理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー
CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。
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243:McCartney:ポール・マッカートニー
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ポール初のソロアルバムです。
ビートルズの「Let it be」より、少し前に発売されたように記憶しています。
曲目です。
1.ラヴリー・リンダ
2.ザット・ウッド・ビー・サムシング
3.バレンタイン・デイ
4.エヴリナイト
5.燃ゆる太陽の如く/グラシズ
6.ジャンク
7.男はとっても寂しいもの
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8.ウー・ユー
9.ママ・ミス・アメリカ
10.テディ・ボーイ
11.シンガロング・ジャンク
12.恋することのもどかしさ
13.クリーン・アクロア
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全ての楽器を自分で演奏しています。
作品としては、大雑把な印象で、”良いアルバム”とは言えないと思いますが、「テディ・ボーイ」と、「恋することのもどかしさ」の2曲が入っています。
この曲については以前書いたとおりで、ポールのお気に入りのようで、ウイングスのライブなどで、何度も演奏されてり、CD化もされています。
「Everynight」も、ライブで演奏されていますね。
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「テディ・ボーイ」は、なぜ好きかと言えば、おさらく、中学生の頃、ラジオか、テレビかで、この曲を録音して、聴き親しんでいたからだと思います。
デモ・テープのような演奏でしたので、映画「Let it be」のものだと思いますので、テレビでしょうか。
良く、聴いてみますと、エレキギターの音の処理以外は以外に、ちゃんと演奏、録音されているようです。
このアルバムは、一度、ミックスダウンをやり直してみたらよいかもしれませんね。
一度、PCに落として自分で細工してみたいと思います。
近日中にやろうと思います(笑)。
さて、小松英星さんのサイトで、「ガイア・セッション」シリーズが完結しました。
読みましたが、なかなか興味深いですので、少しずつ引用して、考えてみたいと思います。
太字は「すばる意識」と呼ばれる宇宙意識の言葉をバーバラ・マーシニアックさんという人が伝えてくれたもののようです。
違っていたらすみません。
普通の文字は小松さんの意見のようです。
http://www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt6.htmlで
すが・・・
まず、以下のようにあります。
更なる
加速 (1)
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(引用)
『 ●
更なる
加速 http://www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt6.html
1987年
以降は年毎に、あ
なた方の惑星に影響を与えている宇宙エネルギーの流入
は、次第にその強度を増しており、生活の脈動が加速しています。
例えば、あなたへの差し迫った要求事項や、あ
なた自身をしかるべき状態に保つだけでも対処しなければならない、へとへとに疲れるような速度によって、生活
がますます早く動いていることに気付いているかもしれません。
そして、あなたが思いめぐらすことや焦点を合
わせることが、同様の速さで現実化するのです。
1997年
から2006年までの、この加速の第2段階では、エネルギーが毎年100倍の割合で増えて、あらゆる体験が更に激しさを増す
ようになります。
この期間
には、物事の優先順位や、何が真に重要かの認識について、たいへんな混
乱があります。
そして年を追う毎に、非常に賢い人々にとっては、思うことが迅速に自分の現
実になることが、明白になってくるでしょう。
最終的には、すべての人が、選び取るか見逃すかの差によって人生の新たな優先事項が変わってくるので、様々な私事の状態について、並外れた真実性の確認作
業に直面することになるでしょう。
この時期には、何十億もの人が、表面から見える通りのものは何ひとつないことに気付くようになります。
そして、この認識は、それ自体が通過儀式で、この期間の最大のテストの1つといえるでしょう。
世界の舞台で騒々しい出来事が激化するにつれ、不可視の線が引かれて、世界中で二極化が起こってきます。
それは、自由や人生の意義などの争点についての熱い論争に関して、それぞれの人が敵・味方を選んで、自分の信念を通そうとするためです。
「この期間」には、次々と判断や行動についての選択肢
が現れて、それぞれの人が思い思いに選んでいくわけですが、はたして自分の認識は間違っていないだろうか、自分は正しいコースを選んでいるだろうかと、果
てしない迷いに直面することになります。
つまり、「並外れた真実性の確認作業に直面することになる」
わけです。
いま現在でも、「表面から見える通りのものは何ひとつない」
わけですが、時代の真の潮流を掴んでいない人には、メディアが取り上げて
騒ぎ立てることが重要なことに見え、メディアをうまく利用する人物が立派に見えた
りするでしょう。
この状態から脱却でき
るかどうかが、時代の「通過儀式で、この期間の最大のテストの1つ」
だというわけです。
ここにいう「二極化」は、世界のどの国でも、政治舞台
での主要2党の対立構造とは必ずしも一致しません。
現状では、政治舞台で
の争いは、「国民のため」という言葉で偽装した権力闘争の趣がありますが、こ
こでの争点は「自由や人生の意義など」であって、筋が
違うのです。
2007年
に始まる第3で最後の期間は、その強烈さの点で大幅な新たな飛躍をもって始まるでしょう。
エネルギーは、残り5年の各年ごとに、毎年10万倍の割合で加速し、基
本的にすべての人を、いわば
天の軌道へ舞い上がらせるでしょう。
《ナノセカンド》の、この最後の5年間に必然的に現れる、隠れていた
真実の各層に対して、あなた方がどう反応するかについては予想することができません。
ともかく、あなた方の力は、各瞬間ごとに増えるのです。
あなたは、その力がすべり落ちるのに任せますか、それとも、その力を使い、あなたの成功物語を年代記に寄稿しますか?
「毎年10万倍の割合
で加速」することを、感覚的にとらえることは難しいと思いますが、これまでの加速に既に慣れているのだから、この先も適応できると
信じることが大切です。
その加速は、階段を上
るような段差があるものではなく、あくまでも連続的な変化です。
ちなみに、[X-Y]座標の第1象限に、[Y=X2]のグラフを描いてみま
す。
つまり、方眼紙に、(0,0)(1,1)(2,4)(3,9)(4,16)(5,25)のようにプロットして、それら
の点を滑らかな線で結びます。
そうすると、「天の軌道へ舞い上がらせる」イメージが
分かるでしょう。
しかしそれは、あくま
でも地上で起こる出来事です。
したがって、むしろ地球にしっかりグラウンディングすることが、それまで以上に大切になるでしょう。
エネルギーの加速は、
光の強さに関係するので、どんな事も隠しておけなくなり、「隠れていた真実の
各層」が「必然的に現れる」こ
とになります。
けれども、何が起こる
にせよ、私たちの力も「各瞬間ごとに増える」わけです
から、基本的には心配することはありませ
ん。
必要なことは、「その
力がすべり落ちるのに任せ」ないで、実際に「その力を
使」うことです。』
(以上)
改行、および、開行は、私で勝手にやっ
ています。
色着きの文字もこちらで勝手にやっています。
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1987年から1996年、1997年〜2006年、2007年か
ら2012年の3段階で、宇宙エネルギーの流入が増えているそうです。
そして、1997年〜2006年、の第二段階で
は、毎年100倍で増えると書いてあります。
残りの5年間では、毎年10万倍の割合で加速し・・・となっています。
1987年から変化が起きている、という説は、初めて見ました。
1960年から、強い宇宙波動が地球に注いでき始めたという話は読んだことがありますが、近々の大きなものとしては、岡田多母さんの、「1990年から、
地球が再起に動き始めた。本格的には1996年だ」、というものが、自分にとって真実味のあるものです。
ピックアップされた年がどんな年だったかと言いますと・・・
1960年は、昭和35年です。
1987年とは昭和62年です。
1990年とは平成2年です。
ちなみに、1989年1月8日から、平成元年です。
1960年は、
ベトナム戦争開始、
首都高開通、
カラーテレビ開始などがあったようです。
チリ地震津波が、日本にまで押し寄せたよせ、大被害を及ぼしました。
ちなみに、物理学者メイマンさんが、ルビーによるレーザー発振に成功、というのがあります。
1987年は、
JRの民営化がスタートした年です。
中曽根内閣から11月に竹下内閣に変わっています。
バブルの真っ只中です。
大韓航空機事件を含めて、飛行機事故が多い年だったようです。
ニューヨーク株式市場で、「暗黒の月曜日」がありました。
利根川進さんがノーベル賞生理学・医学賞を受賞。
私事(?)としては、鶴田浩二さんがなくなった年です。
岸信介さん、石原裕次郎さんも、この年なくなりました。
スケートの安藤美姫さんは、この年の生まれです。
1990年は、
11月12日に「即位の儀」が行われています。
大蔵省が「土地関連融資の抑制について」(総量規制)を通達した年
です。
イラク軍がクエートに侵攻し、東西ドイツの統一が行われた年でもあ
ります。
ネルソン・マンデラさんが28年ぶりに釈放されています。
ソ連でゴルバチョフさんが、初代大統領に当選しています。
イギリスでサッチャー首相が辞めています。
ポール・マッカートニーが初来日です。
自民党が衆議院で安定過半数を取り、海部内閣ができた年です。
※1989年1月7日に昭和天皇がなくなっています。
ちなみに、松下幸之助さん、美空ひばりさんも、89年になくなっています。
1991年にバブルは終わっています。
1996年は、
橋本内閣の時で、ペルー大使館事件があった年です。
Oー157が表れました。
小選挙区で初選挙です。
ダイアナさんが離婚しています。
「EQ−心の知能指数」はこの年の本だそうです。
1ドル=79.75円になったのも、この年です。
前年にもんじゅ事故、阪神大震災、オーム事件がありました。
この年の前後あたりから、日本でも、インターネットが、使われはじめたように記憶しています。
もっとも、外国やIT関係の会社では、もう少し前から使っていたようですが。
ちなみに、この前の年にウインドウズ95というOSが発売されました。
オフィスで見かけるPCは、まだ、NECのPC-98か、アップルのものが多かったです。
98というのはウィンドウズ98ではなく日本電気のPCのことです。
私など、この当時はまだまだ、マッキントッシュと言えば、イギリスの高級オーディオ・メーカー、の名前の方が浮かんでくるくらいでした。
※ちなみに、1995年に「11月
16日:マイケル・ジャクソン、250曲のビートルズ作品の音楽著作権をソニーに売却との報道。 」
とありますね・・・。
これは事実ではないようですが。
2002年の記事には、
「マイケル・ジャクソンは1985年
にビートルズの楽曲の権利を約3200万ポンドで購入したが、1991年にその半分をソニーに約7000万ポンドで売り渡した。その後マイケルは90年代
の半ば頃、残り半分の楽曲の権利を担保にソニーを保証人とし、1億4000万ポンドの借金をしたという。今回、ソニーはその返済の肩代わりに現在4億
2000万ポンドの価値があるとされるビートルズの権利を得ようとしているらしい。」http://oops-
(music.com/info/view_news.html?nid=3641 より引用)
というのもあります。
マイケルは約100億円でビートルズの著作権権利を買ったようですが、今は半分しか持っていない、というのが事実なのでしょうか。
あまりに、いろいろな情報があり、良く分かりません。
どうも、マイケルとソニーで半分ずつ持っているようではありますが。
マイケルが購入する際、ポールは「心情的に買えない」理由があったようですが、どうも、あれは、他人が持っていると、あまり良くないのかもしれません。
運を良くしたいなら、試しに両人とも、どこかにまとめて寄付したらどうでしょうか(問)?
1997年は、
香港が中国に帰ってきた年です。
アジア通貨危機があり、日本以外の多くのアジアの国が被害を受けました。
北海道拓殖銀行、山一證券が破綻しました。
ダイアナ妃がなくなっています。
神戸殺人事件がありました。
9月5日にマザー・テレサさんがなくなっています。
ちなみに、星新一さんもこの年なくなっています。
ポケモン事件もありました(暗い部屋では・・・)
国内オーディオ・レコード(CD,テープ含む)の売り上げがピークだったようです。
なお、今年:2005年は何かすごい年のようですので、これまでの大
きなできごとを書いておきます。
3月にスマトラ島沖地震がありました。
4月2日ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がなくなりました。
4月9日北京で反日デモがありました。
4月25日、JR西日本の事故がありました。
5月1日北朝鮮が日本海へミサイルを打ちました。
5月6日プロ野球交流戦がありました。
6月27日明仁天皇、美智子妃殿下が太平洋戦争戦没者慰霊のためサイパン島を訪問
8月29日ニューオリンズに「カトリーナ」被害
9月11日自民党圧勝
その他、世界的に洪水、飛行機事故、テロ多し。
日本は、地震多し。
その他http://ja.wikipedia.org/wiki/2005%E5%B9%B4 には、
- 日露通好条約調印から150年
- 日本海海戦、日露戦争終戦から100年
- 広島・長崎に原子爆弾が投下されて60年
- 第二次世界大戦(太平洋戦争)終戦から60年
- 自由民主党結党50年
- 日韓国交正常化40年
- ベトナム戦争終結から30年
- 日本航空123便墜落事故発生から20年(8月12日)
- 阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)発生から10年(1月17日)
- 地下鉄サリン事件発生から10年(3月20日)
※関東大震災発生から82年(9月1日)
のようにあります。
こんなに10年くぎりになっている年は、そうないように思いますが。
ただし、何を意味しているのかは分かりませんが。
で・・・
何か分かったかと言えば、良く分かりません。
何となく感じるのは、日本だけで見てみると、確かに、日常生活に”大きく”関わってくるような出来事は多いかな、とは思います。
もっとも、重大事項ばかり集めた訳ですので、それをすれば、どの年だってそのような傾向はあるかとは思いますが。
ですので、今度は1996年以降くらいから記憶を辿っていくと・・・
確かに、今までに無いような大きな自然災害は増えているようですね。
これは、池田邦吉さんのノストラダムスの予言の解釈が当たってきている、と解釈しても良いと思います。
但し、自然災害が人為的な波動の悪さなどによるものなのか、小松さんの言うような宇宙からの高い波動のせいなのか、良く分かりません。
私の手元には池田さんの1999年発行の古いノストラダムス本がありますが、その限りでは、ヨーロッパ、中国、日本などは出てきますが、アメリカが登場し
ま
せんので、日本にいながら世界規模で眺めてみる場合、見渡しにくいところがあります。
その後、解明も進んでいるはずですので、多くの解釈が違って来ているのだとは思いますが。
加えて、何らかの理由で、決まっていた未来が変わってきている可能性もあるかと思います。
池田さんの最新の解釈が見たいところです。
日本ではヨーロッパで頻発している洪水などのニュースは、あまり報道されませんので、それがどれほどのものなのか分かりませんが、確かにヨーロッパでは、
自然災害が起きているようです。
自然災害が、宇宙からの波動によるものであるなら、そして小松さんの言うような倍率で増えるのなら、これから起きる自然災害は池田さんの解釈に近いものに
なる可能性もあります。
しかし、その波動によって自然災害が起こる、ということにより、時空はどうしようとしているのでしょうか?
どちらかと言えば、その波動で、自然が良い方向に生まれ変わる、というような現象の方が、”高い波動”であることが分かりやすいようにも感じます。
もっとも、小泉さん式に、まずぶち壊す、ということなら、そういうことか・・・とも思えますが。
フラクタルを考えれば、地球と自民党に、それを見て取れるでしょうか?
良く分かりません。
ひょっとしたら、これから分かるかもしれませんが。
なにせ、今は第二段階で、「毎年100倍」で宇宙エネルギーの流入が増えているようです。
これが真実なら、今年は去年(2004年)のまた100倍、一昨年(2003年)の10、000倍ということです。
今巷で「お笑いの寿命が短くなっている」と言われていますね。
要するに一つのブームが以前と比べて異常に短い、ということですが。
ひょっとすると、これはさらに短くなってくるかもしれませんね。
しかし、これが短くなりすぎると、何がブームなのかさっぱり分からなくなってきそうです。
但し、本物は分かりやすくなってくるでしょう。
この状況下で、ずっと続くものは、本物の可能性が高いですね。
民主党の寿命が短いとなると、なるほどということになってしまいます。
しかし、小泉政権もブッシュ政権も長く続いていますので、そう簡単な話でもないようです。
また、私の感じでは機械の寿命のようなものは、長くなっているように感じます。
これは、3次元的に技術が発達した、ということに加えて、宇宙波動の影響も大きいのかもし
れません。
更なる
加速 (2)
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3次
元的ではありますが・・・
昨年より100倍の宇宙エネルギーが、今年は来ている、来年はそのまた100倍、そして、2007年からは毎年10万倍。
今まで原因が分からず、うまくいかなかった人や、なぜか、進歩や成長が遅い、と思っていた人などは、とても希望が持てますね。
本当に加速しているのか、何か適当なデータがないか、と思っているのですが、いま国勢調査をやっていますが、日本の人口の減少は、どうも加速しているのか
もしれません。
調査結果が興味深いです。
それによって、年金関係の法律なども、変わってくるかもしれません。
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PC,CPUの速さなどは、これは一体、宇宙エネルギーのせいなのかどうか分からないほど加速していますので、あまり良いデータではないかもしれません。
ワードを立ち上げるのに1分かかっていた10年間の私のIBMのノートパソコンは、一体なんだったんだ、と思ってしまいます。
液晶画面と言いますか、コンポーネントとしての液晶パネルは、加速しているかもしれません。
ここ1年で急に、液晶ディスプレイなどが安くなったとは、思わないでしょうか?
私が今使っているシャープ製の液晶ディスプレイは、昨年の10月くらいに中古で2万円くらいで買った15インチです。
当時、秋葉原中回っても、これで相場か、安いくらいでしたのに、今日では、新品の17インチが、2万から3万円の間で売っています。
しかし、加速の実体はこんなところに表れているわけではないでしょう。
むしろ、プロ野球にそれを感じます。
ここ1,2年のジャイアンツの人気の減少率は、速すぎると感じます。
また、交流戦の始まり方が、急でした。
当然の成り行きとも見えますが、従来、同じようにストが起きても、2,3年は掛かっていたのではないかと感じます。
何かが後押ししている、と思えないこともありません。
船井さん式に言えば、「宇宙の理」に沿うような方向へ曲げたものは、急激にそちらへ曲がっていくということなのかもしれません。
但し、「宇宙の理」とは、必ずしも、一般的に信じられている「正しいこと」とは、一致しません。
船井幸雄さんの言っていることを引用すれば、
4:開けっ放し:
秘密がなくなり、情報独占による利権・利益を守る必要なくなる。
知識共有により、技術が飛躍的に発展する。
ですので、著作権保護などは、いけないようです。
5:自由:
「地球の理」では、際限のないエゴを抑えるため、束縛が必要。「宇宙の理」では束縛必要なし。
本当に自由な世界では、人のさまざまな能力が発揮される。
いつの頃からか、なにかあると、すぐ、マニュアル、マニュアルと言う人が多いですが、基
本的には、一人一人の精神レベルと良識度が十分であれば、特別なこと、だけルール化しておけばそれで、良いはずなのです。
たとえば、「個人情報を漏洩しない」、だなんてことは、当たり前なのです。
それを法律にしたりマニュアルに書いたりしたりしているのが現状です。
またそのマニュアルで育ったマニュアル世代が、「マニュアルに書いていないことなら何でもして良い」と思うような人間になっているようです。
今までは 前提として、「ルール化されていないものは、個人の裁量に任せる。社会人であるのだから、最低限やってはいけないことと、最低限知っていなくて
はならない知識はある。」ということだったのです。
がんじがらめのマニュアルで学生アルバイトを教育したりしているような企業は、もっと社会的な影響を考えるべきでしょう。
マクドナルドが給与計算の問題で大変なことになっていますが、労働基準法では、ちゃんと1分ずつ計算しなくてはいけないようです。
マクドナルドでは30分未満切捨て、をしていたということですが。
労働基準法では、30分以上を切り上げるのであれば、30分未満を切り捨てても、常に労働者が損益をこうむる訳ではないので良い、としているようですが、
これは、何となく納得できます。
私は、1社を除いて基本的に、中小企業でしか働いたことがありません。
また、学生アルバイトがたくさんいるようなところでも1社を除いて働いたことはありません。
アルバイトがいたとしても、ちゃんとした”大人”の場合が多かったです。
そのせいでしょうか、それとも、これが正しいからでしょうか、時には、「今日は〜で大変だったから、残業は1時間で付けといて」とか、出張先でも、「少し
早いけど、もう行くところが無いから、切り上げて、飲みにでも行こうか」というようなことは頻繁でした。
その代わりでしょうか、仕事か仕事でないか分からないような”接待”のようなことでも、別に残業代など貰わずに、夜中まで付き合うこともありましたし、休
日、ちょっと出勤した場合や、分刻みのような残業代をいちいち請求するようなことは、ほとんどしませんでした。
いろいろ言う人はいるかと思いますが、私はこれで正しいのだと感じます。
当然、一挙手一動足までマニュアル化して、その状態があたかも社会の常識のように教え込むようなことをしたら、それで育った人間は、労働基準法をマニュア
ルとして捉え、訴えるでしょう。
それがマクドナルドの姿なのではないかと考えます。
アメリカ育ちの企業だという感じもします。
アメリカは訴訟社会だとは言われています。
サンフランシスコに長くいた友人は、「近くにMs.
Sueと呼ばれている人がいる。訴訟ばかり起して、大金持ちになっている。その代わりか、いつも大勢のガードマンに囲まれている」と言っていました。
米マクドナルドで、マタの間に熱いコーヒーを挟んでいて、それが毀れてしまい、火傷をしてしまった、おばあさんが、訴訟を起して勝訴した話は有名です。
しかも、確か相当な大金を得たようです。
これは、極端なマニュアル社会を、うまく現している現象だと思います。
「マニュアルに書いていないことをすることを絶対に許可しない代わりとして、どんな状況でもマニュアル通りにやれば、そこで起こった事象については、当人
には一切責任はない」
ということなのでしょう。
もちろん、未知の機械が登場した場合や、その人がその状況で当然持っていなくてはいけない常識を超えるようなことがあるような場合には、上記のようなこと
も、あり得るでしょう。
そうでない場合には、なしです。
何かあると、「マニュアルを強化しなくてはいけない」という人、あるいはそういった社会、団体は、人間が知能、五感、生命体、高次元といった複合能力で生
きていることを知らないのだと思います。
おそらくは、知能、経験といった脳だけで生きていると思っているのかもしれません。
良くテレビを見ていると、評論家たちは「最近の若者は想像力がない」と言います。
たとえば、先達てあった、教室に爆弾を投げ込んだ生徒の事件や、両親を殺害して逃亡した高校生のときなどですが。
あれは、想像力があれば、良かったのでしょうか?
