理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

本当の理由はなんでしょうか?

 


 


268:スウィング・アップ/ブルー・コーツ・プレイズ・ビリー・ストレイ ホーン
森寿男とブルーコーツ
   
 

さて・・・・・・
いつものパターンに戻りましたが・・・
音的には日本で一番好きなビッグバンド、ブルーコーツのアルバムです。
ブルーコーツは原信夫とシャープス&フラッツより、派手な活動が少ないこともあり、CDもほとんど発売されていません。

しかし、伝統(?)と音は、勝るとも劣らず、すばらしいものがあります。

曲目です。

1.A列車で行こう
2.チェルシー・ブリッジ
3.スナイバー
4.インティマシー・オブ・ザ・ブルース
5.U.M.M.G.(アッパー・マンハッタン・メディカル・グループ)
6.アフター・オール
7.オール・デイ・ロング
8.ロータス・ブロッサム


アルト・サックスは、五十嵐明要 さんが、ほとんどの曲でリードを取っています。
ソロでの活躍が有名ですが、この時期はブルーコーツに所属していたようです。
デューク・エリントン楽団のジョニー・ホッジスを髣髴させる艶っぽい音色を聴かせています。



原信夫とシャープス&フラッツと、何がどう違うので、こちらの音の方が好きなのでしょうか?
もちろん3次元的にはですが。

録音の質もあるでしょうが、不思議なことに学生時代生で聴いていた頃も、こちらの方が好きでしたので、録音だけの関係ではないでしょう。

音作り的(アレンジ)には、ブルーコーツの方が、よりスタンダードな・・・ベイシー楽団あたりを感じさせる音作りかもしれません。
しかし、原信夫とシャープス&フラッツも、そういう部分は相当ありますので、これもどうも決定的な理由とは思えません。

そうなると、直感的には、原さんと森さんの違いによるところが大きいのではないか?と感じます。
それは、リズムの取り方の違いかもしれませんし、そのほかの要素かもしれません。

原さんはサックス奏者で、森さんはトランペット奏者ですね。

原さんは自らも演奏に加わりながらの指揮で、基本的にバンドのメンバーには背中を向けている状態ですが、森さんは、演奏はしませんので、クラシックの指揮 者のように、バンドを正面に見ながら指揮をします。

ここらへんはひょっとしたら大きいのかもしれません。
ブルーコーツの前のリーダーだった小原さんの録音も同じように好きなのですが、それを考えると、やはり指揮者が前にたっている演奏から生まれるサウンドが 好きなのかも知れません。

しかし、同じように何度の正面に立ち指揮をする「宮間利之&ニューハード」はさほど好きではありませんので、そこらへんは果たしてどうなのか?とも感じま す(笑)。


また何か思いついたら書いてみます。







さて・・・・・・
決まっている運命がある・・・と言いますか、ほとんど決まっているようですが、それを意識しますと、何とも動きつらいです。
つまりハンドルを手放す、と動きづらいのです、私は。
気持ち的には楽なのですが。

なぜかと考えますが、どうも私は、「運命は決まっている、しかし、自らの動作に関係するものは、あたかも自由意志で自ら決めて動いたように起きる」という ことを、認識していないからではないか?と感じます。

これが正しいかどうかは分かりませんが。

たとえば、にんげんクラブ・ミーティングの感想でも書きましたが、池田邦吉さんは、あの世とこの世をつなぐ橋を渡る時、前世・あの世の記憶を消してしまう スープを飲む時に、スープを配るお婆さんの顔が怖かったので、逃げ出し、そのままこの世に来ることになりました。

私はこれを読みますと、池田さんは、今生では前世・あの世の記憶を持ったまま、この世に生まれてくる、という運命であったので、このようなことが起きたの だ、と感じます。
その意味で高次元・・・少なくとも5次元まで運命は決まっている、と思うのですが。

この時、池田さんの取った逃げる、という行動は、おばあさんの顔を見て、「怖いので逃げよう」という自ら決めたように思われるものです。

しかし、おそらくは、「とにかくスープを飲まずに、この世に生まれる」ということが決まっていて、それにそったシナリオであったのでしょう。
また、「おばあさんの顔が怖かった」ということも、ただ逃げる、ということだけにシンク(同期)したことではなく、そのおばあさんの顔、おばあさんの存在 をより確かに、記憶に残しておくためのシナリオともシンクしていたのかもしれません。

ここで、仮に、ハンドルを手放して運命通りに生きよう、と思った時、何も意識して意思を発しないとしたならば、どうなのでしょうか?

おそらくは、それはそれで、シナリオ通りになるように、何かが起きるのだと思いますが。


しかし、上の池田さんの話のように、「逃げる」という自らの意思を発しても、それはそれで、ちゃんと運命通りになるようです。

ですので、ハンドルを手放そう、を実行しようとしている場合でも、おそらくは、自らの意思というものを発しても良いのでしょう。
と言うより、良いとは、はなから思っていますが、私のように意識しすぎるあまり、3次元的な・・・自ら知覚できる範囲での、自らの意思、意識を発しないよ うにしようなどとは、考える必要はないのでしょう。

私の場合はこう考えた方が、”生きやすい”ようです。


みなさんは、どう思うでしょうか?







