理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 



272:SWEET MELODIES:バート・バカラック
   
   

バート・バカラック作品集です。

演奏は、全てオリジナルです。

一般的には、ハル・デイビッド&バート・バカラックは、レノン&マッカートニーは別格として、ゴフィン&キングと並んで有名な作家チームですね。

私が初めて意識してバカラックの作品だと思ったのは、カーペンターズの、「クロース・トウ・ユー」だったかと思います。
メジャー7コードの効いたメローな曲ですね。
ちなみに、あの曲はビデオやコンサートでは、カレンがドラムを叩いていますが、レコーディングでは、ハル・ブレインだそうです。

しばらくジャズを中心に聴いていましたので、バカラックの曲ということでは、「ルック・オブ・ラブ」あたりも、印象に残っている曲です。
いろいろなアーティストが取り上げています。
ジャズでは、ニュースタンダードと言いますか、しばらく新しい曲というのは取り上げられないような期間があったように感じます。

つまり、ミュージカル、ティンパ ンアレー方式時代の曲ばかり、2,30年間演奏していたのですね。
もちろん、ビートルズを演奏したりするような作品もありましたが。

ですので、印象としては「フライ・ミー・トウ・ザ・ムーン」あたりでも、ジャズに取り上げられる題材としては、新しい曲というようなイメージがあります。

その意味では、「いそしぎ」などはすでに古い曲ではありますが、後から出てきた・・・60年代ですが・・・スタンダードとしては、なかなかエネルギー (?)を放っていますね。

 

で・・・他にバカラックの曲で ジャズで取り上げられるものがあるかと言えば、ありません。
つまり、変わったコード進行を使ってはいるものの、決して、ジャズ向き、ということではないようですね。

曲目です。

ディスク: 1
1.クロース・トゥ・ユー(遥かなる影) - カーペンターズ
2.サン・ホセへの道 - ディオンヌ・ワーウィック
3.マジック・モーメンツ - ペリー・コモ
4.ストーリー・オブ・マイ・ライフ - マーティ・ロビンス
5.雨にぬれても - B・J・トーマス
6.小さな願い - アレサ・フランクリン
7.ベイビー・イッツ・ユー - シレルズ
8.プリーズ・ステイ - ドリフターズ
9.何かいいことないか仔猫チャン? - トム・ジョーンズ
10.タワー・オブ・ストレングス - ジーン・マクダニエルズ
11.リバティ・バランスを撃った男 - ジーン・ピットニー
12.恋のとまどい - トミー・ハント
13.恋よ、さようなら - ディオンヌ・ワーウィック
 14.ニッキ - バート・バカラック・オーケストラ&コーラス
15.恋するメキシカン - ドリフターズ
16.フォーガットゥン・マン - ジミー・レッドクリフ
17.ブルー・オン・ブルー - ボビー・ビントン
18.ディス・エンプティ・プレイス - サーチャーズ
19.レット・ザ・ミュージック・プレイ - ドリフターズ
20.恋するハート - ディオンヌ・ワーウィック
21.ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム - ブルック・ベントン
22.ユール・ネヴァー・ゲット・トゥ・ヘヴン - スタイリスティックス
23.愛の痛手 - ジーン・ピットニー
24.エニィ・デイ・ナウ - チャック・ジャクソン
25.カジノ・ロワイヤル - ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラス

     ディスク: 2
1.恋の面影 - ダスティ・スプリングフィールド
2.ウォーク・オン・バイ - ディオンヌ・ワーウィック
3.私を悲しませないで - バート・バカラック
4.恋のウェイト・リフティング - サンディ・ショウ
5.世界は愛を求めている - ジャッキー・デシャノン
6.リーチ・アウト - ナンシー・ウィルソン
7.素晴らしき恋人たち - ジャック・ジョーンズ
8.タルサから24時間 - ジーン・ピットニー
9.涙でさようなら - ジャッキー・トレント
10.ドント・メイク・ミー・オーヴァー - ディオンヌ・ワーウィック
11.汽車と船と飛行機 - アニタ・ハリス
12.ビー・トゥルー・トゥ・ユアセルフ - ボビー・ヴィー
13.メイド・イン・パリス - トリニ・ロペス
 14.アルフィー - シラ・ブラック
15.ウィッシン・アンド・ホーピン - ダスティ・スプリングフィールド
16.ジス・ガール - ペトゥラ・クラーク
17.リヴィング・トゥゲザー、グロウイング・トゥゲザー - フィフス・ディメンション
18.オッズ・アンド・エンズ - ディオンヌ・ワーウィック
19.アイ・ウェイク・アップ・クライング - チャック・ジャクソン
20.愛のおとずれ - トニー・オーランド
21.イッツ・ラヴ - シレルズ
22.ニュー・ヨーク・シティ・セレナーデ - クリストファー・クロス
23.世界の窓と窓 - プリテンダーズ
24.愛のハーモニー - ディオンヌ&フレンズ(フィーチャリング・エルトン・ジョン、グラディス・ナイト&スティーヴィー・ワンダー)
25.ゴッド・ギヴ・ミー・ストレングス - バート・バカラック&エルヴィス・コステロ

ざっと見て、一般的に日本で一番 知られているのは、「雨にぬれても」でしょうか?
「チャーリーズ・エンジェル」の映画でも使用されていましたね。

 

ただ、このアルバムよりは、ディ オンヌ・ワーウィックのバカラック作品集のほうが、私にはしっくりきます。
きっと、トータル・アルバムとしては、バリアース・アーティストだと視点が舞ってしまうのでしょう。

ですので、これは、”記録”のようなアルバムですね(笑)。







さて・・・・・・
船井幸雄さんの新著「気の力」
(船井 幸雄 (著), 岡崎 久彦 (著)海竜社 ; ISBN: 4759309330 ; (2006/06) を、読んでいます。

93ページで、岡崎 久彦 さんが、面白いことを言っています。
”前世の記憶がある人の話を聞くと、どんなに遡っても、古代エジプトか、古代中国くらいまでで、それより前の記憶というのは聞いたことがない・・・”とい うものです。

確かにそうですね(笑)。
岡田多母さんの前世の話に、どうも原始時代あたりに、空を飛んでいたら、誤って落っこちてしまった・・・というのがありますが、これが私の知っている一番 古い前世の記憶でしょうか?

