理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。 |
1〜20 | 21〜40 | 41〜60 | 61〜80 | 81〜100 | 101〜120 | 121〜131 (132〜140はこちら) |
141〜160 | 161〜180 | 181〜200 | |||||||||||
201〜220 | 221〜240 | 241〜260 | 261〜280 | 281〜300 |
クリスマスアルバムのコーナー |
121:SENTIMENTAL JOURNEY, RINGO STARR | ||||||||||||||
1970年発売のリンゴ・スターのスタンダード集です。
このアルバムは好きです。ほのぼのとしています。 |
ライナーから面白いところだけを取り上げてみます。
4曲目の「バイバイ・ブラックバード」のアレンジを、ビージーズのモーリス・ギブが行っているようです。
映画「サタディナイト・フィーヴァー」の前ですので、まだ、おとなしいものを中心に演奏している頃のビージーズです。
5曲目「アイム・ア・フール・トウ・ケア」では、ベーシストのクラウス・フォアマンがアレンジを担当しています。
6曲目「スターダスト」では、『クレジットではアレンジはポールとなっているが、実際はジョージ・マーティンである』と書いてあります。
7曲目「Blue Turning Grey over You 」は、オリバー・ネルソンがアレンジ担当です。
8曲目「慕情」は、クインシー・ジョーンズのアレンジです。
9曲目「ドリーム」は、ジョージ・マーティンのアレンジとなっています。
3:Whispering Grass 、7:Blue Turning Grey
over You 、10:You
Always Hurt the One You Love 、
12:Let the Rest of the World Go By は、私は良く知らない曲です。7:Blue
Turning Grey over You も作曲は、ファッツ・ウォーラーだとライナーに書いてあります。
上記4曲以外はスタンダードナンバーですので、多くの方がレコーディングしています。
きっと上記4曲以外はシナトラで全部揃えようと思ったら、揃うのではないでしょうか。
ライナーはビートルズ・シネ・クラブの方が書いているようです。
きっと、この手の作品はあまり得意ではなっかたでしょうから、大変だったと思います。基本的にレコーディングデーター、曲の簡単な紹介の掲載に留めているようです。
面白いので、スタンダード系も好きで、ビートルズファンの私が書いたらどうなるかをやってみたいと思います。
1. Sentimental Journey
レスブラウン楽団出身で、「ケ・セラ・セラ」で有名なドリス・ディの名前を世に知らしめたヒットナンバーです。
ブルージーに演奏されることが多い曲ですが、ここではクラリネットやカントリータッチのピアノが効果的に使われたほのぼのとしたアレンジになっています。
Bメロでは、ロックンロールリフのようなサックスのソリが施されるなど、いわゆるスタンダード歌手のレコードではあまり聴かれない新鮮な解釈がされているようです。
2. Night and Day
カウントベイシーを思わせるようなビッグバンドアレンジで演奏されます。
間奏では、フランク・フォスターばりの元気なサックスソロが聴かれます。
リンゴの鼻にかかったような歌声はシナトラを思わせる瞬間もあり、このコールポーターの名曲に大変マッチしているようです。
3. Whispering Grass
ストリングスオーケストラが非常に効果的なアレンジです。
ベースの音色がやはり、通常のスタンダードものとはどこか違ったものになっています。ここらへんは、ドラマーとしてリズム隊の一員であるリンゴのこだわりがあるのかもしれません。
4. Bye Bye Blackbird
マイルス・デイビスなどの演奏でジャズ界では有名なナンバーです。しばしばジャムセッションの題材としても扱われる曲でもあります。
ここでは、ミュージカルの挿入曲を思わせるような楽しい仕上がりになっています。
ブラスアレンジが、どこか「5匹の子豚とチャールストン」を思わせるフレーズを奏でているのが、この曲にかわいらしさを加えているようです。
5. I'm a Fool to Care
ドラムのバスドラの音まで鮮明に聞こえます。このアルバムではリンゴが叩いているわけではありませんが、やはりドラマーとしてのリンゴのこだわりでしょうか?通常スタンダードものでは、バスドラの音まではなかなか聴こえません。基本的にジャズのバスドラムはロックのものより、径が小さいものを使用します。
リンゴのボーカルはダブルトラック処理がされています。ビートルズぽさを出そうとしたわけではないでしょうが、ビートルズの一員だからこそのアイディアとも言えるでしょう。
6. Stardust
ナッキン・コール、Vibのライオネル・ハンプトンの名演で有名なホギーカーマイケル作のスタンダードナンバーです。
アメリカ人の一番好きな曲のアンケートで一位になったことのある曲でもあります。カバーの数も世界一ではないでしょうか?
有名なバースの部分は省かれ、Aメロから歌い始められています。
ここでもやはりドラムの録音が通常のスタンダードものとは違っています。音の質感を失わないように丁寧に処理されているようです。
7. Blue Turning Grey over You
印象的なピアノリフが先頭に施されています。2コーラス目からは、通常のビッグバンドジャズのパターンとなります。
ここでもリンゴの鼻にかかった声がシナトラを連想させます。スタンダードものに合った声質と言って良いのかもしれません。曲の最後に、リンゴのつぶやき声が聞かれますが、このちょっとしたいたずらが、ビートルズぽさを感じさせます。アルバム「レット・イト・ビー」を意識したものかどうかは分かりません。
8. Love Is a Many Splendored Thing
香港を舞台にした名映画「慕情」のテーマソングです。
ラテンパーカッションを使用してのリズムは、新鮮さを感じさせます。
ベースは、エレクトリックベースでピックを使用して弾かれているようです。60年代半ばにムードミュージックでは、従来のウッドベースに対して、このピックベースを効果的に使用したアレンジが流行ったことがありました。
ビートルズとも関係のあるトランペットのベルト・ケンプフェルトの演奏などには、それは多く見受けられます。
それへのオマージュかどうかは分かりません。スタンダード的立場から見ると、リズム全般に、どこか「ロック的」なものを感じます。
9. Dream
チャプリンの映画ソングです。ダブルトラック処理されたボーカルが、曲の持つ気だるい雰囲気を、さらに強めています。
通常スローで演奏される機会の多い曲ですが、ここではミディアムテンポで演奏されています。
通常のスローで演奏されたものは、どこかホワイトアルバムの「グッドナイト」を思わせるようなところがあります。あえて、テンポを上げてそうしなかったのかどうかは、分かりません。
10. You Always Hurt the One You Love
ポールのアルバム「Thrillington」を思わせるアレンジです。きっとエレクトリックベースと、ドラムのリズム感、前奏のピアノのフレーズがそうさせているのでしょう。
4ビートではありますが、ドラムののりかたが、ジャズのそれとはどこか異なっています。
11.Have I Told You Lately That I Love You
16ビートのようなアレンジがなされています。曲自体がジャズというよりも、’60Sものですので、こういったアレンジの方が無理がなく良いとも考えられます。
小鳥の声なども挿入されており、ちょっとしたノベルティソングのような趣もある演奏です。
12. Let the Rest of the World Go By
3拍子の演奏を最後に持ってくるということは、おそらくLAST
Waltzの意味合いを持っての粋な趣向でしょう。
ソロではなく、コーラスとの合唱による出だしは、レイコニフシンガーズを思わせます。
ストリングスの美しさを前面に出したアレンジと曲調があいまって、ホリディソングのような色合いを持った仕上がりになっています。
このアルバムの持つむつかしい意味については、ビートルズ評論家の方々が散々行っていますので、ここではしません。
私の解釈としては、きっとむつかしいことなんか考えておらず、「好きな曲」を「楽しく演奏」してみただけなんだと思います。
リンゴは、基本的には作曲もしませんし、ドラムが2人バンドにいるわけでもありませんので、競争をする必要がありません。それはきっと、良いことに違いないと思います。
以上でした。
122:UNFOEGETABLE WITH LOVE NATALIRE COLE | ||||||||||||||||||||||
ナッキングコールとのデュエットで有名な「アンフォアゲッタブル」です。 1991年の作品です。もうそんなに経ってしまったのかと言うことが、俄(にわ)かには信じがたいです。 上記リンゴのものと比べると、やはりどこか落ち着きます。一番の理由はやはりドラムにあるようです。 リンゴの作品はそれで好きではありますが、スタンダードものを聴くという態度で聴くのなら、こちらのほうが聴きやすいです。 リンゴのものは、リンゴの作品を聴く、という態度で望んだ方がしっくりくるようです。 曲目は、超スタンダード大会というか、ナッキングコール大会です。 20曲も入っています。 |
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「アンフォアゲッタブル」は、ナッキングコールの歌声をデジタル処理して、それに新しい演奏、ナタリーの声をオーバーダビングして、作られたものです。
ナッキングコールの録音はおそらくマルチではなく、一発録りだと想像されます。つまり美空ひばりさんのように、いっせのせい、でライブ演奏のようにバック演奏と歌を一度に録音するということです。
もしナッキングコールのものがマルチ録音で歌のトラックだけ別になっていれば、作業自体はそれほど大変なものではないと思います。
全ての演奏が一緒になっているものから、周波数を頼りにうまい具合にできるだけ歌の部分を取り出し、ノイズなどは取り除き、その音をマルチレコーダーの1なら1トラックに落とし、その他のトラックに新たな演奏を録音し、最後にナタリーの歌を録音すると言う作業をしたのだと思います。
この作業は、ビートルズの「Free as a bird」や「Real Love」で、ジョンの残っていたテープにほどこしたものと同じことです。
通常、マルチ録音するには、テンポの基準になるものを録音するなりしますが、ここでは、ナッキンコールの声と少し残ったドラムの音などがそれにあたったのでしょうか?なかなかむつかしいものだと思います。
はじめの演奏に、ドンカマと呼ばれるような全体のスピードの基準となるものなしで後から大事な部分をオーバーダビングするというのは、なかなか大変なことだと思います。
サイモン&ガーファンクルのエレキギター入りの「サウンド・オブ・サイレンス」や、チャック・ベリーのベースの音が大きいバージョンの「ロックンロール・ミュージック」などは、どう聴いても、どこかずれている印象を受けてしまいます。それはそれで、楽しいものなので良いのですが。
マルチ録音が一般的になる前の、重ね録りの大家と言えば、レス・ポールやフィル・スペクターでしょうか?
