さて・・・日本はなぜ神道なのか (ワニ文庫 P- 161)
(文庫):中矢伸一(著):ベストセラーズ (2008/3/19)
を読み始めました。 |
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
また、読み進みましたら、記載いたします。
で・・・
株価が下がっていますが・・・
ガソリンは上がっているようですし・・・
自動車が売れなくなり・・・
コーヒーチェーンが、アメリカで600店舗弊店し・・・
シティバンクの時価総額が、日本の何とか銀行より下回り・・・
そうとは言え、
三笠宮寛仁様が退院して・・・
・・・こちらは、あまり浮かびませんが・・・
中国のテニス選手が、東洋では、伊達君子さんさん以来の・・・とかいうことです。
船井幸雄さんが言ってた5月に何があったでしょうか???
ベンジャミンさんhttp://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/ によれば、スカル・アンド・ボーンズ一派にいろいろあるようです。
・・・どうも・・・高次元的に、この1,2週間、大きな変化があったような氣がしてなりませんが・・・
どうでしょうか?
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
さて・・・私ごとです。
今日は、久しぶりに大きな声を出してしまいました・・・
精神世界の方々ごめんなさい。
長々と詳細を書きましたが、消しました。
過去の映像が見える方は、そちらでご覧ください。
以上です。
さて・・・
藤原直哉さんhttp://www.fujiwaraoffice.co.jp/ですが・・・
ネットラジオで、「人工林は人が作ったもの。人が手をかけなければだめ。」と語っています。
この話と、昨日報道されました「タクシーの規制緩和がなくなる」というニュースは、何となく共通しているな、と感じていますが・・・
人工林は、どうも間違いなく人が手を入れない限り、乱れてしまうものようです。
要するに、ある意味本当の自然ではないのでしょう。
とは言え、そこに林が必要だから作ったわけですので、おそらく「人口林」を作ってはいけない、ということではないのでしょう・・・宇宙の理的に。
但し、自然の流れでできたものではないですので、自然林と同じように、ほおっておけば、自然に調整機能が働くというものではないようです。
タクシーも、きっと同じ理屈が成り立つのではないでしょうか?
必要だからタクシーができた。
しかし、それは人間の作ったものですので、市場経済に任せておけば自然にうまい状態になる、というものではないのだと感じます。
古館さんなどは、「規制緩和の逆・・・」と言っていましたが、私はこれは、人の手が入ってよいのだと感じます。
同様に、国の政治もそうですね。
http://motions.fc2web.com/love73.html で、書きましたが・・・
ブッシュさん初め小泉さんや竹中さんなどがやっていた、国を滅ぼす政策というのは、「新自由主義」もののようです。
これは、サッチャー元イギリス首相がやった、「それまでの揺り篭から墓場まで国が面倒を見てくれるという国のあり方をひっくり返し」であり、すべてを市場原理にゆだねればうまくいく、そして自己責任が全てである、というもののようです。
「新自由主義」は、
1:国営企業の民営化
2:規制緩和
3:社会保障をなくし、小さな政府にする
が3本柱で、
1:国営企業の民営化・・・により、アメリカやイギリスの企業が、ただ同然でその民営化された企業を手に入れる、
2:規制緩和・・・格差が広がり、ほとんどの人が貧乏になる
3:社会保障をなくし、小さな政府にする・・・阿鼻叫喚の社会になる
というもののようです。
実際、タクシー業界では、一人当たりの賃金が下がているようです。
もちろん、「工夫」をする余地までを規制してしまったなら問題ですが、業界という人口林は、そのままでは、乱れるようです。
きちんと人の手を入れることにより、整うのだと感じます。
日雇い派遣でしたでしょうか・・・昨日の新聞によれば、禁止だけではなく、派遣業者の中間マージンを明らかにする方向に行く・・・というようなことが書かれていましたが・・・
消費者金融と同じような匂いを感じます。
要するに、人の作ったものですので、ほおっておいても、自然の秩序機能などは働かないのでしょう。
利子がどこまでも上がり、中間マージンも取れるだけ取る・・・
やはり、人の手が入らなくてはならないのだと感じます。
但し、船井幸雄さんが最近書いていますように、「何何をしてはいけない、という規制が増えて不自由な世の中になった」ではいけないのだと感じます。
言葉にするのは難しいですね。
おそらく、人の手を入れる、ということは、規制をする、ということではなく、中庸を作ってあげる、ということなのではないでしょうか?
