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旧理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー       

 

 

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もくじ

さて・・・
昨日見た夢です・・・もう初夢とはいわないのでしょうか・・・
車を運転していたか、自転車だったのか・・・道路が目の前に見えまして、そうしたら、左側の車が視界から消えたらそこに黒い犬が死んでいるのですね・・・大型犬です。
それだけですが・・・

一昨日の夢は覚えていませんね・・・

ただ昨日は、CD−Rが大変だったみたいで・・・ベッドに入ったら酔っ払ったみたいに目が回っていました(笑)。
よくそこまでできるよな、と思いますが。

仕事でバタンキュウ(古い)となることはありますが、目が回っていたということはないですね。

古いといえば、テレビでクラブの若い女性が、「スタンバイOK]という言葉を使っていましたが、これはあれですね・・・
この業界は古い伝統というか、古いものを引きずる、あるいは、守る、あるいは、むかしのままの状態の業界なのでしょうね・・・

そうすると、昔の言葉がそのまま残る・・・




さて・・・
知らない方がよいこともある・・・森田健さんがそんなことを書いていますが・・・これはよく分りまして・・・
確かに情報は知っていた方がよい、ですね・・・
ただ分析力がないあら、むしろ知らない方がよいですし・・・・といいますか、私で言えば、まあ・・・うまく消化できないなら食べない方がよい・・・あるいは、消化できる以上には食べない方がよい・・・ということでしょうね。

書きませんが、それなりに修羅場は経験していまして・・・同見ても本当はこんな人ではないな・・・とこの1,2年の私を見ていますが・・・
何が原因なのでしょうか?
行動せよ、と言われますが、その行動ができない人間になっているのですね・・・
何でしょう?
一応「謙虚」に重きを置きすぎて、それから抜けられなくなっている、のではないかと思ってはいます。

なにせ、この10年くらい、私がそれまでのように、常識を超えたことをしますと、以前の100倍の力で押さえつけようとする力が外からかかる、という運命だったようで・・・そうなりますと「自分が悪いのかな?」となりmして、そこに船井幸雄さんが「謙虚」、「謙虚」いいますので、相当強引に謙虚にしてみたのですが・・・もう謙虚を通り越しまして、自己否定の塊のようになっています。

特に団体行動において・・・特にというよりは、団体行動において、だけですね。
個人的行動においては、以前と余り変わりませんので、おそらく依然と同じくらいの面白いことをしているでしょう。

これは別に船井幸雄さんが悪い、というより、私が消化しきれない情報を取ってしまったのがいけないのでしょうね。

でも、まあ、謙虚より、図太く、の方が、正しかろうなと・・・少なくと私には・・・思いますが。


まあ、平気で人を騙せるくらいの人は、「謙虚」がよいかもしれませんね。


それとですね・・・知っていると、それが理由でやりたいことができない、ということは、まああります。
法律とかですね・・・

ラーメンでもいいですが、外国では音をたてて食べると下品とみなされる、と知っていましたら、そういうことは外国ではできないわけですね。
知らなければできる、わけです。

とは言え、知らなければ「あの人下品ね」と言われるのも確かです。


すべからず中庸で、読む方も書く方も注意が必要です。


気づいた方々は、どう感じるでしょうか?

 

 

で・・・続けて森田健さんですが・・・
(引用)


このフレーズが正しく表現しているかどうかわかりませんが  
勉強すれば、私が私で無くなると思ったからです

(以上)

と書いています。
で・・・ハンドルを手放すの重要な要素として、「やりたいことをする。やりたくないことをしない」というのもあるそうです。
意図してやらない、自然に任せる、だけですと、消化できませんと、「何もしない」になりがちですね。

これは、世間体との戦いになるでしょうか・・・
評価との戦い・・・かもしれませんが・・・
別に戦いではないですが・・・普通はそういうものが邪魔になる、ということですが。
気にしなければ良い、というほど低いハードルでもないわけですが・・・
身負ければよい、のかもしれませんが・・・っこれは私はやるときがありますが・・・なかなかむつかしいです。


ただ、やりたいことをやらないと、やりたくないこともやらなくなる、ということはあります・・・私には。
ただしょうがない、ということもあるでしょうか・・・
しょうがないも、ほどほどにしないと、またいけない、でしょうか。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?




さて・・・
佐々木洋治さん
http://www.menokami.jp/index.html によりますと、今日は、
(引用)
◎12/31日の「一言」で述べたように、年明け早々に地球ダイナミズムが活発化し、失敗の環境も厳しくなっている。
(以上)
ということで、ブラジル・リオデジャネイロ州で洪水、韓国で大雪などなどいろいろあったようです。




さて・・・
船井幸雄コム
http://www.funaiyukio.com/ ですが・・・
「今知らせたいこと」ですが、「
2010年1月4日米(こめ)本位制」と「政府通貨の発行」」で面白いことが書かれています。

佐々木重人さんの書いていることで・・・

(略)

1999年にNHKで放映された「エンデの遺言」という番組は、特に市民活動をする人達の間でセンセーションを巻き起こしました。この番組の中で、ドイツのファンタジー作家のミヒャエル・エンデは、忘れられた経済学者・シルビオ・ゲゼルを紹介します。

 「すべての自然物が、摩耗、劣化してなくなっていくにもかかわらず、お金だけは、時間とともに自己増殖を続けていく。これが、現代社会の問題の根源にある」と彼は言っています。


20世紀初頭、ゲゼルは、こう考えて、時間と共に劣化する通貨を構想しました。やがて、ゲゼルの通貨は、第一次大戦後の経済的混乱の中で、オーストリアのヴェルグルという町で実践されました。ヴェルグルでは、失業対策として様々な公共事業をつくりましたが、その労働の対価として、「労働証明書」を発行しました。この労働証明書は、お金として流通できましたが、毎月、スタンプを購入して張らないと使えないようにして、時間とともに価値が減じる性質をもたせたのです。時間が経つと目減りするお金は、通常のお金の十倍以上のスピードで流通するようになりました。すると、町の経済は見る見るうちに回復し、あっという間に、完全雇用が達成されたのです。ヴェルグルの成功を見て、近隣の自治体も次々とこの通貨の導入を検討しました。ところが、通貨の発行は、中央銀行の専権事項であるとして、自治体による通貨の発行は、全面的に禁止されてしまったのです。ヴェルグルの町は再び失業者であふれてしまいました。

紙幣は、そもそも金を保管した際に発行する預かり証でした。やがて、金は、倉庫から滅多に引き出されず、預かり証がお金として流通するようになると、預かり業者は、金の保管量を超えて預かり証を発行し、金利をとってそれを貸し付けるようになりました。これが近代銀行制度の始まりと言われています。私たちは、誰かが働いて貯めたお金を預けたから銀行があると思いがちですが、実際はそうではありません。
 お金は、無から生まれ、借金として社会に流通していきます。金利分のお金はどこにもないので、借金返済のために、お金の奪い合いが始まり、激しい競争の中で、多くの人が返済不能となり、通貨の発行元にすべての富が集まっていきます。

「私に通貨発行権を与えなさい。そうすれば、誰が法律を作ろうとも大した問題ではない」と。
 これは、ロスチャイルド家の創始者、マイヤー・アムシュル・ロスチャイルドの言葉だと言われています。
 17世紀末に生まれたイングランド銀行が最初の中央銀行ですが、これは、長引くフランスとの戦費で財政がひっ迫していたイングランド政府の弱みに付け込むような形で、銀行家達が、国の経済と財政を支配するためにつくったものでした。それから、世界各国に中央銀行が作られていきます。
 特に、アメリカ合衆国では、通貨発行権をめぐる政治家と銀行家の壮絶な争いがつづきました。銀行家達に対抗して、独自の政府紙幣を発行したリンカーン、そして、ケネディは、暗殺されました。それから、新たに政府紙幣を発行する試みは行われていません。

(以上)
ということです。

コンスタントに仕事がある状況でれば、これはよいですね。
あるいは、こうすると、コンスタントに仕事もできるでしょうか。



続いて
(引用)

話は変わりますが、クリフォード・ヒュー・ダグラスは、20世紀初頭、ベーシックインカムという概念を提唱します。ダグラスは考えました。そもそも商品の価格は、労働力とその他の費用から成り立ちますが、購買力は、労働力からしか生まれないので、社会全体としては、常に購買力が不足し、結果として、常に行き過ぎた競争を強いられます。さらに、生産の自動化が進むにつれて、この流れに拍車がかかります。
 この社会の根本的な問題を解決するには、雇用と所得をある程度切り離して、人々の購買力を保証する必要があるとダグラスは提唱したのです。

例えば、すべての国民に、月額8万円のベーシックインカムを支給するには、約120兆円の予算が必要です。これを政府紙幣で賄えば、国民の生活は守られ、財政破綻を回避し、景気も浮揚させることができます。

現在、日本のGDPは、約500兆円ですが、潜在的なGDP、国民全体の生産能力は、800〜1,000兆円あると推計されています。この差は、デフレギャップと言われますが、この範囲内で、通貨供給量が増えても、急激なインフレが起こることはありません。

 政権交代をして役人の無駄遣いを撲滅すると言って新政府が誕生しましたが、ほとんど成果をあげられそうになく、これから、財政破綻と消費税の大増税がやってくることは、時間の問題といった状況です。そして、景気はさらに悪化することはだれもが認めていることで、恐慌の後に何がやってくるかは、歴史を振り返ってみれば明らかでしょう。

今、政府紙幣を財源とするベーシックインカム制度の導入は、国民の生活と国家財政を守る唯一の政策と言っても過言ではありません。しかしリンカーンやケネディのように、命をかけて国民生活を守ろうとする政治家は、日本の国には、残念ながら、なかなか現れそうにありません。だから、一人でも多くの国民が、自分達の暮らしを守るために、お金の真実を知って、世論を作っていく必要があります。

(以上)
ということです。

これは、あれですね・・・資本主義をやり続けるなら、ということだと思いますが、ただ、資本主義の次に来る主義でも参考になりますね。

貨幣経済が続くなら、これは良い手法ですが、それがなくなるとなれば、また違った手法なのでしょう。

そうでないとすれば、物々交換に近いものだと思いますが、ベーシックインカムではなく、住居、と食料を保証し、その上で・・・となるでしょうか?

ただし、完全な物々交換もむつかしいので、貨幣めいたものも存在するのでしょうね。

 

続いて
(引用)


 さて、「エンデの遺言」に触発されて、2000年ごろから、さまざまなところで地域通貨の試みがなされました。当時、その最前線で活躍していたのが安部さんで、デベロッパーに勤務していた私は、販売不振の首都圏郊外のニュータウンの活性化策として地域通貨に注目し、安部さんと交流がありました。最盛期には、日本に200以上の地域通貨がありました。しかし、様々なタイプのお金が試みられたものの、結局、お金として盛んに流通したものは、ほとんどなかったのです。

「何故、地域通貨は、日本であまり流通しなかったんだろう?」
 会食の席で、出口さんが尋ねました。
 「うーん、突き詰めれば、その通貨で、食えないというか、生活が成り立たたなかったからじゃないかと思います。通貨を何で担保するのが一番いいのかというのには、いろいろ議論があるようで、たとえば主要穀物をバスケットにして、その合成価格を通貨の基本単位にするといったアイデアがあるようです。まあ、日本はシンプルに米でもいいと思いますけど」と私は答えました。

 ベルナルド・リエター氏は、著書
『マネー』の中で、古代エジプトは、穀物を基準単位とするお金が流通している間は、繁栄を続けたものの、それが、ローマ人のお金、プラス利子がつくお金にとってかわられるに及んで繁栄が終わったことを紹介しています。

 米は、世界中の水の豊かな地域で主食として栽培されていますが、あらゆる穀物の中で、単位面積当たりの収穫量が一番多く、連作障害がないので何百年でも同じ場所で作り続けることができ、味も栄養価も一番よいようです。人間が生きるために、空気、水の次に必要なものは何でしょうという質問に対して、米と答えるのは、決して間違いではないでしょう。

しかし、御存じのように、日本の農業は衰退の一途を辿り、現在、日本の食糧自給率は、40%あまり、農民の平均年齢は、70歳に達しようとしています。稲作農家の作業を時給に換算すると300円に満たないという試算もあります。世界の基軸通貨であるドルの崩壊が時間の問題であり、その後、貿易が円滑に行われるのかは不透明なので、国民の生存基盤が大きく揺らいでいると言えますが、こうした時にこそ、志ある若者が農業に参入し、消費者と直接繋がって食料を提供できれば、十分に採算があって、豊かな暮らしがおくれるようになるはずです

(以上)
で・・・長野でりんごを捨てていると先達て書きましたが、キャベツなどは、よくニュースで捨てているシーンをやります。
もしあれが、価値あるものでしたら、捨てないですね・・・

なんで価値がなくなるかといいますと、需要と供給ですが、要するに買う人がいないので、ということです。

りんごも、キャベツも、保存がいかないのですね・・・
保存が利けば、とっておけるわけですが・・・

でですね・・・価値を市場が決める、ということに無理があります。
価値(価格ではない)は民衆が政治で決めればいいのです・・・大事なものについては。

もちろん、折衷案でもいいのですが。

そうしますと、ロレックスの時計が100万円で、お米何キロでしょうか・・・3キロくらいでしょうか・・・たとえば5000円が今の価値だとしますと、それが逆転すればいいわけです・・・。

といいますのは、必ずしも、欲しい人がいるから高くなるのではなく、高いから欲しい、という人もいるのが市場でして・・・その裏には、もちろん資本主義的努力というのもあるわけですが。

ロレックスとほぼ同じ性能のものは・・・たとえば50万のものなら、7,8万で90%違わないものはできると感じます・・・売値ですね。
利益をどれくらいとるかで違ってきますが・・・。



で、これは極端な例ですが・・・必要なものの価値が上がればよいわけです。
とは言え、必要なものが手に入れるのに高かったら困るわけです。

矛盾しているようですがそうです。

どうしたらいいのですかね?

