理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。 |
1〜20 | 21〜40 | 41〜60 | 61〜80 | 81〜100 | 101〜120 | 121〜131 (132〜140はこちら) |
141〜160 | 161〜180 | 181〜200 | |||||||||||
201〜220 | 221〜240 | 241〜260 | 261〜280 | 281〜300 |
クリスマスアルバムのコーナー |
132:《ハーレム・ノクターン》〜松本英彦、サックス・ムードジャズ | ||
松本英彦さんの、ムードミュージック集です。 1964年の録音です。私と同い年です。 良く見ると、前出の日野皓正さんの作品とこの作品は両方とも、「真夜中のジャズ」シリーズのようです。 メンバーは全く不明です。 ピアノは中村八大さんなのでしょうか? ベースは鈴木勲さんでしょうか? ギターは沢田駿吾さんでしょうか? ビブラフォンは平岡精二さんでしょうか? 全く不明ですが、なんとなくの予想です。 |
曲目は以下の通りです。
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ハーレムノクターンは絶品です。 本家サムテーラーに迫る感じです。 5の「ダニーボーイ」は以前はあまり好きな曲ではありませんでした。 |
鶴田さんが現れ、「その曲は演奏するなと言っておいたはずだ」とバンドに言います。するとカウンターに座っていた池部良さんが「いいんだ、俺がどうしても演奏してくれと頼んだんだ」と言います。
これで、久しぶりの再開となります...。
ちょっと、「カサブランカ」の「As Time Goes By」のパロディのようですが、きっとそうなのでしょう。
アドリブソロはほとんど出てきませんが、「恋人よ我に帰れ」で少し聴かれます。
この「我に返れ」は、(Lover)Come back to meです。「正気に戻れ」、ではありません。
私は中学生くらいまで、ずっと、「正気に戻れ」の意味かと思っていました。
でも、普通、我に返れは、「正気に戻れ」の意味ですよね?いかがでしょうか?
「恋人よ、我の元に帰れ」では、かっこう悪かったのでしょうか?
「恋人よ、我に戻れ」ではいかがでしょうか?
「スターダスト」では、ジョージ・シアリングばりの、ビブラフォン、ピアノ、ギターのユニゾンが聴かれます。
「恋の気分で(I'm in the mood for love)」も、以前はあまり好きな曲ではなかったのですが、サックスを吹くようになってから、好きになりました。
何となく吹いていて気分が良いのです。
ちょっとフォークストロット気味に演奏すると、フレット・アステアがレスリー・キャロンとダンスをしながら、現れてくれそうな感じがします。
「真夜中のジャズ」シリーズですが、中学生くらいまでは、真夜中というのは、23時くらいから2,3時くらいまでという感覚がありましたが、今は、どこが真夜中だか良く分かりません。
私の感覚が変わったのか、世間の感覚が変わったのか、どちらなんでしょうか?
あの頃は「11PM」や「プロ野球ニュース」を、見ながら、「夜遅いな」と思ったものでした。
「マンハッタン」は良い演奏です。どうも私は、フォークストロットぎみの演奏が好きなようです。
「恋人よおやすみなさい」(Good night Sweet heart)は、昔はキャバレーなどの箱バンが、その日の最後に演奏する曲として、良く用いていたようです。
そういう仕事の十八番の曲というのがあって、テナーなら「ハーレムノクターン」、アルトなら「闘牛士のマンボ」などがそうだったようです。山下洋輔さんの本に書いてありましたが、そうだろうなと思います。
今でも、アルトサックスの初級者用の教本には「闘牛士のマンボ」が出てきます。
「ハーレムノクターン」は、言わずもがなです。
ちなみに、このシリーズは、普通のCD屋さんでは買えないようです。
ワゴンセールのようなところでしか、売っていません。
ポリドールから出ているようですので、海賊盤ではないのですが、要するに、ワゴンセール専用の販売ルートで流しているのでしょう。
私は松本英彦さんが好きなのですが、どうしてでしょうか?
もちろん、うまいのは当然ですが、「ビッグフォー」伝説が刷り込まれているからでしょうか?
良く分かりません。そうなのかもしれないとも、思いますし、要するに「良い」のだと単純に思いもします。
ただ、一つ思いますのが、中学生の時に、FMで、松本英彦さんのフュージョン版「ハーレムノクターン」を聴いて、それがすごく良かった思い出があります。それはいまだに入手していませんが、その性かもしれません。
なんにせよ、思春期に出会ったものと言うのは、どうも一生付きまとってくるようです。
政木和三さんによると、思秋期くらいで、人間性を決める「第二生命体」が付着するということですが、思春期というのは、大切なようですね。
思春期で忘れられないもの、というのはたくさんあります。
中村雅俊さん主演のTVドラマの「俺たちの旅」で、田中健さん、秋野太作さん 、森川正太さんなどが出ていたのですが、
その中で金沢碧さん(だと思いましたが)が、ロッカーかなにかで着替えるシーンがありました。
セミヌードになるのですが、その裸が未だに、記憶から離れません。
1975年放送のようですので、私が9か、10歳の時のようです。
ヌードは、「11PM」で、毎週見ていましたが、女性の裸を見て、「はっ!!」とした一番最初の記憶かもしれません。
ポールモーリアも、ビートルズも、世良譲さんも、中村八大さんも、プレスリーも、みんなこの頃が始めてのものだったように思います。
133:THE BEST OF STANDARD TENAR SAX, HIDEHIKO MATSUMOTO with STRINGS |
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上記に続き、松本英彦さんのムードものです。 しかし、ムードと言うより「イージーリスニング」という感じです。 どう違うかと言うと、いかにも60年代、70年代テイストに溢れているものは、ムードと呼びたい気持ちになります。 こちらは、全体的に最近のイメージに溢れています。 録音やアレンジということだと思います。
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これは、普通に今でも購入可能なようです。
1997年4月9日発売です。私の誕生日ですね!!
ちなみに、あまぞんでは、「with STRINGS」というタイトルで出てきます。
ピアノの小川俊彦さんが、ストリングスアレンジをしています。
メンバーは、ピアノに江草啓介さん、ドラムに五十嵐武要さん、ビブラフォンに大井貴司さんなどです。
以前はこのアルバムは好きではありませんでしたが、スピーカーのセッティングを変えたら、すごく良いものに聴こえてきました。
こういうことは良くあります。どう聴こえるかというのは結構大事なことです。
CDプレーヤーを変えた性かもしれません。
以前政木和三さんの本を参考に、作成したFM音源音の音声ファイルなどは、自宅にある2つのCDプレーヤーでは相当違った音になって再生されます。
一つはヤマハで、もう一つはパイオニアのものです。
ヤマハの特徴はピアノがものすごく良い音で出てきます。
パイオニアの方が安いですが、最近のものですし、スーパーオーディオCDの再生もできますので、正しい音なのかもしれません。
実際のところは良く分かりません。どちらも、高価なものではありません。
今、良くなったと、聴いているのはパイオニアの方の話です。今かかっている「ラブ・ミー・テンダー」では、アドリブソロが聴かれます。少し、R&B調のリズムアレンジになっています。
全体的に少し固い音になっています。それがサックスの骨太な部分をなくしているのですが、パイオニアのプレーヤーでは、そこにあった嫌味がなくなっています。
逆に、良いアクセントになっているようにも聴こえます。不思議なものです。
私は、幼稚園の時くらいに、幅1メートル、奥域50センチ、高さ20センチくらいのレコードプレーヤーを、急いで運んでいる時に、当時住んでいたアパートの玄関に躓いてしまい、鼻をぶつけてしまいました。
とてもたくさん鼻血が出たのを覚えています。
アパートには、新婚さんが住んいました。当時の最新式のステレオセットがその家にあり、良く突然押しかけては、レコードをかけさせてもらっていたことを思い出します。
きっと迷惑だったのではないかと、今は思います。ありがたい思い出です。
その後引っ越したマンションで建築材料の性だと思うのですが、ひどい蓄膿症になってしまいました。
鼻をぶつけたことが関係しているのかどうかは、良く分かりません。
小学校6年生くらいから、ずっとスプレータイプの鼻薬なしでは、息もできないよな状態だったのですが、33歳くらいでハワイにしばらくいましたら、なんと20年来の鼻の具合が治ってしまいました!!
私のいたところは、基本的に観光地ではないし、緑も比較的豊富でしたので、おそらくその空気や、環境の性なのではないかと思っています。
ストレスが少ない性もあるかもしれません。
ですので、幼少〜30代くらいまでは、鼻の頭におできができたり、何かと鼻がらみでいろいろあったのですが、それ以来、鼻に関しては何の不便もないようになりました。
プレーヤーでちょっと思い出しましたので、書いて見ました。
さきほどから聴いていますと、以前よりピアノの音が良く耳につくように思います。やはり、スピーカーのセッティングとCDプレーヤーが変わったことが、相当音に変化を与えているようです。
ちなみに、私のシステムは決して高価なものではありません。それでも、オーディオをはじめて以来一番、自分にあった音かな?と感じています。
基本的にヤハマで組まれています。意識してと言うより、自然にそうなりました。
以前はヤマハは、どうやら販売ルートが違っていたらしく、値引きが少なく学生の身分ではどうしても買い控えてしまっていました。
ですので、以前はほとんど使用する機会がなかったのですが、ここ数年、ヤマハのオーディオも他のメーカー同様に売られるようになっていますので、このようにどんな音か良く分かり、自宅で使用するようにもなりました。それまでは、いろいろなメーカーを試しましたが、どれも、自分の好みではありませんでした。
アンプなんか、5,6社買い換えています。
まず中学生の時自宅にあったのがパイオニアのシステムでした。その後、ビクター、マランツ、ソニー、オンキョー、サンスイ、ヤハマと変遷しています。
ヤハマ以前は一番しっくりっしていたのは、サンスイのアンプでしたが、ヤマハを使用してみましたら、自分にはこちらのほうが、しっくりきました。
CDプレーヤーも、3,4社買い換えていますが、ヤマハとパイオニアが一番好きなようです。
デンオン、ソニー、オンキョー、ヤマハ、パイオニアです。
スピーカーも、いろいろやりましたが、どうもヤマハが好きみたいです。
パイオニア、オンキョー、JBL、オンキョー、インフィニティー、JBL、ヤマハという変遷です。
スピーカーは、トールボーイ型と呼ばれる、のっぽなスピーカーが多く発売されるようになり、助かっています。
それ以前は日本では、長方形をした大きくて重いものか、長方形のやや小さめのものかしかなく、大変でした。
大きな家に住んでいるなら大型のフロアタイプでも良いのでしょうが、そういうものは、まず大きく、重さも30キロ〜50キロくらいあり、大きくて引越しの多い自分には不向きでした。
また小さなものは、どうしても、スケール感がでません。
トールボーイものは、比較的省スペースですし、スケール感もそこそこあります。
基本的に、すっきりした音で、少し多めのメリハリ感、というのが自分の好みのようです。
すっきりした音とはつまり、ややハイ上がり気味ということになるのだと思います。
どうしてハイ上がりの音が好きなのかについて考えて見たいと思います。
まず一番考えられるのは、ソニーのラジカセです。
ソニーの音色というのは、基本的に超ハイ上がり、というのが私の感想です。
最近のソニーのオーディオについては、良く知りませんが、私にはそういうイメージがあります。特にラジカセではそれは顕著なように思います。
そういう音を物心ついた時からずっと聴いていましたので、耳がそれになれてしまっている、ということは考えられると思います。
なにせ、小学校3,4年生からずっと大学生くらいまでずっと、ソニーのラジカセと、一緒に寝ていましたので。
それゆえ、逆に、普通の音を聞くと、つまった音に聴こえてしまう傾向もあるようです。
次には、生まれつき、ハイ上がりの音が好き、ということかもしれません。
それでも低音も出ていないとだめなのです。贅沢なことに、中音域も聴こえていなくてはなりません。
耳が非常にぜいたくにできています。実際のところは、何が理由かは良くわかりません。高周波を多く含んだ音楽は、脳を活性化したり、体に良いらしいのですが、ハイ上がりの音が好きであることと、それと関係あるのかどかは、良く分かりません。
スピーカーから出てくる音がハイ上がりでも、音楽に高い周波数が多く入っていなければどうしようもありません。
ただハイ上がりであると、高い周波数の音が聞こえやすいということはあると思います。
また、基本的にクラシックを綺麗に聴くシステムというのは、ハイ上がりではなく、落ち着いた音であります。
ですので、高い周波数が必要以上に良く聴こえなくとも、音楽そのものにきちんと入っていて、普通にスピーカーから出てくるのならば、高い周波数からの恩恵は受けられるのだと考えます。
ですので、どちらかというと、ソフトや、アレンジ、作品側の問題だと思います。
それではこの場合、ハイ上がりの音のメリットはどこにあるかといいますと、おそらく、リズムが良く聴こえる、ということではないでしょうか?
ドラムのハイハットの音などが良く聴こえるようになります。
またメリハリのある音というのは、低音も聞こえる、という意味ですので、必ずしも、ものすごい低い周波数まで再生されているということではなく、しまった低音になっているということです。周波数的には、どうでしょう、100Hzくらいの音なのでしょうか?ここら辺が聴こえて、高域も出ていると、メリハリのある音と言うことになるのだと思います。
そうしますと、ベースや、ドラムが良く聴こえる音ができあがりますので、やはりリズムが良く聴こえるということになるのだと思います。
そこから考えますと、私は、リズムが良く聴こえる音が好きなのかな?という仮説が立ちます。
これは一理あるように思います。
確かに、気が付くと、ハイハットの音を中心に聴いていた、ということもありましたので。オーディオテクニカのMCカートリッジが要因なのか?とも思います。
ともて好きなカートリッジでしたが、とても、メリハリがあり、すっきりとした音色でした。ベースなどは、ゴムマリのような感触で聞こえたものでした。
この感触はCDでは出ません。アナログでは、しばしばそういう音がありましたが。
これも、可能性としては、相当高いです。
普通使われているカートリッジは、MMカートリッジと言います。
それに対してMCカートリッジは理論的にも音が良く、実際高価で、音の良いものが多いです。
特徴としては、概して高音が切れているということです。
出力が小さいので、MCカートリッジ用の上昇トランスか、それが内臓されているアンプが必要になります。
CD時代の今では、MMカートリッジを使うにも、別売りのトランスが必要なアンプも多いですが。
今使っているアンプは、MM用のフォノイコライザーは内臓されています。ですので、レコードプレーヤーを買ってくれば、すぐ繋げることができます。もっとも、最近は、フォノイコライザー内臓のレコードプレーヤーも売っていますが。
そんな高価なMCカートリッジですが、ちまたにCDが発売されるぞ、という雰囲気が出てきた頃には、やっと安くいいものが出てきました。 もっと早く出てくれば良かったのにとも思います。まあ、ぎりぎり間に合ってよかったなとも思いますが。 学生で、高価なMCカートリッジを使うのは、少しためらいのあることでした。 その予算でLPをもっと買いたいと思っていましたので。 |
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Victor QL-A70 |
これも、かなり確立の高い要因だと思います。 |
(上のプレーヤーは私が使っていたのと同型ですが、CDがすでに発売されはじめている中、安く買いました。
この機種以前はデンオンのものでした。
しかし、すぐにCDにメインを変えることにして、1年ほどしか使用でず、今は実家に仕舞いっぱなしです。)
ただむつかしく考えずに、単純に考えれば、ピアノでも、ストリングスでも、ハイ上がり気味の音色が好きですので、「好き」ということなのかもしれません。きっとそれでしょう。
しかしながら、録音上はただハイ上がりにすれば良いということではないようです。
ちゃんとバランスよく、特に中音をきちんと録音しませんと、ピアノでも、ストリングスでも、ウソの音になってしまいます。
コクが損なわれるように思うのですが?いかがでしょうか?
