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さて・・・
悟りってなあに?
(単行本) 中西 研二 (著)出版社: ヴォイス
(2005/04)です。
(要約して引用)
(要約83ページ)
魂はなかった
固有の魂はない、固有の前世はない。
集合的前世があり、人は、そのなかから、複数の前世っを負っている。
同じ人が同じ時代の2人の前世を持っていることもある。
お姫様でもあり、召使いでもあった・・・それが前世。
これをヴァサナと言います。
(要約89ページ)
ヴァサナ、カルマ、マインドは、深く見ていけば同じもの。
潜在的な特徴からみればヴァサナ、実際に因果として実現する形ではカルマ、カルマとヴァサナによって形成されて表に出てくるものが、マインド。
(要約90ページ)
個人のカルマはない。
人類のカルマがあるだけ。
あるいは家族のカルマ、社会のカルマはある。
民族、人種のカルマもある。
一個人が悟ったからと言って、カルマがなくなるわけではない。
カルマからは逃げることはできない。
個人のカルマ、集合のカルマなので、逃げることはできない。
人類全体が好転したとき、悟ったとき、カルマから開放される。
(以上)
ヴァサナとは、一人の人間が、同じ時代の2人の過去生を持っていること、
カルマは、ヴァサナが、それが実際に因果の形で実現すること、
マインドは、カルマとヴァサナによって形成されて表に出てくるもの、
ということです。
要するに(と言って良いのかどうか・・・)、過去生が行って来た良いこと、悪いことにより、現在の運命は形作られている、ということなのでしょう。
しかし、カルマというものは、個人の(過去生)カルマということではなく、全体のカルマ・・・人類、家族、民族・・・などのものであり、個人が悟ったからと言って、人はそれから離れられる、ということではない、ということのようです。
確か、インドでカルマを解消する何か儀式のようなものがあったように思いますが、バカヴァンさんの言うとおりであれば、あの儀式は、カルマを完全に取り去る、というものではなく、一部を取り去る、あるいは、軽減する、といったものなのでしょうか?
良く分からないのですが。
森田健さんは、確かチベットの平原を見て、「カルマがあるなら全体の業(カルマ)である」と思ったそうですが、私には、「全体のカルマなんだな」と理解する以外にはありません。
しかし、一人の人間が複数の同時期の過去生を持っている、ということであるなら、もうそれだけで、個人のカルマ、という表現はむつかしいのは確かですね。
その過去生の仮に2人が、更に2人の過去生を持っている・・・と計算していけば、現在存在する人間はものすごい数の過去生を持っていることになり、個人のカルマと表現した場合でも、とても大人数のカルマである、ということになるでしょう。
江原さんなどの霊能者の方は、根霊・・・確か御魂分けのオオモトと言いますか、根霊から細胞分裂して、そのひとつひとつが人間の霊となり、そして、またその霊が根霊に戻ってくる・・・の持っている過去生の全てが、一人の人間の過去生である、と言っています。
こちらの意味でも、少なくとも、一人の人間が複数(同時期も含むでしょう)の過去生を持っている、ということになります。
ですので、上記本の中にあるように、「お姫様でも、召使いでもあった」ということが正しのでしょうね。
その意味で、「今生と深く関わりのある過去生・・・」というのは確かにあるのでしょうが、「過去生がどうだったから、どうした(高貴だ・立派だ)ということは、あまり考えても意味がないのかもしれません。
白峰
聖鵬さんの本にあるように、「日本人は30代くらい遡れば、みな天皇に行き着きます」のようですので、その意味では、日本人はみな天皇としての過去生を持っているのかもしれませんし、日本人としての・・・民族としての・・・カルマも持っているのでしょう。
みなさんは、どう思うでしょうか?
で・・・7月28,29日に東京ビッグサイトで「癒しフェア」がありますね。
私は、「元気が出るセミナー」さんから、無料チケットを入手しました。
「ワンネスディクシャが初回1000円になるサービス券」が付いています(嬉)。
村上 和雄(むらかみ
かずお)さん[28日11:00〜12:00]
中野裕弓さん [29日13:30〜14:50]
などの無料セミナーもあるそうです。
とても、1日では回りきれそうにないですので、2日間行くかもしれません(笑)。
1日はバスで、2日目は電車で行こうと思っています。
景色が違うので、楽しめます。
みなさんも、いかがでしょうか?
