理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

 

1〜20   21〜40   41〜60   61〜80   81〜100   101〜120   121〜140   141〜160   161〜180 181〜200      
201〜220   221〜230
231〜240
  241〜260   261〜280   281〜300                        
クリスマスアルバムのコーナー                          

 




231:Paul is Live
   
  ポールマッカートニーの3枚目のライブ盤です。

曲目です。

1.Drive My Car
2.Let Me Roll It
3.Looking for Changes
4.Peace in the Neighborhood
5.All My Loving
6.Robbie's Bit (Thanks Chet)
7.Good Rocking Tonight
8.We Can Work It Out
9.Hope of Deliverance
10.Michelle
11.Biker Like an Icon
12.Here, There and Everywhere
13.My Love
14.Magical Mystery Tour
15.C'mon People
16.Lady Madonna
17.Paperback Writer
18.Penny Lane
19.Live and Let Die
20.Kansas City
21.Welcome to Soundcheck
22.Hotel in Benidorm
23.I Wanna Be Your Man
24.Fine Day

タイトルの「Paul is Live:ポールは生きている」は、上記の「アビーロード」での、ポール死亡説を逆手に取ったギャグです。
ジャケットも、同じように、アビー・ロードスタジオの前の道になっています。


確かどこかに、「21以下の曲は、正式な録音ではないので、批判的な人は聴かないように」、というようなポールのコメントがあったように覚えているのです が、どこに書いてあるのか見てみましたが良く分かりません。

 ポールは、この前のライブあたりからビートルズ時代に使っていた、バイオリンベースを弾きはじめています。
なんでも、エルビス・コステロだかだれかに、「あのベースを弾いたほうが良い」と言われて、そうしたようです。
確か最後のビートルズコンサートの曲順などの書いた紙が、ベースには貼りっぱなしになっていたそうです。
例のアップルビルの屋上ライブでも弾いていましたので、やはり、何か思うところがあって、そのままにしていたのでしょうか?
それとも、どうでも良い、と思ってそうなったのでしょうか?

ポールによれば、「チューニングがうまくあわなくなっている」ということですが、聴く限りこの程度なら良いのではないのかと思います。
私には特に気になりません。
むしろ、その音程が、ポールの何かにあっている可能性すらあるかもしれません。


「ミッシェル」では、アコーディオンとポールの”フランス人風笑い声”を交えて、フレンチ色豊かに演奏されています。
「カンサスシティ」は、カンサスシティでのコンサートからのライブです。


これは、ビートルズ時代のレパートリーですが、正式には、「カンサスシティ〜ヘイ・ヘイ・ヘイ」というメドレーになります。
ポールのアイドルだったリトル・リチャードが、この形で歌っていたそうです。


6〜12は、アコスティックでの演奏です。
私は実はあまり好きでは有りません(笑)。

どうも私はベースとドラムが入っていない演奏は苦手なようです。



「批判的な人は聴かないで」ですが、そう言えば、先日テレビで、アメリカのドッキリをやっていて、トム・クルーズがインタビュアーの振りをした仕掛け人に マイクに仕掛けられた水鉄砲で、顔に水をかけられるシーンをやっていました。
トムは、はじめちょっと笑っていたようでしたが、すぐに、「何で、こんなことをするんだ?何で、こんなことをするんだ?」を怒っていました。


確かにちょっとやりすぎかもしれませんね。
アメリカの場合、良く知りませんが、本当っぽ過ぎるような気がします。
まったくもって、仕込みもないし、同時に誰が見ても分からないようにうまくやっています。
ということは、あの水鉄砲に悪いものが入っていたとしても、できた、ということですね。

あれを見て、”笑える人”がアメリカにはたくさんいるのでしょうか?
良く分かりません。


本当にアメリカは不思議です。
あれだけ子供には大きなケアを与えるのに、そのわりには戦争をよくする・・・・
表面だけ見ていると分かりません。

先日、野沢直子さんだったか、兵藤ユキさんだかがアメリカから帰ってきてテレビに出て言っていましたが、ニューヨーク州では、子供を一人きりで家において 出かけてはいけない、と法律で決まっているようです。

年齢は分かりませんが。
確かに、小さな子供を一人きりにして出かけるにはそれなりに、安全な状態にしておくことが必要ですが、法律で決まっている、ということは、きっとあまりに 子供がらみで事故・事件が多かったのでしょう。

そう考えるなら、決して、アメリカが子供を日本より対決にしている、ということではないと感じます。

兵藤ユキさんは、「徹子の部屋」で、アメリカの良い面をここぞとばかりに言っていました。
今時、珍しいことを言う人だな、と思って見いました。
10年前なら、まだまだ、アメリカに住んでいる人だなんて珍しい存在でしたので、アメリカのことを必要以上に良く言う人、というのは多かったのですが。
私も一時、それらの発言にだまされていた時期がありましたが。


むしろ、今は、「やはり日本の方がいいです」という発言の方に、真実味を感じます。
あるいは、まず日本の良い面を表さない人の言う、アメリカの良い面発言には眉唾です。
まず、テレビ製作的にアメリカひいきの意図的なものはないのだろうか?と思いますし、ご飯よりパンが好きな人は信用できません(笑)。


ただ、兵藤さんの性格ですと、何でも肯定する良い性格のようですので、その意味では、これで良いのかもしれません。

また、もちろんマッカーサーにより変にされてしまった面など、日本にも直さなくてはならないところはあるとは感じますが。


そう言えば、副島隆彦さんは、「アポロは月に到着したというのは嘘だ。その証拠にあれ以来2度と到着していない」と言っていますが、小松英星さんは、確か 「月には行ったが、そこには違う文明がおり、そのことが地球人に分かってしまうのがまずいので、あれ以来いっていない」というようなことを書いているよう です。
小松さんの方は、私の解釈が少し違うかもしれません。
なぜか、読みにくく、また、一度行ったページというか文章に、もう一度行くことが今のところむつかしく、正しく把握できていないかもしれません。
ただ、大体そのようなことが書いてあったかと思います。


いずれにしてもあれ以来、月に到着していないのは事実ですね。
一体、なぜなのでしょうか?



今、島田紳助さんが、「プロ野球を応援する人の気持ちが分からない。おっさんが、○○がんばれ、なんて言っているが、あいつは年棒2億円くらいもらってい る。本当は、○○が、おっさんがんばれ、というのが普通や・・」
というようなことを言っています(笑)。
面白いことを言うな、と思います。
ただ、それを言ったら、島田紳助さんを応援する人は1000分の1になうのが普通でしょう、と言われてもしかたのないところだろうと思います(笑)。

あんまり、黒い冗談はよくないかもしれません。






さて・・・・・・
螺旋がらみの続きです。

どうも熱があるようで、気温はそれほどでないのですが、指先とか、頭とかが熱いです(熱)。
理由は良く分かっており、一昨日、床屋さんへ行ったとき、カットしてくれた人が風邪をひいていましたので、それがうつってしまったようです。
あの仕事ほど、人に風邪をうつしやすい仕事はないですね。
もうひとつそういう仕事がありますが・・・それはいいでしょう(エッチ)。


前のアルバムで、「財運が良い時の後に、病気になった・・・」と書きましたが、これにひとつ仮説があります。
どうも私は、「お金持ち」=「精神レベルの低い人」、と、その当時までは思っていたようです。

ですので、「精神レベル(もっともその頃はこういう言葉は知らなかったが)が高い」=「お金に執着しない」とも考えていたでしょう。
と言うよりは、こちらは、明らかに思っていたようです。

あるいは潜在意識レベルでは、もっと激しいものが合ったかもしれません。
つまり、心を正しくするには、お金に目がくらんではいけないのだ、というような。

そして、その想念によってでしょうか、いよいよ財運が悪くなってくると、
「しかたがない。心の清さを捨てて、お金に執着せざるを得ない・・・」となり、今度はその想念で財運は良くなるものの、財運が良い=清くない心、と思って いるわけですから、それで、病気になっていく、ということだったのかもしれません。


しかし、いろいろあり、「精神レベルの高いお金持ちもいる」ということが分かりましたし、「時流が変わってきた」、ということも知りましたので、これから が楽しみです。
みなさんは、どう思うでしょうか?





ただ、どうして以前は上記のように、心と財運が一致しないものだ、なんて思っていたかと言えば、3次元的理由はたくさんあります。
第一、一致している人に遭遇しなかった、ということこそが、なんとも不思議なことです。

その3次元的理由の一つは、ポールとジョンにもあります。
ある、といっても、私はそう判断したと言うことで、責任が彼らにある、ということではありませんが。

ポールは本当かどうかは知りませんが、どうも自己中心的な嫌なやつである、ということが一部で言われていました。
それに対して、ジョンは、当時、政治的行動、反戦運動、ラブを訴える行動、など、”善行”を行っていました。

もちろん、ポールは政治的な行動は一切しませんでした。
ジョージの主催した「バングラディシュのコンサート」にさえ、出ませんでした。ジョンも出ませんでしたが。


どちらも、お金持ちではありましたが、ジョンは知っての通り、早くなくなってしまいました。
ポールはその当時ですら、大活躍中でした。

これを見ていて、どうも私は、心、と人生上での幸せは、反比例するものだ、と勝手に分析していたようです。



ただ、その後、ジョンが小さい頃、母親に会えず、やっと会えるようになったら、母親がなくなってしまったとか、はじめの子供が小さかった時には、ジュリア ンのインタビューによれば、ストレスからか、家庭内暴力を振るうような状態だった、とか、いろいろ知っていくと、ジョンは、なかなか一筋縄ではいかないよ うな人生を送ったのだな、とは、感じるようになりました。

太く短くとは、正に、ジョンやエルビス・プレスリーのような人のことを言うのだな、とは感じますが、太く長くとは、正にポールのことだな、とも感じます。

もっとも、ポールはポールで気苦労はあるのでしょうが。
と言っても、ポールが味わうような気苦労なら味わってみたいものだ、と思います(笑)。


小松英星さんのサイトには、確か「モーツアルトは、人々に音楽で癒しをあたえるために生まれてきた・・・。彼の霊根は、そういう人の集まりである」(裏覚 えの要約)というようなことが書かれていたように思いますが、さながら、ビートルズの4人もそうでしょうか?















事実は主観による客観であり、その人の精神レベルによって事実は変わってくる、という仮説を私は持っていますが、その意味で、アメリカ人の集合体で見 えているものと、日本人総合で見えているものは、まったく別なものかもしれない、と感じています。



たとえば、ジョーズですが・・・
確かに鮫は怖いです。
怖くなくとも、強い、と思います。

しかしながら、力でくるものは、必ず力で圧倒しなくてはならない、と考えているアメリカ人と、決してそうではないと思っている日本人などが見えてい る鮫はかなり違うも のかもしれません。



アメリカ人には、ジョーズにあるように、本当に怪物であり、映画に出てくるように馬鹿でかい怪獣を思わせる生き物に見えているのかもしれません。
日本人はジョーズという映画に影響を受けなければ、人には噛み付くが、あそこまでの生き物ではない、と思います。

私たち日本人は、ジョーズを見て、「なんともすごく誇張した鮫だな」と多くの人が思っていると思います。
しかし、それも、多くのアメリカ人の目から見れば、「ぜんぜん誇張なんかしていない、まさに鮫そのものではないか?」ということなのかもしれません。

なにせ、力づくで来るものは力で跳ね返す、と考えているアメリカ人にとっても、海の中で一対一であれば、相手はどんな格闘技選手よりも、どんな兵器 よりも強い相手かもしれないわけです。


そうであれば、あの映画に出てくる映像の鮫くらいのイメージが、彼らの心の中にあっても不思議ではありません。


アメリカは日本に原爆を落としました。
これは超尋常なことではありません。

しかし、これは、少なくとも我々日本人の目から見た場合です。
つまり、我々の精神レベルの主観から見た場合です。


先日「朝まで生テレビ」で、第二次世界大戦に実際に出兵した人を集めて討論がありました。
その中で、ある人は、「私は、別に天皇のために死のうだなんて思っていませんでした。私がこうしなければ、私の家族が危険にさらされるので、私は命を捨て てでも、相手につっこもうと考えていたのです」と言っていました。
確か特攻隊の人だったと思いましたが、良く覚えていません。


私たちはこの話を聞いたとき、すごい状況下だ、とは思っても、彼の心情は、別に不思議とは感じないと思います。
しかし、アメリカ人はこれを聞いたらどうなのでしょうか?
私にはまったく分かりません。

ただ、少なくとも、日本人の考えていることは、彼らにとっては、ひどく怖いものであったのだろう、とは想像できます。

そうでなければ、きっと原爆なんてものを、落とそうとはしなかったことでしょう。


良く分かりませんが、怖いもの、というものは、精神レベルの違いによって、極端に異なるのかもしれません。

少なくとも、アメリカの人の精神レベルと、我々日本人の精神レベルでは、怖いものが違うようです。





浅見さんの精神レベル説によれば、低い精神レベルだと、人の悪い面を見なくてはならなくなる、ということです。
これは、悪い面が気になる、というようなことだけではなく、実際、同じ人でも、悪い面を出したその人がやってくる、ということです。

そうであれば、いろいろな海外交渉ごとなどでも、アメリカの見ているものと、日本の見ているものは違う可能性はありますね。

アメリカには、多くの国が、その悪い面を見せている可能性があります。
こうなりますと、周り全てが敵のように思えてしまうのかもしれません。

アメリカが軍事力をもって、世界を征服しようとしているのは、資本主義経済のせいでもあるし、また勝ち続けることを合衆国家として、義務つけられて いるせいでもあるようです。

しかしながら、それだけではなく、上記に書いたようなこともまた影響しているかもしれませんね。




私はある程度以上精神レベルの高い人というものは、力による脅しには屈しないものだと感じていますし、経験しています。
しかしながら、ある程度以下の精神レベルの人というのは、人は必ず力、暴力、権力、権威に屈する、と考えていることも経験しています。


そしてこの点において、ある程度以下の精神レベルの人は決して、ある程度以上の精神レベルの人のことを理解できないもののようです。

他の事象については、良く分かりませんが。

ですので、アメリカが今のように嘘と、暴力による侵略を繰り返している限りは、決して国全体としては、高い精神レベルであることはないのだと想像し ます。





精神レベルの違いにより、目に映るものがぜんぜん異なっているとは・・・


物理的には同じものを目の前にして、目の中には全く違うものが映っているのに、そ れを無視して、同じものとして、さまざまな議論をしている、ということなのでしょう。

目の前にオレンジジュースがあります。
しかし、アメリカ人にはコーヒーに見えている。
日本人には、麦茶に見えている。


その状態で、オレンジジュースについて、今後の扱い方について、両者が語り合っている。

議論前に、あるいは、何百年間、このオレンジジュースが、コーヒーでもなく、麦茶でもないながら、明らかににコーヒーに見えているオレンジジュース と、あ明らかに麦茶に見えているオレンジジュースについて、お互い同意事項を得ようとしていましたが、その間、文化の違いだとか、宗教の違いだとか、いろ いろ一致できない理由す ら考えていたものの、実は、それは、精神レベルによるものであった、ということなのかもしれません。

しかし多くの人は気が付かなかった・・・。


私はどうも、勝海舟さんは、気づいていたように感じますが・・・。

あるいは、明治初期ならば、きっと何人かの人は、気づいていたのではないか、と感じますが。
みなさんはどう思うでしょうか?

但し、ジョン万次郎さんなどは、アメリカ人によくしてもらったようですので、当時から全員精神レベルが低い、ということでもないのでしょう が・・・。
今でも、戦争を止め、アメリカ兵を引き上げようと言っている人もアメリカにはいるようです。

夏目漱石がイギリスへ留学して、ノイローゼになってしまったようですが、それはきっと、「西洋は全てが日本より上まっているはずだ」という思い込み があったのではないでしょうか?
しかし、現実は、精神レベルはきっと日本人の方が上だったのではないでしょうか?
それに気づかず、何とか辻褄を合わせようとしたことが、ノイローゼの原因だったのかもしれません。
実際は良く分かりませんが。
但し、イギリス人はアメリカ人よりは、精神レベルは高いように感じます。


以前イギリス人の知り合いは2人だけ、と書きましたが、時と共にいろいろ思い出してきました。
みんな、良い人です。
ひょっとしたら地方から出てきた東京人よりは、親しみやすいかもしれません。
何となく、地方であった現地の日本人、に近いイメージがあります。


こんなこともありました。
ハワイのアラモアナ公園の海辺の岩の上にいたら、イギリス人の老カップルの旦那さんが、「何が釣れるんだい?」と話しかけてきました。
私は「私も旅行者なので良く分かりません」と言いました。
すると、すぐその後、また旦那さんが、現地の人しか知らないようなことを質問してきました。
すると奥さんが、「あなた、この人は旅行者だって言っているじゃありませんか・・・」とやっていました(笑)。

東洋人なので現地の人かと思ったのでしょうか。日本人だと西洋人だと現地の人だと思うわけですが。ハワイは不思議なところですね。


また、スポットで一人だけイギリスのある英語学校へ学生をお世話した事がありますが、その担当者も良い人でした。
今は知りませんが、当時(10年位前)はイギリスは、アメリカ留学のように学生ビザを日本で取得していく必要はなく、確か授業料金を支払えば、学校の発行 した書類をもらえ、それをイギリスの税関で見せれば良いだけだったと思います。

オーストラリアは、ほとんどアメリカと同じで、同じような手続きをして、日本で学生ビザを取得しなくてはなりませんでした。
但し、時間はずっと短期間で、取得できましたが。
今は知りません。

ほかにもいろいろイギリス人はいましたが、みんな良い人です。


アメリカはどうかと言えば、それでも、半分以上は良い人のように感じます。
しかし、中には、どうしても、納得いかない人もいましたが。






日本や多くの世界の国々は、アメリカのフセイン政権がでっちあげの理由で戦争をしかけたことを、「莫大な間違い」、「ひどい人権損害」、と考えてい ると思いますが、アメリカはひょっとしたら、そうではなく、「当たり前のこと」、「自分のどうしても必要な利益のため、永年の利権のためなら、嘘も、人権 損害も、命の尊厳 を汚すことも、なんでも許されることである、と言うのが、人間としての常識」と考えているのかもしれません。
良く分かりませんが。

そう考えなくては、辻褄が合いません。


冗談でしょうが、「フレンズ」にはそういう台詞が出てきます。冗談でしょうが・・・。
「どうしてもほしいなら(スジを相当はずしても)OK・・・」と。
冗談でしょうね・・・。


やはり、目に見えてるもの、心に映っているものが、同じものを見ても違うのでしょう。
そしてそれは、文化の違いなんかではなく、精神レベルの違いの可能性が高いように感じます。

みなさんは、どう思うでしょうか?

ポール・マッカートニーでした。


232:Tripping the Live Fantastic [LIVE]:
 ポール・マッカートニー
   
  ポールのライブです。
ソロとしては、ウイングスを含めて2枚目ということになります。

曲目です。

1.Showtime
2.Figure of Eight
3.Jet
4.Rough Ride
5.Got to Get You into My Life
6.Band on the Run
7.Birthday
8.Ebony and Ivory
9.We Got Married
10.Inner City Madness
11.Maybe I'm Amazed
12.Long and Winding Road
13.Crackin' Up
14.Fool on the Hill
15.Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
16.Can't Buy Me Love
17.Matchbox
18.Put It There
19.Together

ディスク: 2
1.Things We Said Today
2.Eleanor Rigby
3.This One
4.My Brave Face
5.Back in the U.S.S.R.
6.I Saw Her Standing There
7.Twenty Flight Rock
8.Coming Up
9.Sally
10.Let It Be
11.Ain't That a Shame
12.Live and Let Die
13.If I Were Not Upon the Stage
14.Hey Jude
15.Yesterday
16.Get Back
17.Golden Slumbers/Carry That Weight/The End
18.Don't Let the Sun Catch You Crying


1990年の発売のようです。
私が2度目にハワイへ旅行に行った時に、これをウォークマンで聴いていましたので、あれはせいぜい10数年前ということなのだと思います。

このツアーでも、ポールは日本に来ており、私は2度見に行きました。
この後、来たときも2度行きましたが、その後、もう一度来ているはずですが、その時は行きませんでした。
精神レベルが下がり始めたころで、そろそろ、いつもの自分ではなくなりだした頃だったように思います。

その意味では、精神レベルが、落ちている頃というのは、物事を躊躇する傾向があるのかもしれません。
当人的には「面倒くさい」状態だったと思いますが。
その意味では趣味が変わってしまう、という状態にも似ていますので、霊能者的に言えば、なるほど、憑依されている状態なのかもしれません(納得)。

もちろん、そうでなくとも、趣味は変わっていくことはあります。
精神レベルが上がって変わる、という害のない、あるいは良いケースではない場合では、どこか躊躇のようなマイナスのものとセットになっていることが、サイ ンなのかもしれません。

ちなみに精神レベルが上がった状態というもの、政木和三さんの本を読みますと、第二生命体がレベルの高い霊に入れ替わっているようですので、その意 味 では、どちらにしても、霊的な変化がある、と言えるのでしょう。

違いは、今書いたように、「マイナスの何かがあるか?」で、とりあえずは、考えておきたいと思います。

もっとも、更に高次元的に見ていくことも必要なのだと思いますが。






このライブ盤が出たときは、画期的でした。
ポールは、前のウイングス名義のライブでも、ビートルズナンバーを演奏していますが、ここでは、更に、ビートルズナンバーを演奏しています。

ビートルズナンバーがビートルズのメンバーによって演奏される、ということが、まだ。画期的な意味を持っていた頃でした。
ベルリンの壁が崩れたのに、どこか似たような感覚を感じます。


ひとつはシンセサイザーの発達だと思います。
サンプリング技術が発達したことにより、ストリングス、ブラスなどの生楽器の音が、本物の音にぐ、っと近づきました。
ですので、「エリナー・リグビー」、「Got to Get You into My Life」、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」などの曲を小編成バンドで、演奏することが可能になりました。

前のウイングス名義のライブでは、ブラスセクションが加わった大編成のバンドでした。
ですので、「007死ぬのは奴らだ」などの曲を演奏することができましたが、あれで世界ツアーを回るのは、レオン・ラッセルではあるまいし、大変なことで す。

