理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

 
みなさんはどう思うでしょうか?

1〜20   21〜40   41〜60   61〜80   81〜100   101〜120   121〜140
121〜131はこちら
  141〜160   161〜180 181〜200      
201〜220   221〜240   241〜260   245〜249

250〜253

254〜255

254〜260


  261〜280    281〜300                    
クリスマスアルバムのコーナー    2005年船 井幸雄オープンワールドの感想
                       

 

 






254:鈴懸の径(みち)SWING IS MY LIFE:鈴木章治&リズムエース
   
  AMAZONに出てきませんので、曲目は書きませんが、1992年の録音です。

ゲストに、秋満義孝、松本英彦、ジミー竹内、数原晋、原田イサム、鈴木敏夫、のみなさんが、参加しています。
その他、バイブはおなじみの松崎龍生さんです。


ネットで知りましたが、ジミーさんは、2002年あたりに引退したのだそうです。

それはそうですね。
もう70を過ぎたかどうかですので、あのテクニカルなドラミングは、体力的になかなかむつかしいですね。

明るい表通りで、スターダスト、A列車で行こう、その他、比較的めずらしいナンバーが演奏されています。
鈴懸の径は、多重録音による鈴木章治さんの重ね録りです。


私は鈴木章治さんが好きですが、日本のクラリネット 界では、北村英治さんが人気があります。
やはり、あの風貌でしょう。
慶応大学卒業で、どことなく品のある顔立ち、小気味よいしゃべり、晩年(と言っても、物心ついた時にはすでにそうだったが)のロマンスグレーの髪、 もち ろん、クラリネットの一級品ですが、人気者になるべきして、生まれてきた運命を持っているのでしょう。

鈴木さんは、
鈴懸の径の大ヒットで、人気者になり、その後、やは りずっとスターでしたが、ジャズ界全体の活躍、ということで見ると、北村さんの方が、派手だったかもしれません。

フレーズ的には、鈴木さんの方がグッドマン以外にも、アーティ・ショウなどのスタイルにも影響を受けたもので、私は好きでした。

鈴木さんはリズムエースという自分のグループを最後まで持っていた訳ですが、そこら辺も、北村さんのほうが派手に活躍できた理由かもしれませんね。

だれか海外でも国内でも、大物と共演させたり、変わった企画を持ってきても、一人でやっている北村さんのほうが、鈴木さんよりも、当てはめやすかった、と いうことはあるでしょう。

自分のバンドがあるのに、一人だけ連れ出すというのは、どこか仁義に反するところがあるのでしょう。

アマチュア・バンドの女性ボーカルやギターだけ、連れてきて、プロにさせるという、俗に言う”一本釣り”というのは、ポップスの世界では良くあるようです が。
資本主義的理論でいけば、ぜんぜん普通のことですね。

昔のジャズ界は、悪い意味でも、良い意味でも上下関係が厳しかったりして、古い日本をひきずっているところがあったようですので、良い影響としては、そこ らへん筋道はきちんと通しているようですね。

本当はどちらかと言えば、鈴木さんのフレーズの方が世界的にも受けるだろうな・・・と感じていますので、立場が違ったら面白かったろうなとは思います。
もちろん、鈴木さんは鈴木さんで満足の行く音楽人生だったろうとは思いますが。







さて・・・・・・
ホリエモンさんが、いろいろあるようですね。
株価が落ちているようです。
私はまだ、初めていませんが(笑)。

生命保険の貯蓄分を株に当てようと、手続きしていますが、いろいろあって時間がかかっています。
本当はもう始めている頃のはずだったのですが。
始めていたら損をしたでしょうか?
分かりませんね(笑)。



決まっている流れなのか、それぞれの波動がそうしたのか、どうも、アメリカ式資本主義的なものへ、抑制力が働いているようですね。
これから何が起きるのでしょうか?

まったくの想像ですが、
北朝鮮が中国の元で資本主義化の方向を決め、中国、北朝鮮ともに、アメリカと仲良くなり・・・
アメリカは日本よりも中国よりの政策に方向転換をし・・・
日本は北朝鮮の驚異を感じる必要なくなり・・・
アメリカ化を止め・・・
アジア諸国と仲良くすることになり・・・

となって行けば、面白いと思いますが。

どうなるでしょうか?




さて・・・・・・
なわさんですが、
時間が短くなった、ということについても書いています。
これは、私は以前から言っていますし、エハンさんなど、多くの人が書いています。

なわさんは、脳の働きが活性化したことにより、時間が短くなった、としています。
確かに、時計の時間は一緒ですので、こう考えた方が分りやすいですね。

ただ、岡田多母さんは、地球の自転のスピードが速くなっていることについて書いています。
それは、鳥がいつもより低く飛んでいることにより分るようです。

地球の自転が早ければ確かに、1日は短くなり、時間が短くなっている、ということにうもつながります。
しかし、それだと時計の時間があまらなくてはならないはずですが、ここら辺が今ひとつ分かりません。

みなさんは、どう思うでしょうか?

私の感覚としては、脳が活性化しているのもあるかもしれませんが、1日自体が実際に短くなっているようにも思えるですが・・・。






さて・・・・・・
どうでも良い話ですが、森田健さんのトランプで自分の思った通りの印、数字を出す話がありますが、私はラッキーナンバーの49が、良くいろいろなところで 出てきます。
4月9日生まれなので、勝手に49をラッキーナンバーにしている訳ですが(笑)。

この3日間くらいテレビの時間表示で9割方(99%)”49分”の時ばかりにめぐり合います(笑)。
カードになら念が入るのは何となく理解できるのですが、時間に念がが入るというのはどういうことでしょうか?
時間に入っているのか、テレビに入っているのか、良く分かりませんね。
偶然かもしれませんが。

時間に入っているのであれば、時間にもトランプ同様意志がある、ということになるでしょうか。
テレビには何となく意志がありそうですが。



時間に意志があるとすれば、面白いですね・・・波動そのものである時間に意思がある・・・
もっとも、波動であれば、意志があっても不思議ではないでしょうか。

そこを深く考えれば・・・
時間を長くしたり、短くしたりということも出来るのでしょうか?
何となくできそうですが。

みなさんは、どう思うでしょうか?



森田さんと言えば、いつだったか、知り合いの脳の権威の講演会に行った時に、同じく講者の一人の若い学者に、その脳の権威が、何かを振るためだったので しょうが、答えを知っている質問をその若い学者にした時に、その若い学者は、
「あなたは、答えを知っていて、私に質問しましたね」
と言ったそうです。

これは、どういうことでしょうか?

実は私は答えを知っている質問というのは、良くします。
話の流れなどを、”意図”して、そちらへ持って行きたい時や、場合によっては、少し嫌らしいですが、相手がどこまで知っているのかを探る時、または、 「こっちの方向へ行ってみたらどいうだろう、乗ってみませんか?」という意図のある時などにします。

相手を探る場合は、もっぱら相手のことを良く知らないときなどにしますので、そうそうする訳ではないのですが。
但し、最近はそういうことはしません。
もうはっきり、「○○については知っている?」と聞いてしまうだろうと思います。



それで・・・
この若い学者は、何が言いたかったのでしょうか?

推測するに・・・
「私を試そうとなどしないでください」
と思ったのか?

「どうして、そんなことをするのか、全く検討がつかない」
でしょうか?

「知っていることなど、聞かないでください」
なのいか?

「一般に媚びないでください」
なのか?

「一般人を馬鹿にしないでください」
なのか?

「私を、操作するつもりですか?」
なのか?

「あなたとは合作などしません」
でしょうか?

良く分かりません。


ただ、見ている人からは、「ああ、この先生は、これについては、知らないんだ・・・」
と思われてしまう可能性はあるでしょうから、その意味では、それをさせない行為であったとも言えますが。



私がもし、そういう質問をされたら、おそらくは、
「ああ、そっちの方向へ流れをもっていきたいんだな・・・」
あるいは、
「そこのところを良く聞きたいのだろうか?」
などと思ったのではないかと思いますが。

みなさんは、どう思うでしょうか?




「実は私は答えを知っている質問というのは、良くし ます。」
は、例えば、何かを人に教えたい時に、私とその相手の関係があまり良くない相性の時、あえて、知っていて、その知らない相手とも相性の良い相手に、
「これって、こうだっけ?」
というように聞いたりします。

特に数年前、私がガリバーだった時(どこかに書いてありますので、探して読んでください)は、とにかく、できるだけ目立ちたくありませんでしたので、そう いうことは良くしていました。

たとえば、ある女性の部下が、
「お客さんが北朝鮮の大使館に問い合わせれば教えてくれるでしょうか?と言っていますが?」
と言っていたなら、
「北朝鮮の大使館など日本にはありません」
と普通に言うことが諸事情でできませんでしたので、あえて、差しさわりの無い人に、
「あれ、日本と北朝鮮で国交ありましたっけ?」
などと聞いたりしていました。

そうすると、その人が、
「ないよ」
と言いますので、後は、
「じゃあ、大使館なんてありませんね」
とすれば、よい訳です・・・・・・(ん・・・・・・)

これは、ひどく尋常でない人間関係だと私は思いますが、とにかく運命だとしか理解はできませんが、そういう状況に数年間いました(笑)。

これは、ひどい例ですが、そうではなく、まともなもので言えば、
先輩でも後輩でも、一緒に商談にでかけて、相棒の方が話しているときに、何か私のほうが知っていることがあったときなどには、あえて、「最新のデーターは どうだったけ?どうでしたでしょうか?」
のようにして、お客さんから、相棒に悪い印象がいかないように振る、というようなことはありました。


どうもこれは、まだ20代前半の頃、仕入先メーカーの30代後半の営業マンの人のことを、自分の会社の社長の前で悪く言ってしまった(叱責してしまった) ことがありますので、その反省からなのかもしれません。

もちろん未熟故の点数稼ぎだったのでしょうが、ひどく後味が悪かったのを覚えています(苦笑)。
小僧ごときに、叱責された中年の気持ちは今は良く分かります(笑)。

その意味では、若い人が似たようなことをしていると、されるがままにしておいたりしますが、本当は注意してあげた方がベターなのでしょうね。
次にそういう機会があれば、そうするでしょう。

みなさんは、そういう経験はないでしょうか?



どうも、高次元的な要素がなくて、すみません(笑)。









さて・・・・・・ 
変なことを考えますが、「運も実力のうち」、とは良 く言われる言葉ですが、実際は、「実力も運のうち」、なのでしょうね。
私はこちらの方が好きです。

もし、本当に「実力主義」を世間が掲げるのならば、少しでも「運」が入っている要素は捨て去らなければ間違いだと思います。
もちろん縁故、得意不得意、などなど、退けれて、判断すべきなのだろうと感じます。
しかし、多くが決まっているのなら、私は楽です。

私は辺に実力主義にこだわることろがありましたので、縁故というのが大嫌いでした。
あるいは、人から教えてもらう、ということも大嫌いでした。
自分から聞きに行くのなら良いのですが。

要するに、努力こそ、平等だと思っていたわけですね。
しかし、そうする内に、「それじゃ、育ちとか、そういうのはどうなんだ?」
などなど、どんどん矛盾が出ていました。
それらはその都度、適当ないくつをつけて、強引に心の奥にしまっていましたが、多くが決まっているのなら、もうそういうことに、悩む必要はないですね。


勉強の成績、
営業の成績、
就職先、
転属先、
恋人、
結婚、
出世、
財運、
心の状態、
家族、
友人、
趣味、
能力、
その他多くの実力、
その他多くの環境、
その他多くの過去と未来・・・・・・



これらはほとんど宇宙の初めから決まっていた可能性が高いです。
そうであれば、縁故でも、他の人にない能力でも、いかなる幸福でも、なんでも、こだわらず、有り難く、躊躇することなく、嫌悪感を持つことなく、使 う・・・あるいは使われる・・・つまり、運命の流れに乗っていけば良いようです。




何かの大きな呪縛から離れられるような気もします。
私は以前は、私の土俵ではなく、相手の土俵で、戦うことが多かったです。
これはつまり、「自分の得意なもので勝っても、それは本当の勝ちではない」という偏屈な考え方によるものでした。
つまり、自分に与えられていながら、他の人には与えられていない幸運、というものに、違和感を感じていたのでしょう。

平等でない、と感じていたわけです。
偏屈ですが、運命が決まっていないく、実力主義というのなら、「自分に与えられていながら、他の人には与えられてい ない幸運」は、拒否しなくては、間違いだろうと感じます。
しかし、多くが、決まっていたものであるのなら、自 分に与えられたものを100%使って良い、ということが納得できます。
つまらないことですが、今、はじめて、何かが分ったような気がします(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?







