ジョンがなくなった時、なぜか、泣けなかったのですが、LPで、シェイブド・フィッシュ(ベスト盤)を聴いていたら、「Happy Xmas (War Is Over)」が流れてきて、その時初めて、「戦争っていけないんだ」と思ったら、少し、泣けてきたのを覚えています。
少しです。

私は、小学生の時、買っていた手乗りインコのピーコが死んでしまったとき、1日中泣いた後から、ほとんど泣けないようになってしまいました。
それが理由かどうかは、分かりませんが。

ほとんど泣きませんが、「フィールド・オブ・ドリーム」を見たときには少し泣けました。

ああ・・・・思い出しましたが、この映画も映画館で見ました。
すっかり忘れていました。


今日、テレビを見ていましたら、ヨーコさんが出ていました。
転寝をしていたのですた、たまたま、そのシーンで起きれました(笑)。

「戦争以外なら、なんでも美しい」というようなことを、言っていました。
あいかわらず、大きな胸をしていました。

少し前より、きれいになったように見えました。
と、書きながら、隣のジョンの写真を見ると、照れて(はにかんで)いるように見えるから不思議です。
別にお世辞を言っているわけではありません(笑→ジョン)。


そう言えば、ニューヨークへ行き、2人の住んでいたダゴタ・アパートを訪問してみたい、と思っています。
そのうち、そういう機会もあるでしょう。

ただ、もう少し、アメリカ人の意識レベルが上がってから、いきたいと思っていますが。



さて・・・・・・
浅見帆帆子さんの 「大丈夫! うまくいくから」(幻冬舎:2003年発行)を読んでいます。
非常に3次元的なことかもしれませんが、私には、実に、ピン、と来る箇所がありました。

以下の通りです。

(引用:89ページ)
『精神レベルが上がると、苦手だった人、「嫌だなあ」と思っていた人に対して、今まで嫌と思っていたことを感じなくなります。だから、苦手な人とも深く関 わらずに済むようになるのです。
 相手に腹が立つのは、自分が相手と同じレベルにいるということで、あなたのほうがレベルが上であれば、なにも感じません。子供が言うことに本気で腹を立 てる大人はいないようなものです。なんとも感じなくなります。そして、その人の良い部分とだけ付き合えるようになります。
 たとえば、同じ職場に評判の悪い人がいる場合、簡単に環境を変えることはできません。
 ところが精神レベルを上げていると、その日との嫌な面を見ないで済むようになるので、同じ人なのに嫌な思いをしなくなるのです。
企業に勤めている友達が、「上司に評判の0悪い人がいて、同僚がみんな嫌がっているんだけど、わたしはそんなに嫌な人ではないと思うし、そこまで言うこと かなあって思う」と話していました。
 これは、彼女だけがかわいがられているとか、彼女が鈍感だから気づかないということではなく、彼女はその上司の良い面とだけ付き合えているのです。彼女 の前では、その上司の嫌な面が出ずに済んでいる、ということです。
 実際に、相手より精神レベルが高いと、相手がそれにともなう接し方を自然としてくれるようになります。自分に置き換えるとよくわかりますが、自分より素 晴らしいなあと思う人と接するときには自然と丁寧になるし、うれしいので、明るくにこやかな態度になりますよね。
 精神レベルが高くなると、以前だったら気にしていた人の言動には左右されなくなります。つまり、「苦手な人と縁が切れる」という意味は、会わなくなるということだけでなく、精神的に 縁が切れるということです。見た目には関係が続いていても、付き合い方が変わったり、嫌な部分が出てきたときに気にならなくなるので、そう いう意味で被害を受けないようになる、ということなのです。』

(以上:太字は、本文中も太字を使用)


これを読んでいて気づいたのですが、、、私は大きな間違いをしていたかもしれません。

私は、周りに、意識レベルが低い人が寄ってくると、その人に対して、どう間違っているのかを、相手が納得するまで、説明することが、課せられたこと なのだ、と、どこかで思い込んでいたようです。

そして、そうすることにより、その苦しい状況から、逃れられる、あるいは、乗り越えられるのだ、と思っていました。
しかし、大抵の場合、説得などできませんでした。

しかし、どうやら、そうではないらしいように感じてきました。

意志レベルが低い人が寄ってくる、ということは、広い意味で、自分の意識レベル、波動が下がっている、ということのようです。

実に思い当たります。
であるならば、その時しなくてはならないことは、下がってしまった意識レベル、波動を上げる、ということなのだと推測します。

そして、意識レベル、波動というものが、前の水準に戻る、あるいは、前よりも高いレベルに上がったならば、近寄ってきた意識レベルの低い存在、ある いは、それによって、起された(自分が起したといっても過言ではない)災難、アクシデント、不遇、というものも、同時に立ち去るのではないでしょうか?
そのように感じます。

この考えは一見、非常に、道徳的ですが、波動の法則を考えると、実に理に沿った仮説であるように思えます。
しばらく、試してみたいと考えます。


ただ、高次元的には、
実際は、ある時に、「自分の波動が下がる」、「そういう人が寄って来る」、「災難が起こる」、ということが同時に起こるということは、生まれる前から決 まっていたのかもしれません。
そうであったとしても、もし上の仮説が正しいのなら、私は前と違うことをするわけです。
そして、
1:正しい仮説を今、思いついた、
2:今後は、同じ間違いをしない、
まで含めて、それも、生まれる前から決まっていたことなのかもしれません。


みなさんはどう考えるでしょうか?




ジョン・レノンでした。


226:Live in Los Angeles, California 1974 &
John Lennon's 31th Birthday Party 1971
   
  海賊盤です。
1974年のスタジオ・ライブ・セッションと、1971年の誕生日のセッションです。

曲目が多いので書きませんが、ビートルズやジョンのオリジナルなどが演奏されています。

1〜4がスタジオセッションで、ポール、スティービー・ワンダー、ハリー・ニルソンが参加、
5〜12が誕生日で、リンゴが参加しています。


1〜4は、ドラムも入っています。
誰が叩いているのかは、分かりません。
ライナーには、ポールかもしれない、とありますが。

海賊盤にライナーというのも、すごいですね。
何となく気持ちは分かります。
ただ(に近い)でもいいから、書いてみたい、という人がいたのでしょうか。
発売者本人かもしれません。
いずれにしても、こういう音源を持ってくるのですから、マニアですね。

ボーカルの声は確かにジョンの声です。

ギターのフレーズも、ジョンらしいような気がします。
「MOVE OVER MS.L」に出てくるジョンの癖が出ています。
「ルシール」は、リードはポールっぽいです。
コーラスをつけているのが、ジョンぽいように聴こえます。
「ルシール」を歌いう時のポールの節回し癖が出ています。

 キーボードはスティービーでしょうか?

どうも、ポールっぽいですね・・・・
今まで、これにポール参加は嘘だろう、と思っていましたが、本物かもしれません。

このあと、「スタンド・バイ・ミー」をやります。
ベン・E・キングのアレンジに近いようにも聴こえます。
まだこのころ、「ロックンロール」は出ていませんので、あのアレンジも存在していなかったわけですね。

こちらは、スタジオらしく、変なリバーブに包まれた録音になっています。

すごいメンバーです。
そう言えば、「ポップ・ボイス」のドノバンのページで、彼らがイギリスのディランと騒がれて出した頃、ジョンだかだれかに呼ばれてホテルに行ったら、ビー トルズのメンバー全員と、ボブ・ディランがいてびっくりした、と書かれたいたように思います。


次は誕生日です。
こちらは、部屋の中、という感じの録音です。
とても、乾いた音です。

「What'd I say」で始まります。
結構ちゃんと演奏しています。

続いてもちろんリンゴがいますので、「イエローサブマリン」です。
リンゴが歌っています。
リンゴがどうした、とだれかが叫んでいます。ジョンでしょうか。

その後、ロック・スタンダードのメドレー、「イエスタディ」などが歌われます。

「パワー・トウ・ザ・ピープル」なども歌われます。

最後に「ギブ・ピース・ア・チャンス」、「Clippled Inside」、「アンクル・アルバート」(ポールのヒット曲)などが歌われます。

どうも、ジョンはポールの曲を何度か出すところを見ると、ポールにも参加していて欲しかったのかもしれませんね。
分かりませんが。


良く分からないのですが、解散後、ポールと本が仲が悪いと日本ではされていますが、ひょっとしたら、それはレコード会社の売るための戦略であったか もしれませんね。
第三者的な情報しかありませんので、そのまま信じる方が、間違っているかもしれません。
売るためなら、相当嘘の情報も流す可能性があったでしょう。
実際は、分かりませんが。

ポールのインタビューで、途中で急にテープに青いノイズが入り、ポールが、「それはジョンだよ」と言うのがありましたが、どうも、仲が悪いとは思 えません。

ニュースステーションは古館さんになってから、かなり良くなりましたが、マスコミは、本当に信用しにくいところがあります。
やはり、スポンサーが付いているわけですから、どうしても、本当の本当は言いにくいでしょう。
そういう、律儀な理由ではなくとも、お金が絡んでいるのだから、なかなか本当のことは言えないでしょう。

まして、今の生活がとても、快適な人ばかりで作っているのでしょうから、普通は、現状維持をしたい、で正しいと思います。


だからその意味では、マスコミは、いつでも、こんな仕事やめてやる、と思えるくらいの、待遇の方が、正しい報道が出来てよいのかもしれませんね。
良く分からないのですが。
あるいは、法律で守ってもらうとかでしょうか?











