理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

 



265:シングルス・坂本九
   
  近頃キューちゃん、と言えば、すっかりマラソンの高橋選手になってしまいましたが、元祖キューちゃんの坂本九さんのシ ングルを集めたものです。

曲目です。


1.悲しき60才
2.恋のホームタウン
3.ビキニスタイルのお嬢さん
4.ステキなタイミング
5.砂漠の恋の物語
6.GIブルース
7.九ちゃんのズンタタッタ
8.月夜に歩けば
9.九ちゃん音頭
10.何処かで誰かが
11.上を向いて歩こう
12.あの娘の名前はなんてんかな
13.ボクの星
14.ヒゲの歌
15.一人ぼっちの二人
16.君なんか君なんか
17.九ちゃんのツンツン節
18.グッバイ・ジョー

ディスク: 2
1.見上げてごらん夜の星を
2.勉強のチャチャチャ
3.明日があるさ
4.夢を育てよう
5.幸せなら手をたたこう
6.手のひらの唄
7.サヨナラ東京
8.君が好き
9.ともだち
10.行ってみよう
11.涙くんさよなら
12.真ん中とはじっこ
13.皆んなで笑いましょ
14.ジェンカ
15.夕焼けの空
16.めぐる糸&仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌
17.あの時の約束
18.そして思い出



みんな良いですが、「グッバイ・ジョー」でも歌唱は 好きです。
いろいろな声を使い分けて、とてもプロの歌唱を感じます。

「みんなで笑いましょう」も好きです。

演奏はうまいですね、日本人は昔から。
西洋音楽の伝統は日本には無いわけですが、それでも、明治以降やっている人はいますし、と言うよりも、日本的なお稽古事の伝統が良い方に影響しているので はないかと思います。

個人的なホームページですので、こんなもの言いでいいのでしょうが、商業用でしたら、もっと言わなくてはならないのでしょうね(笑)。
もし言うとすれば、丁寧さでしょうか?
海外物のコピーという部分では完璧に近いですし、オリジナリティという意味でも、なかなかなものです。



曲によっては、台詞での参加者などもあるのですが、それが私が幼少時にテレビなどで見ていた当時の役者さんの話し方のくせなどがそのままで、懐かしいよう な嬉しいような・・・という感じです。



時代によっての話し方の特徴というのはありますね。

黒柳徹子さんなどは、「あなた」というのを「あ〜た」に近く発音しますが、昭和3〜40年代の映画の女優さんの言葉を聞くと、「あなた」は「あ〜た」に なっています(笑)。


私は一時期、日本のその時代の映画ばかり見ていましたので、話し方がそういう感じであった時期がありました。
その意味では、周りの影響というのは大きいですね。
人でもテレビでもなんでも。

電車内などで床に座っていた若い人なども、そういうことなのではないでしょうか?
おそらく、テレビか映画かなにかの影響でしょうね。



思いついたことを書いていきますが・・・
シャボン玉石鹸はすごいですよ。
私は、昔から髪の毛が硬くて、どうしようもない人で、リンスをしようがなにをしようが髪の毛を伸ばすことができず、困っていたのですが、シャンプーもリン スも止めて、シャボン玉石鹸だけにしたところ、髪の毛が伸ばせるようになりました(笑)。

想像するに、シャボン玉にしてから、水垢が風呂場に極端に減った、どうやら従来の石鹸では電車などを洗うと、すぐ錆びるらしい、などをあわせると、シャボ ン玉は何か不純物のようなものが洗い後に残らないのでしょうね。

まだ使っていない人は、是非お試しください。
別に私は、シャボン玉石鹸から何ももらっていませんので。






さて・・・・・・
また、頭に思った通りの映像が出やすくなっているのですが・・・
今度は何をしたかと言えば、魂と肉体を強くつないでみたのです(笑)。

私は超能力者ではないので、ただ、それを強く意識する、ということだけなのですが。



想像するに、マーフィーの法則を学生時代に読んで以来、潜在意識と顕在意識を意識するようになったのですが、私は間違えて、顕在意識を意識がしっかりして いる状態、潜在意識を意識がしっかりしていない状態・・・言ってみれば魂が放れてしまっている状態、のように解釈してしまったようです。

なぜそうなったかと言えば、「潜在意識にインプットする・・・」のようなことが強く書かれていましたので、「潜在意識って、どれだ?」と探してみたのです (笑)。

「頭の声はするよな?それの後ろ側になにか越えがあるのだろうか?」というようにですが。
どうもそれがいけなかったのか、とにかく、頭に映像が出ず、自分が考える悪い映像ばかり出ている状態というのは、肉体と魂が放れてしまっている状態だった のかもしれません。
想像ですが。





あるいは、潜在意識とは、顕在意識とは逆のことを思っている意識である、というような解釈をしたのかもしれません。




そこでまず、顕在意識を意識してみました。
すると、頭に比較的素直に映像がでます。

ですので、どうも、潜在意識を顕在意識の関係、あるいは、肉体と魂の関係なのですが・・・
別の考えとしては潜在意識=顕在意識とは逆のもの=本当の自分の意識・本心、という間違えた式を考えたのがいけなかったのかもしれません。

要するに、潜在意識も顕在意識も、余計なことは考えなくて良いというのが正しいように思います。

ですので、もう潜在意識という言葉は使わないとうにしようと思います。
使うとすれば、顕在意識と、アーカシックレコード、とか、生命体の力とか、そんな具合だと思います。


それでは、潜在意識と顕在意識の正しい関係はどうかと言いますと、おそらくは、潜在意識は、顕在意識よりも上位でも下位でもなく、単なく、トラウマのよう な、単純に心の奥底にある地層の古い意識、くらいに思っていたほうが良い様ですね。


無意識=潜在意識かも、疑問です。
きっと厳密には違うのでしょう。

あるいはアーカシックレコードを集合無意識と訳しているのも、良い訳とは思えません。
無意識ではなく「集合生命体知識・意識」のような訳が正確なように思います。


トランス状態も無意識ではなく、「意識喪失状態」のほうが、正しいように思います。

私には無意識という言葉には、いい加減、に近い感覚があります。




また、意識という言葉は、「起きている」、という意味と、「意図している」という二つの意味がありますね。
これがやっかいなのだと思います。




顕在意識と「集合生命体意識」がある、とすると、先の関英男さんの話でもそうですが、肉体の脳と外側の脳をつなぐ、アンタカラーラを太くする、という発想 も分りやすいように感じます。

また、これは私だけでしょうが、「天人同一」という言葉が、この概念に非常に共鳴します。
さて、どうでしょうか?



みなさんはどう思うでしょうか?