おそらく米なら、それを作っていることに対して、ベーシックインカムではないですが、何か大きなベースとなるものを差し上げればよいのかもしれません。

それは他にも、医療などもそうかもしれません。

そうなると、農家とお医者さんばかりになるかもしれません。
しかし、それほど大きなベースを上げるのでもない、とすればどうでしょうか?

あるいは、こういう特権のあるものは、せいぜい農業と医療くらいにしておくのです。


難しいことはたくさんありますが・・・
本当に需要と供給にまかせておけば、きちんとなるのか?についてだけは、嘘だといえそうですね。
なぜなら、人間は理論にだまされやすいからでしょう。


「米は必要ない。肉とパンを食べていれば日本人は大丈夫だ」、という理屈が今を作ったとすれば、まさに、騙されたわけですし、とはいえ米がゼロになったかと言えばそうでもない・・・

この直感の部分、本当の自然の部分ですね・・・ですので、昔の王様が占いに頼ったというのもうなずけますが・・・
とすると、農家とお医者さんは国家公務員にすればよいのかもしれないですね。
もうひとつ、不動産屋さんですね・・・できれば、株式・・・証券会社も・・・というより株式会社廃止ですね。

株の廃止は、必要ですね・・・
少なくとも、今の株のあり方は廃止ですね。

なんというのでしょうか・・・現物以上にお金の価値を生む制度は廃止・・・とでもいうのでしょうか・・・
もっとも、今のようにソフトウエアで売買をし・・・超お金持ちがきちんと勝つインチキ博打システムとしての株式がなくなればそれほど気にしなくともよいのかもしれませんが、それは要するに数%の超お金持ちのいる世の中がなくなれば、あまり心配はいらないのかもしれません。


競争がいい結果を生む・・・はありまして・・・悪い意味ではなく、実際あります。
限界を伸ばすとでもいいましょうか・・・
で、競争というからには、得るものが必要なわけで、資本主義においては、賃金なわけですが・・・
これが「褒められる」だったらどうでしょうか?

今は、そりゃ、隣の会社で、良い業績、結果を出して、給料が50%上がった、ウチは褒められただけ、では納得がいかないかもしれませんが、これが全部が全部、お金によらないのもが報酬・・・褒められるとか・・・表彰されるとか・・・になったら違うのかもしれません。

「褒美を取らす」とお殿様に言われて、由緒正しいお宝をもらったとして・・・まあ、売らないですね。
でも、嬉しい・・・実際、先祖代々の宝になる・・・

そういう面も人間は持っているわけです。

褒めるでないのなら、業績を上げたら、好きな褒美を取らせればよいのかもしれません。
お金でないのですね(笑)。
ハワイ旅行に1ヶ月行きたい・・・・というなら、行かせればいいのだと思います。
費用は、となりますが・・・それは旅行会社とバータすればよいのです。
そのかわり、旅行会社で業績を残した社員が褒美に液晶テレビが欲しい、と言ったら、電気製品会社があ
げればよいのです。

で、私は、年上の人間が年下におごることができる状態が一番よいと思っていますが、これも、そうすればいいのです。
給料は基本的にはみな同じなのですが・・・10年いようが100年いようが・・・
年下の人間にサービスする手当てを加えればいいのだと思います。

それがお金なのか、タクシー券ではないですが、居酒屋チケットなのか、レストランチケットなのかは知りませんが・・・それもバータすればよいのかもしれません。

これは面白いですね・・・今でもできそうです(まただれか仕事にするでしょうか?)
だって給料は違う意味で上がりませんから、その意味で、企業バータシステムができると面白いですね。

しかもそれは、使わないといけないのです。
個人でもバータ先企業でも。



給料の種類も選べるといいですね・・・・
米何俵と現金、とか、住まいと現金とか、場合によっては居酒屋チケットと現金とかもありかもしれません。
スーパーマーケットチケットと現金もあるかもしれません。
チケットものは、現金より少しお得です。
しかし、使用期限があります。





もちろん、米などは、物々交換OKです。
ギターと取り変えようが、どうしようが。

もちろん、その住宅などは国が提供しても良いのかもしれません。
そうしますと企業の税金が上がりそうですが・・・最後は税金がなくなります。

国家公務員の給料はどうするのだ?となるでしょうか?
それは実費で毎年、全民衆からもらったらどうでそうか?
実費です。

来年は公務員の給料がなんでもいいですが・・・10、なので、みなさん、一人当たり(みんな収入はそう変わらない)何円だしてください。
一円も、余らないように実費です。

道路を作ることになりました。いくらか借ります。みんないくらいくら出してください。
もちろん場合によってはチケットでもよいのかもしれませんし、現物でも良いのかもしれません。

それが面倒だから現金というものが生まれた部分もありますが・・・
利子を一切とらない、という決まりでも作れば問題ないかもしれません。
一切ないわけですので、銀行からの利子もないわけで、1年間貸しておいたから、自分が損をしたとかそういうこともなくなるわけです。

とすれば・・・銀行がいらないのですね。
融資という概念も根本から変わらなければならないのですね。

もちろん中央銀行もいらないわけです。

・・・ここまでしておきます。
経済は私の範疇ではありませんので。





続いて・・・
(引用)

出口光さんの曾祖父である出口王仁三郎さんは、恐慌から戦争に突入していこうとする昭和初期に、「昭和神聖会」という運動をおこして、800万人もの賛同者を集めました。これは、日本史上空前絶後の社会運動だったと言えますが、日本政府は、これを徹底的に弾圧しました。その後、日本は戦争に突入していきます。

 王仁三郎さんが描いた「みろくの世」とは、「産土共同体」という小さなコミュニティで、自給し、全てが農業を営み、1日2〜3時間の労働で豊かに暮らし、所有も、税金も、今の形の通貨もない世界のようです。いうまでもなく格差も戦争もない社会でした。それは、神と人が合一し、祭と政が一致した世界でもあります。もちろん、「みろくの世」とは、人が死んでから、神の審判によって行ける世界ではなく、生きているうちに自らの手でつくり上げるものであり、自然には、みろくの環境が最初から備わっています。人間は、唯一神によって作られた被造物であり、未来は、神が決めるものであり、人間は、いつも堕落して神を信じなくなり、結局、終末を迎えて破滅するという世界観とは、この考え方は大きく隔絶しています。

(以上)

どうもですね、最近気になっていますのは、あの世で行くところは、この世と同じところ・・・少なくともこれが天国だと思っているところ、である、ということでして・・・

その意味では、生き天国の状態にしておきませんと、どうしようもないようです。
ただ、その意味では、搾取して得をしている人というのも、搾取されている人のことを知らなければ天国なわけですが・・・
資本主義というのは、格差があって・・・より悪い状態があればあるほど、より得をする人ができる主義でして、直接的にそうでなくとも、間接的にはそうなっているわけです。
変な話、不遇であればあるほど、他人から搾取はしていないわけなのですが・・・
これは極端でしょうか?
あるいは、この考えが私のいけない点かもれません。
でもそうですよね?

船井幸雄さんにしても、根源まで考えれば、世界という市場のなかで、そうなっている、というのは事実でしょう。
しかし、それでもよいのかもしれません・・・そうすると、どこまでなら搾取してよいのか?どこまでなら搾取と言われないのか・・・?

直接搾取していなければ良いのかもしれないですね・・・

つまり、経営コンサルテシングをして、どこかのスーパーが儲かる。そうすると、儲からなくなっているスーパー、商店街も出てくる。
それは、その人が努力していないからいけない、で話が済むとして・・・
もっと遡っても、そのスーパーが東南アジアから直接輸入をしていて、そこの輸入量が減った・・・
ということも起きているのでしょう。

でも、直接、そのスーパーから搾取している・・・卑怯な手段でモノをとったりしているわけではなので、そこまで考える必要はない・・・でいいと理論つけるしかないですね。

どう納得するかといえば、そうしないと自分が経済的に幸せになれない、社員を幸せにできない、というような考え方でしょう。

それでいいのでしょうね・・・
とすると、根本的には、今の資本主義を片方では、肯定してそのままの理屈でやりとげ、自分の損があまり出ない範囲で、理想の世の中のことを考えながら生きていけばよい、ということですね・・・

それでいいのでしょうね・・・そうとしか理論化できないですね。

どうでしょう?
ですので、私のような状態の人は、多少、鬼のようなことをしても、よい、ということなのでしょうか?
だって、もう崖っぷちです(笑)。
いいのでしょうね・・・きっと。

そして、余裕ができたら、少しだけ、理想の世の中のためになるようなことに時間や費用を割く・・・
結果、そういう個人個人の割いた時間、費用が集まれば、よい・・・と。


しかし、とは言え、極端に、ひどいことをしてきたマスコミとか金融関係、政治家、投資家、などは、斜陽の状態になっていく・・・


その2つを合わせますと、資本主義なので、搾取は仕方のないこととして諦め、しかしながら、創造主の欲していることと余りに異なることを仕事としてはいけない(少しくらいそちら側によっているくらいなら構わない)・・・ということでしょうか?

ああ、なるほどですね。

利用の世のかなができる過程としては、これで良いように思えてきました。


気づいた方々は、どう感じるでしょうか?






で、今テレビ東京の経済ニュースで、ニューヨークで修理ビジネスが活況とやっています。
「ものを大事にする人が増えた」とやっていますが・・・違いますね。
放送したソファの修理費用は3万円だそうです。
今は中国製品なら、まあ、4,5万出せば新品が買えます。
私ははじめ、よく見ていませんでしたので、大きな品物を引越しの際に動かせないので、解体して移動する仕事か何かと思っていました。
でも修理です。

おそらくは、3万円だしても、構わないようなものを持っている人・・・つまりお金持ちですね・・・
おそらくもとは、何十万でしょうか・・・
そういう人が、質を落とさず、使える状態のものが必要だ、ということで修理をするのだと思います。
ということは、富裕層がケチになってきた、ということでしょう。
モノを大事にする、というのはその副産物で、それはそれでよいですし、中には、大事にする、愛着があるという人もいるでしょうが、それで業界全体の売り上げが30%近く上がるとは思えません。

私も、愛着があるものは別として、1万円で買った時計やギターは、3万円かけて修理はしません。
するなら、何十万円もするものです。


これは日本でも同じ現象があるでしょうね。
しかも3万とかですね・・・つまりリフォームのような何百万、何十万かかるようなものではなく、何万くらいの修理ビジネスです。
新品で買って10万以上のもので、数万で修理できる品物の修理・・・


気づいた方々は、どう感じるでしょうか?