しかし、シンセの発達で、仮に2人キーボードプレーヤーがいれば、一人が2台のシンセを引いた場合なら、相当分厚いオーケストラ風サウンドが演奏可 能になります。


ただ、私的には、前のライブのような、生楽器での演奏の方が好きではありますが。




「Golden Slumbers/Carry That Weight/The End」はアビーロードのヒュージ・メドレーの一部ですが、例の、ジョン、ポール、ジョージがギターソロを8ビートの2バース(ロックでは普通こうは言わ ないですが:笑)で回す部分も再現されます。

ポールは左利き用のスポールを演奏していたはずです。


今、高中正義さんがテレビに出てきて、演奏を始めました。
「ブルーラグーン」かと思ったら、違う曲のようです(笑)。
やはり、同じ人の作曲した曲は似ています。
SGではないですが、ヤマハのギターのようです。

斉藤ノブ、難波弘之、バイオリンの女性というメンバーです。




ここらへんのメンバーは、正に私が日本の音楽を聴いた頃のスタジオミュージシャン達です。

一時は、ロック系とジャズ・フュージョン系の人達は別れていましたが、だんだん重なって来て、スタジオミュージシャン第二世代くらいになってくると、ほと んどジャンルは関係なくなっていったように思います。
一時は渡辺貞夫クインテットのリズムと山下達郎さんのバンドのリズムが一緒だったようなこともあったかと思います。

私の記憶の中でジャズとロックの最初の架け橋的イメージのある人はつのだヒロさんでしょうか。
確かはじめ、渡辺貞夫クインテットにいて、そのあとナルモシゲルさんのフライドエッグに参加したような記憶があります。
もちろん原体験ではありません。後追いです。

なにせ、フライドエッグは、中津川フォークジャンボリーに出ているはずですので。


つのだヒロさんは、漫画家のつのだじろうさんの弟だったと思います。
兄弟で才能・・・というか、運豊かな一家ですね。


しかし、結構、兄弟で、すごくて、しかしながらその関係が知られていない人というのはいるように思います。

今、名前は出てきませんが・・・
忘れた頃に、驚かされることがしばしばあります。


少し通なところでは、吉田美奈子さんと吉田たもつさんとか・・・確か兄妹だと思いましたが。


俳優は結構いますね。
山本圭さんと山本学さんとか、津川雅彦さんと長門裕之さんとか、田村兄弟とか・・・石田ゆり子さん&ひかりさんとか・・・・・・

いつかも書きましたが、きっと役者の才能というのは、外見、声、雰囲気(氣)のようなものが、結構大きい要素なのかもしれません。


音楽でも、渡辺貞夫さんの兄弟などもいますが、あまり多いようには感じません。

作家に至っては、いるのでしょうが、私は知りません。


それでも、思い出しましたが、「あの頃ペニーレインと」に出ていたケイト・ハドソンは、あのゴールディ・ホーンの娘さんだったのですね。
ゴールディは、私が映画が好きだった頃、最も日本人に人気のあったコメディ女優さんでした。
「ファール・プレー」などの、楽しい映画に出演していました。

藤純子の娘さんがテレビに出ているのなら納得できますが、ゴールディの娘さんが、もうあんなに大きくなっているだなんていうことは、本当に驚きです。








ところで、いつだったか、脳に関する番組がやっていたとき、右脳のイメージ能力が異常に優れている人がどうやって、頭に記憶した静止画を書き出すか、とい うのをやっていましたが・・・
その人は、とにかく端から一筆書きで書いていました。

何か、そこらへんに秘密があるのかもしれません。
良く分かりませんが。





「お岩さん」は実は妖精だった、という内容の番組の宣伝を見ました。
なぜか、「やっぱり」と感じ、嬉しかったです。
しかし、その番組は見損ないました。
きっとそうなのだと思うことにしました。


もし、四谷怪談が、あのようなストーリーであるなら、高次元的に納得ができません。
やはり、5次元へ行けるような生命体が、3次元の人を恨んだり、仕返しをしたり、ということをする、ということは、ありえないように思います。

もしそうなら、今頃、9.11の本当の犯人はとっくに捕まり、すべてのでっちあげは解明されているはずです。

あるいは、すべての戦争は始まった瞬間に終わるようにも感じます。

はじめの兵士が殺された瞬間に、その生命体が、敵の将軍をやっつけてしまえば良いわけですので・・・。









その意味で、気になることがあります。


その9.11ですが・・・
あれがもし、多くの人が言っている様に、大きな財団とブッシュ政権によってなされたでっちあげ事件であり、また、その財団が本来人間が知っていた多くのこ とを語り伝えてきた家系であり、そしてそれを隠蔽した家系であった場合・・・
彼らは人間が輪廻転生することも、当然知っているはずだと思います。

その意味で、もし人殺しという行為に対して、罪の意識が薄いのだとしたら、これは恐ろしいことだと感じます。

どうも私がいろいろなところで読む限り、その財団は、願望達成から、高次元のことまでいろいろ知っていながら、自分たちの利益のため、本来、未来へ 伝承するはずだった情報の数々を隠蔽しているようです。
本当かどうかは、分かりませんが。

そして、そういった本当の情報に一般人が気づかないように各種の画策をしている、ということのようです。
ここらへんは、小松英星さんのサイトにも掲載されています。

小松さんのサイト(http: //www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt5.html からリンクで行けるhttp://thewebfairy.com/911/pullit/PULLIT_3.swfに は、貿易センター第7ビルが、信じられないくらいに計画的かのようにくずれていくシーンの動画を見ることができます。

http://www21.0038.net/~gaia-as1/qa04f.html#site

今日も日本テレビで9.11の特集をやっていましたが、私は建築・設計の専門化でもなんでもありませんが、果たして本当に飛行機があのビルの上方に 衝突したことによって、あのように、もののみごとに全て崩れ去ったりするのでしょうか?

小松さんのサイトによれば、ミサイル、および、ビルに仕掛けた爆弾が使用されたようだ、とあるようです(違ったらすみません)。

どうも、ここまで大きなことをやらなくては、今までのように、本当のことを隠していくことができなくなってきている、ということのようです。



その人達は、一体どこまで知っているのでしょうか?

5,6次元の存在たちとは、交信しているのでしょうか?
きっと、それはないと思いますが。

宇宙のほかの星の存在とは、交信しているのでしょうか?
良く分かりません。


しかし、彼らの存在もまた、決められた運命によるものなのかもしれません。
彼らはそれも知っているでしょうか?






そう言えば最近、池田邦吉さんの情報がどこにも出てきませんので分かりませんが、予言の解明がどうなっているのか気になるところです。


確かに、信じられないような自然災害は起こっています。

船井幸雄さんによれば、池田さんから情報は届いているようです。
その確立が高くなったら、公表するようなことを書いていたと思います・・・・・・。





さて、例の「股間(本当に間違えた:笑)・・・ではなく・・・・・・時間が短くなった」という話ですが、小松さんのサイトには、次のよ うなことも掲載されています。



http://www21.0038.net/~gaia -as1/era.cmt1.html(引用)

『非常にま れに、時空の或る場所で、宇宙のエネルギーの巨大な加速が起こることがあります。星々、惑星たち、そして無数の宇宙のプレーヤーたちを含む、様々な形態の 知性を持つ存在たちの共同合意によって、その加速は計画されます。それは、エネルギーの巨大な波動的変化を統合することによって、はるかに大きい現実体験 へ、種々の参画者たちの目を開くように設計されています。こうした覚醒の時代へのゲートウェイ(関門)が、あなた方の世界では1987年に開かれ、25年間の前例のない変化と幾何 級数的な変容を開始しました。

(略)

エネルギーの加速」とは、地球の波動(周波数レベル)が持続的に上昇す ることです。それも幾何級数的な上昇なので、「加速」 があるわけです。これを上昇させる源泉は、《この時代!》に、天の河銀河の中心から(太陽を中継して)送られてくる特別のエネルギーです。エネルギーと波 動との比例的な関係は、地球の科学でもよく知られています(アインシュタイン・プランクの式: E=h・ν, E: エネルギー, h:プランクの定数, ν[ニュー]:周波数)。

地球の波動上昇の効果で最も分かりや すいのは、地球の体温の上昇(つまり温暖化)です。もう1つは、時間の加速です。時間は、直感 的に分かるはずですが、波動にリンクします。感覚的に物事をとらえる人なら誰でも、時間の加速を感じているはずです。よく、「時間が飛ぶように過ぎてい く」という風に表現されます。なかには、生理の間隔が短くなったとか、パソコンの時計が勝手に進んでいくとか、髪や爪が伸びるのが早くなったという人もい ます。

ここで出てくる大きい課題は、人類 が、地球の波動上昇に合わせて、自らの波動を上昇させることです。そうでないと、ひたすら上昇を続ける地球に(つまり今回のアセンションに)取り残される ことになります。自然(地球)と事実上同期して生きている自然界の生き物は、これについては何の問題もありませんが。

 

すべての ものが加速し続けているので、やがて途方もなく大きい変化が起こるでしょう。そして、現実についてのあなた方の思い込みは、《まばたき》の間にひっくり返 るでしょう。』


(以上)


本当は緑色の部分だけで良いのですが・・・、
髪や爪が伸びるのが早くなったという人もい ます。」ですが、実はこれ も、すごく感じます。

私 は、深爪をする人です。
と言いますのは、ピアノとギターを弾きますのでそうなのですが、やはり独学のせいで弾き方に癖があるのか、爪を絶対に指先よりも深くします。

そ うでないと、ギターでは、左手が弦を正しく押さえられませんし、ピアノは、速いパッセージがひけません。

今 は以前のように頻繁に弾きませんし、真剣にも弾きませんが、それでも、あまりに爪が伸びるのが早すぎるように感じます。
始めは、「これも、40を過ぎたせいなのか?」とか、「カルシュームの取りすぎか?」とか、考えたものですが、ひょっとすると、何かあるのかもしれませ ん。

髪 はどうかと言えば、やはり伸びるのが速いです。
そう感じます。
もともと、髪が硬く、癖毛ですので、量が多いタイプですが、それにしても、速いです。

み なさんは、どう感じているでしょうか?

小 松さんの文書を読む限り、そういうことが起きる時期があるようですが、少し観察してみます。
何か分かるかもしれません。
 


ポール・マッカートニーでした。


233:back in the u.s Live 2002:ポール・マッカートニー
   
   ポールの4枚目のライブです。

このツアーでも日本にきましたが、私は行きませんでした。
最後の来日と言われていたようですが、果たしてどうでしょうか?

曲目です。

ディスク: 1
1.Hello Goodbye
2.Jet
3.All My Loving
4.Getting Better
5.Coming Up
6.Let Me Roll It
7.Lonely Road
8.Driving Rain
9.Your Loving Flame
10.Blackbird
11.Every Night
12.We Can Work It Out
13.Mother Nature's Son
14.Vanilla Sky
15.Carry That Weight
16.The Fool On The Hill
17.Here Today
18.Something

ディスク: 2
1.Eleanor Rigby
2.Here, There And Everywhere
3.Band On The Run
4.Back In The USSR
5.Maybe I'm amezed(恋することのもどかしさ)または(ハートのささやき)
6.C Moon
7.My Love
8.Can't Buy Me Love
9.Freedom
10.Live And Let Die (007死ぬのは奴らだ)
11.Let It Be
12.Hey Jude
13.The Long And Winding Road
14.Lady Madonna
15.I Saw Her Standing There
16.Yesterday
17.Sgt. Pepper/The End

 「マイ・ラブ」、「ジェット」、「007死ぬのは奴らだ」、「レディ・マドンナ」、「レット・ミー・ロール・イト」、「バンド・オン・ザ・ラ ン」、「恋することのもどかしさ(または、ハートのささやき)」の6曲は、1枚目のウイングス名義のライブからずっとやっているナンバーですね。 

「007死ぬのは奴らだ」は、シングルEPを持っていました。
確か、とにかくレコードが欲しくてしかたがなく、レコードやさんへ行って、とにかく買ったのがそれでした。
当時中学生でしたが、「なんともむつかしい曲だな。これが大人の曲ということか?」と思ったのを覚えています(笑)。

ちなみに、「むつかしい」は、理解がするのが、ということです。
これは、「レット・ミー・ロール・イト」も同様で、ウイングス名義のライブ・アルバムを友人から借りて、テープに落とし、寝る時に、いつもラジカセで聴い ていまし たが、「むつかしい曲だな。大人の曲だな」と思って聴いていました。

「レディ・マドンナ」は、確か、初めて1位にならなかったビートルズのシングルだったと思いますが、良い曲です。
その時、何が一位だったのか、俄かには分かりませんが、ビルボード年間チャートでは、1位は「ヘイ・ジュード」です.。2位は「悲しいうわさ」(マーヴィ ン・ゲイ)、3位は、なんと「恋は水色」(ポール・モーリアです)。

リンゴは、この曲を「ポールのファルセットボイスが、プレスリーみたいだろ」と言ていたように思います。
この曲はドラムを2度叩いていますね。右チャンネルと左チャンネルと。


「恋することのもどかしさ(または、”ハートのささやき”)」は、ポールの初ソロアルバムに入っている曲です。
そのアルバムでの日本語タイトルは、「恋することのもどかしさ」だったと思います。
その後ウイングスのアルバムからシングルカット(おそらく日本だけ)されたときに、「ハートのささやき」になったはずです。

「ハートのささやき」は、見た目に良い字ですね。
しかし、ちょっと安直で、ラブ・ソングならなんでもこのタイトルでOKという気もしますね。


amaze、は驚かす、ですが、「多分、驚かされた・・・」なんでしょうか(笑)?
「やられたな・・・」と言ったところでしょうか?
ちなみに、amazement:アメイズメントは、びっくり仰天すること、のようです。

ポールはこの曲がお気に入りのようです。
私はあのソロ・アルバムでは、「テディ・ボーイ」が好きですが。
そのソロ・アルバムでは、ポールが全ての楽器を担当しています。
はっきり言えば、相当急いで作ったのか、音がまとまっていない印象のアルバムです。
当時ポールは28歳くらいのはずです。
解散問題とか、他のメンバーとの張り合いとか、いろいろあったのでしょう。



「マイ・ラブ」、「ジェット」は、もう、ポールファンならだれでも好き、という曲ですね。



ちなみに、「ジェット」は、当時ポールが買っていた犬の名前だそうです。










さて・・・・・・
今日、右耳の上に大きなおできができました(笑)。
1年少し前に、左の耳の後ろにものすごく大きなおできができ、病院で切りましたので、「またか!!?」と思いました。

しかし、さすがにいくらか勉強しましたので・・・・・・
これはチャンス、と思い、いろいろやってみました。




1:まず、船井幸雄さんが良く宣伝している「サーフセラ」を水に溶かして、右の耳のあたり、一面に吹きかけました。
(使用は説明書通りにしか使ってはだめです。ですので、真似してはいけません)

2:次に、太極八卦鏡に向かって、おできを向けて、「治してくれ」とやりました。

3:次に、これも、4か5次元くらい的には、憑依されている、ということだから・・・思い、まず、若山敏弘さんの言うのと、小松英星さんの言うことをアレ ンジして、「霊は去れ。迷惑だ。アセンションに協力しない霊の面倒なんか見れん。自分で修行して、自分で救われろ。直ちに出て行け」とやりました。

4:ついでに、神道でやっている魔よけの「臨(りん)、兵(ぴょう)、闘(とう)、者(しゃ)、皆(かい)、陳(ちん)、烈(れつ)、在(ざい)、前(ぜ ん)」をおできに向けて、十字を切りながら言いました。

これは、横線(左から右へ)、縦線(上から下へ)の順番で、上から下、左から右へ、十字を切ります。
1回目が横(左から右)、2回目が左端で縦(上から下)、3回目が1回目の横線の下で横、4回目が、2回目の縦線の右横で上から下・・・・・・最後は横線 になります。

江原啓之さんの本などにも載っていますが、はじめて知ったのは、どこかのサイトでした。


すると、何が効いたのか、それとも始めから直る運命だったのか、おできが、見る見る小さくなって行きました(驚!)。

当初、大きさが高さ1センチ、横3センチ、縦2センチくらいありましたが、今(大体7時間くらい経った)は、もう1ミリくらいで、良く見ないと分かりませ ん。


果たして、何が効いたのでしょうか(笑)?


見た目には、1が効いたように感じますが、それはそうで、一番3次元的ですので。
要するに一種の消毒剤です。
これはなんと、O-157やっつけてしまう、優れものです。
基本的には野菜を洗うものです。





2かもしれません。はじめで、おできに変化が現れたのは、これをやり始めた後でした。





3かもしれません。
私はこれをやると、いつも「寒気」がします(寒)。





4かもしれません。
これは、もう、2年以上前から知っている方法なのですが、ちゃんと十字を切って、声を出さなくてはいけないようです。
気のせいか、これをやると、時に場所の氣が良くなったように感じます。
滅多にしませんが。

何せ、先だっておできを切った時には、2週間、土日も病院通いでしたので、何とかしてやる、何にせよ、高次元的な理由があるんだ、と思い、いろいろやりま した。





私は基本的に、おでき系ができやすいです。
ですのいで、慣れてていると言えばそうなのですが、先だっての時は、ほっておけば直るだろうと思ったら、どんどん、どんどん大きくなりましたのでびっくり しました。
そして今回のも、非常に似たようなできものでした。

まあ、なんにしても、良かったです(感謝)。





実は今、
太極八卦鏡を、動かしています。
扇風機にかごを付けて、それに入れて、扇風機の首を回しているわけです。
扇風機は細長いタイプのものです。

どうも、知覚している限りでは、何も効果がでないので、3日前からやっています。
まだ、特に何もないですが、今日、お弁当を買いに行ったらいいことが、ありました。


ホカ弁やさんへ行くと、3人の若いアルバイトの人達が、”お話”に氣を取られ、声をかけても気づいてくれません。
調理場が結構広いのです。
しかたがないので、気づいてくれるまで待っていました。
30秒もすると、気づいてくれましたが・・・
待たせたお詫びに、と”焼きそば”を貰いました(get!)

買えばいい、と言うかもしれませんが、貰う、と嬉しいのですし、なんと言っても、若い人が、自分の落ち度をきちんと認める、という態度を目の前で見せてく れたのが、嬉しかったです。

2年前にはこういうことは、皆無になっていました。
私の精神レベルが招いていたのかもしれません。
逆を言えば、私の精神レベルが、今回のことを招いたのかもしれません。







少し前でしたら、こういう時は、すぐに氣が立ってしまい、目が釣りあがることが多かったのですが、この日 は、平常心、少し浅見帆帆子さん効果がでてきたのでしょうか?


この焼きそばは、浅見さん効果でしょうか?、
太極八卦鏡効果でしょうか?
ひょっとしたら、互いに影響しあっているのかもしれません。

みなさんは、どう思うでしょうか?




もう少し、
太極八卦鏡を扇風機の上に乗せて、やっていってみようと思います。
経過はまた、書きます。

ちなみに、やきそばには、豚肉が入っていましたが、もう、肉絶ちは、止めました。
何か元気が出なくなってしましたので・・・。
また波動が上がったら、やってみたいと思います。



また、変な変化としては、その2,3年前の”やつら” に対して、以前は、恨んだり、憎んだりしてはいけない、と意識しており、それによって、妙に、心が 押され気味でしたが、試にと、「許すし、恨みの、憎みもしないが、いつかは、彼らが、自発的に、頭を下げに来たくなるようになってやる」と思うようにして みました。

これも、どこか良いのかもしれません。
もちろん、船井さんに言ったら、笑われそうだとは思っていますが(照)。



やきそば・・・ではなく、ポール・マッカートニーでした。




234:BEATLES ON THE BBC
   
     CTAという日本の会社から出ていたCDです。
海賊盤と言えばそうあなるのかもしれません。

内容は、有名なBBCでのラジオ出演のライブです。
これはいろいろな所から数多く出回っていますが、私の聴いた中では、一番音の良いものです。

要するにオンエアしたものを録音したものではなく、ラジオ局に残っていたテープが音源になっているのだと思います。

曲目は多いので書きませんが、2枚組みで20×2の40曲入っています。

但し、曲間のインタビューも1曲としてカウントされていますので、実際の演奏曲はもう少し少なくなります。

この次に出てくるアップルレーベルのBBCものと比べてみると、全体の印象としては、アップルレーベルの方が良いです。

おそらく元音源はほとんど変わらないのだと思いますが、デジタルマスタリングのやり方と、イコライジングが違うのではないかと想像します。

こちらの発売はおそらく1990年前後くらいで、アップルは1994年になっています。

 あんまりこちらで書いてしまいますと、次で書くことがなくなってしまいますが、この音源などはもっと早く正規レコードなどにもなっていてよかった のではないかと思います。

メンバーの同意などもないと商品化できないのかもしれませんので、おそらく時が解決したのかもしれません。
 やはり、若いうちは、メンバーも、「あれは完璧な演奏ではないからだめだ」というような考えもあったことでしょう。

それでも、海賊盤レコードでは出ていたようですので、CD時代になり、簡単にCDが作れるようになり、高品質な海賊盤CDが登場したことによって、 メーカー側も、考えを変えてきた、というのも、発売の大きな理由でしょう。


ただ、良く分からないのですが、ポールたちのように、天文学的数字のお金を儲けて、これと言った実業をやっているとか、研究所を設立しているとか、後輩の 育成機関を作っているとかでない人でも、「もっとお金をもうけとう」と言うか、「自分の作ったものの著作権からは、しっかり儲けさせてもらう」と思うもの なのでしょうか?

そうなのでしょうが。


しかしながら、あれだけお金持ちでも、力を抜かず、60過ぎになってもコンサートにCD作成にとやっていることは、すごいな、と感じます。
本当に好きなのでしょうね。

私だったらどうなってしたでしょうか?
恐らく1億儲かった時点で、かなり力が抜けるのではないかと思います。
なってみないと分かりませんが。

10億儲けた時点で、半分引退するかのしれません。
なってみないと分かりませんが。


100億儲けた時点で、人間不信に陥る可能性があります。
なってみないと分かりませんが。

1000億儲けた時点の話はもう良く分かりません。
もちろん、何か大きな事業のようにお金のかかることをし始めたら、話は別ですが。


マイケル・ジャクソンとポールを比べると、何か人間性の違いが分かるような気がします。
これは、どっちが良い、というよりも、きっとポールは音楽が好き、の延長でプロになったのでしょう。
マイケルは、とにかくお金を儲けるため、自分はお金持ちになる手段としてこれしかない、ので音楽をやったのかもしれません。
ですので、本当は、花屋さんだったり、事務の仕事だったりが、良かったりしたのかもしれませんが、本当は何になりたかったのかは、当人に聞いてみないとよ く分かりません。


みなさんは、10億円儲けたら、自分はどうなると思うでしょうか?