今急に「エビフライ」が食べたくなってきましたが、これはどういうことでしょうか?(笑)

最近あった、面白いことですが・・・
昨日、リンダ・ロンシュタットのDVDが急に気になりインターネット・オークションで探していましたが、そうしたら今日、テレビでリンダの昔のビデオク リップがやっていて、録画できました(笑)。
どうも、1曲だけ見れれば、満足のようです。











さて・・・・・・
アメリカ産牛肉が、また輸入中止になりました。
その前には、ライブドアの件、
その前には、マンションの件、
その前後に大雪、
少し前に、日本の人口が予想より早く減少に転じたことが分りました。



こんなに大きな出来事が続くのは本当に珍しいことですね。

決まっている運命で考えれば、今、日本はある意味での曲がり角にいるのでしょうか。




アメリカ産牛肉が、また輸入中止・・・は、広い意味 でのアメリカ的資本主義の問題でしょうか。
ライブドアの件・・・も、そうでしょうか。
マンションの件・・・は、民営化しなくて良いものを民営化したことによる弊害でしょう。
大雪・・・は、温暖化と関係が深いですが、小松英星さんによれば、温暖化そのものは、宇宙からの高い波動のせいである、ということですので、必ずしも、人 間が原因による悪い波動のせいということでもないのかもしれません。
日本の人口が予想より早く減少に転じたこと・・・は、私は3次元的には、アメリカ的資本主義によるところが大きいと感じます。


私も含めて日本人は麻痺していますね。
こう、矢継ぎ早に大きなことが起きては。
どれ一つとっても普通なら、半年くらいは引きずりそうな大きな出来事です。
小松英星さんの「小泉さんはこのままやめようとしているようですが、そうは問屋が卸さないでしょう・・・」は、当たっているかもしれませんね。





上の大きなできごと以外にも、アメリカ兵による事件、
つい数日前の軍用機の墜落、
ライブドアを発端とした株取引システムの停止と同じ日に起こった、アメリカでの株取引システムのミスなど、
隠れた事件はいくつもあるようです。



先日、
決まっている流れなのか、それぞれの波動がそうしたのか、どうも、アメリカ式資本主義的なも のへ、抑制力が働いているようですね。
これから何が起きるのでしょうか?

まったくの想像ですが、
北朝鮮が中国の元で資本主義化の方向を決め、中国、北朝鮮ともに、アメリカと仲良 くなり・・・
アメリカは日本よりも中国よりの政策に方向転換をし・・・
日本は北朝鮮の驚異を感じる必要なくなり・・・
アメリカ化を止め・・・
アジア諸国と仲良くすることになり・・・

となって行けば、面白いと思いますが。

どうなるでしょうか?

と書きましたが、次に起こるのは、アジアとアメリカの関係についての何かでしょうか?
その意味では、やはり、北朝鮮の次に取る出方がキーなのかもしれません。

但しこれは、だれでも、そうであろうと思うことですので、わざわざ書くまでもありませんね。


何が起きても、良い方向へ向かっているのだとは思っていますが。



いっそ、高次元的な何かが起きるようなことはないでしょうか?
あるとすれば、なんでしょうか?

俄(にわ)かには分かりませんね。

考古学的な発見でもあり、今までの常識が覆ってしまうかもしれませんね。

みなさんは、どう思うでしょうか?



ちなみに、
俄(にわ)か、で思い出しましたが、「ニカワ」という糊がありますね。
昔、良く外国作成のアニメを見ていると、この「ニカワ」という言葉が出てきました。

カウボーイが、ニカワの塗ってあるところに座ってしまい、くっついて、強引に取ろうとすると、お尻のところがやぶけてしまう・・・
というようなシーンですが。

「どうも糊らしいが何だろう?」
と思い、小学生の時、先生に聞いたことがあります。
同様、「板チョコ」という言葉も良く出てきていて、「何だろう?」思っていたものでした。

もう、ずっと昔のことですが(笑)。

同様・・・
ニュースで「査問委員会」と言う言葉を聞くと、「巨人の星」の「さもんだいさく」の顔が浮かんできたり・・・日本語を覚えたての頃は、面白い思い出がたく さんあります。

みなさんは、どうでしょうか?


今ではアニメと言えば、日本が本場になっているようですので、時代は流れていますね。
世界中の子供たちも、私が幼少に思ったのと同じようなことを思ったりするのでしょうか?

「畳ってなんだろう?」
とか、
「醤油ってなんだろう?」
とかでしょうか?


255:シェラトン・リゾート・オブ・ハワイ: オムニバス
   
  ハワイのヒット曲を集めたもので、アマゾンによれば、シェラトン・ホテルがプロデュースしているそうです。

しかし写真は「シェラトン・モアナ・サーフライダー」ですし、選曲も、以前モアナ・サーフライダーの支配人だった人が行ったようです。


曲目です。

1.カイノア / イズラエル“イズ”カマカヴィヴォオレ
2.ナニ・カウアイ / テレサ・ブライト
3.セイリング / パイエア
4.ハワイアン・ソウル / クウイポ・クムカヒ
5.クウ・レイ・クウ・イポ / ラウラ
6.ジャンピン・ロック / イケ・ポノ
7.ワン・フット・オン・サンド / ジャスティン
8.ナ・カナカ・ホロ・リオ / マカハサンズ
9.ワン・ナイト・スタンド / ソラナ
10.ワン・モア・タイム / ババ・ビィー
11.クウ・プア・レフア / ナ・カマ
12.プリティー・ガール / パイエア
13.アイランド・ボーン / ケオラ・ビーマー
14.マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン / レイラニ・リベラ・ボンド
15.ワイキキ・アロハ / ラングレー・ウクレレ・アンサンブル
日本人向けに作られたのかもしれませんが、これを聴 いていると、ハワイの曲はメインランド(アメリカ本土)よりも、どこか日本的なところがあるな、と感じます。
好きなアルバムです。

9. ワン・ナイト・スタンド / ソラナ」は、70年代的・・・というか、日本でありそうな、60年代+西海岸+・・・のような曲ですが、好きです。

ONE NIGHT STAND ということばは、どうも(?)一夜限りの恋、ということのようです。
確か竹内マリヤさんの曲にも同じ言葉が出てきたように思いますが、こういう英語は実在するのですね。
竹内さんは留学経験があるようですが、どうしてもあの時代の日本の曲に出てくる英語は、「造語だろうか?」というスタンスを100%はずすことができない 部分があります。

実際、「こういう英語はあるのだろうか?」は長年の疑問だったのですが、何にしても、ある、ということが分りました(笑)。
もう一つ、竹内さんの曲に「ONE SIDED LOVE」というのもありますが、これは片思い、という意味で歌われているようですが、はたして、実在する英語でしょうか?
辞書を引けばすぐに分ることですが(笑)。



さて・・・・・・
このホテルですが、有名なホテルですね。
ワイキキにあります。
私は、泊まったことはありません。
シェラトン・ワイキキはありますが(笑)。

ワイキキ・ビーチ沿いのホテルは本当に良いロケーションで、部屋の窓いっぱいに海が見えるような感じに作れますね。
作られたリゾート、という意味では本当にすばらしいと感じます。
要するに現実を忘れられる、という意味ですが。
もちろん、あの空気と氣があって、はじめて可能なのでしょうが。

それとあの臭いなのですが・・・
いくつかワイキキから腕時計を輸入しましたが、皮バンドには、ハワイの臭いが染み付いています。
ハワイ独特のバクテリアでしょうか?
とにかく、あれは、何かの意味があるように感じます(笑)。


ところで・・・
あのシェラトン・ワイキキのビーチ沿いは、どうしちゃったのでしょうか?
侵食されたのでしょうか?
変な舗装がされていますね。
以前はちゃんとビーチだったのですが。

温暖化と関係があるでしょうか?
水が増えればビーチ沿いは、変わってくるでしょうから(?)








今テレビで、温泉の紹介をしています。
そこホテルのフレンチレストランで、地元の食材を生かした料理を出しています。
牛フィレ肉に下仁田ネギのソティを添えたものが出てきました・・・・・・

ん・・・と感じました。
ネギがほんの4,5センチだけ、しかも白いところだけなのです。
もったいない、と感じました。
もったいないは、他の部分をどうこうする、ということではなく、もっといっぱい地元の特産品が食べたい、という感じですが。
しかも、フランスり料理になってしまっている。

私なら、塩味だけで、炭火で焼いたネギを1本丸ごと出して欲しいな、と感じました(笑)。
もちろん、食べやすく切ってあって良いのですが。

それが、あのフィレ肉と一緒に串に刺してあったりするとさぞかしおいしいだろうな、と感じますが。
鶏肉の方が良いですが。
どうなんでしょうか?








日本テレビが、自分の番組を反省する、という早朝の番組を見ていますが・・・
日本テレビは、ライブドアと同じですね。
犯罪者をバラエティに出したりする番組をやっているようです。

法律では禁止されていないことなら、(金儲け・視聴率のためなら)なんでもやる、ということなのでしょう。
日本人には法律にはなっていないが、良識としてやってはいけないことはしない、という伝統があるように感じますが、そこがまったくありませんね。

なんで全てを法律にしないかと言えば、緊急時などには、そうせざるを得ないことが、良識から見て分るので、そうしているのではないでしょうか?

