理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

 

 
写真はなし
   
   

さて・・・・・・
昨日も寝てしまったわけですが・・・
どういうことがおきているかと言いますと(笑)・・・

まず10時30分くらいには部屋に着きましたが、食事もしたいわけですし、瞑想もしたいわけですし、このサイトも更新したいわけですが、さて、どれを先にやろうか?と考えるわけです(笑)。

食事は、昨日で言えば、どういうわけか、不思議にビールを飲みたいわけですが、瞑想の前には、アルコールを絶対に飲みたくないわけなのですね・・・私は。
ですので、瞑想を終わらせてから食事にしよう、と思うわけですが、瞑想の前には、できればシャワーもあびたい、と考えるわけです(笑)。
 
で、結局、そいうことを考え続けているうちに、良く分からなくなってきまして、ベッドの上に横になってしまうわけですね(笑)。

そうすると、寝てしまう・・・
食事も、シャワーも瞑想も、しないで、寝てしまうわけです。

こだわりを覗いてしまえば、どうも、本心は、ビールを飲んで食事がしたいらしいのですね。
その後瞑想すればよい。
シャワーを浴びてもよいですし。


これに似たようなことは、人生にも良くあるわけ何のですが・・・
やりたいことと、やるべきことと、した方が良いことが存在し、優先順位が分からなくなってしまい、あげくのはてには、何もやらない・・・

どうもいろいろ読んだり聞いたりしますと、「やりたいこと」、「直感的なこと」を優先すればよいようですが、とは言え、今の直感が瞑想のお陰なのだとすれば、瞑想を優先すべきだろうか?
というように、迷路にはまっていくわけですが(笑)、で結局、どれもしないで、瞑想は朝やって、その後、昨日かって来たフライを食べる、というようなことをしているわけですので(笑)・・・
それでも、幸せですけれど。

みなさんは、迷わないでしょうか?




で・・・・「国家」、「国旗」で、いろいろあるようですが・・・・・・
もうみなさん、ニュースで見聞きしているとは思いますが・・・

(引用)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060921-00000009-yom-sociより)


旗・国歌で起立・斉唱強制、都教委通達は違憲…地裁

 東京都教育委員会が、入学式や卒業式で教職員が国旗に向かって起立し国歌斉唱するよう通達したのに対し、都立学校の教職員ら401人が都と都教委を相手取り、通達に従う義務がないことの確認や損害賠償を求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。

 難波孝一裁判長は、「通達や都教委の指導は、思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」との違憲判断を示し、教職員に起立や国歌斉唱の義務はなく、処分もできないとする判決を言い渡した。また、慰謝料として1人当たり3万円の賠償を都に命じた。

 都側は控訴する方針。

 判決によると、都教委は2003年10月23日、都立学校の各校長に対し、入学式や卒業式などで国旗の掲揚と国歌の斉唱を適正に実施し、教職員が校長の職務命令に従わない場合は服務上の責任を問うとする通達を出した。
(読売新聞) - 9月21日23時32分更新

(以上)


で、私は、国家は大切にすべきだと思いますし、国旗もそうですし、「君が代」も好きですし、「日の丸」も好きですが、大基本として、この種類のものは、人に強制するものではないと思います。
それは、言ってみれば、「もっと嫌いになれ」と教育しているようなもののように感じます。

 

で、「それが業務上の規則なのだから・・・」と言っている人がいるみたいですが、
理論、理屈は、それで良いのかもしれませんが、歌いたくない人というのも、何も、日本を悪くするために歌わない、ということではないのでしょうから、そういう物言いは、良くないように感じます。

私の経験では、団体のことを真剣に考えていない人に限って、「規則だから」という言葉を使うように思います。

ですので、むしろ、そういうことを言っている偉い人の頭の中を疑います。

それはそれで、良いのですが、歌いたくない人というのは、「なぜ歌いたくないのか?」ちゃんと、面と向かって、話し合ってみたら良いように感じます。

やはり、第二次世界大戦のことを考えているのでしょうか?
他にも、理由はあるのでしょうか?

もし、第二次世界大戦なら・・・私も、以前は、そこら辺にこだわりがありましたが、今はありません。
どうしたかと言えば、どうも、天皇というもののあり方、見方が変だったのは、あの時だけだったようだ、というように思い始めたからですね・・・。

どうも、マクロに見れば、日本が出来た時、あるいは、宇宙ができたときから、天皇という存在は、私は良い存在なのだな、と感じています。

それが、私の考える、資本主義でも、共産主義でもない、新しい社会のあり方、と言いますか、元々のあり方の実現には必要なことであるように感じますし。
これは、何も、昭和初期のような、専制政治的なことを言っているのでありません。

で、ひょっとしたら、「先生たち自身」が文部省の作った矯正(この字で良い)された日本史というものを、一番信じているのかもしれないな・・・などと感じます。
あれを、まともに信じて、それで真面目だったら、国家も、日の丸も嫌でしょう、きっと。

その意味では、原因と結果が同ものであるようにも感じますが。


もし、先生たちが、「おまえらが勝手に、日本と言う国を悪いものとして教育してきたくせに、何を今更、国家を歌えだ。まずその前に、”今まで間違っていました”と誤れ」と思って、拒否しているのだとしたら、それはそれで、誤ってあげれば良いようにも思います。
北風と太陽ですね。
石原さんは、体も大きいし、家柄も良いし、お金持ちですので、基本的に発想は、アメリカ的ですね。剛速球で、ねじ伏せるのが得意なようです。

確か、都知事になったときには、労働組合の偉い人と、話し合いをしたのでしょう?
気が緩んでいるのではないでしょうか?
あの時は、青島さんが、失敗した直後でしたので、ちゃんと考えたのでしょう。
今は、あまりに人気があるので、どこかずれてしまったのではないでしょうか?

あなたが、一度、教職員の代表・・・もちろん反対派・・・と腹を割って話し合ってみたらどうでしょうか?

「規則だから・・・」では、あなたが得意な「男らしさ」のかけらもありませんね(笑)。
別に、男らしくなんかなくとも、構いませんが。
もし、こだわっているのなら、ですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?

3次元的ですが、特に、相手に根性がある場合には、北風はご法度です。
まして、どちらも日本人でしょう。
石原さんが、「俺は、日本人だから、たとえ死んでも負けない」と思っているのでしたら、相手も、きっと同じことを思っているでしょう。
日本人は本気を出したら、手ごわいですね。
だから、労働組合の偉い人とも、話し合いをしたのでしょう?
本当は、相手に根性があろうとなかろうと、話し合いが必要なのですが。

もちろん、国がらみですから、都知事である石原さんだけではないのでしょうし、少なくとも、人民を完全に操り、来る日中戦争に、使いやすい状態を作る、ということとも、今のこの状況は大きく関係しているように感じますが。

その流れに、石原さん自身は利用されているのか、本人が、首謀者の一味なのか、良く分かりませんが。
ただ、石原裕次郎のお兄さんが、日本を影だか面高の勢力に日本を売り渡す大きな役割を担っている、ということには、なって欲しくありませんね(笑)。

100年後の歴史の教科書にも、「あなたはかっこよかった」と書かれていることを望みますが。


みなさんは、どう思うでしょうか?




で、下ですが・・・

(引用)
http://www.asahi.com/national/update/0921/TKY200609210382.htmlより

国旗や国歌に敬意「法律以前の問題」 判決で小泉首相

2006年09月 21日20時29分

 小泉首相は21日夜、入学式や卒業式で国歌斉唱などを強要した東京都教委通達を違法とした東京地裁判決について「法律以前の問題じゃないですかね、人間として国旗や国歌に敬意を表するのは。人格、人柄、礼儀の問題とか(だと思う)」と語り、強要によらず、礼儀作法として国旗・国歌に敬意を表するべきだとの考えを示した。


(以上)

「法律以前の問題じゃないですかね、人間として国旗や国歌に敬意を表するのは。人格、人柄、礼儀の問題とか(だと思う)」
ということですが・・・
一方的です。
法律の問題でない、ということは、その通りだと思いますが、相手が故意に日本を悪くしようとしているのではないのであれば、彼らなりに歌わないことが、日本をよくすることに繋がる、という理由があるのでしょう。
少なくとも、彼らは、歌わないことによって、「3次元的な利益:お金・地位」などが得られる、ということではないようですので。

そして、「人間として国旗や国歌に敬意を表するのは。人格、人柄、礼儀の問題」ではないです。
「人間として国旗、国家を好きになり、歌いたくなるのは、その団体と一体感を得たいから」でしょう。
これと、人格、人柄、礼儀は関係ないと感じます。


一体感は、強制で生まれるものではありませんね。
ですので、天皇も、「強引なやりかたはしない方が良い」というようなことを言っているのだと感じます。

礼儀だったら、躾(しつけ、と読むんですね:笑)の一種ですので、ある程度そういう面もあるかもしれません。
しかし、国家、国旗は礼儀でも、人柄でもなんでもないですね。

良いか悪いか知りませんが、一体感を得たいから、歌いたいのだと思います。

その意味では、小泉政権下の、強引、騙し、莫大な格差、言うことを聞かないものは追い出す、拝金主義、海外資本への国家売り渡しなどのようなことが、一体感を得たくないと思わせる理由なのかもしれません。
あるいは、一体感をなくさせた・・・。

そこまで、先生たちが考えているのかどうかは、分かりませんが。

ただ、もしそうなら、国が先生たちと一緒に対等な立場で、「どうしたら国家、国旗を日本人のほとんどが、自発的に歌ったり、掲げたりしたくなるか?」について考えてみたらどうでしょうか?
そうすると、一体感が生まれるかもしれませんね。

石原さんだって労働組合と腹を割って話し合ったのは、”協力して欲しい”と思ったからではないでしょうか?
剛速球はいけません。


みなさんは、どう思うでしょうか?