さて・・・

副島隆彦さんですが・・・

http://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi の、

「1095」 2010年年頭のご挨拶 鳩山・小沢政権はマスメディアの攻撃に負けてはならない。亀井静香が、財務省主計局系をなだめおどしながら一五兆円の予算を確保している、ここにこのことがきわめて重要である。 2010.1.3 副島隆彦 記

を読みましたが・・・
縦長なので、異常に長く感じますので、読まない人も多かろうな、と思いますので、気になったところを引用しますが・・・

(引用)

日本の財務官僚たちが握りしめている隠し金が、高橋洋一氏の最新の著作に書かれた説では75兆円あるわけです。もっと広く見れば200兆円くらいあった、と言われています。この埋蔵金(官僚が特別会計に隠し持っているお金)を、なんとしてもどんどん、引きずり出させなければいけません。私、副島隆彦は、日本国民のために、このお金を引き出して使うべきだと言っています。国民の生活が困窮して、貧しい層が困っている今、いくらでも良いから、使い散らしみたいな覚悟で使うことも必要だろうという覚悟で、政治家は望むべきだという風に考えている。つまり、それはその資金をアメリカに奪い取られるくらいならば、日本国民がいっぱい使ってしまって、日本の経済のために役立てるべきだ、という考えなのです。

 だから、亀井静香は、財務省の主計局畑の人間を脅し挙げて、その隠し金をはき出させようとした。これが、去年の終わりにあった、「事業仕分け」という一大イベントの裏側で行われていたのだ、と見るのです。

(貼り付けはじめ)

(略)
2009年12月19日 東京新聞 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009121902000100.html

 

====
亀井大臣「財務省・主計局長のクビを切れ」は正解
2009年12月24日10時00分 / 提供:ゲンダイネット

 亀井静香金融相がとうとう爆発した。18日のテレビ番組で「特別会計から15兆円くらい出さないのなら、財務省は反鳩山宣言をしたのと一緒。幹部のクビを切れと、平野官房長官に伝えた」と明かしたのだ。この幹部とは、勝栄二郎主計局長のこと。亀井大臣、本気も本気だし、鳩山首相も乗り気らしい。

 亀井大臣が爆発したのは、財務省の抵抗で財源が捻出できず、鳩山内閣が10年度本予算をなかなか組めないからだ。税収は予定より10兆円減の36兆円。国債発行額は「44兆円」の縛りがある。95兆円予算を組むには、どうしても15兆円程度足りないから、特別会計の埋蔵金から持ってこようとしているのに、財務省が渋って時間ばかり過ぎてしまっている。そこで亀井大臣、局長を名指しでガツンとやったのだ。

 これは正解だ。ない袖を振れないならともかく、特別会計には剰余金、積立金がうなっている。

 「亀井大臣も言っていたが、麻生内閣が編成した09年度予算と補正予算で、財務省は特別会計から11兆円を回しています。08年度は7兆円です。当時の与謝野財務相は“埋蔵金なんて幻想だ”と言っていたが、選挙が危なくなり、補正が必要となったら、財務省はスッと差し出した。幻想どころか、埋蔵金はいくらでもあるのです。09年度決算の推計でも、剰余金が16兆円、積立金が52兆円の70兆円弱はあります。15兆円くらい簡単に出てくる。自公政権のために出せたものを、鳩山政権で拒む理由は何もないのです」

 こう語る日本金融財政研究所の菊池英博所長は、今月初め、官邸で鳩山首相と面会している。その感触では、首相も埋蔵金の内訳は十分に分かっているという。15兆円は捻出できると踏んで、「国債発行44兆円枠は堅持したい」との首相発言になったわけだ。

●鳩山首相は決断のときだ

 亀井大臣と鳩山首相は通じていて、今度の発言も単なるパフォーマンスでなく、首相と連携したものとみていい。
 
それでも財務省が拒み続ければ、主計局長のクビは本当に飛ばされておかしくない。

 「政権交代と同時に、局長以上を交代させなかったから、政治主導が進まず、相変わらずの財務省支配が続いているのです。アメリカのようにサッサと幹部官僚は総入れ替えすべきです」(エコノミスト・紺谷典子氏)

 こうした声も巷にはウズ巻いている。だれも官僚の味方などしない。

 勝主計局長(昭和50年入省)は、丹呉泰健次官(49年)の後任が確実だが、この人事に鳩山内閣が手を突っ込んだら面白いことになる。財務省をトップとする霞が関に全面戦争の度胸はないから、震え上がる。それで初めて政治主導が定着するわけだ。一種の賭けだが、官僚の省益優先に甘い顔をして、予算編成が越年したら、内閣は一気に弱体化する。鳩山首相は腹をくくるときだ。

(日刊ゲンダイ2009年12月21日掲載)

(貼り付け終わり)

 副島隆彦です。

 この主計局長が、勝栄二郎(あの勝海舟の子孫らしい)という人物で、亀井が勝を柔らかく(でもないが)脅し挙げて、「内閣に敵対する行動を取るならば、クビを斬るといって、勝主計局長、財務次官の丹後泰健(たんごやすたけ)に金を出させた。

 この勝栄二郎、そして、武藤敏郎(むとうとしろう)大和総研理事長(元同省事務次官、前日銀副総裁)、坂篤郎(さかあつお)元内閣官房副長官補(元財務省主計官)がこの10年の財務省の最高幹部であって、隠し金のありかを全部知っているわけです。坂篤郎は前の小泉政権では、官房副長官補をしていた人物で、うまいぐあいに、日本郵政株式会社の副社長の形で、斎藤次郎社長の下につく形で、郵政改革をひっくり返した。小泉政権が進めた、「アメリカに資金を流す」という目的が隠された郵政民営化は、去年の12月に押しとどめられたわけです。

 この3人にとって上司にあった、斎藤次郎(別名、デンスケ)は一七年前に当時の大蔵省を追われたのですが、今回、日本郵政の社長になることで、日本の政治の前面に出てきた。斎藤は、一七年前の細川護熙政権(この時も小沢一郎が実質的に動かしていた)の時に、財務省のドンだった男ですから、斎藤が小沢一郎と気脈が通じているわけです。だから、デンスケが日本郵政の社長になったときに、官僚の天下り容認だといって、アメリカの手先の新聞が、それ見たことかというように騒ぎました。確かに、官僚のドンだった男を、わざわざ復帰させるということは、一方では、「天下り容認」だと批判を受けますが、ただし一方では、財務官僚からすれば、かつて自分たちの古巣を追われた人物が復活してきたというのは、猛烈な復讐劇であると受けられるはずです。私、副島隆彦は現在のところは、この斎藤次郎の人事を特に批判することはしません。

(以上)

こういう裏があるわけですね。
搾取してもよい、と先に書きましたが、限度はあるようです。

どうなんでしょうか?
私は、この事実の方が、そこらにある漫画や小説より面白いなぁ、とも思いますが。

それは確かに、普通の経営者、サラリーマン、自営業者、学生さんが知ったところで、すぐにどうなるという内容ではありませんが、知っていると選挙が楽しみになったりするわけですが・・・

 

続いて・・・
(引用)

小沢が持っているアパートやマンションなどは、個人の蓄財のためのものなのではなくて、これは小沢一郎の秘書軍団、つまり、やがて政治家として育って行くであろう予備軍たちの寮として使われている建物である、ということです。

 私は、去年8月30日の民主党大勝利の背景にあったのは、この小沢の秘書軍団であると前から書いてきました。この秘書軍団が全国津々浦々を訪れて、今、小沢ガールズとか小沢チルドレンといわれている、143人もの初当選新人政治家たちを手取り足取り、小沢本人が選挙区に入れないときに指導してきたわけです。これらの小沢ガールズといわれる新人の脇でビラの配り方や演説の仕方までを一生懸命指導してきた小沢の私設秘書たちの姿が一番重要であると私は話してきました。この秘書軍団の中には、選挙管理委員会に提出された民主党の比例区の名簿に記載されて、民主党圧勝の勢いで議員になったものも少なからずいるであろうと、私は当選者の名簿を見ていて思いました。そういう政治活動家のための寮が陸算会の所有する寮に住まわされているのであろうと思います。

 私が小沢一郎の姿勢でもっとも共感でき、すばらしいと思えるのは、この人材を育てるということに掛ける、恐ろしいまでの執念と意気込みであると思います。自分自身は大して立派でもない家に住み、そうやって人材を育てているわけです。

 (略)

陸山会は、「法人格なき社団」なので、団体名での土地登記ができないので小沢一郎個人の登記になっている)が所有するアパート・マンションというものへの攻撃を仕掛けてきた、これをやると政治家の政治活動の基盤を破壊できるということに気が付いたわけです。こういうことをやっていいものだろうか。

 

(以上)

ということです。
ということは、今日も報道ステーションはこのニュースから始まっていましたが、グルなんですね。
で、すぐにテレビ東京に回しまして・・・すると小沢さんが出ていました。
なかなか、偏りのない放送だったと思います。

 

 

続いて
(引用)

次に、鳩山・小沢政権は亀井静香と福島瑞穂・社民党代表をうまく連立政権の中で生かしながら外交問題を処理している、ということも言わなければならない。それは、鳩山政権発足直後から浮上してきた普天間基地の移設問題の処理の仕方に良く現れている。これも、鳩山首相と福島瑞穂が目配せをするだけで行われる戦略です。鳩山は首相ですから、代わりに福島瑞穂が、「普天間の国外や県外への移設しか認められない。もし、辺野古地区へアメリカの要求通りの基地をつくるのであれば、社民党は連立を離脱する」と12月上旬に発言したわけです。

 これも「目配せ」の戦略なわけで、これを受けて、マスコミに頭がクルクルパーにされている、アメリカの手先系の右翼たちがこれに激しく反応した。ここで、左翼である社民党の福島瑞穂に怒りを一気に集中させることで、うまい具合に「連立政権を維持するために」という名目を立てて、鳩山首相は五月までの「普天間移転の先送り」を決めたわけです。これは吉田茂がかつて、社会党や左翼たちをもり立てて、アメリカの再軍備要求を徹底的に跳ね返した歴史を振り返れば有効な戦術であることがわかるでしょう。

(以上)  

ああ、そうだったのか・・・と・・・
福島瑞穂さんは、あんなしゃべり方ですが、やはりあなどれませんね。
流石です。

それをマスコミは、そのままちゃんと放送したのですね。
福島さんの勝ちです。※追記:これくらいなら勝ち負けを楽しむのはOKのようです。


ですので、全文は、副島隆彦さんのサイトでご覧ください。

http://soejima.to/ の「今日のぼやき」です。


 

 

さて・・・森田健さんですが、
(引用)

表現活動は、虚しさの解消と、何の関係も無いのです

(以上)

ということですが・・・その通りだろうと思います。
表現する人であればみんな分ると思いますが、まあ、虚しさの解消ではないですね。
なんというのか・・・かっこよく言えば衝動なわけですが、というよりは、そうしたくて仕方がないからやりわけで、結果形に残るものですので、いろいろ言われますが、誰でも普通の生活で、衝動というか、どうしてもそうしたい、ということで行っている行動というのはあるものです。


仕事の途中で本屋に入るとかですね・・・
愛を告白するとかですね・・・
追加で納豆を注文する、とかですね・・・

虚しさの解消はおそらく、不倫とか(よく知らないですが)、無駄使いとか・・・暴飲暴食とか、そのようなことでするのではないでしょうか・・・






2012年の変化はすでに起きている 「百匹目の猿現象」が起こり、大難は小難になった (単行本)

船井幸雄 (著), 櫻庭雅文 (著) ppp
出版社: 徳間書店 (2009/12/22)

を、注文しました。


明日には届くでしょう。

また報告いたします。

 


 

完全ファイルUFO&プラズマ兵器 友好的エイリアンvsシークレット・ガバメントの地球 (超知ライブラリー) (単行本) 飛鳥 昭雄 (著) 徳間書店 (2005/8/31) ですが・・・

プラズマ兵器が隠されている・・・みたいな記述が長く私には興味を引きませんでしたので、進行が遅くなりながら地道に読んでいますが・・・
プラズマで何ができるか・・・という箇所は興味深かったです。

そのうち、とうとう飛ばし読みを初めまして・・・そうしますと、なかなか面白い箇所がみつかりました。

恐竜とか、河童とか・・・ですね。

恐竜の半分以上は哺乳類で、毛の生えている化石がみつかっている、とか、始祖鳥は鳥の先祖ではなく、もっと昔に鳥類の化石がみつかっている・・・とか・・・

また、追って記載いたします。

ちょっとだけ・・・、プラズマで物体・壁などの対象物に対して・プラズマのトンネルを作ります・・・・・・次に、物体をプラズマで覆いますと、プラズマで覆われたものは、そこを通り抜けられるようです。

すごいですね・・・

さて・・・とうとう見つけたのですが・・・
左の映像は、カーペンターズが24時間テレビに出た時のものです。

当時高校生だったか中学生だったか・・・妹と一緒に夜中見ていました。

カレンがとても楽しそうに見えますが。





 

で・・・こちらは続きで、どうも口パクだったようですね。
途中で機械の不具合で曲が止まってしまいます。
カレンが「私じゃないわよ」と言っていますが、フォローしていますね。
お客さんと話し込んだりしています。

小林克也さんも若いですね。今の私より若いのではないでしょうか?