ジョンは大きな家は買ったようですが、食生活はシンプルだったようです。
ジョンの映画で、家の敷地に進入者があり、その男との討論の後、食事を振舞いますが、それは、トーストとミルクか何かだったように思います。

ジョンは、その後育児に専念するため、音楽活動から離れますが、きっとジョンが欲しったものは、そういうことだったのかもしれません。
それは3次元的には、幼少時代の体験からでしょう。

ポールはそうではなく、音楽がしたかったのでしょう、ずっと以前から。
なので、続けたのだと思います。
もし、幼少時代が違っていたら、また違ったことになっていたでしょう、3次元的には。


そう考えていくと、やはり幼少時代も含めて、ビートルズになるまで、決められた運命だったと感じます。

ただ、ニューヨークではなく、イギリスに住んでいたら、もっと長生きできたかもしれません。
どうも、あれも、陰謀説の方が説得力があります。
いろいろやる国です。

しかし陰謀説が本当だったとしたら、よっぽどですね。
反戦の人というのはたくさんいるはずです。
有名人でもいるはずです。
しかし、殺されません。
圧力はあるでしょうが。



大滝詠一さんのサイトが、久しぶりに更新されたようです。

ナイアガラ映画館では、「太陽族ってなんだったんだろう?」ということについて語っていますね。
そう言えば、石原慎太郎、裕次郎、のお二人も兄弟ですね。
政治家と俳優・・・政治家が人から票を得て、はじめて成り立つということを考えると、やはり、外見、雰囲気、氣のようなもので、共通しているのかもしれま せんね、3次元的には。



さて・・・・・・
不思議研究所のサイトで、いくら飲んでも尽きることなく湧き出てくるお酒のレポートがありました。
政木和三さんも、同じようなお酒を持っていたことがあり、本にもその話も出ていますが、不思議研究所の写真を見て、「ああ、ああいうふうに出てくるんだ な」と確認できて嬉しいです。
違う出方をする可能性もありますが。

政木さんのお酒は、飲むと、次の日、二日酔いもなく気持ち良いそうです。

大阪大学の教授たちが毎日のように来て飲んでいたということです。
政木さんが信用されていたせいか、それとも大阪大学の教授たちが高次元的なものに理解が深かったのか良く分かりませんが、どうも知っていて飲んでいたよう ですので、それを考えるとなかなか先進的な人が阪大には多かったのでしょうか?

不思議研究所のお酒には特にそういう二日酔いがないというような効果はないようですが、きっとあるのかもしれません。
飲んでみないと分かりませんが。

ちなみに政木さんのお酒は1年半で続けたそうです。




最近思いますのは、5次元までの霊とコンタクトしている霊能者の言っていることは、医者、栄養士、などと同等のものと捕らえたほうがよいのではない か、ということです。

決して上ではない、という意味です。
下でもありません。

ですので、良く分かりませんが、何かの病気状態を医学で治したとしたら、それは霊能力者的に見ても、直っているのでしょうか。
結局のところ、医学でも、患者さんの心によるところが大きいと聞きます。
病気が治癒した状態というのは、精神レベルが上がったような状態なのではないかと想像される、ということです。

また、医者という存在を考えて見ると、本当に3次元だけの技術、知識だけで治療している医者というのは、厳密な意味ではいないのではないでしょう か?
だれでも、いくらかは、勘というものが働くと思いますし、船井幸雄さんの本に出てくるO−リングテストを使用するお医者さんなどは、もういくらか霊能者の 域に 入っているようにも感じます。


そうしますと、例えば、注射一つ取ってみても、ある意味そういう能力のある医者が、「直れ、直れ」という念を入れて注射したものは、そういう力がない人 や、一切そんなことをしていない人と比べると、治癒の効果に差があるかもしれません。

料理で、塩を振るときや、調味料を入れるときなどでも、どうやら人によって同じものを使っても味に差が出るようです。
「おふくろの味」と言いますが、あれの「お母さん」に共通してある一種の氣のようなものが、料理作業中に料理に入り、できる味のことのようにも思います。

もちろん、霊能者の方で、魔法使い的な方法で、サマンサがやるように、ポン、と料理を出せてしまうような人があるのなら、少し種類は異なるかと思い ますが。


池田邦吉さんの本に、「おかあさんが、”痛いの痛いの飛んで行け”とやるのは、一種の氣のです」というようなことが書かれていますが、まさにその原 理です。

こういった人達にとって3次元的知識、技術が、高次元的能力を押し留めているのか、どうかについてですが、きっと人によるのだろう、と感じます。

ただ、3次元的な技術、知識が、はなから高次元的な能力を押し留めてしまうことになっている人というのは、どこか、高次元的能力も、さえていない可 能性があるようにも感じます。

そこには、高次元的なものがある、ということを、知っているか知らないか、も関わってくると感じます。



ドラマで、「刑事の勘だよ」なんて台詞がよく出てきますが、これも、きっと正しいのでしょうが、高次元的なものがあると知っているか、そうでないかで、そ の能力の延ばし方もかなり違ってくることでしょうね。





いま、テレビできっと有名な女流作家の人が、「自分が失恋、失恋、病気・・・となった時に、自分の身の丈にあった生き方をすべきだ、自分に起こった ことは全て自分に責任があるんだ、と思おうと思った・・・
学校の先生たちはあまり、”貴方たちに明るい未来があります”だなんてことは言わないほうが良い。”人生は厳しいんだ”と言ってやったほうが、後になっ て、良いと思う。あれでもオリンピック選手になれるわけではないし・・・」
というようなことを言っています。

これは、一度挫折を味わった人が良く言う言葉だと思うのですが・・・この方自身は、作家となり今では成功しているのでしょうから、本当 に近いことを知っているのかもしれませんが、説明が下手なのか、少なくとも、この説明は間違っているように感じます。


身の丈にあった、ということは、きっと正しい説明は、自分の特性にあった、ということなのかもしれません。あるいは、無理にハンドルを切らずに、運 命の大河の流れに任せて、ということなのかもしれません。


人生に起きたことは、全て自分に責任はある、ですが、「責任」ではなく、必要・必然・ベストである、ということなのだろうと思います。

ここで、この作家の人が言っているのは、病気や、失恋のことのようですので、いわゆる”良くないこと”、”ついていないこと”だと思いますが、浅見 帆帆子さん的に言えば、「何か間違っていることを教えようとしている」ということであるのだと思います。

作家の人の名前は「おおいししずか」さんと言う人のようです。


「学校の先生たちはあまり、”貴方たちに明るい未来があります”だなんてことは言わないほうが良い。”人生は厳しいんだ”と言ってやったほうが、後になっ て、良いと思う。あれでもオリンピック選手になれるわけではないし・・・」
なのですが、私が今思ったのは・・・

私は実は、「学校の先生たちはあまり、”貴方たちに明るい未来があります”だなんて」・・・このようなことを言われたことはありません。
少なくとも記憶に残っている限り、幼稚園、小学生、中学生時代に一度もないように思います。

逆に、「人生は厳しい」、「人が一番怖い」などということを言われたことが、一番心に残っています。


どうも仮説ですが、バランスが必要なのではないかと考えます。


恐らくこの人は、「人生薔薇色説」を必要以上に言われたのがいけなかったのかもしれません。
と、すれば、私はその逆なのですが。


ただ、もう一つ違う仮説もあります。
そんなことは、どっちでも大したことではなく、おそらく、ハンドルを手放したことが、今の活躍につながっているのかもしれません。

話をはじめから聞いていたわけではありませんので、良く分かりませんし、ややマイナスの言葉をたくさん使っていましたので、聞いたり、聞かなかったりして いいたので、不正確ではありますが、ひょっとしたら、強引に、ハンドルを切ろうとする人生、やりかたを失恋、病気の前には、していたのではないのでしょう か?


どうも、強引にハンドルを切る、というのは、いろいろな人の言う「願望を叶え」るにしても、森田健さんの言う「ハンドルを手放す」、にしても、良くないこ とのようです。

「願望を叶える、意図する」、という方面から見てみても、「一度、意図し、手放し、それが実現することを信じる心を持ち続ける」ことにより、3次元に表れ るようです。

「ハンドルを手放す」、という方面から見ても、運命の大河の流れに身を委ねてしまうわけですので、そこには自らの”強引”はないずです。


この方が果たして、「失恋、病気(ガンらしい)」の後に強引を無くしたかどうかですが・・・
私が想像するに潜在意識に入っているであろう「人には明るい未来が ある」を「人生はきびしいものなんだ」という新しい考えによって、中和したことにより、決して「人生はきびしいものだ」という方向に一方的に針が触れるこ となく、「人生は良いことも、きびしいこともある」という状態になり・・・
それにより、いちいち腹をたてたり、がっかりしたりすることがなくなり、言ってみれば精神レベルが上がり・・・

同時に、「誰でもオリンピック選手になれるわけではない」、「身の丈で生きる」という考えによって、自分の運命の流れを素直に受け止めた=ハンドルを手放 した状態になり、そのことが、この人の今を実現したように感じます。
とすれば、この人に、もし何か教えようとしていた存在があるのなら、その教えようとしていたことは、正に上にある、「精神レベルを上げること」と、「ハン ドルを手放すこと」、もうひとつ言えば、「自分の力だけで人生を作っているのではない」ということだったかのかもしれません。



しかし、これが本当だとしたら、この人はすごい人ですね。
病気をしたのは30歳くらいだ、と言っていたようです。
私など、大量の本を読んで、40過ぎて、2度も病気をして、何度も仕事を変わって、それこそ失恋なんて数えきれないくれないして、やっと第三者的に、こう 言えるところまで来たと言うのに、この人は、2回の失恋と病気(全て一辺にやってきたようですが)によって、そういったことが分かってしまった、というこ とですから。

残念ながら卑下していません(笑)。




ただ、どうしても思うのは、「正しく説明して欲しい」ということなのです。
もっとも、上の私の仮説が正しければ、ということなのですが。


一般的な人が、彼女の話だけいきなり聞いたら、きっと「そうか、人生はきびしいことだらけで、しかもあまり希望を持ったり、大志を抱いたりしてはいけない んだ。そうしないと、病気になったり、失恋したりしてしまうんだ・・・」
とでも、思ってしまうかもしれません。


もちろん、「どうとろうと、それは、その人の責任」と言う人もいるでしょうが、だったら、テレビになど出てきて、人生など語ってもらわない方が、私的には いいと感じます。

少なくとも、この人は人生を語ることによって、何かを多数の人に伝えよう、としているわけですので、であれば、”正確”に伝えてほしい、と感じてしまいま す。

みなさんは、どう思うでしょうか?




戻りますが、私など、28,9歳で病気をしたときは、失恋、転勤、仕事がらみのほかの事、などなどやはり一度にたくさんのことが重なりましたが、その理由 を、もっと物理的、3次元的なことに求めて解決しようとしました。
つまり、自分のこととしては、恋愛の仕方とか、仕事の仕方、などなど、相手に対しても、人間性といったことに対して、理由、原因と求めたものです。

その時行った分析は、おそらく当たっている、と思います。
しかし、実はそれは全く意味のないことのようです。

仮に、上司が嫌なやつであった、それは「〜だ」、彼女が「〜いう女性だった」という分析が、まったく正しかったとしても、そういう人間を回りに招いたの は、どうも自分の精神レベルの低さが原因のようです。

つまり、その自分の「精神レベルが下がっていること」、「精神レベルを上げることの大切さ」が、分かっていない限り、いくら分析して、そういった人間たち を研究しようが、どうしようが、そこに気づくまで、そういった人達は、気づくまで何度でも、表れてくるようです。

それは人のことだけでなく、あらゆる現象でも、そうなってくるようです。



私の仮説では、人生は、「決まっていること」、「選択肢のあること」、「精神レベルによって招くこと」の3つによって出来上がっている、のではないかと 思っていますが、目の前にあらわれたさまざまなことには、決まっていることもある可能性もありますが、病気、失恋、仕事のなどの問題は、精神レベルによる ところのものが、多いのではないかと感じます。








この3つに、森田健さんの言う「問いを発する」ということや、政木和三さん、小松英星さんの言うような「意図する」ということも、入ってくるのかもしれま せん。

森田健さんのよれば、この「問う」ことと、「意図」することは、相反することである、ということのようですが、今のところ私には、相反するのか、両立する のか、よく分かりません。
あるいは、「意図」は「問う」より下方のものなのかもしれません。

そうでもなければ、、ある条件下においては、「問う」であり、ある条件下においては、「意図」することにより、何かが変わるのかもしれません。



例えば、ある条件下とは・・・
まったくの想像ですが、「自分を創造者であると思っている」か、それとも、「自分は時空と一体であり、時空と共に創造するのである」、と思っているかによ る違いなのかもしれません。


前者は政木さんや小松さんなどの発想だと思います。
自らが創造主の分身であり、あるいは、神とは自らの中にいるものである、といったような仮説です。
言ってみれば、身分の内側に向かって時空が広がっているようなイメージを感じます。

森田さんは、おそらく、上記のようなことにも絶対的な反対派しないでしょうが、それよりも、森田さんのさまざまな話からは、外側に広がる時空があり、自ら はその一部でもあり、全部でもある、というようなイメージを感じます。


森田さんは、体内離脱も経験しているようで、内側に広がる時空、というようなことも、著作で述べていますが、それよりも、ネットワークと言うような、外側 に広がる時空のイメージが私には感じられます。



時空を外側に見たときには、「問う」、時空を内側に見たときには「意図する」・・・単なる想像ですが、果たしてどうでしょうか?


それとも、「問う」と「意図」は、まったく別のものなのかもしれません。

今のところ、仮説の前の、想像でしかありません。




いずれにしても、私には、「人間はもともと創造者であり、現実を作り出す能力がある」ということは正しいことのように思われてしかたがありません。

実際、船井幸雄さんなどは、それができるようです。
ただ、今のところ、よっぽどの人間でないと、その能力を思い出すことはできていないようです。

なぜか、その能力をだれもが思い出す方法があるような気がしてなりません。



みなさんは、どう思うでしょうか?



ポール・マッカートニーでした。

235:ザ・ビートルズ・ライヴ!!アット・ザ・BBC [BEST OF] [LIVE]
   
 
正式なBBCライブです。

ジャケット写真を見ると、やはりイギリス人ですね。


これでもか、と言うくらい、たくさん収録されています。
プログラム再生するのは大変です(笑)。

CD2:30.「ウー!マイ・ソウル」は、うれしいです。
リトル・リチャードの作品ですが、ポールの絶叫が聴けます。
「ロング・トール・サリー」、「カンサスシティ」、「アイムダウン」が好きだった私には、貴重です。

CD1:31.「ルシール」、CD2:14.「ザ・ヒッピー・ヒッピー・シェイク」も同様ですね。


CD1:29.「ジョニー・B・グッド」はジョンです。
あのジョンの絶叫ではありませんが、嬉しいトラックではあります。
CD1:15.「ザッツ・オール・ライト」は、今となってはエルビスのレパートリーの唯一のビートルズカバーですね。

他にも、50年代、60年代の名曲が演奏されています。

曲目です。

ディスク: 1
ディスク: 2
1.ビートルズ・グリーティングス
2.フロム・アス・トゥ・ユー
3.ライディング・オン・ア・バス
4.アイ・ゴット・ア・ウーマン
5.トゥ・マッチ・モンキー・ビジネス
6.キープ・ユア・ハンズ・オフ・マイ・ベイビー
7.アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ
8.ヤング・ブラッド
9.ア・ショット・オブ・リズム・アンド・ブルース
10.シュアー・トゥ・フォール
11.サム・アザー・ガイ
12.サンキュー・ガール
13.シャ・ラ・ラ・ラ・ラ!
14.ベイビー・イッツ・ユー
15.ザッツ・オール・ライト
16.キャロル
17.ソルジャー・オブ・ラヴ
18.ア・リトル・ライム
19.クララベラ
20.アイム・ゴナ・シット・ライト・ダウン・アンド・クライ
21.クライング,ウェイティング,ホーピング
22.ディア・ワック!
23.ユー・リアリー・ゴッタ・ホールド・オン・ミー
24.トゥ・ノウ・ハー・イズ・トゥ・ラヴ・ハー
25.蜜の味
26.ロング・トール・サリー
27.アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
28.ザ・ハネムーン・ソング
29.ジョニー・B・グッド
30.メンフィス,テネシー
31.ルシール
32.キャント・バイ・ミー・ラヴ
33.フロム・フラフ・トゥ・ユー

1.クリンスク・ディー・ナイト
2.ア・ハード・デイズ・ナイト
3.バナナをおたべ!
4.彼氏になりたい
5.ジャスト・ア・ルーマー
6.ロール・オーバー・ベートーヴェン
7.オール・マイ・ラヴィング
8.今日の誓い
9.シーズ・ア・ウーマン
10.スウィート・リトル・シックスティーン
11.1822!
12.ロンサム・ティアーズ・イン・マイ・アイズ
13.ナッシン・シェイキン
14.ザ・ヒッピー・ヒッピー・シェイク
15.グラッド・オール・オーヴァー
16.アイ・ジャスト・ドント・アンダースタンド
17.ソー・ハウ・カム
18.アイ・フィール・ファイン
19.アイム・ア・ルーザー
20.みんないい娘
21.ロックン・ロール・ミュージック
22.ティケット・トゥ・ライド(涙の乗車券)
23.ディジー・ミス・リジー
24.メドレー:カンサス・シティ~ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ
25.セット・ファイアー・トゥ・ザット・ロット!
26.マッチボックス
27.アイ・フォガット・トゥ・リメンバー・トゥ・フォゲット
28.グーン・ショウ 大好き!
29.アイ・ゴット・トゥ・ファインド・マイ・ベイビー
30.ウー!マイ・ソウル
31.ウー!マイ・アームズ
32.ドント・エヴァー・チェンジ
33.スロウ・ダウン
34.ハニー・ドント
35.ラヴ・ミー・ドゥ

今、「船井家の子育て法」(船井ゆかり、船井幸夫:徳間書店:2003年発行)を読んでいますが、そこにビートルズがでてきます。
船井幸雄さんは、そういった、ものには、昔からまったく興味がなかったそうなのですが、182ページには、船井ゆかりさんの文章で次のようなことが書いて あります。
(引用)

『また、これも飛行機の中で、あまりに騒がしいので「ちょっと静かにしてもらえないか」と言うと、「すみません、ビートルズが乗っているものですか ら」と言われたそうだ。家に帰って母に「おい、ビートルズって何か知ってるか?何者なんだ?」と真顔で聞いたらしい。母は「まさかビートルズを知らない人 がいたなんて・・・・・・」と絶句したそうだ。』
(以上)

ということだそうです。

同じ飛行機に乗っていたのですね。

きっと1965年のビートルズの来日の時でしょう。
ビートルズと一緒の飛行機に乗ったのだから帰りでしょうね。

もっとも、一緒にツアー先の国から日本へ帰ってきた、という可能性もありますが。


私はまだ1、2才の時ですので、何も覚えていませんが、聞いた話では、世間を揺るがすほど話題になっていたそうですので、知らなかったというのは、なかな か すごいことですね。

ちなみに、『また、』で始まりますが、その前には、隣に座った石川さゆりさんを知らずに、みんなが写真を撮りに来たりするので、「あんた誰?」、「何をす る人?」とまじめに聞いたそうです。


ただ、私も、今のアイドルが隣に座っていても、きっと分からないだろうな、とは思いますが(笑)。
美川健一さんだったら、政木和三さんと一緒にいるときに、みかんから出てきた真珠の話を聞いて見たいな、と思いますが(興)。






さて、まったく高次元の話ではありませんが・・・

「〜していただいてもよろしいでしょうか?」という日本語があふれていますが、これは、おかしいですね。
間違っているはずです。

今テレビでやっていた、「案内していただいてもよろしいですか?」
は、言ってみれば、2重丁寧語だと思います。

例えば、王様と召使で、何かの理由で王様のお気に入りの色の服がなかったとします。
その時召使が、
「王様、この色の服しかございませんが、お召しになっていただけますでしょうか?よろしいでしょうか?」
というのが、何かの間違いで、
「王様、この色の服しかございませんが、お召しになっていただいても、よろしいでしょうか?」
と、短くなってしまったような使い方です。



また、「よろしいでしょうか?」は、相手の注文などを確認するときに使う丁寧語です。
「ハンバーガーおひとつでよろしいでしょうか?」
は、正しいです。
「こちらの席でよろしいでしょうか?」も正しいです。
「いい?」→「よいですか?」→「よろしいでしょうか?」と変わっていくのでしょう。


これから想像するに・・・・・・
例の「ほう」と同じように、主に飲食関係のアルバイトで覚えた「なんでも、よろしいでしょうか?を付ける様に」という教育のようなものが、広がってしまっ た可能性もあります。
要するに「よろしいでしょうか?」は確認する丁寧語なのです。

丁寧語、謙譲語というのは、丁寧に言う、敬って言う、ということですので、「案内していただいてもよろしいですか?」は、丁寧語で言って、その後、確認用 の丁寧語をくっつけている、という間違えて言葉使いですね。









その他「よろしいでしょうか?」が使用可能な場面としては、ドラマの台詞とかで、

良子「案内いただいても・・・」(社長の顔色を伺いながら、上目遣いで口ごもる)
一郎は、良子の目を見ながら、次の言葉を待つ
良子「・・・よろしいでしょうか?」(意を決したように目を見開きながら、一郎に 告げる)
一郎「ああ」(軽く首をかしげて、同意を表す)
手を上げてタクシーを呼び止める一郎。タクシーのドアが開くと、一郎は、良子に先 に乗るように促す。

と、このような場面くらいだと思います。

つまり一続きの言葉としては、間違っている、ということです。






正しくは、「案内していただいてもよろしいですか?」ならば、

案内していただけますか?
案内していただけないでしょうか?
案内してくださいませんか?
案内(を)お願いいたします。
案内願いないでしょうか?
案内お願いできないでしょうか?