さて・・・・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070720-00000013-yom-soci によりますと、
(引用)
県外ボランティア殺到で“渋滞”、柏崎市が異例の自粛要請
潟県中越沖地震で大きな被害を受けた柏崎市には、災害ボランティアを希望する人たちが延べ1000人以上集まり、さばき切れない事態になっている。
市災害ボランティアセンターは、週末の21、22日、希望者に被災地に入るのを自粛するよう、被災地としては異例の要請をしている。
(以下略)
(以上)
ということです。
すごいですね。
やはり、次元は間違いなく上昇しているようです。
みなさんは、どう思うでしょうか?
で・・・郵便と宅急便が、不在通達が入っていたので、今日の午前着で頼んでおきました。
で、一人身ですといつも思いますのが、こういう時、「シャワーを浴びている時にきてしまったら、嫌だな」、「トイレに入っている時に来てしまったら、嫌だな」ということですが(笑)。
もっとも、今はコンビニに配達してくれて、後で取りに行く、というサービスも行っているようですが。
で、今日も、なかなか来ませんので(と言っても10時くらい)、ずっといざという時に出られなくなるようなことはせずに、待っていたのですが、「もう待てないので、その時はその時で良い(出られず持って帰られても良い)」と決めて、シャワーを浴びました。
で、シャワーから出てきて、しばらくしますと、チャイムが鳴りました。
着払いの郵便やさんだな、と思い、財布を持って出ますと、宅急便でした。
で、「ああ、そうだな」と淡々と(笑)事実を認めていましたが、その横に郵便やさんも着ていました(凄)。
要するに、同時に2つ来たのですね(驚)。
これが、「諦めた」と言いますか、「手放した」と言いますか、「宇宙意識に委ねた」と言いますか・・・良く分かりませんが・・・・こういうことは、実は良くあります。
もちろん感謝ですが。
これの規模の大きなものが・・・と言いますか、きっと、「自分の力ではできないことが叶う」という仕組みはこういうことなのかもしれませんね。
みなさんは、どう思うでしょうか?
さて・・・・・・
「やすらぎの村」から出版されている「日本の2010年 ユピキタス日記 福寿禄の世界への誘い」:山岸道弘著、を入手しました。
まだ、さらっと全体を見ただけですが、読み終わりましたら、詳しく報告します。
ただ・・・読み終わっても、その後どうするのか・・・がなかなか難しいとも感じています。
いくつか先に書いておきたいことがありますので、記載しますと・・・
まず、例の音声認識システムによる全人類携帯電話インターネット・・・・ですが、ワースワイル・ドット・コム・株式会社という会社について書かれています。
どういうことなのかについては、まだ良く分かりません。
サイトを見てみましたが・・・今のところ、私には何をどうしたら良いのか、良く分かりません。
人脈、資金、技術などのある方は、何か具体的なことを思いつけるかもしれません。
ただ、本に書いてある通り、「この音声認識システムにより、全員携帯インターネットになったら、いくつかの職種はなくなってしまう」でしょうね・・・
調べものは、何でもできてしまうようです。
しかし、それだけでは、本当のユピキタスとは言えないように感じますが・・・
どうも、ASPシステムというサーバーにソフトの本体が入っていて、それをネット経由で使う、というシステムと大きく関係しているようにも読めます。
私などは思いますと・・・
オフィスかどこかのPCを付けっぱなしにしておいて、携帯に向かって、見積もりの詳細を話しますと、そのまま見積もりが作成されて、送る先を言いますと、そのまま、送られる・・・ですとか・・・
一部家電メーカーで似たような商品はすでにありますが・・・
携帯に向かって、レシピを話ますと、その通り料理してくれて、出来上がる時間を指示すれば、その時間にできている・・・というようなものや・・・
そういったことが、容易に実現できる状況がやってくるのかもしれません。
みなさんは、どう思うでしょうか?
