理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー
CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。 |
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さて・・・・・・ |
「精神性の成長の尺度は、無執着や放棄の心が成長することではないんです。
心に無関心が育つわけではないからです。
それでは愛から離れていますよね。
精神性の成長の尺度となるのは、平和や安らぎ、力や知恵、創造性や幸福がどれくらい、自分の内面に増したか〜ということです。
創造性や推進性、知恵や愛、健康や幸福、これらがどれくらい増して、自分の周囲にもどれほど拡大したのか〜
そのようなことが精神性の成長の本当の尺度なんです。
幸福な人の幸福が、本当にその人の精神性の成長からもたらされているならば、
必ずその人の周囲には幸福が増し拡大していきます。
素晴らしい恩恵!
これをヤマトでは徳行と呼びます。」
(以上)
ということです。
「精神性の成長の尺度は、無執着や放棄の心が成長することではないんです。」
ですが、一般的な精神世界で言われていることを、安易に解釈してしまうと、本当に無執着、放棄にとらわれてしまい、私などは無関心・無感動・無反応の方向に向かってしまうことすらあります。
岡田多母さんの書かれていることを読みたくなってしまう大きな理由のひとつは、このように、そういった一般的精神世界で言われていることから、陥りやすい落とし穴のようなことに対して、上記のように「そうではなく、こうです」と教えてくれるところにあるように感じます。
みなさんは、どう思うでしょうか?
353ページに「うそ」について、書かれています。
こちらの神様がおっしゃるには、どうも、「嘘は仕方がない時は付いて良い」ということのようです。
良かったです。
神様が”精神世界的右翼”のような内容・・・「嘘はただの一回でも付いてはいけません」などとおっしゃられたら、どうしようかと思っていました。
しかし、そうではないようです。
本当に良かったです。
嬉しいです。
有難うございます。
※一応書いておきますが、私の知っている限り、船井幸雄さんの周りに精神世界右翼はいません。
口語訳しながら、その章を引用してみます。
「(嘘をつくことは、どんなときにも許されないことでしょうか?)
そうではありません。人には常に、隠したいこと、言いたくないことがあります。
人に知らせることだけが、正しい選択、策ではありません。
そうであるから、人は、ときに黙ったり、ときに事実と異なった多少の湾曲・脚色もあります。
しかし、常にし続けますと、信用を失い、自分を窮地に追い込み、苦しい状況に立つこともあるでしょうが、それも自分です。
そうであれば心して、嘘をつくようにすべきです。必要であれば、仕方がありません。
真実・事実を直視する人は少ないです。
多くは自分の都合の良いように、自分の利益になることのみ見聞きます。
ひとつの事実をそれぞれに、自分の解釈、注釈を入れ、人に語るのは、その一部です。そうであるなら、嘘とは、全てが嘘ですね。
人には事実は表せないものです。再現されるのは、虚像偶像です。
一つの事象に光を当てれば、影もありますし、死角もできます。
人の解釈も入ります。
あるいは誤解に基づくものもあります。
そうであれば人の話を聞くときは、全てを信じるのはあやまちを犯します。
人の噂や井戸端会議、毒にもならない陰口悪口、そういうものには耳を貸してはいけません。
惑わされてはいけません。そこには真理はどれほどあるというのでしょうか?
多くの口を出るときに、人の汚れをまとうのです。
人は多くを語ってはいけません。語るなら、言霊を正しく表し、清い言葉のみ語るべきです。
人の許される語りとは、人をいたわる慰めと、心を和ます言葉のみです。
その他は、心の汚れを映す、虚飾に満ちた虚言、妄言です。
神の祝福を受けたいのならば、神への感謝の気持ちを祈りに表しましょう。いかなるときにも神を敬い、神への帰依を忘れてはいけません。
そのように心の正しい者ならば、ことばも清く、音(ね)も涼しいことでしょう。
嘘偽(うそいつわ)りを咎めてはいけません。人が語ることに真実はないのですから。
神に戒(いまし)め、諌(いさ)められるのは人の偽善のことばです。自分の嘘に気付きもしないで、自分の正義を妄信する。
そういう独善、慢心こそが、ときには罪であり、害を及ぼします。
人の多くの忠言は、なかなか神のこことには適いません。真摯に人のためを思うなら、徒(あだ)に(※いたずらに、の意)優しいことばに頼らないで、ときには厳しいことばも必要です。それでも、そこにも我が入るのなら、それは偽善です。自己満足だけです。
神の手伝いを望むのなら、自分の考え、判断を交えず、ただ神に委ねなさい。
神との縁を結ぶだけで、余計ないたわり、慰めを入れてはいけません。それで十分神を助けることになります。神のお役に立ちます。
人の嘘とは他愛なきものです。自分をかばうためならば、他を傷つける意図がなければ、神も許して、見逃します。
しかし、嘘でもって、人を苦しめ、人の不幸を増すものであるのなら、神は許さず、禊(みそ)ぎを課します。
嘘とはいずれ暴かれるもの。必ず露見し、粛清されます。
ですので神は何もしないで、自然の摂理に任せて待つだけです。
人の儚(はかな)き虚偽虚構、神の前には陽炎のようなものです。
鏡の像を見紛うことなく、真の姿を見極めましょう。
自分の弱さを責めてはいけません。人とはすべて脆(もろ)いものです。
弱さも脆さも、あるがままです。人の全てを許してくださる、神の慈愛に感謝しましょう。
弱さを責めることに意味はありません。弱さを補う強さがあるなら、何の不足も不便もありません。
欠けているものを嘆くより、今あるものを慈しみましょう。
自ら非難し、指弾するより、あやまちを認め、償う努力を。
人への誠の悔いと侘びです。自分の弱さを見つめる強さです。
それこそが次の一歩となります。
自足し努力を怠ることこそ、人は恐れて戒めましょう。
それでは、本日は、嘘をつく人の弱さについて教えました。
向上進歩に努めましょう。それでは。」
(以上)
いかがでしょうか?
