*** メインコーナー ***

旧理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー       

   

 

もくじ


 
さて・・・
引越しも無事済みまして、こうして書いていると言うことは、Eモバイルにした、ということです。
スピードも、2.5MBくらい出ておりますので、今まで使っていたADSLとほぼ同じで快適です。

この状態で都内なら外へも出ることができます。
ノートPCのバッテリーが切れているので何ですが、要するにどこでも無線LAN状態です。

モデムから線を引っ張らなくて良いので見た目も快適です。

予告編

自分が完全であること・・・外側は無い・・・・全て自分・・・自分に言い聞かせる・・・・
反省・・・・普通の人がやると、自分の完全性の否定、学校教育がこれ、その結果が現在、英語を話せない日本人がおおいのも、これが一番の原因
反税の必要だろうが、自分の完全性を否定しないで反省する、という但し書きなしで言い広めることは危険、

自分は完全、というと、傲慢になっている人を思い浮かべるケースもある、
しかし、それは思い違い、本当は傲慢で自分は完全、と思っている人は、自分が完全だとは心底は思っていない、心底自分は完全であるということを理解すると傲慢でなくなる、自分が完全である、ということは、外側はなく、全てが自分である、ということが分かるので。
全てが自分である、ということは、全てが自分の所有物である、ということではなく、全てが自分そのものである、ということ。

傲慢の反対は、自分に厳しく、外側にやさしくだが、これも間違い
これは、自分が外側である、ということが分かっていない

結局、自分は完全、自分はミロク、外側はなく、全てが自分

以上



さて・・・

予告編に書いた内容の書き直しですが・・・

 180度の大激変!―恐慌と大天災続出時代、しかし「心配不要」 (単行本)
船井 幸雄 (著) 徳間書店 (2008/06) に、「ホ・オポノポノ」のヒューレンさんの言葉が書いてあるのですが、人間は完全である、ということについて書かれています。



 

 

で・・・

(引用:147ページより)
レン 一つ質問してもいいですか?人間関係における最も重要なエッセンスは何だと思われますか?
船井 感謝して認めることじゃないかな?
それからどんな人にも親身になって付きあうことだと思いますね。

レン まさしくその通りですね。
相手を認めるというのは、つまり「あなた自身でありなさい」ということだと私は解釈しています。
私自身がゼロ(無の状態)になることによって、相手が自動的に本来の完璧さを取り戻す。私が相手に「こうしなさい」と直接働きかけることはありません。


(引用:148ページより)
レン もしゼロの状態に立ち戻ることができれば、インスピレーション(天啓)が自動的に入ってきます。
もっとおもしろいことに、船井さんがインスピレーションを得ることによって、相手もうインスピレーションを得られます。人ばかりではありません。この建物もインスピレーションを得ることができる。船井さん自身がゼロの状態になってしまうことで、自動的に周りのすべてのものも、ゼロになってしまうのです。ぐちゃぐちゃした問題はそこで消えてしまいます。」
(ここでの”船井さん”は、おそらく”人間”という意味。)

(引用:154ページより)
レン ”自分しかないんです。”外側”というものは何もないのです。存在するすべては”自分自身”なんです。
船井 私は悩んでいることがあったんです。自分の役割がどんなことで、それをどうやって果たすか。みんなに働きかけようと思ったけど、自分に働きかけることにします

(以上)

いろいろ感じますが・・・どうも、自分が全てで、全てが自分で、故に自分に働きかける・・・自分が分かる、理解する、思い出すことによって、回りも同じように、思い出す・・・ということのようです。


良く分かりませんが・・・自分が全て、全てが自分・・・ということは、つまりこういうことなのではないのだろうか、と感じます。

そして、やはり人間は「完全」なのです。
それを忘れているのです。

岡田多母さんが・・・下で引用していますが、「神仏になるのではなく 神仏であったと気づく道・・・」と書いていますが、要するに、「完全を目指すのではなく、完全であることを思い出す」のだと感じます。

森田健さんの例のスープ・・・中丸さんの忘却のスープでも良いですが・・・このスープを飲まして忘れさせることの意図は、「何とか、自分は完全であるということと、3次元で思い出してみてください」ということなのかもしれませんが・・・よく分かりませんが。