意識はなかったですが、当時はバブルに入ったかどうかくらいの好景気だったわけです。


さて・・・
今日ですね・・・起きまして、最初に、ハワイで録音してきたラジオ放送をCD−Rにしたものをかけたのですが、異常にはっきり英語が聞こえるのです・・・。

何がどうしてこうなったか・・・と考えまして、思い当たる節があるとすれば、一昨日に、テレビで超能力の番組をやっていまして、あまりつまりませんので、かけっぱなしで見ていませんでしたが、七田さんのスクールがまた出てきまして・・・私は、七田スクールの倍速で聞くと英語ができるようになるとか、暗記ができるようになるとかにまったく効果が出ない人だったのですが、その日は、映像・・・マイケルジャクソンのスリラーのダンスシーンですが・・・これを倍速で流していたのですね・・・16倍くらいまでだったでしょうか?
(これが違っているでしょうから、そもそも私には効果が少ない)。

で、言葉を倍速で・・・ではなく映像を倍速でだったのですが、ひょっとしたらこれが、倍速・・・凝縮・・・のイメージを私に植え付けて、それが良かったのだろうか・・・とも想像しています。

どうしてかといいますと・・・私は、何かができるようになると、どすていそうなるのか?もっとよくするためには?と考えまして、今のコツを調査するのですが、「凝縮する」という言葉を口にすると、その良い状態を維持できるのですね・・・
仮に凝縮という言葉に倍速の重要な部分が詰まっているなら、きっと七田式のお陰です。

ただ・・・もうひとつ、ありまして・・・複合しているのかもしれませんが・・・
この1ヶ月くらい、テレビ内蔵のスピーカーを使わず、テレビに外付けのスピーカーを付けているのです。
そうしますと、きんきんした中高音が減り、低音が増えたような音になるのですぐが・・・狙いはワイドなステレオ効果ですが・・・
いくらか耳の周波数特性が変わってきていまして、低音にシフトしているのですが・・・

そのせいかもしれません。

果たして何が原因か・・・
で、そんなわけで、また少し英語の勉強もしようかな、と・・・

はたして何が理由でしょうか?
もっとも、運命的にはそうだった、ということかもしれませんが。




さて・・・
キセルを始めたと書きまして・・・

キセルとタバコの違いですが・・・
朝起きてすぐタバコを吸いますが・・・タバコを吸うとですね・・・脳梗塞のような状態いなるのです・・・朝ですね・・・
しかし、キセルはまったくそういうことが起きないのです。

また、禁断症状のようなものがありませんで、平気で半日くらい吸わないときもあります。

そして、部屋ではトイレ以外では吸いませんが、タバコは・・・量がキセルより多いですが・・・換気扇がとてもきたなくなるのですが、キセルはなりません。


で・・想像するに・・・タバコは、ニコチン、とタール以外に何かよくないものが入っているかもしれないですね。
船井幸雄さんによれば、紙がいけない、ということですが、何か、異常によくないものが、混ざっているようです。

タバコも3ミリですとか6ミリのような薄いものしか吸いませんでしたが・・・あれで味を出すからには、まあ、何か混じっているでしょうが・・・

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?

 

 

さて・・・http://www.sankeibiz.jp/business/news/100105/bsa1001051415002-n1.htmによります・・・
(引用)

09年の自動車販売、500万台割り込む 1978年以来31年ぶり

2010.1.5 14:15

 自動車業界団体が5日まとめた2009年の新車販売台数(軽自動車を含む)は前年比9.3%減の460万9255台となり、1978年以来31年ぶりに500万台を下回った。09年の登録車の新車販売台数は前年比9.1%減の292万1085台となり、1971年以来38年ぶりに300万台を下回った。

(略)

(以上)

ということです。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?



 

さて、副島隆彦さんのサイトhttp://soejima.to/に、以下のニュース記事が掲載されています。
(引用)

日刊ゲンダイ 2009年12月19日 

 恐らく無罪 検察は敗北 「無罪」の可能性が強まってきた。東京地裁で初公判が開かれた民主党・小沢幹事長の公設第1秘書、大久保隆規被告(48)の政治資金規正法違反事件のことだ。

 検察側は冒頭陳述で、資金提供者側の西松建設・国沢幹雄元社長(禁錮1年4ヶ月・執行猶予3年の有罪判決)の裁判と同様、「天の声」という言葉を多用して悪質性を強調したが、その国沢の判決で、裁判所は「天の声」を一蹴しているのだ。

 この裁判の最大の争点は、大久保が献金相手の西松の「ダミー団体」と認識していたかどうかだ。それなのに、検察は「天の声」に”固執”し、30年以上も前のゼネコンの談合話まで持ち出すから意味不明だ。「検察は大久保が談合を差配し、工事受注の対価として献金を受けていたという構図を描いている。

 「天の声」という立証不可能の怪しさ
 しかし、ゼネコンが談合でチャンピオン(落札者)を決める際に最も影響力があるのは発注者側のトップ。たとえ国会議員といえども秘書の一言で決まるほど簡単ではない。

 検察は絶対的自信があるなら、正々堂々と証拠を示せばいいのに、今出てきているのはゼネコン関係者の供述調書ぐらい。談合罪の公訴時効(3年)が成立し、言いたい放題の彼等の供述に頼るなんて自ら立証不能を認めているようなものです」(社会部記者)

 地裁は検察の主張した筋書きをハッキリ否定
 検察が容疑と直接関係のない談合に時間を割くのは、その方が賄賂性があって小沢サイドの悪質さも強調されるからだ。 しかし、裁判所だってバカじゃない。

 国沢裁判の判決を言い渡した東京地裁の山口雅高裁判長は、「献金(の行為)は特定の工事受注の見返りではない」と、判決文で検察の主張した「工事受注の対価」という筋書きをハッキリ否定したのだ。

 東京地検特捜部検事だった郷原信郎・名城大教授はこう言う。 「全面的に罪を認めた国沢元社長の裁判でさえ、検察は『天の声』を立証できなかったのに、今回、またしても同じ表現を使って談合と寄付(献金)が対価関係にあるかのように主張しているのは理解できません。仮にメディアに事件を取り上げてもらうことだけを意図しているならば、刑事裁判の目的の逸脱です」
 
 国沢も大久保もそろって初公判は金曜日 犯罪捜査の本体が歪曲されていたら国民生活はどうなるのか。「翌日は土曜日で休み。世の人がゆっくり新聞を読んでくれる。その時『小沢』『天の声』が見出しに躍っていたら・・・・・・」なんて検察が考えていたとしたら、あまりにも姑息(こそく)だ。過去のあやふやな行いだけを強調して、ささいな容疑を有罪に持ち込む捜査手法が許されたら、国民の社会生活は成り立たなくなってしまう。

(以上)

ということです。


気づいた方々は、どう感じるでしょうか?



 

 

さて・・・森田健さんですが・・・
(引用)

もりけん お金について(1)・・あなたにとってお金とは?   
 2010年の抱負も一巡したようなので、次の話題に入ります。
 それは「お金」です(笑)。
 たぶんメインコーナーでは一度も扱っていない問題です。
 
 あなたにとってお金とは?
 
 で、私にとってお金とは・・・
 
 はっきり言いましょう。
 私にとって、かなり大事なものです。
 
 愛をお金で買えるとまでは言いませんが、正直なところ、その部分も否定できないと思いませんか?
 
 私にとってなぜ大事かと言えば、例えば中国紀行は一回400万円もかかります。
 お金がなければ生まれ変わりの村だって行けません。
 みなさんが私と同じことができない理由のひとつが、お金の問題があるからではないでしょうか?
 
 (以上)


ということですが・・・
昨日、お金について書きましたが、森田健さんも書いていたようです。

で・・・私もお金は今の時代大切なものであるとは思っています。

で、なんでお金を否定するようなことを時々書くかと・・・

一番は自分の持つ嫉妬でしょうかエゴが嫌いだったのですね・・・
で、それがどこからくるのか?と思った時、最後はお金にいきついたのだと思います。

で、お金を大もうけするか、お金から自由になるかすれば、それから抜けられると思ったのですね、きっと。
で、大もうけしようとすればするほど、逆に自分のエゴ、嫉妬心が顕著になってきた、ということを20代、30代に経験した、思ったわけです。
それなら、お金を否定し、そうでないものをもとめれば、嫉妬、エゴから抜けられるのではないか?と思ったのですね・・・
それに私の性格の極端に傾くのが加わったわけですね。

で、確かに、シークレットガバメントにしても戦争にしても、お金が一番の目的になっていることが分りました。
というか本当は、その人たちの幸せ実現のためというのが正解で、それがすこし曲がりまして、お金になった、というのが事実で、ウルトラQのカネゴンそのものだったわけです。



実際、私に限らず、2流人のほとんどの嫉妬、エゴは金か威勢か地位と名誉です。
で・・・精神世界の人たちの中には、どうも数%なのでしょうが・・・これらから解き放たれている人もいるようです。

固執すると、余計にそれが寄ってこなくなる、という法則も経験していますので、その意味で逆に、固執しないでいた、というところもあるでしょうか。


で・・・いいのです、別にお金が大事ということは、今も昔も私自身のなかでも変わりません。
ただ、他人に対してのエゴと嫉妬心なしに、お金をもかせぐ方法はないものだろうか?がひとつの目的にもなっているのかもしれません。

しかし、どうもサラリーマンをやっている限りはそれは相当むつかしいようです。

で、他人をある程度どうこうしてよい、あるいは搾取もしてよい、ということを肯定できる理論があれば、きっと、私は何かが元に戻ると感じています。

今は、搾取も、資本主義が終わるまでなら、少しだけならしょうがない、が回答かな、と感じているのですね。
もちろんお客さんが喜んでくれるならよい、とも言えますが・・・バッティングする相手がいるわけで、これは、その人を蹴落としたのは事実なわけです。
これを肯定できるのか?

これも資本主義下では、しかたがない、とも言えますが、そうすると、先達てまで、大ばか出版人が使っていた勝ち組負け組みという言葉を肯定することになりはしないだろうか?と思えてしまうのですね。

そんなこといってないで、まず、自分のこと考えろ、というのが答えですが・・・きっと・・・
それを肯定する内容は精神世界にはみつかりません。

そうしますと、精神世界とは結局、金持ちのものか・・・それとも、本当は蹴落とすことも、搾取することも、ある程度しかたなし、という前提にたって言っているのか・・・

いずれにしても、少なくとも現在は少しの搾取、若干の蹴落とし、ということをしないでは生きていけない、肯定せざるを得ないのだろうと思います。

ただ、悔しいのは、船井幸雄さんの関連会社の社員だろうが、精神世界の出版社だろうが、自分をこまかさないで、一度でもそこまで考えたことがある奴はいるのだろうか?
いても何%だろうか?
ということです。

一度考えて、それをクリアして、搾取、蹴落としの類をやっているというならだしも・・・
という嫉妬、がここで出てくるわけですね(笑)。

で、この嫉妬をなくするためには、「お金なんていいじゃない」とするのが答えなのだと思います。
でも生きていけない・・・それじゃ肯定するか・・・その答えは・・・・

の繰り返しですね。

その螺旋をどこで終わらせるか・・・
どうもですね・・・エゴは少しはOK,搾取も少しはOK. ほどほどなら良い、が答えのように思います。

ほどほどです。

そのほどほどができていないのが官僚とか、シークレットガバメントとかなわけで、要するにアルコール中毒の人をあまりに見せられすぎまして、乾杯の一杯のビールまで、毒だ悪魔だといってしまっているような状態になっている部分がどこかにあるかもしれませんね。

それでは、お酒もお金もかわいそうですね。
ほどほどはOKとしたいです。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?