最近ライブドア関係で、「高速道路の路肩走行」説が言われていますが、あれは、自己時などの緊急車両用に空いているわけですね。
もちろん、やぶれば、罰せられます。
それをして、「はじめから、路肩を封鎖しておけばよいではないですか?」
という人いるようですが、あれは、緊急時用に空いているわけですので、封鎖はできませんし、そこには、「閉じられてはいないけど、良識で判断しなくては回 答がでない」という前提があるのだと感じます。

田原さんは、朝まで生テレビで、「法律になっていないことでも、してはいけないことがるだなんていうのは、ファシズムだ」というようなことを言っていまし たが、ぜったいに違います。

レジで1万円を1円玉で支払ってはいけません。
後ろに並んでいる人や、レジにいる人に迷惑です。
それなら、「1円玉でいくら以上を支払ってはいけません」、「1円玉をなくなさなくてはいけません」
というのが、田原式理論のように感じます。
同時にライブドア理論でもあるのかもしれません。



私は、堀江さんには、期待していましたので、残念です。
ただ、最後までどうして、あの会社は儲かるのだろうか?と分かりませんでしたが、なんとか分ってきました。

結局のところ、アメリカの言うようにいろいろ制度を変更した結果、できるようになってしまったことを、良識をはずして実行すれば、あのようなことができ る、というようなことのように感じます。

私は、当然あの会社で働いたことはありませんし、仕事で一緒をしたこともなどもありませんが、なんとなく、どんな会社か分るような気がします。

私は断言しますが、絶対に、企業では、年齢構成をきちんとすることが必要です。
そして、戦略を作る部門はある程度いいかもしれませんが、人を管理する部門には、40代、50代の人間が絶対に必要だと感じます。

アメリカで、大学院を卒したばかりのい人が、すぐに社長になって活躍しているとか、そういう報道ばかりが一時されていたことがあるように感じます。
今思えば、それも、どこかの国の意図などが合ったのかもしれませんが。

しかし、それは残念ながら、大雑把な国だから通った事実であって、絶対に日本では通じないように感じます。
アメリカ発の業界、あるいはその要素が強い業界というのは、どうも、似たような傾向があるように感じてなりません。

みなさんは、どう感じるでしょうか?



センター試験で、例の英語聴き取り機械で、正常に作動しないものが多くあったようですね。
絶対にそういうことはありえるな、と思っていましたが、結構たくさんのようです。

それじゃ、TOEICや従来の入試のようにテープを教室の流した方が良いと思うかもしれませんが、私は反対ですね・・・
ヘッドフォンを支給される形式のものの方が、大きな教室に音を流されるよりもどうも私は得点が良かったことが多いようですので(笑)。

ただ、実力によって違うようでもあります。
聞き取り能力がないほど、大きな音でもごもごと教室に流されると聞き取れない、という傾向があるようです。
その意味では、できる人はどっちでも良い、できない人には一人に一台形式が有利なのでしょう。

大家族でおかずの取り合いをしているのにどこか似ているのかもしれませんね。
TOEICでは、文章を作る能力なども見ていくようになるようですが、今中途半端に聴き取り能力などセンター試験でやらなくても良いのではないかと感じま す。

どうしても英語能力を国がらみでつけようというのなら、抜本的に、英語教育を変えてから、全て考え直せば良いのではないかと感じます。










さて・・・・・・
私は結果ですが、
人は結果であり、原因はその人以外の全てのものであり、人はリアクションの塊、あるいは、反応の塊である、というのは、3次元的な見方をしても事実なよう です。


私は人に動かされるのは大嫌いです。
ですので、今までそれを極力、避けてきました。

たとえば、大きな荷物を持った人が私の入る狭い場所に来たりしたら、場所を空けてあげますが・・・
そうではなく、精神レベルの低い言い方ですが(笑)、好きでない人が近 くに来たりすると、「なんで、俺がこいつのために、場所を移動しなくてはいけないんだ?」
という発想をして、意地でもい動かない、だなんてこともしていた時期がありました。

しかし、今日電車に乗りながら、いちいち検証してみましたが、確かに、座る場所から何からすべて、外側に動かされているようですね。

私は空いている電車では、前の景色が見たいですので、目の前に人が座っていない場所を択びます。
そこでまず座る場所が決まります。
さらに今日は大きな荷物を持っていましたので、隣に荷物が置ける場所を択びます。
そこでまた決まってきます。

今日は長い椅子の端になりました。
すると、端というのは、多くの人が座りたがる場所ですので、しばらくすると、私の前の開いている端に人が座りました。
当然その人がいるので、前が見えなくなります。

ですので、私は席を替えました・・・・・・

などなど、見ていくと、私が、理屈を作ってその理論で動いた、というよりは、そこに表れた人によって、動かされているようです。



私は人が意図を持って、私を動かそうとするのがとても嫌いでした。
自主性がない、と感じていたのですね。
これは、女性との関係、会社での人間関係などにもあります。
上司などが「昇進」などのえさをぶら下げ、私を動かそうとすると、私は動きませんでした。
その人に操られているようで、そうする自分が許せなかったわけです。
しかし、どうも、そういう逆説的なことも含めて、人は外側によって動かされているようですね。

先の、「実力も運のうち」の話では、「もともと自分で作りだした実力などはないのだ。全ては決められていたのだ」、「だから、実力でも、縁故で、他から与 えられたものでもなんでも、基本的には同じである。気にせず、使っていこう」
という話を書きました、

どうも人間には自主性、本当の意味での自分の意志というものはなく、外側が原因になっている可能性が高いようです。
その意味では、これからは気にせず、自主性など気にせずどんどん外側から動かされていったら良いのではないか、と感じています。




さて・・・・・・
私の変な癖ですが(笑)、横になってリラックスしていると、横になったまま、手を上に上げていることがあります。
これは、幼少のころ・・・少なくとも小学生のころからの癖です。
肩からスッと、まっすぐに上に向かって上げています。
ぜんぜん疲れません。性アックに測ったことはないですが、きっと最低でも1時間は上げていられます。
力はぜんぜん使いません。
ただつぼがあり、そこに手が納まっていれば、ずっと、上げていられます。
なんで上げるのか良く分かりません(笑)。
ただ、気持ち良いです。

みなさんは・・・と言っても、こんな人はいないでしょうね(笑)。




 

ちなみに、このハワイアンの人形は、勝手に「アイ リーン」という名前が付いていますが、電池で動きます。
スイッチを入れると、ハワイアンの音楽が鳴り、彼女が踊り出します。
踊ると言っても、足元にローラーが付いていて、動き回るだけですが。

しかし、なかなかの迫力です。
見せられないのが残念ですね(笑)。




さて・・・・・・
ちょっと書くことが思いつきませんので、塩の話でも。

政木和三さんの本に塩のことが書かれていますが、なんでも、昭和30年代に、日本では塩化ナトリュームを食塩としたようです。
これは取りすぎると、血圧が上がるのですが、数パーセントのマグネシュームを混ぜるといくら取っても、血圧は上がりも下がりもしないそうです。
それは、そうすることにより、塩の成分が海の水から作られる塩の成分に近づくからだそうです。

一番良いのは、海の水から作られた塩のようです。
今は、スーパーなどでも、荒塩として、海の水100%のものも売っていますし、100円ショップでも売っていますね。
一時期はきっと店に並んでいなかったのでしょう。
良い時代になりました。

政木さんは、
「海の水から作った塩は、舐めると始め甘く・・・サトウキビから作った黒砂糖は、少し苦く、辛い・・・」
と書いています。

一時期の塩化ナトリュ−ム塩は、ただ塩辛く、白い砂糖はただ甘く・・・
なにかアメリカを感じます(笑)。
デジタルとは言いませんが。
政木和三さんも本の仲で、「コンピューターは2進法で処理している・・・つまり単純な方が、早い処理ができる・・・」
と書いています。
いい加減でなければ、あるいは、使い道を間違えなければ、デジタルには良い点もあるのでしょう。


先日、テレビを見ていましたら、ハワイの日本食レストランをやっていましたが、ある焼き鳥やさんは、備長炭と瀬戸内海え作られたアラ塩を使っているそうで す。
それが一番おいしい焼き鳥ができるのでしょうね。

ハワイの塩というのも、何かおいしそうな響きがありますね。
確かあったような気がしますが。
何かの機会があったら買ってみたいと思います。











さて・・・・・・
湯川れい子が、テレビで「小さいときに、お金で買えないものがあることを知る・・・」が、ライブドアのような事件を起さないことには必要であるというよう なことを言っていました。

きっと、3次元的にはその通りだろうな、と感じます。




ただ、だれでも、お金は欲しいですね・・・。
それでは、お金が一番ではない、を計る方法はあるだろうか?と考えますが、これはどうでしょうか?

仮に、1億円貯金があったとします。
その上で、月給20万円であったとします。
後、30年生きるとします。

その時、もう1億円あげるよ、と、
もうひとつ、あと○○をあげるよ、
を比べて、○○をあげる、が勝ったら、もうそれは、お金が一番の人ではないと言っても良いのではない でしょうか?

ずいぶん、低いハードルだとは思いますが、いままでいろいろ考えてきましたが、これが一番しっくりきます。
後30年生きるがキーになっているのかもしれません。
ですので、この年になって、そういう発想が出来るようになったのかもしれません。

みなさんは、どうで思うしょうか?







私は自分の「お金が一番ではない」を自他共に認めさせるために、いつもあえてお金が多く入ってこない方ばかり択んでいきてきたようにも感じます。

もちろん、高次元的には財運がそうなっていた、ということなのでしょうが。



この自他共に認めさせる、ですが、人の中には、いくら完璧な理論を言っても、認めない人というのはいます。
そういう人を認めさせるには、実証主義しかありません。
しかも、極端な実証が必要です。

大槻教授などを見ていればそれは分るかと思いますが・・・
おそらく彼も、目の前で仏像でも物質化しない限りは認めないでしょう。

私は、決まっていた運命でそういう(どうしても認めない人)経験が比較的多くありましたので、想像すれば、それが、3次元的には、極端な実証主義、あるい は極端な結論、というもの を出しやすかった30代までの人生のひとつの原因でもあったのかもしれません。


私はこれまでの人生のひとつの使命(?)として、これをなんとかする、ということがあったようにうも感じます。
そのひとつの方法として、「完璧な理論すら認めない人は無視する」であったようにも感じます。
しかしながら、このような実証というのは、なかなか簡単にできるものではありません。
もちろん、できる場合はやってきましたが。


その意味では、極端な実証を実現化する、というのが、私のこれまでの人生でもあったようにも感じます。


たとえば、大学生の時に、ある銀座のクラブにピアニストのアルバイトの電話をかけたことがあります。
私は、「独学でピアノを勉強しました」というようなことを言いましたが、そこのオーナーは、「無理です」と言って、私のピアノを試しに聴こうともしません でした。
こうなると、私は馬鹿ですので、独学でもピアノがまともに弾けることを、音楽の素人にでも、はっきりと分からせてやりたい、と思ってしまいます。

そうなれば、もう決してだれにも習いませんし、フレーズ的にも、当時はどこか素人がびっくりする、ということばかり 念頭においたものを練習していた ようにも感じます。
それだけでもありませんが。
しかし、これでは、ピアノはうまくなりません(笑)。

どうしても、習わなくてはならないものもありますし、そんな極端なフレーズ・・・たとえば、異常な速弾きなどですが、そればかり練習していたら、よい演奏 などできません。

お金でもそうですが・・・
私が「お金は一番大切なものではないよ」と言って、だれかが、「多少悪いことをしなくては、お金は儲けることはできない」などと 言いますので、私は極端に「お金がなくとも、幸福になる」を実現しようとしていたようにも思います。


こういった悪い癖を なくすためには、「正しい理屈を言っても、理解しない人間を無視する」しかないと感じていた時期もあったわけですが、そう思えば思う ほどに、そういった人間に積極的に、わざと関わっていっていたようにも感じます。


しかし、どうも実際は無視はしなくて良いようです。
ただ、懇意にしなければ、良い、だけのようです。
この、どうしても、話が合わない人、理解しあえない人とは、懇意にしなくてよいのだな、ということは最近理解できて来ました。
また、自分と気のある人ばかり回りに置くことすら、実はそれ自体は決して悪いことではないのだな、ということも分かってきました。



これらは、波動の法則的にも、そうですし・・・
以前より広げて世間を見渡してみた結果、それでも良いのだ、というこが分ってきました。
今までの私は、何を無理して、わざと気のあわない、理解し得ない人とばかり、付き合ってきたのだろう、仲良くできるようになるよう努力してきたのだろう、 と思います。