ところで、先日、谷山浩子さんのサイトを見ていたら、おいもしろいことが書いてありました。
http://taniyama.hiroko.com/hiroko/hobby/kansou/iroiro.html ですが、
日本語で言う、アーティストという言葉は、芸術家とされているようですが、どうも、2つの綴りの違う別の意味の単語があるそうです。
以下の通りです。
artiste:芸能人、プロの歌手、ダンサー、俳優など、ショーをやる人のこと
artist:芸術家
私は、昔から、これが疑問の種でした。
なぜなら、みんなが、モードや、難解になってしまった部類のモダンジャズをやりたがっていた中、私は自分の好きなものをやりたいとの信念で、スイングだとか、セミモダンなものをやっていました。
特に自分より若い人たちからはその姿勢がほとんど理解されなかったのですが、それでも、やり続けました。
ただ、その姿勢を趣味でありながらも、英語で言うとアーティスト(芸術家)と言われるのが、どうしても納得いかないと思っていたのです。
仕方が無く、自分の中では、「職人」と言うカテゴリーを作って、そこへ自分を当てはめていました。
森田健さんのサイトなどで、「アート」、「アーティスト」に関しての発言などを読むにつれ、最近、このことについて、また考え直して見たりしていたのですが、どうも、これが私への回答のようです。
要するに、私のやっていることは、音楽を演奏する人、であったようです。
別にアーティストという表現でかまわないようです。
もちろん、この言葉を使う当人が、「芸術家」の意味で使っているのなら、それは、「芸術家」という意味になりますが。
しかしこれっていうのは、日本人の1%以下の人しか、知らないことではないでしょうか?
みなさんは、知っていましたか?
もう分からないかもしれない疑問:私は今まで、artisteを何と読んでいたのでしょうか?.....(笑)
134:The Best of SAM TAYLOR | ||||
ムードサックスの雄、サム・”ザ・マン”・テイラーのベスト盤です。 収録曲は以下の通りです。
あまぞんで見たところ、ほとんど同じジャケットで、曲が微妙に違う、彼のベスト盤がいくつもあるようです。 |
1930年代後半からプロとして活躍し、キャブ・キャロウェイ楽団などで活躍し、独立した、とライナーにはあります。
彼の初来日が1961年とも書いてあります。演歌を集めたアルバムなどの出していますので、日本人には、相当なじみの深いアーティストなのではないでしょうか?
米アマゾンで調べても、出てきますので、ちゃんと海外でも名前は知られているようです。
ただし、同じ名前のR&Bサックス、ボーカルの人がいるようです。サム・”ザ・ブルースマン”・テイラーという通称があるようです。
この人のむせび泣くサックスというのは、本当にむせび泣いています。
どうやっても、日本人には出ない音なのではないでしょうか?
最近はムードサックスというジャンルがほとんど新人が出てきていないようですので、この人と、シル・オースチンの二人で、市場を全て担っている状態が、もう何十年も続いていると思います。
ただ、現在では、フュージョンサックスが、この分野に取って代わっているとも言えるかもしれません。
そうであれば、ケニー・Gあたりは、現在のムードサックスと呼んでも差し支えないのかもしれません。
「恋人よ我に帰れ」では、アドリブソロも聴かせています。
女性コーラスがなんともレトロで、ノスタルジーを追求している音楽ファンには、以外に受けるかもしれません。
十八番は何と言っても、「ハーレムノクターン」です。
私は作品として大好きですが、ドリフの”カト茶”の使っていた「タブー」と同じくらい、そういう曲として有名なのも確かです。
「クライ・ミー・ア・リバー」は中々の好演です。
9thの音から始まるメロディは、レオン・ラッセル、カーペンターズで有名な、「スーパースター」に通じるところがあります。
9thとは、Amならシの音のことです。
音楽療法の本を読んでいると、「悲しい時に、悲しい曲を聴いて、干渉させて直す」方法が出てきますが、マイナーの曲が好きな人(私とか)は、”被害者意識”があるのかもしれませんね。
実際、私に限らず、悲しい曲を聴く、という行為は、無意識にその「干渉」を狙っての意味あいもあるのでしょう。
ちなみに、「干渉」とは、同じ波形の信号同士がぶつかると、打ち消して平らになることを言います。
ただ、それに気を良くして、「悲しい曲」ばかり聞くと、今度は、干渉ではなくて、「悲しい波動」を生むかもしれませんので、ほどほどが良いように私は思います。
ポールマッカトニーが曲を書いたこともあるペギー・リーの代表曲「ジャニーギター」は、70年代東映映画のBGMのような仕上がりになっています。
コード進行が「黒い花びら」に似ていますので、このアレンジのように3連でやりますと、どうしてもそうなってしまうかと思いますが。
続けての「サマータイム」もすごいむせび泣きです。八代亜紀は超えているかもしれません。ひょっとすると、ジャニスジョプリンも超えているかもしれません。
この過剰表現は、ほとんど「スチワーデス物語」くらいしか、肩を並べることはできないのではないでしょうか?
「オール・ナイト・ロング」は、R&B調のかっこ良いアレンジです。
シドニー・ポアチエの「夜の大捜査線」を思い出させます。
今調べましたら、この映画の音楽担当は、クインシージョーンズのようです。
「ロンリー・ヴィル」は、なぜかトミードーシーを連想させます。トロンボーンのアンサンブルのせいでしょうか?
ビブラフォンも良く効いています。
なぜか、曲の解説が多くなってしまいましたが、なんというか、ムード音楽のエッセンスを全体に染み込ませたような世界が繰り広げられています。
そうなると、ついついいろいろ語りたくなってしまいます。
彼は基本的にR&B的なサックス奏者だと思うのですが、その表現手段が、演歌などに通じているところが、日本で人気がある原因かもしれません。
日本人はR&Bも好きな人種だと勝手に思っていますが、R&Bと演歌はどこか共通するものがあるのでしょう。
どこか共通するものがあるということは、どこかで起源が共通しているということなのでしょうか?
水原弘さんの「黒い花びら」(中村八大作曲)が第1回日本レコード大賞を受賞したのが昭和34年(1959年)です。
私はこの曲は、ポールアンカの「君こそ我が運命」に相当影響を受けた曲だと思っていますが、間奏のサックスソロなどは、まさしく、このサムテイラーを”ほうふつ”させるものです。
’50Sのポップスでも、ムード音楽でも、それらの音楽は、演歌なり、歌謡曲なりの形成に、影響を与えているようです。
それは、今の歌謡曲を聞いていても、今流行っている海外の曲の影響がありますので、不思議でもなんでもないことなのですが、当時のどのあたりのアーティスト、曲、ジャンルがその時一番影響を与えていたのか?ということには、す興味のあるところです。
中でも、泣きのメロディが、強く影響を与えていたように思います。
当時の世相もあったのかもしれません。
悲しいメロで、「干渉」する、という理論を自然にやっていたとも思えます。
突然ですが、下は1960年代、70年代の日本レコード大賞受賞曲です。
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曲目から、何か、見て取れるかと思いましたが、大賞受賞曲だけでは、世相の反映以外には、見て取れるものはないようです。
折角なので、海外の音楽の影響ということで、「似ている曲」を考えながら、海外の影響を見てみたいと思います。
※J-WAVE CD ONLINEで視聴できる曲が多いです。
※http://mora.jp/ で視聴できる曲が多いです。専用ソフトでないと、できないこともあります。
年 |
回 |
受賞曲 | 似ている曲 |
1959年 | 1 | 黒い花びら | 君こそ我が運命:ポールアンカ |
1960年 | 2 | 誰よりも君を愛す | グリーンフィールド:ブラザースフォー(少し苦しい)。「暗いハワイアン」、という回答は安易すぎますが、一番当たっているようです。 |
1961年 | 3 | 君恋し | 適切な曲が、思い当たりません。 |
1962年 | 4 | いつでも夢を | 「ラブリン・ローズ」:ナッキングコール、「私の青空」(スタンダード) |
1963年 | 5 | こんにちは赤ちゃん | 「可愛いベイビー」:リトルリチャード。「リターン・トウ・センダー」:エルビス |
1964年 | 6 | 愛と死をみつめて | 適切な曲が、思い当たりません。 http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/Uta/Uta.htm はすごいです。カラオケができます。歌詞が出てきます。 |
1965年 | 7 | 柔 | 適切な曲が、思い当たりません。 |
1966年 | 8 | 霧氷 | この曲は知りません。聴けば分かるかもしれません。 |
1967年 | 9 | ブルー・シャトー | 「月の砂漠」、というのは、あまりに有名な話です。 ブライアンハイランドの「涙のキッス」を早くすると、似ているかもしれません。 |
1968年 | 10 | 天使の誘惑 | 「ドミニク」スール・スーリール(テンポを落として)、「バケーション」コニーフランシス(コード進行が)その他多数。 |
1969年 | 11 | いいじゃないの幸せならば | 「ベサメムーチョ」に似ていますが、少し違います。 「この胸のときめき」ダスティスプリングフィールド(テンポを上げて) |
1970年 | 12 | 今日でお別れ | 「サウンド・オブ・サイレンス」(S&G)小節をつめるとこうなります。 でも、「サウンド...は「夜明けのスキャット」に似ています。 |
1971年 | 13 | また逢う日まで | C→E7という曲で、16ビートっぽい歌謡曲がたくさんあったように思います。 プレスリーの「バーニングラブ」と、CCRの「雨を見たかい」を混ぜるとこうなるかもしれません。 |
1972年 | 14 | 喝采 | 「スリーピー・ラグーン」(ハリージェイムス)、「サムワン・トウ・ウオッチ・オーバー・ミー」(スタンダード)など。 「イエスタディ・ワンス・モア」は、1973年なので、この曲の後です。 |
1973年 | 15 | 夜空 | 「ダイアモンドヘッド」(ベンチャーズ)、「いそしぎ」(サントラ) 少し苦しい。 |
1974年 | 16 | 襟裳岬 | 「blowin in the wind」(ボブ・ディラン) 拓郎なので、当たり前。 |
1975年 | 17 | シクラメンのかほり | 適切な曲が、思い当たりません。 |
いざやってみると、結構むつかしいものでした。なかなか適切な曲が見つかりません。
似ている曲にリストアップした曲というのは、更にその曲に似ている曲があるものだ、と言うことに気付きました。
人にうったえるメロディというのは、パターン的なものがあるように感じます。
「喝采」を見てみます。
似ている曲に「サムワン・トウ・ウオッチ・オーバー・ミー」と書きましたが、この曲自体、似ている曲というのが多くあります。
「イン・ア・センチメンタル・ムード」、「P・S アイ・ラブ・ユー」(ビートルズのではなく、スタンダードの方)、「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」、「ジーズ・フーリッシュ・シングス」。
これらの曲は、特に「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」と「サムワン・トウ・ウオッチ・オーバー・ミー」は出だしがそっくりです。
マイナーの「イン・ア・センチメンタル・ムード」は、ともかくとして、他の曲は、私などはどの曲を演奏しているのだか、分からなくなってしまう時すらあります。
「ジーズ・フーリッシュ・シングス」は、少し違いますが。
米アマゾン で、試聴できます。
「In a Sentimental Mood」 :Duke Ellington and John Coltrane :または、Classics in the Key of G Kenny G
「These Foolish Things 」:Count Basie Encounters Oscar Peterson
「Someone to Watch over Me」 :My Favorite Instrument Oscar Peterson1.
「My one and only love」:見つけたら書きます。
「P. S I love you」: 見つけたら書きます。
※追記:「Once in
a While 」も、やや似ています。
となりますと、ある特定の民族などに特別に好かれるパターンのメロディもあれば、もっと広い範囲で好かれるパターンのメロもあるということなのだろうと思います。
ただ、面白いのは、上記の「喝采」に似ている曲と言うのは、どれも、基本的にペンタトニック系のメロディということです。
ペンタトニックとは、Cとか、Amがキーの時の、ド レ ミ ソ ラ (ド) のスケールのことです。
クラシックでは、ドボルザークの「新世界より」のあのテーマなどは、ペンタトニックと呼んでいいのではないかと思います。
確か、ニューヨークへ渡ったドボルザークが、アメリカの音楽に影響されて作った曲ということだったように思います。
非常に、聴きやすく、覚えやすいメロディです。
庶民的なメロディとも言えると思います。
変な言い方をすれば、下世話なスケール、メロディラインとも言えるかもしれません。
要するに、庶民的と言うことで良いのですが。
「ソラド」(C)というようなフレーズがあれば、これは相当ペンタトニック的フレーズと呼んでいいと思います。
「ソラド」と言えば、例えば、ポールマッカートニ&ウィングスの「バンド・オン・ザ・ラン」の、
Aメロ(メジャー7系のメロ)→Bメロ(マイナー系のメロ)→C(メジャーのメロ)
で、BからCへ移る時のつなぎのフレーズが「ソラドーソラドー」です。
庶民的フレーズですが、このスケールは、かなり多くの民族に好かれるフレーズである可能性がありますね。
もちろん、ヨーロッパや、その他の地域まで調べているわけではありませんので、確かなことを言うには早すぎますが。
「オーシャンゼリゼ」だけを見てみれば、
(in C)「ミソミー、レミレー、ドレドー、シドシー」「ラードレドミーレドード、ラードレドー」
で正しいならば、相当ペンタトニック的です。
私は生まれて初めてビートルズの「With the
Beatles」を聴いた時、「You've really got a hold on me」で、演歌みたいな曲だな、と思ったことを覚えています。
みなさんはどうでしょうか?