完全ファイルUFO&プラズマ兵器 友好的エイリアンvsシークレット・ガバメントの地球 (超知ライブラリー) (単行本) 飛鳥 昭雄 (著) 徳間書店 (2005/8/31) ですが・・・

しばしばですね・・・進化論は間違えている、と主張したいときにですね、何をどういえばよいのか分らないということがあるのですが、417〜419ページに分りやすい文章が掲載されていますので、引用されていただきたいと思います。


(引用:417〜419ページ:改行しています)

 チャールズ・ダーウィンが唱えた「進化論」が、どんな代物かを知る必要がある。簡単にいえば、アメーバーから魚が誕生し、魚が両生類となって陸に上がり、恐竜などの陸棲生物となったあと、鳥が生まれ、哺乳類から猿人が生まれ、最後に人類に進化したとする。
 ほかにも、弱肉強食や自然淘汰から、絶滅と進化を繰返すと唱えている。しかし、進化論には、重大なアキレス腱がある。進化論を証明するに足る物的証拠が、いまだひとつとして発見されていないことだ。

 ダーウィンのころは、DNAの知識はまったくなく、生物は環境に応じて次々と進化し、別の生物になると本気で考えられていた。確かに環境による微細な変化はあっても、それが別種の生物に変身するという証拠は、150年以上経ってもいまだに発見されていないし、科学的に証明できないでいる。

 突然変異を取り上げる学者もいるが、突然変異は劣性遺伝を残すだけで別の生物に変身することでない。
 さらに、次々と進化する生物の間を埋める、各段階の中間生物(ミッシングリンク)も、何ひとつ発見されていない。
 細菌の突然変異が進化を引き起こすとする説もある。一夜にして首の長いキリンが誕生したというものだが、それなら今の動物園でも、最近の突然異変によって別の生物が生まれてもおかしくないことになる。これでは論理自体が自己破壊している。

 つまり進化論は、証拠をもって論ずる科学界の中で、唯一、物的証拠もないのに、常識としてまかりと追っているのだ。その意味では、無から有が誕生したビッグバン理論と大差ない。恐竜が進化して鳥になったというのも論外で、事実、恐竜よりも古い鳥類の化石が発見されているのである。

 それは1986年、アメリカのテキサス州で発見された「プロトエイビス」の化石で、大きな胸骨など、プロトエイビスは明らかに鳥類としての特徴を有している。化石は、最古の鳥類といわれるが始祖鳥が生息したといわれる白亜紀よりも7500万年も古い「三畳紀前期」の地層にあったのだ。しかも三畳起は恐竜が全盛期を迎えていた「ジュラ紀」よりも前である。
そもそも、始祖鳥が鳥類だとすること自体、疑問がある。

 発掘史上初めて始祖鳥の化石が見つかったのは、1861年、南ドイツのバイエルン地方にあるソルンホーフェンという石切場で、羽が全身を覆っているのを見て、学者たちは鳥と判断した。

 だが、別の場所で発見され「コエルサウルス」と名づけられた化石が、それとまったく同じ骨格をしていた。違うのは羽を持たなかったことだけで、正確には羽の化石が確認できないだけである。羽は体毛と同じで化石として残りにくく、たまたま残っていたのが始祖鳥だとすれば、それは今でいう「羽生恐竜」に分類される。つまり、始祖鳥尾は羽生恐竜コエルサウルスとなるのだ。

そうなると、少なくとも地層年代における検証では、鳥類のほうが陸棲生物より出現が先だったことになる。
 私は、恐竜には「哺乳類」を中心にして、「鳥類」、「爬虫類」の恐竜がいたと解釈している。これまでのような爬虫類一辺倒の恐竜学では通用しなくなっているのだ。

(以上)

また、体毛、羽毛を持つ恐竜の化石が次々と発見されているので、恐竜=爬虫類、ではない、ということである、としています。

加えて、旧約聖書にある、まず(生き物として)海棲生物と鳥を初めに作った、という記述とあっている、旧約聖書に書いてあることは正しい、としています。


いかがでしょうか?
進化論の間違えを語るなら・・・
船井幸雄さんが、しばしばエハンさんの書いたサルと人間の違いについて書きますが、あれもひとつですね・・・
http://motions.fc2web.com/love57.htmlにありますが・・・


(引用)
本人が知らない「人類支配者」の正体 (単行本) 出版社: ビジネス社 (2007/09) 186ページより
太陽からの暗号」(三五館刊)からの引用の引用)


「少し長くなりますが紹介します。

【人と霊長類の決定的な違い】
・・・人骨は霊長類に比べるとはるかに軽い。近代人の骨はネアンデルタールに至るあらゆる先行人類の骨と比べても、はるかに軽い。我々の祖先とされている先行人の骨は、霊長類の骨より似ているが、近代人の骨はまったく違う。


筋肉・・・人類の筋肉は霊長類と比較すると著しく弱い。人間はどんあ霊長類よりも筋力が3〜10倍弱い。ペットの猿と比べてもその違いは明らかに分かる。


皮膚・・・人の皮膚は、地球を照らす太陽光線に対して適していない。太陽光線に適応するために皮膚表面でメラニン色素を増大させられるのは黒人だけである。それ以外のすべての人種は、衣服で覆うか日陰に頻繁に入るしかない。


体毛・・・霊長類が太陽光線に直接当たっても大丈夫なのは頭から足先まで毛で覆われているからである。一方、人間は、全体を毛で覆われていない。


脂肪・・・人間は霊長類と比べて、皮下脂肪が10倍近く多い。また、人間の皮下脂肪は我々が失ったと思っている体毛を補うものではない。水中の生物なら皮下脂肪が水を遮断するので意味があるが、大気中に住んでいる我々にとって皮下脂肪は不必要である。


髪の毛・・・すべての霊長類の頭の毛は、ある長さまで伸びると止まってしまう。ところが人間の髪の毛は伸び続けるので。原始時代から生きるためには不必要なものだった。そのためやむおえず。石の鋭い薄片などの道具を使って髪の毛を切る習慣が生まれた。


手足の爪・・・髪の毛と同様に、人間の爪は常に切らなければならない。ところがすべての霊長類の手足の爪は、ある長さまで伸びると止まるので切る必要はない。これも道具を原始時代から必要としたひとつの原因となっている。


頭蓋骨・・・人間の頭蓋骨は、霊長類の頭蓋骨とはまったく違う形をしている。人間の頭蓋骨の形や組み合わさり方は、他の動物と比較できないほど根本的に異なりすぎている。


・・・ここで人間の脳を比較すると、霊長類とは基盤的にも大幅に異なっている。どちらが高度に進化しているといった質問は不公平だけでなく、ナンセンスだ。霊長類は彼らなりに生きていくには十分な脳を持っており、それ以上の脳は必要としていない。


発声・・・霊長類の喉と比べて、人間の咽頭は完全にデザインし直されている。人間の喉は霊長類と比べてもっと下のほうの位置にあるので、霊長類の典型的な発生をさらに細かく、いくつもの段階に変えられるように調節できる。


・・・霊長類の雌には発情期があり、その時期だけ性的に受容性がある。人間の女性には霊長類のような発情はまったくなく、性に対して常に受容的になれる。


染色体・・・染色体はもっとも不可解な違いがある。霊長類には48個の染色体があり、人間には46の染色体がある。人間は霊長類よりもっと広い領域において優れていると考えられているが、それであればなぜ人間のほうが霊長類の染色体より少ないのか?霊長類から進化したのであれば、なぜ、その途上で人間は二つの(一対の)染色体を失くしたのかという疑問が生じる。
その二つの染色体に含まれているDNAは、なかでも一番特殊であり、非常に膨大な量の情報を含みながら、人類のほうがさらに高度な進化を遂げたという証となるものである。
しかしそれにしても染色体の数についてまったく理屈に合わないことである。


人類と霊長類はこのように非常に多くの違いを持っているのです。人間が霊長類の一員だったといわれている時代からわずか30万年そこそこで、このように劇的な違いが現れるほどの進化は不可能だと考えたほうが正しいと思います。
 ともかく今は、近未来に地球人がまた原始人に戻るか、優良星人になれるのかの分岐点にさしかかっているように思います。

(以上)



気づいた方々は、どう感じるでしょうか?

 

 

 

さて・・・
にんげんクラブのサイトhttp://www.ningenclub.jp/ ですが・・・
船井勝仁さんが有料ページに興味深いことを書いていまして・・・
有料ページですので全部は引用しませんが、天外伺朗さんの本から引用がありまして、そこだけ引用します。

(引用)

会員ページより

船井勝仁のウィークリーレポート 2009年

ちょっとアホ理論

こんにちは船井勝仁です。
 
(略)
もしかしたら、アホがこの難しい時代を乗り切るキーワードかもしれないと思っています。
 
ヒューマンフォーラムという古着チェーン店の社長の出路雅明さんの
ちょっとアホ!理論 倒産寸前だったのに超V字回復できちゃった!」という本があります。
 
天外伺朗さんの「非常識経営の夜明け」に紹介されていてとても興味を持ちました。
読んでいただくのがわかりやすいので、天外さんの本から引用させていただきます。
 
 
(引用開始)
 
出路は、パンクロックのミュージシャンだった。その業界では、かなり名が知られ、カリスマ的な存在だったらしい。
1993年、一念発起してワゴン車1台で古着屋を開業。仲間に恵まれ急成長し、2001年には年商35億円、利益率14%に達した。

ところが、その成功とは裏腹に、本人は不安と不満にさいなまれるようになり、燃え尽き症候群を体験し、社業にまったく身が入らなくなってしまった。
涙ながらに仲間に謝り、気を取り直して猛勉強し、ありとあらゆる本を読み、またセミナーに出まくり、経営の改善に取り組む。
世の中で提唱されているさまざまな経営手法、マーケティング手法を、コンサルタントの指導のもとに、片っ端から導入し始めた。

(中略)
ところが、そういうすさまじい努力をあざ笑うかのように売り上げが落ちていった。
コンセプト・ショップを開けば、業界誌などでは絶賛され、いい気になったが、売り上げはさっぱりだった。
2004年には、3億円の損失を出し、20億円の借金を抱え、打つ手がすべて失敗したことを認めざるを得ない状況になった。
 
目の前に倒産の2文字がせまってきたのだ。
さらに出路は、家族の病気や本人の胃潰瘍など、同時多発的危機に見舞われた。
・・・・・・もう、あかんな・・・・・・。
そう思うと、出路は逆に気が楽になった。
開き直ったのだ。
そして、どうせダメなら、せめて楽しくやろう、と決心した。

(中略)
それから出路は、すべての経営学、マーケティング手法に背を向けた。
精密な経営情報システムを反故にして、経理を昔ながらの「どんぶり勘定」に戻した。
判断基準を、自分と大切な仲間が「楽しいか?楽しくないか?」という一点に絞った。
このフィロソフィーを、出路は「ちょっとアホ!」と名づけた。

― 「正しいか? 正しくないか?」「良いか? 悪いか?」「〜するべきか?〜しないべきか?」
などの“常識”的な判断基準は、「ちょっとアホ!」の天敵 ―

もがき苦しんだ2年間は、まさにその天敵に振り回されていたのだ。
この日から出路は、医者に禁じられていた大好きな酒を飲み始めた。
医者は激怒したが、2ヶ月後に胃潰瘍は完治。
お店も、自分たちの好きなものを仕入れて、客を巻き込んでお祭り騒ぎで売ることを徹底。
すると業績はV字回復をしていった。

(引用終わり)

ということです。

でですね・・・これは、経営を私の人生・運命と捉えれば、勉強した経営手法が私にとっての精神世界等とできるわけです。
どうもですね・・・

私も一度、そういう勉強したことを一度忘れて、「楽しいか?楽しくあいか?」だけで考え直した方がよいのではないかと感じさせられます。


 「正しいか? 正しくないか?」「良いか? 悪いか?」「〜するべきか?〜しないべきか?」
などの“常識”的な判断基準は、「ちょっとアホ!」の天敵 ―


ですね・・・

私の場合、”常識”が”精神世界等”となるのかもしれません。

もちろん精神関だけではなく、そこから派生したいろいろなものも含まれるわけですが・・・
またゆっくり書いてみようと思いますが、今日はここまで。


 

 

で・・・英語ですが・・・(笑)・・・
もうアメリカ人語でもなんでもいいので、英語を勉強というかブラッシュアップしようと思いまして・・・肉はどうもまだ食べる気になれないですが・・・

TOEICでも受けてみるかな・・・と・・・
前の会社には、なんと日本で始めて満点をとったとかいう人もいましたが・・・

で・・・5年くらい前に受けたのですね・・・2度続けて受けまして・・・
ある程度話せましたし、当時は英語でドラマを見ても半分以上理解できましたので、ほとんど準備らしい準備をしませんでした。
ただ、いわゆる英語のリスニングテストの声が聞き取れなかったのですが・・・
で、ですね・・・はずかしいのですが・・・あまり点数がよくないのです・・・


まあ、英検2級よりは良い程度の点数とだけしておきますが・・・

しかし、どうも、今日も、Voice of AmericaのCDを聞きましたが、軽く半分以上理解できるのです・・・何が起きたのでしょうか?
もちろんはじめて聞くCDではないのですが・・・5年ぶりくらいに聞きました。
小泉首相とかクリントンさんとか出てきます。ヒュンダイがどうしたとか・・・ですね。

で、それなら勝機はあるな、と、それではテキストでも調べてみようかとネットで調べていますと、いろいろ出てくるのですね・・・TOEIC情報が・・・


私いとって都合のよい情報とも言えますが・・・

いくつか上げてみますと・・・

経験者の声:
英検準1級です。TOEICのスコアは840〜855です。
ちなみに英語はしゃべれません。

・・・う〜ん、「そうか・・・ああ、よかった」と。どうも話せる能力とは少し違うようです。


経験者の声:
私の印象では英検準1級の方がTOEICよりよほど難しいと思う。
TOEICは長文読解がないですから楽です。

・・・えっ!!! 私は点数のほとんどを読解(長文)でとっているというのに・・・むしろリスニングは半分以下でしょう。
どうも、変だ。でも良かった。と。
(2度目は時間が足りないことを知り、後ろからやったのですね、長文から)

 

経験者の声:
TOEICは何度か受けてればコツがわかり点数が上がる。
英検準1級は何度受けても受からない人は受からない気がする。

・・・そうか、そういうものか・・・と。

 

経験者の声:
東大・京大の卒業生が準備もせずに初めて受けて、600前後ってとこらしいです。

・・・私はもう少し取れましたが・・・でも本当かな・・・でも、私は読解には昔から自信があるのですが、その意味では、リスニングなしと考えれば、そうなのかもしれない・・・当時の自分の偏差値で比べてみれば分りますが・・・と。

 

経験者の声:
アメリカの大学を卒業後またアメリカで数年生活し、その後TOEIC 受けました。
950点以上です。リスニングは満点です。
残念ながら満点の人でも映画を字幕なしで聞けるということはありえないです。
TOEICのリスニングは通常の会話を遅まわしにしたようなスピード。
特に映画などはスラングや訛り、専門用語などの問題でリスニング満点レベルではとても無理。

・・・おお・・・TOEIC950点でも、映画は見れない人もいるのか・・・
私にはTOEICの方が速く聞こえていたのだが???と。

 

経験者の声:
アメリカ在住です。一応800点以上は持っています。
ご指摘のようにTOEICは俗にいうネイティブの英語とはかなり異なります。
理由は、TOEICの英語はビジネスコミュニケーションのためのものだから。
ちなみに私はこちらの映画館に行っても、半分ぐらいしか聞き取れてない。
字幕が出るDVDを買ってから洋画は楽しみます。


・・・そうか、そういうものか、800点でアメリカに住んでいても映画が半分という人は・・・(喜)。
でも、ビジネスコミュニケーションのための英語だと映画が見れないのか???どういうことなのだろう?