林で言えば、間引く、でしょうが、要するに、多すぎる、少なすぎるというような量的な行きすぎを、ある程度人の手によって調整してあげる必要がある、のが、人の作ったものの世界、ということなのかもしれません。
くれぐれも、規制にならないようにしたいですね。
手を入れるのは、量の部分のように感じます。
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
さて・・・
洞爺湖サミットというのが行なわれるようです。
それだけですが・・・
無事に終了すると良いですね。
昨日、古館さんの番組でエタノール燃料に関係してアメリカのとうもろこし農園についてやっていましたが・・・
どうも、バブっているようです。
農園のオーナーが、高級自動車を購入して乗っているシーンを映していました。
バブルですので、地域は儲かり、カジノまでできているようですが、農園のオーナーは、「農業は天気を相手にしたギャンブルなんだから・・・」というような発言をしていました。
また、PCを使って、より高く買い取ってくれる相手を探すのですが、「より高く買ってくれるところに売るのは当たり前だろう?」とも言っていました。
で・・・発言はその人の自由なので別にどうでも良いのですが、農業は天気を相手にしたギャンブルという発言とカジノでのギャンブルが同じものかどうかで違和感があるのですが・・・
そもそもギャンブルの定義ですが・・・
結果と確立が定かでないものに対して、勘のみで掛けてみる・・・ということでしょうか?
それとも、結果と確立は定かではないが、結果が”ある値”である場合、ものすごい儲け・利益がある時、そのある値に対してヤマをはること、でしょうか?
で・・・どうも後者のように感じます。
農業が天候に左右されるという要素があるのは当然として、しかしながら、その土地にあったものを作るということから始まるのでしょうから、こうの時点で結果と確立的には、定かでない、とは言えなくなりますので、すでにギャンブルではないでしょう。
もちろん、何年かに何度かは、天候が良くないこともあるでしょうが。
逆に、何年かに一度ものすごく天候がよいことがあり、その時にものすごくもうかることを当てにして行うということならギャンブルでしょうが、そういうことはないでしょう・・・なぜかいかと言いますと、農業はいろいろな準備・作業・努力が付きまとうからで・・・その意味では、上記のギャンブルの条件には、準備、作業・努力なしに、も入らなくてはならない、ということでしょう。
但し、プロのギャンブラーですと、それこそ、直観力から、3次元的なさまざまな工夫、調査まで入ってくるのでしょうから、プロはその時点でギャンブルをやってはいない、ということになるのかもしれません。
但し、何も生産はしませんので、いけないのかもしれませんが・・・そうでしょうか?
しかし、株、企業の乗っ取り、食い荒らすだけの営業なども、それなりの努力、調査などがいりますので、その意味では同じと言えますが、但し、宇宙の理的には、これらと比べますと、まだプロのギャンブラーの方がマシということになるのだろうとは思います。
日本で言えば、博徒ですね。
私のおじいちゃんの家に賭場があったと以前書きましたが、戦前の話で・・・どうも法的には合法だったようです。
「緋牡丹お龍」の世界です。
とは言え、要するにハイリスクハイリターンですので、あまり堅気の人のやることではないようです。
となりますと、このハイリスクハイリターンというのが曲者かもしれません。
ローリスクハイリターンは、多くの人が大好きなものですが、ハイリスク故、普通は手を出さないのですね。
なぜなら、失敗しますと、日常の生活が困難になるからです。
その意味では、ハイリスクハイリターンこそ、ギャンブルの本質かもしれません。
パチンコは、あり方としては完全にギャンブルですが、きっと、ハイリスクではないので、「まあ、ようではないですか」ということで、存在しているのかもしれません。
宝くじも理由は同じでしょう。
農業はどうかと言えば・・・ギャンブルかどうかを考えるなら、やはり天候がどれくらい読めるかが重要な要素でしょうか?
もちろん市場、ということもあるでしょうが。
ハイリスクかどうか?ということですが。
但し、ハイリターンでもないようです。
なんでも、その番組によれば、上記の意見を言った農場のオーナーの地域は、インタビューの後、最近ではほとんどないような大洪水になったようです。
番組では、天罰のような表現もしていましたが、果たしてどうでしょうか?