今テレビを着けたら、例の江原さんと、三輪さんの番組が始まりましたが、三輪さんが、 「世の中には、善界人と魔界人」がいる、と言っています。
「魔界陣」は人を陥れると、ポイントが上がる、というようなことを言っています。

これは、どうでしょうか?
三輪さんには、守護霊なり、”神”なりから、そういう情報が来ているのだろうとは思いますが。

これは、ぜひ、岡田多母さんか、船井幸雄さんに質問してみたい、と思います。

直感ですが・・・・・・4.5次元の存在からの情報ではないのかな?と思ってしまいます。
私の僅かな知識の範囲では、確かに、「魔界人」のような人はいますが、それは、意識レベルの低い人に、意識レベルの低い第二生命体が付いた状態の人のよう な気がしますが。
どうも、第一生命体、というか、人の本質自体には、悪いも良いもないように感じます。

あるいは、別の星から、悪い存在が来て、地球人になりすましている、という話もあったように思いますが。
もちろん、その逆で、地球を助けに来ている他の星の人もいるようですが。

「善界人と魔界人」、というのは、何かとてもキリスト教的なように感じます。
「天使と悪魔」とでも言うのでしょうか・・・・・・。

正義と悪が存在する、というキリスト教的な考え方・・・。
私はこれは嫌いです。


三輪さんの前世は天草四郎さんということですので、キリスト教的である、というのは分か りますが。
ただ、何となく絶対そうだろうな、と思うのは、不思議研究所の孫さんに質問したなら、そんなことは絶対にありません、というだろうなぁ、ということです が。

孫さんは読み聞きする限りでは、「何か、越えている・・・」ようですので、そのまま、信じて、私に適合するのだろか?と思ってしまう時があります。
精神レベルの違いでしょうか?

きっと、何もこだわらず、信じれば、適合してくれるのだろう、と思います。
いずれにしても、キリスト教的ではありませんね。

霊能力と言うか、5,6次元に通じるというか、いずれにしても高次元と通じているらしい人はたくさんいますが、みなさん、「正しい」と信じているようです が、言っていることが、どうも全て一緒ではありません。

三輪さんも今回、「魔界人」とは、仲良くしなくて良い、としています。
ただ、見分けは難しい・・・とも言っています。

船井幸雄さんは、「波動が上がるまで、一緒にいて、嫌だな、と思う人とは、付き合わない方が良いです」と言っています。
始めはこれですら、受け入れるのが大変でしたが、最近は何とかできるようになってきました。


ただ、「善界人と魔界人」、というのは、どういう意味なのか、今ひとつ分かりません。
それが、他の星から来た地球人を陥れる存在、ということなら、分かるのですが。

ただ、ポイントうんぬん、という話からは、どうも、我々と同じ霊的存在でありながら、「善界人と魔界人」がいる、というように聞えてしまいます。
それであれば、納得できません。
その内、だれかに質問してみます。
果たしてだれが、答えてくれるでしょうか?

次の船井オープン・ワールドで聞けるでしょうか?
船井さんでしょうか、岡田さんでしょうか?浅見さんでしょうか?他にも、いろいろな方が出演します。
森田さんは、質問コーナーはないでしょう。


http://www.fyow.com/2005_page/next01.html  より、勝手にコピーしてきました。

10月 9日(日) 10月 10日(祝)
飛天会場 プリンスルーム会場 クラウンルーム会場

10:00〜12:00
船井幸雄


12:50〜14:20
七田眞


15:10〜16:10
浅見帆帆子&
船井幸雄

17:00〜19:00
坂本政道&
藤崎ちえこ


10:00〜11:40
三宅國秀


12:20〜14:10
木善之

14:40〜16:20
村津和正


17:00〜19:00
エハン・デラヴィ

10:00〜11:20
佐々木洋治

12:00〜13:30
岡田多母

13:50〜15:20
光田秀

16:00〜17:30
畠中卓明


19:45〜 映画
「ストーンエイジ」


  
飛天会場 プリンスルーム会場 クラウンルーム会場

9:30〜11:30
五日市剛


13:00〜14:40(1部) 
森田健&
神坂新太郎

15:00〜16:20(2部) 
森田健&
神坂新太郎

17:00〜18:30
船井幸雄


9:50〜11:20
倉田大嗣

11:50〜13:20
副島隆彦

13:40〜15:10 
安保徹&
首藤尚丈

15:30〜17:00
村上和雄

9:30〜10:40 
赤池キョウコ

11:00〜12:30
山田鷹夫

12:50〜14:20
天野圭子

14:40〜16:10
原久子







私の見る予定:太字

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浅見帆帆子&
船井幸雄
↓どちらにする か迷ってます→

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藤崎ちえこ



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五日市剛



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神坂新太郎


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森田健&
神坂新太郎


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安保徹&
首藤尚丈

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山田鷹夫

12:50〜14:20
天野圭子

14:40〜16:10
原久子


昨年は確か、昼ごはんを食べなかったように思います。
今年はなんとか、食べられそうですが。









さて、浅見帆帆子さんの言うとおりに、どうもやな人だな、というような人が、近づいてき たり、どうもマイナス方向のことが起きそうになったりした時など、「精神レベルが下がっているのかもしれない?」として、上げるようにしていますが、確か に効果があるようです。

自然にその人が去っていったり、マイナス転じて福となったりしているようです。
ほぼ、100%です。

もちろん、ここまで含めて決められた運命の中の可能性があるかもし得ませんが。
ただそうであっても、決められた運命の流れとして、「それを信じて、その後、それを続けていき、〜〜なる」というようなことでも決まっているなら、それに のってみるのも、楽しいことのように思います。

もちろん、浅見さんのこれが、運命を変えるものなのかどうかは、分かりません。
少なくとも、小さな流れは変わるようです。

何となくですが、少なくとも魂のレベルを上げることとは、関係がありそうです。

しばらく続けてみようと思います。





私はプロレスが好きなのですが、最近思うのは、やぱっり、プロレスがいいな、ということです。

プロレスには、ロープブレイクという、ルールがあります。
これは、関節技、しめ技などを極められても、ロープまで逃げれば、その技をはずしてくれる、というものです。
UWF系のパンクラスとかリングス、UWFインターナショナルでは、減点になります。
総合格闘技系では、ロープをつかもうが、関係有りません。


また、プロレスでは、基本的にパンチはしてはいけません。
UWF系の団体では、パーで顔をはることはあります。
総合格闘技では、グーで打ちます。寝ている相手にでも、グーで打ちます。


プロレスでは、キックは、ずっと昔はぜんぜんしませんでした。
今では、使う人もいますが、よっぽどでない限り、頭を蹴ったりはしません。
UWF系の団体では、キックをよく使います。それがプロレスとの違いでもありました。
総合格闘技では、キックは、頻繁に使います。


プロレスは、両肩が3秒間、マットに付くか、ギブアップすると負けです。
UWF系では、ギブアップか、各種ポイントの合計点で競います。もちろん、ノックアウトもあります。
総合では、審判の判定か、ノックアウト、ギブアップとなります。

順番が違いますが・・・
UWF系とは・・・
プロレスがインチキだとして、もっと、真剣勝負をしよう、と作られたUWFという団体があったのですが、そこから枝分かれしたいろいろな団体のことです。
ですので、ルールはきちっとしていますが、キックや、危ない関節技などを使う格闘技です。
この団体は、異種格闘技戦というのも、よくやっていました。
今で言う、総合格闘技というのは、ありませんので、UWF式プロレス対ボクシングであったり、柔道であったり、という感じです。

UWFは一時期、ものすごい人気がありましたが、個性の強い人ばかりいましたし、確か豊田商事という、イカサマ商売をしていて世間を騒がせた会社がスポン サーであったりしたことが理由なのか、解散してしまいます。
そこには、前田明、高田延彦、山崎一夫、船木誠勝、鈴木実、藤原義明、などの人がいました。
もっと初期には、もっとプロレスよりの人達などもいましたし、あのアントニオ猪木さんも参加するはずだったようです。
初代タイガーマスクも、いたときもありました。

後期(第2期)には、今でもやっている、田村潔司 や、垣原賢人などもいました。


解散後、前田明のリングス、高田延彦のUWFインターナショナル、船木誠勝、鈴木実などのパンクラスなどの団体に分かれていきます。

基本的には、どの団体も、UWF方式をついだようなルールの団体です。
やはり、日本人ですので、最低限、なんとか大怪我を防げるようなルールでやっています。
しかし、このルールでも、プロレスからみれば、大変危険で、プロレスより、大怪我をする率も可能性も高かったようです。

それぞれの団体は、それなりに人気がありましたが(パンクラスはまだある)、そのうちアメリカで、アルティメットという、急所攻撃、目への攻撃など以外は なんでもあり、という非常に間違ったルールを採用する形式のものができ、人気を博しました。

それの影響で、日本でも、プライドなど、UWFなどよりも危険なルールで試合を行う団体ができ、今、人気を博しています。

実は今はこれらの影響で、プロレスでも、相当危険な技を使ったりしているのですが、やはり、どうも、いけないのでしょう。

きっと、真剣勝負と、うたうのなら、人がやっても「宇宙の理」に触れないものは、相撲だけしかないのではないでしょうか?
と言いますか、相撲こそが、人がやってよい究極の格闘技の姿のように思えます。



あれだって怪我はします。
しかし、殴り合いや、血が出るのを、人に見せて、お金を取るのとは相当異なります。

曙が、総合格闘技に進出して、まったく勝てないようです。
彼の前にも、何人か相撲出身者はいました。
しかし、大きな結果は残していません。
相撲出身のプロレスラー天龍が、若い頃だったら、ひょっとしたら・・・とは思いますが。


しかし、私が思いますには、相撲で良い結果が残せた人というのは、総合格闘技では、絶対に結果を残せないのではないでしょうか?
もっと正確には、あのような野蛮なことが出来ない精神レベルでないと、相撲はできないのかもしれません。


ちゃんと相撲用に鍛えた人を、丸い枠の外へ出す、という非常にすばらしいルールだからこそ、自分の力を100%出せるのであって、相手がギブアップするか ノックアウトするまで、相手を痛めつける、というような間違ったルールでは、力を出せないような高い精神レベルのある人だからこそ、相撲の世界で出世でき るのかもしれません。

その意味では、プライドの王者よりも、曙の方が、立派な人間と言っても良いのかもしれませんね。


大体、アメリカで始めたものを、人気があるから、とすぐまねをするのは、もういけないのだと感じます。
意識レベルの低いアメリカ人が、いかにも考え付きそうなもだと感じます。



これは、経済にも言えないでしょうか?
政治にも言えないでしょうか?

