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もくじ

 

さて・・・
日本シリーズが終わりましたが・・・
西部が勝ちました。

これでよかったように感じます。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?



今、教育テレビで「三四郎」についての番組を見ていますが・・・
三四郎が熊本から東京へ向かう汽車の中で出会った高校教師との会話・・・
「東京が初めてなら、富士山も見たことがないだろう。日本で誇れるものは富士山だけだ」
「(日本は)滅びるね」
という言葉に、日露戦争で一等国になった状況で若い青年がまったく意味が分からなかったシーンですが・・・

これは、漱石がイギリス留学を経て、漱石が分かった2008年の今の状況を予言していたのでしょう。

西洋化からは得るものはあったでしょうが、基本的には、最後に残ったのは・・・私は、全ての自然に神が宿っている、という、もう何千年も前から日本にあったものだった、ということなのだと感じます。

とは、言え、その概念でもって、西洋を包み込まなくてはならないようです。

但し、意図してこれをやってはいけないのでしょう。

潜在意識をゼロにして、そして、超意識から入ってきた創造主からの信号に従って、その通りに生きる・・・
そこには、きっと、「包み込む」というできごともあるのかもしれません。

ハワイに伝わる癒しの秘法 みんなが幸せになるホ・オポノポノ 神聖なる知能が導く、心の平和のための苦悩の手放し方 (ハードカバー)  イハレアカラ・ヒューレン (著), 櫻庭 雅文 出版社: 徳間書店 (2008/9/30)

には、私の記憶では、「意図して行ったことは全てエゴです」というような内容の記述があったように思いますが・・・
記憶違いでしたらすみません。
どこだったか見つかりませんので。
無かったかもしれません。

ただ、もしそうなら、非常に分かりやすいです。

普通、悪い欲をエゴ、そうでない欲は、エゴとは言わない・・・となります。
しかしながら、分かりやすいエゴは良いのですが、欲を観察すればするほど、欲に悪いも良いもあるのだろうか?となります。

確かに、人を殺す病原菌を作りたい、というのは分かり易いエゴです。
そして、その病気から人を救う、というのは、分かり易い正義です。

但し・・・この分かり易い正義は、上記の分かり易い悪があるから、存在し得るわけです。

それはそれで良いのですが・・・なんどか書いていますので端折りますが・・・
良い欲も悪い欲もなく、意図した欲はみなエゴであり、潜在意識がゼロになり、超意識から流れ込んできた信号に従った行動のみが、正しい・・・そう感じます。

「意図した欲はすべてエゴである」はみつかりませんが、こうあります。
(引用:84ページより)
ですから、野球選手になりたいとか、宇宙飛行士になりたいとか、そういう目標があたら、過去の記憶の再生による欲望なのでゼロではないということです。
(以上)

これなどを読みますと、森田健さんが何度も書いていた「経験ではないです。好きなことをやってはいけません。可能性が限られてしまいマス」と言う言葉の意味が分かります。

要するに、「好きなこと」、「得意なこと」、「(潜在意識がゼロでないのに)経験からやってみたいこと」などは、すべて過去の記憶、潜在意識というクリーンしなくてはならないもの、つまり、今の悪い状況を作っているものから導かれたものでしかない、ということでしょう。

おそらく、森田健さんの潜在意識は生まれてこのかたずっと「ゼロ」に近い状態でしょう。
おそらく、これは当人も気が付いていないでしょう。

船井幸雄さんが言う「他の会社の経営コンサルタントは100%成功しています。しかし、自分の会社の経営はそうはいきません」(ちょっとちがく書いていますが)は、おそらく経営インコンサルタントをする、ということ自体が自分の意思ではないのでしょう。
超意識からの信号を得ての行動である、ということです。

つまり、船井幸雄さんも、生まれてこのかた、ほとんど潜在意識がゼロの状態なのだと感じます。
しかし、自分の会社のことをするときは、そこに意図が入り、理論的に発想しますので、過去の経験から考えるのかもしれません。
そうしますと、そこから出た結果は、超意識から得た行動ではありませんので、さすがにうまくいかないこともある、ということでしょう。

(引用:84ページより)
ゼロの軸に立てば、努力などとは関係なく、起こるべきことが勝手に起きてきます。富をはじめとして、必要なものはゼロのところにしか本当はこないのです。
自分自身の中にある神聖なる知能が、自分にとってもっともふさわしいものや人との縁をつくってくれ、必要な場所に自分を連れいってくれるのです。
私はこうなりたい、こうありたいというのは、”命令”です。しかし神聖なる知能は、そんな小さなものより、もっと大きなものをあげたいと思っているのです。
仏陀は「空」になったら悟りがあると言っています。ゼロになれば、必要なものはすべて与えられるのです。
でも、ゼロにならないかぎり、っ自分にとってふさわしいものが何かすらわかりません。
たとえば、入学試験に合格したいという願望があったとしても、それが本当にその人のあるべき行き方に導いてくれるかどうかはわかりません。
(以上)

