*** メインコーナー ***

旧理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー       

 

 

もくじ

 

   
   

さて・・・・・・
岡田多母さんの「ラブコールをあなたへ」ですが・・・

(引用)

タモのリサーチ(7/7−2)

☆祝福の中で愛を込めて☆


神聖な霊光が、静かに地上を充たして、やわらかなエネルギーが、
地上を包み、流れています。

ナサから送られた「神の目」が、
奇跡を起こしてくださいますように〜☆彡

ナサから送られた「神の目」で、
奇跡が起こってくださいますように〜☆彡


祝福を満たして…
神聖な霊光は、地上の清浄化を、
サラに繊細な深さで起こしています☆


聖神宮の美しい光は、天空大空を輝かせています☆

心鏡に麗光が映り、心に優美な感受が拡がっていると、
感じていらっしゃる方々が増えていますね〜

この感受を行動に繋げてみましょう

やわらかな感受は、やわらかい言葉や優しい行ないで〜
表現してみましょう

(以上)

私は、この1週間ほど、とても”優美(?)”な状態と、落ち着かない精神状態が同居していますが、高次元的、全体的には、大きな変化の後、とても良い状態が訪れつつあるようですね。


みなさんは、いかがでしょうか?

(ちなみに、HG正楷書体というフォントを使っています)



これが、大好転、奇跡の前触れだと良いのですが(笑)。



さて・・・予告編で書いたことですが・・・

東京ビッグサイトで行われているオフィス機器展とブックフェアに行ってきましたが(仕事ですので:笑)、ブックフェアというのは、初めて行きましたが、いろいろな出版社もブースを出しています。

覗いてみますと、宗教関係の出版社の集まっている一角がありました。

で、見てみますと、キリスト教やら、天理教、仏教などなどいろいろあります。

で、天理教のブースに入ってみました。
実家の近くに天理教の教会がある、という話はいつか書きましたが、なぜか、天理教と金光教の教会が目に止まることが多いです。
先日は、郵便受けに、天理教のお誘いのビラまで入っていました。

良く分からないのですが・・・隣の新聞屋さんの人が天理教をやっているのかな・・・とも思いますが、定かではありません。
(ちなみに、隣の新聞やさんの従業員の方が吸うたばこの吸殻が私の部屋の入り口の前に、溜まりますと、私はそれをホウキで掃除しますが、するときは、新聞屋さんの前まで掃除します(笑)。
で・・・いくらか減りましたが、それでもまだ、吸殻が風に流され飛んできていましたが。
で・・・今日見ましたら、やっと、従業員用の灰皿が設置されたようです。これで、そういうことは相当減るでしょう。
これも、7月効果:【次元の急速な好転】かもしれません)

当然、天理教関係の本が展示されています。

ブースにいる人はおそらく天理教の人なのだろうから、だれか話しかけて来ないかな・・・話しかけてきたらき、いろいろ聞いてみたいな・・・などと思っていたのですが、だれも話しかけてくれませんでした。


それでも、お筆書きのような本などもあり、
「ああ、日月神示と、同じようなことが書いてあるのだろうか?そろとも、違うのだろうか?違うならどう違うのだろうか?読むのはなんだけど、話かけてきたら聞いてみたいな・・・」
などと思いながら、見ていました。

で、結局、この後、何度か訪れたのですが、だれも話しかけてきませんでした。



で、その後、隣のブースの台湾発祥の仏教系の宗教団体のブースがありましたので、入ってみました。
私はこの団体が、どういう団体なのかは、まったく知りません。

ですので、良い噂の悪い噂の知らない、ということです。

以前なら、こういう場合は、決して近寄ったりすることはありませんでしたが、それでも入ってみました。

どうしてそうしたかと考えれば・・・
一つは、議論になっても、今は今なりに、私の高次元感がありますので、もし、カルトのような団体で、変わった価値観を持ち出してきたとしても、ある程度の話し合い、議論もできる、という自信があるのだと思います。

2つ目は、直感で、「悪い団体ではない」ということが感じられたのかもしれません。

そして3つ目は、天理教のブースの隣、というのが、理由もなく、安心だったのかもしれません。
私は天理教はまったく知りませんし、話なども聞いたことがありませんが、中谷さんの日月神示の本に、日月神示の艮金神さん(国常立大神)と、非常に関係の深い団体である、また大本、金光、天理、黒住は、神道系であり、アセンションとも関係ある、というようなことが、書いてありましたので、その知識が、安心感をもたらしてくれたのかもしれません。



で・・・
入りますと、2,30秒ほどしましたら、60歳近い女性と目があい、話しかけてきました。


台湾の女性です。
中国なまりはありますが、流暢な日本語です。
いろいろ話を始めたわけですが・・・
思い出したものから書いてみますが・・・

「仏教なんですか?」と聞きました
「そうです」ということでした。


「どうして日本に(布教しに)来たのですか?」
「日本には仏教たくさんあるでしょう」と言っていました。

「ほら、総本山も日本にもあります」と言って、パンフレットを見せてくれました。


「道教ではなく、仏教なのですか?」と聞きました。
「良心は道教でしたが、私は違います。道教は、肉を食べますが、この仏教は精進料理だけです。肉は食べませんので」と言っていました。


