理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー
CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。 |
1〜20 | 21〜40 | 41〜60 | 61〜80 | 81〜100 | 101〜120 | 121〜140 | 141〜153, 154〜160 |
161〜180 | 181〜200 | |||||||||||
201〜220 | 221〜240 | 241〜260 | 261〜280 | 281〜300 |
クリスマスアルバムのコーナー |
154:LONG TIMR FAVORATES, 竹内まりや |
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竹内まりやさんです。 2003年10月発売です。 彼女がプロになる前に聴いていた曲のなかから、彼女のお気に入りを選んで演奏したものです。 私が中学生の時に大学生だった彼女ですので、 選曲は、もっぱら60年代のものからとなっています。 演奏メンバーはいろいろなパターンがありますが、どうもベース音は基本的に山下達郎さんのシンセによるもののようです。 これは、いろいろな意見があるかと思いますが、実は私はあまり好きではありません。 別に山下さんが演奏しても構わないのですが、できれば、弦の張ってあるベース音にしてほしいと感じています。 もちろん、ベースでシンセ音を使用する演奏というのはあります。 きっと、私は弦のベース音が好きなのでしょう。 |
逆になぜ山下さんは、シンセ音を使うのでしょうか?
想像するにきっと、基本的なリズムトラックを先に作るためではないでしょうか?
と言いますのは、大抵の録音はリズムトラックから作りますが、ここではドラムも山下さんが行っています。
ですので、きっと、ドンカマ(リズムのペースメーカーのようなもの)とベースを打ち込んで、そしてそれに合わせて、ドラムを演奏する、という手順を踏んで
いるのではないかと思います。
それでも、エレキベースを弾けば済む、と言う意見もあるでしょうが、きっと、エレキベースより、シンセベースのほうがうまくいくのでしょう、山下さんの場
合は。
そして、エレキベースを人に頼むよりも良いリズムができあがるという事実があるのでしょう。
曲
目です。(別に太文字にする必要はありません)
13では、大滝詠一さんが、登場します。 「ジョニーエンジェル」は、今自動車のCMで使われていますね。 |
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私の所有しているものは、初回限定のボーナスCD付のものです。
ボーナスCDと言っても、なかなか豊かな内容です。
このような感じです。
<ス
ペシャル・ボーナストラックCD> 01:ボーイハント(英語) 02:悲しき足音(日本語) 03:悲しき片思い(カラオケ) 04:ボーイハント(カラオケ) 05:ジョニーエンジェル(カラオケ) 06:砂に消えた恋(カラオケ) 07:恋のひとこと(カラオケ) |
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竹内さんは、私より年上ですが、ご覧の通り、今でも素敵です。→ ただ、最近思うのは、絶対とは言いませんが、歳の見え方の言うのは、相当相対的なものだな、と思うときがあります。 以前は、男性にとって、女性の見え方は年齢とは関係なく、絶対的だ、と思っていたのですが。 今の私にとって、この竹内さんとか、黒木瞳さん、川島なおみさんなどは、今の私の目からは、なかなか”きれい”で”すてき”な女性に映ります。 感覚としては、20歳のころ、18〜22,3才くらいの女性を見ているのと同じような感じです。 もし、私が20歳のころ、今の彼女たちを見たらどう感じるのでしょうか? 今と同じように、「素敵」と感じるのでしょうか? よく、分かりません。 頭の体操としては面白いかもしれませんが、実際どうでも良いことですね。 今の私にとって彼女等が素敵なのは事実ですので。 |
聴いていて、彼女の歌声にぴったりとくるのは、やはり「ジョニーエンジェル」のように感じます。
カレン・カーペンターも歌っていますね。
低い声がぴったり来る曲です。
不思議と言うか、以外なのは、ここにカーペンターズのカバーがまったく入っていないことです。
彼女の歌声、世代、好みを考えると、入っていても良いのではないかと考えるのですが?
みなさんはどのように思うでしょうか?
「砂に消えた涙 」は、ケントス系のお店でよく聴きました。
当初きらいな曲でしたが、あまり聴かされすぎましたので、好きになってしまいました。
こういうこともあるのですね。
きっと、その場が私にとって楽しいものだったからでしょう。
「いそしぎ」、「風のささやき」で、オーケストラアレンジをしているの
は、服部克久さんです。服部さんは、「風のささやき」の作者ミッシェル・ルグランとフランスの同じ音楽学校に通っていたようです。 後輩らしいですが。 私はこの「風のささやき」が大好きです。 スティーブ・マックィーン、フェイ・ダナウェイ出演の68年の映画「華麗なる賭け」の挿入歌です。 フランシス・レイとも異なるヨーロッパ調のメロディラインを書く彼ですが、ピアニストとしても、有名です。アルバムもたくさんだしていますね。 映画中、フェイダナウェイが、チェスの駒を触るシーンがHです。 |
伊東ゆかりさんで有名な「ボーイハント」も入っています(普通はコニー・フランシスで有名な、と書きます)。
ボーナスCDと合わせると、日本語、英語の両バージョンが聴けます。
←このような写真も掲載されています。 みなさんの、モニターが光っているのではありません。写真が光っているのです。 思わず、顔を右にやったり、左にやったりした人はいないでしょうか? 右写真の左下のテレキャスターは山下さんが昔から弾いているものでしょうか? ひょっとすると、私の女性の好みは竹内まりやさんから来ているのかもしれない、と少し思いました。 多岐川裕美さんかな?とか、アンルイスさんかな?とか、チャーリーズエンジェルかな?とか、中学生のとき、好きだったN子さんかな?とか、小学生のとき好 き だったOさんかな?とか思ったりしますが、今の好みを作ったのは竹内さんかもしれません。 帰国子女で、音楽をやっていて、そこそこ勉強もできて、細くて、低い声で、バタ臭い顔立ちで............。 しかし、上に上げた女性はみんなバタ臭い(アメリカっぽいということ)顔立ちですね(笑)。 Nさんも、Oさんもそうです。 |
さて、「想像すると」と、書きましたが、船井幸雄さん、池田邦吉さんの「あしたの世界」(2004年3月発行)には、「創造主」の絵が出ています。
池田さんは、オデッセイメンバーとして49人のメンバーと宇宙へ行き、創造主の姿を見てきたそうです。
もちろん、証拠がないそうですので、信じるか信じないか、という話になってきますが。
ただ、同じメンバーのカナダ人も、そのときの様子を著作にしています。
「わが深宇宙探訪記」という本です。
「あしたの世界」162ページにその絵はあります。
何千、何万という球体の塊で、金白色の光を放っているそうです。
そのひとつひとつの球体が、八百万の神だそうです。
そして、その球体のひとつひとつに4つの小さな球体が入っています。その小さな球体の色は全て異なっているのだそうです。
全体としては、無限の調和と深い愛の波動の中にあるということです。
「創造主」と「神」ということについて考えると、分からないところがありましたが、この説明だと良く分かるような気がします。
これらの神立ちは分御魂(わけみたま)ということをして、自らからまた別の神を作りだすということをし、神が増えていくのだそうです。
私はなぜだか、この絵を信じてしまいます。
みんさんはどうでしょうか?よかったら、見てみてください。
また、「あしたの世界P2 関英男博士と洗心」(2004年7月発行)には、このようなことも書いてあります。
船井幸雄さんが、2003年のある時、うしとらの金神さんの言葉を聞いたときの話です。
23ページからの引用です。始めの言葉は池田邦吉さんです。)
「うしとらの金神さんの話なんですが、少しお話をお聞かせ願えませんでしょうか。さしつかえない範囲で結構なんですが」と先生に尋ねた。先生は直ちに今の
時間に戻った。
「それなんだけどネ。お久しぶりだねと声をかけてきたんだヨ」と話し始めた。
「こっちは何のことかワカランのだけど、金神さんのコトバを分かりやすく言うと、昔々、この地球をどのように作るかについて会議があったらしい。その時
17神集まったらしいがそこに私もいたようなんだ。もちろんそのことについては私は肯定も否定もできないのだが。それから、あなたはツヌグイの神ですね、
と私のことを言ったようだが、ツヌグイって何か分からないのだ」と。
この船井さんの話の中に出てくる会議に参加した17神が、こちらになるそうです。
1:天之御中零雷神(あめのみなかぬちのかみ)・・・クォークを作った。
2:高皇生霊神(たかみむすひのかみ)・・・物理学上の遠心力・斥力。
3:神皇生霊神(かみむすひのかみ)・・・物理学上の求心力・引力。
4:可美天日牙霊霊凝雷神(うましあしかひひこちのかみ)・・・電気の+、-の力。
5:天之常立神(あめのとこたちのかみ)・・・気体を集めてたくさんの銀河の元を作った神。
6:国狭津雷国狭立神(くにさつちくにさたちのかみ)・・・気体を収縮凝結させた時の神。
7:国之常立神(くにのとこたちのかみ)・・・太陽系が属する我が天の川系銀河を担当した神。
8:豊雲野神(とよくもぬのかみ)・・・太陽系の元を作った神。
9:國底立神(くにそこたちのかみ)・・・地球の地殻(プレート)を作った神。
10:天之鏡神(※ふりがななし:あめのかがみのかみ、でしょうか?)・・・地球が海で覆われた時の神。
11:沫蕩神(あわなみのかみ)・・・海に海流を作った神。
12:埿土煮神(うひぢにのかみ)・・・海洋に泥水ができた時の神。
:砂土煮神(すひぢにのかみ)・・・海洋に砂洲を作った神。
13:大戸之道神(おおとのじのかみ)・・・海底火山が陸地を作った神。
:大戸之辺神(おおとのべのかみ)・・・火山列島を作った頃の神。
14:角杙神(つぬくひのかみ)・・・植物の単細胞を作った神。
:活杙神(いくくひのかみ)・・・虫の単細胞を作った神。
15:面足神(おもたるのかみ)・・・地球に水陸が整った時の神。
16:惶根神(かしこぬのかみ)・・・生物を作った神(人以外)
17:伊邪那伊邪那岐美神(いざなみいざなぎのかみ)・・・地球を作った神(?)※本文を読む限り、こうだと読み取れます。
荒深道斉さんの「古神道秘訣・上巻」からの出典だそうです。
こうやって、地球ができたのか、と思ったりしています。
「あしたの世界」(船井幸雄、池田邦彦著:2004年3月発行)の168ページには、以下のようにあります。
(引用)
ノーベル物理学賞は、ビッグ・バン理論に連なる数々の実験や理論に与えられていますが、そのビッグ・バン理論は間違えています。この世は初めもなければ、
終わりもない”生々流転”する系なんです。初めから広大無辺なる大空間があって、そこは光の元たる光子に満ち満ちていたのです。創造主の意識が、その光子
を加工して物質化したのです。
最初はそれらは気体として存在しました。その気体を集める作業を次にしたのです。
(以上)
いかがでしょうか?