フィルは後の影響が強い人ですので、やはり多くの方が語っています。詳細はそういったサイトにお任せするとして、とにかくたくさん音がほしいので、一度のセッションに、ピアノ数台、ギター数台、......と大変なレコーディングをやって、あの「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる分厚い音を作っていったそうです。
レス・ポールは重ね録も有名ですし、テープ操作によるサウンド作りでも有名です。また、ギターを考案したりといろいろなことをやってる人です。チェット・アトキンスも各種エフェクターを開発したりしていますが、ギター弾きの方は、そういう機械ものが好きなのかもしれませんね。2人の共演アルバムもあります。
さて、ライナーによりますと、オリジナルの「アンフォアゲッタブル」は1951年の録音だそうです。
ほぼ間違いなく、一発録りだと思います。作曲もアーヴィン・ゴードンによって51年となっていますので、彼のために書き下ろされた曲なのでしょう。
その共演盤「アンフォアゲッタブル」を聴いてみますと、実にすばらしいです。2人のタイミングがぴったりです。どこもずれていません。見事としか言いようがありません。
ステージでは、同様ナッキンコールの映像が流れ、それにあわせて、デュエットしていたようです。そんなVTRをテレビ見ました。
「ルート66」のピアノソロは、Ike Coleとなっています。きっと血縁の方でしょう。
ナッキンコールトリオに在籍していたギターのジョン・コリンズも参加しています。そのほかには、ピアノのジョー・サンプル、モンティ・アレキサンダー、ベースのレイ・ブラウンらが参加しています。
プロデュースがデヴィット・フォスターら3人、アレンジはミッショエル・ルグランら6人もの人が関わっています。
「スターダスト」が入っていませんが、これはナタリーの次のアルバムタイトルになり、そちらで演奏されています。
所有してますので、また機会を持って紹介します。
ナタリーについては、やはり、OFF THE RECORDにインタビューが出ています。このアルバムが発売される前のものだと思います。紹介します。
『...........ハリー(ハリー・ベラフォンテ)は良く家のプールで泳いでました。カウント・ベイシー、パール・ベイリー、エラ・フイッツジェラルドとか。家に昼食に来たり、父とゴルフをしたり、あるいはこっちから、その人たちの家に行ったりして。
みんな親戚のおばさん、おじさんみたいなものでした。
知り合いの子供もそうで。ダニー・トーマスの子供、ボブ・ホープの姪、フィリス・ディラーの息子、ウオルト・デズニーの孫とか。みんなお互いに変なやつだと見合ってましたね。それぞれ違った生活してたんで。.............』
『父はキャピトルでレコード出してて、キャピトルにはビートルズがいたから、ある日、「ねぇ、ビートルズのアルバム一枚もらってきて」って頼んだら、父はすごく慌ててしまったけど、アルバムを持って帰ってきてくれましてね。........』
楽しいことばかりではない内容のインタビューですが、音楽ファンに興味があるような部分を取り出してみました。
ちなみにナッキンコールはピアノの名手です。中期までは、ピアノトリオでの弾き語りをしていました。
オスカーピーターソンに似ていると良く評されているようです。私もピアノを弾いているアルバムを所有していますが、特にそう感じたことはありません。
またオスカー・ピ−ターソンもボーカルアルバムを出していますが、その歌声はナッキンコールに似ているそうです。
しかし、私は聞いたことがありませんので、コメントできません。With Respect to Nat :Oscar Peterson
もちろん2人は友人だったそうです。
このアルバムを好きな理由は、聴いていて楽しいからですが、もう少ししっかり聞いて見ますと、実に丁寧に作られている印象があります。それが好きを生んでいるのかもしれません。
私の知っている限りで、新録で20曲入っていて、3人プロデュースがついて、6人も一流アレンジャーが関わっているようなアルバムはありません。
録音も最高です。
このジャンルもはっきり言えば、もうこれ以上発展はしないところまで上り詰めています。しかも、1960年前後にすでにそういう状態だったと思います。
しかしそういうジャンルであっても、やる人が、それに新鮮さを感じられるのであれば、どうも良いものができるようです。
ナタリーはご存知の通り、元々、ソウル、ブラック・コンテンポラリー系統のシンガーです。
私の知っている限りでは、このアルバムが、ジャズ・スタンダードものの最初ではないかと思います。
そして、ナッキン・コールが後世に与えた影響でしょうか、一流のメンバーが参加しています。
もちろん忘れてはならないのは、デジタル機材の発達です。
こういった好条件さえ整えば、新しいものが無くとも、良い物はできるようですね。
そしてその基本にあるのは、新しくなくとも、関わる人がそれを「好き」であり、「得意」であるということなのでしょうが。
しかし、この好条件は何がそうさせたのでしょうか?
デジタル機材が発達し、ナタリーがスタンダードへ移行する準備が整っていて、......。
しかも、同じ「好き」を共有する人が一堂に会して...。
123:LOVE LETTERS, Julie London | ||
ジュリーロンドンのベストです。1926年生まれだそうです。 彼女はもともと女優です。 私は「Cry me a river」が大好きです。ギタートリオで伴奏されるマイナーの曲です。1955年のデビューアルバム「Julie
Is Her Name, Vols. 1」収録の曲です。 1では、ギター:バーニー・ケッセルとベース:レイ・レザーウッド、58年録音の2ではギター:ハワード・ロバーツ、ベースレッド・ミッチェルということです。 |
もう1曲「You and Night and Music」も好きなのですが、ここには入っていません。オリジナルは「Wild Cool &
Swingin 」に収録されています。
Amazonのレコード評を読んでいますと、「lounge
singer 」という表現が出てきます。カクテルラウンジで歌う歌手ということなのでしょう。これは良い表現ですので、これから使うことにします。
彼女の低い歌声は、ポピュラーというより、どこかジャズ的です。しかし、決して、ジャズジャズしていない歌い方です。
ここらへんが彼女の人気の秘密でしょう。ジャズでなく、ジャズっぽい、まさに、ラウンジシンガーですね。
124:THE LOOK OF LOVE, DIANA KRALL Limited Edition |
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ダイアナ・クラールです。 少し前、あのエルヴィス・コステロと結婚した彼女です。 コステロはニューウェーブの申し子としてデビューしたロックシンガーでしたが、まさか、ジャズ歌手の彼女と結婚するとは思いませんでした。 ただ、正反対の音楽に見えますが、どちらも世間から見れば主流ではないことをやっていた、やっている、という意味では、根底でどこか同じものがあるとも言えると思います。 政木和三さんは、結婚相手について面白いことを言っています。 もともと地球上では、陰と陽の生命体は2つで一組であったあらしいのです。 |
また、「友達のように仲の良い同士」の結婚は実はあまり良くないということです。
それは、その生命体同士は、前世でも友達同士の生命体であり、同じ傾向を持った生命体であり、友達としてはふさわしいが、結婚相手としては、ふさわしくない、ということです。ですので、すぐに別かれてしまうことが多いそうです。
陰陽同士もともと1組であった生命体は、正反対の性質を持っているそうです。
政木さんによれば、陰陽それぞれの生命体は、いくつかに別れてこの世に出てくることもあるようです。
(陽なら、それが2つに分かれて、2人の人間ができるということ)
ですので、ほとんど同じような一生を送る人が複数同じ時期にいることもあるようです。
そうすると、相手が間違って、他のだれかと結婚していても、もう一人ぐらいいるかもしれませんね。
ところで、生命体自体にも陰陽があるそうです(政木さんは男の生命体、女の生命体と言っています)。
通常、人間では、男が陽、女が陰ということですが、それは、現世での姿の話しであって、そこに入っている生命体自体に、また陰陽(男女)があるということなのです。
つまり、陽の生命体であって、この世では女性である場合もあれば、男性である場合もある、またその逆もそれぞれある、ということです。
そして政木さんによれば、「生命体として女性である場合」の方が、上位であるようです。
また、政木さんのフーチーパターンによれば、まん丸のパターンが、良い生命体パターンのようです。
まん丸の生命体とは、女性的で優しい生命体のことだそうです。
そして、男性的な生命体とは、基本的にはエゴの強いパターンを示すそうです。
ただ、第一生命体と第二生命体が人にはあるようで、第一とは、生まれた時に一緒に来たものなので、つまり自分のことだと思います。
第二生命体とは、9歳から11歳くらいに、肉体にやってきて、人間性を形成する、と言うことです。これは、精神レベルが上がると入れ替わるようです。
いずれにしても、政木さんの書いていることを総合すると、自分自身のこと、あるいは上の結婚で語られていることは、この第一生命体のことのようです。
と、ダイアナ・クラール検索でヒットして、ここを見られた方には、興味がない話しかもしれない内容でしたが、この話しはとりあえず、ここまでです。
さて、このアルバムですが、限定盤となっています。 CD2がCD−Rになっていて、映像付です。 「Look of love」のビデオクリップと、「I love being here with you」のライブ映像です。 しかし、このCD−Rは、どうもPCでないと再生できないようです。 自宅DVDプレーヤーは、ビデオCDから、スーパーオーディオCDまで再生できるのですが、かかりません。 盤自体は一体どんなフォーマットで収まっているのでしょうか? |
エクスプローラーで覗いてみますと、映像ファイルはmpegになっています。拡張子だけでは、1か2かは分かりません。きっと2でしょう。
試しに、mpegファイルをCD−Rからハードディスクにコピーして、CD−Rを抜いてから再生してみました。
ちゃんと再生できます。
家にはDVD-Rがないので、CD−RにビデオCDフォーマットで収録し直すしか方法はありません。
しかし少し画質が悪いのでしません。DVD-Rを買ったらやってみたいと思います。
CD1にも、日本盤のみのボーナストラック入っています。曲目を参照してください。
さて彼女ですが、ジュリーロンドンと同様、低い声です。ジャズ向きです。
しかし、ジュリーよりも、声の中の高域成分が少ないようで、少し輪郭が薄い印象があります。
良く聴くと、コステロの声に似ていないこともありません。
が、どうも、考えすぎかもしれません。第一印象でそう思わないのなら、こういう細かいところの場合、それは、考えすぎということである可能性が高いようにも思います。
彼女は、ピアニストでもあります。基本的に、ベース、ドラム、ギターを加えたピアノの弾き語りです。なかなかの腕前です。 FLY Gloval Music Culture によれば、2000年8月に書かれた記事で、32歳となっていますので、読み間違えがなければ、1968年生まれということだと思います。 カナダ出身です。※Celebrity Linkには、1964年11月16日生まれとなっています.。 彼女が好きなのは、おそらく、この手の音楽をやっている中では「若い」からだと思います。 |
私の記憶の中でも、自分より年下あるいは同年代で、この手の音楽をやっているアーティストを聞いていると言う経験はありません。もちろん自分が年を経たということも関係ありますが。 今思うと、20代のころの阿川泰子さんが、中年に人気があったということも、良く分かります。 阿川さんも、ジュリー同様、女優出身です。 |
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↑阿川泰子さん |