但し、こう調べてみますと、”演歌に似ている”という感想は、正確ではないようです。
ペンタトニックが多くの民族で好まれるスケールである、という仮説を正しいものとして考えれば、どの種類の曲に似ている、と思ったとしても、間違えでは無いように思います。
ただ、分かるのは、、どうやら過去の私が、ペンタトニックを”演歌の象徴のようなスケール”ととらえていた可能性があるということです。
「ソーラン節」のメロは、「ソーラドミーレド....」となり、やはり相当ペンタトニックですが、日本人であれば、幼少の頃から耳にするものではないかと思います。
ここらへんから、私の中に、日本→演歌→ペンタトニック、という論理ができあがっていた可能性はあると思います。
結局何が言えるかと言いますと、「ペンタトニック」を使っているというだけでは、似ていると言っても、仕方がない、ということのようです。
よほど、そっくりなフレーズに出来上がっていない限りは、似ているといってはいけないようです。
なにせ「ペンタトニック」は、自然に任せておけば、相当多くの人間が、「好むスケール」だからですね。
さて、庶民的、下世話と、ペンタトニックを評しましたが、果たして、上層階級の方たちは、このフレーズを好むのでしょうか?
上層階級の人は、どうも、私の知っている限りでは、「クラシック音楽」を好きな人が多いようです。
クラシックと言っても、かなり広い範囲のジャンルではありますが、一般的な我々になじみの深い曲というものは、どうもやはり、ペンタトニック的であるようです。
「四季〜春」、「エリーゼのために」、「スケーターズワルツ」、「カルメン」、「チゴイネルワイゼン」、「運命」などなど。
つまり、ペンタトニック的だと、一般の人々にも、好かれる、ということのようですし、小曲を作るには、使いやすいスケールとも言えるかもしれません。
例えば、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番があります。
あの有名な出だし、その後しばらく続くメロは聴きやすいですね。ペンタトニック的でもあると感じます。
しかし、もしこの曲が「つまらない」、という人がいるとすれば、おそらく、メロディになっていないような、繋ぎのフレーズ、実はこれこそが、クラシック音楽的な部分ではないかと思うのですが、そういうところが「つまらない」、と感じているのではないでしょうか?
つまり、「追いかけにくいフレーズ」、「歌いにくいフレーズ」、「とらえどころのないフレーズ」というのが、クラシックは、ポップスなど歌物よりも、多いのではないかと仮定します。
実は、こういう音楽というのは、寝るときや、作業をしている時などには、非常に良いようなのです。
船井幸雄さんの「早起きは自分を賢くする!」(1996年7月発行)の236ページには、次のようにあります。
『通常、メロディを追いかけるような曲、つまり耳がメロディを聞いてしまい、頭に残ってしまうような曲は、環境音楽としては不適格だ。頭が休まらないため、目が冴えてしまうからだ。仕事をする際のBGMも同じである。歌謡曲や調子のいい音楽はいけない。
(中略)
ただし、人によって、あるいは日の精神状態によって、音楽をどう楽しめるかは微妙に違ってくる。今紹介したお勧めリストを参考に、ゆっくりとしたテンポで音の強弱が少ない音楽を、自分の好きな曲の中から見つけ出していただきたい。』
とあります。
ちょっと、いつもの船井さんと違うような文体と、言い回しの文章です。
70年代より前くらいの評論みたいな文体だな、と思いながら読んでいましたが、みなさんは、この内容をどう思うでしょうか?
私は経験的に、「確かにそういう面はある」と思います。
加えて言えば、寝たり、作業したりする時には、音のメリハリも少ない方が良いように感じています。
波の音のCDなどを、寝る前にかけたりすることもありますが、あまりメリハリが効いていると、目が冴えてしまいます。
さて、こうなるとクラシック音楽の多くは、「頭に残りにくいメロディ」であり、「頭を引っ張られない音楽」であり、「テンポも、「比較的ゆたりとして」いて、私の意見も加えれば、「音質のメリハリも少ない」ものが多い、加えて今言えば、「ソリッドなエレキギター、固い音質の金管楽器、デジタル的なするどい高音低音を使わない」ということになるでしょうか?
上からのつながりでは、「頭を引っ張られない音楽」≒「ペンタトニックを使っていない」といっても、それほど間違いではないようです。
「音質のメリハリが少ない」ということは、「ハイハットのような金属シンバル系のするどい音を使っていない」、「たえずベースが鳴っていたり、バスドラが効いているということがない」ということが言えると思います。
「ソリッドなエレキギター、固い音質の金管楽器、デジタル的なするどい高音低音を使わない」は、必要以上の刺激音を使わない=刺激の少ない、柔らかい、ということだと思います。
この対象で、クラシック音楽と、ポピュラーなものを比較しますと、
ポピュラー=1:形が捉えやすいもの、形のある音楽。2:鋭い高音、固まったような刺激的な低音で、強くリズムパターンを刻む音楽。3:刺激的な音が多い音楽。
クラシック=1:形が捉えにくく感性的であるもの。2:鋭い音、固まった高音リズムパターンもはっきり示さない音楽。3:刺激的な音が少なく、柔らかい音楽。
とできるかもしれません。
さて、ここで、相当危険な仮説ではありますが、上層階級=運の良い人生を歩んでいる人たち、とするならば、
そして、もし本当に上層階級の人がクラシック音楽を好む、ということであるならば、
「1:形が捉えにくく感性的であるもの。2:鋭い音、固まった高音リズムパターンもはっきり示さない音楽。3:刺激的な音が少なく、柔らかい音楽。」というものが、何かに強く影響をしている可能性があるかもしれない、と言えるかもしれません。
物を形、イメージで捉えるのが、右脳である、と言います。
しかし、ここで言う「形が捉えにくい」、という意味は、音楽以外の現象で言えば、「言葉にできない」、「理屈で説明できない」ものであり、私の考えとしては、解釈するには至極右脳的解釈が必要なもの、であるということなのだと思います。
となると、一つには、「右脳を使うと言うこと」は、やはり、何か「運が良いということ」と、大きく関係しているのかもしれません。
単純な話し、暗記が早くなるとか、何かを一辺に多く処理できるとか、そういうことは、間違いなく、良い結果を生むでしょう。
しかし、右脳だけの話しでしょうか?
江本勝さんによれば、「クラシック音楽を水に聞かせると、きれいな結晶ができあがる」そうです。
水と人間に共通してあるものは何かと考えます。
水には知性はないようです。
しかし、生命体はあるようです。
とすれば、クラシック音楽の特性は、生命体に良い働きかけをしているのではないか?という仮説が立てられるかと思います。
本当の所は良く分かりませんが。
これが正しいとすれば、
1:形が捉えにくく感性的であるもの。2:鋭い音、固まった高音リズムパターンもはっきり示さない音楽。3:刺激的な音が少なく、柔らかい音楽。
は、生命体に良い影響を与えている、蘇生的である、と言えるかもしれません。
逆に言えば、
1:形が捉えやすいもの、形のある音楽。2:鋭い高音、固まったような刺激的な低音で、強くリズムパターンを刻む音楽。3:刺激的な音が多い音楽。
は、生命体に悪い影響を与ええている、破壊的である、と言えるのかもしれません。
もちろん、ロックミュージシャンでも、お金持ちも、幸せな人生を歩んでいる人もいますので、これだけで、全てが決まるとは思いません。
同様、上層階級の人が全員幸せということでも、ないと思われます。
それでも、どうやら、クラシックに限らず、
1:形が捉えにくく感性的であるもの。2:鋭い音、固まった高音リズムパターンもはっきり示さない音楽。3:刺激的な音が少なく、柔らかい音楽。
に、何か良いものであり、
それが一番含まれている音楽が、クラシックである、ということは、言えるかも、しれません。
本当のところは、良く分かりません。
追記的に書かせてもらいますが、時代と共に、ポピュラーは、リズムが細かくなっています。
簡単に言えば、1小節の中のハイハットの金属音は多くなっているのです。
単純化しますと、
スイングは、1小節に4つです。
ビートルズ以降は、8つです。
70年代半ば位からは、16個です。これで、大体今まで続いています。
それと、ペンタトニック論を合わせるて考えると、「ペンタトニック+刺激音リズム」、というパターンは、「地の理」≒資本主義経済を増徴する効果があるのかもしれません。
このパターンが、「決まられた運命通りに人を導く」ことに一役買っているのかどうかは、分かりません。
「導いていない」かもしれませんし、「導いている」のかもしれません。
クラシックのパターンこそが、「決められた運命通りに人を導いている」のかもしれませんし、逆に「運命変更に一役買っている」のかもしれません。
どちらでしょうか?
どちらにしても、大きく関わっているのか、少なく関わっているのかもわかりません。
直感的仮説で言えば、どこかの部分で、クラシック的パターンが、「運命変更」に関わっているような気もします。
私は最近、テレビ番組で「世界中の金持ち」が登場すると、キャプチャーして、その人相を見ているのですが、今のところ、一つだけ言えることがあります。
みなさん、一様に、シータ波的人相なのです。
どういう顔かと言いますと、何となく、のっぺりしていて、とろん、としているのです。
「間が抜けている」ということではないのです。
のっぺり、とろん、なのです。
もちろん、笑いますし、表情はあります。
幸せすぎて、気が抜けていると、思う人がいるかもしれませんが、そういう感じでもないのです。
エゴが少ないということなのでしょうか?
分かりません。
企業戦士的で言えば、活躍しそうな人相ではありません。
しかし、私の思い込みがあるのかもしれません。
実際のところは分かりません。
135:OLD GOLD+TRIUBLE IN MIND, KING CURTIS |
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キングカーティスの2枚のアルバムをまとめた物です。 1曲目の「フィーバー」では、いきなりスカビートです。 米アマゾンにも、日本あまぞんにも、曲目等何も書いてありません。 ですので、大変ですので割愛します。 メンバーは、OLD GOLDは、ギターにエリックゲイルが入っています。 TROUBLE IN MINDでは、ピアノ:ポールグリフィンなどです。 |
ここでの私的な聴きものは、「ハーレムノクターン」です。一体どんな演奏なのだろうと思い、購入しました。
やはりなんとも、ブラックフィーリングに溢れています。どのようなブラックフィーリングかと言いますと、ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」に近いブラックフィーリングです。
R&Bではないのです。
ここらへんが、ジャズアーティストと違うところでしょうか?
ベースのリフから入ります。薄い伴奏ですので、サックスのうまさが引き立ちます。
これは、他のアーティストにも言えることで、特に吹奏楽器の場合は、あまり薄い伴奏で演奏されることがないのですが、このように伴奏が薄いと、改めて「うまいんだな〜」と感じたりします。
渡辺貞夫さんが、無伴奏で吹きまくる「言い出しかねて」など、すさまじいものがあります。
「タキシードジャンクション」は、好演です。グレンミラーの十八番ですが、もともと少し丸過ぎてぼやけてしまっているような曲ですので、彼のブラックフィーリングがうまい具合に調和して、ファンキー色の強いジャズ、またはジャズに近いR&B調にまとまっています。
不思議なものです。
しかしながら、理論的に混ぜ合わせれば、そうなのだろうとも思います。
12曲目から、TROUBLE IN MINDになりますが、いきなり、雰囲気が異なります。
カーティスのボーカルから入っていきます。
ライナーにも、雰囲気の違う2枚のアルバムであることが書かれています。
こちらの方が、よりR&B調です。前半は、R&Bですが、50年代ポップテイストがほんの少しだけ、入っているようです。
キングカーティスと言えば、「メンフィス・ソウル・ストウ」のヒットが有名です。
日本語書きをすれば、「メンフィス・ソウル・シチュー」になります。
「STEW」です。
外国でシチュウを頼むときは、「ストウー」と言えば、90%以上通じると思います。
「シチュー」では、ホノルルでも日系人のおばさんにしか通じません。
このアルバムには、入っていませんが、なんともかっこいい曲です。
「タイトンアップ」なんかも、この曲あたりの影響ではないでしょうか?
一人一人メンバーを洒落た表現で紹介していき、楽器がどんどん重なっていきます。
コンサートのメンバー紹介みたいなものです。
そして、カーティスのサックスが躍り出てくるところがなんともかっこいいのです。
「Nobady wnts you when you're down and out」は、彼のボーカルが聴かれますが、1枚目には全くない種類の演奏です。リラックスした(?)R&Bになっています。
ギターの録音がなんとの良いですね。スピーカーがギターアンプになって、そこから音が出ているようです。伴奏が薄いのです。しかも、左スピーカーに音が振ってありますので、なおさらそういう感じです。
右のアルバムは、1998年にCD化された「Live
at Fillmore West」です。 2つに分けて、紹介しても良かったのですが、番号を振りなおすもの大変なので、ここで紹介します。 1曲目は「メンフィス・ソウル・ストゥ」です。
オルガンは、ビリー・プレストンです。 ライナーには、いろいろ詳しいことが書いてありますが、このアルバムは3日間のコンサートから編集されたようです。 |
アルトのVernard Jonhnsonの「I'm Alive」というアルバムに「Oh Happy Day」が入っていますが、それと似た演奏なのでしょうか?興味があります。
2曲目「青い影」は、プロコルハルムのものより、スローで演奏されます。
私の好みとしては、ベースかドラムがもっと、リズムを細かく出すか、スピードを速めたものが良いのですが、これはこれで、良いようです。
3は、レッド・ツェッペリンのそれです。
以外に良い演奏になっています。力強いブラスアンサンブルを従えての演奏です。
ちょっと拓郎の「君が好き」を連想させます。
ここでも、私の好きな「ミスターボージャングル」が出てきます。
サックスにボコーダーかなにか、かかっています。
ボコーダーとは、ピータープランプトンの使用で有名ですが、要するにフェイザーのようなエフェクトがかかるエフェクターです。
私は使ったことはありませんが、あれは息の量でコントロールするのでしょうか?
チャーリーパーカーの伝記映画「バード」で、最後の方に、ロックンロールサックスが世に出て来て、がっかりする場面があります。
私はパーカーも良いと思いますが、ロックンロールサックスも、R&Bサックスも同じように良いと感じるのですが、パーカーはどうなのでしょうか?
あの映画のように、本当に、こういうものは嫌いなのでしょうか?
私はどうも、本当はそんなことを言わないように勝手に思っているのですが、どうでしょうか?
アンドレ・プレビンはジャズもクラシックもやっていますが、ジャズもロックもきちんと楽しんで演奏しているアーティストと言うと、ハービ−ハンコックでしょうか?