森田健さんは、仏教の悟りを、あまりよいものとは捉えていないようですが、ヒューレンさんは、悟りとは「空」の状態であり、それは、つまり、潜在意識がゼロの状態、つまり、ハンドルを手放す条件の整った状態、と捉えているようです。

(森田健さんは、悟りは、訳知り顔になったような状態・・・のように捉えているように感じますが勘違いだったらすみません)

先のヒューレンさんの講演で分かりましたが、この「空」は英語では「ブライトネス」としているようです。
おそらく、完全に明るくなった状態、ということでしょう。
「空」は、私にとっては、どこか、暗い色彩のイメージのあるものでしたので、以外でした。
これは私だけかもしれません。
これからは、明るいものとして、捉えようと思いますが。


とは言え、森田健さんは努力も否定していますが、その意味は、要するに上のようなことなのではないだろうか、と感じます。
積み上げも否定していますね・・・経験と同じようなものですが。

「努力にしろ、意図にしろ、これまで積み上げた、間違えた潜在意識、記憶を元によって行うものである以上、そこから正しい答えなどやってこない。
ハンドルを手放すことによって、それはやってくる・・・」
が森田健さんだと思いますが・・・

ヒューレンさんは、ここに、
潜在意識をゼロにする方法を具体的に示し・・・
「努力にしろ、意図にしろ、これまで積み上げた、間違えた潜在意識、記憶を元によって行うものである以上、そこから正しい答えなどやってこない。
潜在意識をゼロにし、超意識を潜在意識に流し込み、それを顕在意識に具現化するということをすれば、もっとも正しい状態がやってくる。
潜在意識をゼロにするには、すべての責任は自分にあり、神、潜在意識に対して、愛しています、御免なさい、どうかお許しください、ありがとう、と言いかける・・・そうすると、潜在意識がゼロになり、何もせずに自然に超意識から潜在意識に正しい流れが流れてくる。
後は、ハンドルを手放していれば良いのです」
としているのだと感じます。

一応書いておきますが、別に、3次元的に、森田健さんとヒューレンさんが、打ち合わせをしてそうなった、っということではありませんので。


日本シリーズの第二試合で、強靭の4番打者がサヨナラホームランを打ったのですが、それまでの打席ではまったく打てませんでした。
普通こういう時は、多くの打者は、前の打席のさまざまなこと・・・どの球が打てて、何がどうで・・・というようなことを引きずるようなのですが、セリーグのキャッチャーによれば、この人は、そういうことがほとんどない人なのだそうです(笑)。

つまり、過去の経験を、あまり引き継がない性質ということです。
それを知っていて、テレビを見ながら「変化球がきたら、打ちますね」と予言して、その通りになっていましたが・・・

これは、つまり、そういうことでしょう。
どうも、経験、記憶、潜在意識といったものを、貯めないと、こういうこともできるようです。
(とはいえ、今日は打てませんでしたが)


で・・・ただ・・・
私的には、これに政木和三さんが入ります。
どうも、今のところ・・・通過点ですが・・・政木和三さんの言っていた「完全に諦めて、もうなりました、ありがとうございます。感謝いたします。と言えば、奇蹟が起きる」を、だれでも実践できるものにしようと、というような無意識があるように感じます。

で、考えますが・・・
何度もしつこく書いていますが、この方法の成功例として書かれているのが、おかあさんが危篤の赤ちゃんを救った例です。

で、政木和三さんのものには、「もうなりました」という意図が入っています。
これは、どうもいけません。
しかし、そうなったようです。
それは、どうも、自分のことではなく、自分以外の人間のこと・・・赤ちゃんのこと・・・だったからではないだろうか、と感じます。

そもそも、政木和三さんの場合、自分のことを神などにお願いする、ということは、皆無に等しかったろうと思うのです。

つまり、人間を間に挟んだ場合、有り得るのは、いつも、他人だったろう、と感じます。
その意味で、「完全に諦めて、もうなりました、ありがとうございます。感謝いたします。と言えば、奇蹟が起きる」は、自分のことではなく、他人のことであった場合のみのことかもしれません。

但し、他人を変えようとしてはいけないようです。
で、それを加味した上で、考え直しますと・・・
どうも、赤ちゃんだったから、成りえたのではないだろうか?と感じます。
つまり、赤ちゃんには、何もできません。
「赤ちゃんだから潜在意識はゼロだろう」という人もいるかもしれませんが、この潜在意識とは、幾多の前世のものも含まれているようです。

ですので、赤ちゃんと言えども、潜在意識だらけの可能性もあります。
(大人よりは少ないだろうよ感じますが)

あるいは・・・赤ちゃんと、お母さんだったから、かもしれません。
もうひとつの例として、お父さんと、今で言う引きこもりぎみの息子さんの場合だったかと思います(違ったらすみません)。

そうすると、どうも・・・
政木和三さん式のものが成り立つのは、血のつながった家族の場合、ということかもしれません。
何となく、そのような気がします。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?



