理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

 

 
302:写真はなし
   
   

 さて・・・・・・
瞑想をしていますが、例の映像が出にくい、の件ですが、最近は、「淡々と・・・」、「動じない」、「あせらない」、の3つを心掛けていますが・・・どうも良いようです。
結局のところ、少なくとも、昔々、私が読んだマーフィーの法則の本の悪影響が潜在意識に入っている(笑)のが原因のようですが。

潜在意識本の間違えた内容が潜在意識に入っている、というのは、何ともおかしいですね。

そのどの分部だろうか?と考えますと、「どんなことでも、あなたが思ったことは、その通りになってしまいます。ですので、これが叶ったら、〇〇を差し上げます」とか、「この子が救われるなら、私が代わりに病気になっても良いです」のように、思ったのなら、その通りになってしまいますので、決して、そんなことは思ってはいけません」という至って正しい内容と、「できるだけ具体的な映像を頭に浮かべることが大切です」の2つが、組み合わさり、「万一、ちょっとでも間違えた映像が出たりしてしまったら、その通りになってしまうのではないだろうか?」という恐れが、潜在意識に入っていたのでしょうね・・・(笑)。

ひょっとしたら、普通の人は、そんな恐れなどはなから抱かないのかもしれません。
しかし、なぜか、中学生だったか、高校生だったか、あるいは大学生だったかの私は抱いたわけですね・・・
でも、書いてあることだけから推測すれば、上のような解釈、恐れがでてきても当然のようにも思います。

しかし、どうも、そうではないようです(笑)。
少なくとも、間違えて出た映像は、ちゃんと間違えて出た映像であり、自ら発した、「これこれを差し上げます」というような意思とは、ぜんぜん違うもののようです。

禅の修行で瞑想中に雑念が出てきた時、どうやら、「映画でも見ているように、楽しんでみていれば良い」ということですので、もし、この雑念が叶ってしまうような種類のものであるのなら、「楽しんで見ている」わけにはいきませんね(笑)。

ですので、基本は瞑想と同じで・・・ですので、瞑想中に、雑念が出るわけですが・・・、雑念がでようが出まいが、自発的に出した映像でないのなら、”淡々と”、”動じず”、”あせらず”ほっておけば、それだけで良いようです(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?
 

 
さて・・・靖国問題ですが・・・
いろいろ見ていますと、靖国神社の宮司さんが変わった後、A級戦犯の方々を合祀したこと、
それにより天皇が参拝できなくなったこと、
A級戦犯の家族の方々は、「天皇に申し訳ないから、祀るのを辞めて欲しい」と言っていること、
A級戦犯の方々を祀りたい方は、極東軍事裁判は間違っているので・・・と言っていること、
靖国神社は宗教法人なので、だれを祀ろうが、神社の自由意志に任されていること、

などなどがあるようです。<これらを見てみて思いますのは、天皇は、世界を見ているのだろうな・・・ということですね。
日本だけ見ているわけではないようです。

どうしてかと言えば・・・ここでは、3次元的解釈ですが・・・日本だけ幸せになっても、戦争はなくならないからでしょう。
世界中が平和であって、初めて二度と戦争が起こらない、ということですね。
つまり、世界平和を考えている、ということです。


天皇が見ているのは、極東軍事裁判が正しいかどうか?とか、日本に罪があるか?とか、そんな狭いことではないはずです。
世界中が平和になって、世界中で戦争がなくなって、世界中で、犠牲者が二度と出ない、ということでしょう。

要するに、世界中が平和になる=日本が戦争を二度としないということなのです。



私は神道は詳しく知りませんし、神道は宗教ではない、と思っていますが・・・
いずれにしても、高次元を正しく表しているものが、「にんげん」全体ということを考えずに、狭い地域、国、特定の層、信者のことばかり考えているわけがないと思います。
良く分かりませんが、天皇だって、ひょっとしたら、あの裁判は間違っている、と思っているのではないでしょうか?
しかし、それよりも、二度と戦争を起こさない、ということを優先しているのではないでしょうか?
あの裁判が間違えていることぐらい、ちょっと資料を読めば中学生にだって分かるような気がします。
ミクロより、マクロを優先しているのですね。


それが日本人的考え方のような気がします。
理屈は抜きなのです。
理論的などいらないのです。
直感で思って、それが正しいのなら理屈などいらないのです。

それを、戦後的な、アメリカ的な、西洋的な”理論”、”理屈”、”理詰め”でやっていったら、やれ裁判が間違えている、宗教的にはどうだ・・・というな坩堝にはまって行きます。

それこそ、正にアメリカ的な発想であり、最後は、相手と理論上の正解の一致が見られないから、「それなら経済制裁だ」、「それなら戦争だ」というようなことになりはしないでしょうか?
小泉さんは、靖国参拝後のインタビューで「戦争でなくなった方々に哀悼の念を示すのは日本の文化ではないか?」という内容のことを言っていますが、それを言うのなら、小泉さんのように強引にまで自分の考えを通すのは、もうすでに日本の文化ではありません。

理屈を捨て去り、とにかく、すべてが丸く収まる、を良しとするのが日本の本当の文化です。
これが通じないのは、今が西洋中心の唯物的な発想下の世の中になっているからです。

小泉さんの芝居に騙されてはいけません。
もっと大きく見ないと騙されます。マクロとミクロの入れ替えをたくみに操る、ということをしています。
私がたばこを吸うのと、似ています(笑)。
一度タバコを吸えば、ニコチンが残っていますので、切れれば、いらいらします。
ですので、そのいらいらをなくすために、吸うわけですが、その時の理由は、「たばこを吸わないといらいらするから」とか、「いらいらするから吸います」とかなわけですが、それは、そこだけに論点を集中するからです。

もっと大きく物をみれば、
「そんなこと言っていたら、いつまでたってもニコチンが抜けないじゃないの?」
であり、
「そんなもの吸ったら、臭いはするし、健康にも良くないし、周りの人にも迷惑だし、お金ももったいないし・・・」
とちゃんとまともな理屈が出てくるわけです。

今回の小泉さんのインタビューはすべて見ていませんが、要するに、「戦争犠牲者をお参りして、癒してあげることのどこが悪い。当たり前でしょう?」
なのだと思います。

それはそれで正しいです。
屁理屈を言えば、言えるでしょうが、そこに論点を絞って、反論を言っても無駄です。

そうではなく、もっと広く見て、たとえば、先の、「世界中すべてが丸く収まらなければ、日本の平和なんてあるわけないではないですか?」
「あなたのやっていることは、世界中を丸く収める、ということからは、ほど遠いものではないですか?」
「日本のことだけ考えていませんか?」

のような議論にしなくてはいけないのでしょう。


この小泉さんの手法は、先の村上さんが、インタビュー中に、逆に質問をしてきたやり方と似ていますね。
論点を変えてしまうわけです。

マクロに見なくてはならない事象を、ミクロにしてしまうわけです。
ミクロでみなくてはならないことと、マクロにみなくてはならないことがありますね。
基本的には、どちらも大切で、どちらも成り立つのがよいわけですが、少なくとも、”今”どちらで考えなくてはならないのか?ということは大切ですね。

小泉さんのやり方は、これをうまく利用しています。

そのくせ、今度は、ミクロにみなくてはならない時に、大きすぎるマクロを出してきます。
たとえば、中小企業が倒産しても、「犠牲を覚悟してもらわなくては・・・」
という言葉です。

こういうことに騙されるのが、逆に日本人らしい、と言える訳ですが、少なくとも、マスコミ、学識経験者(?)の方々は、そこら辺を、もっとうまくやってもらわなくてはいけないのでしょう。
こういう時のために、テレビ局は、高学歴の人を採用しているのではないのでしょうか?
もし、これくらいのことで、惑わされてしまうのであれば、採用基準を根本から見直す必要があるのでしょう。


私的には・・・一度認めてしまえば良いのではないかと思います。
つまり、小泉さんが、
「戦争でなくなった方々に哀悼の念を示すのは日本の文化ではないか?」、
「結局のところ、中国が反対するから、行くなと言うことではないですか?」

と言うのなら、
「そうですね。その理論は正しいですね。哀悼の念はよいことですね。
しかし、戦争でなくなっていった人たちは、本当に、世界の人たちを心配させてまで、来て欲しいと思っているとお思いでしょうか?あなたは、戦争で犠牲になった人たちの気持ちよりも、あなた自身の気持ちを優先しているだけなのではありませんか?」

「そうですね、しかし、そんな西洋人張りの強引なやり方ではなく、日本人なら、まず、中国と理解しあって、その後、参拝できるように、したらよいのではないのですか?」のように、言ってみたらどうでしょうか?
インタビュワーの方・・・・・・。


その意味では、天皇が正しいでしょう。
目標はがどこにあるかは分かりませんが、世界平和であるなら、日本だけ見ていてはいけませんし・・・
戦争を二度と起こさない、であるなら、やはり、日本の平和ばかり見ていてはいけませんね(笑)。以上は3次元的なものですが、高次元的に考えてみますと・・・