4月3日です。

さて・・・先の続きですが、マーフィーの法則で言うところの。「潜在意識に願望を入れ込む・・・」というのは、間違いですね、やはり。

潜在意識というのは、願望とはまったく関係ないように思います。

潜在意識が関係するのは、どうやら「観念」のようなもののようです。
もし、願望実現法というのがあるのなら、それは「原因の世界を変える」ということであり、潜在意識のような3次元に存在するものではないはずです。
アーカシックレコードというものがありますが、あれは、また願望実現とは関係のないように思います。
高次元全体の初めから終わりまでの、知識、未来、過去などの森羅万象が入っているところですね。
ある意味では、何かを実現するための知識が入っている所、ということもできるかとは思いますが、基本的には願望実現などとは別もののはずです。

観念と願望とどう違うかと言いますと、どうも、
「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)によれば、「楽しみながら青写真をまっとうできる」のようなものが、観念のようです。
願望とは、みなさん、ご存知の「〜になりたい」みたいなものですね。


ですので、潜在意識をいくら探しても、本心というものは見つからないようです。
見つかるのは「思い込み」のようなもののようです。

ですので、もし本心を知りたいのなら、やはり本質に聞いて見るしかないのではないかと思います。
但しその本心も、また宇宙が始まった時から決められていたものであるようです。

とりあえずの本心というのは存在しても、その本心の大元というのは、類霊まで探そうとも、どうやら、宇宙が始まった時から決まったものであったようです。

ですので、よく分らないですが、結局のところ、「自分という人間」を根本の意味では演じている、ということに近いのかもしれません。
それは、将棋の駒が生まれた時から、王は王、金は金である、ということと同じなのかもしれません。

しかし、金は金の役目を果たすことが、一番スムーズなことのようですが、それでも、どこかに運命変更の道はあるようです。
将棋にたとえましたので、王、歩など、上下関係を連想しやすいですが、どうも、創造主から神々、人・・・すべて対等のようですので、あり様としては、将棋 ではなく、パズルの1ピースと言った方が正確なのかもしれません。

こう考えて生きますと、私が学生時代に読んだマーフィーの法則というのは、今ですら分っていない全高次元の更に半分くらいしか分っていなかったにも関わら ず、いかにうも、のようなことを言っていたのかもしれませんね。
それはそれで良いのでしょう。

今後、もっと新しいことが分ってくるのでしょう。



続けて3次元的なことですが、最近良く、企業、スー パーやデパートの裏側を番組にしていますね。
あれはどうなのでしょうか?

苦労話を見せて、その業界にとってプラスのこともあれば、内容によってはマイナスのものもありますね。

いつだったか、ある大手コンピューターメーカーのリストラについてやっていましたが、私はあれを見て以来その企業が好きになれません(笑)。
中年以降のリストラ候補を、肉体労働部門に移動させ、やめていくのを待つ、というようなものでした。
番組の意図が未だに分かりません。

また、デパート、スーパーなど、場合によっては家族で出かけて、夢の部分まで担当するような企業は、あまり苦労話などを番組にしないほうが良いのではない か?と思うのは私だけでしょうか?

それは、どの会社だって苦労話はありますが、それを見てしまうと、夢の空間がいきなりオフィスになってしまい、働いている人にはそいうであっても、こっち としては、逆に気を使いますし、落ち着きませんね(笑)。


デパート再建と言って、売り上げの悪い店に社長が急に現れて、商品の並んでいる状態をチェックする、なんてこともテレ ビでやっていますが、あんなのを見ますと、大変だなとは思っても、なんだか、そのお店に近寄りづらくなるのは、私だけでしょうか?

接客されても、なんだか、水商売のお店に行って、こちらがホステスさんの人生相談にのるような雰囲気になってしまい、どちらがお客さんだか分ら なくなってきてしまいます。

お豆腐屋さんが、朝早く起きて、豆腐をこしらえる話と、スーパー、デパートで、新人社員研修から、仕入れから、社員教育まで見せられるのとは、根本的に違 うので はないでしょうか?ということです。

もちろん、これから社会に出ようという人には、その業界を知る良い手段かもしれませんが。

みなさんはどう思うでしょうか?



森田健さんが、インサイダーとかアウトサイ ダーとか書いていますね。
株の話ではありませんので、詳しくは不思議研究所のサイトをお読みください。

要するに、内側に入っていない人間が、とやかく言うな、ということのように読めます。

先日の朝まで生テレビは、本当にアウトサイダーの議論だったように感じてしまうのですが。

で・・・・・・
私は、直近まで勤めていた会社で、社員側とアルバイト側の板ばさみに対応できず、その状況に負けたのですが(笑)・・・

私は小学生の頃、喧嘩が強かったです。
なぜかと言いますと、家がパン屋さんでしたので、当然コーラなども売っています。
それが12本入ったプラスチック製の箱ごと、良く必死の思いで運んで、ジュースの入った冷蔵庫に入れるということをしていて、どうも、力が強かったようで す。
それも、中学に入って、すし屋の息子が自転車に乗って、いつもオカモチを片手で運んで出前をしていたので、ぶっとくなった腕を見てからは、どうでも良く なってしまいましたが(笑)。


で、良く小学生の頃は喧嘩をしましたが、勝っていま した。

それが中学生になると、周りで行われている喧嘩というものがなくなり、だんだん陰湿な”いじめ”になってくるのですね。
資本主義の影響でしょう。
あれは、弱いものがとにかくいけない、というシステムですので。

初めの頃は、私なども、勢力の強い方についていましたが、それが、非常にみじめなことに感じてきました。
ですので、中学校も高学年になりますと、そういうのには加わりませんでしたが、それでも、スポーツも勉強もできましたので、いじめられる、ということはあ りませんでした。

こんどは高校に入りますと、やはりいじめっ子というのがいて、なんとなく劣勢な人を見つけては、その他をすべて仲間にしていじめる、ということをはじめま した。
私は、もうそのときには、そういうのには加わりませんでしたが、持ち前の変な正義感があり、劣勢な人の味方になったりしていました。

都立の高校でしたので、ある程度は中学時代のネームバリューが効いていた面もありましたが、それでも、いじめっ子などは、私のことなど知りもしませんの で、こちらへ攻撃を仕掛けてこようとしたりもしました。

ただ、私は、家庭内でいろいろあった頃で、暴力っは絶対にだめだ!!と強く思っていましたので、それはしたくありませんでしたが、しかけてくれば、応じて はいました。
大抵は脅して、逆に向こうが逃げてしまいます。

そんなこんなで、とにかく、いじめる方には意地で加わらずにいましたら、こんどは、いじめっ子についていた人達が寝返って、こちら側につく、ということに なり、とにかく一見卓着となりました・・・・・・

そんなこんなでいろいろあり、20年以上経ち、その会社で、どう考えてても、私には、搾取と卑怯の塊に見えていて、会社側と、搾取されそれすら分ってい ないアルバイト側の板ばさみになりましたが、今度は何とか、うまく双方うまく行くようにと尽力しましたが、だめでした(笑)。

つまり、いくらやっても、アルバイト側から見れば、私は正義でもなんでもなく、社員でしかなく、会社側からみれば、反体制分子でしかなかったわけで、結 局、何もできなかったのですね(笑)。

そして、それだけではなく世代間のギャップなども感じたりしました。

結局、私のやったことは、会社もアルバイトたちも、何が起きたかも分らず、ただ私が一人相撲を撮っていたというのが事実のようです。
どっちつかずの人間が、勝手にくたびれて、辞めて言った、ということでしょう。





鶴田浩二さんの映画でこんなのがありました。

鶴田さんは港湾事業を取り仕切るヤクザの幹部です。
上の方からは、利益をもっと出せ、とせっつかれます。
港湾事業は、日雇いのアンコと呼ばれる人達をヤクザが雇い、働かせるわけですので、大元の雇い主から支払われる金額からアンコたちに給料を払うのですが、 その分を少なくすれば、利益が出るわけです。

初めは鶴田もそうしますが、基本的に男気のあるヤクザですので、それに対して徐々に耐えられなくなってきます。

アンコたちのカタを持ったりしますので、とうとう、その役目から外されてしまいます。
鶴田は「おまえら、労働組合を作れ」といい、消えます。

その内、アンコの中にも、学生運動などをやっていた人などもいますので、労働組合を作りますが、ヤクザ側はそのリーダーを消します。
そしてとうとう、鶴田が切れて、ヤクザの組に殴りこみをかけます・・・


いつもの、パターンです。
板ばさみに合い、最後はどうしようもなくなり、相打ちになる・・・




私は直近の会社を辞める時点では、今のようにいろいろ知りませんでしたので、相打ちをする覚悟はありました。
バカです(笑)。
相打ちをしたい、とも思っていました。
自分の存在価値を見出したかったのですね、確かな形で。

しかし、幸か不幸か、そこでは、私はどちら側から見ても、敵だったようです(笑)。


ですので、相打ちしようがありません。

そこで何か学んだでしょうか?