ビッグバン理論は間違っている、とする考えは、時々見かけます。
そうなのかな、とも感じます。
ちなみに、池田さんは、ダーウィンの「進化論」や、カール・マルクスの「資本論」を唯物的であり、また間違っている、としています。
猿は、猿でいくら待っていても、猿以上には進化しない、ということだそうです。
池田邦吉さんは、ノストラダムスの研究者として有名です。
世紀末の大きな出来事を、他の研究者たちが第三次世界大戦だと言っていたのに対して、自然災害で
ある、という見解を出した人です。
どうも、この方も、文章が面白く私は大好きです。
他にも、いろいろなことが書かれていますが、なかなか興味深いです。
なぜ、急にこのようなことを書いたかと言いますと、ひとつ前のCDの話で出た「時間」の話しも、実はこの池田邦吉さんの言っていることからのインスピレー
ションからの部分が多いのです。
そのほかの言っていることも、説明はできませんが、なぜか、「そうか.....」と感じることが多いです。
詳しくはまた、「天の理と時空のコーナー」に書きます。
何か、日本はすごい国のような気のするこのごろです。
もちろん、他の国が良くない、とも思っていません。
実際、私はこのように日本人が歌う外国曲、という変なジャンルがとても好きなのです。
竹内まりやさんでした。
155:GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA | ||
山下達郎さんのベスト盤です。 CD化(おそらく2度目)されて、数曲増えています。 太字の曲がそうです。 大体「風の回廊」より前の時代のベスト盤となっています。 私がこれをはじめて聴いたのは、大学生の時だったのではないかと思います。 私の所有物だったか、妹のものだったか、今では良く覚えていません。 妹のものだったような気もします。ほとんど私が聴いていましたが。 みゆきとか、何枚かのアルバムは妹が所有していたから聴いた、というものがあります。 妹も、私のユーミンのCDを何枚か持って行ったまま返してくれませんので、おあいこかな?とも勝手に思っています。 私はこの時期の達郎が本当に好きです。 おそらく、日本のアーティストで一番好きなのではないでしょうか? 彼のファンなら、全てを受け入れて聴くべきだ、という考え方もありますが、そこは、嗜好品として、好きなところだけ聴かせてもらっています。 |
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一方こちらは、同じく彼のベスト盤ですが、おそらく、基本的には、「風の回廊」以降の曲を念頭に作られ
たものだと思います。一部、上記のものと、被らないようにして、初期の曲も入っています。 やっぱり、いろいろな意味で私の趣味ではありません。 もちろん楽曲的には優れたトラアック揃いなのだろうとは思いますが。 山下さんの何が好きだったかと言えば、やはり当時ファンキーと言われた16ビートと、大滝詠一さん同様に日本的ではないメロディラインということだと思い ます。 特に、「ボンバー」、「ソリッド・スライダー」、「ウィンディ・レディ」などは、本当に好きで、良く聴いていました。 それと、ブラスの音でしょうか? どうも私はブラスの音が好きらしいです。 ですので、アルバム「ライド・オン・タイム」の「サムディ」などは、とても楽しく聴いていました。 最近と言いますか、私の知っている限りでは、「風の回廊」以降はそういう曲は皆無のようです。 |
曲目です。
GREATEST HITS!
OF TATSURO YAMASHITA (1997/06/04) |
TREASURES (1999/06/02) |
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山下さんは、若い頃は相当”怖い人”だったみたいです。と言っても、会ったことがあるわけではありませんので、本当かどうかは知りませんが。
もちろん語り伝えられてくる話は音楽関係のものばかりではありますが。
才能豊かな人は、若いときは怖かった、という人が多いですね。
日野皓正さんもそうらしいです。
話だけなら、ほかにもたくさん知っています。
最近マイブームになっている池田邦吉さんも、、「あしたの世界P2 関英男博士と洗心」(2004年7月発行)に書いていますが、若い頃は怖いと言われて
いたそうです。
自分で分析していますが、「自分の思う通りに人が動かないことに不満があったのではないか」ということです。
ノストラダムスの分析を本格的に始める前までは、設計会社の社長をしており、ツーバイフォー建築において、相当な権威であったそうです。
その関係の本も出しています。
関英男さんの「洗心」を学ぶ内に、「変わった!」と人に言われるようになったそうです。
そういう意味では、山下さんなど、若い頃から歌だけでなく、ドラム、ギター、作曲、などなど何でも水準以上にできてしまっていたようですので、同じような
不満があったのかもしれません。
そう言えば、足立育朗さんも、設計関係の仕事だったはずです。
何か、建築・設計というものと、ニューエイジ・精神世界的なものは関係あるのかもしれませんね。
本当のところは良く分かりませんが。
足立さんは良く、「その土地に住んでいる動植物から周りの環境まで含めて、全てのものが一番良くなるように考えて設計をする」というようなことを書いてい
ます。
実際、そこまでいかなくとも、その家に住む人が快適にいられるように、と普通思って設計をするのでしょうから、そういったことがどこか関係しているのかも
しれません。
あるいは、設計という仕事がら、生命体が、地球創世記に、何か関わっていた存在だったのかもしれません。
その人の得意なことというのは、ガイドスピリットや、グループソウルといった存在が、その人の得意なものに関わっていた存在であったり、その人自身の生命
体が、過去生で現世で得意なことに関わっていたりするケースなど、色々なパターンがあるようです。
ここらへんは実際のところは良く分かりません。
当人でも、知らない場合があることでしょう。
知っている人もいるようですが。
ただ、才能豊かだった人が全員、若い頃怖かったかと言えばそうではないようです。
もちろん、若さはあったろうとは思いますが、それはあたりまえです。若いのですから。
大滝詠一さんなどは、少なくとも、表面的には若い頃から温厚な感じがしますが、実際はどうなのでしょうか?