仕事にも言えないでしょうか?
恋愛にも言えないでしょうか?


みなさんは、どう考えるでしょうか?



年功序列制度は、さながら、格闘技で言えば、相撲なのかもしれません。



相撲と同じ理由でレスリング、柔道などももよさそうですが、きっと、どこかもっと怪我をしやすい理由があるのでしょうか。
柔道、レスリングの決まった選手が相撲のように、毎日出てくるような状態は、どこか考えにくいです。
プロレスなら、分かるのですが。
その意味ではエンターテイメント性が、少ないのかもしれません。
相撲はどこかに、エンターテイメント性もあるようです。
おそらくは、寝ることなく、立ちっ放しで、試合を行うことが重要なのかもしれません。


精神レベル、ということが、ちょっと分かった瞬でした。 

ジョン・レノンでした。

227:ジョン・レノンのアウト・テイク集
 
   一部ビートルズの曲もありますが、基本的に解散後のジョンのスタジオ・セッションあるいはアウトテイク のオムニバスです。

「She said She said」あたりから、「Woman」あたりまで、収録されています。
音質は、それなりに良いです。

Made in Australiaとなっています。
BANANAというレーベル名になっています。
販売元が中に日本語の他の発売CDの広告を入れていますので、相当がんばって営業したのだろう、とは思います。
今このシリーズが発売されているのかどうかは、分かりません。

ピアノやギターで弾き語りをしています。
リズム・マシーンが入っているテイクもあります。

ほぼ全ての曲が、完全な形で弾き語りされています。

「オー・ヨーコ」では、リトル・リチャードが「トウッィー・フルッティー」でやる例の掛け声なども入っています。

ジョンのファンなら、相当に楽しめる内容だと思います。

実際、今までは、それほど聴く機会がなかったのですが、どうもこれからは頻繁に聴くことになるそうです。

 ロイ・オービソンの「オンリー・ザ・ロンリー」を歌っています。
彼はビートルズと一緒にツアーを回ったこともあるようです。

ジョンは、彼のようなメロディ・ラインは好きだったようです。
「プリーズ・プリーズ・ミー」も、彼の影響がありますし、彼が取り上げたスタンダードの「ミスター・ムーンライト」のあのオリエントさはロイのメロディに 通じるものがあります。

彼がプレスリーと同じサン・レーベル出身なことも理由かもしれません。

こうして理由を思いつけば思いつくほど、「どうも、見えざる手が働いているな」と感じずにはいられません。
その意味では理由はない、としか思えざるを得なくなってしまいます。

ビートルズとプレスリーは、一度会ったことがあるようです。
確かエルビスの邸宅でだったように覚えていますが。

その後プレスリーが・・・確か麻薬がらみか何かでビートルズの批判か何かしたような気がしましたが、どうでも良いので忘れてしまいました。
エルビスの1960年代後半のテレビショウでは、イートルズ達の音楽について、「リズム&ブルースが基本になっている・・・・」と方っているシーンがあり ますが、最後まで言わずに、なにか濁したような印象があったように思います。

そこでエルビスは確かギブソンのES-175を引いていたような気がします。
私も以前、オービルのコピーモデルを持っていました。

ジョージ・ベンソンモデルを買うために売りましたが、そのギターもサックスを買うために売ってしまいました。

サックスはまだあります(笑)。


ローリング・ストーンズがツアーを開始したようですね(2005年8月)。

彼らはバブル真っ只中の時に日本に来ました。
正確にはバブルが終わった直後くらいでしたでしょうか・・・良く覚えていませんが。

私は行きませんでしたが、妹は行ったようです。
当時証券会社に勤めていて、お金持ちのお客さんがチケットを持っている、ということで、行ったようです。

そう言えば不思議に、ストーンズにはプレスリーの薫がしませんね。
そういうバンドなのでしょう。
ストーンズは、ほとんど聴きません。

ストーンズの、今やっているツアーの演奏シーンをテレビでやっていましたが、ギタリストがグレッチのカントリー・ジェントルマン・モデルを弾いてい たようです。
ジョージ・ハリスンへの何かがあるのかもしれません。
良く分かりませんが。
   

ところで、直感ですが・・・・・・
直感は、第一段階としては、左脳とかは、関係ないのだろう、と思います。
良く分かりませんが。

メンタル体なのか、生命体全てなのか、脳のほかの部位なのか分かりませんが、そこが、アーカシック・レコードなり、高次元なりの情報をキャッチする のでしょう。

そして、その後、それを右脳でイメージ的に解釈するのか、左脳で文字・言語情報として解釈するのかですが、いろいろ読む限り、声として聞こえるとい う人もいるようですし、映像のようなものが見える、という人もいるようです。
池田邦吉さんなどは、「創造主の声が聞こえる」というような表現をしています。


どちらで得られたとしても、その言っていること、見えていることが抽象的なことであるのならば、そこでまた、次の直感のようなものが働くのでしょうし、最 後に言葉にするには、左脳が使われるでしょう。

何かの色が知りたいときに、「赤」という情報が得られたような場合、何か赤い映像が見えるのかもしれませんし、赤を想像させる映像が出るのかもしれ ません。赤を想像させる気持ちがわくのかもしれませんし、「赤」と言う文字が見えたり、聞こえるのかもしれません。


また、問いの回答としての外応もまた、それを判断するのは直感なのではないか?と感じています。
今身の回りで起きていることの、何を見るか?それは何なのか?というような部分ですが。
良く分かりませんが。

そしてそれが何を表しているのか?は、きっと左脳の発達具合、3次元的な知識具合なのでしょうか?
グラフかもしれませんし、形かもしれませんし。
グラフの意味がどうなのか?かもしれませんし、形の意味がどうなのか?かもしれません。



何が言いたいか、と言えば、直感を右脳、左脳以外で得た後、結局それを3次元におろしてくるには、右脳、左脳(主に知識)の発達の度合いが、関わっ ているのだろうな、ということです。

変な話、「トマト」が見えたとしても、「トマト」がいつ季節のくだもの(野菜じゃないらしい)なのか、どんな味のものなのか、何と言う名前で呼ばれ ている食べ物なのか、などを知っている人と知らない人では、きっと、3次元へのおろし方も違ってくるでしょう。

方位なんかに至っては、どこを基準としてかで、ずいぶんと違ってくると思います。
そうなると、自分の住んでいる場所の地球から見た位置、などなど知っているか知らないかでは、おろし方も違ってくるでしょう。

自分のことなら、「そっちへ行く」とか、「あっちの方」とかで良いでしょうが。


その意味では、自分で形にできるもの、つまり「音」とか、そういうものは、3次元に下ろしやすいと感じます。


あるいは、その人の一番分かりやすい方法で直感を得るようになっているのかもしれませんが、それにしても、右脳、左脳の発達具合が良い方が、正しく情報を 得られるように感じます。


どのチームが優勝するか?ということに対して、答えを得られたとき、仮に龍が見えたとしても、それが「ドラゴンズ」に通じるためには、球団名を知っ ている必要があります。
「ド・・・」というような情報が来ても、「ドラゴンズ」を知らなくてはいけません。
「真ん中よりは西方面にあるチームで、有名な選手だった人が監督をしている」という情報なら、タイガーズだってそうですので、なんとも言えません。


占いで、全ての監督の運を占って、その上で一番運の良い監督をして、優勝する、とするような方法であれば、直感は関係ないのでしょうが。


その意味では、直感のするどい人が近くにいる場合でも、「どんな感じ?」とでも、聞いてみれば、ものによっては、その人よりも、他人の方が、正しく 情報を判断できることもあるのかもしれませんね。

意外と、それではずれている超能力者、というものいるかもしれません(笑)。
単なる空想ですが。














小松英星さんの「ガイア・セッション」シリーズ http://www21.0038.net/~gaia-as1/ を読んでいますが、面白いです。
しかし、PC画面であれだけの量を読むのは、なかなか目が疲れます。
小松さん自身、電磁波や悪い波動(?)があるので、プリントアウトして読むのが良い、と書いていますが、私はプリンターは、基本的にはずしてありますの で、画面上で読んでいます。



http://www21.0038.net/~gaia-as1/ongoing5.htmlには、以下のような文章があります。
(改行をこちらで勝手にしています)



人類は「祈り」について完璧に混乱状態にあります。そもそも「祈り」という形式 は、アヌンナキが人類支配の継続のため、神殿などを造らせて自らを崇拝させる ために編み出したものです。
人間が、自分が創造主であることを絶対に気付かせないために、教義(固定観念)を 創って、それを人間(奴隷たち)に植え付ける こともやりました。
シュメールの神々のほとんどはアヌンナキ・ファミリーの一員で、それがギリシャ神 話やローマ神話、さらに旧約聖書にも登場します。
この 「手法」を、各地のローカルな「神々」が模倣し、人間が嬉々としてそれに応えたため、人類全般に広範に「普及」したのです。
これら全てに共通する「原理」 は、人間自身が創造主であることを徹底的に否定することです。

 


「祈り」に頼るとき、人間は創造主であることを放棄して、誰かに運命を変えてもら うしか手段を持たない、哀れな存在に落ちてしまいます---実際は、自分 の現実を自分で支配することができる、根本創造主の一部としての強力な存在なのに。
これに対して、「意図」は、宇宙の摂理(法則)を利用して必要な現実と 体験を創造する行為です。
あらゆる局面で、(他者を加害するのでないかぎり)「意図」を使うようにしたいも のです。
それに強い感情が込められていれば、な おさら早く確実に実現します。
ただし、いったん意図した後は、「手放す」ことが必要です。物事には「懐妊期間」 があるからです。
そのプロセスや結果を「い じくる」ことは、いい結果につながりません。
宇宙に預けて、ベストの結果が出ることだけを信じていればいいわけです。
ここでも、信じたことが現実化すると いう摂理が働きます。
実現を妨げるような無意識の「信条」または「思考形態」を、どこかから取り込んで いないか点検して、それを手放すことも大切です。

 


(以上)

ネット上で長文を掲載する時は、。で改行すると読みやすいように感じます。
以前、海外の大学のサイトを作成したことがありました。

担当の人は、文章の始めで一字開けて、・・・・などなどと、紙で書くときとまったく同じやり かたを求めましたが、それをそのままやると、非常に読みにくかったです。
結局、ネット上での全体の構成で判断することになりましたが。



さて・・・・・・
私は人が「創造主の分身である」とするのが、好きです。
理由は分かりませんが。

ただ、変な宗教のように、偉い人がいて、その下につく、というあり方が、「みんな創造主の分 身」ということで、「あってはならないこと」となりますので、好きなのいかもしれません。
この「あなたも私もポッキー!」状態が、私はても好きです。


ここでも、「祈る」事はいけない、と言っているようです。

また「手放す」ということについても、語っています。





実現を妨げるよう な無意識の「信条」または「思考形態」を、どこかから取り込んでいないか点検して、それを手放すことも大切です。」
と書かれていますが、これは、私にはあるかもしれません。

それらは間違った概念であるのでしょう。
ひとつずつ取り去って行く必要があるのでしょう。
ある日突然、全てなくなることを希望しますが。


なにせ無意識なので、分かりにくいですが、私なら・・・
「実力相応のもの・・・」
というような概念でしょうか?