分かりません。


でも、暴力を使わずに済んで、良かったです。
怒鳴りはしましたが。

もう怒鳴りもしないでしょう。

そして今こうして生きていますが、分ったのは、運命は決まっていた、ということですね。

だれも高次元的には悪くないようです。


もう、時計を売っていても仕方ありませんので、外に出るようです。
転職が多く、病み上がりで、理屈っぽい・・・(笑)
こんな私を雇うのは一体どんなところでしょうか?

楽しみですね。








4月4日です。

PCでプリンターというものを、久しぶりに使ったりしています(笑)。
先日、ネットオークションで落札したものです。
中古ですが、未使用の黒、カラーインク付きで6,000円でした。
もちろん、プリンターは持っているのですが、それのインクが高いのです。
黒インクが5,000円くらいします。

ですので、買い替えました。

とても良い品物です(感謝)。




さて・・・・・・先の内容は、相当、いい加減な書き方をしているように思います。
しかし、それくらいでないと、どうも書きにくい内容でした、私には。
ご了承ください。




で・・・・・・
森田健さんが、「内側を変えるなら外側を変えろ」というようなことを言っています。

ですので、過去を振り返ってみました(笑)。
私は、どうも黒という色に包まれている時期というのは、運が悪いことが多いです。
それでは、良かった時はどうだったかと言いますと、確かに着ているものは黒ではないのですが、他に何かないかと考えてみましたが、例の留学の仕事をしてい た時期ですが、30〜33前後の時でしょうか・・・私は髪の毛を一時期明るい茶色に染めていました(笑)。
今流行の茶髪というのではなく、女性が少し髪の毛を明るくするような感じでです。

中身はどうかと言えば、それ以前と差ほど変わりのない様子だったはずです。

良く分かりませんが、本当に運命とはそういうものなのかもしれません。

苦しかった時期というのは、黒の学生服に身を包んだ高校時代、なぜか、いくら探しても黒のスーツしか見つからなかった前の会社の時・・・不思議です (笑)。
気のせい、とも言うかもしれませんが。

それで分りましたが、別に一般的に言って、特別恵まれているわけではありませんが、その他の時代を苦しいとは思っていないようですね、私は。

みなさんは、どう思うでしょうか?





私は、文武両道という言葉に変に惹かれます。
俗に言う、「頭が良くで、体も鍛えている」状態ですが、最近はそうではなく、天人両道だな、と勝手に思っています(笑)。

・・・・・・
どうも話が深くなりませんが。





ハードディスクレコーダーというのがありますね。
テレビを録画する機械です。
キーワードに従って自動で、面白そうな番組を撮っておいたりしてくれます。

ただ、思うのですが、みなさん、録画をそんなにたくさんして、見る時間があるのでしょうか???

1日は24時間なわけですが、仮にサラリーマンだとして、7時に起きて、9時に出社して、平均的には8時前後に会社を出て、9時
に家に着いて、食事して、風呂入って、1時に寝て・・・だとしますと、休日以外に余暇に使える時間は、9時(21時)〜1時の内の風呂を除いた時間・・・ 食事をしながらも含める・・・だけですよね?

その時間で、音楽聴いたり、インターネット見たり、本読んだり、ゲームをしたり、電話したり、家族と話したり、所用をこなしたり・・・
で、休日は休日で予定があって・・・

一体、そんなにたくさん録画して、いつ見るのだろう?と思うのですが、どうなのでしょうか?




そして、仮に録画したものを見るにしても、見れば見たで、要するにリアルタイムでテレビを見る、時間が減った、というわけですね?

それで、巨人戦の視聴率が下がっているとか、紅白の視聴率が下がっているとか、言うのはどうなのでしょうか?




他にも、CDが売れなくなっているとか、据え置き電話の契約率が下がっているとか、本が売れなくなっているとか・・・・・・

一人今の所勝っているのはインターネットのようですが、それは0から始まったのでそうであって、要するに、余暇にする”こと”がインターネットの登場で増 えたわけですね。

これからも、何か大きなものが登場したりしますと、また、競合が出てくるわけで、どんどん一つのものに費やす時間が少なくなるわけですが、なぜか、上で言 えば、ゲームなんか以外は、普通の人は、まったくしないわけではなく、必ずいくらかはする、というものばかりですね。

私はゲームはしないので、分かりませんが、人によっては、ゲームもそうなのかもしれません。






効率的な時間の使い方を考えますが、テレビであれば、2時間遅れぐらいで録画したものばかり見れば、CMを飛ばすことができますので、かなり短時間で見る ことができますね。

テレビはそれで良いのですが、通勤時間というのはもったいないですね。
その意味では、勤務場所と家というのは近い方が良いわけですが・・・せいぜい1時間とか。

しかし、多くの人が結構時間をかけて通勤しているのでしょう。
思うに会社の多い都内のようなところに、家とは別に6畳〜10畳程度の格安の居住スペースがあったりしますと、経済効果といのは上がるのではないでしょう か?

何かと連動させても面白いですね。

たとえば、トヨダと松下とイトーヨーカ堂でお金を出し合い、そういうアパートを作るのです。
入居する人は、車はトヨタで、買い物はイトーヨーカ堂で、家電製品は絶対松下を使わなくてはならない、という決まりで、その代わり、家賃は格安なのです (笑)。

そして、そこ住む人には特別仕様のハードディスクレコーダーの購入も可能です。
何かと言いますと、トヨタと松下とヨーカ堂以外のCMは自動的にカットされる機能が付いているのです・・・。

どうでしょうか?


もちろん、上の3社はたとえですので、どこの会社でも良いですし、いろいろあって良いのだと思うのですが。

もちろん、遠方の持ち家などに帰ってもOKです。


これは面白いですね(笑)。
独占禁止法か何かにひっかかるでしょうか?



3次元中心でした。

















4月5日です。

今テレビで「しっかりミスは、うっかりミス」というのをやっていました。
どういうことかと言いますと、集中力があり、一点に集中できてします人が、うっかりミスを犯しやすい、という話です。

要するに1つだけに気を取られて、他のものが目に入らない、という状態がミスを招くということです。
なるほどと思います。
私のようだな、と思います。

私は決して集中力がないとは思わないのですが、ケアレスミスを犯します。
一つ、1点、一箇所に集中しすぎてしまうのですね。

それを防ぐ方法として、2つのことを一緒にやる、というのがありました。
良くみていなかったのですが、そう言っていたと思います。

で、私は実は、2つ以上のことを一緒にやっていた方が、うまく行きます。
しかし、時にはうまく行きすぎて、「そんなはずはない」と人に言われたりします。
料理が結構好きなのは、ここら辺に3次元的理由があるかもしれません。

何かを煮ている間に、何かを炒めて、・・・とかそういう状態が良いのです。


だから、私は受験などで、英語1時間、国語1時間・・・とかでなく、「3教科で3時間、はいどうぞ」みたいな方が良い点数が取れるかもしれませんね。

私はこの私特有(?)の現象を、「集中し過ぎるから、もっと集中を散漫にしなくては」と思っていたのですが、少し違うようです。
どうも、同じくらいCPU負荷のあるタスクを一緒にやると良いのかもしれません。

