2010年の抱負も一巡したようなので、次の話題に入ります。 それは「お金」です(笑)。 たぶんメインコーナーでは一度も扱っていない問題です。 あなたにとってお金とは? で、私にとってお金とは・・・ はっきり言いましょう。 私にとって、かなり大事なものです。 愛をお金で買えるとまでは言いませんが、正直なところ、その部分も否定できないと思いませんか? 私にとってなぜ大事かと言えば、例えば中国紀行は一回400万円もかかります。 お金がなければ生まれ変わりの村だって行けません。 みなさんが私と同じことができない理由のひとつが、お金の問題があるからではないでしょうか? (以上)
ということですが・・・ 昨日、お金について書きましたが、森田健さんも書いていたようです。
で・・・私もお金は今の時代大切なものであるとは思っています。
で、なんでお金を否定するようなことを時々書くかと・・・
一番は自分の持つ嫉妬でしょうかエゴが嫌いだったのですね・・・ で、それがどこからくるのか?と思った時、最後はお金にいきついたのだと思います。
で、お金を大もうけするか、お金から自由になるかすれば、それから抜けられると思ったのですね、きっと。 で、大もうけしようとすればするほど、逆に自分のエゴ、嫉妬心が顕著になってきた、ということを20代、30代に経験した、思ったわけです。 それなら、お金を否定し、そうでないものをもとめれば、嫉妬、エゴから抜けられるのではないか?と思ったのですね・・・ それに私の性格の極端に傾くのが加わったわけですね。
で、確かに、シークレットガバメントにしても戦争にしても、お金が一番の目的になっていることが分りました。 というか本当は、その人たちの幸せ実現のためというのが正解で、それがすこし曲がりまして、お金になった、というのが事実で、ウルトラQのカネゴンそのものだったわけです。
実際、私に限らず、2流人のほとんどの嫉妬、エゴは金か威勢か地位と名誉です。 で・・・精神世界の人たちの中には、どうも数%なのでしょうが・・・これらから解き放たれている人もいるようです。
固執すると、余計にそれが寄ってこなくなる、という法則も経験していますので、その意味で逆に、固執しないでいた、というところもあるでしょうか。
で・・・いいのです、別にお金が大事ということは、今も昔も私自身のなかでも変わりません。 ただ、他人に対してのエゴと嫉妬心なしに、お金をもかせぐ方法はないものだろうか?がひとつの目的にもなっているのかもしれません。
しかし、どうもサラリーマンをやっている限りはそれは相当むつかしいようです。
で、他人をある程度どうこうしてよい、あるいは搾取もしてよい、ということを肯定できる理論があれば、きっと、私は何かが元に戻ると感じています。
今は、搾取も、資本主義が終わるまでなら、少しだけならしょうがない、が回答かな、と感じているのですね。 もちろんお客さんが喜んでくれるならよい、とも言えますが・・・バッティングする相手がいるわけで、これは、その人を蹴落としたのは事実なわけです。 これを肯定できるのか?
