2007年度

にんげんクラブ・ミーティングの感想

29日に全体の感想

1:29日の
全体の感想
中丸 薫さん 中矢 伸一さん 4:岡田 多母さん 中谷 彰宏さん エハン・デラヴィさん
1:30日の
全体の感想
2:ベンジャミン・
フルフォード
さん
3:藤原 直哉さん 4:副島 隆彦さん

5:船井 幸雄

さん

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もくじ


 

さて・・・
中谷彰宏さんです。http://www.an-web.com/ 

タバコの話がありました。

タクシーですが・・・「禁煙車ですけど、大丈夫ですか?」とタクシーでは言うようになっているそうです。
それは、タバコを吸うために、タクシーに乗る人もいるから・・・ということのようです。

「タバコを吸っても良いですか?」と聞く事によって、運転手さんとの良い人間関係を築ける・・・
原因は環境ではなく、自分の中にあった・・・

ということだそうです。

3次元的には、まったくその通りだといつも感じます。
しかし・・・森田健さんの調査では、原因は、環境にあるようですが。

※乗る側ですが・・・
「タバコを吸っても良いですか?」と聞ける運転手さんか?
そう聞ける精神状態か?
聞く余裕があるか?

そういうことは、もはや環境が決めている・・・ということかもしれませんが、とにかく中谷さんは、原因は自分の中にあった・・・ということです。


相席の話・・・
相席をお願いされた時、かわいい女性が座るかどうか、ということではなく、自分がどれくらい良い人に見られるか、ということが”運”・・・ということです。
相席をして、気持ちの良い人に見られるのが運である、ということです。

それによって出会いが起きる→それが運。

ここら辺は、森田健さんは、突っ込みがいがあるかもしれません。

しかし、普通の世界でよく目が見える、鼻が利く人にとっては、やはり、中谷さんのように感じると思います。
普通人の私もそう感じます。

しかし、どちらが正しいのかは、よく分かりません。
私にとって再現性があるのは、「自分の中に原因がある」論ですが、その検証も、時空をどこまで広げて見る(観察する)のかによって、違うのかもしれません。





気まずいという話で、映画館や講演会場の席の肘掛はどちらのものか?という話がありました。
法律的には、通路側が自分のものだそうです。




図がありましたが・・・
◎の状態で、2つでなく3つの円があり、中央に「自分」、ひとつ外に「知っている人」・・・そこには、好きな人と嫌いな人、一番外側には「知らない人」・・・が書かれています。

運は知らない人が運んでくる・・・
ということです。
知っている人は損得利害関係。

運は知ったない人が運んでくる・・・これは、決まっている「運命」が良く使う手法のようです。
これは、きっと、森田健さんも、文句はないでしょう・・別にそこまで森田健さんにこだわらなくとも良いのですが。




転職・才能・自分探し・・・

「彼はそういう役割がある」→船井幸雄さんが言う。
「彼はそういう才能がある」→x

役割は宇宙の方式


KNOW,HOW・・・技術はその内だめになる。
本は800冊になるが、本を書くには、「いかに気づくかが大事」。

大人の見るものと、子供の見るものは違う。

北海道のなんとか動物園(旭山動物園でしたでしょうか・・・メモが読めません)

今までは、いかに珍しい動物がいるか?だったが・・・
今までにない見せ方、考えた。

子供は亀が大好き。
大人は、子供は大きな動物が好きだと思っている。
亀・・・ほとん動かない・・・動くと、「あっ、動いた!!」、「生きていた」・・・





きっかけ、運という・・・きっかけ
「印無きこそ印なりけれ」

男性を見分ける方法は?
見分ける、ということこそすでに間違え。

「これがメッセージ」と分かりやすいものは、メッセージではない。
ないでもないフリをして来る。

データ、根拠なし。
理由なき信念。自分の体験

※分かりやすいものはメッセージではない・・・は、個人差あるように思います。
しかしながら、「なんでもないフリをしてやってくる」は、個人差ないかもしれないですね。

もっとも、お釈迦様のような人であれば、「分かりやすい」も「なんでもないフリ」もあったものではなく、「あっ、これはメッセージ」、「あっ、これは、なんでもない」・・・となるのかもしれません。


人の耳は集中していることしか聞こえない。
※そうですね。

補聴器はすべて聞こえてしまうので、初めてするとうるさくて仕方ない。



仕事でワクワクしない、と言っている人は、どうすれば、恋人に愛されますか?
愛することの方が大事・・・

※これも、何の偶然か、似たような話題を森田健さんが最近書いていますが・・・
森田健さんは、パフォーマンスを求める女心に従えば、女性の心は射止められるが、それをした男性は、その経験によって、ことあるごとにパフォーマンスを繰り返す、疲れる人生を歩むことになる・・・と書いています。

たとえば、私ですが・・・私は、女性と深い関係になるのが苦手です(笑)。
仕事でも、なかなかワクワクしません。
洗脳されたり、騙されたりしないように、を心がけて生きてきましたので、相手が何かを望んでいる時、分かることも多いですが、その望んでいるものが、自分の目から見て、「変なの」と思うと、無視しますので、往々に、女性の望むパフォーマンスを拒否します。

それは、つまり、なかなか女性と深い仲にならない、ということを意味していますし、おそらく仕事でもそうなのでしょう・・・何か共通したものがあるのかもしれません。

要するに、ロマンチックでない、ということだと思います。

但し不思議なもので、相手が子供の場合には、これがないのですね(笑)。
期待しているものが、たとえ、「変なもの」でも、自分的には「子供だから当然」と思ってしまいますので、叶えてあげたりしますし、かなえることに、違和感を感じません。