もちろん、内に秘めるものは、大きいに違いありませんが。
そういう意味では、大滝詠一さんと、山下達郎さんのコンビというのは、陰陽がうまくあっている、という言い方もできるのかもしれません。
良いコンビということですが。
山下さんと大滝さんが、今のポップス界の大本を作ったと言っても過言ではない、と私は思っています。
例えそれが、運命で決められていたことであり、筋書き通りであったとしても、これはこれでよいと思います。
長い地球の歴史を考えれば、彼らと同じ時期を過ごしたということは、何かものすごく嬉しいことのような気がします。
かように、地球にも、良いこともたくさんあるものです。
(少し経つとそれが分かりだしてくるのですね。)
156:Yumi Arai The Concert with old Friends 荒井由実 |
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ユーミンが荒井由美名義で発売したライブです。 96年8月13,14,15日に中野サンプラザで行なわれた荒井由実コンサートのライヴ盤です。 荒井由美名義で行われた言ってみれば「荒井由美リバイバルコンサート」のライブです。 発売は1996/12/07、そして私が知らない間にDVDも発売されており、しかも、再発売までされていまし た。 しかし、本当に知らない間に出たのかどうかは、良く分かりません。 DVD は2001/12/12 東芝EMIより、4,500円で発売になって、2004/11/10に2,940円で再発売 ですが、2001年くらいの時期は、私歴的に、完全に我を失っていましたので、発売されたのを知っても、意識的にそれを記憶の外へはじき出した可能性があ ります。 結局、今となっては、この時期に初めて知ったのと同じ反応が現れています(笑)。 |
曲目です。
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聴いていて一番ぐっと来るのは、「あの日に帰りたい」です。
演奏の前に、「山本潤子さん!」とユーミンに呼び出され、彼女が登場し、あの歴史的な前奏のスキャット(?)を奏でます。
また、DVDとCDでは曲目が違うそうです。 DVDでは、高橋幸宏さん、高中正義さん、ミカさんが登場し「タイムマシンにお願い」が演奏されるようです。 そして、「チャイニーズスープ」はCDのみに収録だそうです。 また、当たり前ですが、「春よ来い」は、”はっぴーえんど”の「春よ来い」ではありません(笑) |
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←さて、こちらの写真の右上の男性が、前のCD紹介で出てきた山下達郎
さんです。 ご存知のように、「12月の雨」、「ルージュの伝言」、その他数曲で彼はコーラス、及びコーラスアレンジで参加しています。 個人的には、「ルージュの伝言」が一番山下さんらしく聴こえますが。 この写真はどのセッションのものでしょうか? と、書いている内に、いろいろ思い出してくるものです。 私のユーミンとの最初の出会いは、小学生高学年の頃のようです。 当時ラジオで、ロイ・ジェイムスさんがDJをする歌謡曲のベストテンものの番組がありました。 確か休日の午前中だったと思います。当時ですから、週休1日制ですので、間違いなく日曜日ですね。 そこで、「ユーミンが歌うソフトエクレアの歌」という台詞の入るCMが流れていました。 |
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そこで、「ソフトエクレア〜、風のプレ〜ゼント〜....」というユー
ミンがおそらく書き下ろして自分で歌っていた曲が流れていました。 それが、間違いなく初めてのユーミン体験のようです。 「紙ひこうき」、「やさしさに包まれたなら」などを感じさせるような曲で、聴く都度に、その良さが、耳に残っていくような不思議な曲だったことを覚えてい ます。 もう、大学生以降はいろいろあります。 みゆきのオールナイトニッポンにユーミンがゲストに出てきて、「性の処理はどうするんですか?」とみゆきに聞いていたことや(笑)、歌謡大賞だか、レコー ド大賞だかに、一度出てきて、生でピアノ(エレピだったか?)の弾き語りで歌ったことなど、たくさん覚えています。 (弾き語りはもっと前だったかもしれません????) ラジオだか、本だかで、松任谷正隆さんとドライブ中、お弁当の納豆がエアコンに入ってしまい、それ以来エアコンをかけると納豆のにおいがするようになった ので、その車は売ってしまった、という話を聞いたか読んだこともあります。 |
私の知り合いでもう長いこと連絡を取っていませんが、有名な音楽評論家の息子さんがいて、私より15歳くらい上の方ですが、
レコード会社に勤めていた時に、ユーミンが結婚した頃、車でユーミンを迎えに行ったことがある、という話をしていました。
確か、「紅雀」か何かが出た頃で、その人の話では、最新アルバムについて、感想を聞かれた、ということだったと思います。
ちょっと身近で嬉しかったです。
確か社会人になって間もない頃だったかと思います。
結婚当初、いろいろな人にアルバムの感想を聞いたという話はユーミンの本、確か「ルージュの伝言」というタイトルのものか何かに、書いてあったようにも思
います。
きっと、その内の一人が、私の知り合いだったのでしょう。
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1.スラバヤ通りの妹へ 2.HONG KONG NIGHT SIGHT 3.大連慕情 4.わき役でいいから |
いろいろアルバムが出ていますが、私は、ミニ・アルバム『水の中の
ASIAへ』が結構好きです。 アナログ時代の話ですので、もう20年以上聴いていませんが。 あの曲はなんという曲だったでしょうか? 「ラッサンサイエン、ラッサンサイアンゲ..........」(だったかな?) なんとも懐かしい感じのする曲で、とても好きでした。 今曲目を見ても、どれだか良く分かりません。 「HONG KONG NIGHT SIGHT」以外は、タイトルと曲が一致しません。 |
鈴木茂、斉藤ノブ、林立夫、高中正義、Jake.H.
Conception、松任谷正隆、山本潤子などのメンバーが参加しています。 鈴木茂さんは、健在ですね。 あのフレーズは、すぐそれと分かるものです。 細野春臣さんは出演していないようです。 さすがに、山下達郎さんも、出演していませんね。 そう言えば、大滝詠一さんと、ユーミンのからみ、というのは、私の知っている限りでは一度もありません。 吉田美奈子さんと大滝詠一さんはあるのですが。 同じように、吉田美奈子さんとユーミンのからみも聴いたことがありません。 縁でしょうか? |
さて、主流に反する癖があった、と書きましたが、音楽を見ている限り、反主流の場合であっても、少し長いスパンで見ますと、どうも変に起動修正し
て、主流にあわせる、ということをやらないほうが、良いように感じます。
みなさんは、どう思うでしょうか?
私の知っている限り、山下達郎さんでも、大滝詠一さんでも、ユーミンで
も、大抵はじめは、主流ではありません。 もちろんなかなか認められません。 山下さんなどは、初期からあれだけ良いアルバムを作っていながら、やはり売れませんので、レコード会社から、「君の作品は費用がかかりすぎる」と言われて しまったようです。 彼の場合は、結局それも良い方向でつながったようですが。 しかし、決して、主流にあわせようとか、そういったことはしなかったようです。 そして、結局売れるわけなのですが。 これを考えて見ますと、彼女らは、まず間違いなく、自分のやっていることは、間違ってはいない、とは思っていたのだろう、とは感じます。 ただ、いつかは間違いなく売れる、受け入れられる、とは思っていたのでしょうか? 思っていたかもしれませんし、いなかったかもしれません。 私としては、「売れても売れなくとも、それは結果次第。好きなことをやっているだけ」と思っていたのではないかと想像しますが。 |
しかし、それでも、ある時期に来て、彼らは主流になります。
そうして、大御所と呼ばれるようになりました。
ユーミンは、「結婚しても、まだ売れ続ける、初めてのアーティスト」となりました。
山下さんなどは、「50歳になっても、若者に支持され続ける元祖」と言ってもいいかもしれません。(少し言いすぎですが。ほかにもいますね)
こういうことを見ていると、音楽的流行以外にも、アーティストのあり方、しいては、社会構造のあり方と言ったものも、確実に変化していることを感じます。
結局、ある時点で正しいとされていた概念が、時間がたつと通用しなくなるということなのだろうと感じます。
これには、科学的なことから、食生活、生活スタイル、政治構造など多くの要素が絡んでいるのだと思います。
例えば、山下達郎さんもユーミンでもいいのですが、30年前だったら、50歳という年齢は、初老と言ってもさしつかえなかったと思います。
確かに、今でも、初老の雰囲気の50歳の方というのもいらっしゃいますが。
それが、彼らを見ていると、外見からはそういうものは、一切感じられません。
これは、食生活、生活スタイル、医学、などなど多くのことが関係していると思います。
もちろんものの考え方も関係してくるでしょう。
ただ、少し考えると、今まで挙げてきたのは進歩の部分だけですが、進歩しなくなったから、彼らが一線でやっていられる、とも言える部分もあります。
山下さん、ユーミンなどが実際今やっていることは、20年前彼らがやっていることと比べて、それほど進化しているでしょうか?