以下は、http://motions.fc2web.com/love22.htmlに、以前書いたものですが・・・



「みろくの世」―出口王仁三郎の世界天声社 ;  (2005/08) 出口王仁三郎言行録刊行委員会 (編集), 上田 正昭: を、先日開きましたら、面白いことが書いてありました。
「霊界物語」の1節ですが、『大宇宙完成までの「五十六億年」』とタイトルされた箇所です。

そこには、宇宙の始まりについて書かれているのですが、はじめのところを引用します。
(引用146ページ)
『大宇宙の元始にあたって、湯気とも煙ともなんとも形容し難い一種異様の微妙のものが漂いいたり。この物はほとんど十億年間の歳月を経て、一種無形、無声、無色の霊物となりたり。これを宇宙の大元霊という。

わが神典(『古事記』)にては、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と称え
または天之峰火夫神(あめのみねひおのかみ)と称し、
仏典にては阿弥陀如来と称し、
キリスト教にては、ゴッドまたはゼウスといい、
易学にては太極といい、
支那(中国)にては天主、天帝、または単に天の語をもって示されいるなり。
国によりては造物主、または世界の創造者ともいうあり。』
(以上)

http://motions.fc2web.com/love16-2.html では、



「あしたの世界P2 関英男博士と洗心」(池田邦吉:2004 年7月発行)には、このようなことも書いてあります。

(引用:荒深道斉さんの「古神道秘訣・上巻」からの出典だそうです。 br> 1:天之御中零雷神(あめのみなかぬちのかみ)・・・クォークを作った。
2:高皇生霊神(たかみむすひのかみ)・・・物理学上の遠心力・斥力。
3:神皇生霊神(かみむすひのかみ)・・・物理学上の求心力・引力。
4:可美天日牙霊霊凝雷神(うましあしかひひこちのかみ)・・・電気の+、-の力。
5:天之常立神(あめのとこたちのかみ)・・・気体を集めてたくさんの銀河の元を作った神。
6:国狭津雷国狭立神(くにさつちくにさたちのかみ)・・・気体を収縮凝結させた時の神。
7:国之常立神(くにのとこたちのかみ)・・・太陽系が属する我が天の川系銀河を担当した神。
8:豊雲野神(とよくもぬのかみ)・・・太陽系の元を作った神。
9:國底立神(くにそこたちのかみ)・・・地球の地殻(プレート)を作った神。
10:天之鏡神(※ふりがななし:あめのかがみのかみ、でしょうか?)・・・地球が海で覆われた時の神。
11:沫蕩神(あわなみのかみ)・・・海に海流を作った神。
12:埿土煮神(うひぢにのかみ)・・・海洋に泥水ができた時の神。
  :砂土煮神(すひぢにのかみ)・・・海洋に砂洲を作った神。
13:大戸之道神(おおとのじのかみ)・・・海底火山が陸地を作った神。
  :大戸之辺神(おおとのべのかみ)・・・火山列島を作った頃の神。
14:角杙神(つぬくひのかみ)・・・植物の単細胞を作った神。
  :活杙神(いくくひのかみ)・・・虫の単細胞を作った神。
15:面足神(おもたるのかみ)・・・地球に水陸が整った時の神。
16:惶根神(かしこぬのかみ)・・・生物を作った神(人以外)
17:伊邪那伊邪那岐美神(いざなみいざなぎのかみ)・・・地球を作った神(?)※本文を読む限り、こうだと読み取れます。
(以上)

この2つを見ますと、先だっては、仏教での阿弥陀仏=創造主、としましたが、それほど単純なものでもないようですが、上では、天之御中零雷神(あめのみなかぬちのかみ)を創造主のように表現し、下では、クォークを作った、と表現しています。

また下では、創造主から分御霊されたひとつとして天之御中零雷神(あめのみなかぬちのかみ)を表現しているわけです。>

いずれにしても、この2つは、違う人が書いたものですので、ミクロな理論的整合性を取る必要はないのですが、天皇家の守護神である天照大神は、下で行くなら、これらの光の存在から更に分御霊された存在なわけです。

しかしながら、すべての分かれた光の存在は対等である、というのが神道なのだと解釈していますが、当然、我々も、そこから分かれたわけですので、対等なわけです。

で、何が言いたいかといいますと、天皇は日本のことだけ考えているのではなく、世界中のことを考えているのだろう、ということを想像ができるだろう、ということですね。

すべてはつながっている、ということなのだと思います。で、昨日は、筑紫さんが「そもそもだれを神として祀るのかということを人が決めるのはおかしいのではないか?」と言っていましたが、きっとその通りでしょう。

良く知りませんが、神道では、初めからこの3次元に人として生まれてきた存在の名前を神として祀る、という習慣はあったのでしょうか?

もし、あったなら、それはやはり間違えていると思いますし、なかったのではないか?と感じます。
どうなのでしょうか?



また、基本的に、神の概念に、ねじれがあるように感じます。

神道なら、すべからく人と神は対等であり、言うならみんな神である、という発想に近い神観を持っているのだと思います。

今度は逆に、一般人の神の認識というのは、「神というのは、人の上にいて、お願い事を叶えてくれる存在である」というものですね。


もし、このような構図ならば、神道側がもっと説明する必要があるように感じます。

少なくとも、神道において、神と人が、一般の人たちが思っているほど離れた存在ではない、ということを、知らせる必要はあるように感じます。
もっとも、私の解釈が間違えているのなら、仕方ありませんが。


また、事情があり祀られた人のなかには、すでに転生してきている人たちも当然いるわけですので・・・その意味で、3次元の人の名前で祀る、というのは、どうなのかとは思います。

ここら辺も、輪廻転生ということを、伝えてこなかったことに原因があるように感じます。
キリスト教的な、一度きりの人生・・・だと思っていると、どうしても、神道でやっていることは、納得しにくいでしょう。
そして古来からの・・・小泉さんの言うようなものではなく、本当の・・・日本人的な考え方というものも、理解しにくいでしょう。

今の若い人たちは、むつかしいでしょうね・・・
何がかと言えば、DNAには日本人的な価値観が入っているのに、生まれたときから、西洋的なアメリカ的な、価値観、宗教感などをかぶせられてしまっているわけです。
感情と理論の整合性が取れない状態かもしれませんね。

そういう時は、直感が一番正しいようですが。



神道の修行を修行してきたのですから、どうか、自身を持って、知っていることをおっしゃったら良いのだと思います。


みなさんは、どう思うでしょうか?







さて・・・・・・
昨日は、父方の墓参りに行ってきました(笑)。
田原町というところにあります。

浅草ですね。
で・・・いつも、ただ墓参りをするだけですので、たまにはお茶でも飲んでいこうかと思い、歩いていました。
地図を見ますと浅草寺が近くなのですが、今まで何度か行きましたがつまらなかったですので(失礼)、それは止めて置こう、と思っていました。
で、お茶を飲めるところを探していましたら、いろいろと面白いお店が目に留まってしまい(笑)、知らないうちに、浅草寺方面に向かっていました(笑)。

で、靴を買ったり、ワイシャツを買ったりしながら、浅草寺に到着し、お参りと散策をしてきました。


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左記の本に副島隆彦さんの話で、浅草寺が登場してきますので、機会があったら、行ってみようかな、と思っていたのですが、この日は行く気がなかったのに、行ってしまいました(笑)。

参堂と言いますか仲見世を歩いていて、新たな発見がありました。
ハワイの臭いがするんです・・・
で、なんだろうな?と思って観察していましたら、どうやら海外の観光客が多いのですが、一つはホテルで使っている石鹸、シャンプーの臭い、それとおそらくは体臭でしょうか。

これと、雑踏の臭い、などが合わさり、そうすると、ハワイ・・・ワイキキあたりの臭いに近いものになるようです。
面白いですね(笑)。

で、いるうちに、なんだか楽しい気持ちになってきたのですが、これは、その臭いによって、楽しい思い出を思い出しているのか、観光地ですので、大勢の”楽しい波動”を受けているのか、いろんな国の人がいる場所が好きなのか、のどれかか、全てか、合成でしょう(笑)。

で・・・お参りをしました。
私の感じでは、周りの明るさ(暗さ?)のせいか、額の光は、締まった感じの、真丸に近い形をしていたように思います。
一応、父方の先祖に何かメッセージはないだろうか?と思いながら、おみくじを引きましたが、あまり良いことが書いていませんでしたので、結わいて置いてきました(笑)。
良くないメッセージを感じるときはいつも結わいてきます。
そうすると、それを置いてこれるような気がします(笑)。

で、出まして、手を洗う(?)あの金属の柄杓のようなものが置いてあるところに、何かの神様の像が立っていますので、像を見ていましたが・・・顔の向いている方へ歩いていってみました。

すると、阿弥陀如来像がありましたので、そこで、問いを発してみたりしていました(笑)。

で、2,3分そうしていたでしょうか、次へ行こう、と思っていると、中国か台湾人だと思われる30前後の女性が日本語で、「写真を撮ってください」、と言ってきました(笑)。

胸元が大きく開いた可愛い子でした(笑:胸元が開いていれば良いということではないが)。

私が2分も3分もそこでじっと拝むポーズを取っていましたので、安心したのでしょうか(笑)。
(もっとそうしていたのかもしれません・・・5分くらいか?)