人の器広げる、ということは、どうも不必要にはしなくて良いようです。
私は、登校拒否も登社拒否もなどはしたことはありませんが、どうも、嫌なら行かない方が正しい、ようです。

国交でもなんでも、仲良くする、ということは大切ですが、だれとでも、なんとでも、仲良くする、という概念は、人間に運命という決められたものがある以上 は、これを迫るというの脅迫に近いですね。


野菜が嫌いな子供は、全部の野菜を好きになることを目指す必要はなく、食べられる野菜だけを食べれば良いのでしょう。
強引に食べさせれば、どこかが大きくゆがみます。

嫌いなものには近づかない。
好きではなく、好奇心のあるものに近づいていく・・・・。
これだけで、良いようです。



ただ、暴力はいけませんね。
それと何度も書いてきましたが、怒鳴るのもいけないようです。
少なくとも、今の時流はこの怒鳴るは禁物のようですね、いろいろ見ていると。

暴力を振るわなくては仕方がない、怒鳴らなくては仕方がない、という状況はもう嫌いなものに相当無理して接している状況なのではないかと思います。
自分を振り返ってみても、そのように思います。





だた、これは逃げているのとは違うと思います。
誰でも青酸カリは嫌いですが、飲まないからと言って、逃げていることにはなりません。
飲まなければ、こんなものは、嫌でもなんでもないのです。
それを無理して触ったり飲むに近いことをしなくてはならないとしたら、だれでも、心がゆがみますね。
そういうことなんだと思います。

そして、その青酸カリは、人によって、何がそれに当たるのか、違うのでしょう。
相性というものだと思います。

波動には、相性(波形か?)以外にも上下というのもあると思います。

3次元的には波動は高いほうが良いには決まっていますが、これも、無理してはいけないのだと感じます。
無理しても、絶対に、その無理によって共鳴したりすることはできないように思います。
もちろん、高い波動の集まりにいれば、自然にその人の波動も高くなる、ということはあるかと思いますが、それでも、波形のようなものが一致していないとな かなか共鳴はしないのではないかと思います。

ですので、この意味でも、好奇心に従って動いていく、というのが正しいように感じます。

もし、決められた運命で、波動が高くなる、運が良くなるというとうな流れになっているのなら、好奇心に従っていれば、自然に、その人の波動を上げてくれる ような集まりに加わっていくこ とになるでしょう。



みなさんは、どう思うでしょうか?



 






さて、ライブドアですが・・・・・・
問題ありとされている、社長、取締役たちは私より3,4歳年齢が下です(堀江氏は10歳近く下だが)。
大体同じ世代ともいえるとも思います。
あるいは、高校を出てすぐに社会へ出た人もいるようですので、社会に出た年齢、としては、同じだとも言えます。

私の社会に出た時期と言いますのでは、バブルの最後の時です。
最後というのは、つまり、逆に言えば最高潮だったとも言えます。

毎日どこそこで、こんなすごい建物が建った、とか、
こんな芸術作品を日本人が買った、とか、
こんな世界的な建物を日本人が買った、とか、
GDPがこんなになった、とか、
株価がこんなになった、とか、

そんな頃でした。

そして、今と似たように、20代で億万長者、30代で億万長者、こんな豪華な暮らし、こんな贅沢な暮らし・・・そういうことが、蔓延していて、そうでな い社会に出たての人間としては、「成功者とは、ああいうものか・・・」と思わずにはいられないような社会状況でした。


私個人としては、バブルの恩恵というのは、なぜか、あまりありませんでした・・・と思っているのは自分だけで、実際は、就職は引き手あまた、ボーナスも 十分に出る、という時代でした。
それでも、私は入ろう思えば入れた大企業にも
入らず(実際はどうだか・・・)、1,2年はボーナスもほとんどなく、独自の道を歩んではいましたが(笑)。

それでも、社会には十分に資金がありましたので、いろいろな意味で生きやすい時代ではあったのだろうな、とは感じます。

それでも、バブルが崩壊し、1,2年経つと、崩壊の状況も見えてきました。
個人的には、バブル期にマスコミで名前が出たような人が、やや落ち目になり、そういう人と仕事をする機会があったり、
取引先の購買の人が、「今度リストラされることになって・・・」と急に言い出したり、
やはり取引先で、マスコミを騒がしていたような企業が倒産したり、
自分が辞めた会社が倒産したり、
自分が辞めた会社の自分がいた支店が閉鎖されたり、


と、いろいろでした。


これが、私より前の世代であれば、高度成長期からの流れが、バブルの前に加わるでしょうし、石油ショックを知っていれば、その流れが加わるでしょう。

戦後から知っていれば、それこそ、上に行ったり下へ行ったり・・・



で、何が言いたいかと言いますと・・・
一般的には、はじめて接したものというのは、すごく心に残りますし、そのものへのイメージというものを大きく形作ります。

その意味では、私と同年代の人というのは、バブル期に社会へ出て、そしてあの有様から感じるものを、ひとつの理想としてしまっているという可能性はありま すね。
もちろん、多くの方は、その後、いろいろ経験して、また社会へのイメージというものが変わってくるようにも思いますが。



実際私でも、心の端には、社会人1年目に抱いた変な願望のようなものがあるようにも思います。

あるいは、私の世代であれば、ピンクドラゴンの話、矢沢栄吉の成り上がりという本などが及ぼした「成り上がり願望」というようなものがある人もいるかと思 います。

結局、結果である3次元ではありますが、3次元的に見れば、あの時代が招いた何かが今回のことには大きく関係しているのかもしれませんね。
あるいは、道徳的な言い方をするなら、バブル期のわずかな夢のようなものを抱き続けている人に対して、徹底的な駄目押しをしたとも言えるのかもしれません ね。



同年代のくせに、なぜ、私は、出世を自ら拒んだり、大企業のようなものを拒んだりしてきたのか?と考えれば、はっきりって、運命だとしか言えません。

明確な理由が見つかりません。
別に、お金持ちになりたくなかったわけでもありませんし、大きくなることを否定してきたわけでもないように感じます。
しいて言えば、見かけ倒しというのが大嫌いですのいで、見かけより、中身、ということにいつも視点があったのが関係しているのだろうか?とは感じますが、 それも決して、今のような内なる神、というような存在と同じことを考えていたわけではありませんし、「勝ち組、負け組み」という流行のばかげた言葉 で表現するなら、「勝ち組」ではありません。





きっと彼らの潜在意識には、「バブルの時代への憧れ」というようなものがあったでしょう。

みなさんはどう思うでしょうか?




「おやじを見ていると、一生懸命やっているわりにはお金を持っていないのです」
が、堀江さんの言葉のようですが、「一生懸命」という言葉に、疑問は持っていたようですね。

アセンションのせいか、時流のせいか・・・
何かは感じていたのかもしれませんね。

それでも、何か分からなかったのでしょう。
私も分かりませんが。
ただ、やはり教科書には何も書いていなかったのでしょう。



どうも一生懸命ではなく、一所懸命のようです。
そしてハンドルを手放す、と・・・


みなさんは、どう思うでしょうか?


  さて・・・・・・
「天の理と時空のコーナー」に私が遠隔診断してもらった診断結果(もう2年前)が出ていますが、そこに、縄文人という表記があります。

小松英星さんのQ&Aの最新のものに、やはり縄文人・・・という言葉が出てきますが、この診断を除いてこの言葉を見るのは初めてです。
もちろん、縄文時代の人という意味では日本史の教科書などで見たことはありますが(笑)。

少し引用してみたいと思います。

http://www21.0038.net/~gaia-as1/qa06a.html#Japanese
より引用。



これまでの発掘調査など のデータによって、トレースできるだけでも1万年近くに及ぶ、日本の縄文時代とその時代の人々(縄文人)は、地球の歴史でも、きわめて特異な存在です。
その典型は、この間、まったく争いごとがなかったとみられることです(発掘された人骨などに、他で見られるような殺された形跡がまったくないのです)。
約20〜30万年前とみられる(現代人に繋がる)人類創成のすぐ直後から、宇宙でも地上でも、戦乱が絶えなかったのに、これだけ長期にわたって大規模に 「平和」が保たれたのは、驚異的なことです。
「戦乱」が日本に持ち込まれたのは、弥生人が渡来してからのことです。
私たちは、縄文人を先祖に持つことを、大いに誇りにするべきでしょう。

むしろ、日本人についての、もっと大きい問題は、2度にわたって原爆に被爆したことでしょう。
日本人の誰もが、日本民族のオーバーソウルに繋がっているので、その影響は、いわゆる「被災地」の人だけではありません。誰もが、魂に(したがってDNA に) 深い傷を負っているはずです。
現時点で、世界の文明社会でアセンションしているのは、アメリカ人やヨーロッパ人が18人に1人、中国人が13人に1人など。そして、日本人は実に26人 に1人の低さで、それは主に原爆の影響だという情報もあります。


(以上)
以下作成中

どうも、縄文人というのは、争いごとをしない人々だったようですね。
なんとなく嬉しいです。

もっと興味深いふことが下のほうに書かれいますすが、
現時点で、世界の文明社会でアセンションしているのは、アメリカ人やヨーロッパ人が18人に 1人、中国人が13人に1人など。そして、日本人は実に26人に1人の低さで、・・・
というところです。

多くのアセンションを語っている書物などでは、日本人は他の国に比べて多数の人々がアセンションする、となっています。
これが事実だとして、そして、上記のことも事実だと想定して考えて見ますが・・・

やはり、日本人独特の、右に倣えが、ある時点で急速にアセンションを加速するのだろうな、と感じます。
もっとも、私の考えているアセンションと多くの方が言っているアセンションは違うものですし、私は宇宙から「こうこうだ」というような啓示を受けているわ けではありませんが(笑)。


いずれにしても、今まで気づかなかった新しい事実に多くの人が気づく・・・ということについては、同じなのだと感じます。

上で見ると、なんと中国人は日本人の2倍ですね。
これは、森田健さんの研究、調査などから察すると、信憑性を感じてしまいます。

アメリカ、ヨーロッパでくくって、その比率は今の日本人より多いとしています。
基本的に個人主義ですので、「私はこうだ」と思ったら、日本人より素直にそうできる人達ですので、確信の度合いが日本人が確信を決定する程度より低くと も、確信した方向へ行く傾向があるのだと感じます。

ですので、ひょっとしたら、アセンションはできていなくとも、もっと多くの日本人が、何かに気づいている可能性はありますね。

仮の数字を入れて具体的に言えば、
欧米で、60のメモリまで感じている人が18人に1人、そしてその全てが確信している
日本では、80までのメモリを感じている人が10人に1人、60までのメモリまで感じている人は20人に1人いるが、確信している人は26人に1人・・・
というような意味ですが。

スーパーボールなみのおできができても、病院に行かない私と、ちょっと熱が出ると病院に行く人との違いのようなものかもしれません(笑)。

実際はどうかは、分かりませんが。
ただ日本人は鈍くはありません。
ただがまん強く、そして不必要にはことを荒立てたくない人種だということなのだろう、と思います。
良くも悪くも出ます。
もっとも、全体の傾向であって、一人一人で言えば、いろいろな人がいると思います。




「日本人独特の、右に倣えが、ある時点で急速にアセ ンションを加速するのだろうな、と感じます。

ですが、これはある意味で日本人は横のネットワーク力、つまりつながりの強さ、ということですが、これが強いのかもしれませんね。
日本は長いこと上下関係の比較的しっかりした国であった、と思いますが、それ故に逆に横のネットワーク力があるのではないでしょうか?