どうも違うように思います。
想像力は、創造力ではありませんので、その根本となるものは、知識と経験という脳によるものです。
爆弾を投げたら人が傷つくとか、教室が壊れる、ということは、きっとその生徒も分かっていたでしょう。
知識と経験で分かります、いくらなんでも。
知っているから投げこんだとも言えます。
それを意図してそうやったのでしょう。
その意味では法律をマニュアルだと思っている人にとっては、今度は、「爆弾を教室にみだりに投げ込んではいけない」と書き足さなくてはいけません。
そうではなく、つまり、想像力というような脳の解析力ではなく、「爆弾を投げ込んで人を傷つけたり、公共のものを壊してはいけない」、ということは、五感
や、生命体が判断するのだと思います。
ですので、仕返しのために爆弾を作ろうか・・・と思った瞬間に、「止めよう」と感じるのであって・・・
あるいは、爆弾を投げよう、とした瞬間に「止めよう」と思うのであるのです。
偏差値教育の弊害とはよく言ったもので、その弊害を一般論ではなんとしているのかは分かりませんが、人間が知能と経験という脳による判断だけで生きている
と定義し、それに沿った教育をした故の弊害が、今の姿である、ということは確かなようです。
ゆとり教育を採用したことにより、学力が落ち、また、ゆとりを無くすそうですが、「ゆとり」を一体何に使っていたのでしょう?
クラブ活動などに使っていたのか、よく知りませんが、きっと、そのクラブ活動でも、 知能と経験ばかりを鍛えるようなことをしていたのではないでしょう
か?
そうではなく、もっと意図して、五感、精神エネルギー(生命体 の力)、高次元との関わり、と言ったものを、育てなくては、いままでと同じことです。
私は今の暗記主体の教育環境下における学力がそれほど大事だとは思っていませんが、学力が落ちるもの頷けます。
五感、精神エネルギー(生命体 の力)、高次元との関わり、と言ったもの
が、超能力者ほどでなくとも、30年前の一般的日本人ほどに育てば、「爆弾は人に投げてはいけないよ」ということくらい、生命体か、高次元が教えてくれま
す。
それほど極端な話でなくとも、たとえば先だって、遊園地で足の不自由な人を何かアトラクションに乗せて、事故を起してしまったことがありましたが、担当者
のアルバイトは、マニュアル通りにやって上司に確認したようですし、上司である社員もどうもマニュアル通りにはしたようです。
そのニュースにコメントした人は「マニュアルを強化しなくてはいけない」と発言していました。
マニュアルはきっと、「体の不自由な人が乗車する場合には、上司に確認の上、乗車の可否を判断すること」のようになっていたのでしょう。
私は、これで問題ないと思います。
問題があるのは、「体が不自由な人」に場合によっては乗車を許可するというのなら、「現場にいてその人の状態が一番わかる人間が、可能な限りその状態を確
認し、それを上司に伝えること」ができていたか?であり、その報告を受け取った上司は、「その報告で十分、乗車が安全であるかどうかを判断できる内容であ
るか」を判断できていたか、ということなのだと思います。
人が知識と、経験だけの物体なら、このようなことは”専門家”でない限り判断できません。
何の専門家かと言えば、この乗り物の設計の専門家、医学の専門化、あるいは物理学か力学の専門家など・・・ということです。
しかし、当たり前のように、五感、精神エネルギー(生命体 の力)、高次
元、と言った少し前まで人間に普通にあった能力を使えば、「私には、この
人がこの乗り物に乗って100%大丈夫かどうか、判断はできない。人の命が関わっていることだから、お断りしよう」という答えが、現場の人にも、上司とい
う社員にも、感じられたはずだと思います。
ここで、間違えてはいけないのは、仮に「この人は両足が悪いので、踏ん張ることが出来ない→よってこの乗り物は危険である」という物理的な知識がないか
ら、この両人は間違いを犯した、”想像力がない”というのは、間違いだと思います。
もし、上記のような「この人は両足が悪いので、踏ん張ることが出来ない→
よってこの乗り物は危険である」という”想像”ができた人は、それは、いくばくかでも、五感、精神エネルギー(生命体 の力)、高次元、といったものの力が使えているので、「この人の命が大切だ→考えるべき私の知識はどういうことだ→こう考えられる」
となったのだと思います。
そんな物理的知識なんかなくとも、五感、精神エネルギー(生命体の力)、
高次元の力を使えていたなら、きっと、「これは、上司に見に来てもらった方が良い」とか、「これは、お断りするか、一度現場を確認しに行こう」というよう
な回答を感じられたはずだと思います。
と、何の話をしていたか分からなくなりましたが、要するに、法律や、マニュアルでがんじがらめの世の中から脱して、自由、束縛なしにするには、知識、経験
に偏った人間の育て方をするのではなく、五感、精神エネルギー(生命体
の力)、高次元との関わり、といったものを育てる必要があるのだろう、ということです。
みなさんはどう思いますか?
※この裁判で遺族は処罰を希望していない、というコメントを出しています。
きっと、遊園地の人は、少なくとも、誠実に対応したのでしょう。
6:公平:
特権階級の搾取なし。誰もが豊かな生活をする。本当に能力のある人、がんばった人が評価される。不要なストレスなく、病気がなくなる。
10:長所進展:
いいところを伸ばし、生成発展する。苦手・嫌いなことはする必要はほとんどなし。
得意・好きなことの追求で、発展していく。
長所を伸ばすことにより、短所を気にする必要なくなる。
ですが、よく有名な大学教授から国会議員になった有名な人が、「国会議員の給料を
上げなくては、良い人材が来なくなる」とテレビで発言していますが、私はこれは間違いだと思います。
仮に、全ての職業の給料水準を一緒にして、その中で、がんばった人が、がんばった
なりに給料をもらえる、としたら、一番その職業にあった人が、その職業に付くだろう、と感じます。
Jリーグが人気爆発のころ、プロ野球では、「優秀な人材がみんな、サッカーに行ってしまう」と発言していました。
これは、給与が同水準なら、もっぱら、”人気”がそうさせたのだと思います。
しかし、もし、野球も、サッカーも、相撲も、同じ人気で、同じ給与水準だったら、
何にかの理由でスポーツ選手になりたいと思っている人は、どの職業を選ぶでしょうか?
それは、簡単な話で、もっとも能力があって、もっとも好きなものを選ぶことでしょ
う。
やれ、プロ野球の方が、給料が高くて、とか、ジャイアンツに入れば、引退後もキャスターとして活躍できる、とか、そういった余計なことはまったく考えない
ようになるはずです。
同じ理由で、全ての職業、つまり、スポーツでも、芸能、音楽、政治、経営、雇用さ
れる人、肉体労働、知能労働・・・が、同じ給与体系で、同じ給与水準なら、人は、その日とにとって一番能力があり、一番好きな仕事をやるはずです。
能力がなくとも、政治家はえばれるので、 成りたいという人がいたらどうする?と
いうかもしれませんが、別に同じ給与体系なのですから、政治家がえばるということも無いでしょう。
権力を使って人に頭を下げさせられる、という人がいるかもしれませんんが、全ての
職業が上記のような状態の世の中になっているのなら、きっと、そのようなことはないでしょう。
一体権力をどこに、どういうように使うのでしょうか?
たとえば、今なら、建築業界に強い政治家が、建築の利権と取引して権力を使う、ということも考えられますが、上記のような世の中なら、A社とB社があって
も、それは、好きで得意だからやっているのであって、給料をたくさんもらえるからやっているわけではありません。
ですので、自分の能力で相手の会社よりすごいことをやってやる、という気持ちはあっても、給料が同じなのに、どうして、そんな非人間的なことをして、いや
なやつに頭を下げてまでして、権力を使って相手を叩き潰す必要があるのだろうか?
と思うのではないでしょうか?
政治家も、自分はこれが得意で好きだからやっている仕事であって、別に権力が欲し
いわけではないし、そんなことには興味はありません、と思うのではないでしょうか?
そうであれば必然的に、国のことをやりたいしそういう能力のある人は政治家になる
でしょう。
きっと今の政治化の30%(適当です)くらいの人は、また政治家になるでしょう。
また、きっと今の経営者の20%(適当)くらいは、学校の先生になるでしょう。
そして、経営者のやはり20%(適当)くらいは政治家になるかもしれません。
お医者さんの50%(適当)くらいは、違う仕事をするかもしれません。
ヒーラーの50%(適当)くらいはお医者さんになるかもしれません。
ヤクザの組長の30%(適当)くらいは、政治家になって、20%(適当)くらいは
学校の先生になるかもしれません。
食品会社の商品開発担当の50%(適当)くらいは、シェフになるかもしれません。
逆もあるでしょう、シェフの何%かは、食品会社に入って、もっとおいしい惣菜を大量生産したいかもしれません。
好きなことをしていれば、ストレスは、きっとほとんどないでしょう。
共産主義がだめなのは、好きなことをさせているのではないこと、一番得意なことを
させているのではないこと、平等と言っているくせに特権階級がいること、でしょう。
ここで語ったのは、決して共産主義ではありません。
7:融合:
バラバラだったものが、融合し、本来の目的のため機能する。縦割り行政、セクショナリズムなどなくなる。学問とビジネスの壁もなくなる。全体的に捉えるよ
うになる。
8:アナログ:
有機的・連続的に捉え、全体として判断する。
欠点よりもそれを上回る長所があれば、結果だけでなく過程も評価する。
多数決のような横暴はなくなり、少数派を大切にする。
本当は例外、少数派こそ大切である。
9:効率的:
「ムダ・ムラ・ムリ」がなくなり、必要のないものが、はっきりする。対立もなくスムーズに物事が運ぶ。
IT化が「ムダ・ムラ・ムリ」を解消し、中間コスト削減で物価が安くなる、としています。
新しいDVDの規格も、みんなが同じ給与水準で、みんなが好きで得意な職業をやっ
ているのであれば、問題なく方が付くのではないでしょうか?
切磋琢磨しても良いですが、できあがったものの中で一番よいものを選べば良いので
す。
できたものが、素晴らしいものであったなら、1企業が覇権を握る必要もなくなりますし、経営者を下ろされることもなければ、開発部門から外されることもあ
りません。
出世と言っても、経営の能力のない(好きでない、得意でない)人は経営者になったりしませんし、経営者も開発者も同じ給与です。
こうであれば、もっと早い段階で、両陣営は共同開発ができ、もっとよいものができ
たかもしれません。
「しかし、競争があったから、良いものができたんだよ」というかもしれませんが、それは「嫌いな職業に、給与や見栄で付かなくてはならない人が多かったか
ら、競争原理を使うしか、良い物を作ることができなかった」というのが、正しいように感じます。
きっと評価基準も違ってくるのだと思います。
おそらく、「どれくらい売り上げに貢献したか」ではなく、「どれくらい、その職業を愛したか」になってくるのではないでしょうか?
何をして、”愛した”になるかですが、3次元的には、きっと、「業績」に似たもの
になっているかと思いますが、そのときが来たのなら、高次元的な判定がされるのかもしれません。
良く分かりませんが。
今でも、それはできるかもしれませんが。
0−RINGテストや、キネオロジーテストを使ってですが。
ただし、その時には、きっと評価をしても、甲乙付かないのかもしれません。
そうなると、評価もいらなくなりますね。
もうその職業に付いた時に、すべてがうまく行くことが決まっているのかもしれません。
更なる
加速 (3)
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「エネルギーの加速は、
光の強さに関係するので、どんな事も隠しておけなくなり、「隠れていた真実の
各層」が「必然的に現れる」こ
とになります。
けれども、何が起こる
にせよ、私たちの力も「各瞬間ごとに増える」わけです
から、基本的には心配することはありませ
ん。
必要なことは、「その
力がすべり落ちるのに任せ」ないで、実際に「その力を
使」うことです。」
ですが・・・
これは、要するに意図すれば、良いのでしょうか?
もう少し詳細に言えば、いろいろな事実(良きにつれ、悪きにつれ)出てくるが、宇宙からそそぐエネルギーを得て、それらを正確に判断し、そして、その新し
い知識と宇宙からのエネルギーを使って、”正しく”意図する、ということになるでしょうか。 |
とにかく、私には、今はこうだとしか判断できませんので、そうしてみようと思います。
「どんな事も隠しておけなくなり、「隠れていた真実の
各層」が「必然的に現れる」」
ということですが、どうも、高次元関係の情報については、確かにそうなっ
ているようですね。
現在までいろいろと出てきていますが、これからもっと出るでしょうし、ひょっとしたら、今ですら、「えっ、こうだったんだ」と思っているようなことです
ら、更にひっくり返ることもあるかもしれません。
この隠しておけないとは、
1:3次元の中ですでに知られていることなのに、多くの人には知られていなかったこ
と(情報手段の関係、あるいは意図して隠していた、広まらないようにしていた)
2:3次元に今までもあったのに、一部の人にか知られていなかったこと、
(意図して隠そうとしていたわけではないし、情報手段が決してないというわけでもな
いが、世間が興味を持たなかった、あるいは重要、有益であることを知らなかった)
3:3次元に今までもあったのに、だれにも知られていなかったこ
と、
4:
3次元には一度も登場していないこと、
などいろいろあるのでしょう。
(1と2は、少し検討の余地ありです。)
今日ネットを見ていましたら、面白いものを見つけました。
http://homepage3.nifty.com/alien-ecology/alien_modoki.htm
にあるのですが、クロフネタマガイという貝がいます。
これは、なんでも、足を覆ううろこが金属製なんだそうです。
見つかっている生物としては、これが初めてのようです。
これは3でしょうね。
また、森田健さんの六爻占術も3ですね。
盲師派推命術は2でしょうか?
1かもしれませんが、伝承という意味では1かもしれませんが、別に占ってくれ、と言えば、だれでも占ってもらえたもののようです。
1は、厳密には外に出ている情報ながら、出す手段が、限られていたので、「一般には知られていなかったこと」、と、「秘密にされていたので出されなかった
もの」(意図して)、の2つがあるでしょう。
1は、インターネットによって、次々に多くの人のものになりつつあるようですね。
もちろん、中には、知られて困る、というものもあるようですが。
爆弾の作り方などは、その種のものでしょう。
ものの価格などは、最安値が、どこに住んでいようが分かってしまいます。
(もちろん、ネットに載っていないもので、もっと安いものがあるときもある)
筑紫哲也さんがテレビで「今回の選挙結果はマスコミのせいだと言われていますが、私たちの番組ではそのようなことはありません。むしろそんなことを言うの
は一般市民を馬鹿にしていないでしょうか」
というようなことを言っていました。
確かに、あのニュー番組だけが、「自民党から刺客候補という言葉を使わないでほしい、という申し入れがあった」と言っていた様に思います。
おそらくは、オーム事件のときの不祥事により、他の番組よりも、そういうことに対して、誠実に対応しているのでしょう。
ただ、基本的には、アメリカ資本によるマスコミ操作があったことは、事実の可能性が高いですし、番組によっては明らかにそういうことを連想させる内容のも
のもあったようです。
筑紫さんが自分の番組では、「きとんとやった」ということを言うのは、それはそれで良いと思うのですが、あの「マスコミ操作によって、投票結果がこのよう
になたというのは、一般市民にとって失礼ではないか」という意見は、もっと、「自分の番組によっては、そういうことはなかった」という点を強調すべきだ、
というような気がします。
あれでは、「全TV番組において、マスコミ操作疑惑がなかったことは、疑いの余地は無い」と言っているように聞えてしまいます。
私は、基本的に操作したり偏向していても良いと思います。
ただし、そうならば、立場をきちんとしてほしいと考えます。
たとえば、
「この番組はスポンサーの意向により、○○党を応援しています、○○法案を支持しています。」
「TV局の方針により、○○党支持の方向で作成しています」
とテロップを入れるとか、ですが。
あるいは逆に、「私どもは中立の立場で番組を制作しています」
でも良いのですが。
当たり前のようにスポンサー、つまりお金を出してくれる人がいるので、番組ができていることは、もう一般市民にとっては明白な事実です。
そして、スポンサーは広告代理店を通じてしかCMを出す、つまりスポンサーになれない、ということも多くに人が知っている事実です。
あれだけセットにお金がかかって、あれだけ法外な出演料をもらっていて、スポンサーに頭が上がらないのあろう、ということも、働きに出たことがある人に
とっては、ほとんど事実です。
また地方に大きく根を張る企業が、その選挙区の票田になっているのも、当たり前です。
そうであるなら、まったく偏向していないということもないでしょう。
絶対していない、というのなら、子供番組で、甘いお菓子のスポンサーがついている番組で、堂々と、「歯が悪くなるし、健康に良くないから、甘いものはほど
ほどにしましょう」とでも、言ってみてほしいと思います。
「言う」、ということをしないまでも、「言わない」ということは頻繁にしているのだと思います。
筑紫さんの発言は、もっぱら従来メディアである新聞などの論調に対してではなく、もっぱらインターネット上で論調に対するものであるように感じます。
今までは真の意味でのマスメディアはTVでしたので、そこで操作してしまえば、それで済んだことが、これからはインターネットにより、そうは行かなくなっ
てくるでしょうし、もうなりつつあるのだと感じます。
また、どうしても、事情の分かっている身内同士ですので、テレビ局が他のテレビ局の実体を報道することなど、刑事事件のようなこで無い限りなかったでしょ
う。
もちろんネット上には嘘の情報もありますが、実に真実な情報もあります。
しかしながら話は簡単で、嘘を付かなければ良いのです。
偏向しているなら偏向している、と表明すればよいのだと思います。
事実を報道しているのなら、表明の上、「自民党がこんな良いことをしました」ばかり報道していれば良いのだと思いますし、「○○党がこんな悪いことをしま
した」ばかり報道していれば良いのだと思います。
もちろん、その逆でも良いのですが。
当然、どうでも良い嘘は構いませんが、国体を操作するようなものや、人の一生が掛かっているようなものに関しては、これからは誠実な方が良いのでしょう。
但し地上波デジタル放送が始まるのが2012年の予定だと言うのは、なんとも、不思議な気がします。
ひょっとしたら、地上波デジタル放送はないかもしれません。
もちろん、その間、何が起きるかによるとは思いますが。
更なる
加速 (4)
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「
4:3次元には一度も登場していないこと」、ですが、これは、正に高次元のことです。
高次元のこと、と言いましても、もちろん、1も2も3もあります。
1,2,3とは、
1:3次元の中ですでに知られていることなのに多くの人には
知られていな
かったこと
2:3次元に今までもあったのに、一部の人にか知られていなかったこと、
3:3次元に今までもあったのに、だれにも知られていなかったこと、
ですが。
流れを見ていますと、1や2の中には、実はそうではなかった、というものも出てきそうです。
睡眠退行治療による、あの世ことや、生まれかわりのことなどは、ひょっとすると、一般的に言われてきたことは、事実ではなかった、〜〜こうだった、となる
のかもしれませんね。
|
ただ、面白いのは、飯田史彦さんが本に書いているようなことですら、実は一般で言えば、
それほど知られていなかったことなのですが、今森田健さんなどが、
「本当の事実」に直面したりしています。
もし、森田さんが「生まれ変わりの村」で探っていることから新しい事実が発見されるとしたら、退行睡眠によって”明らかにされていた事実”とは一体なん
だったのでしょうか?