想像するに、まず、昔は人口が少なかった、というのがあるのかもしれませんね。
どれくらいいたのかは知りませんが、相当少なかったでしょう。

もちろん、今人間をやっている人たち・・・私も含めて・・・も、3次元にはいたのでしょうが、どうやら、石とか植物とか、そういうものから3次元をはじめ たようですので、遡っても記憶らしい記憶、人間らしい記憶というのは、思い出さないのではないでしょう。

いつだったか、「どうして人間は虫を嫌うのかは、科学的には分かっていない」というのを読んだことがありますが、それはひょっとしたら、虫から3次元をは じめた人、というのも多いからかもしれません。

しかし、その理屈だと石でも植物でもなんでも、同じことが言えそうですが、想像すれば、虫の3次元はあまりよくなかったのかもしれませんね。

アリクイに食べられたり、魚に食べられたり・・・という3次元だったのかもしれませんが(笑)、果たしてどうだかは分かりません。

 

政木和三さんの本には政木和三さんの前世のことがしばしば出てきますが、歴史は詳しくありませんが、古い ところでは、アトランティス、後古代エジプトもあったでしょうか。

きっと、マンモスでもなんでも、だれかの記憶にはあるのでしょうね(笑)。

岡田多母さんによれば、船井幸雄さんと一緒に空を飛んでいたようですので、船井幸雄さんにも、探せば、古い記憶があるのかもしれませんね。

 

みなさんは、どう思うでしょうか?


 

 


もうひとつ岡崎久彦さんは面白いことを言っていますが、”サルから進化してどの段階で、人は(私の言葉で言えば)人の霊性になっていったのか?疑問です” というようなことです。

これは、ダーウインの進化論をどこの段階まで信じるかによるでしょうね。

本当にサルから人間は進化したのか?それとも、人間の元は別に出てきていたのか・・・
ということなのでしょう。

ですので、ここら辺も、チャネリングをして情報を貰っても、ダーウインの進化論がらみだったりしますと、 正確な知識がないと、正しく翻訳できない種類のものですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて・・・・・・
船井幸雄さんの新著「気の力」
(船井 幸雄 (著), 岡崎 久彦 (著)海竜社 ; ISBN: 4759309330 ; (2006/06) が、読み進んでいますが・・・

岡崎 久彦 さんの発言に面白いものが見つかります(笑)。
102ページには、合気道の藤平光一さんの言葉として、「
生命とは天地の気を囲ったものであり、私だけの 気、はなく、常に天地と交流している」、のような意味のことを紹介しています。
(私の要約ですので・・・)
そして、私たちの気は、すべて宇宙と繋がっている、としています。

森田健さんの「すべてに繋がっている」は、3次元的な知識だけで捉えますと、どうしてもどこか道徳的な事柄を引用してこないと、一般的には理解しにくいよ うに感じますが、気がすべてと繋がっている、となりますと、どこか、比較的3次元的でありながらも、すべてに繋がっている、と理解しやすそうにも思いま す。

この藤平さんの説の詳細は分かりませんが、気を見ることにより、それが分かったのでしょうか?
感じるでも、他の事実からでも、それは構わないのですが。
ただ、明らかに、繋がっている、と分かる何かを捉えているというのは、すごいことですね。

さて・・・
斥力の話が出てきます。
船井幸雄さんによれば、この斥力によって、5次元にある良い気(とりあえずここでは気)を、3次元に取り込んでくることができる、ということです。
もちろん、5次元のエネルギーですので、森田健さんがいうところの、蘇生エネルギーです。

斥力とは、引力の逆で、遠ざけあうエネルギーのようです。
そして、とにかく(笑)、電磁波エネルギーではなく、重力波レベルのエネルギーのようです。
電磁波は、電荷を負った物質が加速したときにできるもので、重力波は質量をもった物質が加速運動をしたときにできるものとしています。

斥力を発見した早坂秀雄さんの「こまの実験」の話が少し出ていますが、よく分かりませんので調べてみたところ・・・
「真空でこまを右回転と左回転でまわした時、右回転している時のほうが、重量が軽くなっている・・・」
ということから分かってきたことのようです。

 

ネットで調べてみますと、空飛ぶ円盤と斥力の関係、斥力入りの水などいろいろ出てきますね。

遠心力とは違うもののようです。
きっと、似てはいるのでしょうが。
よく分かりません(笑)。

遠心力は、回転中に、円周の外側に引っ張る力な訳ですが、少し勘違いしていたようなのですが、岡田多母さんの本に、地球の回転が速くなってきたので、斥力 が生じ、鳥の飛ぶ高さが”低く”なってきた・・・とあったように思いましたが、斥力をそのまま理解すると、・・・あるいは遠心力が高まると・・・外側に押 し出されるわけですね???
とすると、飛ぶ高さは高くなるようにも思うのですが、ここらへんが良く分かりませんが、この次読む時に、よく読み直してみます。

 




斥力につい ては、http://motions.fc2web.com/love8-2.html
で書きましたが、「あしたの世界P2 関英男博士と洗心」(池田邦吉:2004 年7月発行)には、このようなことも書いてあります。
船井幸雄さんが、2003年のある時、うしとらの金神さんの言葉を聞いたときの話です。

23ページからの引用です。始めの言葉は池田邦吉さんです。)

「うしとらの金神さんの話なんですが、少しお話をお聞かせ願えませんでしょうか。さしつかえない範囲で結構なんですが」と先生に尋ねた。先生は直ちに今の 時間に戻った。
「それなんだけどネ。お久しぶりだねと声をかけてきたんだヨ」と話し始めた。
「こっちは何のことかワカランのだけど、金神さんのコトバを分かりやすく言うと、昔々、この地球をどのように作るかについて会議があったらしい。その時 17神集まったらしいがそこに私もいたようなんだ。もちろんそのことについては私は肯定も否定もできないのだが。それから、あなたはツヌグイの神ですね、 と私のことを言ったようだが、ツヌグイって何か分からないのだ」と。

そして、この船井さんの話の中に出てくる会議 に参加した17神が、以下の通りですが、
(引用:荒深道斉さんの「古神道秘訣・上巻」からの出典だそうです。)


1:天之御中零雷神(あめのみなかぬちのかみ)・・・クォークを作った。
2:高皇生霊神(たかみむすひのかみ)・・・物理学上の遠心力・斥力。
3:神皇生霊神(かみむすひのかみ)・・・物理学上の求心力・引力。
4:可美天日牙霊霊凝雷神(うましあしかひひこちのかみ)・・・電気の+、-の力。
5:天之常立神(あめのとこたちのかみ)・・・気体を集めてたくさんの銀河の元を作った神。
6:国狭津雷国狭立神(くにさつちくにさたちのかみ)・・・気体を収縮凝結させた時の神。
7:国之常立神(くにのとこたちのかみ)・・・太陽系が属する我が天の川系銀河を担当した神。
8:豊雲野神(とよくもぬのかみ)・・・太陽系の元を作った神。
9:國底立神(くにそこたちのかみ)・・・地球の地殻(プレート)を作った神。
10:天之鏡神(※ふりがななし:あめのかがみのかみ、でしょうか?)・・・地球が海で覆われた時の神。
11:沫蕩神(あわなみのかみ)・・・海に海流を作った神。
12:埿土煮神(うひぢにのかみ)・・・海洋に泥水ができた時の神。
  :砂土煮神(すひぢにのかみ)・・・海洋に砂洲を作った神。
13:大戸之道神(おおとのじのかみ)・・・海底火山が陸地を作った神。
  :大戸之辺神(おおとのべのかみ)・・・火山列島を作った頃の神。
14:角杙神(つぬくひのかみ)・・・植物の単細胞を作った神。
  :活杙神(いくくひのかみ)・・・虫の単細胞を作った神。
15:面足神(おもたるのかみ)・・・地球に水陸が整った時の神。
16:惶根神(かしこぬのかみ)・・・生物を作った神(人以外)
17:伊邪那伊邪那岐美神(いざなみいざなぎのかみ)・・・地球を作った神(?)※本文を読む限り、こうだと読み取れます。
(以上)