「日本には道教はあるのですか?あなたは道教ですか?」と聞かれました。
「いいえ、違います。私はいろいろやっていますが、特定の宗教はありません(という意味を言ったつもり」と答えました。

「人間はどうして生きているのですが?生きている目的は、なんだとあなたの宗教は言っていますか?」と聞きました。
彼女は、しばらくの沈黙の後、「・・・・・・私の考えですが、・・・」として、要するに、カルマを解消するため、来世で、良い人生を歩むため、という内容を答えました。
仏教ですので、当然だと思います。


「日本人は仏教多いでしょう?」と聞かれましたので、
「日本人のもとは、神道です。神道には教祖はいません。太陽、月、地球・・・大自然を信仰します。
だから、キリスト教のクリスマスもお祝いします。仏教の行事もお祝いします。なんでもします。それが日本人です」のようなことを、答えました。


そして、
「隣のブースは天理教ですので、きっと、神道について知りたければ、教えてくれると思います」と言いましたら、
ちょっと、不思議な顔をしていました。
「天理教は海外から来たのではないのですか?」と言いますので、

「私は天理教ではありませんが、天理、金光、黒住、大本などは、神道系の宗教です。」
と、中谷さんの本に書いてあったことを、そのまま伝えました。

 


カルマについて、もう少し、話しましたが、それも要するに、前世のカルマで今生があり、今生での行いが、来世を決める、というものでした。

いつか、不思議研究所のサイトにあった、トラさんの発言の
「前世悪いことをした人が、今生そのせいで、悪い人生になってしまったら、前世でした悪いことの、罪滅ぼしの行いが、できなくなってしまうのではないですか?」
というようなことについて、どう思いますか?と聞いてみましたが、私の説明がうまくなかったのか、ここに書くために覚えているような具体的な答えは返ってきませんでした。

確かに・・・前世人を殺した人は、今生は、心の美しい警察官になったりして、事件を減らすことに尽力したり・・・
お金におぼれて、人を騙してまでも金儲けに走った人などは、初めから大金持ちに生まれて、その私財でボランティア活動や、奨学金、などの行いをすることによって、前世の罪滅ぼしのできるような今生になるのが、正しいようにも感じます。

どうなのでしょうか?

何かヒントが得られると良いな、と思いましたが、特にありませんでした。




「2012年について、教祖の方は何か言っていますか?」と聞きました。
すると、「・・・」と10秒くらいの沈黙の後、
「多分知っているけど、何も言わないのだと思います」と言いました。

他にもいろいろ話したように思いますが、彼女は、棚にならんでいる一冊の本を取り、
「これ、私がお金を払うので、是非読んでください。」と言いました。

私は、なんとなく心が通ったようで、嬉しくなりましたが、きっと、読まないと感じ、
「ありがとうございます。でも、いただいたパンフレットを読みますので、良いです。」と言いました。

確か、「日曜日にやっている集まりに是非来てください」、のようなことも言っていたように思います。
悪い宗教ではないようですが、しかし、「きっと行かないな・・・」、と思いましたので、丁寧にお断りしました。


「名刺をください」というので、差し上げましたが、何か送ってくるのでしょうか?

会社あてだと、少し困りますが(笑)。




さて・・・ベンジャミン・フルフォードさんが、rense.com http://www.rense.com/ のラジオ番組のインタビューに英語で答えて、世界の救済案について話すようです。
前後読みますと、イシヤについてのことを、英語圏に発信するようです。

詳細は、上記サイトをご覧ください。

で・・・私のサイトを訪問してくださる方からメールを頂くことがありますが・・・
その中のお一人が、先々週くらいに、私に「英語のrenseの番組に、一般の人が電話をかけて、ラジオで生出演するコーナーがあるので、田中さんが出てはつげんしたらどうですか?」というようなことを書いてくださいました。

私は、「他の精神世界の人がしないからには、何か理由があるのでしょう」として、今はする気がありません、ということを伝えましたが・・・

renseは、1年くらい前でしたでしょうか、そういうサイトがある、ということを、どなたかのサイトで知りましたが、それ以来すっかり忘れていて、先日のメールで読んでも、しばらく思い出さないほどでしたが、ここにきて、いきなり、ベンジャミンさんが、行動に出て、シンクロニシティを感じてしまいした。


そのメールにも、ベンジャミンさんのことが触れられていました。
ベンジャミンさんのよれば、中国の秘密結社が、米英の秘密結社に挑戦状をたたきつけている、とうことのようですが、何か、ベンジャミンさんがラジオにアプローチしても、問題ない理由がベンジャミンさんに情報として流れているのでしょう。


と、書きましたら、ものすごいするどい音の耳鳴りが左に入ってきましたが、偶然でしょうか?

ちなみに、耳鳴りですが・・・私の部屋は、大抵静かではありませんし、シーンとした中で聞こえるあの耳鳴りっぽいのとは別物です(笑)。

これが、高次元的なものかどうかは、分かりませんが、耳鳴りのタイミングは、なかなか良いようです。

みなさんは、どうでしょうか?