※追記していますが・・・
よそ様、他国の国家、国旗に対してでしたら、それに敬意を示すのは、正に、礼儀ですね。
しかし、今問題にしているのは、自国の国家、国旗です。

やはり、そこにあるのは、一体感です。
そして、それは、強制によっては、生まれないものです。

 

で・・・・・・
先達て、音楽も、周波数でフィルターをかけますと、違った音楽になる、ということを書きましたが・・・
私は、気に入った曲をソフトで高域と低域にイコライジングをかけて、それをCD−Rに焼いて聞く、ということをやっています(笑)。

要するに、自分の好きな音にしているのですが。

ですので、夜、小さな音で聴きますと、ベースや低域の音しか聴こえてきません。
それだけでしたら、コード進行が同じですので、ある程度、何の曲だか分かりそうなものなのですが、時として、特定の低域さえ消えてしまうような小さな音で聴きますと、コード進行すら分からなくなってきます。
要するに、まったく出ていない小節もあるわけでしょうか。

しかし、それはそれで、良い曲(?)なのです。
良く、コード進行だけ同じにして、違うメロディを乗せる、ということを、作曲でも、パロディでもやったりしますが、この低域を上げて、小さな音にして聞く、というのも、切羽詰った時の作曲法としては、面白いかもしれないですね。

同じ意味で今思い付きましたのは、小説や脚本を書くときに、人生ゲームばりに、いろいろな展開をカードに書いておき、任意に抜きだして、その流れになるように、強引に書いていく、というやりかたも、面白そうですが。

それってちょっと、運命ぽいですね(笑)。
節々は決まっていて、そこに向かうように、全てがまるで偶然のように繋がっていく・・・

しかし、どうも・・・やはり、運命は自分で変ることができるように感じています。
ただ自分で変える、と言っても、「自分の力、能力」ではないようですが。

それは、言ってみれば、時空全体の協力によってのように感じています。

これがあっていれば、ここで言った「自分で」、とは、決して「自分という3次元的肉体に宿っている能力」のことではない、ということを認識しておくのは重要ですね。


最近は、「この人は、味方だ。理解者だ。協力者だ」ということを、念じていますが・・・どうも良いです。
どういうことが高次元的で起こっているのかは、想像の域を出ませんが、どうも、とても大切な何かを意味しているように感じます。

みなさんは、どう思うでしょうか?







で・・・・・・岡田多母さんのサイト、で「天使と語る」というのがあるのですが・・・
そこに、女性からの質問で、「男女3人3人のグループがあり、一人の男性と気まずい。普通に接してくれない。敵意すら感じる。私のメールアドレスだけ聴いてくれない。どうしたら良いのだろう?」というものがありますが・・・・

これの回答が早く入らないだろうか・・・と思っていますがなかなか入りませんね(笑)。
当人は真剣なのでしょうから、あまりなんですが・・・

いろいろなケースがありますので、何とも言えませんが、もし、私がこの対象となっている男性でしたら、多くの場合こうですね・・・

仮に、20代前半の私であれば・・・

まず、その子へ好意を持っています。
理由は分かりませんが、特別な気持ちを持っている女性にだけ、電話番号や住所を聞いたりできません。

20代の前半の頃は、「俺だってこれだけいろいろ気を使っているのだから、当然、俺が好意をもっていることは分かっているよな。それじゃ、そちらから何かアクションをしてくれよ」と自分本位なことを思い、勝手に、むしゃくしゃして、腹が立ったりしていたこともありました(バカ:笑)。

変に緊張して、その子にだけ、普通の接することができないこともあります。

・・・・・・・

まあ、ここを見ている可能性はほとんどないでしょうが、見たとしても、果たして参考になるでしょうか(笑)?


みなさんは、どう思うでしょうか?



これはこれですが・・・
この手のことを、霊能力がある人で、しかしながら、それを不必要に使うことをしたくない人に質問をされた場合、ちょっとこまるかもしれませんね(笑)。

だって、仮に、この質問なら、彼の心の中を覗いてみれば、想像ではなく、事実が100%分かってしまうわけですね・・・。
しかし、たとえば岡田多母さんなら、それはしないでしょう。
しないけど、できる・・・

そうなりますと、
「こうしてみたらどうでしょうか?」
という回答は、なかなか難しいですね(笑)。




で、何かないかと思いますが、私なら・・・・
「10円玉を3枚用意して、6回振ってみてください。それで、下のURLと照らし合わせてみたらどうでしょうか?六爻占術ほどではないですが、心が”いつでもしあわせ状態”なら、結構あたりますよ」
でしょうか?
http://www.paostyle.tv/contents/uranai/hakke-uranai2.html
http://www5.ocn.ne.jp/~keisho/64k-f.html

この場合、「いつでも幸せ状態」とは、「どんな卦が出ても、しあわせ。しあわせと、”嬉しい”、”嬉しくない”などとは、別問題」ということですが(笑)。

 

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

 

で・・・サンディプロジェクトで、松下の偉い人が、「経営には情を入れてはいけない、特に人事面では・・・」
と、言っていましたが・・・
この人は、一応、落ち目だった松下を再建した人と言われています。

私は経営者ではないので、良く知りませんが、私が世間を見ていて思いますのは、言葉を2元論では取ってはいけない、ということですが・・・

言ってみれば、上の言葉は能力主義での人事ということだと思いますが、別にそれは反対しませんし、きちんと行われればそれで良いのだろうとも感じます。


しかし、どうも、この言葉だけが独り歩きしている場合もあるように感じてしまうときがありますね・・・別に今いる会社ではないですが(笑)。

 

ですので、これから考えることは、何も、経営とか、人事とか、そんな私とは関係のないことについてだけのことではないのですが・・・

「情ではいけない」という言葉がでますと、どうも、ある一定量の人々は、それなら「非情が100点だ」と勘違いするようですね。

それは、つまり、資本主義ではいけないとなると、それなら共産主義だ、となるのと同じ原理ですが。

これは、おそらくは、戦後のアメリカにコントロールされた教育システムにおける、〇×教育の結果によるところが大きいように感じますが。



左記の本:中丸 薫さんの泥棒国家日本と闇の権力構造の240ページ にある、
(引用)
日本人がどうしてここまでダメになったかというと、敗戦のときに、ジョン・デューイという社会学者がいたのですが、彼はソ連まで行って、パブロフの犬の反射の理論を持ってきた。日本人が再び誇りを持って強い国にならないように、受け身で非常に従順な国民になるように、日本の教育制度に〇×式の思考を入れたのです。だから、思考力とかそういうものを育てない教育方針です。
 暗記で8科目を勉強して、東大に合格して官僚になったからといって、思考能力という面では非常に足りない。いわれたことを従順にする。だから、アメリカ幕府からいわれたとき、「はいはい」となってしまう。今、そういう人たちが日本の政治をしているから、ダメなのです。』

(以上)
ですね。

2元論でものを考えますと、いつまでたっても、真直の真平らにはいきつかないことになります。
つまりは、先にも書いたとおり、「情でないとなると、非情」、「資本主義でないとなると共産主義」・・・という、どちらも間違っている2つのことを、ぎったんばっこん、と言ったりきたりするだけ、ということですね。

「それじゃ、折衷案がいつでも、正解ということか?そんなわけはないだろうに」
という意見は当然出てくると思いますが、その通り、折衷案が正しいわけがありません。

なんで、折衷案という発想になるかと言いますと、おそらくは、直線と言いますか、2次元と言いますか、それで、物事を解釈するからだと思います。

真直の真平らは、岡田多母さんの本に出てくる、おじいさんが言っている言葉にあることですが、それは、何度も書いている通り、その本にある表現を使えば、「ブラックホールとホワイトホールが同時に存在する地点」であり、「陰と陽が同時に存在する地点」であり、つまり0地点なわけですが。


「情を入れない人事」の真逆は、つまりは、少し前の巨人軍のような状態なのだと思います。

組織に新しい風を入れる、足りない分部を補う、というのは、それで良いのだと感じますが、限度はありますね。
巨人なら巨人なりに、普通に見ても、それなりに実力がちゃんとあり、着実に伸びている選手がいて、そして資本主義を信じている段階なら、「後少しでレギュラーとして3番バッターとして定着できる。それまで、がんばろう」という選手がいるわけなのですが、そこへもってきて、後一歩というところで、選手が補強される・・・1人、2人なら良いのでしょうが、他球団の4番バッターが、3人も、4人も入ってくる・・・
野球って9人がレギュラーなのですが、その内、ピッチャー一人、キャッチャー一人ですね(笑)。

そうすると、後は7人なんのですが、そこへ、4人も5人も他球団から4番打者が入ってきて、どうなのでしょうか?
と、多くの人が心配していたら案の定、今の状態ですね。

まだはっきりしませんが、今キャプテンの人は、他の球団から来た人ですが、来年FAという自由に球団を選んで映ってよい、というシステムがありますので、どうも、そちらへ行ってしまう可能性が高い、4番打者は、他国から来た選手ですが、元々が大リーグで活躍した、という意思のある人で、どうも、来年はそうするようだ・・・となっています。

今のキャプテンが怪我をして、長期離脱すた時期がありますが、その間、生え抜きの中堅〜ベテランと言われる選手にキャプテン代行を指示したようですが、「情の反対の非情」が行き過ぎていますので、当然、そんな経験、慣れ、準備、覚悟、気持ちなどないわけで、別にその人の責任なんかではないですが、務まりません。


これが、2元論における「情の反対の非情」の結果の良い例なのだと思います。


で、「情」の間違いは・・・私はこれは人事面のみで語った方が良いのだと思いますが、要するに、長年努力してくれた、貢献してくれた、を優先しすぎる、であるとか、場合によっては、お歳暮・お中元をくれたくれない、ですとか、同じ大学の先輩後輩ですとか、そういうことを優先した人事・・・はだめだよ、ということなのでしょう。

そこで大事なのは、多くの人が納得するやり方、を取る、ということなのだろうと思います。

 

実力で・・・ということなら、その実力を何で測るのか、を公にしておくことですね、きっと。
そして、その内容が、多くの人に納得の行くものであること、でしょうか?
というよりも、公にした時点で、納得がいかない、ということであれば、そもそも納得がいかない場合には、その会社の方針にあっていない、ということですので、辞めるべきなのだろうと思います。