彼は確か「もう少し後に出てきたら、ロックをやっていた」というようなことを言っていたと思います。
スタジオワークでいろいろなジャンルをやっている人はたくさんいますが、本当は楽しいのかどうかは良く分かりません。
ただ、長く続いているようですので、楽しいのだと思います。楽しくなかったら、長く続くはずはないと思います
なかなかむつかいいところですが、時に、玄人好みのジャンルの人が、売れているジャンルの音楽をやったりすると、金のため、と言われることがありますが、1度や2度ならともかくとして、そちらを本業としてやっている人というのは、別に売れせんだからやっているのだとは思えません。好きでやっているのだと思います。
例えば、トランペッターのニニロッソは、もともとジャズですが、ムード音楽をやりました。
しかし、おそらく好きだったのだと思います。
ジョージベンソンはジャズとポップスを併用しています。
インタビューには確か「クラブだけに出演するだけの、一部の人にしか知られていないような存在では終わりたくない」のような内容のものもあったように思いますが、そうではなく、基本的に歌を歌うことも好きだし、ポップなメロディも好きなんだと思います。
ジョンマクラフリンなどは、ジャズですが、70年代のソロフレーズなどは、全くもってロックです。
クラプトンがアイドルだったというようなインタビューを読んだ記憶もあります。
逆に、サンタナはロックですが、ジャズと関わったりしています。
しかしこれは、ロックミュージシャンとして関わっていたようですので、少し毛色が異なります。
それでもジャンルをまたぐ姿勢は、私は大好きです。
基本的に良いアーティストと言うのはいると思いますが、良いジャンルというのはないように感じています。
ただ、精神的にどういう作用を及ぼすとか、そういうことになると、ジャンルの良し悪しとは関係なく、あるようです。
高い周波数の音が頭を活性化し、体の悪いところも直す、しかし、高い音でも、金属音のようなするどいものは、精神を乱す、というのが、今のところの私の仮説です。
バイオリンで周波数的に高い音を出しても、含まれる成分によって、するどい音にはなりません。
それは、アンプのトーンつまみを右や左に回せば分かることだと思います。
もちろんあまい音(左)にしていけば、聴こえにくくは鳴ってきますが。
それでも聴こえています。
年をとると、高音が聞こえなくなってくる、と言います。
ギターのチェット・アトキンスなどは、後年、
「高音は出ているかい?」
と、自分が高音が聞こえにくくなっていることを自覚して、他人に聞いたりしていたようです。
人にもよりますが、年をとると、高音が聞こえにくくなっていく、ということと、老人がマクロに見れば温和である、ということは、関係があるのかもしれません。
もちろん仮説ですが。
老人の「高音が聞こえない」というのは、どのような感じなのでしょうか?
たとえば、モーツアルトの曲が鳴っていても、ある程度以上の高い周波数の音が、まったくカットされてしまう、という聞こえ方ではないはずです。
まったくの仮説ですが、「刺激音」に相当する成分だけが、うまい具合にカットされているのではないでしょうか?
これが正しければ、全くちょうど、高い周波数の音を再生した時に、アンプのトーンつまみを左に回したような感じになるのだと思います。
私の仮説が正しければ、それというのは、精神状態、性格にまで影響してくる可能性もあるということです。
オーディオ的にクラシックを良い音で聴くとされているシステム、あるいは、クラシック向けと呼ばれるシステムは、きんきんした固い音ではありません。
もちろん、そう呼ぶのはオーディオ評論家の方なのですが。
クラシック用にチューニングされたシステムでロック、ジャズなどを聞くと、まずドラムが聴こえにくくなります。
低音も、固さが無く、輪郭がぼやけます。それでも、低音の量は出ています。
しかし、かと言って、モーツアルトのストリングスが聞こえなくなっている、という訳ではありません。
するどさはありませんが。
今ちまたにあるオーディオ、たとえば、ウオークマンタイプの小さなヘッドフォンで聴くようなものは、もう間違いなく超固め・刺激サウンドです。
私の仮説が正しければ、精神と性格に与える影響は大です。
最近は大型のヘッドフォンをして、街を歩いている人もいますが、まだあれの方が”まし”だと思います。
しかしそれでも、まだ固い音です。
PC用の外付けスピーカーなども、固いです。
ミニコンポも固めのものが多いです。固いと一見良い音に聴こえるのです。
テレビの音も硬いものが多いです。
しかも、テレビは周波数的にも、レンジが狭いものが多いです。
固い音でしかも、中心に固まっている音ということです。
精神にどういう影響を与えているのか良く分かりませんが。
ただ、電磁波はものすごく多いそうです。
PCも同様、電磁波が多いそうですが。
電気毛布も多いんだそうです。
太い電線の下に住んでいるより、多い、という資料がネット上にありました。
本当かどうかは分かりません。
とりあえず、新しいものを買うのをやめました。
炭を繊維に混ぜ、マイナスイオンを発生する電気毛布というのをオークションで見つけましたが、残念なことに落札できませんでした(笑)。
しかし、そのあと、電磁波情報を見ました。
くやしいので言っている訳ではありませんが(笑)、電磁波の話しが本当なら、電磁波受けて、マイナスイオンもらっても、あまり意味がないような気もします。
携帯電話も多いそうです。
本当かどうか分かりませんが、言えないような話しもあると聞いたことがあります。
テレビなどは、情報社会ですので、必要悪的なところもありますが、電気製品はできたら使用しないほうが良いみたいですね。
あるいは離れて使用すると......。
電磁波というのは、肉体に変化を与えますが、精神にも与えるようです。
このことを考えると、直接生命体に悪い影響を与えているのかもしれませんね。
良く分かりません。
ただ、良い電磁波と悪い電磁波がある、と聞いたことがあります。
船井幸雄さんは、農学部出身で、しかも農家出身なので、作物がらみの話しもあるのですが、「昔は送電線(電架?)の下では作物が良く育った」のに、「最近は、作物が育たなくなる」というようなことを書いています。
船井さんによれば、地の理が電磁波そのものにも影響を与えている、ということだったと思います。
違ったらすみません。
太い送電線の下で良く作物が育つ、という話しは私も聞いたことがあります。
中学か高校の理科の先生でしたが、戦後、農地の調査に行ったとき、農家の方から、送電線の太い電柱(電架と言うのですか?)の下は良く作物が育つ」と言われたそうです。
その先生は、それは「電柱を設置するときに、土を掘り返したことによって、土が良くなったからだ」と説明していたようです。
確かにそういうこともあるように思います。
その先生は電磁波の話しはしていなかったようです。
ただ、当時、電磁波などと言う言葉は一般的ではなかったように思います。
電磁波の影響を体に受けないためには、船井さんによると、両手振り体操が良いそうです。
船井さんのサイトにそれはあります。
船井幸雄・COMへ直リンクですが、これで、かなり良いそうです。
船井メディアにも出ています。
一日300回近くやるのが良いらしいのですが、私は100しかやっていません。
単調な割りに疲れますので、毎日やるにはこれくらが私にはちょうど良いです。
なんでも、関英男さんが90歳を超えられても、あまりに元気だったので、船井さんが聞いたところ、これをやっていた、ということです。
船井さんも初めはやらなかったそうなのですが、関さんに「船井は素直でない」と言われたので、始めたそうです。
数年経ったら、眼鏡がいらなくなってきたそうです。
ただ、奥さんに「眼鏡の方がかっこよいのでしていたほうが良い」と言われ、しているそうです。
今年の船井オープンワールドでそんなことを言っていたと思います。
導引術の早島正雄さんの書いた『「気」の最強パワー』(2004年6月25日発行)の122ページにも、「スワイソウ」という名称で、ほとんど同じ体操が紹介されています。最初は2、3百回でいいそうです。
電磁波はこのサイトに詳しいです。BEMSJ。モバイル。http://www.saitama-j.or.jp/jssucces/denjirepo1.htm。
電磁波と言っても、いろいろあるそうです。
とりあえず、健康に良くなさそうな機械を気を付ける様にするのが良いような気がします。
電磁波が生命体に直接悪影響を与えていると言う仮説ですが、全くの直感です。
どちらも、通常に目には見えません。
但し電磁波は機械で測定できるようですが。
生命体も、私は良く調べていませんが、その気になれば、測定はできるのではないでしょうか。
カメラに写る時があるくらいですし、オーラのようなものなら、オーラ写真で写れるようですので。
但し、調べていません。そんな気がしただけです。違ったらすみません。
生命体に直接影響を与えると言っても、肉体が滅びた後、生命体だけになった時には、異常はないようですので、おそらく、生命体と、肉体をつなぐ場所などに影響を及ぼしているのかもしれません。
仮説です。もちろん肉体にも直接影響しているようですし。
どの著作かは今は容易に分かりませんが、船井幸雄さんか、政木和三さんか、江原啓之さんか、他の誰かの本に、ヘソだったか、丹田(ヘソのすぐ下あたり)だったかが、生命体と肉体をつないでいる所とされていたような気がします。裏覚えです。また分かったら掲載します。
あるいは、ある程度以上強い電磁波は、時空からの信号、生命体からの情報というようなものに、影響するのでしょうか?良く分かりません。
一種の妨害電波的なものとなっているのでしょうか?
TV中毒、携帯電話中毒、インターネット中毒とありますが、私は少しインターネット中毒ぎみですが(笑)、これらは、ひょっとすると、その内容が惹きつける理由ではなく、機械が発生している電磁波が原因ということはないでしょうか?
私はたばこ中毒でもあるのですが(笑)、そこにある毒素的なものが、なにか常習性を生んでいると言うことはないのだろうか?ということです。
これは今ちょっと思ったことを書いただけですでの、仮説以前です。
ただ、仕事場によっては、何十台ものPC端末が設置してあるかと思いますが、そういう環境というのは、きっと体に良くないのでしょう。
テレビ番組などで一度測定してみると面白いかもしれません。
ただし、大手電気メーカーがPCを作っていますので、なかなかそういうことはできないのでしょう。
国によっては、PCから発する電磁波の量に規制があるようですが、日本も電磁波の少ないPCという触れ込みで販売すると、どうなのでしょうか?
時代は変わっているようです。売れるかもしれませんね。
私は竹炭をディスプレイの前においていますが、どれほど効果があるか、分かりません。
ただ分かるのは、PCを付けると、ラジオにノイズが乗ってしまい、聞き取りにくいということです。
もし、1000円で、「これを取り付けると、PCの電磁波を50%遮断します」というものが発売されたら、間違いなく買うとは思いますが。
みなさんはどうでしょうか?
ちなみに、調べますと、いくつか出ているようです。
http://www.1der.jp/goods/tecno/tecno.html
http://www.as-works.co.jp/html/gyoumunaiyo_denjihataisaku_aboutdenjiha.htm
http://www.kaiun-navi.jp/navi/goods/item/00134.html
http://www.ne.jp/asahi/webshop/zakka/index3.html
http://www.curio-city.com/mokusei/7241/73939.html
などなど。
但し、ちょっと読んで見ただけですので、これらのものが、本当に効果があるのかどうかについては、全く分かりません。ご自分の責任でどうぞ。
キングカーティスでした。
136:ソウルを求めて〜モダンジャズ三人の会〜 原信夫とシャープス・アンド・フラッツ |
||
1960年発売の作品です。 曲目です。 1.ハッピー・ソウル
|
ビッグバンドメンバーも全員、クレジットされています。
ドラムの竹内弘さんは、ジミー竹内さんなのでしょうか?
テナーに岡崎広志さん、アルトに五十嵐明要さん、トランペットに森川周三さん、伏見哲夫さんなどがクレジットされています。
モダンジャズ三人の会とは、三保敬太郎さん、前田憲男さん、山屋清さんの3人のアレンジャーで作っている会です。
1は、ぶっ速い演奏です。稲垣次郎さん、松本英彦さんのテナーバトルが聴けます。
どうもここまで速いと、波動的には良くないかもしれません。
しかし、演奏的には白熱しています。
録音的にはハイ上がり的傾向です。ハイハットが少しうるさいくらいです。
ベースは、あまり大きくは入っていません。
しかし、4曲目以降で、ドラムの音が安定していますので、1〜3は、白木さんのドラム音を効果的にしようと思ったのか、シンバル、ハイハットの音が大きいのは、白木さんの演奏によるものかもしれません。
もし同じセッティングによる録音なら2人の音色は相当違うものです。
8曲目のライナーに前田憲男さんのおもしろい話が出ています。
「テロニアス・モンクは最初は嫌いだったが聴いているうちに嫌いな面は不感症になり、現在は好きになって良いか嫌いなのかわからなくなってきた。そんな時、モンクはこんな風にしか聞えないというところを表してみた」
となっています。
内容も面白いですが、テロニアスとなっているところも時代を感じさせます。今は通常セロニアスですね。
THなんです。
セラピーか、テラピーかと言った話しと同じだと思います。
スペルと実際の発音だけを聞いて、日本語にすると、大抵「タチツテト」になるようですが、日本語の流れ的には、「サシスセソ」のほうが、しっくりくるのでしょう。
モンクは私も初めは馴染めませんでした。
しかし、不思議に、だんだん良くなってきてしまうのです。
みなさんはどうでしょうか?
こういう好みというのは、時々あります。 「初めは嫌いだったが、だんだん好きになってくる」というものです。 男女関係にもありますね。 食べ物にもあります。 音楽にもありますし、いろんなものにあります。 嫌い→好きへの移行が長いスパン(10年とか)も場合もあれば、比較的短いスパン(数ヶ月〜1年程度)の場合もあります。 |
分かるような「きっかけ」がある場合もあれば、どうして好きになったのか、良く分からないという場合もあります。
理由が分かる場合もあれば、分からない場合もあります。
私の場合で言えば、「演歌」などは、昔は嫌いでしたが、今は好きです。これは長いスパンです。30年くらいです。
そして理由は、少し年を経たからだと思います。
年をとると、なぜ好きになるかは、良くわかりません。
慣れてきたのかもしれません。
それとも心の底根ざしたもののようなものが、浮き上がってくるのかもしれません。
ピーマンも昔嫌いでした。
今は好きです。特に炒めると好きです。
これも年を経たからでしょう。
動物はどうかと言いますと、 今はどの動物も基本的には好きです。 しかし、以前は、犬、猫が嫌いでした。 幼少の頃、犬に噛まれて、追っかけられて、猫には飛び掛られたからです。 その前は好きだったのですが。 |
犬は、焼き鳥をあげて、頭を撫でようとしたら、手をかまれました。
きっと、手に焼き鳥の味でもついていたのでしょうか?良く分かりません。
またダックスフンドに追っかけられたこともあります。友人の家の近くに住んでいた犬でした。
今はよく分かります。
犬によっては、駆け足で逃げると、理由なく追っかけたくなるのがいるようです。
猫は、小さい時、餌をあげた野良猫が、家に良く来るようになりました。
アパートでしたので、しかたなく追い払わなくてはならなかったのですが、その後、近くの路地で、塀の上から猫が飛び掛ってきました。
その時は飛び掛ってきた、と思ったのですが、偶然かもしれません。
知っている人が来た、と思って、飛び出してきたのかもしれません。
要するに、「猫に悪いな」と思っていたということでしょう。
どうもそれ以降、何年も、猫をそれほど好きにはなりませんでした。
しかしここ、5、6年ほど、犬も猫もなぜか好きです。
猫は谷山浩子さんの影響かもしれません。
犬はなぜでしょう。良くペットショップへ、見に行ったりします。
同僚が会社へ持ってきていた仔犬と遊んだら、楽しかったからかもしれません。
しかし、それ以前に好きになっていたようです。でないと、遊びませんので。
動物と言えば、私はキリン、小鹿、イルカ、象などが好きです。 どうも基本的に、首が長くて、4本足で痩せている動物が好きなようです。 あの系統ならなんでも好きです。 ヤギの子供とか、そういうやつです。 イルカと象は違う種類ですが。 |
どうも、不思議に、ライオンとかトラとか豹などを好きになったことはありません。
今は嫌いではありませんが。
なぜでしょうか?どうも対抗意識のようなものが芽生えてしまっていたのでしょうか?