ちなみに、”佐”という字は”たすく”と読むのですね。
何度変換しても出てくるので、打ち間違えたのかと思ってしまいました(笑)。
得てして、そういう時、私はいらいらしたりします。
「ちゃんとやってるのに・・・」と(笑)。





さて・・・・・・
思った通りの映像がでない、という話ですが、
ちなみに、右脳というのは、右と言っても、本当に真ん中近くで、真ん中の境界線からすぐ右側のことのようです。
七田さんの本だったか、他の人の本だったかに書いてありました。

確かに、私は転寝から起きた瞬間が一番変な調子ですが、そのあたりを叩くと、気持ち良いです(笑)。


それで・・・ 
いろいろ想像しますが、ひょっとしたら、私は「後ろめたい」と思っているので、「頭に映像が出ないのかもしれない」とも感じます。

私は、決して日本で何番とか、そういう能力の人間ではありませんが、他の人ができないことを自分ができたり、あるいは状況が恵まれていたりしますと、「後 ろめたい気持ち」になることがあります。

そもそもこの気持ち自体、間違っていそうですが、要するに、「こんなに幸せでいいの?」とい思ってしまうのでしょうか?

これが正しいとすればいけないですので、今の所、「そういう時は感謝しよう。それで後ろめたい気持ちは許してもらおう」と思うことにしました。
今はこれしか、思いつきませんので、やってみます(笑)。

また、
、「こんなに幸せでいいの?」は、「なんで、こんなに幸せなの」に通じそうで、それは 私の今の説である『「どうして〜なんだろう?」と思うと、そうなる』、に通じますので、いけないように想像します。

とにかく、後ろめたくなるのは止めてみます。 


みなさんは、どう思うでしょうか?













4月6日です。

さて・・・・・・過去について書いていますが・・・
中には、かっこ悪いこともありますし、ちょっとかっこの良いものもあります(笑)。
当事者である私や関係者しか知らないことですので、着色もできるかもしれません。

しかし、それは、なんとも、精神世界的なことを書いていますので、万一アーカシックレコードに通じている人や超能力者が見ているかもしれない、なんてこと も考えながら書いています(笑)。
つまり、だれかには全部筒抜けだろうな・・・ということですね。

ですので、少なくとも、私の多角的レベルからみた主観=世間でいうところの
客観・・・に基づいて書いているつもりです。
こんなことを考えながら、ものを書いている状態というのは、変わっていますね(笑)。

ただ、そうでないなら、着色するだろうか?と考えますが、きっとしないでしょう。
道徳上からかもしれません。
そんなことしても、つまらない、と思っているからかもしれません。

今もカリントウを食べながらこれを書いている訳なのですが(甘)、守護霊や指導霊たちは、何を思っているでしょうか?
もう、歯は磨きましたので、「もう一度磨けよ」とは思っているかもしれませんね(笑)。
ドリフみたいですね。

みなさんはどう思うでしょうか?





私は3次元的にもそうですが、良かれ悪かれ、相手がこちらの能力を見破っている(見切っている)場合の方が気が楽です。
きっと飾らなくて良いからでしょうか?
余計な説明をする必要もありません。

余計な説明とは、
「私はあなたを騙すつもりはまったくありません」とか、
「私はあなたの上に立とうとは思っていません」とか、
主にそういうことで・・・
時には、
「あたなの方が、それについては私より知っています」とか、
「私の方がそれについては知っています」
のような時もありますが、それらは、かなり3次元的な事象についての話です。







さて・・・・・・
私は、ずっと、嫌な人に影響を受けないように、ということを意識してきました。
一つには私は影響を受けやすい人間であったということもありますし、
人に操られるのが嫌だった、ということもありますし、
嫌の人に借りを作るのが嫌だった、などなど、いろいろな3次元的な理由があったように思います。

それはそれで良いのかもしれませんが、つまり、ふと考えますと、それにより、せっかくの外応を入手し損ねていたかもしれないな、と最近感じています。
もっとも、外応なんていうことを意識もしていませんでしたので、入手し損ねるも何もないのでしょうが、ただ、意地で逆をやったりしていましたので(笑)、 無意識に外応を拒否していた、なんてこともあるかもしれません。
ただ、意識して問いを発しなければ、時空も応じてくれないようですので、そういうことはなかったのかもしれませんが。

そういうことって、みなさん、ありませんでしょうか?







で・・・・・・
頭に映像がでにくい、という話ですが、
うろ覚えですが、確かマーフィーの法則を読んだ時、”本心”とは、なんだ?と思ったり、手は動かない、と思っても動くのだから、頭の映像も、出ないと思っ ても出るのではないだろうか?のようなことを思ったかもしれません。

もし、そうなら、やはり、「出ない」と強く思うと出難くなる、ということを実験し実証したことになるかもしれませんね(笑)。
とりあえず、「出る」と思うことにしてみようと思います。



「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)ですが、
非常に願望実現的な話ではありますが、こんなことが書かれています。

要するに、
「人は、ワクワクすることを実現させるために、いくらいくらのお金があれば、それが叶えられると考え、そのお金を作る方法を考えたり、あるいは、お金でな くとも、どうやればそれが叶うだろう、という方法を考え出そうとします。
しかし、そうではなく、そのワクワクした状態を今感じることのです。
それに対してワクワクするそのあなたこそが本当のあなたですので、できるとかできないとかではなく、また、そうなったから波動の高まりを感じるのではな く、そのワクワクを今感じれば、もうあなたはすでに、そのワクワクを実現しているのです・・・」
のような感じです。

全て暗記で書きましたので、私というアンプを通っていますが(笑)。



これは、面白いと思います。
例の岡田多母さんの「人間以外の生物にはセンチメンタルという感情はありません。すべて快・喜に向かって生きています」と考え合わせると興味深いです。

人間はある意味、余計なことを考え過ぎているのだなぁ・・・と感じます。


森田健さんが、昨夜、「情報とはなんだろう。エネルギーなのだろうか?しかし、石に情報を与えても何も反応しない。」というような馬の耳に念仏、を連想す るようなことを書いていますね。

これを考えると、人間とは余計なことも考えるが、人間だから初めて情報になる外側もある、ということなのだな、とも思います。


先のワクワクを思うと、人間とは一つの種ではあるが、一人一人、別の種類なのだろうな、と感じます。
つまり、植物だけど、チューリップであり、クローバーであり・・・ということですが。
ですので、お日様の方へ向かいますが、水をたくさん必要とするものもあれば、そうでないものもあり、球根で育つものもあれば、種で育つものもある・・・と いうことですね。

ですので、外側から情報が来ても、お日様的なものであれば、みんな同じに反応しますが、雨が降っても、反応するものもしないものもあり、しても反応の仕方 が違う・・・つまり与える影響が違う、パワーの度合いが違うということがあるのですね。




その意味では、サボテンはお日様にワクワクし、一般的な植物は水とお日様にワクワクし・・・ということなのでしょう。
そして、センチメンタルなことを考えない、ということは、自分のワクワクを忘れたり、間違えたり、しないわけなのでしょう。