森田健さんは、「人は何にでもなれる」、「供給的でなく需要的・・・つまり、需要にあわせる」ということをずっと言ってきましたが、最近では、「それに快を感じられなければだめ・・・」のような内容を付け加えているようです。

私の解釈が正しいかどうか分かりませんが、私は以前から、「何にでもなれるのだろうが、下のレベル(根本の自分)で、なることを納得できないものがある・・・つまり楽しめないものはある」と思っていますので、人は100%何にでもなれる、ということではないと感じています・・・状態という話は別ですが。


もちろん、忍耐のある程度必要ですので、心身ともに変調をきたさない範囲、期間でがまんする、ということも必要なのだとは、思いますが、たとえば、「ここに書いてあることを暗記より多く暗記できる人が昇進します。他の能力は一切いりません。極悪非道でもなんでも構いません」というような指針を出されましたら、私などは、その日から転職活動に入ります(笑)。


もちろん、公にしたところで、いくらかの、嫉妬などはあるのでしょうし、足を引っ張る、という行為もあるかもしれませんね。

ただ、どうも、これから、そういう行為をする人は、少なくなって来るようですし、昇進を目指す、という人も少なくなってくるようではありますが。


で・・・思いますのは、この松下の偉い人が会社を再建したのは、どうも世間では、「まず、大幅なリストラをしたこと。製造部門の縦の関係を横の関係にしたこと。上下の連絡・意思決定の迅速化を図ったこと・製造部門に斬新な製品を作ることを指示したこと・・・」などと言われていて、リストラということが、どうしても一番初めに来て、世間では、「やはりリストラが一番良い方法か」などと確信させる一つの材料にもなっているようですし、フォーブス誌が評価しているのも、きっとそのせいなのではないかと想像していますが・・・
絶対違うでしょうね。

くしくも、その人が松下孝之助さんの言葉を引用して「時代に適応する」ことの大切さを言っていましたが、要するには、
「まず、大幅なリストラをしたこと。製造部門の縦の関係を横の関係にしたこと。上下の連絡・意思決定の迅速化を図ったこと・製造部門に斬新な製品を作ることを指示したこと・・・」のうち、
「リストラ」を省いた残り・・・つまり、
「製造部門の縦の関係を横の関係にしたこと。上下の連絡・意思決定の迅速化を図ったこと・製造部門に斬新な製品を作ることを指示したこと・・・」
ここら辺、あるいは、きっともっとあるのでしょうから、この系統の革新が、業績をよくした本当の理由なのだろう、と感じます。


ですので、きっとリストラのようなことはしなくとも、良かったのでしょう。
それを嫌々でも断行した担当者というものもいるのでしょうし、一時的にそれによって業績も上がったのでしょうから、あえてそこら辺を否定するようなことは、言わないでしょうが・・・
金儲けのためなら”人を大事にしない”が”情”の真逆であり、それこそが、正しく真の資本主義、世界標準、弱肉強食こそ正しい原理・・・
というようなある団体が、そういうことが正しいこである、と地球全体を洗脳しようとしている策略に協力、乗ってしまうような報道、表現、言い方、あるいは、分析結果は、間違ってもしないことが大切だと感じます。

 

 

ですので、ここでも、正しく分析すれば、あるべき姿は、状態を直線・・・2次元的な・・・ではなく、立体的で螺旋を描いたもので捉え、そして、その中心である一番先端・・・一番小さなところ・・・そこが正しい点である、という捉え方、説明の仕方を、すべきなのでしょう。



「情でない」ではないのですね。
「非情であるべき」でもないのですね。



いずれにしても、そもそも資本主義が、もう時期終わりを迎えるようですが・・・
それを考慮して考えてみれば、きたるべき「みろくの世」と照らし合わせてみれば、「物作りが好きな人が集まっている部門に、自由に物作りをさせる」、「縦でなく横の関係」、「形式ばらず、意思決定、連絡・応答を迅速に」というのは、正に、「みろくの世」のあり方と適応しているようにも感じます。

結局、これを突き詰めていけば、きっと、資本主義はなくなっていくのでしょう。


想像するに・・・
会社という概念が従来の資本主義下のものと違ってくるのでしょう。
会社というものすらなくなるかもしれません。
あるとすれば、好き、得意で集まった技能者の団体という存在、ものを売ることが好き・得意で集まった技能者の団体、コンピューターシステムの構築が好き・得意で集まった技能者の団体、などなどが対等の関係で存在し、あるいは、それで作られるものを使う人間たちの需要という存在だけが、指針としてやはり、対等の立場で存在し・・・というような形になっていくのでしょうか?



普通に考えて行きますと、「で、だれが発注者になるんだ?」とかいろいろ考えられますが・・・どうも、それすら今の資本主義の発想のようです。



良く分かりませんが、想像してみますけれども・・・
大量生産・大量消費ということがなくなるでしょう。
つまり、経済学的に考えて(?)、安く物を作る、そして、大きな市場へ売り、たくさん企業に利益が上がるようにする、ということがなくなるのでしょう。

どうしてかと言いますと・・・
人より良い家に住んでとか、たくさん給料を貰ってですとか、そういうことがなくなるからのようです。

どうしてそうなるかと言いますと、どうも、食べ物などは自給自足的なようですし、住むところも、別段豪勢な場所でなくとも、全ての人が、それで納得していて、そして、しあわせ、なようです。

で、そうなると、どうやって・・・たとえば、今で言えばお金のかかるようなもの・・・何でも良いですが、たとえば飛行機のようなものを開発して、みなが使えるようになるのか?と思うと思いますが・・・

それを可能にしたのが、資本主義下では、株式会社だったのではないかと想像しますが、これは、お金を持ち寄ったのですね・・・で、想像ですが、おそらく、技術と現物を持ち寄るような社会になっているのではないでしょうか?


もちろん、高次元的アプローチをすれば、発明なども瞬時に出来てしまいますし、物質化もできてしまいますし、通信はテレパシーで済んでしまう、ということも同時に存在するのでしょうが。


つまり、住む場所、食べ物という必要最小限のものしか、求めず、そしてそれは確保されていて、みな得意で好き(他の要素もあるかもしれませんが・・・但し資本主義的ではない)なことをしていますので、ある情報が公開されますと、それに賛同した人たちが協力をしてくれるのですね。

しかし、協力者が集まらない企画の場合どうなるのか?ということですが、今は基本的に、「儲かりそうにない」=「賛同者が集まらない」なのだと思いますが、「みろくの世」では、「賛同者が集まらない」=「必要がない」となっている可能性が高いのではないでしょうか?

「好みもあるだろうし、不必要から大きな発明があったりすることもあるだろう」という人はいると思いますが・・・おそらく、「みろくの世」での不必要とは、今ので言うところの不必要とは違うのでしょう。
私も良く分かりません(笑)。

ただ、感じますのは・・・ギターのエフェクターという音を変えるボックスなどありますが、これは、多くの人にとって不必要ですね(笑)。
ですが、もし、音楽をする、という要素が、「みろくの世」でも残っているのでしたら、「こんなエフェクターを作りたいのだけれど、協力求む」という情報を流したら、それが作れるだけの協力者は集まってくれそうに思いますね。

そうしますと、そういった種類の集まりから、また新しい技術というのも生まれてくるでしょう。

「でも、協力者が外国人だったら、どうやって飛行機に乗ってやってくるのだ?」という意見もあるでしょう。

想像するに、高次元的アプローチをすれば、瞬間移動でもなんでもできるでしょうし、そうでなくとも、石油エネルギーではなく、水、空気などを使う技術・・・つまりは宇宙エネルギーですが・・・で、現在電気駆動するものは、動いているはずですので、ほとんど燃料は無料ですし、飛行機のような種類の乗り物を扱っている業者の人たちも、今の航空会社のような存在ではないですので、おそらく、運賃も、無料あるいは、ほとんど無料の状態になっているでしょう。

それは、宿泊施設もそうですし、パスポートなども、もうないでしょう。

言葉の問題も、高次元的アプローチをすれば、何語でも、理解しあえますし、テレパシーもあるでしょうし、そうでなくとも、気にする必要のない状態になっているでしょう。
私も分かりません(笑)。


で・・・要するにきたるべき「みろくの世」では、今資本主義下で問題にしているような”問題”はまったくないようなのですが・・・
一つ、思いますのは・・・人口はどうなるのだろう?ということですね(笑)。

どうも、寿命は1000歳くらいになるようですし、直らないような病気もないようですので、人口がどんどん増えていくおゆにも思いますが・・・
これは、想像するに、どうも、次元上昇の後・・・つまり「みろくの世」ができる時・・・には、どうやら、現在と同じような肉体の存在ではないようですので、どうも、基本的な”何か”が違うのでしょうね・・・

あまり、ここら辺ばかりに焦点を当てますと、なかなか多くの人の理解を一度に集めることは出来にくいようなので(別にそんなことは意図していないが)、ほどほどにしますが、どうも、船井幸雄さんによれば、「エゴ、お金、科学」の3つの呪縛から離れられれば、「みろくの世」の達成にぐっと近づくようです。



船井幸雄さん・西園寺昌美さんの共著:心配不要、これからよくなる!ビジネス社 (2006/09) にこの話は書かれていますが、ムー大陸が沈んでしまったのは、どうやら「エゴ、お金、形式・儀式」だったようです。

ここからは、ちょっと高次元的ですが・・・

「エゴ、お金、形式・儀式」(ムー大陸の時:あるいは1つ前のアセンションの機会)
「エゴ、お金、科学」(今回のアセンションの機会)

ということですね。

いろいろな本に書かれていることですが、ムー大陸などでは、科学は今の地球文明よりも、ずっと発達していたようですね。

で、前回は、「形式・儀式」が今回と違うポイントで、今回は、「科学」が登場している・・・

想像ですが・・・・・・
どうでしょう、前々回というのも、あったのだと思うのですが、その時の失敗の原因というのに、おそらく「科学」が入っていたのではないでしょうか?