上からはほおって置いても、勝手に命令が来たりするが、横は対等なので、それぞれが横のネットワークを強くしておかなくてはいけない、というような意識を 持っている、ということでしょうか?

その意味では、よそ者を容易に受け入れない地域というのは、横のネットワークを大切にしている故の、しかたのない「支障」なのかもしれませんね。

アメリカなどは、比較的だれでも簡単に受け入れてくれます。
東京も地方に比べればそうですね。
しか都会ほど、近所には無頓着だったりするようです。

もちろん、これらは3次元的な現象ですし、また、すべて想像の域を出ませんが。


但し、上で言っているアセンションできている・・・が、従来言われていることを基本にしているとしたら・・・・・・・
もし、本当のアセンションの意味が別ものであるとするのなら、そのパーセンテージは違ってくるのかもしれません。

少なくとも、
「善行をしないと消されてしまうから、善行をしよう」
は、絶対に違うのだろうとは思います。


みなさんはどう思うでしょうか?





さて・・・・・・
ライブドアがいろいろありますが、いろいろな人がいろいろなことを語っています。

「資本主義の本質は、お金が必要な会社があるのなら、そこの株を買い、その会社が仕事をできるようにし、社会貢献し、そして、配当がでるのなら貰えば良 い・・・というのものだ」
というようなことを言っている人がいます。

これはこれで、ある意味・・・つまり理想的な資本主義という意味では正しいのいかもしれません。

しかし、これも資本主義を良いもの、としての発想ですので、基本的には間違っているのでしょうね。
きっと、本当は、
「何かすべきことがあるのなら、それに対して、労力でも知識でもなんでも、協力する。そして、別にそこから、一切の報酬を貰うこともない。ただそれで社会 が良くなれば良い・・・」
というのが、正しいことなのかもしれません。

もちろん、現状でなかなかこの通りにはできませんが。


ただ条件が揃えばできるのでしょう。賃金などなくとも。

今は全てのサービス、物品などが賃金が生じているから、存在していますが、ともかく人間には、少なくとも今のような状態なら作れる、ということは事実で す。

それはつまり賃金など一切発生しなくとも、条件が揃えば、”できる”ということを意味しているのだと思います。

仮に橋を作る、という必要性が生じた場合・・・
今は、その必要性を行政なり地域の住民なりが感じ、それを行政という仕事をし給料を貰っている行政が企画し、税金で資金を調達し、各種業者を雇い、橋を作 ります。

しかし行政なり地域の人なりが必要性を感じ、行政なりが企画をし、無償で設計をする人がして、無償で現場で働く人が働いて、無償で、建築材料を供給 し・・・
もちろん、無償で建築材料の工場も建てられ、そこでも人は無償で働き、ものの運搬も無償で行われ、運送にかかる燃料も無償で算出国から供給され、石油なり を掘る人も無償でそれをし・・・
ということは可能なように思います。
もちろん、今は不可能でしょうが。


今は、基本的に、給料というものが、人動かす原動力になっている訳ですし、人よりももっと多くの給料、より良い生活状態を・・・という気持ちが原動力に なっているわけですが、そのそれぞれの原動力が変わってしまえば良いわけなのでしょう。

仮の話で、石油産出国が、「無償で石油を世界中に配ります」とある日急に言い出したなら、世界の有様は急激に変わりますね。



そうすると、「各種研究などが進歩しなくなってしまい、たとえばみんなが好きなテレビなんか、もう発達しなくなってしまうよ」という人もいるでしょう。

やはりそうでしょうか?
しかし、絶対的に政治家になるよりも、社長になるよりも、歌手になってテレビに出てちやほやされるよりも、
「私はね・・・ずっと研究活動をしているのが好きなんだ。どんな新しいことにめぐり合えるのかに好奇心が沸いて仕方がないんだ・・・」
という人はたくさんいると思います。

そこまで無欲でないにしろ、
「いろいろ発明して、それによって人々が喜ぶ顔を見るのが なにより好きなんだ」
という人なら、もっといるように思います。

現に私は、政治家よりも、社長よりも、バーでカクテルピアノを弾いて、それを喜んで聴いてくれる人がいる・・・の方が、ずっと快適ですし(笑)。

例の東大の先生だった自民党の政治家が、頻繁に「政治家の給料を上げなくては、優秀な存在が来なくなってしまう」という発言、気持ちは、自分のことが良く 分かっていないのかもしれませんね。

あの人はおそらく、政治化の給料が今の3分の1でも、政治家になるのではないでしょうか?
あの発言には、「今の給料は資本主義の世の中の常識として私の能力、経歴、労力を考えれば安すぎる」
という気持ちが入っているのでしょう。
しかし、あの人は政治家をやっていますね(笑)。

あの人は、前職の先生(教授)と言い、頭を駆使して、人に喜びを与えるのが好きで仕方がない人なのでしょう。

ただ、同じような学歴、経歴、労力で、他の仕事についている人は自分よりもっと給料を貰っている、周りの人も、
「何でそんな割に合わない仕事してるんだ?」
と言う・・・
ということなのではないでしょうか?

それに対して、
「私はこの仕事が好きでしかたがないんだよ」
というのが照れと誤解を恐れて、言えないだけかもしれませんね。


その意味では、給料が0の世の中でも、あの人は政治家か大学教授に近い仕事をするのだろうなと感じます。







さて・・・・・・
私のジレンマ(?)ですが、昔の記憶が少し蘇ってきましたが、どうも私は、
「何をされたら自分の意志を曲げてしまうのだろうか?」
ということを相当真剣に考えたことがあったようです。

あるいは、何をされても、自分の意志を曲げないためには、どうすればよいだろうか?
そのためには、より困難な状況対しての解決策を検討する必要がある、とも思ったようです。


人の多くが自分の意志を曲げる時というのは、おそらく、
多額のお金を積まれた時、
暴力による脅しを受けた時、
自分には暴力、被害はないが、人質を取られた時、

などではないでしょうか?


私はいろいろあって、学生時代毎日これらのことを考えていたように思います。

結局、お金は、
「お明けに対して、大きな価値を与えなければ良い」
で解決できました。
お金は欲しいですが(笑)。

暴力は
「死ぬ覚悟があれば問題ない」
で解決できました。
覚悟はできませんが(笑)。

しかし、半殺しにされるというのは、どうしても解決できませんでしたが。

そしして、人質ですが・・・
これが一番私には効くようです。
自分の痛みなら嫌ですが、死ぬ気でがまんすれば、良いですし、がまんできなければ死んでしまうだけです。

しかし、自分の愛する人に攻めが及ぶというのは、人道的にも、プライド的にも、どうしようもなく解決できないですね・・・。
まあ、人質を取られるようなことはないですが(笑)。


私の頭に映像が出難い、というのは、これが大きな原因になっているのかもしれません。
私は、基本的には・・・少なくとも昔は、解決策が思いつかない限り、あるいは、勝算がないことはしない人間でした。

そして、そのシュミレートをしている内に、「人質」で止まってしまっていたのかもしれません。
想像ですが。

それで、じゃ、それを解決しよう、というのは、どうも間違っているようです。
それよりは、

何をされたら自分の意志を曲げてしまうのだろう か?」
あるいは、何をされても、自分の意志を曲げないためには、どうすればよいだろうか?
そのためには、より困難な状況対しての解決策を検討する必要がある

だなんてことを考えること事態が間違っているのでしょう。

なんだか、解決されたような・・・しかしながらいつかこの螺旋は通ったことがあるような・・・
と、そんな感じですが(笑)。

2012年に向けて、私の中でも、大きな問題が解決される予感がします。


みなさんには、未解決の問題はないでしょうか?








さて・・・・・・
ライブドア問題ですが・・・

リクルートコスモス株譲渡でだめになった江副さんを考えると、どうも手法うんぬんではなく、無理な拡張、拡大をしようとすると、非合法をする、ことになる よう ですね。

そして、もうひとつ思いますのは、今の自民党の対応、ライブドア、マンション問題、リクルートなどを考えてみると、大きくなったもの、成功の絶頂にあるも のほど、非合法であったり、卑怯であったり、保身に走ったり、けちであったり・・・ということになるようですね。
一般論ですが。


いろいろ考えてみますが、お金持ちで大きな企業ほど、余裕のある態度を取るようにも普通思いますが、きっとそうではないのでしょう。
確かに「大きなもの」は大きな企業のほうができますが、仮に社員1万人の会社と30人の会社を考えてみれば、何らかの方法で一ヶ月一人500円の経費を節 約できるとしたなら、節約できるとして、1万人なら一ヶ月500万円浮き、1年で6,000万浮きますね。

30人の会社だと、一ヶ月15,000円、1年で180,000円浮きます。

18万だと、ポケットに入れるなら、まあ、食事代にはあるでしょうが、会社で何かするとしても、税金や固定資産のことを頭に入れて考えれば、18万円を捻 出するために、必要以上に社員に苦労を強いる必要というのはないでしょう。
逆に毎月、一人1,000円出して一緒に昼食を食べる会でもやった方が、士気があがるかもしれません(笑)。

しかし6,000万円だと、ポケットにいれても、それなりに大きなお金ですし、ちょっとした設備くらいないら作れるかもしれません。
そして、月1,000円浮かせば、年間1億2千万も浮きますね。

こういう意味で、まず、大きな企業ほど、不必要にけちになる、不正に走りたがる、ということはあるかもしれません。
本当は信用の方が大切ですが。


こういうことは、 何も節約、ということだけではなく、「この失敗を認めたら」というようなことにもあるでしょう。
普通・・・小さな状態なら、認めても大したことはないのに、大きいが故に、認めることによるリスクが大きくなる・・・。

戦略にもあるでしょうね。
小さい時は、この目標をクリアしたとしても、足し算・掛け算で考えても、さほど追い大きなものは得られないが、大きくなると、その目標をクリアすると、掛 け算どころか、乗数のように得るものが増えることもあるわけですので、手元にすでに追い大きなものがあるにも関わらず、「どうしても」が大きくなり、それ 故、普通ならやらないような手法を使ってしまうのかもしれませんね。





つまりは、手元にあるもの、グロスが大きければ大きいほど、維持する価値を感じると言うことかもしれません。
それは「価値がある」からでしょうか?
もちろん、それもあるでしょうし、それだけではなく、どこかに、「こんな良い状態は、一度手放したら、そう簡単に手に入らない」という概念もあるのかもし れません。

あるいは、「大きな状態」故に、慢心しているということもあるのかもしれません。


私は、どうしても守らなくてはならないほど、すごい成功状態になったことはありませんので、そうなったらどうなるのか分かりません。
一度なってみたいとも思います。
一体自分はどうなるのだろうか?
逆に、今までならなかったことは、ある意味、好運なことであったのだな、とも感じます。

みなさんはどう思うでしょうか?