しかし、ライオンに対抗意識を持つほど強い人間でもありませんでしたが(笑)。
子供の頃は、怪獣とかウルトラマンは好きだったのですが。
当時、変にウルトラマンの胸の膨らみが気になったりしていました(笑)。
みなさんはどうでしょうか?
ウルトラマンの胸の膨らみを気にした子供はいませんでしょうか?
ちなみに私は「刺身」を食べることができません。
すし屋に行くと、安上がりです。
もっぱら、あなご、えびなどを食べます。
イか、タコ、貝の類は生でもOKなのです。
これはおそらく、私の幼少時の食卓に刺身が出なかったことが要因ではないかと思います。
特に嫌いになる理由はないのですが。
あえて言えば、小学校の理化の授業でフナの解剖をしたときに、においがとても嫌いだったと言うことはあります。
しかし、それが理由とは思えません。
話しを少し戻して、スパンの話しをしますと、女性に関しても良くあります。
大抵スパンは半年くらいで、理由は分からないことが多いです。
情が移るということなのかもしれませんし、良さが分かってきた、ということかもしれません。
私は基本的に、背が高くて、細くて、ハーフみたいな顔立ちをしている女性が好きなのですが、不思議なものでこういう好みというのは第一印象にしかすぎないようです。
むしろそういう女性とお付き合いしたことはほとんどありません。(あっても性格が合わなかったりなど....)。
背が高かったり、低かったり、胸が大きかったり小さかったり、日本人顔だったり、そうでなかったり、趣味が同じだたり、違ったり、おっとりしてたり、きつかったり.......果たしてここに本当に好みというものが存在するのだろうか?と思ってしまいます。
しかし、好みは存在するのでしょう。
実際は異性問題の場合は、好みと言うより、得意不得意と言ったほうが正しいような気がしますが。
好みということを考えていきますと、以下のようなことを思います。
1:本当に生まれ持っている好き、嫌い。
2:好みというより、得意不得意
3:エゴ、嫉妬による、排他的気持ちから生まれる好き嫌い
以上3つはどれもこれも、「好き嫌い」ということなのだと思います。
1は単純で、この色が好き、この味が好きです。
2は、例えば、背の高い女性は見ているときは好きだけど、つきあってみたら、デートの時困ったり、夜の時、「背が大きすぎる」というように(笑)、うまくできない、得意でない、ということから来る、好き嫌いです。
もちろん努力で、うまくなったり、慣れた、ということが後々起きてくるなら、それは、隠れた能力が開花していなかったということですから、実際はこれからはずれるのだと思います。
本当にどうもならない能力の話しです。
3は仮に、中日ドラゴンズとヤクルトスワローズがゲームをしたとします。ヤクルトファンにとっては、ドラゴンズが嫌いです。逆も成り立ちます。
もちろん、例外もあって、両方好きということもあるかもしれませんが。父親の実家が名古屋で、母親がヤクルトあばさんの仕事をしていたとか、そういうような理由です。
あてはまる違う例を挙げれば、クラシックファンとロックファンがいたとします。仮にこの中でエゴや嫉妬の強い人がいて、「ロックこそが世界一の音楽だ」、「俺の好きなものこそが一番だ」と思っていて、それだけの理由で「クラシックなんか最低だ」と言ったり、その逆があったり、というようなことです。
もちろんエゴ、嫉妬もなく、本当の好みもロック、クラシックに対応できるのであれば、この例からはずれることになります。
3つはそれぞれリンクしている部分もあるかと思います。
特に1と2なんかは近い部分もあるかと思います。
しかし、いくらやってもうまくならないけど「好き」というものもありますし、得意だけど、どうしても「嫌」というものもありますので、1と2はわけてみました。
また、好き嫌いというのは性格と大きく関わっているもののようです。
先だってTVでエクソサイズ方法と血液型の関係で、数人の人にいろいろなエクソサイズをやらせて、その後、好き嫌いを血液型で統計を取ると言うのをやっていました。
ものの見事にB型は、高負荷でも時間の短いものが得意で、A型は小さい負荷でも長い時間のものが得意、というような結果がでていたようです。
森田健さんによると、性格を変えても、運命は変わらないようです。
運命は変わらなくとも、性格を3つに分けたものの内、3は、何となくですが、変えることはできると感じます。
嫉妬心を少なくする、またはなくせば良いのです。
なかなかむつかしいものだと思いますが。
洗心する?ということなのでしょうか?
2は、変えることはできないと思います。
しかし10%くらいのケースでは、ひょっとしたら、少し努力をすると、実は得意だった、ということもあるかもしれません。その場合は、変わることになると思います。
1は、きっと変えることは不可能なのだろうと思います。
まさにTVでの実験結果のようなものだと感じます。
何人も参加していましたので、中にはある程度運動経験のある人もいたでしょうが、それでも、短期高負荷パターンと、長期小負荷パターンに分かれていました。
実は、音楽の「好き嫌い」の場合でも、当然1〜3は言えることが多いです。 そして、2,3のケースで「嫌い」としていることというのは、結構あるものです。 世間的には「食わず嫌い」ということであったりするのですが。 |
もちろん、音楽の好き嫌いで、努力をしてまで変更しなくてはならない、ということも通常はないだろうと思いますが。
3は多いと思います。
変な信念、思い込み、嫉妬心などで、せっかく好きになるように作られている嗜好力(?)がみすみす、見逃されているようなものだと思います。
もったいないので、できたら、嫉妬心は持たず、いろいろな音楽を好きになると楽しいかと思います。
1はもうしかたないと思いますが。
もし仮に私にとっての演歌のようなケースであったなら、時が来れば、自然に好きになるようですので、どうしても嫌いというものは、無理に聴かなくとも良いように感じます。
これらとは逆に、だんだん嫌いになる、ということもあるかもしれません。
私で言えば、野球で、だんだん巨人が嫌いになってきました(笑)。
理由ははっきりしていますが、しかし、選手への情はあります。
良い球団になってほしいです。
しかしそうは言っても、試しに中日を好きになってみるとか、タイガースを好きなって見る、ということはなかなかできません。
これはどの球団のファンの方でもそうかと思います。
ここらへんはCDなんかとは違うところです。
試しに聴いて見るに近い現象があるとすれば、それは試しにゲームを観にいって見る、ということなのだと思いますが、どこか違うように感じます。
そういった意味では、球団は異性に近いのかもしれません。
基本は自然に好きなる、という意味ですが。
中には試しに「〜〜さんと付き合ってみる」ということができる人もいるようですが、私にはそれはどうも、試しにスワローズのファンになってみる、に近いものがあるようで、なかなかできません。
しかし、そうであっても、試しにCDを聴いて見る、というのと、試しに「〜〜さんと映画を見に行ってみる」とか、「酒を飲みに行ってみる」という感覚は、どこか似ているように感じます。
これは私はどこか、「付き合って見る」という感覚が間違っているのでしょうか?
良くわかりません。
いずれにしろ、以前ほど、スポーツで燃える、というような感覚はなくなってきましたが。
船井幸雄さんによれば、スポーツはいずれなくなるようです。
考えてみれば、まさに地の理の産物だと感じます。
しいて楽しく見ていられるのは、記録を目指しているような競技ですね。
あそこにあるのは、純粋に「個人のレベルを上げる」ということのように見えて、楽しいです。
ただ、運命は決まっているということですが。
好きになる、嫌いになる、の理由として、はじめて接したそれが、「質の良いもの」だったか、「質の良くないもの」だったか、ということは大きく関わってくると思います。 つまり、はじめて食べた「刺身」がすごく良かった場合には、好きなる可能性が高い、それが「質の良くないもの」であった場合には、それを好きになってしまう可能性が高いといういうものです。 |
どういうものに、初めに出会うか?
ここらへんが、決められた運命、というものなのなのかもしれません。
しかしこれは、絶対条件にはならないようです。
初めのそれが、良かろうが、悪かろうが、後々好きになったり、嫌いになったりすることもあるようですし、その場で逆の反応、つまり「質が良くても」嫌いだったり、「良くなくとも」好きだったり、ということはあるということです。
しかし、好みというのは、どこで作られているのでしょうか?
生命体には、好みはあるのでしょうか?
どうもないようです。
とすると、やはり、肉体に好みの元があるようですね。
私は最近考えている仮説は、肉体で感知された感覚、情報はまず、右脳に入る。そして、生命体に伝わる。その後、左脳に入る、というものです。
ただ、まず、生命体には入り、その後、右脳、次に左脳という可能性もあるとも考えていますが。
いずれにせよ、考え方の大本は、「生命体の部分では、好みとか、能力とかは全く関係なく、それが肉体と接することにより、初めて、そういう現世的感覚が芽生える」、ということです。
どうも生命体だけなら、どこへでも瞬時に飛んでいけますし、場合によっては、好きなものを瞬時に作り出すことまで可能なのかもしれません。
しかし、肉体があると、そういう訳にはいかないようです。
物理的限界のあるものについては、持っている肉体を超えることは不可能なようです。それでも、生命体の力を使うと、限界ぎりぎりまでは、なんとかなるように感じているのですが。
ただ形の無いものについては、生命体の力を使いますと、どうも、かなりすごいことまで、できるような気がしているのですが。
暗記でも、思考でも、発明でも、作曲でも、なんでも.....。
しかし、仮説です。
本当の所は良く分かりません。
先日TVでやっていた、「記憶」に関する番組で面白いことをやっていました。
ある研究者でしたが、「左の頭のある部分に刺激をあたえて、脳のある機能を麻痺させると、忘れていた記憶でも、細部まで思い出すことができる」というものです。
実際TVの中では、それはすごい効果を示し、日本人が実験台になっていたのですが、昔訪れたれた富士山の絵を描かせたところ、「湖に映った富士山の描写」まで詳細に描いていました。
しかも、描きかたが変わっていて、左端から見ているように、詳細に書いていくのです。
私はこれは、今の人間を作っているもの、つまり通常、表に表現われている能力とか、好みということですが、これは、やはり肉体が作っているのだと。
本当は良く超人と呼ばれる人がやっているように、記憶でもなんでも、全ては生命体のレベルでは、同じように、またはそれ以上にこなされているのではないかと思います。
それが、上の実験では、肉体、部分的には頭、脳ですが、その一部の使用を止めることで、生命体が担っている本当の能力が出て来るのではないかと考えています。
催眠術で、人が固い棒のようになることを見たことがある人はいると思いますが、どう思うでしょうか?
私はあれは、肉体のどこかでで制御されている器官が、止まることにより、本当の力が出ているのではないかと考えています。
その器官というのは、実はディップスイッチのようになっていて、生まれた時に決まると言う性格に従って、設定されているのではないでしょうか?
例えば、その機関をスルーして信号が通っている状態が、催眠術のような状態であるとか、生命体の能力を使っている本当の自分の状態であるとか言うことなのではないでしょうか?
仮説ですが。
ディップスイッチの設定で、生命体から伝わってくる能力が選択されてしまっている.....。
ディップスイッチとはずばり、DNAなのかもしれませんし、違うものなのかもしれませんが。
それをオフというより、スルーして生命体とつながることと言うのは、実はできるのではないか?
それが、宇宙人と言うか、地球よりレベルの高いと呼ばれる他の星の人であったり、アボリジニの人であったり、アメリカの先住民族であったり、その他、すごい能力のあるような人であるのではないのでしょうか?
という訳で、シャープス&フラッツの作品ですが、なかなか良いです。 ジャズファン的には、白木秀雄さんとシャープの共演が聴ける、ということだけでも、貴重だと思います。 ここにも出て来る渡辺貞夫さんが、アフリカの音楽に傾倒して行ったというのも、生命体の力理論が正しいのならば、どこかそこら辺にも、理由があるのかもしれませんね。 渡辺さんの音は、日本人を超えていますし、人間も超えているかもしれません。 |
137:渡辺貞夫 | ||||||||||||||||||
渡辺貞夫というタイトルのアルバムです。 1961の録音です。 曲目です。
6は、渡辺さんのオリジナル、7は秋吉敏子さんのオリジナルです。 |
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メンバーは、渡辺貞夫:アルト、フルート、仲野彰:トランペット、八城一夫:ピアノ、原田政長:ベース、猪俣猛:ドラム(2,6,7)、長谷川昭弘:ドラム、となっています。
CD化されたのは1986年のようです。当然廃盤です。
ブックオフで偶然中古でみつけたものです。
おそらく、しばらく再発されることはないでしょう。
なかなか好演です。しかし、確かに、バークレーから帰ってきた直後の、あのすさまじさはありません。
渡辺さんは、間違いなくバークレーに行って良かったのだろうと感じます。
それでも、この時点で、私の知っている限り、日本人ナンバーワンのアルトのようです。
「NOW'S THE TIME」はピアノレスで演奏されます。
ソニーロリンズを意識してのものでしょうか?