もうひとつは・・・山岸道弘さんは、政木和三さんとも親しかったようですね。
もちろん、岡田多母さんはじめ、いろいろな方の名前も登場してきますが。
あの有名な中村和尚さんの名前も登場してきます。
中村公隆さんとおっしゃるようです。
鏑射寺というお寺の住職ということです。
政木和三さんが紹介してくれたそうです。
そして、冒頭に書いてあるのですが・・・
(要約1ページより)
白峰
聖鵬さんは誤解されやすい方である。
それは常識の外のトラワレが0の世界からものを見てストレートに表現するからです。
それは昔の岡田多母さんや江原啓之さんもそうでした。
そういう方は、翻訳能力が乏しいか、直感で感じたままをそのまま話すかのどちらかです。
その点、江原さんは例外的です。
白峰
聖鵬さんは、翻訳が必要な宇宙人に近い方です。
だから面白い。
あなたも宇宙人に会えば、宇宙人である自分に気付くかもしれません
(以上)
ということです。
私としては、妙に文体が似ている白峰
聖鵬さんですが(笑)、読んでいて、これと言って違和感を感じず、非常に分かりやすいな、などと思っているのですが・・・結局そういう自分も、いくらかだけ普通ではないのかもしれないな、などと思ったりします。
数週間前、たまたま見た「オーラの泉」(大抵時間的に見れない)で、「俗世間から抜け脱しなさい」という言葉があり、それが妙に引っかかっています・・・
私は俗世間を抜け出せるだろうか?という問いが、しばしば反復されます。
問いの結果が、どう出てくるのか楽しみです。
みなさんは、どう思うでしょうか?
問いと言えば、下記の文章は、何か考えさせられます。
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悟りってなあに? (単行本) 中西 研二 (著)出版社: ヴォイス
(2005/04)です。 |
「マインドは、絶えず質問して、理由や原因を探そうとします。それによって私たちはハイヤーセルフとのつながりを忘れてしまいます。」
ということですが・・・
原因や理由を探ろうとすると→ハイヤーセルフとつながらなくなる・・・というのは、感覚的に分かりますね。
で、ここで、通常、理論的解明を求めるのが、私のやり方ですが・・・(笑)、
どうも、それこそが、正しく”マインド”さんの手のようです。
そうすると、ハイヤーセルフ・・・通常本質でしょうか・・・あるいは、5次元以上の高次元といっても、良いのではないかと感じますが・・・とつながらなくなる・・・
「価値や意味を失ったとき、マインドのは存在できません。
ですので、マインドは絶えず何かになろうとしています。
あるいは、何かに到達しようとしています。」
ですが、「なろう」とすることを、”否定”するのは、森田健さんですね。
「私はだれでもない」も、森田健さんですが。
「何かが叶った瞬間、意味を失ってしまいます。」
「それがマインドの質です。」
「次の目標、次の目標、ずっとそうやっているだけです。これがマインドの生き残り作戦です。」
ということです。
”何かが叶った瞬間のむなしさ”と言いますか、残念さといいますか・・・必ずしも一通りではないですね・・・。
「えっ、こんなもんなの?」であったり、
「もっと、探求を続けたかった・・・」であったり、ですが。
もちろん、本当に「嬉しい!!」と感じる機会もあるわけですが、たとえば、軽い例で恐縮ですが、私はCDを買い続けています。
好きな音楽、刺激を与えてくれる音楽・・・そんなものを探し続けているのですね。
それは終わりがないのです。
探したCDが本当に気に入って、長く聴き続けることもあれば、探す、という行為そのものが、正に目的であり、「何のためにやっていたのだろうか?」というような変化感覚を持つこともあります。
どうも、バカヴァンさんによれば、それは、”マインド”さんが生き残るために、やっている策であり、私はその策にまんまとはまってしまっている、ということのようです。
CDを探すことが、原因、理由を探すことになるのかどうかですが・・・あるのでしょう。
この書き込みのタイトルは、「理由もなくこれなかり聞いてしまうCD・・・」でしたが、それは、私が、「理由なんかないんだ」ということを感じたからそういうタイトルにしたわけで、「理由なんかない」というからには、その前には、何らかの理由を求めていたわけでしょう。