人は間違えたり、忘れたりしますね。
お金を貯めるだけ、とか、偏差値を上げるだけとか、そういう手段とワクワクとを取り違えたり、などなど・・・。




しかし・・・・・・
植物にも運命はありますね。
寿命はともかくとして、確かに大木でない限りはほとんどがお日様の当たる方へ向かって伸びますね。
根はとにかく下へ伸びます。
それでも、土より上の部分でも、根でも・・・
上は上で、何か障害物があれば、それによって多少伸びる角度が違ったりいます。
根は根で、石でもあれば違う方向へ伸びることになるでしょう。
また地面に植わるか、植木鉢に植わるか・・・
結構いろいろな運命があるものですね。



こう考えていくと、重力というのは、すごい運命だな、と感じてしまいます。
根は上に伸びるわけには行かないのですね。

同様、太陽が東から西へ動く訳ですので、植物たちは、それを1日中追い続けることになります。
これも、すごい運命ですね。
人のように、3次元的自由意志で食べ物を選びことはできませんね。
もちろん、観葉植物となる運命であれば、費用と土は持ち主が選んでくれるでしょうが。


それで思うのですが・・・
良く運命の分かれ道、と言いますね。

人生を考えた時、やり直せるものでしょうか?それともやり直せないものでしょうか?
確かに、同じ時間に戻ってやり直すということは、3次元を普通に解釈すればできませんが、基本的にはやり直せますよね?
なんとなく人間はやり直せないものだる、という考えが支配的なように思いますが。



特に私はこの”やり直せない観”が強いように感じます
そして、それは、頭の映像が出難いことともいくらか関係しているように感じます。
3次元的理由は、想像するに、やはり受験でしょうか。

私は自分でも良く分からないうちに、中学受験から相当真剣にやりましたが(笑)、私は基本的にケアレスミスというか、ちょっと位のミス、が多い人です。
直そうと思いましたが、これはどうも治らないようです(笑)。
別にそれで良いと思います。
私という人間のイメージからはケアレスミスは似合っていないのか、良く批判されますが(笑)。

大抵は、困ってもその程度ですが、受験となるとそうはいきませんね。
後で、訂正するとか、それは書き間違えました、は通じませんので。
私は考えるに、それがすごい恐怖心として潜在意識に入っているのではないかと想像します。


私が初めて”怒鳴って”しまったのは、受験がらみでした。
小学校5、6年生の時で、とても仲の良い親友が学校が終わったら遊ぼうと言ってきたのです。
私は遊びたくてしかたがありませんでした。
でも、当時父親が中学受験のためとして、スパルタ式で、今考えると絶対できないようなノルマを課して、それをこなさなくてはなりませんでした。
「自由自在」、「応用自在」という名の、学校の勉強だけしているのではとても解けないような問題ばかりでている問題集を、「何ページから何ページまで説く こと」として、それをこなさなくてはならなかったのです。

父親はそれほど勉強ができる人ではありませんが、空手部の主将でしたし、6人兄弟の長男でしたし、当時はおそらく30代でしたでしょうから、とにかく中学 から良い学校に入れて、エレベーター式に大学まで行かせて、良い会社に入れようとしていたようです。
それはそれで感謝なのですが、いかんせん、そのやり方では勉強ができるようにはなりませんね(笑)。
私の学校の勉強嫌いはここら辺から始まっているのでしょうか(笑)。

それで、私は、とてもできませんので、回答をうまい具合に、少し変えて写す、ということで、そのノルマをこなしていきました。



そして、その友人が誘ってくれたその日も、そのノルマがあり、そして、そんな格好の悪いことを友人にも言うわけにもいかず、私は怒鳴ってしまったのです。
「行けないっていってるだろう!!!」か何かだったように思います。

友人はいいヤツでしたので、「そうか・・分った。何か大事なことがあるんだね・・・」みたいなことを言ってくれたように思います。




私の頃は中学受験などというのは、お金持ちのすることであり、私のような一般人がするのは、まだまだ珍しい部類の時代でした。

ですので、ここまでスパルタやりますと、私のように学校の勉学が嫌いになり、ぜんぜんやらない子になる可能性がありますので、ご注意ください(笑)。

ここら辺の経験で今の私の性格を形成していることが多いです。
当時、普通に、部屋に篭って問題集を解いていても、人恋しくなり、30分、1時間で居間に下りて行き、みんなと会話したい、と思うのですが、それをします と、「すぐ降りてきた」とか、言われますので、私はそれが嫌でできるだけ、みんなと話をせず、一人で解決するのが褒められることだと思い、そういう方向に ぐっと寄っていきました。
その傾向は今でも強いです。
なかなか人に聞く、ということができません。
恥だと感じます。
たまに、いけないと思い、聞いたりしますと、「そんなこと自分で解決しろよ」と大抵言われます(笑)。
私の思いが生んだ現象か、やはりどこか他の人違うのか、良く分かりません。


そして、受験ですが、私はどうしてもケアレスミスが後を絶ちませんでした(笑)。
親は緊張のせいではないかと思い、私に精神安定剤などを飲ませてテストを受けさせていましたが(笑)、これが良いわけありません(笑)。

意識がもうろうとします(笑)。






それもこれも含めて決まっていた運命ですし、親も私も勉強になったわけですので、それはそれで良いのですが、ひょっとしたら、そのテストにおけるケアレス ミスが、私にとって、トラウマを作っているかもしれません。
要するに、「全ての事象はやり直しの効かないものだ」という脅しに近い概念ですね・・・。

ただ、それが本当に、頭に映像が出にくい理由なのかどうかは、良く分かりません。
ただ、どこか私の真面目に生の字を付けて、生真面目にしているのは、そこら辺の経験が関係しているでしょうか?

ですので、私は今でも本当にテストというのが嫌いでしかたないです(笑)。
資格などほとんど持っていません。

何かもう一生分のテストに費やす気力を出しつくした感があります。

しかし、なるほど、こうして、運命というのはうまい具合に作られるのだな、と感じます。
もし、私がテスト大好きで、良い大学を出て、たくさん資格を持っていたら、こういうサイトは作っていないかもしれません。



私は不思議なことは好きですが、基本的にはのんびり屋です。
ただ、書き写しでも、そのために、うまい細工をしなくてはなりませんでしたので、いくらか勉強にはなったはずですね(笑)。

そして、少し長いスパンで考えれば、「やり直しはきく」ということですね。



みなさんは、無理やりやらされて、嫌いになってしまったことというのはないでしょうか?



でも、植物は無理やり剣山に刺されても、引っこ抜かれても、嫌いにはならないですね・・・。
(嫌かもしれませんが・・・)

みなさんはどう思うでしょうか?


以下作成中





4月8日です。
いよいよ小沢さんの登場ですね。
先だっての衆議院選挙の時、あまりにマスコミが小沢さんの悪口ばかり言いますので、「自民党はよほど小沢さんのことが怖いのですね」というようなことを書 きましたが、今日、小沢さんが当選した後での、小泉さんのインタビューで面白いものがありました。


そのインタビューで小泉さんは、「人間ていうのは、 そう簡単に変わらないものだからね」と言います。
私はこれを聞きながら、何かに似ているな、と思いました。

どうもそれは・・・
堀江氏がパリーグの新球団問題の際、楽天に触れて、「みなさん、楽天には500億円(だったかな?)の赤字だということを知っています?」
と言たのと似ていると思ったようです。

どう同じかと言えば、言った当人は自信家であり、ものすごくうまく行っているのに、それに似つかわしくない・・・あるいはその人らしくなく、歩的な(?) 物言いで、相手を落とすようなことを言う、という点において、ですね。

あの後、堀江氏は、新球団争いに負けました。
果たして、小泉さんはどうなるでしょうか?