そして、それを踏まえていたので、どうも、「科学」による分部は是正されていた。
しかし、何らかの理由で前回は、「エゴ、お金、形式・儀式」が原因となってしまった。
そして、今回、また何らかの理由で「エゴ、お金、科学」となっている、としたら、どこか考えさせられます。

ただ、もしこうだとすると、ひとつだけ、疑問が解けます(笑)。
それは、いろいろな本で語られているムー大陸についての記述で、「科学は今より発達しているのに、どうして神官だとか、そういう今で言えば古い習慣のようなものが、濃く残っているのだろうか?」ということですが。

考えるに、と言いますか、想像するに、前々回、今と同じように、3次元で見えることから科学が抜け出すことができなかった故、科学が発達し切れなかった、加えて、今と同じように、高次元の存在を理解できない人が多かった、そしてそれが文明破壊の大きな理由であった・・・そして、それを是正すれば、次回は大丈夫だと思った・・・ということだったのかもしれませんね・・・。

ですので、高次元的な分部をムー大陸では、前々回にほろんだ文明より増やしたのではないでしょうか?
当然、その時だって、前々回の記憶を持った人とか、高次元や宇宙からのメッセージを受けていた人というのはいたのでしょうから、そういうことはありえると感じます。


で、今回は、その「儀式・形式面」をまた是正しているのかもしれないですね・・・
しかし、科学は発達し損ねている・・・

もし、こんな初めて聴くような想像が本当だとしたら(どうかな?)、今回は、本当は、前々回において「科学」について失敗したのと同じことはしないようにするのがよいのかもしれないですね・・・
と、書いていて変な言い方のように感じますが、つまり、前々回も、目に見える世界しか相手にしない科学者に対して、「もっと高次元を」というようなことを言ったはずのように感じるのですが、どうも、そのアプローチの仕方が違っていた可能性というのはありますね・・・

つまり、その後の文明で、「儀式・形式」をそこまで重んじなくてはならなうほどの言い方をしてしたのではないだろうか?ということですが。

何とも、抽象的ですが、本当なら、多くの方が、ムー大陸の時の記憶は、思い出してくれているのですが、どうも、その一つ前の記憶は、なかなか思い出せないようですね。
ほんとうに、一つ前があるのかも、良く分かりませんが。

 

こうなってきますと、荒唐無稽な想像をするしかないのかもしれませんが・・・
「形式・儀式」と言う言葉からの連想は、「神は上の存在」というようなイメージがありますね・・・。

そうすると、どうも・・・神は小学生の女の子・・・という森田健さんの言うようなことが、ヒントなのかもしれません。

前々回もし、こういう考えが出て入れば、きっとムー大陸では、「形式・儀式」ではなく、何か大きな科学的なことをする場所には、キティちゃんのぬいぐるみでも、置かれていたのかもしれませんが(笑)、どうも、そうではないようですし。

別の見方をすれば、前々回、キティちゃんのぬいぐるみを科学者に配って、失敗したので、前回は、「儀式・形式」になった、という見方も出来ますが(笑)、なんとなくですが、そういう流れではないように感じます。


普通に考えて、「なんで前回の理由に、儀式・形式だなんていう古臭い原因が入っているんだ」と、多くの方は思いますよね?

もっとも、映画か何かでみた、レーザー光線を撃ちまくっているムー大陸の様子か何かの記憶が、そう思わせているだけなのかもしれませんが(笑)。


今の所、前々回ということを考えることによって、何となく、そこら辺の矛盾を是正しているような感じですが、実際はどうなっていたのかは、分かりません。


ただ、いずれにしても、「エゴ、お金」というものが、「儀式・形式」なり、「科学」なり、何らかのものを利用して、何か間違ったことをする、という流れがあるようですね。


しかし、科学が原因とはどういうことでしょうか?
想像するに、人口地震などの科学兵器のようなことか・・・

儀式・形式が原因だったとはどういうことでしょうか?
想像するに、高次元に頼り過ぎたか、人々を縛りつけ過ぎたか・・・

またですが(笑)、いずれにしても、、「エゴ、お金」というものが、「儀式・形式」なり、「科学」なり、何らかのものを利用して、何か間違ったことをする、ということなのでしょうから、基本は、そちらにあるのでしょうか。


私的に言えば、「エゴ」というものは、多少がんばりますと、ある程度”以上”なくなってくるもののように感じているのですが・・・私的とは、私tという人間だけ考えれば、いいか悪いかは別として、出世欲とか、性欲とか、そういう欲は、抑えるというよりも、なくすることができる、という意味ですが。

ただ、”金”に関しては、住む場所、食べるものなどがありますので、少なくとも都会に住んでいる限りは・・・と言いますか、本当に、”ただ生きている”という感じでよければ、それも抜け出すことは可能なのでしょうね・・・ただ、なかなかそうは思い切れない、というだけですね・・・これも、いいのか悪いのか分かりませんが。

しかしながら、別にこんなミクロなことを言っているのではないのでしょうね。
もっと、大きな流れ、むしろ発想が逆で、私のような普通(?)の人が、それこそ皆億万長者になってしまいますと、その変なお金の流れが、なくなる、変わるのかもしれませんね。


要するに、ロックフェラー家、ロスチャイルド家のように莫大なお金を持っていても、仕方のない状況、あるいは、みんながお金持ちになってしまうような状況のどちらかが生まれれば良いのかもしれませんね。

それがありえるのは、やはり、宇宙エネルギーを使ったエネルギーの実用化が一つでしょう。
しかし、それもまた、前々回があったなら、きっと同じことを考えたことでしょう。
そして、どうも、前回には、宇宙エネルギーを使っていた可能性もありますね・・・使っていないかもしれませんが。

とにかく、かなり確実なのは、今回は、「エゴ、お金、科学」に気をつけるべき、ということですね。

また、思いつきましたらいろいろ書いてみたいと思います。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

 

で、ですね・・・・
今TBSで、学生100名集めて、民主党と自民党の議員に、靖国問題について議論させて、どちらが正しそうか?というのを投票させる、という少しだけ興味深い番組をやっていますが・・・(もっと速い時間になぜ、できないとも思いますが・・・)、

学生が、どうも、靖国参拝賛成なような人でしたが、「青春を捧げて散っていった人たちをなぐさめたい・・・」というような内容のことを言っていましたが、これは、そこら辺にいる人よりよっぽど良いのですが、実際は、きっと違います・・・と言いますか、戦争で散っていった人たちは、別に慰めて欲しいだなんて思っていないでしょう。
それよりも、「もう、絶対に戦争が起きない国、世界を作ってくださいね・・・」といっていると私は感じます。
ですので、外国が、まともなことを言おうが、筋の通らないことを言おうが、どうであろうが、とにかく、”戦争を二度と起こさない”ということを一番に考えた行動をして欲しいですね。


 

 

 

 

 

で・・・・・・
筑紫さんが、安倍さんをして、「お爺さん以来の、ナショナリストの総理大臣・・・」(でしたっけ?)というようなことを言っていますが、それは違うようですね。

お爺さん依頼、アメリカと太いパイプのある人・・・実際はアメリカという国ではないが・・・ですので。

ただ、筑紫さんが、本気で言っているのかどうかは、分かりません。
あんまりはっきり言いますと、テレビに出れなくなってしまう現象は、何も、ブッシュさんによるものではないようですので、がんばっている人は、多少意図しても良いですので、長く出ていてほしいものですね。

 

で、
昨日、産婦人科医が減っている、という番組がやっていましたが・・・どうも、医療訴訟になる率というのは、産婦人科医が一番多いのだそうですね。
そして、手術が失敗して、先日、お医者さんが逮捕までされている・・・

それは、普通に考えて、なり手がいなくなりますね・・・
ただ、どうなのでしょうか?

もちろん、いい加減な医療はまずいですが、失敗する可能性の高い手術をして、全力を尽くしても、失敗してしまい、逮捕されるお医者さん・・・
そして、訴訟を起こされるお医者さん・・・

基本的には、お医者さん(あえて医師とは言いませんが)には、手術を断る権利もあるのですよね・・・
でないと公平ではないですね。

もちろん、使命感を持っている場合、「たとえ、訴訟されようとも、目の前にいる患者を無視することはできない」となる方もいるとは思いますが。


よく分かりませんが・・・
少なくとも、産婦人科には、”医療訴訟”というのは、適応されるべきものではないのではないか?と感じているのですが・・・

みなさんは、どう思うでしょうか?


もうひとつよく分かりませんが、私は確かお産婆さんに取り上げられています・・・と聞いています・・・本当だろうか(笑)?。
今は、いけないんだそうですが・・・

ただ、少なくとも、日本人的心では、出産というのは、”医療”ではないのではないだろうか?とも感じます。
しかし、戦後、西洋医学に倣って、医療行為としたのではないかと想像しますが。

もちろん、西洋医学の力にを借りなくてはならない場面もあるのは、分かりますが・・・
ただ、”治す”行為ではないのは確かですよね。

みなさんは、どう思うでしょうか?



で、そんなことを考えていましたら、よく言われる「官僚は責任を取らない」という話が思い浮かびました。
昨日の夜中にやっていた上記の番組も関係あるのですが・・・
要するに、官僚の方は、一度間違いを犯しますと、それで、出世がなくなる・・・とも言うし、一度も間違いをしなければ、間違いなく出世できる、ので、「間違いを認めない」ということのようですし、そうなのでしょう。


で、もし、人を裁くのが目的ではなく、「なぜ、そういうことが起きてしまったのか?」ということを知りたい、ということが目的ならば、”責任”、”罪”を問わなくて良いのですが、もし仮にそうしたら、どうでしょう?きっと、官僚の人も、間違いを犯したら、きちんと、「これこれこういうことで、こういう間違いをしました」と言うのでしょう。

もちろん、そういうことをしたら、無責任なやつが、やりたい放題する・・・という人もいると思いますが、それについては、良く分かりません。
決してそうでもないのではないか、とも感じますし・・・どうでしょう?