折角、苦労して書いたので、掲載しなおしてみました(笑)。

斥力は、2:高皇生霊神(た かみむすひのかみ)という神・・・光の存在でしょうか・・・が担当したのですね。
ネットによれば、 『古 事記』では高御産巣日神、『 日本書紀』では高皇産霊尊と記されているそうです。


高速で右回転・・・そして時空の壁を破り・・・ということが、SFなどでの、高速で直進する ことにより、時空の壁を破り、ワープする・・・という発想になっていったのかもしれませんね。

しかし、回転ということを考えれば、忍者などが、回転して、消えてしまう術の方が、もっと事実に近かったりする可能性もありますね。

忍者の修行というのは、どこか、よく見る悟りを開く修行にも似ていますね。
悟りが必要かどうかは、お釈迦様の言葉などからも、なんとも言えないところですが。

 

斥力は右回転で起きる、ということですが、サーフセラ(船井幸雄さんが売っている野菜などが おいしくなる粉)のように、それ自体に諸事情あって斥力を含んでいる物質もあるようです。


また、関英男さんの言う「人間の思いは重力波である」という言葉も書かれています。
これは船井幸雄さんも肯定しているようです。

電磁力は重力よりも、3次元では、強いエネルギーをもっているが、宇宙レベル(高次元レベルということか?)で見れば、重力波は、すごいエネルギーで、速 さは光の十億倍、いかなる障害物でも通り抜ける、ということも書かれています。(110ページ付近を要約)

何か、こういう話を読んでいると、六爻占術のコインなども、どこか斥力と関係があるのではな いか?と考えてしまいます。
あれは、易でも良いのですが、コインでないとだめなのでしょうか?

もし、そうなら、五行的かなにか分かりませんが、コイン、というものに、何か意味があったり するのかもしれませんね。


その内、コインでないものを振って、易をやってみようかとも思います。

あるいはサーフセラがありますので、それで洗ったコインで振ってみようかな(笑)とも思いま すが、果たしてどうなのでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

 

 

 

さて・・・・・・
なんでも、筑紫さんのニュースによりますと、ナノバブル水というのが、話題になっているらしいです。

で、どんなものかと言えば・・・
その水の中では、淡水魚と海の魚が一緒に住める、
魚のすり身に入れると、かまぼこの肉が透き通る、
医学的には、動脈硬化に効く・・・

ということです。

これは、蘇生水ですね(笑)。

なんで発見されたかと言うと、よく見ていなかったのですが、どこかの研究所で、いつまで経っても、消えない水疱のある水があったのだそうです。
それを調べているうちに、たどり着いたようです。
意図して見つけたのではなく、発見は偶然を装って訪れたようです。

最近、こういう話をよく聞きますね。


幼少の頃、読んでいた本に、発明、発見の類のものがありましたが、覚えているものの中では、ミシン(ソーイング・マシン)の発明者は、ある日、夢を見 て・・・その夢は、確か、未開のジャングルかなにかで、槍を持った人たちに取り囲まれるというものだったようです。
そして、その何本ものやりの先に穴が開いて、糸が通してあって、つながれていたそうです。
それによって、ミシンの案が浮かんできた・・・ということだったように思います。

このような夢の系統の発明も時々聞くように思います。




さて、そのナノバブル水ですが、今の科学の理論では、どうしてそうなのか、分からないそうです。

基本的には、時空と言いますか、空間にある、宇宙エネルギーが溶け込んでいるのでしょうね・・・
溶け込むと言うか、入り込む、というか・・・
神坂新太郎さんの水などときっと近いものがあるのでしょう。
船井幸雄さんのサーフセラを溶かした水とも同じでしょう。

ナノミクロンの気泡が、重力波と何か関係が有り、5次元の蘇生エネルギーを取り込んでいる、とも想像できるかもしれませんね。

この、宇宙エネルギーという話と、5次元の蘇生エネルギーという話は、同じものなのか、違うものなのか、なんとも言えませんが、きっと同じなのでしょう。

要するに、宇宙空間というのは、3次元を含んだ高次元ということであり、天外伺朗さん式に、全ての空間が畳み込まれている、と考えれば、良いのではないか と感じます。

そして、ヒーラーの方々はそれを3次元にいながら、5次元から取り出すことができる、
物理的(?)には、重力波を使うことにより、5次元エネルギーをもってくることができる、

ということなのでしょうか。




池田邦吉さんの、新著によれば、ヒーリ ング中に手から出てきて、体の中に入っていく、光のシャボン玉は、猫には見えるようです。
犬には見えない、ということのようですが。

森田健さんの本には、愛犬が幽体離脱した森田さんの姿を目で追いかけた、という話がありますので、どうも、幽体はみえるようですが、どうも、光のシャボン 玉は見えないようです。

ナノミクロンの気泡が宇宙エネルギーを水に入れ込む、ということはどういうことでしょうか?
おそらくは・・・それくらい小さくなれば、今の科学では小さすぎて見えないそれらのエネルギーを囲んで溶かし込むことができる、ということなのではない か?と想像しますが、どうかは、分かりませんが(笑)。

しかし、今、こういうものが発見される、ということは、次元上昇と関係があるのでしょう ね。


 



サーフセラから考えて見ますと・・・
船井幸雄さんの新著「気の力」
(船井 幸雄 (著), 岡崎 久彦 (著)海竜社 ; ISBN: 4759309330 ; (2006/06) によれば、110ページの説明では、重力波が集中しているといわれる北方の海洋深層水に住んでいるホッキ貝の貝殻を焼いて粉にしたものだそうですが、やは り重力波で考えてみれば・・・

重力波が離れていく力だと言うのであれば、ナノミクロンという極小の気泡の軽さがキーなのかもしれないとするのは、安直でしょうか(笑)?

軽いと、引力の影響を受けにくいかな、という素人考えです が(笑)。

体が軽い、と言いますね・・・調子の良い時。
あれは、短に体の筋肉の状態がよく、スムーズに動く、ということだけではなく、何か重力波が関係して、地球の重力を受けにくくなっている状態なのかもしれ ない、というのも、安直でしょうか(笑)?

難易しても、やはり、極小の領域が探れれば、今までの科学では「ありえません」としてきたことが、本当はあるのだ、ということのいくつかが、分かるような 感じがしますね。

みなさんは、どう思うでしょうか?