彼女は、阿弥陀如来像に手を合わせて拝むポーズをとりました。
デジタルカメラのシャッターが変わったところについているもので、少し手間取っていると、どうしたろう?と思ったのか、一度、こちらを振り返りました(笑)。

その後、無事取り終えました。

「ありがとうございます」
と言って、なぜか走ってどこかへ行ってしまいましたが、カメラを受け取ってから走り出すまでに、少し間があったので、「ああ、お茶でも誘えばよかったろうか?」などと思ったりしました(笑)。

ここ数年、恋愛だとか、女性だとか、そういうことに、無頓着になっていますので、俄かにそんなことを思いつきません(笑)。
まして、もう40過ぎのおじさんですので、20代30代の女性をみても、そういう対象に感じなくなっているのかもしれませんね(笑)。

みなさんはどうでしょうか?

 

で、いろいろ見て回りましたが、浅草寺は見所がたくさんですね(笑)。
いつもは、ホウズキ市だったりとか、だれかと一緒だったりとかで、くまなく見る、ということをしませんでしたが、こんなに面白いお寺とは思いませんでした。

一般的精神世界論から見れば、きっと、ご先祖が、「面白いから行ってきな」と誘ってくれたのでしょう(笑)。


歩いたお陰で、やっと、ここら辺の地理も分かりました(笑)。
いつも、浅草で銀座線に乗り換えて1駅乗り、田原町で降りるということをしていたのですが、駅の距離と位置が分かりました。
想像したとおり、すぐ近くでした(笑)。

みなさんも、浅草寺へどうぞ。
本堂の向かって左側に、興味深い仏像などがたくさんあります。




で・・・
どうも、北海道で、日本船に発砲があり犠牲者が出たようですが・・・
偶然なのでしょうか?

確かに、終戦記念日ですので、世界的に、いつもと違う波動が漂っていることもあるでしょうが、日本が思いのほか反戦ムードに向いていますので、何らかの意図があった、という可能性もあるのかもしれないですが、どうなのでしょうか?


ソ連ですので・・・中国、北朝鮮との関係ですね・・・
北朝鮮はアメリカが喜ぶことであれば、ある程度のことはやる状況ですが。

よく分かりませんので疑うのは良くありませんね。

他にも、加藤議員のことなどもありました・・・
一人一人が自分の意思で動いてそうしたのか、だれかが、意図して企み命令したのか、あるいは、意図してだれかが勝手にそうするような状況を作ったのか・・・



みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

 



昨日は、NHKは良い反戦番組をたくさんやっていましたね。
他のテレビ局もそうでしたが、NHKは良かったです(笑)。


若い方で、一所懸命、戦争体験談を広めている方などもいるようです。

ある20代の女性が、
「私のおじいちゃんは、私にとってはとても優しいおじいちゃんなのだけれども、戦争中に3人、人を殺したと言っていた。それは今の私の年齢とちょうど同じくらいで・・・。それを聞いてとてもショックを受け、それから戦争の体験談に興味を持った・・・」
という話をしていました。
私もこれはずっと以前から思います。
自分が殺される、危険な目に会う、と同じくらいに、自分も、命令で、あるいは、状況により、人を殺さなくてはならなくなり、そうする・・・というのが戦争です。

私はなんでこういうことを思うのか分かりませんが、普通は、実際にそういう目にあって初めて、それが、絶対避けなくてはならなかった状況だ、と分かるのでしょう。

しかし、それでは、遅いようです。
そして、戦争は一度始まってしまえば、もうどちらかが負けるまでは、止めるのはできにくいもののようです。



定期的に・・・週に1度とか、月に1度とか・・・こういう番組はやるべきですね。

バブル以降の不景気時代に、なんとかして広告費を稼ごうと、エログロナンセンス路線をテレビは取ってきたのでしょうが、それは勘違いで、景気が悪ければ、普通は・・・どのみち何でも売れません。

そんなことをやっているうちに、ある層は、次元上昇に導かれ、ある層は、エログロナンセンス路線に巻き込まれ・・・ということが起きていたのでしょうか。

もちろん、バブルの終了も、意図されて起こされたことのようですので、その後、エログロナンセンス路線になることも、やはり想定済み、意図されたものだったのでしょうが。

これからは、一般的な言い方をすれば道徳的でしょうか、あるいは精神世界的でも良いですし、下位的でも良いのですが、そういった内容のものが、案外人気を集めるのかもしれませんね(笑)。



で・・・自分が人を殺さなくてはならない状況ですが、湾岸戦争以降、まるでテレビゲームのような戦争での攻撃風景が放送されることが多いですが、あれも意図があるかもしれませんね。

防衛大学を出たエリート軍人でない限り、あるいは軍隊に長年いてそれなりの高い地位にあたtりしない限り、ああいうことはしないでしょう。
戦場へ行って、もっと現実的な場面に出くわすのが普通なはずです。

場合によっては、女性、子供、お年寄りが相手かもしれません。
きっと、戦争というのは、そういうものでしょう。

みなさんはできるでしょうか?



家族を守るためならやるでしょうね、きっと。
あなたの子供を国に人質に取られるような状況であったら、きっと、どんなに正義の人でも、国の命令に従わざるを得ないのではないでしょうか?

私は幸い結婚していません。
ひょっとしたら、そんなことばかりか考えているからかもしれませんが。

 

みなさんは、どう思うでしょうか?
つまり、ほぼ絶対にやらされるのです、戦争になれば。
一時の感情で、どこそこの国がどうのこうのとか言って、怒っている人たち・・・どう思うでしょうか?
少なくとも、戦争に結びついてしまうような種類の発言は言わないべきでしょう。









さて・・・・・・
迷いに迷った末、2冊の本を注文して、すでに届いています(笑)。
一つは、船井幸雄さんの
イヤシロチ〈2〉心地よく棲む方法が... で、もうひとつは、中丸薫さんの泥棒国家日本と闇の権力構造 です。

また、読みましたら詳しく書いていきますが、結界というものが、妙に興味を惹きます。
また、星新一さんのお父さんの名前が登場しています(笑)。
偶然でしょうが、勝手に縁を感じています(笑)。




で、こちらは、天照大神の名前が登場しています(笑)。
勝手ですが、どうも、「にんげんクラブミーティング」で、中丸さんに心の中を覗かれたように感じていますが(笑)・・・
生きるための注意事項の数々の、妙な的確さもさることながら(笑)、最後の私の心の中で言った「そろそろ時間だから終わりかな・・・」の”終わり”とぴったりあった中丸さんの「終わります」が、びっくり仰天です(笑)。

少なくとも、私の方であわせた覚えはありません(笑)。

http://motions.fc2web.com/nc02-1-6.html は、少しずつ更新していますので、よろしければ、ご覧ください。



森田健さんが不思議研究所のサイトで、「360度の可能性とは、経験によらない判断ができることである・・・」というようなことを書いていますね。
やっと、360度の意味が分かりました。

みなさんは、分かっていたでしょうか?

 

 

で・・・
昨日、例の江原啓之さんと三輪明宏さんの番組で、林家三平さんの奥さんが出ていましたね。
戦争でとても苦労した話をされていました。
今までいろいろな話を聞きましたが、この話が、一番心に刺さるように感じていました。

どなたの内容も、苦労の度合いについては、大変なものですが、この方の話は・・・ちょっと違うのですね・・・視点というのでしょうか?

社会とか、世間とか、というよりも、この人の心の中で起きたことが、直に語られている・・・というのでしょうか?
「徹子の部屋」では、野球運の張本選手が、戦争体験、自身の原爆被爆者である事実などを話してくれていましたが、こちらだって、すごい内容でしたし、聞いているときには、同じように感動しましたし、反戦への思いを再確認しましたが、三平さんの奥さんの話は、まるで、自分が、その場で体験しているかのような・・・そんな後味のあるものでした。

だれもいなくなってしまった焼け跡になった自宅のあった場所で、夜、もうどうでもいいから、家族の生きていた証のあるここに、とにかくいたい、とひざを抱えて、寒い中一人でいる時に、通りかかっったおじさんが「お嬢さん、こんなところにいてはだめだよ。がんばろう」と言って、お芋を半分差し出してくれて、それを食べたら、体がとても暖かくなってきた、そしておじさんは、すぐにいなくなってしまった・・・という話を、荏原さんが霊視したところ、その人はなくなったおとうさんである・・・という話は、「ああ、よかった。高次元も、結構暖かいじゃないか」と感じました。

 

三平さんには、まじかで会ったことがあります(笑)。
実家のとなりが、林家一門の有名な方の家ですが・・・私の家が先にあり、後から立て始めましたので、建前の時だったかに、三平さんもやってきて、ベランダだったか、建築途中の骨組みだったかの2階から、お餅を配ったのですね。
その時、私は・・・小学生くらいでしたが、自宅のベランダにいたので、すぐ・・・1メートルくらいの距離で三平さんからもらったのを覚えています(笑)。
で、だからどうした、ということはないのですが(笑)、有名な人だったんだな・・・ツイテイタな・・・と思います(笑)。

増田俊夫さんのサイトが本日更新されましたが・・・
どうやら、靖国参拝で小泉内閣の役目は終わったようです。
これで、とにかく、日本に、さまざまな軍事力増強政策を決定させることにアメリカが成功した、ということです。
次は、中国と仲良くする内閣を日本に作らせ、そして、頃合を見て、中国のバブル経済を破滅させ、いよいよアメリカが乗っ取る・・・というシナリオのようです。
詳細は、上記サイトをご覧ください。 

で・・・
とにかく、仲良くしても、悪くとも、絶対に戦争だけはいけないですね・・・
これで、すぐに忘れてしまうのではなく、テレビは、定期的に、戦争の体験談などを放映して欲しいですね。
20代以降の人たちは、本当に戦争の”せ”の字も知らない人が多いようです。

みなさんは、どう思うでしょうか? 