今紹介しているこのアルバムなどは、まさに、20年以上前のユーミンの代表曲集ですね。
とすれば、音楽の分野と言うものは20年くらい前を境として、進歩が遅
くなっているのではないでしょうか? あるいは、進歩が止まっているとも言えるかもしれません。 まさに、ポップス音楽がジャズ化、クラシック化していく過渡期とさえ言えるのではないでしょうか? それはどういうことでしょう? 流行的には、順繰りに流行の繰り返しということが行われるのは、ファッションの世界でも、音楽の世界でも共通のことではありますが、どうもポップス音楽を 見ていますと、大きな流れとしては、進歩は終わってしまったと見るべきなのかもしれません。 |
時代の流れだけ見ていますと、船井幸雄さんが言う断末魔の資本主義と言いましょうか、産業革命以降の進歩の流れと言うべきか、第二次世界大戦以降の
流れと言いましょうか、そう言った流れの限界に似ているような感じさえするのは、私だけでしょうか?
みなさんは、どう思うでしょうか?
どうも、私の周りだけ見ていますと、科学信仰の時代も上記と同様に、終わりとなるような気がしてきますが、今はそんな気がするだけです。
「あしたの世界P2 関英男博士と洗心」(2004年7月発行)の196ページに、田原澄さんという方が、宇宙学教室を開講していた時に、教材として彼女
が書いた文章が掲載されていますが、その中にはこのような文章があります。
(200ページより引用)
『早く上層部から目覚めて今日までの狭い視野から宇宙意識に目覚めること、それには迷い、疑いの心は通用しないことを悟らなくてはならぬ。地球上の多くの
学問は疑いから始まった。併し宇宙の法則は疑いの心で決して知りえないことを悟らなくてはならぬ。感謝のできる心こそは宇宙の法則を知ることのできる心で
ある。』
(引用までしましたが、私は”併し”が読めません。すみません。)
ここで、私が興味を惹かれるのは、「地球上の多くの学問は疑いから始まった。併し宇宙の法則は疑いの心で決して知りえないことを悟らなくてはならぬ。」と
いう箇所です。
私には、説明はできませんが、とても理解できるように感じます。
資本主義同様、現代は科学の時代でありますが、上の文章を正しいものと仮定すれば、それは、疑いの時代であった、と言っても良いかもしれません。
私の解釈に間違いがなければ、船井幸雄さんも、「資本主義は性悪説によって動いている」というような意味のことを言っていると読みましたが、これも、同じ
ようなことを言っているように感じます。
私はどうしても、説明できなくとも、正しいものは正しいですし、そういうものがあるように思います。
何かに書いてあった「あると思うと観測でき、無いと思うと観測できない」ものがある、と言うことも、これに通じるように感じます。
2012年に来ると言う、大変化に際して、一番変える必要のあることのキーワードは、少し長いですが、「地球上の多くの学問は疑いから始まった。併し宇宙
の法則は疑いの心で決して知りえないことを悟らなくてはならぬ。」ということなのかもしれません。
例えば、生命体が不滅である、ということは、私の感じでは、科学では説明できないのではないでしょうか?
技術的にも、”そのあり方的”にも、科学では、無理なような気がします。私の感じだけですが。
科学の進歩が地球より数段進んでいると言う他の星では、これを”科学”できちんと説明できているのでしょうか?
良く分かりませんが、違うような気がします。科学以外の何かでみんな理解できているような気がします。
今の常識から言えば科学的に説明のできないものの場合は、実証的に説明する、統計的に説明する、などが、同等に価値を持つように思いますが、実証も基本的
には無理でしょう。
あちらの世界へ行ってみなくてはなりませんので。
仮に、生命体とコンタクトを取って話しをしたとしても、「疑いの心」を持ってこれに望んだとしたら、いくらでも、疑えることでしょう。
これはなにも、性格が悪いので疑う、ということでなくとも、今の「地の理」の世の中の常識では、疑いの方向から検証するというやりかたが、一般的になって
いるようですので、根本的な考え方”疑う”ということから変えなくては仕方が無いところのような気がします。
もちろん、はっきり、白黒つかないものに関しては、灰色≒白色 あるいは、灰色≒分からない、ということになっていますが。
統計的に至っては、どうしようも統計の取りようがありません。
やはり、これなども、信じる心によって、おそらく初めて、生命体は永遠不滅だ、ということが、理解されえるのでしょう。
仮説ですが。
みなさんはどう考えるでしょうか?
さて、田原澄さんの上の文章に、感謝という言葉がでてきます。
最近、この感謝という言葉に、何か、大きな意味がありそうだと、私も思っていますし、世間でも、同じように感じる方が増えてきたように感じています。
ただ、私的には、それだけでは、何かが足りない?と感じていますが、田原澄さんの文章の冒頭に次のような言葉があります。
(196ページより引用)
『”感謝”
僅か二字のこの”感謝”の心が神に通ずる心であるが、なかなか感謝の出来ないのが地球人である。
私は「感謝で毎日を送っております」と言われる人があるが、その人が不幸なのは、自分が感謝して生きていると思うその心が足りない証拠であり、毎日毎日自
らの心を反省してみるとこの感謝が足りていないのである。大自然、人々に対して感謝して生きるとき、愛の心になれるのである。神は愛の心で生きよと仰せに
なるが、感謝の足らない人は愛の心が沸かないのである。”博愛”ということも先ず感謝の心の沸かない人々には分からない心である。神を論ずる人が感謝が出
来ないと言われるのは、概念の神であって真の神と通じていないからこれは空念仏である。地球上に住む人類全てが真の神に通ずるようになったら地上天国が出
来るのであるが、今日の学問は感謝の念を忘れさせるような教え方であるために、真の神と波長を断って神は無いと否定する人々が多く、特に上層部において神
を知らない人が多いのである。上層部がこのような間違った考えであるから地球が不幸なのは当たり前である。感謝の心にかえるとき神の世界、霊の世界、星の
世界がはっきり分かるのであるが、感謝の心のない人々には分からないのである。感謝が足らなくて神が分からないで、神はないと否定することは大いに誤りで
ある。』
できるだけ本人の本意を損ねないように多めに引用しましたが、基本的には、
『私は「感謝で毎日を送っております」と言われる人があるが、その人が不幸なのは、自分が感謝して生きていると思うその心が足りない証拠であり、毎日毎日
自らの心を反省してみるとこの感謝が足りていないのである。』
という部分が引っかかります。
”愛”も”博愛”も、”感謝”が足りないと、沸かない、とも言っています。
引用以外の箇所では、「今日生かされていることに感謝する。周囲の人々によって生かされていることを感謝する。自他一体の心、世の中のために尽くす心に帰
れば、病気、争いごとなどもなくなる」というような意味のことも書かれています。
みなさんは、どう解釈するでしょうか?
古い精神世界の常識である、と片付けるでしょうか?
私は、ちょっと違います。
何が違うかと言えば、”感謝”を”愛”や”博愛”と同列にしていないところが引っかかります。
私なりに解釈すれば、
「自分が愛されていることを、理解して、初めて人を愛したり、博愛ということができるのだ。自分が何に愛されているかと言えば、それは、宇宙であり、創造
主である。まず、自分が幸せを感じることから全てが始まります。」
ということなのではないかと思います。
いかがでしょうか?
天外さんが、言っていることと似ているようにも思います。
それでは、どういうことによって、「自分が宇宙、創造主から愛されている」ということを理解すればよいのか?と言えば、それは、「”あなたは、自分で生き
ているのではありません。宇宙に生かされているのです”ということを理解してはどうですか?」ということなのではないかと解釈しますが、いかがでしょう
か?
立派な解釈を私はしていますが、もちろん私とて、言葉だから言える、という部分があります。
みなさんはどうでしょうか?
そして、それが”愛”、”博愛”になぜつながるかと言えば、”感謝できる”ということが、おそらく、我々全ての人間は、一人一人が何らかの意味で宇宙から
の秩序の中で、つながりあっている存在である、ということを理解するということと、密接な関係にあることであるからなのではないか、と感じています。
その関係とは、どうやら決まっているとされる運命と関係しているのかもしれませんし、ほかのもっと重要な意味があるのかもしれません。
今の私には、まだ分かりません。
ただ、この”愛”、”博愛”よりも、根本をなすとここでは説明される”感謝”の意味するところは、「地の理」下での教育を受けてきた人間には、一般的に
は、正しく解釈することは手こずることかもしれません。
ここでもキーワードは、「地球上の多くの学問は疑いから始まった。併し宇宙の法則は疑いの心で決して知りえないことを悟らなくてはならぬ。」という言葉の
ような気がします。
いかがでしょうか?