「どうして、この音楽が好きなんだ?」、「どうして、この音楽に惹かれるんだ?」というような問いだったように思います。
で、出た答えが「理由はない」・・・
そして、「理由がない」ことをどうしてしていたかと言えば、それは、”マインド”さんが、生き残るためにとっていた策にはまっていたから・・・
そうして、その策にはまると、高次元と通じにくくなってしまう・・・
そして、それは、おそらく、原因の世界を作ることからも、遠くなり・・・
宇宙意識に全てを委ねる、ということからも遠のいてしまう結果を生んでいたのでしょう。
もちろん、CDを聴くな、ということでもないですし、一切探すな、ということでもないように思いますが・・・いや、ひょっとしたら、一切探すな、かもしれません。
聴くべきCDは、向こうから勝手にやってくる・・・神が必要な時に与えてくださる・・・ということかもしれません。
そう考えると、「私にはできない(本当にできないこと)。でもどうしても欲する。それは天から与えられるべきものです。全てを宇宙意識に委ねます・・・」の流れが、また明らかになってきたように感じます。
「究極の質問は「自分は誰なんだ」です。
究極のゲームです。」
「あなたは質問以外のなにものでもありません。
質問がなければ、マインドは生き残ることはできません。」
「こういう質問を、「根本的な質問」と言います。
その中でも、「自分は誰なんだ」という質問は究極的なものです。」
ですが・・・
森田健さんでも、ゴーギャンでも、その他、「私はだれ?」という問いを発した人は、たくさんいるのでしょうが・・・
バカヴァンさんは、森田健さんと同じく「根本的な問い」、「究極なもの」である、としていますね・・・。
それは、これより深い質問は存在しない、ということでしょうね。
普通に考えれば、この壁を通り抜けると、「問い」と言いますか、「次の目標」、「質問して、理由や原因を探そうと・・・」がなくなるのかもしれませんが・・・どうでしょうか?
それは、ハイヤーセルフとつながりにくくしていた、行為がなくなる、ということですので(マインドがいなくなる)、高次元的にはとても良いことなのですね。
「理由や原因を探さない」ということは、「何かを変えようとしない」、「(無理に)理解しようとしない」ということでもあります。
やはり、「次の目標」、「理由や原因を探す」という、3次元的、資本主義的価値観というのは、ちゃんと高次元とのつながりを細くしてしまうようになっているようです。
できるだけ、「次の目標」、「理由」、「原因」ということにこだわらないことが、良いのですね。
みなさんは、どう思うでしょうか?
さて・・・・・・
この2,3日ですが、金運が悪いです(笑)。
詳しく書けないような内容です(驚)。
財運ストッパーの位置を変えたのが悪かったでしょうか?
で、元に戻しました・・・それほど、大きく変えたわけでもなかったのですが。
さて、どうなるでしょうか?
幸運はしばしば不幸の振りをしてやってくる・・・という言葉を良く聞きますので、あまり短いスパーンで判断しないようにしますが。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20070722AT2M2102121072007.html によりますと、
(引用)
インド初の女性大統領が誕生・パティル前州知事が圧勝
【ニューデリー=山田剛】国会・州議会議員の間接選挙によるインド大統領選挙は21日開票され、国民会議派など連立与党と左翼政党などが擁立したプラティバ・パティル前ラジャスタン州知事(72)が、野党連合が推したシェカワット副大統領(83)を大差で破り当選を決めた。インド初の女性大統領として25日に正式に就任する。任期は5年。
(以上)
ということですが・・・素晴らしいですね。
・・・最近、テレビをあまり見ませんので、分かりませんが、この記事は、日本のニュース番組では、取り上げていたでしょうか?
私は、女性の方で能力のある方が、その力を存分に発揮することに異議はありませんし、賛成です。
ただ、朝ご飯は絶対に母親が作らなくてはならない、とは思っていますが。
みなさんは、どう思うでしょうか?
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悟りってなあに? (単行本) 中西 研二 (著)出版社: ヴォイス
(2005/04)です。 |
いかがでしょうか?