ついでに・・・
浅草寺で、駆け出していなくなった中国語アクセントの女性は(笑)、だれだったでしょうか(笑)?
すごいダッシュでした(笑)。
しかも、人ごみの中を、S字を描いて走っていきました・・・しばらく見ていたのですが(笑)。

きっと、阿弥陀如来像が好きで、足が速く、日本語を勉強中の、中国からの観光客だとは、思いますが(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

 

 

さて・・・・・・
報道ステーションに玄侑 宗久さんという作家でお寺の住職もやっている方が出ていましたね。
事情であまり良く見れませんでしたが、「五感で感じられないもの・・・」という表現をしていました。
もっと、いろいろな方に出てきて欲しいですね。
とても良かったです(良く見れませんでしたが、出演したこと自体)。

 

 

政木和三さんのことについて書かれているサイトに次のようなものがありました。
(引用)
『先生との会話の中で、少し以前の出来事をお尋ねすると、「あ、そうでしたか、そんなことがありましたか」で、会話が終わることがよくありました。これはきっと、その瞬間瞬間を生きておられて、先生にとっては過去も未来もなかったのではないかと思われます。宇宙の創造も過去からの連続として捉えると “過去”は重要な意味を持つものとなりますが、宇宙は一瞬一瞬新たに創造されていると捉えると、重要なのは“今”だけで、過去も未来もなくなります。冒頭の“執着を 残さない”という教えは、“過去を掴むな” “今を生きよ”ということなのかもしれません。
“今”を生きれば、お金は必要な分だけあれ ばいい、後はなにもいらない、といった先生 の生き方に少しでも近づけるのではないかと ・・・』
(以上)

政木和三さんは、瞬間、瞬間を生きていたようですね(笑)。
「汝の足元1メートル四方・・・」ですね。

どうも、過ぎてしまったことには、ほとんど興味を持っていないようにすら、この文章からは感じられます。

「瞬間、瞬間を生きる」・・・ということと、「目先のことだけ、考えている」というものの違いを理論的に言えないだろうか?と時々思いますが(笑)。

やはり、「目先のこと・・・」には、「目先の利益・・・」という意味合いがあるのでしょうか?
利益と言いましても、おそらく目先のささいな金銭的利益ということなのでしょうが。

ただ、これでも、きっとうまくは表現されていないでしょうね(笑)。

そうなると、同じ、瞬間、短い時間、でも、”楽しんで”ということが、大きな意味を持っているのかもしれませんね。
この楽しむは,一所懸命ということですね。

「ふざける」ではありません。
スポーツ系で間違えて、文句を言うコーチなどがテレビで小言を言っているのを見ますので、言いますと・・・・・・
野球でもなんでも、プレーしているその最中、瞬間を、懸命にプレーし、その状態を自分で主観的にも第三者的にも満喫し、場合によっては感謝し・・・簡単に言えば、全力をつくしている状態に感謝し・・・(?)という説明でしょうか(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 







さて・・・・・・
昨日は、更新できず寝てしまいましたが(笑)・・・
瞬間、瞬間を生きる、ということですが、最近、「瞬間、瞬間を生きるからこそ、恐れも不安も不平もいらいらも怒りも浮かばないのではないか?」と感じています。

 

というのも、瞬間、瞬間で楽しむことを考えてから、頭にこないのです(笑)。
以前は、ある事象が瞬間起きますと、それが及ぼす影響というものを考えて、あるいは恐れて、余計なことを考えて、そしてそれを回避するために、意図する・・・あがいて、そのあがきと、恐怖心が、悪い結果を招く、ということをしていたと、想像しますが、どうも、瞬間、瞬間を他の楽しむということをしますと、以前であれば、後々悪影響を及ぼすのではないか?と想像していたことすら、頭に来ず、”面白いこと”、”楽しいこと”に感じられるようです。

もっとも、根本的考え方が、以前とは違いますので・・・つまり、「みんな味方・恐れも不安もない・私は全てと繋がっている」ということですが・・・そのせいかもしれませんが、それもまた、瞬間、瞬間を楽しむ、ということと、関係があるのかもしれません。

 

ですので、関英男さんの言う「ご法度の心」というのは、先を見すぎることから起きる、とも言えるかもしれませんね。
先を見すぎるということは、資本主義経済下では、「不安の渦」に巻き込まれることを意味しますね。

とにかくお金持ちになることが一番、という主義ですので、先を見れば、そこには、学歴(過去)、職歴(過去)、今の仕事(現在)、未来の仕事(未来)、今の景気(現在)、未来の景気(未来)・・・その他、過去、今現在、未来の、人間関係、健康状態などなど、考えざるを得なくなり、それに対しての前もっても対処方法を考えて実行していく・・・

そして、資本主義の宿命なのか、徐々にエスカレートして行き、「お金儲けさえしていれば、他はほとんど問いません」のような状態になっていきますね。

また逆に、資本主義=正しい、で行きますと、”そうしない”ことには、更に不安、恐怖が募ることになるかもしれません。

つまり、資本主義を絶対のだ正しいこと、とすると、その内、左右前後どこを見ても、お金を大量に儲けていませんと、不安にかられる状態になってしまう、ということなのかもしれません。


・・・くどいですが、上記の内容が分かりにくいので、もう一度書き直しますと・・・
資本主義が正しい、と発想すると、その中では、お金が一番と思っても、お金は一番ではないと思っても、不安、恐怖から逃れられない、ということです。
想像ですが。



ですので、”まず”、資本主義が間違えている、ということの認識から始めるべきなのでしょう。
いろいろありますが、それには、どうも、高次元的な知識を得ることが必要であるし、早道のようにも感じます。

もっとも、まだ全ては分かっていませんが。
それでも、”輪廻転生”がある、という事実だけでも知っていますと、ずいぶん違うように思います。
中丸薫さんも左記の本で似たようなことを書いているようです。
(まだ、よく読んでいませんが)





また・・・
違う見方をすれば、資本主義、共産主義・・・なんでもいいですが、お金をたくさんもっていることが一番素晴らしい、という考え方以外では、自動的に人間は、瞬間、瞬間を味わい、楽しむようにできているのかもしれません。


とは言え、どうしても、現在の状況ではお金は必要ですね。
ですので、学校だろうがどこだろうが、「お金は必要ありません」というようなことを言うのはできないでしょう。
しかし、少なくとも、「お金=一番」ということではなく、せいぜ3番目、4,5番目というこをと言うことはできるのではないかと思います。

きっと、その為には、「お金でできないこと」をたくさん知っていることが必要なのかもしれませんね(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?







で・・・
まだまだ、テレビでは、反戦に関しての番組をやっていてくれていますが・・・
どこかアジアだったかの国の日本特派員が、「日本の憲法は、世界にまれな、お手本となる平和憲法である」と言っていました。

こういうことって、普段、ほとんどテレビで流しませんね。
普段は、日本の憲法は、世界標準でない、国際貢献ができない、自分で自分の国すら守ることができない・・・そんな、おそらくはアメリカが言っていることをそのまま伝えているようなことばかりを、いかにも世界の合意のような勢いで報道しているかのような印象すらあります。

テレビ局の人というのは、どう思っているか知りませんが、私が思うに、一般的な人というのは、「テレビ局というのは、大きな組織で、頭の良い人ばかりをそろえて、道徳的見地、世界的な幅広い見地で、莫大な情報を正しく吟味して、もっとも正しいことをニュースとして報道しているものだ」と思っているのではないかと思います。
私は、現在は、さすがに、そのようなことは思っていませんが、少なくとも、20代くらいまではそう思っていました。

それはある意味、学生時代などは、大抵の商品は出荷前に全品検査しているわけではなく、割合で抜き出し検査をしているだけである、ということを、知らなかったということと、似ていることであり、「知らない」ということなわけですが。
(商品によっては、全品チェックをしているものもあるようですが)

その意味では、ニュース報道などは、「どこそこ通信社によりますと・・・」の後に、「こちらでは、何のチェックもしていませんので、本当かどうかは、分かりません」ですとか、
「・・・と近所の人が言っていただけで、本当かどうかは、責任は取れません」とつけて報道するか、
それとも、どれくらい真実の可能性が誇れるのかを分かるような説明などをくっつけるかするのが、本当なんもかもしれませんね。

 

 

で・・・今、なぜか、10年ぶりくらいに高校野球をじっくり見ていましたが、引き分けましたね。
どちらの選手、特にピッチャーもすごい選手です。
どちらにも優勝旗を持って帰って欲しいですね。
やはり、時流は変わったのでしょうか?