などだと思います。

一番間違っていても、
ご案内いただけないでしょうか?
までが、許容範囲だと感じますが。







これは、テレビの影響なのかもしれません。
単に、正しい丁寧語を知らない人が、知ったかぶりで次の人に教える、という現象が幾度か起こった結果かもしれません。

どうして、だれも、指摘しないのでしょうか?
分かりません。

みなさんは、どう思うでしょうか?











また、「お疲れ様です」と「ご苦労様です」ですが・・・・・・

ここ何年か、どこかのマナー会社の受け売りか何かで、

『「お疲れ様です」が比較的身分に中立的に用いられるのに対して、「ご苦労様で す」は「奉仕」というニュアンスが伴って、目上から目下に対して用いられる傾向が強くなっている。特に会社などではこれを目上に対して用いないことがマ ナーとして確立しているようだ。 』
(いろいろなサイトより、引用)

『「ご苦労様」は目下に、「お疲れ様」は目上に使う言葉らしい。』
(いろいろなサイトより、引用)

というように信じ込んでいる人が、特に若い人に多いようですが、これは絶対に間違いですね。
勝手に日本語を、しかも、マナー研修だなんて言いながら、変更するのはいかがなものかと思います。




いくつかのまともな人が書いているサイトでは、

『実は、これはとんでもない勘違い。」
「ご苦労様」は、もともと相手の労苦を敬って言う言葉でした。
「苦労」は、苦しみ疲れること。
これに、「ご」「様」と2重に敬う言葉がついているのです。
「ご苦労」「ご苦労様」という言葉を広辞苑で引いてください。』
(いろいろなサイトより、引用)

『「御苦労様」⇒「ご苦労」を丁寧に言う語。
「御苦労」⇒他人の苦労を敬っていう語。また、他人の骨折りをねぎらっていう語。 他人の無駄な骨折りをあざけってもいう。』
(いろいろなサイトより、引用)

となっています。






私としては、「ご苦労様」は、普通の仕事に何かプラスアルファーのようなことが付いたことをした後に言うもの、あるいは、肉体労働的な要素が加わった時に 言う言葉、という感覚があります。

つまり、相手が社長のような人でも、遠い本社から支店までやってきてくれたなら、「ご苦労さま」でよいのだと思います。
宅急便やさんが、重い荷物を届けてくれたときも「ご苦労さま」です。
本当は経理の人が、人がいなくて、何かの書類を届けてくれたら、その人が目上でも、目下でも、階級が上でも、下でも、「ご苦労さま」です。






お疲れさまは、もっぱら、仕事が終わったときの挨拶で、「よろしくお願いします」と同様、「言葉自体が言語学的には意味を持たないが、気持ちのこもった 言葉」というカテゴリーがあるなら、そこへ入る言葉であると考えます。

あるいは、本当に相手が「疲れているとき」に使う言葉です。





これらを、目上だとか、目下だとかで使い分けるだなんて教えているのは、そのマナー会社が、社会経験の少ない人の研修会か何かで、「この2つは、どう違う のですか?」と質問でも受け、回答に窮した後で、いい加減な、強引なマニュアルでもこしらえたのではないでしょうか?



こういうものは、本当は、社会に出て、微妙な違いを何年かかけて体と頭が理解して使えるようになるものだと思います。
それくらいむつかしいものでもあるわけでしょう。

それをアメリカ的に、マニュアルで教え込もうとするところから、こんな大きな間違いを犯したのではないでしょうか?
こういう細かなニュアンスの違いのない英語特にアメリカ語ならば、マニュアル教育も可能かもしれません。
しかし日本語では、無理です。
そして、してはいけないのだと思います。


日本には何千年もかけて培ったものが体に入っています。
アメリカはせいぜい200数年の国です。

だから日本はアメリカのようなやりかたをしないのです。
内容が濃く、それができないからです。
その代わり、時間はかかりますが、アメリカよりも、すばらしい知恵・知識が身に付くのです。
濃いのだから時間がかかって当たり前です。
だから、第二次大戦後、あれほど差があったのにも関わらず、用意ドンではじめて、今はこの姿になれているのです。

新婚さんが作るような簡単なおかずは料理教室で短い時間に簡単に教えられても、お袋の味や、老舗レストランの味を覚えるのには時間がかかるのです。
日本人は、みなお袋の味や、老舗レストランの味を作れるのです。
だからそんな人に、手を抜いた「惣菜のおいしい食べ方」や、「インスタント食品にひと味加える」を教えて、「これが本物の味です」だなんて言ってはいけな いと思います。





「ご苦労様」と「お疲れ様」は決して今若い人の間で言われているような使い分けなどありません。
変な研修を行っている会社が言っているのは、間違えです。


いい加減な情報に、誤魔化されてはいけないと思います。
またそれをいくら金儲け、仕事だからと言い、教え込むなんて、もっといけないと感じます。

みなさんは、どう思うでしょうか?










さて・・・・・・
小松英星さんのサイト:http://www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt2.htmlに は、以下のようなものがあります。
(引用)

『あれに も これにも責任を持ち、あるいは世話を焼かないと気が済まないという性癖を手放しましょう。《心配》を捨てて、安全と快適そして心の平安に向けての《あなた の選択を肯定する宣言》に、置き換えましょう。エネルギーを自分がどのように操っているかに注意して、もっとよく自分を知るようにしましょう。あなたが思 い巡らせることが、あなたが外の世界で出会う《映画》になる筋道をよく認識して、もはや機能しなくなったものに気付くようにしましょう。』

(以上)


これなのですが、最近、「心配心」と「恐怖心」 の持つマイナスの効果について、非常に考えさせられています。

私は生まれつき、潔癖症、几帳面なところがありました。


それ故、準備をしっかりやる、と言うことに関しては、非常によい面に出るのですが、どぷしても先を考えてしまい、先への「心配」、「恐れ」を言ったものを 抱きやすかったです。
最近、ためしに、それが出た時に、「心配しない。恐れない。」と自分に言い聞かせてみているのですが、これが、どういうわけか、良いです。

訪れる結果に、自分が思う「当然」〜「喜ぶべき結果」までのことが、訪れやすくなっています。




高次元的に説明しろ、と言われればいろいろ言えますが、それよりも、これは素直に、やるべきことをしっかりとやったら、後は「心配心はない。恐怖心もな い。」と思うのが良いようです。

以前は、逆でした。
全てを自力でコントロールしようとしていましたので、少しの心配でも、恐れでも、自ら意識的に倍増して、そしてそれを3次元的に自ら取り去っていく、ある いは、準備をしていく、ということをやっていました。

これは、とてもいけないことのようです。

その人の知識において、しっかりやるべきことをしっかりやったならば、決して、恐れても、心配してもいけないようです。
そして、訪れた結果がどうあれ、それが自分にとって、「必要、必然、ベスト」である、という気持ちを持っているのが良いようです。








やはり、どう考えても、世の中は物理的なことだけで、動いているのではないのは確かなようです。
6次元だとか、7次元だとか言っていて、やはりも、なにもないところですが、私はそんな所にでも、目に見えない「現実」が見て取れると嬉しく感じてしまい ます。

みなさんはどう思うでしょうか?







但し、知識、知恵はたくさん仕入れたほうが良いようです。
知らない方が良い、ということも、稀に有るようですが、それは、「中途半端に知っているなら知らない方が増し」、ということなのだと思います。

例えば、「彼女がジャズが聴きたい」と言ったとします。
彼女は、優しい明るく楽しい曲が好きな女性です。
彼は「ジャズと言えばマイルス・デイビスて有名だよな」と中途半端な知識を使います。
そして、彼女に「ラウンドミッドナイト」というアルバムをプレゼントします。
そして言われるのは、「何これ?暗くって気分が落ち込んできたじゃない・・・」

これはいけません。




そんな中途半端な知識なら、ジャズ好きな友人と相談して、彼女の好みなども伝えて、プレゼントを選んだほうが良いです。
そして、できることをきちんとやったならば、後は心配しないで恐れないで、次に来る結果が自分にとって、必要、必然、ベストなんだ、と、どっしりしている のが良いように思います。

逆に心配して、「もし、これが気に入らなかったら、その代わりとして、〜も用意しよう」だなんて、思っていると、本当にそうなってしまう可能性が高いかも しれません。

ただ、もし自分の知識が足りなくて相談したその友人が、「俺はこれが良いと思うけど、今のおまえの説明じゃ、80%の確立だな。これも用意しておけよ」
とでも、言うのなら、それはそうすれば良いと思います。
結果がどうあれ、その用意した別のものも含めて、必要、必然、、ベストの結果がでるのかもしれません。



だから今晴れていても、勘でも、雨が降りそうだったら、傘を持っていけば良いのだと思います。
曇っていても、大丈夫だと思ったら、傘を持たなくともよいのだと思います。

そ時点で十分知識と知恵を付けたなら、その中でベストのことをして、あとは、心配も恐怖心も抱かない、そんなものはない、とするのが良いのかもしれませ ん。

どうであれ、起きた結果が必要、必然、ベストのようです。






そして、大河の流れ・・・決まっている運命でなければ、その人の精神レベルに応じたことが起きるようです。
きっと、精神レベルが高ければ、余計な心配、恐怖も抱かないのでしょう。

そして、精神レベルが上がっていけば、問いの答えも見つかりやすくなるのかもしれません。
分かりませんが。

意図したことは、どうやら精神レベルの高さによって、現実化する確立は上がるようです。

その意味では確かに、精神レベルが上がれば、天国へも行ける確立は高いのかもしれません。
ただ、精神レベルが低くとも、少なくとも、5次元までがどうなっているのかを知識で知っていれば、天国へは行けるようです。

それから派生するのは、どうも、5次元までどうなっているのかを知っていると、それほど精神レベルの低いことはできないようです。

これも、精神レベルというレベルがあるものの視点で見れば、螺旋の形をしている流れがあるのかもしれませんね。
一つ上がると、円周上の隣り合わせのものが、また一つ上がる、そしてその隣も・・・・その隣も・・・。



ビートルズでした。




236: 4人はアイドル ビートルズ    
 
「ヘルプ」です。
ビートルズの2作目の映画のサントラですね。


1.ヘルプ
2.ザ・ナイト・ビフォア
3.悲しみはぶっとばせ
4.アイ・ニード・ユー
5.アナザー・ガール
6.恋のアドバイス
7.涙の乗車券
8.アクト・ナチュラリー
9.イッツ・オンリー・ラヴ
10.ユー・ライク・ミー・トゥ・マッチ
11.テル・ミー・ホワット・ユー・シー
12.夢の人
13.イエスタデイ
14.ディジー・ミス・リジー

このアルバムもいろいろ言われていますので、他ではあまり言われていないことを書いてみたいと思います。

このアルバムではポールがエピフォン・カジノの左利き用を弾いているそうです。
「ザ・ナイト・ビフォー」「アナザ・ガール」、「涙の乗車券」のギターなどは、きっとそれだと思われます。

カジノは、私も日本製のものを持っていましたが、なかなか変わった音のするギターですね。
形はセミアコ風なのですが、セミアコに通常入っているセンターブロックというものがボディの中央に入っていません。

ですので、なんとも変わった箱鳴りのような音がします。

その音色が、このアルバムのひとつの特徴にもなっていると感じます。

リバーブのみでプレーされるこの音色は、どこかつかみどころのない、よく言えば軽やかな音色がしています。
これが、ディストーションの効いたギターであったなら、またずいぶん違ったイメージになっていたことでしょう。


ジョージは「アイ・ニード・ユー」を作曲しています。
私はこの曲が好きです。
ジョージ追悼コンサートでは、ハートブレイカーズが演奏していました。
トム・ぺティはDVDの中で「ジョージは、よく変わったコードを使っていた。ディミニッシュとか(笑)」と言って、微笑んでいました。

ディミニッシュはジャズでは頻繁に使われるコードですが、ポップスでは、あまり出てきませんね。
きっと、ジョン、ポールに追いつくために、ジョージはいろいろコードを研究したのでしょう。



「アイ・ニード・ユー」では、ボリューム・ペダルを使用して、バイオリン奏法的効果を出しています。
どこか、L.Aサウンド的でさわやかな印象になっています。
カントリー好きなジョージですので、ひょっとしたら、そういうサウンドを目指したら面白かったのかもしれませんね。



「悲しみはぶっとばせ」は、ジョンのこのアルバムでの、もっとも有名な曲でしょう。
ボブ・ディランに影響されて作ったようです。

ただ、30代までは、私は「ディージー・ミス・リジー」が大好きでしたが。
こえをはじめて聴いたのは、例の「アット・ハイウッド・ボール」のライブでした。
どちらかと言えばそっちの方が好きな演奏で、はじめてこのスタジオ録音を聴いた時は、「ん?」と思ったのを覚えています。

今分析すれば、ライブの方が、ポールのベースラインが良く聴こえていて、それが良かったようです。
また、ギターもポールのベースラインと同じフレーズを弾いていたように思います。

加えて、ライブですので、ジョージのギターがひずんでいて、オーバードライブ効果で、サスティーン(伸びるということ)が効いて、音が伸びていました。
それが、よかったようです、この曲に関しては。


ちなみに、LPでは、旧盤と新盤で、ジャケットの裏が違っていたように覚えています。
旧盤の中古が確か高価な値段で取引されていたように記憶しています。



このアルバムの後が、確か「ビートルズ・フォー・セイル」のはずです。
あのアルバムは、”久しぶり”に、他人の作品が多いアルバムなのですが、きっと疲れていたのかもしれませんね。
あるいは、そういったスタンダードを演奏したくなっていたのかもしれません。



この映画はテレビで見ました。
ビートルズが出ている、ということ以外は、特に私には訴えるものはなかったですが、基本的にプレスリーがやったような、映画出演路線をやろうとしていたの でしょう。

しかし、時代が違ってきたのか、彼らに音楽を作る、という才能があったからなのか、キャラクターが違ったのは、定かではありませんが、映画路線はここまで となりました。



よく1960年代から、高い波動を宇宙は地球に送り始めている、という話を聞きます。

音楽界的状況としては、1960年代に入るとすぐに、ロックの時代からバラード主体の時代になります。
そして、63,4年にビートルズの登場となり、新しいロックと言うか、音楽の時代になります。


ビートルズの登場は、この高い波動と関係あるのだろうか?とも思えますが、よく分かりません。

ただ、この尋常ではない存在は、きっと何か意味があるのかもしれません。


小松英星さんのサイトにあるモーツアルトの話しなど読みますと、すばらしい曲を残す、ということは、決められたことで当人が意識するかどうかに関わらず、 そうなっていったようですが、だからと言って、決して全てがうまくいった人生ということでもないようですし、それ以外に使命があった、ということでもない ようです。


それを考えると、ビートルズもすばらしい音楽を残す、といったこと以外には、特に大きな使命がある、ということでもないのかもしれません。






さて・・・・・・
その小松英星さんのサイトのhttp: //www21.0038.net/~gaia-as1/ongoing8.html には、



(引用)

イ ナンナが語る宇宙と人類の真実(2)

 以下は、『イナンナの真実』の第2部から、イ ナンナが人類に何を伝えようとしているかを、かいつまんで列挙したものです。原著のページ順に配列してあり、各項目の内容による分類・整理は行っていませ ん。』

(以上)

という見出しで、いくつか面白いことが書いて あります。

ちなみに、今の時点では、私は、「イ ナンナ」さんが、どういう存在なのか、把握していま せん。
ちょっと調べればすぐ分かるかと思いますが、分かって変な権威に、評価をみだされてしまう可能性もありますので、今はこのままで良いと思います。
知るときがくれば、自然と知ってしまうことでしょう。



(引用)


人 は、自分の波動が反映されたものを見る(現実として受け取るものは一様ではなく、人 によってさまざまに解釈できるヴァリエーションの1つに過ぎない)

現実 と見える世界は、不可視界に浮いている(いかにリアルに見えても、深遠な現実などと いうものはない。現実と思っているものは、高い視点から見ると非現実だ。したがって、一過性の幻想にしがみつく理由はない)

(以上)


これは、例の私の、「事実とは、その人の精神レベルによって判断された主観である」という考え方と似ていると思います。


例 の浅見帆帆子さんの、「精神レベルが上がる、とそれに見合ったことが起こるし、それに見合った人が寄ってくる」という考えを、「人 は、自分の波動が反映されたものを見る」という考えから見てみると、ひょっとしたら、本当はいつも同じことが起きて いる、あるいは何も起きてなどいず、精神レベルが、メンタル体なり、その他の幽体なり、あるいは高次元のどこかなりで、おきている映画のようなものを左右 しているだけなのかもしれません。
言ってみれば、胸に手を乗せて寝ますと、良く苦しい夢を見ますが、それに似たようなことが、起きているのかもしれません。


それでは決まっている運命というものは、この理屈からすると何か、と言えば、「おねしょ」に似ているのではないでしょうか?

おしっこをする、ということは決まっているのです。
しかし普通は起きます。
「おねしょ」となると、起きないわけですが、夢の中では一般的にちゃんとストーリーがあって、それに従って「おしっこ」をしているようです。


これと似たように、「生まれる」とか、「死ぬ」とか、その他決まっているもの、ビートルズだったら、よくは分かりませんが「4人が出会った」とか、そうい うことは、その時のその人々の精神レベルによって、見え方、映画の映像が異なっており、当人としては、それが現実のように見えているのかもしれません。

これが精神レベルだけなのか、「楽しい」とかいうような「心の状態」が、関わっているのかは良く分かりませんが。

「楽しい気分」で生命体なり、心なりがいると、「4人が出会った」ことは、何かとても楽しいことのように映し出され、苦しい上体でいると、何か苦しいこと のように映し出されるのかもしれません。


単なる仮説ですが。


ただ、精神レベルを反映させるには、瞬時の場合も有れば、しばらくその状態を維持しなくてはならない場合もあるのかもしれません。








さて・・・・・・
小泉首相ですが、選挙も終わり、テレビでは、いろいろとやっています。
やはり織田信長(さんをつけるのはちょっと変)を好きなそうで、信長と小泉さんの比較と言うのをやっていました。
のぶなが関係の小説を書いている何とかさんという作家の人の話は興味深かったです。

どうも、信長も小泉さんも、結果から想定していくようなことを言っています。
普通結果を考える、というのは、結果が悪いことになっていないか恐れることですが、そうではなく、正に浅見帆帆子さん式、政木和三さん式に、それが叶った 時の状況から考えているようです。
もっとも、人が言っていることですので、本人が本当にそうなのかは分かりませんが。



その作家が言うには、今回なら、「だれも反対する人間がいない状況、反対派が全ていなくなってしまった状況」を小泉さんは考えていたようです。
果たして結果はその通りになりました。

小泉さんの今回の大勝は、地球がらみでの決まった運命だったのか、それとも小泉さんの願望が叶った結果なのか・・・
はたまた小泉さんがそういう願望を持つこと、そして、それが、こういう願望達成方法に沿って叶うことまでが、運命で決まっていたのか・・・
あるいは、小泉さんが運命を変更したのか、選択肢を選んだのか・・・

どれかははっきりは、分かりませんが。


「取らぬ狸の皮算用」とい言って、まだ実際手にしていない収益、収穫を考えて、「にやにや」と喜んでいるのはいけない、という諺(コトワザ)があります が、あれはどうなのでしょうか?

浅見さん式で言えば、決していけないことではないように思えます。


叶ったときの結果から考える、と言っても、願望が大きなものであるほど、実現するまで時間はかかるようです。
そう考えると、”まだ実際手にしていない収益、収穫を考えて、「にやにや」と喜んでいる”をやった時、そこで得られるものが大きくなって行けば行くほど、 達成されるまでに時間がかかる、ということはあるかもしれませんね。

それを勘違いして、「なかなか叶わない。これはだめだ」と思ったのか・・・
例の、”人間の本来持っている創造力を、閉じ込めておこうとする勢力”が、その策略を達成するために、そういったコトワザを広めたのか・・・

どうも、必ずしも、このコトワザは、正しくないようです。
とにかく、願望を大きく持ったなら、それなりに達成するまでの時間はかかる、ということはして地他方が良いようですね。






増田俊夫さんが、例の中国ともめている油田がらみで、日本の会社が採掘を始める許可を得たこと、中学は軍隊を出してまで、それを阻止するつもりでいるこ と、により、挙国一致大成が求められる今後、今のような状態が望ましい、としています。

確かに、船井幸雄さんの書いている今後の世界の状態を思えば、中国、アメリカ、一致団結した日本、という登場人物は、全て必要です。
その意味では、いよいよ、確かなものが動き始めた、という気持ちもします。



はっきり言って、今回の小泉さんの郵政法案の中身は間違っていたようです。
ただ、それはどうであれ、小泉さんにより、挙国一致内閣がこの時期出来上がったということは、やはり何かの流れを感じます。

やはり、必要、必然、ベストなのでしょう。




増田さんは、「小泉氏が靖国参拝をいつまでも断念しない意味が今に分かるだろう。」としています。
私は実際、違う意味で、これを否定しないのですが(同じかもしれないが、小泉さんに聞いて見ないと分かりません)、最後の中国との取引材料とするのでしょ うか?