また、いつまで経っても消えない、というもの、何かあるように感じます。
これは、単にナノミクロンということが関係しているのかもしれませんが、どうして、関係していると消えないのかは、私には分かりませんが(笑)。

ただ、念波などは、ほとんど減衰しないで遠くまで届くようですので、念波が重力波なのだとすれば、斥力を持ったものと言うのは、いつまで経っても、衰えな い、という特性があるのかもしれません。


また、何か気づいたら書いてみます。

 

 

さて・・・・・・
森田健さんが、不思議研 究所のサイトで、「自分は能力があるとは思っていないので、1日に50件の飛び込み営業をした・・・」と書いていますね。
詳細はそちらで見てください。

私も新人研修で、2週間だったか、1ヶ月だったか、飛び込み営業をしたことがありますが(笑)、1日30から5,60件でした。
これは、他の新卒者に負けたくない、と思ったので、数を競っただけですが。
その後も営業では、数多く・・・ということをしましたが、なぜか私は能力がない、ということを考えませんでしたね・・・。

どこかで絶対、需要のある顧客がいるはずなので、それにめぐり合うためには、数多くあたるしか方法はない、という感じだったように思います。
で、今、再就職活動ではそれをやりつつありますが(笑)。

その意味では正しいマーケティング情報というのがあれば、効率的で良いですね。



ただ、一人のお客さんに、なんでも紹介してみる、ということはやっていましたね(笑)。
それも、どこに需要があるかもしれない、ということからだたように思いますが。
それと、雑学を大量に仕入れていましたね、昔から(笑)。

どれか、きっと、そのお客さんと話が合うだろう、という感じですが。

私が接してきたお客さん、といのは、大中小の企業の購買担当者、実際使用する部門の人、バッタ屋さん、個人客(機械好き)、医者、看護婦、という感じでし たでしょうか?

それが、このサイトでは役立っているのかもしれませんが(笑)。

 

 

ただ、神田昌典さんによれば、同じ商品の選択で4つ以上の選択肢を出してはいけない、と いうことですね。
確かに、そうですね。
これは、その商品をよく知っている人に対してなら、それほど害はないかと感じますが、あまり知らない商品で4つを超える選択肢を出されますと、迷って、結 局、今日は辞めておこう、となったりします、私の場合(笑:顧客として)。

ギターで言いますと、私は箱ものと言われるギターはある程度知っていますので、100出されても、1つ選ぶことはできます。

しかし、先日テレキャスターという種類のギターを買った時には、迷いました(笑)。
基本的なこと・・・ピックアップがシングルか、ハムバッカーか?色がどうか?少し勉強して、木材の種類は?くらいまでは分かるのですが、それ以上になりま すと、よく分かりません。

一番良いのは弾いてみればよいのですが、ネット通販だと、本当にもう分からなくなってし まうのですね。

結局、その中でも、価格と、知っている知識が一致するもの、ということで選び、とても良ものにめぐり合いましたが(笑)。

あんまり良いので、お礼のメールまでしてしまいました(笑)。


面白いのは、女性にだけは、数打ちゃ、当たる、をやらないということですね(笑)。
昔からです。
恥ずかしいのか?
それとも、需要供給という問題じゃない、と思っているのか、
あるいは、そこまでして、欲しい、と思ったことがないのか?

良く分かりませんが(笑)。

 

ただ、能力がないと思う、ということについてはなんとなく思い当たるところもあります。

前回の転職の時、今よりよっぽど私個人としtねお商品価値はあったのですが、それでも、 「商品価値は少ない。転職も多いし。やるだけやって、だめなら借金して、アルバイトしながら、就職活動しよう・・・」とあきらめていたのですね(笑)。

なにせ、仙台から東京に戻ってきての就職でしたので・・・それでもいくつかの会社に書類を出しました、仙台から。
そうしたら、いろいろあって、見つかったわけですが・・・

今回は、状況はもっと悪いですね、景気は表面的には良いですが。
ですので、と言いますか、とにかく少人数の会社ばかり探しています。
私には、大人数より少人数が向いている、と感じたらからですが。

これは、いろいろ考えていますが、どうも、人との接触うんぬんもありますが、私は一人で いろいろな業務をやるのが好きなようです。

過去を見てみますと、大抵、よくある大きなビルの1フロアをすべて使っているようなところにいるときは、あまり良くありません。
逆に、支店ですとか、小さな事務所にいるときは、とても良いのですね。

始めはたくさんの人と関わるのが苦手なのか、と思いましたが、それもあるでしょうが、ど うも、それだけではなく、いろいろなことをやっていると、飽きず、また頭が回転してくるようです(笑)。

小さな支店にいた時等は、営業から、発注から、発送から・・・なんでもやりましたし、小さな会社にいる時には、営業からカウンセラーから、ビラ配りから、 パンフレット作製から、広告打ち合わせから、機関紙作成から、なんでもやりました(笑)。

そうすると、頭が冴えてくる、私の場合(笑)。

あるいは、いろいろな部署なり、ジャンルの人と付き合う、というのが好きなのかもしれま せんね・・・

 

高次元的に言えば、多くの人の波動を受けて疲れやすい体質、なのかもしれませんが。

みなさんは、どうでしょうか?
きっと、私は少数派かもしれませんが。

それと関係してですが、先日、船井幸雄さんが、「本当のことを言うと、人が離れていく・・・」というようなことをフナイ・ドット・コムで書いていましたが、それはつまり、高次元的なこととか、前世のことなどですが。

それを指示してくれる人の数をフナイさんは、パーセントで示していましたが、とても少ないのです。
私の想像よりずっと少ないですね・・・。

私などは、「どうして他の人は興味がないのだろう?」くらいに思ってしまますので、私はどうも、私が自覚しているより、ずっと少数派のようです(笑)。

で、どうしたかと言えば、さすがに少数派であることには、慣れています。
ただ、これが良いのか悪いのか・・・

共産党のように、万年野党に慣れてしまうところもありますし、かと言え、苦しさも感じません。

さて、どちらでしょうか?
きっと自分が正しいと感じているものがメジャーになるのが良いでしょうし、そして、メジャーだろうが、どうだろうが、良いものは良い、と思えれば良いよう にも感じますが。


みなさんはどう思うでしょうか?

 

 

 

さて・・・・・・
運命ですが・・・
当たり前と言えば当たり前ですが、一人の能力、あるいは、その人だけに付随する事柄だけを変えても、、運命というのは、変わらないのでしょうね・・・どう でしょうか?