そもそも、全てが生まれる前から決まっていた、ということなら、実力もへったくれもないはず です。

また何をして「その人の真の実力」といっているのかも疑問です。
一番知らないのは自分かもしれません。


「努力相応・・・」
でしょうか?

そもそも、この世は努力相応になどなっていません。
生まれた時点で差が付いています。


「正しいことをした度合い・・・」
でしょうか?

何が正しいかだなんて、きっとあの世から見てみないと分かりません。


「宇宙の理に従った度合い・・・」
でしょうか?


本当に自分がそうしているのかだなんてことは、客観視できるでしょうか?
見える事実とは、自分の意識レベルによる主観でしかないように感じます。


「ずうずうしいかもしれないが・・・」
でしょううか?


「自分だけ幸せになって良いのだろうか?」
でしょうか?


「自分は日本人としては、今のところ、決して恵まれているわけではないが、それでも、自分と、自分より恵まれていない人では、何が違うのだろう?」
でしょうか?

「自分より恵まれている人と自分は何が違うのだろう?」
でしょうか?


「金持ちで社会的地位もあるが、あんな奴のような人間にはなりたくない」
でしょうか?


「差をつけたくない」
でしょうか?


「対等とは、どういうことだろか?」
でしょうか?


「自分が財産、地位、学歴などが下でも、対等になれるだろうか?」
ということでしょうか?


逆に
「自分より恵まれていない人と、対等になれるだろうか?」
ということでしょうか?


みんなさんは、どう思うでしょうか?







私は、願望をイメージしよう、とすると、しばしば雑念が出ると言うことは、以前書きましたが・・・
どうもそれは、イメージに善行を入れ込もうとすることに原因があるのかもしれない、と感じています。

私は自分の個人的な自分のみへの願望を思い描くと罪悪感がある時期からあったため、それに社会、世間への善行を入れ込もうとしたように感じます。
つまり、自分だけ幸せになるのではなく、どうせなら他人も幸せにしようと。


しかし、ひょっとしたらそれが大きな原因で、イメージがうまくできない、ということが生じた可能性を感じています。

例の政木和三さんの「善行とは意識してやろうとした時点で我欲が入る。よってそれは善行ではない。意識せず、行ったことで結果としてそれが善行であった場 合、初めてそれが、善行ということになる」という話から考えれば、上のように、たとえ願望のい中に入れ込めたものであろうと、それが意志した善行であるな ら、もはや善行ではありえないのだと思います。




なぜ、その意識した善行と入れ込もうとすると、願望のイメージまでが、うまくいかなくなるのかについては、理屈は分かりません。
高次元的な矛盾が生じるのかもしれませんし、心の中で矛盾が生じるからなのいかもしれません。
または、個人的願望というものと、善行というものが、はなから相反するものであるので、そこにイメージをうまくいかせない、何かが生じるのかもしれませ ん。





少なくとも、浅見帆帆子さん式の願望のイメージ化をしようとする時には、善行ということは一切考えない方が良いように感じます。
その願望が直接非道であるようなことを覗いては、余計なことを考えず、願望のみ考えれば良いのかもしれません。



ところで、「24時間テレビ」をやっています。

競泳の田中雅美選手(だったかな)が潜水の記録に挑戦しました。
無事、日本記録を達成したようですが。
彼女が、なかなか、私には響くことを言っていました。

彼女曰く、「現役時代が一番輝いていた、と思いたくないので挑戦しました・・・。」

私には、とても響く言葉です。
是非、今が一番輝いていることを目指したいと感じます。



ジョン。レノンでした。

 

228:Rubber Soul
   
  ビートルズです。
有名なアルバムです。

好き、ということに関しては、「サージェントペパー・・・」より好きです。

 曲目です。

1.ドライヴ・マイ・カー
2.ノーウェジアン・ウッド(ノルウェーの森)
3.ユー・ウォント・シー・ミー
4.ひとりぼっちのあいつ
5.嘘つき女
6.愛のことば
7.ミッシェル
8.消えた恋
9.ガール
10.君はいずこへ
11.イン・マイ・ライフ
12.ウェイト
13.恋をするなら
14.浮気娘

有名な曲が多いですが、以前は「ミッシェル」、「ガール」と言った曲が好きでした。

「愛のことば」は、好きな曲です。
オルガンのせいか、どこかゾンビーズを感じさせる曲調ですが、どこか60年代を強調したようなテイストを持っています。
ビートルズらしくない曲とも言えます。




 この一つ前が、「ヘルプ」ですので、急にこのアルバムあたりから、テイストが変わってきた ようですね。
と言いますか、やはり、このアルバムは変っています。
この後の、「リボルバー」、「サージェント・・・」、「ホワイトアルバム」、「マジカルミステリー・ツアー」、「テット・イト・ビー」、「アビーロード」 なども、名アルバムと言われるのですが、どこか違います。

音が妙に高域が耳に残りるせいかもしれません。

ライナーによるとギターに、ストラトキャスターを数曲使用しているようですが、そのせいかも しれません。

ステレオが、なぜか、極端なものに戻ったせいかもしれません。

シングルヒット用の曲が、ないからかもしれません。
「一人ぼっちのあいつ」、「ユー・ウオント・シー・ミー」などはポップですが、どこか全てのビートルズを通して見ると、角がある印象です。
ギターの音色のせいかもしれませんが。


私個人の思い出としては、このLPを買ってきたとき、ちょうど親戚が遊びにきており、鉄板で焼肉をやったのですが、モツを焼いたとき、油がはねて、ライ ナーノーツにしみが出来てしまった(笑)ということがあります。


さて・・・・・・
また江原さんのテレビを見ていましたら、定職につかない男性に対して江原さんが、「仕事は楽しくないものです・・・」
というようなことを言っていました。

こういう人はたくさんいますが、私は本当にこれは、誤解があるように感じます。

当人も分かっているのかもしれないのですが、私はやはり、少なくとも「得意で好きなこと」を 選び、その中で「辛いこともあって当たりまえ」、という言い方をしないといけないのではないかと感じます。

ああいいますと、以前の私のようなバカが、本当にわざと「嫌いで、不得意」な仕事を選んで、 これが運をつかむコツだ、これが魂を磨く早道だ、と勘違いして、失敗をするように思います。

「それは、あなたが極端にバカだっただけです」
と言われれば、「まあね」とも思いますが(笑)。

ただ、人間、ワラにでもすがってしまわなくては、しかたがない状態の時というのはあるように 思いますので、是非、正確に言ってほしいと思います。
多くの人間は、そういう時でなければ、霊能者だとか、宗教だとか、そのたぐいのもには見向きもしないものだと思います。

もちろん、本当に「仕事はつまらないものだ」と思っているのでしたら、私とは意見が違うよう ですので、それで良いのですが。


もちろん、どうしようが、運命の通りにしか職業も選択できない、という”事実”を考えれば、どうでも良いことのようにも感じますが。


また、同じ番組で、その相談者(正確には相談者の夫)に、「18才くらいから憑依されてい る」と言っていました。
その後、江原さんは、「私は掃除屋のようなものなので、あなたが生き方、考え方を変えなければ、また憑依されるので、しません」
とも言っていました。

確かにその通りだと感じます。

ただ、もっと言えば、運命で、彼がそういう生活態度をその期間取る、ということは決まってい たように思います。

それを霊能者的に見れば、憑依されてい る、というものが見えるだと思います。
精神科医が見れば、うつ状態です、と見えるでしょう。
栄養士さんが見れば、ビタミンが足りない、と見えるかもしれないです。
今の状態を見る一般的な占い師が見れば、「今はよくない」、と出るでしょう。

それが直ったとしても、
霊能者的には、「心がけで霊が去った」と、言うかもしれませんし、
精神科医が見れば、「気分転換・薬の投与で、うつ症状が改善された」と言うかも知れません。
栄養士さんは、「栄養バランスがよくなった」と言うでしょうか。
今を見る一般的な占い師さんは、「運がよくなった」と言うかもしれません。



しかし、それぞれの立場の人のそれぞれの反応も含めて、それは生まれる前から決まっていた運 命なのだと感じます。


仮に霊能者でも、精神科医でもなんでも良いのですが、この場合なら江原さんのアドバイスに よって、ある人が、よくなったとしても、その時、その人と会い、直す、直る、ということ自体が、運命で決まっていたように感じます。


しかし、そうとは言え、それが事実でも、「どうせ決まっているのだから」とだけしてしまう と・・・
この場合なら・・・
江原さんという霊能者と会って、相談者が直る、ということが運命で決まっているのかもしれないので、前向きに、その流れに素直に乗るのが良いのでしょう。

「どうせ直るのが運命で決まっているのだから、全てを無視しても、やはりなおる」、という発 想だ と、その無視をしているそれ自体がまた決まった運命の可能性もあるので、どんな流れにでも、乗ってみたほうが良いのかも知れません。

これは、なかなか面白い発想だな、と自分では思っています。


つまり一体全体、どこまでが本当に決まってるのだ、ということにも繫がるのですが。
船井幸雄さんや森田健さんの書いていることを解釈すると、本当に、口から出る、一言一言ですら生まれる前から決まっているのではないか、とすら、思えてし まいます。


どうせ決まっているのなら、少なくとも自意識の中では、積極的に、あるいは自分が納得できることをやりたいと感じます。

ただ、森田健さんは、ハンドルを手放せ、と言っています。

これは両立できないでしょうか?