さて・・・・・・
今日は朝起きましたら、とても・・・調子が悪かったです(笑)。
早く寝ましたし、就職活動(大笑)も進んでいますし、人ごみにも行きませんでしたし、両手振り体操も250回しましたし、瞑想もしましたし・・・調子が悪 い原因がまったく見当たりません。
しいて言えば、調子が悪かったので、1,2時間、いつもより多めに寝過ぎたくらいでしょうか。

で、3次元的に考えてみるのは止めて、高次元的に考えてみました(微笑)。


足立郁郎さんの本には、
「この本を読んだ後に、体調が悪い期間が数日あるかもしれません。それは、これの本を読んだことにより、波動が上がり、細胞が新しく生まれ変わりますの、 そのせいです・・・」
というようなことが書いてあったずです。

で、昨日、細胞を再構築するほどの何か大きな発見があっただろうか?と考えてみました。




思い当たるものが、4つありました(笑)。

まず、昨日、「みろくの世」―出口王仁三郎の世界天声社 ;  (2005/08) 出 口王仁三郎言行録刊行委員会 (編集), 上 田 正昭: が、届きました。

まだ、2,3の項目しか読んでいませんが、なかなかすごい発見があります。

出口王仁三郎さんは、七福神の扮装をして、大変完成度(?)の高い写真を撮っています。
もちろん、それらの写真も掲載されています。
まだ詳しく読んでいませんが、百面相とも書かれていますので、もっと多く扮装をしたのかもしれません。

また、どうも、出口王仁三郎さんには、変性男子(へんじょうなんし)、変性女子(へんじょうにょし)、という考えがあるようです。
これは、どうも、よく言われていることではありますが、男には女性性がある、あるいは、必要だ、女性にも男性性がある、あるいは必要だ・・・というよう に、その章を書いている人は語っています。

もちろん、そこには有名な観音様の話や、あるいは、ガンジーには晩年、多くの女性たちがやってきて、世話をしてくれた話なども書かれてています。

まだ、読み始めたばかりですので、確信を持って書けることはありませんが、どこか、森田件さんの言う、「外側が運命を変える」、「女装」ということの言葉 にできない確かさを感じています。

また、とても、子供っぽいですね。
私はもっと、3次元的に”真面目”(?)な人かと思っていましたが、なかなか面白みもある方のようです。
まだ、読み始めたばかりではありますが。

これが、細胞を変えるほどの何かを私にもたらし方は分かりませんが、とにかく、こういう発見がありました。

また、詳しく読みましたら、書いていきます。







2つ目は、昨日の森田件さんの不思議研究所サイトでの、「小学生の女の子のような菩薩が、よろしく、と言って訪ねてきた 夢」の話です。

どうやら神は子供のような存在だ、というのが森田さんの意見ですが、その数日前に、私は、
『政木和三さんの孫(もう20歳は過ぎているでしょうか)は、正木和三さんの書物によれば、「ああ、UFOが来ている。ああ、○○の神が来た・・・」と良 く言っていたそうですが、これから想像するに、おそらくは、少なくとも神と接する態度という点では、このような具合だったのではないかと感じます。』
と、にんげんクラブ・ミーティングの感想に書いたのですが、どうも私も神と呼ばれる存在を3次元的な姿に変換したのなら、小さな子供のような姿なのではな いかと想像します。

子供と言いますと、みなさん、ご自分の子供のころのことを思い浮かべるのではないかと思いますが、今のところ、私が考えるのは、3次元的な相対性というも のをほとんど認識していない状態の子供、が、その姿に近いのではないかと考えます。

ですので、時々テレビに出てくる大人のような発言をして驚かせるタイプの子供ではないと思います。

私で言えば、どうも3,4歳までの状態・・・「だれそれがだれそれより偉い」とか「だれそれがだれそれより、成果を挙げている」とか、そんなことが頭に一 切入っていないような状態・・・なのではないかと考えています。

ですので、その意味では一般的には、小学校の低学年くらいの子供と表現できるかもしれませんが、それぞれであり、場合によっては、40でも、50でもそう いう人はいるのだろうと想像します。

どうも、この概念に対して確信の度合いが大きくなったことが、私には重要なことなのですが、これが、細胞を変化させるほどのことであったのかどうかは、よ く分かりません。






3つ目は正木和三さんの脳波をアルファー波、シータ波にする「アルファー・シータ」なのですが、これは通常、ヘッドフォンで使用するものなのですが、オー ディオアンプに接続して、大きなスピーカーで、低音を大きくして、しかも、スピーカーのセッティングを2つのスピーカーに聴いている人がは挟まれるような 形にしてみました。

そうしたところ、何かものすごく聞いた後にスッキリ感を得られたのです。
今までにないものでした(笑)。
正木和三さんのこの機械は、うねり音を、左右の耳にわずかに異なった周波数の音を入れることにより、頭の中心で起こさせるものですが、ひょっとしたえら、 このうねりは、頭もそうでしょうが、体全体にも効くのかもしれません。
あるいは、ヘッドフォンよりも、スピーカーの方が周波数的に、この機械から出てくる音を忠実に再生できるので、効果があるのかもしれません。
または、私の耳が聞き取る周波数にあっている、ということなのかもしれませんが。

ただ、その前に、不思議研究所の「天目CD」もかけましたので、そちたの効果か、相乗効果なのかもしれません。



で、今、そのアルファー・シータを着けて見ました(笑)。

果たしてこれが、私の細胞を変えるほどの何かをもたらしたかどうかは、分かりませんが。
(本当はそう思っているから、着けたのでしょうか?)