で・・・とにかくベンジャミンさんには、お相撲の八百長問題には、関わって欲しくないですね。
古い日本の伝統で行われているものは、欧米の価値観、ルールで判断したら、全て、文句のつくものばかりです。

そして、逆のその通りで、古くからの日本の価値観から見れば、欧米のものの多くは、ルール違反です。

で、どちらが正しいのか?ですね。

これは、欧米が好き、とか、日本が好きとかを超えていると思います。

そして、古くからの日本の価値で見た場合、欧米は間違えているのですが、きっと、罰したりはしません。
しかし、欧米は、きっと、日本は間違えている、自分達と同じにせよ。さもないと、制裁を加える、と言い出すかもしれません。

私は、古くからの日本の価値観の方が、正しく、精神的に熟していると思います。

せっかく日本に帰化したのですから、そこらの偽者日本人より、日本を理解して欲しい、などと思ったりしますが。

みなさんは、どう思うでしょうか?



 

さて・・・・・・
悟りってなあに? (単行本)
中西 研二 (著)出版社: ヴォイス (2005/04)ですが、読み終わりました。

なかなか興味深い本でした。

初めて存在を知ってから 、丸一年経ってから読みましたが、きっと、今が、その情報が私にとって必要な時期だったのでしょう。


 

 



 

 

 

で・・・・
いくつも引用したい部分がありますが、下記の部分が非常に興味を惹きましたので、まず引用してみます。

 

(引用147ページ〜149ページより)

 バガヴァンは、「私にとって願い事を叶えることは、それほど難しいことではない。車を欲しがっているなら、私がすることは車を映像化することだけ。それがすべて」と言います。
 また、「人々が同時にたくさん訴えたり願ったりしたものに対して、どのようにみんなに答えを出したり現れたりできるのか」という質問に対しても、「これは理解不能です。けれども、実際はそれができているということです。みなさんが考えているほど難しいことではありません。とてもシンプルで簡単なことなのです。あなたもそれをプロセスの中で体験できるでしょう。」と答えています。
ただ、願い事が叶うためには、私たちの状態がある条件を満たしている必要があるとも言っています。それについて述べられたバガヴァンの言葉を紹介しましょう。

 
第一の条件は、お手上げ状態(ヘルプ状態)かどうかということです。残念ながらほとんどの人がお手上げ状態ではありません。心のどこかであなたは「自分で何とかできるでしょう」と感じているのです。
 あなたが自分でできるものに対して、私は介入しないということをしっかり理解して下さい。
 例えば、あなたが頭痛で苦しんでいるとします。あなたは薬局へ行って頭痛薬を買い、それを治せます。そんなとき私は手を出しません。しかし、もしあなたを介護する人が誰もいないとき、私はあなたを介護し治療します(中略)。
 助けが必要な事態もあるでしょう。しかし、皆さんは簡単にギブアップしません。私に祈るかもしれませんが、密かに自分の計画を持っているのです。「お手上げ状態」というよりむしろやけくそ状態なのです。
 あなたは心配し、もがいています。どうやって解決できるのかを考え悩んでいます。解決できるのか?自分で何をすべきか?バガヴァンが解決してくれるのか?もしそうならどうやって恩寵を与えてくれるのか?本当にバガヴァンが恩寵を注いでくれるのか?・・・・・・などと。
 とてもたくさんの考えがあなたのマインドを曇らせます。あなた自身がしていることは自分に語り続けているだけなのです。たとえ私の前に立っていたとしても、たとえ私のことを思い出していたとしても、あなたは緊張状態にあるのです。ギブアップしていません(中略)。
委だねていない状態では、私は助けることはできません。
 覚えておいてください。「委だね」とはあなたが私の召使いや私の奴隷になることとは違うということを。
それはあなたのマインドを脇に置くことを意味しています。マインドは基本的にやっかいなものです。これは心の内側でのプロセスです。あなたがギブアップできたとき、私にとってあなたに恩寵を注ぐことは難しいことではないのです。
 もう一つの条件は
、あなたの望みがあなたの心(ハート)から来たものかどうかということです。例えば、あなたが「自分の車に乗って楽しみたいから、格好いい車が欲しい」といって願うなら、私はすぐにその願いを叶えます。
 しかし、もしその望みが、友人が持っているからとか、見せびらかせたいからといった理由からだとしたら、私はそれを手助けしません。あなたは自分で働いて買った方がよいでしょう。
 ですので、自分でチェックしてみて下さい。あなたの心(ハート)が望んでいるものなのか、それともあなたのマインドが欲求しているものなのかを(中略)。
 私は心(ハート)から願う人に恩寵を注ぎます。もしあなたが比較や妬みや欲から何か欲しても、恩寵は流れません。




