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8月1日


さて・・・週間金曜日https://twitter.com/#!/syukan_kinyobiという雑誌があるようなのですが・・・
そこにですね・・・

https://twitter.com/#!/syukan_​kinyobi
(引用)

「NHK保有証券 上位五社 1。東京電力 2.中部電力 3.​関西電力 4.中国電力 5.東北電力…(週刊金曜日)…なんで​聴取料強制徴収や値上げなどして、電力会社の社債だけで340億​円を超えるほど所有しなければならないの?株主・銀行への債権放​棄は避けるべきって報道はこれのせい?」
    

(以上)
ということです。

NHKだけは、CMという公正な報道を妨げるものの影響を受けていないと思っていましたが・・・こういうものが存在していたわけですね・・・
もちろん、上層部には東電OBないし、電力業界関係者はいると思いますが・・・
340億円分、無駄というか・・・まあ放送にかかわる以外に使っているわけですので・・・いろいろ言いたい方も多いでしょう。
私は地デジは持っていませんが・・・

これは、今後、大きな問題になるのではないでしょうか?
有意の方々は、どう思うでしょうか?








 

渡邉 正次郎さん(政治ジャーナリスト・作家)という方のサイトがありまして・・・

渡邉正次郎 NewsToday http://maglog.jp/nabesho というものですが・・・
ここで興味深い記事がありましたので掲載いたします。

日本原子力文化振興財団」が作った原発推進のための“国民洗脳マニュアル”についてです。
最初に少し引用しますと
(引用)

 「同財団は、文部科学省、経済産業省という、国の原子力推進のツートップ官庁から業務委託を受け、「原子力への国民の理解増進に寄与するため、様々な広報活動を展開」(同財団事業報告書)する組織だ。

 役員名簿には、電気事業連合会の幹部の他、東京電力の清水正孝前社長、関西電力の八木誠社長、佃和夫・三菱重工会長、西田厚聡・東芝会長など、電力・メーカー幹部の名前がずらり。東京大学、大阪大学などの名誉教授クラスも、理事に名を連ねている。」
(以上)

 ということです。

  •  

    http://maglog.jp/nabesho/Article1316139.html
    (引用)

    鉄槌を喰らわせろ!税金で『国民洗脳』マニュアルを作っていた呆れてものが言えない「原発推進」行政!!その@

    ジャ−ナリズム

    公開日:2011/07/27 00:00

    鉄槌を喰らわせろ!税金で『国民洗脳』マニュアルを作っていた呆れてものが言えない「原発推進」行政!!その@(週刊現代スクープ記事より)

     

    <停電は困るが、原子力はいやだ。という虫のいいことをいっているのが大衆である>

    <不美人でも長所をほめ続ければ、美人になる。原子力はもともと美人なのだから、その美しさ、よさを嫌味なく引き立てる努力がいる>

    <繰り返し繰り返し広報が必要である。新聞記事も、読者は三日もすれば忘れる。繰り返し書くことによって、刷り込み効果が出る>

    <原子力がなければどんなことになるか、例をあげて説明するのがよい>

     

     文面から溢れる傲慢、不遜、“上から目線”に、開いた口が塞がらない。同時に、311日以降、我々がずっと違和感を持ってきた。「原発擁護論」の不可解さに通じるものがあることに気付く。

     

     実はこれは、「日本原子力文化振興財団」がかつてまとめた、原発推進のための“国民洗脳マニュアル”の一部である。

     同財団は、文部科学省、経済産業省という、国の原子力推進のツートップ官庁から業務委託を受け、「原子力への国民の理解増進に寄与するため、様々な広報活動を展開」(同財団事業報告書)する組織だ。

     
    役員名簿には、電気事業連合会の幹部の他、東京電力の清水正孝前社長、関西電力の八木誠社長、佃和夫・三菱重工会長、西田厚聡・東芝会長など、電力・メーカー幹部の名前がずらり。
    東京大学、大阪大学などの名誉教授クラスも、理事に名を連ねている。

     

    その運営の元手となる事業活動収入は、こうした会員企業・団体からの賛助金のほか、文科省、経産省からの受託事業による
    09年度の決算ベースで、そうした受託事業収入の総額は約32300万円に達し、同財団の年間収入の34・1%を占めている。

     

     つまり、この財団は“原子力村”からの上納金と、『税金』によって運営されているわけだ。
    そのカネを使って何をしていたのか・・・冒頭で紹介した「洗脳マニュエル」のようなものを作成し、原子力の“安全神話”を撒き散らしていたのである。

     

     問題の文書は、91年に旧科学技術庁の委託を受け、同財団がまとめた『原子力PA方策の考え方』。
    PAとはパブリック・アクセプタンスの略で、「社会的受容性」などと訳される。

     簡単に言えば、「原子力への理解を一般大衆に広めよう」という目的で作成された文書、ということだ。

     

     検討委員会に参加していたのは、当時の財団幹部、科学技術庁の原子力推進担当者に加え、読売新聞の論説委員、電気事業連合会の広報委員長、メーカーの宣伝担当。シンクタンク研究員ら。

     議論は20年前のものだが、原子力村の国民を愚ろうした思考法、手口がよく分かる資料だ。

     

     そして、今回の福島第一原発の事故以降も、大手メディアで、あたかも事故などなかったかのような「原発擁護論」が垂れ流されてきたのは何故なのか。それがよく分かるので、ぜひ確認してほしい。

     

     まず、このマニュエルによれば、

    <広報効果の期待できるタイミングを逃さず、時機に応じたタイムリーな広報を行う>

     べきだという。では、どんな時が“タイムリー”なのかと言えば、それはなんと、原発で「事故が発生したとき」なのだそうだ。

    <何事もない時の広報は難しい。事故時を広報の好機ととらえ、利用すべきだ>

    <事故時はみんなの関心が高まっている。大金を投じてもこのような関心を集めるのは不可能だ。事故時は聞いてもらえる。見てももらえる。願ってもないチャンスだ>

     

     笑止なことに彼らは“原発は人気がない”ことをよく知っている。
    原子力は(積極的に近づきたい、知りたいという気持ちになる対象ではない)と認めている。だからこそ、事故が起きて耳目を集めやすい時が、むしろチャンスだという。

    <事故の広報は、当該事故についてだけでなく、その周辺に関する情報も流す。この時とばかり、必要な安全性の情報を流す>

     

     世界史に残る大規模事故と放射能汚染を起こしたというのに、この4か月、「でも原発は必要だ」という声が、不自然なほど強く唱え続けられてきた。実はそれこそ、マニュアルに則った「洗脳」手口だったのだ。

     

     最近は「電力不足」「節電」に関する議論が巷では喧しいが、実はこれも“広報活動”の一環である。

    <夏でも冬でも電力消費量のピーク時は(原子力が)話題になる。必要性広報の絶好機である>

     原発がなければ、再稼働しなければ電力が足りない。耳にタコができるほど聞いたこのフレーズは、まさに≪繰り返し繰り返し≫の刷り込み工作に他ならない。


     

    まずは父親型(洗脳を)

     さらにマニュアルでは、ターゲットごとに効果的な宣伝方法を考えるべし、とする。まず「重要ターゲット」と位置付けるのは、父親=サラリーマン層だ。

    <父親がオピニオンリーダーとなった時、効果は大きい>

    <母親の常識形成にも影響が大きい。父親は社会の働き手の最大集団であり、彼らに原子力の理解者になっていただくことが、まず、何より必要>

     

     生活を支えなければならない家庭の父親は、原子力や放射能が危険だからといって、すぐに仕事を放棄して避難する等の行動は取りにくい。その一方で、無意識のうちに、知識と情報があれば危険は避けられる、騒ぐ必要はない…とも思っている。

     そこに付け込み、マニュアルは、

    <事故時などには簡単な原子炉のしくみなどを分かりやすい資料にして提供>し、次にはその

    <家族向けに作った簡単な資料を父親が家に持って帰る>ように図れと言う。

     

     さらには、

    <原子力による電力が“すでに全電力の三分の一も賄っているなら、もう仕方ない”と大かたは思うだろう>

    として、こう方策が記されている。

    <サラリーマン層には“13は原子力”これを訴えるのが最適>

    <電力会社や関連機関の広告に、必ず“13は原子力”を入れる。
    小さくともどこかに入れる。いやでも頭に残っていく。広告のポイントはそれだ>

     

     どうだろうか?生活のためには仕方がない。原子力がなければ生活水準が下がるかも――国民のそんな不安に付け込んで原発推進に利用しろと、マニュアルは提案しているのだ。(Aに続く)

    (以上)


    続いて

    http://maglog.jp/nabesho/Article1316140.html
    (引用)

    記事

    鉄槌を喰らわせろ!税金で『国民洗脳』マニュアルを作っていた呆れてものが言えない「原発推進」行政!!そのA

    ジャ−ナリズム

    公開日:2011/07/27 00:00

    鉄槌を喰らわせろ!税金で『国民洗脳』マニュアルを作っていた呆れてものが言えない「原発推進」行政!!そのA

     

     一方、男性層に比べていっそう見下されているのが、女性・主婦層である。

    <女性(主婦層)には、訴求点を搾り、信頼ある連呼方式で訴える方式をとる>

    <「原発はいらないが、停電は困る」という虫のいい人たちに、正面から原子力の安全性を説いて聞いてもらうのは難しい。ややオブラートに包んだ話し方なら聞きやすい>

     

    主婦は有名人で落とす(これほどバカにされているということ)

     女性を見下したような書き方になっているのは、マニュアルの検討委員会がほとんど男性だったことも関係しているのか。

    <主婦の場合、自分の周りに原子力発電所がなければ、原子力発電を他人事としか受け取っていない。したがって、情報に対する興味が初めからない。興味がない人に注意を喚起する必要があるのか>

     

     ただし、その一方で、主婦は

    <反対派の主張に共感しやすい>

     とした上で、その大きな理由として、「食品の安全性」に対する関心の高さを上げ、その点に脅威を感じている。

    <チェリノブイリ事故によって、輸入食品の汚染が言われるようになり主婦層の不安が増大した>

    <その関心に真正面から応える記事でなければ受け付けてもらえない>

     まさに現在この想定通りの事態が起きている。しかし汚染の規模は想定をはるかに超えて巨大だった。では、真摯に食品の安全性確保に取り組むのかと言えば、そうならないのが“原子力村”だ。

     

    <環境、自然食品などのエコロジ―に関心の強い女性は、地域の消費者センターのような所を頼りにしている>

    <そういったところのオピニオンリーダーを理解者側に取り込めたら、強い味方になる>

     リーダーを籠絡し、反対派を切り崩す…これは、原発建設の反対運動を潰す工作にも使われている手法。福島でもかつて、反対派のリーダー格だった人物が、突然、賛成派に鞍替えして、後に町長になった例がある。

     コミュニティーをバラバラにする、こうした手法は原子力村のいわば“十八番”と言える。

     

     そして、女性を中心に、「信頼ある学者や文化人」などに弱い大衆をコントロールするため、力を注ぐべきは識者・有名人、そしてマスコミへの広報活動だとしている。

     

    <テレビの何々ショウといった番組で影響力の強い人がしゃべったのを聞いて、賛成になったり反対になったりする主婦もいる>

    <原子力に好意的な文化人を常に抱えていて、何かの時にコメンテーターとしてマスコミに推薦できるようにしておく>

    <コメンテーターにふさわしい人の名をマスコミが自然に覚えるよう、日頃から工夫する必要がある>

     

     ここでのポイントは、マスコミが「自然に覚える」よう仕向けるということ。

    「この人は中立的で良識派のコメンテーターだ」と,日頃からマスコミを慣れさせ、親しませておき、いざとなったら、彼らを解説者として送り込み、原子力擁護の論陣を張るのだ。

     

     これは今回の事故当初、テレビや新聞に登場した「識者」が、いわゆる“御用学者”ばかりだった事実とよく符号する。無邪気な記者たちは、有事に際し記者クラブで名前が通っていて、役所の受けが良い学者たちに一斉のコメントを求めた。だが、実は彼らは昔、“御用学者”ばかりだったというわけだ。

     

    <文科系の人は数字を見るとむやみに有難がる>

     そんな、大手メディアの文系記者をバカにしたような記述もある。事故直後の1ヶ月以上、彼ら行政・原子力村ご用達の学者は、そうしてマスコミと世論を惑わし、事故を過小評価し、メルトダウンなど起きていないと強弁し続けた。 

    結果的に、それが国民が被爆から身を守るチャンスを奪ったことを忘れてはならない。

     

    「青酸カリも原子力も同じ!」

     もちろん、その一方で、直接マスコミに働きかけることも怠らない。

    <マスコミ関係者との個人的なつながりを深める努力が必要ではないか。接触して、いろんな情報をさりげなく注入することが大事だ。マスコミ関係者は原子力の情報に疎い>

    <テレビディレクターなど制作現場の人間とのロビー作り(利益代弁者作り)を考える(テレビ局を特定してもよい)。特定のテレビ局をシンパにするだけえも大きい意味がある>

    <人気キャスターをターゲットにした広報を考える。事件のない時でも、時折会合を持ち、原子力について話し合い、情報提供をする>

     

     原発に対する微妙なコメントや態度を繰り返してきた、何人かのキャスターの顔が浮かぶようだ。ここでもマニュアルは、

    <逆境の時こそマスコミにアプローチするチャンス>

     などとしている。

     論調がブレているキャスターらは、籠絡しやすいということなのかもしれない。

     

     まさに、転んでもタダではおきない。福島を訪れ、「ピンチはチャンス」とのたまわった御用学者がいたが、こうして洗脳マニュアルを一通り眺めると、「何が何でも原発を推薦する」、それこそが彼ら“ムラ”の住民の、揺るがぬ総意であることが明らかになった。

     

     当の日本原子力文化振興財団の現専務理事・横手光洋氏はこう話す。

    「上から目線の物言いになっているのは、確かに我々が見ても不適切な表現かなと思います。ただ、現在もこれに沿って活動していると「いうことはないと思います。『事故の時こそチャンス』なんて、まったく思っていませんよ。

     こういう状況ですからイベントなどは自粛し、いまは放射線に関する説明会や、講師の派遣などを行っています」

     

     とはいえ、現在も安全デマ・ゴリ押しの原発推進論が、ここまで紹介してきたマニュアルの基本コンセプトと、非常に似通っているのは事実。むしろこの20年でプロパガンダの手法がすっかり定着し、ごく自然に“洗脳工作”が行われるようになったと考えた方がよさそうだ。

     

     マニュアルの中には、こんな一文もある。

    <誰が考えても、原子力は危険なものだ>

     にもかかわらず、彼ら原子力村の住民たちは、

    <対策さえ十分なら安全に取り扱える>

    <危険でも安全に注意して扱えば安全になる。青酸カリでも火でも、なんでも同じだ>

     などと言い、遮二無二、原子力を推進してきた。

     手口はよく分かった。国民はもう、二度と騙されることはない。

    *この事実を多くの友人に教え、読んでもらってください。

    (以上)

    ということです。

    まあ・・何といいますか・・・何かものを売るときの作戦としては、それなりに正攻法とは思いますが・・・言葉の汚さを除けば、「女性は」とか「文系は」とか「どういう立場の人は」とか、よく会議で話すものです・・・
    言葉が汚いのは、しょせん、その程度の人間が作っているからでしょう。
    とはいえ、原発でこんな戦略を立てられては困るのです。


    「青酸カリも原子力も同じ!」

    「と言え」、とマニュアルにはあるようですが・・・これは実際なんども見聞きしましたね。テレビなどで。
    ここではこれしか書かれていませんが、ほかでは、要するに「火だって使い方を間違えば危ない。安全に使えば大丈夫」という理論展開をせよ、と書かれています。

    そして、聞くたびに書きましたが・・・火はせいせい火事であり、その場だけのものだが、原発は、一度事故が起きれば、地域、国、世界中に大影響を与え、それぞれ事故の規模により、その場所が使えなくなってしまうようなことにすらつながる・・・そんな危ないものを使ってはいけない・・・
    と書いてきました。

    また・・・賠償金ですね・・・
    一度事故が起きれば、一社潰れるほどの金額が必要になる・・・
    まして、日本のように株式会社のくせして、独占、そして事故が起きたら税金でまかなうだなんていい加減な成り立ちをしている場合には、原発を使うだなんてことは論外です。
    これも何度も書きましたが、完全に民間の普通の株式会社なら、危機管理を考えて、絶対に原発など使いません。
    有意の方々は、どう思うでしょうか?