「人の嘘とは他愛なきものです。自分をかばうためならば、他を傷つける意図がなければ、神も許して、見逃します。
しかし、嘘でもって、人を苦しめ、人の不幸を増すものであるのなら、神は許さず、禊(みそ)ぎを課します。
」ですが・・・
他のページで、「自分だけのことを考えて、利益を独り占めにしたり」、「人を踏み台にしたり・・・」というようなことがいけないこと、と書かれていたと思います。
要するに、資本主義は間違っている、ということだと思います。
みなさんはどう思うでしょうか?
さて・・・・・・
岡田多母さんの「ラブコールをあなたへ」ですが・・・
(引用)
「タモのリサーチ(6/12−2)
献身は自己成就です。
自己犠牲はいっさいありません。
献身は、自らの『志を成す』道を、自らが歩く、
と決めたところから始まる、志への精進です。
より崇高な自己へ進む、自らのために献身があるのであって、
他者のためにはありせん。
他者のために献身をすると、犠牲という偽善がついてきますよ。
神への献身ですら、神のためのみであるならば偽善です!
神への愛は犠牲も偽善もありえません!愛ゆえに献身です…
愛深く、一つ一つを選択し、成してくださいね
献身にはリタイアーは無いです」
(以上)
「岡田多母さんの書かれていることを読みたくなってしまう大きな理由のひとつは、このように、そういった一般的精神世界で言われていることから、陥りやすい落とし穴のようなことに対して、上記のように「そうではなく、こうです」と教えてくれるところにあるように感じます。」と、昨日書いたばかりですが・・・
「神への献身ですら、神のためのみであるならば偽善です!」ですが、とても大きな意味のある言葉だと感じます。
これを間違ってしまいますと・・・どうなのでしょうか、間違えを教えている人もいるかもしれませんね。
あえて”人”という表現を致しますが。
ちなみに、神誥記
新装版 (単行本) ひふみ ともこ (著) 今日の話題社 (2007/02)
旧版は2004年、で、解答してくださっている”神”が、「神への慈愛に感謝しましょう」のような言い方を何度もしていますが、これは、きっと大神様・・・素・源、のことを言っているのだろおうと思います。
今日はここまでです。
さて・・・・・・
今日は、とても佳き日でした。
で・・・夜8時頃、帰宅しましたが、南の空と言いますか・・・UFOが来ていませんでしたでしょうか(驚)?
部屋の前に差し掛かる寸前でしたが、なぜか、そちらを見ると、飛行機ともビルの赤くピカピカ光るのとも違う赤2つと白2つの点滅する光を放つ小さなものが遠くに見えました。
高さは、差ほど高くはありません。
それで、「ん?」と思いつつも、「もしかしたら」と思い、よく見える方向に移動していきました。
どうも・・・よく3次元にあるものではないな・・・と感じました。
試しに、心の中で、「こんにちわ。UFOさんですか?」と問うってみましたら、何となく強く光ります。
「こっちにいらしてください」のようなことを言ってみたりもしました。
そのうち、その光の上の方に、少し大きめの光も登場しました。
そして、もうひとつ、最初の光と同じようなものも登場しました。
初めの光は、一度消えたようでしたが・・。
光は、あまり動かず、同じ所にとどまっているような感じなのですが、それでも動いていました。
5分くらい見ていましたが、なんとなく戻ろう、という気が起き、戻ってきました。
さて、なんだったでしょうか?
「家へ遊びに来てください」と言いましたので、今夜辺り、遊びに来るかもしれませんね(?)
みなさんは、何か見えたでしょうか?