(引用155ページ〜157ページより)
自分の望む(意識の)状態を選択するのはあなたで、あなたにその状態を与えるのが私です。その背後にどんな生理学的な変化があるのかを私は知っているからです。その生理学的な背景を知らずに、ただ教えを説きつづけたとして、どんな効果があると言うのでしょうか?(中略)
 私は教えを広めることの有効性を信じていません。私の言いたいことはただひとつ、
「ここに来て下さい。そしてすぐにその意識状態をもらって下さい」ということです。教えとは、その意識状態を得た後で、その状態を理解するために使うものです。(中略)
 その状態を与える前は、彼が真理を求め始めるように少しだけ教えを与えますが、それだけです。それからすぐさまその状態それ自体へと導きます。もしあなたにその意識状態を与えることができないのなら、それについて語るべきではありません。
 仮に私はあなたに対してある意識状態について話すとしたなら、私はその意識状態をあなたに与えることができるべきなのです。
 もし、与えることができないのなら、「私の状態はとても素晴らしい。あなたもやってみなさい。あなたもそれを得ることができるでしょう」などと語るべきではないのです。実際にそんなふうにはならないのです。
 ラーマナ・マハリシ(1879〜1950「沈黙の神人」と呼ばれる南インドの聖人)は、自分の教えを自分自身で実践したわけではありません。彼はまずその状態になったのです。そうなってしまったのです。
その後彼は自分の意識状態を語り始めました。
 ジドウ・クリシュナムルティ(1895〜1986 南インドに生まれた「マイトレーヤー[彌勒]の再臨」ともささやかれた聖人)も自分の教えを自分自身に適用したわけではありません。彼はその状態を得て、その後その状態について語り始めたのです。
 自分の教えを自分自身に実践することによって、その状態に到達した指導者がいたでしょうか?
誰もいません。自分の教えを実践せずにその状態に達したのなら、なぜ人々に教えを説くのでしょうか?(中略)
「これをしなさい、あれをしなさい」と人々に説き、哀れな生徒はそうなろうと一生懸命努力します。
悟りを得た人を手本にします。教えを実践したからこそ悟りに達したのだろうと人々は考えます。一生懸命に試みますが、結局失敗し没落します。
  だからこそ私は、スピリチャルな教えの実践には反対なのです。そういう意味では私は他のスピリチャルな指導者とは非常に異なっています。
 他のスピリチャルな指導者たちは「誰もあなたにそれを与えることはできません。あなたは努力でそこに到達せねばなりません」と説きます。私は「あなたは決して自分の力でそこに到達することはできません。それはあなたに与えられるべきものです」と言います。
 まったく反対ですね。それが、私が他の指導者とは異なるポイントです。
(以上)



いかがでしょうか?

政木和三さん、森田健さん、辺りと同じようなことを言っていると感じる部分が非常にたくさんあります。
また同じようなことを言っていながら、今まで良く分からなかった部分を解説してくれてもいるように感じます。


まず初めの方ですが・・・
政木和三さんが良く書いている「完全に諦めて、そうなった、と確信し、ありがとうございます、と願うとどんなことでも叶います」と、ほとんど同じ内容だ、と感じます。

森田健さんも、似たようなことを書いていますが。


しかも、その中でどうしても良く分からなかった部分について説明がされています。

政木和三さんの言う「諦める」は、バガヴァンさんの言う「完全にギブアップする」なのだと思いますが、「諦める」には、私などが感じますと、「もうだめだ、やけになるしかない。捨て鉢になるしかない」のような意味を含んでしまうのですが、そういうことではなく、「絶対に自分の力ではできないことを、見極める。知る。認識する」ということのようですね。

もちろん、政木和三さんは分かっていて書いていたのでしょうが、そこは、政木和三さんと私との人間性、感受性の違いにより、言葉の解釈が違ってきてしまうのでしょう。

本当に言葉、説明は難しいです。


政木和三さんは、「絶対にできないような目標をまず定め、もうなりました、感謝いたします。として、その後は、自分の周り1メートル四方のみを見て、一歩ずつ進んでいく、と奇跡のようなことがなしとげられる」と書きますが、この「絶対にできないような目標」という意味は、要するに、「自分の力では絶対にできない、ということを認識できる目標」ということだったようです。


そうすることにより、努力する、もがく、祈りながらも秘密裏に、なんとか自分でやってやるのような計画を立てている、という状態がまったくなくなり、そうすることにより、バガヴァンさんにお願いするなら、バガヴァンさんがかなえやすくなり、直接宇宙意識に祈るなら、やはり同じように宇宙意識がそれを受け入れる状態を作れる、ということなのだと解釈しました。


これが、上記の「お手上げ状態」ということなのだと感じます。

そして、この状態が、おそらく森田健さんの言う「完全に手放す」ということに近い状態なのではないかと感じます。

手放す、ということは、ここでも書かれていますように、だれかの奴隷になる、ということではないようです。
”マインドを脇に置くことである”、と書かれていますね。

私はマインドを日月神示で言うところの”智”に近いものではないだろうか、とも感じました。


マインドに対する言葉として、上記では、ハート(心)を使っています。

このマインドと言う言葉と同じ意味かどうかは分かりませんが、それでも、しばしばインドに行っている岡田多母さんが先日、マインドについて、書いていますので、引用してみます。


岡田多母さんの「ラブコールをあなたへ」より引用。

タモのリサーチ(7/3−2)

心鏡が映している世界が何処なのか?

感覚の世界なのか? 感受の世界なのか? 波か、流れか、静寂か?

甘い〜のか、甘さ〜なのか? 美しい〜のか、美しさ〜なのか?
やわらかい〜のか、やわらかさ〜なのか?