さて、ここでも「Look of Love」が登場しています。どうもこの曲が好きなようです。あるいは縁があるのかもしれません。
演奏自体は極めて普通です。彼女の声以外にはこれと言った特色はありません。あえてあげるなら、ギターが基本セットにいますので、そこらへんでしょうか。なかなか良いギタリストだと思います。ラッセル・マローンという人です。
ギターの最新事情にはうといですので、この人の詳細は良く分かりません。なぜか、今調べる気になりません。
それでも、日本のアマゾンで検索をしてみました。すると、やはりダイアナがらみばかりのようですので、彼女との活動が主なものなのでしょう。
ちなみに検索して分かったのですが、彼女は「オール・フォー・ユー〜ナット・キング・コール・トリオに捧ぐ」 というナッキンコール・トリビュート・アルバムも出しているようです。早速近日中に聞いてみたいと思っています。
興味深いので、曲目を掲載します。
「オール・フォー・ユー〜ナット・キング・コール・トリオに捧ぐ」
1.アイム・アン・エランド・ガール・フォー・リズム 2.ジー・ベイビー,エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー 3.ユー・コール・イット・マッドネス 4.フリム・フラム・ソース 5.ブルヴァード・オブ・ブロークン・ドリームズ 6.ベイビー・ベイビー・オール・ザ・タイム 7.ヒット・ザット・ジャイヴ・ジャック |
8.ユア・ルッキング・アット・ミー 9.アイム・スルー・ウィズ・ラヴ 10.ディード・アイ・ドゥ 11.ア・ブロッサム・フェル 12.イフ・アイ・ハッド・ユー 13.夢見る頃を過ぎても |
なかなか通好みの選曲だと思います。日本アマゾンのレビューには、誉め言葉ばかりです。
さて、サウンドについて考えてみたいと思います。
ギターを配しているのは、ジュリーを意識しているのでしょうか?分かりません。
このアルバムでも、「Cry me a River」が演奏されています。
だた、低い女性ボーカルにはギターがあうようです。
ジャズギターというのは、大抵の場合、甘く柔らかい音です。和音を弾くと、エレキピアノ系のように棘の無い真綿のような感触になります。
その優しい音と低い女性の声がマッチするのかもしれませんね。
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少し遅くなりましたが、収録曲を掲載してみます(CD1のみ)。発売は2001年です。 ←スタンダード大会です。 個人的には6曲目「The Night We Called It a Day 」が良いトラックのようです。間奏のピアノソロが泣かせます。 「9. The Look Of Love 」は、タイトルだけあって、しっとりとした良い演奏になっています。 こういうきれいで、歌もうまくて、ピアノもうまい、という人は、前世でも、同じような仕事をしていたのでしょうか? 政木さんは、人の顔は、前世でも今世でも似た顔で生まれてくる、と語っています。 みなさんはどう思うでしょうか? また政木さんは、音楽の練習は何もしていないのですが、前世琵琶演奏をしている時に作った曲を譜面にしたり、いきなりすごいピアノ演奏をしたりします。その演奏を私はまだ聴いたことはありませんが、すごいようです。 ピアノ演奏は、ドイツ人ピアニストの生命体が代わりに弾いてくれたりしているようです。 政木さんの本にある発明についてのくだりでは、私なりに解釈すると、アカシックレコードから大昔にすでに発明されていたものの情報を得て、それを作っているだけだ、と語っているようです。 |
ただし、いろいろな勉強をしないと、その情報を得られても具現化できないので、勉強が大切だとも言っているように理解できます。
作曲などもそうなのかもしれません。自分が前世で作ったものはともかくとして、アカシックレコードから情報を得て、それを現在に持ってくるとしても、ある程度以上音楽について知りませんと、形にするのは難しいことだと思います。
たとえば、今の私にポップソングのメロディの情報が来たなら、譜面にもできますし、ピアノなどで人に伝えることもできます。しかし、交響曲の情報が来たとしても、スコアに落とすのは大変だと思います。
また、電子回路図が私に来ても、今の私には、それを元に機械を作ることはむつかしいです。
しかし、もし同じような内容でもPCソフトで作れる理論のようなものが来たのなら、それはできるのだろうと思います。
加えて政木さんは、発明はアカシックレコードからの情報で得たものなので、それによって金銭を得るようなことは基本的に1つを除いてしなかったということです。
つまり特許を申請だけして、そのままにして、特許を取得しなかったということです。
電気会社などは、政木さんが特許を申請すると、すぐそのまま資料を持って帰り、すぐ製品化に取り掛かったと言うことです。
確かに、作曲した作品でも今は著作権料を得ているわけですが、どうもこれらの作品のほとんどは、ずっと以前に地球上などで作られたものの情報をアカシックレコードなどから得たものであるようですので、本当は必要以上には金銭を要求しないほうが良いのかもしれません。
大手の配給元を傘下にしている企業があるようですが、あれも、その後独占するということではなく、手元にある権利をフリーにするようなことをすれば、何か良い結果が出るのではないかと感じます。
最近私は、何かを成し遂げる時、自分の肉体の持っている能力は20%くらいで、後の80%のほとんどはアカシックレコードの情報であり、そうでなくとも、いずれにしても生命体からの情報であるのではないか、と仮説を立てています。
もちろん80%の内のいくらかは、チャネリング的なこともあるとは思います。
そうすると自分的にも他人を見ていても、どうも納得行くことが多いのです。
チャネリングは自分全てを他の違うものに、委ねてしまいますので、見ていて分かると思いますが、これはあまり多くないのだろうと思います。
アカシックレコードからの情報というのは、普通は、人は自分でも気付かない場合が多いでしょう。
つまり、自分の力で全部やったと勘違いしやすいと言う意味です。ここでは、仲間の協力という意味は含めませんが。
しかし、例えば、何かの説明をしたり、何かを語ったりした時などに、「自分でも、何かすごくうまいことを言っているな」と思いながら、話したことなどがある人もいるのではないかと思います。
どうもあれなどは、まさしく生命体経由でのアカシックレコードの情報であるような気がしています。
似たようなことは、船井さんや、政木さんの本を読んでいても登場します。詳しくは、「天の理と時空のコーナー」でまた書きます。
もちろん仮設ではありますが。
彼女は今年日本のジャズフェスティバルに参加する予定でしたが、事情で来れなかったようです。代わりに確かチャカ・カーンが出演したはずです。
チャカとダイアナでは、ずいぶん傾向が違いますが、時のネームバリューでは同じくらいということで、いいのかもしれませんね。 チャカ(ピストルではない)は長い実績がありますが、今の若い人にはどう映っているか分かりません。 ダイアナは、まだキャリア的には長くありませんが、ジャズ界では、人気者です。 「I'm every woman」などで有名なチャカですが、ジャズアルバムも出しています。歌がうまいのは説明の必要はないと思います。 |
彼女の顔つきを見ていますと、明らかに、アメリカ人女性の人相が変わってきたように感じます。もちろん彼女はカナダ人ではありますが。 以前の私の印象では、マイクロに見ると、アメリカの女性というのは非常に男性的で、エゴの強い印象がありました。 どうもそこらへんに変化が起きているような気がします。 |
「フレンズ」などを見ていても、ギャグのセンスが以前のアメリカ的なものとはずいぶんと違うように感じます。
非常に日本的だと感じる瞬間があります。
いろいろな意味で地球が変わってきているのだと感じています。
125:MY DUKE 阿川泰子 | ||||
阿川さんのデュークエリントン集です。 1991年の発売です。 伴奏は、マーサーエリントンだと思っていたのですが、どうも違うようです。 ドラムには、ハーヴィー・メイソン、アルトにゲーリーフォスター、トランペットにスヌーキー・ヤングなどが参加しています。 ノースハリウッドでの録音となっています。 収録曲は以下の通りです。
なかなか良い演奏で、良い録音です。 |
阿川さんは話す時はやや低い声なのですが、歌うと高い声になります。
高いと言うのは、キーが高いということではなく、声の高い周波数の成分が多いということです。
「テイク・ジ“A”トレイン」は大好きです。
好きな理由はいくつか浮かんできます。
ひとつは、私がはじめてジャズピアノのバッキングを勉強しようとしてコピーしたのがこの曲だったからです。
それは、FMの番組で録音した日本人ジャズメンによる演奏でした。
詳細は覚えていませんが、ピアノは小川俊彦さん、サックスは五十嵐要さん、だったと思います。ドラムはだれだったでしょうか?須永ひろしさんではなかったでしょうか?北村英治さんも入っていたように思いますが、確かではありません。
その演奏をたまたま録音したということが、一つの理由となります。
もうひとつは、この曲のコード進行が簡単なので、中学生の自分でもコピーできたことです。
当時は楽譜がとても高く感じ、あまり持っていませんでした。ジャズ関係の譜面集を買ったのは、中学生の3年くらいだったように思います。夏にアルバイトをして、そのお金で買ったように記憶しています。
3つ目は、この曲が「根本的」に好きであったと言うことなのだと思います。でないと、コピーなどしませんので。
4つ目は、学生時代好きだった原信夫とシャープス&フラッツが、この曲を得意にしていたのも原因だと思います。
ソリの部分でバンド全員が横に並び演奏する様が、とてもかっこよいのです。今でも、やっていることかと思います。
5つ目は、ジミー竹内さんの20風年だか、30周年だかのアルバムで、そのシャープス&フラッツとのこの曲が、1曲目に入っていたということも理由のようです。良く聴いていました。
というような理由がすぐに浮かんできます。しかし実際は何が理由なのか分かりません。
いずれかの前世で、この曲を知っていた可能性もあります。
名曲ですので、過去何回か存在した文明に、これと同じ曲があっても、おかしくないと感じています。
あるいは、好きになるように、何かが決まっていた可能性もあります。
基本的にドレミファソラシドとそれのフラット、シャープだけで構成されている西洋音楽です。そうそう違うメロディを作れるはずはありません。
佐野元春さんは、「60年代でポップス音楽全てのパターンは出た」というようなことを言っていたように思います。
確かにパターンとまで”パターン化”してしまえば、なおさらそうだと思います。
似ている曲というのはあります。
ジョージハリスンは、「マイスイート・ロード」で、「He's so Fine」という曲に似ていると、討ったえられましたが、ジョージのインタビューに、「オーハッピーディという曲と似ていると思っていた。そして、He's so fine My sweet Lordを調べたら、どちらも、Oh Happy Dayに、似ていると言うことになったんだ」というような話をしていたように思います。
良く言われる話しに、ニールセダカの「恋のダイアリー」が、細川たかしさんの「心のこり」の元歌である、というのがあります。確かにコード進行などは似ていると感じます。
サザンの「いとしのエリー」が、ジョージの「サムシング」を元歌にしているという話しも良く聴きますが、コード進行は似ていますが、言われるまでそうかな?と感じたことはありません。
あの手のコード進行の曲というのは、良くあります。C/Cmaj7/C7/というやつですが。
私はひそかに似ている、元歌か?と思っているのは、キンクスの「サニーアフタヌーン」と「泳げたい焼き君」です。
「サニーアフタヌーン」のAメロにも似ているとこが出てきますし、Bメロの感じがとても似ていると思います。
ただし、このBメロのコード進行も定番と言えば定番です。
私の好きな「バードランドの子守唄」のBメロもこれです。
Gmがキーなら、 G7/Cm/F7/B♭.....
