もくじ
さて・・・
不思議研究所の森田健さんが、飽きるので同時に数冊の本を読む・・・と書いていますが・・・
今、私は、
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2009年
資本主義大崩壊!―いよいよ断末魔の最終章
船井 幸雄(著) (著), 櫻庭 雅文(インタビュー) (著) ダイヤモンド社
(2008/12/12) 発売日: 2008/12/12 と・・・ あの世はどこにあるのか
(単行本(ソフトカバー))
出版社: 幻冬舎 (2008/12/19)
発売日: 2008/12/19 ですが・・・
を同時に読んでいます。 |
なぜかと言いますと、白峰さんが、裏の話や宗教の話ばかりしていると、感じやすいタイプの人は、疲れる、というようなことを書いていますので、それにならったわけですが・・・
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←あの世はどこにあるのか (単行本(ソフトカバー))
出版社: 幻冬舎 (2008/12/19)
発売日: 2008/12/19 ですが・・・
とは言うものの・・・今冬休みですが・・・ 今日まで一切読んでいませんし、今日まで、書いてもいませんでしたが。
時代劇ばかり見ていました・・・大掃除もしましたが・・・ 今は李香蘭を見ています・・・チャイナドレスが色っぽいです。
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で・・・篤姫ですが・・・あれは、主演の宮崎あおいさんの魅力で、ヒットしたのだろうかな・・・と感じています。
私感では、芸能界では・・・特にアイドルは・・・どんどん「細くて大人っぽい」感じの女性を前面に打ち出しているようにも感じますが、私は日本人は、かわいくて、八頭身よりも六頭身くらい・・・本当は、痩せているよりも、いくらかぽっちゃりしているような女の子に魅力を感じ「可愛い」と思う人が多いのではないだろうか・・・と感じています。
篤姫で言えば、最後まで宮崎さんが「老けなかった」のがよかったですね。
「嘘」ですが、あれで良いのだと感じます。
私は人の作るものは、「嘘」で良いのだと感じます。
本物が見たいなら、作ったものではなく、本物を見れば良いのだと感じます。
歴史は見れませんが、それなら、今残っている歴史を追っていけば良いのだと感じます。
ドラマや映画は、「嘘」で良いのでしょう。
ストーリーも本当のことは、分からないのですから「嘘」で良いのだと感じます。
但し、だれかの意図に使用される可能性がありますので、「嘘」を前提で見るような常識は必要だと感じます。
私は、「山岡哲舟」さんが出てこない無血開城はないだろう、と感じていますが、宮崎あおいさんがかわいいので、あれで良いとも感じています。
というよりも、ストーリーはほとんど無視して見ていました。
歴史ドラマとは、そういうもののように感じます。
表出でているひとつひとつの結果は残っていますが、どうしてそうなったかについては、事実は本人しか知りませんし、本人でも知らないかもしれません。
それでも、明らかに「間違い」というものは、あるでしょう。
あるいは、「事実」とされていたものが、嘘である、というものもあるようです。
いずれにしても、ドラマはドラマ、だと感じます。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
で・・・テレビの外国語講座を良く見るのですが・・・
どうも、英語よりもドイツ語よりもフランス語が聞き取りやすいです。
と言っても、フランス語もドイツ語もできませんが、カタカナで全部書き取れ、と言われたら、どうもフランス語は全部書き取れるようですが、ドイツ語はそれができません。
英語は書き取れますが、フランス語の方が書き取りやすいように感じます。
だからどうだとは言いませんが、フランス語でも勉強してみようかな・・・と少し思っています・・・後3年以内で次元上昇ではありますが。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
で・・・
李香蘭を見ていますが、李香蘭さんが死刑になってしまうのではないか・・・とお母さんが泣いています。それを見てお父さんが「しっかりしろ!!」と怒鳴っています。
しかし、お母さんは「娘が日本人であることを証明すれば死ななくて済む」とすぐに立ち直ります・・・
実際の話ですので、不謹慎ですが(すみません)、これは、男性と女性をよく表していますね。
女性の泣くは男性の泣くとは別物ののようです。
それを知らないで、男性の泣くを基にお父さんは「取り乱すな」と言っていますが、実際、こういう時、女性は取り乱していないように感じます。
感情の余計な部分、はみ出した部分を泣くという行為で、吐き出す、ということが女性には出来るのではないだろうか?と感じます。
それをしますと、女性はすぐに正気に返ります・・・
とても、うまく男女が表されているように感じます・・・・
と未婚の私が書いています(笑)。
ちなみに、男性が泣く時は、ほとんど「悲しい」時だけではないでしょうか・・・
悔しくて泣く、というのは、時々みますが・・・普通男性は、そういう時、怒ります・・・表に出す出さないはいろいろですが。
少なくとも・・・すっきりするために泣く、ということはないように感じます。
上でも、お父さんは泣きません。
でも、実際死刑になったら泣くでしょう。
これが男女の違いのように感じます。
とは言え、神を見たら、感動して泣くかもしれません・・・私は。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
ドラマを見ますと、いちいち場面場面でこんなことばかり考えますので、細かいストーリーは分からなくなる時もあります。
しかし全体的にはちゃんと追っています。
その意味でも、あまり事実かどうかは関係ないのかもしれません。
事実を知りたいなら、そういう本を読むのでしょう。
違う目的で見ているのでしょうね。
さて・・・
運命は決まっている、ですが・・・
ヒューレン博士は、「自由意志はある。それは、自分の欲(考え)で決めるか、宇宙意識に任せるか・・・つまり、潜在意識をゼロにするか・・・の選択をすることができる、ということです」
としています。
で・・・
岡田多母さんのラブコールなたへhttp://tamo.thd-web.jp/ですが・・・
(引用)
タモのリサーチ(12/25−2)
人は生まれ、人は生きる 人はどんな人生を生きるのだろう
運命はあるのか? 宿命はあるのか?