どう考えても、2012年への流れという運命に取り込まれているとしか考えられない小泉さんという存在が、今後何をするのかは楽しみです。
政治的改革には、今のところ、あまり期待していないのですが、この時期、こういう役割を担わざるを得なくなっている小泉さんの運命に興味があります。









http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/news/20050907k0000m010016000c.html
に、堀江さんの天皇がらみのニュースがあります。

9月6日にライブドアの堀江貴文社長が、東京都内の日本外国特派員協会で講演して、天皇制について「憲法が『天皇は 日本の象徴である』というところから始まるのには違和感がある。歴代の首相や内閣が(象徴天皇制を)何も変えようとしないのは多分、右翼の人たちが怖いか ら」などと発言し、
そのうえで日本の国家体制について「大統領制にした方がいい。特にインターネットが普及して世の中の変化のスピードが速くなっている。リーダーが 強力な権力を持っていないと対応していけない」と語った、というものです。


これは、うまく説明できませんが、間違っていると思います。

少なくとも、天皇制があるのは、右翼が怖いからでは有りません。


かく言う私も、30代まで、天皇制否定派でした。
「なんで、人なのに、特権的な人が存在するんだ」
ということでしたが。



天皇制を正しい、とする意見はいろいろあり、主にそれらは歴史的なこと、伝統などから根拠を語っているものが多いと感じます。

もちろん、それらは、それらで正しいものもあるのだろうとは思います。


ただ現在私が感じているのは、そういうことではなく、本当にうまく説明できませんが、何人かの人は、40歳を過ぎれば、と言うか、年を経れば、見えないも のが少しでも感じられるようになるかと思います。
もちろん超能力者ほどでなくとも良いのですが。

そうすると、天皇は、やはり天皇である、ということが、見える、感じられると思います。


私は、見えないものが、はっきり見えるという人間ではありませんが、あの方たちは、やはり私たちと何かが違うようです。
もちろん、肉体を持って、この世に人間として生きている以上、対等であるのは事実なのですが、もっと生命体レベル、高次元レベルであの方たちは、私たちと 違うように感じられます。

私は堀江さんのように20,30代のときに大成功はしませんでしたが、20,30代ときは、格式ばったことが嫌いでしたし、天皇制も嫌いでした し、・・・なんとなく、そう言った気持ちは理解できるのですが・・・。

今は、今正しいと思うことを発言して結構ですので、ぜひ、40,50歳になったときに、もう一度、皇族を感じていただきたいと思います。





細木数子さんの見立てみよれば、堀江さんにも竜神が付いているそうです。

竜神に守られている、ということと、見えないものが感じられる、ということは、きっと違うのだと思います。

船井幸夫さんも政木和三さんもやはり竜神が付いている(いた)ようですが、船井さんは若い時は”喧嘩の船井”だったそうですし、政木さんは、戦時 中、終戦間際、総理大臣に直談判に行き、ねばりにねばって直接面会し、その後首相の求めに応じて、首脳陣たちにも、自分の考えた新しい発明を説明した、と いうくらい、強引で、強情だったようです。




こういうことがあるからこそ、一人の意見で全てが決まったりしない、議会制民主主義が取られているのだと思います。
(この意味で、反対したら公認しない、という条件付きで、参議院を無視し、衆議院を解散した小泉さんのやり方は、やはり評価できません。3次元的にはです が。)


若い時に見えなかったものが年を経るに従って見えてくる、とか、自分の状況が変化したときに、以前と見え方が変わる、ということが理解できたときに、本当 の意味で議会制民主主義というものが理解できるような気がします。

もちろん中には年を経るに従って、精神レベルが落ちる人というのもいるようですが。

良く分かりませんが、「天皇はやはり天皇である」、と堀江さんが発言するようなことが今後あるなら、その時、彼が企業買収のようなことを、し続けているか どうか、見てみたいと感じます。



みなさんは、どう感じるでしょうか?


「ヘルプ」でした。

237:ビートルズ・フォー・セール    
 
「ヘルプ」の次に発売されたアルバムです。

1.ノー・リプライ
2.アイム・ア・ルーザー
3.ベイビーズ・イン・ブラック
4.ロック・アンド・ロール・ミュージック
5.アイル・フォロー・ザ・サン
6.ミスター・ムーンライト
7.メドレー:a.カンサス・シティ~b.ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ
8.エイト・デイズ・ア・ウィーク
9.ワーズ・オブ・ラヴ
10.ハニー・ドント
11.エヴリー・リトル・シング
12.パーティーはそのままに
13.ホワット・ユー・アー・ドゥーイング
14.みんないい娘

全体的な印象がとてもカントリーぽさを感じさせます。

カントリーというより、ロカビリーの初期とでも言った方が正しいのかもしれません。

ジョンのオリジナルはどこかフォーク・ロック調のものが多いですし、ポールもフォーク調です。
他人の作品は、ファースト・アルバムなどで聴かせた、キャロル・キングのようなポップスはなく、ロカビリーものがほとんどです。

こうなれば、やはり、カントリーぽさを感じさせるのも、当然と言えるでしょう。
意識してそうしたのか、自然にそうなったのかは、良く分かりません。


「エイト・デイズ・ア・ウィーク」は、「アンソロジー」に別テイクがありますが、なかなか良い演奏ですね。
この曲のみ、唯一、従来のビートルズを感じさせる曲だな、と感じます。


「ミスター・ムーンライト」は、ビートルズ来日公演のテレビ放送で使用された曲として有名ですね。
この曲はビートルズがカバーした曲としてはどこか異質なように感じます。

長いポップスの歴史から見ても、どこか異質な曲ですね。
ハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」あたりを感じさせる曲です。


ビートルズのカバーの方が、オリジナルより良い、という曲は多いのですが、「ロック・アンド・ロール・ミュージック」は、その筆頭でしょうか?
もちろんビートルズによるところは大きいですが、ジョージ・マーチンの弾くピアノがこのトラックの魅力を増していることは重要です。

なかなか良いロックン・ロール・ピアノだと思います。

以前は良くオールディズ・ライブ・ハウスのケントス、シェリーズに通いましたが、昔ワイキキにあったケントスのピアノはうまかったです。
それは、そうでしょうね。
おそらくアメリカに1件のケントスでしたでしょうから、感じとしては全米中からオーディションで選んだようなものです。


いつだったか、そこへ行って最後までいて、帰りにボーカルの元ミス・ケンタッキーだとか言う女性ボーカルの人が外に出てきたので、握手を求めたら、 む、っとした顔をして、「あなた、今のステージを見ていたの?」みたいなことを言いました。
「そうだ」と言ったら、握手をして写真を撮らせてくれましたが、当時ワイキキの通りにたくさんいたコールガールとでも間違えられたのかとでも思ったので しょうか?

他のメンバーは好印象でしたが。


ちなみに、ワイキキは、昔は本当にコールガールがたくさんいて、普通に横断歩道を渡るくらいで、いかにも日本人のおじさん、という風体の人は、声をかけら れるような感じでした。

はじめて社員旅行で行った時(1990年くらいか?)、中にはお相手をした人もいたようですが、ここ数年で、少なくとも、カラカウア・アベニューあ たりにはいなくなったようです。

とは言っても、ここ2年行っていませんので、今はどうだか良く分かりませんが。






さて・・・・・・
陰陽ですが、山手線には、陰陽がありますね。
東京以外の人には馴染みがないかもしれませんが、東京には、23区内をぐるっと回る山手線(やまてせん、またはやまのてせん)という電車があります。
これは、路線が円になっていますので、乗っていようと思えば一日中でも、乗っていられます。
学生時代、家出した時には、友人が帰ってくるまで、ずっと乗っていたこともあります(笑)。


この山手線なのですが、明らかに陰陽があります。
どこで区切るかですが、厳密にはなかなかむつかしいですね。

品川から池袋で、13駅ですが、これで一組でしょうか?
全29駅ですので、14、15で2分の1だとすれば、本当はもう1、2駅いれた方がよいのでしょうか。

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東京 有楽町 新橋 浜松町 田町 品川 大崎 五反田 目黒 恵比寿 渋谷 原宿 代々木 新宿 新大久保 高田馬場 目白 池袋 大塚 巣鴨 駒込 田端 西日暮里 日暮里 鶯谷 上野 御徒町 秋葉原 神田






























ここら辺に「銀座」がある


ここら辺に「慶応大学」がある
ここら辺で「船井オープン・ワールド」が行われる

ここら辺に「船井総合研究所」がある


ここら辺に「自由ケ丘」などがある

ここら辺に「不思議研究所」がある
ここら辺に「石原慎太郎さん」がいる

ここら辺に「早稲田大学」がある







ここ ら辺に「東京大学」がある

ここら辺に「お茶の水」、
「神保町」などがある



(どの駅も、5分〜20分程度で歩ける距離:0.5 `〜2.0`)
(但し、丸いので、円周の曲がり角などは、もっと近い。
たとえば、巣鴨から上野あたりまでも、20分強で歩いていくことができる。
あるいは、五反田から大崎より、五反田から品川の方が近かったりする。
別に歩かなくとも、タクシーを拾えば良い。
しかし、社会人になるまで、東京23区内がこんない狭いとは思わなかった。) 



とりあえず、品川から池袋の、13駅が一組、その他がもう一組と考えます。
おそらく前者が陽、後者が陰とするのが一般的でしょうか。

実際、戦前などは、上野、銀座あたりが、東京の繁華街としては、上位だったようですので、戦争の後と前で、陰陽の繁栄ぶりがひっくり返ったのかもしれませ んね。

もちろん、銀座は戦後しばらくは東京1の繁華街でしたが、一時期はややすたれました。
それでも、お金持ち層には、相変わらず人気のある場所だったようですが。


どうも戦後しばらくたったころまでは、渋谷、新宿あたりよりも、若干、池袋の方が栄えていたようですので、繁栄の流れが、少しずつ前者よりへ移っていった 過程といった所だったのでしょうか?

ちなみに「明日のジョー」の”ごろつきゴンドウ”というキャラクターは池袋のやくざでした(笑)。
私は、巣鴨、大塚のあたりの出ですが、戦前は、大塚駅から池袋の3階建てのデパートが見えたそうです。


今、世界的な流れは、西洋(陽)から東洋(陰)に移り始めている最中のようですが、東京の陰陽も、また、後者の方へ移っていっている最中なのでしょうか?
確か800年周期だとかだったと思いますが。

兆候はありますね。
渋谷あたりで、一人当たりの購入金額が、下がっていて困っている、ということは、10年くらい前から言われています。
どうしても、若い人が多いですのでそうなってしまうのでしょうが。
以前は若いと言っても、17,8歳以上という感じでしたが、ここ15年くらいは、10代前半からの顧客層となっているようですので、なかなか大変なので しょう。


秋葉原の再開発が活発ですね。
東京駅近辺もそうです。
きっと、後何十年かで、この陰陽はひっくり返る可能性はあるのでしょう。
品川駅あたりの開発が著しいのは、今度は、品川方面から東京駅周りで、繁栄がひっくりかえる、ということでしょうか?


大きな意味では、東京自体、つまり首都自体、どこか他の地域に移る時もあるのでしょう。



陰陽の繁栄がひっくり返る少し前に、先に繁栄していた方が、徐々に廃れるものの、最後の大繁栄をする、ということもあるようですね。

その意味では少し前のアメリカ、今の自民党などもはそうなのでしょうか?
ただ、ひっくり返ると言っても、厳密には、役割が変わる、という表現の方が正しいようではありますが。




日本の大学などは、まだ歴史が浅いので、どれが陰でどれが陽かは良く分かりません。
もっとも、それは、日本だけではありませんが。







暗示というのが、あります。
「そう思うと、そう感じる、見える」、というやつですが、確かに、そういうものもあるようです。

しかし、どうも、これは暗示ということだけではなく、本当に、「見えると思うと見えて、感じると思うと感じられるもの」というのも、あるようです。



ですので、その意味は、こちら側が一方的に、ということではなく、こちらの感情が対象にも伝わり、その感情により、対象が変態する、ということなのだと思 います。

しかも瞬時にです。
そういうものもある、ということですので、すべてがそうだ、ということではありませんが。



そこら辺は科学だとかでいろいろやっているようですが。



これの2次的な反応を考えると、浅見帆帆子さんの言っていることとあわせると、肯定的になると、肯定すべき存在が、集まってくる、あるいは、こちらの感情 で変態するものが、こちらの思ったように変わるので、その意味でも、こちらの思った通りの観察結果が多くなる、ということはあるのだろう、と考えます。






例の大槻教授は、不思議否定派ですが、そうであれば、否定するような証拠ばっかり集まってくる、ということもあるのかもしれませんね。

政木和三さんは、当初否定派でした。
テレビでスプーン曲げが流行っていたころ、「あんなものは絶対にありえない」とテレビ局に講義の電話をしたそうです。
テレビ局側は、「先生の力で科学的に否定してくれませんか?」
というので、政木さんは、金属ひずみ測定器を持って、番組に臨んだそうです。
なんでも、その測定器は超高性能なもので、10000分の1位の(裏覚え)のひずみでも、測定できるものであったそうです。
いざ番組なり、超能力者が、スプーンを曲げようと試みました。
曲がらなかったそうです。
政木さんは、「ほらやはり・・・」
と言おうと思い、測定器を見ると、なんと、ほんのわずか、10000分の1くらいだったか、良く覚えていませんが、確かに曲がっていたそうです。

この測定器は絶対に間違いなど起さない高性能なものだったそうで、これが、政木さんが、不思議な世界に入っていくきっかけとなったようです。

その後いろいろあったようですが、その内、空間から急に仏像が出てきたり、いろいろあったそうです。
なんでも、政木さんの生命体によると、「汝が、あまりに頑固者なので、こういうこともある、ということを見せてやったのだ。こんなことは、神の世界では、 遊びの遊びである」というようなことだったと思います。

とにかく、政木さんは頑固者で、目で見たもの以外は絶対に信じなかったそうです。


美川健一さんや菅原洋一さんと一緒にいた時に、みかんから出てきた真珠の話などは、サイ科学会の報告か何かにも、なっていたように思いました。
良く覚えていません。



ここら辺は、信じたいと思い始めたが、目に見える証拠が欲しい、という念が、呼び寄せたのでしょうか?
それとも、「何か証拠はないだろうか?」と問いを発したのでしょうか?
良く分かりませんが。


ただ、きっと不思議を否定している状態では、出てこなかったかもしれませんね。


スプーン曲げなどで肯定に変わったからからこそ、出てきた現象でしょう。


その意味では、「問い」や「意図」することすら、信じていないと、何も反応もないものなのかもしれません。

だから、試しに、とかでは、きっといけないのでしょう。



信じる、信じられる、とはどういうことでしょうか?
一番手っ取り早いのは、目で証拠を見ることだと思いますが。
それ以外にも、気持ちの段階で、信じられている人というのはいるようですが。
これは、生命体の段階、といった方が良いのかもしれません。



みなさんは、どう思うでしょうか?




ビートルズでした。


238:HEY JUDE SPECIAL:ビートルズ
   
 
海賊盤です。
LPにあった「ヘイジュード」+アウトテイク集です。

1:ペイパーバック・ライター
2:レイン
3:レディ・マドンナ
4:レボリューション
5:ヘイジュード
6:ドント・レット・ミー・ダウン
7:オールド・ブラウン・シュー
8:ジョンとヨーコのバラード

9:ヘイジュード
10:ヤー・ブルース
11:ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
12:オブラディ・オブラダ
13:レボリューション
14:マザー・ネイチャーズ・サン
15:レディ・マドンナ
16:アクロス・ザ・ユニバース
17:愛こそ全て

やはり、現行CDの音色より、こちらの方がアナログ的です。

ベースもこちらの方が、聴き取りやすいです。
やはりCDは低音が多すぎるのでしょう。
正しくは、下の周波数が多過ぎるということだと思います。
もっとローカット・フィルターをかけたような音色の方が、日本の住宅事情、オーディオ事情を考えれば、聴こえる低音がするのではないかと思います。


このCDの元音源ですが、当時発売されていたビートルズのカセット・テープものか、レコードかは、良く分かりません。
テープの方が、音は悪いですが、ノイズは少ないです。
レコードの方が、良い機材を使えば音は良いでしょうが、よほど良いレコードを使わないと、針のノイズなどが入ってしまうでしょう。
もっとも、いくらかであれば、ノイズを編集で取り去ることもできるようですが。

いずれにしても、こちらのCDの音の方が、聴きやすいです、私には。

「ヘイジュード」も、レコードでは、ピアノの音色がタイトだったのですが、CDでは、どこかもこもこしています。
このCDでは、そのタイトなところが出ています。
もっとも、カートリッジにより、相当音色は変わりますが。

9曲目以降は、良く知られたアウト・テイク集です。
アウトテイクとして「これは珍しい!」というものはありません。
一度はどこかでお目にかかったことのあるものばかりです。

「ホワイル・マイ・ギター・・・」のこのジョージのギター弾き語りのテイクを聴くと、当初意図していたのは、「ギブ・ミー・ラブ」のような感じだったのだ な、と思わせます。



思いますのは・・・・
マスター・テープからデジタル・マスタリングして、おそらくDATに落として、CDにしたものより・・・
レコードからDATかU−マチックに落として、CDにしたものの方がアナログ的だ、ということはどういうことでしょうか?


おそらく、一番ピュアな音は、マスターテープの音をそのままスピーカーから出して聴いた音だと思います。

CDでも、レコードでも、基本的にはこのマスターテープの音が最初にあります。



レコードは、マスターテープから、オープンリールへミックスダウンし、そこから原盤をカッティングしてスタンパーを作り、その後、レコードになっていく、 ということだと思います。
そして、それをレコード針でひっかいて、オーディオアンプを通り、U−マチックなり、DATに落ちていく。そして、それがマスターとなりCDのスタンパー ができ、このCDがある、ということでしょう。

CDは、マスターテープから、今ならDATへミックスダウンして、それからCDのスタンパーを作る・・・ということです。

前者レコードから・・・は、アナログを通る過程がスタンパー作成まで入れると、3回あるようです。
厳密には、ここでマスターの音と異なっていっているはずです。

CDは、アナログはないですが、おそらく、マスターからDATにダビングされる時に、かなり音が変わっている可能性があります。
ノイズは入りませんが、音の曲線自体が元々と異なっていっている可能性がありますね。
今はよく21ビットマスタリングとうたっているものが多いですが、初期は16ビットだったでしょうか。


また、ビートルズの比較的最近発売されたものを聴いてみると、おそらく高域のある部分あたりがイコライジングされているように感じます。
実際はよく分かりませんが。


おそらく21ビットでも、マスタリング時のビットレートは足りないのでしょう。

きっと、ものすごく細かいビットレートでマスタリングすれば、すごく良い音になるでしょう、CDは。
ただ、21ビットでマスタリングしたくらいでは、CD自体の規格もあるので、レコードから落としたものの方が、良い音に聴こえるというような状況からは抜 け出せないのでしょう。

速いうちに新しい規格を、主流にのせてほしい、と感じます。
スーパーオーディオCDでしょうか?
DVDオーディオでしょうか?

なんでも、良いです。
CDになってから、まだ本当の意味で一度も、落ち着いて音楽を聴けたことはないように思います。
もっとも、最近ではずいぶん耳が慣らされてきましたが。
かと言って、またレコードを引っ張り出す気には、なれませんし。

馬鹿でかい家でも買ったら、そういう日も来るかもしれませんが。
何せ、引越しの多い身では、あの重たいLPを持って、移動する気にはなれません。
あきらかに、レコード置き場専用の部屋が必要ですね(笑)。


ここら辺は、天外伺朗さんに、一言、言ってみたい、ところです。
是非、早くサラリーマンを辞めて、船井オープン・ワールドにも登場してほしいです(笑)。
















さて、森田健さんの、不思議研究所のサイトでは、今、「生まれ変わりの村」の取材が掲載されています。
私は輪廻転生は信じていますので、それ自体は良いのですが、本当の、転生の実体はどうなっているのか?ということには非常に興味があります。

はじめて、輪廻転生ということを知ったのは、確か、小学生のころ読んだ、少年雑誌だったかと思います。


輪廻転生については、それ自体の存在を肯定する意見というのは、日本にはたくさんあります。
きっと仏教の教えに、それが含まれているからでしょう。


ただ、どのように輪廻転生してくるのかについては、いろいろ書かれているようで、確かでないところがあります。

情報としては・・・
いくつかは、きっと、高次元の存在と通信して、聞いた話かと思います。
いくつかは、言い伝えられているものかと思います。
いくつかは、催眠などによる過去の記憶を探ったものからの記録です。
そしていくつかは、過去世や、あの世のことを覚えている人からの情報です。




あの世のことを覚えている人から情報としては、赤ちゃんが、生まれる母親を選んで生まれてくる、という話が、多くのところで書かれています。
3,4歳の子供に聞くと、かなり多くの確立で、まだ、あの世のことを覚えているようで、あの世の情報を教えてくれるようです。

一般的なものは、「神さまのような人がいて、”どのおかあさんがいい?”と聞くので、”あの人がいい”というと、言った瞬間に、吸い込まれるように、その お母さんのおなかの中へ入っていく」というようなものです。

中には、「隣の○○ちゃんとは、天国にいる時から仲良しだった」とか、「おとうさんと仲良しだったので、おとうさんを選んで生まれてきた」というようなも のも、あるようです。

ここらへんの情報は、素直に信じようとも思えますが、ただあまりに”かわいらしい”ですので、ひょっとしたら、お母さんの誘導尋問による結果も含まれてい る可能性もあるかもしれません。

ただ、仮説ですので、本当に、”かわいらしい”のかもしれませんが。





催眠により、記憶を遡るものとしては、私の知っている限りでは、トラウマを取り除くため、過去の記憶を呼び出している内に、どうやら生まれ前の情報、あの 世にいる時の情報と思われるものが、呼び出されてくることがあり、それらが、この調査方法の始まりであったようです。
ここら辺は日本では、飯田史彦さんが権威ですね。
http://homepage2.nifty.com/fumi -rin/ は、飯田さんのサイトですが、本もたくさん出ています。


ここでの多い情報としては、あの世にいくと、知っている人などが、ガイドしてくれる、その後、いろいろな高い存在と一緒に、自分の人生を早回し映画のよう に見せられ、人生を反省させられる、などのものです。

また、例えば、今世で、体のどこか、例えば、肝臓が悪い人などの前世を紐解いていくと、その人は前世悪い人で、ピストルで相手の肝臓を撃ったことがあるの で、今世は、そのせいで、悪くなっている、とか、そういったような分かりやすいカルマなども書かれています。




政木和三さんの本には・・・
あるえばった町会議員だったか県会議員だったかが尋ねてきたとき、急に感じるところがあり、
「あなたは、前世で多くの人を殺している。すぐに隣近所に○○円(高額:裏覚え)を配って回りなさい。そうしないと、あなたの息子さんに不幸があります」
と、言ったそうです。
その議員は、それを無視したようですが、後日、その時一緒にいた秘書がやってきて、
「政木先生の言ったとおりにないました」
というようなことを言ったという話が出ています。


これも、カルマなのだろうな・・・とは感じますが、果たしてどうなのかは、分かりません。
と言いますのは、おそらく、政木さんには、「後日、この人の息子さんがなくなる可能性がある」という未来のことと、「この人は前世で人を殺している」とい う過去世のことは、見えたのだろう、と想像されます。