中学生の頃、「タモリのオールナイトニッポン」のエンディングにSONNY
ROLLINS の「NOW'S THE TIME」に収録の「ラウンド・ミッドナイト」が使用されていました。
真夜中にベッド際のソニーのラジカセから流れてくるその演奏が、ぐっと来たのを覚えています。
1977か78年のことだと思います。ひょっとしたら、もう少し後かもしれません。
当時良く聴いていた深夜放送は、まず小学6年生の時に、「あのねのねのオールナイトニッポン」からはじまり、「鶴光のオールナイトニッポン」、12時からやっていた「かぜ耕士のタムタムタイム」、その後の「あおい君と佐藤君」(あおい輝彦さんと、ケメこと佐藤公彦さんです)、拓郎はいろいろ移っていたように覚えているのですが、「セイヤング」が一番覚えています。
「ナッチャコパック」、「中島みゆきのオールナイトニッポン」、「糸井五郎のオールナイトニッポン」、「所ジョージのオールナイトニッポン」、「上柳昌彦(局アナ)のオールナイトニッポン」、「坂崎幸之助のオールナイトニッポン」、「ダディ竹千代のオールナイトニッポン」、「瀬戸龍介のオールナイトニッポン」、「鴻上尚史のオールナイトニッポン」、「ビートたけしのオールナイトニッポン」「谷山浩子のオールナイトニッポン」などなどです。オールナイトニッポンはオールナイニッポンのオールナイトニッポンヒストリーに詳しいです。
谷山浩子さんは、二部ですが、82年4月から86年4月までやっていますので、結構長いです。
みゆきには負けますが。私にとっては本当に、面白かったです。
2部ですので、深夜3時からの始まりです。木曜の夜はそれを聴いて学校ですので、いつも寝不足でした。
たまに、録音して、後で聴くこともありましたが、それでも面白かったです。
何度も繰り返し聴いていました。
その次は、きっと「ダディ竹千代のオールナイトニッポン」が、面白かったです。
山下達郎さんと友達らしく、山下さん作曲のシングルなども出していました。
一度くらいゲストに来たかもしれませんが、良く覚えていません。
その頃確か.......ニッポン放送かどこかの局の企画で、山下さんドラム、竹内マリヤさんキーボード(?)、世良正則さんベース、桑田佳祐
さんギター(?)+誰か、で外国曲のカバーをするというものがあったように思います。あったのは、確かですが、山下さんドラム、世良正則さんベース以外は、良く覚えていません。
とにかく、小学生の高学年から、大学を出るまでは、ラジオが好きで好きでしかたがありませんでした。
新卒の時は、当然レコード会社をいくつもいくつも受けましたが、1社だけ、ラジオの放送局も受けました(笑)。
結局のところ、昔はちゃんと「好き」で動いていたようです。
社会人になってから、「好きなこと」をするのは、いけないことのように思い込んでいましたので、まったく逆をやっていたのですが、今はまた、「好きなこと」をやる人間に戻しています。
「好き」ということからは、現世では何が生まれるかについて考えて見ます。
ひとつは、バイタリティと言うか行動力だと思います。
欲で動く、ということと、大変にていると思いますが、それでも少し違うように思います。
欲は結果がともなわないと報われない気持ちに襲われますが、「好き」ですと、私の場合はそうでもないのです。
負けるつもりでやる、というのとも違うのですが、仮に負けても.....というより、「やりたいからやる」のです。
意思決定の拠り所にできるようです。
もちろん、好きではなく、「理論的に正しい」とか、「結果が出そうだ」というような回答へ沿って意思決定をすることもあるかと思いますが、それは、どちらかと言うと集団での意思決定のケースだと感じています。
個人的な意思決定では、むしろ、「好き」の方が結果がでるように思っています。
他にもあると思いますが、とりあえず、ぱっと浮かんでくるのはこんなところです。
どうも、こう考えると、「好み」とか「好き」というのは、基本的には、行動するためにあるもののようですね。
渡辺貞夫さんも、きっと好きでアルトを吹いているのでしょう。
そう考えると、やはり「好き」に使命に近いものがあるのかもしれません。
仮説です。
「好き」、「好み」というものが、肉体がある故に存在すると考えているということは書きましたが、違う言い方をしますと、肉体は、「好き」用にチューニングされていると言ってもいいのかもしれません。
クラシック用のオーディオみたいなものですね。
ところで、音楽を考えて見ますと、実は一人だけで、完結してしまえる楽器というのは、ピアノとギター、ハープ、琴などの一度にたくさん音を出せるものです。
それでもギター、ハープなどはどちらかと言うと、バンド演奏、オーケストラの一員という立場で演奏されることが多いですが。
きっと音圧の関係なのでしょうか。音の質(種類)の関係なのでしょうか?
サックスなどは、まず持って、一人で完結するという演奏形式はレアです。
私はメインでピアノを演奏しますが、きっとこれはどこか、全てを一人で完結してしまう人間性と繋がっているかもしれません。
実際、少人数で事を行うことの方があっている人間性を有しているようにも思います。
しかし、これなどは、卵か先か、鶏が先かを考えさせられます。
果たして、中学生の時に、東芝のピアノシリーズを聴かなかったら、ソロピアノに興味を持ったでしょうか?
どうも持ったような気がします。いずれにせよ、いつかは、ということです。
なぜなら、その時でも、ソロもの、ピアノものだけを聴いていた訳ではありません。
また、ギターの弾き語りのようなフォーク歌手が良くやるようなパターンも聴いていましたが、それほど興味を示しませんでした。
こう考えると、やはり、私の「好き」は、ソロ、少人数、にあるのだな、っと感じてしまいます。
それはすべからく、他のいろいろなことについても言えるように思います。
大人数ではなく、少人数にあうようにチューニングされていると。
ただこの場合の少人数とは、おそらく共同作業上での少人数ということなのだと思います。
属している団体が大人数かどうか、ということとは、基本的に別問題なのだと思います。
個で全く完結してしまうことというのは、個人的なこと以外ではほとんどありませんが、それでも、個の比率が多い行動というのはどんなことにでもあります。
また個で成し遂げられることと言うのは、その大きさ(?)は非常に限られてくると感じます。
小説家や作曲家と言ったものは、比較的個ですが、金銭面、社会的露出度からいえば、個でも、かなり大きなものであると言えるでしょう。
この個でも、出版社や、アレンジャー、場合によっては作詞家、演奏者などなどいろいろなものが関わってきますので、絶対的な個とは言えませんが、それは言うまでも無く、当然のことです。
少人数が好きな人が大きなものを成し遂げるには、おそらく大きな団体のトップになるということが、一番考えられると思います。
その場合きっと、その個人に相当大きなパワーがあるのでしょう。
リーダーシップも必要でしょう。
しかし、どうも、このリーダーシップと少人数が得意、という現象は、結びつきにくそうに感じてしまいます。
リーダーシップ=複数の人と関わる、ということだからです。
となると、きっと、その人は、強引にリーダーシップを取ると言うよりは、人間的魅了か何かによって、無理なく、自然にリーダーシップを取っている、取らざるを得ないようなものを有している人なのでしょうか?
もし、少人数が好きであって、そういう魅力がない、ということにであるなら、やはり、その人は、もともと、個を貫くということに、その人の本質的なパターンがあるのかもしれません。
もちろん、リーダーシップが自然に取れる人でも、トップができる人というのは、個にこだわってばかりではなく、うまく人に任せることもうまくできる人である必要もあるのだとは感じます。
これは、それができない人には、むつかしいことです。
「任かせる」、ということは、任かせた相手を信用する、ということですが、これは、覚悟さえあればできると思います。
私は、なぜか、その覚悟だけは持てるのです。
人によっては、不思議がる方もいるようです。
むつかしいのは、放任なのか、無視に近いものになってしまうのか?ということなのだと感じます。
私には今の所、正しい人への任せ方がどうもうまくできないようです。
無視では、なんともいけないようなのです。
江本勝さんの水の結晶の写真でも、「無視」して放置しておいた水は、きれいな結晶にはなりません。
正しい放任とでも言いましょうか、自由にやってもらうが、近くにいて、暖かく見守るという姿勢、行動が、正しくできる必要性があるのかもしれません。
本当のところは良く分かりませんが。
みなさんのほうが、私より良く知っているかもしれません。
私が人に任せると、どうも「無視」に近くなっているようなのです。最近やっと気付きました。
このことに、団体内でリーダーシップを取ることになった時の自分にとっての、大きな壁があったようです。
私はある頃からか、リーダーシップと言うと、強引でなく強制的ではなく、という方ばかり考えるようになってしまっていて、そこに人との差を見出していたりしていて、遠ざかることばかりに注意を払っていたようです。
そしては今までの私のやり方はどうも、任かされた人に対して、良くない波動を与えていたようです。
私の本意とは関係なく、「無視された」と感じていることが、どういう心的状態を招くのかは、江本勝さんの水の結晶の写真で再確認できました。
もちろん、当人(私)は無視していたつもりはないのですが。自由にさせること、それがリーダーシップだと思っていた、ということだったのですが。
もちろん任せる覚悟だけではなく、だれかが何か間違いをしたら、その責任は全て自分で負う、という覚悟はありましたし、実際そうしました。
この2つのこと(任せる・覚悟する)については、「地の理」で言えば、間違いでしょうが、「自然の理」に照らし合わせれば、まんざら間違ったこともしていないつもりです。
ただ、ただ.....正しい「任かせる」ができておらず、「無視」に近かったのですね。何で回答が分からなかったのでしょう。
何か間違っているとは思ってはいたのですが。
だれも私が責任を取るとは思わなかったのかもしれません。
1+1が2になると思っていたのは私だけで、他の人は1+0が2になって、びっくりしていたかもしれません。
こういうことは、今までの私には良くあることです。
そういうことを考えますと、渡辺貞夫さんは、偉大です。
バークレーから帰ってきて以降、自らの自宅(だったと思った)でバークレーメソッドの無料(無料、有料に大きな意味はありませんが無料だと思った)教室を開き、後輩の指導にあたり、当時の音楽の最先端だったアメリカ式のいろいろな手法を日本の音楽界へ導入したり、自身も、作曲活動、大人数を率いてのコンサート活動、レコード製作と数十年に渡って活躍しています。
メインは渡辺さんという個です。しかも相当にパワフルです。
しかし、大きな人の輪の中できちんとやっている。
そして、自然にリーダーシップを取っている。
ただ、森田健さんは、「運命は決まっている」という考えから、「好みは後からついてくる」としています。
私は、「運命は決まっている」ということに関しては同調しています。
その意味で、「好みは後からついてくる」ということも考えるあわせると、やはり、個を重視しながらもリーダーシップを取り、大きな団体、輪の中でやっていける運命も、少人数でひっそりと生きていくという運命もと、やはり、もともと決まっていたと言うことなのでしょう。
それが、今までの精神世界的考え方に沿った「自分の魂の成長のための勉強」なのか、それとも、森田さん式に考えれば、「時空がしているという何らかの調査のため」なのか、私には良く分かりません。
ただ、決められた運命だと思っているなら、「勉強のためだ」、とした方が、納得いくのは確かですね。
どちらの考えがより正しそうだ、という意味ではなく、文句が出ない、と言う考え方からですが。
理屈としては、どちらも同じように利があるように感じます。
直感としては..........まだ分かりません。
森田さんの言う全体の業が、まだ私には「相対性理論」ほどにも理解できていませんので。
ですので、賛成も反論も何も出てこないのが、現状です。
それでも、「何とか、運命変更する」と思って生きているほうが、何かやる気がでてきます。
今のところ、運命変更の確実なものとしては、森田健さんの六爻占術ですね。なかなかむつかしい占いのようですが。
未来が分かるものというのは、いくつか世に出てきているようですね。
船井さんの本などに複数の占いで紹介されています。
どれも信用できるように思います。
詳細は、また「天の理と時空のコーナー」で掲載します。
さて、私はなぜ、六爻占術をやらないのでしょうか?
自分に変な自信でも持っているのでしょうか?
それとも、習得できない、と思っているのでしょうか?
価格が高いと思っているのでしょうか?
信用してはいるようです。
まったく不思議です。
「ああ、こうすれば運命変更できるんだ」と思っているのかもしれません。
私は手段が分かると、興味を失ってしまう場合も、時々あります。
きっと、手段は探すもの、取得できるかどうかは、運命で決まっていること、と思っているのでしょうか?
あるいは、本当は運命変更などしようと考えていないのでしょうか?
それはないようです。
まったく分かりません。
ただ、一体どういうストーリーが作られているのだろうか、ということに興味があるのは確かなようです。
こういうことを考えながら、過去完了形で「こうなった」と言いながら、自分の希望を唱えています。
地の理ではない「努力」もしながら。
どうもやっぱり、運命変更しようとしているようですね。
138:THE SENSUAL SOUND OF SONNY STITT WITH THE RALPH BURNS STRINGS |
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またしばらく、アルトサックスが続きます。 アルトサックスのソニー・ステッィットです。 1961年の録音です。 曲目です。
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ストリングスものです。どうもアマゾンで見る限り、日本でしか発売されていないようです。
ものすごく良い作品なのにどうしてでしょうか?
ソニーは日本ではすごく人気のあるアルト奏者です。
チャーリーパーカーに、似ている演奏スタイルと良く言われるようですが、これは、当人もパーカーも認めていたようです。
何かのライナーに、ソニーがはじめてパーカーのレコードを聴いたとき、「自分のやっていることと似ている」と感じ、会いに行き、セッションか何かをし、お互い「同じようなことをやろうとしている」と認め合ったような話しが、掲載されていたようです。
ちなみに、ソニーのアルトがあまりにパーカーに似ているので、ソニーは初期はテナーを中心に演奏していたのは、有名な話です。
私が、このアルバムを聴いての第一印象は「渡辺貞夫に似ている音色」でした。
当然、渡辺さんも、パーカースタイルから始まっていますので、当然と言えば当然ですね。
ただ、私の知っている限りでは、数いるアルト奏者の中で、渡辺さんと、ソニーはかなり近い音色のほうだと思います。
演奏は、メロメロのスローバラッドアルバムではなく、軽い4ビートも混ざっていて、ちょっとしたダンス音楽のような感じです。アドリブソロもあります。
以前、《ハーレム・ノクターン》〜松本英彦、サックス・ムードジャズで、フォークストロットにあわせて、フレットアステアとレスリー・キャロンが.....という話しをしましたが、フレッド・アステアと言えば、普通は、ジンジャー・ロジャースですね。 |
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↑ ジンジャー・ ロジャース |
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どうして、レスリー・キャロンが出てきたかと言えば、昔良く聴いていた淀川長治さんのラジオで、彼女のことを言っていたのを覚えていたかたらだと思います。 確か、「猫のような顔をした可愛い女の子................」だったと思います。 アステアと、キャロンは「足ながおじさん」で共演しています。 |
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↑ レスリー・ キャロン |
おそらく、今で言うところのイージーリスニングジャズの当時版というところでしょう。
しかし、良く聴けば聴くほどに、渡辺さんと、ソニーは似ています。
もちろんソニーのほうが大先輩ではありますが。
録音も良いようです。
しかし、同じ時期に、パーカーとソニーの両人が同じような方法論を考え付くというのは、不思議な話しですね。
もちろん、デイジー・ガレスピー達もそうと言えば、そうなのですが。
2人は同じ生命体を持った人間だったのかもしれませんね。
政木和三さんが、同じ生命体ということで興味深い話しをされています。
いくつかの著作に同じ内容の話しが掲載されているのですが、政木さんがある内容を講演で話されました。すると、講演を聴いていた人が、
「同じような内容を言っている人がいます」
ということを言われるので、会いに言ったそうです。
しかし、その方は、松下孝之助さんと打ち合わせが長引いたということで、結局会えなかったそうです。
とりあえず、その方の講演のビデオを持ち帰り見たところ、政木さんと同じようなことを言っていたそうです。
また生い立ちなども相当似ている部分があり、いろいろな調べて見ると、どうも同じ生命体を持っている人だったということです。
講演で話された内容とは、「未来への発想法」(1996年6月発行)によれば、次の通りです。
(引用40ページ〜41ページ)
『UFO(未確認飛行物体)の話題が、世の中に出はじめたころのことである。私の生命体から生じる啓示が、私に告ぎのようなことを伝えてくれた。
---「我々地球の人類は、ある惑星から飛来した。今を去る三億六0000万年の昔、火星と木星の間に地球と同じような惑星がもう一つあった。それが、現在の地球と同じように環境破壊を起こし、核融合エネルギーを使いはじめた。人類滅亡の危機を感じた科学者は宇宙船(UFO)をつくり、その宇宙船に乗せて多くの人類を地球に送り出した。間もなく、核融合エネルギーの過剰開発、大量使用で、核融合のエネルギーは水によって誘爆を起こすから、海水が爆発して、その星は大爆発を起こして、木端微塵となった。飛び散ったカケラは、現在、小惑星となって木製の内側起動を回っている。
地球に飛来したとはいえ、三億六0000万年の昔は、まだ人類が住める状態ではなく、恐竜やシダの類が勢力を得ていた。そこで、生命体は動植物に宿って三億年以上を過ごし、今から三00年前に人類の肉体に宿るようになった。しかし、三億年の永い間、動物に宿った生命体は、その心も動物的になってしまったものも多く、現在では八割がその類といえる。これでは、人類は滅びるぞ
というものであった。』
というものです。
同じ話しをされた方というのは、高橋信次さんという方で、
「我々人間は三億五五00万年前に地球に移り住んだ」
と語っていたそうです。
この方も、工学部で電気を専攻し、医学も学習し、仕事も電機関係であったということだそうです。
年齢は、一回り12歳違いだったということです。
いかがでしょうか?