はてさて…さあー
人の人生に決まっているものがあればサイワイだ☆
何にも迷わず惑わず 選択の余地はない
面倒な事は何もなく 起こりくる物事すべて承知のすけだ
問題はどこにもないし 問題はなにもない
すべては何よりも先に 決まっているのだから
人生は…既に出来上がっている…
本当だろうか…?
列車の如く 既に決まっているレールの上を走るのか?
そう…列車には選択権はない 従って自分自身の好きな場所に向かって走ることはできない…
人間は…?決まったレールの上を生きる?
本当だろうか…?
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タモのリサーチ(12/26−2)
あなたの存在には あなたが歩けるだけの小さな道がある
小さな道だが出来合いのものではない 即席でも定番でもない
道は…
完全にあなたが独りで 独力で歩かなければならない
あなたが歩かない限り道は存在しない
道は…あなたが歩むことによって創られる
あなたの歩みが道を創る あなたの後ろに生はない
だから…ね…定まっているものは何一つない 宿命は?運命は?
あなたの存在のまま そのままあるがままに 気づいて歩むことが生きることなのです☆
生は不確実不確定偶発的で面白い☆
人生は…自分次第 人間は意識次第
アハハ…アハハ…アハハ…
(以上)
ということです。
人の人生に決まっているものがあればサイワイだ☆
何にも迷わず惑わず 選択の余地はない
面倒な事は何もなく 起こりくる物事すべて承知のすけだ
問題はどこにもないし 問題はなにもない
すべては何よりも先に 決まっているのだから
人生は…既に出来上がっている…
森田健さん式ですと、
「決まっているから幸だ。だからハンドルを手放そう」なのだと感じますが、岡田多母さんは違うようです・・・
ヒューレンさん式だと、ハンドルを手放すか手放さないかは決まっていない。手放すべきです。
なのだと感じます。
で・・・小松英星さんのサイトhttp://homepage3.nifty.com/gaia-as/ですが・・・
(引用)http://homepage3.nifty.com/gaia-as/qa08k.htmlより
《あらゆることが完璧なタイミングで進行していることを信頼して、そのプロセスを楽しむ姿勢に徹することです。
世界の出来事に一喜一憂しないで、大きい時代の流れと到達点を信頼すれば、いたずらに外に情報を求める必要はないことが分かるでしょう。
また個人的に何が起こっても、表面的にどう見えるとしても、それは必要なものを引き寄せる自分の現実創造力に由来しているので歓迎するべきことです。
明確な意図を持って自分独自の現実創造を楽しみながら、宇宙へポジティブな波動をインプットし続けるようにしましょう。》
(以上)
下の方はいつもの「意図しましょう」についてですが、
《あらゆることが完璧なタイミングで進行していることを信頼して、そのプロセスを楽しむ姿勢に徹することです。
は、私には、ハンドルを手放せ、ということについて言っているように感じていまします。
私は、ミクロには、想念と行動などによって物質化できるものも多くあると感じます。
(これはこれで大事ですので、分けなくてはいけないのだと感じます)
しかし、大きな流れは、やはり決まっている・・・
あるいは、手放した方が、それを早く実現でき、あるいは、うまく実現できる、ように感じます。
それじゃ次元上昇は・・・と言いますと・・・
それが叶うように思い込み、行動しなくて良いのか?となるかもしれませんが・・・
そう思いそう行動して良いのだと感じます。
ひょっとしたらそれがハンドルを手放した結果導かれたことなのかもしれません。
・・・と考えますと・・・岡田多母さんの言っている「運命は決まっていない」は、ハンドルを手放した状態・・・潜在意識ゼロが当たり前の状態の岡田多母さんだから言えることなのかもしれません。
その状態で、「やりたい」と思ったことは、正に、ヒューレンさん式の宇宙意識に沿ったことです。
普通の人は、そうではなく「やりたい」と思ったことは、ハンドルを握り締めた状態・・・宇宙意識と離れた個人の欲によってもたらされたものであるわけです。
もし、岡田多母さんが一般的な人の宇宙意識との間がある状態を分からないのだとすると、「畝身は決まっている」かどうかについては、平行線なのかもしれませんが・・・逆に言うと、宇宙意識とつながっている、潜在意識がゼロの状態で考えれば、運命は決まっていない、自分で造る・・・となるでしょう。
しかし、この自分、とは正に創造主と一体の自分、ということになるのだと感じます。
まだ、良く分かりませんし、なぜか岡田多母さんに何か書かれますと「ヘヘェ〜」となってしまいますので、どうしようもないのですが・・・
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?