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
で・・・「より高く買ってくれるところに売るのは当たり前だろう?」
も資本主義としては、正しいのですが・・・
今日、伊豆の特集番組をやっていましたが・・・
今まで取材を拒否してきた魚料理屋さんが登場しましたが、大きな金目鯛が出てきました。
漁師さんたちは、東京などへは売らず、知り合いだから・・・ということで、そのお店にだけ売ってくれるそうです。
逆に言えば、そのお店は顔が利く、ということになります。
会社、企業で考えても、少なくとも日本では、ものすごい大金が動くようなことではない限り、今でも普通にこの「顔が利く」ということは通っているとは思います。
ここでの「顔が利く」という意味は、「ここに売ったら、見返りがある」ということではなく、「普段よくしてもらっているから」、「顔見知りだから」、「長い付き合いだから」というような、人間的な意味ですが。
しかし、それも、余裕があって初めてできることかもしれません。
よく言われる、「昔はお醤油を隣の家で借りた」ですが、私の幼少の頃くらいまでは、東京でもこれはありました。
今と比べて経済的に豊かだったかと言えば、特にそういうことも無かったですが・・・むしろ逆でしたが・・・
となると、人間関係は経済関係を超える、ということかもしれません。
もちろん、「目指している状態」(あるいは”今こうあるべき”という状態)が高すぎたりしますと、本当は今も余裕があるのに、それが分からないということも起きますので、そういうことも関係しているかもしれません。
とは言え・・・人間関係は経済関係を超える・・・これは日本だけなのか、他の国でもそうなのか・・・
いずれにしても、何かこれからのあり方の大きなヒントになるような気もします。
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
180度の大激変!―恐慌と大天災続出時代、しかし「心配不要」
(単行本)
船井 幸雄 (著) 徳間書店 (2008/06)
ですが・・・
フーチについて書かれていますが・・・フーチというのは、先端のとがった金属でしたか石でしたかを紐で吊り下げて、その先端が描く軌道によって、いろいろなことを判断するものです。
政木和三さんが船井幸雄さんに教えたものです。
そこで、地球の石と宇宙の石でやった場合、答えが違っていた、ということが書かれています。
競争を地球石では、正しい、と出るのに対して、宇宙の石では正しくない、と出る・・・のようなものです。
で、何がどうかと言いますと・・・地球上では、これまで、競争は正しかったのですね・・・ということですが。
こう考えてよいものなのかどうか、よく分からないですが。
地球の石が地球の意思を語ったのか、それとも、地球上での常識を語ったのか、よく分かりませんが。
また正しいの意味が、善を言っているのか、そうすべき、を言っているのかもよく分かりません。
それでも、とにかく、以前は、たとえば競争などは、地球の石を使ったフーチでは「正しい」という判定がされていたようです。
そして今はどうもそうではないようです。
私は、以前も地球の石だろうが宇宙の石だろうが、たとえば競争なら「正しくない」と出て、それでも、今日sせざるを得ない、ということだったのだろうと思っていましたが、そうではなかったようです。
何にしても、今は、競争は正しくない、と判定される世の中になった・・・なってきている、ということです。
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
さて・・・
ベンジャミンさんのアメリカが地震を科学的に起こしている・・・ですが・・・
何となくある程度できるようにも感じますが・・・但し、もし最近の大きな地震全てがアメリカが起こしているのなら、佐々木洋冶さんhttp://www.menokami.jp/book.htmlの理論も間違えている、ということになるのではないのだろうか・・・とも感じます。
なぜなら、言うまでもないですが、いくら分析しようが、「実は、それが理由ではなく、科学によるものです」となるからです。
果たしてどうなのでしょうか?
もしアメリカにそれができるなら、今回のサミットでも、アメリカとイギリスの首相大統領だけ参加せず、みんなが集まったところで、地震でも起こせば、しめしめかもしれません。
しかし、そうではない・・・
地震兵器に踊らされてはいないでしょうか?
実際は、よく分かりませんが・・・
さて・・・7月7日の船井幸雄コム http://www.funaiyukio.com/funa_ima/ ですが・・・
櫻井よしこさんの文章を引用して、医療費について掲載しています。
確かに、日本の入院期間は長いな・・・と感じます。
みなさんは、どう読まれるでしょうか?
櫻井よしこさんと言えば、時に、こちら側の人(変な言い方ですみません)から批判の対象になりますが・・・
とは言え、何か国際的機関で働いている時に、そちら側からもパッシイングされたような記事も見たように思います。
結局、どちら側かに意識して属している人なのか、そのときその時に、感じたままを行っている人なのか良く分かりませんので、先入観なしで読みますが・・・。
ただ、この方は確かハワイ大学出身だったように思います。
昔テレビで見たような・・・
確か・・・お金が足りなくなりそうなので悲観して、先生に相談すると「大丈夫、アルバイトをすればよいです・・・」のように、心配すると、いつでも「大丈夫」を言ってくれる人で、とても助かった・・・というような内容だったように思いましたが。
是非、読まれてください。
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
で・・・船井幸雄さんですが・・・
どうなのでしょうか?