「愛」についてですね。
よく言われる「無条件の愛」ですが、「無条件の愛」が「本当の愛」であるのなら、やはり「知ること」はできないようです。
「無条件の愛」という”言葉”ほど、むつかしいものはこの世にないかもしれませんが、それもそのはずで、「知ること」はできないものだったのですね。
しかし、「体験」はできるようです。
きっと、「親の愛」であったり、「兄弟の愛」のような「肉親の愛」にそれはあるでしょうか。
そして、最も私にとって大きな言葉は、
「もし、あなたがどんな理由も見つけられないとしたら、多分それは愛を発見したのです。そのような愛は、無条件のものです。」
ですが・・・
「好きな(愛している)理由が見つからないのに、好き(愛している)だったら、それは”愛”である」という意味なのでしょう。
この意味では、「理由もなく聴いてしまうCD達」を、私は本当に無条件に愛している、ということなのかもしれませんね。
そして、それらは、こちらから探しに行くのではなく、「必要な時に、神・宇宙意識・時空・・・呼び方はいろいろですが・・・高次元の存在が、与えてくれるもの」であるようです。
そして、一周りしますが、そういうものを、人間は「理由もなく愛することができ易い」ようです。
家族であったり、恋人であったり・・・一期一会の人たち、
本であったり、音楽であったり・・・一期一会のモノ達、
これをして「偶然を装って目の前に現れる」ということなのかもしれませんね。
みなさんは、どう思うでしょうか?
さて・・・
更新しないで、申し訳ありません。
今から、東京ビッグサイトで「癒しフェア」に、行ってきます。
で、元気が出るセミナーのここに、音声がありますが・・・
面白いですよ。
で、ですね・・・多くに人はどう思っているのか?を知るのは、為になることのようです。
みなさんは、どう思うでしょうか?
さて・・・・・
昨日は,癒しフェア」へ行って来ました。
「ディクシャ」は受けてきました。
で・・・
精神的現象面としては、今のところ、気が付いた変化はありません。
もちろん、1回目ですので、大きな変化があるのかどうか、分かりませんが。
ただ・・・きっと、気のせいでしょうが・・・
私は瞑想の時、頭の後ろの左側の辺りにある、少しくぼんだところを、60回、左回転で回す、ということをするのですが・・・
ですので、その感触というのは、毎日触っているので良く知っているつもりなのですが、いつもと違うようにも感じます。
きのせいかもしれませんが・・・。
くぼんでいるようにも感じます。
きのせいかもしれませんが。
で、何か現象面で気が付いた変化があるかどうかと言えば、今のところ気が付きません。
ただ、むしょうに・・・
「もう、自分が幸せになるまで、人を幸せにしようなどと大それたことを思うのはやめにしようか・・・」
という気持ちに包まれています。
昨日からではありませんが・・・。
この「自分が幸せ」とは、「自他ともに認める幸せ」ということですので、本当に私には、むつかしくてむつかしくて、のた打ち回りそうな言葉ではありますが。
「一体どこまで、謙虚にすれば、いいんだ」
とも思いますし・・・
昨日も謙虚にしましたが・・・
「元気がでるセミナー」のブースの担当の女性も、ディクシャしてくださった男性も、大変親切にしてくださいました。
「ディクシャについて知っていますか?」と言いますので、「普通の人よりは少しだけ知っています」と答えました。
(こういうのを謙虚というのですよね?違うのでしょうか?)
で、説明していただきましたが、
「ディクシャを受けると、悩みがなくなります」
という説明でした。
「頭の形が物質的に変化する・・・」という説明はありませんでした。
「悟り」の話もありませんでした。
少し知っている=本の一つも読んでいる・・・と謙虚に答えたつもりだったのですが・・・
これで良いのでしょうか?
最近船井幸雄さんは、にんげんクラブの会報誌で「謙虚で自信を持って・・・」と書いていますが・・・おそらく”謙虚”の度合いの問題なのでしょうが・・・
それはつまり、「私は十分謙虚だな、と思う人はそれ以上しなくとも良いし、謙虚でないと思う人はもっと謙虚にしなさい」ということかもしれません。
しかし、「謙虚な人」が「自分は十分謙虚だな」などと思うでしょうか?
「自分は十分謙虚だな」と思った時点で、「謙虚ではない」のではないでしょうか?
その意味で「謙虚で、自信を持って・・・」はあり得ない状態のように感じて仕方がないのですが・・・
これは、正しくパラドックス以外の何者でもありません。
もう、さすがに混乱の極みに達しています。
みなさんは、どう思うでしょうか?