少なくとも、表向きは、「事実を知らせたくない存在によって、操作されたようなことではない、と感じます。
実際、そこで語られていることは、それが信じられるなら、とても生きる喜びを感じるものでありますし、がんばろうという気持ちが沸いて来るような内容で
す。
むしろ、あれが事実であった方が良いとさえ感じます。
しかし実際は、死んだ直後に行われるという人生の早回し映画はなく、間違いをしてくれる存在も登場せず、「生まれ変わりの村」のようにたんたんと死後を送
り、自然に生まれ変わってくる・・・としたら・・・
ひとつ思いますのは、いきなり「事実」が分かったとしても、それを人間はきっと受け入れにくいだろうと思った何らかの存在が、まずは、受け取りやすいよう
に脚色されたものから、広まっていくようにしたのではないか?ということです。
一人前の大人でも、飯田さんの本ですら受け付けられない、という人はたくさんいます。
それでも、飯田さんのサイトを見てみますと、私の感じるブーム時期から数年経っているのに、今でも講演にたくさんの人が来ているようです。
累計すれば、ブーム時期と比べて相当多くの方が、飯田さんの話に耳を傾け、興味を持っているのだと思います。
別の視点から考えると・・・死んでもなんともなく、簡略して言えば、「そのまま生きているのと同じような世界が続き、また生まれ変わる時期が来たら、自然
に生まれ
変わる」、だんなんてことを精神レベルの低い人が聞き、信じてしまったら、自殺し放題、人殺しし放題になってしまうかもしれません。
現状、そのような考えを起しそうな人が、その人にとってもっと楽しいこと
を差し置いて、森田さんの本などを読んだりするようなことはないようですが。
これから地球の波動が上がり、人の波動も上がって行った後には、多くの人が興味を持つだんんてことではなく、日本のどこかの秘境の地域で、日本版「生まれ
変わりの村」が登場しているかもしれません。
「今までも言いかったのだけれども、言ったら、変な人だと思われるのが関の山だったので言わなかっらけれども、これほど生まれ変わりが、当たり前になって
きたので、もう言ってしまおうと思いました」
なんてコメントがニュースで聞ける日が来るのかもしません。
思いますのは、5次元の存在、いわゆる守護霊という稼業(?)を行っている存在ですが、彼らは、何度も生まれ変わりをしている訳ですので、「本当は、生ま
れ変わりの村の情報が事実かどうか?」ということは聴けば知っているのだろう、ということです。
池田邦吉さんの本には、ある新興宗教の教祖が池田さんとノストラダムスの関係を知りたいということになり、教祖がいつも教えを受けている神に聞いたとこ
ろ、「分からない」と言われ、池田さんが「それでは、創造主に聞いてみたらどうですか?」ということになり、教組が聞いてみたら、「御魂分け」である、と
いうことを教えてくれた、という話が掲載されています。
是非霊能者の方で興味がある方がいたら、5次元の存在か、創造主に聞いてみてほしい、と思います。
ただ、5次元の存在には、聞いてみた人もたくさんいて、今の状況ですので、是非、創造主に聞いてみてくれたら、嬉しいですね。
確かに、精神レベルの上昇にあわせて(同期して)、事実が明らかになっているのだろう、と思えます。
更なる
加速 (5)
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横道に逸
れますが、ネットで「シンクタンク藤原事務所」の掲示板を見ていましたら、投稿で、
「2012年の黙示録」
というサイトの紹介がありました。
このサイトは「2012年の黙示録(たま出版)」という本を書いている”なわふみひと”さんという人のサイトのようです。
基本的には、小松英星さんと同じような内容のようですが、「魔法の杖」という
ページが面白いです。
要するに、「ネットの問い」と言いましょうか、「ネットのフーチ」とでもいうようなもので、問いを発して、クリックすると、答えがでてくる、というもので
す。
実は私はこういうものを信じています。
|
江原啓之さんによると、「おみくじ」も、吉とか、凶とかを見るのではなく、書いてある文言を読むべ
き、と書いていますが、要するに、「おみくじ」は時空全
体なのか、神なのか、守護霊なのかが、高次元からの答えが「聞える」ような霊能力のない人が発した問いに対して、回答を発信してくれるひとつの道具として
捉えるべきのようです。
それと同じような発想で、私はユング式な易をやったりしますが、どうも、このサイトの回答は、実に私にとっては適切です。
ちなみに、どんな感じだったかと言えば、
「○○をまたやろうか?(謙虚)」→「自分はなんでもできるということを、忘れているようですね」
「○○になろうか?(夢みてる)」→「それが本当にあなたのやりたいことですか?」
「また○○でもしようか?」→「思ったことをやってみるべきです(正確に覚えていない)」
「○○してみようか?」→「やれば、あなたの限界を知ることができます(正確には覚えていない。突破できる、だったかもしれない)」
でした(笑)。
ちなみに、昨日振った易では・・・
増田俊夫さんが、
「株の日経平均は、どうやら3万円どころではなく5万円にまでなりそうだ」
と書いているので、
「すぐ株を始めたほうが良いか?」→「もう少し待て」
でした。
「船井オープン・ワールドで、何か起こるか」→「争いごとが起きる」
それは・・・それでは、私にとっては何が起きるか、にしてみようか・・・
「船井オープン・ワールドで私にとって何か起きるか?など」→「金銭、物の所有が増える」、「何をやってもうまく行く」
「それは違う仕事を始めるという
ことか?」→「一時
地方に逃亡したほうが良いです」
なんだ、それは?
一体どういうことでしょうか(興)?
六爻占術のように詳細が分かりませんので、何がなんだか分かりませんね。
もうひとつ、横道ですが、
鈴木実という、どうしようもなく性格の悪いレスラーがいますが、この人は私とほとんど同い年です。
UWFの第二次のメンバーでもありますし、アポロというレスラーと昔、歴史的な試合をしたこともありますし、パンクラスの二代目のチャンピオン(確か?)
だったこともあります。
今また、プロレスに戻ってきてくれまして、いろいろな団体に出ています。
彼が初めての団体に上がって、しっちゃかめっちゃかやって、いつも言うのは、
「面白いもの見つけた」
というようなことです(笑)。
負けても言います。
これをポジティブというのかどうかは、分かりません。
相手は怒っていますし。
しかも、決め技はプロレスでは、どうかと思う「スリーパー」です。
U系ならともかく(笑)。
ヒールホールドという危ない技も使い放題です。
U系ならともかく。
最近はとうとう、掌底の連打まで見せます。
U系ならともかく。
しかし、活き活きしています。
戦う相手は嬉しがっています。
なにせ、ある意味伝説のレスラーですので。
U系とプロレスの遭遇の歴史というのも、アセンションを想定すると、実に同期しています。
一番初めは、Uインターの山崎選手の新日プロレスへの参戦でした。
山崎選手は、Uインターのナンバー2であり、UWFからの看板選手の1人でした。
そのすぐ後、Uインター対新日というのが始まりました。
ここでは、Uインター、ナンバー1の高田選手が参戦しました。
彼はUWFでも、前田選手の次のナンバー2でした。
その後、新日へは、Uインター垣原選手や、パンクラスの成瀬選手、藤原組→バトラーズの田中選手などが移籍してきます。
そして、とうとう、U系で最後まで残った団体で、しかも、新日、UWF出身の鈴木選手までもが、プロレスと交わっています。
なんでも、パンクラスの元大エースの船木選手も、プロレスに戻ってくるようです。
このU系とプロレスの関係なのですが、言ってみれば、共産主義と民主主義(どっちがどっちとは言えない)、野球におけるプロとアマの関係、官と民、科学と
不思議、体育系と理科系、和と洋、陰と陽のような関係でした。
どちらかと言えば、Uが陰で、プレレス(詳細に言えば新日)が陽という感じですが。
但しどちらも、アントニオ・猪木さんが大きく関わっているのですが。
UWFについては、ウィキペディア・フリー百科事典のhttp://ja.wikipedia.org/wiki/UWF#.E7.AC.AC.E4.BA.8C.E6.AC.A1UWF
に詳しいです。
元々、いろいろあって、猪木氏が、新日を脱退して、新しい団体(U)に移るということで、UWFができました。
そういう約束で、前田明、さんを始め、何人かの選手が新日から移籍したのですが。
しかし、いろいろあって猪木氏は来ませんでした。
その後、UWFには、藤原選手、高田選手、タイガーマスク、山崎選手、木戸選手などが、移籍してきます。
第二次の時には、新日から、船木選手、鈴木選手などが移籍してきます。
この頃が大人気でした。
但し、いろいろあって、一時期、新日と業務提携したりしていましたが。
簡単に言うと、UWFは、真剣勝負を見せる、イカサマはしない、であり、プロレスは、エンターテイメント性を重視する、という大きな流れがあります。
ただ、そうは言っても、UWFは今の総合格闘技のように、人道(?)を無視したようなことはしません。
アントニオ・猪木氏は日本プロレス入団したのが1960年。
UWFの結成が1984年。
第二次UWF結成が1987年。
UWFの完全な解散が1990年くらい(確か・・・)。
その後新しい団体が1991年にできます。
先の最初の接触である、山崎選手
の新日入りは、1994か1995年だったように思います。
リングス解散が2002年(正式には一時休業)。
そして、2003年、鈴木実選手が新日参戦。
船井選手の復帰は、来年2006年でしょうか?
どうも、プロレスの流れを見ていると、実に、岡田多母さんや、小松英星さんの言っている、変わり目の時期と同期しているようです。
面白いですね。
小松さん説は、
1987年から1996年、
1997年〜2006年、
2007年か
ら2012年
の3段階で、宇宙エネルギーの流入が増えている。
(そして、1997年〜2006年、の第二段階で
は、毎年100倍で増えると書いてあります。
残りの5年間では、毎年10万倍の割合で加速し・・・となっています。)
岡田多母さんは、
1960年から高い波動が注ぎ始めた(岡田さんだと思いましたが、違うかもしれません)
1990年から、
地球が再起に動き始めた。
本格的には1996年である。
これを見ると、どうも2007,8年くらいに、プロレス界では、すごいことが起こりそうですね。
以上、横道でした。
更なる
加速:終了です。
戦争と
の決別 (1)
|
|
まず、引用します。
「小松英星さん:ガイアセッション・シリーズ:人類の前途:完より
『
●
戦争と
の決別 http://www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt6.html
戦争は、
地球自体を聖なる供物台として、人類を生贄(いけにえ)の儀式に
誘い込んできました。
繰り返し、人々は家を離れて戦いへ、時には死へ引き出されました。
そして、彼らの血を、国家や宗教のためという、公式の高尚な理由のために流したのです。
何千年にもわたる条件付けが、国家や神のために死ぬことは、名誉なことだという思い込みを浸透させました。
戦争が起こす凶暴な擾乱は、時間によって限定されるわけではありません。
それは、破壊的な力をもって、他の次元の中へも破裂しうるのです。
戦争による死や破壊は、しばしば、密かに《古代の神》への捧げものとして利用されました。
つまり、戦争が造り出す、痛みによって支配された混乱状態に引き寄せられて、この地へやってきた《多次元の存在たち》への血の犠牲として、戦争が遂行され
たのです。
|
「戦争が起こす凶暴な擾乱」が「他の次元の中へも破裂」するというのは、時空(多次元宇宙)の本質的な
性質として、戦争が引き起こすネガティブな波動が、衝撃波のように全宇宙に伝わることをいいます。
それに「引き寄せられて」「この地へやってきた《多次元の存在たち》」つまり「古代の神」の典型は、アヌンナキ・ファミリーです。
マルドゥクやイナンナは、(その悪行にもかかわらず、人心操縦の巧みさによって)世界各地で「神」になっています。
その呼称は、地域によって違いますが---。《伝説》とされている多くのことは、真実を垣間見せて
いるのです。
シンボル
は抽象的なものを表現する手段で、あなたの心が理解困難なものを理解するのを助け、その意味を、あなたの現実にしっかり固定させます。
内なる世界が外の反映であるとすれば、戦争は何を象徴しているでしょうか?
戦争という行為に報酬があるとしても、地球での戦争の歴史と狙いは、いつも、土地、食料、燃料、そして金(ゴールド)が「十分
にない」という考えをめぐる争いです。
地球は、戦争のための出入り口、そして試験場として使われてきました。
つまり、多くの存在たちがあなた方の惑星にやって来るのは、彼らが持っている、《もっと強さを感じたいために強姦、拷問、殺人、そして征服などをする》と
いう傾向を克服するためなのです。
このレッスンは、地球だけに限定されているわけではなく、《いのち》の抹殺は、意識を持つ様々な形の存在が、生存ゲームの一部として遂行する、典型的な悪
行です。
あなたも同じことをやるか、それとも断るかは、あなた次第です。
やや本筋から離れますが、ここで《シンボル》
について説明しておきます。
シンボルは、「その意味を、あなたの現実にしっかり固定」
させる機能があるので、例えば、ドゴン族が数千年にわたって「宇宙からの教え」を正確に伝承することができたのです。
何人かが輪になって、簡単な言葉を隣の人にささやいて一周するゲームをやると分かるように、言葉だけで伝えようとしても、数世代で全く別の内容に変わって
しまいます。
しかし、ドゴン族がやっているように、まず適切なシンボルを描いて、その解釈を、選び抜かれた長老が伝承していく方法を採れば、伝えるべき本質が歪曲され
ることはほとんどありません。
「内なる世界が外の反映であるとすれば、戦争は何を象徴しているでしょうか?」
という問いかけは、戦争という外の世界の現象に対応する、内なる世界には何があるだろうか、つまり戦争は何のシンボルだろうか、という意味です。
それに対する答えとして、内にあるものは、第
一義的には、モノが「《十分にない》という考え」で
す。
そして、もっと根源的に(地球に影響を与えている)非物質存在たちの意識とし
ては、「《もっと強さを感じたいために強姦、拷問、殺人、そして征服などをす
る》という傾向を克服」したいということです。――自分たちの傾向が問題であることは分かっているが、なかなかやめられない。
そこで、地球と人類を利用して、むしろ徹底的に(そうした「典型的な悪行」
を)やれば、いずれ飽きてきて、結果として克服できるだろう、という考えですが、利用される側の人類にとっては、たまったものでありません。
私たちとしては、たとえどんなに強烈な影響を
受けたとしても、「断る」ことに徹する必要がありま
す。
戦争は精神への毒で、《気付きのゲーム》は人類に対して、戦争の無益さをはっきり認識して、この特殊な感情表現をお蔵にしまうことを求めています。
日本には、「イラクのサマーワで自衛隊はイギ
リス軍に守ってもらっているが、現状では、そのイギリス軍が襲撃されても支援することができない。こんな不合理がないように、憲法を改正して《戦争が出来
る国》にしなければならない」と主張する野党の党首がいます。
この論理は、そもそも何の必要があってイラク
侵略戦争を始めたのか、戦争は国際的な問題解決や人類の未来のために真に必要なものか、という視点が欠落しています。
唯一の原爆被爆国であることも併せて、「戦争
のない世界」へのリーダーシップを執れる立場にいるのに、捏造された「テロとの戦い」のワナに嵌って、その地位を簡単に放棄してしまう。――彼らの認識の
浅さ、視野の狭さを自ら暴露しているようなものです。
地球の人
々は、すべての戦争の詐欺的な意図を支持することをやめて、目を覚ますべきです。
殺戮を好む人はほんの一握りで、他人を殺すことに取り付かれている人は少数です。
地球が健康で繁栄することを望んでいる人は、多数いるはずです。
その多数が、世界をコントロールしているでしょうか、それとも別の少数が?
多数が、自分たちが望む世界を創っているでしょうか、それとも少数が、彼らのなりふり構わぬ独断的なゲームプランで人類を分断し、人々の生活を壊すことに
成功しているでしょうか?
皮肉にも、そのうちに、その少数が、彼らの厚かましい行為と《いのち》への襲撃を通して、多数を――自由の価値、心の力、そして魂の不滅に――目覚めさせ
ることに、うまく「成功」するかもしれません。
人類が歴史を通じて、「少
数」によって易々と操られてきたのは、(徹底したコントロールのスケールの大きさと相俟って)植え付けられた奴隷根性と、そこから
生まれる依頼心が根源にあります。
つまり、自らの力に気付かず、それを唯々諾々と他者の手に委ねることを、習い性としてきたのです。
けれども、「この時代」において、「なりふり構わぬ独断的なゲームプラン」の思わぬ効果として、多数の被支
配者層を「目覚めさせることに、うまく《成功》する」
可能性があるといいます。
それは、マグマのように蓄積された反発力が、やがて大きい力になることを示唆しています。
これについては、別項の「《ヤミ》の役割」も参考にしてください。 』
(以上)
戦
争と
の決別 (1)
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●
戦争と
の決別 http://www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt6.html
戦争は、
地球自体を聖なる供物台として、人類を生贄(いけにえ)の儀式に
誘い込んできました。
繰り返し、人々は家を離れて戦いへ、時には死へ引き出されました。
そして、彼らの血を、国家や宗教のためという、公式の高尚な理由のために流したのです。
何千年にもわたる条件付けが、国家や神のために死ぬことは、名誉なことだという思い込みを浸透させました。
戦争が起こす凶暴な擾乱は、時間によって限定されるわけではありません。
それは、破壊的な力をもって、他の次元の中へも破裂しうるのです。
戦争による死や破壊は、しばしば、密かに《古代の神》への捧げものとして利用されました。
つまり、戦争が造り出す、痛みによって支配された混乱状態に引き寄せられて、この地へやってきた《多次元の存在たち》への血の犠牲として、戦争が遂行され
たのです。
|
「戦争が起こす凶暴な擾乱」が「他の次元の中へも破裂」するというのは、時空(多次元宇宙)の本質的な
性質として、戦争が引き起こすネガティブな波動が、衝撃波のように全宇宙に伝わることをいいます。
それに「引き寄せられて」「この地へやってきた《多次元の存在たち》」つまり「古代の神」の典型は、アヌンナキ・ファミリーです。
マルドゥクやイナンナは、(その悪行にもかかわらず、人心操縦の巧みさによって)世界各地で「神」になっています。
その呼称は、地域によって違いますが---。《伝説》とされている多くのことは、真実を垣間見せて
いるのです。
(以上)
ですが、
ここでは、「「戦争が起こす凶暴な擾乱」が「他の次元の中へも破裂」するというのは、時空(多次元宇宙)の本質的な
性質として、戦争が引き起こすネガティブな波動が、衝撃波のように全宇宙に伝わることをいいます。
」
が、ぴんときます。
波動の話ですね。
それは、そうでしょう。
やはり、あれだけのことをやれば、その波動が宇宙に飛んでいったとしても、不思議を感じません。
それによって「多次元の」どうも良くない「存在たち」が地球運に引き寄せられてきた、ということのようです。
そして、「悪行にも関わらず、世界各地で神になっている」ようですね。
もちろん「神」と呼ばれているものには、このように「どうも神とは違うな」という存在もいるようですし、「神」としても問題のない存在もいるようです。
少なくとも、神道で神と呼ばれているものは、「神」なんだ、とは思っていますが。
ここらへんの話は、森田健さんの4.5次元の存在の話とは違うものなのでしょう。
むしろ、4次元の話という感じすらします。
このスタンスでの「戦争」の話は、今日現在私にはあまり同期ができません。
戦争を高次元的な見方で見ると、こういうことなんだ、ということなのだと思いますが。
むしろ、今のところ、岡田多母さんの、「嫉妬のDNAがONになって以来、人間にエゴの感情が芽生え・・・」
という話の方が、同期します。
どうも嫉妬のDNAをONにしたのも高次元の存在ということらしいです。
人間の進歩を速めるため、というのが理由のようですが。
結局がこれが、上記のようなできごとに通じたということでもあるのだと思いますが、きっとそれでも「必要、必然、ベスト」なのでしょう。
なぜ、同期しないのかと考えれば、きっと要するに、自分は「戦争」そのものを否定していますので、戦争の結果から来るものが、たとえ高次元のことであって
も、一つ二つ増えても、私の気持ちに大きく影響しないからなのかもしれません。
むしろ、今までの自分の価値観を変えるような事柄に、大きく反応するように感じます。
要するに、戦争をしない、できない状態を作り出すことによって解決されることの一つ、として捉えているということなのでしょう。
但し波動ということに関しては、興味があります。
今世界中でテロが起きていますが、3次元的物質的な被害は元より、その波動によって、世界中に何らかの影響もあるのでしょう。
もっとも、宇宙からの高い波動によって、中和もされているのだろうとは感じますが。
船井幸雄さんは、「オリンピックの後の年に、良くないことが起きている」と言っていますが、確かに、今年は少しおかし過ぎますね。
それが、他の理由によるものか、それとも、昨年オリンピックがあったということも含めて決まっていたことなのか、は良く分かりません。
清原選手が移籍するようです。
良く分かりませんし、私も勉強中ですが、「うまく言っているから、楽しい」のではなく、「楽しいから、うまくいく」ようです。
ですので、デッドボールをわざと避けないで、相手のピッチャーを脅したりするのは良くないかもしれません。
大げさに避けて、ファンの歓声を誘った方が良いのかもしれません。
どうも、波動というのは、そういう性質のもののようです。
少なくとも、避けないのなら、「避けないことを楽しんでいる」と自覚した方が良いのでしょう。
「俺はこんなに痛くいて苦しいのをがまんしているんだ」というのは、良い波動を引き付けないし、発しないようです。
「俺にはこんな球、いくらあたっても何とも無いさ」と鍛え上げられた体を楽しんだらきっと、何かが起きるように感じます。
戦争と
の決別 (2)
|
|
●
戦争と
の決別 http://www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt6.html
『シンボ
ル
は抽象的なものを表現する手段で、あなたの心が理解困難なものを理解するのを助け、その意味を、あなたの現実にしっかり固定させます。
内なる世界が外の反映であるとすれば、戦争は何を象徴しているでしょうか?
戦争という行為に報酬があるとしても、地球での戦争の歴史と狙いは、いつも、土地、食料、燃料、そして金(ゴールド)が「十分
にない」という考えをめぐる争いです。
地球は、戦争のための出入り口、そして試験場として使われてきました。
つまり、多くの存在たちがあなた方の惑星にやって来るのは、彼らが持っている、《もっと強さを感じたいために強姦、拷問、殺人、そして征服などをする》と
いう傾向を克服するためなのです。
このレッスンは、地球だけに限定されているわけではなく、《いのち》の抹殺は、意識を持つ様々な形の存在が、生存ゲームの一部として遂行する、典型的な悪
行です。
あなたも同じことをやるか、それとも断るかは、あなた次第です。 |
やや本筋から離れますが、ここで《シンボル》
について説明しておきます。
シンボルは、「その意味を、あなたの現実にしっかり固定」
させる機能があるので、例えば、ドゴン族が数千年にわたって「宇宙からの教え」を正確に伝承することができたのです。
何人かが輪になって、簡単な言葉を隣の人にささやいて一周するゲームをやると分かるように、言葉だけで伝えようとしても、数世代で全く別の内容に変わって
しまいます。
しかし、ドゴン族がやっているように、まず適切なシンボルを描いて、その解釈を、選び抜かれた長老が伝承していく方法を採れば、伝えるべき本質が歪曲され
ることはほとんどありません。』
(以
上)
ですが、
「
内なる世界が外の反映であるとすれば・・・」
は、どうでしょうか?
「外の世界が内側の反映」というのが、きっと正しいと思いますし、それは小松さんもそう考えているようです。
であるとすれば、どういう意味で言っているのでしょうか?
森田健さんの「ネットワーク」を考えれば、一人一人が思ったことが、ネットワークで他人に伝わり、それによってできあがったものが外側の世界であるのな
ら、それによって、外側からまた個人個人の内側が影響を受けていく・・・という流れもあるかもしれません。
いつか書いた「鮫」の話で言えば、アメリカ人の多くが、相手を叩き潰すことを考えることにより鮫が怪物になり、そして、そういう映画ができたり、概念がで
きてくる。
そしてそれを見た日本人の内の何人かが、「鮫は怪物だ」と思うようになり、その思考をもとに何かを考えていく・・・
というようなことです。
しかし、内と外との影響がこのようにくるくる回るのであれば、
「でも、鮫はフカヒレの材料であるし、かまぼこにもなる。全部の鮫が噛む訳ではないし・・・」
という日本人の考えが外側にも反映されていく・・・
ということも起こるでしょう。
そう考えると、ネットワークというものは、内側からテレパシー的に伝わっていくものと、外側から、3次元的物理的に伝わっていくものとがあるのかもしれま
せん。
外応の結果として、「ばったがはねる」のを見るということとは、どこか違うことのようにも思えます。
百匹目の猿現象を考えれば、百匹目までは同じ島の中の猿で、テレパシーもあったかもしれないが、目で見ている限りでは、芋を洗っている猿を見たほかの猿
が、まねをすることにより、広まり、そして101匹目からは、遠く離れた島まで、その情報がテレパシー的、高次元的に伝わっていく、ということが起きてい
るようです。
これを考えると、ここ小松さんが言っているのは、100匹目までのことでしょうか。
みなさんはどう思うでしょうか?