そして、上の産婦人科のお医者さんで手術に失敗して、逮捕されてしまった人ですが・・・
やはり、産婦人科での医療事故で刑罰、というのは、適さないのではないだろうか?と感じます。

もちろん、どうして、そうなってしまったのか?ということは、医療の進歩のために必要でしょうから、それを調べるのは大事なことなのだと思います。

その意味で、3次元的な意味でも、”責任を取らない間違い”で、しかも、”失敗を認める”状態があって良いのではないだろうか?と感じます。

私が産婦人科医だったら、
「この手術はお受けするわけにはいきません。なぜなら、失敗する可能性が高く、私が失敗したら、また一人産婦人科医が減ってしまうからです。」
と言うかもしれませんね・・・

みなさんは、どう思うでしょうか?



 

 

さて・・・・・・
昨日は、なんと平日であるにも関わらず、夜ご飯を食べずに寝てしまう、ということを、生まれて初めてしてしまいました(笑)。
で・・・朝5時から起きて(勝手に目が醒めた)、朝ご飯を食べたりしていますが、朝ごはんをきちんと食べるというのも、また、ホテルにでも泊まらない限りにおいては、人生上、1、2度しかありません(笑)。

ない、と思われるようなこともあるものだな、と少しだけ考えたりしていますが(笑)。


で、当然これも、朝書いていますが・・・

ほとんどテレビのニュースで聞かないようなものでも、たくさんの人に知って欲しいものというのはありますね。
こんなのは、どうでしょうか?


(引用)
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/music/news/20060926k0000m040074000c.html

バイオリン・コンクール:日本人が優勝はじめ上位を独占

 バイオリニストの世界的な登竜門として知られる第10回ヴィエャフスキ国際バイオリン・コンクール(ポーランド・ルブリン市)のジュニア部門(17歳以下)で、日本人が優勝をはじめ上位を独占したことが、25日、関係者への連絡で分かった。

 15日から23日まで現地で行われたコンクールで、弓新(あらた)君(14)=練馬区立開進第二中3年=が優勝。松本紘佳さん(11)=横浜市立もえぎ野小5年=が2位に、寺内詩織さん(16)=東京・桐朋女子高2年=と篠原悠那さん(13)=福井大学教育地域科学部付属中1年=がともに3位となった。第5位には大塚百合菜さん(17)=東京・桐朋女子高2年=が入った。弓君は第57回全日本学生音楽コンクール東京大会バイオリン部門小学校の部1位、松本さんは今年の同部の予選を通過し11月に開かれる本選に出場する。寺内さんは第58回同コンクール同部門大阪大会中学校の部で、篠原さんは同大阪大会小学校の部で、大塚さんは第59回同コンクール同部門全国大会高校の部で共に1位となっており、「学生音コン」出身者が大活躍。ウィニャエフスキ・コンクールの審査員を務めた辰巳明子桐朋学園大教授は「日本人が生き生きした演奏でレベルの高さに驚いた」と語っている。

 同コンクールのジュニア部門1位受賞者にはレーピン、ベンゲーロフ、庄司紗矢香などがいる。
(以上)

 

お金持ちが英才教育を受けた結果とも言えるかもしれませんが、中にはそうでない人もいるかもしれませんし・・・
というよりは、素直に、日本人ががんばった、ということで良いのだと思います。
ただ、こういうのは、きっと視聴率を稼げないから報道しないのでしょうね。

甲子園で優勝するのと同じか、それ以上すごいことだとは、思いますが。

ただ・・・みな東京在住のようですね。
東京生まれでしょうか?

良く分かりませんが。

こういうのを、生放送したりできないのでしょうか?
ネットでもいいですので(笑)。





で・・・
PCのディスプレイにリフレッシュレートという設定がありますが(実際はPC側)、私は以前はこれが、ぜんぜん目で気付かなかったのですが、先日、初めて気がつきました(笑)。

以前から時々ですが、このリフレッシュレートについて、人が気付いても・・・つまり、同期が微妙にずれているように見えるのですが・・・私はぜんぜん気がつかなかったのですが、今はちゃんとずれて見えます。

理由を考えるに・・・
船井幸雄さんの両手振り体操を毎日やっている結果かな、とも思えますし、コンタクトレンズの、乱視矯正を止めたのが理由なか、とも思いますし・・・(笑)。



みなさんは、見えているでしょうか?





で・・・
今週末は、「にんげんクラブミーティング」ですね。
チケットはまだ、あるのでしょう。

東京以外の方も、土曜日だけでも、来れると良いですね(笑)。





で、森田健さんのサイト(不思議研究所)に、「なんとか星人」という「地球よりも次元が上の星に住んでいるの宇宙人について書かれている本」に登場する宇宙人のことが書かれていますが・・・(回りくどい)、

疑問ですが・・・(笑)、
どうも、読んでいますと、3次元的肉体をまとったままのように感じますが・・・・・・

アセンション一般の話を聞いても、月で宇宙人が目視されないのは、”すでに肉体のない存在が住んでいるからだ”というような話を読んでも、どうも、3次元的肉体がないほうが、納得がいきます(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?






さて・・・・・・
先日、浄土真宗についてテレビでやっていましたが、


「真実真心の称名は、阿弥陀回向(えこう)の法なれば

不回向(ふえこう)となづけてぞ

自力の称念きらはるる」

という親鸞さんの歌がありました。

で・・・
歌の内容ではなく、回向(えこう)という言葉が面白いな、と感じました。

これは、「人から阿弥陀仏へ念仏を返す」、というような意味らしいのですが、音のエフェクトの”エコー”の原理と似ていますね。

このように、世界中で、似たような、あるいは同じ発音で、同じ意味の言葉というのは時々見かけます。
面白いですね(笑)。


その番組ではいろいろやっていましたが、宮沢賢治の家は父親が、熱心な浄土真宗の信者だったようです。
彼の作品には、その影響が濃い、というようなことを言っていましたが、実は私は宮沢賢治の作品はこれまであまり好きではありませんでしたし、ですので、ほとんど読んでいません。

”好み”かもしれませんし、要するに”ハンドルを手放す”に近い概念が分かっていませんでしたので、理解できなかったのかもしれませんね。
良く分かりませんが。



中丸薫さんの本(泥棒国家日本と闇の権力構造)には、宮沢賢治の名前が登場しますが、また機会があれば、彼の作品も読んでみたいと感じます。

また、親鸞の言葉で、「なくなった人に対して一度も念仏を唱えたことはない」、というようなことも言っていましたが、要するに、「命はつながっている。よって、全体に対して祈る」というようなことに聞こえました。

「阿弥陀仏が説いたことを、私が説いているだけ・・・」、「命は全てつながっている」、などの親鸞の言葉もありましたが・・・
解説の大学教授の方は、親鸞、浄土真宗などの説明にいくらかむつかしさを感じていたように見えました。

それは、当人も分かっているようで、話の中に、
「おばあさんが、私におじいさんのために念仏を上げて欲しい、というので、そうしましたら、一緒にいた何人かの人たちもその念仏を集まってきて聞いていたのですが、おばあさんは、”おじいさんのための念仏なんだから、聞いてはダメ・・・”のようなことを言うのですね。おばあさんにしてみれば、折角おじいさんのためにあげている念仏なので・・・」
というような内容の話がありました。

これをして、所有欲と取るか、全てと繋がっている、が理解できていない、と取るか・・・
いろいろありますが、マクロに見て、個としての人と時空全体の概念の説明にむつかしさを感じていたようです。

当人は理解しているとしても、それを誤解なく説明する、ということのむつかしさなのだと感じますね。

もちろん、私も、一切の誤解を受けない説明はできませんが。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

「一人の人間の力ではなにもできない、仏にならなければ・・・」
という親鸞さんの言葉の話もありましたが、ここでの仏は、阿弥陀仏的な解釈でしょうか?
阿弥陀仏が時空全体だとすれば、まさに、「すべてと繋がっている」という概念を持つ、ということに近いようにも感じます。

みなさんは、どう思うでしょうか?






さて・・・・・・
いよいよ明日9月30日は「にんげんクラブミーティング」です(笑)。


開場予定
9:00
日付 第1講座 第2講座 第3講座
10:30〜12:30 13:30〜15:30 16:10〜18:10
第3回
『上手に生きるコツ』

9月30日(土) 佐々木洋治
『縄文のヴィーナスと近未来のヴィーナス』
野中邦子
『無限の可能性を信じて』
宮下正次
『上手に生きるコツ』
10月1日(日) 安保 徹
『生き方の偏りと病気』
エハン・デラヴィ
『サンダーボルト』
船井幸雄
『今、一番伝えたいこと』
(敬称略)
会場 よみうりホール
東京都千代田区有楽町1-11-1読売会館7階/JR有楽町徒歩3分
TEL:03-3231-0551 〔地図

これですね。
楽しみです。

で・・・
私が最近称える「みんな味方だ、理解者だ、協力者だ」は、良く考えてみますと、「私は全てと繋がっている」ということなのでしょうね・・・

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

さて・・・・・・
どうも、寝てしまう癖がついてしまったのか(笑)・・・
で、いよいよ今日は「にんげんくらぶミーティング」です。
楽しみですね。

で、国家を歌い、国旗を掲げるのは、絶対に”礼儀”ではありません。

先達て、テレビのアナウンサーが、「新人を指導するときに、”思います”とか、そういうあいまいな表現は、自身がないように見えるので絶対に使わないようにと言っている・・・」とか言っていましたが、さて・・・
100%でないものに、”自信のある表現”などしてはいけません。
ましてテレビの中で100%でないものに対して、そんな表現をしてはいけません。
それは、”嘘つき”と言います。

”仮説”は”仮説”、”想像”は”想像”、”そうらしい”、は”そうらしい”、”そうかもしれない”は”そうかもしれない”、”その可能性がある”は”その可能性がある”で良いと思います。
もちろん、”そうでない”と思ったら、後で、過去との整合性など取らなくて良いですから、新しい考えを述べればよいと思います。

で、「国家を歌い、国旗を掲げるのは、絶対に”礼儀”ではありません」ですが、これは、100%ですので、はっきり言います(笑)。

そんな第三者的なものではありません。
そして、教育で教えるようなものでもないでしょう。

不思議ですが・・・なぜ今そんなに、”強制的”に国家を歌わしたり、国旗にこだわったりするのだろうか?ということですが・・・
私は国家も好きですし、国旗も好きですし、こだわりはありませんが・・・命令で歌ったり、掲げたりはしません。
命令されたら、隠れて歌い、隠れて掲げるかもしれません(笑)。

 

で、強制の後ろにはどういう意図があるのでしょうか?