というものです。谷山浩子さんの「山猫おことわり」だったか、ここ20年くらい聴いていないのでタイトルを忘れてしまいましたが、「隣のおじさん.......で.....」という歌詞の曲も、このコード進行が使われていると思います。
「泳げたい焼き君」の前奏が、山口百恵さんの「ひと夏の経験」の前奏ににているという話しは有名ですが、みなさんは「サニーアフタヌーン」はどう思うでしょうか?
3コードものの曲には、似ているものは五万とあるように思います。もともと3つのコードですので、似ていても仕方ないですし、似ている、という判定も非常に相対的で、3コードの曲であるなら、この程度は仕方ないだろうと、言うところもあるように思います。
また、曲がら、ロカビリー、ブルースなどのジャンルが多いですので、そのジャンルの特徴となっているようなフレーズに関しては、似ている、似ていない、を問われないのが普通のようです。
ユーミンの「中央フリーウエー」が、「ミスティ」のコード進行を元に作られたというようなことも、ユーミンの本に書いてあったように思います。
ジョンの「カム・トウギャザー」がチャックベリーの「You can't caych me」に似ていると訴えられたこともあったようです。
雰囲気の違う曲ですが、ジョンはアルバム「ロックンロール」の中で、「You
Can't....」をカバーしています。
「カムトウギャザー」と同じようなテンポで演奏されていますので、そうすると、確かに似ています。
良く覚えていませんが、確か、「チャックベリーの曲を何曲かをカバーする」という条件で収まったように思います。
また、頻繁に使われているメロというのもあります。
良く言われる「いそしぎ」と「五木の子守唄」のあの出だしのメロは、この曲以外にもしばしば聴くように思います。
さて、このアルバムですが、5曲目の「ムード・インディゴ」は、阿川さんにしては、低い声で歌っています。これもなかなか良いです。
このアルバムのビッグバンドは本当に良いです。特に録音の感じがです。
なんとなくですが、ビッグバンドの録音に関しては、最近はまた外国の方が良いのかもしれないと感じています。
昔は当然外国が良かったです。
シャープス&フラッツの原信夫さんが、ラジオで「日本もアメリカもそんなに演奏は違わないと思うのだけれどレコードで聞くと、どうしても向こうの方が良いんです。調べてみたら、レコーディングに向こうのものはエコーがかけてあって、そうするとビッグバンドのサウンドは良くなるということが後々分かりました」とい言うようなことを言っていました。
語られている年代は、1950年くらいのことです。
60年代初期の日本の録音には、どうもエコーが多過ぎるビッグバンドものの録音もありますが、確かに、ビッグバンドはエコーをかけないと音の混ざり具合が出ないので、エコーは必要だと思います。
ホールなどで生演奏をする時には、ホールの自然のエコーがありますので、ちょうど良いようです。
基本的にその音を基準としているようですので、やはりスタジオレコーディングではエコーは必要ですね。
本当に近々のビッグバンドの録音は聴いていないので良く分かりませんが、日本の比較的最近の録音では、ベースが聞こえなかったり、混ざり具合が少しおかしかったりするような録音が時々見受けられます。
きっと、録音のスタッフがビッグバンドのCDなどをあまり聴いていないのか、好きではないのでしょう。
ずいぶん昔の話ですが、ジャズをあまり聴いたことのないスタッフが、バラードでブラシで撫でるドラムの録音中に、「マイクに虫が入っている」と録音を止めたことがあったと聞いたことがあります。
確かに、ブラシの音はポップスやクラシックだけを聴いているとほとんど、耳にしない音ですので、仕方の無いことかもしれませんね。
80年代はビッグバンドが元気でした。古くからあるバンドも元気でしたし、高橋達也&東京ユニオンなどの新しい感じのビッグバンドも活躍していました。
経営が大変らしいです。14〜20名近いメンバー数ですので、それはそうでしょう。また歌謡曲の歌ものの伴奏の仕事が50年代〜90年代真ん中くらいまで、よくあったようですが、今はビッグバンドやオーケストラが出てくる歌番組は少ないですし、歌番組自体、昔と比べると相当少なくなっています。
少し昔のスイングジャーナルなどを読んでいると、「歌番組でも、ソロなどをもっとやらしてもらうと良い」というような意見も見ることができます。なかなかジャズよりの意見だな、と思いますが、そういう発想は、やはり時勢とかなりずれているところがあり、なかなかビッグバンドも大変そうだな、と思っていました。
むしろ、インストもののシングルで売れるようなものを製作して、CDを売ったほうが良い、くらいの意見の方が、ずっと建設的だと思います。実際その後、東京スカパラダイスオーケストラなど若い人たちがブラスもので、人気を得たりしていますので、要はやり方なのに、と思ったりしてしまいます。
ビックバンドのサウンドというのは、本当に生で聞くとすごいのです。
若い人はほとんど生で聴く機会などないと思いますが、あれは、是非若い人の耳に触れるような機会を作ったほうが良いと思います。そうすれば、もっと人気も出てくるはずだと感じるのですが。
そうでなければ、バンド専属シンガー制を昔のように取って、そのシンガーを前面に出してシングルでもアルバムでも出してみると言うのも、一つの手のように思います。
シングルは、4ビートでなく、ずばり若い人向けでもいいと思うのです、若い作曲家を使って。
とにかく、シャープでもブルーコーツでもニューハードでも、戦後から培ってきたノウハウを、自然消滅的に失ってしまうのは非常に惜しいことです。
是非、シングルヒットを製作してほしいものだと思います。
できます、絶対に!!
126:MELODIES 阿川泰子 | ||
アマゾンで検索してみましたが、ありません。どうやら、廃盤になった模様です。 1986年の録音です。 メンバーは、ベース:ロン・カーター、ピアノ:ローランド・ハナ、ドラム:ルイス・ナッシュ(知らない人)、テナー:西条孝之助、アコギ:中牟礼貞則、ハーモニカ:村岡健、アレンジは、鈴木コルゲン宏昌、というみなさんです。 「Saving all my love for you」が入っています。 この曲は、ゲイリー・ゴフィンとマイケル・マッサー(メイサー:面倒なのでMaichel
Masser)が作った曲です。 このアルバムは派手さはないのですが、落ち着いた雰囲気で良いアルバムです。 |
個人的には、「Alfie」が好きなトラックです。やはりバート・バカラックが好きなようです。
どうして阿川さんが好きなのでしょう?
きっと私にとっては、女性アイドルも兼ねていたのではないかと想像されます。
真梨邑ケイさんも私には似たような立場でしたが、阿川さんのほうが作品としては分がありました。
同時期の歌手として、中本マリさんもいます。
歌では好みもありますが、玄人を唸らすのは、中本さんでした。
そう考えると、阿川さんはバランスが良かったということかもしれませんね。可愛く、作品もそれなりに良いということです。
阿川さんのデビューのきっかけは鈴木章治さんということです。鈴木さんが、「ジャズを歌いませんか?」と誘ったのだそうです。
あの頃はジャズ歌手がたくさんデビューしました。
その中で今でもジャズ歌手をやっているのは、私の知っている限りでは、阿川さんと中本さん、キャンディ浅田さん、伊藤君子さんなどです。
私の知っている限りですので、比較的CDを良く出したり、コンサートを頻繁にやったり、テレビに出ていたり、ということだと思います。
クラブを専門にやっている方については、最近情報がありませんので、分かりません。
最近も、良い人デビューしているようです。ケイコ・リーさんなどは、とても良いみたいですね。
鈴木重子さんは、東大卒業らしいですが、好きです。品があって好きです。
良くタワーレコードなどで、視聴はするのですが、今のところ、上記以外には、これと言った人には巡り合っていません。
どうも私はジャズ歌手という職業に就いている人が好きなようです。
勝手な思い込みがいろいろあるのだと思います。
ところで、以前やっていた自分のホームページに日本のジャズミュージシャンというコーナーを英語で作っていたのですが、そうしたらアメリカから、カセットテープを送ってきた人がいました。
「これを阿川泰子さんへ送ってください。お願いします」という内容の手紙と一緒でした。
しかし、そう言われても、いきなり、事務所へ送るのも何だし、と思っている内に、あやふやになってしまいました。
一度くらい相手とメールのやりとりをしたことがあったかもしれません。
また、同サイトに作った音楽用の掲示板(5種類くらいあった)で、昔のバンドマンのように言葉を逆さかにして会話をしていましたら、外国人の方から非常に文句が来たこともありました。
要するに、我々黄色人種なら「ろいき」と表現する訳なのですが。
その時はさんざん説明して、挙句の果てには、その方たちを日本でお世話している日本人の方まで出てきて、大変でしたが、なんとか理解を得ることができたようでした。その方たちも日本語がネイティブ同等ということではなかったようです。
またその方の言い分は「わざわざ言葉を逆にして、わからないようにしている」ことが頭にくる、というようなものでしたが、「それが昔のバンドマン用語です。あなたの考えているような余計な意味も意図もありません。」と説明して分かっていただけたようです。
言葉は大切に使わなくてはいけない、とは思いますが、かわいそう、と考える前に、「被害妄想」ということを肯定しない、という考えも大切である、と思います。
もちろん不必要に危険に顔を突っ込むことはないのですが、なんでもかんでも、「被害妄想」的に考えられて、一方的にやられましたも、それはそれで、相手が正しい基準を外していることになりますので、かわいそうは、逆に、良いことを生まないように感じます。
その時のサイトには、当然世界中のミュージシャンの紹介などもしており、冷静に読めば、よもやそのような憶測など出てくるはずはないと自分では思っていました。今でもそう思います。ですので、その時はそれこそ、「この人たちは、どんな相手でも自分の怒りの矛先さえ向けられれば、それで満足なのではないか?」とすら感じてしまいました。
確かに、ひどい目にあった経験がある時には、ややもすると、そういう気持ちにもなりがちかもしれませんが、やはりそれはいけにことです。私は自分のことを「ろいき」だと思っています。「ろいし」ではありません。そしてそれ以上ありません。みんな同じです。
猫背もいけませんし、逆反りになっている姿勢もまたいけないのだと感じています。真っ直ぐなのを姿勢が良いと言います。
ハワイでは、日系人も中国系の人も、韓国系の人も、ハワイアンの人も、そして肌が白い人も黒い人もいます。
私は黄色と言われても基本的にはなんとも思いません、黄色ですから。ドクターコパ風水をやる時には、自分が西にいればいいのだな、と喜んでいるくらいです。
しいて言うなら日本人と呼びなさい、とは思いますが。
もちろん、歴史的にそれほど虐げられた過去はもありません。
ただ、文句を言う前に、一度考えてから文句を言って欲しいとは、感じました。
「おいおい、俺のアイドルはオスカーピーターソンだって書いてあるだろう?」ということです。
こちらとしては、いろいろな友人ができることはいつでも大歓迎ですので。
しかし、これは自分にも言えることだなと感じます。被害妄想があると、正しく見ることができないのかもしれませせん。
被害者意識というのですか?