さて・・・・・・
本は時間の関係でほとんど読み進んでいませんが(笑)、




ちらっと見た限りでは、左記の本は、購入したのが最近ですので、時期的に”過ぎたこと”が書かれていますので、逆に「事実であったな」と分かりますね。

綿貫さんは、どうも信用できそうな議員で嬉しいです。


それはそれで良いのですが、増田俊夫さんの予測が正しければ、今後しばらくは親中政権がアメリカによって日本で作られるようです。

つまり、中国をバブル経済状態にして、その後かつての日本のように破裂させる目的ですが。
日本のバブルもまた、だれかの意図によって、なされたものようです。

ですので、しばらくは、表面上は、鳩派が鷹派より勢いを増したような図式にはなるのでしょうね。



それは、向こう側にしてみれば、想定済みどころか、正に意図した通り、ということになるでしょう。
なんとも複雑ですね(笑)。

しばらくは、平和と独裁の双方の利害があってしまう、ということなのでしょう。

とすれば、今度は、いかに親中でありながら、中国にきちんと正しい経済の状態、心の状態(?)のアドバイスができるのか、というところが大切になってくるのかもしれません。

要するに、中国がバブル破裂せず、そして、日本と双方、もっと大きく見れば、アジア、もっと大きくすれ世界中が、うまく行くいけば、それで良いわけですね(笑)。


これが正しいとして、そこまで考えて日中関係のことをやってくれる人はいるでしょうか?

というより個人ではなく、全体・・・ですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?





ちょうど今、テレビで、安部さんがどうとか、総理になった後、靖国神社へ行くのか、など、次の総理大臣について報道されていますが、増田俊夫さんによれば、次のアメリカによって作られる日本の総理大臣は、中国をバブルにして破裂させて、その後乗っ取る、ということをするために、親中的な行動を取るようです。
もっとも、間に一人ぐらい、そうでない大臣を挟む可能性もある、としているようですが。

その意味では、間にだれがあるのか、だれもいないのかはありますが、だれがなっても、とりあえずは、新中政権にはなるようですね。

ですので、もし増田さんの言っていることが正しいのなら、この手の報道が、アメリカ側の意図なのか、テレビ局できちんと考えたものなのかは分かりませんが、左記にも書きました通り、鳩派と鷹派の意図がしばらくの間、ほとんど同じになるようですので、一体、反アメリカ的思考の結果が動いている(はたらいている)のか、それとも、独裁を目指す思考が動いている(はたらいている)のか、分かりませんね。
両方とも動いている(はたらいている)、ということなのかもしれませんが。




政木和三さんの http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page022.html ですが・・・

以下のよなことが書いてあります。
これは、「本では読んだけれど、どこかに、そうではなく・・・と書いてあったはずだが、どこだか分からなくなった・・・」と私が以前に書いたことがきちんと書かれているものです。

(引用)

◇ アスファルトを突き破って咲いた彼岸花に「無限小の力で、無限大の時間、じわっ〜と押し続けると、やがてはどんなかたいものでも突き破ることが出来る」と教えられた。せっかちにならず、じっくりと続ければ、“不可能はない”こと を人間に教えている。 

◇ 1年前に彼岸花がアスファルトを突き破り芽を出すのは、無限小の力で無実大の時間、じわっと押し続けるから、やがては芽が出るとお話しましたが、これは間違いであることを、舗装道路のアスファルトを持ち上げて芽を出したイタドリが教えてくれた。 

◇ イタドリの中にも人間と同じ生命体がいて、生命体から見ると、顕微鏡を見るが如くにアスファルトには隙間がいっぱいあるので芽を出せるものだと思っている。すると、周辺のアスファルトにも生命体が発生し、生命体同士が一緒になって持ち上げるから芽が出るのです。人間もこれと同じで、何とかしようと思うと何ともならない。欲望を捨てれば生命体の大きな力が働いて、すべてう まくいくものです。

(以上)

ウイキペディアによれば、イタドリとは、こんな感じです。リンク先をご覧ください。
どんな鳥かと思いましたが(前後を読めば分かる)、とにかく植物です(笑)。

要するに・・・
私が読むには、どうやら、高次元とつながっていれば、おそらく5次元以上でいろんな生命体とつながり、それらが場合によっては手伝ってくれて、3次元だけでは不可能なようなことでも、できる、ということなのだと読めます。
詳細は説明はしませんが(笑)。

ここで言う「何かしようと思えば」とは、自分の力でやってやる・・・という気持ちを捨てて、森田健さん式に言えば「自分はからっぽであり、自分を動かしているのは、自分の周りのすべてである」ということを分かって、そうあれば良い、ということなのだろう、と感じます。

欲望をすれる、とは、きっと、こういうことなのかもしれませんね。

もし、正しいのなら、なぜ政木和三さんは、これをして、「欲望のない」という表現を使っているのでしょうか?
良く分かりませんが、「欲」とは”個人”に根ざした願望、というように政木和三さんは、理解しているのかもしれませんね。
全体の欲ではなく、ということです。

少し、間の理屈が足りませんが(笑)。

なぜかそういう気がします。
そして、正しいそうだな・・・とも感じています。

みなさんは、どう思うでしょうか?


関係あるかどうか、何ですが・・・
最近、魂が、と言いますか自分の生命体と言いますか、本質と言いますか・・・
それが喜んでいるのではないか?という感覚について感じることがあります。

どういう時かと言えば、そういう時、胸のチャクラから丹田をつなぐ線当たりで、幸福に似たような感覚を感じます(笑)。

今までは、こういう感覚はありませんでしたが、最近、このような感覚が訪れることがあります。
次元上昇のせいか、孫さん瞑想のせいか、運命にせよ何にせよ、私の考えが変わったのか分かりませんが(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?



 

 

 

 

 

さて・・・・・・
昨日も、更新はなかったですが・・・

なんでも、テレビによると、天然の塩を作る仕事の後継者が不足している、ということですね・・・
とても興味がありますが、私にはできるだろうか?と考えますと、「???」と思ってしまう、というのが事実です。

ひょっとしたら農業よりは向いているのかもしれませんが。

みなさんは、天然塩作りの仕事はできるでしょうか?





大阪で、いつか私がここに想像で書いたような、ネットでのライブ動画放送による販売をしているスーパーができたそうです(凄)。

ネットで店内をライブ中継し、注文をもらい、それを車で届ける・・・
似たようなことを考え付く人というのは、いるものですね(笑)。


そうなると、次には、いつかこれもまた私が書いた(と思ったが)ような、高級レストランの厨房の中を生中継するサイトや、高級ホテルの自慢の部屋からの1日中の眺めを中継するサイトなどもでてくるかもしれませんね(笑)。
だれか、そういう仕事をする時は、誘ってくださいね(笑)。

 

 

で・・・
なかなか本を読む時間がありませんので、例の政木和三さんのサイトからいきますが・・・

 

(引用)
◇ 昨日、新幹線の点検中に火災事故があったが、点検は普通の人ではなく脳波の下がるトップの人がやるべき。そうすれば、出火が事前に判り、事故も未然に防げます。 

(以上)

ここで、トップ=脳波が下がる、という図式が、「トップの人はそれなりの人なので」ということなのか、「普段は現場に直接関係していない人なので、余計な欲がない」という意味なのか、よく分かりませんが・・・
おそらく前者でしょう。

これは、いろいろ考えますが・・・
3次元的効率を考えたりしますと、だれか、ものすごく仕事のできる人がすべて一人でやってしまうのが、一番よいのかもしれませんね。
もちろん、仕事の規模により、大きくなってきますと、そうは行きませんが。

ですので、大きくなりますと、多くの人の手を借りることになるのですが・・・
で、どうかと言いますと、これは、普通は「そうなもしれないけど、トップの人が点検をやるのは、むつかしいだろうか・・・」ということですね(笑)。

しかし、政木和三さんのように、脳波をシータ波にして、瞬時に未来のことが分かる、となりますと、1日1回瞬時ですので、トップに関わらず、そういう人が、ちょっと未来を見てくればよい、ということになりますね。

きっと、そういう発想なのでしょう。

もちろん、全人類がそうならば、電鉄会社にその手のことをしてもらわなくとも、各人がそれぞれ未来を見てくればよいのでしょうね。

そういう日も近っかったりするのかもしれませんね。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

(引用)
◇ 人間の肉体の中に“生命体”がある。本来は物理と化学を徹底的に究めた上で、生命体の研究をするのが望ましい。林原では、基礎研究に年間50億円の研究費を使っていたが、脳波をシータ波にすると、第一段階で何が良いかがわかるので、研究費も時間も、従来の十分の一で済むようになった。

(以上)

これも、基本的には先のものと似たようなことですね。
「高次元に通じると・・・」というものです(笑)。

私はこの手の発想は好きです(笑)。

 

みなさんは、どう思うでしょうか?