エンジンだけは自分で走らせ、ハンドルは持たない、というような状態ですが。
ハンドルを切るのはもちろん高次元の何か、決められた運命となるのだと思いますが。

川の上のたらいでは、エンジンすら、高次元のものです。
これは事実なのかもしれません。
そうであるなら、もう仕方がないことなのですが。


諦めない、ということは、ハンドルを持ち続ける、ということなのだと思います。
諦めたとたんに、願望が叶う・・・
これを考えると、ひょっとしたら、ハンドルを握りしめてエンジンを加速して、加速しきったところで、ハンドルから手を放してしまうと、何か別の次元に行け るのでしょうか?

まったくの空想ですが。


それとも、動力もまた、川の流れのように運命下のものなのでしょうか?

動力とハンドルを分けて考えることに、運命の流れに歩いて、どれほどの意味があるのか良く分 かりませんが、ちょっと面白いな、と感じました。




さて・・・・・
小松英星さんのサイトですが、

http://www21.0038.net/~gaia-as1/qa03d.html#intentに、 次のようなものがあります。Q&Aの回答です。
(引用)

03/06)意図したら手放す

 

A私が頂くメールの中で、「意図する」ことにつ いて混乱がみられますので、ここにまとめておきます。

 

私たちに与えられている最も大きい特性は「創 造」です。

私たちは、天賦の創造力によって、自分や周囲 環境の現実を創造しながら今生での目的を遂行するために、やって来た存在です。「意図」や「行動」は、そのための具体的な手段です。

ここまでの理解には大きい混乱はありません が、問題はその先です。

 

意図したことが実現するまでに、普通は、何年 もかかります(波動レベルが上がるにつれ、この期間は短縮されていきます)。

特に多数の者の意識や行動を変えることは、実 現するまでに相当な期間を要することが避けられません――その内容が地球の意思に沿い、全体の進化に寄与するものであれば、これすらも不可能ではありませ んが。

 

そこで、いったん何かを意図したら、それが実 現することを信頼して、「手放す」ことが肝心です。

しかし、「手放す」といっても、簡単には「忘 れてしまう」ことはできないでしょう。

ここから、「完全には忘れていない」点では同 じでも、微妙な違いが出てきます。

Aさん)手放して、その実現を信じている心の 状態

B さん)ちっとも実現しないと思いながら、いつまでもそのテーマを引きずっている心の状態

 

B さん)のように、いつまでも引きずるのは、うわべだけ意図していて、本心では(潜在意識では)それが実現することを信頼していないのです。

信じていない現実を創造することは物理的に不 可能なので、せっかくの「意図」が生きてこないことになります。

B さん)のようなワナに嵌まっている方は、自分の創造力を、もっと信頼する必要があります。

そしてそれを、「望ましくない現実」の創造に向けるのではなく、「望ましい現実」の創造に使 う習慣をつける必要があるでしょう。

(以上)



願望実現についてですが、

そこで、いったん何かを意図したら、それが実 現することを信頼して、「手放す」ことが肝心です。

しかし、「手放す」といっても、簡単には「忘 れてしまう」ことはできないでしょう。

ここから、「完全には忘れていない」点では同 じでも、微妙な違いが出てきます。

Aさん)手放して、その実現を信じている心の 状態

Bさん)ちっとも実現しないと思いながら、いつまでもそのテーマを引きずっている心の状態

 


やはり政木和三さんの「完全に諦める」は、正しい可能性が高いのですが、「諦める」より、「忘れる」、「手放す」のほうが、針をマイナスに向けるようなイ メージがありませんので、きっとしっくりくる説明なのでしょう。

私に足りなかったことの最新情報としては「手放して、その実現を信じている心の状態です。

これは、最近読んでいる浅見帆帆子さんの本にも、似たようなことが出てきます。

参考にしてみます。
ただ、どうして、こういう人達はそれを知っているのか?と感じてしまいます。

もちろん、政木さんなり、小松さんなりは、高次元や宇宙からの情報で知った、ということで、 良いのですが、浅見さんに至っては、「私は何かが見えたりする体質ではないです」とまで、言っています。

もちろん、知る運命であった、ということで、全てかたはつきますが、一体3次元的には、どう 違うのでしょうか?
それを言ったら、お金持ちと庶民に生まれてくるのとの違いと同じこと、となってしまうかもしれませんが、少なくとも、生まれた状態、と、知識とでは、3次 元的にだけは、別に考えて見たいものだと思います。


浅見さんの本を読んでいると、どうも、母親の影響があるように感じます。
きっと、そういう家系は、そういう知恵、知識を先祖代々、ついでいくのかもしれません。

その意味では、皇族の方々はたくさんのことを知っているのかもしれません。

小松さんのサイトにも、太古からの情報を伝承していた人達がいつしか、それを隠し、その知識 を知っている家系の一族が存在しており、それ相応の活動の仕方をしている、というような内容があったように思います。

財閥の一族などはそうなのでしょうか?


その家系に生まれたことも、運命だと言ってしまえばそうですが、それでも、家系のどこかで、 こういった高次元的な情報を知る、ということは、必要なようにも感じます。
そして、それを代々伝えていく、と・・・。

もちろん、代々間違ったことを伝えてしまっていて、時流が変ったことにより、いよいよ通用し なくなった、という一族もあるようですが。



それを考えると、皇族は、正しいようですね。


これ以上、このアルバムでは続けられないので、ここまでにします。

ビートルズでした。











229:Magical Mystery Tour: ビートルズ
   
  ビートルズのTV映画のサントラ+当時のシングルヒットが収録されています。
 

1.マジカル・ミステリー・ツアー
2.フール・オン・ザ・ヒル
3.フライング
4.ブルー・ジェイ・ウェイ
5.ユア・マザー・シュッド・ノウ
6.アイ・アム・ザ・ウォルラス
7.ハロー・グッドバイ
8.ストロベリー・フィールズ・フォーエバー
9.ペニー・レイン
10.ベイビー・ユーアー・ア・リッチマン
11.愛こそはすべて(オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ)

私はこれは、映画館で見ました。
確か中学生の時で、母親と妹と行ったように覚えています。

この作品と、シェアスタジアムでのライブの2本立てでした。

小学生の高学年では、どちらかと言うと太り気味だったのに、映画館の大きな鏡に映った自分の姿がものすごくやせていたのでびっくりしたのを覚えています。
男ですので、ほどんと鏡、しかも姿見など見ませんでしたので。

それ以来、私は基本的にほとんど同じような体型をしています。
ただ、当時はずんどうでしたが、今は男の体つきをしていますが(笑)。

映画は、なんとも、アバンギャルドな内容でしたので、中学生の私には、ピンと来ませんでしたが、「ユア・マザー・シュッド・ノー」という曲がものすごく良 く、その後、何日か夢に出てくるような状態でしたので、なけなしの小遣いを叩いて購入しました。
この曲は、マイナーコードのミディアム・テンポのメロディアスな曲ですが、シャッフルと いうか、2ビートというか、4ビートというか、・・・・・・ユーミンの「ベルベット・イースター」が、有名な曲としては、この曲のリズムと似ているように 思います。

しかし、確か、何も調べずに、急に映画に行くことになり、この映画を見たわけですので、これも、決まった運命だったのでしょうか?
それとも、私が共振したのでしょうか?





他にも、このアルバムには秀作が収録されています。
と、書いて、いくつか上げようと思ったのですが、どうやら、全て秀作のようです。

「アイ・アム・ザ・ウォルラス」は、エレクトリック・ライト・オーケストラが、結成の理由として、この曲の延長線を目指す、というような発言をしていたよ うに思います。
ストリングスとロックの融合ということでしょうか?





「ストロベリー・フィールズ・・・」は、初めてラジオで聴いた時、エアチャックをしたのですが、例の最後の部分が曲の一部とは知らず、その前でテープを止 めてしまったように覚えています。






「ハロー・グッドバイ」は、柏原芳江さんではありません(笑)。
この曲は、長い間、一番のお気に入りでした。
確かチューリップは、この曲のコード元に、「心の旅」を作ったはずです。
そのせいで、このコード進行が頭に入っていたので、この曲が好きだったのかもしれません。

ただ、「心の旅」を先に聴いたのか、「ハロー・・・」を先に聴いたのかは、良く分かりません。
「ヘイ・ジュード」あたりは、リアルタイムで覚えています。
確か8週連続でビルボードナンバー1になりましたので、床屋さんでも2クール分は聴いていたはずです(笑)。
(説明しますと・・・1度床屋に行き、流れてくるラジオで聴いて、また伸びたので床屋に行き、もう一度ラジオで聴いた、ということです)





「ペニーレイン」は、吉田拓郎さんの「ペニーレインでバーボンを」に登場する確か原宿だったか渋谷だったかにあった「ペニーレイン」という店の名前の元に なった曲ですが・・・
ベースのラインで有名な曲ですが、当時聴いていた安価なステレオでは、あの大きなベース音は分かりませんでした。
ベースが出なかったのですね。



ベースが出ない理由はスピーカーにも、アンプにもありますが、一番は安いものでしたので、カートリッジというか、針によるところが大きいのではないかと感 じます。
私は、大学生まで、これを使用していました。

ですので、初めて、父親がシステムコンポを購入した時、その高音の綺麗さには、驚いたものでした。






当時はビートルズが解散して、7,8年経った頃ですが、音楽評論家の中には、「日本だけなんだよ。今だにビートルズ、ビートルズって言っているのは」とい うようなことを書いている人もいました。
「いつかは、ビートルズって言わなくなるんだな」と思っていましたら、どうやら、今でも、世間も私も「ビートルズ、ビートルズ」といっているようです (笑)。