そうしますと、まず、”信じる”とは?から、始めることが、田原澄さんの言うことを理解するためには、必要なのかもしれません。
佐野元春さんの「SOMEDAY」の「信じる心いつまでも.....」
というフレーズが、書いている途中から幾度となく、頭の中で鳴っていました。
「信じる」には、「欲」はないようだ、とは感じます。
「我欲」という意味での「欲」はない、という意味ですが。
「神を論ずる人が感謝が出来ないと言われるのは、概念の神であって真の神と通じていないからこれは空念仏である。」
という言葉もあります。
意味深です。
どうしても、政木和三さんの
「諦めて、欲を捨てて、そして、”もうなった”と思うこと」
と通じるように思えてなりません。
私が政木さんびいきだからでしょうか?
「論じず、信じる」...............。
「信じる」と「欲を捨てて(脳波をシータ波にして)もうなったと思う」.......。
それはきっと、「宇宙に愛されていること」を理解できることと「、アーカシックレコードに通じること」の関係を言っているようにも感じられます。
そして、それは本当はテクニックではなく、心の状態を言いたいのかもしれません。
「宗教をやる必要は無いが、宗教は信じることによって、脳波がシータ波になる。」というような意味のことを政木さんは言います。
そして「自分の中の神仏に祈る」というような意味のことも言っています。
そうると、やはり、「信じる」の意味は「我欲を捨てる」であり、本当の意味で「我欲を捨てられた」時に、「宇宙に愛されている」という「感謝の心」が生ま
れる」のかもしれません。
そう言えば、ユーミンがこう歌っています。 小さい頃は神様がいて 毎日夢をかなえてくれた. やさしい気持ちで目覚めた朝は おとなになっても 奇跡はおこるよ カーテンを開いて、静かな木漏れ陽の やさしさに包まれたなら きっと 目にうつる全てのことは メッセージ 小さい頃は神さまがいて 毎日愛を届けてくれた 心の奥にしまい忘れた 大切な箱 ひらくときは今 雨上がりの庭で くちなしの香りの やさしさに包まれたなら きっと 目にうつる全てのことは メッセージ 「やさしさに包まれたなら」 |
これは、真実ではないでしょうか?
田原澄さんと政木和三さんの言っていることを、3分間で表現すると、こういうことなのかもしれません。
外応まで、語っています(私の思い違いでしょうか?)
ユーミンのライブアルバムの紹介でした。
157:21世紀に残したい歌(2),: 幸田聡子 | ||
バイオリンの演奏による”日本の歌”特集です。 3つ発売されています。 どれも良いのですが、2が 「.ブルーライト・ヨコハマ」、「上を向いて歩こう」、「時代」が入っているので、これにしました。 「高校3年生」が、あまりにも個性の強すぎる曲ですので、全体の流れを聴いていると、少し色を付けてしまうところがありますが、それでも、なかなか良いア ルバムです。 美野春樹さんが、ピアノを弾いています。 私はよく知らない方ですが、きっと有名な方なのでしょう。 2000/02/19の発売です。 |
曲目です。
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1,3は以下のような曲目になっています。
みなさんは、どれが好きでしょうか?
21世紀に残したい歌
1999/09/18 |
21世紀に残したい歌(3)〜「ゴン
ドラの唄」から 「ピンクレディー」まで〜 2001/07/20 |
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1も3も良い選曲ですね。
聴いてみたいとは思います。
古い曲が目立つようですが、それでも年代的には、比較的に公平に選ばれているようです。
ただ、70,80年代あたりの曲は、もう少し違う視点で選んだほうが私好みではあります。
「また逢う日まで」(尾崎きよひこ)、「逃避行」(麻生よう子)、「心の旅」(チューリップ)、「いちご白書をもう一度」(バンバン)、「木綿のハンカ
チーフ」(大田裕美)、「今日までそして明日から」(吉田拓郎)、「花嫁」(はしだのりひことクライマックス)、「グッバイ・マイラブ」(アンルイス)、
「五番街のジョニー」(ペドロ&カプリシャス)、「小さな体験」(郷ひろみ)、「私鉄沿線」(野口五郎)、「傷だらけのローラ」(西条秀
樹)........
あたりを4では演奏してほしいと思います。
だれの好みなのでしょうか、3では、「時には母のない子のように」が選
ばれていますね。1〜3の流れでは異色だと感じます。 カルメン・マキはかっこよかったです。昔何度かテレビで見ましたが、子供心ながら、「かこいい女性だ」と思ったものでした。 3には、「なごり雪」が入っています。好きです。イルカのお父さんも、ジャズ関係者のようです。 イルカさんは(若い方へ→可愛らしい超音波を発生する超能力海住動物ではありません。イルカという歌手がいるのです)自分が若い頃は、私は女性的アピール は感じなかったのですが、今なら、彼女のような女性が良いです。 どこかにいませんか? |
イルカさんにしろ、谷山さんにしろ、森山(ひろこ)さんにしろ、父親がジャズ関係者のようですが、家庭環境というものは、子供の将来の仕事にも影響
するようですね。
精神世界的に言うと、その家系の先祖さんたちの影響もあるようですので、本当に、その家系の影響というものは強いように感じます。
ですので、商売人の家系なら、親は無理してその子を、官僚などのエリートにしようなどとは思わない方が良いのかもしれませんね。
自然にしておいて、そうなった道が一番良いのかもしれません。
きっとそういう道は、その人に向いているし、ご先祖の何らかの助言も得られるのかもしれません。実際は良く分かりませんが。
音楽で生計を立てている方というのは、ちょっとさかのぼれば、きっとそういう同じ生き方をした方がご先祖にいるのかもしれません。
得意の理由は他にもあるようですので、いないかもしれませんが。
ただ次にこの世に来るときというのは、まったく別の家系に生まれてくることもあるようですので、その時はその時で、向いていること、というのは異なってい
るのでしょう。
得意、向いているというのは、家系だけではなく、人生をいろいろ手伝ってくれたり、見守ってくれたりする生命体の中で、あることが得意な方がいる場合に
は、その生命体の影響もあったりするようです。
ですので、家系だけ見ていると、突然変異のように見える人生を歩む方もいるのかもしれません。
もちろん根本的にその人に与えられている向き不向きというのもあるようですので、考えていくと、人にはいろいろな可能性がるものだな、とも感じます。
船井幸雄さんは、本の中で「人生において、あることについての情報が絶えず入ってきたことや、好きで得意だったことに、使命のようなものがある」というよ
うな意味のことを言っています。
むしろ、こういう表現のほうが、分かりやすいのかもしれませんね。
そして、その後何らかの縁で、霊能者のような方に見てもらうようなことがあったら、「ああ、自分はこういう理由でこういうことをやっているのか」程度に思
うのが無理がなくて良いようにも感じます。
運命は決まっている、と言うことはどうやら確かなように感じてはいますが、エドガー・ケーシーさんが言う、「遠い未来のことは、それほど確かに決定してい
るわけではないので分からない」(大体こんな感じだと思いましたが)のように、不確かな部分もあるようです。
不確かというのは、確かに決まっているのだけれども、遠すぎて、分かりにくい、ということではなく、いろいろな事情により、変化することがある、という意
味のようです。
未来繫がりですが、池田国吉さんの今のところの分析では、ある事柄をきっかけとして、突然、世の中が変わるようです。
つまり、少しずつこの世の中が、「宇宙の理」へ近づき、そして、いつの間にか変わっている、ということではなく、何か大きなできごとが地球に起き、そして
まるで、戦争が始まるる前と終わった後のごとく、地球の常識がまったく変わる、というようなことのようです。
どうも滅亡というようなことは、ないようなのですが。
船井幸雄さんの本など読みますと、危ない危険もあるが、それを避けることは十分可能であり、そのために、今できることをやっている、ということだと思いま
す。
できるだけ、ソフフトランディング(ちょっとずつ変わる)できるように、がんばっている、ということです。
がんばっている、というのはいかにも他人事のような表現ですが、船井さんの言うことが正しいのならば、これは、我々全員の問題ということになります。
一緒にがんばらなくてはならないのでしょう。
お二人の未来予想では、ここら辺が少し違うところですが、二人の考えを読んでみると、大きな変化はあるが、少なくとも、滅亡はない、可能性が高いようで
す。
但し、おそらく地球は「宇宙の理」の世の中に変わっていくが、そのときに、精神レベルによって、さまざまな理由から、この世にいられる人といられない人に
分かれそうだ、ということも、かなり高い確率であるようです。
今の流れを見ていると、確かに、少しずついろいろなことが分かったり、
変化したり、「宇宙の理」に近づいたりしているようです。 10年前だったら、このアルバムのようなコンセプトのアルバムだって、作られることはなかったでしょう。 一体どのクラシックバイオリニストが「王将」をレコーディングしたでしょうか? あっても「誰それ、ユーミンを弾く」くらいだったことでしょう。 この未来予想があたるのかどうかについては、私には何とも言えませんが、もし今、正しいことをやっていうのに、どうもなかなか......という人も、 ひょっとしたら、その大変化時に、大きく何かが変わるかもしれませんので、希望を捨てないでいると、良いことがあるかもしれませんね。 仮説ですが。 その時、日本が何か大きな働きをすることになるようだとも、言っています。 それは、当たっている可能性が高いように感じます。 なにせ、これだけ良い曲を書いている国ですので。 |