シンボルの話ですが、伝言ゲームは確かに何あてになりませんね。
そうなるとマニュアルにしておけば良いと考える方もいると思います。
しかし、たとえそうしても、ちゃんと何代か後には、間違ったものになると思います。
文字では全てが伝わりません。
きちんと、少なくとも一人のだれかに全てを分かっている人が手と足取り伝承しなくてはいけないと思います。
音楽などはまさにそうだと感じますが、最低限「演奏を記録したもの」が残っていると、文字よりはずいぶん、伝わるようです。
シンボルが「その意味を、あなたの現実にしっかり固定」
させる機能がある」 という話は、きっと正しい伝承が終わった後、そのシ
ンボルを見れば、全てが思い出される、ということなのだと感じます。
ちょっと教えて、シンボルを見れば、全てが分かる、というようなことは、あまりないでしょう。
それを考えると、この世にあるいろいろなシンボルというものは、きちんと見る人が見た場合、と、そうでない人が見た場合とでは、全く違うものがあるので
しょう。
日の丸などは、そうかもしれません。
私はまだ分かりませんが、相当以前と違ったものに見えています。
みなさんはどうでしょうか?
伝承と言えば、私は電気製品が好きですので、ソニーと松下の比較に興味があります。
松下は、
松下幸之助さんが作った会社です。
ソニーは、盛田昭夫さん、井深大さんが作った会社です。大賀典雄さんも有名ですね。
いろいろな話はありますが、松下
の2股ソケットとソニーの小型トランジスタラジオが、それぞれを象徴しているのでしょうか?
シンボルということですね。
家電では・・・
松下には電気製品と呼ばれるものはなんでもあるようです。
ソニーは、白物(洗濯機、冷蔵庫など)とか、そういったものはありませんね。
放送、業務用のAV機器を見ると、VTRなどはソニーの一人勝ちですが、ソニーは確かヘッドエンドという映像を電波に乗せる機械などは作っていないはずで
す。
その他、関連会社が、とかそういう話ははずしますが、業務用の電話などなど松下は作っていますが、ソニーは作っていないですね。
電気製品以外では、松下は、自転車が有名ですね。
音楽産業では、テイチクは松下関連でしたでしょうか?(確か外資が入ったように覚えていますが、確かではありません)
ソニーは手広くやっています。
どちらも、関連企業は多くあるようです。
なんとなくですが、イメージとしては、松下は平均的になんでもやり、ソニーは基本的には一般人向け音楽関係に特化しているのでしょうか?
もちろん、双方、細かく見ていけば、いろいろあるとは思います。
私の勝手な主観でもっとイメージを膨らますと・・・
松下は大阪、ソニーは東京
松下は日常、ソニーは余暇、
松下は戦前から、ソニーは戦後から
松下が陰、ソニーが陽
松下が実直、ソニーが華やか
松下が無骨、ソニーが軽い(おしゃれ)、
松下が製品の安定度重視、ソニーがデザイン重視、
松下が日本ぽい、ソニーが世界的、
松下は、「松下政経塾」、ソニーは大賀さんの「軽井沢大賀大ホール」
松下が東京なら新橋、ソニーが品川
などなど・・・
もちろん両方ともに世界的な大企業ですので、上記のそれぞれのイメージでも、双方共に持ち合わせていると思いま
す。
ここから少し強引に話を持っていきますが・・・
ソニーは世界的には、それなりに売り上げを上げているようです。
しかし日本では苦戦です。
今後のトレンドが日本発になる、ということを前提で考えると、やはり、下降気味なのかもしれませんね。
松下は実直にいろいろやっているようです。
非常に分かりやすく言えば、音楽産業の停滞と共に、ソニーの状態があるように感じます。
70年代松下がソニーに押されていた時代は、良く「マネシタデンキ」と言われましたが、これは逆に言えば、音楽産業の隆盛に、松下が押されていたとも言え
るでしょうか。
3次元的になんで音楽産業が停滞してかを考えると、私は、CDがレコードからメインの座を奪ったからだと思います。
それは、手軽にコピーできる、という意味ではなく、やはり音です。
全く持って自分の主観で考えますと、CDになってから、「音」への取り付かれ度が減りました。
CD時代以降の人には、この意味でのレコードとCDの違いは分からないと思います。
レコードの音は、たとえどんなに安価なプレーヤーであっても、何度でもくり返し聴きたい、と思わせる”波動”(?)がありました。
それに対してCDには、それがありません。1度聴くと、しばらくは聴かなくともかまわない状態になります。
何度も書いているように、再生周波数や、サンプリング・ビットレートの問題はありますが、もっと高次元的にこの2つは違うものを持っているのかもしれませ
んね。
全くの想像ですが・・・
レコードの場合、あの30センチの丸い板が回る分けです。
そして、多くの場合、その回る板が見えます。
あの状態が何らかのものを発生していたのかもしれません。
なにせ右周りです(笑)。
あるいは逆に、CDが再生されている瞬間は、あまり良くないものが発生されているのかもしれません。
または、隠れているのが悪いのか、12センチなのが悪いのか。
あるいは回転の速さが関係あるのかもしれません。
LPレコードは比較的ゆっくり回ります。
それに対してCDは、非常に速い回転をします。
ラジカセからCDを取り出すときは、止め忘れた洗濯機を彷彿させることがあります。
太極拳のゆっくりの動きは、そうすることにより、氣が乗りやすくなると言うことだったと思います。
ひょっとするとレコードは、ゆっくりの回転により、良い氣がレコードに乗り、それが音にも反映されていたのかもしれません。
趣味が多様化した、とも良く言われます。
しかし、レコード売り上げが良かった時代にも、テレビではむしろ今より音楽はたくさん演奏されていましたし、映画でもなんでもありました。
ここで、もう一つの想像は、ウオークマン(携帯用カセットテープレコーダー)を初め、それ以降、発売された携帯用のMD,などにより、小型ヘッドフォンで
音楽を聴くことが増え、耳、特に若い人の耳の感性を悪くしてしまった、ということもあるかもしれません。
実際は良く分かりません。
しかし、くしくも、CD,ウオークマン、両方ともにソニーが開発したことを考えると、良い、悪い、ということではなく、陰陽がひっくり返るように、運命が
なっていたのではないかと考えさせられます。
ソニーはもともと高級オーディオにそれほど力を入れていないメーカーです。
松下もソニーよりは力を入れていた時期はありましたが、それほどオーディオメーカーとして有名である、ということはありません。
ソニーは、トランジスタラジオ、ラジカセに代表されるように、手軽に音楽が楽しめる、というコンセプトで、オーディオをやってきたメーカーだと感じます。
よって、メーカー自体に、良い耳を持った人材というのは、今でもいないのではないかと想像します。
元声楽家であった大賀さんが、アドバイザーになって、アナログテープの音の高域不足対策をした話は有名です。
きっとそのアドバイスにより、その後のカセットテープ、ラジカセの音質などに対しては、良い効果があったのでしょう。
しかし、どうしても、分からないのは、CDです。
どうしてあの音で、最終OKが出たのか、私には皆目分かりません。
あの時点であれば、いくらでも、できたはずだろう、と思ってしまいます。
政治的なことがあったか、音の影響を甘く見すぎたかのどちらかなのかもしれません。
もちろん、CDの音が音楽離れを生み出した、という私の仮説が間違っているのなら、そんなことはどうでも良いのですが。
松下は実直にやっているようですが、、ここにきて家電でシャープががんばっているのは面白いですね。
シャープはもう何年も前から、「液晶、液晶」と言い続けてきた、メーカーです。
そして、今正に全ての条件が揃って、脚光を浴びています。
シャープは大正元年創業のようですが、もちろん、「シャープペンシル」、「電卓」などでも有名です。
「シャープペンシル」は、大正時代からあるようですが、私の感覚では、ちょうど、私が小学生下級生のころ、一般というか、小学生に普及し出したように感じ
ます。昭和50年前後です。
当時、みんながシャープペンを持っているので、父親(20歳を過ぎたらおとうさんと言わないようにしましょう)と一緒に、アメ横にシャープペンシルを買い
に行きました。
そうしたら、輸入ものしかなかったのを覚えています。
結局、普通の文房具やさんで買ったのですが。
どうして輸入ものではいけなかったのかは忘れました。
芯の太さでも違ったのでしょうか?
それとも保証の関係だったでしょうか?
あそこらへんが、輸入物と、国産の分岐点だったのかもしれませんね。
父親の感覚では、「そういう珍しいものはアメ横へ」という感覚があったのかもしれません。
そろそろ、メイド・イン・ジャパンが世界一という時代へ移り変わる瞬間を体験したのかと思うと、少し嬉しくなりますが。
ただ、シャープの私へのイメージは、それほどいいものではなく、サンヨーなどと同様に、ペラペラのプラスチックで作ったミニコンポを安く売る会社、という
イメージがずっとありました。
仕事で一度、10数年前でしょうか、シャープが液晶のプロジェクターを日本だか世界だかで始めて作ったか、何かしたということで、ショールームへ出かけて
いったことがありました。
それは、とても、暗いプロジェクターで、3管式のものしか当時は見ていなかった私には、業務用では無理だな、という感想しかありませんでした。
それでも、機械は小さく、「ああ、これで明るかったら、すごいだろうな」とは思いました。
それは、10年後くらいに、実現されましたが。
それでも、ショールームにいた社員の人はとても良い対応で、当時S社のショールームしかしらなかった私は、少し、びっくりしたのを覚えています。
もちろん、S社が悪いというのではなく、いかにも現代的、という感じで、それに対してシャープのショールームの人は、どこか大人の対応であった、というこ
とですが。
当時小僧であった私に、増して、通常の仕事関係など全くない状態でしたのに、良く大人の対応をしてくれた、と思います。
陰陽逆転があるとすれば、大きく見ると、戦前に創業した会社の隆盛が今後もあるのかもしれませんね。
ミクロにはいろいろあるでしょうが。
それは、ひょっとしたら、日本的なものの再興であるかもしれません。
しかし、私の解釈によれば、究極は陰陽が0の状態になることのようですので、2012年には、何かそういうことが起きるのかもしれません。
もちろん、世界中がフォトンベルトの中にある、だなんてことになっていたら、陰陽もあったところではないでしょうが。
もし陰陽が0になるとしたら、どのような状態でしょうか?
日本の電気メーカーの合併、結合のようなことになっているのでしょうか?
ただ、先ほどのシンボルの話につながりますが、創業者の意志が受け継がれているとしたら、シャープでも、松下でも、明治、大正の日本人気質というものも、
受け継がれているのかもしれません。
私は以前は日本的なものが嫌いでした。
しかしどうも、今考えて見ると、それは戦争少し前から戦中の軍事国家であった日本のことであったように感じています。
何かここ数年、それ以前の日本がどんなであったろうかということが、実感できるような感覚があります。
みなさんはどうでしょうか?
横道ついでですが、今日なわふ
みひとんのサイト
2012年の黙示録 (http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/index.html)の進化の記録の病気にならない生き方http:
//www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/index.htmlをみていましたら、面白いことがかいてありました。
以下のようなものです。
(引用)
『
病気
にならない生き方
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-enzyme.html
新谷弘実・
著 サンマーク出版 2005年7月
人
間よりも体温の高い動物の肉は血を汚す
●新谷食事健康法では、穀物と野菜中心の食事をし、肉、魚、乳製品、卵などの動物
性の食物はなるべく少なく(全体の15%以下)するよう指導しています。
動物食に含まれるタンパク質は、現在の栄養学では理想的なものが多く、腸内でアミノ酸に分解・吸収され、血や肉になるとされています。
しかし、どんなによい食物であっても必要以上にとりすぎれば、体にとっては毒になります。特に動物性タンパク質は、とりすぎると胃腸で分解・吸収がしきれ
ず、腸内で腐敗し、大量の毒素を作り出してしまいます。そして、その毒素を解毒するために腸内や肝臓で大量のエンザイムが消費されるのです。
●牛や豚の体温は、人間よりも高い38.5〜40度。鶏はそれよりもさらに高い
41.5度です。こうした動物の脂は、その温度でもっとも安定した状態にあ
るということです。つまり、それよりも体温の低い人間の体内に入ったときには、ベタッと固まってしまいます。この脂のベタつきが、血液をドロドロにしてし
まうのです。ドロドロになった血液は、流れが悪くなり、血管の中で停滞したり詰まったりします。これを私は「血が汚れる」と称しています。
一方、魚は変温動物ですから、通常の状態であれば人間よりはるかに低い体温をしています。その脂が体温の高い人間の体内に入るとどうなるでしょう。フライ
パンなどで脂を熱すると、溶けてサラサラの液体になります。それと同じことが起こるということです。
魚の脂が血液をサラサラにし、悪玉コレステロールを下げるといわれているのは、このためです。
ですから、同じ動物性タンパク質でも、肉でとるより魚でとるほうが、人間の体にははるかによいのです。』
(引用ここまで)
これは、私のような人間には分か
りやすいです。
要するに、牛、豚、鳥は人間より体温が高い。
その油を食べれば、うまい具合に分解されないのは当たり前です、ということだと思います。
どこかには、「牛乳が体によいのは、牛の赤ちゃんだけです」ということも掲載されていたようにも思います。
「牛乳は骨粗鬆症予防には全く効かない」というようなことも書いてありました。
どこか違うところで、人の母乳を大人が飲むと下痢をする、という話も読んだような気がします。
確かに、少なくとも江戸時代の日本人は今のように頻繁に牛乳を飲まなかったでしょう。
みなさんはどう思うでしょうか?
確かに頻繁に牛乳を飲まなかったでしょう。
ひょっとしたら、熱が出ると仕事がはかどるという私の体質は、ここにあるのかもしれません(笑)。
余計な油がなくなり、健康になっている、と・・・
※ソニーの話で追加ですが・・・
高い宇宙波動のせいか、他の理由か、とにかく地球人、あるいは日本人の精神レベルが上がったことにより、”音”への認識が変わってきたのかもしれません。
ソニーが60年代よりずとやってきた「音の一般のレベル」が、今ではソニーの想定より上がっているのではないでしょうか?
要するに、今まではソニーが一般の人には、これぐらいの音質がちょうど良い、と思っていた質が、今では、「悪い音」になってしまっているのが、今のソ
ニーあるいは、音楽業界不振の原因になっているのではないだろうか、ということです。
今製品情報を見てみましたが、90%程度のオーディオ製品でスピーカーのエンクロージャーにプラスチックが使われているようです。
(シアターシステムは除く)
音の振動はコーン紙をどう工夫しても、木製の箱でなくては、音を聴く、楽しむということにおいての、最低限度の音はしません。
だまされたと思って、一度、全社員に、他メーカーの高級オーディオの音を1年間聴かせて、その上で、製品群を一新してみたらどうでしょうか(笑)?
そうすると、PCからハンディカムまで、製品意図が変わってくるのではないかと感じます。
当然関連音楽企業、映像企業の音作りも変わってくるでしょう。
BOSE社の樹脂製のエンクロージャーがよい音がするというのは違います。
あれは、小型の割りによい低音が出る、ということであって、低域はポン、ポン、というプラスチックの音がします。
BOSEでも高級機種(と言っても片側4,5万) のスピーカーは木製のエンクロージャーです。
もし木もまた環境保護のため、使いたくない、と言うのなら、セラミックはどうでしょうか?
京セラとは仲良しのはずです。
高級スピーカーには、セラミック製のエンクロージャーを採用しているものもあります。
高次元的(?)にもっと言えば、シューマン共振数の変動によっても、人の耳は変わっているでしょう。
これの理論では、今の耳の良し悪しは分かりませんが。とにかく変わったということだけです。
天外伺朗さんも大滝詠一さんも、関連している企業なら、是非、試してもらいたいと感じてしまいますが。
さて・・・
ちょっと思ったのですが、士農工商が、テレビドラマでやられているように、ひどい制度だったというのは、嘘ではないか?と想像しています。
農民が実はそれなりに幸せであったというのを読んだだことがあります。
これも、マッカーサー、アメリカが、実は資本主義は、むしろドラマの士農工商よりもっとひどい格差ができる制度
でありながら、資本主義を根付かせるためにやった、嘘ではな
いでしょうか?
もし士農工商が今時代劇ドラマでやっていたりするようなものらば、明治維新はどうして達成できたのでしょうか?
農民一揆など、絶対できるはずないですし、農民でありながら、明治維新に参加などできるわけがない、と考えるのですが。
それは、共産圏の国々・・・北朝鮮や、昔の中国、ソ連をみていれば、良く分かることのような気がします。
日本のとっていた士農工商は、ひょっとしたら、これから表れる理想の制度に近いものなのかもしれません。
もちろん、直すところはいろいろあるとは思いますが。
想像でした。
「争という
行為に報酬があるとしても、地球での戦争の歴史と狙いは、いつも、土地、食料、燃料、そして金(ゴールド)が「十分
にない」という考えをめぐる争いです。
地球は、戦争のための出入り口、そして試験場として使われてきました。
つまり、多くの存在たちがあなた方の惑星にやって来るのは、彼らが持っている、《もっと強さを感じたいために強姦、拷問、殺人、そして征服などをする》と
いう傾向を克服するためなのです。
このレッスンは、地球だけに限定されているわけではなく、《いのち》の抹殺は、意識を持つ様々な形の存在が、生存ゲームの一部として遂行する、典型的な悪
行です。
あなたも同じことをやるか、それとも断るかは、あなた次第です。」
ですが、
「争という
行為に報酬があるとしても、地球での戦争の歴史と狙いは、いつも、土地、食料、燃料、そして金(ゴールド)が「十分
にない」という考えをめぐる争いです。」
は、その通りでしょう。
日本だけで考えますが、アメリカは核を持っています。
中国も持っています。
朝鮮も増田俊夫さんによれば、どうやら持っているようです。
今後、アメリカが中国市場を狙って、台湾がらみで、米中戦争をするとしても、核はどうなるのでしょうか?
米中戦争=地球の終わり、というのは、短絡的でしょうが、近いものがあるかもしれません。
今のままでは、日本はアメリカに組み込まれる可能性が高いですね。
ぜひ、その時は、「米中戦争解散」をしてほしいと思います。
私は、その時政権を、持っている政党には投票しません。
せめて、今回の「郵政法案選挙」同様、少なくとも、私は反対した、ということを、自分に納得させてほしいと考えます。
もちろん、どこに投票するかも、どこがどれくらい投票を得るかも、はじめから決まっていたのかもしれませんが。
増田俊夫さんによれば、日本は絶対に、アメリカなくしては、やっていけない国のようです。
資本主義経済が続く限りはそうでしょうね。
とすれば、やはりアメリカを変えるしかないでしょうか?
アメリカを変えるとは、要するに、資本主義がなりたたないのだ、ということを、納得させれば良いのだと感じます。
全ての人から奪い切った最後に、それは来るでしょうが、それでは、遅いでしょう。
何をすれば、アメリカは変わるでしょうか?
私はやはり、石油以外の画期的な燃料、ではないかと思います。
これを作ると刺客が来る(政木和三さんによれば)、という時代が続いていたようですが、今、車などでは、ずいぶんと良いところまで、行っているようです。
私にはそれを作るすべはありませんが、時流を考えると、きっと日本からそれが生まれるのでは似ないでしょうか?
「
つまり、多くの存在たちがあなた方の惑星にやって来るのは、彼らが持っている、《もっと強さを感じたいために強姦、拷問、殺人、そして征服などをする》と
いう傾向を克服するためなのです。
このレッスンは、地球だけに限定されているわけではなく、《いのち》の抹殺は、意識を持つ様々な形の存在が、生存ゲームの一部として遂行する、典型的な悪
行です。
あなたも同じことをやるか、それとも断るかは、あなた次第です。」
ですが、
これが正しいとすれば、人間が、かぶと虫同士や、犬同士、牛同士、または、人間同士を戦わせたりすることと、同じと考
えれば良いのでしょうか?
古代ローマでは、人間と、ライオンなどもあったようですが。
確かに、そう言われれば、あの種のものは、そういう意味(《もっ
と強さを感じたいために強姦、拷問、殺人、そして征服などをする》)もある、とも感じます。
これを、知らぬ間に、我々もやらされていると思うと、嫌な感じがしますね。
ヒイキの球団や選手が勝つことにより、その練習の成果に対して賛美の心も生まれますし、喜びもありますが、その喜びすら、ひょっとすると、強さを感じた
い、ということに通じるのかもしれません。
資本主義というものも、弱いところから取ってきて、強いものがいい思いをする、というのが基本ですので、ほとんど同じなのかもしれません。
もちろん、共産主義も同じですが。
特権階級が一般人から摂取するわけですので。
違いは、市場が国の中だけか、世界中か、ということなのでしょう。
しかし、それを宇宙の違う存在がゲーム感覚で、やらせて、見ている、というのは、やはり嫌ですね。
但し、この発想の基本は、運命は決まっている、という発想とは、異なりますね。
森田健さん式の運命は決まっている、という発想で考えれば、戦争が起きるのも、戦争で死ぬのも生き残るのも、基本的には決まっていた運命によるもの、とな
ります。
小松さんは、全てを作っているのは人の意図という考えですので、もちろん、上記のような情報が来たら、この情報の通りに理解するのが当然だと思いますが、
もし運命が決まっているのならば、私はむしろ、他の宇宙の存在の運命も決まっているのではないだろうか?と考えてしまいます。
但し、六爻占術でも、何でも、宇宙人の運命までは占ったことはないようですので、果たし宇宙人の運命が決まっているのかどうかは、分かりません。
もし、宇宙人の運命は決まっていないが、地球人の運命は決まっている、となったら、どうなるでしょうか?