(引用)

◇ 人間は誰でも無限のエネルギーを持っている。一生懸命やったり、お金儲けしようと思っていると、小さなものになってしまいます。自分のやったことが、周辺の人に幸せを与えると、自分がどんどん幸せになって、この世に不可能 はなくなり、私ほど幸せな者はないという想いになります。皆さんも私ほど幸せな者はないと思って生活して下さい。いいことがどんどんやってきます。

(以上)

これは、政木和三さん流の、「瞬間に生きる」の説明なのだと感じます。
ですので、ここでのお金儲けとは、未来の目標をいつまでも、手放さず固執し続ける、といった状態を表しているのかもしれません。

「私ほど幸せな者はいないという想いになります」は、道徳的、というよりは、森田健さんの言う「私はいつでも幸せでした」と似たようなものでしょう。
その意味で政木和三さんの、「占いでは幸せ、という判定はない」ということに近いことを知っていたのかもしれませんね(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 





さて・・・・・・
船井幸雄さんの
イヤシロチ〈2〉心地よく棲む方法が... を少しづつ読み進めています。
この本などは、基本的には実用書の形式でせまり、そこから、「直感で感じる人は高次元にも興味をもってください、そして、高次元のことというのは、実に3次元の生活と密接なことでしょう、高次元も含めて、世の中でしょう?」というような書き方がされているようにも感じます。

私は、これも、ひとつのあり方なのではないかと感じます。

違う言い方をすれば、4,5年前に私が求めていた本というのは、正にこういうスタンスの本だったように感じます。
但し、それがなかなかむつかりませんでしたが(笑)。

今でこそ、こういうことを普通に書いていますが、普通は、諸事情あり、なかなか高次元のことに興味が持てないものだと感じます。

知識的なことを考えれば、まず、世の中には変なオカルトの本などが溢れていますので、うかつに手が出せませんね。
つまり、どこで読んでも問題ないものなのか?をなかなか無分けれられない、ということなのだと思います。
しかし、船井幸雄さんの本ですと、内容を見れば、真面目に3次元的な生活をしている人なら、「これは読んでも良いのではないか?」と感じる人が多いような書き方がされているように感じます。

その後、そういう書き方がされている船井幸雄さんのある種の本を読んで、もっと高次元的な内容の船井幸雄さんの本や、その他の情報を読んでみよう、と思うのか、それとも、比較的3次元に密接な情報を欠いている船井幸雄さんなどの本だけ読む状態で落ち着くのかは分かりませんが、人それぞれなのでしょう。


本屋さんへ行っても、本が溢れていますが、こういう本・・・普通の人でも手に取れそうな本・・・なんとかが、もっと多くの人の目にふれるようになると良いですね。

 

 



さて・・・・・・
どうしても、食事をして、風呂に入って、瞑想しますと、書き始めるのが1時近くになってしまうこの頃ですが(笑)・・・

今日かがみを見ていて思いましたが、笑顔というのは、顔の筋肉が下から上へ動いているように見えますが、どうでしょうか(笑)?

一種の斥力現象ですね(笑)。
つまり、反重力、ということですが。
もし笑顔がプラスのものであるとするのなら、何か面白いように感じられます。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

で・・・
安部さんが、ホワイトハウスのような国家保障会議を・・・と言っているようですが、みなsなんはどう思うでしょうか?
あまりに露骨なようにも感じます。

また、発砲事件も妙に多く報道されているように感じます。
警官で怪我をした方々はお気の毒ですが、だれも何も意図していないことを祈りますが。


野球ですが、広島のブラウン監督がまた退場になったようですが・・・
その後、広島が盛り返し勝ったようです。
で・・・その退場の仕方は、なるほど、というものを感じたのですが・・・
今までのように審判の判定に文句をつけて、退場処分になり、ベースを引き抜き、ほおり投げる、というようなアメリカ的なものではなく、まずマウンドに行って、ピッチャーを激励し、その後、審判に文句をつけて、退場になり、その後、広島打線が活躍する、という流れだったようです。

これは、ブラウン監督の気構えが広島打線に火を付けたのではないですね・・・。
「今さっき、ここで私たちを励ましてくれた監督が退場になった。」ので、同情のような気持ちによりチームが一つになり、勝った・・・ということなのだと思います。

この説明ではなんだか分かりにくいですが・・・
要するに、日本人は、
「さあやっつけろ。手段は選ばない」
では、アメリカ人のように心に火が付いたりしないのではないでしょうか?

それよりも、
「今さっき、ここで、私たちのことを思っていてくれた人が、理由は彼に非はあるけれど、退場になってしまった。」
ということの方が、よほど力を出せるのが日本人なのではないか?ということですが・・・。

みなさんは、どう思うでしょうか?


これをブラウン監督が意図したのか、たまたま激励の後に、審判に文句を言ったのかは、分かりませんが。

 

 

で・・・
政木和三さんですが・・・
http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page022.html ですね。

(引用)

◇ 催眠術は生命体に命令している。自分よりレベルの低い人にしかかからない。他人にかけてもらうのではなく、脳波を下げて自分でそう思い込めば、生命体に命令がいくから、それで肉体は自由自在にコントロールできる。

(以上)


ということは、催眠術というのは、生命体・・・政木和三さん式では、要するに魂、霊魂・・・のような意味ですが・・・に直接働きかける種類のもの、ということですね。

そうであると、体が石のように硬くなったり、好みが瞬時に180度変わったりするのも分かるような気がします。

しかし、「自分よりレベルの低い人にしかかからない」としています。
政木和三さんですので、レベルうんぬんに、深い意味はないと思いますが、要するに、何らかの基準において、上から下にしか作用しないものであるようですね。

昔はよく催眠術はテレビでやっていましたが、確かにかからない人というのはいましたね(笑)。
どのような人がかからなかったか、良く覚えていませんが、みなさんは、覚えているでしょうか?




(引用)

◇ 心配するとマイナスのエネルギーが発生し、悪い方へは欲望がないからどんどん悪くなる。だから、いつも私ほど幸せな者はないと思うこと。そうすればどんどん幸せになります。

(以上)

これは、私の言う「恐れと心配の波動はもっとも良くないようだ」と絡めて考えますが、「悪い方へは欲望が無いからどんどん・・・」というのは、なるほど、と感じます。

ここで言う「欲望はない」は、「何か目的を達成しようと必死になる時に発生する摩擦」のようなものなのでしょう。

これを「足元1メートル四方のみ」、「瞬間に生きる」を考えあわせますと、要するに、”今”と”達成しようとしている目標”の存在している時点に、時間的にある一定以上の距離があると、普通の場合、摩擦が発生することが多く、そして、その摩擦が、達成・・・原因の世界を変えることでしょうか?・・・を妨げる大きな原因である、ということなのでしょう。


ですので、政木和三さんが本に書いている、「初めに、達成できないような大きな目標を決めたら、後はすぐにそれを忘れてしまい、足元1メートル四方のみを見て進む」式ですと、おそらく摩擦がほとんどなくなり、達成できるということなのでしょう。


これは森田健さんも、同じようなことを言っているようです。




ただ、もう少し考えますと、「悪いことは欲望が無いので・・・」が「摩擦がないので」、ということである、としますと、摩擦とは、やはり「欲しい、欲しい」という気持ちなのでしょう。

しかし、気持ちに反して「欲しくない、欲しくない」と思いますと、やはり、良くないようにも思います。

「欲しい、欲しい」という気持ちはなんでしょうか?

一種のハンドルを握り締めた状態、ということなのかもしれませんが、そうであるなら、「欲しい、欲しい」と欲望を持つ、ということは、毎日「今日も、得られていない」、「また今日も得られていない」とずっと、毎日日記に付けていくようなものなのかもしれませんね(笑)。

それに対して、足元1メートル四方とは・・何も下を向いて正確に1メートル四方ということではないでしょうが・・・まず、日記のイメージはまったくありませんね(笑)。

きっと、時間、という枠からはずれたような概念なのかもしれませんが。

また、目標が達成されたのだか、進捗状況がどれくらいなのだか、分からない、というようなイメージもありますね(笑)。

また全体の設計図は、最初に1度しか見ないで・・・のようなイメージがあります。

私ですので音楽で行きますと・・・
普通、まずメロディが出来上がって、その後、アレンジですので、ベースラインを考えて、ドラムを考えて、ストリングスを考えて、ブラスを考えて・・・のようにやっていきますが(人にもよる)、そうではなく、曲の頭から、メロディ、ベース、ドラム、ピアノ、などなど、全部一緒に・・・とにかく手前から作っていく、というようなイメージがあります。

良く分かりませんが、お金を儲ける、なら、こういうマーケティングをして、その後こういう商品を作って、こういう宣伝、売り方をして・・・ではなく、初めから、全てを一緒に少しづつ考えて形にしてしまっていく・・・そんなイメージです。

で、何が分かったかと言えば・・・作業を細分化しないで、初めに大きな設計図を示したら、端っこから少しずつ作っていくと出来上がるよ、ということなのだろうか???というあいまいな想像が残った、ということでしょうか(笑)?


みなさんは、どう思うでしょうか?