ビートルズは私の世代では、確か・・・「オブラディ・オブラダ」あたりが音楽の教科書に出ていたかと思います。
「イエスタディ」も出ていたでしょうか。

すでに「翼をください」が出ていたように思いますので、ビートルズくらい、出てきても不思議ではありませんね。

もっとさかのぼって、教育的なものと、ポップスの遭遇と言えば、「ピンポンパン」、という当時やっていた今で言うところの「ポンキーズ」のような番組で、 サミーデイビスの「キャンディ・マン」を歌っているのを聴いたのが、最初かもしれません。

ちなみに「ケロヨン」は私の幼稚園にも来てくれました(嬉)。





ポンキーズで10年ほど前歌われていた「サイモン・セッズ」は、なかなか好きな演奏でした。
同時期に未来(ミク)さんも、教育番組で歌っていましたが、私はポンキーズ・バージョンが好きでした。

私はこの「サイモン・セッズ」は、何か意味のある言葉なのだろうか?と思っていましたので、当時勤めていた会社にいた”海外経験の長い”50歳くらいの女 性に聞いたところ、「よく物語とかで”サイモン・セッズ”・・・って出てくるわよ」と言っていました。

「とにかく、有名な言葉であるようだ」と思い、それ以上は追求しませんでした。それで十分でした。
確かに、その後、「Simon Says・・・・・・」と始まる、物語を目にした覚えがあります。






そう言えば、この会社は良い会社でしたが、倒産してしまいました(笑)。
同僚は、アルバイトの女性などを除くと、ほとんど年上の人でしたが、何人かはあまり仲がよくありませんでした。

なんとか、共通の話題を見つけて、仲を良くさせよう、と思っていたところ、なんと、その内の何人か(3人?4人?)が、今では伝説となっている、グラン ド・ファンク・レイルロードの後楽園球場のコンサートへ行っていたことが、分かりました(驚)。

それを話題にして、いくらか、和みましたが、当人同士はどうだったのか、私には分かりません。
当人達は、「雨が降って、どうしたこうした・・・」とか言いながら話をしていましたが(笑)。



そう言えば、その”海外経験の長い”女性は、娘さんと、私を交際させようとしていたようでしたが、弁護士をやっている男性がその女性に告白したとかで、私 は相談を受け、「こんなチャンスは2度とないかもしれない・・・」と薦めました。
何か、その後、もったいないことをしたような気になったのを覚えています。

息子さんは東大で、何でも、入社した新卒のなかで一番TOEFLの点数が高く、900何点だったとか、そんな話をしていました。

私は、正直言いますが、あれが全部日本語でも、900何点なんか取れるだろうかと思ってしまいます。
何せ問題が多い(多・多・多)。

ほとんど知能指数テストを思わせます。
私はと言えば、当然、全部ちゃんと回答したことはありません(笑)。

どうも、リスニングの後、最後の読解問題から解いていくと、点数が良いようです。


みなさんは、どう思うでしょうか?














さて・・・・・・
先の江原さんの話ですが、いつだったか、森田健さんが、5次元まで、ネットワークに含まれている、というような仮説を書いていました。
私はこれは賛成なのですが。

つまり、例えば、江原さんが、5次元の存在からのメッセージを3次元の誰かに伝え、そして、その人の運命なりが変わったとします。
それは、5次元の存在もまた、時空の大きなネットワークの一員であり、その存在が問いを発したのか、あるいは、3次元の人が問いを発したのか、江原さんな りの霊能者が問いを発したのか、分かりませんが、その結果として、ある事柄が起こった、というものです。

5次元の存在なら・・・
「家の子孫は、あんなことばっかりやっていて、どうしたら、気づいてくれるだろうか?」

3次元の人なら、何も、5次元の存在からみでなくとも良いし、5次元の存在がらみ・・・つまり、
「どうしたら守護霊さんの意見を聞けるだろうか?」
というようなことでも良いのだろうと思います。

江原さんなりならば、
「どうしたら、もっと5次元の存在達の意見を多くの人に伝えられるだろうか?」
のようなことかもしれません。

森田健さんの本を読んでいると、5次元の存在でも、全てを知っているわけではない、ようですので、その意味からも、ネットワークの一員である可能性は高 い、と感じます。

それでは、6次元はどうかと言えば、・・・・・・全く分かりません。


広い意味では、ひょっとしたら、創造主まで、ネットワークに含まれている、と言っても良いのかも知れませんね。
仮説の前の、想像ですが。














さて・・・・・・
小松英星さんのサイトには、次のようなことが書いてあります。


http://www21.0038.net/~gaia-as1/ongoing5.html

『時 間 の圧縮とその効果

 

地球の波動上 昇と共に、太陽や宇宙の脈動との 同期がとれるようになってきています。その結果「時間の圧縮」が現実に起こっています。2001年9月までの 12ヶ月間に、地球の時間は3ヶ月圧縮されたとのことです。つまりこの間、15ヶ月が経過したことになります。さらに2002年には6ヶ月圧縮される見込 みなので、1年で18ヶ月経過することになります。年とともに、圧縮の幅がさらに大きくなります。1年の間に、何年分も経過するようになります。地上での 低次元の争い事などに関係なく、「神の計画」は着実に進行しているのです。

 

これは何を意 味するでしょうか。アセンション していない者にとっては、この1年間で15ヶ月分老いたことになります。さらに将来にわたって、寿命の短縮が加速 することを意味します。全ては選択の問題だから、良し悪しには関係ありません。しかし地球の視点では、地球のアセンションのために必要な「浄化」が加速す ることになるのです。一方、アセンションしている者にとっては、15ヶ月分のアセンションのプロセスを、1年で実現できたことになります。』

 

(以上)


時間が短くなった、ということです。
私はこれが、”本〜当〜う”に、実感されます。

2001 年9月までの 12ヶ月間に、地球の時間は3ヶ月圧縮されたとのことです。つまりこの間、15ヶ月が経過したことになります。さらに2002年には6ヶ月圧縮される見込 みなので、1年で18ヶ月経過することになります。年とともに、圧縮の幅がさらに大きくなります。

ということのようです。
2001年で3ヶ月、2002年で半年ですので、今は、ひょっとすると、単純すぎる計算をしますと、1年で3ヶ月としてしまうと、2002年から3年経っ ていますので、3ヶ月が3年分で、9ヶ月、増えた・・・つまり今は、6+9で、15ヶ月、1年で27ヶ月の時間が経っているのかもしれません(驚)。


1年が2年と3ヶ月・・・と言うよりも、私の感覚では、10年前との比較では・・・
1日が半分くらい、1週間が2,3日くらい、1ヶ月が1,2週間くらい、1年が、半年くらいの感覚です。

私の感覚が麻痺しているのかもしれません。

良いところは、待つのが辛くなくなった、ということですが(笑)。

みなさんは、いかがでしょうか?




そうすると、この1,2年で10年前の、4,5年分(正確ではない)の何かが出来ていても不思議ではない、ということなのでしょうか?


身の回りを見てみますと、確かに、知りもしなかった、あの世の仕組みなどが、知識として、かなり入ってきました。

世良譲さん、ジョージ川口さん、松本英彦さんなど、私の中で一世を風靡した方々が、多くなくなっています。

後は・・・実感できることとしては、それくらいですが、きっと他にもあるのかもしれません。


船井幸雄さんの本など読んでいますと、確かに、ここ数年の高次元についての新しい情報というのは、森田健さん の活躍もありますが、圧倒的に多くなっています。



これが本当かどうかは、分かりませんが、私には、本当のように思えます。


みなさんは、どう思うでしょうか?


ビートルズでした。



230: ABBEY ROAD, The Beatles
   
  あまにりにも有名なアルアムです。

左の自動車のナンバーや、ポールがはだしであることなどから、ポール死亡説まで、飛び出しました。
曲目です。 

1.カム・トゥゲザー
2.サムシング
3.マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー
4.オー! ダーリン
5.オクトパス・ガーデン
6.アイ・ウォント・ユー
7.ヒア・カムズ・ザ・サン
8.ビコーズ
9.ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー
10.サン・キング
11.ミーン・ミスター・マスタード
12.ポリシーン・パン
13.シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー
14.ゴールデン・スランバー
15.キャリー・ザット・ウェイト
16.ジ・エンド
17.ハー・マジェスティ

あまりにも、いろいろなところで語られていますので、できるだけ違うことを書こうと思います。
いつもそうだ、と言えばそうですが(笑)。







私的にこのアルバムは、ポールがベーシストとして主張した最後のアルバム、であるのではないかと感じます。
この後、ソロ、ウィングスなどで、たくさんのアルバムをリリースしていますが、私の耳には、それらには、ベーシストとして主張するポールの姿はなくなって いるように思います。
メロディメーカー、シンガーとしてのポールの姿は見られますが。

もちろん、それらのアルバムでも、ポールは、”良いベーシスト”としてプレイしています。
しかし、ベースという楽器で主張することは、していないようです。

理由はなんでしょうか?
一つはバンドメンバーの演奏能力が上がったことがあるのだろうと思います。
特にギターだと思います。
ジョージは味のあるギタリストではありましたが、決してスタジオミュージシャンのように、多彩なプレイをそつなくこなす、というタイプではないように思い ます。
ジョンもリードを弾きますが、決して、本格的にギタリストをやろうとは思っていなかったのだろうと感じます。

そんな中で、ポールがサウンドを作っていこうとすると、自然自らのベースで全体のサウンドを彩っていかなくてはならなかったのだろうと感じます。

このアルバムでも、例えば「カムトウギャザー」でも、ギタリストが、一般的なギタリストであったならば、きっとああいうサウンドにはならなかったの かもしれません。

ジョンのライブで、この曲が演奏されていますが、ギターはエリック・クラプトンです。
エリックは当時、いろいろあって、実力の半分程度しか発揮できない状態でしたが、それでも、やはりギタリストが一般的な人間であれば、ポールのあのベース フレーズは、ギターが演奏していた可能性は高いだろう、と感じます。


ほかでも、ポールのベースが目立つ曲として、例えば、「タックスマン」などでも、もし、ギターが、もっと複雑なリズムを刻めたりしたなら、あのベースの音 の大きさのミキシング、あるいはフレーズはなかったかもしれません。
うるさくて仕方がありません。
しかし、ジョージはシンプルなリズムを刻みます。
そうであれば、今度はベースが動かないことには、間が埋まりません。


「ペニーレイン」などは、おそらく意図して、ああいうサウンドにしたのでしょう。

「サムシング」はどうでしょうか?