158:DVORAK SYMPHONY NO.9, "From The Bew World" HERBERT von KARAJAN |
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ドボルザークの”新世界”です。 1977年の録音です。 CD化は2001年12月のようです。 私はクラシックはそれほど詳しくありませんので、いつの録音とか、詳細までは拘っていませんが。 ドボルザークは、プラハ音楽院の作曲家の教授だったそうですが、1981年にニューヨークの国民音楽院の院長就任の要請があり、1982年にニューヨーク へ行ったそうです。 その学校は、人種差別を行わず、音楽教育をしていたそうです。 ドボルザークは、ニューヨークへ行くのを初めは、嫌がっていたそうですが、行くことを決意します。 そして、ニューヨークで触れた黒人霊歌などの影響によって、この曲が出来たそうです。 私はこの曲が小学校高学年の頃から大好きです。 もっとの最近ではさほど聴かないのですが。 当時、ヘッドフォンのボリュームを相当大きくして、この曲の入っているLPを、毎日のように聴いていた覚えがあります。 |
第二楽章はあの「家路」のメロディです。
私が好きなのは、もっぱら第四楽章です。
おそらく、この楽章が「新世界」の中で一番ポピュラーなものかもしれません。
躍動感に満ちたメロディラインとアレンジです。
アレンジと言っても、交響曲の場合は、そのアレンジそのものが正に作曲ですので、ポップス的な表現をするのはむつかしいところがあります。
今聴いても、良いのですが、しかし、当時ほどの感動はありません。
なぜ、あのとき、あれほどこの曲に感動したのか、自分へとても興味があります。
感性が今より鋭かったのでしょうか?
もし仮に、今は当時より鈍くなっているとしたら、その理由はなんでしょうか?
「地の理」によるものでしょうか?
年によるものでしょうか?
それとも鈍くなったのではないのでしょうか?
鈍くなったのではないのなら、当時ほどに感動しないのは、なぜでしょうか?
多くの曲を聴きすぎたのでしょうか?
これはあるのかもしれません。
なんでも、良いものばかりに触れているというのは、感性を鍛えることにもなりますが、一方では、麻痺してしまうことにもつながります。
今、第四楽章を聴いていますが、相当に激しいです。
その激しさは、「シング・シング・シング」を超えているかもしれません。
ドボルザークは、当時のアメリカや、そこにあった音楽に「激しさ」を感じ取ったのかもしれません。
もちろん、それだけではないでしょうが、少なくとも、この楽章では、それが現れています。
今の私には、少し激しすぎるかもしれません。
ライナーには面白いことが書いてあります。
第三楽章についてですが、
「ドヴォルザークはこの楽章を<ハイアワサの歌>の中の結婚の祭典のところで、インディアンたちが踊っているのを描いた詩からの霊感で作曲した。」
これは、ドボルザークの残した言葉か何かにあるのでしょうか?私は詳しくないので知りませんが。
この霊感というのは、私としては、アカシックレコードからの情報、ということだと感じます。
モーツアルトと同じことを表現しているのではないかと思います。
クラシック音楽のライナーなどはめったに読みませんので、分かりませんが、結構こういうことでも、普通に書いてしまうものなのでしょうか?
それともこれを書いている門馬直美さんという方の特徴なのでしょうか?
あるいは、たまたまドボルザークについて、そういう記述が残っていたので、そのまま書いた、ということなのでしょうか?
しかし、とても興味深いです。
ひょっとすると、クラシック関係の方は、ポップス系よりも、音楽上の精神世界的なことには、造詣が深いのかもしれません。
本当のところは良く分かりません。
ただ、交響曲などのあれほどのスコアが、作曲時にメロディと共に、聴こえてくるそのあり様は、私には、普通のことには思えないものがあります。
もちろんポップスにもアレンジャーという仕事があります。
メロディに対して色付けをしていくわけですが、どうもアレンジという仕事と交響曲の作曲とは、似たところはあるものの、同じものとは感じられない節があり
ます。
この第三楽章も、躍動感はありますが、第四楽章ほど、激しくはありません。
今の私にはむしろ、こちらの方が、聴きやすいくらいです。
メロディラインには、どこか西部劇のサントラを彷彿させる旋律が出てきます。
初めてこの曲を聴いたのはいつだったのか、記憶がはっきりしません。
本当の意味での初めてはきっと小学校の音楽の授業だったのだろうと推測はつきます。
この曲を好きになったきっかけがあったように思うのですが。
なんとなく、何かのコンサートかなにかで、この曲を生で聴いたような覚えもあるのですが、良く覚えていません。
そう言えば、「新世界」というキャバレーか何かの名前が入った灰皿が昔自宅にあったような覚えがあります(笑)。
確か今でも、その名前のキャバレーはあるのではないでしょうか?
しかし、クラシックの作曲家というのは、あのオーケストラの全ての楽器の奏法、音色まで全てを掴んでいるのでしょうから、すごいと感じます。
ポップスでソロのある部分などは、「アドリブ」としておけば、その楽器を熟知した演奏者が、自分の力量の範囲で楽器の特性を存分に生かした演奏をしてくれ
るわけですが、クラシックにはそれがありません。
もちろんそうではあっても、作曲されるものは、その作曲家の力量の範囲内でのものとなるのでしょうが。
ピアノの曲やバイオリンなどの技巧が映える曲などは、その楽器に特に精通した人が作曲していることが多いようですが、これはそうだろうな、と分かるもので
す。
しかし大抵の作曲家はバイオリン、クラリネット、フルートなどの楽器の協奏曲まで作曲している訳ですので、ポップスの考え方からすると本当にすごいもので
す。
それを思うと、やはり生命体の力、アーカシックレコードからの情報などのようなものをきちんと受信できるような精神状態、人、でなくては、なかなか良い作
品を作るのはむつかしいのではないかと推測します。
もちろん良い作品を作るという点においてはポップスでも同様ではありますが、クラシックの場合では、より多くの情報量が必要なように感じます。
ただ、思うには、クラシックオーケストラなどを念頭に置いたほうが、アーカシックレコードからの情報と言いますか、本来、内容の多い複雑な情報を具現化す
るためには、やり易い面もあるかもしれません。
どういうように情報が来るのかにも、よると思いますが。
「このメロディ!!」というように情報が来たり、「こういう”曲”」というように情報が来るのなら、それをそのままに譜面にしたりすれば良いわけですが、
何か、混沌としたものが情報としてくるのなら、それに近いものをこちらで具現化することになるのだと感じますので、できるだけその複雑なものをこちらの世
界様にするためには、単なる旋律に置き換えるよりは、オーケストラなどのようなものを使ったほうが、より忠実に具現化できるのかもしれない、と感じていま
す。
もちろん仮説です、私には交響曲の作曲に関する何かがやってきたことは、今のところないように思いますので、良く分からない部分が多いです。
私はあまり聴かないのですが、デューク・エリントンも、どこか 人間離れした作品を作りましたが、得意なものは、ビッグバンドオーケストラで、アレンジも
含めてのものであるように思います。
ただ、船井幸雄さんの本にあるモーツアルトの手紙を読んでみる限りでは、私の感じでは、オーケストラ作品でも、一つ一つの楽器の旋律までが、情報として
やってくるようですので、オーケストラを念頭にした場合には、ちゃんとオーケストラ用の情報が来ているのでしょう。
仮説ですが。
当時はヘッドフォンで音楽を聴くことが多かったです。
途中からスピーカー中心になってきますが。
仮説ですがヘッドフォン中心に聴くことに、何か意味があるのかもしれません。
良く分かりません。
何も意味があるのかも分かりません。
ただ、昔はそれを知っていたのかもしれません。
しかしながら、ウォークマン用のものではなく、ある程度しっかり音のするヘッドフォンでのことのようには思いますが。
少しヘッドフォンで聴く、ということをやってみようかとも思います。
何かの感性が戻ってくるかもしれません。
何も失われていないかもしれませんが。
新世界でした。
159:PACHELBEL CANON AND GIGUE Baroque Works, I MUSICI |
||
バッヘルベルのカノン〜バロック名曲集 という日本語のタイトルになっています。 イムジチ合奏団の演奏です。 最近はあまり聴きませんが、カノンが大好きです。 瞑想を始めたばかりの頃、なかなか集中できない時はこのCDを聴きながらやると不思議に集中できたりもしました。 曲目は以下の通りです。 アダージョト短調(アルビニノーニ/ジャゾット編曲) カノンとジーグ(バッヘルベル) ヴァイオリン協奏曲ホ長調RV271「恋びと」(ヴィバルディ) ハープ協奏曲 変ロ長調 作品4の6(ヘンデル 合奏協奏曲 ニ短調「ラ・フォリア」(コレッリ/ジェミニアーニ編曲) 録音年月日はさまざまで、1957年〜1979年です。 |
確か、1990年くらいに新品で購入したので、長い付き合いです。
私はどうも弦楽器が好きなようです。
記憶にある限りで弦楽器が前面に出てくる曲としてはじめてのものは、ポールモーリアの「薔薇色のメヌエット」ではないかと思います。
今でも好きです。
今聴き返すと、モーツアルトの「アイネクライネナハトムジーク」を思わせる曲だな、と感じます。
さて、「カノン」ですが、クラシックですのでなんですが、コードで言えば、Cをキーとすれば、C G/ Am Em/F C/ F G/
となるのでしょうか?