 

4つ目は、「くるみ」と「アーモンド」です(笑)。

知り合いが体の具合が悪いと言い、30万円もするマッサージ機を買ったというので、ケイシーグッズを売っているサイトを紹介した のですが、そこにアーモンドが良い、ということが書かれているのを見つけて、ネットオークションでまずアーモンドを買いました(笑)。

同時に、テレビで、中国では記憶力を上げる効果のあるものとして、胡桃(くるみ)を昔から食べている、という情報を得た ので、胡桃も買ってみました。

で・・・3,4日食べていますが、これが何か原因しているのかもしれません(笑・・・そうかな???)。


ただ、胡桃を見て、改めて思いますのは、よく図形やCGで見る脳の形にものすごく似ていますね。

←ちゃんと右脳、左脳と分かれていたりします。

形が共鳴するものだとするのなら、くるみが脳に共鳴していたとしても、不思議ではありませんね。




共鳴した結果、どうなのかは、分かりま せんが、中国で昔から記憶力アップの元として扱われているのですから、何かそういうような具合に結果が出ている可能性は高いでしょう。

ちなみに、これを買ったのはネットショップですが、トレハロースを探していましたら、くるみとアーモンドが思いのほか安い店を見つけました。
ここで すが・・・次にトレハロース・くるみ・アーモンドを買う時には、ここにしてみようと思います。

ちなみに、まだ、購入は試してい ませんので、このお店については、不明です。

果たして、くるみとアーモンドが、細胞を変化させるほどの何かをもたらしたのかは、まだ分かりませんが、おいしいのは確かです(笑)。

 

実はくるみとは、縁が長く (笑)、私が」小学生の中ごろ、頻繁に食べていました。
なぜか、実家のパン屋さんの隣の本屋さんで当時中国直輸入のくるみを売っていて、毎日のように食べていました。
また、ほとんど同じ頃、大塚駅の近くに、山洋電機があるのですが、そこが、工場の跡地にサンヨーバザールというもうなくなってしまったスーパーマーケット を出しました。
そこに当時中国物産やさんがあり、やはりくるみを売っていました。
そこにも、品物がなくなるまでくるみを買いに行き続けていました(笑)。

その後、にきびがいっぱいできるのですが(笑)、記憶力と引き換えに、にきびができていたかもしれませんね(笑)。
油分が多いのは事実ですので。


そして、それ以来・・・30年ぶりくらいにくるみを食べているわけですが、果たして今後どういう運命が待っているのでしょうか?(大袈裟)。



30年ぶりと言えば、佐野元春さんのアルバム「サムディ」のCDを買いました。
LPからレコード時代になり、いつか買おうと思っていながら、なぜか、20年以上かわず、聴かずにいたものですが、なぜか、今、とうとう買いました (笑)。
沢田研二さんなどもコーラスで参加している、全曲すばらしいアルバムです。

私は、やはりなぜか、一番やりたいことをやらないという変な習慣のある人間でした。
どうも、それが3次元的な原因なのではないあkと思うのですが、それが正しいのなら、このアルバムは、実は私が一番聴きたかったアルバム、ということにな るのかもしれません。

下にタイトル曲の「サムディ」の歌詞を掲載しましたが、ユーミンの「やさしさに包まれたなら」のように、高次元的に解釈してみようかと思っています。

果たしてどうでしょうか?


というわけで、なぜか、体調が不思議だ、ということを書いてみました。

みなさんは、どう思うでしょうか?


 

 

 

 

 

 

 

さて・・・・・・
夢、ということですが、私は4,5歳の頃よく見た夢があります。
何か石作りの円形の大きなホールのような場所にいるのですが・・・時代で言えば、中世という感じでしょうか?
詳細は覚えていないのですが、何か裁判のようなことをやっているようでもあり、オペラのようなものを上演しているようでもあり・・・
ただ、起きた時に、何か責められていたような疲れ緊張感がありましたので、観劇の系統ではないのでしょう。
むしろ、オペラのような、というのは、その夢が嫌いでしたので、私がその後良いように解釈を加えたものであるように感じます。
で、どうかと言いますと、その後、3,4年前に一度見たくらいで、ここ20年くらいは、ほとんど見なくなりました(笑)。

みなさんは、よく見た夢というのは、あるでしょうか?