これも資本主義下では、しかたがない、とも言えますが、そうすると、先達てまで、大ばか出版人が使っていた勝ち組負け組みという言葉を肯定することになりはしないだろうか?と思えてしまうのですね。
そんなこといってないで、まず、自分のこと考えろ、というのが答えですが・・・きっと・・・ それを肯定する内容は精神世界にはみつかりません。
そうしますと、精神世界とは結局、金持ちのものか・・・それとも、本当は蹴落とすことも、搾取することも、ある程度しかたなし、という前提にたって言っているのか・・・
いずれにしても、少なくとも現在は少しの搾取、若干の蹴落とし、ということをしないでは生きていけない、肯定せざるを得ないのだろうと思います。
ただ、悔しいのは、船井幸雄さんの関連会社の社員だろうが、精神世界の出版社だろうが、自分をこまかさないで、一度でもそこまで考えたことがある奴はいるのだろうか? いても何%だろうか? ということです。
一度考えて、それをクリアして、搾取、蹴落としの類をやっているというならだしも・・・ という嫉妬、がここで出てくるわけですね(笑)。
で、この嫉妬をなくするためには、「お金なんていいじゃない」とするのが答えなのだと思います。 でも生きていけない・・・それじゃ肯定するか・・・その答えは・・・・
の繰り返しですね。
その螺旋をどこで終わらせるか・・・ どうもですね・・・エゴは少しはOK,搾取も少しはOK. ほどほどなら良い、が答えのように思います。
ほどほどです。
そのほどほどができていないのが官僚とか、シークレットガバメントとかなわけで、要するにアルコール中毒の人をあまりに見せられすぎまして、乾杯の一杯のビールまで、毒だ悪魔だといってしまっているような状態になっている部分がどこかにあるかもしれませんね。
それでは、お酒もお金もかわいそうですね。 ほどほどはOKとしたいです。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
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完全ファイルUFO&プラズマ兵器 友好的エイリアンvsシークレット・ガバメントの地球 (超知ライブラリー)
(単行本) 飛鳥 昭雄 (著) 徳間書店
(2005/8/31) ですが・・・
しばしばですね・・・進化論は間違えている、と主張したいときにですね、何をどういえばよいのか分らないということがあるのですが、417〜419ページに分りやすい文章が掲載されていますので、引用されていただきたいと思います。
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(引用:417〜419ページ:改行しています)
チャールズ・ダーウィンが唱えた「進化論」が、どんな代物かを知る必要がある。簡単にいえば、アメーバーから魚が誕生し、魚が両生類となって陸に上がり、恐竜などの陸棲生物となったあと、鳥が生まれ、哺乳類から猿人が生まれ、最後に人類に進化したとする。 ほかにも、弱肉強食や自然淘汰から、絶滅と進化を繰返すと唱えている。しかし、進化論には、重大なアキレス腱がある。進化論を証明するに足る物的証拠が、いまだひとつとして発見されていないことだ。
ダーウィンのころは、DNAの知識はまったくなく、生物は環境に応じて次々と進化し、別の生物になると本気で考えられていた。確かに環境による微細な変化はあっても、それが別種の生物に変身するという証拠は、150年以上経ってもいまだに発見されていないし、科学的に証明できないでいる。
突然変異を取り上げる学者もいるが、突然変異は劣性遺伝を残すだけで別の生物に変身することでない。 さらに、次々と進化する生物の間を埋める、各段階の中間生物(ミッシングリンク)も、何ひとつ発見されていない。 細菌の突然変異が進化を引き起こすとする説もある。一夜にして首の長いキリンが誕生したというものだが、それなら今の動物園でも、最近の突然異変によって別の生物が生まれてもおかしくないことになる。これでは論理自体が自己破壊している。
つまり進化論は、証拠をもって論ずる科学界の中で、唯一、物的証拠もないのに、常識としてまかりと追っているのだ。その意味では、無から有が誕生したビッグバン理論と大差ない。恐竜が進化して鳥になったというのも論外で、事実、恐竜よりも古い鳥類の化石が発見されているのである。