仮に私が100億円持っていて、100メートルを5秒で走れて、創造主と毎日株価(何でも良いのですが:笑)について話し合っていて、モーツアルトを凌 ぐ、名曲をたくさん作曲していて、絶世の美男子、5次元にいつでも行ける何かを発明して所有していた・・・としても、これを世間なりだれかなりに教えると 言いますか、発表すると言いますか、表出すると言いますか・・・そういうことをして始めて、名声運ですとか、新たな財運ですとか、他のなんでも良いです が、そういったものが出来上がることになるわけですね。

 

それは、つまり、それらのことを知って、動かされただれかが何らかの行動をすることによ り、いろいろなものが動き出す、ということなのでしょう。

 

ただ、逆に発想すれば、その人がそういう能力などをだれかに表出するということもまた、 おそらくはその人の周りの何かに動かされて初めてそうするのかもしれません。

 

それは人でもあり、物かもしれませんし・・・その人、物とは、つまりは、それの持ってい る波動というものも含まれますし、六爻占術でもなんでも東洋の戦術に出てくる五行というものが、その波動とも大きく関係しているのかもしれませんね。

 



船井幸雄さんの新著「気の力」
(船井 幸雄 (著), 岡崎 久彦 (著)海竜社 ; ISBN: 4759309330 ; (2006/06) には、イヤシチロについても書いてありますが、そこに0磁場ということが書いてあります。

いろいろ書いてありますが、129ページに図がありますが、↑↓のように2つの流れの電気が流れた場合、2つの周りには相反する磁場ができるそうですが、 その重なったところが0磁場だそうです。
そしてそこは、とても良い磁場だそうです。

佐々木茂美さんという方が、中国の蓮花山という、とても良い波動、磁場のある場所を調査しているそうなのですが、0磁場は5次元への市口であるかもしれな い、という仮説を持っているそうです。
船井幸雄さんも、これには共感しているそうです。

先の0磁場をして、オフセット0(ゼロ)でなくてはいけない、ということが 書かれています。
つまり、磁気が0ということではなく、2つの磁気の流れが干渉しあって、相殺されて0になった場所でなくてはいけない、ということのようです。

なにかこれを読みますと、上記の、いろいろ持っているのだけれど、表出しない状態が単なる0、そして表出して、何かと影響しあい、そして運命の磁場が0に なった状態が、運を引き寄せる状態、のように感じてきますが、果たしてどうでしょうか?

あるいは、仮に、意見でもなんでも、発表しただけ、私で言えば、就職のために、履歴書を送っただけ、作家を目指している人なら、原稿を持ち込んだだけ、歌 手を目指すなら、デモテープを送っただけ・・・・そういうことだけでも結果がどうであれ、何か運を変えている、どちらかと言えば、良い方へ・・・・という ことが起きているかもしれませんね。

 

 

運命の磁場が0という発想は面白いですね。

これは、一見「空」、とか「無」のようなものを連想しますが、「空」も、「無」も、きっと、一人で0ではいけないのかもしれませんね。
干渉しあって0になる、ということをもっと考えた方が良いのでしょうか?



0というと、以前から引っかかっているのが、岡田多母さんの「ヘソのはなし」ですが・・・

http://www5f.biglobe.ne.jp/%7Emotion-emotion/j93.html
に書きましたが,折角書いたので、同じ箇所を引用してみますが・・・

(188ページより引用)
『そうか.....!ボクが透明になって、さらに透明になっていくような、そんな気がしたのは質が変わったからなんだ ね。..................』

(189ページより引用)
『つまり質の向上というのは、振動を微細にして密にしていくことだから、外側が真素直(マスナオ)で真直(マチョク)、純粋で温和な自然体であれば、自動 的に内側も、さらに微細で密にきわまるわけだね。』

(219ページより引用)
『自分ともうひとりの自分がひとつになるためのその点が現れること.....つまりさ「色即是空」と「空即是色」が同時に起こる点、「阿の呼吸」と「吽の 呼吸」が両方同時にある点、ブラックホールとホワイトホールが一緒にある点、破壊と創造が同時に起こる点。
そう........、ゼロ(0)点かな、「絶対の0(ゼロ)」だね。
あっちとこっちの中点ではなくて、「絶対に0(ゼロ)」という0点だね。この0点が現れることで、大きな範囲の「反転」が起こって、全体が本当の現実にな るわけだね。
「反転」すなわち「絶対の0」で生まれ変わっちゃうんだ。.............』
(以上)

この219ページの箇所は、要するに、先の干渉して0になった状態を言っているのですね。
やっと分かりました(笑)。

もし、私がこの上記の言葉で神示を受けたとしても、要するに正確にはわからなかった、ということになりますね。
政木和三さんではありませんが、いろいろな知識を得たから、初めて発明もできるのかもしれませんね(笑)。
シータ波にするだけでは、いけないのかもしれません。
但し、発見は、できるかもしれませんが。

あるいは、何を勉強するのかも、また、多くのものからの干渉によってかもしれませんね。

みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・・・・
森田健さんが無意識ということについて最近良く書いていますが・・・
それは、どうも脳に起きた命令信号を頭が”意識する”までの0.5秒間のことのようですが。

私は、この話を知る以前に、似たようなことを意識して、しばらく考え続けたことがあります(笑)。
それはピアノがらみなのですが。

もっぱらアドリブ・ソロを弾く時に、こ一連の動作はどこから来るのだろう?と思いました。
最初は、リズムの取り方がらみで、要するに弾くその瞬間にその音が頭に浮かぶのであれば、リズム的には遅れてしまうだろう?
とすると、どういうことなんだろうか?と発想しました。

私は当時・・・中学か高校くらい・・・あるいは大学生だったでしょうか?・・・世良譲さんに傾倒していましたが、世良さんのアドリブは、リズムが後乗りで す。
それは、世良さんのアイドルだったエロール・ガーナーというピアニストによるところが大きく、彼もまた後乗りでした。
ガーナーの場合、楽譜を読むのが苦手でしたので、そのせいで、あるいはそれをカバーするために、後乗りであったようなのですが、とするのなら、やはり、弾 く瞬間に弾くべき音を認識するのであれば、何にしても後乗りになってしまいそうだ、と感じました。

当時私は、良い乗り、というものが感じられる演奏を身に着けたかったのですが・・・とすると、大学生以降ですが・・・それは基本的には、若干の前乗 りのようだ、という結論に達していました。
今でもそれは変わっていないのですが(笑)。

とするのなら、弾くべき音というのは、ジャストで乗るタイミングよりは、いくらかでも、速めに知覚されていなくては、前乗りということはありえないだろ う、と思いました。


そして、頭が認識してから、指が動くまでに必ず瞬間であっても時間があくであろう、とも感じました。
そうなりますと、前乗りにしなくてはいけなく、しかも、時間があく、ということですので、前のりのタイミングよりも、更に先に音を認識していなくてはなら ないだろう、と想像しました。

となりますと、ナノ(0.0000・・・)秒単位の話ではありますが、それでも、相当前に音を認識していなくてはならないのだろうか?と思いました。
しかし、それを意思してやりますと、どうも変なのです(笑)。
フレーズも良くないですし、タイミングもよくない、乗りも良くない、場合によってはアドリブ・ソロすら続かない・・・


指をできるだけ鍵盤の近くに置く、ということもやってみました。
鍵盤と指の距離があればあるほど、コンマ何秒か遅れてしまうわけですので。
これは少し効果がありましたが、きっと、気持ちのせいによるところが大きいのではないかとも感じます。
おかげで、私のタッチがやや弱いのは、このころの習慣が身の付いたせいのようです(笑)。