これの繰り返しとなります。
一種の循環コード進行ですが、なんとも安定感があり、永遠に続いても良いのではないかと思うくらい心地の良い曲です。
クラシックの曲などは歴史が長いですので、前世でも一度くらい聴いているかもしれませんね。
ヨハン・バッヘルベルは1653-1706の人となっています。
政木和三さんの本には2〜3百年で生まれ変わってくる、ことが多いとなっていたと思いますので、聴いていても不思議はありません。
ただ、もし聴いていたとしたら、まず日本でのことではないでしょう。
仮に250年前にも私は生を受けていたとしましたら、1964年生まれですので、大体1700年前後ということですね。
これは何時代でしょうか?
まず日本ですが、ネットで調べますと、
続いて世界史ですが、
1687年 イギリスのニュートンが「万有引力の法則」を発見
1707年 大ブリテン王国、成立
1726年 イギリスのスウィフトが『ガリバー旅行記』を著す
1747年 アメリカのフランクリンが電気の概念を確立
1748年 モンテスキューの『法の精神』なる
1750年 フランクリンが避雷針を発明
1765年 イギリスのワットが蒸気機関を改良 このころイギリスに産業革命
1776年 アメリカ独立宣言 イギリスのアダム・スミスが『国富論』を著す
1789年 ワシントン初代大統領、就任 フランス革命
1804年 ナポレオン皇帝が即位
ということです。
なぜか、あまり昔と感じられないですね。250年前ですと。
ちなみに私は世界史も日本史も大苦手でした。それと地理もですが。
ほとんど落第点に近かったと思います。
ですので、何も覚えていません。
「この件についての考察を書け」という問題ならいくらでも書けたように思いますが、何年に何があり、.........というのが覚えるのが苦手だったの
です。
と言いますか、そんなの本を見れば書いてあるではないか、というのが当時の私の気持ちでした。
しかし今では、暗記の必要性も良く分かります。
暗記すれば、いちいち本を開く必要がなくなりますものね。
しかし面白いことがありました。日本史ですが、ある少しばかり聞こえの良い大学の入試で、直前にたまたま勉強したところが、まったくそのまま出てきまし
た。
本当にほとんどまったくそのままです。予備校のその時代のテキストがそのまま、問題として出た、という感じでした。
私が今まで受けた日本史のテストで一番良い点数だったと思います。ほとんど100点のはずです。
もちろん合格しましたが、そこへは行きませんでした。
ちゃんといかないように運命で決まっていたのでしょうか。
その大学の合格届けが家に来た朝は、私はふっとベッドで目覚めると、郵便配達のバイクの音がし、間髪入れずに、ポストに合格届けが入れられるということも
ありました。
ひょっとしたら、よっぽどその大学とは縁があったのかもしれません。
今こうして、当時を振り返るとなんだか、本当にそう感じてきました。
来世で覚えていたら、そこで学ぼうかな、と思っています。覚えていればですが。
さて、250年前の話に戻ります。
正に近代への移行期のような時代だったようですね。
(何をいまさら〜)
本当に世界史は詳しくないのです。
160:BACH 4 Orchestral Suites TON KOOPMAN THE AMSTERDAM BAROQUE ORCHESTRA |
||
バッハです。 「G線上のアリア」が聴きたくて購入しました。 1997年の録音です。 曲目です。 1:管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BMV1068 2:管弦楽組曲 第1番 ハ長調 BMV1066 3:管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BMV1067 4:管弦楽組曲 第4番 ニ長調 BMV1069 です。 「G線上のアリア」は1の第2曲目のエアー(Air)のことです。 大変有名なメロディなので、知っている人も多いと思いますし、聴けば聴いたことがある、という人も多いと思います。 現在にも通じるとてもモダンなメロディラインをもった名曲だと思います。 G線とは4弦のことでしょうか? まずバイオリンがどのようなチューニングになっているのか、私は知りません。 ちょっと調べてみますと、やはりベースギターなどと同様、1弦E、2弦A,3弦D、4弦Gのようです。 |
要するにギターの高い弦2つを除いた残りの4本と同じということですね。
もっとも、どちらが歴史が古いのか分かりませんので、どっちがどっちと同じと言うのが正しいのかは良く分かりません。
バイオリンのほうが古いでしょうか?
もちろん対称となるのはクラシックギター(ガットギター)のことですが。
私は良く知りませんが、このように弦楽器のチューニングが同じというのは、最近(200年くらい)の話なのでしょうか?
それとも、昔から一緒だったのでしょうか?
それとも、あるときから一緒にすることにしたのでしょうか?
なぞです。
あるいは、想像するに、きっとそれぞれ初めは少し違った形をしていて、段々と今の形に落ち着いたのでしょうから、その段階において、一緒のチューニングに
したのでしょうか?
いずれにしても、偶然、同じチューニングだったとしたら、なかなか興味深い話です。
ギターとバイオリンは素人考えでは、同じ国が発祥とは何となく思えません。
みなさんはどう思いますか?
ギターはなんとなくスペインとかというイメージがありませんか?
バイオリンは、どこでしょう?ドイツでしょうか?フランスでしょうか?ウィーン(オーストリア)でしょうか?