どもう、いずれにしても、瞬間の極意と、密接な関係があるようには感じますが。   








さて・・・・・・
しばらく、政木和三さんシリーズになるように感じています(笑)。

http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page022.html です。

(引用)
◇ 人間の修業とは、お経を読んだり水をかぶることではない。そんな暇があったら、3分でも5分でもいいから、周辺の人に喜びを与えることです。そうすれば、与えたエネルギーが生命体に戻ってきて、人間のレベルが一段上がり、幸福がどんどんやってくるものです。
(以上)



これは、道徳的に取るよりは、船井幸雄さんが言う波動の原則の、「出した波動は自分に戻ってくる」のことなのではないか?と感じます。

ですので、おそらくは、ここでいう「人間のレベル」というのは、これもまた道徳的と言うよりは、「高次元の事実を一つ知った」という意味なのではないでしょうか?
それでなければ、この世の善という言葉の意味が、どこかで違ってしまったか、ということかもしれません。

なぜなら、決して皮肉ではないのですが、船井幸雄さんの言う波動の原則の「出した波動は戻ってくる」は、非常に打算的ですね(笑)。
決して、隠匿ではないのです。
要するに、「自分のためになるからする」ということであるわけですが、きっと、それで「本当の宇宙の理」から、外れていないのだろうと思います。

なぜ、外れていないかと言えば・・・分かりません(笑)。
それが「宇宙の理」だからでしょうか?

どうしても、説明が必要ならば、きっと・・・
「人のためにも、自分のためにもなる波動であるなら、これをして100点満点と言わずして、何を100点満点と呼ぼうか?」
ということなのでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?



 

で・・・・・・
http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page021.html ですが、

(引用)
◇ 私がいろいろと発明できるのも、肉体の中にいる生命体(神仏)が、11万年前のことを鮮明に覚えているから。もし、神仏がいなければ発明はできないし、また神仏がいても、阪大で1学科だけ学んでいたら神仏の信号がきても判らなかった。 
(以上)


これは、私は、「自分の中にいる神(つまり本)が、アーカシックレコードなどを通じて、情報を伝えてくれるから・・・」のように解釈していますが・・・それはそれで良いのですが、この本質が11万円前のことを覚えているから・・・ということになりますと、11年前の本質は、また、その11万年前のことを覚えていた・・・のようになってしまい、一番最初の本質は、一体どうなるのだろうか?と考えてしまいます(笑)。

きっと、本質が、過去の情報を、アーカシックレコードないし、過去の時間の中から取り出し、教えてくれる、ということでしょう。

また、「阪大で1学科だけ・・・」は、妙に理論的に分かりやすいです(笑)。
いつかも書きましたが、本質が情報をくれても、いろいろ知っていませんと、具現化できませんね。

ただ思いますのでは、ここで政木和三さんが言っているのは、ひょっとしたら、森田健さん式の外応に近いものも混ざっているのではないだろうか?とも感じます。

例のトラさんのバッタの軌道で株の動きを判断した件ですが、あれも、株価というものがどういう種類のものか知りませんと、いくらバッタが飛んでもなんとも分かりません。

知りませんと、「明日の株価は、緑色で、顔に触覚が2本生えています。仮面ライダーに顔が似ています」だんあんて判断をしてしまうかもしれません(笑)。


ですので、政木和三さんが、もし外から何かの直感というか、外応を感じ判断していたとするのなら、この「1学科しか・・・」は、何とも、もう一つの別の意味があるのかもしれませんね。

それでも、言葉上でも、ぱっと見でも、外応と、直感というものは、似ている点があるのかもしれませんね。

みなさんは、どう思うでしょうか?




 


さて・・・・・・・
2回分書き込みをお休みしましたが(笑)・・・
昨日は、20時間くらい寝てしまいました(笑)。

転職してそうそう、オフィスの引越しがありましたが、どうもダンボールを運びすぎたようです。
やはり小さな頃鍛えた箇所は、相変わらず丈夫なようで・・・筋トレのせいかもしれませんが・・・30代の人よりも、丈夫です(笑)。

で、よごれた手で左目を触り過ぎたようで、物貰いができました。
私は、疲れているときなど時々・・・3年に1度くらい・・・できますが、物貰いができると、なんだか嬉しくなります(笑)。

おそらく、初めて物貰いができた幼少時に、父親と目医者に行ったのですが、治療中に、物貰いがつぶれて治ってしまったのですね(笑)。
その時目医者さんが、「強い子だね」とか言いました。
これが、自分の過失をごまかすためか(笑)、本当にそうだったのか、良く分かりませんが、私はぜんぜん痛くありませんでしたし、どうも、思い出すに、父親の前で人に褒められた記憶としては、これくらいしかありません。

ですので、どうも、それが、物貰いができると嬉しくなる3次元的理由なんおではないかと想像します(笑)。

その後、なぜか、30代くらいまで、物貰いはできませんでした(笑)。
物貰いが定期的にできるのは、ここせいせい7,8年のことです。

で、いつも医者など行きません。
除菌シートなどで、拭いていると、自然に消えてしまいます(笑)。

みなさんは、小さい時の思い出が理由で、普通困ったことが、嬉しいことになっているようなことはないでしょうか?



で・・・・・・
どこかの病院で、看護士さんだったかに、助産行為をさせている・・・ということで、ニュースになっていたようですが・・・。

なんでも、大型車と同様で、それまでは資格などいらなかったのに、ある日突然、資格が必要になり、それ以前の人と以後の人とでは、異なるようですが・・・

しかし、資格というのは、何なのだろうか?と時々思ったりします。
資格が必要、ということに関しては別に良いのですが、資格の交付と言いますか、資格試験がどこか間違っているのではないかと考えます。

前の会社で、これからはコンピューターに詳しくなくてはならないので、資格を取らそう、ということになりました。
私はその事務所にいる社員の中では1番か2番目くらいにコンピューターのことに詳しい人間でしたので、だれもが合格するものだと思っていたようです(笑)。

しかし、私はまず、勉強の段階からやる気がでませんでした(笑)。
試験用のテキストには、それを知っていても、実際に何の対処も出来ないようなこと、つまり、何かの名称の正式なとか、そんなことが必要以上に多く掲載されていたからですが・・・。

案の定・・・私にとってはですが(笑)・・・私は合格しませんでしたし、私が苦手なマニュアル人間達は合格したようですが。

で、どうかと言いますと、合格した人は、OSのインストールすらできません(困)。

で、もちろん合格してもしなくとも、幸せですが・・・
何にしても、資格試験というのは、効率的に発行したいからでしょうが、もう少し内容を検討した方が良いのでしょうね。


機械式時計の修理の試験があるようですが・・・
これは、まさに実地試験のようです。
インターネットには、そういう資格を持っている人の書いたものがありますが、昔の話ですが・・・何でも、壊れた時計が任意で配られるようです。
そうすると、中には、「すみません。この時計〇〇が折れているのですが?」という質問をする人もいたそうです(笑)。
要するに、壊れた部品をその場で作る、ということまで、含まれた試験なのです。
で、そういう試験をクリアして資格がもらえるのですが・・・

「行為が出来る」ことが必要なものと、「知識を意味など知らなくともインプットされている」ことが必要なものとでは、資格試験というのは、あり方を分かるべきでしょうね(笑)。

そこには、場合によっては、「分からない時に、知っている人を探す能力」とか、「そういう知り合いがいていつでも聞ける能力」なども含まれていても良いのかもしれませんね(笑)。
要するに、特定の状況下で、適切に対応でき、対処できる能力=資格がある、ということですが(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?



これは高学歴に対しても言えることですね。
その意味で、高学歴の人ばかり入社するようになってから、会社の業績が悪くなったところなどもあるようですが・・・。

みなさんは、どう思うでしょうか?



批判するつもりは、ないのですが・・・上の助産行為のニュースで、また若いテレビ局の社員の人・・・おそらく高学歴・・・が、「資格を持っていない人が行為をするだなんて、とんでもない・・・」というようことを、声高々に話していましたが・・・
もう少し、いろいろな人間を見たほうが良いな、などと感じてしまいました。

私は資格を持っていない人の方が、資格を持っている人よりも、ずっとうまくできるケースをたくさん知っています(笑)。

ビートルズも大滝詠一さんも、音楽大学は出ていない・・・ということでしょうか?

もっとも、私の問いの結果かもしれませんが(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?





 

で・・・・・・
政木和三さんですが・・・
http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page021.html です。


(引用)
◇ 現在の文明は、生きているものも物質として扱っている。生きているものの 
 中には生命体があって素晴らしいエネルギーを持っている。昭和47年から 
 「西洋文明は間違っている!」と思うようになった。

(以上)


ということですが、これは、草木、鉱物、石などのことですね。

ただ、思うに、なんでも物質は生きているもの、と思って接すると良いようですが。

最近、なんか作業をするときには、その物質と「やってやる」のではなく、「頼む」あるいは、「相談する」ということをしています(笑)。
そうすると、簡単にできてしまったりします。

簡単に言えば、何か絡まった紐のようなものを解くような時のようなことですが・・・。

是非お試しください。
簡単に解けます。
「ほどきたいのだけれど、協力してくれないだろうか?」と語りかける、ということですが(笑)。


西洋は、場合によっては、人間でも、物質として扱っかったりするようです。
完全なるベルトコンベアー式の仕事形態などはそうですが・・・もっとも、日本でも一時期は、真似していたようですが。

トヨタだったか、どこかだったかで、検証したところ、完全な分業ではなく、ある程度までは、一人の人間に完成するまでやらせた方が、効率が良い、という結果が出たようです。

きっと、そうでしょうね。
私は身をもって実感していますが。




昭和47年と言いますと・・・
25を足しますので、1973年ですね・・・
「大正5年5月26日兵庫県生まれ。平成14年8月6日、87年の生涯を閉じる」、とhttp://www12.ocn.ne.jp/~agosu1/page004.html にあります。

大正5年は、1916年ですので、1973年は、57歳の時でしょう。
政木和三さんにしても、それくらいまでは、分からない、ということなのでしょう。
何せ、戦争に負けて、「西洋は東洋よりすごい」とほとんど全員が勘違いをしていた、真っ只中の人生だったわけですので。


で・・・勘違いと言えば・・・最近、惑星がどうした、とか、ジョンベネさん事件の再騒動ですとか・・・どうも、いろいろありますが、これが、次元上昇によるものなのか、何か意図を持って、今起きている、あるいはこれからおきそうなことから、人々の関心を避けようとしているのか・・・分からないところですが・・・

みなさんは、どう思うでしょうか?