そう考えて行く内に、どうも、意識を超えた何かがあるから、前乗りにしても、後ろ乗りにしても、ちゃんと演奏できるのではないか・・・と思うようになりま した。

ここら辺の理屈については、直感によるところが多いですので説明できないのですが・・・
これは、すべからく全ての動作に関しても、同じようなことがありそうだ、と感じました。



そうこうしている内に、何年も経ちましたが、それでも、頭の隅・・・と言うよりは、どこかにちゃんとホルダーまで設けて保存されていましたが、数年 前、池田邦吉さんの本の中で、幽体についての説明が書いてあるのを見つけ、そこにあるメンタル体、というものが、どうも高次元から来る信号と頭をつないで いて、頭が認識するいくばくか前に、その信号・・・ピアノなら音・・・を体が認識して、弾く、というプロセスが行われているのだろうな・・・と思うように なりました。

もっとも、その役目がメンタル体なのかどうかは、良く分かりませんが。


そして、他にも、松果体うんぬん、という話もありますし、実際はどうかなのかは分かりません。
ただ、とにかく、脳が近くするわずか前に知覚する期間があり、その瞬間に体が反応する、ということは、間違いなくあり、そして、それは極一般的なことであ り、何か技術的なことに関して、それは、当たり前のことであるようだ、という考えにたどり着きました。

それが0.5秒なのかどうかについては、森田健さんのサイトにあった友人の脳の専門家の話を聞くまでは知りませんでしたが。



ちなみに、池田邦吉さんの本は、http://www5f.biglobe.ne.jp/%7Emotion-emotion/j98.html
に書きましたが、以下のものです。




「あしたの世界」(船井幸雄、池田邦吉 著:2004年3月発行)
(56ページより引用)

『魂のエネルギーにはおおむね四つの波動がある。アストラル体、エーテル体、メンタル体、コーザル体である。
セスによると、アストラル体が物質化したものが人間の肉体であるという。しかもアストラル体はどれだけ短時間でも肉体を離れないと言うから、人間の死はア ストラル体の消滅を意味しているのだろう。幽体離脱はエーテル体、メンタル体、コーザル体が一時的に肉体を離れる現象を言うらしい。わが深宇宙探訪記上巻 の125〜6頁においてアーガス氏の説明するところによれば、

@エーテル体の場(=生命の場)は原子や分子、細胞や器官を支配している。
Aメンタル体の場は精神、心を生み出しだしている。
Bコーザル体の場はエーテル体とメンタル体の場を生み出している。

と書かれている。人間の肉体というのは、この三つのエネルギー体によって制御されている。
(中略)
意識は魂の一機能である。熟睡した肉体は意識がない状態である。意識という概念は脳の中に存在しているのではなく、幽体の中にこそ存在しているとわかるで あろう。同様に感情、思考、記憶は脳の脳細胞の中に存在しているのではなく、メンタル体の中に存在しているというわけである。』

(以上)


どうしてこんなことを考えたかと言えば、音楽のリズムにおいての乗り、というものがとても微細なものだからでしょうね。
何度か書いていますが、リズムマシンで、メトロノーム通りのタイミングでリズムを作りますと、とても変な乗りです。
そして、それをクオンタイズという機能を使って、ほんのわずかに、前とか後ろとかに、どこかの拍をずらしますと、とても聴き心地の良いものになります。


これは、想像するに、100人中99人くらいは、耳で分かると思います。


それを意識によって、なそうとしたのですね・・・
しかし、それはできず、感じたのは、意識の前に体と信号をつないでいる間と何かがある、ということでした。

はじめは理解できず、「そんなわけはない。間が空いていたらクオンタイズ機能を見ても分かるとおり、乗りが違ってしまう。それは耳で確かに知覚できる」と 思っていました。


しかし、考えて、試行錯誤すればするほどに、信号、脳、動作の間には間があり、場合によっては、信号と動作を直接つないでいるという事実が存在して いる、と考えざるを得なくなってきました。

但し、それはここまでで、これから先となりますと、計測器ですとか、なんらかのデータと実験作業が必要になってきます。
素人では、それより先には進めませんでした(笑)。







で・・・森田さんはブログの方で、この無意識領域に何かある、と書いていますね。
「意識を無意識に下ろす必要がある」とあります。
これは何を言っているのか理解するのはむつかしいことのように感じますが、私で分かるとすれば正にドリブという動作だと思います。


私の場合、もっぱらコードとコード進行によってアドリブをするのですが、最近は練習しませんのでなんですが、当時は非常にスムースに指が動きまし た。
ある程度練習をしますと、アドリブということをしようとするのなら、それは自然に無意識の領域に入っていくように感じます。その時の下ろすべき意識とは、 正に、曲のコードだろう、と感じます・・・私の場合は(スケールの場合もあるでしょう)。


一度その状態に入りますと、弾いているメロディを聴いているだけで、次の音が勝手に出てきて、しかもそれを弾いています。
0.5秒の間などないでしょう。


しかし、森田さんは「無意識だけに使っていると、視野を狭くする・・・」と書いています。
そうですね、おそらくはアドリブで言えば、そうなりますと、批判の矢面に立たされがちな”速弾き”のオンパレードのようなフレーズになるだろうか、と想像 します。


3次元的表現で言えば、速いだけで、情感がまったくないフレーズ、ということになってしまうのですね。
若い人などのスピード感のみ求める時期のリスナーには受けは良いのですが、大抵の場合、ある程度音楽を聴いていきますと、そういうフレーズは、説明はでき なくとも、「良くない」、「感じない」ということになってくると思います。


その時に、外側を見る、聞くことが必要だ、ということを書いていますが、おそらく達人は何か違うものを見、聞きしている可能性がありますが、私なら、おそ らくは、他の演奏者のフレーズ、駆け引き、というものになるのではないかと思います。

どういうことかと言えば、コードという決まり、定番になっている決まりなどはありますが、後は自由ですので、ジャズならベースとかドラムがいろいろ なちょっかいを出したりするわけですね。
そうでなくとも、ピアノ以外の楽器なら、ピアノのボイッシングというコードにいろいろな音を混ぜる行為がありますが、その時、どんな音を混ぜるかなどは、 正に、アドリブしている人にとっては外側なわけです。




その意味で、ピアノソロの形式の演奏でアドリブをするのと、コンボスタイルの形式で複数の人たちと演奏をするのでは、そのありさまはまったく違ってくるわ けです。

これは、演奏者がよく言う「今日のお客さんは、とても良いお客さんでした・・・」というようなことにも言えることだと思います。
正に、お客さんは外側なわけです。
それは、スポーツでも、講演でもなんでもそうでしょう。

もちろん、一人で演奏していても、無意識領域というのは、意味があるわけですが。



こう考えて行きますと、ミュージシャンに薬をやってしまう人が多い、というのは、分かるように思います。
サージェント・ペパーでもなんでも、当人は否定するかもしれませんが、どこかドラッグの影響が感じられるように思います。
どこがそうかと言えば、きっと、「3次元的じゃないな、これは・・・」という感じなのではないでしょうか。