3次元・・・産業革命以降でなくとも、おそらく弥生時代以降、人間は、改善、反省を物事の第一義として生きてきてしまったのだと感じますが、きっと、それは、間違いだったのではないでしょうか?
もちろん、反省一切無し、改善一切なしが最善とも感じませんが。


今の学校教育でも、なんでもそうですが、良くなろうということをする時、反省に重きを置くと思いますが、普通の人がこれをやりますと、自己否定以外のなにものでもないケースがほとんどなのではないだろうか?と感じます。

いつか書いた微分積分の、湾曲した部分の面積を正確に求めるのと同じように、その自己否定は一生終わりません。

その結果何が生まれるかと言えば、他人否定でしょうか・・・

何のために自己否定するかと言えば、いつか100点があるはずで、そこを目指すためでしょう。
しかし、それは一生ありえない訳です。

100点があり得ないのではなく、目指している先に100点がないわけです。
なぜなら、すでに100点だからです。

反省をすればするほど、100点からマイナスされていくわけです。
そして、どんどん、どんどん、自分が完全であること、自分が神仏であることが分からなくなってしまうのでね・・・きっと。

日本人は英会話が下手ですが・・・
昨今精神世界で言われているように、日本語の方が、宇宙の理に近いというのは事実だと感じますので、そういうことも原因でしょうが、私はそれよりも、おそらく勉学として英語を教わってしまっていることに大きな理由があるように感じます。
日本人は几帳面です。
それ故、英文法などというものを学問にしてしまったら、英語というものが構造的、言語学的、はたまた科学的に、何ぞやということを、突き詰めるようなものになってしまいます。

そうなりますと、普通の場合、怖くて、それこそ完全に分かっていない限り、触れるのも嫌になりますね。
要するに、流儀、しきたりの世界になってしまうわけでしょう。

実際そうですね、日本人のおそわる英語は、「How are you? I"m fine, Thank you」ですので、すべからく仕来りの塊であり、始めにそれをやられますと、普通の人だと、「しきたり」の呪縛から逃れられなくなります。

しきたり、とは、しきたりをしらないといけない訳ですので、正に反省の連続になります。

しきたりを知らないと「そういう人間は不完全です」とされてしまいます。
そうすると、人は、不完全呼ばわりされるくらいなら、もうやらない、となるかもしれませんし、しきたりを完全にしようと勉強する結果、もともと言語は、学問などではなりませんので、「ああきたら、こうする」という自分が暗記した状況以外のことが出てきたら、何の使いものにもならないようなことしか出来るようにはなりません。


このような状況で、西洋産の資本主義、お金第一主義が合わさったら、それこそ、自分が完全である、ということなど、忘れる一方でしょう。

資本主義には、完全、という概念はおそらく無いです。
なぜかと言いますと、仮に世界一の大金持ちになったとして・・・
それは減るのです。
増えたとして・・・もっと増えた人がいると、抜かされるのです。

完全という概念の無い哲学・・・それが資本主義かもしれません。


かような状況で、人間は「自分が完全である」ということを、思い出せないのかもしれません。


で・・・一応書きますと・・・昨日、雅楽の東儀秀樹さんがテレビに出ていましたが、宮内庁の雅楽の部門では、1300年前でしたでしょうか・・・その時と同じ手法で雅楽を教えているのだそうですが・・・
それは全て口伝えだそうです。
腿の辺りを手のひらで叩きながら、テンポを取り、少しずつ暗記するのだそうです。
これは、暗記ですが・・・
暗記嫌いの私がなぜ書くかといいますと、これは「勉学」、「学問」ではないからです。
言語、音楽、と一緒です。
私たちが日本語を覚えたように・・・楽器を弾く人なら、好きなアーティストなどのフレーズを覚えたように・・・
それは要するに、そこに含まれるイントネーション、間、高低、など全ての要素を覚えることであり、いわゆる頭での暗記ではなく、その行動ごとの暗記な訳です。

これをやれば、きっと、どの言語でも話せるようになるかもしれません。


これに完全があるか・・・
あるのではないかと感じます・・・と言いますか、A君とB君がこれをやったなら・・・結果、個人差ありますので、まったく同じものは出来上がらないと思います。

それでも完全だから、1300年もこれをやっているのでしょう。

気付いた方々は、どう感じるでしょうか?