 

礼儀という言葉には2つの意味があるかもしれませんね・・・
お年寄りを敬うのは礼儀です。
偉い人に頭を下げるのも礼儀かもしれません。
前者は、「どうして礼儀かと言えば・・・」というように、その後ろにきちんとした意味があり、それがすでに形になっているので礼儀ですね。
おそらく”感謝”でしょう。
後者も、その意味では、後ろに意味があって、形になっているのですが、”感謝”ならよいですが、3次元的な・・資本主義的な意味があるなら、実際は、頭を下げる必要はないでしょう。

その意味では、神社に詣でても、神と対等であり、「守ってくれてありがとう」の意味で頭を下げるなら良いのでしょうが、「あまたを下げないと何かされる」的な意味なら、誤解ですし本当にそう思っているなら、そもそも神社に詣でる意味が間違っています。

 

その意味で、国家、国旗に”礼儀”という言葉を使う、元総理や補佐官という人たちは、「あなたの言う礼儀のもともとの意味は何か?」を語るべきです。

あなたたちの礼儀と言う言葉は、単なる逃げ口上に過ぎないように感じてしまいます。

もし、そこで言われる礼儀が、「偉い人には頭を下げろ」ということと、同じであるのなら、おそらく、あなたたちに、国家を歌わしたり、国旗を揚げさせたりすることは難しいでしょう。

アセンション的に言えば次元が上昇しています。

宇宙の理から見て、正しい定義、正しい様相を踏まえなくては、いけないように感じます。

 

その意味で、国家を歌い、国旗を揚げることに関して、”礼儀”を理由に強制するのは、間違っています。

国という存在に感謝して、国家を歌いたくなり、国旗を揚げたくなるようにしなくてはいけない、ということでしょう。
その意味で、政治家にできることは、多くの人が、自然に国に感謝できるような状況を作る、ということでしょう。

私は政治家ではありませんので、まず「生きている」ということに関して、どうもそれだけでも、”しあわせ”でありますので、その意味で宇宙歌、宇宙旗、地球歌、地球旗、国歌、国旗、課程歌、家庭旗、私歌、私旗でもなんでも歌いたい気持ちですが・・・
それぞれが、それぞれの立場で、その人が属している塊に対して、感謝できる状況を作ることが必要なのでしょう。

もう、嘘、ごまかしは通用しません。
理論できちんと説明せよ、ということではないようです。
根本が間違っているものは、通用しない・・・ということなのでしょう。

 

みなさんは、どうもうでしょうか?

 

ここら辺にしませんと、「にんげんくらぶミーティング」に遅れるかもしれませんので(笑)。

 

 

 

で・・・
今、翌日の朝ですが・・・
まだまだ修練が足りないのか、昨日は眠気との戦いでした(笑)。

で・・・簡単に昨日のにんげんくらぶミーティングの感想を書きますが・・・

佐々木洋治さんですが・・・
蓼科山、諏訪神社、シャクと呼ばれる極小のもの、土偶よりも古い国宝の「縄文のビーナス」土偶、地震の話・・・などなどがありましたが、蓼科山、諏訪神社あたりに一番時間が割かれていたように思います。

いろいろありますが、メモを見ない範囲で、一番心に残っているのは・・・
メデューサ・・・っていますよね・・・あの頭に蛇が乗っている通常怖い顔をしている・・・
で、あれは、森の女神、精霊だそうです。
それを佐々木さんの解釈では、近代キリスト教が、資本主義的なものを推し進めるため・・・つまり森などをどんどん切り開いてしまうために、”悪いもの”と定義したので、現在は、あのような絵のメデューサが一般的になっている、ということでした。
ありえますね・・・

ハワイのカイルアで、知り合いの日系人のおばさんが、「ほら、今あそこで、トンネル工事をしているけど、昔からのハワイの人たちが、山の精霊にきちんとお願いをしてからでないとダメといっているので、工事の進捗が遅くなっている・・・」といっていたことがありました。

どうも、近代キリスト教、資本主義にとっては、3次元と関わりの深い高次元的存在が邪魔なようです。
もちろん、キリスト教でダメとされているものが、全て逆で良い、ということではないのでしょうが、どうも、メデューサに関しては、佐々木さんの解釈が正しいようです。

直感もありますが(笑)。
先達て、ある映画の配給会社に用事があったのですが、そこに、怖い顔をした女性の掲載されている日本映画のポスターが貼ってありました。
で、昨日、有楽町に行く途中、なぜか、その絵が頭に浮かんできましたが・・・私は勝手にその絵と対話をしていまして(大笑)、「私は別に外見で、良いとか悪いとか言わないけど、もし、私の邪魔をするなら出て行け。そうでないならどうでもいいけど、少なくとも、怖い顔かどうかは別として、笑っていなければいけないよ・・・」とかなんとか、やっていました(変)。

それがどうした、ということはないのですが(笑)、どうもメデューサは、優しい森の妖精である、というのは、事実のようだ、と感じています。


みなさんは、どう思うでしょうか?



で・・・野中邦子さんですが・・・
まず、75万円取る話ですが・・・当初、無料にしていたそうです・・・
といっても端折り過ぎですので、もう少し書きますが、もう家族中、自分も含めて病気で死のうと思っていたけど、それでも、何かを探していた時に、見知らぬ人が声をかけてきて、病気を治してあげよう、といわれたそうなのです。
それで・・・確か治ったようで、その力を得たいと思ったそうです。
そしたら、150万円のセミナーに出れば痛みを取ったり、病気を治す力を得られよ、というので、どうしても欲しかったので出た・・・というのが、そもそもの始まりのようです。
で、その後、多くの人を治して、治った人には、力をさずけて、「他の人にも、無料で痛みを取り去ってあげて、この力を授けてくださいね」としていたそうなのですが、大半の人は、そうせず、困った人がいても、野中さんの所を紹介するだけだったそうです。

で、どうも、無料だとありがたみを感じないのではないか、と思い、150万円の半分の75万円にしたそうです。
ちなみに、150万円の人とは、なぜか、その後会うことが無いそうです。
こういのは、ありますね・・・カタカムナ文献を見せてくれた、洞窟であった人とか・・・
その他いろいろ。

で・・・75万円は、全て、どこかの発展途上国の学校設立費用として寄付しているそうです。

信じられない人は、自分で調べてください。
とりあえず、私は信じますので(笑)。

で・・・いろいろあるようですが、私には手伝いをする余地は無いな(笑)・・・と感じました。
きっと、これからすごいことをしていくのでしょう。

で・今やっているのは超能力ではない、ということを何度も言っていましたが、私に説明させれば、「これは超能力というならそう言ってくださって良いです。しかし、これは、もともと人間が持っていた能力です。ですので、不思議ではありません。・・・」式のことを言うとは思いますが。


また、野菜に気持ちを伝えて、大きいのやいろいろな形をした野菜を作ることをしているようですが・・・それに関して「野菜たちがペンギンの形や、人の名前を知っている、ということが一番の驚きです・・・」と言っていました。

私は不思議ではないのは、きっと、不思議研究所の孫さんの炒った豆から芽を出す・・・で、豆が、「僕は〇〇豆じゃないよ。❑❑豆だよ・・・」というのを読んでいたからでしょうか?
良く分かりませんが(笑)。

で・・・非常に3次元的ですが、戦争で被害にあった国などでは、医師がとても足りないようですね・・・
あそこに行っている人たちが、みなこの能力を持っていたら・・・などと考えてしまいます。
安直でしょうか?



宮下正次さんですが・・・
元林野庁の人だったようですが、とても面白い人でした。
アルミについての話が興味深く、どうも海外では、アルツハイマー病は、アルミの病気とされているそうですね・・・

で、WHOでは、缶ビールを開けた時に、粉になってビールに入ってしまうアルミの量が人が一日にとるアルミの量の限界のようです、ちょっと私の覚えが違うかもしれませんが。

また、今森が枯れていますが、国では、虫のせいなどとされていますが、やはり酸性雨によるもののようです。
なんでも、「知恵蔵」という辞書のようなものには、「酸性雨」という項目が削除されてしまっているそうです。

で、これは、正にエイズと同じで、免疫力がなくなるから、虫にやられるようで、要するに酸性雨だそうです。
それも、炭素、炭を植えることによって、改善されるようです。

蜂に指されても、マムシにかまれても、どうも、炭で治ってしまうようです。
詳細は、本などで、確認ください。

壇上では炭を食べたりしていました(笑)。
早速、私の今朝、食べてみたりしていますが、果たしてどうでしょうか?


宮下さんの壇上で言っていましたが、「野中さんのやり方では、体に入ったアルミは取り去ることは出来るのでしょうか?」ですが、どうなのでしょうか?

また、ガンですが、正確には、人の体では、1日に3000〜5000のガン細胞が出来ているのだそうです。
しかし、免疫力により、それをやっつけているのだそうです。
そして、規定の大きさ以上になったものを、初めてガンと呼ぶのだそうです。

人と地球が相似であることをいろいろな例をとって説明していましたが、面免疫力が大切だ、ということは、正にどちらもそうですね。

そして、人にも、炭は良いようです。


佐野さんは、相変わらずがんばっていましたが、私はアンケートを書くために、遅くまで席に残っていましたが、その中を「ありがとうございました」と大きな声で言って回っていました。

私は、眠気で目を開けているのがやっとでしたが(笑)、元気ですね。

富士山のロッキー田中さんのブースに言った時に、ロッキーさんから、話しかけられたりしましたが、ほとんど、頭と口が繋がっていない状態でしたので、無愛想な変な人になってしまいました(お詫び)。

あの状態は、ほとんど幽体だけで、生きているのでしょうか?(笑)。
私はこの状態が良くあります。

みなさんは、どう思うでしょうか?