ちょっと思い出しましたが、都内にある有名な進学高校に友人がいましたが、当時彼らは、学生でお金を出し合い、トイレ掃除などの人を雇ってやらしていたよ うに覚えています。
当時は「さすが」と思いましたが、これはいけないですね。

「さすが」と思うのは、若い人の集まりの大意、「いけない」と思うのは40過ぎの人間の大意だとするのなら、やはり大きな団体は年齢構成がきちんとしてい るべきなのだろう、と思います。











続いて・・・
ライブドア、リクルート、マンション問題、そして小泉さんの「小泉チルドレン」などを考えてみますが・・・

どちらも、基本的に、若い人をたくさん雇うという共通点がありますね。
理由は、ひとつは、低賃金でしょう。
もうひとつは、若い発想が欲しいのでしょう。
そして、若い人の方が、自分の言うことを素直に聞くから、ということもあるでしょう。


それは、ものを知らないから。
年功序列がやりやすいから。
倫理、モラルということに関しては年上の人の方が良く知っているので、その点で議論になり、その点から年上の人に詰め寄られると、言葉がなくなってしまう から、というようなこともあるのかもしれません。

そうしますと、こういう種類の改革者と呼ばれる人は、決して「対等」を重んじる人ではないのかもしれませんね。
むしろ逆で、自分を頂点としたピラミッドを作りたい、と言う感じがします。
その意味では、この人達が年取ったら(小泉さんはよい年だが)、決して改革者ではなく、単なる古くからいる権力者にしかすぎない存在と言えるのかもしれま せんね。

分かりませんが。

ただ、新しいことを言い、リーダーシップを取る人には、同世代の人がくっついていく、というのは、通常なかなかむつかしいところはあるだろうな、とも思え ますが。









さて、森田健さんの、「私は空洞で、周りの全てが原因」ですが・・・
私の机の上はいくらか乱雑ですが(笑)、ちょと何かを置いたりすると、予想外のものが机から、落ちてしまったりします。
落ちるものは今の科学では意志はありませんのいで、自分で動くことはありません。
つまり、桶屋の話式に、置いたものが、何かに作動し、それがまた何かを動かし・・・そいの連鎖により結局、何かが机から落ちた、つまり、人間の3次元的目 に見える動作をした、ということになりますね。

こういうことも
「私は空洞で、周りの全てが原因」を説明している何 かなのかもしれませんね。

政木和三さんは、「力学だけを勉強すれば、すべてが分ると言うことが分った」
というようなことを晩年の本で書いていますが、こういうことでしょうか?
安直過ぎるでしょうか?










本日、たくさんの女性と一緒に暮らしている元占い師の報道がありました。
いま、みのもんたさんの朝の番組を見ていますが、みのさんが、女性のリポーターに
「あなた、女性でしょう?こういうの理解できる?」
と聞いたところ、女性は
「近頃、理由の分からない事件が多いので、良く分かりません」
というようなことを言っています。

確かに3次元だけの現象を見ているだけでは、何がなんだか分らないことがありますね。


報道の内容だけでは、この人が悪い人 名のかどうか良く分かりませんが、なんでも女性を相当ひどい言葉で脅したようですので、それが事実だとすると、いけ ないことですね。

何にしても、脅す・・・しかも高次元的な内容を言い脅す・・・地獄がどうした、などなどは、いけないことですね。




最近登場するこういう人のことを、きっと、正統派アセンション的な解釈をすれば、宇宙から高い波動に対応しきれなくなってこういうことをした、
あるいは、
近頃、多くの人に宇宙や高次元から、多くの啓示が発信されているが、中には、それを正しく理解できなかったり、または、悪い存在からの啓示を受け取ってし まっているものもいる、

などによって説明するのだと思います。

おそらく、正しいのでしょう。

アセンションに”最終の姿”については疑問がありますが、今起きている状況については、”原因”はどこにあるかは別として、正統派アセンションを語る人達 の言っていることは正しいように感じます。



とにかく、何度も書いていますが、大金を要求する、脅す(しかも高次元的な内容で)をする宗教関係、高次元を語る存在、団体は、もうそれだけで、注意をし た方が良いですし、近寄らないのが正しいのだと思います。

これは確かなようです。








どうも最近疑い深くなっていまして(笑)・・・
今日起きたボビーさんが暴れた事件も、何かだれかに頼まれて、マスコミ、市民の興味をどこかに外そうというような意図があるのではないか?
と考えたりしてしまいます(笑)。

ムルアカさんがたまたま事務所にいた、というのも、何か引っかかりますね。
あの曙に勝ったボビーさんがあばれたら、普通の人には止められません(笑)。

2メートル近く(以上?)あって、格闘技をやっているムルアカさんがいたので、取り押さえられた・・・
何かできすぎていますね。
事実は小説より奇なりですので、それが事実でも良いのですが。

みなさんは、どう思うでしょうか?









堀江さんは、あらゆる人間関係というものも、お金で買えると思っていたのかもしれませんね。
そして、買えないことが分ると今度は、政治力、政治を力でそれを買おうとおもったのかもしれませんね。
つまるところは、お金という飴の次は、圧力ということなのでしょうか?

私が変わっているのかもしれませんが、私は人はお金と圧力だけでは完全には動かないと思います。
まして、本当に必要な人、本当にすごい人というのは、動かないと思います。


当人は「会社がある程度大きくなると政治の壁に突き当たる、ほとんどの企業はそれを突破できない・・・」
と言っているようですが、本当は市民は、それを正当な手段でもってとっぱできる存在として堀江氏を期待していたのではないかと思います。

本当は、せっかく東大に入ったのだから、そこでの人脈などを使う、ということもできたでしょう。
もちろん同期が偉くなるまで時間がかかりますが。









先日、筑紫さんのニュースで読売のナベツネさんのインタビューを放映していました。
今の日本を憂いているようです。

ここ何回かナベツネさんの出演する番組を見ましたが、以前のイメージと異なり、穏やかで、納得できるような内容を言っているように感じました。
ただ、何を言っているのか不思議に詳細には覚えていません。
想像するに、きっと、船井幸雄さんをはじめとした、(私いには)比較的ストレートなことを言っていたのだろうと思います。

特に心に留まってはいないようですので、「ハンドルを手放せ」のようなことは言っていなかったと思います。
最後に、ナベツネさんが、自分の葬儀で流す予定のクラシック音楽の入ったテープがすでに自分の手で完成している、として見せてくれました。

これは、死期が近づいた、ということを言いたいのではなく、「私が今言ったことは、我欲で言っているのではないのだよ」、あるいは、「私が今言ったことに は我欲は含まれていないのだよ」ということが表現したかったのではないでしょうか?

つまり、「私が思う限りの、私の宇宙の理だよ」ということなのだと思います。


どうしても、ナベツネさんの場合、表に登場する時には、最高経営者、最高責任者などの立場ですので、その言動には「意図」があり、またそれを聞く人も、 「意図」がある・・・つまり本心ではなく、ある意図した方向性に物事を進めるためのシナリオが隠されている、を前提として聞いている事が多かったろうと感 じますので、「今回はそうではないのだよ」ということを、分って欲しかったのかもしれません。
想像ですが。


確か、私の裏覚えでは、ナベツネさんは・・・
軍隊で辛い経験をし、また戦後共産主義系の団体に参加し、そこで私に言わせれば「超資本主義式」なワンマン式手法で治める人間に、権力闘争で負けてしま い、その経験から、サラリーマンになってからは、超ワンマン式手法を用い、それによって現在の地位を得た・・・
ということだったかと思います。

そのような話を聞いた時には、「なるほど、3次元的には、それで、今のような人間性になっているのか」と思ったものでした。


上の話が本当かどうか知りませんが、本当だとしてもありえるように感じます。
戦争で争いあいの間違いを感じ、そして当時、全ての人が平等という理想で始った共産主義に染まっていったら、そこにあったのは超利己主義だった。それ じゃ、もう自分も生きるために利己主義を貫くしかないか・・・

実際はどうだか分かりませんが。

ナベツネさんが今急に、現在のような心境に変わったのか、それとも以前からそうであって、表に出していたのは、資本主義下でのテクニックとしての姿だった のか、分かりませんが、いずれにしろ、あのナベツネさんが、今のような心境で表に出てくるということを見ていると、正統派アセンション系のことが起きてい るのだな、とも感じます。

もちろん、ナベツネさんの運命の中では、それが決まっていた運命かもしれませんし、地球的、宇宙的にも決まって運命かもしれません。

あれだけ影響力のある人が「変わる」というのは、すごいものがあるでしょう。
良く言われようと、悪く言われようと、前の状態であろうと、今の状態であろうと、「ナベツネさんのようになるには、ナベツネさんを真似しよう」と言う人は 数多くいるはずですので。


ただ、もし私が想像するようにナベツネさんのカセットテープが、「自分の意見には我欲がない」ということを表現するための手段を担っていたとするのなら、 どいれくらいの人に通じたでしょうか?

単に現代国語的に・・・ということだけでなく、我欲の持つ意味、というものも含めてということですが。

みなさんは、どう思うでしょうか?






今、朝まで生テレビを見ていますが、どうも規制緩和をすると、政府は小さくはならないようですね(笑)。
規制緩和をすると、大きなしっかりしたチェック機関を作らなくてはならなくなるようです。



ホリエモンの件で自民党を考えますが・・・
これはメーカーが欠陥製品を作って売ってしまった、ということと同じように考えれば良いのでしょうか?

堀江氏を擁立した時点では、犯罪を犯していたことなど分らなかったは、
製品を売った時点では、欠陥が分らなかった。

メーカーはそれでも、お詫びをして、いろいろします。
無料修理したり、返品したり、などなど。

自民党は謝るだけでよいということはきっとないでしょうね。




マスコミ・・・テレビ局についてもやっていますが、結局、視聴率と、企業の売り上げは、同じように考えれば良いと言うことみたいですね。
どんなことをやっても、取るのか・・・そこに倫理があるのか・・・あるいは、「本当の法則」は何なのか?ということは考えてみる必要はあるようですね。





結局、見る方が、もっと自分で判断しろ、判断力を持て、ということになるようですが、
それは、見る方、作る方ということではなく、マクロで見れば、作る方も、見る方も、同じような考え方をしている、ということなのかもしれません。

結局、人間とか、日本人ということになるのではないかと思いますが、我欲とか、お金だけとか・・・つまり好奇心ではなく、日々の生活が、何らかの目 標・・・それは、刺激とか、スリルとか、快感とか、何かを成し遂げるとか、そういうこと向かっているということ自体に何か問題があるのかもしれませんね。

そうすると、どうでも良いけど、堀江氏を出す、刺客候補を出す、それが面白い、面白ければ見る、見れば馴染むので選挙でも投票するでしょう。

中には、自分でできる犯罪なら真似する人もいるかもしれません。

もちろん自分でできるほかの一般的に言う良いことでも、真似をする人もいるでしょう。





「アメリカンスタンダード・・・規制緩和・・・・規制緩和ができても、役所も我々も、言うままでの遺伝子・・・今までのやり方からの脱却ができていな い・・・・」
それが問題だ、とい言っている人がいます。
確かにその通りですね。



遺伝子という表現が面白いですね。
その意味では、本当の遺伝子に刻み込まれたもの、日本人として刻み込まれたものというのは、きっと永遠にアメリカンスタンダードには馴染めないというこ となのかもしれないですね。


時間外取引があった時、金融庁は堀江さんに、了解したようですね。
堀江さんは、金融庁にやって良いか確認したようです。
朝まで生テレビによれば、その時の責任者は竹中さんだったようです。