で・・・別に英語は話せてもどちらでも良いと思っていますので良いのですが、「しきたり」とは、ある意味、減点法をするためのもの、とも取れるかもしれません。

私は法則はあると思います。
最近、船井幸雄さんは、神社でのお参りのしきたりなどは、本来なくても良いもの・・・というようなことを書きますが、きっとそうなのだと感じます。

但し、正しくではなく、丁寧に接すれば、丁寧が返ってくる、という法則はありますね。
船井幸雄さんの言う「波動の法則」です。

きっと、初めは、そういうことだったのかもしれません。
しかし、その意味が分からなくなってから、それがいくらか湾曲して、しきたりになったのでしょうか?

よく分かりませんが。


もちろん、反省も意味はあると思います。
熱いものを触ったら熱かった・・・次から気をつけよう・・・は、有りだと感じます。

しかし、反省を一番初めにもってきてはいけないのだと感じます。
反省が目的になるからです。

反省が目的とは、いかに自分は不完全かを自分に言い聞かせているようなものかもしれません。
それは、3次元的に見た精神衛生上もよくありません。

ですので、もし反省を説くにしても、大前提として「私は完全」がなくてはならないのだろうと感じます。
勉強で言えば、反省を繰り返したエリート達が成長した姿が官僚ですが・・・
いつまで経っても不完全です。
ですので、天下りしたり、くすねたり、えばったりします。
それは、「自分は不完全」をエネルギーにしているのですから、仕方がありません。


森田健さんは成長を目指してはいけない、とよく書いていますが、私は、向上はして良いのだと思います。
しかし、反省を繰り返すことを一番上に置くと・・・きっと向上しないのだと思います。
自分は不完全であることを探すのが大好きな人間になってしまうのだと感じます。
成長はしているのかもしれません・・・くらいが上になったりしますので・・・。

そして、それは、高次元的に言えば、周りにも普及してしまうようです。
もちろん、自分は完全である、と思えば、それも、また、周りに普及するのですが・・・

気付いた方々は、どう感じるでしょうか?



「自分は完全」というと、傲慢な人を思い浮かべる方も多いと感じます。
いわゆる「自己中心的」、「俺が一番」の世界を思い浮かべる、という意味ですが。

これは間違いです。
「自己中心的」も「俺が一番」も、要するに、相対的の世界であり、相対的の世界に完全はありません。
先に書いたお金の話と同じです。

「自分が完全である」ことを忘れた人・・・その度合いが大きい人が陥るのが、「自己中心」なのだと感じます。

「私は完全」、「外側は無い、全ては自分」・・・
この世界に、「自己中心的」などというものは、存在し得ませんね。

隣のB君も自分なのに、その自分を束縛してどうするのでしょうか?
そのB君がやりたくない、と言っているものを強引にやらせてどうするのでしょうか?

B君が喜んだら、A君も嬉しいのです。

ですので、この世界にスポーツは確かにありませんね。

相手が勝って嬉しがるのを見て・・・スポーツは成り立たないでしょう。
相手が負けたのを見て「ああ、可愛そう」と思う世界に、スポーツは成り立たないでしょう。

気付いた方々は、どう感じるでしょうか?



傲慢の反対として、よくあるのが「自分に厳しく、他人に優しく」ですが・・・これが異常に正しいように思われている世界もあるようですが、私はこれを精神世界右翼と呼びます。

精神世界左翼は、日常をないがしろにして、高次元的な世界にのみのめり込む・・・でしょう。

私は、何度もしつこく書いていますので、何ですが、極端に走る傾向がありましたので、当然、この両方に陥りやすかったです。

しかし、いずれも、間違いです。
要するに中庸が正しいです。

中庸とは、要するに、「私は完全。私は全て。外側はなく、全て(周り)は私」ですね。

気付いた方々は、どう感じるでしょうか?