きっとクラシックに精通している方は知っているのでしょうね。
基準音が昔と比べると、高くなっているという話は聴いたことがあります。
基準音とは、要するにラなら「この音がラ」という基準の高さ、ということです。
ちょっと調べてみます。
宗
教音楽や教会音楽をもっと楽しむためのページ
に詳しいです。
1859年に、各地で行われる音楽演奏の基準ピッチをそろえるために、パリ
に全欧州で使われている音叉を提出させ新たな基準として435Hzに統一する宣言をした。
次に1939年の国際規約で、気温摂氏20度でA音=440ヘルツと制定された(440HzがThe New Philharmonic
Pitchとして国際標準に認められた)。
しかしオーケストラの基準音は上昇し続けている。
今はA音だけでも440,
441,442,443,445Hz等があり、奏者、指揮者が選ぶことができる。
日本では主要オーケストラ、音楽大学、ヤマハなどは442ヘルツ。
ベルリン・フィルやウイーン・フィルは445〜446ヘルツ、イギリスは440ヘ
ルツ、アメリカは440〜442ヘルツなど。
モーツァルトやベートベンの頃はもっとずうっと低く、半音以上の違いが出てくると
思われる。
http://www.1101.com/fujin-ido/43.html
には、五嶋みどりさんの面白い話が掲載されています。
要するに、国によってピッチが異なり、特定のピッチで絶対音感を得ると困るときがある、という話です。
これは、いつぞやどこかで書いた「絶対音感」という本にも同じような話が載っていましたが、そうだろうと思います。
私は、中学生の頃、カセットテープの回転速度は、「機械なんだから一定だ」、と思い込んでいて、機種や使用年数などにより、スピードが遅くなったり、稀に
速くなったりしてしまうことを知らず、良く電気屋さんを困らせたりしていました。
要するに、あるカセットデッキ、ラジカセで録音したテープを違うカセットデッキで再生すると、微妙に遅かったり、早かったりしてしまうのです。
その時、あからさまに、「遅い」、「速い」と分かるくらい違う時には、まだ良いのですが、本当に部妙な時には、なんだかいつもと違う、変だな?ということ
になりました。
今ではもう、カセットデッキの精度というのはその程度のものなのだ、と分かっていますので、少しくらい違っていても、ぜんぜん気になりません。
私はこのようなことが良くあります。
レコードプレーヤーでもありました。
昔私の部屋にあったものは、ラジオとプレーヤーが一体になったもので、その当時は良く見かけるタイプのものでした。
ある時、中学生の時ですが、なにかの拍子で、レコードから流れる曲のピッチを計ってみたら、違うのです。
どういうことかと言うと、何でもいいのですが、例えばビートルズの「デイトリッパー」なら、初めの音は「ミ」と楽器を弾く人は知っています。
そんな感じで調べてみたのです。
仕方なく、中を開けて見てみますと、何となくここを調整すれば、どうやら調整できそうだ、という箇所が分かり、何とか調整して、あわせました。
もっとも、その後使うことになったようなちゃんとしたコンポーネント・オーディオでしたら、そんなことはできませんし、回転も電子制御されていましたの
で、ワウフラも0コンマ以下で、する必要もなくなるのですが。
その時、あまりに、集中してピッチを聴いていましたので、その作業から離れても、しばらく耳から聞こえる音が、くにゃくにゃとしているのが抜けなくなって
しまったなんてこともありました。
あのときは子供でしたので、オーディオに少し荒っぽいことをしてしまいましたが、やっぱり、優しく扱ってあげないといけませんね。
優しく扱ってあげると、機械は長持ちします。
船井幸雄さんの本にも、そのようなことが書いてあります。
どうも、機械も波動が通じるようです。
機械自体に通じているのか、その材料であるそれぞれの物質に通じているのかは、良く分かりませんが、きっとどちらかだろうと感じます。
ピアノなんかでも、きっとそのまま、何の知識も入ってこなければ、 同じように、「ピッチが違う」、「変だ」というようなことが起きた可能性があったかと
思うのですが、これは幸せにも、山下洋輔さんの本で、「ピアニストは楽器を持っていけないので、そこに置いてあるものを弾かなくてはならない。中には、と
んてもない状態のものもある」というような内容のことを読んでいましたので、「そんなものなのか」と予め免疫ができており、どこへ行っても何とも思わず済
みました。
逆に、チューニングの合っていないピアノに巡り会ったりすると、「なんだか、山下さんの本みたいだな」と嬉しくなったりもしたものです。
ところで、ピッチが上がっている、ということに関連してですが、みなさんは、「シューマン共振」の周波数というのを知っているでしょうか?
中には、「来たな、この話になると思っていたぜ」と思っている人もいるかもしれませんが(笑)。
いろいろなところで紹介されているようです。船井幸雄さんもずいぶん前からこれについて、話されています。
「これから10年大予測」(2004年10月20日発行)158ページには次のようにあります。
『シューマン共振とは、地表と電離層のあいだで低周波の電磁波が共鳴する現象のことで、雷の放電によって引き起こされます。1952年、ドイツの物理学者
W.Oシューマン博士によって
発見された、非常に低い周波数の電磁波です。
(中略)
このシューマン共振の周波数は、1948年まで7.8ヘルツで安定していました。これがその後急上昇を始め、1993年には8.6ヘルツ、1997年1月
には10.1ヘルツ、同8月には12.9ヘルツ、2003年2月には13.0ヘルツ以上になったと報告されています。
このシューマン共振の周波数上昇は、生命体に直接影響するかもしれないと考えられています。電磁波の変化により、人間を含むさまざまな動物が変調を来す可
能性があるというものです。』
ここで言う生命体とは政木和三さんの言う生命体ではなく、生き物という意味です。
この上昇によって、ある種類の疾病の増加、DNAの複製異常、生命体が突然変異を繰り返す可能性さえありそうだ、と書かれています。
リラクゼイションCDには、このシューマン共振の7.8ヘルツを「この音を聴くと心地よくなる」として、入れているものなども発売されているようですの
で、、元々の7.7ヘルツでなくなってしまったということは、困ったことなのだろうな、ということは素人考えにも何となく分かります。
最初の変化のあった1993年と言いますと、私的には、比較的順調だったころです。
1997年は新しいことを始めた頃ですが、ここら辺も、特に悪いことはなかったように思います。
ただ、この後くらいから、今でもそうなのですが、時間が異常に速くなりました。
その変化は相当なものです。
3/4くらいにはなったでしょうか?1日単位で言えば要するに18時間くらいです。もっと短いかもしれません。
これは何もしていなくてもです(忙しくなくとも、ということです)。
おかげで、詰まらないことをしていても、時間が経つのが速くて、その点で言えば良いのですが。
しかし、これがシューマン共振の周波数と関係あるのかないのかは、良く分かりません。
ちなみに、7.38ヘルツという音は、スピーカーから出しても、まず聴こえないくらい低い音です。
小さい音ではなく、”低い”音です。
13.0ヘルツもまず聴こえない音だと思います。
再生するには、よほど良いオーディオ機器、特にスピーカー、ヘッドフォンなどが必要ではないかと思います。
しかし、再生されても、人にもよるのかとは思いますが、ほとんどの方は、感知はできないと想像されます。
体全体、生命体の領域で聴く(感じる?)ことになるのだろう、と思います。
ここでの生命体は政木さんの言う生命体のことです。
一般的な家庭用のブックシェリフ型スピーカーですと、低い方の再生可能周波数はせいぜい30ヘルツ前後だと思いますし、スーパーウーファーなんかでも、
20ヘルツまで出たら、性能の良いほうではないでしょうか?
ちなみにCDの規格上の周波数は2Hz 〜20kHzです。
2Hzが低い周波数、いわゆる低音のことです。ベースとか、そういう音です。
20kHzが高い周波数、高音、高域のことです。シンバルとか、そういう音です。
いろいろな楽器が入っていないような音楽の場合でも、音はいろいろな周波数成分が合わさっていますので、これは広ければ広いほど、良い、と言っていいもの
です。
つまりピアノのソロCDを聴くにしても、周波数レンジは広い方が良い、ということです。
また、この周波数レンジと、音のバランスとはまた違う話です。
例えばあるスピーカーが、30Hz
〜50kHzという再生周波数であったとしても、バランス的に、中域が良くでるように作られていれば、それほどキンキンした音ではありません。
そしてそれでいながら、高い周波数まで出ますので、本当の音に近い音がでます。
これがバランスです。
スピーカーの特徴とも言えます。
しかし実際問題としては、買う人が分かりやすいようにでしょうか、再生周波数が高い周波数まで可能になっているものは、大抵ハイ上がりの音作りなっている
こ
とが多いようです。
高域のバランスが大きくなっている、ということです。
経験からですが。
さて、そういうわけで、シューマン共振の周波数という低い音が、感知できないけれども、ずっと鳴り続けているようです。
絶え間なく鳴っているのか、時々なるのかは分かりませんが。
そして、その周波数が何かの理由で、上がっているということです。
船井さんは他の本で、精神レベルを上げていくことによって、この高くなったシューマン共振に対応できるようにる、というような意味のことを書いていたと
思います。
どうも、地球で何かが起こっているのは、事実なのではないかと、思えてしまいます。
みなさんは、このシューマン共振の周波数の変化によって、”何らかの変化”に気づいたようなことはあるでしょうか?
但し、他にも地球、宇宙では、いろいろな変化が起きているようですので、、”何らかの変化”が、どの変化によるものなのか、容易には分からないかもしれま
せんね。
ただ全ての起きていることが、それぞれに、連動している可能性はあります。
みなさんは、どう思うでしょうか?
バッハでした。
1〜20 | 21〜40 | 41〜60 | 61〜80 | 81〜100 | 101〜120 | 121〜140 | 141〜160 | 161〜180 | 181〜200 | |||||||||||
201〜220 | 221〜240 | 241〜260 | 261〜280 | 281〜300 |
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