それでは、出かけますので、ここら辺まで。

 

 

 

さて・・・
ということで、戻ってきました(笑)。

さすがに船井幸雄さんが出るからでしょうか、それとも、日曜日からでしょうか、あるいは他の出演者の影響でしょうか、はたまた、全ての合成でしょうか・・・今日は昨日より、人が多かったように感じます。

ですので、さすがに席も7列目まで下がりましたが・・・不思議なことに、昨日も、今日もあいている席に座っただけですが、19番という席です。
真ん中ですね。正確には、18,19の席の間が講演台のところになるかと思いますが(笑)。

 

で・・・関係ないですが、最近変わったものに出会いますが・・・
おそらく何かの広告活動なのかな?とも感じますが・・・
先週山手線の中で、20代前半の女性が2,3人でしたでしょうか・・・原宿ですが、すこしわざとらしい感じの口調・・・つまり、いくらか芝居じみているのですが・・・インターネットで商売をしているとか、するとか、費用がかからないとか、どこそこへ出張へ行くとか行かないとか、海外から仕入れるとか・・・要するに女性若手企業家のような感じで大きな声で話をしているのですね・・・わざと他人に聞こえるような感じで・・・
それが、昨日、昼にファーストフードのお店で食事をしていると、同じような感じの内容を、同じようにいくらか芝じみた口調で、多くの人に聞こえるような感じで話しているのに出くわしました。

私の問いの結果の外応ではないと思いますが(笑)、新たな広告か何かでしょうか?
それとも、何かの詐欺でしょうか?
それとも、20代前半の女性の起業が増えていて、みな、大声で、わざと他人に聞こえるように話す癖があるのでしょうか?
あるいは、森田健さんが不思議研究所のサイトで書いていた、「うわさを流す広告」という商売でしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

 

で・・・
初めは、安保徹さんです。
新潟大学医学部教授のお医者さんですね。

どうも、私は医学系の話が好きなようで(笑)・・・たくさんメモを取りましたが、以前看護婦さんの仕事をしていたときも、なぜか、1日中看護セミナーを聞いていても、飽きなかったのですが(笑)。
通院は、10年に1度しかしないのですが、10年に1度、集中的に通いますので、そのせいかもしれませんが(どうして?)。
よく分かりませんが。

興味深かったのは、どうも、血液というのは・・・長い話は省きますが、白血球というのがありますが、それは、顆粒球とリンパ球に別れるようなのですが、ストレスが多すぎますと、これが白血球が多い状態になり、それは、状態としては、心身ともに疲れている状態のようです。
そして、逆にストレスを受けていない人は、リンパ球というのが多いそうで、どうも私の解釈では、どっちも、疲れやすい、と言うことに関しては同じなようです。
ストレスと言いますか、刺激、と言う感じなのですが・・・

ですので、喘息、アトピー、の人などは、基本的には、リンパ球が多い人が多く、リンパ球が多い場合、抗体が入ってきますと、それに対しての反応が大きくなり、それがつまり、喘息の発作などのようです。
ですので、喘息の発作では、発作が起きた時に、冷たい水などを足にかけたりして、別の刺激を与えますと、発作が鎮まる、ということもあるそうです。

で、リンパ球が多い人というのは、幼少時、風邪を引きますと、扁桃腺(確かそういっていたと思いますが)などがはれる人が多いそうなのですが、沖縄の100歳以上生きた人を調査してみると、やはり、幼少時、そういう・・・風邪をひくと扁桃腺がはれる、というような子供であった場合が多いそうです。

で、どうも、私が聞く限りでは、のんびりしすぎても、忙しすぎても、疲れやすい状態になってしまうようです(笑)。


また、頭が痛くなるとか、その他どこかが腫れるとか、そういうのは、要するに、そこが悪くなった時に血が流れてきて、そこを治そうという働きが起こるからそうなるのであって、それを痛め止め・・・これは、血の流れを止める薬のようですが・・・で止めてしまうというのは、本当は、治すということを止めてしまうことなので、良いことではない・・・というようなことを言っていました・・・と言いますか、基本的には、この流れが、この日の中核であったようです。

つまり、ガンの放射線療法でも何でも、体を壊してしまうような治療はせず、心身ともに良い状態になれば、リンパ球が体の中に増え、そして、体がどんな病気でも自然に治してしまうものだ、ということです。

ですので、どんな病気でもそうですが、大抵、薬を飲んでいる人というのは、数種類の薬を飲んでいるわけなのですが、それは、痛み止めの薬を飲めば、当然興奮しますので、眠れなくなり、睡眠剤も必要になる、ですとか、薬が薬を生む、という薬の連鎖によるところが大きいですので、お医者さんがくれる薬は、本当は場合にもよるのでしょうが、飲まない方が良いケースも多々ある、ということでした。

船井幸雄さんによれば、「きっと、本当のことを言っていると言うことは、多くの人から叩かれているでしょう」ということです。



また、面白いこととしては、外国は、夜は明かりを落として、スタンドライトのようなもので、灯かりを取っているが、日本の住宅は、天井から蛍光灯をつるして、部屋中明るくなっているので、夜になったという感覚に薄く、子供が夜更かしをしてしまうことに繋がっている、というものがありました。

これは、残念ながら、その通りですね(笑)。
確かに、夜になった感が薄いですね、日本は。

それによって、子供が朝、食事をするような体調にならず、それが、”切れる”子供の増加の原因にもなっている、という話でした。
それだけではないでしょうが、それもあるでしょうね。

他にもいろいろありましたが、また追って書きます。
興味深い話がたくさんありました。

さすがに、質問コーナーでは、医療関係者が多かったです(笑)。

で、安保さん、と打つ時に、”安い”、”保険”と打っているのですが(笑)・・・何か高次元的(笑)なものを感じますね(笑)。
どうも、安保さんの言うようにすれば、保険料金は安くなるようです。


みんさんは、どう思うでしょうか?




次はエハン・デラヴィさんですが・・・
サイン本を買いました、2つ(笑)。
サインして、握手してきましたが、「私の言ったことを理解してくれましたか?」と言っていましたので、私を固体認識はしていないようです(笑)。
「さすがに、全部、事実だと思います」とは言えませんでしたが(笑)。

よっぽど、「いつか、キネシオロジー・テストの件でメールして、返事を貰ったことがあるのですが・・・」といってみようかと思いましたが、止めました(笑)。
それがどうした、状態だと思いますので(笑)。

ちなみに、http://motions.fc2web.com/love13-5.html に、エハンさんからの返事のメールを掲載してあります。



で・・・
いろいろ話していましたが、エハンさんが、「これkらとんでもないことが起きる」というような内容を船井幸雄オープンワールドで話した2日後に、9.11 の事件は起きたようです。

そして、今日、アメリカの国会議員ですら、「あの事件は、政府のでっちあげだ」と言ってはいますが、「当時はだれも信用していなかった。今まで、火事で、ビルが崩れてしまったことなんか一度もありません。それくらいみんな洗脳にかかっている・・・」というようなことを言っていました。

私は、直感的に、「でっち上げである」説を信用しましたが、それよりもなによりも、「今まで火事で、ビルが崩れたことはない」というのは、正にその通りですね。

確かに飛行機がぶつかった、という事実はあるのでしょうが、それでも、少なくとも、あんなにきれいに倒れるのは、”変”です。

で、いろいろ言っていましたが、宇宙は、重力の法則ではなく、プラズマによってそれぞれが繋がっていて、そこに電気が流れて、動いている、繋がっている、というのが、事実である、という話は印象的でした。

人の体に神経を伝えるために(でしょうか)、電気が流れているのは多くの人が知っている話ですが、宇宙と人が相似形なら、やはり、宇宙にも、電気が流れているわけですね。
エハンさんもそういうことを言っていましたが。

 

ですので、太陽が光っているのも、核融合などのせいではなく、どうやら、このプラズマの線(?)によってエネルギーが送られているから、というのが事実だろう、ということです。

ここら辺も、昨日の佐々木洋治さんの話同様、初めに、どういう理由かは知りませんが、通ってしまった説によってできあがった利権権力が、その後、いくら正しいことが分かっても、それを封じ込めてしまう、という流れと似たようなことが起きていて、正しいことが伝わらないようです。

逆に考えれば、確かに、今まで隠されていたことが、すごい速さで、表で出ていますね。



また、ドイツの最先端の観測所の報告では、この60年で、過去千年間で太陽から放出されたエネルギー(放射線・X線)に相当する量が放出されているそうです。
ですので、温暖化の本当の原因はCO2もあるでしょうが、実際は、こちらの方が大きいだろう、ということです。

先達てのインド沖津波で、オーストラリア人の友人のサーファーがその場に居合わせたようなのですが、波を見た瞬間、逃げても無駄だと感じ、子供二人をサーフボードに乗せて、波に向かって漕いで行き、助かったそうです。
すごい話ですね。


また、DNAは3%しかこの肉体には使われてなく、残りはジャンク扱いされているようですが、その残りの97%は、アセンション後の新しい体のために用意されているものである、ということも話していました。

確かに、そうなのでしょうね。

本を2冊買ってきましたので、ゆっくり読んでみたいと思います。



 



さて・・・
船井幸雄さんですが、明日以降、船井幸雄さんから書いて行きますので、軽く触れる程度にしておきますが・・・
先達て書きました、船井幸雄さん・西園寺 昌美さんの共著:心配不要、これからよくなる!ビジネス社 (2006/09) にある艮の金神さんの話で・・・
この神様は、国常立神(クニトコタチノカミ)のようですが、女性にチャネリングして、大きな声を出しますので、船井幸雄さんが主催者だったので、自らヘルプの女性を伴ってその方を会場の外へ連れて行ったそうなのですが、そこで神示が始まったようなのですが、冬で(京都で)あまりに寒いので部屋の中へ戻ろうとすると、丑寅の金神さんが「船井幸雄、逃げたらいかん・・・」というので、最後まで聞いたそうです(笑)。