だれか、教えてください。
ディクシャについては、おそらく、何かの機会で2度目、3度目と受けていくかもしれません。
変化がありましたら、そのつど、ご報告いたします。
で・・・先日、出勤時に、田町駅を降りて、人ごみを歩いていましたが・・・人ごみが途切れると、そこに「亀井静香さん」が目の前に現れてびっくりしました(笑)。
ビラを配っていました。
相変わらず、私は、「鋭い目つき」(笑)でしたので、私にはビラを配りませんでしたが。
駅前で国民新党の宣伝をしていたのですね。
それでも、まさか、亀井さんがびらを配っているとは驚きました。
それだけです(笑)。
それだけ、と言えば、先だって、いつも行く中華料理やさんのお上さんが、焼きそばを100円まけてくれました(嬉)。
いつもの、かわいい女性店員さん(中国人)がいなくて、がっかりしていたのですが(笑)、100円まけてくれて、チャラ以上です。
ちなみに、この女性店員さんは、「有難う」と言うと、ものすごく喜びます。
「ご馳走さま」と言っても、「どうも」と言っても、あまり反応しませんが、「ありがとう」には、本当に嬉しそうな表情をします。
もちろん、他の日本語がよく分からないのかもしれませんが。
みなさんは、どう思うでしょうか?
そう言えば、1,2ヶ月前でしたでしょうか、神田明神さんへ行きましたら、太い縄が、輪になっていて、そこをメビウスの輪のような感じで3周回りなさい、と書いてありました。
隣にいた60歳くらいのおばさんが、「私も真似して後ろを付いていきます」というので(笑)、順序を暗記して、歩きましたが、一回りしたところで、おばさんが、「1周でいいわね」というので、それで終わりにしました(笑)。
その後他の神社さんでも見ましたが。
確か、最近、メビウスの輪と同じものをどこかのサイトでも見ましたが、岡田多母さんではないですが、やはり、あれは、何か意味があるのですね・・・神道的にも。
みなさんは、どう思うでしょうか?
で・・・神社さんなのですが・・・
仕事をで新規を開拓しなくてなりませんので、そうしていますが、なぜか新規の会社の多くが、その以前にお参りに行った神社さんのすぐ近くが圧倒的に多いのですね・・・(不思議)。
渋谷の明治通り沿いですとか、愛宕神社さんの辺りとか、神田明神さんもそうですし、水天宮さんのそうですし・・・
偶然でしょうか?
みなさんは、どう思うでしょうか?
岡田多母さんの「ラブコールをあなたへ」ですが・・・
(引用)
とうとう時明けが訪れるようです
(中略)
質問をたくさんに受けますが…
法は法ですので、ワタシ事の解釈や意見はありません。
≪あなたがカルマを忘れても≫
苦しむときも、同じく自分の過去に原因があります。
あなたがカルマを忘れても、カルマはあなたを忘れないのです。
あなたがだれかに、ある仕方で働きかければ、
その人も同じように反応します。
もしその人が直接あなたに反応しない場合には、
自然が間接的にあなたに反応を届けます。
あなたがだれかを傷つけたとして、その人自身が黙っていれば、
自然はほかの人や物や状況によって、あなたに返報を持ってきます。
撒いた種は、刈り取らねばならないのです。
人間は誰もが自己完結出来る能力を与えられているからです。
誰もが自己を成長させていく過程で、
為すべきことを成す賜物を与えられています。
祝福には大意なる祝福が収穫できます。
人間だけが自己の選択の自由を自己の天命に従って
決めることが可能です。
どうぞ、自己のハタラキツトメに従って、
自分の行為の一つ一つを決めて進んでください。
タモのリサーチ(7/25−2)
「大調和祝詞」
アリてアル
アリとアラユル
全ての全て
今茲の理
コトハリのコトワリ
アリユクコトのアリユカスコト
全一をもってイヤサカ成りゆくをもって
皇成る
カタリツタエテ
トコトワ成る成り
自己選択の自由はあるが、カルマもある・・・ということですね。
自己選択しても、そこに、それを成し遂げることを許さないカルマがあれば、それは叶わないのかもしれません。
もちろん、逆もあるでしょう・・・選択しなくとも、カルマにより、何かをさせられる・・・
(なりたくなくとも、偉くなってしまう人というのもいるでしょう)
しかし、させられる、と言っても、その中には、事実なら「生まれるときに決めてきた」ものもあっるようです。
ですので、きっと・・・カルマで全てを明かそうとしても、それは法の一部・・・それだけでは足りないのかもしれませんし・・・カルマと言っても、私には「全体のカルマ」というものも、存在するように感じます。