※他人を変えようとしてはいけない、ですが、ヒューレンさん式に言えば、変えるのではなく、自分の潜在意識をゼロにすれば、相手も、超意識からの信号に従った一番良い状態になる、ということです。

いずれにしても、意図、願望があって、その通りになる、というものではなく、自分しら知らない、創造主のみが知っている、一番良い状態になる、ということです。




さて・・・
先日、例のクラリネットの北村英治さんがテレビ東京に出ていましたが・・・
なんでも、70を過ぎてから、自分より15歳くらい年下のクラシックの先生について、基礎をやり直しているそうです。
そういえば、確かに、先日藤家さんとの競演を聴いた時、「ああ、良い音になったな」(失礼)と思ったのですが、気のせいかな、とも思いましたが、そうでもないようです。

何度か、「音色は藤家さんが一番良い」と書いていますが、藤家さんは、芸大卒です。

で、そのクラシックの先生は、北村さんのファンなんだそうですが、教える時は、普通の生徒に教えるように教えているそうです。

「ちょうちょ」のような曲を吹いて貰い、「北村さん、それは雑音です」など言いながらの練習だそうです。

もちろん、北村さんですので、悪い音と言っても、そこそこ良い音なのだと思いますが、クラシック的に最高のレベルで勉強させられているのでしょう。

で・・・普通、これはできないですよね。
ただ、北村さんの性格は、こういう丸い正確のようです。

こういうじことをするのを「偉い」という時、それは、がまんしてやっているから”偉い”というのであって、実はそのようなことをしない方がよいようですが、北村さんの場合”すごい”ですね・・・別にがまんしてやっているのではないようです。
「これから歳をとるので、一生クラリネットを吹いていたいので、”そういえば基礎をやったことがなかったな”というで始めた」そうです。


なんでも、「もっと向こう側に突き抜けるような音を・・・」というようなアドバイスを受けているようだったですが・・・
素人耳には、北村さんの以前の音は一音の粒が太い、という印象で、藤家さんは、細かい、です。

波動では、同じように良い波動は細かい、と言われますが、それと関係があるのかどうかは、分かりません。

藤家さんをして、「80歳です。ばけものです」という北村さんですが、がんばって欲しいですね。




で・・・
WBCという野球の世界大会が行われますが・・・あり方としては、オリンピックと同じだと感じますが、オリンピックとはなにやら違うようにも感じます。

何が違うのでしょうか?

アマチュアが参加しない、という点は違いますが・・・
ただ、とにかく、日本の野球界では、オリンピックよりもWBCの方が「野球世界一」を決めるものとして認識されているようです。
もちろんオリンピックで負けたということもあるでしょうが・・・
前回優勝した、ということもあるでしょうし・・・
それをはずしても、そういう雰囲気がありますね。

3次元的には、おそらく・・・ルールでしょうか・・・
もちろんどんなルールかよく知りませんが、制約がはずされているように感じます。
また、時期的にも、アメリカへ行っている人たちが参加できる、ということもあるでしょう。

ただ、韓国などは、オリンピックの時も、通常のプロ野球を中止して望んだりと、あり方が違っていたようですが。

ちょっと不思議だな、と感じたので書いてみました。



で・・・ホオポノポノですが・・・
体験談を読んでいますと、一人一人相当違うようです・・・捉え方といいますか、どこに焦点があたっているか、と言いますか・・・


従来の成功法というのは、潜在意識に良いイメージを埋め込む・・・自力で埋め込む・・・というやりかたでした。
ホオポノポノでは、そうではなく、潜在意識はゼロであるものであり、ゼロになると、超意識から正しい流れが潜在意識に流れ込み・・・であり、潜在意識をゼロにあるのは、人間の力ではできない、神格にしかできない・・・

人間にできるのは、潜在意識をゼロにすることを選択するかしないかだけ・・・


で・・・読んでいますと、どうもアーカシックレコード自体、基本的には良くないものであるのではないだろうか・・・とも読めますし感じます。

宇宙が始まって以来の集合意識が、それぞれの人間の中で、一秒間に何万も出現してくる・・・
もちろん中には良い記憶もあるでしょうから、よいことも起きるでしょうし、これが従来の成功法の源であるのだろ感じますが。

ホオポノポノでは、集合意識すらゼロにすべし・・・と読めますし感じます。


私は政木和三さんの書いていることなどから、発明、作曲などは集合意識から得るものであり・・・と解釈していますし、そうだろう、とも感じますが、本当の本当は、集合意識すら通り越したところにあるように感じ始めています。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?






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