他にもいろいろ書いてありますが、また「宇宙の理と時空のコーナー」で書きたいと思います。
そうすると、同じ生命体ですと、同じような傾向の人生にはなるようですが、全く同じということでもないようですね。
森田健さんが最近話している「盲目派の四柱推命」という占いでは、どうやら「運命はほとんど決まっているが、選択肢もある」ということだそうです。
その選択のせいかも知れませんし、12年の差が生んだ違いかも知れいません。
例えば、全く同じ志向、能力を持っていても、政木さんが先に発明をしてしまったものは、同時代であれば同じ生命体の人は、もう発明することはできません、ということです。
どうして、2つに分かれて現世に出て来るのでしょうか?
何かで決められた役目が違うのかもしれませんね。
高橋さんという方の詳細は存じませんが、何か政木さんとも違う異なる大事なことをなさったのかもしれません。
実際のところは分かりません。
パーカーとソニーで、考えると、(万年筆とトランジスターではありませんが)、もし、同じ生命体であったなら、パーカーは、バップ、モダンジャズが発展していく基礎を猛烈な勢いをもって作った.....、そして、モダンジャズの進歩は後輩達に任せた.........。
ソニーは、その演奏スタイルを発展こそさせないが、維持し、演奏し続けることをした................。
とでも言うのでしょうか?
実際は分かりません。単なる空想です。
チャーリー・パーカーは、1920年8月29日カンサス州カンサスシティの生まれ。55年3月12日他界、
ソニー・スティットは、1924年2月2日米国ボストン生まれ。82年7月22日他界です。
ちなみに渡辺貞夫さんは、1933年2月1日栃木県生まれです。
しろうとが、ぱっと見たところでは、生年月日からは、何も分かりませんね。
フィルウッズは、1931年11月2日生まれです。彼は確か、パーカーの奥さんを引き取って養っていたか何かだと聞いたことがあります。やはりパーカー系のバップの一人者です。
しいて、何か2という数字が関係しているようにも思いますが、良くは分かりません。
もう一人日本で人気のあると奏者ジャッキーマックレーンはネット上では資料がありませんでした。
スペルを調べるのが大変なので、外国のサイトは調べていません(笑)。
ミュージシャンの誕生日は、音楽日めくりに詳しいです。
音楽上での月日ごとのできごとも、掲載されています。
アルバムですが、少し古いムードミュージックで、洒落たアドリブソロもついでに堪能したいと言う方へ、非常にお勧めです。
このくらいの時代のストリングスの録音は、独特の趣があって、私は好きです。
今のストリングスの録音も、とても好きですが、この時代は、何と言うか、厚みと言いましょうか、音圧と言いましょうか、色と言いましょうか、何かそういう言葉で表現できるものが濃いように聴こえます。
それとも、映画などで蓄音機から聴こえてくる音色に少し近いというのが、「趣」となって聴こえるのかもしれません。
もちろん蓄音機の時代よりは、かなり後ではありますが。
蓄音機は、基本的に言えば、高域と低域があまりでませんので、それらが省かれた中音中心の音ということです。
それでいて音色的にはやや中高域に振れている、と言った感じでしょうか?
AM放送の音なども、同系統の音色と言えます。
最近は、どうも送出時に低域、高域ともにエンファシス(強調)しているようで、聴覚上は良い音になってきていますね。
昔、ダイアナロス&シュープリームスの音などは、車のAMラジオからもっとも良く聴こえるように、低域高域をうんとイコライジングしていたそうです。
要するに、「ラジオへのリクエストが多いことが、ヒットに繋がる」ということを、意識しての音作りです。
それがヒットにつながったと聞いたこともありますが、彼女らの演奏なら、きっと普通でもヒットしたかもしれませんね。
第一、極端にイコライジングいたものなら、通常のステレオ装置で聴いたらかなり変な音です。
しかし、今聴いても、差ほど変な音に聴こえないのは、音を元に戻しているのか、それとも今標準とされている音が、3、40年前と比べると、かなり低域高域が強調された音になってきているかのどちらかだと思います。
私の感じでは、どうも、後の説のほうが、正しそうな気がします。
本当の所は良く分かりません。
139:SONNY STITT PLAYS ARRANGEMENTS FROM THE PEN OF QUINCY JONES |
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ソニー・スティットが続きます。 こんな曲目です。
※は、私のには入っていません。入っているのも売っています。 |
1955年の録音です。
クィンシージョーンズのアレンジによる作品ですが、相当ムーディな作品です。
しかし、ジャズ的にもなかなかすばらしいようです。
「Come Rain Or Come Shine 」は、とても良いです。
ところで、世界中の国で、同じような発音で同じ意味の言葉がよくあります。
時として、重要な裏の意味が隠されていたりするようなことがあるようですが、SHINEと社員は関係ないようですね。
(途中で下らないことを書きそうだと気付いた方は流石です)
「Lover」は、ジョージ川口さん、松本英彦さん、中村八大さん、小野満さんのビッグフォーのテーマとして使われていた曲ですね。
リズムは、ピアノ:ハンク・ジョーンズ、ギター:フレディ・グリーン、ベース:オスカー・ペティフォード、ドラム:ジョー・ジョーンズというメンバーです。
ハンクジョーンズも知っている人は知っているように、日本でとても人気のあるピアニストです。
パーカーとのレコーディングもある超ベテランですね。
もう20年前にはすでに、超ベテランと呼んでも良い域に達していましたが。
2曲目では、ジミーノッテンガムというトランペッターのソロが聴かれます。ライナーにそうなっています。サドジョーンズではないそうです。
ライナーは、岩波洋三さんが書いています。
学生時代、スイングジャーナルや、ライナーノーツで、いソノてルヲさん、油井正一さん、野口久光さん、.......など多くのジャズ評論家の方々の評論を読みました。
ラジオ番組も聴いていました。
私の音楽の勉強の元でもありました。
いソノてルヲさんは、ひらがなとカタカナが混じっていますが、これが芸名です。
確か、中学か高校の時、いソノてルヲさんだったか、油井さんだったかのラジオ番組で、いつも楽しく拝聴聴しているものがありました。
よく覚えていないのですが、確か若い人の歌か何かを、あまり良く言わなかったことか何かがあって、私ははがきをその方宛に出したことがあります。
「音楽的にはひょっとしたら劣っているかもしれないけれど、歌詞を良く聞いてください....」というような内容だった気がします。
はっきりと覚えていません。
その時は、中島みゆきさんだったか、谷山浩子さんだったかの名前を出したような気がしますが、よく覚えていません。
谷山浩子さんのか、みゆきさんの詞とメロディを誉めた内容を送ったような気しますが、よく覚えていません。
高校生が生意気なことを言って、とでも思っていたでしょうか.....。少し、生意気でしたね。
もし、谷山浩子さんの名前を出したとしたら、その時は私は知らなかった(はず)ですが、お父さんがジャズプレーヤーだそうですから、いソノさんだか、油井さんだかは、ひょっとしたら、「ああ、あの人の娘さん..」くらいに思ったかもしれません。
まったく、変わったことを書く高校生だったと今は思います。
ただ、それほど間違ったことも言っていなかった、と今でも思っていますが。
言い方は、文章を良く覚えていませんが、少し失礼だったかもしれません。
字がうまくなかったのは事実です。
もしカルマがあるなら、今私が若い人たちの言葉使いに??と思っても、それはカルマなんだと思うべきなのでしょう。
ただ、直してあげるか、我慢すべきかは、いまだ良く分からない部分が多いですが。
最近、ネットのオークションで古いラジカセを見て楽しんでいます。
昔使っていたものは捨ててしまいましたが、何か懐かしくて、もし格安のものがあったら買って見ようなどと思っています。
昔のものは、高級品だったせいか、ごついものが多いです。
それがメカ好きな私には今でもたまりません。
これが、私が小学生の時にはじめて買ったものと同じ型です。 とても好きでした。 近所の女の子を呼んでは、歌を吹き込んだりしていたのを思い出します。 録音レベルに応じてアナログの針のレベルメーターが反応します。 これが大好きでした。 ただ少し時が経ちますと、マイクミキシング機能の付いているものが欲しくなってしまいました。 確かこれを下取りに出して、次のものを購入したと思います。 |
次に購入したのも、ソニーでした。
ただ、録音レベルに応じて針が動かないのが、残念でした。
購入後に気付きました。
レベルに応じて、赤いプラスチックの玉が着いたり消えたりします。
レベルメーターも付いていたのですが、それはラジオのチューニング用でした。
シルバーで見栄えは良く、音も良かったです。
すこし、ハイ上がり気味でしたが(笑)
左のものは、3台目のものと同じ型です。 おりからのテレビステレオ放送化ブームに乗って、テレビ12チャンネル全部がステレオで受信できる機種でした。 「白バイ野郎ジョン&パンチ」などを、二ヶ国語放送の「英語」にして楽しんでいました。 テープの一番右のボタンが壊れてしまい捨ててしまったと思います。 とっておいてもよかったなあ、と今は思います。 |
一桁(あり得ないが)、10代、の人がもしこれを見ていたら、是非、思い出の品は一つくらいとっておいたほうが良いと思います。
40代になってからだと、同じものはなかなか手に入りません。
そうでもないでしょうか........、しかし、完動品はそうはみつかりませんよ。
当時のラジカセの位置づけは、どうも今のラジカセとは違っていたようです。 むしろミニコンポなんかに近いかもしれません。 そして、楽器関係機材にも近かったかもしれません。 マイクミキシングはもとより、少し後には、リズムマシン内臓タイプなんかも出てきました。 テープも時が経つにつれ、クローム(今のタイプU)、メタル(タイプV)なども登場し、それらのセレクトスイッチなんかが付いたりしてきます。 |
初期のものは、まだFMステレオが貴重な時代でしたので、別売りの大きなアダプターを取り付け、ヘッドフォンで聞くと、FMがステレオで聴けるようになるものなんかもありました。
また、FMワイヤレスマイクも全盛でした。
今のようにワイヤレスマイクの電波にいろいろな規則のない時代でしたので、マイクを調整して自分の好きなFM帯に設定し、それをFMラジオで受信すれば、だれもマイクで拡声できました。
ただマイクに向かって話すと、ラジオから声が出てくるだけですのに、どうしてあんなに楽しかったのでしょうか?
きっと珍しかったからでしょうね。
マイクと言えば、テレビに出てくる歌手くらいしか使用していない時代でした。
そういった憧れのようなものを持っている人がきっと多かったのでしょう。
当時ではなく......少し後でしたが、振り子時計をリズムにして、ラジカセで歌をレコーディングしているようなCMがあったような気がします。
私にとって鮮烈だったのは、ソニーから出たジルバップというステレオラジカセのCMでした。上のもジルバップですが。
「ロック・アラウンド・ザ・クロック」に乗って、ジルバを踊る外国人女性が出てくるものでしたが、あの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が、小学生の私にはとても、とても良い曲に聴こえました。
当時は1977,8年くらいのはずですので、この曲が流行ってから、22,3年しか経っていなかったのですね。
私にはすごく新鮮な曲でした。
今に直せば、2004年ですから、1981,2年のヒットという感じですか。
ビルボードの年間シングルトップ10です。 太字は私の好きな曲です。 |
1981年度
1 | Call Me | Blondie |
2 | Another Brick In The Wall | Pink Floyd |
3 | Magic | Olivia Newton-John |
4 | Rock With You | Michael Jackson |
5 | Do That To Me One More Tome | Captain&Tennille |
6 | Crazy Little Thing Called Love | Queen |
7 | Coming Up | Paul McCartney |
8 | Funkytown | Lipps,Inc. |
9 | It's Still Rock And Roll To Me | Billy Joel |
10 | The Rose | Bette Midler |
シーナ・イーストンのモーニング・トレインも、81年のようです。
1982年
1 | Bette Davis Eyes | Kim Carnes |
2 | Endless Love | Diana Ross&Lionel Richie |
3 | Lady | Kenny Rogers |
4 | (Just Like)Starting Over | John Lennon |
5 | Jessie's Girl | Rick Springfield |
6 | Celebration | Kool&The Gang |
7 | Kiss On My List | Daryl Hall&John Oates |
8 | I Love A Rainy Night | Eddie Rabbitt |
9 | 9 To 5 | Dolly Parton |
10 | Keep On Loving You | REO Speedwagon |
1983年
1 | Physical | Olivia Newton-John |
2 | Eye Of The Tiger | Survivor |
3 | I Love Rock'n Roll | Joan Jett&The Blackhearts |
4 | Ebony And Ivory | Paul McCartney&Stevie Wonder |
5 | Centerfold | J.Geils Band |
6 | Don't You Want Me | Human League |
7 | Jack And Diane | John Cougar |
8 | Hurts So Good | John Cougar |
9 | Abracadabra | Steve Miller Band |
10 | Hard To Say I'm Sorry | Chicago |
これらは、http://www007.upp.so-net.ne.jp/k-makoto/datastation/music/billboard/billboard.htmに詳しいです。
ビルボードはこちらです。
オリビアのフィジカルは、中学生の時の友人の家で流れていたのを覚えていますので、もっと前かと思っていましたが、83年なのですね。
きっと、何かの都合で、久しぶりに会った時だったのでしょう。
こうして見ますと、私の年齢のせいかもしれませんが?あんまり古くは感じないように思います。
みなさんはいかがですか?