それは1986年、アメリカのテキサス州で発見された「プロトエイビス」の化石で、大きな胸骨など、プロトエイビスは明らかに鳥類としての特徴を有している。化石は、最古の鳥類といわれるが始祖鳥が生息したといわれる白亜紀よりも7500万年も古い「三畳紀前期」の地層にあったのだ。しかも三畳起は恐竜が全盛期を迎えていた「ジュラ紀」よりも前である。 そもそも、始祖鳥が鳥類だとすること自体、疑問がある。
発掘史上初めて始祖鳥の化石が見つかったのは、1861年、南ドイツのバイエルン地方にあるソルンホーフェンという石切場で、羽が全身を覆っているのを見て、学者たちは鳥と判断した。
だが、別の場所で発見され「コエルサウルス」と名づけられた化石が、それとまったく同じ骨格をしていた。違うのは羽を持たなかったことだけで、正確には羽の化石が確認できないだけである。羽は体毛と同じで化石として残りにくく、たまたま残っていたのが始祖鳥だとすれば、それは今でいう「羽生恐竜」に分類される。つまり、始祖鳥尾は羽生恐竜コエルサウルスとなるのだ。
そうなると、少なくとも地層年代における検証では、鳥類のほうが陸棲生物より出現が先だったことになる。 私は、恐竜には「哺乳類」を中心にして、「鳥類」、「爬虫類」の恐竜がいたと解釈している。これまでのような爬虫類一辺倒の恐竜学では通用しなくなっているのだ。
(以上)
また、体毛、羽毛を持つ恐竜の化石が次々と発見されているので、恐竜=爬虫類、ではない、ということである、としています。
加えて、旧約聖書にある、まず(生き物として)海棲生物と鳥を初めに作った、という記述とあっている、旧約聖書に書いてあることは正しい、としています。
いかがでしょうか? 進化論の間違えを語るなら・・・ 船井幸雄さんが、しばしばエハンさんの書いたサルと人間の違いについて書きますが、あれもひとつですね・・・ http://motions.fc2web.com/love57.htmlにありますが・・・
(引用) 本人が知らない「人類支配者」の正体 (単行本) 出版社: ビジネス社
(2007/09)
186ページより (太陽からの暗号」(三五館刊)からの引用の引用)
「少し長くなりますが紹介します。
【人と霊長類の決定的な違い】 骨・・・人骨は霊長類に比べるとはるかに軽い。近代人の骨はネアンデルタールに至るあらゆる先行人類の骨と比べても、はるかに軽い。我々の祖先とされている先行人の骨は、霊長類の骨より似ているが、近代人の骨はまったく違う。
筋肉・・・人類の筋肉は霊長類と比較すると著しく弱い。人間はどんあ霊長類よりも筋力が3〜10倍弱い。ペットの猿と比べてもその違いは明らかに分かる。
皮膚・・・人の皮膚は、地球を照らす太陽光線に対して適していない。太陽光線に適応するために皮膚表面でメラニン色素を増大させられるのは黒人だけである。それ以外のすべての人種は、衣服で覆うか日陰に頻繁に入るしかない。
体毛・・・霊長類が太陽光線に直接当たっても大丈夫なのは頭から足先まで毛で覆われているからである。一方、人間は、全体を毛で覆われていない。
脂肪・・・人間は霊長類と比べて、皮下脂肪が10倍近く多い。また、人間の皮下脂肪は我々が失ったと思っている体毛を補うものではない。水中の生物なら皮下脂肪が水を遮断するので意味があるが、大気中に住んでいる我々にとって皮下脂肪は不必要である。
髪の毛・・・すべての霊長類の頭の毛は、ある長さまで伸びると止まってしまう。ところが人間の髪の毛は伸び続けるので。原始時代から生きるためには不必要なものだった。そのためやむおえず。石の鋭い薄片などの道具を使って髪の毛を切る習慣が生まれた。
手足の爪・・・髪の毛と同様に、人間の爪は常に切らなければならない。ところがすべての霊長類の手足の爪は、ある長さまで伸びると止まるので切る必要はない。これも道具を原始時代から必要としたひとつの原因となっている。
頭蓋骨・・・人間の頭蓋骨は、霊長類の頭蓋骨とはまったく違う形をしている。人間の頭蓋骨の形や組み合わさり方は、他の動物と比較できないほど根本的に異なりすぎている。
脳・・・ここで人間の脳を比較すると、霊長類とは基盤的にも大幅に異なっている。どちらが高度に進化しているといった質問は不公平だけでなく、ナンセンスだ。霊長類は彼らなりに生きていくには十分な脳を持っており、それ以上の脳は必要としていない。
発声・・・霊長類の喉と比べて、人間の咽頭は完全にデザインし直されている。人間の喉は霊長類と比べてもっと下のほうの位置にあるので、霊長類の典型的な発生をさらに細かく、いくつもの段階に変えられるように調節できる。