被害者意識を捨てる、ということが、大切なのですね。これもまた、フィルターに色を付けていることなのかもしれません。
フィルターを透明にして、正しい自分を投影することが大事なようです。
127:BALLADS, Karrin Allyson | ||||||||||||||
カーリン・アリソンの「バラッズ」です。 米AMAZONのEditorial Reviewsでは、
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お分かりの通り、ジョン・コルトレーンの1962年の作品「バラーズ」をモチーフにしたボーカルアルバムです。 参考に、コルトレーンの「バラーズ」の収録曲は以下の通りです。
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カーリンの方のメンバーはこのようになっています。
カーリン・アリソン:ボーカル、ピアノ、
ジェームス・ウィリアムス:ピアノ
ルイス・ナッシュ:ドラム
ボブ・バーグ:テナー、2,6
ジェームス・カーター:テナー、1,4,9
スティーブ・ウィルソン:ソプラノ、3,8,11
録音は2000」年11月ニューヨークです。
ボーナストラックのみ、ロッド・フリーマン:アコギ、ダニー・エンブリー:エレキギター、ボブ・ボウマン:アコスティックベース、トッド・ストレイト:ドラム、となっています。
スパニッシュ・タッチの良い演奏です。どちらかと言うと、このトラックが一番好きです。
ナッキンコールの十八番(おはこ)ですね。個人的には、ジョージ・ベンソンの歌が好きです。
歌声は、ジャズ歌手としては、かわいらしい声質の人です。
録音もすごく良いです。
しかし、輸入盤対策なのだと思いますが、日本盤にボーナストラックが入っていると言うのは、自分が現地に住んでいる人だとしたら、ちょっと複雑ですね。無理して日本盤を購入するかもしれません。
私がはじめてコルトレーンの「バラッズ」を聴いたのは、良く覚えていませんが、大学生の時だったような、社会人になってからだったような......、いや、LPを持っていますので、遅くとも大学生ということになると思います。大学の2年か3年の時にはすでにCDに移行していて、レコードは購入しなくなっていたはずですので。
コルトレーンの「バラッズ」は万人に安心して推薦できるアルバムなんです。音楽にうるさい人にも、ジャズ初心者の方へも、女性へも、男性へも、.....。
つまり聴きやすくて、内容も良い作品ということだと思います。
コルトレーンの「バラッズ」で、サックスがどのくらい良いのかを音楽理論的に語れとなりますと、私には、非常にむつかしいです。
仮にあのカラオケで、日本のビッグバンドの二番目のテナー奏者の方が吹き込んだとしても、「いいアルバムだ」となってしまうかもしれません。
器楽のバラードアルバムというものは、そういうところが少しあります。
ちなみに日本のビッグバンドの2番テナーと言っても、普通に考えればとてもうまい人です。
プロ野球にとても似ています。プロで「足が少し遅いからね」なんて言われている人は大抵、アマチュア時代は、チームで一番か、2番目くらいに早い人のようです。高校野球のメンバーだった友人が言っていました。
だからと言って、「足が速い」のが特徴だったり、「走るのが好き」だという人は、相対的に考えずに、そう言った道へ行くのがいいのだろうかと推測します。
あまりヒントにならないかもしれませんが、ハンマー投げの室伏選手だって、「足」でもなんでも、一流のようですが、「ハンマー投げ」を選んだようです。きっと「好き」だったのでしょう。
また更にヒントにならないかもしれませんが、菊川怜さんだって、鈴木重子さんだって東大卒ですが、役者やジャズ歌手をやっています。
さて、音楽的ではなく、エモーショナルな部分や、楽器のうまさ(音色など感覚的なこと)で語れとなれば、いろいろ言うことは可能だと思います。
しかし実際は、音楽理論的に語れる評論家の方というのはあまりいないのではないかと思いまし、評論自体、音楽理論的に語っているものは少ないですし、そうでなくて良いのではないかとも思います。
もし音楽理論的に語るとなりますと、それは少なくとも理論的には、演奏者と同等かそれ以上のものを持った人でないとむつかしいと思います。
しかし、今書いていて、それは実は無意味なことなのかもしれない、と感じてきました。
私の仮説では、おそらくコルトレーンもモーツアルトのようにアーカシックレコードからの情報を具現化してアドリブソロを取っているのではないかと思うのです。
ほとんどのアドリブソロが基本的にはアーカシックレコードからの情報かと推測できますが、その中でも、フィルターの色が薄い状態で、正しく受け取っている方が、コルトレーンのような種類の演奏者なのではないかと考えます。
コルトレーンは、後期になればなるほどコードからの制約をできるだけ排除する方向でのアドリブ方法へ移っていっていたように思います。それはすなわち、アーカシックレコードからの情報をできるだけ正しく具現化する、ということだったのではないかと思います。
通常のアドリブは、ジャズでもロックでもブルースでも、コードを基本としてインプロビゼイションします。
更に自由にとなってきますと、コード進行そのものを単純化して考えたりして、スケール優先的な方向になります。
そして最後にはフリージャズ的なアプローチつまり、コードもスケールも何も関係ない、というような方向になると、私は解釈しています。
モーツアルトの作品にはコードはありますが、あれは、逆説的な言い方をすれば、無の状態から、メロディ、オーケストラスコアなどが訪れるようですので、はじめから制約のないフリー的な状態と言えるのではないかと思います。
ですので、コルトレーンなどは、無伴奏でただただアーカシックレコードからの情報を音にしますと、フリー的ではなく、俊玉のメロディが出てくる可能性もあったのではないかと勝手に思っています。
ただ、コードに沿ったメロディアスなアドリブソロということに関しても、ひょっとしたらそれはそれで、アーカシックレコードからの情報を得られているのではないかとも思います。そういう情報もあるのではないでしょうか?仮説ですが。
ということですので、音楽理論的に評論するということ自体、さほど意味を持っていないのではないかと考えます。
もしするなら、それはきっと、「この域は、アーカシックレコードからの情報をを90%の正確さで具現化している状態である」とか、「フィルターに少し色が着いているのが伺える」とか、「もっともっと吹き込むと、どんどん直観力が発動してくるのではないかと思われる」というような評論が正しいのかもしれません。
これはチャカしているわけではありません。
そして、このように評論できる人というのは、やはり、演奏者と同等あるいはそれ以上に、アーカシックレコードの情報を正しく受け取れている奏者ということになるように考えます。
ただ、卓越した演奏者の方々の内、どの程度の方が、そういう考えに共振しているのかは、私には分かりません。
ひょっとしたら、私が考えているより、ずっと多い可能性もあるのではないかとも考えています。
ただし、運命がほとん決まっているとなりますと、そのような評論すら意味を持たなくなってくるように思います。
つまり「コルトレーンがこの作品を残したのは、初めから決まっていたことなのです」ということなのですが。
仮説を述べれば、「このアルバムは、アーカシックレコードからの情報を具現化した演奏ではあるが、それは、コルトレーンがこの時期に、このセッションで、このような情報を受けて、それをこの完成度において、具現化するというストーリーが初めから組まれていたということなのだ」ということなのかもしれません。
そうであれば、それは実は非常に良いことなのかもしれません。
コルトレーンが偉い、ということは全くなくなります。
ただ、初めからストーリーでこの作品を作るようになっていた、で済みます。
そこには、嫉妬も、挫折もなくなります。
そして私たちリスナーは、ただただ、「良い音楽だ」と、余計なことを一切考えずに、喜んで鑑賞すれば良いだけなのです。
努力がなくなってしまう?と考える人もいるかもしれません。しかし、そこで言う努力とは、好きでもないことを、しなくてはならない努力なのではないかと思います。
運命が決まっていたとしても、「好きな人が好きなことを、好きにまかせて、とことんやればいい」のだと思います。
そこでなされる練習量というものは、「好きではないが、あるいは、もうこれ以上演奏したくないが、絶対音楽界で一番になってやる」とか、「世界に名を残してやる」とか、「先生やいろんな人に怒られるから、弾けるようにしないと」というような動機でやっているものを、優に超えるのではないかと推測されます。
「好きな人が好きなことを、好きにまかせて、とことんやる」ということは、正しく言うと、努力とは言わないと言っている人もいます。
努力とは、嫌なことを仕方なくやることであると言っている人もいるようです。
みなさなんはどう思うでしょうか?