それで、証券取引委員会も何も出来なかった、ということを言っています。


金融庁と、堀江さんに癒着があった可能性もある、と言っていますね・・・。
本当でしょうか?
どこかの銀行をライブドアに売る計画もあったような話もしています。







堀江氏について語っていますが・・・
「宇宙に行きたいとかいろいろ言っていたが、彼には金儲け以外、明確な目標がなかったのではないか?」
と言っている人がいます。

しかし、良く分からないのですが、目標がなかったから、成功していたのかもしれませんね。
好奇心にのみ、邁進していたので、成功していた、ということですが。

「もう、飽きた」
と堀江氏は田原さんとのインタビューで語っていたということですが、本当はも次の好奇心に向かって進みたかったのかもしれませんね。
しかし、周りの状況が、そうはさせなかったのでしょう。
良く分かりませんが、会社の経費を使っても、自分の意好奇心へ向かって行った森田健さんとは対極の方向を取ったようにも見えます。






今日の田原さんは、録画のせいもありますが、昔を彷彿させるようで良いですね。
活き活きしています。
やはり、年齢のせい、というよりは、生放送では年齢故、夜遅いのが、いけないのかもしれません。
良く分かりませんが。







例の、堀江氏と昔仕事を一所にしていた髭を蓄えた、なんとかという人(名前は知りません)が、50を過ぎた女性と大きな声で議論をしています。
やはり、私にはあれはできないですね。
前の会社では、とうとう最後の方は、あまりにひどいことがあり、最後の方は、何度か怒鳴ったりしましたが・・・
要するに私は、女性と議論はできない人間のようですし、何にでもなれる訳ですが、なりたくはないようです。

結局、私は女性はかばうものであり、対等ではありますが、違う種類の生き物ですので、競い合う、争いあう生き物ではない思って、成長して来たようです。


良く分かりませんが、この人などを見ていると、どうもこれが私より10歳下の人達の男女関係なのかもしれないな、と感じてしまいます。
私には馴染めません(笑)。

実際はどうだか知りませんが。

まあ、私が20代の頃、私をして「新人類だ」というようなことを言っていた、私とオリの会わない上司もいましたが(笑)。
ただ、あれは、私だけです。
私と同年代が全て私と同じということは昔からありません。


また、この元堀江氏と一緒に仕事をしていた人が、「今は自分でメディアが持てる時代だというのに・・・」と言って、反堀江論を言うこの女性を大声で非難し ていましたが・・・・・・
50歳、60歳の女性の団体にそんなことを言うのは、酷ですね。

私は、なぜか、年寄りにコンピューターを教える、という機会が何度もありましたので、そう感じます。
しかも、みなさんは、若い頃は電気系の一流企業の社員だったり、東大卒だったり、決して機械が苦手、理論的な思考が苦手、ということではありません。

きっと、そういうと、
「ブログくらいなら、掲示板を立ち上げればそれで済むではないか?」と言うのだろうと思いますが、私の経験では、50,60歳過ぎの人で、コンピューター が若者並にできるという人でない限りは、それすら、技術的のみならず、精神的にも、相当、困難、勇気のある行為だと感じます。


私のだけの感覚では、そういうことは、やはり40歳近くならないと実感で分かりませんね。
しかも、あの人はコンピューターの専門家なのかもしれません。

更に、あの人の周りは、おそらく年を召した人も含めて、みなコンピューターに詳しい人ばかりでしょう。
それは、普通ではない状況だと思います。
若い人ができる、のは、ある程度普通に近いといも言えますが。

音楽などは、たとえばクラシック音楽家の一家などは、家族、友人なども含めて、みな絶対音感があったり、もちろん初見で演奏できたり・・・などが普通です が、あまり、上の彼のような議論転換にはならないようです。

なぜでしょうか?



一つはコンピューター、パソコンというものが、今まで地球上にあったものの中では、あまりに種類の違うものである、ということが、ほと物心付いた時からそ れがあった人にはわからない、ということなのかもしれません。

あれは、電話とか車とかテレビとか、そういったものが世に出てきた時とは、おそらくまったく違う異質のものでしょう。

動画を扱うデジタルカメラ(なんと言うのが正式なのでしょうか?)なども、すごいものですが、あれは、少し前に、8ミリフィルムカメラがありましたし、録 れば、テープに収まって、それを巻き戻せば見れる、という非常に物理的要素の多いものです。

しかし、コンピューターは、キーボード操作、ソフトの操作は元より、やれアップロード、やれ、容量、やれファイルの種類などなど、物理的では計れないも の・・・違う言い方をすれば、今まで勉強してきたことを少し応用すれば、簡単に流用できる種類の知識が予め頭に入っている、という登場の仕方をしてこな かったものであります。


それらは、やはり、一般の多くの50,60過ぎの人には、相当難しいものでしょう。

先の音楽一家で言えば、ありようの概念的部分が体に刻まれていないことを考えれば、20歳を過ぎた人に、「絶対音感を身に付けよ」と言っているのに、近い ものがあるかもしれません。



もう一つは、やはりコンピューターの世界にいる人の特性なのでしょうか?
もちろん、私は、そうでない人もたくさん知っていますが。

あるいは、今の若い人の特性なのでしょうか?

どういう特性かと言えば、幅広い年齢層との付き合いがないのではないか?という特性ですが。

もっとも、私も、幼少のころ、何か、知り合いのおばさん(きっと40歳くらい)に、「こんなこともできないの?」だか、「知らないの?」だか言って、母親 に怒られたことがありますが(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?




ただ思いますのは、相手が幼児、子供などではない限りは、「合わせよう」とするのではなく、「いろいろな特性を持った人がいる」と思った方がよいのでしょ うか。

「合わせる」をやると、私の経験では、自分の能力も下がってしまうような気がします。
合わせるではなく、「いろいろいるを理解する」のように思います。


しかし、これを20,30代の人にやりますと、今度はこちらを舐めてくる、という経験もあります。
そうすると、「じゃあ、お前は俺のできることは、何でも俺と同等、あるいはそれ以上にできるんだな?」
と頭にきていましたが(笑)。

ただ、今でも、この傾向はいくらかあります。
こういうことを、人に理解させるにはどうしたら良いのでしょうか?
昔の私なら、きっと年上故持っている組織の中での権力などで、強引に「いいから言うことを聞け!」で済ませていたかもしれませんが、ここ数年は、もうそれ をする気持ちがなくなってしまいました(笑)。

みなさんはどうしているでしょうか?






ちなみに、私は相手を理詰めで落とすことができません(笑)。
昔はやっていましたが。

いつの頃からか、理詰めは、要するに・・・

○相手が理論好き、あるいは一般的に言う頭の良いやつ相手の場合は、理屈がうまい方が勝つだけで、そこで出た結果は、結局、真実ではない、

○相手が強引な人間な場合は、結局、どっちが強情かで勝ち負けが決まるだけで、結局、出た結果は真実ではない、

○相手が、権力のある人間の場合で、それを使う場合には、結局、どちらが権力があるかで勝ち負けが決まるだけで、結局、真実はどこにもない、

というように考えるようになったからです。


強情なら、今でもきっとだれにも負けないと思います(笑)。
要するに、瞬間全てを捨てれば良い訳ですので。
今はしませんが。


理論は、相手が勝ち負けではなく、真実を知りたい時だけしか、役に立ちません。
いくらでも、否定しようと思えばできるものですし、最後には「理解できない」の一言で済んでしまいます。
ジャズのアドリブと一所で、やろうと思えば、私は一生続けることが可能だと思います。
屁理屈のオンパレードですね(笑)。


権力は、今まであまり持ったことはありませんが、一番みっともないことですので、この何年かはほとんど使ったことがありません。
なぜ使わないのか、理解できないようですが。
それで、「弱いのではないか?」と思われたことが何度もあります(笑)。

ただ、中学生の時は学級委員をやったりした時、教室が騒がしいかったりすると、
「出て行け!!」
と、本当に、対等な友人を教室の外へ出したりしていましたので、人のことはそうそう言えません(笑)。


波動的に言えば、返ってきたのでしょうか?
それともカルマでしょうか?

どうも、決まっている運命による所が大きいようですが・・・。









さて・・・・・・
「朝まで 生テレビ」が終わりました(笑)。

今度は、東横インですね・・・。
なかなかすごい社長のようです。
まだ、分かりませんが。

良く分からないのですが、法律ができるのには、それなりの理由がある場合が多いと思いますが・・・もちろん中には、米の言うとおりにする、という変な理由 の場合もあるようですが・・・。












さて・・・・・・
波動ですが、今シャワーを浴びて10年も前にサンフランシスコで買って来たTシャツを着ましたが、CDをランダムプレーしたら、「想い出のサンフランシス コ」が先頭で演奏されています(笑)。
共鳴と言うべきでしょうか(きっと)?







先だって、ライブドアの操作に関して、TVのアナウンサーが、
「社会正義を貫くつもりでがんばって欲しいですね・・・」
と言いましたら、だれだか有識者の人が、
「いや、社会正義だなんてものを掲げると、ファショ的になってしまうので、それは良くない。淡々と規則に従って、調査をしてくれたらそれで良いで す・・・」
と言っていました。
これはきっと正しいですね。

私がアセンションで、「ん・・・」と思うのは、この点にもあります。
私は確かに、いわゆる「精神レベルが低い」ということは、褒められたものではないと思いますし、可能なら「精神レベルは高い方が良い」とは思います。

しかし、意図して、「地球の、そして人類の成長と存続を守るために、アセンションしましょう」という言葉には、上と同じ意味でどこかファショ的なものが入 り込む余地があるようで、「本当に今言われているアセンションが創造主の求めているものなのだろうか?」と感じてしまいます。

これを考えると、政木和三さんの、
「あなたは救われようと思って善行をしようとしている。それでは我欲が入っているのでだめです。今の仕事を続けなさい・・・」
の、「だめ」が何なのかの一面が分るような気がします。


みなさんはどう思うでしょうか?










ライブドアの絡みで、元アスキーの社長がテレビで語っていました。
なんでも今は大学教授をやっているようです。


アスキーは日本にインターネットが入ってきてしばらくした頃に、無料のインターネット接続サービスをやっていた会社のことだと思うのですが、違うかもしれ ません。

もしそうなら、当時マックのパフォーマーを使っていましたが、その13インチくらいの画面で、端に広告の出るあの画面を今でも良く覚えています。

何せダイアルアップ接続でしたので、電話料金がかさみ、せめてプロバイダー料金だけでも少なくしたいと思っていたものでした。
サービスが中止になった時のことも、良く覚えています。
確か、いろいろな有料のプロバイダーを紹介するようなことをしていたように覚えていますが。


その時は、BIGLOBEとAT&Tの2つのプロバーダーに入っていました。
やれ、何時が安いとか、何をアップロードしてはいけない、とか、商用に使ってはいけないとか、各プロバイダーに料金以外にもいろいろな制約がありました (笑)。
AT&Tはそれ以外に、契約していると国際電話が安くなるというサービスもありましたので使っていましたが、その内、段々国際電話料金も安くなり、確か止 めたのだと思いました。

今ではIP電話で安く出来ますね。
また、スカイプなどのサービスでも安くできます。

当時の安い国際電話は、一度こちらから、指定の電話番号にかけ、一度切ると、折り返し電話がかかってきて、その状態で相手先へかける、というなんとも面倒 くさいものでした。
しかも、パスワードとかいろいろ入れたりします。

しかも、どうも、それ関係だと思うのですが、まったく関係のない時間に、いきなりそのコールバックの電話がかかってきたり、なかなか手ごわいシステムでし た(笑)。





さて・・・・・・
それはそれで良いのですが、その人は、今日の話では、何でも、マイクロソフトの副社長(これは一時期にたくさんいるので、日本で言えば、どちらかと言うと 部長(?)みたいなもの)まで、務めたそうです。
そして個人資産は、最高で300億円にもなったそうです。

その人が言うには、
「300億円資産があると、どうなると思います?」
「さあ・・・」(リポーター)
「500億円欲しくなるんですよ」

ということです。


検討付きませんが、なんとなく分りますね。
あれを手に入れると、これも欲しくなる・・・というのは良くあることですね。
しかし、物は、良い悪いは別として、「飽きる」ということがありますし、「これも試したい、あれも試したい・・・」ということがありますが、お金は、手段 ですので、まったく同じではないですね。
そういうものなのでしょうか?
私など、ちょっとお金が入るとすぐ満足してしまいます(笑)。
最も大金ではないので、そうなのかもしれません。

例の政木和三さんの、「高速では、気体が液体になり、水はコンクリートになる・・・」
と似たようなことがお金にも起きるのかもしれません。
お金持ちの方々、どうなのでしょうか?
あっているでしょうか?