もっとも、小松さんのサイトにあるこの文章は「宇宙意識」ですので、肉体はない存在のようですが。
そうすると、ややこしいですね。
つまり、決まっている地球人と決まっていない宇宙意識が、出会う、影響しあう、ということですので。
これは、ここで言われているような「悪い」意識体だけでなく、いわゆる「良い情報を送ってくれる存在」にも言えるように感じます。
もちろん、上記の内容を送ってくれている存在もそうですが。
一番、分かりやすいのは、はじめからその情報を受け取るように決まっていた人間だけが、良い情報でも、悪い情報でも、それぞれ受け取っている、ということ
ですね。
そうなると、情報を発信する方はどうなのでしょうか?
発進する方の運命は決まっていない、とするのならば、発進する方は任意で発進するが、受け取る方は、決まっている・・・。
ちょっと、カップルの運命の糸に近いものを連想しますが・・・。
地球人の運命が決まっているのなら、分かりやすいのは、こういう情報を送ってくれる存在の運命もまた決まっている、と考えた方が分かりやすいですね。
それでも、もうひとつ仮説として成り立つのは、宇宙意識が情報を送っても、それが地球人が知覚する範囲に入った瞬間に、その運命は決められてしまう、とい
うものです。
これはあり得そうな気もします。
その情報が発せられた時を基点として、運命が決まるのか、地球に入った瞬間に運命が決まるのかは分かりませんが。
しかしこれも、無理があるかもしれません。
いずれ、だれかにこの情報が届くわけですので、むしろ、その宇宙意識を含めて運命が決まっていると考える方が、普通のように感じます。
やはり、人の運命は決まっている、という発想をすると、この地球に影響を及ぼすあらゆるものの運命が決まっているとしなくては、筋道が通らないように感じ
ます。
どうなっているのでしょうか?
ただし、この情報を発信している存在、あるいは、ここで言われている「地球人を実験材料にしている存在」を含めて、全て5次元の存在であるのなら、「あ
あ、やっぱり5次元まで運命は決まっているんだ」ということで、納得はできますが。
そうなると、是非、これらの存在が、高次元的には何次元の存在に当たるのか、知りたいところです。
逆に、予想するのであれば、きっと5次元の中に入っている存在、ということになるのでしょう。
みなさんは、どう思うでしょうか?
戦争に踊らされるのが、宇宙意識のせいだけであったとすれば、たとえば、第二次大戦でヒトラーが死に、日本が負け、アメリカとソ連による、東西が対立する
時代があり、東西の壁がなくなり、そして今がある、という流れは、少し無理があるかもしれません。
もし、そういう宇宙意識があるとするのなら、3次元的には、ヒトラーが台頭した時の、それに賛同する人の数が、何人か増えたり、戦闘中に、残虐な行為に及
ぶ人の数が増えたり・・・と、そういうことに対しての影響なのではないかと考えますが、どうなのでしょうか?
・・・と書いてきて、やはり思うのは、ここで言われている宇宙意識は、5次元までの存在である、と思うべきなのではないでしょうか?
そうなると、5次元までとは、地球だけではなく、どうも、広く全宇宙まで考えなくてはいけないようです。
であるとすれば、地球人を実験材料にしてやっていた、と思っていた存在もまた、決められた運命の中にいた、ということにですね。
彼らの探しているものは、ひょっとすると、私たちと同じようなものであるのかもしれません。
やはり、戦争の本当の理由ということになれば・・・
私は、岡田多母さんの、「高次元の存在が人類の進歩を早めるために、従来OFFだった嫉妬のDNAをONにし
た説」によるところが大きいと感じます。
これは、どうも創造主がそうしたように思いましたが・・・
そして、これが先にあり、その後の結果として、上記に書かれているようなことが起こった、ということなのだと感じます。
そして、それは、何代にもわたる地球の転生のたびごとに起きていることなのだと感じます。
そこから派生して考えられるのは、創造主が、嫉妬のDNAをONにしたのは、地球人だけではないのかもしれない、ということです。
少なくとも、3次元、4次元にいる存在は、全て、なんらかの理由により、嫉妬のDNAをONにされている可能性があるのかもしれません。
そうなると、小松さんのサイトに書かれている地球に悪影響を及ぼす宇宙意識たちは、5次元の中にあるのは元より、4次元、3次元あたりにいる存在である可
能性が高いですね。
やはり、嫉妬のDNAをOFFにする、ということが、根本にあるのではなか、と考えます。
私はこれは、どうしても、変えられるように、つまりOFFにできるように思えます。
そしてそれは、六爻占術のような運命変更によらないやり方(?)があるように思えてなりません。
実際はどうだか、分かりませんが。
「精神世界ンキング」に登録しましたので、はじめてこのサイトに来る人を、どうし
ても意識してしまい、今日はどうにも、いつもと違う文章になってしまいました(照)。
今後これを無くすために・・・要するに、自分のためということですが、簡単に説明
しますと・・・
私の考え方の基本は、
「人間は、進歩を早めるために、嫉妬のDNAをONにされ、その後、進歩はした
が、それが原因で、今のようなエゴの強い世の中になっている。なんとか、OFFにしなくてはならない」という、船井幸雄さん発の岡田多母さんの意見と、
「どうも、運命は決まっているようだが、いくらか選択肢もあるようだ。それでも、
全てではないが、六爻占術によって、変更が可能なことが多い。」
「死後の世界は、どうやら、今前言われていたこととは違うようだ(詳細は、サイト
内をご覧下さい)」
などの、森田健さんの意見、
そして・・・
「嫉妬のスイッチをOFFにするには、船井幸雄さんの提唱する「宇宙の理・天の理」を行うのが、良いようだ」、その他多くの船井幸雄さんの意見、
その他、政木和三さん、浅見帆帆子さん、などの考え、
そして、「私自身」の考えです。
運命の中で何が決まっていて、何が決まっていなくて・・・
願望はどれくらい叶って・・・
精神レベルを上げるとは、どういうことなのか?
運命が決まっているとすれば、私は何を求められているのか・・・
などなど・・・・・・
要するに、多くの人がいろいろ言っていますが、何が本当なのかが知りたいというス
タンスです。
その中で、私の直感が、「正しそうだ」と判断したものを、積み重ねている様が、こ
のコーナーだと考えてください。
どうも基本には、見えないことが見える、聞える、といっている人がたくさんいる
が、みんな言っていることが違うというのは、どうしてなんだ?
だれが、本当のことを言っているんだ?
という疑問があるようです。
もちろん、見える、見えないだけではなく、その他多くのことに対しても同様のスタ
ンスですが。
みなさんは、同じような疑問はないでしょうか?
ちなみに、船井オープン・ワールドを前に、いくらかいつもと違う精神状態になってしまっているのも事実です。
ボイスレコーダーを購入したり、床屋に行ったり・・・
今のところ、その程度の普通の人です。
ちなみに、卑下しないことにしています(笑)。
2005年10月8日 管理人
戦争と
の決別 (3)
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戦争と
の決別 http://www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt6.html
「内なる世界が外の反映であるとすれば、戦争は何を象徴しているでしょうか?」
という問いかけは、戦争という外の世界の現象に対応する、内なる世界には何があるだろうか、つまり戦争は何のシンボルだろうか、という意味です。
それに対する答えとして、内にあるものは、第
一義的には、モノが「《十分にない》という考え」で
す。
そして、もっと根源的に(地球に影響を与えている)非物質存在たちの意識とし
ては、「《もっと強さを感じたいために強姦、拷問、殺人、そして征服などをす
る》という傾向を克服」したいということです。――自分たちの傾向が問題であることは分かっているが、なかなかやめられない。
そこで、地球と人類を利用して、むしろ徹底的に(そうした「典型的な悪行」
を)やれば、いずれ飽きてきて、結果として克服できるだろう、という考えですが、利用される側の人類にとっては、たまったものでありません。
私たちとしては、たとえどんなに強烈な影響を
受けたとしても、「断る」ことに徹する必要がありま
す。
(以上)
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ですが・・・
間違えて2度コピーしたかと思いましたが、同じようなことが2度書いてあるようです(念)。
「自分たちの傾向が問題であることは分かってい
るが、なかなかやめられない。」
ということを基本にしているのだと考えます。
ですので、
「私たちとしては、たとえどんなに強烈な影響を
受けたとしても、「断る」ことに徹する必要がありま
す。」
となります。
ここで言う「自分たちの傾向」とは、やはり「嫉妬心」なのだと感じます。
この嫉妬心をどうにかOFFにすれば、上で言われているように、無理なことを強引にする必要はなくなるのだと思います。
どちらが難しいのでしょうか?
みなさんはどう思うでしょうか?
そもそも、嫉妬とはどんなものかと考えますが・・・
人の方が自分より良い目を見ている、とある人が思い、そこで精神的なダメージを受け、そして、その自分より良い目を見ていると思われている人の精神に対し
て、自分が落ち込んだ精神的ダメージとーブン以上(イーブンを含む)になるような、精神的なダメージを、相手に与える、
あるいは、
人の方が自分より良い目を見ている、とある人が思い、そこで受けた精神的ダメージがイーブンになるような状態にするた
めに、自分側を増やす、ということではなく、モノでも、精神的でも、金銭でも、手段はその時まかせで、イーブンになるように、相手から奪う、負わせる、
ということでしょうか?
または、単に、
人の方が自分より良い目を見ている、とある人が思い、そこで精神的なダメージを受けること自体を、嫉妬というのかもし
れません。
きっと、こちらでしょう。
そうであれば、人の方が自分より良い目を見ている、とある人が思っても、そこで精神的なダメージを負っていなければ、嫉妬していると
はならないのでしょう。
ですので、ダメージ後の行為があろうとなかろうと、きっと、それは基本的には関係のないことなのでしょう。
人によっては、イーブンまでとはいかなくとも、「ちょっと意地悪してやろう」という人もいることでしょう。
それは、もう、程度の大小に関わらず嫉妬している、ということになるのだと思います。
当然、何もしなくとも、ダメージを受けていれば、もう嫉妬のようです。
それはそれで、悪い波動を発して、それにより、何か起きているのでしょう。
私は波動だなんてことをまったく知らなかった頃、精神的ダメージを受けても、受けていない振りをしていました。
つまり「嫉妬していない振り」ですね。
しかし、それはそれで、今度は、「なんで、嫉妬しないんだよ」と、嫉妬していない状態に対して嫉妬を受けたこともあります(笑)。
これは、きっと、「我慢」したことによる悪い波動が生んだのだろう、と思っています。
やはり、根本的に嫉妬を無く成さない限りは、どうしようもないようですね(笑)。
嫉妬の話では、天外伺朗さんの―「好運の女神」
と付き合うための15章 (2004/11発行:飛鳥新社 )に、天外伺朗さんが学生時代にセスナかなにかで、ものすごい記録を作ったのですが、それが、教官だったか、先輩だった
かだれかに、記録をなくなされてしまった話が出ていたのが印象深いです。
またその内、正確に引用してみます。
当時はどこかで、
「嫉妬は人間にとって当然のもの。いけないのは、嫉妬して、それにより不条理な行為を相手に及ぼすこと」
と思っていました。
しかしながら、どうやら、そもそも”嫉妬”自体が本当はいけないことのようです。
この嫉妬はなくなせるのでしょうか?
森田健さんは、性格は生まれた時に決まった運命によって決まっている、と言っています。
ひょっとしたら、問いを発することにより変更できるのかもしれません。
岡田多母さんは、それまでの経験と思い癖が性格である、と言っています。
http://www.tamonohiroba.com/cgi/tamo/tamobbs.cgi?start=1
より引用
どんなコトでも変えられないものはありません。性格は過去の経験と思いぐせの集積です。
明るく嬉しい幸福な経験を思いだし、それ以外を捨てれば、新たな幸福が訪れます。
怒りや倣慢に注意を向けるよりも喜びや笑い、嬉しさに注意を向けましょう。
闘わず、争わず、優しさで溶かしてみましょう。
私ごとで考えれば、確かに生まれ持った傾向のようなものはあります。
しかしながら、いろいろあってその上に乗っているもう一つの傾向は変化しています。
いろいろあったことが自発的であれ、他発的であれ、それが決まっていた運命によるものである、とするのなら、確かに森田さんの言っている通りになっていま
す。
自発的が本当に自分の意志によるものであったのなら、それは自分で変えたことになりますが、それが起こるトリガー(つまり・・・出来事であったり、書物で
あったり、または直感であったり)があったに違いありませんので、果たして自力なのか他力(決まっている運命をも含む高次元の力)なのか、確かではありま
せん。
少なくとも、性格は、根本的なところは、そう変わらないが、その上にのるものは、他力か自力か分からないが、変わるときもあるようだ、とは言えるでしょ
う。
しかし、そもそも嫉妬は性格でしょうか?
むしろ精神レベルなのではないか、という気がします。
(それじゃ始めから、性格の話をするな)
勝気な性格でも、嫉妬深い人もいれば、そうでない人もいます。
内気な人でも、同様です。
もちろん、勝気で嫉妬深いと、目に見えやすいやっかいなことをする可能性は高いとは思いますが。
内気な人も何かするかもしれませんが、きっとおおっぴらではないのでしょうか。
私は、通常の精神世界の人が言わないような変わった仮説を持っています。
それは、
1:
魂:精神のレベルを上げること
と・・・
2:ツキをよくすることと・・・
3:天国へ行けることは・・・
全く別物のようだ(仮説)。
というものです。
概要は・・・
どうもいろいろ見ていると、運命は決まっているような気がする。
それはそれで、そうならば仕方の無いことだが、どうやら、魂には精神レベルを上げる使命のようなものがあるようだ。
但し、そのことと、願望実現のようなこととは、重なっている部分もあるが、基本的には違うことのようだ。
また、天国に行くか地獄に行くか、という太古から問題とされていることも、基本的には、精神レベルを上げるということや、願望を実現する、ということとは
別物のようだ。
これらを、重なっている部分はあるにしても、最初は分けて考えないと、間違いを起しやすい。
分けて考えよう。
というものです。
詳細は上からリンクしてあるページにあります。
あまり詳細でもありませんが。
この発想に至った過程には、
森田健さんの調査を見ていると、どうやら運命は決まっているようだ。しかし、いくらかの選択肢、変更もできるようだ。
いろいろな人を見ていると、精神レベルが高い人でも、必ずしも、幸福な一生ではない人もいる。
しかし、精神レベルを上げることは必要なようだ。
願望実現はいろいろ言われていて、正しそうなものもたくさんあるが、それを行ったとしても、別段精神レベルが直接上がることには結びつかないようだ。
決まっていない部分の運命は、これらの方法で好きなようにできるようだ。
天国は、どうやら精神レベルには関係なく、森田健さんの調査や船井幸雄さんなどの本を読んでいると、「あの世のありさま」を正しく知っていれば、必ずいけ
るようだ。そうでない人でもいけるようだ。
但し、カソリックの神父さんなど、間違った「あの世観」を持っている人や、この世に未練のある人など、「あの世のありさま」を正しく知らない人が従来言わ
れている”地獄”と呼ばれるところへ行ってしまい、天国には行きにくいようだ。
などのことがあります。
もし、逆に、これらが一つの理論上にあるとすると、実に変なことになってしまうような気がします。
たとえば、
「お金持ちで成功している人は、その手段、過程に関わらず、全て精神レベルが高い」
というようなことですが。
さて・・・
というわけですので、私は、「嫉妬」は、「精神レベルが低い状態」であるならば、それは運命に関係なく、何かで変えられるように思います。
今のところ、それは、船井幸雄さんの言うところの、「宇宙の理、天の理」に沿った世界、暮らしをすることによって達成できるのではないかと考えています。
長くなりましたが、上記の理由により、まず、「嫉妬心」を無くすということをするのが、「嫉妬」から起こる何かを断るよりも、先であるし、根本的な解決で
あるのではないかと考えています。
みなさんは、どう思うでしょうか?
岡田多母さんついでに、もう一つ書きますと・・・
岡田多母さんのサイトである多母の広場
に、「天使と語る」という岡田
多母さんが返事をする掲示板があります。
そこに、耳鳴りについての質問と解答があったのですが、
引用させていただきますが、
質問の概要は以下のような具合です。
『(前略)
一種の幻聴現象が起こっています。ほとんど気にならないレベルのものなのですが、
数十日の間をおいて不連続的に、いつも左の耳からキーンという金属音のよ
うなものが不意に発生し十数秒続いてから消えます。
(中略)
潜在意識レベルの霊的現象には一切関心のない私には何も起こらず、その現象が発生
すると、あ、またか、まあ、お好きなようにと受け流しておりますが、
ひょっとして何か意味があるのでしょうか?』
岡田多母さんの回答は以下のような具合です。
『コンニチワ!
幻聴現象ですか・・・・悩まされている方が多いですね。
宇宙知性からのメッセージは、語る側には問題はなく、聴く側にあります。
メッセージの内容を信じられれば、信じた方がそのとおりに行動することが『意味』
となります。
信じられなかったり、気にならなければそのまま消失させてOKです。
宇宙知性のメッセージはあらゆる人類に届けられていますから・・・・・。
毎日ほがらかに元気に生きてください。がんばって!!(^。^)
』
私は、物心付いたときから、継続
的、定期
的に耳鳴りはしています(笑)。
確かにここ数年〜特に最近多く、1日に数度〜10回前後くらいでしょうか。
少し前は、多くなったのは、体調不良でしたので、そのせいだろうと思っていましたし、それ以前は、生まれて以来ずっと普通のことだろう、と思っていまし
た。
ですので、テレビなどで、「最近耳鳴りが・・・」というような医療相談を見ると、「この人はなんで、そんな普通のことを悩んでいるんだ?」と思って見てい
ました。
普通でしょうか?
数年前、江原啓之さんだったか、他の誰かだったかの本に、「耳鳴りは、守護霊などのメッセージのようなものと関係のあること」
と書かれているのを読んで以来、「そうなのかもしれない」と、思っていました。
今回、岡田多母さんの上記の回答を読み、「そうか、宇宙知性からのメッセージなのかもしれない」と思うことにしました。
理由はなくとも、信じられるものは信じてしまいます(笑)。
もちろん、私の場合は、単なる耳鳴りかもしれませんが(笑)。
みなさんは、耳鳴りはするでしょうか?
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2005
年船井幸雄オープン・ワールドの感想
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10月9,10日と船井幸雄オー
プン・ワールドへ行ってきました。
まず、いくつか”、書きたい”、と心が言っていることを書いてみます。
船井幸雄さんは、一番最後にまとめて書きます。
まず9日ですが・・・・・・
岡田多母さんですが、船井幸雄さんの講演が終わって、急いで駆けつけましたが、残念ながら、満員で入れず、サテライト放送用の会場に行くことになりまし
た。
生きた氣を感じることはできませんでしたが、一応、動いて話す岡田多母さんを見ることはできました。
はじめは独特の話し方に、耳が付いていけず、大変でした。
どうも、たとえば、「すでに始っています」であれば、「すでに・・・・・・始っています」のような切り方をしていました。
それが、いつもなのか、今回だけなのかは、良く分かりません(謎)。
また、放送の画面が小会場のせいか、1カメの「アップ」ばかりで、しかも、多母さんが、文節ごとに、左右に大きく動きますので、それも慣れるまでに時間が
かかりました。
きっと、岡田多母さんにしてみれば、会場全員にアピールするために、動いていたのだと思いますが、サテライト会場で胸から上のアップで、180(120?
160?)インチくらいのスクリーンを5メートルくらいの距離で見せられると、大変でした。
10分もすると慣れてきました。
慣れてくると、今度は、この話し方、声はだれかに、似ているな・・・と思いました。
良く知っているだれかに、すごく似ていました。
しかし、今だにだれだか良く分かりません(笑)。
中島みゆきかな、ユーミンかな・・・と思ってもみましたが、少し違うようです。
だれでしょうか?
終始ソフト過ぎる位ソフトな話し方でしたが、一度何か「ヤマト言葉」のようなものを、うなり(?)ましたが、それは、「うっ!!!」と来ました。
すごい迫力でした。
初めてビッグバンドを聴いた時よりもすごかったかもしれません(凄)。
話している内容としては、7月に何かアセンションに向けての大きな動きが始り、次は1月26日(確か・・・)にある、というようなことが、頭を離れませ
ん。
これは、最終公演で船井幸雄さんも、岡田多母さんがこう言っていた、として、話していました。
岡田多母さんによれば、「7月に、新しい一歩が始ったので、志を異にする友人などとは、意志に反してお別れがあったかもしれない」というようなこと
でし
た。
詳細を覚えていないのは、ボイスレコーダーに取ってあるから大丈夫だ、と思っていて若干油断したいからでしょうか。
レコーダーは長時間録音になっていたので、音が悪くて聴き取れませんでした。
しかし、それが幸いしてか、2日目は、心して聴いていましたので、比較的詳細に講演者の言葉が残っています。
自分で考えると・・・・・・
覚えている限りでは、特に7月では何もなかったようです。
良く分かりませんが。
よくよく考えれば、小松英星さんのサイトを読み始めた頃でしょうか?
船井さんは、小松さんの話は、政木和三さん、森田健さん、野中邦子さんの話の次くらいに、念を入れて話していたように感じました。
特に親しくはないようですが、船井幸雄さんも、小松さんのサイトを詳しく読んでいるようです。
バーバラ・マーシニアックさんの宇宙意識からの言葉は、どうも正しいそうです。
日本では、例の関東地方の地震があったのが7月です。
世界ではロンドンのテロがありました。
8月は、郵政民営化法案が参議院で否決された時ですね。
みなさんは、何か7月以降に、変わったことはあったでしょうか?