なんだか、カーリン・アリソンの「バラッズ」ではなく、コルトレーンの方の話になってしまいました。
で、このアルバムは?と言いますと、ときどき聴きます。良いアルバムだと思います。
特に「What's New」が好きです。このアルバムに限らず好きなのですが。 C/C/B♭m7/E♭7/A♭maj7.....というコード進行のバラードです。 先に紹介したオリビアの「Hoplesslly Devoted to You」(愛すれど悲し)と似たコード進行ですね。 一つのパターンとも言えますが、「What's New」はかなり古い部類です。どの曲がこのコード進行を最初に採用したのかは、分かりません。 きっとクラシックまでさかのぼることになるのだと思います。 |
ピンクパンサーで紹介した、リンダ・ロンシュタットのアルバム「Wtat's
New」収録のものも、なかなか良いです。 リンダは好きでしたが、ジャズはどうかな?と思っていましたが、なかなか良いものでした。 また機会を持って紹介します。 そう言えば、デビッド・サンボーンを初めて意識して聴いたのは、彼女のアルバム「Back in the U.S.A」の「アリスン」ではなかったかと思います。中学生の時ですので、サンボーンも古い付き合いとなります。 |
と書いてきましたが、どうも今ひとつ、このアルバムに乗り気ではない自分に気付きました。そしてどうもそれは、
武田和命さんの「Gentle
Novenber 」が要因のようです。 これもまた、コルトレーンの「バラッズ」をモチーフにした作品なのですが、これの出来がすごく良いのです。私には本家を超えています。 確か山下洋輔さんの本か、ライナーかによれば、「親戚のクラシック音楽家に聴かせたら、これは人間の出しうる音のなかで最も美しい音の内のひとつだ」という内容のことを言ったということです。 |
ですので、同じモチーフの作品として見てしまい、あまり力が入らないのかもしれません。
しかし、絶対的な見方をして、カーリンの作品はすごく良い作品です。
単純にジャズアルバムとして見れば、すごくお薦めの作品です。
128:HELEN MERRILE (WITH CLIFFORD BROWN) | |||||||||
あまりに有名なジャズボーカルアルバムです。 正式なタイトルは、「HELEN MERRILE」です。 1954年の録音です。 特に、「You'de Be So Nice To Come Home To」は、有名ですね。 トランペットの天才クリフォード・ブラウンが前面にフューチャーされており、安定した演奏のだれにでも進められるアルバムです。 プロデュースはクインシージョーンズです。
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クインシーはご存知「愛のコリーダ」などで、ポップス界でも有名ですが、基本的には、ジャズの人です。もともとはトランペッター兼アレンジャーのようです。
彼のインタビューもOFF THE RECORDに掲載されていますが、ライオネル・ハンプトンのインタビューに面白いことが書いてありますので、掲載してみます。
(「ポップボイス」のライオネル・ハンプトンのインタビューより引用)
『いつだったかシアトルに行ったときに、編曲をやらせてくれないかという若いのに会いましてね。「次はポートランドに行くんだけれど、一緒に行きたいかい」って訊いたんです。
「別にかまいません」ってその子は言う。
「親にきいてきたほうがいいぞ」って言ってやりました。十八歳ぐらいだったな。ちょうど同じ頃、うちのトランペット吹きの一人が兵役にとられることになる知らせを受けていたものだから、その子に「うちでトランペット吹いてみるか」って言ったんです。
「ええ、いいですよ」という返事です。
「よしそれなら支度してきな」って言ったら、やつはボール紙の箱に服を入れてきて。いまでもそのことでからかうんだけど、それがクィンシー・ジョーンズだったんですよ。......』
クインシーのインタビューには、次のようなことが書いてあります。
(「ポップボイス」のクィンシー・ジョーンズのインタビューより引用)
『そういう人たち(私の注釈:ディジー・ガレスビー、マイルス・デイビス、ビリー・エクスタイン、サラ・ボーンなどのこと)と一緒に仕事をしてきたことを思うと、いまも自分がマイケルジャクソンみたいなのとやっていられるというのは、夢みたいですね。理屈から言えば、もう活動してちゃいけないんです。ちゃんと現実を見れば、音楽界っていうのは十八年くらいなもんです。
1959年に一文無しになったとき、ヨーロッパでナット・コールと三週間の仕事をしてたけど、そのときナットが言っていました。「なんとかうまくいくもんだよ。5年間猛烈に突っ走ってもいいし、あるいは時間をかけて五十年間ゆっくりやって、少しずつ大きくなっていくというのもいい」ってね。そういう考え方もあるんだって、仰天しましたね。』
続けてマイケルジャクソン関連でも発言しています。
『マイケル・ジャクソンには「ウィズ」の仕事を承知してなかったら会っていません。2,3曲を除いては、あの音楽が嫌いだったんです。だけど、映画を6本一緒にやってきたシドニー・ラメットが「やらなきゃだめだよ」って言うんで、それでやったんです。
(中略)
それから「スリラー」が出て、あれにはぎょっとしましたね。こわかった。「いったいこりゃ何だ」って思ってね。つまりだれだってすごいレコードは出したいだろうけど、これはとんでもないって思って。売り上げ報告を見てたら、一週間で千百万枚になり、その後十一週間にわたって売れ続けて。信じられなかった。誰だって信じられなかった。あの熱狂ぶりはすごい。マイケル熱は実に強力でした。ビートルズの場合も見たし、プレスリーのも見てきた。ぼくはトミー・ドーシーのところにいたんですよ。エルビスが55年にトミーのショウに出たときにね。だからその手の現象は3回見たことになる。プレスリー、ビートルズ、マイケルとね。
その現象の暗い面はというと、あとは下り坂しかないってことだけど、でもマイケルの場合はそうならないと思う。なんだかだののしられているけど、いつも浮上し続けると思う。大変な才能の持ち主だし、人柄もとってもいい。人が思っているような変わった人間じゃないんです。』
とても興味深い話しだと思います。
クインシーがはじめてポップス関係のプロデュースを行ったのは、レスリー・ゴーアだったと記憶しています。違うかもしれません。レスリーの例の「It's
my party」という曲です。
確かに、どこかあの時代の他の曲とは違うエッセンスが入った曲、演奏だという感じは昔からありました。はじめてそのことを知った時には、「ああ、そうなんだ」と思ったものでした。
ヘレンは、1995年に「Brownie: Homage to
Clifford Brown」というクリフォードブランのトリビュートアルバムを出しています。
そこでも、「You'de Be So Nice To Come Home To」は演奏されています、例の有名なアドリブソロを採譜して、3人のトランペッターでユニゾンで吹かれています。
面白いのは、採譜しても、やっぱり少しずれるということですね。
ビッグバンドアレンジでも楽譜通り吹いていても、ほんの少しだけずれるので、事実としては別に珍しいことではないのですが。
逆にシンセなどで、ブラスの音を出す時は、それを見計らって、ある音と、それをほんの少しだけタイミングをずらしてた音を重ねて「音」を作っておき、使用したりまします。ショートディレイのような感じですね。
そうすると、不思議に、あのブラスセクションのような雰囲気が出てくるのです。
ちなみにこれは、音の広がりを作るときにも、使用するテクニックです。
ビートルズが良く使うダブルトラックという手法は、同じようなことです。
ジョンの「恋する二人」のボーカルや、「ホワイル・マイギタージェントリーウィープス」の最終段階で、クラプトンが「ビートルズらしさが足りない」と言うので、サウンド全体にほどこして処理がそれです。
さて、その有名なアドリブソロですが、アドリブソロがアーカシックレコードからの情報ではないか?という仮説を立てていることは、何度も書いていますが、作曲にアーカシックレコードの情報が使われるよりも、アドリブの場合、特に生演奏の場合、それがその時点で音として、再現されますので、自動書記やチェネリングに近いものがあるのかもしれません。
ただし、意識を明け渡しているのではないようですので、やはり、アーカシックレコードからの情報を解読しているのでしょう。
レベルは全然異なりますが、私の場合で考えて見ると、アドリブソロを取っている時と言うのは、実際、アドリブのこと意外は考えていません。
つまり、「今日の夜ご飯のおかずはなにかな?」とか、「彼女は元気かな?」とか、そういうことを考えていないということです。
それで、どんな感じかというと、スケールとか、理論とか、コードとかも、実際は少ししか考えておらず、今弾いているメロディが出ると、それに引きずられて、勝手に次のメロディが出てくる、という感じです。
指が慣れている方向へ動く傾向はあるようにも感じますが、それはきっと、経験、練習がソフトウエアにあたる、という理論からすれば、持っているソフト以上の情報は立ち上げられない、ということなのだろうと思います。
ただし、のってきますと、自分の普段の力を超えたようなフレーズが飛び出すこともありますので、もし、ソフトウエアも同時にダウンロードしている、ということになるとすれば、チャネリング的なことが起きているのかもしれません。
実際は良く分かりません。
あるいは、強引に違うアプリケーションソフトで立ち上げているのかもしれません。
HTMLをブラウザではなく、ワードで立ち上げたり、ということなのですが。
そうであれば、少しだけ実際のものとは異なりますが、8割方、実際に似たものを立ち上げることは可能だと思います。
それをさせているのも、やはりアーカシックレコードからの情報かもしれません。
北方健三さんが、「文章を書いていると、登場人物が勝手に動き出す」と言っていますが、これはアドリブの感覚と非常に似ていると感じています。
こういうことなども、ひょっとすると、アーカシックレコードからの情報を得ているのかもしれませんね。
このアドリブでなされていることを、違うことに応用して、アーカシックレコードからの情報を受けることはできないだろかとも思います。
もちろん、アドリブがアーカシッククレコードからの情報を受けているものである、ということが事実である、という前提の話しなのですが。
例えば、余計なことは考えずに、楽しんで、のめりこんで、今出てきた音(言葉、行動)に任せておく。
そうすると次が勝手にダウンロードされて、最善のことが行われる......。
政木さんでも船井さんでも多くの方が、「脳波がシータ波になった時」にアーカシックレコードの情報のようなものが、訪れると言っていますが、音楽では観ていてそれが分かるようなことがあります。
アドリブの最中など演奏者を見ていると、”目がいってしまっている”ように見えるときが良くあります。
あれなどは、脳波がシータ波になっているのかもしれません。
もうひとつ大事なことを忘れていましたが、「欲を捨てる」ということも、アーカシックレコードからの情報を得るには大切な要素であると言われているということです。
思うに、アドリブ中というのは、基本的には、「だれかより、いいフレーズを」とか、そういう余計なことを一切考えていないように感じます。もちろん演奏前には、そういうことを少しだけ考えている時というのは、あることもあるのですが。
特にレコーディングの時などは、そういう余計なことを多く考えているようにも思います。
セッションの時などは、ほとんど考えていない人が多いと思います。私もそうです。
考えているのは、「ああ、楽しいな」、「同じようなことを考えている人がいっぱい集まっているな」といった、おそらく無欲に近い状態です。
ですので、レコーディングで、間違えたり、あまり良くないフレーズしか出てこない、というのは、「緊張している」という言葉で表されることが多いですが、実際は欲が邪魔をしてアーカシックレコードからの情報をうまく得られていないことになっている、ということなのかもしれません。もちろん仮説ですので、本当のところは分かりませんが。
ただ、きっと、あまり甘い雰囲気だけでも、良い演奏はでてこないことが多いです。またうるさすぎても、のりのない変な演奏になっているようです。
演奏する方が自分の方である程度以上の緊張間を作れるのであれば、周りは何も言わない方が、良いようですね。
その状態が一番、うまくアーカシックレコードからの情報を得られているということなのかもしれません。
あまり緊張感のない場合には、周りがいろいろ言うのもある程度効果はあるかもしれません。
しかし、実際は、いくら言っても、そう変わらないと思います。自発的でない本気は、いくらやっても、本当の本気にはかなわないところがあるように思います。
もちろん人と場合によるとは思いますが。
確か、佐野元春さんがまだ、新人だった頃、「BACK TO THE STREET」か、「Heart
Beat」のレコーディングか何かで、売れっ子セッションギタリストの方に、強烈に音的にいろいろ要求をしたら、その人が本気になってきてくれて、ローディにマーシャルだかなにかの本気モードのアンプを持ってこさせた、というような内容のことを読んだか、聞いたことがあります。
こういうようなことも、あるかとは思います。人と場合によるのだと思います。
と言うことで、このアルバムの聴き所はまず、ブラウニーのアドリブソロということだと思います。
ヘレンの渋い歌声、クインシーのアレンジなども同様です。
バラードの良い演奏もたくさん入っています。
中学生の時からの付き合いです。お薦めのアルバムです。
129:CLIFFORD BROWN with strings | ||||||||||||||
クリフォード・ブラウンのストリングスものです。 1955年の録音です。
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ドラム:マックス・ローチ、リッチー・パウエル:ピアノなどが参加しています。
私の場合、楽器別で言いますと、トランペットと、ビブラフォンのアルバムがやや少なめです。どちらも好きなのですが、きっと、本当はそれほど好きではないんでしょう。
トランペットの音色は何と言うか、「破裂」系の音です。サックスのように、いかにも”!クネッた”管を通ってきたような、艶っぽさはありません。
どうもそこらへんが、アルバム所有の少ない原因ではないかと思います。
但し、決して嫌いなわけでもないと思います。特にメナードファーガソンのあのハイノートが好きで、LPでは良く聴いていました。
東京ユニオンが演奏し、トランペットがリードを取る「西部警察のテーマ」は、シングルレコードをわざわざ買って、愛聴していました。
全て好きな演奏なのですが、「煙が目にしみる」と、「スターダスト」が好きなトラックです。
ご存知の通り、「煙が目にしみる」はプラターズの演奏でリバイバルヒットし、今はオールディズものの定番にもなっていますので、多くの人に耳馴染みが良い曲だと思います。
トランペットというと思い出しますのが(変な言い方!)、数年前、人前で演奏する機会があったのですが、その時、「サマータイム」を演奏しました。
ちょっと凝ってみて、前半はルイアームストロングとエラが演奏したものを参考にしたスローで、後半は16ビートに移って、というアレンジをしました(笑)。
その時、音楽大学でトランペットを学んでいる学生がトランペットで参加したのですが、その人は「絶対音感」がありました。
ルイアームストロングの「サマータイム」を聴かせましたら、「この人はいいですね....」と、大変感動していたのを覚えています。
私は絶対音感がある人というのは、ほとんど会ったりすることはないのですが、それでも、小学生だか中学生だかの頃から、そういう人間がいる、ということを知っていました。
ですので、感じとしては、暗算で何桁のも計算をこなしてしまう人、と同じような感覚でそういう人を見てしまいます。
おそらく、多くの方も、若干の違いこそあれ、私と似たような感覚なのではないかと想像しますが、どうでしょうか?