  • 受託事業収入の総額は約32300万円に達し、同財団の年間収入の34・1%を占めている。

    とりあえず、ここに余剰金が約32300万円ありますね・・・
    国民の方々、お読みでしょうか?
    民主党の方々読んでいますか?

    きっとこんな感じで、いくらでもお金は余っています。

    それを知っているから、のほほんとしているのです。
    「だってウチにこんなに余っているんだから、いざとなりゃ、大丈夫だろう」
    という感じなのでしょうか?



     

    主婦は有名人で落とす(これほどバカにされているということ)

     女性を見下したような書き方になっているのは、マニュアルの検討委員会がほとんど男性だったことも関係しているのか。

    <主婦の場合、自分の周りに原子力発電所がなければ、原子力発電を他人事としか受け取っていない。
    したがって、情報に対する興味が初めからない。興味がない人に注意を喚起する必要があるのか>


    と、まあ・・・女性を馬鹿にしていますね。
    外側の情報だけで判断してしまう・・・これは男性でも女性でもいくらかそういう面もあります・・・小泉選挙などまさにその通りで・・・副島隆彦さんなどがよくぼやきますが・・・

    基本的に、外見に騙されて・・・あるいは外見だけで判断してよいものと・・・または外見が中身を反映しているものと・・・
    そうではなく、外見を判断材料に入れるといけないもの、中身をきちんと判断しなくてはいけないもの、の2種類が世の中にはある、ということをしっかり知らなくてはいけませんね。

    その代わり女性は外見の美しさというもので判断するときには男性以上の能力を発揮しますので・・・基本的には適材適所なのだと思いますが・・・
    それでも、その特性を利用して「主婦は有名人で落とす」と質の悪い種類の高学歴のエリートには思われている、ということは気をつけておいたほうがいいですね。




     <文科系の人は数字を見るとむやみに有難がる>

     そんな、大手メディアの文系記者をバカにしたような記述もある。事故直後の1ヶ月以上、彼ら行政・原子力村ご用達の学者は、そうしてマスコミと世論を惑わし、事故を過小評価し、メルトダウンなど起きていないと強弁し続けた。 

    結果的に、それが国民が被爆から身を守るチャンスを奪ったことを忘れてはならない。

    これは、女性版の「有名人」の男性文系版でして・・・
    私は分かっていましたよ・・・おおよそ彼ら(質の悪い種類の高学歴エリート)がそう思っているだろうな、ということは。
    文系をどう思っていて、高学歴者以外をどう思っているかということは。
    ですので、ことあるごとに、権威や人を騙したい存在の出す数字のトリックについて書き、嘘の数字について反論し、正しいと思われる判断を書いて来ました。

    文系をなめるなよ、ということですね。
    文系にだって数字に強い人はいます。
    今回の震災でその方々の目も醒めたに違いありません。
    絶対に騙されないようにしたいものですね。

    特に、マスコミの文系の方々・・・大抵は一流大学卒の方々だと思いますが・・・
    あなたたち、馬鹿にされていますよ。
    舐められていますよ。
    その程度だと思われていますよ。
    子供扱いされていますよ。
    中学生並みの扱いと言ってもいいのかもしれません。

    でも、まあ・・・自分個人のために怒るのは止めておいた方がいいですね・・・
    怒るなら公のために怒ってください。
    それはOKだそうです・・・日月神示によれば。


     

     ここでのポイントは、マスコミが「自然に覚える」よう仕向けるということ。

    「この人は中立的で良識派のコメンテーターだ」と,日頃からマスコミを慣れさせ、親しませておき、いざとなったら、彼らを解説者として送り込み、原子力擁護の論陣を張るのだ。

     

     

    <マスコミ関係者との個人的なつながりを深める努力が必要ではないか。接触して、いろんな情報をさりげなく注入することが大事だ。マスコミ関係者は原子力の情報に疎い>


     

    これは、シオンの議定書にも同じようなことが書かれていましたね。
    下記に引用しますが・・・ただここにはないですね・・・
    要するに、一度、ある部分のシステムを徹底して作ってしまえば、後は何もこちらからどうこうすることなく、自然に勝手にわれわれの意図通りのことをしてくれるようになる・・・というような内容です。
    上記にあるようなことを抽象化した内容です。
    それを具体的に言えば、何もしなくとも、へんてこな御用学者、偽者評論家を出演者に勝手に自然に選んで出演させて自由に話させて、洗脳に一役買ってくれる、ということです。
    まさにその通りにやっていると思います。
    テレビは洗脳装置と化します。
    カルト宗教にある洗脳装置のようなものが、各家庭にある、ということです。

    ですので、少なくとも現場で働いている方々の数10%かの方々は、自らが洗脳に加担しているとは分かっていないかもしれません。
    しかし、システムに組み込まれていて、このように操つられているわけです。
    そして人々を洗脳しているわけです。


    下記がシオンの暫定議定書です。
    (確か数文字間違えているはずです。見つかりません。すみません)

    http://motions.fc2web.com/love31.html



    「イシヤ」は、そこまで分かっているようです。
    魂の叡智日月神示:完全ガイド&ナビゲーション (単行本)
    中矢 伸一 (著):徳間書店」 の第四章 善悪抱き参らせ進む神の道 イシヤ&ユダヤ&日本の結び これが世界を破壊から救う鍵だ!に書かれている、「シオン賢哲の議定書」を読めば、推測できることです。


    ここには、彼らの根源的な発想がいくつか書かれていますが、要約して紹介します。

    (198〜212ページより、要約)

     「善良な人間より、先天的不良性の人間の方が多いので、学理上の理論より、強制的威嚇を使った方が、政治上で、効果をあげるものだ

    「人民は、下賎、無節操、であり、非理知的、判断力もない。盲人が盲人の案内役を勤めれば必ず、滅亡してくれる。いかに多才であろうとも、政治の知識のない成り上り者が上にたてば、必ず、滅亡の方向に進んでいく」

    「金(きん)を我々が完全に握っている。我々の作った政治経済学は、王者の威力が資本にあることを明示している。
    資本が絶対的権力を握るためには、商工企業を自由に独占することが必要だが、すでに、間接的直接的に、そうなるように着手している。
    かかる自由は、産業家に政治的勢力を与えるが、これは、民衆の圧迫に役立っている」

    「金をひっこめるだけで、世界恐慌を起こすことができ、それにより、我々に多額の資金が入ってくる。そうなると、困った国々などは、我々に金を借りにくるが、それにより、多額の利子を払わなくてはならなくなる。ついには、国家が大資本に依存しなくてはならなくなる」

    「金本位制は、これを採用した国家にとっては、破滅の根源である。我々が金貨をできるだけ金融界から引き上げてしまったので、金本位制は、ますます人々を満足させることができなくなったからである」

    「我々に抵抗しようとする国家があれば、近隣諸国と戦争をさせ、連合してきたら、世界戦争でそれを押さえ込み、欧州が連合したら、日本、中国、アメリカの大砲でそれに応じる」

    「一時的に、全世界の非ユダヤ国家が手を握り、我々を打倒するとがあっても、2千年間、培養してきた、国民的打算、民族的・宗教的憎悪により、各国家は、我々に反抗する協定を結ぶことは、それぞれの振りになるので、結局、我々を間接的に保護してくれることになる」

    「自由・平等・四海同胞という言葉を古代に民間に放った。
    それ以来、何度も反復され、世界の幸福と個人の真の自由とを破壊してきた。
    どんな賢者も、これの難解な抽象的意味を理解することができなかったし、内部に含まれる矛盾を突破することができなかった。
    彼らは自然なるものが平等を知らず、その中に自由がありえないものであり、自然そのものが、理性と正確、才能との不平等を、その自然の法則として造ったものであることを気付けなかった」

    「自由・平等・四海同胞を世界中に宣伝したことにより、この標語は、平和安寧(あんねい)を破壊し、国家の基礎を覆し、我々の勝利を促進した」

    人間の目的がそれぞれ異なるので、人間の平等などは決して存在しない。法律に対しても、人によりその責任が一様ではない。すなわち、その行動により全階級の名誉を毀損する者と、これによって自分の名誉を傷つけるほか何人にも損害を及ぼさない者とでは、その責任も違ってこなければならないということである

    「マスコミ(本には新聞雑誌となっています:この書見は、100年以上前に世に出ましたので、あえてマスコミとします)は民間思想の動向を創造する一大勢力である。
    これは、国民の要求を指示し、世論を伝え、不平不満を発表し、且つこれを創造する
    各国家はこれの活用法を知らないので、我々の手中に落ち、我々はこれにより、背後に隠れつつ、この偉大なる勢力を得た」


    「我々の計画を達成するためには、マスコミ(新聞雑誌)を使って、秘密に醸造しておいた世論をもって、各政府を強制する事が必要である。マスコミは、大小問わず、すべて我々の手中にある」


    「我々の原則をその国に適応するには、その国民の性情を考慮しなくてはならない。その国民が、我々に再教育されていない間は、成功はむつかしい。しかし、どんなに強固な性格も十年そこそこで変えることができることを知るだろう。こうなれば、すでに、屈服してしまっている国民の中に、新しい国民を編入することができるのである」

    「国家体制の中に、自由主義(民主主義)を注入してから政治上の全組織が一大変化した。後は、余命いくばくも無いので、断末魔が来るのを待てばよい」

    「我々は青少年を誘惑し、堕落せしめた。青少年の教育を誤れる原則と説教の上に樹立したためであり、この説教と原則が間違えていることを承知の上で、それらを適用したのだ。」

    「思想を隷属化させることは既に視覚教育により実行されている。その使命は人民を思索力のない柔順な獣とし、絵に描いて見せなくては、物を理解できない愚鈍な動物にするためである」

    「自由がもし、敬虔を基にして、天地の法則に反している平等の概念を取り入れていない同胞主義のもとで行われるのなら、国民にも国家にも、その幸福を阻害することはないだろう。
    このような、宗教と信仰を持っている時は、国民は、地上における神の摂理に従い、従順に精神的慈父である牧師に従う。
    なので、我々は、人民から宗教の根底を覆し、神霊の観念を取り去り、個人主義的打算的利欲と肉体的享楽主義的欲求とを植えつけなくてはならない。

    人民がこれに気付かぬようにするには、彼らの心を商業と工業方面に向けなくてはならない。
    こうすれば、国家社会など眼中になく、自己の利益のみ追い、利害戦に夢中になり、自己の共同の的に気付かなくなる。
    優越を得んがための極度に緊張した闘争と、経済生活に対する衝動は、絶望的で悲惨きわまる冷酷な社会を実現するだろう。というより、もう実現しているのだ。
    このような社会は、高等政策と宗教をまったく忌み嫌うようになり、このような社会を指導するものは、打算的となり、金力によって享受できる物質的快楽のために黄金を完全に偶像化するであろう。」
    (以上)

    でして・・・シオンの議定書についての信憑性は書きのサイトが分かりやすいので引用します。
    中矢伸一さんの本でしたか・・・ほとんど同じ内容が書かれていたかと思います。

    http://yiori.tripod.com/aum_related/aum1.txt
    (引用)

    第10章 『シオン賢老の議定書』

     

    1.『議定書』

     彼らの基本的戦略は、20世紀初頭に明らかになった、『シオン賢老の議定書』に見ることができる。
    この『議定書』には、「彼ら」に対する敵愾心をあおるために、ロシアのニコライ2世が作らせた偽書ではないか、という説がつきまとっていた。
    しかし、その「議定書は偽書である」という説こそが、「彼ら」の情報操作によるものであることが明らかとなった。

     この『議定書』は、1905年に、ロシアのセルゲイ・ニールスが著した『卑賎で強大なもの――反キリストとサタンの地上王国が近づいた』という著書の付録だった。ニールス自身は、スタボロポリ州副知事のアレクシス・ニコライビッチ・ズホーティンから写しをもらったものだと主張している。一方では、ニコライ2世が1897年にスイスのバーゼルで開かれた「第1回国際シオニスト会議」にスパイを送り、そのスパイが出席者を買収して手に入れたという説もある。

     この本の内容は、世の中のあらゆる事件、あらゆる陰謀に、「彼ら」が絡んでいるというものであった。
    それに対して、「彼ら」はこの本が偽書であるという情報を流すとともに、本の買い占めなどの妨害工作を行なっている。
    そのため、この本が書店から消えてしまったことが度々あったようである。
    「彼ら」は、ニールスの第4版が出たときには、貨車積みのニールスの本を貨車ごと焼き払うことまでやっている。
    さらに、ケレンスキーが首相になったときには、モスクワやペテルスブルグの書店にあったニールスの本がすべて没収され、紛失されるという事件も起きている。なお、後にこのケレンスキーがフリーメーソンのメンバーであったことが明らかとなる。

     1921年には、元ロシア公妃カテリーナ・ラッジウィルと名乗る女性が、『アメリカン・ヘブリュー』誌上で「この『議定書』は帝政ロシアの秘密警察長官、ラチコフスキーが創作した真っ赤なウソ」と述べた。

     ところがしばらくして、このラッジウィルという女性が、元公妃でも何でもなく、為替偽造や公文書偽造の前科を持つ人物で、しかもこの証言は「彼ら」の組織の一つである「ブナイ・ブリス」から金をもらって偽証していたことが判明した。

     やはり、『議定書』は、「彼ら」の計画書だったのかとだれもが思い始めた矢先の1921年8月、今度は、『ロンドン・タイムズ』誌にF・グレービスの記事が連載された。その記事によれば、『議定書』は1854年にモーリス・ジョリーが著した「マキャベリーとモンテスキューの地獄対話」を原点とする、盗作にすぎないというものであった。

     しかし、後にモーリス・ジョリー自身がフリーメーソンの上級結社員であり、しかも1860年に結成された「イスラエル世界同盟」の創設者、クレミューの右腕で、1871年のパリ・コミューンにも加わったという「彼ら」の中でも超大物だったのである。

     このように、『議定書』が偽書であるという数々の説は根底から崩れさり、「彼ら」の大陰謀の計画書であることが明らかとなったのである。

    (以上)


    ということです。
    この内容は正しいと思います。

    昔から、シークレットガバメントは同じようなことをやっていますね。

     1921年には、元ロシア公妃カテリーナ・ラッジウィルと名乗る女性が、『アメリカン・ヘブリュー』誌上で「この『議定書』は帝政ロシアの秘密警察長官、ラチコフスキーが創作した真っ赤なウソ」と述べた。

     ところがしばらくして、このラッジウィルという女性が、元公妃でも何でもなく、為替偽造や公文書偽造の前科を持つ人物で、しかもこの証言は「彼ら」の組織の一つである「ブナイ・ブリス」から金をもらって偽証していたことが判明した。