講演後は、本を購入しサインをしてもらいました。
ここで初めて生岡田多母さんに会いました。
例の三輪明宏さんの言う「善界人と魔界人がいる、と言っている人がいるか、どう思うか?」をよっぽど聞こうかと思いましたが、たくさん並んでいましたので
聞きませんでした。
というか、きっと、すでに「いない」と結論つけているからなのだと考えます。
あるいは、氣が弱くできなかったのかもしれません。
良く分かりませんが。
運命で決まっていたのかもしれません。
と書いていてテレビを着けましたら、ちょうど三輪さんが出てきました。
正確には5行前まで書いて、三輪さんの名前がなぜ出てきませんでしたので、保留して違うことを書いていたら、三輪さんが出てきて、名前が分かった、という
ことですが。
三輪さんは、正確には聞けませんでしたが、例の坂本九さんが亡くなった飛行機に乗ることになっていたが、乗る前に、「ふっ」と何かが過(よ)ぎったので乗
らな
かった、と言っていたようです。
三輪さんは、興味深い人だ、という前提で書きますが、
これは、どうなのでしょうか?
三輪さんは、もともと乗らないで生きる、という運命だったから乗らなかったのか?
それとも、問いを発したことにより、運命を変えたのか?
寿命だけは、よっぽどでない限りは変更できないようですので、それを考えれば、問いの結果とは、思えないのですが?
本当のことが知りたいです。
もうひとつ思いますのは、5次元までがネットワークの中である、ということを考えれば、三輪さんの場合は、5次元の存在が忠告をしてくれることにより、乗
らずに生き続ける、という5次元からみの運命だったのかもしれません。
それにより、例えば、今日、「守護霊が守ってくれる」ということをテレビで言う、ということまで、5次元を含んだ運命で決まっていたのかもしれません。
今まだ、高次元のすべてなど分かっていませんが、それでも、以前のようにおどおどしくではなく、比較的多くの人に受け入れられる形で、こういう話がテレビ
でできるようになる、という大きな運命の中で、三輪さんがあの飛行機にのらずに助かった、ということが、すでにネットワーク(この場合3次元)、というこ
と
を意味しているのかもしれません。
つまり、今日、この話をテレビで三輪さんがする、ということが、運命で決まっていた、ということです。
そろそろ、「生まれ変わりの告白」がテレビで始る日も近いのでしょうか?
良く分かりませんが。
さて・・・・・・
横道に逸れましたが、岡田多母さんは、サインをする前に、全ての人に右手と背中の真ん中上の方の両方を同時に触り、その人にあった言葉を捜してそれを本に
書いて
いたようです。
背中の上の方は、氣が入るポイントか何かになっていたように思いますが。
私は、「スク」という字を書いてもらいました。
漢字は、読めません。くずしてありますし、当用漢字かどうかも、分かりません。
それに小さく「スク」と読み仮名がしてあります。
意味を説明してくれました。
何でも、「ス」は、母音の根本で、「ク」は子音の根本であるというような説明でした。
この字が私をもっとも、私らしくする音だ、というような説明だったように思いました。
他の人には、「あなたは自分に厳しすぎるので、そうしないのが良いですよ」のように、微笑みながら、優しい言葉をかけていました。
私の時には、言葉の説明のみで、しかも、真剣な表情、言葉でした(笑)
私が緊張して、顔が引きつっていたからでしょうか?
「夜更かししてはいけません」とでも、言われるのではないかと思っていました(冗談)。
前の人よりは、緊張していなかった、と思っているのは、自分だけかもしれませんね(笑)。
終わりに、長めの握手をしてくれました(感謝)。
私から手を出したのか、多母さんからだったかは、覚えていません。
多母さんがあまり力強く握るので、私はそっと握りました。
私は、こういう時力を入れますと、どうしても力が入り過ぎてしまいます(笑)。
この後は、船井幸雄さんと浅見帆帆子さんでした。
1回目の船井さんの時もそうでしたが、この時も、まん真ん中で、演者が逆に見えにくかったです(笑)。
これは、五日市さんの時もそうでしたが。
最後の船井さんは指定席であったこともあり、ちゃんと見えました。
なんと、最前列のA−14というところで、ほとんど真ん中でした(ツイテイル)。
浅見さんの時はみな椅子に腰掛けていたこともあり、見るのは大変でした。
たまにうまく見えると、ちょど目が浅見さんの腰のあたりに行ってしまい、「誤解されないようにしよう」(笑)、と視点をほかにするのが大変でした(エッ
チ)。
ちなみに、プロジェクターを見ればちゃんと見れます。
初めは、本がどれくらい売れた、とかそういう話が主でした。
知っている話が多かったのでしょうか、不思議に覚えている話が少ないのですが、森田健さんの本、サイトは見ているようです。
確か「森田健さんが、あの世にお金があるとか・・・」
というような話をしていたように思いますが。
船井さんがそれについて、「あの世は、その人が思ったような場所になる。お金があると思えば出てくるし・・・」
というようなことを言っていたように思います。
ただ、この話は他の人の話か、ほかの講演の時の話かもしれません。
さすがに、1日4講演を2日聞くと頭に残っている話が、どの講演だか分からなくなってきます。
シンクロニシティーの話もしていました。
シンクロのようなことがある、と信じだすと、次々にシンクロが起きてくる、
何かが起きる前に、それに関係した情報がどんどん入ってくる、
そういう情報が入ってきて、それに関したことが起きて欲しいな、と思ったから起きたのか、それとも、起きることの前触れとして起きたのか、良く分からな
い、というようなことを言っていたようです 。
確か船井さんは、「起きて欲しいと思ったら、そういう結果になった、と思って良いんじゃないですか?」と言っていたように思います。
船井さんはシンクニシテイについても詳しいようで、「百匹目の猿現象」の本を出したときは、同時期に同じ出版社に、その本で書いた外国のシンクロの権威の
人の原稿も来ていて、あわてて、その部分を削除した、というようなことも言っていました。
詳細でなくて、すみません。
シンクロの本がシンクロの専門家の間でシンクロした、という話です(ややこしい)。
時間が短かったこともあり、あまり突っ込んだ話はなかったですが、とりあえず見られたことで、今回は満足でした。
さて・・・
次はエハン・エラヴィさんでした。
日本語のうまい外国人の、典型のような明るい人でした。
自分のことを、「日本外生命体」と呼んでいましたが(笑)。
デヴィッド・R・ホーキンズ著、エハン・デラヴィ&愛知ソニア訳による「パワーか、フォースか 人間のレベルを測る科学」(2004年9月発行:三五
館社)
の話はあまりありませんでしたが、
アインシュタインですら、日本人の平均より下である、ということや、知能指数だけでは500を超えない、心がないと、500を超えない、というような話を
していました。
心臓の話をしていたと思います。
テレビでもやっていましたが、心臓を移植されると、された方の性格や好みが、元の持ち主のものになってしまう、ということがあるそうです。
全体としては、「時間が短くなった」、ということから始めて、いろいろな話をしてくれました。
5年前は、「時間が短くなったのを感じる人は、手を挙げて下さい」、と言っても、数人だったということでしたが、この日はほとんど全員でした。
興味を持っている人が多くきた、ということもあるかもしれません。
しかし、基本的には、これを感じる人は増えているのでしょう。
なんでも、先日まではペルーに行っていたそうです。
ペルーの山奥にいるインディオ達は、今の状況を、宇宙に穴が開いた、と言っているそうです。
また、飛行機に乗り、どこだった
か、今思い出せませんが、アメリカのどこかを経由すると、経由ではなく、一度、アメリカに入国しなくてはいけなくなっているそうです。
そして、まるで、ヒトラーがやったように身体検査をされるようです。
ヒトラーはそうして、だんだんと、縛りつけを民衆に慣れさせていった、ということです。
時間が短くなったのを、レコードの上を針が中心に向かって進むような感じとして、説明してくれました。(レコードは私の説明)。
そして最後はなくなる、と。
世の中は繰り替えしているが、それも、時間が短くなり、くり返しのサイクルが早くなっている、という説明です。
よって、今のブッシュさんのやっていることは、ヒトラーの再現である、とし、それもすぐ終わり、また違うヒトラーが出る、というようなことを言っていまし
た。
どこかに、火星に住んでいた人たちが移り住んだ大きな物体が観測されている、というような話もあったように思います。
テレビに出ると、一番大事な部分を編集されるので、出なかったが、もうそれでも出る、と言っていました。
地上波のキー局以外では、比較的良い、ということですが。
「もう出る」は江原啓之さんも、事実を伝えるために、テレビに出ているということです。
きっと、こういう人も増えてくるでしょう。
2日目です。
始めは五日市剛さんです。
「ありがとう」と「感謝」で、有名な人です。
何と私と同い年の昭和39年生まれです。
MITに留学して、いまや社長ということです。
話の面白い方でした。
当人は、だれかに似ている、と言っていましたが、私の感想は、自民党の加藤紘一さんに似ているな、という感想です。
特に声が似ているように思います。
席は、またしても真ん中でした。
避けようと思えば避けられるのですが、順繰りに、なるように任せると真ん中なのです(笑)。
しかし、うまい具合に、舞台上で私に見える位置に移動してくれていましたので、見ることはできました。
とは言え、岡田多母さん、エハンさんでは、真ん中ではなかったですので、それほど不思議ではありません。
ん・・・・・・岡田多母さんは真ん中だったかもしれません。少し右よりだったでしょうか?
はっきり言って3次元的には、私よりどうしようもなく先を行っています。
なんでも、ザシキワラシが出ることで有名な旅館が、一族の本家であるそうです。
詳細は本など読んでもらうと分かりますが、どうも、この話に出てくるドイツからイスラエルに越してきたというおばあさんは、一種の超能力者ですね。
五日市さんの息子さんは、おばあさんが、「私は生まれ変わりを信じているのよ」と話したことから、おばあさんの生まれ変わりではないか?と思っているそう
です。
楽しい話です。
要するに、良いことがあろうが、悪いことがあろうが、「感謝」、「ありがとう」と言えば、すべて、想像を超えたような良いことが起こることになる、という
ことです。
これはこれで、事実なようです。
五日市さんは、おばあさんの助言により、良いことがあったら「感謝」、悪いことがあったら「ありがとう」と言う、としていますが、船井幸雄さんは、面倒
だから、いつでもい、「ありがとう、感謝します」と言えば良い、と言っていました。
「感謝」と「ありがとう」は、決まっている運命を変える効果があるのでしょうか?
政木和三さんの本には、次のような話が出てきます。
医者から見離された赤ちゃんのいる夫婦が相談に来た際、政木さんが自分の生命体に聞いたところ、「その赤ちゃんは助からない。しかし、欲を捨て、完全に諦めて、”赤ちゃんが良くなりました。ありがとうご
ざいます”と完了形で願ったなら助かる」という答えが返ってきたそうです。
それを、夫婦に伝えたところ、数日後、赤ちゃんが生き返り、病院で大騒動になっている、という電話が夫婦からあった、ということです。
これは、私にとっては懸案事項になっています。
完了形に関しては、思い出しましたが、先の船井さんと浅見さんの講演で、浅見さんから、「完了形」の話が何かの折に出たとき、「それは、原因の世界には時
間の概念がないので、完了形で言うのでしょう」という話があったように思います。
なるほど、と思いました。
ふと思いましたが、
「感謝」と「ありがとう」という言葉は何か高次元的な呪文のような力のある言葉であるかもしれません。
そして、実は意味は本来どうでも良いのかもしれません。
なぜなら、五日市さんの話によれば、「悪いことが起きるときでも、そのままの心情を込めながら”ありがとう”と言えば、良いことが起きる」ということのよ
うですので。
しかしながら、3次元では、「感謝」も「ありがとう」も、何かに対して感謝するとき、ありがたく思うときに使うようになっています。
ですので、言葉を使っている限りにおいては、「感謝したくない」、「ありがたくない」時には使いません。
「感謝したくない」、「ありがたくない」という状態
はどういうことかと言えば、
起きる状況に対して・・・
自分が意図したこととは違うことである、
意図したこととは逆ではなくとも、損益を得ることである、望まないことである、
と感じた状況のことです。
これを今の私の知識で解釈してみると・・・
運命は生まれた時から全て決まっている、ということを受け入れない限りは、めったにこの言葉を使うことはない。
逆に、運命は全て生まれた時から決まっていることを知った、受け入れたならば、何の躊躇もなく、この言葉を使うことができるであろう、
となります。
もう一つは、
運命が決まっているにも、関わらず、起きたことに対して、「悪い波動」のこもった言葉を使うということは、状況を更に悪くするし、第一、運命が決まってい
る、ということを全く理解していない、
ということも、感じ取れます。
そこらへんに何かあるのかもしれません。
運命が決まっている、とは、欲望の持ちようがない→決まっている運命に対しては、欲望を捨てるしかない、
ということを意味しているのかもしれません。
とすれば、正に政木和三さんの書いているような、
「欲望を捨て、完全に諦めて、完了形で、ありがとうございました、と願う」
という状態と同じことが訪れます。
しかし、五日市さんの場合には、「欲望は捨てていないものの、とにかく”感謝します、ありがとう”」
と言えば、災いがものすごい良いことに転じる、というような内容です。
五日市さんの本なり、講演の実例は次のようなものです。
「車を運転していて、おばあさんが自転車で飛び出してきた。その時、”ありがとうございます”と言った。おばあさんはかすり傷であった。しかし、その後そ
の家族ととても仲良くなり、親しく付き合うことになった」
「県でも、上位に入る卓球の選手と試合をした。その際、撃つたびに、”決まりました。感謝します”(少し違うかもしれない)、といったところ、勝ってし
まった。その選手の要望で再試合をしたが、また勝ってしまった」
「友人が交通事故にあった。その際、五日市さんの言うように、がまんして、”ありがとうございます”と言った。そうしたら、病院の可愛い看護婦さんと結婚
することになった」
などです。
ここでは、私の知っている限り、「完了形で何かを願った」ということはありません。
そこで仮説を立てれば、「ありがとうございます、感謝します」には、マイナスの波動を同じレベルプラスの波動に変える効果があるのかもしれません。
上の例がプラスマイナス0になっているかは、良く分かりませんが、大体それくらいか、あるいはプラスにいくらか触れているようにも感じます。
面白いのは、卓球ですが・・・
強い、ということは、球なり、人なりに、強い波動がこもっており、それが相手より上であれば、勝つ、そうでなければ、負ける、ということのように感じま
す。
それを、「ありがとう、感謝します」と言ったことにより、その波動がそのまま・・・いやきっと勝ったのですから、より強い波動を伴って、相手に返っていっ
た、とも考えられるかもしれません。
これが正しければ、「ありがとう、感謝します」には、やはり、向かって来たマイナスの波動を、その値をプラスマイナス逆にして増幅する」という効果がある
可能性が高いように思います。
また、卓球では、一見、相手に波動が返っていったように感じられましたが、どうも、そうではなく、自分に対して、増幅されたプラスの波動が返ってくる、と
いうのが正しいのかもしれません。
もし、その波動を伴って、自分の願望を”完了形”で願えたならば、ひょっとしたら、政木さんの言っていることと、同じことが起きるのでしょうか。
これは、これで、一つの仮説として、しばらく考えてみたいと思います。
もう一つですが・・・
従来の私ですと、きっと上記のような発想は出てこなかった、と思います。
従来ならば、私の分析は、
彼は「汚い言葉を使っていた時代」、「他人の欠点ばかり探していた時代」、「先生、同僚、後輩とぶつかってばかりいた次代」でも、不幸はあったものの、
ちゃんと大学にも入れたし、なんとMTI(マサチューセッツ・工科大学)にまで留学している。
実家は県で一番大きなキャバレーの経営までしていた・・・
ということは、別に汚い言葉を使おうが、どうであろうが、良いことも、悪いことも起こっている。
そうであれば、それは運命には関係ないのであろう。
むしろ、うまく行っている人には、昔の彼のように、自分の頭が良いことなどをいいことに、えばっている人が多いようにも見える・・・
とこうなっていたと思います。
しかし、現在では、基本的に運命は決まっている、ということがありますので、
「彼が以前の状態でも、MITに留学したり、実家が大きな事業をしていたのは、決まっている運命によるものであろう」、
と考えることができます。
ですので、今では、上記のような仮説ができあがることになったのだと思います。
もちろん、当たっているかどうかは、今は良く分かりませんが。
また、船井幸雄さんの新著はよく読んでいませんが、こういうことを考えることは、ひょっとしたら、チラッと見たら書いてあった「ブラックボックス」の中身
のことなのかも
しれません。
そうであれば、本来は、事実のみ把握して、考える必要のないことの可能性もありますが(笑)。
また読み進んだら、加筆しようと思います。
さて、五日市さんの講演ですが、終了の予定の10分ほど前に、私は、「トイレに行きたい」のと
「森田さんの講演に備えて並ばなくてはならない」の2つの理
由で、出ました。
トイレに行き、見たところ、まだ並んでいないようでしたので、タバコを吸っていました。
すると、3,4列ほどで列が進んで来ましたので、私はあわてて、鎖を乗り越えて、列の後ろにつきました(笑)。
なんでも、不思議研究所のサイトによりますと、五日市さんの講演は10分押したようです。
ですので、私は約20分ほど、五日市さんの話を聞き損ねたようですね。
最後に何を言ったのかが、少し気になります。
私の聞いていた範囲では、面白おかしく、飽きさせず、そして、「ありがとう、感謝します」をちりばめる、という方法を取っていたようです。
どちらかと言えば、メインは、面白おかしくの方に合ったのではないか、とすら感じます。
途中、「聞いている人が寝てしまうのは、100%話している人の責任です」と言っていましたので、その意図でしょうか。
終わりに従って、少しずつ、波動の話などもし始めていました。
同い年の、しかも3次元では私よりうまく行っていて、頭脳明晰な人が何を考えているのかは、興味あります。
時空も、こうして興味を持って人間を見ているのでしょうか?
次の機会の楽しみができて、良かったです。
※追記です。
ひょっとしたら、「ありがとう、感謝します」が先かもしれません。
どういうことかと言いますと、まず、この言葉が先ということです。
まずは、「ありがとう、感謝します」を、呪文だと思ってくだ
さい。
実際は、創造主に感謝とか、そういうことなのかもしれませんが。
とにかく、「結果」・「感謝」、「結果」・「感謝」ではなく、
「感謝」・「結果」、「感謝」・「結果」ではないか?という仮説です。
どういう意味なのかは、分かりません。
ただ、岡田多母さん(確か・・・)も五日市さんも言っている聖書の、「はじめに言葉があった・・・」という文章が気になります。
当初、これは、「願望を言葉にする」ということと、関係があるのか、と思っていましたが、そうではないかもしれません。
その意味では、政木和三さんの言葉も、あえて注釈するのなら、「ありがとうございます、感謝します、は、願望も前に言うこと。願望を先に言って、その後
に、ありがとうございます、感謝します、ではならない」ということなのかもしれません。
どういう意味なのかは分かりません。
さて・・・・・・
次は森田健さんと神坂新太郎さんです。
不思議研究所サイトでは、事前にこの日についての予告がありました。
詳細はサイトを見ていただければ分かります。
それがどういう意味を持つのかについては、不思議研究所のサイトで多くの方が書いています。
私はなぜか、意味については不思議に自発的に意見は浮かんできませんでしたが、開演してからは緊張しました。
自分がやっているような感じに似ていたように思います。
これも、事前に告知された結果なのでしょうか。
さて、中身ですが・・・
神坂さんは、スピリット波動(だと思う)の話が、興味深かったです。
魚が一方向へ一斉に動く、という話については昨年、太陽光線に命令信号が含まれており、それを松果体で感知し、そういう行動を取る、という話があったよう
に思いましたが、今年は、宇宙にはスピリット波動があり、そこに含まれる指示通りに行動しさえすれば、全てはうまく行く、しかし、人間の場合、自由意志と
いうものがあり、しばしば、その指示と違うことをする。
それはもっぱらエゴ的な内容であり、それはいけない・・・
という話だったように聞きました。
私は森田さんのハンドルを手放す、ということが、今だに、今ひとつ実感し切れませんでした。
しかし、もし、このスピリット波動の指示通りにする、ということが、ハンドルを手放す、ということであれば、理解度は相当深まります。
実際、そういうことなのではないか、と感じています。
私は最近「創造主の意志」、として、身を委ねておけば良いものを定義していました。
私はこれを、波動ではなく、生また時に決まっていた
運命という、すでに書かれているストーリー、本のように思っていました。
しかし、それだと、もうひとつどこか、ハンドルを手放している実感を感じきらなかったのですが、これが、神坂さんの言うスピリット波動と同じものであるな
ら、そうではないです。
宇宙から光のようにり注いできている、という概念が、どこかダウンロードと似たような概念でもあり、光合成と似たような概念でもあり、「やりたい、そうし
たい」と思っていることを我欲に囚われずにすることが手放している状態、と素直に思えてきました。
その他、現在の日本についての認識は、私はほとんど共感できました。
実は、神坂さんの話にも出ましたし、私がしばしば書く、例の三菱自動車の車輪事後現場は、私の部屋のすぐ近くです。
マンションの前には、明治維新時に、多くの寺が外国の領事館になったにも関わらず、寺の修理を理由に、外国人が入ってくるのを拒否した寺があります。
なんとも、不思議な気がします。
そう言えば、小学生のころ、「日本人は刀を差していると今でも外国人は思っている」、というテレビを見て、大人になったら外務省に入って日本をもっと理解
させてやる、と思ったことがあったことを思い出しましたが、まあ、入らなくてよかったようです(笑)。
森田さんですが・・・
運命は、 ビットレートと波動の両方の可能性もある、という話は、どういうことだろうか?と思いました。
決まっている部分と、呼び込む部分によって運命は構成されているということなのかもしれません。
そうであれば、私は、こちらの方が、より理解しやすいです。
少なくとも、スピリット波動の通りに動いたとしても、努力をしても良いことになるように感じます。
どうも、私は、100%ハンドルを手放すことが、現在はできないようです。
また、運命はどこまで決まっていて、どこまで決まっていないのだろう、という話もありました。
「生まれ変わりの村」の報告も長い時間が割かれました。
私は、とにかく信じてしまうのですが、あれを始めて見た人はどう思っているのでしょうか?