これは、当人としては顕在意識的であるにせよ、直感的であるにせよ、きちんと3次元的に言理由があって言ったのだと感じます。
堀江氏は「やばいヤツが出てきた」と思ったのかもしれません。
あるいは、もっとすごいことを思ったのかもしれません。

小泉さんも、「やばいヤツが出てきた」とは思ったでしょう。
あるいはもっとすごいことを思ったかもしれませんが、どれくらいに”すごく”思ったのかは分かりません。




実は私は小沢さんには、期待しています。
田中角栄さんの秘蔵っ子ですね。

副島隆彦さんにのサイトなどによれば、あの田中さん(私も田中さんだが)を一線から引きずり落とした立花隆氏が、ずいぶん前及び最近、エリート官僚から得 た情報により、日本はアメリカの意志により動かされ、アメリカの意志に反する総理大臣を出させないようにしている、ということを理解した、と書いていたよ うです。

そのサイトはhttp: //www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/ ですが、なぜか、その記事 が見つかりません(笑)。
どうしたのでしょうか?

どうも、立花さんは、田中角栄さんのよう純日本的な政治家を、落とし入れようとしたどこかからの策略にまんまと乗ってしまったのかもしれませんね。

ただ、それでも、とにかく、アメリカの意志によってこれまで日本は動かされて来た、ということは、理解したようです。

で、そのような田中角栄氏の意志をついだ小沢さんが、何をやってくれるのか・・・何をやるのか・・・非常に楽しみです(笑)・


どうも、聞いた話と私の知識で分析すると、小沢さんは、良い人みたいですね・・・(笑)。
鶴田浩二の「傷だらけの人生」が好きなようです。
私も昔は好きでした。
しかし、あの詞はひどくネガティブな波動を持っていますので、あまり歌わない方が良いように思います。

私のまったくの想像では、小沢さんは、有能で、良い人で、お人よしで、理想家で、だけどそれ故少し極端なのだと思います。
なんでも、何かを決める時に、全員一致をみないと、やめてしまうようです。

想像するに、遺恨を残さないためであり、それが理想的だからだと思います。
一番良いですよね、全員一致というのは。
その逆が小泉さんで、一致しない人は捨てていく、追い出して行く、というものだと思いますが。

どちらが気が楽かと言えば、小泉さんの方が気は楽でしょう、それができる人格、ということを含めてですが。
今の小沢さんにそれをやれ、と言っても、そちらの方がずっと気が重いでしょう。

ただ、100点満点の方針であっても、実際は全員一致をみるのは不可能に近いですね。
なぜなら、全員が同じ理解力ではないですし、全員が頭だけで決めるわけではなく、それぞれが持っている人間的な関係なども関わってくるはずですので。

ですので、そういうことが理想的である故の弱点であり、理想的は極端な発想を生むのでしょう。
決定は、小泉さん式の決め方は私は否定しますが、全員一致も間違っています。
とは言え、実は私もそういうところがありますので、勉強になります。

おそらくは、半数の一致を見れば良いのでしょう。
過半数でもない半数です。
そこまで人を説得できれば、後は、自分の持っている権限を使って、物事を決めて良いのだと感じます。
それでないと、同じ失敗を繰り返すように感じます。


全員一致を目指すようになったのは、それまでにきっといろいろなことがあったのだと思います。
それは、「傷だらけの人生」が好き、ということで、私には何となく理解できます。

是非、今回は、実力を存分に発揮して、日本のためにがんばって欲しいと考えています(笑)。
60歳を過ぎて出てきた、ということにも、希望を感じます。
要するに、あう程度は仕方ないとしても、アメリカの意志を相当跳ね除けることが可能なように感じます。
要するに、今後何十年も政治の頂点にいようとは思っていないだろうな・・・ということですね。

増田俊男さんは、「今出てこなくとも、もっと後でも良い」というようなことを書いています。
裏を読んでしまいますが、おそらく、今日本がアメリカの意志のもとにやろうとしていることに反することでも、それが日本のため・・・この場合、もっぱら経 済でなく、精神の問題ですが・・・になることをする可能性が高いのでしょう。

もっとも、素人ではありませんので、最低限でアメリカと折り合いがつく範囲内ということも考える現実的な対応もするでしょうが。
それでも、小泉さん、竹中さんほど、極端にアメリカに何でもささげ出すようなことはしないだろうと思いますので、安心しています。
要するに、国同士が付き合う常識内でのギブ&テイクということでしょうか。
まだまだ、政治の世界では、ギブ&ギブは通じないようです。


小沢さんが裏に隠れてから出てくるまでに、4,5年かかったでしょうか?
雅子さんも元気になりつつあるようです(笑)。
原辰則も戻ってきました。
イチロウも日本でプレーしましたね。

確か、何かの本に、以前活躍していた人で、一度野に下った人達が再び戻っ来て活躍する、というようなことが書いてあったように思います。
もちろん、全ての人ではないでしょうが。

ということで、私は別に民主党を応援しているわけではないですが、小沢さんに期待しています。

どういうシナリオになっているのか分かりませんが、決まっている運命というのを見てみたいものです。


ぜんぜん高次元的でなくすみません。


みなさんは、どう思いますか?












4月9日です。

御香を買って来ましたが・・・
何種類か試したのですが、檜の御香は良いですね。
私にはあっているようです。
不思議なもので、嗅覚を刺激されるのも、また良いことのようですね。

私は、無意識に嗅覚を制限している気もします。
街の臭いが好きでないのかもしれません。
ハワイに行くと、嗅覚が敏感になるのですが、ここら辺もまた、ハワイが好きな原因(3次元的)かもしれません。
基本的に五感が刺激されるということは、副交感神経には良いはずです。

みなさんは、どう思うでしょうか?



また転寝をしてしまいまして、瞑想をやりそこねました(笑)。

しかし、意地で1日1回しますので、本日は2回するのだと思います。
ちなみに、両手振り体操も続けています。
但し、こちらは船井幸雄さん推奨の300回ではなく、100回ですが。
少しめがねが合わなくなってきたのがこのためか、年のせい良く分かりませんが(笑)。

さて・・・
起きまして、テレビを着けましたら、あの有名な元教師で、子供たちを助けている方が出ていました。
いろいろ大変なはんしをしていましたが、その中で、子供に対しては10回褒めて1回しかる、ということを言っていました。
もちろんこれはもっぱら子供に対してでしょうが、私は大切だと思います。
学校でだめだ、だめだ、と言われ、家でまた言われでは。おかしくなる・・・というようなことを言っていました。
自分で自分を褒めろ、とも言っていました。

みなさんは、会社で絞られ、奥さんに絞られているでしょうか?
自分で褒めるしかないですね(笑)。
しかし、なかなか自分で自分を褒めるというのはむつかしいですね。

本当は子供でも相対性と2元性のマーヤのまやかしから逃れられれば良いのだろうとは思いますが、大人でも大変なのですし・・・
高次元から来て間もないですので、そんな話をしてもしかたないのでしょう。

学力というのは確かに大切ですが・・・
ゆとり教育がだめ・・・世界規模のテストの結果で日本の順位が落ちたから・・・ということで、また授業時間を増やすようですね。
まあ、それはそれで良いのでしょうが。


今の小学生の父親というのは、私と同い年くらいですね。
もう少し、下でしょうか・・・。

ひょっとしたら、一番精神的な教育がないがしろにされた世代と言っても良いのかもしれませんが。
もちろん、私たちから、10年位先までそうでしょうが。


とにかく多く取る、とにかく厳しくする、そうすれば、良くなる・・・という感じでしょうか?