経験者の声:
ネイティブの人が受けましたが、950点くらいしか取れませんでした。

・・・確かに日本語検定もむつかしかったなぁ、少し見てみたけど・・・
そういうものか、と。

経験者の声:
私は900点以上、洋画は画像がなければよくわかりません。
雑誌に関しては知らない分野の話だとすらすらは読めません。
好きな分野であればそれなりに読めるかもしれませんが、辞書はまだまだ必要。
ニュースに関しては、はっきりとした発音で喋ってくれるので集中すれば聴き取れます。

・・・NHKとか日本の放送の英語放送のニュースは異常に聞き取りやすいですね。
ほとんど日本語並みに聞こえます。そういう話し方というのがあるのでしょうか?
何か日本の機材の周波数のせいでしょうか?

雑誌は・・・昔は普通に読んでいたような・・・
最近はお目にかかることもありませんが・・・
音楽関係の本は読めますが、コンピューターとか経済とか専門的なものは、むつかしいですね、辞書が必要です。
契約書も辞書が必要です。
大学とかの申込書は、たくさん読みましたのできっと今でも読めます(但しオーストラリア語寄り)
・・・初めは日本の大学の経済学の本もすらすら読ませんでしたが・・・
ただ、岡田多母さんの文章も難しいですが・・・今でも・・・専門書はそれプラスアルファくらいですね・・・
そうすると、やはり読むことに関しては、900点の人とそう変わらないなぁ・・・

となるわけです。


で、とにかく天敵だったリスニングが・・・何が起きたのか分りませんが、今異常に良く聞こえるのです(謎)。
次のテストが3月ですが・・・就職が決まるか、まだお金があったらうけようと思います。



ただ思いますのは、話す方はですね・・・自分の意思を英語にする練習というのがいるのですね・・・
日本語も同じで、今私は日本語を話すのが少し不自由です(笑)。
日本語の練習もしようと思います。
英語も、かれこれ何年もきちんと話していませんが・・・ただですね・・・面接の前に、もし英語で話せといわれたら困るので練習したりするのですが・・・日本語より出てくるくらいに感じますが・・・昔ほどではありませんので練習し直おします・・・機会がないのですね・・・話す・・・

読むは読む、書くも書く、でそれぞれ別なわけです。
書くはe-bayでやり取りしますので、あまり劣化はないようです。

読むも、もちろん練習しなおす必要があります。


でもですね・・・先達て書いた癌でなくなった先輩は(前の前の前の会社)、映画も完璧でしたね・・・字幕なしで。
アメリカの通信教育会社の担当者から電話がかかってきて・・・違う部署だったのですが、もうほとんどの人が帰ってしまっていましたので、その人が電話を受けましたが、担当者が「あなたの英語は完璧だ」と言っていたそうです。


もう一人(前の前の前の会社)、日商岩井で石油の取引をやっていてニューヨーク勤務経験のある先輩もいましたが、この方もうまかったですが、なくなった先輩の方がすごかったようです。

ただですね・・・こと話すことに関しては、職歴とか学歴とかに関係なく、高校生くらいで語学留学をした何人かの女性が異常にすごかったです。


今でも・・・渋谷に行くときに東横線に乗りますが、どこかの大学で帰国子女を受け入れている大学があるのか、英文科があるのか・・・とても流暢に話している女子大学生をしばしばみかけますが・・・どうも話すに関しては、何語を話させても女子の方が上のようです。
脳の作りが違うようです。

そういうわけですので、ベンジャミンさんの日本語がおかしくても、エハンさんの日本語がおかしくても、何もいいません(笑)。

以上、自分が楽しいから書いています。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?


さて・・・報道ステーションを見ていましたら、ソニーが3Dテレビを発売し、バイオからなにから3Dにするのが目標のようですが・・・
おそらくですね・・・方向としてはそうではなく、すべて、手巻きラジオのようコンセントが必要ない状態で永久につかる、とか、そちらの方がよいのではないだろうか、と感じます。

たとえばですね・・・ノートPCを持ち運びわけですが、その運ぶ振動でバッテリーが充電されるようにすると・・・
あるいは、バッテリーステーションのようなものを作り、そこにいくと、充電してくれる、は携帯電話でもありますが、充電済みのバッテリーと交換してくれる、無料で・・・とかですね・・・あるいは、もう何にでも使えるバッテリーで、それが歩くことによって充電されるとか、車にゆられている間に充電されてとか・・・ですね。

私は基本的には風呂場に窓がないので換気扇をつけっぱなしにしますが、その換気扇の回る力で充電するとかですね・・・

大きなビルならエレベーターの上下で充電するとかですね・・・だって、今のレベルでも、手巻きラジオの手巻きがエレベーターの上下で充電されたとしたら結構充電できますよね?
しかも、ひとつではなく、複数充電できますよね・・・

そうすると、たとえばその力を使って、充電済みのPC用バッテリーが可能なら、よいわけです。

もちろん結構1万円以上で売っているものですし、劣化もしますので、いろいろあるでしょうが・・・・まあ、工夫して欲しいですね。

その意味では自動巻きの時計というのはすごいですね。
もちろん、バッテリーの発電まではいきませんが。


気づいた方々は、どう感じるでしょうか?






さて・・・
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010010600475 によりますと・・・
(引用)

接種、見込みの「20分の1」=仏政府に批判噴出−新型インフルワクチン

 【パリ時事】フランスのサルコジ政権が、新型インフルエンザ対策でワクチン9400万回分を注文しながら、実際に接種を受けたのはわずか500万人にすぎないことが判明し、「見込みの20分の1。重大な判断ミスだ」との批判が与野党から噴出している。
 バシュロナルカン保健相によると、仏政府は製薬会社4社に、国民1人当たり2回分をめどにワクチンを発注し、昨年10月から接種を始めた。
 ところが、世界保健機関(WHO)がその後、接種は1人1回で十分と勧告したことで目算が狂った。さらに接種場所を特定医療センターに限定し、一般開業医を外したため、接種が進まなかった。
 同保健相は今月に入って突然、発注の半分余に上る5000万回分の注文契約を取り消すと発表。既に購入した分も、一部が中東のカタールなどへ転売されていることが明らかになった。(2010/01/06-14:05)

(以上)

ということです。

どう考えてもですね、自民党といいますか、舛添 厚生労働大臣といいますか・・・
シークレットガバメントというかアメリカというか・・・それがやっている薬品会社をもうけさせるため協力したのだと思いますが・・・うまういかなかったでしょう・・・全世界的には、ですね。


マスコミもですね・・・毎日毎日、何人なくなった、と・・・
おそらくは普通のインフルエンザとほとんど変わらない状況だったのでしょう。


気づいた方々は、どう感じるでしょうか?





TOEICですが、新要領になってからは、ヒアリングも、イギリス、オーストラリアなどのほかの英語圏の発音も取り入れているようです。

 

 

さて・・・
岡田多母さんの「ラブコール あなたへ」http://tamo.thd-web.jp/ですが・・・
(引用)


タモのリサーチ(1/6−3)

ヤマトの和に光条が現れる

       (略)

        小さな日常が大きな偉大さを実現する
        身近な幸せが世界の平和を実現する

        家族を愛することが世界中に幸福を具現化する
        平凡が奇跡を具現化する

        ただ一心に ひとつのことをやり続けるだけ
        特別なものは何も要らない

        一心にひとつのこと単純に無心にひとつをやり遂げるだけ


        身近な幸せから始めましょう☆
        小さな幸せを続けましょう☆

        明るく朗らかに自分サイズの等身大で一心にひとつのことを続けましょう☆


        吉祥天運幸運気☆に乗って一心に明るく朗らかに
        ひとつのことを等身大でやり続けましょう☆


        大切なことは…
        願望は最大に
        継続は最長に

        諦めない飽きないリタイヤーしない後悔なし

        一心にひとつのことを等身大でやり続けるだけで世界が変わる
        今が変わる未来が変わる

        身近な幸せ発見☆
        笑顔満開でやり続けましょう☆

(以上)


ということです。

願望は最大に・・・これは政木和三さんと同じですね。森田健さんも書いていたでしょうか?
とにかく最大限に願望を思って、そして完全に忘れて、足元1メートル四方だけを見て、一歩一歩進む、んだそうです。

やはりそうなのでしょうか?
私は、まず願望の時点で割引ます。割り引いてしまいます、が正解です。
自分だったらこの程度くらいかな・・・とかですね。

気持ちとしては負けているということですかね・・・この時点で。

ひとつは大学受験の発想ですね・・・
いや私の場合は、中学受験から始まっていますが・・・第一志望があって、第二志望がある・・・滑り止めの第三志望意もある・・・
で、中学受験の時に、だれもが受かるといわれていた第一志望を落ちたのですね・・・有名な学校ですが(笑)。
で、高校生の時は、すでに第一志望を実力の80%に設定し始めたのですね。
大学もそうです。
で、つくずく思うに、すべてそうです・・・要するに中学受験の時に、現実的な発想を学んでしまったのですね。

もちろん、今思えばいろいろで・・・中学受験の時・・・まだ受験する人なども少なかったですし、親も勉強はできた方ではありませんでしたので、ただただ子供のため、ろ思ってやってくれて、たまたま私が良い点数ばかりとっていて、塾でもそうでしたので・・・絶対受かる、ということだったのだと思いますが、そうではないかったですね・・・
勉強し足りていない部分がありました。
だってですね・・・確かに文部省の範囲でのテストの点数は良かったのですが、当時すでに、中学生レベルの問題が出ていましたからね・・・そういうところを勉強していませんでした・・・

ですので、よくよく考えますと、あれは絶対ではなかったです。

何度も書きますが、親が算数のテストであせらないようにと、精神安定剤を飲ましてくれるのですね(笑)。
気持ちはありがたいですが・・・眠いですね(zzzzz・・・)

いずれにしても、それらは後で分ったことで、そのときに、志望は80%でとめておく、という教訓を潜在意識に入れたような気がします。
いけませんね。
で、政木和三さんを読んで以来、なんとか最大限の志望、というのをやってみていますが、まだまだかもしれないですね。

継続は最長に・・・
これは、まだ45年しか生きていませんので分りません。
なんとなく諦めないで続けているのは音楽くらいでしょうか・・・

なんでも普通は、いろいろな制限があり、「ここら辺で諦めておきなさい」があるものですが、大抵それに従います。
といいますか、願望は抽象的でないと、だめですね・・・継続するには。

極端を書けば、30までに結婚する、というようなものは、31歳になったらもうXです。
結婚して幸せな家庭を持つ、は、死ぬまで継続できます。

よく願望達成法で、願望はできるだけ具体的に、と書かれていますが、少なくとも、期限を区切るようなことはだめですね。

あと、自分のことではなく、会社の何か、とか他人が一緒のものなどもそうですね・・・制限がかかる。
自分があきらめないでも、一緒に行う人が、「辞めた」と言えば、それまでです。

ですので、これも、この部分は具体的でないほうが良いですね・・・・



 

 一心にひとつのことを等身大でやり続けるだけで世界が変わる
ですが・・・そう信じてやり続ける以外ないですね・・・
ただ、普通は、「等身大ではだめ」と思いますので、もっと大きくなろうとする、わけです。
今の自分じゃだめだ、と。馬力を上げるわけですね・・・

学歴とか資格とか、がそれでしょうか?
で、それが無理となって初めて、等身大の自分、となるでしょうか?