で・・・シャーリー・マックレーンさんの娘さんが主演する日本映画が封切られるということで、その方がテレビに出ていますが・・・なんでも、その方は、日本に12年間住んでいたそうです。

「西の魔女死んだ」http://nishimajo.com/top.html という映画です。
サチ・パーカーさんという方が主演です。

なぜ、サチというかと言えば・・・引越しのため、会社を休んでましたので、「徹子の部屋」に出ているのを見たのですが・・・
第二次世界大戦の時、シャーリーさんの旦那さんになる方が、現地を訪れ(兵隊だったのでしょう)、その時、被爆した2歳の女の子と出会い、その子を養子にしたのですが、原爆症でなくなってしまい、生まれた子には、その子の名前であったサチと同じ名前を付けよう、と思ったからだそうです。

旦那さんは、どうも、バイオリン弾きだったようで、徹子さなんは「私のお父さんと同じ」と言っていましたが。

何か・・・シャーリー・マックレーンさんの娘さんが、ここにきて登場する、というのは、不思議ですね。
おもしろい(興味深い)めぐり合わせです。

気付いた方々は、どう感じるでしょうか?




ベンジャミンさん http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/ ですが・・・
(引用)

フリーエネルギーで地球は変わる

先週ロイター通信に水で走る自動車についての記事が掲載された。今までタブーとされてきたフリーエネルギー技術を大手メディアで取り上げることは大きな進歩であり、解禁される日が近いのであろう。
また日本でも興味深いニュースがあった。

フリーエネルギーが解禁されると、想像を絶するくらい世界は変わる。エネルギーにお金がかからないと皆がとても豊かになる。そして今まで考えられなかったような多くのことも可能になる。海水を真水に変えたり、砂漠を緑にしたり、北極や南極、地下でも温室による農業が可能になるであろう。本格的な宇宙開発も可能になるはずだ。

今まで人類の一番ネックであったエネルギー問題が解決され、これを支配してきた人達が失脚することによって戦争もなくなるであろう。
(以上)

ということです。


で・・・見ましたら、ちゃんと日本の自動車会社の人がニュースに登場しています。
水で車が走っています。
日本のニュースでやりましたでしょうか?

これは、政木和三さんが発明したものとは、別でしょうか?
水だったようにも思いますし、勘違いかもしれませんが。

いよいよですね。
気付いた方々は、どう感じるでしょうか?

 

で・・・
岡田多母さんの「ラブコール あなたへ」http://tamo.thd-web.jp/ですが・・・

(引用)

タモのリサーチ(6/20−3)

(略)

私たちは何故に 自分自身の深みへ、本当の自己の真実へと進む道を歩くのか…

一心に祈り、ひたすらに、自ら溢れる愛を願い、巡礼の旅路を歩くのか…


それは…
自分という人が、光輝くという真実を、生きて実証することが、他の人々の幸福平和を守護するからなのです
自分も他人も分け隔てなく光輝く真実一路、巡礼の旅路


自らが神である実証
自らが仏である実証


神仏になるのではなく
神仏であったと気づく道

これからも一心に、無邪気に歩いていきましょう☆


(以上)

ということです。


自らが神である実証
自らが仏である実証


神仏になるのではなく
神仏であったと気づく道

とは、私が完全であることを思い出す、ということだと感じます。
そして、外側はなく、全てが自分・・・

気付いた方々は、どう感じるでしょうか?




で・・・昨日の新聞あるいは新聞を読むテレビ番組などで、最近救急車を変な使い方をする人が多い・・・とやっていましたが・・・
おそらくこれは、救急車を有料化しようとする人たちの意図の入った報道でしょう。
アメリカ式にしようというのでしょう。

思うに、救急車を変な使い方をする人というのは、昔から今と変わらないくらいいたと感じますが、どうでしょうか?
こういう報道を見ますと、益田ドライビング・スクールの小河二郎さんの話を思い出します。
ここの自動車学校へ行くと、スパルタなどというものは微塵もないのに、子供達が”良い人”に蘇ってしまう・・・そして、ものすごく儲かっている、という自動車学校です。

小河さん曰く、「最近の報道を見ていると、子供達がどんどん悪くなっているようなことばかり言っているが、それはウソです。自動車学校に来る子供を見ていると、どんどん、どんどん良くなっている・・・」
ということでした。