これは言い過ぎとしても、西洋的なものが一番、日本はだめ、というような無言の教育はあったように感じます。
そして、今父親がサラリーマンをしていれば、多くの父親、母親が、「是が非でも、良い大学へ入れて、良い会社に入れて、そのためには、人を押しのけてでも 行かないと、この子は楽しい人生を歩むのは無理だ」と思っているかもしれませんね。

バブル、バブル以降のリストラ時代、今のヒルズ族、などなどを”親”の立場で見ている世代ですので。


その前の世代は、ひょっとしたら、もっと改革的なことを考えていた可能性もあるでしょうか?


ただ、増田俊男さんは、「日本はアメリカとはんれるのは無理だ」というようなこを言っていますが、本当はアメリカと一切有別するべきなのかもしれません ね。

実際、無理でしょうが。

日本人は根が真面目すぎますので、資本主義が正しい、と思い込むとなかなか疑うことをしないように感じます。
思うに、医学以外は日本には西洋文化は必要なかっただろうな、とも感じます。

工業化しなければ、海もきれいでしょうから、魚もたくさん取れ続けたでしょう。
農業人口ももっと多かったでしょうか。

肉は必要ありません。
パンも必要ありません。
西洋音楽もいりません。

テレビ、ラジオはいるでしょうが、本当は街がもっときれいなら、情報だけくれる手段程度の品質であれば構いません。
新たな鎖国制度を取るか、それとも、逆にアメリカを変えるか・・・
おそらく、そうなるのではないでしょうか?


私は大学で何も学んでいません。
高校でも何も学んでいません。
中学では、勉強の基礎を学びました。
小学校でも、そうです。

会社ではいろいろ学びました。
世間からも、いろいろ学びました。

大学進学率は1割で良いように思います。
東大と京大だけ残して後は廃業したらどうなのでしょうか?

そして、義務教育で、段階を分ければ良いのではないのでしょうか?
5段階くらいで、学力と志望で分る、ということですが。
大学進学にかかる費用・・・教育費も含めて・・・なくなれば、家計も楽でしょう。

大学進学率が1割なら、それは今で言うところの、大学院進学率と良い勝負でしょうから、出た大学で、会社決まるだなんてこともないでしょうし、必要以上 に、学歴、と言わなくなるでしょう。

就職試験などで、履歴書が個人情報保護法にひっかかる日も来るかもしれませんが・・・。

ちなみに、なんとか言うアメリカ大手のCMショップだったか、レコード会社だっかの重役は、20代の時、その業界のどこかの会社にもぐりこんだ時、履歴ご まかしたようです(笑)。
なんでも、毎日、会社に来る郵便物をチェックしていたようです。
自分の過去が分ってしまうような書類が来ていたら、廃棄するためだった、ということですが(笑)。
その後、彼は大物になります。

かように、学歴なんてあてになりませんので・・・。
それは民主党を見ていてもそうです。
学歴も、職歴もあてになりません。
私ですら、もっと気の利いたことができたように感じます。


そうは言え、現状、学歴を無視した人生を歩め、と言っても、はいそうします、とはなかなか言えないでしょう。

みなさんは、どう思うでしょうか?






さて・・・
格闘技の須藤元気さんですが・・・
精神世界に興味があるそうです。
いろいろ発言したり、テレビに出たりしていますね。

昨日は、ナスカの地上絵について語っていましたが、どうも聞いていると、
「昔の人は体脱できたので、それで上空からあれを見ていた・・・」
という意見のようです。

どうでしょうか?
私などは、宇宙文明と通じた文明だったので、あれが作れた、と思いますが?
要するに、UFOみたいなもので見て、そのレベルの文明だから作れた、ということですが。

それはそれで良いのですが、あれは、ひょとしたら六爻占術式の風水ではないだろうか?などと想像します。
須藤さんも、「あの絵にはパワーがある」と言っていましたが。

大きな視点で見て、あれらの絵の位置にあの動物の絵が書かれていると何か良い・・・ということですが。
実際はどうだか分かりませんが。

何でも、パリでもワシントンでも、中国の風水を取り入れた街作りになっているそうですね。
ですので、六爻占術なども、宇宙から来たものだったりしまますと、地球上のどこかの時代に存在していた、としても不思議ではありませんね。


みなさんは、どう思うでしょうか?







4月10日です。

良くラスクというのを食べますが、おいしいですね(笑)。
あれは、何なのでしょうか?
丁度小型の食パンをカリカリにトーストしたような状態になっていますね。

小麦版のお煎餅、といった感じですが、きっとそうなのかもしれません。
私は、柔らかいものも好きですが、硬いものも好きです。

氷の入っているジュースが出ますと、場所柄さえ許せば、氷をばりばり音を出して食べます(笑)。

今はもう食べませんが、モツヤキは必ず軟骨を食べました。
あのバリバリ食べるのが好きなのです(笑)。
モツヤキは基本的に硬い素材が多いですね。

どうも直近の前世は犬だったかもしれません(笑)。
そうでなければ、原子人から直接、現代に来たのかもしれません(笑2)。

みなさんは、固いものは好きでしょうか?











さて・・・・・・
政木和三さんの「この世に不可能はない」(1997年:サンマーク出版)の178ページには、次のように書かれています。

(引用178ページより)
『脳波がシータ波の状態というのは、全く欲望のない状態のことである。全く欲望のない状態になると、人間には何事に対しても感謝の気持ちが自然に沸いてき て、誰でも、「私ほど幸せな人間はいない」という思いをいだくようになってくる。そのときこそ、人間は本当に幸福になれるのである。
つまり、欲望を捨てるということは、感謝の気持ちをいだくということに通じる。本当の意味での感謝は無欲の中からしか出てこない。欲望があり、それが満た されないと、人は自分を不幸だと思う。だが、無欲になると、心は常に満ち足りた状態に置かれ、「自分ほどい幸せな者はありません。ありがとうございます」 という感謝の気持ちが自然に沸いてくるようになる。それでこそ脳波は下がっていくのである。・・・』

(以上)



私はこれは正しいのだと思います。
ただ、初めてこれを見た人の多くは、「そうか、それじゃ、欲望をなくそう」と考えるのが普通なのだと思います。
私のそうでした。

しかし、どうもそれでは、本末転倒のようです。
政木さん自身、自分でも書いていますが、「善行しようと思って善行を行うのは、我欲である」、ということであり、「欲望をなくそう、と思い、そうしてみ る」、というのは、欲望をなくそうという欲で動いていることになりますので、果たしてそれで、脳波がシータ波になるのかどうかは疑問です。

それでは、どういう時に欲がなくなるかと言いますと、どうも今のところ、「
もっともワクワクすること、魅かれるもの、もっとも情熱を感じること」をしてい る時であり、それは、人生の唯一の目的、使命である「できるかぎり自分自身でいる」ということをしているからのように考えます。



上記の太字の部分は、
「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)からの受け売りですが、似たような言葉は岡田多母さんの本にも見つかりますし、何人かの方も同じようなことを 書いているようです。


「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)ですが、以前も引用しましたが、、もう一度引用しておきます。
(大学生に論文を書かせると、引用で長さを稼ぐことがあるようですが、別にそういう意図はありません:笑)

(引用:33ページより)

「人生の目的」と「目的の表現」−−−思い込みから自由になる

さて、地球上の人々は、この人生で探求しようと選んできたことを「人生の目的」とか「使命」という言い方をしていますが、私たちはそのことをただシンプル に「全般的なテーマ」と呼んでいます。
なぜなら、私たちが知っているかぎり、この人生でみなさんが持っている唯一の目的や 使命は、「できるかぎり自分自身でいる」ということだからです。

もちろん、みなさんは自分の人生の目的をさまざまな形で表現することができるでしょう。
しかし、その異なった表現のしかたそのものは人生の目的ではありません。

それらはただの表現につぎないのです。
人生の目的とはただ、「できるかぎり自分自身でいる」、つまり、「大いなるすべてと調和のとれている自分本来の波動でいる」ということです。
みなさんがもっともワクワクすること、魅かれるもの、もっとも情熱を感じること、そ れらはすべて「自分自身でいる」という人生の目的の「表現」なのです。
(以上)




さて・・・・・・
これらは、一般的な精神世界的な発想なのですが、私はこれはこれでありなのだと感じています。

しかし、森田健さん式の「運命は決まっている。だからハンドルを手放そう」という発想もあります。

2つが別に整合性が取れていなくとも構わないのでしょうが、もし整合性があるのだとしたら、どうでしょうか?