性・・・霊長類の雌には発情期があり、その時期だけ性的に受容性がある。人間の女性には霊長類のような発情はまったくなく、性に対して常に受容的になれる。
染色体・・・染色体はもっとも不可解な違いがある。霊長類には48個の染色体があり、人間には46の染色体がある。人間は霊長類よりもっと広い領域において優れていると考えられているが、それであればなぜ人間のほうが霊長類の染色体より少ないのか?霊長類から進化したのであれば、なぜ、その途上で人間は二つの(一対の)染色体を失くしたのかという疑問が生じる。 その二つの染色体に含まれているDNAは、なかでも一番特殊であり、非常に膨大な量の情報を含みながら、人類のほうがさらに高度な進化を遂げたという証となるものである。 しかしそれにしても染色体の数についてまったく理屈に合わないことである。
人類と霊長類はこのように非常に多くの違いを持っているのです。人間が霊長類の一員だったといわれている時代からわずか30万年そこそこで、このように劇的な違いが現れるほどの進化は不可能だと考えたほうが正しいと思います。 ともかく今は、近未来に地球人がまた原始人に戻るか、優良星人になれるのかの分岐点にさしかかっているように思います。
(以上)
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
さて・・・ にんげんクラブのサイトhttp://www.ningenclub.jp/ ですが・・・ 船井勝仁さんが有料ページに興味深いことを書いていまして・・・ 有料ページですので全部は引用しませんが、天外伺朗さんの本から引用がありまして、そこだけ引用します。
(引用)
会員ページより
船井勝仁のウィークリーレポート 2009年
こんにちは船井勝仁です。 (略) もしかしたら、アホがこの難しい時代を乗り切るキーワードかもしれないと思っています。 ヒューマンフォーラムという古着チェーン店の社長の出路雅明さんの 「ちょっとアホ!理論
倒産寸前だったのに超V字回復できちゃった!」という本があります。 天外伺朗さんの「非常識経営の夜明け」に紹介されていてとても興味を持ちました。 読んでいただくのがわかりやすいので、天外さんの本から引用させていただきます。 (引用開始) 出路は、パンクロックのミュージシャンだった。その業界では、かなり名が知られ、カリスマ的な存在だったらしい。 1993年、一念発起してワゴン車1台で古着屋を開業。仲間に恵まれ急成長し、2001年には年商35億円、利益率14%に達した。
ところが、その成功とは裏腹に、本人は不安と不満にさいなまれるようになり、燃え尽き症候群を体験し、社業にまったく身が入らなくなってしまった。 涙ながらに仲間に謝り、気を取り直して猛勉強し、ありとあらゆる本を読み、またセミナーに出まくり、経営の改善に取り組む。 世の中で提唱されているさまざまな経営手法、マーケティング手法を、コンサルタントの指導のもとに、片っ端から導入し始めた。
(中略) ところが、そういうすさまじい努力をあざ笑うかのように売り上げが落ちていった。 コンセプト・ショップを開けば、業界誌などでは絶賛され、いい気になったが、売り上げはさっぱりだった。 2004年には、3億円の損失を出し、20億円の借金を抱え、打つ手がすべて失敗したことを認めざるを得ない状況になった。 目の前に倒産の2文字がせまってきたのだ。 さらに出路は、家族の病気や本人の胃潰瘍など、同時多発的危機に見舞われた。 ・・・・・・もう、あかんな・・・・・・。 そう思うと、出路は逆に気が楽になった。 開き直ったのだ。 そして、どうせダメなら、せめて楽しくやろう、と決心した。
(中略) それから出路は、すべての経営学、マーケティング手法に背を向けた。 精密な経営情報システムを反故にして、経理を昔ながらの「どんぶり勘定」に戻した。 判断基準を、自分と大切な仲間が「楽しいか?楽しくないか?」という一点に絞った。 このフィロソフィーを、出路は「ちょっとアホ!」と名づけた。
― 「正しいか? 正しくないか?」「良いか? 悪いか?」「〜するべきか?〜しないべきか?」 などの“常識”的な判断基準は、「ちょっとアホ!」の天敵 ―
もがき苦しんだ2年間は、まさにその天敵に振り回されていたのだ。 この日から出路は、医者に禁じられていた大好きな酒を飲み始めた。 医者は激怒したが、2ヶ月後に胃潰瘍は完治。 お店も、自分たちの好きなものを仕入れて、客を巻き込んでお祭り騒ぎで売ることを徹底。 すると業績はV字回復をしていった。
(引用終わり)
ということです。