(引用)
◇ 生命体は、まともな人間になるように遺伝子に命令しています。人間の肉体は生命体がコントロールしていて、自分の生命体のエネルギーを使って病気 を治す心霊治療をする人は、ほとんど5年位で亡くなってしまう。治療をしてお金をもらっては絶対にダメです。
(以上)

これですが・・・若山敏弘さんの本などを読んでいますと、確かにそういうことはあるようです。
いろいろなところで、こういった例は聞きますね。

但し、必ずしも、そうではないようで、孫さんの話などを読みますと、病気治療の時、邪気(?)は確かに、孫さんの方だの中に入ってくるようなのですが、素通りしていくそうです。






左記の森田健さんの本に、その話が出てきたはずです。

それを考えると、これも、4次元のエネルギー(念力)と5次元のエネルギー(蘇生エナジー)との違いなのだろうか?とも感じます。

池田邦吉さんは、ヒーラーでもありますが、頻繁に病気治療をしているようです。
これと、昨年、大病をしたことと関係があるのかどうかは、分かりませんが、とにかく、病気は治ったようです・・・しかも、知人のヒーリングによてtですが(笑)。





池田邦吉さんのヒーリングは、読む限り、フリーエナジーと言いますか、宇宙エナジーと言いますか、空間にあるエネルギーを患部に入れていく、ということをしているようです。
決して、手からでる自らのエネルギーを注入しているのではないようです。

もちろん、見える人の描写では、手から光のシャボン玉が出て、それが患部に入っている、というように見えるようですが、やっていることは、そういうことだそうです。

解釈すれば、フリーエナジーに対して、「あの患部に入ってください」とお願い、協力を求めている、ということなのではないでしょうか?

おそらく、その意味では、念力ではなく、蘇生エネルギーを使う治療に近い、あるいはそのもの、ということなのではないか、と想像します。

みなさんは、どう思うでしょうか?



(引用)
◇ 眼の良くなる装置は、昭和20年代に宇宙からのメッセージで出来たもので、
 眼のこめかみの付近に44ヘルツと70ヘルツの信号を与えると色盲が治り、
 神経波(3〜5ヘルツ)を与えると老眼、近眼が治ります。
(以上)

これですが、要するに、「アルファシータ」で出されるうねりを患部に与える、のと同じだと感じますが・・・実は覚えがあります(笑)。

私は「アルファシータ」でヘッドフォンをしていると動きにくいですので、ステレオにヘッドフォン端子をつないで、スピーカーから出して、その間中にいて、うねりを感じる、ということをしました。

どうも、その当たりから、いろいろなことが良い方向へ動いているようなのですが・・・もっとも、いろいろやっていますので、どれが先なのか、それとも全ての複合なのか分かりませんが(笑)。



いずれにしても、どうも、このうねりは、体のどこに当てても、良い効果があるのかもしれませんね。

またいろいろやってみます(笑)。






(引用)

◇ もうすぐ80才というのに、1日2万歩以上歩いて、毎日元気に仕事が出来て、全国各地の講演に出掛けても、まったく疲れません。小さい時から“私は何をしても疲れない”と思っているから疲れないのです。“仕事が遊びになる” のが本当です。
(以上)

ですが、これも、確かにそうなのだと感じますが・・・
実は私は転職して、3週間くらい経ちましたが、睡眠時間は、1日3時間〜時間くらいです(笑)。

大体6時半くらいに起きて、夜は2時か3時くらいに寝ます。
しかし、眠くもなりませんし、好調なのですが・・・
これは、まだ緊張しているせいかもしれませんが、思うに、「それでも幸せ」か、「私はすべてに繋がっている」か、「あなたは味方」か、「恐れも不安もない」のどえかが良いという可能性もあるのですが、どうも疲れないのは、何があっても「幸せ」が効いている様に感じています。

もちろん船井幸雄さんの言う「好きで得意なこと」をやっているわけですので、その性かもしれませんが、直感では、どんな結果が出ても「それでも幸せ」と思っているのが大きいように感じています。

それは、政木和三さんの「私ほど幸せなものはない」と同じなのだと思います。

ですので、私の想像が正しければ、政木和三さんが疲れないのは、「私ほど幸せな者はない」が理由なんおでしょうね。


みなさんは、どう思うでしょうか?

 

今、不思議研究所のサイトで、「死んでいる科目は勉強できない」という話題が出ていますが・・・
実は私は数学をぜんぜん勉強していないのですが・・・これは理由が異なります(笑)。

当時、私の両親は、私に一流大学へ入って欲しかったのですが・・・当時というのは、高校入学後ですが、中学入試です算数の点数が一番悪かったということが、分かったようで、「それなら、国語と英語と社会にしよう」と思ったようです(笑)。

当時、数学も英語、国語と同じくらいできましたので、「どうかな?」とは思いますが、「あせる」、「緊張する」とできないのは、確かに数学かもしれませんね(笑)。

きっと、そのように発想したのでしょう。

どちらかと言いますと、根本的なことの方を変えた方が良い様に感じますが、両親とも、年代的に、「できないのは、気合が足りないからだ」と思う世代(?)でしたので、その教育下では、時間が限られた試験というものをしますと、「あせり」が増大するだけですので、ある意味正しかったのかもしれませんね(笑)。

但し、間違いは・・・私は暗記が嫌いだったのですね(笑)。

で、どうかと言いますと、それでも幸せです(笑)。

運命は決まっている、ということから考えますと、私の行く大学は決まっていたのでしょう。
なにせ、もう一つ合格した、世間的に聞こえの良い大学ですが・・・さすがにどちらにしようか、と迷いましたが、なぜか、当時相談した大人はみな、私の行った大学を薦めるのです(笑)。

面白いですね。

どちらにしても、幸せですが(笑)。

 

で、高校に入ったとたん、成績の良くない人になってしまったのですが・・・(笑)、
一番苦手な日本史は結構勉強しました(笑)。
なにせ、できませんので・・・短所是正ですが(笑)。

で、何を覚えているかと言いますと、先生の言っていた「法隆寺にはくもの巣が一切張らないのです。不思議ですね・・・これは、聖徳太子の何かが関係しているのではないでしょうか?・・・」(笑)、という言葉くらいなのですが(笑)。

で、あまり森田健さんとダブルことを書くのは気が引けるのですが・・・勉強・・・と言いますか成績ですが・・・の良くなくなった私が高校時代に唯一よかったことは、高校3年生の時の何かの試験で物理の点数がクラスで一番だったことだけなのですね(笑)。

但し、問いも持ちませんでしたし、「美しい」とも感じませんでしたが(笑)。
3年間数学拒否をしていたのに、なぜか、そういう点数だった、ということだけです(笑)。

そう言えば、もうひとつ日本史と並んで不得意だったものがありますが・・・古文、漢文です(笑)。
なぜかと言いますと、「一生使うことは無いな・・・」と思ってしまったのですね(笑)。


で、今のところ一度も使っていません。
みなさんは、使ったでしょうか?


で・・・
諸葛孔明さんて、有名な・・・有名なのでしょうが、知っているのは普通なくらい有名な人なのでしょうか?
私はイイクニツクロウカマクラバクフは知っていますが、この方の名前は知らないのですが?

みなさんは、知っているでしょうか?


ちなみに、今話題になっている、惑星の覚え方なども、私は一度も聞いたことがありませんでした(笑)。
聞いたことがない、と言うより、記憶にないのですが。

みなさん、博学なのに、何で小泉さんに騙されるのでしょうか?
教えて欲しいのですが?

ただ、こんなことばかり書いていると、私の大学の評判が落ちてしまい、この小子化時代にかわいそうですので、書いておきますと・・・英語はとてもよくできました。
きっと、前世、英語圏の国だったのでしょう。

国語は現代国語は良くできました(漢字を除く:笑)。
中学生の時の全国テストで、確か・・・父母面談で、「こないだのテストは、東京都で何番でしたよ」とか、言われたとか言われてないとか・・・そういう話です。

自慢ではありませんので(侘)。
一応、各方面に氣を使っただけです(笑)。

最近、本当に学歴には興味がなくなりました。
ものすごい学歴の人でも、大したことのない人をたくさん知りましたし、すごい人で高学歴の人も稀にいますが・・・かと言って、船井幸雄さんのように京都大学と比べたりするほど、勉強ができた覚えもありませんし・・・卒業大学をひとつの資格、と考えると、それこそ、意味を感じませんね。


みなさんは、どう思うでしょうか?



 

 

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