それは要するに、薬によって強制的に無意識領域を使えるようにしている、ということなのかもしれませんし、場合によっては高次元に通じるようにしている、 ということなのかもしれません。

船井幸雄さんの本によれば、今禁止されている一部の麻薬扱いのものには、用法を間違えなければ、”良い”、ものもあるようです。
それらもアメリカ経由で禁止されるようになってきたようですが、これはひょっとすると、多くの人が高次元に通じてしまうのを避けなくてはならない理由のあ る”何か”がそうしているのかもしれませんね。

ペルーの山奥では寒さを凌ぐために、コカだったか、何かの葉っぱを噛むようですが、これは寒さしのぎだけではないのかもしれませんね。
良く分かりませんが。



私が頭に映像が出にくい、というもの関係しているかもしれないですね。

要するに意識してしまう、ということなのではないでしょうか?
出る時はちゃんと出るのです。
意識して、何かをきちんと出そう、とすると出ないわけですね。


アガル、という現象もまたこれではないでしょうか?
ぎこちないわけです。
つまり、頭と体が繋がっていないわけです。
それは、何らかの理由により、意識してしまい、それが原因で・・・ということかもしれません。


私は上記の2つともにありますが、それは、自分の力で何かやってやろう、という気持ちが強すぎるのかもしれません。
もちろん、自分の力、で良いのですが、それを何から何まですべて自分の力、あるいは、自分の意志だと思われるもので制御してやろう、というような気持ちか ら来ているのかもしれません。

つまり、何から何まで、意識をはびこらせる、というわけですね。
これでは、すべてぎこちなくなってしまいますし、外応を得る暇などありません。


森田さんのブログでは、「何から何まで指示したら、指示待ちになってしまう・・・」というようなことが書かれていますが、その意味では体の全てが指 示待ち状態・・・違う言葉で言えば、脳からの直接な信号は受けない状態になってしまっているのかもしれません。

自律神経系で動いている器官というのは、この脳からの信号を直接受けて動いているものなのでしょうか?
そんな気がします。
それが失調する、ということは、おそらくは、何らかの理由で高次元と通じなくなってしまっている、あるいは通じにくくなってしまっている、とも言えるかも しれません。


それは、何かのタイミングで、外から来ている信号を拒否する、ということを長い期間してしまうことによって起こることなのかもしれませんね。

やりたくて仕方のないことをやらない、ですとか、辞めたくて仕方のないことを辞めないですとか・・・そういうことですが。

みなさんはどう思うでしょうか?




いずれにしも、無意識の領域、というものが存在し、何か意味があるだろうな、ということは、私には良く理解ができるように思います。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

 



船井幸雄さんの新著「気の力」
(船井 幸雄 (著), 岡崎 久彦 (著)海竜社 ; ISBN: 4759309330 ; (2006/06) を読み進めていますが・・・
いくつか「あれ・・・???」という箇所が見つかります(笑)。
それはもっぱら岡崎さんの発言なのですが、・・・但し批判ではありません(笑)。

光の反射の屈折率が私と違うな・・・という感じですが・・・

屈折率と言えば、昨日から2,3年ぶりにコンタクトレンズを装着しています。
今は、他人には進めませんが、レンズの数値され分かっていれば、海外輸入物がネットで買えます。
私は試しに、乱視を補正しないでいてみようと思い立ちました(笑)。
両目共に、乱視ですが、右は数値を見ると、さほどひどくない、左は視力も乱視も高い数値・・・

私は、ここ1,2年で気づきましたが、左目が死んでいる(?)んです ね・・・
無表情なのです。

しかも、とても光線を放っていない・・・


で、両目ともに、右目の数値のコンタクトレンズをしました。
もちろん、現在左は視力が低く出るのですが、なんとなくですが、強引な視力矯正と乱視矯正が左目から力を奪っているのではないか?と感じましたので、しば らくこれをやってみようかと思います(笑)。


ちなみに、右目も乱視矯正していないわけですが、なんともありません(笑)。

これが両手振り体操のお陰か、どうかは、分かりませんが、効いているのかも しれません。



そして、しばらくぶりでコンタクトレンズで外に出てみましたが、どうも笑顔がめがねと極端に違うようですね・・・
人の表情からの判断ですが。

想像するに・・・
私のめがねは相当強いですので、目自体が相手から見て、小さく見えている可能性があるように感じます。
それ故、表情が自分が思っているものよりも小さいのかもしれません。

それがコンタクトにしたことにより、自分がイメージしているのと同じ表情に なっている・・・

もうひとつは、もし目から何か光が出ているのであれば、強いレンズのせいで、違う方向に屈折していて、違う波動を生んではいないか?というものですが (笑)、これは想像の域を出ようがありません(笑)。



私は自分の勝手な思い込みですが・・・2,30代の時は、顔を褒められることがしばしばありました(笑)。
ですが、実は私はそれに対して、非常に劣等感を持っていました(笑)。

要するに、自分の努力によって得た能力、物以外で褒められる、利益を得る、ということに対して嫌悪感、劣等感を持っていたのです。
ですので、もちろんぜんぜん喜びませんし、むしろ憮然としていました。

これは、そのほかの、元々もっている自分の努力以外で得たものに対しても、同じ反応だったように思います。



あるいは、違う方面から見ると、元々持っているものに対して、褒められた時に、どういう反応をすれば良いのかが分からなかったとも言えるかもしれません。
もちろん、「ありがとう」という3次元的反応はできますが、どういう気持ちを持てばよいのか分からなかった、知らなかった、知る機会がなかったようです。
「努力が報われました」
とは言えませんね。

どうも、それは単純に感謝の気持ちで良いように感じます・・・

いろいろ言う人もいるかとは思いますが、運命が決まっているものだとするのなら、それは何かあらわしたいというのであれば素直に”感謝”でよいよう に感じていますし・・・
決まっている運命を楽しむのは、何も悪いできごとの時ばかりではなく、良いこと・・・特に自分の努力によってなされたのではない、正に”運命”としかいえ ないようなことに対しても楽しんで良いようだ、ということが分かってきました(笑)。


もう最近はだれからも顔の話をされることはなくなりましたが(笑)、これからは、自分の努力によらないで得られたものに対しても、感謝しようと思っていま す(笑)。

どうも、普通の話ですみません。





で・・・岡崎久彦さ んの話ですが・・・
136ページ以降、”謙虚”という言葉がいくつか出てきます。
たとえば、136ページには、(要約)「科学万能の世界で育ってきたので、科学で証明できないものはない、と思っていた。その私が、魂や精神の世界がある かもしれない、と思うようになった。自分の知っていることも知らないこともある、と認める謙虚さを覚えたということです・・・」

これなんですが・・・
私は高学歴でもないですし、偉い役職にも付いたことがありませんので、何なのですが、それは当たり前ではないのだろうか?つまり、自分の知っていることも 知らないこともある、それを認める・・・ですが。
そんなことまで、謙虚というある意味「自分を押しとどめる」という強い意味のこもった言葉を使わなくてはならないのだろうか???
という屈折を感じてしまうのですが、どうでしょうか?