要するに、体制は子供達を縛るために、まず子供が悪いことをし始めた、という既成事実を作りたいのでしょう。
要するにウソをついているわけです。
また、犯罪の手口を詳しくニュースでやりますが、100中100、その報道の後、同じ手口の犯罪が登場しますね。
手口を教えているのですから、当たり前です。



で・・・その数日前に、中国の医療の状況をNKHでやっていましたが、アメリカ式で、救急車は有料・・・診療費も前払いだったでしょうか?・・・
そんなことをしたら、本当に困りますね。

世界一だった日本の医療制度を守りたいですね。

気付いた方々は、どう感じるでしょうか?




小曽根真さんというジャズピアニストがテレビで出ていましたが・・・
この方は、バークレー音楽院でしたでしょうか・・・主席で出て、デビューした時は、結構センセーシャナルだった覚えがあります。

で、彼のタッチがクラシックにも良いということで、クラシックにも挑戦しているようです。

で、彼が言うには、ジャズとクラシックを融合するのではなく、両方共存共栄するのが良い、融合すると解けてなくなってしまう・・・ということです。

これは、何となく分かります。


岡田多母さんは、「理解し合うのではなく、分かち合うのです」と書いていますが・・・

融合とは理解しあうですね・・・
分かち合うとは、共栄共存ですね。

まったく同じ言を言っています。


ヒョウとライオンを掛け合わせたものを、レオポンと言いましたでしょうか・・・
これだと、ヒョウやライオンという動物がいなくなってしまうわけです。

そうではなく、ヒョウもライオンも共栄共存している状態・・・
ちょっとたとえば変化もしれませんが、理解でも融合でもなく、分かち合う、共栄共存する・・・

気付いた方々は、どう感じるでしょうか?




また肉の偽装が報道されていますが・・・
ただ思うのですが・・・

もちろん法律的にはいけないのですが、食べて害はないわけですね・・・
そして、消費者としては、まずければ次は買わないわけですが・・・買っていたわけです。
つまり、何度も買っている人にとっては、それで満足だったわけです。

ここで考えるのは、ひとつは、買った人は、味よりも、名前による満足を得ていた・・・
どうせ、満足してもらえる価格と味なら、初めからウソを言わずに、そういう商品として出せばよかった・・・
の2つでしょうか。

外見と中身ということはよく言われますが、今は名前というものも、関わってくるのですね・・・

本当は、名前というものは、質と一体なけースが多いですね。
高学歴・高収入で性格もよく・・・という人がいた場合、東大という学歴は、質でもあり名前でもあるわけですが、この肉の場合、ブランドと中身が一致していなくとも、名前だけで満足してくれていたということでしょう。

だったら、初めから「○○ブランドと同じ味で、この価格」のような商品にしたら良いですね。

しかし、場合によっては、味をきちんと分かる人が少なくなっているのかもしれません。
あるいは、相対的に、よい味なのかもしれませんが・・・私は肉は食べませんが。


でも、今回も、結局は内部告発ですね。
社内で社長さんが言った言葉を録音して、それが公開されたということのようです。

ただ、営業請負業というものがありますが、あれなども、本当は、「○○会社の△です」と言ってやっていますので、「ウソ」なわけですが、これなどは、とやかく言われません。

おそらくは、「だからといって、買うわけではない」ということだからでしょうか?

ですので、食はブランド志向はしないほうがよいですね。
試食して、味と価格が見合えば買う・・・もちろん、完全かどうかもですが・・・


いけないことではありますが、「でも、おいしかった」という消費者の言葉も聞いてみたいですね。
偽装もいけないですが、肉を食べるのも、少しずつ少なくしていくのが良いですね。

気付いた方々は、どう感じるでしょうか?