でですね・・・これは、経営を私の人生・運命と捉えれば、勉強した経営手法が私にとっての精神世界等とできるわけです。 どうもですね・・・
私も一度、そういう勉強したことを一度忘れて、「楽しいか?楽しくあいか?」だけで考え直した方がよいのではないかと感じさせられます。
「 「正しいか? 正しくないか?」「良いか? 悪いか?」「〜するべきか?〜しないべきか?」 などの“常識”的な判断基準は、「ちょっとアホ!」の天敵 ―」
ですね・・・
私の場合、”常識”が”精神世界等”となるのかもしれません。
もちろん精神関だけではなく、そこから派生したいろいろなものも含まれるわけですが・・・ またゆっくり書いてみようと思いますが、今日はここまで。
で・・・英語ですが・・・(笑)・・・ もうアメリカ人語でもなんでもいいので、英語を勉強というかブラッシュアップしようと思いまして・・・肉はどうもまだ食べる気になれないですが・・・
TOEICでも受けてみるかな・・・と・・・ 前の会社には、なんと日本で始めて満点をとったとかいう人もいましたが・・・
で・・・5年くらい前に受けたのですね・・・2度続けて受けまして・・・ ある程度話せましたし、当時は英語でドラマを見ても半分以上理解できましたので、ほとんど準備らしい準備をしませんでした。 ただ、いわゆる英語のリスニングテストの声が聞き取れなかったのですが・・・ で、ですね・・・はずかしいのですが・・・あまり点数がよくないのです・・・
まあ、英検2級よりは良い程度の点数とだけしておきますが・・・
しかし、どうも、今日も、Voice
of
AmericaのCDを聞きましたが、軽く半分以上理解できるのです・・・何が起きたのでしょうか? もちろんはじめて聞くCDではないのですが・・・5年ぶりくらいに聞きました。 小泉首相とかクリントンさんとか出てきます。ヒュンダイがどうしたとか・・・ですね。
で、それなら勝機はあるな、と、それではテキストでも調べてみようかとネットで調べていますと、いろいろ出てくるのですね・・・TOEIC情報が・・・
私いとって都合のよい情報とも言えますが・・・
いくつか上げてみますと・・・
経験者の声: 英検準1級です。TOEICのスコアは840〜855です。 ちなみに英語はしゃべれません。
・・・う〜ん、「そうか・・・ああ、よかった」と。どうも話せる能力とは少し違うようです。
経験者の声: 私の印象では英検準1級の方がTOEICよりよほど難しいと思う。 TOEICは長文読解がないですから楽です。
・・・えっ!!! 私は点数のほとんどを読解(長文)でとっているというのに・・・むしろリスニングは半分以下でしょう。 どうも、変だ。でも良かった。と。 (2度目は時間が足りないことを知り、後ろからやったのですね、長文から)
経験者の声: TOEICは何度か受けてればコツがわかり点数が上がる。 英検準1級は何度受けても受からない人は受からない気がする。
・・・そうか、そういうものか・・・と。
経験者の声: 東大・京大の卒業生が準備もせずに初めて受けて、600前後ってとこらしいです。
・・・私はもう少し取れましたが・・・でも本当かな・・・でも、私は読解には昔から自信があるのですが、その意味では、リスニングなしと考えれば、そうなのかもしれない・・・当時の自分の偏差値で比べてみれば分りますが・・・と。
経験者の声: アメリカの大学を卒業後またアメリカで数年生活し、その後TOEIC
受けました。 950点以上です。リスニングは満点です。 残念ながら満点の人でも映画を字幕なしで聞けるということはありえないです。 TOEICのリスニングは通常の会話を遅まわしにしたようなスピード。 特に映画などはスラングや訛り、専門用語などの問題でリスニング満点レベルではとても無理。
・・・おお・・・TOEIC950点でも、映画は見れない人もいるのか・・・ 私にはTOEICの方が速く聞こえていたのだが???と。
経験者の声: アメリカ在住です。一応800点以上は持っています。 ご指摘のようにTOEICは俗にいうネイティブの英語とはかなり異なります。 理由は、TOEICの英語はビジネスコミュニケーションのためのものだから。 ちなみに私はこちらの映画館に行っても、半分ぐらいしか聞き取れてない。 字幕が出るDVDを買ってから洋画は楽しみます。
・・・そうか、そういうものか、800点でアメリカに住んでいても映画が半分という人は・・・(喜)。 でも、ビジネスコミュニケーションのための英語だと映画が見れないのか???どういうことなのだろう?