4月10日の夜ですが・・・
先の続きです。

自分で情熱の中にいる状態を作ることによって運命を良くするにしても、運命で決まっていて運の良い状況であって、その結果情熱の中にあったとしても、情熱 の中にある、ワクワクしている状態というのは運の良い時である、ということは事実なのだと思います。

自分で作れるのであれば、意図してワクワクの気持ちを作り出したりする、ということは運命を良くすることに繫がると思います。
しかし、これは、運命が決まっているということであるのなら、当人が意図したとしても、それは運命でその時にそうなるようになっていたということにしか過 ぎないのだと思います。

しかし、森田健さんの言う「問いを発することにより運命が変えられる」ということがあるのなら、「どうして私はワクワクしているのだろう?」という問いに よって、意図しても運命は変えられるのかもいしれませんね。

そして、ワクワクが「自分自身でいるという人生の目的の表現」なのであれば、「どうして私はワクワクしているのだろう?」という問いは、「どうして、私は 私自身なのだろう?」という問いでもあり、そう置き換えても良いのかもしれない、と感じます。
「どうして、私はこんなにも、私そのものなんだろう?」とも言えるかもしれません。


また、「どうして、私は私自身なのだろう?」、「どうして、私はこんなにも私そのものなんだろう?」という問いは、正に、「私はだれなのだろう?」という 問いそのものであるのではないかとも思います。

そして、これらの問いにおいて、”私”を分かるためには、それこそ、ワクワク、情熱に向かって行くことで分るように思いますし、それは、植物が太陽を追い かけて移動していくのに似ているように感じます。

「どうして、私は私自身なんだろう?」、「どうして、私はこんなにも私なんだろう?」でも、センチメンタルな方向にそれを考えることはできるでしょう。
「これがこんなに嫌いなのか」、「これがこんなに辛いのか」ということは分るでしょうが、やはり考えるにセンチメンタルな方向で「どうして、私は私自身な んだろう?」を考えるのは間違っているのだろうと思います。

理由は、漠然としていますが、岡田多母さんの言う「自然界にはセンチメンタルはない」ということも、そのひとつです。

そうしますと、センチメンタルでない方向、快、喜の方向ということになるのだと思います。

ただ、この快、喜も、字面だけ見ますと、快楽、喜劇、 など表面的に出てくる、快感、愉快さと勘違いしやすいように思います。

やはり、その本質はワクワクであり、その中身であると思われる、情熱、魅かれる、・・・どちらかと言えば、”情熱”という言葉が、「私はだれ?」という問 いの本質をどうしてもひと言で表わさなくてはならないのであれば、適したものなのだろうかと感じます。


みなさんは、どう思うでしょうか?







「BASHAR 2006」(株式会社ヴォイス:2006年)ですが、注釈を除いて読み終わりましたが、仮に願望達成が意図してできるなら・・・あるいは、できると思って いるのなら、現状、私の知っている限り、どんな巷に溢れているものよりは、1万倍良いものだと思います。

ただ、この本が、マーフィーあたりよりメジャーではないのは、チャネリングものであるが故に、目に見えない世界 の存在を拒否している人には絶対に受け入れなれないということなのだと思います。

当然、出版社も、少なくとも今までは、関連本の出版を拒んでいたのではないか?とも想像されます。
もっとも、その割には全世界である程度以上、売れている本のようです。


いつだったか、無料で資料をくれるというので、願望達成方の資料を送ってもらったことがあります。
その後、何度か営業の電話がかかってきましたが、少なくとも、あれと同じやり方では、この本に書かれている内容は売りにくいでしょうね、一般的にはです が。








本には、「手段を考えてはいけない」、とあります。

理由は、
「通常、そのためにお金を儲けるために忙しく働かなくてはいけない、というような発想になり、それに忙しくしてしまうと、情熱に従って行動していないので いけない」、
「特定のやり方でしかできない、特定のやり方で入ってきてほしい、思っていると、別の形で入ってくるかもしれない扉を閉じてしまう。」
「ワクワクすることをするために、一番簡単な形で入ってくる」
「この形でしかだめだ。この方法以外あり得ない、とこだわると、他の道を閉ざしてしまう」
などのことが書かれています。

この本におけるその根本の概念は、本中にある「豊かさとは、する必要のあることを、する必要のあるときにできる能力」という言葉が表わしているとのでしょ う。
「形は問題でなく、お金かもしれないし、贈り物かもしれない、状況の変化かもしれない」
としています。


これを書いていて思いますのは、一般的に言って、ここでは「お金持ちになりたい」という表現による願望というのは、あり得ないものとしているのかもしれな い、ということですね。

事実としてそうであるとして、面白いことだな、と感じます。

つまり、お金ってなんだ?ということなのですが。


お金というのは経済学的には別にして、高次元的には、ある状況を偶然に見せないための、とても便利なもの、なのかもしれませんね。


お金というものがなかったら、とても恵まれている人が大きな家に住んで、高い地位についていて・・・という状況があったとして、それを3次元的理論的に表 現する方法がなくなりますね。

「あの人の家には、たくさんの宝石があり、たくさんの土地や財産があり・・・」となっていたとしても、お金があるから、「あの人は〜で大儲けしたんだ」と いうようなことが不思議なく言えますが、なくても、それはありえるのだと思いますが、そうなると、3次元的な理論的説明はできにくいですね(笑)。

意図したにしても、決まっていたにしても、「そういう運命の流れにいるんだ」と言ったとしたなら、それはもう、高次元的なことを、今より1万倍理解し て・・・と言いますか、常識になっていなくてはならないのだと感じます。


つまり、お金は、ひょっとしたら、高次元的なことを、3次元にいる魂に想い出しにくいためにある便利なもののかもしれませんね。




ですので、「お金持ち」という言葉は、高次元から見た時、状態としては、ひょっとしたら、存在し得ない言葉なのかもしれません。
ありえる形で置き換えるなら、「多くのことができる状態」なのかもしれません。

本当は何でもできる状態、と書こうと思いましたが、ちょっと違いますね。
お金で動かせない人もいますし、健康はお金では買えません(笑)。

もっとも、「どうしても、○○ちゃんを恋人にしたい」という願望であったりするわけですが、「だれでもいいから恋人が欲しい」なら、その限りではありませ んが。


ジョン・レノンが作った「ヘルプ」ではありませんが、「だれでも言い訳ではないんだけど・・・」は、本音で良いのだと思います(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?





 

 

 

 

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