とは言え、なってみたいとも思います。
どうなるでしょうか?
私は、こういうことで、何らかの状態になった時、まずもって、人の言っていた状態と同じになったことはありません(笑)。
もちろん、意図している部分もありますが。
つまり、そうはならないぞ・・・、というように。
しかし、それらは、全て昔の経験です。

今なったら、どうなるでしょうか?

みなさんは、どうなると思いますか?
300億円、資産があったら?




さて・・・・・・
26日から、体のある症状が良くなりました。
何が原因かと、考えてしまいます(笑)。


10日くらい前から、トレハロースを甘味料として使っています。
この4,5日、肉を食べていません。野菜と、魚です。
塩を100円ショップの「日本海の塩」にしました。
その前も、「中国産のアラジオ」ですので、ずっと自然塩です。
例のネックレスを付けています。
同時に買ったマイナスイオンの出る中国産の石を湯船に入れています。
26日は岡田多母さんによれば、アセンション関連で何かあった日です。
ヨガの背骨を反るポーズを4,5日前から始めました。
両手振り体操も、かれこれ3ヶ月くらいしています(但し1日100回だけ)。
しゃぼんだま石鹸を先月末から使っています。

もちろん、太極八卦鏡も、財運ストッパーもありますし、孫さん瞑想ももう2年くらい続けています。

まったくここまで、やりますと、理由がさっぱり分かりませんね(笑)。



しゃぼんだま石鹸は良いですよ。
風呂はユニットバスですが、通常、床部分に、赤い水垢のようなものがたまったりしていましたが、なぜか、使い始めて以来、出てきません。



肉食も、基本的には止めたほうが良いようですね。
なわふみひとさんと同じですが(笑)。





テレビでやっていましたが・・・・・・
江戸時代に日本に来た外国人医師が、ある日、江戸から箱根くらいまで(正確には忘れました)、一人は人力車、一人は馬を5,6回乗り換える、でどちらが速 く着くか、調べてみたそうです。
そうしたら、馬が速かったですが、人力車も30分違いですぐに到着したそうです。

医師は、人力車を引っ張った人が何を食べているのか見てみたら、玄米のおにぎりと、何か野菜の味噌漬けのようなものと、おしんこか何かだけだったそうで す。
医師は、きっと肉を食べさせたら、もっと速くなるのではないか?と思い、一人には、肉、もう一人には従来の食事で、どちらが速く着くかを調べてみたとこ ろ、肉食の方は、3日目くらいだかに、もう走れなくなってしまったそうです。


どうも、持久力を付けるなら、肉は止めたほうが良いようですね。
玄米は、面倒くさい人もいるかとは思いますが、100円シップで、レトルト玄米も売っています(笑)。
私も一時期やってみましたが、うまく炊けませんでしたので、止めてしまいました。
レトルト玄米なら簡単そうなので、やってみようかな、と思います。
どうも、私の潜在意識には、スタミナを付けるために肉、肉、肉・・・というのがすみ込まれているようでしたが、だんだん取れてきました。
私の母親がそう言ってきましたが、おそらく戦争中に子供時代を過ごした人の中には、そう思っている人が多いのかもしれません。
なにせ、肉食のアメリカに負けた訳ですので。
もちろん、以前は、私が肉を好きだったということもあると思いますが。


結局、これで、本当は今一番好きな、おしんことご飯と味噌汁だけの食事が、自他共に、認められた、ということなのかもしれません(笑)。
もちろん、肉以外で、タンパク質なども取るようにしようと思いますが。


みなさんは、どう思うでしょうか?










さて・・・・・・
船井幸雄さんだったか、小松英星さんだったか、なわひふみさんだったか・・・・・・比較的最近読んだ何かに、今の日本の状況は第二次世界大戦開始前の状況 に似ている、と書いてあったものがあったように記憶しています。

確かそれには、時期に2・26事件のようなことが起きるかもしれない、と書かれていたように思います。


先日テレビで、ホリエモン問題関連で有識者が、「あれ(捜査・摘発)は、戦前だったら軍部がやっていたことでしょう。今は、軍隊がなく、政府から独立した 権限持っているのは検察なので、検察が摘発した、ということでしょう。現代の2・26事件と言っても良いかもしれません。」
というようなことを言っていました。

この発言を聞いて、先のことが急に思い出されたわけですが、要するに政府の(片側から見た)暴走を止めるために、違う権力組織が大きな行動に出た・・・と いうことなのだと思います。

その意味では、確かに、似ているのかもしれませんね。


確か神田正典さんだったか、だれかが、やはり2.26事件とホリエモン事件を取り上げ、「あの事件で軍部が一時、勢いを下げる格好になったが、その後、再 び出てきた。これと同じように、民営化(アメリカ化だったか?)の流れは、止められないでしょう」
というようなことを書いているのを読んだようにも思います。
(あまりに、つまみ食いしますので、最近、どこで目にしたか、分らないものが多いです。特にホリエモン絡みなどは・・・)

これは、つまり、最初の例とは真逆ではないが、少し違う解釈で、当時の軍部を今で言うところの「アメリカ化」としている解釈ですね。
先のものは、「アメリカ化」は当時の政府である、としているようですので、言ってみれば、今の状況と同じ、ということなのだと思います。

2・26事件と結びつけるのなら、確かに、検察はここまでは軍部、なのかもしれません。
ただ、検察が日本を戦争に導いていくとは、想像しにくいですので、その現象面だけ、ということになるのだろうとは思いますが。



いろいろな解釈があるわけですが、少なくとも金融庁が、堀江氏から相談を受けた時に、時間外取引は「だめ」と言えば、今回のような捜査が行われることはな かったわけですね。

そうすれば、堀江氏も、日本放送株を買い占めるということはしなかったかもしれないわけですが、今回の捜査では、例のほとんど子会社の別会社関係で、政治 献金からなにまで、出てきそうだ、と多くの人が言っていますので、船井幸雄さんの言う必要・必然・ベストが起こる、ということになるのかもしれません。

小泉政権が先の選挙で大勝した時にも、
必要・必然・ベストについて、語っていたように思い ます。


この大きな流れは、やはり決まっていた運命でしょうか?
それとも、だれか・・・大人数でもいいのですが、問いを発した結果でしょうか?
もちろん、それによって運命が変更された、ということも含めての意味ですが。

それとも波動でしょうか?


波動で言えば、小泉政権が出している「悪い波動」が小泉政権へ跳ね返った、ということになるのだろうと思います。
もちろん、これはこれで理路整然としているますが、「問い」を考えると、畏友は違いますが、似たようなことが絶えず起こりえますね。

つまりそれは、社会という大きな流れで、片方へ流れがいけば、当然、その流れと逆を望む人も多くいるわけですので・・・
その人達が、意識する・しない、に関わらず、「問い」を発したとすれば、その結果として、逆の大きな流れ、というものは、必ず起きるように思います。
しかも、「問い」は森田健さんのよれば、宇宙の初めから決まっていた運命を変える力もあるようです。


それを考えると、社会全体で見て、大人数の人が、逆を望むような「問い」を発しない状態、というのは、それで安定して、比較的長くその状態が続く、という ことはあるかもしれません。

その意味では、自民党が長い間、第一党であった、ということなどは、納得がいくように思います。

ここにきて、ぎったんばっこんしているのは、恐らく、ブッシュ大統領の登場によるところが大きいのでしょう。
どこかで強引な力が働く・・・というよりは、人の家がせっかく安定しているのに、変な知恵を着けて、安定をくずそうとする・・・。
それによって、ぎったんばっこんが始まった、ということでしょうか?

先だって、書いた、人力車を引っ張る人に肉を食べさせたら、3日で引っ張れなくなった、という話ですが・・・
あれは、ひょっとしたら日本人だけそうなのかもしれませんね・・・想像ですが。
つまり、動物学的には同じ人間ですが、ひょっとしたら、その人間が最も能力を発揮できる食べ物というのは、例えば欧米人と日本人では違うのかもしれない、 という可能性もありますね。
もちろん、それで、優劣があるとは思いませんが。

可能性は低いかもしれませんが、それが正しいとすれば、何も食べ物だけではないのでしょう。
良く分かりませんが。




みなさんは敗者が出る勝負をしたいでしょうか?
野球でもなんでもいいですが、仮に、A軍とB軍がゲームをします。
それで負けた方は、ひどい咎めがあるとか、きつい罰が待っているとか・・・
そういうルールがあった時、そのゲームを見たいでしょうか?

野球が見れるのは、100何試合もあって、しかも、今年負けても、来年は今年の勝ち負けはちゃらになり、またタイから始ることが決まっているからではない でしょうか?

結局日本では、何でもありで、重傷者も出る、というアルティメット大会は人気が定着するようなものにはなりませんでした。
アメリカでは当時相当な人気を博したようですが・・・。

何度も書きましたが、日本で人気がある今の格闘技は、ちゃんとルールがあります。
しかし、あれも、私には非人道的と感じますが。
人様にお見せする格闘技として成立するのは、きっと相撲だけでしょう。

もちろん、相撲にも、格付けというのがあり、私はあれも好きではないですが(笑).


私ごとですが・・・
この4,5年の自分を振り返ってみて、思いますのは、負けたくはないが、勝ちたくもなかった、ということのようです。
勝たずして負けず・・・これをやりたかったようです。
最低でも、人が対象の場合にはですが。

むつかしいですね(笑)。

こんなことを考えている人はいるでしょうか?






さて・・・・・・
私のイメージの映像が出難い、という話ですが(私事)、
最近の調査では(笑)、どうも必要な解像度を超えて、もっと正確に鮮やかに詳細に出そう、と思った瞬間から、どうも映像が出難くなってくる、あるいは意図 したものと別の映像が出てくる、という傾向があるように感じています。

ある意味、私全体が、「もうそれ以上、はっきりイメージする必要はないんだよ」と言っているとも言えます。
できるだけ具体的に、という概念を「できるだけ詳細に」と勘違いしているのかもしれません(笑)。
もっとも、これは、もともとマーフィーの法則をやってみよう、と思ったことから派生したことですので、もう初めの意味はほとんどなくなってはいますが。

どうも、何も意識しないでいると、勝手にきちんとイメージはできているようですので、何をどう意識しているのか?が問題なようです(笑)。


完全を望みすぎているのでしょうか?

みなさんはどう思うでしょうか?
1〜20   21〜40   41〜60   61〜80   81〜100   101〜120   121〜140
121〜131はこちら
  141〜160   161〜180 181〜200      
201〜220   221〜240   241〜260   245〜249

250〜253

254〜255

254〜260


  261〜280    281〜300                    
クリスマスアルバムのコーナー    2005年船 井幸雄オープンワールドの感想
                       

 

 

 

 

 

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