    などは、例の公聴会に出て証言をした処女と非常に似ています・・・病院勤めで敵国の兵隊がひどいことをしたと発言したが、実は関係国の領事かなにかの娘だった、というものですが。


    続いて、内容についても書かれていますので引用します。

    (引用)

     それでは、『議定書』の内容に触れてみたい。「彼ら」の、「自分たちを『真の人間』、それ以外の異教徒を『獣』」とみなす価値観が『議定書』全編にわたって貫かれている。
    そんな「彼ら」は、「彼ら」にとっての異教徒の特徴を「計算高いこと」、「物質的欲求を充たす為貪慾飽なきこと」と分析している。
    それ故、「万事は金力と頭数」で動かせると考えている。つまり、物質主義的思考を持つ人は、絶えず「彼ら」のコントロール下にあるのである。

     ひるがえって、物質主義から解放された思考、精神主義的思考こそが、「彼ら」の支配から抜け出し、あるいは「彼ら」に打ち勝つ道だといえる。

     しかし、現実には、そのような思考を持ち合わせた人物は多くない。物質主義的価値観を有し、カネに執着するがゆえに、「彼ら」が演出する経済恐慌に巻き込まれた国家は、自らの根底にある物質主義を省みることなく、短期的な解決法を求め、国債を乱発することになる。「彼ら」はこう述べている。

    「異教徒に害を与えるために、我々は経済恐慌を引き起こした。そのためには、ただ手の届く限りの、金の全部を引き込めるだけで充分であった。かくて巨額の金額が我々の手中に貯蔵されたが、一方では異教徒国家は資金が全く枯渇したのでやむをえず、我々に国債の引き受けを請わざるを得ないようになり、これがため、異教徒国家は、この国債で多額の利子支払の義務を背
    負い込むこに至った。これは彼らの国家経済のかなりの重荷となって、ついには国家そのものまでが、大資本家に全く依存することになってしまった。
    手工業および中工業が大工業へ移るにしたがい、健全なる国民のすべてだけではならず、ついには国家までもが膏血を吸い尽くされてしまったのである」

     翻って日本の現状はどうか。日本の財政が国債の返済に追われ、破産寸前であることは先に述べたとおりである。

     また、「彼ら」はあらゆる国家をコントロールするために財力を用いるだけでなく、新聞雑誌等のマス・メディアを極めて巧妙に使う。

     それは、単に為政者側の情報をコントロールするのではなく、反体制側のメディアすら演出するのである。同時に、無関心層をひきこむために中道的なメディアも送り出す。これにより、ほとんどの民衆を「彼ら」の情報の流れに組み入れることが可能となる。「彼ら」はこう述べる。

    「第一には、政府系の新聞雑誌を据える。その任務は、我々の利益を随時随所に代表することにある。
    第二には、半官的な新聞雑誌を据える。
    その使命は我々に対して、無関心且つ微温的な人々を我々の味方に引き入れることにある。
    第三に、我々が据えるのは、表面上の反対党新聞であって、それは少なくとも、我々と対照関係にある機関新聞を持っていなくてはならぬ。
    すると、我々の本当の敵は、この策謀の反対を真実と思いこみ、反対を唱える連中を同志と見て、腹蔵なく自分たちの秘密を彼らに提示するからである」

     このように全ての人々を「彼ら」の情報に引き入れた上で、「彼ら」は「国民的隔絶、国境、貨幣本位の相違」を取り除く、つまり統一世界政府を作りあげようというのである。
    この計画がすでに実現しつつあることは世界の現状を注意深くみればよくわかる。
    なぜならば、この『議定書』は今からおよそ百年前に作られたものであり、そうあるべく「彼ら」が世界を動かしてきたからである。
    例えば、貨幣に関しては、ヨーロッパ連合が予定している統一通貨、ECU(エキュー)にみることができる。

     また、国境のない世界のひな型は、国連にみることができる。
    国連は、第二次世界大戦における連合国が出発点であることは先に述べた。
    そのことは、米、英、仏、中国、旧ソ連の流れを受け継ぐロシアのみが拒否権を有する常任理事国という特権的階級に置かれていることからも明らかである。

     そして、国連の実態は、軍需産業のために戦争の火種を世界各地にばらまく「死の商人」に他ならない。
    その傾向は、ダボス会議に出席したガリが事務総長に就任してさらに強まった。
    この変貌は、1992年6月にガリが発表した「平和への課題」という報告書の中にある。
    ガリは、この報告書の中で、これまで停戦を維持することだけ目標としていたPKOの平和維持軍を「平和執行部隊」とし、軍事力で紛争を解決できるよう提案した。その最初の実験の舞台となったのがソマリアであった。

    (以上)

    今日はあまり書きませんが・・・新聞のくだりは興味深いですね。

    「第一には、政府系の新聞雑誌を据える。
    その任務は、我々の利益を随時随所に代表することにある。
    第二には、半官的な新聞雑誌を据える。
    その使命は我々に対して、無関心且つ微温的な人々を我々の味方に引き入れることにある。
    第三に、我々が据えるのは、表面上の反対党新聞であって、それは少なくとも、我々と対照関係にある機関新聞を持っていなくてはならぬ。
    すると、我々の本当の敵は、この策謀の反対を真実と思いこみ、反対を唱える連中を同志と見て、腹蔵なく自分たちの秘密を彼らに提示するからである」


    私が良く書く、2言論ではいけない、に関係していると思います。
    いけないだけではなく(世の中そんなに単純ではない)、彼らが二元論を出してくるには、こうい意図もあったわけですね。

    具体的には、読売新聞がいけない、じゃあ朝日新聞が敵対する内容なのでそれが正しいに違いない・・・しかし両方ともに洗脳のため仕組みがされている新聞である・・・

    自民とがいけない、それじゃ民主党だ、しかし両方ともに息のかかっている人間が入っている・・・

    ということです。

    民主党は政権交代ときには、まだアメリカの息はそれほどかかっていなかったように思います。
    それは、まさか日本で政権交代が起きるとはシークレット・ガバメントも思いもよらなかったのかもしれません。

    しかし、起きてしまった。
    そして、反アメリカ的な政策をやろうとしている・・・
    それは困る、ということで、管さん、岡田さん、千石さん周辺に息をかけて、そして、その一派に政権をとらせて、再び洗脳マシーンを作った、
    これでこそ2大政党制の意味がある・・シークレット・ガバメントにとって意味がある・・・ということなのでしょう。


    しかし・・・2言論で物事片付くほど、世の中は単純ではない、ということをいつも肝に銘じておけば、洗脳されることも、操られることも、ほとんどなくなると思います。

    有意の方々は、どう思うでしょうか?


     

     


    http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/it/2817039/7545480
    (引用)

    資源エネルギー庁、ネットのモニタリングは監視目的との見方を否定

    都内で行われた反原発デモの様子(2011年7月23日撮影)。(c)AFP/ TOSHIFUMI KITAMURA

    【7月30日 AFP】政府は29日、経済産業省資源エネルギー庁が、インターネットニュースやマイクロブログ「ツイッター(Twitter)」上の原子力政策に批判的な投稿を監視しているとの疑惑を否定した。

     資源エネルギー庁は今月初め、「平成23年度原子力安全規制情報広聴・広報事業(不正確情報対応)」で、原子力発電所や放射能に関するネットやツイッター上の書き込みを常時モニターする業者の入札を実施。都内の広告代理店「アサツーディ・ケイ」(
    Asatsu DK)が7000万円で、12年3月までの契約を獲得した。

     契約の内容は、ブログやツイッター上で、風評被害につながりかねない不正確または不適切な情報の調査・分析を行いエネルギー庁に報告し、専門家の意見を得た上で、必要であればQ&A形式で正しい情報を同庁のウェブサイトおよびツイッターアカウントに掲載することとなっている。

     海外メディアの中には、日本政府は東京電力(
    TEPCO)の福島第1原子力発電所に批判的な記事や論評を「消去」する法律を可決したと批判する報道が出ていた。

     これについて、資源エネルギー庁広報はAFPの取材に対し、政府の目的は検閲ではないと一部の報道を否定。復興予算の中から風評被害を防ぐ目的で不適切なネット情報をモニターする予算を計上していることは認めたが、政府の説明をウェブサイトとツイッターで周知することが目的で、誤った情報の削除や書き込んだ人物の特定をプロバイダーに求めることはないと語った。(c)AFP
    (以上)


    でして、こんなお金があるなら被災地へ全部寄付しろ、と申し上げたいです(もう言っている)。
    少なくとも、ここにも7000万円余っていた、ということは民主党と国民に申し上げさせていただきます。

    http://maglog.jp/nabesho/Article1316139.html
    (引用)
    鉄槌を喰らわせろ!税金で『国民洗脳』マニュアルを作っていた呆れてものが言えない「原発推進」行政!!その@
    日本原子力文化振興財団」受託事業収入の総額は約32300万円に達し、同財団の年間収入の34・1%を占めている。

    (以上)

    と合わせて、4億円近くの余剰金が見つかりました。
    良かったですね。


    有意の方々は、どう思うでしょうか?

     

     

     

     

    http://journal.mycom.co.jp/news/2011/07/29/110/index.html
    (引用)

    佐賀県武雄市が市役所のホームページをFacebookに完全移行

    2011/07/29

    アラタナとSIIISは7月29日、佐賀県武雄市役所のホームページを8月1日にFacebookページへ完全に移行し、震災被災者への募金フォームをFacebookに開設すると発表した。

    これに伴い、同市は現行のWebサイトを閉鎖し、Facebookに一元化して情報発信を行っていく。同市では、Facebookへの移行により、「情報発信窓口の一元化、リアルタイムの情報発信、「いいね!」ボタンやコメントの活用によって、コミュニケーションの活性化などが実現される」としている。

    同市がFacebookページにホームページを移行する背景には、これまでに全市職員にTwitterアカウントを付与するなど、ソーシャルネットワークサービスを通じて市職員と市民のコミュニケーションを行う機会が増え、ソーシャルネットワークを通じて市と市民が相互に意見を交換することの重要性を認識したことがあるという。

    同市はすでにFacebookページを開設しており、住民票や印鑑登録といった申請書のダウンロードが可能なページもある。「いいね!」ボタンを押した人は1,745人に上る。

    武雄市のFacebookページ。ウォールには、「暮らしの便利帳」「申請書」といった、通常の市のホームページが提供している情報が掲載されている

    武雄氏の市長を務める樋渡啓祐氏はソーシャルネットワークの普及活動に熱心であり、日本全国の首長を中心とする「日本フェイスブック学会」も立ち上げている。

    「日本フェイスブック学会」のFacebookページ

    (以上)

    でして、https://www.facebook.com/takeocity がそうです。

    非常に柔軟な発想ですね。

    有意の方々はlどう思うでしょうか?

     

     

     

    さて、森田健さんですが・・・
    (引用)

    巣の自分って、常に迷っていませんか?   
     素の自分て何かと考えました。
     いつもこうした方針で行こう・・と確固たるものを持っているのが素でしょうか?
     悟ると素の自分になれるのでしょうか?(笑)
     どうも違うんじゃないかと思いました。
     なぜかというと、常に迷っているのが自分だからです。
     何を食べようかと思ったときも、すぐに何かと比較を始めます。
     着ていく服だってそうです。
     恋愛なんか始めた日には、迷いの連続だと思います(笑)。
    前回のテーマである「自分の情報の表出」だってそうです。何を表出するか、迷うのだと思います。
     前はこっちで失敗したから、今回はこっちでいこうなんて思ったりもします。
     こうして考えると、迷いが無くなったら生きている価値も無くなるような気がしました(爆)。

    (以上)

    これはですね・・・迷うこと=考えること=問い、なのだとしたら、迷わなくなったら、確かに生きている価値がなくなるかもしれませんね。

    それは、考えること=問い、が、神の求めているものである、という前提からですが。
    それはつまり、創造主は、人間が考えること、そのものをデータとしてほしがっている、ということかもそれません。
    そして、それがこの世を作った創造主の目的であるかもしれない、ということです。

    悟ってしまうことは、創造主は求めていない可能性は高いですね。
    創造主は悩む人が好きなのかもしれません。

    とはいえ・・・決断が遅いのはいけないことですが・・・
    きっとこれは2つあるのかもしれません。
    考え抜いて、それで、もし決断が遅いというのなら・・・良いのかもしれません。
    考えるのを止めてしまって決断が遅い場合には、いけないのかもしれませんね。

    有意の方々とスープを少ししか飲まなかった方々と興味のある方々は、どう思うでしょうか?



    忘れないうちに・・・
    先だっての臨死体験の人は、使命感を持ち、生まれ変わりの記憶のある人・・・あの世の記憶、前世の記憶のある人は根性を肯定できる、ですが・・・

    ちょっと思いましたのは、よく・・・アイドルでも女優さんのファンでも・・・あるいは女性と付き合ったことのない高校生でもいいのですが・・・
    よくタモリさんなどが「吉永小百合さんはトイレに行かない」というようなことを言いますね(*^。^*)

    もちろん本当にそう思っているわけではなく、焦がれの対象に対しての思いを冗談めかして言っているのだと思いますが、それでも、何が可笑しいかといえば高校生くらいの時には、憧れの存在に対して、いくらか本気でそう思っているところがだれでもあるからだと思います。

    それでも、親密な関係になれば、そんなことはありえませんので・・・一緒に暮らしていれば、トイレも行く、おならだってする・・・
    この感じもまた、上記の臨死体験の人と、あの世を覚えている人の差に関係しているのではないかと感じます。

    臨死は本当を知らない単なる憧れ故に、壮大なことを思う・・・

    本当を知っているとどうか・・・といえば・・・きっと、吉永小百合さんだって「こう」なのだから、特定の対象に対して大きな幻想を思い描かなくなる=対象に対して極端な上下の差がなくなる=どんな女性でも肯定できる・・・
    というようなことになり、どんな今生でも肯定できるようになるのではないでしょうか?

    有意の方々とスープを少ししか飲まなかった方々と興味のある方々は、どう思うでしょうか?