表層意識か、それより深い潜在意識・純粋意識と言われる超意識か?
はたまた、そのまた奥底の神意識か?
最も奥底の統一意識、ソコか?…

良心と言われている、認知(知性)のハタラキは、
潜在意識・純粋意識の層の、超意識の一番初めのところにあります。

従って、表層意識では良心のハタラキはなく、波、天気ですから、
変化して、揺れ動く〜心鏡に波や天気の変化が映りますから、
変化なだけに心が乱れますね〜

これに過去の思い癖・カルマが重なったら〜

荒れ模様ですか?やっぱり〜

クラッシュですね〜

これを負の感情思考、総称してマインドと呼ばれていますー
コントロール可能なところですね。

(以上)

ということです。

同じものかどうかは、分かりませんが、岡田多母さんによれば、マインドとは、「良心の及ばない表層意識というものに、更に過去の思い癖・カルマの2つが重なってしまった負の感情思考」ということのようです。


良心のない表層意識とは、直感・超意識というものとはまったく別の、目に見える世界のみを相手にしている意識、
そして、”過去の思い癖”が、3次元での経験によってできあがるものとするなら、それはイシヤあるいは、5次元以上の存在ではないものによって作られた世界での経験ということになりますので、智≒マインド(岡田多母さんの方)、と言えるかもしれません。


その意味では、マインド(カルキ・バガヴァンさんの方)を智と感じたわけですので、岡田多母さんの言っているものは、バガヴァンさんの言っているマインドと同じかもしれません。



で・・・・
もう一つの条件は、あなたの望みがあなたの心(ハート)から来たものかどうかということです。例えば、あなたが「自分の車に乗って楽しみたいから、格好いい車が欲しい」といって願うなら、私はすぐにその願いを叶えます。
 しかし、もしその望みが、友人が持っているからとか、見せびらかせたいからといった理由からだとしたら、私はそれを手助けしません。あなたは自分で働いて買った方がよいでしょう。
 ですので、自分でチェックしてみて下さい。あなたの心(ハート)が望んでいるものなのか、それともあなたのマインドが欲求しているものなのかを(中略)。
 私は心(ハート)から願う人に恩寵を注ぎます。もしあなたが比較や妬みや欲から何か欲しても、恩寵は流れません。

ですが・・・
これを読みますと、何をして”欲”と言うのかが、分かるような氣がします。

自分の車に乗って楽しみたいから、格好いい車が欲しい」・・・
これは、欲ではないようです。


友人が持っているからとか、見せびらかせたいからといった理由」・・・
これは、欲なようです。

感じるに・・・
自分が欲しているということが、欲である、ということではないようです。

そして、欲しているものの中で、他人との比較を考えているものは、欲のようです。
つまり、
「別に自分のハートがその車を欲しているわけではないのだが、それを持っていると、他人に見せても自慢できるし、上位に行けるし、ちらほらされるし・・・だからそれが欲しい」
のようなものが欲・・・政木和三さん式に言えば我欲、ということになるのだと感じます。

変な例ですが・・・何度か書いていますが、ロレックスの時計が欲しい、とだれかが欲した時、そこに、自分はその時計の価値など分かっていないし、見出してもいないのだけれども、それを持っていると、みんながちやほやするし、お金持ちだと思われるし・・・」という理由で持っているなら、それは我欲のようです。

しかし、「この時計は、金属の無垢から掘り出して、完全な防水構造を持っていて、中のメカニズムの精巧なもので・・・値段に関係なく、この品物を身に着けていたい」のような欲し方は、我欲ではないようです。


但し、興味深いのは、上記に、「それは自分で買った方が良い」とありますように、我欲も別に否定はしていない、ということです。

そういうことは、自分で叶えなさい、ということであり、「それがたとえ、絶対自分の力ではできないこと」ではあっても、それをバガヴァンさんや宇宙意識が叶えることはないです、ということのようです。



みなさんは、どう思うでしょうか?

(この話題はまだまだ続きます)






さて・・・・・
少し寄り道ですが・・・

今いる部屋に引っ越してきてから、スピーカーの低音が出なくて悩んでいたのですが、やっと出るようになりました。

変更点は、もう一つのスピーカーとスピーカーケーブルを交換したことと、
一応メーカーの推奨するように、ケーブルの向きを合わせたこと、
そして、これが一番だったようですが、スピーカーの上に飾ってあったいろいろなものを、別の場所に移して、スピーカーの上を何も置かない状態にしました。


結果として低音が出るようになったのですが、分析すれば(バガヴァンさんは、理解・分析・ジャッジはいけないと言っていますが:笑)、スピーカーの上のものが音で振動して、それがスピーカーの振動に影響を与えていた・・・干渉していた・・・ので、低音が出なかった、ということなのではないかと想像します。

揺れの波がぶつかり合い、打ち消し合っていて、低音の量に影響していた、ということです。


これはおそらく当たっているでしょうが、これは智の良い面であり、そして、これに頼りすぎると、智の悪い面が出てしまうのでしょうか?

要するに簡単なことだから、智が役に立った、あるいは、智の役に立つ範疇のできごとであった、ということであり、決して智は万能ではなく、1+1には役立つが、だからと言って、年金問題や天下り問題の解決には、何の役にも立たない、ということなのでしょう。


みなさんは、どう思うでしょうか?