で・・・
自分がどれだけ宇宙とつながっているのかと感じる力が大事。

宇宙に意識がある、ということは、自然に意識が行くことにつながる。

満月・・・
ヨガの人は(ヨガ)やらない。
運送関係、タクシー・・・気を付ける


阿久 悠さんの追悼番組の話・・・
阿久 悠さん・・・「どうせ〜」、「しょせん〜」を使うのを止めよう、と思った。

※これは私も見ましたので、覚えています。
見た日、よほど、このサイトに書こうかと思いましたが、止めました。

私は、むしろ、最後に出てきた都倉 俊一さんが、心に残りました。
「五番街のマリー」だったか「ジョニーへの伝言」だったかを演奏しました。

とておも、良い演奏でした。

阿久 悠さん追悼関係では、一切テレビでは見かけませんでしたが、絶対、一言、言いたいのだろうな、しかしテレビに出て発言したくないのだろうな・・・と感じていましたので、ピアノ演奏という形は、きっと一番良い登場のしかただったのではないだろうか・・・と個人的には感じています。




デートでも何でも、日々修行。

修業・・・テクニック、卒業のあるもの。
修行・・・お坊さんのやっているもの。卒業なし。永遠。


「なかなか結果が出ないんですが?」
「才能がないのでしょうか?」→結果を目標にすると疲れてくる。

結果に幸せはない。

結果の向こう側を目指す。

ダンスをやりますが・・・
ダンス・・・相手を押さない。先生「私を通り抜けていきなさい」
押すと反発が来る。


結果の先を目指すと、
淡々と、コツコツと、
微笑んでいられる。


コツコツ、淡々でしか、たどり着けない所がある。

※これは、政木和三さんの、汝のゴルフは、汝の足元1メートル四方のみ、に近いのでしょう。


好きなことをやっている人は、損得を言わない。
会社とか、狭い場所で考えてはいけない。


空手部の話・・・
高校生(中学生でしたでしょうか?)くらいの頃、大阪は危ないので(笑)、空手を習った。
しかし、空手を習ったら、喧嘩が弱くなった。
空手使わない方が、強かった。
要するに、まだ、使い慣れていない空手より、使い慣れたものの方が、うまくできる・・・ということだったと思います。

※これは、みなさん、よく分かりますね。
ピアノで言えば、スイングとかモダンとか、モードとか、いろいろアドリブ理論がありますが、習いたてのものを使うよりは、今まで慣れていたものを使ったほうがうまくいきます。
慣れるまでは、そういうものですね。






素人の方が、成功すること、というのがある。
しかし・・・コツコツやっていくろ、素人ではたどり着けないところに行ける。
素人の行ける場所には限界がある。


成功者→「当たり前のことしかやっていません」
当たり前のレベルが違う、ということ・・・
※これは、私が頻繁に書くことですが、メモが私の感想だったか、中谷さんが話したことだったか、よく分かりません。

急激な成功はリバウンドがある。

自分の時間、家庭の時間
足して”1”にすると疲れる。
自分が好きな人をハッピーにすると、自分がハッピーになる。
好きな人の大切な人をハッピーにしても同じ。


自分の好きな人だけを大切にする。※※
自分は裕福だが、そうでない人に何もできない。
しかし、自分の好きな人をハッピーにする。
みんながそうした良い。

 

時間をどう使うか・・・と考えると、隙間時間の使い方など、ちまちました話になってくる。それよりは・・・。



※※これは、藤原さんの言った「不特定多数を集めない」に近いですね。
また、船井幸雄さんが中学生から言われた「全員に話すのではなく、分かる人にだけ話すことが使命です」にも近いです。

船井幸雄さん曰く「自分は分け隔てがないので、差別するのが嫌いなのでそうしてしまいますが、それは使命ではないようです」、ではありませんが、私も、だれかだけをのけ者にするのが嫌いです。
しかし、それもいけないことなのかもしれません。

今思考中ですが、どうなるでしょうか?







「宇宙とつながるには、何をコツコツするか?」
秋刀魚を焼く匂い、秋の風、セミの抜け殻・・・
そういったものを感じる。

※太陽、月、地球を信仰することですね。



「嬉しかった」を一日一度

「嬉しかった」は人との係わり合いから生まれる。
そうすると、「ありがとう」が出てくる。


母親から、よく言われた・・・「お店に嫌われないお客さんになりなさいよ」

「〜してあげたら喜んでくれた。嬉しかった」

ここまでですが・・・前後しますが、記憶にあることを書きますと・・・
家はスナック経営で、夜中までカラオケが聞こえるお店の上が部屋だった。
そこで、勉強したのが、集中力を得られた原因ではないか・・・ということです。



以上です。




嬉しくとも、嬉しくなくとも、「ありがとう」だと感じますが、しかし、それをいきなり言われても、「そうですか」とはなかなか思えないですね。

少なくとも、「嬉しかったら、絶対、ありがとう」でよいのだと感じます。



宇宙とつながりたかったら、日常の中の自然と言いますか、季節の変わり目などを感じる・・・というのは、私はこれは、まさに、「太陽、月井、地球を信仰する」という古来からの日本人のありかたそんものだと感じます。
そして、非常に分かりやすいですね・・・

つまり、「宇宙とつながるには、秋刀魚の焼く匂いを感じる」、「セミの抜け殻を見て感じる」ということですね。


また、聞きたいと思います。



 

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