     

    8月3日

    なんでも、姉歯さん設計のビルは、3.11で倒壊しなかったそうですが・・・




    さて・・・高島康司さんhttp://ytaka2011.blog105.fc2.com/ですが・・・
    (引用)

    8月3日

    7月は4回の更新を宣言しておきながら結果的に2回しか更新できなかった。毎度のことながら、辛抱強く更新を待ってくださっている読者の方々には本当に感謝する。
    コルマンインデックス終了勉強会のお知らせ
    今年の10月28日にコルマンインデックスが終了します。日本時間では29日になります。幸い29日は土曜日なので、コルマンインデックスの終了を記念する大勉強会を開催することにしました。
    ヤスの備忘録では、これまでコルマンインデックスのほか、多くの予言や予測を紹介してきました。コルマンインデックスとともに、それらを一度すべて整理し、何が的中し何が外れたのか明確にして、これからさらになにが起こるのか、最新情報を使いながらみんなで予測したいと思っています。
    料金は3000円になる見込みです。参加人数に見合った場所をこれから予約しますので、参加ご希望の方は事前に筆者までメールをください。
    info@yasunoeigo.com
    ヤス先生の未来社会創造講座 勉強会
    勉強会がすごく盛り上がっています。ご都合がよろしければぜひどうぞ!
    大阪の講演会
    大阪で講演会を行うことになった。前世リーディングの高橋良則さんと一緒である。近隣にお住まいの方はぜひどうぞ。
    『THE NEXT EARTH〜コルマンインデックス最終章と近未来の地球〜』  ■詳細 ⇒
    http://kokucheese.com/event/index/14205/
    【日時】8月7日(日)11:00開演・19:30終了 【会場】新大阪丸ビル新館(新大阪駅徒歩3分) 大阪府大阪市東淀川区東中島1丁目18番27号  【主催】NPOフェニックスジャパン 【問い合わせ】 phoenixjapan1@gmail.com
    むちゃくちゃおもしろかった講談
    筆者は月刊ザ・フナイの連載を書かせてもらっているが、読者の方に講談師の方がおり、会う機会があった。筆者は講談はこれまで聞く機会がなかったが、実におもしろかった!今後はスピリチュアル系の講談をやるそうである。サイトに音声ファイルがあるので聞いて見たらよいだろう。
    田辺鶴瑛
    新刊JPニュースで本書が紹介されました。ものすごく面白い記事です。よろしかったらどうぞ。
    新刊JPニュース
    記事全文を音声ファイルにしました。よろしかったらどうぞ。3日で削除されますので、お早めにどうぞ。音声ファイル
    予言解説書18の有料配信最新版 「予言解説書18」が完成しました。これは、ウェブボット最新報告書、「来るべき未来の形0巻9号」の詳細な要約です。今回は内容が濃く、普段の1.5倍の分量があります。新しい磁極の出現、「ドルの死」の過程などいよいよかと思わせる内容です。入手を希望する方は筆者まで直接メールください。info@yasunoeigo.com

    有料メルマガのご紹介

    前回は、アメリカのデフォルト問題と今後2年くらいのあいだでなにが起こるのか展望した。

    メルマガを発行した先週の金曜の段階では、米政府の債務上限引き上げ法案の可決を巡ってぎりぎりの攻防が続いていた。
    法案が否決されたとしても、米政府は手持ちの資金をかき集めて国債の利払いに対応するので、ただちにデフォルトすることにはならない。

    しかし、必要となる予算の支出を賄うことが難しくなるため、年金や公務員給与の遅配、また一部政府機関の閉鎖が相次ぐ可能性があった。

    いずれにせよ、事態がどのように動くにしても、ドルを基軸通貨としたシステムの崩壊の過程に入ったことは間違いないようだ。
    基本的には、異なった決済通貨が乱立する地域経済圏へと移行する可能性が高い。この移行がどのような過程で進むのか展望した。

    前回はこのような内容を詳しく解説した。

    今回の記事

    8月2日の期限ぎりぎりで上限引き上げ法案は、茶会派の牙城と目されていた下院を本日通過した。今回はまずこれからどのような展開になるのか展望する。

    次に、なぜ日本人が怒れないのか疑問に思っている人も多いだろう。海外メディアでは「怒らない日本人」をテーマにした記事も多い。なぜ怒れないのだろうか?今回はこれを考えて見たい。

    アメリカのデフォルト回避

    8月2日、債務上限引き上げ法案は下院で可決され、上院への採決へと送られた。もっとも強く抵抗していた茶会派の牙城は下院で、上院ははるか以前に妥協が成立していたので、債務上限引き上げ法案が下院を通過したことは、この法律が実質的に成立したことを意味する。明日の上院の採決では問題なく可決されるだろう。

    これでアメリカのデフォルトは回避されることが確実となった。当面は、予算の不足による公務員給与の遅配や連邦政府機関の一時的な閉鎖などの緊急事態の発生、また、米国債の下落に伴う長期金利の急騰とそれによる米経済のさらなる引き締めという最悪の事態の発生は回避された。

    法案の内容

    これで最悪のシナリオは回避された。しかし、これですべての問題が解決し安心できる状況になったかといえばそうではない。
    むしろ問題を先送りした格好になているので、ある程度時間が経ってから危機が再燃する可能性も大きい。

    今回可決された法案の特徴は、債務の上限を引き上げる代わりに、今後10年間で歳出を約2兆4000億ドル(約185兆円)削減するとしたことである。赤字の削減は一気に行われるのではなく、2段階に分けて実施される。1兆ドルの削減はすぐにでも開始されるが、残りの1兆4000億ドルの削減は、民主、共和両党で超党派の委員会を作り、赤字削減のプランを練ることになっている。

    上限の引き上げ幅

    一方、今回の法案の通過で、米連邦政府の債務上限は少なくとも2兆1000億ドル(約160兆円)引き上げられることになる。
    5月16日に使い切った以前の上限は、2010年2月に1兆9000億ドルほど引き上げられたものであった。この上限枠を1年3カ月で使い切った。

    今回の2兆1000億ドルは前回の1兆9000億ドルにかなり近い数字である。このまま行くと、やはり1年ちょっとで使い切る可能性は非常に高い。

    連邦政府の景気刺激策に依存した米経済

    さらに、現在の米経済は自律的な回復力を喪失し、連邦政府の巨額の景気刺激策に依存しながらなんとか持ちこたえているのが現状である。ましてや、
    連邦政府とともに景気刺激を行っていたFRBの量的緩和策の実施はもうない。

    景気の急速な失速を回避しようと思えば、赤字削減でも景気刺激策には手をつけることができないないので、
    新規国債の発行で対応するしかない。

    とするなら、やはり2兆1000億ドルの今回の上限も、前回同様一年とちょっとで使い切ったとしても不思議ではない。一年後には今回と同じ問題が再燃するはずだ。

    引き上げられた額と削減額はほぼ同じ額

    だが、もっとも注目すべきは、今回引き上げられた2兆1000億ドルの上限枠は、今後10年間で削減が合意された2兆4000億ドルとあまり変わらない額だということだ。新規の借金とほぼ同額を10年かけて返すことになる。

    新しい借金を今後10年かけて返すということが、本当に赤字削減案などと言えるものかどうかはかなり怪しい。なぜなら、これでは、これまでに累積した赤字の総額そのものはまったく減らないからである。それは
    、「とりあえず今回の借金は10年かけて返すけれど、これまでの借金は返すあてはない」と言っているようなものだ。

    米国債の格下げ懸念

    このようないわばまやかしの赤字削減を見て、格下げの可能性をちらつかせているのが大手格付け会社である。

    スタンダードアンドプアーズは、「少なくとも3兆ドルの赤字削減が実施されなければ米国債を格下げする」と表明しており、新規の債務ではなく、累積した赤字本体の削減を実施するように強く要請している。

    一方、ムーディーズは、「国債の利払いを実施してい限り、格下げはしない」としているが、スタンダードアンドプアーズが先行的に引き下げる可能性もある。

    いずれにせよ、これからも米国債の格下げによって誘発される危機はある程度続くと考えた方がよいだろう。こうしたことが、上限引き上げ法案の通過後にも円高が続いている背景にもなっているはずだ。

    格下げがコルマン博士も警告する第5の夜の時期に発表される可能性も否定はできないかもしれない。

    いずれにせよ、赤字削減幅を拡大し、米国債の格下げ懸念を払しょくしない限り、株価、債権、ドルのトリプル安は今後も続くものと思われる。

    やはりリンゼー・ウィリアムスのシナリオか?

    このように見てくると、再度の上限の引き上げが必要になる来年こそ、むしろ大きな危機が来る可能性が高いように思われる。
    来年までに、新規の債務ではなく、
    累積赤字の本体に手をつける本格的な赤字削減を実施しない限り、基軸通貨としてのドルの放棄まで進む過程に入ると見て間違いないように思われる。

    だとすると、やはり情勢は、昨年から今年にかけてのリンゼー・ウィリアムスの警告にかなり近いタイミングで動いているように見える。このブログで何度も紹介した元石油メジャーの重役であったリンゼー・ウィリアムスは、昨年から今年の6月にかけて以下のような警告を繰り返し行っている。

    ・石油資本の支配エリートは、2012年末までにドルの価値をほとんど紙くず同様の水準まで暴落させる計画だ。

    ・次の覇権国は中国にすると決定した。そして、ドルが紙くず同然になった時点で、我々はアメリカの主要な資産を独占的に購入する。

    ・支配エリートはアメリカのデフォルトを確実に誘導している。いつデフォルトするのか彼らは私に告げたが、その日時を言うことはできない。

    ・現在、国債の上限引き上げ法案の可決でもめているが、この法案が可決するかどうかにかかわりなく、アメリカは予定どおりデフォルトする。

    ・金と銀の価格だが、8月までは現在の水準に据え置く計画だ。
    だが9月から12月にかけて、金と銀の価格は20%から25%上昇する。

    ・ドルの暴落の後、新しい基軸通貨が導入される。
    支配エリートはこの新基軸通貨をペトロドルと呼んでおり、
    金がその価値の保証となる。

    ・金の価格が1オンス、3000ドルになった時点で彼らはペトロドルを導入するつもりだ。銀の価格は1オンス、75ドルから100ドルになっている。


    再度、上限引き上げが必要となるのは一年と少し先になるはずだ。これは2012年末のドルの無価値化を警告しているリンゼー・ウィリアムスの情報と実によく合致したタイミングだ。

    ところで、情報をリークしている軍産エネルギー複合体の支配エリートによると、2012年のドルの無価値化と中国の覇権国へのシナリオは、そのような状況になることがまったく自然に見えるように、いくつかの小さなステップを積み重ねながら、そうした状況へと誘導してゆくという。

    我々はすでにその過程に入った可能性がある。
    (以上)



    ということです。

    ・石油資本の支配エリートは、2012年末までにドルの価値をほとんど紙くず同様の水準まで暴落させる計画だ。

    ですね・・・
    今の時点でも、比較的簡単にこれが可能になりそうだ、ということは多くの方が分かるように思います。

    この話と、中国を覇権国にする、という話は、副島隆彦さんの予想とぴったりあっています。

    但し、船井幸雄さんは、中国は覇権国にはならない、明言しています。

    基本的にシークレット・ガバメントは、中国を覇権国にするつもりである、ということは間違いないのだろうと想像します。
    問題は、それができるのか、できたとして、それが続くのか・・・ということで、船井幸雄さんは、おそらく、続かない、と思っているのだと思います。
    中国の方の、細かいことより大雑把なことのほうが得意な性質が、その理由のように理解しています。

    もちろんアメリカだって、日本人と比べればそういう傾向はあったわけですが・・・権利関係のことなどを見ますと、本当に中国の方は大雑把なことが得意なようですので・・・果たしてどうなるのでしょうか?

    しかし、その前に・・・続く続かないの前に、覇権国家体制まで行けるのかどうかですが・・・
    アメリカの通貨が完全に世界的信用をなくした時点で、おそらくもっともGDPの高い国は、中国となるはずですので、その意味では経済的には覇権国家とも言えますが・・・それだけで覇権国家とは言えませんで、政治的影響、軍事的影響、世界から受け入れられることなども必要だと思いますが・・・
    果たしてどうなるのでしょうか?

    私は・・・船井幸雄さんではないですが、そう簡単に中中後kうがそれをできるとは思えませんが・・・
    そして、国民性も、それに合致してはいないように感じます。

    シークレット・ガバメントの目論見と現実がどうかみ合うかという話なのだと想像します。

    ただ、アメリカ経済が根底から崩れ去った時点の世界がどうなっているか・・・
    当然中国経済もめちゃくちゃになっているだろうと想像します・・・世界経済全部ですね・・・

    その状況で中国を覇権国家のようにするには、やはり戦争を考えているのでしょうか・・・
    もし、戦争が起きなかったら・・・シークレット・ガバメントの計画通りに戦争が起きなかったらということですが・・・
    そのときすべての計画は崩れるように思います。

    それができるか?ですが・・・
    今中国がもめている領土問題などが戦争に種になる、する、つもりなのだと想像しますが・・・
    これを仮に日本が沈めることができたなら・・・戦争は起こらないのかもしれません。

    それは政治の力でしょうか?それとも民間の力でしょうか?

    今の政治状況を見ていますと、ととえも日本の政治家にそれができるとは思えませんが・・・

    但し・・・しいて言えば、小沢さんが来年の今頃、政権を取っていたなら・・・中国とのパイプで何かが起きるのかもしれません。
    もしそうだとするのなら、今小沢さんが総理をやっていないという歴史の流れが、ととえも偶然には見えませんが・・・

    またベンジャミンさんではないですが、中国にいるという地下勢力ですね・・・これがシークレット・ガバメントの思惑をその通りにさせるのかどうか・・・
    私はここら辺にシークレット・ガバメントの読み違いが存在するのではないだろうか?と想像しますが・・・

    有意の方々は、どう思うでしょうか?



    (引用)

    なぜ日本人は怒らないのか?

    次のテーマに行く。国内でも、また海外のメディアなどでも「これほど政府や東電にウソをつかれ裏切られているのに、なぜ日本人は怒らないのか?」との疑問が沸き起こっている。

    3月11日の東日本大震災が起こった当初、海外のメディアは一斉に日本人の秩序だった行動と規律正しさを称賛する記事を掲載した。しかしそのような海外メディアもいまは、「どんなに痛めつけられても怒らない日本人」を特集するものがとても多い。

    実際に被災した福島や宮城の人々は別にしても、なぜその他大多数の日本人は怒らないのだろうか?
    諸外国であれば、政権の打倒や東電の解体を叫ぶ激しいデモが巷で起こり、実際に政権を打倒したり、東電を解体しているはずである。

    例えば、アメリカのティーパーティー運動がよい例であろう。基本的にティーパーティー運動は、金融危機とその後に続いた長期不況に対する一部の国民の怒りの爆発を発端としていた。最終的にはリバタリアンとキリスト教原理主義者が運動を主導することにはなったが、今回の上限引き上げ阻止で連邦政府を破産ぎりぎりまで追い込むほど、怒りの爆発は国政を左右する巨大な力となった。これは今後も続くことは間違いない。

    これはヨーロッパなども同じ状況だ。ドイツは最近全面的な脱原発を決定したが、ドイツ政府にこの決定をさせた理由の一つは、国民の原発に対する怒りの抗議運動であった。

    独裁政権を国民の怒りの運動で打倒した歴史を持つ台湾や韓国などの国と比べても怒りを忘れた現代の日本は特殊だろう。

    諸外国の国民はすぐに怒り、その力で政治を変えることができるのに、なぜ日本人はまったくと言ってよいほど怒らないのだろうか?なぜなのだろか?

    かつてはよく怒った日本人

    だが、最初から日本人がおとなしかったわけではないのだ。歴史的に見ると、日本人は比較的最近まで頻繁に怒り、社会運動の実践的な担い手になっていた。

    1940年代から50年代の激しい労働運動、岸政権を転覆させた60年の安保闘争、70年代の反公害運動と成田空港建設反対運動など枚挙にいとまがないほどである。

    特に70年代の反公害運動は非常に激しく、政府に新たな厳しい公害規制を導入させることに成功した。いまでは「公害」という言葉を聞くことさえほとんどなくなるほど、当時の環境は改善した。それも日本人の広範な怒りの運動があったればこそである。

    また90年代始めにもエイズ反対運動も大きな盛り上がりで、エイズ被害者の救済とエイズ予防の法案が可決され、エイズ問題は解決に向けて大きく前進した。

    それがどうだろか?90年代始めのエイズ反対運動は例外にしても、1970年代以降、日本人は怒りを完全に忘れてしまったかのようだ。

    「ただちに健康被害はないので安全だ」を繰り返し、事実をとことん隠蔽する政府。土壌汚染の実態を細かく把握しながらも公表を拒む文部科学省。経産省、原子力保安院、御用学者が一体となった原子力村の既得権益集団による事実の隠蔽。年間100ミリシーベルトまで安全だと平気で宣言する御用学者。規制値をはるかに上回る可能性のある食品を平気で給食に混ぜる地方自治体など、これまでの日本の常識ではもはや考えることのできない出来事が相次いでいる。その規模は、戦後のどの時期も凌駕している。

    いまほど怒らなくてはならないときはないはずだ。それなのに、なぜ我々は怒れないのだろうか?