で・・・ブランドですが・・・
就職などもそうですね・・・特に新卒をとる場合などは、大学の名前が決め手になっています。
実際は、必ずしも、良い人が取れるわけではないでしょうが、大きく見ればそれなりの人が取れますし、上に報告するにしても、「東大が何人で・・・」となっていれば、問題がありません。

逆を言えば、知らないような学校でも、採用して結果、その人がすばらしい場合・・・これも問題ありません。

これは、無名のものを買った結果、それが良かった場合と同じです。

逆に、名前だけで採って、結果よくないと困りますね。

その意味では、ブランド食品を買った良くなかった場合というのは、ブランド名を偽装した場合と同じだけ罪深いとも言えるかもしれません。

ただ、就職とは別で、ブランドとは、夢を買う、という側面もあります。
だれそれと同じだから・・・というようなものであったり、
これこれこういう裏話があるから・・・というようなものです。

この場合は、必ずしも、ものがよくなくとも良いのだと思います。

ビートルズで有名なリッケンバッガーのギターなどは、ややそういう傾向があります。
非常にくせのあるギターですので、必ずしも、良いギターとも言いにくいです。
しかし、売れているのは、ビートルズが使っていたから、という 事実が大きいです。

ですので、結果、どういう音がしても、それでよいという部分があります。

フェンダーのギターなどは、有名な人がっ使っているということもありますが、但し、それは、「音が良いから」ということですので、こちらは、質がよくないと、困ります。
もちろん夢の部分だけで購入するのなら構わないのですが。

但し、その質も、質が分かる人というのは、それなりにいあmすが、全ての人が分かるわけではありません。

その意味では、夢と質の2段階、ということになります。

ですので・・・物を買う時には、夢で勝っているのか、質で買っているのか・・・で、判断が分かれますね。


就職などは、採用担当者、会社的に・・・両方ですね、きっと。
有名大学卒が何人いる、もあるでしょうし、優秀な人が何人いる、もあるでしょう。

いずれにしても、質に関しては、ソムリエのような人がいないとむつかしいですね。
特に、味が分からない人が増えている、ということですので、なかなかですね。

気付いた方々は、どう感じるでしょうか?








 さて・・・
180度の大激変!―恐慌と大天災続出時代、しかし「心配不要」 (単行本)
船井 幸雄 (著) 徳間書店 (2008/06) を読んでもそうですが・・・いろいろなところで、サブプライムローン問題は終息しつつある・・・と言いまわっているところがあるようですが、それは、まったくのウソのようです。

関連して、CDS(債務不履行や倒産の時に備えた保険)の市場の想定元本は2007年6月には45兆ドルだったのに12月には62兆ドルに拡大・・・アメリカのGDPの五倍・・・4年間で20倍になっているそうです。

 

私は経済によく分かりませんが、これは、倒産などの場合に備えた保険のために集めたお金であり、その市場がものすごく大きいということですので、サブプライムローン問題によって、想定を超えた倒産件数、そして想定を超えた金額がそこに関わってくるとすれば、アメリカのGDPの何倍もの市場そのものの、一緒におかしくなるということでしょう。

つまり、連鎖ではありますが、ここにサブプライムローン問題の大きさのひとつがあるわけでしょう。


藤原直哉さんhttp://www.fujiwaraoffice.co.jp/によれば、アメリカなどの新聞の方が、こういった実際の経済問題については本当を書いているようで、日本の新聞には出てこない事実がたくさん書かれているようです。

で・・・昨日(6月26日)もアメリカ、日本などで株価が急落しているようです。

どうすればよいのか・・・と考えますが・・・
私は車に乗りません・・・ので、今のところ、ガソリン価格の高騰による直撃は受けていません。
食事は、ご飯、お新香、豆腐、納豆などしか食べませんので、いまのところは、大きな価格高騰は感じていません。
家を購入したりしてローンを組んだりしていませんので、金利に関しても、今のところ何も感じません。
株もやりませんので、乱高下していても、今のところは何の被害もありません。

(これらに関して私の力はせいぜい5割りです。後は私の回りの全てによるものです。ありがとうございます。感謝しています)

となりますと、理論より行動を重んじるとするなら、少なくとも、私のような生活をしますと、今日の時点では、大きが被害はこうむらないのだろうと感じます。


で、これからですが・・・藤原直哉さん式に・・・やはり地方、というか自然豊かな場所へ移っていくのでしょうか?
友人も大切ということです。
ネットの完備は必要ですね・・・そういった場所でも。

気付いた方々は、どう感じるでしょうか?





もくじ

 

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