先日、テレビで亀田メディカル・センターが、全国病院ランキング1位、というのをやっていました。
私はこの病院へ看護留学の仕事をやっていた時に、オーストラリアのホスピスの人たちと一緒に、見学に行ったことがあります。

海辺の景色の良いところにあり、ヘリポートが病院の前にあったりと、すごい病院だな・・・と思ったのを覚えています。
その病院に併設されていた老人ホームだったか、ホスピスだったか・・・お年寄りがたくさんいる場所で、ピアノを弾きました。
その場で突然申し入れたのですが(笑)。
こんな性格、行動パターンですので、堅苦しい会社で勤まるわけがありませんね。
品の良いお婆さんに握手されたのを覚えています。

私はこんな性格ではありますが、あまり思い切ったことをする方でもありません。
もちろんするのですが、3次元的には自分の中に確信的理由がある、と感じた時のようです。
ただ、これも、解釈としてはおそらく間違いで、何か直感が働くのかもしれません。

この時は3次元的には、なぜそうしたかと言いますと、母方の祖母に可愛がられたのですが、危篤ということで病院へ行った時に、死に目に会えなかったこと、 また、お見舞いに一度も行かなかったことが、どうもしこりになって残っており、それが理由だったと思います。

自己満足ではありますが、少しはお詫びができたように感じました。

と言うわけで、亀田病院に思い出がある、という話でした。







日本の良い点に伝統を重んじる、と言いますか、良い伝統がある、というのがありますね。
欠点は言わなくて良いのですが、ちょっと気になるので書きますと・・・
伝統とは3次元的には長年の知識の積み重ねでありように思いますが、確かに普通に考えましてそこには、何かすごいものがありますね。

ただ、それは、本当に長年、1000年とか、500年とか・・・そういう話であって、また人で言えば、50年〜くらいの人に対してのことであって、日本は その”伝統”というものの素晴らしさが分かっていますので、逆に、たかだか5年10年・・・20年・・・くらいのものに対してでも、”伝統”だとか、”巨 匠”だとか、”カリスマ”だとか、その類の言葉を軽く使いすぎる傾向がありますね(笑)。

それだけですが(笑)。






「みろくの世」―出口王仁三郎の世界天声社 ;  (2005/08) 出 口王仁三郎言行録刊行委員会 (編集), 上 田 正昭:を読んでいますが、始めは辛い子供時代のことですので、読んでいるといくらかく暗くなります(笑)。

ただ、読んでいますと、なるほど、運命は決まっているのだな、と改めて感じたりします。

ただ、思うに、みなさん、クサリませんね(笑)。
私はすぐクサリます(笑)。

数年前の、「もう殺せ状態」の時などは、「運命」を憎んだりしました(笑)。
「くっそう、運命め・・・」なんて本気で言ったりしていました。
今は、すべて決まっている、そして、必要、必然、ベストなのだな、と思っていますし、感じていますが。
まあ、運命と仲良くやるんだな、と(笑)。

こんなことを書きながらテレビを着けますと、殺人事件のニュースばかりやっていますね。

ちなみに、殺人事件は確か減っているような統計があることを何かで報道していました。
しかし、ここ数年、猟奇的な、病的なそういう事件の報道がやけに目立ちますね。

ひとつはニュースと言えども、視聴率が必要なのでしょう。
裏がないとして、想像しますに、ここ数年間の不況が、スポンサーをとるために、そうしたのかもしれません。

裏があるとするのなら、意図してそういう報道を流すことにより、人の精神に及ぼす悪影響を狙っているのか、高次元的な影響を狙っているのか、それとも、共 謀罪のような法律を通すための大義名分を植えつけようとしているのか・・・いろいろ考えてしまいます。


ちなみに、上の
「今は、すべて決まっている、そして、必要、必然、ベストなのだな、と思っていますし、感じていますが。まあ、運命と仲良くやるんだな、と(笑)。」
は、後から付け足したものですが、それを書くと、楽しげな番組が始まりますので不思議です(笑)。
偶然でしょうか?



いずれにしましても、クサッテも仕方がないようです。
また、頭に来たからと言って、怒鳴るのは良くないようです。
本当に、不思議なのですが・・・特に国会議員ですが、怒鳴るシーンを見た人たちはことごとく、一度去ることになっています(笑)。

偶然でしょうか?


「みろくの世」―出口王仁三郎の世界天声社 ;  (2005/08) 出口王仁三郎言行録刊行委員会 (編集), 上田 正昭:です が、小学校に上がる時に、大病をして、入学が3年間遅れたそうですが、その時、出口さんの家柄としては、考えられないような学・経歴のある祖母がいて、い ろいろ勉強したそうです。

これもまた、決まっていた運命、というものを感じさせられます。
とても貧しい農家で、いろいろひどい目にあったようですが、それでも、そういう人があるのですね・・・。
ですので、何も、超能力で、勉強のできる子であった、ということではないようです・・・3次元的に見ればですが。


しかし、それらは、すべて今からみれば、何らかの使命、運命のようなものを見て取れる、ということですので、その時、あるいは、数年のスパーンでは、それ を読み取ることはなかなかむつかしいことですね。

そう考えますと、出口さんでも、いろいろ知識があったこと、自分の家の状態などの状況があり、その状況から問われて、いろいろ行動を素直に起こした訳です ので・・・多くの方がそうでしょうが・・・その意味では、感じることを素直に行動に移すということが、一番、決められた運命を歩む、ということであり、ハ ンドルを手放す、ということであるのかもしてませんね。





今テレビで例のアルバイトから時期社長になる女性のことをやっていますが、この方の弟はあのねのねの清水さんなのですね(驚)。

で、タレントさんが、「福井県の女性はとても働き者なので・・・」と同郷の女性を褒めていますが、女性はどの県の方でも働き者ですね。

ですので、女性が家庭にいた時には、日本は豊だったでしょう。
女性が社会に出て、仕事を与えられれば、同じようにがんばります。
男性と同じ使命を与えられれば、同じように、あるいはそれ以上にでもやります。

そうしたら、子供が減るのは当たり前ですね(笑)。


地下水は只だからいっぱい汲み上げたら、地盤沈下してしまった・・・というのとどこか似ているような気がします。
いくら便利で代用したら、本家よりもっと効果的だからといって、それ本来の役割があるものを他に流用したら、当然その役割が失われてしまい、歪が」出てき てしまう、ということなのでしょうか?