    怒らないが愚痴と文句は言う

    確かに現代の日本人は怒りを忘れたかのようだ。だが、多くの愚痴と文句だけはあらゆるところから聞こえて来る。「政治家は国民のことなど考えていない」、「国民の生活を考えない総理を去るしかない」、「官僚こそが諸悪の根源だ」など聞き慣れた政治批判の大合唱である。もちろん、そうした愚痴と批判には危機感は感じられない。そして現実を変えるための行動が伴うこともほとんどない。

    多くの場合、怒りは現実を変えるための本格的な抗議運動を呼び起こす。ドイツの反原発運動、筆者は方向は正しいとは思わないがアメリカのティーパーティー運動、韓国の多くの市民運動などはそうしたものの典型であろう。

    一方、愚痴と文句には、現実を変えるための抗議行動に結び付く積極的な契機は乏しい。
    むしろ反対に、現実の矛盾をしょうがなく受け入れ、現実を絶対に変えられないものとして甘受するときに起こってくる諦めの感情こそが、愚痴と文句なのではないかと思う。

    つまり、怒りは現実を変えるための抗議行動を呼び起こすが、愚痴と文句は、「しょうがない」と現実を受け入れ、現実を変えることを断念させるというわけだ。

    周囲から突出することの恐怖

    しかし、それにしてもなぜ我々日本人は、怒るかわりに愚痴と文句を言いながら現実を甘受してしまうのだろうか?そこにこそ、我々現代の日本人に特有なメンタリティーが存在しているように思う。

    結論から言うなら、それは、周囲から突出することの恐怖である。おそらく日本人ほど、周囲の人の感情を気にし、その場の雰囲気を読もうと苦心し、周囲の調和を維持することに多くのエネルギーを使う人々はいないのではないかと思う。
    おそらく「KY」なぞという言葉があるのは日本だけであろう。

    他の国々では、個人の個性に基づいたはるかに多様で自由な自己表現が許されており、そうした自己表現が飛び交う場こそ日々の会話の場面である。

    しかし、このような強い自己表現は、日本では許されない場合が多い。その場の雰囲気を読むことなく自己主張しようものなら、即刻「KY」のレッテルを張られ、集団から排除されてしまう。
    排除された場合、能力に関係なく下手をすると食えなくなってしまうのだ。

    なぜこれほど集団から突出することを恐れるのか?

    もちろん、こうした環境では自分で考え、自分で判断し、自分で行動する強い個人は生まれ出ることはない。だが、それにしても、周囲から突出する恐怖はなぜこれほど強いものなのだろうか?頭では怒らなくてはならないことははっきり分かっていても、自分だけが突出することを考えると、その恐怖は計り知れないものになってしまう。なぜこれほど強いのだろうか?

    それは、どんな場面でも周囲の人の期待を裏切らないように行動し、また発言するということを我々が徹底して教え込まれ訓練されてきたからだ。中学までの義務教育の大きな目標は、これであったと言っても過言ではないかもしれない。

    これは、それぞれの場面で作用している厳格なルールをしっかり覚え込み、それを徹底的に身体に刻み付けることを必要とする。

    われわれの日常は、「交渉の場面」「友人との飲み会の場面」「結婚式の場面」など、さまざまな場面でできているとされる。それぞれの場面には、人の振る舞いや行動を決定するルールがあった。どの場面にも以下の要素がかならず存在した。

    @立場
    その場面における人の立場

    A言葉遣い
    立場にあった言葉のふさわしい使い方

    B振る舞いの原則
    立場にあったふさわしい振る舞い

    C服装の原則
    立場にあったふさわしい服装

    これらの原則に則って振る舞うと、おのずから「中学生らしさ」「営業マンらしさ」「サラリ−マンらしさ」などの「らしさ」がかもし出されてくる。「らしさ」を醸し出すことは、その人が社会的に信頼できる存在であることの証だ。なぜなら、「らしい」存在は社会のルールをよく知っているので、予想外の行動や突飛な行動はとらないことを意味するからだ

    こうしたルールを徹底して身につけると、どこに行っても一人前として尊重され、受け入れられる。特に、企業ではそうであった。

    特に、企業ような組織では、社会的なルールをとことん身体化させ、どんな場面においても相手の期待感を絶対にはずさない行動を取れることは、その人間のパーフォーマンスを評価する重要な項目でもあった。「らしい」人ほど信頼性は高まったのだ。

    三つの「らしさ」

    このような過程から、三つの「らしさ」と呼び得るようなものが出てきた。以下にそれを見て見よう。

    第一の「らしさ」

    社会的な信頼性を高めるためには、限りなく「らしく」なることがとても重要になる。社会の場面ルールは、「サラリーマンらしさ」「営業マンらしさ」「中学生らしさ」などの大まかな分類をさらに超えて、「住友マンらしさ」「トヨタマンらしさ」など個別の企業の場面ルールにまでさらに際限なく細分化されていった。
    組織や企業のメンバーは、組織の一員である限り、振る舞いや話し方、そして服装にいたるまで、その組織の正規のメンバーである印を身体に刻印していなければならなかった。だいたいどの組織や企業もこのようなカルチャーのようなものをしっかりもっていた。ここではこれを第一の「らしさ」と呼ぶことにする。

    この第一の「らしさ」は、個人がもともと持っている個性を抑制することで出てくるものだ。営業マンはあくまで営業マンとして振る舞い、客に接することを徹底して訓練されることで社会的に信頼される「らしさ」が出てくる。

    一方、どの個人も、それなりの人生経験で培われた個性がかならずある。ということは、この「らしさ」は、個人がその人生経験でできあがった個性を「くせ」として抑制し、型にはまった「らしい」人格へと組み入れられることで出来上がるものといってもよい。
    言い換えるとこれは、組織の場面ルールに個人が完全に埋め込まれることで生まれてくるのがこの「らしさ」であるということだ。

    ということは、この「らしくある」ことは、個人にとっては決して快適な行為ではなかったはずだ。
    ではなぜ多くの人は、このような第一の「らしさ」を積極的に受け入れ、過剰なまでに一体化したのだろうか。
    それは、規範に一体化し、与えられた「らしさ」を身につければつけるほど、所属する組織の信頼できるメンバーとして受け入れられ、安定と安全を手に入れられたからだ。
    一言で言えば、どんな人もひたすら我慢して耐え、とにかく「らしく」しているなら最後には報われたというのが比較的に最近までの日本だった。

    第二の「らしさ」

    一方、個性を抑制する第一の「らしさ」でも許された個人の「らしさ」が存在していた。
    これは、一度社会の規範に組み入れられた個人が、与えられた役割を演じ、それを幾度と無く繰り返す過程でかもし出されてくるズレとしての「らしさ」だ。45度の角度のお辞儀や「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」の掛け声はどんな接客業でも徹底して訓練するが、それぞれの個人がそれを繰り返すことで、最初はみんなほとんど同じだった振る舞いにも、個人の間のちょっとした違いが出てくるようになる。それが個人の「らしさ」になってくる。これは第二の「らしさ」と呼ぶことができるだろう。

    これは、平均的な振る舞いや行動からのズレとして生じてくるものだ
    。個人のちょっとした歩き方や話し方の相違、それにしぐさや癖に人はその人らしさが現われ、その人独特の「らしさ」が出てくる。「山本君らしい」とか「三浦さんらしい」、または「矢部君らしくない」というのは、個人のそうした本来の「らしさ」からのちょっとしたズレを個人の手触りとしてわれわれが感じているからにほかならない。これは、先に説明した第一の「らしさ」とは根本的に異なる「らしさ」のあり方だ。
    でも、それが第一の「らしさ」から出てくるズレであるということでは、「らしさ」のルールの脅威とはならない。これは組織では問題なく許容される。

    第三の「らしさ」

    このように、第二の「らしさ」でも個人がもっている本来の個性とユニークさは抑制される。

    一方、ユニークな自立した個人として自分の人生を生きる個性的な「らしさ」は確実に存在する。

    本来自分の人生の意味は、自分で見出すべきものだ。自分の所属する組織や仕事はとても重要であることは間違いない。

    でも自分の人生の目標や生きがいは自分で決めるしかないものだ。こうしたことには、組織や他人によって与えられるあらかじめ準備された答えなどは存在しない。

    人生の「意味」は個人の手に完全にゆだねられており、その「意味」は各人でまちまちだ。とにかく金をもうけることに最大の「意味」を感じる人もいれば、人助けに人生の「意味」を感じる人もいる。一方、仕事が生きがいの人もいれば、仕事はそこそこにして家族が生きがいの人もいるだろう。

    このように、ひとりひとりが人生に見出す「意味」はそれぞれ違っている。
    こうした人生の「意味」がそれぞれ一人一人の人間としての「らしさ」の原点にあるものだ。だとするなら、この「らしさ」は「個の積極的なユニークさ」と呼べるものだろう。

    おそらく、人生に大きな意義を見出し、個人としてその人にしかできないユニークな人生を歩むことは誰しも持っている普遍的な欲望だ。それはみんな持ち合わせているもっとも基本的な欲望なのかもしれない。これを第三の「らしさ」と呼ぶことにする。

    当然だが、自分の人生の目標や意味が異なっていると、それを実現しようとする行動には大きな違いが出てくるはずだ。
    金儲けが第一の目標とする人と、人助けに人生の意味を見出している人とでは、おのずから行動に本質的な違いが生じてくるはずなのだ。前者の人はとにかく儲けになるビジネスチャンスを探すだろうし、後者の人は様々なNPOなどに積極的に関わってゆくことだろう。こうしてそれぞれの個人が自分流の行動をとるようになるのだ。

    だが、「らしさ」を強調する現代の日本にあっては、個人が自分の流儀にしたがって行動すると、それは「わがまま」とみなされ、規範からの逸脱行為として排斥されたり、「半人前」としてまともな扱いを受けないかのいずれだった。いずれにせよ受け入れられなかったのだ。

    そうはいっても、「個のユニークさ」を希求す欲望は普遍的なものだ。どんなに抑制されても、この欲望はそう簡単には消滅しないはずだ。ユニークな生き方をしたいという欲望は、個人の心の地下水脈のように、決して実現されない見果てぬ夢のようなものとなっていた。人々は、生活の安定のために自由を犠牲にしていたと言えるだろう。

    強い個人の不在

    政府や組織を変革するのは、組織の外側に存在する自立した個人がいなければならないだろう。そうしや個人は、自分で考え、自分で判断し、自分で行動する個人、つまりは怒って抗議行動を起こすことのできる個人である。

    いまの現代日本人の状況ではこれは望むべくもないのではないだろうか。特にバブルの崩壊した後にやってきた長期の不況でリストラが進んだため、職の安定と安全を確保するために、多くの日本人はますます「らしく」なろうと努力した。不況が深化するほどこの努力は激化した。それは、高度経済成長が続いていた60年代や70年代をはるかに大きかったかもしれない。

    ところで、以下は100年近く前の1919年にアナーキストの大杉栄が書いた文章である。

    「僕らの主義(1919年 8月)

    自分のことは自分でする。

    これが僕らの主義だ。僕ら労働者の、日常生活の上から自然にできた、処世哲学だ。

    僕らには、それで食ってゆくという、親の財産はない。またかじるべき親の脛もない。僕らは小学校を終えるか終えないうちから、自分で働いて自分で食ってきた。自分の身のまわりのいっさいの世話も、親や兄姉の忙しい僕らの家庭では、子供の時からすべて自分でやってきた。自分で自分のことをするのはいい気持だ。何事にでもわがままがきく。勝手でいい。威張られることもなし。恩に着ることもなし、よけいなおせっかいを言われることもない。

    少し大きくなって、世間とのいろいろな交渉ができ始めてからも、やはり自分のことはたいがい自分でしなければならなかった。そして、やはり自分でやるのがいつでも一番気持がよかった。自分のことは自分が一番よく知っている。
    自分のことは自分が一番熱心にやる。しくじればしくじるであきらめもつき、また新しい方法の見当もすぐにつく。
    人にやってもらったんでは、不足があっても、ありがとうとお礼を言って満足していなければならない。
    よしまたうまくやってくれたところで、自分でしなかったことが僕らには不足になる。

    世間はますます複雑にかつますますめんどうになった。敵と味方の区別すらもちょっとはわからない。人に頼んでは馬鹿ばかりみる。ことになにか甘そうなことをやってやろうという先生などにたのむと、いつもかならず大馬鹿をみる。

    労働運動でもやはりそうだ。 」


    筆者はここで、労働運動をやるべきだと主張しているわけではまったくない。「やはり自分でやるのがいつでも一番気持がよかった」という自立性こそ、いまの我々に欠けているものだと言いたいだけだ。

    また、「人に頼んでは馬鹿ばかりみる。ことになにか甘そうなことをやってやろうという先生などにたのむと、いつもかならず大馬鹿をみる」という文を読むとはっとしないだろうか?東日本大震災以降、我々は多くの御用学者の先生、官僚、政治家に自らを預け、それこそ大馬鹿を見たのではないだろうか?

    強い個を作る思想こそ日本の伝統に内在

    では、大馬鹿を見ないような自立した個人になるにはどうしたらよいのだろうか?やはり、人権思想のお膝下であるヨーロッパの思想と哲学をものにしなければならないのだろうか?

    いや、おそらくそれは違うだろう。我々が強い自立した個人になるための思想と哲学は、日本の伝統にこそ内在しているのである。

    しかし、その伝統の水脈に確実に到達するためには、ある迂回をしなければならない。

    それらはなんであろうか?長くなるので次回に書くことにする。

    (以上)



    ということで・・・一番肝心なところで終わっていますね。

    この日本人は怒るか怒らないか・・・どちらが元々の日本人なのか・・・におついては、よく分からなくなってきましたが・・・

    森田健さんは、殿様に使える武士の姿から、日本人は個がなく、元々命をお殿様に預ける生方をするもので、歯車的である・・・というような分析をしていますが・・・

    一理あると思います。


    で、確かに今の日本人は異常なまでに、人の目を氣にする存在になっていますが・・・とは言え・・・明治大正の日本人が本当の日本人かといえば・・・明治維新の影響が強いことを考えれば、それまでの宮使いでないタイプが主流になっていたとも想像できますが・・・このあたりはよく分かりませんが・・・

    ただ・・・二次大戦後の日本人というのは・・・少なくとも中央で活躍した日本人が伝統的な日本人かといえば、きっとそうでもないのでしょうし・・・命拾いしたことにより・・・あるいは価値観が180度変わったことにより、ずいぶんと開き直った性格の方が多かったのかもしれません。

    そう考えると、一概に怒るか怒らないかということで・・・どの時点の日本人が日本人らしいのかを決めるというのはむつかしいことかもしれません。

    ただ・・・今の日本に怒る日本人が必要かどうかと言えば・・・必要なのかもしれませんし・・・
    もちろん個人のためではなく公のため、ということでしょうが・・・

    なんというのでしょうか・・・おそらく、まだ怒っても国民はついてこないように感じます。
    といいますのは、大半の人が、まだ日本に安心できるシステムが残っていると思っているからです。

    年金にしても、保険にしても、まだ怒るよりは、がまんしさえすれば、結果としては自動的にある程度幸せに過ごすことができる、という思っていると思います。

    会社で自分を殺すのは、我を出して怒るよりも、おとなしくしていさえすれば給料もでるし、とにかく安定した暮らしだけはできる、という理由だと思います。

    それと似た理論がまだあると思います。

    だてですね・・・普通に考えれば、たまたま生まれてきた今が、長い地球の歴史の中でかつてないような大転換期であるだなんてことを、信じられる人がそんなにたくさんいるわけがありません。

    ですので、今怒っても、国民的な運動にならないと思います。
    日本全部が東北のようなことにでもなったなら、まだ話は別ですが・・・そんなことは望みません。

    それでは分かっている人達は、指をくわえてみているしかないのか?となりますが・・・
    きっと、それも違うのでしょう・・・

    そうなると・・・やはり東北なのか・・・東北という地方だけが、怒りを運動にできるのかもしれません。
    これがまさに・・・
    日月神示で言う所の・・・

    「救いの手は東より差し延べられると知らしてあろが、その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよくわかりて下されよ。今の方向では東北から救いの手が差し延べられるのぢゃ」(『扶桑之巻』第8帖)

    なのかもしれません。

    高島さんの次回が楽しみです。

    有意の方々は、どう思うでしょうか?