経験者の声: ネイティブの人が受けましたが、950点くらいしか取れませんでした。
・・・確かに日本語検定もむつかしかったなぁ、少し見てみたけど・・・ そういうものか、と。
経験者の声: 私は900点以上、洋画は画像がなければよくわかりません。 雑誌に関しては知らない分野の話だとすらすらは読めません。 好きな分野であればそれなりに読めるかもしれませんが、辞書はまだまだ必要。 ニュースに関しては、はっきりとした発音で喋ってくれるので集中すれば聴き取れます。
・・・NHKとか日本の放送の英語放送のニュースは異常に聞き取りやすいですね。 ほとんど日本語並みに聞こえます。そういう話し方というのがあるのでしょうか? 何か日本の機材の周波数のせいでしょうか?
雑誌は・・・昔は普通に読んでいたような・・・ 最近はお目にかかることもありませんが・・・ 音楽関係の本は読めますが、コンピューターとか経済とか専門的なものは、むつかしいですね、辞書が必要です。 契約書も辞書が必要です。 大学とかの申込書は、たくさん読みましたのできっと今でも読めます(但しオーストラリア語寄り) ・・・初めは日本の大学の経済学の本もすらすら読ませんでしたが・・・ ただ、岡田多母さんの文章も難しいですが・・・今でも・・・専門書はそれプラスアルファくらいですね・・・ そうすると、やはり読むことに関しては、900点の人とそう変わらないなぁ・・・
となるわけです。
で、とにかく天敵だったリスニングが・・・何が起きたのか分りませんが、今異常に良く聞こえるのです(謎)。 次のテストが3月ですが・・・就職が決まるか、まだお金があったらうけようと思います。
ただ思いますのは、話す方はですね・・・自分の意思を英語にする練習というのがいるのですね・・・ 日本語も同じで、今私は日本語を話すのが少し不自由です(笑)。 日本語の練習もしようと思います。 英語も、かれこれ何年もきちんと話していませんが・・・ただですね・・・面接の前に、もし英語で話せといわれたら困るので練習したりするのですが・・・日本語より出てくるくらいに感じますが・・・昔ほどではありませんので練習し直おします・・・機会がないのですね・・・話す・・・
読むは読む、書くも書く、でそれぞれ別なわけです。 書くはe-bayでやり取りしますので、あまり劣化はないようです。
読むも、もちろん練習しなおす必要があります。
でもですね・・・先達て書いた癌でなくなった先輩は(前の前の前の会社)、映画も完璧でしたね・・・字幕なしで。 アメリカの通信教育会社の担当者から電話がかかってきて・・・違う部署だったのですが、もうほとんどの人が帰ってしまっていましたので、その人が電話を受けましたが、担当者が「あなたの英語は完璧だ」と言っていたそうです。
もう一人(前の前の前の会社)、日商岩井で石油の取引をやっていてニューヨーク勤務経験のある先輩もいましたが、この方もうまかったですが、なくなった先輩の方がすごかったようです。
ただですね・・・こと話すことに関しては、職歴とか学歴とかに関係なく、高校生くらいで語学留学をした何人かの女性が異常にすごかったです。
今でも・・・渋谷に行くときに東横線に乗りますが、どこかの大学で帰国子女を受け入れている大学があるのか、英文科があるのか・・・とても流暢に話している女子大学生をしばしばみかけますが・・・どうも話すに関しては、何語を話させても女子の方が上のようです。 脳の作りが違うようです。
そういうわけですので、ベンジャミンさんの日本語がおかしくても、エハンさんの日本語がおかしくても、何もいいません(笑)。
以上、自分が楽しいから書いています。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
さて・・・報道ステーションを見ていましたら、ソニーが3Dテレビを発売し、バイオからなにから3Dにするのが目標のようですが・・・ おそらくですね・・・方向としてはそうではなく、すべて、手巻きラジオのようコンセントが必要ない状態で永久につかる、とか、そちらの方がよいのではないだろうか、と感じます。