あの曲はどうも意図して、ああいうサウンドになったのではないように思います。
もし、キーボード奏者なり、一般的なギター奏者なりがいたら、ずっと音数が多かったことでしょう。
そうなりますと、あそこまで、ベースが動きますと、うるさいです。
少なくとも、ミキシングでベースのバランスを小さくする必要があったろう、と感じます。

「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」なんかは、ベースが聞こえると聴こえないとではまったく違う印象になります。

「ヘイ・ブルドック」、「ドント・レット・ミー・ダウン」など、他にもいくらでも、ポールのベースラインが絶妙な曲はありますが、基本的には、そう いったバンドメンバーとの兼ね合いから生まれたものだろうと思います。

但し、それによって、結果として、ビートルズのサウンドに特長が出たのは確かです。
あるいは、普通、そうなるであろう、と思われるサウンドよりも、ずっと良くなったのも確かだと感じます。


ここを考えると、やはりもう3次元的に理由を考えるのは不可能だと感じます。
やはり、高次元のどこかで、何かが決まっていて、こういう種類のメンバーが一緒になり、こういうサウンドが出来上がり、ビートルズの名が今のようになった のでしょう。


同じ方面から考えると、このビートルズのジョンの奥さんが、”日本人”である小野洋子さんだ、ということは、すごいことだと改めて感じます。
みなさんは、感じませんか?


フジの中野アナなんて、軽井沢でジョンとヨーコと一緒に写真まで撮ってしまっています。

経済とか、そういう話で日本人が登場するなら、ある意味3次元的によく分かる話ですが、ジョンの奥さんが洋子さん・・・・・・
今ではあまりに、知られた話で、麻痺している人も多いと思いますが、これはすごいことです。


ちなみに、日本人であるがゆえに麻痺する話というのは、いくつかあるようで・・・
ヘレン・メリルの息子さんが、日本でロックバンドをやっていた、とか、
ポール・ギルバートが、良くテレビに出ている、とか、
デビ婦人が芸能活動をしている、とか、
北野たけしの本業がコメディアンである、とか、

世界的に見ると、不思議なことが日本にはたくさんあるようです。



アルバム最後のヒュージ・メドレーですが・・・
これは、出来かけの曲の繋ぎ合わせということですが、これらの4人のメンバーによって断片として作曲されたメロディが、いろいろ組み合わさって、数々の名 曲になっていたのですね。


解散後のそれぞれの作品でビートルズっぽいと思われえる作品として、ジョンの「ウーマン」や、ポール「アンクル・アルバート~ハルセイ提督」などが、思い つきますが、やはり、ビートルズのそれとは、いくらか違います。
きっと、そこへ、ジョンならポール、ポールならジョン、あるいはその他2人のメンバーのエッセンスが入ってくると、”ビートルズ”になるのかもしれませ ん。


ポールの「バンド・オン・ザ・ラン」などは、メロディの形を取っていますので、あたかもアビーロードをおじさせるような曲ですが、あのマイナーになるBメ ロが、たとえば、ホワイトアルバムも、「ハッピーネス・イズ・ア・ウオーム・ガン」のマイナーのメロディの部分であったりしたら、まったくアビーロードの ような気がします。

その意味では一番ポールらしいメロディをもった曲は何か?と考えると、私は「マル・オブ・キンタイアー」ではないか?と思えてしまいます。
あのいかにもアイルランド、という感じのメロディがポールなのではないでしょうか?

ジョンは?と言えば・・・・・・
私は「恋する二人」が、そうなのではないかと今は感じます。
リズムがストレートで、大きな特長的な変化がなく、それでいて、サビでマイナーを少しブルージーに聴かせるメロディ・・・
これがジョンのように感じます。

ジョージは、良く分かりません。
どんどん進化、変化していたようにも感じます。
ただ、初期の「ドント・バザー・ミー」などの曲は、いかにもギタリストが作ったk曲、という雰囲気に溢れています。
ギタリストでああいうマイナーの曲を書く人は、多いように思います。
何か共通したものがあるのかもしれません。
一つはロック・ギタリストは、音が大き目立つせいでしょうか、ギターが女性の体をイメージさせるせいでしょうか、古典的な二の線が好きな人が多いように感 じます。

そこらへんが、どこかニヒルなものを好むようなところがあるのでしょうか?
それが、マイナーのああいう曲に通じる、と。
よくは分かりません。
単なる仮説ですが。

ついでに書いておくと、ジョージはカントリー調のフレーズをプレイしているときが一番活き活きしているように感じています。
本当は、そういう人なのかもしれません。

それでも、インド風を取り入れたり、いろいろと努力をしていたようですね。
そうやっていれば、きっと、「サムシング」のような名曲が突然やってくることもあるのでしょう。
シナトラが声を出して評価したビートルズソングは、この曲だけだと思います。


リンゴは、カントリー&ウエスタンのアルバムも出していますので、カントリーが好きなのかもしれませんが、「ハニー・ドント」を選んだのは、ジョージに もっとカントリー調のギターを弾かせてあげようと思ったのかもしれません。
もし、会うことがあったら聞いて見ます(笑)。


ちなみに、リンゴがCMに出たことがある、というのも、日本にいて麻痺しているすごいことの一つだと思います。






さて・・・・・・
対等、ということですが、一体何が同じなので対等、と言うのでしょうか?

人は能力はそれぞれ違います。
地位も違います。
年齢も違います。
お金の量も違います。
運命も違います。

しかし、人は対等のようです。


私が考える「人は対等であり、対等でない」は、どう正しいように感じています。
この言葉がしっくりくるのです。


それでも、何が対等で、何がたいとうでない、という意味が込められているのか、自分でもよく分かりません。
みなさんは、どう思うでしょうか?







浅見帆帆子さんの 「大丈夫! うまくいくから」(幻冬舎:2003年発行)を読んでいます。
珍しく、2,3度と読んでいます。

短いせいもありますが(笑)。



この本のこともあるのですが、最近、思っているのは、
「運命は決まっているが、選択肢があるのか、決まっていないところへ、書き込みができるのか、良く分からないが、とにかく決まっていない部分もかなりある のではないだろうか?」
ということです。



森田健さんが今言ってることとは、ずいぶん違うのですが、なんとなくですが、最近そう思えてきています。

今のところの感覚では、絶対決まっていること、選択肢のあること、精神レベルで変わること・選べること、の3つくらいが絡み合ってできているのが運命なの ではないか?と感じています。


ただ、どうも物理的”努力”では、この3つのどれも変えられないようだ、とも今のところ感じています。


そして、絶対決まっていること、以外は・・・・・・
何ヶ月か先くらいまで、あるいはそれが持つ何かの大きさによっても違うのかもしれませんが、
自分の精神レベルか、その他の何かで、変更ができ、決して不動のものではないように思えてきています。



ただ、それをさせるのが、今まで私たちの考えていた自由意志と同じものなのかどうかは、よく分からないところがあります。
どうも、想念と言いますか、意図と言いますか、そういったものに似ているのですが、少なくとも、今まで私が思っていたものとは違うものが、その構成要素に 入っているように感じます。


精神レベル、ということも思いのほか関わっているように思いますが、これも、少なくとも従来言われていたこと以上の何かがあるように感じています。

まだ、はっきりしませんが、また、何か感じたら書いてみたいと思います。












さて・・・・・・
浅見帆帆子さんですが、やっと精神レベルという意味が分かりかけてきました(笑)。

精神レベル初級、中級、上級と分けて、詳しくいろいろなことが書かれています。

簡単に言ってしまいますと、精神レベルを上げれば、その程度により、したいことの答えが日常の中からやってきたり、そういう人と出会えたり、願望が実現 したりする、ということです。

これだけ書くと、マーフィーとどう違うの?と言われてしまいますが、重なっている部分も確かにあるように感じます。
しかし、マーフィーには、精神レベル、ということは、一切かかれていなかったように思います。
ただ、願望をイメージすれば、叶う、と。

少なくとも、そういうことが書かれているわけではないようです。








それでは、精神レベルとは、何か?と言われますと・・・
ポジティブ、というようなことではないようです。
確かに、それも、一部を構成していはいますが。

どうもひどく単純なことでありながら、一言では言えないようなこと・・・今はそれだけしか、説明はできないですが。



今、何をよりどころとして、精神レベルを理解し始めたか、と言えば、”螺旋”ということなのです。
そして、目の前に現れてくる”人”ということなのですが。

それでもまだ、「精神レベルの上下とは、つまり・・・だ」、ということはできませんが、自分の人生での登場人物や、周りの出来事を観察することにより、自 分の精神レベルが、上がっているか、下がっているかを分かることはできるようです。






その螺旋ですが・・・
それは、浅見帆帆子さんの 「大丈夫! うまくいくから」(幻冬舎:2003年発行)の85ページに出てきます。

ここに何が書かれているのか、と言えば・・・ 簡単に説明しますが、




精神レベルは、螺旋状に進歩する。
もちろん退化も、螺旋状に後退する。

その、進歩、対価の過程で、出会う人というのは、同じ縦軸上を見ると、とても似た人 が登場する。
その人達は、精神レベルの進歩、対価度合いによって、レベルが違う人達が登場してく る。


(裏覚えの要約)  

という仮説です。
科学的には、証明できないでしょうから、仮説なのでしょうが、少なくと も彼女の統計的には、事実なのだと思います。
そして、これは、どうも私の統計的にも事実に近いようです。