あるいは、資格でもなんでも取れれば撮ればいいのでしょう・・・・取れなければ、取れない自分、取れれば取れた自分・・・ということでしょうね。

その意味で「今のままの私(あなた)で完全です」は、嬉しい言葉であり、それがどうもそれが事実なようです。

完全であることがちゃんと分ると、何かが起きるようですが、私はまだ、ちゃんと分っているのかどうか、分りません。


いずれにしても、等身大で・・・


気づいた方々は、どう感じるでしょうか?

 





さて・・・
森田健さんですが・・・

(引用)

もりけん お金について(2)・・値引きするとモノの価値は減るのか?   
 富士通を辞めてから私は独立しようと思いました。
 その前に、簿記学校に通いました。
 簿記学校の先生は、税理士の資格に挑戦中の学生でした(汗)
 
 そのとき、商品を値引きしたときの経理の処理方法を学びました。
 なんと資産価値も減るのです。
 これを見て私は言いました。
 
「先生、感動しました。値引きするとモノの価値が減るのですね」
 
 先生は言いました。
 
「いや、モノの価値は減らない」
 
 そのとき、生徒のひとりが言いました。
 
「森田さん、スルドイ。私も森田さんの見解に賛成です」
 
 あなたはどう思いますか?

(以上)

ということですが・・・

これは面白く・・・値引きしても、他が値引きしないとモノの価値は下がらないので値引きの意味がある、ともいえますね。
つまり・・・市場価格1,000,000円のものがあって、A地域のA店で95万にした・・・するとそれは95万ですが、100万円で売っているB地域にけば、あいかわらず100万ですので、95万で勝った人は5万円得をした・・・と。
だから値引きは意味がある。

しかし、みんな値引きすると市場的には価値が下がったことになりますね。
もちろん資産としては、値引きすれば、即価値が下がったということになりますが・・・

それを考えますと、為替というのは本当に変なもので・・・輸入品のAという商品はAであるにも関わらず、為替の変動で、価値が変わる・・・
もちろん、資産として・・・ですが。


で、モノでないとどうか・・・人とかですね・・・
ものでもそうですが・・・「私は月給100万円でないと仕事はしません」というと、その人は月給100万円の価値かもしれませんが・・・それで仕事をしませんそ、何も生まないわけで、ゼロです。
資産も、値引きしないでほっておくと、資産としてはそのままですが、売れませんと、現金にはなりません。
ただ・・・資産として計上すると価値が出てくる・・・

人で計上する、は何に当たるでしょうか?
まあ、ないですね・・・但し、100万と言っている人が30万円で仕事を請けた瞬間30万円になってしまう、というのはあるでしょう。

ただ、他で仕事をすれば、あいかわらず100万円なら、単に30万で仕事出した人は得をしたことになるでしょうが、どこにいっても30万なら、そのまま、20万なら損をした、と。


逆に、モノですが・・・市場価格が30万でも、100万で買ったら、100万で資産として計上できる・・・んでしたっけ?
会計も勉強したのですが忘れてしまいましたが(笑)。

なんにしても、年々価値が減るのでしょうが・・・
もし、そうなら、モノはできるだけ高く買ったほうがよい、という一面もありますね・・・


でも確かに・・・何となくですが、同じもモノでも、高く買った方が、運がよいというような経験もありますが・・・

とは言え、高いものが安く買えた方が、運が良い、という経験もあります・・・そのものを使ってですね。

なんとも言えません。


ただですね・・・先達て書きましたが、ロレックスは高いから売れるのですね・・・
なぜなら、まったく同じデザインの時計はあります。
偽者ではなく、たとえばデイとジャストという機種がありますが、あの形は、セイコーでもシチズンでも他メーカーでもあります。
7,8千円で買えます・・・自動巻きです。
性能も思うに100倍も違いません。少なくとも時差を言えば、100倍違いません。

でも、ロレックスはオリジナルということもありますが、おそらくは高いから売れるのでしょう。
5万円だったら売れるかどうか・・・
もちろん、不景気ですので、昔ほどではないでしょうが。

キャビアとか高いですが・・・ダイアモンドも・・・あれも高いから買う、というのはありますね・・・
チョウザネメの異常発生とかですね、地殻変動によってダイアが、そこらへんから出てくる、となったら、どうなるのでしょうね?

似たようなケースはないか、と・・・
いや、贅沢品と必需品で違いますね。

贅沢品はできるだけ高い必要があるようです。
もちろん限度はあるでしょうが。
必需品は安くした方が、たくさんうれるわけですが、それも限度があるのでしょうね。



ただ・・・値引きしたその瞬間、価値が減る、というのは、、まあそうですね、確かに実際もそうですね。
需要があるかどうかとは別の問題ですね・・・売れるかどうかとは別であると。
そして、高次元的には高い方が、何か力のようなものが強いかもしれません。

よく分りませんが・・・

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?


履歴書を書いていまして・・・ちょっと端折ります。

先達て、どこかの掲示板に次のようなことを書きまして・・・
掲示板のタイトルが「結局、己のため 」となっていたのですが、っこれは、私がエゴを考えるとき、最後の「こりゃだめだ」の捨てセリフのように書いてしまう言葉でしたので、反応してしまいました。

で・・・書いた内容が次の通りですが、またしてもですね・・・私が書いたとは思えない内容で、「なるほど、そうか〜」と・・・


(ここから)

自分の意識が膨張し他と一体になる。
自分のためにやっていることが、他人のためにもなっている状態。
自分がやりたいと思ってやっていることが、自然に地球、宇宙全体のためになっている
状態

彼女のためなら、アルバイトして、何か買ってあげたい(彼女の喜ぶ顔が見たいから)
子供のためなら、たばこを辞めても塾に通わせて上げたい(子供に幸せになって欲しい)
孫のためなら、何でもしてあげたい(孫の喜ぶ顔が見たい)
生まれ故郷の活性化に尽力したい(自分の故郷に感謝したい)
日本を立て直したい(自分の国だから)
地球を蘇らせたい(自分の星だから)
・・・基本は、自分がしたい、自分のため、それが自然と他のためになるまで、魂の浄化をする。

良い人になるということではなく、自他同然の境地、決して嫌なのにボランティアとかしてはいけない、
もっとも、感謝されて、はじめて何かを知るという効果はあるかもしれないが。

自分のエゴに従ってやっていたのに、ちゃんとみんなのためになっていた、その状態


(以上)

です。

でですね・・・どうもやはり、人間はエゴ、よくで動いていますし、動くべきだと思います。
で、そのエゴが、上で私であって私でない人が書いているように、自然と他のためになっている状態まで浄化する・・・というのが創造主の望んでいる状態だろうな、と感じています。

ですので「エゴはいけない」というのは、根本的に間違えている言葉なのではないでしょうか?
エゴをよくと訳すなら、人間はよく出しか動かない生き物だと思います。また、そうすべきだとと思います。
それは、岡田多母さんのいう「心に素直に」ということであり、森田健さんのいう「快」ということと同じだと思います。

そして、いろいろあって浄化された状態であると、そのエゴでやっていることが、自然と他のためになっているのではないでしょうか?

ですので、それは、さうっじつの船井勝仁さんの引用した天外伺朗さんの文章にあるように、「楽しいか楽しくないか?」という判断基準と同じなのだと思います。

政木和三さんが、「世間のためになることをすると運がよくなる」と書きますが、あれはおそらく、政木和三さんがしていることの結果を理論化したものではないでしょうか?
つまり、初めにそういう理論があって、それに従ったのではない、ということです。
どういうことかと言えば、自分のエゴから出ていないのに、世間のためになることをしても、別に運にも何にもつながらない、ということです。
まず初めに、楽しい、よくというものがあり、それをやあったら、世間のためにもなっていた・・・これでないと創造主は振り向かないのではないでしょうか?

もう一度、つまりになりますが、強制されてボランティアと善行をしても意味があまりない、ということです。

具体的には、要するに・・・

(もう一度引用)

彼女のためなら、アルバイトして、何か買ってあげたい(彼女の喜ぶ顔が見たいから)
子供のためなら、たばこを辞めても塾に通わせて上げたい(子供に幸せになって欲しい)
孫のためなら、何でもしてあげたい(孫の喜ぶ顔が見たい)
生まれ故郷の活性化に尽力したい(自分の故郷に感謝したい)
日本を立て直したい(自分の国だから)
地球を蘇らせたい(自分の星だから)

(以上)

ということだと思うのです。
ですので、根底に、私が(彼女の喜ぶ顔が見たいから)・・・がないと何の意味もないのかもしれない、と感じています。


果たしてどうでしょうか?

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?

 

 

 

さて・・・http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100105-OYT1T01486.htm によりますと・・・

(引用)

「うつ百万人」陰に新薬?販売高と患者数比例

 うつ病患者が100万人を超え、この10年間で2・4倍に急増している。不況などの影響はもちろんだが、新規抗うつ薬の登場との関係を指摘する声も強い。安易な診断や処方を見直す動きも出つつある。

 東京の大手事務機器メーカーでは、約1万2000人いる従業員中、心の病による年間の休職者が70人(0・6%)を超える。2か月以上の長期休職者も30人を超えた。多くがうつ病との診断で、10年前までは年間数人だったのが、2000年を境に急増した。

 この会社の産業医は、「『うつ病は無理に励まさず、休ませるのが良い』との啓発キャンペーンの影響が大きい」と話す。うつ病への対処としては正しいが、「以前なら上司や同僚が励まして復職させたタイプにも、何も言えなくなった。性格的な問題で適応できない場合でも、うつ病と診断されてしまう」と、嘆く。

 国の調査では、うつ病など気分障害の患者は、2000年代に入り急激に増えており、一概に不況だけの影響とは言えそうにない。

 患者急増との関係が指摘されているのが、新規抗うつ薬「SSRI」だ。年間販売高が170億円台だった抗うつ薬市場は、1999年にSSRIが登場してから急伸。2007年には900億円を超えた。

 パナソニック健康保険組合予防医療部の冨高辰一郎部長(精神科医)によると、欧米でも、この薬が発売された80年代後半から90年代初めにかけ、患者の増加がみられた。

 冨高部長は「SSRIが発売されたのに伴い、製薬企業による医師向けの講演会やインターネット、テレビCMなどのうつ病啓発キャンペーンが盛んになった。精神科受診の抵抗感が減った一方、一時的な気分の落ち込みまで、『病気ではないか』と思う人が増えた」と話す。

 田島治・杏林大教授が、学生にテレビCMを見せた研究では、見なかった学生の倍の6割が「気分の落ち込みが続いたら積極的な治療が必要」と答え、CMの影響をうかがわせた。

 ◆安易な投薬…薬なしで回復の例も◆

 うつ病は一般的に、きまじめで責任感が強い人が陥りやすいとされる。自殺に結びつくこともあり、早期発見・治療は自殺対策の柱のひとつにもなっている。

 ところが近年は、「自分より他人を責める」「職場以外では元気」など、様々なタイプもうつ病に含まれるようになった。検査数値で測れる身体疾患と違い、うつ病の診断は難しい。このため、「抑うつ気分」などの症状が一定数以上あれば要件を満たす診断基準が普及した。「なぜそうなったか」は問われず、性格や日常的な悩みによる落ち込みでも診断され、かえって混乱を招いた面がある。

 田島教授が行った精神科診療所の医師に対する調査では、約8割の医師が、うつ病の診断が広がり過ぎていることに懸念を示した。

 安易な投薬を懸念する声もある。抗うつ薬は、うつ病治療の柱とされているが、宮岡等・北里大教授は「薬なしでも自然に回復するうつ病も多い」と話す。

 海外では、軽症には薬物療法ではなく、カウンセリングや運動などを最初に勧める治療指針も多い。渡辺衡一郎・慶応大専任講師は「日本でも、まず抗うつ薬ありきという認識を見直す時期に来た」と話す。
(医療情報部 高橋圭史、佐藤光展)

2010年1月6日03時03分  読売新聞)

(以上)


ということです。

なるほど・・・そうかもしれない、と感じます。

で、薬関係を続けて・・・



 

http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/499.html

http://inkyo310.blog16.fc2.com/にあるのですが・・・

原文はhttp://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=16667

(引用)

ついに欧州議会が、WHO、ワクチン・製薬業界、エセ学者の腐敗関係の徹底調査を決定!