その他、「日月神示」の話、来年4月の「にんげんクラブミーティング」、「船井幸雄オープンワールド」の再開の予定、などの話もありました。

どうも「日月神示」によれば、「石工の組合によって、日本が根こそぎ取られていく」ということが書かれているようです。
石工とは・・・フリーメーソンの始まりは石工の組合だったようです。
どうやら、アメリカ、インド、中国、フリーメーソンに、日本は根こそぎ奪われて行き、最後に大どんでん返しが起こる、ということのようです。

神示では、「今までキリストを初め、7人の人間に同じことを伝えてきたが、これが最後だ」ということのようです。

但し、日本人がしっかりすれば、この”奪われる”ということが、大難から小難に変わるだろう、ということです。

近いうちに読んでみようと思いますが




近いうちに読んでみようと思いますが、左記のどちらかでしょうか?
たくさん出ていますので、迷いますが、フナイ・ドット・コムにあるのは、一番左のものですね。

にんげんクラブミーティングの本屋さんでは、昨日はあり、ちょっと開いてみましたが、船井幸雄さんの講演後、いきましたらもうありませんでした(笑)。

こちらは1,500円ですので、いつでも、アマゾンで買えますが。
但し、4冊も新しい本を買いましたので・・・いつになるのか・・・意外に先に読むことになるかもしれません。
昨日、開いた、というのは気になります(笑)。

他にも、どうも、アポロ11号は月には行ったようだが、ソ連のルナ15号も、故障か何かした状態で、飛行士だけは、月に降りたようです。
それを、宇宙人に助けられた、という事実があるようです。

エハンさんによれば、現在のロシアでは、超能力免許があり、実演することにより、それがもらえるようですが、そこら辺は、以前社会主義だったせいか、それとも、そういう月でのことも関係しているのか・・・
みなさんは、どう思うでしょうか?


詳細は、明日以降、書いて行きます。


 

 

で・・・・・・
次の日の夜ではなく、3日の朝です(笑)。
また寝てしまいましたが・・・どうも、あがいた挙句寝てしまうのなら、初めから寝てしまった方が良いのではないかと感じていますが(笑)、どうなのでしょうか?

昨日と言いますか、「にんげんくらぶミーティング」の夜の瞑想の後、目を開けますと、今まで見たことも無いような数の明るいちょっと薄い色の小さな〇が、万遍の星空のようにたくさん見えましたが、これも、「にんげんくらぶミーティング」の影響でしょうか?
ちなみに、今朝の瞑想の後には、そういうことはありませんでしたが。

 

で・・・
今週末は3日間休みがあるようですので、何とかそこら辺で、がんばってリポートしようと思っていますが(笑)・・・



左記の本を会場で買いましたが・・・斎藤一人さん、江原啓之さん、美輪明宏さん、船井幸雄さんなどと、光田さんの対談集です。
五日市さんと光田さんの対談が出ていますが、講演の朝、なぜか、「感謝と言う言葉は、どういうことだろう?」と思いまして、いろいろ考えていたのですが、五日市さんの本には、「謝」という字を「射る」という言葉としていろいろ解釈している記述がありますが、私は、「謝」は「反射」の「射」ではないだろうか・と最近考えています。

つまり、来た言葉をそのまま返す・・・ということのですが・・・・

果たしてどうでしょうか?

で・・・・・・船井幸雄さんが、急に肉が食べたくなくなった、と言っていましたが・・・
体調の良くない人は、肉を食べるのを止めて、野菜中心にした方が良いですね・・・
もっとも、私は、鶏肉は食べていますが、それでも、以前よりぜんぜん体調が良いです。

どうもそれは、いつかも書きました通り、本土の日本人は、肉を消化しにく体の作りになっているからのようです。

みなさんは、どう思うでしょうか?


以下作成中



 














 

 




 

以下作成中


  



自己顕示欲は、いけない欲か?
少しはないと、いけないのではないか?

 
 

政木和三さんですが、
http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page020.htmlです。

 
 
 
 


以下作成中

 

 

 

 

 

自分gあだれかも分からないのに目的をもつ・・・

 

 

 

http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page020.html


政木語録・1995年版


<1995年の講演語録> 

※ 一生懸命の時は肉体の働きだけで精神が消耗してしまう。脳波がシータ波
 に下がれば生命体が前面に出てくるので疲れない。ドイツから来た遠い親戚
 の人も、一生懸命やろうとしたから精神が消耗し、体の具合が悪くなってしま
 った。頭の中で出来ていることだけをやって、後は一切神経を使わなければ 
 元気になるものです。

 

※ 神経波磁力線は空気エンジンの一部を使ったもの。わずか60Wから出力1
 万Wの神経波が発生する。(空気エンジンは60Wが10万Wになる)世の中
 にはたくさんの電気器具がありますが、同じ周期の信号を連続して与え続け
 ると、人間の体には必ず弊害が起きる。人間の神経と同じ波を、時間を変え 
 て与えると、筋肉や神経は疲労せずに、細胞は活性化されるのです。

 

※ 母親が胃腸が弱くて病弱であったため、自分も胃腸が弱く、小学校の1年の
 時から腹式呼吸を始めた。今思えば胃腸が弱くて良かったなと思う。

※ 欲望があると何も起こらない。一生懸命は目先の欲望の固まりだから何の 
 役にも立ちません。一つのことにエネルギーを集中させる“一所懸命” でない
 といけません。   

※ 『シンプルゴルフ』の本は12冊目で完結編でしたが、出版日のその日に  
 『神経痛が発生しない本を書け』との信号が来た。これは、あるものが出来上
 がると、また一段高いものが見つかる。だから、これで終わりという完結編と 
 いう言葉を使ってはいけないと思っています。

※ 私は本も新聞もほとんど読みません。必要なことは神示でくる。何をするとき
 でも、文献を集めたら終わりです。まず自分でやろうと思ったことを先にやっ 
 て、そのあとで文献で確認すればよい。
   
※ 水をかぶったり、お経を読むのは自己満足だけでなんにもならない。修行と
 は自分以外の人に幸福を与えること。そうすると幸福を与えた分だけの生命 
 体が戻ってくる。人間の器は、どれだけ周りの人に幸福を与えたかによって決
 まる。

※ 小学校の3年生の時、毎月1回同じ夢を見ていた。それは沈没しないアトラ
 ンティス大陸の夢だった。腹式呼吸のお陰で脳波が下がり、1万4千年前のこ
 とが鮮明に思い出された。

※ ヒット商品開発法を書いた時も、ただ鉛筆を持っているだけで、勝手に手が
 動いて1週間で書き上げたものです。人間が頭をひねって書いたものはよくな
 い。一生懸命はダメですよ。やるんなら“一所懸命”で、一つのことにエネルギ
 ーを集中させることです。 

※ 脳波が下がると、1年が300分の1秒になる。だから、物体が移動したり、ビ
 ンの中に入るのも、精神統一すれば当然のこと。これらのことは、すべて阪大
 で実験済みです。

※ 人間の神経の中にコンデンサーがあります。このコンデンサーは充電、放電
 しても電圧が全然下がらない。人間は未来永劫この様なコンデンサーを作る 
 ことは出来ない。現在の物理は程度が低い。真理は自然の中にあるから、自
 然のものをそのまま使えばいい物が出来ます。人工的に作られた物はすべて
 ダメです。

※ 人工的に作られた物から発する電磁波は、どんなに微弱なものでも人間に
 障害が発生します。人間の神経波と同じ信号の磁力線発生器は、まったく障
 害がありませんし副作用もありません。60Wの力では影響がないため、1万
 Wにして水(H2O)を刺激し細胞を活性化するから、病気が治るわけです。 
                  
※ 経営者の方は、売り上げを伸ばそうとか、収益を増そうなどと考えずに、得 
 意先にいい商品を持っていって幸福になってもらえば、売り上げはどんどん伸
 びます。一般の方も、周りの人に幸福を与えることが人間の最高の修業であ
 って、おのずと人間性もあがります。

※ 10月21日に福井県で講演し、翌日山に登ると畑時能の墓があり、今日は
 命日と書いてあった。これは偶然ではなく、生命体が覚えているから。  

※ 350年前の熊沢蕃山、650年前の畑時能と、物的証拠がはっきりし、前世
 があることは間違い。人生は一度きりではないので、執念を残さずに死んでい
 くことが肝心です。

※ 子供の頃に作った知恵の輪が出てきた。当時、輪を外すのに最初は飲まず
 食わずで36時間かかり、2回目は10時間、3回目は5時間位かかった。今で
 も、何も考えず目をつぶってやると、生命体のエネルギーが指の先にやってき
 て、うまく出来ます。これが人間のあるべき姿で、一生懸命ではなく『一所懸 
 命』です。生命体のエネルギーが働いて、ことがうまく運ぶのを名人芸という。

※ 研究所の前に同じ朝顔を植えた。1本は植木鉢で1mの棒を差し、もう1本 
 は地面に植えた。すると、植木鉢の朝顔は1mの所で花が咲き、地面に植え
 た朝顔は、横の木につたって10mまで伸びた。頭もない、目も耳もない朝顔
 ですら自分の身の程を知っている。現在の物理学は、人間も物質としてとら 
 え、生命体を考えていない。今後は、生命体のエネルギーを取り入れないと、
 人類の進歩はない。

※ 金品を要求するような宗教は、動物霊がやっている偽りの邪教であり、本当
 の宗教は一切の金品を要求しない。金品を要求するものには近づかないこと

※ 脳波を下げると精神の器が大きくなる。「どうでもいい」「自分ほど倖な者はな
 い」と思っていると心の器が大きくなる。そうすれば幸福が自ずとやってきて、
 この世での不可能はなくなります。また、器が大きくなると周りの人々にも良 
 い影響を与えるものです。

以下作成中

 


 

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