で・・・食事に出かけましたが、金曜日の夜から、今日はあそこのうどん屋さんで、食事を取る、と決めていたうどんやさんが、満員で入れませんでした。
店の前に、人が並んでいるのです。
こんな光景を見たことはありません(驚)。

時間をつぶして、1時間くらいの間に3回くらい生きましたがだめでした(笑)。

いつもは空(す)いているのですが。
テレビか何かで放送でもしたでしょうか?

・・・空い(す)ていて、あまり好条件の場所でない割にはきれいで、おいしく、接客の良い店ですので、たまにいくのですが。

???


それで、しかたなく(失礼・有難く)、いつも書く、「ビールの樽に”ありがとう”と書いている」居酒屋さんに行きました。
こちらはガラガラでした(笑)。

「うどんやさんに、お客さんを取られたのかな?」とも思いました。

で、10分くらい立ちますと、信じられない勢いで、込んできました。
はじめは、2,3人連れのお客さん。
その後、信じられないような、10人連れくらいの団体客・・・などなど、後一歩遅かったら入れなかったかもしれません。


私がお客さんを呼んだのか・・・満員になる前に入れて運が良かったのか・・・どっちにしても、良いことですが(笑)。

とても、不思議な夕食でした。

みなさんは、どう思うでしょうか? 




ラーマナ・マハリシ(1879〜1950「沈黙の神人」と呼ばれる南インドの聖人)は、自分の教えを自分自身で実践したわけではありません。彼はまずその状態になったのです。そうなってしまったのです。
その後彼は自分の意識状態を語り始めました。
 ジドウ・クリシュナムルティ(1895〜1986 南インドに生まれた「マイトレーヤー[彌勒]の再臨」ともささやかれた聖人)も自分の教えを自分自身に適用したわけではありません。彼はその状態を得て、その後その状態について語り始めたのです。
 自分の教えを自分自身に実践することによって、その状態に到達した指導者がいたでしょうか?
誰もいません。自分の教えを実践せずにその状態に達したのなら、なぜ人々に教えを説くのでしょうか?(中略)
「これをしなさい、あれをしなさい」と人々に説き、哀れな生徒はそうなろうと一生懸命努力します。
悟りを得た人を手本にします。教えを実践したからこそ悟りに達したのだろうと人々は考えます。一生懸命に試みますが、結局失敗し没落します。
 だからこそ私は、スピリチャルな教えの実践には反対なのです。そういう意味では私は他のスピリチャルな指導者とは非常に異なっています。
 他のスピリチャルな指導者たちは「誰もあなたにそれを与えることはできません。あなたは努力でそこに到達せねばなりません」と説きます。私は「あなたは決して自分の力でそこに到達することはできません。それはあなたに与えられるべきものです」と言います。
 まったく反対ですね。それが、私が他の指導者とは異なるポイントです。




ですが・・・
この感じが分かるのですが・・・・・・。
少し違う話かもしれませんが・・・

私が良く書く「頭にどうして映像が出るのだろう?を考えすぎたら、出にくくなってしまった」ですが、これは、要するに、「もともと生まれたときから、そういう能力があった」訳で、後天的に努力でそうしたわけではないですので、それができる方法というのを、現実には説明できない、ということなのだと思います。

つまり、もともと、無い「そうするための方法」を説明しようとしていた、ということなのだと感じます。


違う例で言えば、「私は右手を動かせる、それができるようになる方法を説明しようとしていた」、あるいは「私の心臓は勝手に動いてくれます、そうする方法を説明したい」と同じようなもので、これらは、「頭の映像」も含めて、要するに「天から与えられたもの」であり、別に、「自分で得たもの」ではない、ということですね。


そこには、精神的なものよりも、どこか「物理的なもの」があるのかもしれません。


DNAのON,OFFなのかもしれません。



みなさんは、どう思うでしょうか?


さて・・・

(要約102ページ)
どんな人も、絶えず、他人を理解し、分析し、ジャッジしようとしている。
そんな中で相手を変えようとしている。

相手をけることが不可能だということに気付かない。
人はみな、コンピューターのようにプログラムされていて、自分の自由意思など持っていないのが実情。

人を理解し、変えようとしている時、ある一つのプログラムが矢のプログラムに変更をl加えようとしているだけ。

なぜ人がそんな性質なのか、本当に理解することは不可能。玉ネギの皮を向くのと同じ。
体験すれば喜びに変わる。
体験だけが必要。

ジャッジしたり、非難したり、するのをやめなくてはいけない。相手を体験できれば、どう対応したらいいかハッキリわかるでしょう。


相手をそのまま味わい(体験し)、出来事をそのまま味わう(体験する)ことから始めてください。


とあります。


私を振り返ってみますと・・・

どんな人も、絶えず、他人を理解し、分析し、ジャッジしようとしている。
そんな中で相手を変えようとしている。」

を、私もよくしていたな・・・と感じます。

私はイライラすることがあるのですが、振り返りますと、要するに、「人を変えよう」として、そして、なかなか変えられないので、イライラしていたのではないか、と想像します。