いつだったか、私は、女性が書いた本で「絶対音感」というのを読みました。
なんでもこの方は、社会人になってから初めて、この世に「絶対音感」のある人が存在していることを知ったということで、とにかく感動して、その本の中で絶対音感について熱く語っています。
単行本にまでなったのですから、きっとそこそこ売れたのだと思います。
私がなぜ、その本を読んだかと言うと、それは冒頭にスクリャービンという作曲者の話が出てきたからです。
私はこの人が好きなのです。クラシックはそれほど聴かないのですが、私が聴いた中では、最も音使いにジャズ的なフィーリングを感じてしまうのです。
「これは、スクリャービンの音使いについて何か、ヒントのある本なのかもしれない」
と思い、手にしたのでした。
しかし、それについては、語られていませんでした。
基本的には終始、
「絶対音感ってすごいです。関連することについて、調べられるだけ、調べて見ました。どう思います?」
という指向で語られているように感じます。
むしろ私には、小さな頃から音楽をやっている人を見て、いまだにすごいと思ってしまうのは、クラシックピアノのすごい楽譜を見て、初見でとりあえず弾いてしまうような人と会ったときのほうです。
でも、こういう人にはしばしば会っています(笑)。
きっと小学校の音楽の先生なんかもできます。私には基本的に、歌物のメロディ譜から上のものは、むつかしくて、初見では読めませんが(笑)。
ちなみに、ほとんどの人は知っていると思いますが、絶対音感とは、今ここでコップを「チーン」と叩くとすれば、それが何の音か分かる人のことです。「ラ」とか、「ソ」とか。
小さい頃から楽器を懸命に練習した人には、このような方が多いようです。
彼女の本のあとがきには、「音楽にたずさわっているような人には、ほとんど反響がなかった」、というようなことが書いてあったように記憶しています。(間違っていたらすみません。)
実際、内容を読みますと、一生懸命書いているのですが、あとがきを受けて、「そうだろうな」、と感じます。
内容は、結局何が言いたいのかは、良くわからないところがあるのですが、本にはもっぱら、日本の絶対音感教育の歴史ですとか、絶対音感のあるクラシックの有名なアーティストの話、基準音の話しなどとともに、絶対音感とは何ぞや?ということが綴られていたように覚えています。
何ぞやの答えは、「チーン」とやると、「ラ」と分かる以上のものはないものだと思うのですが.......。
音楽をやっている人には、あまりに普通のことであること、そうでなくとも、世間的にも、そこまでではないだろうと思われることが、「ものすごい」こととして書かれています。
内容そのものよりも、「私の感動をわかって」と言うようなものが、つきよせて来るようです。
初めて日本に来た外国の特派員が「日本」についてリポートするニュース番組を見ているような感じがあります。
ただ、読んでいて思いましたのは、「こういう感動っていうのは、何だかいいものだな」という感覚でした。
とにかく彼女には、この大人になって、はじめて知ったこのことが、ものすごく心を揺さぶったのだということは強く感じ取れます。
そして、絶対音感教育にがんばられた、笈田敏夫さん(ジャズ歌手)のお父さんの笈田光吉さんのことなど、私の知らないことなども、実に良く調査されておりますし、なかなか時間をとってくれないであろうクラシックの演奏者などにも、かなりしつこくインタビューをしたりしています。
(余談ですが、その演奏家が本の中で言っていることの裏を、私が読んでしまいますと(推測ですが)、
「そんなに感動しているなら、がんばって調査してね。協力するから。だけど、これって全然珍しいものじゃないのよ。
私の周りの人のほとんどは絶対音感があるし、たとえば、3ヶ国語以上話せる人とか、プロのスポーツ選手のほうが、私にはぜんぜんすごい存在のように思えるのだけれども。あなただって九九を暗記していると思うけど、大人になってから初めて九九を覚えようと思ったら、できたかどうか、分からないのと、同じ話しよ......」
というように聴こえてしまいます。)
この彼女のがんばりもひとえに、「感動」がさせた技ではないかと考えます。
そして少なくとも、私は、絶対音感教育に尽力した笈田光吉さんの話を楽しく読んだのは確かです。
ただ、もし可能であったなら、例えば「絶対音感とその音楽性」として、ポピュラー音楽界で活躍する方の中で、絶対音感のある人とない人の音楽性の違いを研究したり(クラシックの人はある方が多いので)、「30歳を過ぎてから絶対音感を身につける方法」を仮説でもいいから編み出してみたり、「絶対音感教育の歴史」として笈田光吉さん周辺の話しに特化したりした方が良かった可能性もあるのではないか、と思ったりしますが。
さて、彼女の感動は、例えて言うなら、物心ついて初めて女性の裸を見た男の子が、はまってしまったというような感じでしょうか?
いや、もっと彼女にしてみたら、感動しているようです。
きっと、大人になって、はじめて、女性には「○ち○ち○」が付(着?)いていない、ということを知った男性とでも言った方が当たっているのかもしれません。
それくらい熱く感動していることが伝わってくる本ではありました。
ただ、思い返すと、私も小学生の時に、「エディー・デューチンが絶対音感があって、戦争に行ったときには、飛行機の音でそれがどれくらいの高さを飛んでいるのかがすぐに分かった」、という話しを初めて聴いたときには、すごく感動したような記憶があります。
(なんとも思わない人は思わないみたいです。良く小・中学生くらいの時に、この話しを友人に話して見たりしました。)
それと、もう一つ感じるのは、「絶対音感があるすごい人」だなんていうタイトルをまず絶対テレビではやらないだろう、ということです。
その作者の女性はもっぱらテレビから情報を得る人だったのかな?と思ったりもします。
絶対音感は、基本的に音楽に関係のあるような職場や環境では普通に出てくる話題かと思いますので、当然テレビ関係の方などは、普通に”ある”ことだと思っているでしょうし(普通のことではないが)、一般的に言っても、決してテレビ番組でやるほどレアな事例ではないように思うのです。
ですので、本などあまり読まずに、テレビばかりから情報を得ているような人には、まず耳に入ってこない情報だろうと感じます。
それが、社会人になって彼女が、この話しを初めて聞いた原因でしょうか?
しかし、良く吟味すると、どうもそうでもないようです。彼女の文章はそこそこうまいのです。
であれば、良く本も読む人だろうな、とも思います。
そして、全くの裏覚えなのですが、確か、彼女は趣味で音楽活動をしていたと書いてあったように記憶しています。
そうならば、一体何が彼女を「絶対音感」の存在に気付くことから遠ざけさせていたのでしょう?
私には、そのことのほうが、だんぜん興味があります。
ただ、先日テレビを見ていましたら、真壁かおりさんが「生まれてはじめて、羊羹を食べた」と言いながら、おいしそうに、羊羹(ようかん)を食べているのを見ましたので、そういうことと言うのは、良くあることなのかもしれませんね。
これは、自分の例では、なかなか言えません。
なぜなら、人にとって、「絶対音感」とか、「羊羹」というものは、気づかないから、珍しいものなのであり、気付いていないものを挙げて見ろ、というのはむつかしいな話だからです。
ただ、あえて言えば、私は「嫌で、不得意で、嫌いなことを、がまんしてやると運がついてくる」と言うのが、この世の常識だと、社会人になってからずっと思っていたところがありました。
本心の私はそうではないと思っていましたので、「自分は何て、非常識なところがあるのだろう」と思っていたりしました。よって、なんとか、常識人として「嫌で、不得意で、嫌いなことを、がまんしてやってやろう」といつも思っていました。
ですので、40歳近くになって、船井幸雄さんの著作に始めて接して、運を良くするコツとして、「好きで得意なことをする」という記述を初めて読んだときには、すごく感動しました。
それ故、その感動があまりにすご過ぎて、船井幸雄さんにはまってしまい、そしてその周りの人の著作にも、どっぷりになったのではないかと考えます。
もしこれと同じようなことということなのであれば、「絶対音感」の彼女の気持ちも分からなくもありません。
ひょっとすると、こういう、「自分」とか、「自分の周り」にはあまりいないような能力のある人の話、できごとの話、常識の話なんかは、大人になってから聴いた方が刺激があって、面白いということもあるのかもしれませんね。
そしてそれはすごいエネルギーを呼ぶ.........。
さて、アルバムですが、不思議に、LPでもCDでも昔から高音に違和感を感じたことがありません。
かなり初期に買ったCDですので、耳には、あのアナログの音がびんびんにこびり付いている時から聴いているのですが。
ストリングスも古い録音ながら、良い感じです。
何が、そうさせているのでしょうか?トランペットの音でしょうか?