 

このニュースを多くの報道番組で は、アルバイトでもがんばればすごいことができる、ように報道していますが、違いまね。

 

本当は・・・

「かように日本の女性というのは働き者なのです。
その女性が家庭を守っているからこそ、いままで日本の繁栄があったのです。

ですので、アメリカ的な1970年代のようなウーマンリブを唱え続けるのではなく、いかに、家庭でがんばっている女性に感謝して、女性が安心して家庭にい られるような環境、状況を作っていくか?ということが、本当は日本には一番大切なことなのです。」

ということなのではないでしょうか?


その意味では、ハピネス講座(山咲梅代 (著), Angel 美都子 (著)出版社: たま出版; (2004/01) )での、山崎さんの書いていることは、これからの日本には大切なことなのかもしれないですね。

家庭で働く女性を大切にしろ、と書いてあるようです。
神示も掲載されています。
加速学園にいた方のようです。

みなさんは、どう思うでしょうか?







さて・・・・・・
「みろくの世」―出口王仁三郎の世界天声社 ;  (2005/08) 出口王仁三郎言行録刊行委員会 (編集), 上田 正昭:を少し ずつ読んでいますが、あまりの不遇に正義を貫くために侠客になってやろうと思っていた次期があるようですね(笑)。

そういう人たちとも相当な大喧嘩をしていたようです。
それが行動に表立ってでた3次元的原因は、大好きだった父親がなくなったことのようです。

大怪我をした時に、祖母の言葉によって、そんな状態は良くない・・・・と思ったようです。

正義を貫くためには、侠客的なものになるしかない、という短絡的な発想は、一時期、任侠映画ばかり見ていた私としては妙に親近感をいだくところがあります (笑)。

しかしそれは、3次元的には、あまり意味がないようです。
まず、命がけと言っても、命を捨てることが第一項目に上がりますので、”仮に”正義を貫きたいと思っても、大仕事は一度しかできませんね。

そして、正義を貫くと言っておきながら、人に暴力を振るうわけですので、自分を棚に上げていることになります。

また、自分を犠牲にだけして、弱いものを助けるというのは、一見強きをくじき、弱きを助けるですので、いかにも”THE 正義”なのですが、実はこれは対 等ではありません。

それは何も、賃金を貰え、と言っているのではないのですが。
ただ、構図としてはどうしても、えらい存在が下の存在に慈悲を与えるという情況に満足している、ように見えてしまいます。

ですので、もし仮にこれでも、「私は喧嘩が好きなだけです」ならまだ良いのかもしれませんが、それをして、「正義を貫く」だなんて思うのは間違いでしょ う。
それは、世間を良くする、という大義名分でも同じでしょう。


実際、本によれば、出口さん自身、「自暴自棄であった」と、考え直したように読めます。


その意味では、以前の私などは、差し詰め、出口さんのように大喧嘩などできないので、会社に入っては、自己犠牲と称して、自分の身分を捨てながら、気に入 らない上司を切ることで、正義を貫いたと勘違いし、自己満足に浸っていただけなのかもしれません。


どうもそう考えていきますと、”正義を貫く”という言葉はひとつのキーですね。
これは、とても間違った何かを含んだ言葉であるように感じます。

本当は、そこをもっと考える必要があるのでしょうが、今は何も浮かんできませんので、またの機会にします。

みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・・・・
神は子供・・・ですが、岡田多母さんの本に出てくる神・・・どうも創造主に近いようですが・・・はお爺さんです。

これはひとつに、祖母が良い人だったようですので、それによって、お年寄りの形で見えている、という可能性があります。

ただ、どうも、子供でないから、間違っている、ということでもないように感じます。

よく思うのですが、お年寄りと子供は似ていますね。
おそらくは、欲が少ない・・・この場合にも欲とは、相対的に見る、という意味でのよくですが・・・という点がそうしているのでしょう。


3次元において、一般的なお年寄りと子供の違いは、好奇心ということでしょうか。
また、お年よりは体がスムーズに動かない、という点もありますが、これは、故に好奇心がない、にも繋がりますし、故に、相対的な欲が少ない、にも通じるも のでしょう。

 

で、思いますのは、神には好奇心 がないだろうか?ということですが。
で・・・どうも、あるように感じます。

それじゃ、やっぱり子供だよ、となるかもしれませんが、考えるに、ここに男女差はないだろうか?と感じます。
私は男性ですので、それでも、正直に男性としての立場で考えますが、女性は子供を生みますね・・・。
そうしますと、子供、という姿は男性が思うそれとは別ものであり、少なくとも、神というものをイメージする時には、子供の姿、というものは出てこないので はないか?と想像します。

どうも、実際は神は光のような存在のようですので、子供でも、お年寄りでもないのでそうが、3次元で物質化したときには、このような違いが出てきても構わ ないような気もします。

そこまで言ってしまいますと、「神はその人がもっとも納得しやすい形で現れる」という説につながりますので、神は子供・・・自体同でも良いことになってし まいそうですが。

しかし、考えようによっては、子供を生む、という行為も、3次元においてのひとつの経験、ということになりますので、それによって、生まれたての状態の ピュアな気持ちに影響を及ばしている可能性もあるかもしれません。

あるいは、場合によっては、お年寄りに対してのイメージも男性と女性ですら違うのかもしれませんね。



ただ、神は高次元にいますので、体がスムーズに動かない、といということを心配する存在ではないようです。
そうすると、やはりお年寄りよりは子供に近いのでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょう か?