また、高次元の存在から、
「近所にお金を配れば、それはおこらない」
という啓示もあったのだろうと思われます。


そして、政木さんにも、従来言われているようなカルマの情報が3次元的知識として入っていたとするなら、この3つをつなげ合わせて、上記のような理論立て で、相手に話す可能性が高いと感じます。


さすがに、高次元の存在も、その瞬間に「実は従来言われていることは間違っており・・・・」だなんて説明まではしないでしょうし、政木さんとて、全てを 知っている訳では有りませんので、上記のよな仮説は考えられるのではないかと思います。

ですので実際は、決まっていた運命としての「息子さんの災難」と、高次元から教えられた回避方法の2つは、今意味を持っていることとして存在し、過去での できごとは、このむすこさんについては、一切関係ないのかもしれません。

あるとすれば、「えばった議員」という彼の態度と彼の前世にのみ、一続きの意味があったのかもしれません。


ただ、そうであっても、与えられた情報として、「議員の態度」、「議員の前世」、「むすこの未来」、「高次元からの回避方法」の4つがあれば、はじめに政 木さんが考えたようにつなげてしまうのが一般的なのかもしれません。







高次元の存在との通信、言い伝えられているものなどは、非常に道徳的なものが多いように思います。
生まれ変わりの期間については、300年前後というのが多いようです。
もっと長い場合も短い場合もあるようですが。

不思議研究所でも取り上げられている”自殺した人”の、その後では、「自殺をすると、天国にいけない」、「自殺をすると、死んでも、その時の痛みが抜けな いまま・・・(裏覚え)」などの、記述を読んだことがあります。



不思議研究所によれば、自殺した人も、こういうことはないようです。
基本的にどんな死に方をしても、同じなようです。

もっとも正確に言うなら、死んだ後の状況から、一般で言われていることとはかなり異なる状況のようですので、そこから語らなくてはよくわからないかもしれ ません。

詳細は不思議研究所のサイトで読んでいただくとして、簡単に言うと・・・

どうも、知っている人によるガイドはないようだ、
どうも、高次元の存在との、人生の振り返り行為はないようだ、
どうも、おかあさんを選ぶような行為もないようだ、
どうも、死んだら、あの世ではあるが、実生活は、勤めに出たり、役所関係がないだけで、後は、この世とあまり変わらないようだ、
生まれ変わるときは、その時その時で異なるが、いろいろなものに導かれて、後を付いていったりすると、その拍子で、生まれ変わる、というような、たんたん とした流れのようだ
ある”スープ”を飲むと、あの世の記憶を忘れるが、飲まないと忘れないようだ、

というような感じです。



ただ、スープを飲まなかった人が、今世であの世の記憶などを人に話すと、一時的に具合が悪くなってしまう、と言う人がほとんどのようです。
症状は、人によって違うようですが。


今回の調査では、以下のようなことが書かれています。



私「前世の両親に会いに行きましたか?」
 
彼「10kmくらい離れたところでしたので、会いに行きましたが、行ったら病気に なりました。体の力が抜けて元気がなくなりました。どこが悪いというものでもないのです」
 


どうして、そうなるのかについては、分かりませんが、ここで思いますのは・・・

前世を覚えていなくとも、前世に縁であった人に会うことはあるかと思います。
その時もやはり具合が悪くなるのかどうかが、疑問です。

いろいろなところで書かれていることが、本当なら少なくとも、読むか限りでは、そういうことはないようです。
前世の親とか、恋人、子供、と出会う、というシーンは、良く書かれていますね。


もっとも、ちゃんと調べたら、具合が悪くなっているのかもしれませんが。



あるいは、例の”スープ”と関係があるのかもしれません。


このスープは、時間や歴史のようなものの概念を、3次元では矛盾のない一続きのものとして保つ、というような役割を負っているのかもしれません。
ですので、スープを飲まずに、3次元で、時間の一貫性のような事柄について、時空が意図したようなことでない自体が起こると、それに関わった当人の具合が 悪くなるということによって、必要以上にそれをしないように、仕向けているのかもしれません。



そうでないのなら、具合が悪くなっている、というのは、当人だけが感じている減少であって、他では、3次元での時間の一貫性のようなものを保つための何か 違うことが、起きているのでしょうか?


良く分かりませんが、今回の報告なら、自分の前世が、亡くなった自分の子供である、と知った近く人住んでいる前世のお母さんからは、他人の子供へあげるよ りもおいしい食べ物などをもらっていた、というようなことが書いてあります。



これなどは、明らかに、その人が自分の前世について、語ったことにより、起きたことですので、言わなければ起きなかったことです。

「もっとおしいいもの」をもらったことにより、世界がひっくり返るとは思えませんが、それにより、前世のお母さんは、言わない場合には買わなかったよう な、「もっとおいしい食材」をお母さんは買った訳ですし、「もっとおいしいものを作るという行為に時間を費やした」わけです。

そうすれば、桶屋の話的に、食材を売ったお店の売り上げも変わったことでしょうし、仕入れも変わるでしょう。
もし、「もっとおいしいもの」により、現世のおかあさんがその日に、夜ご飯を作らないで住んだなら、今度は、言わなかったら買っていたものが、買われな かったりもしたかもしれません。
そうなると、今度は、現世でもお母さんがいつも言っているお店の売り上げが少なくなっているでしょう。

こうやって考えていくと、言う場合と言わない場合では、いろいろ、異なってくるように感じます。

「あの世の記憶を言う」、ということは、時空が作り出している流れを、変更している、拒否していることになるのかもしれません。




ここで、思うのは、不思議研究所での、「生まれ変わりの村」証言での、あの世とは、フォーカス、次元、としては、どのあたりなのか?ということです。
生まれ変わる寸前なのですから、フォーカス27あたりなのだろう、とは想像しますが、良く分かりません。
次元的には5次元なのでしょうか。

いわゆるモンロー研究所もので言われている、体脱時に訪れているどのあたりと一緒なのかが、非常に興味があります。

それが分かると、比較ができます。
但し、その次元、フォーカスの有様と言うものは、その人の思考傾向によって、異なる部分もあるようですので、分かっても単純に比較はできないかもしれませ ん。

森田健さんと、坂本政道さんの本での高次元の描写も、やや異なるように感じました。


現世での、体験、性格、能力などによる思考形態が相当繁栄されるかもしれない、という意味では、現世での生活によって、高次元の有様も、どこか影響されて いく可能性もあるかもしれません。

もし、この「影響」があるとするなら・・・・・・
時代が経るほどに人口が増えているわけですので、あの世にいる存在達も、時代と共に、よりたくさん人間として現世に降り立っているのだろうと想像します。
そして、たくさんの霊がまたあの世に帰って行きます。

そう考えると、時代と共に、急速にあの世の有様も変わっていっているのかもしれませんね。
実際はどうだか良く分かりませんが。


おそらく、現在の文明が栄える前の文明でも、いまと同じくらいの人口がいた可能性が高いように思いますので、生命体の数は、十分に存在するのだろうとは思 いますが。


同じような考察で、人口が多いということは、転生のサイクルも短くなっているのでしょうね。


私事で言えば、何の根拠もありませんが、何かせいぜい100年くらい前にも、この世にいたような気がしてなりません。
気のせいでしょうか(笑)?



本日の不思議研究所のサイトには、光の超能力者の話が掲載されていますが、あの命の玉について、「命の玉は、森田さんのために取ってきたもので、他の人が 持っていたらダメです。悪い影響がでます。森田さんだから悪い影響を受けないのです。そのまま、大切に保存してください」と言っているようです。
昨年の船井オープン・ワールドで、命の玉の写真の掲載されている資料をもらって来ましたが、今、額縁に入れて机の前に飾ってあります。
これは、どうなるのでしょうか?

試しに、2,3日、机から遠ざけてみようと思います。


何も変わらなかったら、また、元に戻してみようと思います。

みなさんは、どうしているでしょうか?




ビートルズでした。





239:The Beatle Yellow Matter Custard
   
 
海賊盤です。

良く聴くと、針のノイズらしきものが聴こえますので、きっと同名の海賊盤LPからのダビングでしょう。
BBCのライブと思われる音源や、スタジオのアウト・テイクでできています。
BBCの方は、とても音が悪いです。

これを購入した当時でもBBCものの海賊盤は出回っており、これよりは、音が良かったです。

ただし、15曲目から急に音質がよくなります。
15曲目以降はEmceeとなっていますが、どういう意味なのでしょうか?

CD用のボーナストラックかもしれません。

全部で28曲入っています。
もっぱら、「I'm gonna sit right down and cry over you」を聞くために持っていたようなものでしたが、今となっては、正規盤のBBCライブにさえ、入っていますので、価値が薄れました。

なんでもそうですが、価値が落ちることが分かったら、すぐ売ってしまうのが良いのかもしれませんね。
思い出のあるものは、人によっては別かもしれませんが。

あらためて聴くと、ジョージの当時の歌い方はジョンに似ているかもしれません。
そうでなくとも、初期はジョンと、ポールの歌い方が似ていると言う人が多いようですので、ある程度聴きなれないとだれが歌っているのか分からないかもしれ ません。
今日の深夜、テレビ東京の「ヘヴィメタさん」を見ていましたら、新日本プロレスの蝶野正洋選手が出ていました。
私はこの人が好きですが、握手をしたことがあります。単なる自慢ですが(笑)。

例の50代(当時40代だったかもしれません)の海外経験の長い元同じ会社の女性(なんと同姓)と、何かの都合で、渋谷のビックカメラにいた時に、白物家 電製品売り場で会いました。
有名なドイツ人の奥さんと一緒に来ていましたが、みんなが遠巻きにしているところ、私は「握手をしてください」と名乗りでました。
一緒にいた海外経験の長い女性も「私も、私も」と言って握手していました。きっとだれだか知らなかったと思いますが(笑)。
もう10年近く前のことだったと思いますが。

いつだったか、「徹子の部屋」に出演したときに奥さんの話をしていました。
確か、巡業でドイツに行った時に知り合ったが、しばらくして、次の巡業の国へ行かなくてはならなくなり、その女性を残して行ったそうです。
巡業先から、電話で「来ないか?」のようなことを行ったら、すぐに来たそうです。
それ以来一緒のようです。
なかなかロマンチックな話です(綺麗)。








デジタルというのを、最近考えますが・・・・・・
私がデジタルというものを実感的に初めて認識したしたのは、画像の遠隔伝送装置というのを見たときでした。
20年近く前ですが、当時でもデジタル・スチルカメラというものは存在しており、その映像をISDN回線に載せて遠くへ送るという装置があったのです。

ちょうど今で言えば、デジカメで撮った画像をEメールに添付して送るようなことですが、当時は、そんな簡単な話ではなく、伝送専用の機材類だけでも、3, 40万円近くしたかもしれません。

当時マビカと言われていたそのカメラは、ある程度良い画質を得るためには、業務用の高価なカメラを使用しなくてはなりませんでしたが、それでも、報道など ではすでに使われており、その事業部の人が「昨日のオリンピックの画像は、これで送られたのです」というようなことを言っていたと思います。

それとほぼ平行してテレビ会議システムというものでも、デジタル画像と言うものを体験しましたが、今でも変わらないと思いますが、当時の説明では、「この 動画は動かないところの情報は送らずに、動いているところの情報だけ送っているので、速いのです」というようなことを言っており、「へえ、デジタルって言 うのはすごいものだな」と思ったのを覚えています。

なにせ、コーディックという画像を圧縮する機械の片側(双方なくてはならない)だけで、2000万円近くしていましたので、今とは価値が比べ物になりませ ん。


さて、そこでデジタルですが、デジタルというのは、本物をできるだけ小さな情報量で扱うための技術、というように私は解釈しています。
そこには、当然、「ある程度は、本物より劣化していても良いので、とにかく今の機械あるいは情報処理速度で対応できるくらいに、情報を小さくしよう」とい う考えも、当然含まれているはずです。

とすれば、デジタルとは、やはり当たり前のように、本物より劣っている実像を現す技術であるわけです。

もちろん、すべてに対してそうだとは言えず、その時々での情報処理速度から見て、情報量が少ないものに対しては、必ずしも劣化せず、100%本物を再現す ることもできるだけですが。

どういうことかといえば、「YES」、「NO」の統計を取るようなデータであれば、ずいぶん前でも100%表現できたと思います。
しかし、例えば静止画像などは、色の発色数、ドットの数などが情報量ということになるわけですが、それはどれくらい多くの情報が扱えるかによって、本物= 100%への接近度が変わってきますので、今でも、100%ではありません。
もちろん、同じような理由でテレビもハイビジョンですら100%ではないのですが。

人の皮膚を虫眼鏡でいくら拡大しても、ドットになってしまうようなことや、走査線(横線)が出てくることはありませんが、デジタル画像や、テレビというも のは、拡大していけば、必ずそういうものが見えてきます。


あえて静止画だけの話で進めていきますが、PCがドットで画像を作成しているという事実は、どうしようもありませんので、仮に理論上の100%が現れたと しても、絶対に100%にはなっていないと言えるのでしょう。

どんなにドットが細かくなっても、思い切り拡大すれば、必ずドットは見えるはずです。


どうもデジタル技術というのは、文字にできる情報を再現するのは、究極的には100%が可能であるが、五感に訴える情報に関しては、100%は永遠に無理 だということが言えるかもしれませんね。


もちろん、究極的な100%でなくとも、万人が本物とそぐわない、と認める、あるいは、いくら拡大しても、人間の視力ではドットが判別できないくらいま で、細かく正確にする、ということは、できるのかもしれませんが。


ただ、とにかく、デジタル=正確、というような表現でデジタルという言葉を使うのは、少なくとも間違っていると思います。
デジタル=同じものが、オリジナルの情報と全く同じにコピーできるもの、という表現ならば正しい、とは思いますが。





音に関して言うと、中の上あたりのアナログは今だにデジタルを上回っていると思います。
なぜでしょうか?

音でアナログと言った時、当然、テープなりのヒスノイズというものが付いて回りますし、製作過程でダビング作業があれば、必ずそこでオリジナルより、劣化 しています。

当然入り口であるマイクは、アナログでも、デジタルでも、性能的には同等のものが使用できますので、そこでの差はありません。
最高品質のアナログ録音機と最高品質のデジタル録音機を双方が使ったとして、おそらく多くの人の耳には、アナログの方が良い音に聴こえます。


もちろん、デジタル側のサンプリングビットや周波数、入力レベルの大きさなどによりデジタルは音質が変わってきますが、どうも、思うに、自然界のものは、 ドットではできていないから、というのが、答えなのかもしれません。


波動のことを考えてみますが、すべての物質は振動しており、固有の波動を持っている、振動している、ということは事実のようです。

例の靴紐理論(超ひも理論)で考えれば、3次元のモノも本質はツブと言うより、紐(ひも)状のものであり、それぞれ固有の振動数で振動しており、それが寄 せ集まって、引き合って、物質を構成し ている、ということのようです。(間違っていたら、すみません)

それじゃ、ドットではなく紐だ、と単純に言える話ではないとは思いますが、アナログは、ノイズがあろうが、どうであろうが、最終単位同士が引っ付いている が、デジタルは、最終単位(ドット)同士は、いつまで経っても、離れたままである、と言う事に、何かあるのかもしれません。

とろみのついていないルーを入れたばっかりのカレーと、1日寝かしたカレーの関係似ているのかもしれません。
・・・・・・そう、デジタルは引っ付いていない、これがとても、良い表現のような気がします。

硬めに炊けてしまったご飯とでも言うのでしょうか。
あれは、カレーをかけたり、油で炒めたりして他の手段で引っ付くことが前提でおいしくなるようにも感じます。


もちろんアナログにも音質の悪い物というのはあります。
しかし、デジタルの音質の悪いものと比べると、やはり、アナログはひっついているので、許せる、というところを感じます。

デジタルはパラパラしている、という感じがします。

どうもデジタル音楽は、私には、カラオケくらいなら良いのですが、ひっつきが表現できるまでは、本当の意味での鑑賞用にはならないように感じてしまいま す。

もっとも、最近は、CDとはそういうものだ、と思って聴いていますので、構わないのですが。





しかし、ひっついている故の欠点というもの、あるかもしれません。
小泉さん的な、思い切って切る、という行為はデジタルなのかもしれません。
データ(情報)の分割や結合が簡単にできるということなのでしょう。


情のようなものは、ひっついていますので、簡単に切ることはできません。


その意味ではアナログが東洋的、デジタルは西洋的とも言えるかもしれませんが、少し極端な結論かもしれません。

転職のCMの「課長代理」と「課長補佐」がタクシーに乗る順番を譲り合う様ではありませんが、仮に東洋もまたデジタルであるとしても、西洋よりは、ドット のい細かいデジタルと言えるのかもしれません。
細かく出来すぎるので・・・細かいものを理解できる能力があるので、そんなことまでしてしまう・・・という欠点はあるかもしれませんね。

しかし、それが欠点として表れるのは、今の世の中が、きっと西洋的だからでしょう。


いずれにしても、究極の手抜きを目指していたデジタルが、いつのまにか究極の本物である、と勘違いされている状況は、何か変だな、と感じます。

デジタルに対しての最大級の賛辞は「本当にうまく、間引いたね!!」なのだと感じます。




というわけで、今回の選挙は、小泉さんのYES or NO(これは1ビットって言うのですか?2バイトって言うのですか?不勉強ですみません)に、多くの人の考えが間引かれてしまいましたが(笑)。






高次元はどうやら、天外伺朗さん式に言えば、畳み込まれているようなのですが、これは、アナログ的というのでしょうか?
それとも、デジタル的と言うのでしょうか?

全ての部位が全ての情報を持っている、ということを考えると、デジタルコピーという感じがして、なにかデジタルぽい、とも感じますが、「生まれ変わりのむ ら」の話などを読むと、「いつ死んで、いつ生まれ変わったのか」の境目が、非常に滑らかですので、アナログ的だとも感じます。
もっとも、全ての高次元が現実である、という発想からは、アナログ的なのだろうとは感じますが。









後藤田正晴さんが、なくなりました。
テレビを見ていましたら、後藤田さんが次のようなことを言っていました。

「マスコミはいけない。ちょと待った、それは事実だろうか?と考えるべきだ。付和雷同ではいけないよ。」

のようなことですが。



付和雷同とは、Goo辞典によると
「自分にしっかりした考えがなく、他人の意見にすぐ同調すること。」
ということです。

私はこの後藤田さんの言っていることは、良く分かる様な気がします。


こんな感じですが・・・・・・



私なりにいろいろ経験して、思うのは・・・
人は、格好の良い人の意見に従う傾向がある。
人は自信のある風体の人の意見に従う傾向がある
人はよい高い学歴、権威などのある人の意見に従う傾向がある
人は長期的な改善策よりも、短期的な改善策を説く人の言うことを聞く傾向がある
人はマスコミを信用しやすい
人はその人にとってむつかしいこと、知識が無いことは、頭から放り出す傾向がある

ように、思います。
逆に言えば、このような条件を持っている人は、人に自分の意見を通しやすい、ということでもあるわけのように思いますが。




ただ、いけないのは、むしろこういう人、条件の場合にこそ、しっかり検討する必要があるように感じます。

つまり、格好にこまかされていないか?
自信のあるような芝居にこまかされていないか?
学歴、権威にこまかされていないか?
本当は長期的な改善策が必要な案件ではないか?
マスコミが本当だ、ということこそ、疑ってみる必要は無いか?
本当は、もっと知識をつけて、考え直した方が良いのではないか?

ということも必要なのでしょう。



もっとも、確かに、正しいことを言う人というのは、
大方、
氣でしょうか?格好よいですし、
自信を持っていますし、
それなりに学歴があることが多いですし、
すぐ効果があることを知っていますし、
マスコミにも取り上げられていますし、
分かりやすい説明をします。

但し、絶対条件ではないようです。









かっこいい、悪いは、それを見る人の精神レベルによっても、価値判断が異なります。
少なくとも、対象が、「ものすごい氣をはなっている」のような場合は別として、そこまで行っていない人のことを、見誤ることというのは、一般レベルではお うおうにあるように感じます。



詐欺師は、みな自信たっぷりの演技がうまいです。
嘘がつける、ということです。
見るほうに超能力でもあれば別ですが、少なくとも、外見の段階では、「自信のいありそうな人だが、本物かどうかは、もう少し突っ込まなければ分からない」 と思うべきでしょう。





学歴はあてになりません。
例えば・・・・・・英語の話ですが、
こんなことがありました。
私は看護留学の仕事をしていましたが、ある看護婦さんに「早稲田や慶応を出ても、ほとんどの人が満足な英会話などできないですよ」と言った所、彼女はまっ たく信用しませんでした。

分析すれば、おそらく自分よりものすごく学歴が離れている人というのは、一体どのような実体なのか?に対して、よほど知識を得なくては、正しい推測ができ ない、あるいは正しい情報が得られないのでしょう。

私は高学歴ではありませんが、なぜか周りの人間にはそういう人が多い人生でしたので、そういった知識はたまたまあります。
少なくとも、私の知り合った人の内、英会話が私より出来る早稲田と慶応の卒業生は、1人2人しかいません。


逆に日本の大学を卒業していなくとも、私の耳で聞く限りほとんどネイティブのように話す人をたくさん知っています。


もちろん、実務であるものに関わっている人というのは、実際多くの場合、なかなかみなさんすごかったりします。
まして政治家など、ある程度良く知っているのでしょう。

ただ、そういうことが決して精神レベルの高さに比例しているということはないようです。



権威も資格も当てにならないことが多いです。
極端な例を言えば、私は買ってきたばかりのPCのセットアップもできないくせに、情報処理関係の資格を持っている人をたくさん知っています。



すぐに効果があること、に関しては、別に問題ないと思いますが、それが、危険を伴わないか?精神レベルの低い手法ではないか?ということは、考えた方が良 いように感じます。






マスコミの嘘ぶりについては、何かを専門的にやっていれば、すぐに分かると思います。
それは、みなさんの仕事関係のようなことででも良いですので、それに絞って、テレビを見ていると良く分かると思います。

ただ、困るのは、中には正しい情報もある、ということです。
少なくとも、あるものをそのまま実況しているものは正しいことが多いでしょう。
「すごい風速です」とか、「たくさんの人が集まっています」とかですが。

あるいは、「○対■で、どちらが勝ちました」とか、そういうことです。

あるいは、そのまま報道しても、興味半分の人でも、十分、びっくりできるようなことでしょうか?