そうかもしれない、とも思います。
トランペットを耳が何かが分かるまで聴きこんでいなかったということが、関係しているのかもしれません。
ボーカル、ピアノなどと比べると、トランペットのアルバムはLPでは圧倒的に少ないのです。
LPで所有しているトランペットのアルバムタイトルは、きっと全て言えます。
しかし、それが本当に原因かは、良く分かりません。
130: | UNFORGETTABLE,日野皓正 | |||||||||||
日野皓正さんのバラードアルバムです。 日野皓正さん作曲のバラードとしては、「Alone,alone and Alone」が有名ですが、ここでは、「Blue Smile」を除いては、スタンダードが演奏されています。 1993年の作品です。 ナタリーコールの同名アルバムが1991年の発売ですので、何らかの影響のあるアルバムかもしれません。 曲目は以下の通りです。
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メンバーは、日野皓正:コルネット、シダー・ウオルトン:ピアノ、デビッド・ウイリアムス:ベース、ミッシェル・カーヴィン:ドラムスとなっています。
どうも廃盤になってしまったようです。
米アマゾンでも、中古しか出ていません。
とっても、良いバラードアルバムですので、また再発してくれると思います。
日野皓正さんのトランペットの音色には、艶があります。
選曲のセンスが良いです。と言いますか、私の趣味とぴったりです。
私の知ってい限り、「You
Are So Beautiful」が、ジャズで取り上げられることはあまりないと思うのですが、なかなか良いです。
日野皓正さんのここ20年ばかりの演奏は、私に少し分かりにくいものが多いのですが、このアルバムはとても、ストレートに演奏されており、多くの方にお薦めできると思います。
「I've Never Been in Love Before」では、ピアノとデュエットが聴くことができます。非常に落ち着いた雰囲気の良い演奏だと思います。
こういう時に、評論では、良く「息のぴったりあった演奏で......」と書くのですが、この意味が分かってきたのは、本当に最近です。
みごとに間が溶け合うような演奏に対して、この表現は使用されるようです。
この演奏も溶け合っています。”間”が。
間とは、何も、無音ということではなく、無音も含めた全ての時間空間とでも言うのでしょうか?時間の粒とで行ったほうが正しいかもしれません。
それが、溶け合っているのです。
溶け合っているとはどういうことかと言いますと、......おそらく、空間、時間が持っているだろう波動と、2人の演奏者がそれぞれ出している波動が、うまく混ざっているという感じです。
北方健三さんの小説に良くカクテルの話しが出てきます。
そこで頻繁に使われる内容に、「水割りを作るのが一番むつかしいんだ。水割りを作らせれば、そのバーテンの力量が分かる」というのがあります。
「アルコールと水がうまく混ざっている」ことが大事で、「分量」や「混ぜ方」が大切である、と続くはずです。
最近思うところあって、読んでいませんので、少し裏覚えですが...。
ちなみに、水割りが「バーボン(またはウィスキー)&ウォーター」か、「バーボン(またはウィスキー)・ウィズ・ウォーター」か?という話しも良く小説に出てきます。
どうやら、北方さんがアメリカで試して見たところでは、どちらでも良いようです。
また、スノースタイルのカクテルを作る時の、グラスの塩の付け方の描写も頻繁に登場してきます。
そして、シェイカーからグラスに注ぐ時に、グラスにぴったりの量になるのが、うまいんだ、という話しも良く出てきます。
他にもいろいろあります。
こだわっています。
どうやらこだわらない方が、良いようなのですが。
「Unforgettable 」、「Alfie」も実に名演ですね。
しかし、このアルバムの録音は、どこか面白いものがあります。
空間に色があります。
それはひょっとしたら、ジャケットの裏の、暗い色なのかもしれません。良く分かりませんが。
どうもジャケットの色を決める時には、その色を見ながら音楽を聴いたとき、一番ぴったりと来る色を採用するのが良いのかもしれません。
実際ジャケットの色を見ながら聴く人というのは少ないかもしれませんが、このようにぴったりあっている時は、サウンドにプラスαを生み出すようです。
お薦めです。
もし入手可能なら、是非聴いてほしいと思います。
131:《真夜中のブルース》〜日野皓正、あなたと夜とトランペット | ||
日野皓正さんのムードミュージック・アルバムです。 1-10が1964年発売のもの、11-21が1967年発売のものです。 1942年10月25日生まれですので、こちらは全般が22歳、後半が25歳の録音ですね。 1-10は日野皓正とモダン・ミッドナイト・オールスターズ、11-21は日野皓正とセクステットとなっていますが、詳細は書かれていません。 まったく分かりませんが、想像してみますと、日野皓正とモダン・ミッドナイト・オールスターズには、テナーが入っていますので、稲垣次郎さんかもしれません。 ドラムは、日野元彦 さんでしょうか?分かりません。 |
基本的には、1-10のほうが少しだけジャズ的です。
11-21は、ベルト・ケンプフェルトや、ニニ・ロッソ的なイージーリスニング寄りです。
いずれにしても、アドリブソロはほとんど出てきません。
そういえば、ニニ・ロッソの「水曜洋画劇場」だか、「水曜ロードショウ」だかのテーマソングが好きで、LPではよく聴いていました。ここ20年くらい聴いていません。
曲目は以下の通りです。
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珍しいのは、ハーレムノクターンでしょうか? ほとんどトランペットでは演奏されることのない曲ですが、大好きな曲です。 11-21では、テナーは出てこないようです。その代わり、ピアノの音が良く聴こえているようです、と書いてた、その最中に、15曲目にテナーが出てきました(笑)。 ヘンリーマンシーニの名作、「ピーターガンのテーマ」も、なかなか良いです。 「危険な関係のブルース」は、昔、好きで、よく聴いていました。 ファンキージャズの名曲ですが、どこか、ベンチャーズの「ダイアモンドヘッド」や「ウォーク・ドント・ラン(急がば回れ)」あたりに共通したメロディを持っています、と勝手に思っています。ペンタトニックの性でしょうか? |
違う表現をすると、CとかAmというコードがあったなら、メロディを構成するときに、「ソ」とか「ラ」の使い方に特徴があります。
これは基本的に日本人が好きなパターンでもある、と思っています。
もっと分かりやすい例では、ビートルズなどもカバーしている「You've
really got a hold on me」の前奏のあのフレーズなどは、ペンタトニックというスケールでできています。
どうですか?好きではありませんか?
ところで、日野皓正さんのラジオでの話しなどを聞いていると、日野皓正さんは、若い頃、すごくお客さんに対して態度が大きかったそうです。
ステージで拍手をもらっても「お客さんに頭など下げる必要はない」という考え方で、バンマスなどとも、ぶつかっていたそうです(内容が違っていたらすみません)。ちょうど、このアルバムの録音の頃でしょうか?
その頃のバンマスとは、白木秀雄さんのことでしょうか?そんなことも言っていたような記憶があります。記憶違いかもしれません。
20年くらい前の話しでは、すでに「反省している」そうです。
そのころは、ちょうど日野皓正さんがニューヨークで活躍している頃でした。現地の雑誌などで、ナンバーワントランペッターになったりもしていたと記憶しています。
渡辺貞夫さんも人気絶頂で、ある意味、ジャズ・フュージョン・ブームが巻き起こっていました。バブルの頃ですね。
日本では、これに限らず、スイングジャズのブームなども起こっていましたので、ジャズはどこか、バブルと関係しているのかも、しれません。
スイングジャズは、比較的分かり易い音楽なのですが、基本的にモダンになればなるほど、一般的には少し、むつかしい音楽になっているかと思います。
船井幸雄さんによれば、「複雑なもの」より、「単純で分かりやすいもの」のほうが、より自然の理に近いそうです。
バブルの状態というのは、ある意味「宇宙の理」、「自然の理」とは大きくかけはなれた状態です。
そこら辺に何か、共通項があったのかもしれません。
あるいは、バブルになり、まずお金をより多く持っている大人の文化から大きくなって行った結果、とも言えるかもしれません。
実際は、どうだか、良く分かりません。
ジャズブームとバブルは関係がないのかもしれません。
いろいろな本を読んでいると、どうも「激しい音楽」というのは、「悪い波動」を生むようです。
どこらへんから上を激しい音楽というのかについては、なかなかむつかしいところがあると思います。
つまり、どれくらい激しいと悪い波動がでてくるのか?ということなのですが。
ハードロック、へヴィメタル、パンクロックなどは、きっと激しい音楽でしょう。
デープパープルの「バーン」のドラムなどは、いまだに、かっこいいな!!と思ったりしてしまう時がありますが、あれも悪い波動を出しているのでしょうか?
そうなのかもしれませんし、ただ速いということで、悪い波動が出たりはしないのかもしれませんので、本当の所は分かりません。
フリージャズなどでの気迫迫るようなものも、そうかもしれません。
音楽的には優れていても、波動的には悪い波動を出している、ということもあるかもしれません。
もちろん、全てのフリージャズが悪い波動を出しているとは思いませんが。
ロカビリーはどうでしょうか?
激しいものは、そうかもしれません。
私はジーンビンセントは好きなのですが、それでも、彼の一部の音楽を聞くと、少し具合が悪くなってきます。
「ビーバップアルーラ」はOKなのですが。
スイングジャズとかの速めのものは、どうでしょうか?良く分かりませんが、違うような気がします。
クラシックのシンフォニーなどでの、「バーン!!」と来るものはどうでしょうか?これも違うような気がします。
しかし、あまり音が大きいと、ひょっとしたら、それだけで、悪い波動を出してしまうのかもしれません。
モーツアルトのピアノ協奏曲などは、そこそこ速い曲ですが、いろいろ読んでいますと、どうも良い波動が出ているようですので、単純に速い、遅いだけでは、分からないのかもしれません。
波動計測器のMRAなどで、計測すると、簡単に分かるのかもしれません。
MRAで計測して、その結果をCDなどに掲載したりすると面白いかもしれません。
できれば、良い波動が出ている音楽を聴きたいものですし、良い波動を出している音楽と、悪い波動を出している音楽が、どのように人に影響を与えているか?ということも、広いジャンルの音楽で知ることができるように思います。
どうしても、良い波動を出している音楽、となりますと、クラシック音楽ばかり取り上げられてしまいます。
もちろん、それはそれで良いのですが、ジャズファンのための「良い波動の出ている演奏」、ロックファンのための「良い波動が出ている演奏」、「歌謡曲ファンのための良い波動がでている演奏」などという研究があっても、良いのではないかと考えます。
あの機械は高いのでしょうか?10万円で買えるならやってみたいと思いますが、もっとするような気がします。
ということで、このCDですが、BGMに最適なものです。少なくとも日野皓正さんのトランペットの音はこの頃から本物のように感じます。
1〜20 | 21〜40 | 41〜60 | 61〜80 | 81〜100 | 101〜120 | 121〜131 (132〜140はこちら) |
141〜160 | 161〜180 | 181〜200 | |||||||||||
201〜220 | 221〜240 | 241〜260 | 261〜280 | 281〜300 |
クリスマスアルバムのコーナー |
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