ちょっと思いついたのですが・・・
男性にとっての、相対的な価値観を知らない頃の女の子と、女性にとっての老齢でなんでも知っていて優しい男性(お爺さん)というのは、なんとも、好対照で すね。

3次元で一般的に男性が憧れる姿というのは、貫禄たっぷりで、全てを分かっているような男性像・・・
女性は、若くて、輝いている女性・・・

しかし、本当は、男性にとっての神とは、相対的な価値観を知らない頃の女の子・・・
女性にとっては、
老齢でなんでも知っていて優しい男性(お爺さん)・・・

なんとも辻褄あわせのような感じもしますが、どこか言い得て妙ですね。



少なくとも、男性の立場から言わせてもらえば、一般的には、
相対的な価値観を知らない頃の女 の子、のように振舞え・・・と言われてなかなか素直に聞ける人はいないように思います。

女性はどうでしょうか?
老齢でなんでも知っていて優しい 男性(お爺さん)のように振舞いなさい、と言われて聞けるものでしょうか?


神の姿が、上記のようである、しかも、男性と女性で異なる・・・というのは、あながち間違ってもいないのかもしれません。

みなさんは、どう思うでしょうか?


 

 



さて・・・・・・

いろいろありますが、私は気持ちを込めると、うまく字が書けないのですが・・・それでちょっと工夫しまして、心を込めてみたのですが、心を込めると書けま す(笑)。

気持ちを込めると、字がどうもぎ くしゃくします。

それで、考えてみたのですが、ひょっとすると、気持ちを込めるとは、念力≒4次元エナジーで、心を込める≒蘇生エナジー(5次元エナジー)なのかもしれま せんね。

みなさんは、どう思うでしょう か?
私だけかもしれませんが。



野球を見ていましても、同じようなことを感じます。
どうも、念力系はだめで、イチロウなどは、ある意味、ボールの生命体と会話しているのではないかと想像したりします。
それは、ボールではなく、球場の生命体かもしれませんし、バットかもしれませんが。

みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・・・・
昨晩は、食事の後、9時半くらいにベッドでテレビを見ていましたら、そのまま寝てしまい、夢を見て、夜中の2時頃目が覚めました(笑)。

こういうときは、翌朝瞑想をします。

それで、その夢ですが・・・・・・
なかなか変わった夢でした。
面白いので書いてみます。
ちなみに、ぜんぜん高次元的でも、下位の問い的でもないです。
面白いだけです(笑)。

大きく分けると2部構成になっています(笑)。

第一部は・・始め学校のような会社のような変なところにいます。

私の身分が学生なのか、職員なのか、よく分からないのですが、とにかくそこにいて、私用の個室のようなものがあります。
どうもあいかわらず取締役会議のようなものには関係ないらしく(笑)、どこかでその会議のためのメンバーが集まったりしているのですが、私は別行動のよう です(笑)。

しかし、どこか大きな教室のようなところへ行くと、私は歓迎されているようなのですが、そこへは、めったにいかないようです。
そこには、懇意にしている女性もいるようですが、それでも滅多に会わないようです。

で・・・おそらく、この状態の続きだと思うのですが、なぜか、誰かの付き添いで、西洋人の家へ行きます。
そこで、その家の奥さんの作った料理を食べます。
私は付き添いのようですが、私には私の視点でカメラは回っているようです。

どうも、3次元での前の会社の習慣で、私はできるだけ言葉を発しないようにしているようです。

しかし、偉い人がいなくなると、私は奥さんと英語で話し始めます。
結構ちゃんと言葉も発音も覚えています(笑)。

とにかく、「このオムレツはとてもおいしいですね」
のようなことを言っています。

で、奥さんがなぜか、「あなたの知っている限りで一番信頼性のある占いはなに?」
と聞きます。
私は「六爻占術です」と答えます・・・(笑)。

さて、どういうことでしょうか?