     

    さて、森田健さんですが・・・
    (引用)

    もりけん 昔の自分と今の自分は?   
     小・中学生のときのクラスメートが今の僕を見ても、大きな違和感を感じないと思います。
     小・中学校は同じメンバーです。
     中学の時は美術の成績が良かったり、野球のバッティングが出来たりして、今以上に芸術系、体育系でした(爆)。
     しかし科学部の部長でもあり人気もありました。理系の線も崩していません。
     
     でも高校一年の僕は、なぜか、まったく違います。
     以前ここでも話題にしたし、フシトモにも載せたことがあります。
     一年の最後にもらったメッセージです。
     
     

     
     先日、一年のミニ同窓会がありました。
     そこに同席した人が言いました。
     
    「森田君、本を書いたりしているんだって? そんなに頭が良かったっけ? 講演会とかもしたことがあんだって? そんな度胸があったっけ?」
     
     当時は「期待はずれ」と書かれましたが、それがある意味、期待はずれになったわけです(爆)
     彼らにとってみれば、あの時の僕と今の僕は、別人なのです。
     
     その後富士通に就職しました。
     辞表を出したら、女子社員に言われました。
     
    「森田さんもこれで終わりね」
     
     彼らにとってみれば、僕は組織の中でしか自分を発揮できない人間だったのです。
     
     きょうはこれまで
     
     みなさんは?
     
    (ところでレスをするときは、私の投稿文の右下にある「レスをする」から入ってください。また是非ともメールアドレスを入れて欲しいです。入れたメルアドは他の人には表示されません。私しか見ることは出来ません。安心してください(爆)。)

    (以上)

    ということです。

    森田健さんの運命はデジタルに変わるからすれば、これは不思議ではなく、「そういうものだろう」となりますが・・・
    色々な面で参考になります。

    ただ、面白いのは、あまり変わらない人もいますよね・・・
    変わる人もいまし・・・

    私は結構変わるみたいです・・・
    ですので、どれが本当の自分かよく分かりません。

    単にうまく行っているとか、だけでなく、色々と変わります・・・
    容姿なども・・

    思い起こせば(笑)・・・
    色々書きましたが・・・消しました。
    ・・・全部違いますね・・・どれが本当の私なのか分かりません。
    みなさんは、どうでしょうか?

    ですので個人的経験では、デジタルで変わるのは本当のようだが、結構全部ばらばらで本当の自分というのは分からない
    となるかもしれません。
    みなさんはどうでしょうか?

    私は結構周りの人間に左右される人間だと思います。
    みなさんは、どうでしょうか?




    忘れないうちに・・・
    先だってFACEBOOKで面白いことがありましたが・・・ある方が毎晩曲をアップするのですが、私はそれにアンサーソングを提供します。
    似ている曲ですとか、題名hが似ている曲ですとか・・・

    で・・・その晩は、今井美樹さんの PRIDE http://www.youtube.com/watch?v=m1Kz2Njtj_g&feature=player_embedded だったのですが・・・
    いくら考えても似ている局も何も思いつかないのです。
    で、しかたがないので、カントリータッチ、ウエスト意コーストタッチの居曲ということで、イーグルスのNew Kid In Town~Eagles http://www.youtube.com/watch?v=W444_V7ETnA を出したのですが、その時に、検索でこの曲を探して、たまたま右の候補欄の一番上にあったものをクリックしたらですね・・・何か変な動画が出てきたのですが・・・
    その動画のバックグランドに流れているピアノ曲が今井さんの曲にそっくりのメロディなのです・・・
    http://www.youtube.com/watch?v=v7sVGzsN4N4&feature=fvwrel ですが・・・

    で・・・結構1時間くらい「考えて」いたのですね・・・似ている曲はなかったか?とかですね・・・
    その問いの結果でしょうか?

    よく分かりませんが・・・

    有意の方々とスープを少ししか飲まなかった方々と興味のある方々は、どう思うでしょうか?


    8月6日



    (記事の映像)


    (参考映像)

    https://www.facebook.com/munekazut
    (引用)
    テロップに「怪しいお米セシウムさん」

    東海テレビの情報生番組「ぴーかんテレビ」で4日、視聴者プレゼントの岩手県産ひとめぼれ10キロの当選者として「怪しいお米セシウムさん」などの架空の名前をテロップ表示するトラブルが起き、同局が謝罪した。

     不適切なテロップが表示されたのは午前11時3分35秒から23秒間。出演者らは稲庭うどんのテレビ通販を行っていたが、画面には岩手県産ひとめぼれの当選者発表のテロップが表示された。当選者3人の名前の欄には「怪しいお米セシウムさん」「汚染されたお米セシウムさん」などと書かれていた。

     同局によると、50代の男性外部スタッフがこのテロップを作成したという。本来は当選者の名前を入れる予定だったリハーサル用の仮テロップが、操作ミスでそのまま放送されてしまった。岩手県産ひとめぼれは、同番組の「夏休みプレゼント主義る祭り」の視聴者プレゼントのひとつで、当選者は番組終了までにあらためて発表した。

     同局総務部では「放送に使用しない仮のテロップとはいえ、大変不謹慎な表現を使用したことに問題がある」とし「福島県をはじめ、原発事故の被害を受けた方々や岩手県の農業、畜産業に携わる方々にご迷惑をおかけし、視聴者の皆さまに大変不快な思いを抱かせてしまいましたことを深くおわびします」と謝罪。関係者に直接謝罪する方向で検討している。

     番組放送後、同局には午後10時までに電話とメールを合わせて450件以上の抗議が殺到したという。JA岩手県中央会は「岩手県産米ファンに不安を与える重大事件。岩手の米農家を愚弄(ぐろう)するものだ」と抗議。達増拓也知事は「復興に全力を挙げて取り組む本県を誹謗(ひぼう)中傷するものだ」と抗議文を東海テレビに送った。

    (以上)

    ということですが・・・

    東海テレビというのはフジテレビ系列の放送局だそうです。

    これはですね・・・なぜ取り上げたかといいますと・・・
    私は基本的には、上層部に対しての批判は書きますが、現場に人についての批判は書きたくはないのですが・・
    なぜかといいますと、現場のミスというのは、ミスであって、意図はない場合がおおいですので・・・上層部というのはまさに方針であり、ミスとかそういう話ではないわけでして・・・

    で、今回なのですが・・・私はですね・・・これがテレビ局など放送業界で働いている方々の・・・少なくとも相当数の方々の本音なのだろうな・・・と感じてしまったからなのですね・・・

    私は裏と表というのは、別にあってもいいのだと思います。
    いやなお客さんに対してでも、仕事上では「良い顔をする」というようなですね・・・
    本当はないにこしたことはないのですが・・・

    それでも、裏の顔というか・・・それは本音の顔なわけですね。

    本音の顔と表の顔が客単に違うという場合・・・どう隠しても、本音は表ににじみ出てしまうものだと思います。

    それはそれで、損をするのは自分たちですのでかまいませんが、おそらくですね・・・普段から、視聴者を騙しているのではないでしょうか?

    そして、それが通ってしまっている・・・
    本音ではこう思っている、あるいは事実を知っている、しかし、放送では嘘を言う、違うことをいう・・・それをまんまと視聴者は信用しているように見受けられる・・・

    なにかですね、そういうものが非常に感じられるのです。

    これまでは、上層部だけのものだと思っていましたが、どうもそうではなく、現場の人たちの間でも、そのようだ、とこの大事件で、私は思いを改めました。

    上記の映像以外にも、たくさんあります・・・例のフジ系のアナウンサーの件などですね・・・

    しかしですね・・・あなたたち、勘違いしないでくださいね。
    視聴率など、どんな番組でもせいぜい6%くらいではないですか?
    もちろん6%が5社集まれば30%かもしれませんが・・・

    それでも、70%は、馬鹿じゃないですからね?

    ですので、テレビを見なくなっているわけです。
    気づかなくとも「何か変な放送」と思っているから見ないわけです。



    しかし、面白いのは・・・先だっての電力会社の洗脳マニュアルですが・・・彼らは、テレビ局の文系出身者、民間人の文系出身者に対して、「文系は数字をありがたく思うので、適当な数字をだしておけばいい」ですが・・・

    テレビ局が一般人を馬鹿にして、電力会社はテレビ局で働く文系を馬鹿にして・・・
    おそらく、政治家は電力会社を馬鹿にしているのか・・・よく分かりませんが・・・

    変ですよね?

    もともと馬鹿じゃないでしょう?
    私たちは馬鹿じゃないですよ?
    あなたたちも馬鹿じゃないですよね?

    どういうことでしょう?

    人を馬鹿にしている人の構図として・・・少なくとも上記の限りでは、お金儲けをうまくしている、という特徴がありますね。
    もちろ世間全体で見れば、そんなことはありません。

    しかし、どうもですね・・・お客さんを馬鹿にする業界というのは・・・衰退する、というような時流が見えるのかもしれません。

    有意の方々は、どう思うでしょうか?



    FACEBOOKにアップして、反応の多かったものをいくつか・・・

    http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0806&f=business_0806_014.shtml
    (引用)

    NY貴金属、世界景気の後退懸念より手仕舞い売りが広がり、続落

    経済ニュース2011/08/06(土) 07:55 

      米雇用統計が予想を上回る数字となったことや、乱高下する株式市場の影響を受けて、NY貴金属は全面安の展開となりました。金12月は7.2ドル安の 1666.3、銀9月は122.0セント安の3821.1、プラチナ10月10.3ドル安の1719.1で引けました。金は7月の失業率が9.1%と改善したことを受けて、小幅続落となりましたが、引け後には買い戻しも入っている模様です。(情報提供:グローバルプライス)

    (以上)

    でして・・・
    副島隆彦さんhttp://www.snsi.jp/bbs/page/1/が・・・
    (引用)

    「ここで金(きん)の飛びつき買いをするのはやめて​ください。 これまでに一度も金(きん)を買ったことがない人が​、今頃になって、急に「副島隆彦という評論家が金(きん)を買え​というから買ってみようかな」 などど という 卑(いや)しい​根性をした 人々は必ず大損をします。 今は、じっとしていなさ​い。

     私宛てに、個人のメールで、私に金融投資の個人的な助言、指南​を求めてくる人たちがいます。 そういう欲ボケ人間は、必ず大失​敗します。来年まで、静かにしていなさい。私の本の本当の読者た​ちで賢明な人たちは、そのような愚かな行動はしません。

    (以上)


    ということですので・・・
    慣れていない人は手を出さない方がいいのかもしれません。
    お気をつけください。




     

    http://rocketnews24.com/2011/08/05/118954/
    (引用)

    東電が原発事故被害のキノコ農家に「金払えないなら電気止める。訴えてもかまわない」と発言か

    8月3日、東京の東京電力本社前で、日本の農業組織・農業者で構成される団体『農民運動全国連合会』と、国民の食糧と健康を守る運動全国連絡会『食健連』が、大規模な抗議活動を行った。

    「人々を路頭に迷わせた東電の居直りは許せない! 8.3東電・政府賠償請求行動」として、農家を中心に約350人が集結。東電に怒りの訴えを行ったのである。その一部始終について、とあるインターネットユーザーが自身のブログを伝えているのだが、4日の投稿内容に驚くべき内容が記されているのである。

    その内容とは、キノコ農家の男性が放射能問題でまったくキノコが売れなくなり、 700万円以上減収。その結果、電気代の支払いさえままならないのに、電気の供給を止めるとの通告を受けたという。供給停止も猶予するべきだ、と青年は主張したのだが、東電職員は「訴えてもかまわない」と、半ば突き放すような発言をしたという。

    この内容は、国家公務員一般労働組合のブログ「すくらむ」に掲載されていたもの。4日の投稿で、東電・政府賠償請求行動について伝えている。群馬県のキノコ農家の男性(31歳)の訴えに怒りを覚え、彼の置かれた環境と、東電の対応について明かしているのである。

    それによると、この男性は父親の代からキノコ栽培に従事しているという。キノコの栽培は温度管理が要で、栽培環境を摂氏18度に保たなければならず、電気なくしては生産できないそうだ。しかし、福島第一原発の放射能事故を受け、キノコはまったく売れず、毎月30万円にもなる電気代を払うことができない。それにも関わらず、電気の供給停止を伝える通告書が届いたというわけだ。

    この書面には「供給停止によりいかなる損害が生じても当社は一切の責任を負いかねる」と書かれており、もしこの出来事が事実であれば、事故の加害者的な立場であるはずの東電が、農家を脅かす存在に成り代わっていることに? せめて供給停止を猶予する措置を講じるようにと主張する青年に対して東電職員は……。
     
    「出るとこ出たっていい。訴えるなら訴えてもらってかまわない」
    (ブログより引用)
     
    ……と返答したという。もしこれが事実なのであれば、対応した職員に賠償のすべてを判断する能力はないにせよ、このような言動は、農家ならびに国民の感情を逆撫でするものではないだろうか。

    (以上)

    で、そのブログとは・・・http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10975212591.htmlで・・・
    (引用)

    2011-08-04 14:42:40

    加害者の東電が被害者を脅迫-原発事故の被害で電気代払えなくなった農家に電力供給停止を通告

    テーマ:原発問題

     昨日、東京電力本社前で、農民連と食健連(国民の食糧と健康を守る運動全国連絡会)による「人々を路頭に迷わせた東電の居直りは許せない! 8.3東電・政府賠償請求行動」がおこなわれました。

     東京千代田区の東電本社前には、福島県の農民100人をはじめ350人以上の農民らが集まり、かけつけた肉牛2頭や稲わらを乗せたトラックとともに、東電へ怒りをぶつけました。(※この集会にかけつけた牛の写真が、フォトジャーナリストの森住卓さんのブログにアップされていますのでご覧ください

     この集会のなかで、群馬県のキノコ農家の青年(31歳)が訴えたのですが、あまりにひどい話で東電への怒りが沸騰してしまったので以下その要旨を紹介します。(※事実経過については、昨日の訴えに加え7月28日の経済産業省前での原発ゼロ要請行動での農民連の上山さんの報告などで補足しています。byノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)

     父の代から群馬でキノコ栽培をおこなってきました。キノコの栽培には施設内を18度程度に保つ必要があるため冷暖房など電気が欠かせず、毎月平均30万円の電気代がかかります。

     福島原発事故の放射能問題でキノコがまったく売れなくなり、現在700万円以上の減収で、電気代が払えなくなってしまいました。

     東電は「風評被害だから損害請求は受け付けない」、「料金の支払いがない場合は電気の供給を止める」と通告してきました。その通告書には「供給停止によりいかなる損害が生じても当社は一切の責任を負いかねる」とも明記されていました。

     僕は、東電に対して「あなたたちが起こした原発事故のせいで、僕らの商品は売れなくなったのだから、電気の供給停止も猶予すべきだ」と訴えました。しかし、東電の職員は「出るとこ出たっていい。訴えるなら訴えてもらってかまわない」と居直ってきました。

     電気が欠かせないキノコ栽培は、東電に電気を止められれば終わりです。再建の道は奪われます。
    電気の供給停止の通告は僕の家族にとって
    脅迫そのものです。

     毎日眠れない日が続いています。福島原発事故の被害で電気代が払えない農家は僕のほかにもいると思います。東電は僕らをどうするつもりなのか。

     以上の訴えを受けて、集会を主催した農民連の白石会長は、「福島原発事故による被害で電気代を支払えなくなったキノコ農家の電力供給停止を通告するなど東電側が強圧的な態度をとっていることは許されない。加害者の東電が被害者をおどすなどあってはならない。東電に全面賠償を迫ろう」と集会参加者に呼びかけました。

    (以上)

    ということです。
    原発はですね・・・一度火を着けたら、調整できないのです・・・
    つまり使おうが余ろうが、同じなのです。
    ですので・・・被害を与えた方々には、無料で提供し・・・しかも、それの儲けがなくなった部分も、一般から徴収しない・・・
    当たり前の話ではないですか?