生まれた時に決めてきたストーリーもあるようですし・・・
場合によっては、問うことによっても、運命は変わるようですし・・・
中には、占いで本当に運命を変えている人もいるようですし・・・
カルマそのものを、儀式で解消してしまっている例も本には登場していますが・・・これはどうでしょうか・・・。
一番良いっと思えるのは、「何も感じない」人になるか、「全てに感謝できる人」になるかですが・・・
「何も感じない人」になるのは、よした方がよいように思います。
私はそれをやってみましたが・・・おそらく、2年くらい努力しますと、相当近い存在になれますが・・・別にいいことはありません(笑)。
ただ、ただ何も感じない人であるだけです。
もちろん、”無害”な人にはなりますが。
元に直すのに、また、2、3年かかりますから、しない方が良いです。
「全てに感謝できる人」ですが・・・これは、私は努力で70%くらいは達成できるように感じますが、私の感覚ではそれ以上は無理だと感じます。
できる人というのもいますが、私はディクシャではありませんが、宇宙意識が必要と言い方が嫌いな人もいるでしょうが・・・少なくとも、自分ひとりの力でできるものではない、と感じています。
どうすればできるのかですが・・・ディクシャ以外には、今のところ思いつきません。
それは、何もバカヴァンさんのディクシャだけでなく、親鸞さんの例のように、深い瞑想によるものも含んでいますが。
で、どうかということですが・・・
とにかく、瞬間、瞬間に生きることのようですが、どうでしょうか?
そして、次の動きに出るときには、理由を求めてはいけないようですね。
心で決める、ということでしょうか?
今日は参議院選挙の日ですが・・・
とりあえず、今のところ、ブッシュさんらの弾劾裁判はもう少し先のようです。
おそらく、反自民勢力が勝つのでしょうが・・・
「やすらぎの村」から出版されている「日本の2010年 ユピキタス日記 福寿禄の世界への誘い」:山岸道弘著、には、携帯電話インターネットによる広告収入によって、これから先、大きく収入格差が出る、ということが書かれています。
私は、携帯電話インターネットの世界を制する人が、お金持ちになる可能性は、非常に高いと感じていますが、それが格差を増大させる兵器であるとするのなら、なんとも複雑な気持ちで読み進んでいます。
その意味では、ハードランディングを助長するもの以外の何者でもないように読めてしまうのです。
選ばれた千人ほどの人が、その仕事を進めていくように読めますが・・・
あまり読んでいて気持ちよい感じはしません。
しかし、政木和三さんから船井幸雄さんまで、多くの人が認める方が言っていることですので、そうなってしまうのかもしれません。
その意味では2012年の大変化の時に、多くの人が幸せな気持ちで次元上昇を向かえる、ということは不可能なのかもしれません。
しかし、そうはさせず・・・もちろん変えようとしてはいけないようですが・・・なんとかハードランディングの状況を回避することを考えたいと思っています。
携帯インターネットが敵ではありませんが、しかし、それがハードランディングの状況を作るものであるとするのなら、きっと、ソフトランディングに方向変換する仕組みが必要でしょう。
しかし思うのは、携帯インターネットで音声認識技術を使用することになった状況で、そこでヤマトコトバ・・・言霊がネットを通じて全世界に広まって行ったとするのなら、白峰
聖鵬さんではないですが、電磁波の周波数が変化し、それによって、ソフトランディングが・・・多くの人が救われる緩やかな次元上昇が達成させる可能性は高いようにも感じます。
日月神示にある最後の仕組みである言霊・・・とは携帯インターネット上での音声認識技術での言霊の使用による、高周波の電磁波によってなされる世界的な意識レベルの上昇のことなのかもしれませんね。
もしそうであるのなら、山岸さんはどこまで本当のことを書いているのか分かりませんが、携帯インターネットがソフトランディングの要になる可能性は非常に高いように感じます。
みなさんは、どう思うでしょうか?
さて・・・どうやら、反自民と言いますか、民主党の圧勝ですね。
とりあえず、良かったです。
読む本がありませんが・・・
さて・・・困りました。
正確には読みたい本がない、ですね。
を読もうかとも思いますが・・・
これは読みたいですね。
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