「変える」ために、人を分析し、その結果イライラしないために(悟るために?)、理解しようとし、場合によってはジャッジ(善悪を決める)しようとしていたのではないか、と感じます。


たとえば・・・
昨日、「どんな人も、絶えず、他人を理解し、分析し、ジャッジしようとしている。
そんな中で相手を変えようとしている。
」を意識し、そうしないようにしていたのですが・・・良い1日でした。

そして、帰宅しようと駅にいましたが、20歳を過ぎたと思われる女性が、黒いスーツを着ているのですが、構内の柱にもたれて、床に座り込んで、携帯電話で話をしているのを見た瞬間、「イラッ」と来てしまいまいました。

で、とっさに自分を省みたのですが、「私は、彼女をそういうはしたないことをしない人間に変えようと欲し、しかし、にわかにはそれができないことに対して、自分にも、彼女にも、怒りを感じた・・・そして怒りを感じないために、彼女を自分を理解しようとした・・・の螺旋がある・・・」のではないか、と思いました。

彼女が良いか悪いかは別として、「個人を理解しようとしない」、「個人を変えようとしない」ということは、理由は分かりませんが、とても、大切なことなんおではないだろうか?と感じています。

みなさんは、どう思うでしょうか?



で、昨日はラッキーナンバーの9日でしたが、ネットオークションで購入した、CDが、ネットで調べますと「配達済み」となっているのに、届いていませんでした。

で、いろいろ調べてみますと、誰も使っていない郵便受けに届いていたのです。
そして、調べますと、以前に届かなかった、雅楽のCDも、そこにありました・・・なんと、にんげんクラブの会報まで(驚)。

私の部屋は入り口が他の部屋と違うところにありますので、郵便受けはないのですが、だれかが、使っていない郵便受けに「田中」と書いていましたので、そこに入っていたのですね(驚)。

「聴かないほうが良い」ので届かない、と思っていたが雅楽のCDが、どうも「聴いてよい」ようです。

その日は朝から、何か良いことがありそうな感じがしていましたが、どうも良い日でした。


白峰 聖鵬さんによれば、誕生日の「日」がラッキーナンバーだそうです。

みなさんは、いかがでしょうか?









さて・・・・・・
岡田多母さんの「ラブコールをあなたへ」ですが・・・

(引用)


タモのリサーチ(7/10−3)

過去に折り合いをつけて、
手放しで未知の今を掴めば祝福イッパイ…

一足飛びに未知の自分が経験出来る…
毎日初日の初舞台!

過去でもなく、未来でもない、未知の自分…
去るものでも、来るものでもない、在るもの…

現存!素晴らしい祝福!

今変われる!
今変えられる!

過去にさようなら!
両手を開いて手放しでさようなら!  


(以上)


ですが・・・先だって、何回目かの大掃除をしました。

掃除と言っても、者を捨てる、ということをしたのですが。

お恥ずかしい話ですが、私は、結構思い出のグッズなどを捨てずに取っておきます。
昔の彼女との写真なども、きちんと撮っておきます(照)。


で、さすがに、何種類か(?)溜まっていたわけですが、思い切って捨てました。
と言っても、要するに2人一緒に写っている写真を捨てたわけですが。

一人で写っている写真は、旅の思い出などとして、まだ取ってありますが(笑)。

で・・・何が変わったかと言いますと、今のところは、大きな変化はありませんが、今後何か訪れるでしょうか?





さて・・・・
マインドについてですが、下記のような説明が本の中にありました。

(引用72ページより)
「マインド」とは、私たちの内側にわき起こるさまざまな考え概念、思考パターン、感情などのことをいいます。「無意識」(潜在意識)の部分もこれに含まれます。

(要約73ページ)
マインドとは、自分にものだと思っているでしょうが、マインドは、個々のものがあるのではなく、たったひつしかないのです。
地球の周りには、人類が地球上に誕生してからのすべての思念が帯状になって取り囲んでいます。
それがマインドです。
みなさんが、考えたり、思ったりしているのは、それをマインドの河から拾ってきているだけで、あなたはそれ自体とは関係ないのです。

イライラした人が通るとみんながイライラする、というのは、そのせいです。

(以上)



先だっての岡田多母さんの文章である、
(引用)

タモのリサーチ(7/3−2)

心鏡が映している世界が何処なのか?

感覚の世界なのか? 感受の世界なのか? 波か、流れか、静寂か?

甘い〜のか、甘さ〜なのか? 美しい〜のか、美しさ〜なのか?
やわらかい〜のか、やわらかさ〜なのか?


表層意識か、それより深い潜在意識・純粋意識と言われる超意識か?
はたまた、そのまた奥底の神意識か?
最も奥底の統一意識、ソコか?…

良心と言われている、認知(知性)のハタラキは、
潜在意識・純粋意識の層の、超意識の一番初めのところにあります。

従って、表層意識では良心のハタラキはなく、波、天気ですから、
変化して、揺れ動く〜心鏡に波や天気の変化が映りますから、
変化なだけに心が乱れますね〜

これに過去の思い癖・カルマが重なったら〜

荒れ模様ですか?やっぱり〜

クラッシュですね〜

これを負の感情思考、総称してマインドと呼ばれていますー
コントロール可能なところですね。

(以上)

いくらか違うような・・・それとも同じことを言っているような・・・今のところ、まだ良く分かりませんが・・・


少なくとも、「負」であることは、確かなようです。


地球の周りには、人類が地球上に誕生してからのすべての思念が帯状になって取り囲んでいます。
それがマインドです。

とありますが、これは、集合無意識と同じものでしょうか?それとも、違うものでしょうか?