    私・・・100円ショップで買った安全カミソリがおかしかったので、現物を会社へ送ったら、丁寧なお手紙と、相当数のお詫びのお品をいただきましたよ?

    ちょっと、悪ふざけが過ぎるのではないですか?東電さんは?


    有意の方々は、どう思うでしょうか?

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110806-00000038-jij-int
    (引用)

    米国債、初の格下げ=財政懸念で「ダブルAプラス」―世界経済に悪影響も・S&P

    時事通信 8月6日(土)9時37分配信
    (以下略)

    (以上)

    ということで・・・民間(シークレット・ガバメントご用達)格付け会社ではあります​が、とにかく影響力を持ってしまっているのは事実です・・・

    しかし、アメリカも民間格付け会社もシークレット・ガバメントですので、何か企みがあるのだと思います。

    とにかく・・・ドルをデフォルトさせて、中国を覇権国にする計画を実行中なのは事実のようです。
    詳細は高島康司さんのサイトhttp://ytaka2011.blog105.fc2.com/や副島隆彦さんのサイトhttp://www.snsi.jp/、著作などをお読みください。


    FACEBOOKでは、その都度、質問に回答する形で詳細に書いていますので、見ることができる方は、そちらもどうぞ。
    普通に「田 中 宗 一」で検索すれば出てきます。

     

     

     

    さて・・・
    森田健さんですが・・・
    (引用)

     人生に生きる意味は無かった   
     中学三年の頃、思ったことがあります。
     
    「人生に生きる意味はない」
     
     夢中で人生を生ききって、それがどうした?・・と。
     まあ、それでも言われるままに勉強はしていたわけですが。
     そして、別に生き甲斐を探したいわけでもありません。
     だって生き甲斐を探すってことは、夢中になれるものを探すことであり、逆に言えば何かを忘れるってことですよね・・。
     
     高校のランクを落とすのだって、人生に対して邁進しても仕方が無いと思っていたからです。
     それで高校見学をしているとき、正門でブルマに出会うわけです(爆)
     
     当然、高校に入ってもそうです。
     人生に生きる意味は無いと思い続けていたのです。
    「なんだかなあ」と思い、それを何とかしようとも思いませんでした。
     だからクラスメートに、ああ書かれるのは当然です。
     あれを書かれて、何の抵抗もありませんでした。
     
     実は・・
     
     人生に生きる意味を見いだしていたら、高校二年で下位の問いには出会わなかったと思います。

     

    -----------------------

     「生き甲斐」  
     実は僕には、「生き甲斐」という葛藤がほとんどありません。
     それは高校二年以下に置いてきました。
     だから作者である甲太(いい名前だ(笑))くんが、なぜこんなにこだわるのか?(爆)
     
     昨日アップしたページでも甲太くんは葛藤しています。
     テレビに貧困の画像が出て悲しいと思った翌日、自分は楽しそうに酒を飲んでいる・・これでいいのか?
    「なんだかなぁ」という生活を変えたい・・
     
     彼はこれから医者になります。たぶんそこには「生き甲斐」があるのだろうと彼も思っているはずです。
     ただ、裕福な家庭に育ち、そこに一本道で歩いていってしまっていいのか・・と。
     
     僕は就職するときどこでも良かった。生き甲斐なんて捨てていた。大学時代だって「生き甲斐」なんて一度も考えなかった。
     だって「生き甲斐」は、三次元のことだから。

    -------------------------------

     >彼はこれから医者になります。たぶんそこには「生き甲斐」があるのだろうと彼も思っているはずです。  
     悪いけど、なぜ医者になりたいのか、サッパリわかりません。
     医者は問題がむこうから降ってきます。自分で作り出した問題ではありません。
     それに毎日翻弄されるのです。
     テレビで医療場面が出てきて盛りあがりますが、なぜあれに、あれほど生き甲斐を感じられるのだろうか?
     
     まだソニーに勤務して、ウオークマンでも開発したほうがマシです。
     問題は自分が作れるかです。

    (以上)


    ということです。
     人生に生きる意味は無いと思い続けていたのです。
    ですが・・・
    普通はですね・・・こう思ってしまいますと・・・「じゃあ、生きていてもしかたないな」となってしまうのですね。

    しかし、森田健さんはならない・・・

    ならないから、下位の問いに出会ったのか・・・
    下位の問いに出会ったから、ならなかったのか・・・
    分かりませんが・・・

    いずれにしてもですね・・・一般的でないのは確かだと思います。

    そして、じゃあ、ほかの人が下位の問いを考えた場合、人生に意味がない、と思った状態で生きていられるか・・・
    私は・・・森田健さんほどに下の下位の問いを持ってはいないだろうと思いますが・・・
    それでも、一般の人よりは持っているかもしれません・・・
    その私はどうか?といいますと・・・やっぱりですね・・・何かに生きがいがないと、むつかしいですね・・・
    というか・生きがいを持っていた方が生き生きとしているだろう、と想像しますが・・・

    今日FACEBOOKで、「人生は生き抜くに値するという信念が行為を呼び起こし、その行為によって人生は生き抜くに値するもになる。」と書いている方がいまして・・・

    「ああ、そうだな・・・仮にそれ(人生に価値があること)が嘘であっても、理由がなくとも、そう思わないと、生気が出てこないな」というようなことを感じたのですが・・・

    どうもですね・・・仮に森田健さんの言うことが、「良い状態」であったとしても・・・まず、普通の人には、到達しにくい境地だろうな・・・と感じます。


    で、その良い状態ですが・・・きっと「下位の問い」に関係しているのだと思います。
    しかも、相当に深い下位の問いなのですね・・・

    じゃ、生きる価値を見出す・・・あるいは人生は生きる価値のあるものだ、ですが・・・
    私は・・・生きる価値を見出す必要はないと思いますが・・・「人生はとりあえず生きる価値はありそうだな」はいいのではないだろうか・・・と感じます。

    どうなのでしょう?
    たとえば・・・下位の問いを問い続けられるので、人生はとりあえず生きる価値はある・・・
    という発想もあると思うわけです。

    あるいは・・・「どんな運命が待っているのだろう?」であっても、とりあえず生きる価値はありそうだ、と感じます。

    私がこうやって、いろいろ書いたりしますが・・・なんでそんなことをするかといえば・・・あまり正義感はないですね・・・
    ただ・・・何か知りませんが、自然にそうしている・・・という感じが強いです。

    情報を出すのもですね・・・何か知りませんが・・・私だけ持っていてももったいない、ほかの人にも知らせてあげよう、という感じが強いです。

    考えを書くのは・・・何か知りませんが・・・書きたいのですね・・・
    書かずにはいられない・・・

    あまり・・・生きがいを意識してはいませんが・・・ただ・・・やり続けたい、とは感じます。

    おそらくですね・・・生きがいとは・・・自分で強引に作ったものかもしれないですね・・・
    自然に来たものではないもの・・・

    ですので・・・そう考えますと、「そんな、もの持ってどうするの?」という問いに対して、「正義」ですとか「人のため」ですとか・・・そういった理由が出てくるのだと思いますが・・・

    これが理由なく沸いて出たものであった場合・・・「そんなもの持ってどうするの?」と問われて・・・「いや・・・なんか知らないけどやりたいんだよね」・・・でして、ある意味森田健さん的には、「無敵」状態になるようにも思います。

    人は「どうして?」って聞きますよね・・・

    FACEBOOKで・・・本当に頻繁に外国人からチャットが来るのですが・・・日本人はそう多くありませんし、あっても長くないのでいいのですが・・・
    外国人のは長いのです・・・しかも、そうたいした話はないのですね・・・

    想像するに・・・あまりアメリカ人のような人はいませんので・・・フィリピン、シンガポール、中国の近く、中東・・・などが多いですので・・・ある意味電話の代わりなのかな・・・・とも感じますし・・・
    で、必ずと言っていいほど聞いてくるのが「何で結婚しないんだ?」でして(笑)・・・私はもう、はじめから「それについては話したくない」といって打ち切りますが・・・別に理由はないのですね・・・

    相手がいて、諸条件そろっていれば、今日にでも結婚してもいいのですが・・・
    そろう瞬間がなかった、というだけなのです。

    これが諸条件そろっていて・・・何かこだわりがあって・・・つまり意図的にですね・・・結婚しない、ということであれば、いくらでも話に応じるのですが・・・

    今日もありました・・・
    もう今日などは、結婚の話が出たので・・・
    「外国人はいつも、それについて聞いてくる。でもいいよもう、慣れたから。でも、”なぜ?”とは聞くなよ・・・私はいつも、その話はしたくない、と答えるようにしているからね」とこっちから言いまし(^_^;)

    理由はないのです。





    医者と技術者の話が出ていますが・・・
    医者は向こうから問題が来る・・・
    技術者はこっちが作る・・・

    確かにそうですね・・・

    ただ分からないのは・・・森田健さんは常々・・・人は問われて動く、と言っていまして・・・その意味では、他動的というか・・・医者のほうがハンドルを手放しているに近いように感じるわけですね・・・
    技術者はわざわざ意図的に自分で問題を作る・・・

    しかし、ここでは、問題を自分で作り技術者が良い・・・と言っている・・・
    う〜ん、結局、どっちにも利点はあるのだろうか?
    とも読めますが・・・どうなのでしょうか?

     
     僕は就職するときどこでも良かった。生き甲斐なんて捨てていた。大学時代だって「生き甲斐」なんて一度も考えなかった。
     だって「生き甲斐」は、三次元のことだから。

    でして・・・
    中国での調査にしても、材料を持ってきてくれるのは、常に相手のほう・・・ハンドルを手放した状態・・・
    このあり方は医者と似ているのですね・・・

    こっちから患者を探しにいくわけではない・・・

    よっぽど・・・献身的なお医者さんで、各家庭を回っては、病気の人を探して治療していく、というのなら別ですが、大抵は病院にいて、患者が来るのを待っている・・・
    これが治療ということではなく・・・人間の体について知りたい、ですとか・・・人間の病気について知りたいですとか・・・そういうことであるのなら、まさにハンドルを手放すの下位の度合いが強まって来るのかもしれませんが・・・
    果たしてそういうことなのでしょうか?


    ひとつ言えるのは・・・3次元的生き方論で、しかもある程度の「成功」?を目指すならば、生きがいは必要かもしれませんね・・・
    もちろん運命は決まっている・・・90%決まっているようですが・・・
    それでも、普通の人にとっては精神衛生上は、そのほうがいいでしょう。

     だって生き甲斐を探すってことは、夢中になれるものを探すことであり、逆に言えば何かを忘れるってことですよね・・。

    これは・・・どう解釈すべきか・・・
    確かに何かに強く臨んでいれば・・・たとえば仕事に入り込み過ぎて、そのほかがおろそかになる・・・船井幸雄さんも最近書いていますが・・・家族をあまり省みなかったことを反省しています・・・とかですね・・・

    生きがいの捉え方ですね・・・私は、結構のめりこむ方ですが・・・ただ、なんといいますか・・・狭い専門にのめりこむことができない人でして・・・
    音楽でもなんでもですね・・・
    もちろん、中心となる的はあるのですが・・・結構・・・たとえばジャズをやっていても、ジャズだけやる、というようなことはできないのですね・・・
    今も色々書いていますが・・・本当は高次元に興味があるのですが・・・政治経済とか、いろいろ書いています。

    何といいますか・・・全部関係あるもののように思えてしまいまして・・・そしてヒントをくれるもののように思えまして・・・
    そこらへんの捉え方が一般的でないので、この生きがい、夢中が、何かを忘れるにつながる、ということが理解できないのかもしれないですね・・・想像ですが。

    ただ周りを見ているとそうですね・・・夢中になっている人というのは、結構狭い範囲で、突き詰めていきますね・・・
    私に過去それがあったとすればビートルズくらいでしょうか?

    音楽だけで話せば・・・結局、始めは「聞いて良いと感じる音楽」をたくさん知りたかったわけです。
    そして、それが、ほかにどんな素晴らしい音楽があるのだろう?になり、色々なジャンルを聞き・・・
    どういう音楽理論になっているから、これrたの音楽を良いと感じるのだろうか?であったり・・・
    どういう種類の人が演奏、作る音楽が、私は感動するのだろう?になっていったり・・・
    とですね・・・
    で・・・何といいますか・・・結構何をやっても、ある程度やっていくと・・・SOMETHING GREATにつながっていくのですね(笑)

    どうして、〜だと人間は、私は、〜〜感じるのだろうか?
    どうして、そういう風に作ったのだろうか?

    そういう下位に行けば行くほど・・・
    結構ですね・・・それなりに関係のあることに対してではありますが・・・それでも相当に広がっていくのです。

    これは今書いているようなことでもそうで・・・
    結局、高次元で・・・そこに創造主を感じますと・・・政治経済まで・・・興味が広がっていかざるをえない・・・
    そしてそこに間違いなくヒントがあるのです。

    そう考えますと・・・
    森田健さんの言っている 
    だって生き甲斐を探すってことは、夢中になれるものを探すことであり、逆に言えば何かを忘れるってことですよね・・。


    は、そういうことを言っているのか・・・
    果たしてどうなのでしょうか?

    有意の方々とスープを少ししか飲まなかった方々と興味のある方々は、どう思うでしょうか?


    8月9日




    さて・・・
    私は、なんとなく、高次元や政治経済などの知識がそなわりまして・・・一般的な方に対してある程度、正しいことを伝えることができるようになったかもしれませんが・・・
    それは、それに興味があったということで・・・理由はいろいろですが・・・
    ある意味、そういう知識が必要だったのでという部分もあります。

    今回東北が被災したわけですが・・・今まだ復興中ですが、確実に言えることは、全てが水に流されてゼロから始める状況においての、「専門的知識を持った方々」がその場所にたくさん生まれたということかもしれません。

    日月神示の
    『救ひの手は東(ヒムカシ)よりさしのべられると知らしてあろが​、その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよく判りて下さ​れよ。今の方向では東北(ウシトラ)から救ひの手がさしのべられ​るのぢゃ、ウシトラとは東北であるぞ<扶桑の巻第八帖>』

    ですが・・・これは、何かそういうことでもあるのかもしれません。
    日本全国が、似たような状況になるようなことはないことを希望いたしますが、それでも、ひょっとして似たような状況が起きたとき・・・あるいは日本ではなく世界かもしれませんが・・・いや各国特殊性がありますので日本でしょうか・・・東北の方々が身に着けた知識、知恵というものが、大きな役割をするのかもしれません。

    急にそう思いましたので掲載いたしました。
    有意の方々は、どう思うでしょうか?