ここまでで、1つです。

で、今度は急に、営業で外回りか何かをしています。
時間が余ったようで、隣の駅のデパートのPC売り場でインターネットでもやって時間をつぶそうかと思っているのですが、時間があまりないので、近場の似た ような場所を目指します。

で、どうも、何かを間違えたようで、とにかく、戻ります(会社へか?)。
道を歩いていると、隣を歩いている人が、なぜか、喫茶店風の和菓子屋さんか何かの近くを通った時に、和風のふわふわした感じ(カステラ系?)のお菓子を見 て、何か私に言います。
よく覚えていませんが、なにかそれを西洋のお菓子と間違えている用な感じの質問をしてきます。
外国人がどうのこうの・・・というような感じなのですが。

とにかく、おいしそうですね、の ようなことではあります。


で、話の辻褄があいませんので、その対象がお菓子からもつ焼きに変わります(笑)。
ちょっと訳分かりませんが、夢ですので・・・(笑)。




で、少し歩いて、どこか喫茶店へ入りますと、その人もいて、席ではなくレジのようなところで、私より先に注文をしています。
昔のデパートの食堂のように、食券を買っているのでしょう。
私も続いて注文をします。

で、席に着きますが、その人と一緒のテーブルに着きます。
後から奥さんがやってきます。

私に見て欲しいものがある、と言っています。
なぜか、わかめの乾燥したものが入っている袋とメカブの乾燥しているものが入っている袋を見せます。

わかめには、私はあまり関心を示しませんでしたが、なぜかメカブで、「これは船井さんの所で売っているものが一番良いですね」と、訳の分からないことを言 います(笑)。
実際は船井幸雄さんのところで、メカブなど売っていないはずですが。
きっと、健康食品として捉えているのですね。

すると、急にその2人が、黒い背広のサラリーマン風の2人に代わります(笑)。

で、船井総研がどうしたこうし た、と話し合っています。
この後、2人が何か言いましたが、覚えていません・・・

で、2時頃起きましたが・・・

結局、その後、眠れずに、今日は 2時から起きています。
9時半寝の2時起きですので、船井幸雄さんより、少し早いですね(笑)。


面白いだけでした。

 

さて・・・・・・
夢を分析してみますと、・・・

大教室というのは、私の本質と言 いますか、根霊のようなものなのかもしれないですね。
ありがたい限りですが。

個室が与えられている、というのは、どういう意味かは分かりませんが、もし将来勤め先でそういう状態があるのだとすれば、正木和三さんのような状態でなん となく嬉しいです(笑)。


さて、外国人の家ですが、奥さんは金髪の人でした。
で、なんとなくですが、映画スターのイメージがしていましたが、後でシャーリー・マックレーンの本の表紙を見ましたら、まったく同じような感じでした (笑)。
記憶に残っていたのでしょう。
もっとも、アーカシック・レコードには、なんでもありますが。

感じとしては、ハワイでお世話になった、アイリーンとベティさんのどちらかのような気もしますが、アイリーンはシンガポール出身で、ベティさんは、北海道 ですので、見た目は違います(笑)。
ベティが、さん付けなんおは、いつも日本語で話していたからで、そういうのは、面白いですね。
アイリーンは英語で話しますのでアイリーンです(笑)。

どちらも、もう3次元にはいないかもしれません・・何年も連絡を取っていませんが。

スタンダードな高次元論から言えば、おそらくはアイリーンもベティさんも、根霊が一緒の可能性は高いですね。


『奥さんがなぜか、「あなたの知っている限りで一番信頼性のある占いはなに?」
と聞きます。
私は「六爻占術です」と答えます・・・(笑)。』
のくだりはなんでしょうか?

これから分かるのかもしれません。
楽しみですね。




外に営業か何かで出ていて、時間をつぶそうと思って、引き返す・・・
は、どういうことでしょう?

感じでは、
「ああ、やぱっり、時間が足りないな・・・」
という感じではありました。


方向性が違う、ということでも意味しているでしょうか?
今私はまたサラリーマンをやろうとしていますが、果たしてどうなのでしょう?

しかし、引き返すと、だれかが話しかけてくるようです。
人との出会いは、何の脈絡もなく訪れる・・・・ということでも表しているでしょうか?

運命が決まっているのなら、そうなりますね。



食券は、きっと、デパートに行こうとしていたので、昔の記憶がよみがえったのでしょう。

後から奥さんがやってきて、「見てほしいものがある・・・」と言うくだりは、なんでしょう?

船井幸雄さんのところへ、佐藤さん夫妻がグラビニクスを持ってきたくだりに似ていますが、メカブとグラビニクスでは、ちょっと違いますね(笑)。


『なぜかメカブで、「これは船井さんの所で売っているものが一番良いですね」と、訳の分からないことを言います(笑)。』
の後、夫婦が黒い背広のサラリーマン風になり・・・は、想像するに・・・・・・
仕事として、会社で何かこういうことに関係することをするのだとしたら、それは、サラリーマンの域を出られないよ・・・という意味、あるいは私の考えを表 しているのかもしれません。

確かにそうですね。
どう考えても、私がトップになっている会社なら別として、雇われの身では、どれほどのことができるのかは分かりませんね。

ですので、雇われるなら、きっとぜんぜん関係ない会社が良いのでしょう(笑)。


スーツのサラリーマン風が「船井総研・・・」と話しているのは、何でしょうか?
きっと、そういう会社に入ったら船井さんのやっていることとライバルになるので、競争しなくてはならないよ、苦手でしょう?とでも言っているのかもしれま せん。

とりあえず、健康食品の会社には入らないにしようと思います(笑)。

もっとも、逆に売り込む、という手もありますが。


売り込む、と言えば、今、ちょっと考えていますのは、世界中の朝陽が昇る瞬間のDVDを作ったら、ネットオークションで売れないだろうか?と考えています (笑)。
規模が小さいですね(笑)。