「運命は決まっているを受け入れて、ハンドルを手放す」と健康に戻るのではないだろうか???
とも感じるのですが・・・
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
森田健さんhttp://www.fushigikenkyujo.com/menu.aspが、指導霊と性格、肉体と性格、について書いていますが・・・
時間がないので、何ですが・・・
政木和三さんが後年、「私は人前に出たがる性格ではなかったのですが、違う第二生命体が入り、人前で話したがる性格になりました」というようなことを書いていますが・・・
但し、何をして性格というのだろうか?とも感じます。
積極的ということだけに関して言えば、政木和三さんは私よりはぜんぜん積極的です。
しかし、確かに、積極的というのと人前に出たがるというのは別もののように感じます。
肉体も性格に関わるように感じますが、また能力というのも、関わるように感じます。
但し、能力が関わるのは、範囲的には狭いですね。
簡単に収めてしまうなら、すべての総合的なところで、性格は決まるとも言えるでしょうが・・・
また時間があるときに、書いてみます。
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
不正競争防止 法でしたでしょうか・・・例の牛肉の偽装問題は、この法律で摘発されたそうですが・・・
高次元的かどうか・・・いっそ、ブランド禁止法というものができたらどうなるだろうか???と考えます。
産地と味だけでお客さんに判断してもらう・・・でしょうか?
あるいは、波動測定の結果だけでも良いのかもしれませんが・・・
そうでなければ・・・新しいブランドを作ればよいのかもしれませんが・・・
よく分かりませんが・・・
時計のサイトを見ていますと、時計のブランドというのがいかにいい加減かが書かれています。
特にクオーツ時計ですが・・・
クオーツのムーブメントというのは、せいぜい500円程度で仕入れられるようなのですが・・・
一部の何十万円するブランド時計は、これが使われています。
そして、外側も、別に金であるとかそういうことでもなく・・・デザインがものすごいということでもなく・・・
ただただ、ブランド名だけでその値段になっています。
もちろん、それに、何十万円出しても、出したい人は自由なのですが・・・
もちろん、いわゆる本当に職人の能力と時間、お金がかかった手作りの自動巻きムーブメントがよいのかと言えば、これも、本当に費用はかかっていますが、クオーツの方が時差は少ないです。
希少価値となれば、機械式ムーブメントの方が希少ですが・・・
技術的にクオーツがすごくないかと言えば、そのようなことはなく、クオーツ発信で精密な時間を刻む、というのはすごいことです。
で、何が言いたいかと言いますと・・・
中庸が良いですね。
ということでしょうか?
で、私はセイコーの70年代に作られた日本製の自動巻きの時計を使用しています。
8,000円くらいで買えます。
中庸かな・・・とも感じます。
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
ベンジャミンさんhttp://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/によりますと、ブッシュさん一派とイギリス王室が対立しているということですが・・・
良く分かりませんが、とりあえず仲良くして、もう世界征服だなんてことはあきらめて楽しい世の中作りに協力してくれるのが良いですね。
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
何となく・・・ですが、次の大きな変化は8月終わりくらいなのだろうかな・・・とも感じますが、果たしてどうでしょうか?
さて・・・
幸塾からのメールに
http://gigazine.net:80/index.php?/news/comments/20080612_wes/ というURLが書かれていましたが・・・
(引用)「水から電流を取り出すことを可能にした新しい発電システム「ウォーターエネルギーシステム」を見に行ってきました」ということです。
すごいですね。
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
いろいろ感じますが・・・
人間は、人のために立ちたいと思っている・・・というのは、本当だと感じます。
その素直な気持の邪魔をしているのが、どうも資本主義ですね。
要するに、お金と引き換えでなければ、親切、良いことなどをしてはいけない、すべきではない、というような無言の規制と言いますか、概念を与えているように感じます。
同時に、無償で親切などをしてくれる存在に気付かせない、あり得るわけがない、と思わせてしまうようなものも与えているように感じます。
試しに、道などを人に聞いてみるとよいのですが・・・大抵、喜んで教えてくれます。
あるいは、聞かれた場合でもそうですが・・・「ああ、自分って、人に親切にしたかったんだな」というような気付かなかった気持に気付くこともあります。
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?
もくじ