欧州評議会の保健委員会は、製薬会社の世界的豚フル・キャンペーンの影響、特に業界がどれだけWHOに影響を及ぼしているのかに焦点を絞って、2010年1月から調査開始することを満場一致で可決した。これで漸く、世界中の何百万という人々の生活を台無しにし、あるいは死に追いやってきたWHO、製薬業界そして学術研究者の三者で成る、いわゆる薬物腐敗の"ゴールデン・トライアングル"の透明性を公にする動きが始まったことになる。

現在同保健委員会会長のヴォルフガング・ヴォダルグ医師(肺疾患と環境医学の専門医)が、この動きを導入したのであるが、彼は、”現在のWHOによる豚フル・キャンペーンは今世紀最大の医療スキャンダルの一つである”と見なしている。

決議案には、”製薬会社は自分達のインフルエンザ用特許薬とワクチン促進のために、公衆衛生基準に責任のある世界中の科学者や公的機関に働きかけて、各国政府に豚フルの危険性を煽りたてて限度ある医療資源を浪費させて非効率なワクチン戦略を執らせ、あげくに検査不十分なワクチンを何百万人もの健康人に接種し、どれだけ副作用が出るか分らない危険にさらしてしまった。
2005/06年の鳥フルと今回の豚フルのキャンペーンのせいで、ワクチン接種を受けた患者や各国公衆衛生予算にのみでなく、世界的に重要な医療機関の信用と責任に甚大な被害が及んだようである” と、述べられている。

議会の調査対象となるのは、専門家会議SAGE(The Strategic Advisory Group of Experts)の忠告で2009 年6月にWHOが行った"偽造パンデミック(大流行)”宣言の問題であるが、このSAGEの多くの学者は、薬品と未検査のH1N1ワクチン製造で莫大な利益を上げるグラクソ・スミスクライン、ロシュ、ノバルティスなどの大手製薬会社と緊密な金銭関係を保っている事が分っている。議会はH5N1 “Avian(鳥) Flu” と H1N1 ”Swine(豚) Flu” に対する世界的なキャンペーン操作における製薬業界の影響について調査するのであるが、調査は議会総会の”緊急”優先事項となるであろう。

当委員会の公式声明でヴォダルグ医師は、製薬業界がWHOの役員及び科学者達に及ぼす影響を批判し、不当なまでに何百万人もの健康な人達を不良検査ワクチンの危険性にさらす状況をもたらし、しかも今回の豚フル・ウイルスはこれまでのどの流行性感冒よりはるかに害の少ない種類のものであると述べている。

また同医師は、欧州評議会は、WHOの役割と2009年6月のパンデミック緊急宣言に大して特に焦点を当てて調査すると述べている。WHOは、メキシコでの最初の豚フル感染報国があった
2009 年4月に、病気の実際の危険性ではなく、症例数のみで”パンデミック”宣言を行い、これまでのパンデミック基準を今回初めて変更したのである。豚フルをパンデミックと宣言したがため、各国はパンデミック対策準備と豚フルワクチン購入を余儀なくさせられた。ヴォダルグ医師は、WHOは議会のいかなる制御をも受けないので、各国政府がその責任追及を行うべきであると強調する。調査では、パンデミックのガイドライン発行に重要なドイツの二つの機関、ポールエールリッヒとロバート-コッホ研究所の役割をも検討する予定である。

(以上)


ということなんだそうです。

やっぱり、というか、証拠が見つかったというか・・・私の言っていることが証明されたというか・・・土橋さんでもベンジャミンさんでも、同じようなことを書いていましたが・・・
ということです。

よい世の中になってきましたね。

氣気づいた方々は、どう感じるでしょうか?


 

 

さて・・・森田健さんですが・・・
穴埋め問題が論文になったり、物の価値が多種多様になったのは、ネット社会が原因だと思います、と書いていますが・・・
 
正確には多様さを加速させたのは・・・でしょうか・・・
でですね・・・私はむしろ安くなったものに、それを感じますね・・・
中古CD・・・ジャズですが・・・間違いなく安くなっています・・・最近中古やさんへいきませんが。

横浜の時は、馬車道通りにありましたので、よくいきましたが・・・お茶の水もですね・・・ネット普及まえより2,300円安くなっています。
但し、BOOK OFFではジャズは高いです。ちょっと値段設定を間違えていないかな・・・と感じますが。
但し、新品がよく売れて在庫がたくさん集まった中古は、ユーミンでもなんでも、300円とかで売っています。

おそらくジャズはお金を持っている大人が買うと踏んでいるのでしょうが・・・
ジャズを買う大人は、中古はどこで買えばよいか知っているのではないでしょうか・・・相当日本ではまだまだ少数派です。


で、その他ですが・・・TOEFLもそうかもしれないですね・・・さんざん私のように書いている人もいたでしょうから・・・

但し、ネットは業者がからむか、個人かでも違ってきます。
業者は、だれかから中古でも仕入れますので・・・専門店はですね・・・
私はネットオークションを始める前に・・・アイバニーズという会社のジョージ・ベンソンも出るというギターを売りました。
楽器やさんへ・・・3万円くらいでしたね・・・で、それはきっと、8〜12万くらいで売るのだと思います。

で、今オークションに出しますと、やはり、ま10万円くらいで売れるのですね・・・

で、じゃ、ギターは、業者なら高いかといえば、そうでもなく、古物商のようなギターなどの専門でない人が出しているのは安いのです。
要するにb仕入れの段階で、「ギターだよ」といって売りに来るのではないのだろうと思います。
だから、楽器やさんより安く仕入れられるのでしょうね・・・
あるいは、「なんだかしらないけど持って行って」に近いかもしれません。

で・・・まあ、ギターくらい手にした人も多いですし、アンプをとおせば音が出るかどうか位は、商品説明に書けるわけです。
で、少し知っている人は、写真のその程度のお情報でも、まあ、分るのですね・・・動作品か・・・あるいは、壊れていても、「直せる」あるいは「安く直せる」くらいはですね・・・

ストラトキャスター式のギターなどは、ハードウエア・・・ピックアップ(マイク)とかボリュームなどが、プラスチックの板に付けてあり、あとは半田がしてあるだけで、しかも部品も売っていますし、中古でも部品だけ出ていますので、まあ、比較的簡単に直せるのですね。

ありようはPCと同じで・・・マザーボードを取り替えるのは、値段の割りにあわないかもしれませんが・・・マザーボード的なものが、ギターで言うところの、ボディなわけですね。

後は、メモリーでも、なんでも取り替えられるということに関しては、ボリュームとピックアップとかは同じなわけです。

そのボディがよいとまあ、音がよいわけですが・・・


その意味では、PCは私程度にちょっと知っていても、本当に安く手に入りますよ・・・
なんで、今まで、何十万も払っていたのか・・・しかも当時中古でも、相当高かったです・・・

ギターより、PCの方が中古で威嚇的性能の良いものというのは、安いですね・・・オークションでは。
なにせ進歩が早いので、旬なうちに売り払ってしまわなければ、というのがあるのでしょう。

その点ギターとかは、そうでもないですね・・・

ただ、先達ても書きましたが、お店の人と会話して、という楽しみはないですね・・・まあ、それはそれで別の機会を作ればよいのですが、私の場合、買い物での人との会話が結構大きな意味をもっていた、ということを逆に知らされました。


でもそうおですね・・・今のシャープの液晶テレビ22型は、オークションで買いましたが・・・持ってきてくれましたね・・・

それと何度か書いている、ソニー製のCRTをオークションで売ったら買った人が、取りにきてくれたのですが・・・話しますと、元ソニーで天外伺朗さんの下で働いていた人で、私の前の会社も知っていて、今は独立して会社をやっている人だった、なんてこともあるわけです(笑)。

ただですね・・・逆もあるんです・・・
高くなった・・・チュードルというロレックスのディフュージョン・ブランド・・・ひとつ格下のブランド・・・ん〜洋服とかギターを知っている人は分ると思いますが・・・がありますが、これはもっぱらイギリスで売られていたのですが・・・昔は・・・日本内は今でも代理店がない・・・その中古などは、以前はイギリスのEbayに行きますと、比較的安かったのですね・・・

それがですね・・・どうも、最近、日本なみになってきまして・・・アメリカでも安かったですが・・・とにかく日本では高かったのですね・・・・で、私の見立てでは、日本並みになってきました。

おそらく、見ているのでしょうね、日本の価格を・・・ヤフオクいなるでしょうか?

で同じように、ebayでは、セイコー、シチズンの中古が、シンガポールとかタイとかの業者さんで出品されているのですが・・・
日本人の好みをよく知っているのですね・・・・
イギリス人の方などはよく知らないようで、破格の値段で落札したものなどもありましたが・・・彼らはよく知っています。

だから、日本価格とあまり変わりませんね・・・高いものは、ですが。

そういえばこんなこともあり・・・イギリスの業者だから安心して、モバードというメーカーの時計を買ったのですが、壊れているのです。

で、問い合わせたら、そのイギリス人時計やさんは、インドだかどこかの時計やさんに、名前だけ貸しているのですね・・・
インドよりイギリスの方が聞こえもいいですし、つまり評判もよいわけです・・・

で、早速、送り返してくれれば、彼らに修理させる、というので、送った戻ってきたのですが、だめでした。
結局、返品してくれましたが・・・

大抵・・・時計屋さんは親切ですね・・・大抵・・・機械式時計のウオッチメーカー(修理できる時計やさんという意味です)ですので、まあ職人さんですね、精密機械の・・・そのせいもあるかもしれません。
短期だったら、あんな小さい部品をルーペで見ながら修理はできませんね・・・

他にもありますよ・・・今ですね中国の特定のメーカーのBCLラジオが性能がよくてですね・・・うわさになっていまして、ソニーとかも、そこのOEMなんだそうです。

それが、今はそうでもないのですが、少し前だと海外のebayとかだと日本より安く買えたのですね・・・

昔、キョウオセラの8ミリビデオがソニーのOEMでまったく同じ商品が名前だけ違う、というようなことがありましたが・・・・そういうことがラジオでも起きているらしく、ソニーのなんとかと同じ、松下の何とかと同じ・・・というそのメーカーのラジオが、ソニーとかより安く手に入るようなのですね・・・

もう、多少英語ができればよいですし、度胸があれば、翻訳ソフトだけでも、なんとかなるかもしれませんので、みんな安い方へ流れます。
そうすると、困りますので、安くなっていくのです。

まあ、留学の手続きなどもそうですが・・・
それでも、時計でもそうですが、近くに少し知っている人がいた方が、普通はいいです。


ただ価値の多様化・・・・これはTOEFL以外であったでしょうか・・・

ありますね・・・
精神世界がらみ。

私のようなことを書いている人はいくらかいるのですが・・・
これも、ネットがあって初めて分ることですね。


でそういえば、ネットが始まった頃、ジャズのジャムセッションを開催していたと何度も書いていますが・・・今はあれをやる気にならないのですね・・・・
感じとしては、今練習していませんので、昔ほどうまくはないのです。それがひとつ。
もうひとつは・・・私は若い人がすごく苦手なようなのですね・・・
中高年用をやればいいのですが(笑)。
3年前に参加したジャムセッションは中年ばかりでしたが、、、まあ、進化論がらみで喧嘩して行かなくなりましたが・・・・ただロックの方は・・・同い年くらいの人ばかりで、これは続いていますね。
ということは、私は、年下<年上<同い年、という感じで仲良いようです。

そして、当たり前ですが、需要と供給ですが・・・前より練習していなくともジャズっぽいアプローチができるので、ロック界では重要がある、とも言える訳です。


で・・・価値観ですが・・・コスプレなどが外国でも流行っている・・・・これはネットの力でそうね・・・
また日本のビジュアル系のロックバンドがフランスで人気が出て、コンサートをやったそうですが・・・これは、ネットで見て、人気が出たらしいのですね・・・

アメリカとマスコミで洗脳された私達としては、「日本のロックなんか、外国人が評価するわけない。ぜんぜん下に思われている」とか思うわけですが、事実はそうではなかったのですね・・・

確かに、昔から、ことイギリスでは、カシオペアですとか川崎りょうさんのような人が人気があって・・・というような話が伝わってきてはいたのですが、まあテレビではやらないわけです。
そして、外国人がすごい、とかしかやっていない。

で、劣等感もある・・・しかし、ネットがそれを解決してくれた・・・・まあ、テレビ番組でやっていたわけですが・・・
もうですね、速くテレビでやった方がよいのですよ。
視聴率が稼げる内に。

ネットで先にやられない内に。

しかし、やらないのしょうね・・・


あのイギリス人おばさんの歌のうまい方・・・あれはネットが先ですね・・・


もうすぐ朝になりますので。ここまで。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?

 

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