これは岡崎 さんを非難しているのではなく、私が変なのだろうか?どうなんだろうか?が知りたいだけなのですが。







また、 137ページには、(要約・・・と思いましたが短すぎるので引用)
「前の本『なぜ気功は効くのか』を書いた時には分からないことがあるという知的謙虚さはありましたが・・・」とあります。

この表現も私の常識では、何か変に感じてしまいます。

思うに、やはり”謙虚”という言葉もまた相対性のある言葉なの ではないでしょうか?
それゆえ、特に高学歴、高い役職などの人、自信家などが陥りやすい状態を”謙虚が足りない”と表現するとぴったり当てはまることが多く、そうでない人に対 しては、むしろ、自信喪失、自己表現ができない、などの状況を生んでしまう危険な言葉とも言えるように感じてしまいます。

それでは、 本当は何なのだろうか?と考えますが・・・

私ごとで言えば、実は私は昔は自信家でもありましたし、それよりなにより、照れ屋であり、そして理論家でもありました(笑)。
ですので、何か新しい事実・・・つまり今までと違う理屈で起こるようなことが前に現れても、簡単には認めませんし、自分の過ちを認めるのも恥ずかしいでし た し、第一今まで積み上げた理論と整合性が取れませんので、おそらく直感では「正しそうだ」と感じていても、それまでの理論の流れに乗らないものですと、 「これは、間違っている可能性が高い。なぜなら、〜〜で、こうならなくてはいけないのに、ならないからだ・・・」と考えてしまうことがしばしばでした。


しかし、もともといろいろ知識を得るのが好きなようでしたし、加えて、いくらがんばっても結果がでない、ならば新しい理論事実を入手したい・・・という状 況になってきた時、「恥ずかしい」(道徳的にではない)だなんて意識は簡単に捨てることができました。
それまでの自信などというものも、どうでもよくなりました。

それでも、 どうしても邪魔だったのが、それまで積み上げてきた理論だったのですね。
それはつまり、それまで生きてきた中で起きた出来事、教わったできごとを長年かけて理論化してきたもの、ということなのですが。
その流れが邪魔をして、それに当てはまらないもが、簡単に吸収しにくかったのです。

それで、いろいろか考えた末、「過去との整合性を取らない、ことが必要なようだ」、という考えに達しました。

これはくしくも、森田健さんも同じことを言っていますが・・・
そうでないと、本当の事実が目の前に現れた時に、吸収できないのです。

どうでしょうか?
謙虚という言葉ではなく、まずひとつは「新しい事実が分かった時には、それまでの理論や言ってきたことと整合性を取らない」という言葉が良いように感じる のですが。



そして、もうひとつは、先の岡崎さんの言葉の、
(引用)
「前の本 『なぜ気功は効くのか』を書いた時には分からないことがあるという知的謙虚さ はありましたが・・・」
(以上)
ですが、これは、どうしても強引な表現に聞こえます。
想像するに、何か他の適した言葉を使いたくないので、強引にこういう表現にしたのか、それとも、どうしても謙虚という言葉を使いたかったのか、のどちらか なのではないでしょうか?

私は適した言葉は”好奇心”だと思います。
つまり、”謙虚さ”が必要な人にとって、新しい知識を得るために必要なことは、”好奇心”なのではないでしょうか?

その意味で、2つ目の言葉は「謙虚」という表現よりも「好奇心」ではないかと想像します。



まとめますと、
謙虚という言葉は、どうやらその人のさまざまな状態で相対性がある言葉のようだ。
よって、今まで謙虚という言葉によって表そうとしてきた人間のあるべき状態(?)の”ある
部分”を正しく表 現するのならば、「新しい事実の前では、直感的に正しそうだと感じたのなら、過去との整合性を取らない、気にしない、そして受け入れる」、「好奇心を持 つ」の2つの表現によって表した方がより正確なのではないか?


ということですね(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?


以下作成中


 


あの世でも、人の顔色を伺う?
それは少し違うのではないか?顔色伺わなくとも、仲良くできる。



先の0磁場をして、オフセット0(ゼロ)でなくてはいけない



人生はばくちのようなもんだから・・・

私の口癖だった、
やらないけど



 

一番注意しなくてはいけないものではなく、一番出てきて欲しいもの、
都合よく

自由が先か?
平和が先か?

なんでも、ちょっとやそっとの返変装をしても、見分けてしまうシステムができているようですが、テ レビに出ていた評論家(オーム事件で活躍した人や、音楽評論家などを含む)、は、大筋で、良いものだ、としていました。「オーム事件や9.11を見ている と、時代が変わったことを認識すべきである」などと言っています。


ただ、今のテロなどが、誰かによる自作自演だとするなら、このシステムは世界中を奴隷と、一部の特権階級に分けるために は、正に適したシステムでありますので、正に、計画通りに行っている、ということなのでしょうか?

 対等とか・・・意識し過ぎ るのではな?



精神落ち着いてい て、ここrが元気

練習と修練と試行錯誤と探求、これを努力とは言わない、努 力はしてはいけない。
イチロウのお嫁さんは、働きもの:

上と下両方意識していたが、上とだけ対等になることを可投げれば、自然と下とも対等になれるのではないkだろうか?

だれよえりも、とか、世界一とか、そういうのがいけないの か?誰かに勝ちたい、とか、そういうのがいけないのか?結果としてm世界地でもよいし、他人に勝ってもよいが

幼児の欲はOKなら・・・相対的な:有利を求める種類の欲はだめ。絶対的な欲はOK?

コレクション欲はだめ。〜がしたいから欲しい欲は:OK?

長所進捗と長所を考えないの時点における考察。
流通業における考察。

ある程度の成長までは、長所進捗でよいのではないか?
しかし、それ以上は、今度は、それは捨てたほうがよい。
新規事業に手が出せなくなる。
手を出してうまくいかなければ、またそこで、長所を捜してみる・・・の繰り返しが良いのか。


結果を出す、結果がでなかったら、結果が出せなかったら、これは違う。
筋と 都合。手段 を考えてはいけない。


しかし、人間は何にでもなれる、ということと、快を感じる対象が一人一人違うということが、どう整合性を持って解釈すれば 良いのか今ひとつ分かりませんが・・・。


ピアノ集中力


依存のために購入するのは欲
資格 がある
暴力使わない、人の自由をい束縛しない、死角はこれだけ

0がないというのは、少なくとも一つありますね、地球には。人間の数ではないでしょうか?「人間が 0と言うのもありえる」という人もいるでしょうが、観測という行為は今のところ生き物の中で人間だけのものですね。ですので、0を観測する、ということを 考えた時に、人間が0という状態は絶対ありえないですね。観測してい
 

ゴールはない?

0地点とは右翼と左翼の両方をやることではない
「どpこからみても、絶対に文句もないし、正しい・・・」  それはない、0地点からみて・・・で良い

天照大神、杉原千畝(ちうね)」。 後で困る、と言う発想よくない。

 


 

  

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