    船井幸雄コムhttp://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=201108003 ですが・・・
    (引用)

    2011年8月8日

    疑問に思ったら、理由とか原因を正しく知ろう

     「なぜだろう」と思うことがよくあります。具体例を三つあげます。

    @なぜG8とかG20の会合で各国首脳が集合写真を撮る時、日本代表の首相はいつも後ろの隅の方にいるのだろうか……と、国際的な首脳会議のあるたびに思っていました。
     その答は、自動的に席順がルールとして決まっているからとのことです。

     首脳の中には国家元首を兼ねている人と、そうでない人がいます。
     G8でいいますと、アメリカ、ロシア、フランスの大統領は国家元首です。
     写真撮影の席順は、前列の真ん中にホスト国の首脳、その両側にこの3人の国家元首が並びます。
    そのあとに元首でない首脳が着任順に前列の両側、そして後列の中央から端の方へと並ぶことになっています。
    日本の首相は短期間ですぐ交代し、着任が新しいので、いつも後列の端か、それに近いところになるのです。

     このことは「学士会会報」No.889 2011年−III号に載った斉藤邦彦元駐米大使の今年2月10日の講演要旨の文章から知ったので、斉藤元大使は、「日本の国際的地位は非常に高く評価されている」「アメリカが実力を急低下させたのは、ブッシュ前大統領の外交、その他政策の誤りだ。クリントン元大統領は、その点、実にすばらしい大統領だった。オバマになってアメリカは少しよくなったが、ブッシュの失敗をとりもどせるか」「ロシアはとんでもない強権国家に逆もどりした」「中国との付きあいは慎重に」など名講演だと思います。ただ、優等生的な発言だと思いました。
     彼は結論として「日本は熱狂しやすくない特性を持っているから、世界の静かな中心であれ。そしていまのところ、アメリカは無視できない。仲良くやって行くべきだ」と言っています。




    A中国の実態はどうなのか……どう付きあっていけばよいのだろうか? これはいつも気にしていたことです。
     というのは中国とビジネスをしている会社やしようとする企業から、(経営コンサルタントを2003年に辞めた)私にいまでもこの辺のことを知らねばならない質問が毎月2−3件は必ず来るからです。

     私は気楽に原則論で答えていました。「迷いがあるのならやめなさい。成功の確信のないことは、しない方がよいですよ」と。
     これは原発も「絶対安全という確信がなければストップするべきだ」ということですし、恋愛や結婚についても言える人生航路の意思決定の原則だからです。

     ところで中国については、2冊の本がよいと思います。1冊は前中国大使の宮本雄二氏著の
    『これから、中国とどう付き合うか』(2011年1月 日経新聞社刊)と経済アナリストの朝倉慶さんの近著『2012年、日本経済は大崩壊する!』(2011年7月 幻冬舎刊)の189ページから215ページを読めばほぼ分ります。
     これに月刊誌『選択』の今年7月号の「地方財政債務は15兆元にも、崩壊前夜の中国土地バブル」を一読しておけばよいでしょう。
     朝倉慶さんの結論は「中国はバブル崩壊かインフレで沈むかの二者択一」ということで刺激的なコトバになっていますが、上記の3冊でそれらの原因と理由が納得できます。

    B三つめは私ごとに移ります。私の左下アゴ骨骨髄炎の痛みが、徐々におさまって来ました。
    難病で治療法がないと言われ、痛く、喰べにくく、話しにくく本当に困っていました。

     2009年8月の左ほっぺの三叉神経痛が段々悪化して今年の3月は最悪でした。3月14日に手術しました。
     よだれが止まらず、左顔面全体に痛みとしびれが強くあり、困りはてていました。抗生物質を飲みすぎ肝臓をこわしました。
     それが最近(7月中旬から)徐々によくなりはじめました。

     原因はほぼ分ります。しかし良くなり出した理由は、まだはっきりとは分りません。
     強いていうならば6月から、「これでよくなるはずだ」と確信して真剣にはじめた島 博基 兵庫医科大名誉教授が体系化して発表した量子医学療法に取りくんでいることです。これは私だけでなく私の知人の多くの人の難病によいようです。

     私が2009年9月の体験にもとづいて書いた「すいせん文(?)」も入った島先生の新著
    『分子と心の働きを知れば本当の健康法がわかる』(2011年7月 パレード刊 星雲社発売)を、もう一度丹念に読んでみよう……と思っています。
     が、この療法以外、いまのところ、痛みとしびれが軽くなり出した理由が考えられないのです。読者も、できればぜひこの本をお読みください。
     以上で、きょうはペンを置きますが、毎日いろんな「なぜか?」が出てきます。
     それらを一つ一つ納得できるまで、理由とか原因を調べるとよいようです。
     それを「クセづけする」と、「未来予測」も「対処法」も正しくできそうに思えるくらいです。
     読者の皆さまもぜひちょっとやってみてください。
                                                =以上=

    (以上)

    @は、そう言われればそうですね。
    ただ対等の立場で集まるわけですので・・・とも思いますし・・・
    何か自由と平等を叫ぶいんちき民主主義が実はヒエラルキーを世間に広めようとしているのだろうか?とも思ってしまいますが・・・

    しかし、仕組みとしてはよく考えたもので、そうなるとシステムが変わるまでアメリカ、ロシア、フランスがいつまでも中心で写真を撮るわけですね。
    そしてマスコミを通じて、潜在意識に有意性を世界中に植え込む、ということでしょうか。

    Aは、バブルを防ぐために金利を上げる、そしてインフレになる・・・の流れが、中国経済が崩壊するまで続く、ということなので、その時表に出ていためが、結果中国経済を崩壊させた、と後の教科書に載るわけでしょうか・・・


    Bですが・・・良くなって大変良かったです。
    しかし・・・これは、どうでしょう・・・想念、思いだけが運命を変えるものである、とすると、理由は分からないになりますが・・・決まっている部分が多い、の部分で考えますと、まさに森田健さんの運命はデジタルで変わる、でして・・・

    いくら自力でがんばってもどうにもならなかったものが、運命がそうなっていたから、まさにデジタルで変わった、という解釈をすれば、理解しやすいように思います。

    要するに両方あるし、更に、ハンドルを手放すこと、問いを発すること、でも運命は変更することができる・・・
    少なくとも複数のパターンがあるように感じますが・・・
    どうでしょうか?

    有意の方々は、どう思うでしょうか?







    さて、森田健さんですが・・・
    (引用)

     最も感動したところ・・自費出版版

     

     

     

    僕は マザーテレサを、ある意味批判したのを、本では初めて読みました。
    >マザーテレサを、ある意味批判したのを、本では初めて読みました。
    マザーテレサを批判することは、なかなか出来ることではありません。
    しかも切り返した「材料」は
    オナニーです

    これには 参った
    この本は映画になるらしいですが ここはカットしないでイクのでしょうか?
    彼は エイズの患者の肩に手を回しています。スマップも歌っています。
    これはマザーテレサの言う「愛」としてしたのでしょうか?


    (以上)


    とても興味深い文章です・・・
    私はこの方・・・若気のいたりもありますが・・・あぐらをかくとか、自慢げに話すとか・・・それはある意味、若いときは普通で、それ以外の部分では、話ことができる人間だと感じます。

    まず、ベリヘリ嬢は優しい人である、の分析ですね・・・
    これは、きっとその通りだと思います。

    はしないからその仕事をやっているだなんてことは絶対ないです。
    見も知らない男性と、しっかり時間を守ってやってきて、密室でそういう行為を行う・・・どこの淫らではしたない女性ができるでしょうか?


    この男性泣けてきたそうですが・・・
    これだけは・・・分かりませんで・・・私は泣けない人ですので・・・

    ただ以前は同じようなことで悩んだ時期もありました。
    特に・・・性欲ですね・・・これは・・・いいのです。

    何度も何度も書いていますが、食欲、性欲、排泄欲は、誰の罪でもないですし、人間性問題でもないのです。
    そりゃ、公序良俗というのでしょうか、どこでもだれでも闇雲に、というのはいけないでしょうが・・・
    最近では道端で食事をする人もいますが・・・
    そうでないのなら、ぜんぜん悪いことと、と思う必要はないのだと思います。


    またこの女性ですが・・・この女性をすごい、と素直に思えることが立派です。
    普通はそこまで思えません・・・
    それだけで合格ではないでしょうか?


    結局、当人が、どう思おうが、良いと悪いを繰り返して行くのが人生?のようですね・・・私も観察中ですが。
    (仮説という)

    そして、そんな自分を認めて上げられるというのはすごいことだと思います。
    私は今は理屈では分かっていますが、なかなか難しいですし、自分の中からそういう言葉は出てきませんでした。
    だれかの本で知ったことです。

    マザーテレサさんの言葉ですが・・・有名なもので、岡田多母さんなどもしばしば引用するものです。
    まじめに良いこと?をしていれば、この言葉の意味というのは非常によく分かるものだと思います。
    何が言いたいか、ですね・・・

    彼はすごい、としていますが・・・私もそう思いますが・・・
    なにがすごいかといえば「気にしないでそれができる」という部分でしょうか?
    強い、ということですね・・・果たしてこれは母性なのでしょうか?

    なぜなら、相手が何か文句を言う、ということは、その人にとっては迷惑なわけです・・・
    これが原発のように大きな社会悪であれば、いくら相手が嫌がっても話は別なのですが、そこまでではないことで・・・しかも、明らかに嫌がっている、迷惑がっているケース・・・
    ある意味、それはいけないことではないのだろうか?と感じるわけです。

    少なくとも、仮にそれが正しいことだとしても、子供に無理にピーマンを食べさせることは正しいことなのだろうか?とはだれでも思うことで、それでも食べさせた方がいいから、食べさせる・・・それが強いことなのか・・・場合によっては非情ではないのだろうか・・・

    多くの人は無意識にでも、そう思うのではないだろうかと想像します。
    あるいは、それは男性の愛なのでしょうか?

    いや・・・マザーが男性的なのかもしれません・・・どうなのでしょうか?

    ※追記しています・・今思いましたが・・・マザーテレサさんは、男性的なのかもしれません。
    私は母性なら・・・無理やりピーマンを食べさせないと思うのです・・・
    しかし父性なら、それはします・・・

    だからマザーがいけないということではなく、その強さはすごいと思いますが・・・
    ただ、これは母性ではないかもしれない・・・
    そして、これから必要となるであろう・・・母性とはこういうものではないのでは無いのではないだろうか?
    なんとなく、そう感じますが・・・
    仮説です。




    全文書きますと・・・


     〜あなたの中の最良のものを〜

    人は不合理、非論理、利己的です
    気にすることなく、人を愛しなさい

    あなたが善を行うと、 利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
    気にすることなく、善を行いなさい

    目的を達しようとするとき、 邪魔立てする人に出会うでしょう
    気にすることなく、やり遂げなさい

    善い行いをしても、 おそらく次の日には忘れられるでしょう
    気にすることなく、し続けなさい

    あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
    気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

    あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
    気にすることなく、作り続けなさい

    助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
    気にすることなく、助け続けなさい

    あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
    たとえそれが十分でなくても 気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい

    最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、
    結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
    あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。

    〜 マザー・テレサ

    で・・・岡田多母さんが引用した時に詳しく書いた覚えがありますが・・・
    ちょっと気になりますので、また書きますが・・・



     〜あなたの中の最良のものを〜

    人は不合理、非論理、利己的です
    気にすることなく、人を愛しなさい


    これはですね・・・
    特に異論はないです・・・



    あなたが善を行うと、 利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
    気にすることなく、善を行いなさい

    これは、ありかもしれませんし・・・仮に20%くらい利己的な部分が入っていてもいいと思います。
    政木和三さんでしたか・・・私の解釈でしたか・・・善を行っていると思ってやるのではなく、利己的なことをやって、結果それは社会の「役に立っていた、というのが一番良いようにも思います。

    そもそも、「我
    こそ善なり」というのは変で・・・もちろん、「これが事実です」、と何かを訴えるのは良いのですが・・・





    目的を達しようとするとき、 邪魔立てする人に出会うでしょう
    気にすることなく、やり遂げなさい

    これはありますね。
    ただ、その目的が、人の自由を奪うことのようなことであった時は、別で・・・
    やってはいけないことはやってはいけないのですが・・・それは法律ではなく・・・なんというか、宇宙の理なのですが・・・

     



    善い行いをしても、 おそらく次の日には忘れられるでしょう
    気にすることなく、し続けなさい


    これは気にすることないです。無償の愛ですので。
    会社や学校で点数を取りたいのなら話は別ですが・・・積み重ねですし、目的は出世ですので。




    あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
    気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

    これは上記の亜流だと思います。



    あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
    気にすることなく、作り続けなさい

    助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
    気にすることなく、助け続けなさい


    これは、気になることもありますが・・・それでも気にするということは、無償の愛ではなかった証拠でして・・・
    ただ、彼氏彼女に上げたプレゼントがむげにされたりしたら・・・ちょっと?と思いますね。
    それは普通なのでしょう。

    昔彼女の家に行って、けんちん汁を作ってあげて・・・鍋にいっぱいですね・・・
    そして電話したのか、数日後行ったのか・・・そしたら、「だれそれさんカップルが来て、全部食べちゃった」とか言われたことがありましたが・・・その時は少し悲しかったですね・・・

    こういうのはですね、悪い意味で耐久性ができてしまいまして、自分がその後、それくらいではへこたれなくなるのはいいのですが、ですので、どこかで」「それくらい普通だ」みたいな感覚ができてしまい、ほかの人にも気にせずやってしまうようなことがある時もあります。

    たとえば、朝挨拶をされないと悲しいと・・・当初思いましでも、それが普通だとなりますと、自分もしなくなる・・・

    ですので、こんな場合出てくるのが、更に上記の、「気にせやりなさい」なのだと思いますが・・・
    ただ、それが正しいことだと思っているからやるのであって、それが別に正しいことでもなんでもない、となれば、どっちににしても、やらないわけで・・・

    そうなると、大事なのは自分の判断、知識、常識的感覚・・・あるいは、どういう人に囲まれて生きているか・・・ということなのかもしれません。




    あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
    たとえそれが十分でなくても 気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい


    最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、
    結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
    あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。


    そうなのかもしれません。
    まだ私は結論を出せませんし、私がやっていることが善かどうかも不明です。
    ただ、そうしたいから、やっている、そして、してはいけないことと私が定義したことに当てはまっていないからなのだと思います。

    しかし、どうも、私の感覚では・・・善悪は創造主の意思、宇宙の理の下にあるもので、善悪とは人間が勝手に作ったものであり・・・なすべきは、善ではなく、宇宙の理・・・なのだと思います・・・・
    但し、その宇宙の理が何なのか、まだだれも分かっていないのではないだろうか?と想像しますが・・・
    果たして、どうでしょうか?

    マザーの言葉で一番宇宙の理に則していると感じるのは・・・

    人は不合理、非論理、利己的です
    気にすることなく、人を愛しなさい


    でしょうか・・・
    ただそれでも・・・
    人は不合理、非論理、利己的です
    は・・・人は理性、理論だけではなく、陰陽五行も関係していますし、決まっている運命も関係しています・・・で私は納得しています。

    そして、創造主の意思には、更なるものがあるのかもしれません。

    有意の方々とスープを少ししか飲まなかった方々と興味のある方々は、どう思うでしょうか?



      もくじ


     

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