たとえばですね・・・ノートPCを持ち運びわけですが、その運ぶ振動でバッテリーが充電されるようにすると・・・ あるいは、バッテリーステーションのようなものを作り、そこにいくと、充電してくれる、は携帯電話でもありますが、充電済みのバッテリーと交換してくれる、無料で・・・とかですね・・・あるいは、もう何にでも使えるバッテリーで、それが歩くことによって充電されるとか、車にゆられている間に充電されてとか・・・ですね。
私は基本的には風呂場に窓がないので換気扇をつけっぱなしにしますが、その換気扇の回る力で充電するとかですね・・・
大きなビルならエレベーターの上下で充電するとかですね・・・だって、今のレベルでも、手巻きラジオの手巻きがエレベーターの上下で充電されたとしたら結構充電できますよね? しかも、ひとつではなく、複数充電できますよね・・・
そうすると、たとえばその力を使って、充電済みのPC用バッテリーが可能なら、よいわけです。
もちろん結構1万円以上で売っているものですし、劣化もしますので、いろいろあるでしょうが・・・・まあ、工夫して欲しいですね。
その意味では自動巻きの時計というのはすごいですね。 もちろん、バッテリーの発電まではいきませんが。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
さて・・・http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010010600475 によりますと・・・ (引用)
接種、見込みの「20分の1」=仏政府に批判噴出−新型インフルワクチン
【パリ時事】フランスのサルコジ政権が、新型インフルエンザ対策でワクチン9400万回分を注文しながら、実際に接種を受けたのはわずか500万人にすぎないことが判明し、「見込みの20分の1。重大な判断ミスだ」との批判が与野党から噴出している。 バシュロナルカン保健相によると、仏政府は製薬会社4社に、国民1人当たり2回分をめどにワクチンを発注し、昨年10月から接種を始めた。 ところが、世界保健機関(WHO)がその後、接種は1人1回で十分と勧告したことで目算が狂った。さらに接種場所を特定医療センターに限定し、一般開業医を外したため、接種が進まなかった。 同保健相は今月に入って突然、発注の半分余に上る5000万回分の注文契約を取り消すと発表。既に購入した分も、一部が中東のカタールなどへ転売されていることが明らかになった。(2010/01/06-14:05)
(以上)
ということです。
どう考えてもですね、自民党といいますか、舛添
厚生労働大臣といいますか・・・ シークレットガバメントというかアメリカというか・・・それがやっている薬品会社をもうけさせるため協力したのだと思いますが・・・うまういかなかったでしょう・・・全世界的には、ですね。
マスコミもですね・・・毎日毎日、何人なくなった、と・・・ おそらくは普通のインフルエンザとほとんど変わらない状況だったのでしょう。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
TOEICですが、新要領になってからは、ヒアリングも、イギリス、オーストラリアなどのほかの英語圏の発音も取り入れているようです。
さて・・・ 岡田多母さんの「ラブコール あなたへ」http://tamo.thd-web.jp/ですが・・・ (引用)
タモのリサーチ(1/6−3)
ヤマトの和に光条が現れる
(略)
小さな日常が大きな偉大さを実現する 身近な幸せが世界の平和を実現する
家族を愛することが世界中に幸福を具現化する 平凡が奇跡を具現化する
ただ一心に ひとつのことをやり続けるだけ 特別なものは何も要らない
一心にひとつのこと単純に無心にひとつをやり遂げるだけ
身近な幸せから始めましょう☆ 小さな幸せを続けましょう☆
明るく朗らかに自分サイズの等身大で一心にひとつのことを続けましょう☆
吉祥天運幸運気☆に乗って一心に明るく朗らかに ひとつのことを等身大でやり続けましょう☆
大切なことは… 願望は最大に 継続は最長に
諦めない飽きないリタイヤーしない後悔なし
一心にひとつのことを等身大でやり続けるだけで世界が変わる 今が変わる未来が変わる
身近な幸せ発見☆ 笑顔満開でやり続けましょう☆
(以上)
ということです。