始めて見た方でも、少なくとも、一般の人よりは、興味があり、またほとんどの方は、なんらからの事情でインターネットが見れないが、本は読んでいる方だと
は思いますが。
たとえば、例の仏教を極めて今度こそは、輪廻の終了だ、と思っていたら、また生まれ変わり、生まれたとたんに、「これ以上育てられないから」と言われて、
水を張った甕に押し込まれた人の話ですが・・・
ある意味あの話は笑える話だとは思います。
私は初めて不思議研究所のサイトで見たとき、笑えず、「ん・・・・・・・」となってしまったのですが。
4コマ・漫画だとしたら、傑作です。
あの「野外で用を足していたら、大事なところを毒蛇にかまれてしまい、同僚に”毒を吸い出してくれ”と頼んでも、拒否された」のと同じくらいのパワーがあ
るように感じます。
あの話は実に笑えない現実の話でありながら、絶対怒れない話でもありますね。
上の毒蛇の話の笑いのポイントは、
・”よりによって”、何で、そんなところを噛まれたんだ、
・”そうだよな”、蛇くらいいるだろうにな、
・そこは吸えないよな、女でもそういう関係でないと吸えない、まして男となると・・・相手の命より、”3次元的現実”を見てしまうよな、
・ツイテナイ、と200%超えている、
などでしょうか?
瓶の話は、どこが「ん・・・・・・」なのかと言えば、
徳の高いお坊さんや、悟りを開いたような人が、仏教修行を納めれば、輪廻を完了し、次のステップへ行けると言うので、そうしたら、輪廻を完了できるところ
か、生まれ変わってみたら、これまでにないようなひどい幕開けが待っていた・・・
という事実の、”現実さ”ということなのでしょうか。
すべて、何も打ち合わせなどしていないで生まれてきた、とするなら、”よりによって”、”そうだよな””3次元的現実”というような項目で、非常に似てい
るのかもしれません。
ただ違うのは、彼は前世で、仏教の修行を積んだのに・・・ということでしょう。
あるいは、その成り行きのどこかに、仏教の修行を積んだ故の何かがあるのでしょうか?
と書いていた思ったのですが、いつかも書きましたが、私は生まれた時、なんでも、未熟児で死にそうだったようです(覚えてない)。
もちろん、瓶(かめ)の話のように、親に水瓶に押し込まれたと言うことではないですが(少笑)。
それがあるので、きっと笑えないのかもしれません。
まして、前世、私が宗教を極めたりでもしていたら、それこそ笑えません。
まさに”他人事(ひとごと)ではない”状態ですね(笑)。
勝手な解釈ですが・・・
どうでも良いことではありますが、どうも、私は前世で宗教関係のことをやっていたような気がしてなりません(笑)。
証拠など、何もありませんが。
ただ、前世を覚えている可能性の高い幼少時に、太陽に向かって話しかけていたというから、変な子供だったのは確かです(覚えてない)。
私もあるいは、「輪廻を早く完了させよう」だなんて、むしの良いことを考えていたのだとしたら、何とも、「ん・・・」です。
スタンダードに考えれば、「断りもなく、輪廻を速い所、完了させようだなんて思ったりするから、こういうことになる」といったところでしょうか。
ただ、どうも、時空には、そういう意図もない可能性が高そうですので、うまい具合に皮肉が重なってしまった、というなのでしょう。
しかし、思いますのは、本当の本当に、人は何も予定しないで、再びこの世に生まれ変わってくる
のだろうか?
ということなのですが。
森田健さんの「生まれ変わりの村」の報告を読んでいると、確かに、神と相談する隙や、その気配すらありません。
ただ、いろいろ読んだりしていると、確かに、ある種の人々は、少なくとも時代を選んで生まれてきたりしている可能性が高いそうだな、と思わされることがあ
ります。
もちろん、時代を選ぶその裏には、「この時代」にしかできない何かをしよう、という意志がある、ということなのですが。
ひょっとすると、まったく予定を立てないで生まれてくる人と、ある程度予定を立てて生まれてくる人の両方あるのかもしれない、という気もします。
全くの想像ですが。
ただ、もしそうだとしても、あの世でどういう状況の人がそうで、どういう状況の人がそうでないのかは、分かりませんが。
今回の「生まれ変わりの村」の報告には、前世、相当名を馳せた軍人(?)であった人の話がありました。
その人の今世は比較的平凡なようです。
軍人でもありません。
政木和三さんの本に出てくる生まれ変わりの話を読んでいると、知名度の高い人のケースを書いた方が、分かりやすいからだと思いますが、今世においていろい
ろな分野で大きな成功を収めていている人のことが多く出てきます。
そして、それらの人々は、前世でも、またその前でも・・・・・・大抵、どこそこの富豪、どこそこの殿様、どこそこの王族、といったような経歴(?)を持っ
ています。
「○○社長の下で働いている人々は、前世でも、彼が殿様だった時に、仕えていたものばかりなので、チームワークは抜群である」、というようなことも書かれ
ています。
それは、それで事実だと私は思っていますので、構わないのですが、ただ、ここから推測するのは、少なくとも3次元での上下関係が変わったりするには、どう
も数百万年単位で見ないと、いけないのかもしれないな・・・ということです。
もちろん、推測ではありますが。
決まった運命の前には、嫉妬の余地などありません。
精神レベルを上げようと思えば、嫉妬の「し」の字も禁物かもしれません。
少なくとも、地獄には行かないで済むのかな、とは思っていますが。
上の話とあわせて・・・
先の、前世で毛沢東と結託した軍人さんが雇っている人の中に、前世での兵士がいるのかが興味深いですね。
とは言え、アセンションが行われた後、カルマや運命というものがなくなるのであれば、その有様は、まったく違ったものになるのでしょう。
みなさんは、どう思うでしょうか?
ちなみに、岡田多母さんにサインをもらった時ですが、
正確には、「スク」は、「ス」が主音、「ク」が副音と言っていたようです。
「クが入っているので、苦労しないように活動してください」
ということです。
ドクターコパさんがいますが・・・・・・例の風水の人です。
あの人の風水が本物かどうかは分かりませんが、本を読むと面白いことが書いてありました。
なんでも、幼少時、どんな占いにかかっても、「ものすごく運が悪い」と言われてばかりだったそうです。
そこで、「絶対に運勢を変えてやる」と思い、いろいろ研究したそうです。
その結果が今の小林さんなのか、決まっていた運命だったのか、意図して運命を変えたのかは分かりませんが、ちょっといいね、と思いました。
このコメントに心動かされてしまうところを見ると、やはり、今のところハンドルを手放すのはむつかしいようです。
できないとは思っていませんが。
是非、創造主の意思を正確に捉えたいと思っています。
みなさんは、どう思うでしょうか?
さて、最後に船井幸雄さんです。
基本的には、登場した際には、新著である「にんげん」(ビジネス社:2005年10月発行)に沿った内容を話していました。
もっとも、この時点では、私はこの本を読んでいませんでしたが。
どの講演でも、前半は、政木和三さん、森田健さん、野中邦子さん、「ヒマラヤ聖者の生活探求」、コンシャス・チャネラーとトランス・チャネラー
(シャネルを持つ人のことではない)、小松英星さん、2010年から2025年くらいまでにアセンションがありそうだ、などの話でした。
後半は、「にんげん」を初め、いろいろな話がありましたが、やはり、心に残るのは、今回の船井幸雄オープンワールドが最後である、ということでしょうか。
船井幸雄さんによれば、どうやら後2、3年くらいで、世間に対して、広く”事実”を知らせなくては、ならないそうです。
根本になる人の人数は、どうやら、今回の人数などを見ていると、そろったようなので、どうやら次のステップに来年からは始めるようです。
確か、現在数千人の先駆者がおり、それを、10万人から20万人にする必要があるということだったと思いました。
もっとも、それを決めたのは直感であり、上記のような説明は、人を納得させるためのものであるようです。
どういうことを行う予定なのかは、分かりませんが、協力できることは、是非協力したいと考えています。
さて・・・・・・
初日では、まず政木和三さんの話から始ったように記憶しています。
政木さんと出会った時期は、不思議なことを有名な会社の社長の身分で言ったりすると、世間から冷たく扱われたそうで、あまり言わなかった時期だったそ
うです。
しかし、アントニオ猪木さん絡みで政木さんを知り、「精神エネルギー」という本を読み、それ以来の付き合いで、いろいろなことを見せられたり、知らされた
りしているうちに、また不思議なこと(?)を公に言うようになったそうです。
もちろん、言わない期間も研究、勉強はしていたそうなのですが。
先だって、森田健さんは、飲んでも飲んでも出てくるお酒を持っている中国人の報告をしていました。
それにあわせて、船井さんは、「政木さんもいくら飲んでも出てくるお酒を持っていて・・・」というようなことを話していました。
政木さんのことは、政木ワールドに詳しいです。
いくらか私なりに話してみます。
生まれは大正5(1966)年5月26日、なくなったのは、平成14(2002)年8月6日です。
(調べたところ、和暦を西暦に直すには・・・明治は和暦+1867、大正は1911、昭和は1925、平成は1988です。)
子供のころから機械が好きで、小学生の時には、すでにブリキを切って、自分でモーターを作ったりしていたそうです。
一度、小さな工場に就職し、その後工業高校へいったそうです。
そこで、大阪大学の先生と合い、「あなたは面白いので来なさい」ということになり、大阪大学へ進んだそうです。
阪大では、工学部の全学科(航空工学、通信工学、造船工学、精密工学など)を勉強し、医学部では神経の研究をし、工学部工作センター長
などを務めました。
発明は、魚群探知機、水深測定器、嘘発見器、超音波金属ひずみ測定器、電波測定用オシログラフ、自動炊飯器、自動ドア、テレビの改良(安いテレビを作
成)、瞬間湯沸かし器(久しく使っていない言葉なので、なかなかでませんでした)、メガフォン型の拡声器(確か)、エレキギター、などの、一般的(?)な
ものから、
低周波美顔器、神経波磁力線発生器、バイオライト(直流で付く、目に良いライト。今のインバータライトは同じものか?)、アルファ・シーター(脳波がある
ファー波やシータ波になる機械)、空気エンジン、などのものも発明しています。
なんでも、黒部ダム建設では、自分で発明したコンクリートの内部の様子を確認する機械(超音波コンクリート測定器)を使い関係したそうです。
戦前は何か(発明?)で儲けて、相当な貯金があったそうですが、預金封鎖で、0になったそうです。
戦後は、3000件以上発明し、特許申請は960件以上だそうですが、1つも特許権は取らなかったそうです。
政木さんは特許を出願すると、後はお金か何かを払えば特許権を取れる状態のまま放
置し、期限内にお金を払わずに、特許権をフリーにする、ということをしていたそうです。
なんでも、特許庁で、電機(電気)メーカーの人が見張っていて、政木さんが特許を出願すると、すぐその発明を利用した新製品を出す準備を始めていたそうで
す。
阪大を退職した後は、林原研究所に参与として、在籍していました。
阪大時代から不思議研究はしていましたが、不思議な話の大半はこの時代のものです。
研究、そうでないものをはじめ、不思議なことは著作にいろいろと出てきます。
まず、幼少時代ですが、
小学生3年の時、体が弱く、あるお坊さんの話か何かから、息を7秒吸って、7秒で下腹に押し込み、7秒で息を吐くということを毎日1時間し出し、体がよく
なったそうです。
千里眼にもなった、と書いていますが、どういうことかは書いてありません。
これは、七田さんのところでやっている呼吸法と似ていますね。
政木さんはこれによって、いつでも、脳はを低い状態(アルファー波、シター波)にできるようにあった、と書いています。
この頃、日蓮宗の経本を母親にすべて解説したということです。
後に、前世のひとつが日蓮であったことが分かったそうです。
終戦の直前、昭和43年にあ、「日本はこのままでは負ける」、と感じ、ある発明をし、それを学生でありながら、総理官邸を訪れ、東条総理に合い、その発明
の説明をし、気に入られ、翌日には閣僚すべてに説明することになったそうです。
それは、実用化に向けて動いていましたが、終戦により、なくなったそうです。
もし実現されていたら、戦犯になってしまうところでした。
終戦後は、まず、格安テレビを発明(?)しました。
ものすごく高価だったテレビを改良し、なんとか一般の人でも無理すれば買える程度の価格まで下げたようです。
もちろん、電気メーカーからは苦情がきたそうですが。
自動炊飯器なども、このころのようですが、「発明おじさん」(きっとまだ2,30代)として、映画ニュースやテレビなどに出演していたようです。
不思議な話ですが・・・
不思議との出会いは、スプーン曲げのようです。
1972年7月3日にテレビでスプーン曲げを見て、「そんないい加減なものをテレビやるとはけしからん」とテレビ局へ電話したそうです。
「先生の力で科学で否定してみてください」
というので、ある番組に望んだようです。
その時、自分で発明した金属ひずみ計測器を持っていったようです。
そして、スプーンのくびのところにストレーンメーターを取り付けました。
このストレーンメーターは10万分の1のひずみでも測定できたそうです。
(ひずみ計とストレーンメーターの関係は私には分かりませんが)
スプーンは手に触れず、念だけ送る形で行われたそうです。
アナウンサーは「曲がりません」と言ったようですが、測定器には10000分の3曲がっているのが測定されたそうです。
次に、スプーンを投げる、という方法で行われましたが、見た目には曲がりませんでしたが、1000分の1曲がっていたようです。
このことによって、不思議なことに目覚めていったそうです。
その後阪大でも、いろいろと実験をやったようです。
大学の近所に超能力を持った子供がおり、その子と共に行ったものでは・・・
その子が走りながら、紙とペンを空中に投げ、質問をすると、その回答が紙に書かれている、ということをしたそうです。
これは、多くの人が見ていたようです。
字、絵、方程式の答えなど、いろいろやったようです。
また、その子が念じると、欲さえなければ、瞬間移動なども、成功したようです。
また、蓋をした試験管に手を使わずに瞬間移動をする実験などもし、そこでは、蓋にわずかな瞬間でも蓋が動いたなら測定できる装置を付けて実験したようで
す。
確かにわずかに動いていたようですが、これは、森田健さんの本などとあわせて考えれば、「蓋経由でものを移動させる」方法を超能力者の方で、考慮して、そ
の方法を取った可能性がありますね。
それもできれば、蓋を無視して、移動することも、試験管のガラス面を通すことも、なんでも人はできるようです。
昭和50年には幽体離脱をしています。
その時には、飛んで行き、龍にあったりしています。
後日、その時見た風景と同じところに出くわしたので、行って見たところ、地元のお宮さんの方の話で、龍の伝説があることが分かったそうです。
ものの瞬間移動なども、良く書かれています。
遠くに置いてきたものや、なくしたものが、ありえないところから出てきたりします。
政木さんがアトランティスの神官だった時に持っていた賢者の石を見ようと、宗教関係者が事務所を訪れたときには、あいにく持っていませんでしたが、しばら
くすると、手の中から出てきたりもしています。
・・・・・・
書いていると、政木さんの本、1冊分を要約しなくてはならないことに気が着きましたので、ここら辺で端折りますが、
その他、みかんなどから出てきた真珠、空間から出てきた仏像、医者から見離された患者が、「欲を捨て、過去完了で願う」ことで直った話、同じく、アルファ
シータで直った話、アルファシータでは、3日くらいで六法全書を暗記してしまった人がでたり、賠償美津子さんが台詞を簡単に覚えてしまったり、ということ
もあります。
また、湾岸戦争の終わる日、昭和天皇のなくなる日を、いずれも、講演中に急に答えが出てきて、ぴたり当てたり、
例のお酒、フーチーの話、円盤がいついつ来ると言ったインチキな霊能者をいましめた話、ドイツでスキー場(スキーも先生並に出来る)に行き、スキー板屋さ
んに、三島由紀夫さんとの縁で急に無料でスキー板をもらうことになった話、ドイツの名門家の食事会に招待され、ドイツ語ができないのに、お互いきちんと話
をしてしまった話、ジャズとクラシックのプロが驚くようなピアノ演奏を急にしてしまった話、専門家が音楽理論通りだと驚いた作曲を急にしてしまった話、そ
の曲を聞かせたら重病人が直ってしまった話、サイ科学界の後援会で賢者の石を出したら、急に見ていた人がアトランティス語で話し始めた話、ゴルフ(すごく
有名)で政木さんの打ったボールが行き過ぎたと思ったら、また戻ってきて穴に入って行ったと言うキャディさんの話、寿命が伸びた時の話、その他前世を証
明する多くの話など、
たくさん出てきます。
以上政木和三さんの話しでした。
森田健さんについては、ここ数年、船井さんの本には、「一番教えられる人です」と登場しているので説明の必要もないと思いますし、実際、今活躍している方
ですので、不思議研究所のサイトなどで、実際に触れてみてください。
野中邦子さんですが、「にんげん」にも書かれている
ようですが、私はまだ、そこまで読み進んでいません。
ネットで調べて見ると翻訳家で同姓同名の人が見つかりますが、きっと、この人とは別人かと思われます。
船井さんによれば、政木和三さん、森田健さんに次ぐすごい人ということですので、楽しみです。
1,2回目の船井オープン・ワールドの話などもしていました。
第1回めの船井オープンワールドでは、政木さんも講演をしたようです。
代1回目か2回目か、分からなくなってしまいましたが、天外伺朗さん、なども当然のように登場していたようです。
面白いなと思ったのは由紀さおりさんが講演をしたということです。
実は私は由紀さおりさんには、思い出があります。
大学生時代あるプロのピアニストのローディ(ものを運ぶ人)を少ししていたのですが、その人は当時タモリさんが日本テレビでやっていた番組のレギュラーで
した。
ですので、毎週、何週間か現場に行っていたのですが、何回目かにゲストに由紀さおりさんがきました。
大抵スターの方は、こちらなどまったく見ないのですが、由紀さんはなぜか、私を見て、微笑んでくれていました。
ちょっと親戚に似た顔だな、と思っていましたので、「やっぱり、似た顔同士は、親しみが沸いてくれるのだろうか」などと、思ったりしていました。
ここに来て、由紀さおりさんんも名前が登場したので、驚いています(笑)。
ちょっと調べてみますが・・・・・・
とりあえずインターネットでは、由紀さんに関係した「不思議」は見つかりませんでした(笑)。
ひょっとしたら、私の後ろに何か見えて笑っていたのかと思いましたが、そうではないのかもしれません(冗談)。
「ヒマラヤ聖者の生活探求」についても触れていまし
た。
どうやら八重洲書店には船井さんがお願いをしたかなにかであるようです。
さきほど、アマゾンで見てみましたが、そこにもいくつかありました。
確か廃刊になっていたように思いましたが、どうやら読めるようです。
読んでみようと思います。
どうやら、アセンションが本当にあり、成功したのなら、人はそこに描かれているような存在になるという話でした。
要するに、超・超能力者のような存在で、水の上を歩いたり、テレパシーを使ったり、ということです。
オーストラリアのアボリジニはテレパシーを使うそうですし、インディアンなども、何か不思議な能力があるようです。
資本主義から離れて、物質的な豊かさがない方が、人間本来の力は発揮できるのかもしれませんね。
アメリカに、人里離れて集団生活をしている団体がいたかと思いますが、彼らもそうなのでしょうか?
良く知りませんが。
アセンションは、船井さんも、研究はしていたものの、完全に信用はしていはいなかったそうですが、どうやら、ある可能性が高い、と言っています。
小松英星さんのサイトが今のところ、一番参考になるようです。
あの話を宇宙意識から得ていうバーバラ・マーシニアックさんは・・・・・・
ちょっと分からなくなりましたが・・・
とにかくチャネラーにはコンシャス・チャネラーと、トランス・チャネラーがいるという話をしていました。
バーバラさんはどちらかのようですが。
トランス・チャネラーは、エドガー・ケイシーさんのように、チャネリング中のことは、まったく覚えていないタイプのチャネラーで、コンシャス・チャネラー
とは、覚えているタイプの人のことです。
言っている内容が当たっている比率は、トランス・チャネラーの方が高い、ということです。
もちろん、コンシャス・チャネラーにも当る人はいる、ということです。
ちなみにコンシャスとは、バブル期に流行ったボディコン=ボディ・コンシャスのコンシャスで、意識する、ということです。
トランスは、トランス状態のトランスで、意識がない状態のことです。
この2つの違いは3次元的(?)には、何でしょうか?
その人の精神レベルによるのでしょうか?
それとも、超能力レベルでしょうか?
例のセスの本は、どちらでしょうか?
チャネリングされる当人は、セスの言葉を覚えてはいないようですが、セスが話している時の、状況、状態は覚えているようです。
しかし、内容は、後に、旦那さんが文字にしたものを読んで始めて知るようです。
きっと、トランス・チャネラーなのでしょう。
また、この講演だったと思いますが(船井ドットコムだっかもしれない)、日本も一度悪くなるだけ悪くなって、その後、良くなる、ということが起きる、とい
うような話があったよ
うにも思います。
あるいは、どこか違う話かもしれません。
どうも、あの2日間の情報は、私の瞬間取り扱い情報量を超えてしまったのかもしれません(笑)。
ハードディスクのどこかには、残っているのですが、一部どこから、保存してきたのか分からなくなっているものがあります。
それが、小泉内閣のことかどうかは、良く分かりません。
不食の話もありました。
今回のFOWで講演をした山田鷹夫さんで、有名な話ですね。
確かに、最近アメリカの事例をテレビでやっていましたし、「にんげん」を読んでも、事例はあるようです。
船井さんによれば岡田多母さんも、2日に1度くらいしか、食べないらしいです。
実は、私は、この1,2年、ほとんど1日1食です。
食欲がないのです。
病み上がりでしたので、まだ体が本調子ではないのだろうか?と思っていましたが、ひょっとしたらそうではなく、この一連の流れに沿ったことなのかもしれま
せん。
実際は、良く分かりませんが。
ただ、寝際に、本を読みながら、パンを食べたりしますが(笑)。
スモーカーなので、口が寂しいのでしょうか?