どうやって世界中朝陽の映像を集めるかですが、ネットで募集したらどうだろうか?などと思っています。

「お金は払わないけど、DVDが感性したら、ただであげます。ですので・・・」
ということですね。

とりあえず、日本中でも良いのかもしれませんね。

あるいは、朝陽の動画ばかりあるサイトを作れば広告収入があるだろうか?などと考えますが、サーバーに負担がかかりますね。
きっとやるなら静止画でしょう。
しかし、静止画ではつまらないですね。
きっと一番面白いのは世界中の朝陽がきれいな場所にカメラを取り付け、ライブで配信することでしょう。

とりあえずは、ラニカイ・ビーチでしょうか?(笑)。

ちょうど、あの2つの帽子型の岩(山?)の後ろあたりから朝陽があがるようです。
楽しそうですね。




さて・・・・・・

正木和三さんが神から寿命を延ば された時、神からの言葉を、「発明を特許を取らず放棄し、社会に貢献したことを善行と認める」のように聞いたそうですが、ひょっとしたらそれは少し違うの かもしれないとも感じます。

神が本当に言いたかったことは、「特許を放棄するほど、無邪気に発明という好奇心に従った行為を続けたことを認める」のような感じだったのかもしれません ね。

どうも、4,5歳の女の子を思い浮かべると、そんなように感じてきます。
4,5歳というのは、私の場合の”神”のような少女ですが。



私にとっての神は、どうも、「マナカナ」の双子のどちらか(どちらでも同じだが:笑)とか、オセロの松島さんとかのような感じに思えます。
昔の三田寛子さんのそうですね。

私は彼女が好きでした。
どこかで神のようだな、と思っていました。
もっとも、当時は神というより、天使、という感じでしたが。
大学の同僚が「あんな女・・・」みたいなことを言うので、「そうかな?・・・」と思い、しばらく疎遠でしたが、それでもある時から、「ああ、やっぱりいい 子だ」と思い直しました(笑)。

変わっていましたので、3次元的な女性の好みとしては分かれるところでしょうが。

で・・・このような女性を表すと、先にも書いたとおり、以前は・・・あるいは世間的には天使、という言葉の方が近いのですが、どうも、私はそれこそが神な のではないか?と感じています。

例の井出さんの
ミカエルの話でもそうですが、井出さんの 行く天子は、日本語で標準に言われている天使像ではなく、神ですね。

もっとも、森田健さんの本によれば、中国人超能力者の孫さんは
「神って何?」
ということですので、世界中で使われている神、天使などの言葉は、どこかで、一度、きちんとした翻訳をする必要があるのかもしれませんね。

日本はキリスト教的な神の概念が最近は濃いのかもしれませんが、それでも、アメリカとまったく同じではありませんね。

やはり、きちんと、日本的な神の概念も入っているように感じます。




http://www.chokugen.com/
に、(引用)
「小泉首相の「不戦の誓い」と「加害者意識」との「違い」にも着目している。そもそも日本では罪人も死ねば「神」になる。しかし中・韓では違う。罪人が死 ねば肉体は朽ちるが「魂」は残り続け、加害者に対する復讐心は永遠に消えないのである。彼らにとって靖国参拝・祈祷は、自分たちにとっての憎き魂の復活を 意味する・・・」
(以上)
というようなことが書かれています。

これが本当かどうかは、分かりま せんが、概念が違うのは事実でしょう。

上の説明はそれにしても、少し足りないですね。
日本ではなくなっても魂は永遠ですね。
それを神というのは、神道的な発想なのでしょうか、神道は詳しくないのですが、基本的には魂は創造主→神々→人・・・と分かれていっているもののようで、 そしてそれらは、皆対等ということですので、その意味において、人の魂=神である、ということなのだと思いますし、私はそれを信じています。

清水の次郎長が、幕府軍だった か、どこかの藩の軍だったかが、たくさんなくなり、海辺に打ち上げられた時、「死ねば、敵も味方もない・・・」として、それらのかたがたを葬ったのは有名 な話ですが、それでも、その時、役人に呼び出された、ということですので、3次元的な気持ちとしては、上で言うところの中韓のようなものはあるでしょう。

ただ、その時、、「死ねば、敵も味方もない・・・」と説明したところ、役人は理解したようですので、さすが日本人ですね。

いずれにしても、上のニュース記事で書かれている内容が正しいかどうかは、少なくとも日本人の神感の内容を読む限り疑問ではありますが。


「みろくの世」―出口王仁三郎の世界天声社 ;  (2005/08) 出口王仁三郎言行録刊行委員会 (編集), 上田 正昭:を読ん でいますが、今は岩窟での修行中に、あの世に行き、地獄を見ているシーンまで終わりました。

そこで語られていることは、スタンダードな地獄の様子ですが、注釈を読む限り、「地獄はそういうものがあると思うから出来上がった・・・・」と解釈できる ようなことが書かれています。
これは、船井幸雄さんもよく書くことですが。

どうも、実際は、高次元的なことで語られている多くのことは、人間が勝手に作り出しているもののようにも感じます。
想像ですが。

その意味で、まだ、「みろくの世」を読み終わっていませんが、出口王仁三郎さんの「霊界物語」で、”最後はみろく の世が訪れる・・・”としている(らしい)のは、そういったこともあるからなのかもしれませんし、本当にそうなのかもしれません。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 


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