願望は最大に・・・これは政木和三さんと同じですね。森田健さんも書いていたでしょうか? とにかく最大限に願望を思って、そして完全に忘れて、足元1メートル四方だけを見て、一歩一歩進む、んだそうです。
やはりそうなのでしょうか? 私は、まず願望の時点で割引ます。割り引いてしまいます、が正解です。 自分だったらこの程度くらいかな・・・とかですね。
気持ちとしては負けているということですかね・・・この時点で。
ひとつは大学受験の発想ですね・・・ いや私の場合は、中学受験から始まっていますが・・・第一志望があって、第二志望がある・・・滑り止めの第三志望意もある・・・ で、中学受験の時に、だれもが受かるといわれていた第一志望を落ちたのですね・・・有名な学校ですが(笑)。 で、高校生の時は、すでに第一志望を実力の80%に設定し始めたのですね。 大学もそうです。 で、つくずく思うに、すべてそうです・・・要するに中学受験の時に、現実的な発想を学んでしまったのですね。
もちろん、今思えばいろいろで・・・中学受験の時・・・まだ受験する人なども少なかったですし、親も勉強はできた方ではありませんでしたので、ただただ子供のため、ろ思ってやってくれて、たまたま私が良い点数ばかりとっていて、塾でもそうでしたので・・・絶対受かる、ということだったのだと思いますが、そうではないかったですね・・・ 勉強し足りていない部分がありました。 だってですね・・・確かに文部省の範囲でのテストの点数は良かったのですが、当時すでに、中学生レベルの問題が出ていましたからね・・・そういうところを勉強していませんでした・・・
ですので、よくよく考えますと、あれは絶対ではなかったです。
何度も書きますが、親が算数のテストであせらないようにと、精神安定剤を飲ましてくれるのですね(笑)。 気持ちはありがたいですが・・・眠いですね(zzzzz・・・)
いずれにしても、それらは後で分ったことで、そのときに、志望は80%でとめておく、という教訓を潜在意識に入れたような気がします。 いけませんね。 で、政木和三さんを読んで以来、なんとか最大限の志望、というのをやってみていますが、まだまだかもしれないですね。
継続は最長に・・・ これは、まだ45年しか生きていませんので分りません。 なんとなく諦めないで続けているのは音楽くらいでしょうか・・・
なんでも普通は、いろいろな制限があり、「ここら辺で諦めておきなさい」があるものですが、大抵それに従います。 といいますか、願望は抽象的でないと、だめですね・・・継続するには。
極端を書けば、30までに結婚する、というようなものは、31歳になったらもうXです。 結婚して幸せな家庭を持つ、は、死ぬまで継続できます。
よく願望達成法で、願望はできるだけ具体的に、と書かれていますが、少なくとも、期限を区切るようなことはだめですね。
あと、自分のことではなく、会社の何か、とか他人が一緒のものなどもそうですね・・・制限がかかる。 自分があきらめないでも、一緒に行う人が、「辞めた」と言えば、それまでです。
ですので、これも、この部分は具体的でないほうが良いですね・・・・
一心にひとつのことを等身大でやり続けるだけで世界が変わる ですが・・・そう信じてやり続ける以外ないですね・・・ ただ、普通は、「等身大ではだめ」と思いますので、もっと大きくなろうとする、わけです。 今の自分じゃだめだ、と。馬力を上げるわけですね・・・
学歴とか資格とか、がそれでしょうか? で、それが無理となって初めて、等身大の自分、となるでしょうか?
あるいは、資格でもなんでも取れれば撮ればいいのでしょう・・・・取れなければ、取れない自分、取れれば取れた自分・・・ということでしょうね。
その意味で「今のままの私(あなた)で完全です」は、嬉しい言葉であり、それがどうもそれが事実なようです。
完全であることがちゃんと分ると、何かが起きるようですが、私はまだ、ちゃんと分っているのかどうか、分りません。
いずれにしても、等身大で・・・
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
さて・・・ 森田健さんですが・・・
(引用)
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