まず、みなさんの専門的にやっていることを基にテレビを見てみてほしいと感じます。
そうして、実際と報道の嘘に気づいたら、他の報道も少なくとも同じくらい違っている、と考えたら良いのではないかと考えます。
もし、専門的がない、ということでしたら、恋愛でも、なんでも良いのだと思いますが。

私ごとで分かりやすいことで言えば、こんなことがありました。

留学関係で言えば、当時、「アメリカのビザがとりにくくなっている」と、ニュースでよく言っているような時期がありました。
しかし、実際は、ビザを取れなかった人というのは、私の手続きしたものの限り、一人もいませんでした。

良心的に解釈すれば、留学しても、授業も受けずに遊んでばかりいるようなことを許すような悪徳英語学校に留学希望する人には、でなかった可能性はあります が。







分かりやすい説明は、本当に分かりやすい説明をしているのか、分かるだろうと相手が考えているところだけ説明しているのか、都合の良いことだけ言っている のか、嘘を言っているのか・・・・・・時間がかかっても仕方が無いので、検証する必要はあるでしょう。
人は基本的には都合の良いことしか言わないものです。
都合の悪いことも言ってくれる人は良い人ですが、多くの人はそうすると、他の人がそういうことは言わないものですから、都合の悪いことを隠している人の方 になびいてしまうことが多いようです。

船井幸雄さん式に言えば、勉強する、しか、これを克服する方法はないようですが。

今回の小泉さんで言えば、「でも、生活はぜんぜん良くなってないな?」とか、「となりのおばあちゃんは困っていると言っていたな?」というようなところか らでも、疑問を持てば良いのではないかと考えます。












もっとも、私などは、極端なところがありましたので、この「信用されやすい人の条件」の真逆を意地になってやっていたこともあります(笑)。

それでも、モノを売ったりする時などは、欠点もちゃんと説明すると、「信用してくれる」というようなこともあったように思います。
私なりには、もちろんコツもありましたが(笑)。




格好よい
自信を持っている
それなりに学歴がある
すぐ効果があることを知っている
マスコミにも取り上げられる
分かりやすい説明をする

というのは、ですので、本物の可能性もあるし、偽者の可能性もある、ということでしょうね。
ということは、ぜんぜん絶対条件ではない、ということでしょう。

ただ、惹き付けられる、ということだけなのだと思います。
それでも、特に意図的なことがなく、人を騙そうとしていない、という場合は、本物は自然にこうなる、とも言えるかもしれません。




この真逆は・・・
かっこ悪い
自信なさそう
学歴ない
すぐに効果がない
マスコミからは無視され、
分かにくい

です。


ということは、%で言えば偽者のことが多いでしょうが、それも100%とは言えないのだと思います。
格好悪いは、見る人の精神レベルで変わるはずです。

自信ありそう、なさそうも、言っていることには自信があっても、それが受け入れられるかどうかは、自身が無い、ということもあるでしょうし、単に人が良い のかもしれません。
自信ありそうに見えても、それはまた見る人の精神レベルで変わってきます。
ぜんぜん騙す気がなくとも、中身がないのに、知識が足りないゆえ、自信を持っている人というのもいます。


学歴がなくとも、すごい人はたくさんいます。
学歴がある人が目立つのは、もっぱら組織には、学歴がないと属すことができないからでしょう。


すぐに効果がなくとも、すごいこともたくさんあります。
1日で世界的なピアニストに育てる先生というのは見たことがありません。



マスコミですが、船井幸雄さんがテレビに出たのは見たことがありません。
また船井さんの本に出てくる人でテレビで頻繁に見かける人というのは、あまり知りません。
せいぜい、おもちゃ収集家の北原照久さんくらいでしょうか?
音楽では腐るほどいます、そういう人は。



それで、何が言いたいか、と言えば・・・・・・
ヤマを張るなら、「信用されやすい人の条件」を使うことはできますが、実際は、もっときとんと検証する必要がある、
ということですね。

デジタルが素晴らしい、と言う話もまた、同じですね。
本当に全てがすばらしいのか?
すばらしくない部分は本当に無視して良いほど、どうでも良いことなのか?
自分で考えてみる必要があるように感じます。
また知っている人は、どんどん情報を出すべきだと感じます。
鵜呑みだけはいけないように思います。

もちろん、直感(高次元からの情報)で・・・信じる、信じない、ということもあると思いますが。



みなさんは、どう思うでしょうか?



ビートルズでした。


240:LONDON TOWN:ウィングス
   
 
ポールマッカートニー&ウイングスのアルバムです。
ウイングス名義のアルバムでくり返し聴いてもいいな、と思うのは、このアルバムくらいです。
もっとも、1年くらい聴いていませんが(笑)。

曲目です。


1.たそがれのロンドン・タウン
2.セーヌのカフェ・テラス
3.アイム・キャリング
4.なつかしの昔よ
5.カフ・リンクをはずして
6.チルドレン・チルドレン
7.ガールフレンド
8.別れの時
9.しあわせの予感
10.伝説のグルーピー
11.子供に光を
12.ネーム・アンド・アドレス
13.ピンチをぶっとばせ
14.モース・ムースとグレイ・グース
15.ガールズ・スクール
16.夢の旅人


内容は、ロック色は一切取り去ったようなものです。
タイトルは「ロンドンタウン」です。日本で言えば「東京」ですが(笑)、どこか都会の昼下がり的なないようです。
当時のアルバム評では、「ポールのアダルト・コンテンポラリー・アルバムだ」というようなものがありましたが、それは少し違うな、と感じます。


曲の内の大半が、西インド諸島東部のバジン諸島のセント・ジョンズ島の港にヨットを浮かべて、そこでレコーディングされたそうです。
また、セッション後、ギターとドラムの2人が脱退したため、その後の作業はポール、リンダ・マッカートニー、デニー・レインの3人で行ったようです。

そこら辺にも、このアルバムが他のウイングス名義のアルバムと違う味がある理由なのかもしれません。

ポール色が実は強くでているのか?
デニーの色が強く出ているのか?



他の理由としては、どうもベースが聴こえることを前提に演奏されているようなところがあります。
つまりちょっと主張している、ということですが。
それが理由かもしれません。



あるいは、イギリスを意識しているからなのでしょうか?




と・・・・・・
ごちゃごちゃ書きましたが、どうも一言で言えば、私の耳には一番ビートルズのポールの匂いがするので、このアルバムが好き、ということのようです。


それを説明しようとしたのが、上に上げたいくつかの”理由”のように感じます。



音的には、柔らかなシンセの音が印象に残るアルバムでもあります。
そこら辺はどこか、「アビーロード」を感じさせます。

コーラスの声質も、どこかウイングスよりビートルズ的です。
声質とは、つまり、ポールとデニーとリンダということでしょうか?
ちなみにデニーは、あのイギリスの60年代のバンド:ムーディ・ブルースの元メンバーです。



どうも思いますのは、ウイングスとビートルズのサウンドの最大の違いは、どちらがよりイギリスっぽいかで、ビートルズのほうが、イギリスっぽい、というこ となのかもしれません。

確かに、ウイングスのメンバーは、イギリス人だけ、ということは、なかったように思います。

このアルバムでも、途中脱退したドラムのジョー・イングリッシュはアメリカ人です。
(なんの偶然か、このアメリカ人の名前は”イングリッシュ”ですね:笑)

ギターのジミー・マックローチはイギリス人かと思いますが。



アメリカっぽいポップスとイギリスっぽいポップスを一般論で比べるなら、
誤解を招くことを覚悟で言えば、イギリスの方が品があるようです。

品が”弱弱しい”と感じるのなら、波にもまれて、角が丸くなった小石とでもいう感じでしょうか。

アメリカ語とイギリス語の発音の違いにある、あの感じに近いかもしれません。


アメリカTVドラマ「フレンズ」にはイギリス人が登場していた期間がありました。
そこでは、イギリス語との違いがよく分かりますが、角が少なく、柔らかいです。

何も強引に、アメリカが角があって固い、と言いたい訳では有りませんが、実際、そういう印象です。


おそらく、私の好みも、またそこら辺にあるのかもしれません。



アメリカのジャズではなく、日本のジャズを聴くことに近いものが、ここにもあるのでしょうか?





日本のジャズも、アメリカのジャズと比べると、どこか丸いです。
フレーズなのか、リズムなのか、アンサンブルなのか・・・。
きっと全てなのだろうと感じますが。













さて・・・・・・
本日の船井ドットコム(http: //www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp)で、船井幸雄さんが、エハン・デラヴィさんのことを書いてい ます。
例の、『パワーかフォースか』(ディヴィット・ホーキンズ博士著(POWER VS FORCE)、エハンさん訳:三五館)の翻訳をした人です。


『エハン・デラヴィさんの本をもう一度読み返そうと思っていますが、彼はすばらし い真理の研究者です。いろいろ教えられます。
 興味のある方は、10月9日に「船井幸雄オープンワールド」の会場ででも、彼を つかまえてきいてみてください。』

と書いています(笑)。

もし私が捕まえることが出来たら、またここに記載します(興)。







なんでも、船井さんの愛読誌である日本サイ科学界発刊の『サイジャーナル』の2005年9月号(第344号)に、エハン・デラヴィさん(マラナサ・ジャパ ン代表)の講演録があるそうです。


その中では『パワーかフォースか』の本の解説をしているそうですが・・・

「意識のレベルを1〜1000レベルに分け、受講者に測定法を教え、測 定した結果はこうだった」と実測した数値を公表しているということです。
これは去年11月時点の数値と思います、と船井さんの言葉があり ます。)

その中で、『ここでは発表していいものだけ 書きますが』、として、以下のように書いています。




いまの地球人の平均は203、
日本人の平均は620、

ブッシュ政権は90、
小泉政権は410、

故人では、アインシュタインは497、
デヴィッ ド・ボームが502、
マザーテレサ720、

また仏教930、
神道950







どうやら、エハンさんによれば、測定者の意識レベルが200以上あると正しい答が出る、ということです。
いくつかの情報は、先の、翻訳書にも掲載されているものですが、何度見ても興味深いです。
ちなみに、この数値は620なら、10の620乗ということです。






地球人の平均が203で、日本人の平均は620というのは、ものすごいですね。
事実だと思いますが、やはり日本人でよかったです。

過去日本にいながら、これだけ、頭にくることが多かったですので、きっと他の国に生まれていたら、今頃どうなっていたか分かりません(笑)。
映画「ジョーズ」の後には、「鮫の保護運動」でもしていたかもしれません(?)。







ブッシュ政権は90、小泉政権は410、ということらしいですね。
まあ、そうなのでしょう。
過去の日本の政権の数値もぜひ知りたいところです。

先日なくなったダイエーの創業者の中内功 さんは、阪神大震災の後、災害の大きかった地域の店舗から優先的に改修して、「落ち込んだ人達には明かりが必要だから、とにかく明るくしろ。この際儲けな どはどうでも良い」と、店舗に明かりを灯したそうですが、事情がどうあれ、洪水後、必死で生きていこうとしている自国の被災者にピストルを向けなくてはな らない国とは、やはり違うのだろう、と感じてしまいます。









故人では、アインシュタインは497、デヴィッ ド・ボームが502、マザーテレサ720・・・
ですが、

アインシュタイン、マザーテレサのご両人は、とても有名な方ですね。
ボームさんは、知らない人が多いかもしれません。
もっとも、私も、ここ数年で知ったわけですが。

天外伺朗さんの本によく登場しますが、『未来を開く「あの世」の科学』(祥伝社:平成8年)の中でボームについて書かれている箇所を紹介してみます。
引用と書くと、一字一句、そのまま書かなくてはならないので、大変だと言うことが最近分かってきましたので、さしつかえがない場合は、引用ではなく”紹 介”にします(慣)。


文庫で出版されているものの45ページあたりにある記述ですが、なんでも、ニューサイエンスを提唱したとても有名な物理学者だそうです。
1992年に85歳で無くなり、プリンストン大学では、アインシュタインとも一緒だった時があったそうです。
これは、学生としてでしょうか?研究者としてでしょうか?私には分かりません。

1950年頃にあった、あの「赤狩り」では、チャプリンなどと共に、多くの物理学者なども、共産主義者だと強引な証拠固めをされ、社会的地位を剥奪された り、刑務所に入れられたりしたそうですが、原爆の開発にも携わったオッペンハイマー氏が赤狩りの犠牲になった時には、
「社会的正義から言って、許せない」と、猛講義したそうです。
それによって、彼自身もアメリカでの社会的地位を失い、イギリスへ渡ったそうです。

以下引用してみます。
(引用)
このように、ひじょう(原文通り)に正義感にあふれた学者ですが、この人が、 「空」の解釈をしたのです。それも、教祖的に、神秘的にやっているのではな くて、物理的にきわめて厳格にやっています。

・・・・・・・この宇宙は二重構造になっており、われわれがよく知っている物理的 な宇宙の背後に、「もう一つの目に見えない宇宙」が存在します・・・・・・
(デビッド・ボーム『全体性と内蔵秩序』・青土社刊』) 

ボームは「もう一つの目に見えない宇宙」のことを「暗在系(インプリケート・オー ダー)」と呼びました。「目に見えない秩序」という意味です。
これに対して「目に見える物理的な宇宙」を「明在系(エクスプリケート・オー ダー)」と呼んでいます。仏教の宇宙観と照らし合わせてみると、「明在系」が 「色」、「暗在系」が「空」に対応しています。
(中略)
・・・・・・「あの世」は暗在系であり、「あの世」は「集合意識」である。「あの 世」は人間が死んでから行くところではなく、生きている人間の活動の大部分は、 実は「あの世」で営まれている・・・・・・
(『ここまで来た「あの世」の科学』  』

(以上。・・・・・・は実際は実線)








良く分からないのですが、このボームさんですら、日本人の平均以下の精神レベル、ということなのでしょうか?
それとも、対象となる何かとも相対値なのでしょうか?
もし、このまま受け取れば、少なくとも、日本人に生まれたということだけで、単に先進国に生まれたということ以上に、ものすごく、幸せなことなのでしょ う。

確かに、赤狩りがあったら、日本人のおばさんたちの多くは、「ちょっと、あなた、そんなことしたら、だめよ」とすぐに言いそうだな、とは感じますが。
アメリカ人たちは、どうだったのでしょうか?



憲法9条でも、アメリカ人が同じ立場にいたら、おそらくは、瞬く間に改正しているのではないか?と想像されます。
この憲法を事情はどうあれ、戦後改正されなかった、と言うこと自体、どう考えても、ものすごいことであるように感じます、日本人は。



アメリカでは、事情はどうあれ、ピストルの所持すら、禁止できないありさまです。
よく、西武開拓時代の伝統があるから・・・とその理由が述べられますが、そんなこと言ったら、日本人は刀をさしてしまいます。
銃器の協会が圧力団体であるから・・・という理由も言われますが、事情はそうあれ、そういう団体が圧力団体として存在し得る、ということ自体、私には解 (げ)せません。
(ゲッ!!、というのは、解せない、から来ているのでしょうか?)



もう20年くらい前ですが、戦争についての街頭インタビューをテレビでやっているのを見ましたが、その時、当時の60歳前後の方たちでしょうか、それくら いの歳の3,4人で連れ添って歩いていた人達に意見を聞いた際、その人達は、
「戦争?大丈夫、もう絶対やらせないから。もしそうなりそうになったら、俺たちが体を張って、絶対に止めてみせるよ」
というようなことを言っていたのを、 よく覚えています。

その方たちは存命かかどうか、分かりませんが、とにかく、戦後60年、それをちゃんと守り通したことになりますね。

これは、戦争に負けたからそう言わせたのか、それとも勝っても、同じように、そう言ってくれたのか・・・
(言ってくれたと思いますが)
少なくとも、実質的にベトナム戦争に負けたアメリカは、その後何度も軍事行動を取っていますので、やはりアメリカ人と日本人は違うようです。



アインシュタインは、確か、日本に来たときに、「このすばらしい国が、世界を変える」というようなことを言ったというようなことをどこかで読んだ気がしま すが、勘違いかもしれません。
天外伺朗さんの本か何かに書いてあったように思いますが。











ボームさんの意見も今となっては、古い意見ですし、天外伺朗さんの意見もすでに10年近く前の意見ですが、
(※見えない世界のことは、1990年以降、特に1996年以降くらいから急速に進歩しているようです。
おそらくは、それ以前の何乗倍のスピードで進歩しています。できりだけ、1996年以降の情報、または最近の情報を得るようにしましょう。)

「この宇宙は二重構造になっており、われわれがよく知っている物理的な宇宙の背後 に、「もう一つの目に見えない宇宙」が存在します」というボームさんの仮 説は、あの世とこの世という発想からはそうですね。

しかし、あの世はどうも、もっといくつかに分けて考えた方がよいのかもしれません。
4〜7次元・・・という意味からですが。

それとも、一つに考えてよいのでしょうか?
私は分けた方が、理解がしやすいですが。
みなさんは、どう思うでしょうか?







天外伺朗さんの
「「あの世」は人間が死んでから行くところではなく、生きている人間の活動の大部 分は、実は「あの世」で営まれている」
は、改めて言われると、「そういう捉え方は、普段していないな」と思わされます。

確かに、意図でも、問いでも、原因の世界でも、集合無意識でも、波動でもなんでも、私たちはすでにこの世にいながらあの世でも生きていると考えた方が、 しっくりします。

天外伺朗さんがここで言っていることは、「自分の本質は、あの世にいるので・・・」ということであれば、若干捉え方は異なりますが、それでも、突詰めてい けば、同じことなのかもしれません。

どう考えていっても、結局、あの世とこの世で一つペアになっていると・・・。






「仏教の宇宙観と照らし合わせてみると、「明在系」が「色」、「暗在系」が「空」 に対応しています。」
は、これは、3次元が「色」、4〜7次元が「空」ということを表わしているのでしょうか?

森田健さんの著作によれば、「空」は5次元、「色」が4次元である、となっています。
これは、森田さんが中国の仙人に例の「いのちの世界」の図を見せたところ、「こうだ」と示された、ということだったと思いますが。



天外伺朗さんの、これに対しての最新の仮説を知りませんので、なんとも言えませんが、これは、仏教としての一般的な回答ということなのかもしれません。
・・・ちゃんと「仏教の宇宙観と・・・」とありますね。


森田さんの記述が道教のものであるとするなら、やはり、仏教と道教はずいぶん違うようです。

不思議研究所のサイトに、森田さんと中国人の占い師との対話で、確か、「仏教は肉体を捨てていくということを考えているが、道教は肉体を持ち続けていくこ とを考えてている・・・」というような占い師の仮説があったように思います。

仮にこの仮説が当たっていれば、仏教では、肉体のある状態と、ない状態の2つの状態を基本で考えている、ということのように感じられますので、天外伺朗さ んの言葉にあるように、大きく2つに分けて理解しているのかもしれません。
またどうしても、仏教では、神と人の間に大きな差があり、対等である、とは少なくとも、宣言してはいないように見受けられます。







それに対して、道教では、天神合一であり、神と人間=肉体のある状態、が対等であり、肉体がある状態、肉体を意識しなくてはならない状態を、劣っているも のとは考えていないように私には見受けられますので、「空」と「色」が全て4次元以上にあっても、差しさわりがないのかもしれません。

ただそれでも、5次元までがネットワークの中、であるなら、「空」も「色」もネットワークの中にはあるということが、どこか意味のあることのように感じま す。

その意味では、仏教のようにもしどうしても2つに宇宙を分けなくてはなたないのなら、3〜5次元、6〜7次元、と分けることの方が意味がある可能性もある かもしれません。








岡田多母さんが「愛しの地球(テラ)へ」(1996年:風雲舎)で書いていることによると、


アル:私の考え:創造主の上なのか?それとも創造主なのか?)

源=素示一光顕太祖(ソシイツコウラタイソ)=アルの結集された意思:(私 の考え:創造主か?

七次元
七地身一王之大御神(アメツチミヒトツオヲノオオミカミ)
母止津和太良世之大御神(モトツワタラセノオオミカミ)

六次元
底津岩根之大御神(ソコツイワネノオオミカミ)
根本ミロク之大御神

五次元
天照日之大御神(アマテラスヒノオオミカミ)
日之大御神(ヒノオオミカミ)
月之大御神(ツキノオオミカミ)

四次元
国常立大神(クニトコタチオオカミ):七十六神の総本

三次元:
ヒト(人類)


が、

『目覚めた国常立大神は、四次元神界の総合体としてではなく、統一体として 自らを覚悟し、バラバラになっていた四次元神界の七十六神を呼び集め、統一した』

『三次元の人類とともに、新たな時代を進ませていくことになった』
「岩戸開き」が見事に成し遂げられた


『四次元統一体・国常立大神と、三次元・人類の光輝く神人(カミヒト)が、このと きから神人(シンジン)連合事業として、未来の本来の見るべき世、創造の完全な世界「ミヨ」を具現化するために、天地の浄化を始めた


ことにより、1990年から

七次元
天地身二太神(アメツチミタイシン)
母止津流顕太神(モトツルラタイシン)

六次元
底一深根太神(ソコイツシンコンタイシン)
根本基母光和太神(コンポンモトモコウワタイシン)

五次元
天一素照光太神(アメハジメモトテラシコウタイシン):(日・月合体)

四次元
国常立大神(クニトコタチオオカミ):七十六神の総本


となって、「完結の時代」に向けて進み始めたそうです。 






ここでも、肉体のある状態とない状態を、ほとんど意識せず、全体の再構築がなされているような書き方がされています。
つまり肉体がある存在とない存在が一緒になって、なにかをやっていけるということですが。


何か、あまり具体的な説明はできませんが、それで、違和感がないように感じます。

理由になっていないかもしれませんが、7,6次元、5、4次元で、きちんと割り切れていてすっきりします。

むしろ、そうでなくては、高次元宇宙の成長という意味では、なめらかさを感じられなくなってしまうように感じます。

なぜなら、4次元以上ですら、段階があるにも関わらず、あちらでは肉体がない。
それに対して3次元は肉体がある。

曲線のグラフを描いたら、4次元のところで、急激に、何か、「ギュッ」と角度が変わってしまうような気がします。

折れ線グラフでも良いのですが、それでも、3次元と4次元の間の角度と、4と5、5と6、6と7の角度は、理路整然とした流れが感じられるものの方がしっ くりするような気もしますが、良く分かりません。




あるいは、「空」も「色」も、ある、と思ったところにあるのであって、その実体は、意識の中なのかもしれませんが・・・・・・
これは少し突拍子のない仮設かもしれません。














さて・・・・・・
エハンさんですが、船井幸雄オープンワールドで、10月9日に「フラクタル・タイムの謎」という主題で話してくれるようです。
船井ドットコムには、次のようにあります。

・・・その講演についての彼の案内 文には次ぎのように書かれています。

フラクタル・タイムの謎〜時間の暗 号を解明する人類〜
 いま、時間の経過スピードは加速していることを誰もが感じていて、現在の地球 において最大の問題となっているのではないでしょうか? そのことにともな い、大変なストレス状態がかかり、悪化の一途を辿っていることは、実は、進化しなければいけない人類への究極のギフトだったのです




『時間の経過スピードは加速していることを誰 もが感じていて、・・・』
と、書いています。

やはりここでも、時間が短くなった、ということが書かれています。


どういうことでしょうか?