きっとベスト50くらいまで載せれば、もっと知っている曲が出てくるのでしょう。
本の資料はありますが、ネットでうまく見つかりませんので、これくらいしておきます。
(本からだと移すのが大変です)
やはり時の流れが速くなっているような気がします。
とにかく、1955年に「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がビルヘイリーによってリリースされるまで、一般的にはロックというものは存在しなかったわけです。
くしくも、上記のアルバムが録音されたのと同じ年ですね。
ロックの成り立ちで良く言われるのは、黒人のリズム&ブルースと、白人のカントリーが合わさり、ロカビリーとなり、それが発展して、ロックンロールミュージックが生まれたというものです。
ヒリビリーだとか、ブギウギだとか、そういうのを省いた簡単な説明ですが、通常これが定説とされているようです。
この曲でのギターソロはなかなか素晴らしく、しばしばコピー譜が雑誌に載ったりしています。
知っている限り、テンイヤーズアフターのライブでも3コード曲のソロで使われたり、ブライアンセッツアーなんかも、フレーズを弾いたりしています。
あのギタースタイルはどこからきたのでしょう?
やはりR&Bとカントリー双方の影響があるのでしょうね。
ビルヘイリー&ヒズ・コメッツは、まだベースはウッドベースです。 サックスもいます。 ビートルズ・スタイルのギターバンドスタイルのはじまりは、”バデイ・ホリー&クリケッツ”だと言われているようです。 ただ白人の演奏するロックと、黒人のロックでは、やはり相当違うようです。 のりが違うのかもしれません。 |
黒人のほうがワイルドです。
黒人といえば、チャアックベリーと、リトルリチャードが有名です。
他にも、たくさんいますが、ワイルドだということは、これで分かるかと思います。
白人はエルビスが代表でしょう。
白人としては、相当ワイルドです。
しかしやっぱり、黒人のそれとは全く同じではありません。
それがエルビスの個性ですので良いと思いますが。
一番白人として白人によるワイルドロックと言えば、ジョリー・ルイスのような気がします。
もちろん、私の知っている範囲の話ですが。
ビリージョエルが司会をするピアニストをたくさん集めた番組で、ジョリーはロック代表で出演していました。
日本代表という訳ではないでしょうが、秋吉敏子さんも出ていました。
あのダイアナ・クラークも出ていたようです。
当時は彼女を知りませんでしたので、目に止まりませんでしたが。
ビデオに撮ってあっりますので、その内、確認してみます。
その後ロックはいろいろ変遷があり、1960年に入って、ロック熱は一度収まったそうです。
そして1964年にビートルズ.....となるわけです。
今では、ロックと意識してロックという言葉を音楽的には使わなくなったように感じます。 今ということではなく、おそらく、10年以上前からそうだったかもしれません。 |
それすら、もう20年近く前のことですが。
だとすれば、私の青春時にあった”ロック”というものは、一つの音楽的現象だったのかもしれません。
今、「ロックコンサートに行く」って若い人は言うのでしょうか??
1955年から始まって、1990年くらいで、”ロック現象”はいつのまにか終わっていたのかもしれませんね。
本当のところは良く分からないですが。
時代が追いついたとか言うむつかしいことではなく、1955年からロックを聴いて育った人間が年をとり、人口の内の大半がロックを聴いた世代になった時に、ロックは特別なものではなく、普通のことになったのかもしれませんね。
今ロックシンガーってだれでしょう?
へヴィーメタルとかパンクとか、そういう超ハードなのは除くとすれば。
私は詳しくないので分かりません。
もし仮にだれか思い浮かんだら、考えてみるといかがでしょうか?
その人は他のポップシンガーと大きく違うでしょうか?
例えば、その人と、今のポップス代表のだれかを比べる。
次にポップス代表と、ジャズ代表のダイアナ・クラークを比べる。
すると、どちらの差が大きいでしょうか?
もし、ロック代表とされる人とポップス代表とされる人の差が、ポップス代表の人とジャズ代表のダイアナよりも、大きく小さいようであれば、ロックという言葉、実はすでにジャンルではなく、”現象”だった、と言ったほうが正しいのかもしれません。
本当の所はよく分かりません。
もし何年後かに全ての人間がアーカシックレコードに通じることができるようになっているとしたら、それはその時点で超能力とは言わずに、普通のこと、となるわけですね。 そうなるとしても、紆余曲折はあるのでしょう。 ロックが35年(1955年〜1990年)かかったとすれば、時代が速くなっているのを見越して、後10年でそうなるでしょうか? そうなると良いですね。 |
なんとか2012年までにそうなったほうが良いと、船井幸雄さんはじめ、多くの方の意見を聞いていると、そう聞えます。
140:CHARLIE PARKER WITH STRINGS: THE Master Takes |
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チャーリーパーカーのストリングスものです。 録音は、 1〜6が1949年、 7〜14が、1950年 15〜19がカーネギーホールのライブで、1950年、 20〜23が1952年、 24が1947年カーネギーホールのライブです。 1-14が、LPでの「ウイズストリングス」の内容です。 ほかは、EP盤や他のアルバムで発表されていた演奏です。 録音がものすごく良いです。 もちろん、SN比とか、分解能を言えば、最新のものにはかないません。 しかし、時代相応という言葉は超えています。 アナログLPなら、その真価を更に発揮することと思われます。 しいて言えば、中音より少し下くらいのところが弱いのですが、高音、低音などは、私としてはもうこれで文句はないです、という感想です。 |
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チャーリーパーカーファンと言わず、ジャズファンとも言わず、イージーリスニングファンとも言わなくとも、ちゃんと録音したものがいかに素晴らしいのかを聴いてもらうためにも、これはお薦めです。
それは、確かにだれでも簡単に良い音が録音できる今がすばらしいのはあたり前ですが、プロの職人とはこういうものだというものを、是非味わって欲しいとおもいます。
アドリブソロも、いくらかプレイされています。
曲目です。
1. Just Friends |
2. Everything Happens To Me |
3. April In Paris |
4. Summertime |
5. I Didn't Know What Time It Was |
6. If I Should Lose You |
7. Dancing In The Dark |
8. Out Of Nowhere |
9. Laura |
10. East Of The Sun (And West Of The Moon) |
11. They Can't Take That Away From Me |
12. Easy To Love |
13. I'm In The Mood For Love |
14. I'll Remember April |
15. What Is This Thing Called Love? |
16. April In Paris |
17. Repetition |
18. Easy To Love |
19. Rocker |
20. Temptation |
21. Lover |
22. Autumn In New York |
23. Stella By Starlight |
24. Repetition |
メンバーもオーケストラの一人一人の名前まで、きちんとクレジットされています。
主なところというか、私が知っているところでは、
1-8にベース:レイブラウン、ドラム:バディリッチ、15-19で、ピアノ:アルヘイグ、ドラム:ロイヘインズ、20-23で、だれも知りません、24で、ドラム:シェリーマンといったところです。
古い音色でちょいとお店を飾りたいというような場合には、これは最高の音源ですね。
ほかと違ったところを出したいお店には、コルトレーンのバラードはあまりに流せれ過ぎていますので、たまにはこのアルバムも使ってほしいものです。
基本的にこのアルバムでは、ミディアムテンポのものが良いようです。音色の関係のように感じます。
やはりシンバルがきちんと鳴っていれば、高音が存在していますし、シンバル、ハイハット系、そして引っ張りながらずっと鳴り続けているストリングスなどがありますと、ある意味、ノイズリダクション的役割もしているのかもしれません。
お店で流す分には、そこらへんは全く気にならないとは思いますが。
ストリングス関係、要するに、チェロ、バイオリンのスタッカートなどの録音がすごく良いですので、クラシック関係の一線の録音技師が関わったのかもしれません。
本当のところは良く分かりませんが。
当時のスタジオですので、アンプなどの機材はおそらく真空管ではないかと思います。 今でも、オーディオマニアの方たちの中には真空管アンプを使用している方がいます。 一般的に真空管アンプは「暖かい音」がすると言われます。 暖かい音とはどういうことかと言いますと、人の温もりと言いますか、生き物の温もりと言いますか、そういうような感じがする、ということだと思います。 無機質ではないということですね。 |
電気的なことは分かりませんが、きっと電気的な何かが関係しているのだろうと想像します。
電気的なことと、音というのは非常にデリケートに反応します。
今でも、オーディオ機器のコンセントの+と-の極性をきちんとあわせて、繋ぐことに神経を使っている人もいます。
私はそこまではしていませんが。
ただ家を建てるときに、大本できちんと極性を一致させてコンセントを繋いでいませんと、コンセントの見た目だけで、+と-を一致させても何にもならないようです。
良く分かりませんが。
テスターかなにかで計って見れば分かるのだと思いますが。
オーディオ機器の内、私の感じでは、スピーカー、マイクなどは、音質に関しては、おそらく1950年代からは、それほど大きく進歩していないのはないかと思います。
もちろん、安くて、そこそこの音質をというような具合には進歩していると思いますが。
それに対して、冷蔵庫、洗濯機などは進歩していますね。
扇風機も進歩していないかもしれませんね。
もちろんいろいろな機能は付いてきましたが。
モーターでまわして、風を起こす、というのがもともとの機能ですので、そうそう進歩もできないかと思いますが。
スピーカーやマイクも、紙などでできた振動版の振動を電機信号に変えたり(マイク)、電機信号を紙でできたスピーカーで物理的信号に変えたりということですので、技術的には、こちらもそれほど大きく進歩のしようがないものだと感じます。
エンクロージャーも基本的な技術は1950年くらいには、ほど確立していたのではないでしょうか?
こちらは、本当に良く分かりませんが。
今でもスピーカー用の新素材が出てきたり、いろいろしていますが、技術的には大幅な進歩ということではないようです。むしろ、木材が安く手に入るとか、中国経済の参入で、人件費が安くなったとか、そういったことのほうが、「安くて良いもの」という方へ繋がっているのかもしれません。
オーディオ機器というのは基本的に、「重くて足元がしっかりしている」ものが良い音がするようです。
これはアンプでもスピーカーでも、CDプレーヤーでもなんでもそうです。
アンプなどは電源が音に大きく関わったりするようですが、部屋の環境、聴く方の耳など、実際のところはいろいろな要素が組み合わさってのものですので、実際にオーディオ機器が設置される現場に行ってみませんと、どうすれば最高の音を出すことができるのかは、分からないところがあります。
私がハワイでシェアしていた家にはパイオニアのシステムが置いてありましたが、なかなか良い音がしていました。 それほど高価なシステムということではなかったです。 スピーカーも大型ではありましたが、日本の方が良く使うような10万円単位のものではないと思います。 そこでの条件は、湿気が少ない、空気が軽い、ということが言えます。 やはりスピーカーは基本的に紙ですし、エンクロージャーも木ですので、湿気がありませんと、好影響があります。 |
ビンテージギターなどでも、年数が経ち、木が枯れてきますと、音が良くなるようです。
バイオリンも同じことでしょうか?
もちろん、適度な湿気というのも大切なのですが。
また空気が軽いですと、やはり音の響きと言いますか、流れが違うようです。
こういう条件であれば、実際はそれほど高価な機材を揃えることも必要ないと言えるかもしれません。
ただ低音と言いますか、スケール感は大きな箱で大きな径のスピーカーではないと出ないようです。
小さいと、どうしても、箱庭と言いますかそのような音作りになってしまうようです。
外国の家ですとやはり日本の一般的な家より広いですので、簡単に大きなエンクロージャーのスピーカーを置くことができます。
そこら辺は、どうしても日本より外国のほうが有利ですね。
まあ、テレビなんかにも同じことが言えますが。
私の妹の旦那は、大学生の時、四畳半(六畳だったかもしれない)に29インチくらいのブラウン管のテレビを置いていたようです(実際はトリニトロン)。
部屋の半分がテレビですね。
180センチくらいあるのに、一体どうやって寝ていたのでしょうか?(笑)
でも、それってマーフィー的には良いことなのかもしれませんね。
「このテレビが楽におけるくらいの家に住んでやる」と.....。
実際私と同い年の彼は転勤も多く、仕事は大変そうですが、引っ越すたびに、部屋が余るくらいの社宅にいつも住んでいるようです。
これがそのテレビのお陰かどうかは私には良く分かりません。
私も学生の頃から、「音楽専用の部屋があり、リビングには大きなグランドピアノを置き、そこから綺麗な海が見えて.....」と思っていました。
これからどうなるでしょうか?(笑)
音や言葉が水の結晶に影響を与えているという話しは書きましたが、音が空気の振動である以上、きっと空気にも影響をあたえているのかもしれませんね。 仮説ですが。 また空気中にあるといういろいろなものへも同じ用に影響している可能性が高いですね。 また水に影響するのだから当然血液にも影響してくるのではないでしょうか? 分かりませんが。 |
この現象というのは、「オーディオ的に良い音」と「そうでない音」で違いがあるのでしょうか?
あるような気もしますし、それほどないのかな?とも思います。
生命体の世界には音楽というものはあるのでしょうか?
無いような気もします。
全てテレパシーのようなもので意思疎通するのならば、音はありませんし、第一、生命体の世界に空気振動という概念すらないかもしれません。
そうなりますと、音楽というものは、肉体があるときだけ楽しめるものの一つということなのでしょうか?
匂いも、空気がありませんとしないものでしょうか?
良く知らないのですが。
そうなりますと、これも、肉体があるときだけの現象かもしれません。
変わった発想をすれば、空気の振動を通す音楽というものは、全く持って波動といっていいのではないかと思います。違うかもしれませんが。 これは、肉体を持っている人間が、ほとんど唯一五感で違いを感じられる波動といっても良いかもしれません。(他にもあるかもしれませんが) もちろん言葉によって「うれしい」とかそうでない、のような感情を抱くこともありますが、これは言葉の持つ波動と言いますか、言霊と言いますか、それを感じるのは五感ではないように思います。 |
むしろ生命体とか、そういうもののように感じます。
それに対して、音楽はストレートに波動を耳で感じているように考えるのですが、果たしてどうなのでしょうか?
みなさんは、どう考えますか?
もしこの仮説が正しいなら、作曲とか、編曲という作業は、いろいろな薬品を混ぜて、新しい薬を作るかのように新しい波動を作り出す作業と言っても良いかもしれませんね。
もちろん空気がない所では、音になりませんが。
ただ骨伝道スピーカーというのが最近出ています。
これは要するに骨に直接振動を通すという原理なのだと思います。
それでも肉体ではあります。
生命体だけの世界には音楽はないかもしれませんね。
あるかもしれませんし。
あったらいいな、と思います。
しかしこれも、肉体があるから思うことなのかもしれませんね。
音楽によって、原因の世界を変えていくと言うことは、可能なのでしょうか?
音にある何らかの法則によって、ということですが。
理由は全く分かりませんが、なぜかできるのではないかと感じます。 希望も入っています。 ただ、原因の世界にも音楽があるから、結果の世界に音楽があるのだろうと、想像します。 今言えるのは、少なくとも、こちらの世界では、いくらかの効果はあるということですね |
1〜20 | 21〜40 | 41〜60 | 61〜80 | 81〜100 | 101〜120 | 121〜131 (132〜140はこちら) |
141〜160 | 161〜180 | 181〜200 | |||||||||||
201〜220 | 221〜240 | 241〜260 | 261〜280 | 281〜300 |
クリスマスアルバムのコーナー |
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