今振り返ってみて、精神レベルが高いとき、と低いときを見てみますと、確かに、それと近い状況が見えてくるようなのです。



どういうことかと言いますと、仮に私のケースを取れば、精神レベルを数字で今100とします。
以前に80の時と60の時ががあったとします。

そのそれぞれの時で、ある軸上に精神レベルが差し掛かると、非常に似たような人達が登場するのです。
しかしながら、まったく同じ人ではなく、それぞれの精神レベルに見合って、相手も、精神レベルが落ちている人であったり、上がっている人であったりしま す。

そして、長い人生ですので、この螺旋、つまり精神レベルは上がったり下がったりするわけですが、そのそれぞれの時に、ある軸に差し掛かると、同じような人 に会うのです。

浅見さんは、「顔まで似ている」と書いていますが、まあ、そういうこともあるかもしれません。


横の図で言えば、仮に黄色が精神レベル100であれば、赤が80、青が 60とします。

私の経験とあわせれば、これは、仕事上のでの人間関係、恋愛、その他のつきあい、全てに渡って、そのようになっているようです。










私の人生で、どうも精神レベルの高かった時、とどうやら低かった時を比べると、私的には良くわかります。

まず、むつかしいことを言わずに、付き合ってきた異性などを思い浮かべてみると、どうでしょうか?
精神レベルが上であるにしろ、下であるにしろ、この理論で言えば、似たような人と付き合っていることになると思います。

次に、良く当時を思い出してみて、自分が、何となく”精神レベルが高かったか、低かったか?”を考えてみて、当てはめてみると、その相手も、似てはいるも のの、どうも、自分の精神レベルに比例して、高くなっていたり、低くなっていたりしていないでしょうか?


会社の人間関係はどうでしょうか?
ずっと遡って、アルバイトあたりから見てみても良いように感じます。
私はそうすると、実に25年以上になりますが、非常に良く当てはまっています。

私の場合で言えば、どうも、低くなっていく時の人々、高くなっていく時の人々、で見てみると、更にそうなっているように感じます。
低くなって行く時には、実に同じような上司、同僚が登場します、それぞれレベルに応じて(レベルは主観的ですが)。


この仮説は、森田健さんが言っている、”ループしている”現象にも似ています。
また、同じところに戻ってきている。
しかし、もっと言えば、それを繰り返しながら、上に行っているようです。



私は、仕事のストレスと思われる原因で2度病気をしました。
そして、その2回とも寸前を見てみると、実に似ている上司役が登場しています。
具合が悪いときも含めれば、統計はもっと増えます。

今まで私の精神レベルが一番高かった時を、主観でここだ、と指定するなら、おそらく、つぶれてしまった留学関係の会社を辞め、自営で留学業を始めて2年目 くらいまでだったと思います。

その前は、放送用機器を扱う会社で働いていた3年目だか、そこらだと思います。


その前は、大学の3,4年生のときだったと思います。

とりあえずここまでの3つを見てみますと、



大学の3,4年生の時には、就職雑誌のアルバイトをして、コンピューター会社へインタビューへ行ったのですが、その雑誌の関係で、だれでも知っているヒッ ト曲のあるバンドにいた人と知り合いになりました。
懇意になり、その人のいるオフィスにしばしば定期的に出入りしていました。

いろいろなことに相談にのってくれる、私にとって貴重な人でした。



次の時には、読売広告社をやめて、自分の事務所で、経営コンサルタントと、デザインの仕事をしている人と出会い、その人の事務所にも、しばしば出入りを し、いろいろなことを相談したい、教えてもらったりしていました。




その次は、実にいろいろな人と出会いがありました。
たくさん相談をしたり、世話をしてくれる人が現れました。

一緒に赤坂の事務所を借りていた人は、CMのディレクターで、旦那が同い年だったこともあり、非常に懇意にしてくれました。
ちょっと私には似合わない業界人のパーティなどへも招待してくれました。

また、IT関係の企業の関係者で、毎週、酒をご馳走してくれる人などもいました。



それぞれ思い返してみますと、顔は似ているかどうかは分かりませんが、穏やかな感じの良い人ばかりです。
そして、そういう人達との付き合いが終わってしまった周辺の状況を思い出してみると、大方、仕事上で、ストレスが溜まり、荒れて、精神レベルが落ちていた ように思います。
ただ、単純に、やる気が落ちていたか、と言えばそうではなく、むしろ、自分で自分に鞭を売って、鬼のようになり、気が入りすぎて、常道を逸しているような 精神状態になりながら、仕事をしていたことが多かったように思います。

強引に薬をたくさん飲みながらであったり、どう考えても、体力が続くわけがないようなやり方をしたり・・・そういうことです。



実際、同じ人が2度出てきた時までありました。
S社の人です。
一度目に病気をする前、その人は北関東の営業所の所長さんで、オフィスもほとんど隣り合わせでしたので、毎日のように会っていました。
2度目は2度目の病気をする1,2年ほど前です。
その会社でも、S社関係の仕事をしていて、その人が、同じ部門ではありますが、更に出世していて、頻度はそれほどではありませんが、顔をあわせることにな りました。

その人とは、馬が合いますので、一緒にいても別にどうということはないのですが、ひょっとしたら、何か意味があるのかもしれませんね。
前世で、夫婦だったとか・・・・・・顔を思い浮かべると、笑ってしまいますが。




こう振り返り、それぞれに当てはめて、財運、金運はどうだったか?と考えてみますが・・・
財運が比較的良かった期間というのは、2度ありますが、その時はっどちらかと言えば、精神レベルは低かったように感じます。
どちらも、病気になり、仕事を辞める寸前です。


この意味では、想念が財運を呼び込んだのか?との推測もできますが、統計が少なすぎて、何とも言えません。

振り返ってみて、いまさらながらに分かるのは、どうやら、一番大切なのは、「心」、2番目は「健康」、3番目は「人」、4番目は「お金」・・・ということ でしょうか?

女性が、私の場合どこにも入っていませんが、普通は、「人」と「異性」を分けるのでしょうか?
あるいは、精神世界的には分けて考えるべきなのでしょうか?
良く分かりませんが・・・。

いずれにしても、今までの所を見てみると、「お金」の順位が上がってくると、どうも病気になるようになっていたように見えます。
よく分かりませんが。



さて、この螺旋を見ていて感じたのは、「同じような登場人物が出てく る」ということに、どこか決まった運命を感じました。
しかし、それは、自分でコントロールできる精神レベルによって、相手の精神レベルも変わってくる。

良い時には、良い時用の「配役」があり、「悪い時には悪い時用の「配役」がある。



何となくですが、これだけでも、私には、100%運命は決まっている、ということはないのではないか?と感じてきています。
ただ、変えるにしても、時間は必要なようです。
仮に浅見さんの本にある事例を見てみても、8ヶ月であったり、3ヶ月であったりしているようです。





私のケースで、無意識でも精神レベルがよくなっている時の状況を見てみますと・・・・・・
どうやら、やり始めて分からないことだらけなのだが、それが好きで、明確に寸前の進歩目標のようなものが見え、ただそれだけを追い続けているような時、初 心者として、しかも楽しんでやっている時がそうであるように感じます。

そして悪くなってくる時というのは、初心者ではなく、少なくと主観的には他の追随を簡単には許さないくらいの能力のあることをやっている時のように感じま す。

そうでありながら、少なくとも自分が思っているほど、評価すべき人は評価してくれない。
それならば、もっとやってやる、絶対にもっと評価を受けているやつらよりも、質の高いことをやっているはずだから、更にレベルの高いことをやってやる。
それでも、認められないとなると、
「認められないのならそれでもいい。別に自分は人に認められるためにやっている訳ではない。体が動かなくなるまで、どんどん、どんどんレベルの高いことを やり続けてやる・・・・」
となり、病気になるなりしていくようです。

浅見さんの本によると、「精神レベルが落ちている時は、自分が気づくまで、いろいろ方法を変えて、いろいろなことが起こる。悪いときには悪いことが重なる ものだ、というのは、そういうことです」(裏覚えの要約)と書かれています。
なるほど、と思います。
また、「苦労した人が良い思いをするかと言えばそうではありません。気づいている人には、悪いことは起こらないのです。要するに気づいているかどうかとい うことです」(裏覚えの要約)とも言っています。
なるほど、と思います。

また、「精神レベルが高いとは、地位が高いとか、金持ちとは、必ずしもそういうことではないのです」(裏覚えの要約)とも書かれています。
なるほど、と思います。

「精神レベルが上がってくると、思ったことが実現されやすくなったり、答えがほしい、と思っていたことが、いろいろな方法でやってきます」(裏覚えの要 約)というようなことも書かれています。

これと上のを組み合わせると、精神レベルの高い人が必ずしも、セレブではないのは、精神レベルの高い人が全員、お金を求めたりはしていないからだろう、と なるのでしょう。

ただ、精神レベルが高いと、お金を求めない、ということではないでしょう。
きっと、自分がやろうとしていることに必要以上のお金は、求めていない、ということでしょう。

ただ、大財運は、決まっている運命のものなのかもしれません。



宝くじなどの大金運は、ひょっとしたら、意図したり、願望を持てば、叶うかもしれません。
風水師の人の中には、「宝くじが当たることは、運勢的にはついていないことだ」といっている人もいますが、私は、よく分かりません。
そうだとすれば、それなりに理論を組み立てることは可能ですが、最近、「それは、違うかもしれない」と感じています。




また、少し違う話ですが、どうも、悪口、批判、不平などは、精神レベル的には低いことのようなのですが、例えば、会社などで、「この会社の制度は、ここが 間違っている。ここを直せば、ずっと良くなる」などのことは、批判なのでしょうか?
これが批判だとすると、三○自動車でも、どこでも、一生内部から直ることはないようにも感じますが?

ここら辺は、もし船井幸雄さんに質問できるようなことがあったら、聞いて見たいと思います。
もちろん、今でも、「長所進展法により、良くなる」、ということで、一応完結することはできるのですが。






いずれにしても、理由は良く分かりませんが、運命には、3次元で変更できる部分も、相当量あるのではないか?と最近思っている、という話でした。


ビートルズでした。



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