私が感じている限りでは、1時間という3次元の時間があるわけですが・・・違う言い方をすれば、時計上の時間があるわけですが、
これが、例えば10年前の45分だか、30分だかと同じ程度の肉体的感知長さしかない、ということなのです。

60分のテープは、ちゃんと時計の60分間回り続きます。
カップヌードルは、ちゃんと時計の3分ないと、出来上がりません。

しかし、体感時間は、仮に10年前を基準とすれば、もっと短いのです。



高次元的にはどういったことが起きてるのでしょうか?

一種の瞬間移動に近ことが起きてるのかもしれません。
しかも望まずにですが。




時間と言うのは一種の波動だそうです。
波動とは周波数と波長だそうです。

2005年9月25日22時40分00秒という時間があります。
私はよく分かりませんが、これを周波数と考えれば良のかもしれません。
そして波長があるわけですが、きっと何らかの長さの波長があるのでしょう。

ラジオの選局で考えるのならば・・・・・・アナログ式のラジオを思い浮かべるならば、きっとあのプラスチック製の物差しのような周波数が書てあるところ に、
2005年9月25日22 時40分00秒というような数字が、ずらっと、書かれているのでしょうか。

きっとこの波動そのものには変化がなのだろうと思ます。
だから、60分テープは時計でもちゃんと60分時間がかかるのでしょう。
 
これが、何かに同期して、今まで一定のスピードで時間が経っていたのでしょうか。
その同期を取ってる何かのスピードが変化してるということが、体感時間が短くなってるということではないでしょうか。

アナログレコードを思浮かべてほいしのですが、アナログレコードプレーヤーは電子制御で一定の回転数を保ってます。
それは高級機では大変正確なものです。

モーターの正確さもさながら、ターンテーブルというレコードを載せる円盤の脇に、電子制御用のセンサーがつており、逐一回転速度を制御し続けてます。

ですので、ある曲の始まってから1分ジャストのところは、正確に1分ジャストの時間経過で再生するわけですが、この1分ジャストの箇所は言ってみれば、1 分という周波数、タイムコードが打ってあるわけです。

ですので、3次元全体がこのレコードであるなら、1分という箇所、波動は、どこにいようが1分ですが、時間が早くなっているということは、この電子制御の 一定であったスピードが速くなっている、ということに似ているのだろうと考えます。

33回転が45回転になった、というのと似てるということです。
しかしながら、レコードであれば、スピードが速くなると、音の周波数も高くなりますので、多くの人が、耳という肉体器官を通じて分かる分かります。
時間が短くなったことにより、それが音のように肉体器官によって感知されないとうことは、想像するに、その制御の大元によって、全ての3次元が同じよう に制御されてるからなのかもしれません。

その意味では、時間が早くなった、ということを感じているのは3次元にある器官ではないのかもしれません。
おそらくは、
アストラル体、エーテル体、メンタル体、コーザル体といったようなところなのかもしれません。
これらの器官(?)は肉体と一緒にいながら、高次元と肉体との架け橋的役割をになっているように感じます。






「あしたの世界」(船井幸雄、池田邦吉著:2004年3月発行)によれば、

(56ページより引用)

『魂のエネルギーにはおおむね四つの波動がある。アストラル体、エーテル体、メンタル 体、コーザル体である。
セスによると、アストラル体が物質化したものが人間の肉体であるという。しかもアストラル体はどれだけ短時間でも肉体を離れないと言うから、人間の死はア ストラル体の消滅を意味しているのだろう。幽体離脱はエーテル体、メンタル体、コーザル体が一時的に肉体を離れる現象を言うらしい。わが深宇宙探訪記上巻 の125〜6頁においてアーガス氏の説明するところによれば、

@エーテル体の場(=生命の場)は原子や分子、細胞や器官を支配している。
Aメンタル体の場は精神、心を生み出しだしている。
Bコーザル体の場はエーテル体とメンタル体の場を生み出している。

と書かれている。人間の肉体というのは、この三つのエネルギー体によって制御されてい る』


(以上)
ということです。


ひょっとしたら、この時間を制御しているものとは、その人、一人一人が持っている精神レベルの波動なのかもしれません。
そうだとすれば、自分を差し置いてなんですが、器官が速くなっている、と感じている人は精神レベルが上がっている証拠なのかもしれません。
だとすれば、嬉しいですが。



あるいは、地球という”生き物”が持っている波動なのかもしれません。
だとすれば、岡田多母さん式に言えば、地球が、どんどん、どんどん、精神のレベルを上げてきている証拠ということになるのかもしれません。



それで、何が起こるのだろうか?と考えれば、やはり、船井幸雄さん式に考えて、「宇宙の理」に反したものが、一切通用しなくなるようなことが、地球上に起 きるのではないかと想像されますが、みなさんは、どう考えるでしょうか?





時間の経過ス ピードは加速していることを誰もが感じていて、現在の地球において最大の問題となっているのではないでしょうか? そのことにともな い、大変なストレス状態がかかり、悪化の一途を辿って いることは、実は、進化しなければいけない人類への究極のギフトだったのです

の「大変なストレス状態」とは、ひょっとしたら、「今までのやり方が通用しない」ということなのかもしれません。
今までのやりかたとは、つまり、「地の理」ということなのですが、

船井幸雄さんのよれば、


1:複雑
世の中は複雑化している。学問、経済、生活などいろいろな分野が複雑で、分かりにくくなっている。

2:不調和:
環境問題こそ、不調和の最大のマイナス面である。

3:競争・搾取
資本主義経済の自由な競争のもと、他人を蹴落とし、さまざまな競争が行われている。

4:秘密:
大企業・団体などが、自分たちの利権・利益を守るため、事実を隠すことが行われている。

5:束縛:
信用できないから、法律で縛る、日本の中央官庁では、地方への補助金を増加し、自分の裁量権の維持・拡大で、地方を縛ろうとしている。

6:不公平:
資本主義によって、生まれた、貧富の格差を語っています。
23ページでは「(要約)アメリカでは、貧富の格差が拡大し、いまや全人口の1%のお金持ちがGDPの50%を独占している。またおよそ3400万人が貧 困層に属している」としています。

7:分離:
現代科学は、細分化により発展したが、「木を見て森を見ず」のように、大きな間違いが見逃されている可能性がある。
医学では、専門分野ごとに細分化しすぎ、全体を見るという医学の原点が忘れられている。
瞬時に全体を把握したりする「右脳的判断」がないがしろにされている。

8:デジタル:
2進法の「イエス」、「ノー」的判断基準により、中間・少数派がないがしろにされている。
都会のギスギスによって生じる「ストレス」はこのデジタルが大きな要因である。
「イエス」、「ノー」の間にこそ、世の中の心理がある。

9:ムダ・ムラ・ムリ・が多い:
エゴ中心システムの宿命。「ムダ・ムラ・ムリ」のコストが、人類の経済活動を阻害している。

10:短所是正:
欠点に手をつけるとうまくいかない。短所是正はむつかしく、こだわっていると、前に進めない。
代表はリストラであり、一時的に経営は良くなるが、社員のやる気がなくなり、会社は衰退する。



です。



1:複雑 2:不調和 3:競争・搾取 4: 秘密 5:束縛 6:不公平 7:分離 8: デジタル 9:ムダ・ムラ・ムリ・が多い 10:短所是正
が通用しなくなっている、ことを社会面で見てみれば、


1:複雑・・・・・・
今回の衆議院選挙などは、そうなのかもしれません。
自分の考えを述べて、それが評価されない結果として選挙区で落選した人が、比例区で蘇るような複雑なシステム・・・
これがうまく機能しないがために、全体の投票数を正しく反映されないような当選結果となる。


これは、自民党にとっては良い結果だったようですが、当選者数が投票数の割合と異なってしまったことが、これからどのようなことを生んでいくのかは、まだ 分かりません。



2:不調和・・・・・・
これは、今正に、自然災害という形で世界中に起こっていますね。



3:競争・搾取・・・・・・
これは、資本主義の宿命である新しい市場、畑を求めて、イラクを強引に占領しようと アメリカが、それを成し遂げようとするがために、国内の安全が守れなくなった、ということなどがそうなのかもしれません。



4:秘密・・・・・・
これは、三菱自動車などの問題がそうなのでしょう。
JR西日本もそうかもしれません。
インターネットの発達は、これに拍車をかけているようです。



5:束縛・・・・・
これは、日本のプロ野球選手が自由に大リーグへ行ける様 になった事などがそうなのでしょうか?


6:不公平・・・・・・
日本の現状はアメリカに近づこうとしています。
これは、しばらく続くと言うことでしょうか?


7:分離・・・・・・
これは、縦割りが強かったり、横のつながりの無い関連会社を持つコングロマリッ ト的企業の業績が悪いことなどがそうなのかもしれません。



8: デジタル・・・・・・
これは、今回の選挙がそうでした。



9:ムダ・ムラ・ムリ・が多い・・・・・・
石油高による梱包材にかかる費用問題などが、きっとそうなのでしょう。
他にも、石油高により、石油以外のエネルギーが取りざたされることが増えたのも、関係しているかもしれません。

賃貸住宅も、敷金・礼金0というようなことを企業レベルでやっているところなどが表れています。


 



10:短所是正・・・・・・
解雇によるリストラをして、業績が良くなっている企業は、まだまだ増えているよ うですし、これからもそれをやろうとしている企業がたくさんあるようですので、なんとも言えませんが、10代の女子ゴルフプロの増加などは、これまでの” 生きる”パターンとは変わってきているのを感じます。




以上、こういうことがひょっとしたら通じなくなってくる 割合が増え、最終的にはまったく通用しなくなるのかもしれません。
もうすでに流れはそうなっている可能性もあります。

そして、それに気づかず、以前のやりかた「地の理」を続けて、「通用しないのは、自分の努力が足りないのだ」思っている人には、強いストレスがかかってい る、という可能性はあるかもしれません。


その意味では「宇宙の理」をやっていて、結果がでないのは、本当に「努力が足りない」のかもしれません(笑)。
それとも、まだ時期が来ていないだけかもしれませんが。




ちなみに、船井幸雄さんの「天の理」、「宇宙の理」は、何度も書いていますが、下記の通りです。


1:単純:
物事が明快・シンプルで誰にでも良く分かる。人類が抱えている余計なストレスを感じることがなくなり、全ての人が納得して生きていけるようになる。

2:調和:
周囲のものや、自然と調和して生きていく。環境汚染、人と争うことがなくなる。差別がなくなり、思いやりの気持ちの大切さがわかるようになる。

3:共生(協調):
競争・対立する価値観がなくなり、平和に暮らせる。人を出し抜く、追い落とす、良心に反することをしてまで、競争に勝とうとしなくなる。

4:開けっ放し:
秘密がなくなり、情報独占による利権・利益を守る必要なくなる。
知識共有により、技術が飛躍的に発展する。

5:自由:
「地球の理」では、際限のないエゴを抑えるため、束縛が必要。「宇宙の理」では束縛必要なし。
本当に自由な世界では、人のさまざまな能力が発揮される。

6:公平:
特権階級の搾取なし。誰もが豊かな生活をする。本当に能力のある人、がんばった人が評価される。不要なストレスなく、病気がなくなる。

7:融合:
バラバラだったものが、融合し、本来の目的のため機能する。縦割り行政、セクショナリズムなどなくなる。学問とビジネスの壁もなくなる。全体的に捉えるよ うになる。

8:アナログ:
有機的・連続的に捉え、全体として判断する。
欠点よりもそれを上回る長所があれば、結果だけでなく過程も評価する。
多数決のような横暴はなくなり、少数派を大切にする。
本当は例外、少数派こそ大切である。

9:効率的:
「ムダ・ムラ・ムリ」がなくなり、必要のないものが、はっきりする。対立もなくスムーズに物事が運ぶ。
IT化が「ムダ・ムラ・ムリ」を解消し、中間コスト削減で物価が安くなる、としています。
※違うページでは、デフレは、中国などの経済参入で止まらない、として、資本主義には大打撃を与えるが、資本主義の限界を示す現象のひとつである、と説明 しています。

10:長所進展:
いいところを伸ばし、生成発展する。苦手・嫌いなことはする必要はほとんどなし。
得意・好きなことの追求で、発展していく。
長所を伸ばすことにより、短所を気にする必要なくなる。



(以上)




さて・・・・・・
宗教を考えると、私の知っている限り、多くの宗教は、創造主の下に、偉い神がいて、そして、教組がいて、各地に支部があり・・・という ような形式を取っているところが多いようです。

そして、多くの宗教が、やはり対等ではなく、当然、人は神の下であり、人も、お布施の量や、在籍年数、信徒の勧誘人数、などなどによって、対等でなくなる ようになっているようです。


そして、現世利益を教義に従ったかどうかで、量が違ってくる、としているところもあれば、天国に行くか、地獄に行くかも、教義に従った率によって違ってく る、としているところが多いようです。



私が思うに、これは、やはり「地の理」による3次元的見地からの制度ではないか?と感じてしまいます。


どうやら、天国にいくか地獄に行くかは、高次元の有様の概要を知っていれば、だれでも行けるようですし、道教的な「神と人は対等」という概念を知っている 人もまた、自動的に天国へいけるようです。


現世利益もどうやら、決まっているところは生まれる前から決まっているようですし、「宇宙の理」にそった願い・・・つきつめて行けば、「神と人間は対等で ある」が分かっていれば、おのずとその願望は叶ってくる、というのがどうも事実のような気がします。




「宇宙の理」にそった願い・・・つきつめて行けば、「神と人間は対等である」、ですが、実はこれは仮説ですが、どうも現状、つきつめて考えていくと、ここ に行き着くのではないかという仮説を感じています。


神と人間が対等なら、当然、人と人も対等です。
セクショナリズムも全てのセクションが対等ならなくなりそうな気がします。

競争も、人と人、国と国などが対等ならなくなりそうな気がします。


逆に言えば、神と人が対等だ、という概念がないと、どうしても、「宇宙の理」に行きつかないように思えてしまうのです。






神と人が対等でないとしても、人と人は対等です。
しかし多くの人は、それを嫌がります。

確かに、無差別殺人犯と、自分を対等とは思いたくありません。
ある意味対等ではないとも思えます。


対等だけれども、対等ではない、今の私にはこれがしっくりきます。

一応、生成発展中のつもりですが(笑)。






私はなぜ、人が対等でない現実が3次元にあるのかと考えると、それは「時間」というものがあるからではないかと思います。

精神レベルを筆頭に、いろんなものにレベルがあります。
収入、財産、能力、運、容姿・・・・・・

しかし、もし時間という概念が3次元になかったのなら、どうなるでしょうか?


AさんとBさんがいて、仮に同い年だとします。

Aさんは、努力家であり、能力があります。
運もあり、生まれつき資産家です。

Bさんは、のんびりやです。
進歩はするのですが、スピードがものすごく遅いです。
運は生きているのですからあるのですが、別に資産家ではありません。



多くの人は、AさんをBさんより上の存在として扱うでしょう。

しかしもし、時間と言う概念がなかったら、どうなるでしょうか?





Aさんは資産家ですが、これから先、終わりはないのです。
何億万年も生き続けるのです。


そうなった時、資産家であることは、どれだけの意味を持つでしょう?
自分の子供に資産を残す、と言っても、自分が死なないのです。

100年、資産を持ち続けることはできるかもしれませんが、1000年持ち続けることが出来るかどうかは、まったく分かりません。


努力家ですので、何でも人より早く習得してしますますが、それも、人生が7,80年だから意味があるように思います。
もし、永遠に続くのなら、そうでなくとも、1000億年生きるのなら、他の人が10年かかることを3年で習得することにどのような意味があるでしょうか?




Bさんは生まれた時には資産家ではありませんでしたが、ひょっとしたら、50年先は分かるとしても、1億年先は、まったく分かりません。

何かを習得するにしても、Bさんは他の人より時間はかかりますが、これから1億年生きることを考えれば、他人が1年でできることを、10年かかったとして も、どれほどの意味があるでしょうか?


容姿だって、1億年のスパーンで考えれば、いつ流行の顔つきが変わるか分かりません。

誤解はあるかもしれませんが、私の知り合いに、太っていて、今の日本で言えば美人ではない顔の人がいましたが、彼女が言うのは、「ある国の人とすれ違う と、必ず声をかけられる」、ということです。


先だっては、すごくやせている女の子が、電車の中で、おばあさんに席を譲られた、という話を聞きました。
せいぜい5,60年前には、「病気」の状態が、ひょっとしたら、今たまたま、「やせてて綺麗」と言われているだけなのかもしれません。





良く分かりませんが、「時間」という概念と、「人の平等」、「神と人は対等」ということの、3つは、とても関係のある事柄のように感じてしまいます。





よく年とともに、時間が短くなっていく、とは、昔から聞きます。
これは、年とともに、精神レベルが上がっていく人が多いから、だと仮定すれば、ひょっとすると、次元の上昇につれ、精神レベルの進歩が、従来より早くなっ ている人が急速に増えていることが、

時間の経過ス ピードは加速していることを誰もが感じていて、現在の地球において最大の問題となっているのではないでしょうか? そのことにともな い、大変なストレス状態がかかり、悪化の一途を辿って いることは、実は、進化しなければいけない人類への究極のギフトだったのです



これの意味するところなのかもしれません。




時間を大事にする人、というのは、「時間が平均的な人より、異常に短く感じるから」からかもしれません。

船井幸雄さんは、よく、「時間を大切にしよう」と言いますし、そうしているようですね。


ただ、時間が短くなったとは言いません。
思うに、今の次元とは関係なく、変化がおきる以前から、精神レベルが高かったのではないでしょうか?

そして、今程度の変化では、影響を受けないほどに、すでに精神レベルが高くなっているのかもしれません。
その意味では、時間が早くなった、と言っていない人は、もうすでに、精神レベルが相当高いレベルに達している人である可能性もありますね。
もちろん、逆に、時間の変化に気づくほど、精神レベルが高くなっていない、という可能性もありますが。


ただし仮説です。
まして、自分自身が、「時間が短くなっている」と言っている張本人の一人ですので、簡単に、精神レベルが高いとか、そうでないとか、言うのは、慎重でなく てはならないでしょう。


ただ、どうしても、考えていくと、上記のような仮説が浮かんできてしまいます。

みなさんは、どう思うでしょうか?

私はどちらでも、構いません。
間違っていたら、正しい方向へ直せば良いだけですので。
ただ知りたいのは、真実だけです。


もちろん、自分が考えた仮説が正しければ嬉しいですし、喜ぼうとは思いますが。
もっとも、本当に私が考えたのかどうかについては、正確に言うならば、そうではなく、ネットワークの賜物かもしれませんし、そう考える運命だったのかもし れません。


もちろん3次元的には、正しかろうが正しくなかろが、私が考えたのですが・・・。






前後しますが、時間がなければ、そのような上下は関係ない、という話ですが・・・
精神レベルでもそうなのだろう、と考えます。
しかし、もし、アセンションと呼ばれているものが、この精神レベルの上下に大きく関係しており、また、良 く言われるように精神レベルが著しく低い人は、「消えてなくなってしまう」ということが本当ならば、「精神レベル」とは、相当単純なものである可能性もあ るかもしれません。


たとえば、「神と人は対等であると思っているか、どうか?」とか、そういうことですが。






そこで考えるのは、エハンさんのキネオロジー・テストの結果ですが、



いまの地球人の平均は203、
日本人の平均は620、

ブッシュ政権は90、
小泉政権は410、

故人では、アインシュタインは497、
デヴィッ ド・ボームが502、
マザーテレサ720、

また仏教930、
神道950

を見ると、何かすごく単純な一つの事柄が、大きな得点(?)となっているように感じてしまいます。

日本人の平均が620で、それでいて、ボームが502である・・・。

日本人の多くが潜在意識レベルででも知っていて、ボームが知らないことはなんでしょうか?
私はボームさんについて詳しくは知りませんが、推測すれば、「輪廻転生」と いう一言が、大きいのかもしれません。

ボームさんが西洋人であること、を考えると、どうもこれくらいしか今は思い浮かびません。
彼が、高次元についてある程度以上、詳しい人である、ということを念頭においたとしても。

人は何度も生まれ変わる、この一つの事実さえ知っていれば、もしアセンションというものが進行中であるとしても、人は消えてなくならないのかもしれませ ん。




そして、「輪廻転生」ということを知れば知るほど、体感時間が短くなっていたりするのかもしれません。

そう思うと思い当たることもあります。

実際はどうだか、分かりませんが。


みなさんは、「人は生まれ変わる」ということを、信じているでしょうか?

もし信じているのなら、それから何か変わったことはないでしょうか?





すごく長かったですが・・・・・・・・・・・



今、確認しました(笑)。
ポール・マッカートニーでした。




1〜20   21〜40   41〜60   61〜80   81〜100   101〜120   121〜140   141〜160   161〜180 181〜200      
201〜220   221〜230
231〜240
  241〜260   261〜280   281〜300                        
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