その他、思い出したところから、書いていこうと思いますが・・・・・・
やはり携帯電話はいけないようです。
電磁波が体にとっていけないということです。
ビルの上(?)、中継器のあるところも、またいけないということでした。
これは、なんでも、船井さんが国会議員の人を集めて行っている何かの集まりで、電磁波についての権威の人を呼んで、とにかく本当のことを言って欲しい、と
いうお願いしての、お話の時に、出てきたことのようです。
超低周波がいけないということだそうです。
私事で言えば・・・偶然かもしれませんが、私は携帯電話をなぜか持たない主義の人です。
前の会社で、会社がどうしても持て、というので、持ったことがありますが、そこから急展開で運が下がりました(笑)。
嫌なことをしたからか、携帯電話のせいか、決まっていた運命のせいか分かりませんが、そういうことがありました。
電磁波とは違いますが、エハン・デラヴィさんのサイ
トを見ていましたら、光についての面白い話がありました。
REAL AGE NWES
バックナンバーの、「
vol.23 05/08/04 ダイヤモンドと意識の関係を語る田村社長 」というところです。
何でも、田村さんが作った完全なダイアモンドは、賢者の石と同じ効果があるそうです。
どうやら、そのダイアモンド自体が力を持っているのではなく、光が力を持っている、ということです。
動画ですので、興味のある方は、ご覧ください。
田村さんは、「意識と氣は別物。
意識は、下が上を引っ張る、
氣は上が下を持ち上げる。」
というようなことを言っていたように思います。
あと何年かで、「占い」は当たらなくなる、という話もありました。
意味するところは、私の知識と合わせれば、地上の人間が本来持っている力を取り戻し、だれでも、原因の世界にアクセスできる、ということなのだと思いま
す。
それを考えると、どうやら、宇宙の高い意識は運命ネットワークの中には入っていないようですね。
なぜなら、上記のようになった後も、今も、意識を送ることができるのだと感じますので。
少し思いましたが・・・
「宇宙の理」に、隠しごとは通じなくなる、というのがありますが、「地の理」下では、隠し事をしたがります。
企業などでも情報もそうですし、「地の理」下
では当然とも言えますが、プライベートも隠します。
そこから考えると、「隠す」から「見えないものが見える力」がなくなったのではないでしょうか?
更に派生すれば、「資本主義」、「共産主義」のように一部の人が取っていくシステムがあるから、自分の思ったものが叶わない状態があるのではないでしょう
か?
願望達成はエゴ的な要素を含んでいますが、但し、これはゼロサム・ゲーム下だから、エゴなのではないでしょうか?
もし、全世界の人が「食べ物を好きなだけ、いつでも得られる」状況であれば、仮に
「好きなだけ食べたい」と願望しても、それはエゴではないような気がします。
「東大に 入学したい」、は現在なら、ある人が入学すれば、ある人は入学できなくなります。
しかし、だれでも、東大に入学してよい、ということになれば、それはエゴではないうように感じます。
もっとも、だれでも、東大に入れる、となった時に、どれくらいの人がそう思うかは疑問ですし、今そういう願望を持っている人が、その時、どう思うかも、人
それぞれでしょう。
少なくとも、「東大に入れれば、官僚などになれ、楽な一生を送れる」という理由で思っている人は、「入りたい」とは思わないのではないかと考えます。
「勉強が好きで好きでしかたがないので、近くで一番良い勉強をできる環境の大学へ行きたい」という人は、きっと、状況が変わってもいくことでしょう。
みなさんはどう思うでしょうか?
両手振り体操の話もありました。
何でも船井さんは、これを始めて以来、0.05だった視力が0.3・・・・0.9くらいまで上がったそうです。
効果がでるまで数年かかるようですが。
私は両手振り体操が苦手です(笑)。
300回以上やると良いようですが、1往復1秒はかかります。
そうしますと300回で、5分ですね。
どうも、私は30回以上のものは苦手なようです。
しかし、視力(0.01)を良くしたいので、やりたいと思います。
なんとか、1日100回は・・・・・・。
想念が人より強いようで、願望が叶いやすい、(場合によっては人に迷惑がかかるので)”創造主の意志にそぐわないか”、だったか、”地球のためになるな
ら”、だっ
たか、忘れましたが、そうならば、叶えてください、というようにしている、という話もあったように思います。
その時はピンと来ませんでしたが、次の日ピンと来ました。
これは、私には、良い情報かもしれません。
私は、「マーフィーの本を読んで以来、頭に映像が出にくくなってた」、という話を良く書きますが、
なぜそうなのかの知覚している一つの理由に、たとえば、嫌なやつをどうにかする、という映像を映すとしても、どうしても、そいつにも、親がいるだろうし、
た
まには良ことの一つもするだろう・・・と思ってしまい、自分のエゴを感じてしまう、というのがあります。
しかし、どうも、この方法であるなら、ひょっとしたら、映像も昔のように出てくるかもしれません。
そう願いますが(笑)。
昔、スーパーなどの流通関係の経営者と外国へ勉強に行くと、それらの人達は資料など一切に読まず、まず現地の電車に乗って、ずっと終点まで行き、戻ってき
て始めて資料を見る、ということをしていた、という話もありました。
潜入感を入れないためだそうです。
決まっている運命下では分かりませんが、3次元的には、私も良く潜入感封じのために、「予め読まない」、ということはします。
直感的ではありますが、もっぱらどうも、まず最初は自分の目と耳で感じてみよう、自分の考えを出してみよう、が良さそうだ、という時にそうするようです。
要するに、直感をより多く使いたい時にそうする、ということかも、しれません。
みなさんは、どうでしょうか?
リーダーの条件などの話もありました。
まず健康であることだそうです。
私に言われているような気がします(笑)。
肉体を適度に使うことも、また大事だということです。
気にせずこだわらない、ということも必要だ、と言っていました。
どうも、生きていくことに関係のないことは、こだわらない方が良い、ということだそうです。
歯、背骨、姿勢を良くすると健康に良いそうです。
ツク言葉を使い、ツカナイ言葉は使わない方が良い、とも言っていました。
悪口、欠点の指摘はしないのが良いそうです。
本物と付き合うのが良い、ということです。
本物とは、モノを蘇生する力のあるものだのはずです。
イヤチシロについても語っていたようです。
(詳細は著作にあります)
地獄へ行かない人、ということでは、
自分だけ、損得、物質所有、などの気持ちがなければ、地獄へは行かない、と言っています。
天国へ行く人ということでは、
頭が良く、理性的、知性的に生き、思ったことが実現するような人であると、天国へ行く、と言っていたように思います。
いずれも多少道徳的な言い方をしたのだとは思います。
きっと、天国へ行く、だけを考えれば、「自分だけ、損得、物質所有」が一番上でなければ、
行けるのかもしれません。
人に好かれる人になる、こともリーダーとしての条件としてあったように思います。
好かれる人は・・・
他人を認める、
褒める、
明るい、
Give and Give
のできる人だということです。
嫌われる人は・・・
謙虚でない、
こだわる、
いじめる、
脅す、
をする人ということです。
詳細は著作などにも掲載されています。
主観的に自分を見てみますが、
好かれる人の条件では、「明るい」以外は、完全ではないですが、ある程度はできているように感じます。主観ですが・・・
嫌われる条件では、「こだわる」以外はしていないように思います。主観ですが・・・
どうも、今のところ、上記以外にも、私には何か足りないような気がします(笑)。
それを探ると欠点を探すことになりますので、しないようにしようと思いますが。
長所を伸ばそうと思うと、楽器を弾くことくらいしか浮かんで来ませんので、「まず自分を知る」が必要なのかもれrません。
みなさんは、どう思うでしょうか?
足立育朗さんの話も出ていました。
「波動の法則」(PHP研究所:1995年)という本がありますが、ここに、魂は原子核で出来ている、という話がでているようです。
私も読みましたが、その点については忘れてしまっていました。
足立さんは、今でも設計以外にも、活躍しているようですね。
また、読み直してみたいと思います。
ざっと、このようなところです。
また、思い出しましたら、他の機会でも、書いてみたいと思います。
とにかく、今年で最後らしい、船井幸雄オープン・ワールドに参加できたことに、本当に感謝しています。
この感謝は、別に五日市さんの受け売りでは、ありません。
しかし、大学の授業でも、9時30分ですから・・・1限くらいからでしょうか、朝から18時まで、人の講義を聞くだなんてことはしませんでしたのに、ここ
に来て40歳を過ぎてやっている自分が、とても面白く思えます。
2005年船井幸雄オープン・ワールドでした。
戦
争と
の決別 (4)
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●
戦争と
の決別 http://www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt6.html
戦争は精神への毒で、《気付きのゲーム》は人類に対して、戦争の無益さをはっきり認識して、この特殊な感情表現をお蔵にしまうことを求めています。
日本には、「イラクのサマーワで自衛隊はイギ
リス軍に守ってもらっているが、現状では、そのイギリス軍が襲撃されても支援することができない。こんな不合理がないように、憲法を改正して《戦争が出来
る国》にしなければならない」と主張する野党の党首がいます。
この論理は、そもそも何の必要があってイラク
侵略戦争を始めたのか、戦争は国際的な問題解決や人類の未来のために真に必要なものか、という視点が欠落しています。
唯一の原爆被爆国であることも併せて、「戦争
のない世界」へのリーダーシップを執れる立場にいるのに、捏造された「テロとの戦い」のワナに嵌って、その地位を簡単に放棄してしまう。――彼らの認識の
浅さ、視野の狭さを自ら暴露しているようなものです。
(以上)
|
さて・・・・・・
本題に入る前に、
森田健さんが、不思議研究所のサイトで、同期について書いていましたが・・・
確かに決まっている運命は時間と同期していますね。
同期とはつまり、みんなこのテンポにあわせて動きましょう、と決めて、そのように動くこと、というようなことです。
シンクロナイズド・スイミングを見れば分かる通り、みんな、そろった動きをしますね。
goo辞書によれば、
syn・chro・
nizeは、
同時に起る ((with)); 同調する; (複数の時計が)同時刻[標準時刻]を示す.
━━ vt. 同時に行なう; 同調させる; 時刻を合せる; 【映・テレビ】(音声を)画面と一致させる;
【コンピュータ】同期させる[する]; (歴史的事件)の同時性を明らかにする.
です。
シンクロニシティはsynchronicityでしょうか?
goo辞書にはありません。
一般に、時期を同じくして、さまざまな場所で、同じようなことが起こること、ですね。
VTR編集では、複数のVTRを使用する際には、同期信号発生器(シンクジェネレーター)という機械から、同期信号を書くVTRに送って、全てのVTRが
同じ基準で動くようにしたりします。
その他、同期はいろいろなところで出てきますが、例えば、昔のテレビは、画像の水平同期と垂直同期の調整が付いていました。
HとかVとか書いてあるつまみですが。
これも、政木さんがつけたのかもしれない、と思うと、感慨深いですが。
この水平、垂直の同期でも思ったのですが、仮に人間が時間に同期して、そして決められた運命を歩んでいるとしても、ひょっとしたら、何か他の信号にも同時
に同期
することがあるのではないでしょうか?
水平、垂直の2つどころか、もっと多数、立体的かもしれません。
仮に、時間に同期しているということが、地球の自転だか公転だかに同期していることを意味し、これは、3次元において、人間が時間というものを感じる大元
になっているのかもしれません。
同じような意味で、もし「セス」が言っているような、「原子は点滅している・・・」ということが事実であるのなら、人間の目は、その原子の点滅に同期して
いる、ということかもしれません。
よって、3次元的に見えるものしか見えない・・・。
そして、決まった運命通りに人生がなる、ということは、何かの、同期信号に同期している、ということなのかもしれません。
想像ですが。
そして、運命を自分の思い通りにできるということは、その同期信号とは、別の信号と同期することを意味するのかもしれない、というのは、どうでしょうか?
私は詳しくないのですが、月も地球の周りを公転していますし、太陽も銀河系の中心を公転しているようです。
ここらへんは、地球の公転とも同期しているようですので、時間には関係あっても、とりわけ運命には関係ないかもしれません。
それでは、神坂さんのスピリット波動・・・私の言いたい創造主の意志に同期すると、実は、決められた運命通りではない運命を作り出すことができるのではな
いか?というのは、安直でしょうか?
もちろん、その波動が同期信号的な意味をも言っているのかどうも分かりませんが。
そうすると、同期信号的な意味を持っている信号とはどんなものでしょうか?
おそらく、何らかのリズムを刻むような信号であれば、良いのではないでしょうか?
そして、一定である。
波動は周波数と波長ということですが、要するに、周波数と波長が絶えず一定であれば、同期信号的な意味を持ちえるのではないでしょうか?
素人考えですが。
その意味では、創造主の波動に同期することができれば、つまり宇宙から降り注ぐ波動に同期するなら、そこから、決められた運命ではない運命を作れるのでは
ないか?という言葉は、言葉としては、成り立つかもしれません。
しかし、違うかもしれませんね。
運命意通りが、実は最も、幸せなことであるのなら・・・
運命通りになるとは、ひょっとしたら、創造主の波動に同期すること、ということかもしれません。
それをエゴに関係する波動のようなものに、同期してしまうと、運命通りより、悪いものを生み出すのかもしれません、
そして、また何か違うものに同期することによって、自分の思った通りの運命を作ることが可能になるのかもしれません。
ここら辺は、想像の域をでませんが。
ただ、今の自分にとって一番ありえそうなものを上げよ、というのであれば・・・
創造主の波動に同期することにより、運命が作れる、
3次元特有のなにかの波動に同期することにより、決められた運命を歩むことになる、
というように感じます。
想像ですが。
ひょっとしたら、それこそ、地球の公転に同期することが、決められた運命を作っている元の可能性もあるかもしれません。
しかし、今の人間のあり方が、違っているということと、規則正しい生活が良いものである、ことを考えあわせるならば、それはないでしょう。
シューマン共振数あたりはどうなのでしょうか?
分かりません。
岡田多母さんによれば、「地球の自転のスピードが速くなった」ということですが、これは、1日が短くなった、時間が短くなった、ということの大元でしょう
か?
そして、それは、地球の波動が上がったが故に、速くなったようです。
地球の波動を上げているのは確か、太陽だったか、あるいは創造主だったかの、宇宙からの波動だったように覚えています。
そうであれば、地球運自転に同期している、ということは、”良い”ことのように感じます。
これからヒマラヤ聖者のように人がなるのだとしたら、それは決められた運命から抜け出すことでもあるのだろう、と考えますので、地球の自転に同期すること
は間違ってはいないのだ思い
ます。
人間が創造主に嫉妬のDNAをONにされて以来、変化し続けたものというのは、何でしょうか?
地磁気はどうでしょうか?
これは、政木和三さんによれば、ストレスの増加により、年々弱くなっているようでです。
つまり、エゴの強さによって、弱くなってきている、と言い換えても良いように感じます。
そうすると、地磁気の波動に同期しているので、人間は運命通りの運命を歩まなくてはならない、というのはどうでしょうか?
しかし、これがもし、何かと関係あるとしても、どうもそれは、精神レベルとか、エゴとか、そういうことのように感じます。
運命ではないでしょう。
現在は、宇宙の波動により、地球が自転の速さを増し、地上のものを地表にひき付ける力が上がっているようです。
もちろん、地磁気によるものではなく、斥力によってですが。
このことも、何かに関係あるとすれば、やはり精神レベルなどのことであり、運命ではないでしょう。
内部同期というシステムがあります。
カメラなどにありますが、要するに同期信号発生器を自分で持っている、ということです。
昔のカメラはそうではなかったですので、同期信号発生器から同期信号をもらわなくてはならなかったはずです。
(最近は詳細を忘れましたが)
嫉妬のDNAをONにされた以来、人間は、内部同期をしている、それ以前は、外部同期だった、とする説はどうなのでしょうか?
カメラの場合であれば、どんな方法でも、同期が取れていれば、複数のカメラを切り替えるようなシステムで、画像が切り替えるたびに、パカパカすることがな
くなります。
同期を取らないと、切り替えるたびに、パカパカします。
別にそれでも、かまわない場合は、それで良いのですが。
それでは、外部同期の同期信号の発生元とは、何でしょうか?
ひょっとしたら、創造主波動かもしれません。
内部の同期信号とは何でしょうか?
おそらく一般の人は、顕在意識=自分の気持ち、でしょうか?
そして、潜在意識まで持っていける人は、良心でしょうか?
これは、もっと言えば、政木和三さんの言う第二生命体が大きく関わっているのかもしれません。
しかし、0歳0秒の人にも運命はあります。
その時は、あの世から・・・前世からずっと持ち続けてきた気持ちではないでしょうか?
どうやら森田健さんの「生まれ変わりの村」調査によると、あの世から、そのまますっと、赤ちゃんに入るようですので。
もし、こういった考え方が正しいのなら・・・
やはり、何かによって、この内部同期信号、つまり第二生命体なのか、何か不明ではありますが、そういうものを変化、変更させることは、決められた運命とは
別に、可能なのではないか、と感じます。
そして、そうすることにより、自分で運命を作れる状態に持っていける、原因の世界にアクセスできる、ということが起せるように感じます。
また、意識で、内部同期から外部同期へ切り替えることもできるのではないでしょうか?
これも、そうすることにより、同期信号を自分から創造主に変更することにより、運命を自分で作ることができるような状態になることができるのかもしれませ
ん。
同期信号を”創造主波動”にする、”スピリット波動”にする、ということは、ある意味、”ハンドルを手放す”、ということにも似ているのかもしれません。
みなさんは、どう思うでしょうか?
さて・・・・・・
小松英星さんですが、次の文章で考えてみます。
(引用)
「唯一の原爆被爆国であることも併せて、「戦争
のない世界」へのリーダーシップを執れる立場にいるのに、捏造された「テロとの戦い」のワナに嵌って、その地位を簡単に放棄してしまう。――彼らの認識の
浅さ、視野の狭さを自ら暴露しているようなものです。」
この通りなのだと思います。
ただ、彼らは、アメリカの方針通りに物事を進めることを意図しているのでしょう。
ですので、もう、認識が浅い、と視野が狭いとかの段階ではないというのが、正しいのでしょう。
もし、視野が狭いが出てくるのなら、アメリカ方式=資本主義は、すでに限界に来ている、ということを受けいえられないことにあるように感じます。
エハンさんによれば、ブッシュさんは、ヒトラーと同じことをやっている、つまり、徐々に人々が独裁主義になれるように、少しずつ締め付けを強化している、
ということです。
その意味では、今、日本で通過しようとしている数々の法案も、またそれにならったものの可能性もあるかもしれません。
アメリカの後ろに何かあるのなら、その存在たちは、日本が新しい世界の設立に対して、大きな役割をすることを知っているでしょうから、そうはさせない、と
するのなら、今の内に縛っておけば良い、とも考えているかもしれません。
人権擁護法案、憲法9条改定、自衛隊の軍隊化・・・
独裁体制設立に向けて、実に準備周到のように思えます。
最近警官がしばしば発砲しますが、あれも、凶悪犯罪が増えている、ということあけではなく、銃器の使用を少しずつ我々に当然のこととして、浸透させたいの
かもしれません。
選挙寸前に、例の小泉政権打倒を叫ぶ変な団体が、なぜかあの時期だけニュースに取り上げられていましたが、要するに、「反小泉政権」は、武力的である、変
である、ということを、我々に浸透させようという意図でもあったのではないでしょうか?
マスコミは、もう完全に、手中に落ちましたね。
簡単です。
いまやマスコミは、高学歴者の集まりです。
今の高学歴者は、船井幸雄さんも言っていた通り、「人生を楽して暮らしたい」がその意図のほとんどを占めているようです。
そうであれば、「お金を上げるから、言うこと聞いて」、で聞きますし、そうでなければ、「断るなら痛い目にあわせる」よ、で降参します。
3次元的に恵まれている人ほど、これには弱いようです。
実際、自民党では、加藤紘一さんによれば、すでに、自由な論議ができなくなっているようです。
怪我をしたくないなら、それが利口なのでしょう。
その意味での利口を、やりたくてもやり続けらない人が、たくさん出てくることを希望していますが。
また一般人には、上の意味での利口ができない人がいくらかいますので、どうも先の法案が必要なようですね。
根拠はありませんが、何か前世でも、同じような目にあったような気がします(笑)。
みなさんは、どうでしょうか?
戦争と
の決別 (5)
|
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●
戦争と
の決別 http://www21.0038.net/~gaia-as1/era.cmt6.html
地球の人
々は、すべての戦争の詐欺的な意図を支持することをやめて、目を覚ますべきです。
殺戮を好む人はほんの一握りで、他人を殺すことに取り付かれている人は少数です。
地球が健康で繁栄することを望んでいる人は、多数いるはずです。
その多数が、世界をコントロールしているでしょうか、それとも別の少数が?
多数が、自分たちが望む世界を創っているでしょうか、それとも少数が、彼らのなりふり構わぬ独断的なゲームプランで人類を分断し、人々の生活を壊すことに
成功しているでしょうか?
皮肉にも、そのうちに、その少数が、彼らの厚かましい行為と《いのち》への襲撃を通して、多数を――自由の価値、心の力、そして魂の不滅に――目覚めさせ
ることに、うまく「成功」するかもしれません。
人類が歴史を通じて、「少
数」によって易々と操られてきたのは、(徹底したコントロールのスケールの大きさと相俟って)植え付けられた奴隷根性と、そこから
生まれる依頼心が根源にあります。
つまり、自らの力に気付か
ず、それを唯々諾々と他者の手に委ねることを、習い性としてきたのです。
けれども、「この時代」に
おいて、「なりふり構わぬ独断的なゲームプラン」の思
わぬ効果として、多数の被支
配者層を「目覚めさせることに、うまく《成功》する」
可能性があるといいます。
それは、マグマのように蓄積された反発力が、やがて大きい力になることを示唆しています。
これについては、別項の「《ヤミ》の役割」も参考にしてください。 』
(以上)
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ですが、必要、必然、ベスト、を言っているように感じます。
「けれども、「この時代」に
おいて、「なりふり構わぬ独断的なゲームプラン」の思
わぬ効果として、多数の被支
配者層を「目覚めさせることに、うまく《成功》する」
可能性があるといいます。
それは、マグマのように蓄積された反発力が、やがて大きい力になることを示唆しています。 」
ですね。
是非、<ヤミ>の役割、も読んでいただきたいと思います。
要するに、ヤミには、我々に真実を分からせる効果もある、ということだったと思います。
船井幸雄さんによれば、どうも、一度ひどいことになり、その後良くなるようですので、その流れを信用したいと思います。