さて・・・・・・
今日は大門の辺りにいましたが、歩いている途中、田町近辺の神社さんや、芝大神宮に詣でたりしました。
最近「どこか近場に大きな神社さんはないだろうか?」と思っていたのですが・・・
今日は、昼食時になり、どこかへ入ろうと思ったのですが、なぜか、どのお店もピンと来ません。
ですので、どんどん歩いていきましたが、それでも見つかりませんので、とうとう「どこでもいいや」と思って入ってみますと、満員だったりしました。
(その店は、つい10分ほどまでは空いていて、メニューを見ていると、お店の人が出てきて、”どうぞ”と誘ってくれた店でしたが)
それでも、近くをふと見ると、愛宕神社(あたごじんじゃ)さんという神社を発見しました。
小高い丘の上にあり、静かで波動の高い氣を放っている神社さんでした。
「絶対行く」と決めました。
私は東京の人ですが、実はこの神社さんをまったく知りませんでした。
その後も結局食事をする場所は見つからず、昼を食べずに、愛宕神社さんに詣でることにしました。
で・・・実はここで小さな気付きがあったのですが・・・
愛宕神社さんはネットによると、東京と言いますか23区で一番高い愛宕山(標高26M)の上にありますので、おそらく私の人生上で一番長く急な石段を登らなくてはなりませんでした。
訳あって(笑)、この時点で足が棒のようになっていたのですが、それもあり、石段を登るときに、上を見ると、変に不安に陥りました。
もちろん下を見てもそうだと思いますが。
とにかく急で、高いのですね。
で、とっさに政木和三さんの「汝のゴルフは、汝の足元1メートル四方のみ」が思い出されて、「そうだ、一度一番上を見たら、もう次は目の前の一段だけしか見てはいけないんだな」と思い、石段を登っていきました。
そうやって、次の一段だけ見て上ると、あんなに高いと感じていた石段が思いの他、すぐに終わりました。
実は、私がよく行く品川神社さんも高いところにあり、相当高い石段を登ります。
もちろん初めの頃はその石段も”怖く”、「次の一段だけ見る」をやっていたのですが、こちらはもう慣れており・・・そうなりますと、私だけかもしれませんが、先まで・・・終点、頂上まで見てしまうようになります。
要するに、先まで見ても、怖くないのです。
”未知”ではないですので、安心なのです。
で、今回、もっと高い石段を登ったわけですが・・・つまり慣れていない急で高い石段を登ったわけです。
その時、今までの慣れでしょうか、一番終点・頂上を見ながら石段を登ってしまい、そして、そこに未知を感じ、それによって恐怖を感じたました。
しかし・・・またそれによって、「足元1メートル四方」を思い出したわけですね。
どうも、未知の大きなものに対しては、終点は一度だけ見て、後は、足元1メートル四方だけ見ながら進めば、比較的速くそして容易に物事はできてしまうのかもしれません。
ちょっと安直ですが・・・
みなさんは、どう思うでしょうか?
で、愛宕神社さんですが、とても独特な良い氣を放っている神社さんでした。
なんでも、愛宕神社さんのサイトによりますと、NHKの第一声は、ここ愛宕山からはじまった、ということです。
(引用)「日本ではじめての生中継は、岩木利夫氏が馬で愛宕神社の石段を登った状況を中継したものです。」とあります。
(引用)「愛宕山の上にはNHKの放送博物館があります」とも書かれています。
また、私は辰年ですが、愛宕神社さんのサイトには(引用)「巳年・辰年の守り本尊の普賢大菩薩をお祀りしています。」とも書かれています。
ツイテいますね(笑)。
”ツイテイル”と言えば、先だって、銀座から歌舞伎座あたりを歩いていましたら、斉藤一人さんのマヌカンショップを発見しました(笑)。
まったくの偶然だったのですが、「無料のおみくじ」というのがお店の前にありましたので、引いてきました。
「思って」、そして「歩く」と、「出くわす」、のかもしれませんね。
みなさんは、どう思うでしょうか?
(引用)
歌謡の読み方
(以上)
だそうです。
それがどういう状態のものなのか、ということなのですが・・・
それ自体が、電気の代わりをするのか、それとも、それが電気を起こすのか・・・?
みなさんはどう思うでしょうか?
いくつか読んだものを考えると、どうも、それ(フリーエネルギー)によって、モーターなどを無料で動かすことができ、そして電気を発電する・・・ということのようですが。
3次元で考えると、新しいフリーエネルギーそのものが、従来、電気で動いていたものを動かしてしまう、というのは考えにくいですが、しかし、そういうこともあるのかもしれませんね。
そうだと、どうでしょう、ACとかDCだなんてことはきっと関係ないのでしょうね。
何ボルト仕様、とかいうものでも、エネルギーが勝手に最適な状態で動かしてくれる・・・
さて、実際はどうでしょうか?
登場が楽しみです。
さて・・・・・・
岡田多母さんの「ラブコールをあなたへ」ですが・・・
とくに引用はしませんが、高次元的見地(?)からは、1段上昇し、その状態もとても安定してきたようですね。
とにかく太陽フレアの質が変わったのですから・・・
外に出て、お日様の光を浴びるたびに、1段階”良くなった”と思って良いのだと思います(単純過ぎるかもしれませんが)。
それはつまり、寝て起きると良くなっている、ということであり、朝が夕方・夜になると、また良くなっているということですね(笑)。
みなさんの周りには良い変化は感じられたでしょうか?
久しぶりに、ネットのニュースを見てみます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070617-00000018-san-int によれば、
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