もし同じものなら、集合無意識からは、ものすごい発明なども、引っ張ってこれると同時に、人間の過去のさまざまな負の思い癖もまた引いてこれる・・・といいますか、負の方は、むしろ簡単に引いいてこれてしまう、となるのかもしれませんが。

しかし、もしこれが、集合無意識とは違うものだとすれば、想念層と言いますか、そういう種類のものが、2種類あり、ひとつは集合無意識、ひとつは、負の想念、ということになるのかもしれませんね。


そして、この負の想念というのは、ひょっとしたら、船井幸雄さんによれば、「急速に縮小している」という4次元のことかもしれません。


果たしてどうでしょう?



何度か書いている「地獄はあるのか?」とお坊さんに尋ねたお侍さんの話ですが・・・
お侍さんが、そう聞いたら、お坊さんは、お侍さんを怒らせた・・・そして、「それが地獄です」・・・と言った、という話ですね。


これなどは、バガヴァンさんの言っていることと近いように感じます。



そして、マインドではなく、ハート=心、で望む、心で感じる・・・をすべきだということです。

これは、岡田多母さんは、良く同じようなことを書いていますね。

他の方もそうですが。


そして、それ(ハートで欲したもの)は、結果を見れば、他人との比較、他人に見せびらかす、のようなことを含んでいないもの、であるようです。

「自分の車に乗りたい」は欲であっても、我欲ではない、ということです。


みなさんは、どう思うでしょうか?





ベンジャミンさん
のラジオ出演が、聞けますね。
ものすごく長いです。

私は、あまりに長いので、昨日、夜9時くらいに聞き始めて、途中で寝てしまいました。
ですので、今は、朝です(笑)。

もちろん、英語ですので、分かるところだけ・・・という感じですが。

http://www.rense.com/ に行き、Download & Listen でページ検索をすると、どこだか分かります。









さて・・・・・・
2日間お休みいたしましたが・・・・


岡田多母さんの「ラブコールをあなたへ」ですが・・・
(引用)

タモのリサーチ(7/13−1)

マクロウェーブ(自我想念波動・否定的集合想念波)が、
クォンタムウェーブ(宇宙波動・愛と調和に満ちた精妙な波動)に
溶かされていくー

明暗の分離分岐が清浄化に極まるー

エネルギーブロック(心の曇り・負の感情・身体不調和・
思考の汚濁混乱・緊張)が溶かされていく…

クリーンアップがステージアップに繋がって、
クォンタムリープを起こし、スペースフィールドを深めて…
次元上昇、ミロク世が現れる…個人から全体へ現れる!

今日から鏡磨き!



タモのリサーチ(7/13−2)


境界や分離分割は存在しない…
すべてに広がって存在する自分を知る…無形

マントラを唱えている自分…
マントラを聴いている自分…

この二人の自分は…
両者を知る自分によって存在する

(名略)


知識を集めて集積した人たちは…
自分の見解を結論として、落ち着こうと神経質になっている…

彼らの見解、即ち定式や定義は、誤解や錯覚、その組み立て、
組み合わせから生じている…

(中略)




何故か?
過去を集積して引きずったまま、
過去に由来するものやそこからの未来想定で、
知性的であると偽りのふりをするから…

これはまさに
洗練された誤解…
訓練された夢想…
確定された限界…


独自性・独創性と呼ばれる個別性…


(中略)

真理は理解『する世界』にはない…

真理はもともと理解『ある世界』に在る…

人は解放され真理に開かれる…

言葉の理解を超えた、広大で透明で澄んだ明晰な世界…

無・空・静寂・閑寂…



タモのリサーチ(7/13−3)

地球上空から明らかに観える霊光は、
日本が最も強くリアルな光です☆

確かに小さく細い光ですが、キッチリと力強く鮮明な霊光です!

その光条が力強く拡大して、地上世界に繋がったら…
ミロク世現し大作戦大成功!です



今日は新タモのリサーチ(7/14−1)

月朔の日です。始まりの初めを結びましょう〜

今日から始まる新たかな時は、ネオエナジーに包まれています。

マントラの響きや祈りの響きが、透明な響和に溢れたら〜
素晴らしく美しい感受が広がるでしょうね…

楽しみに楽しみに…

今日ヒトヒを精一杯!開きましょう




タモのリサーチ(7/14−2)

台風情報から世界の情報ニュースまで、
チョッピリ変化が気になっています〜

世界のどこかで禊浄化が重なりそうです…


(以上)




いかがでしょうか?

ともかく、高次元的には、ものすごく良くなっているようです。
そして、多くの人が言っているように、日本は特に良くなっているようです。


嬉しいですね。


みなさんは、何か感じるでしょうか?




 

さて・・・・・・
有難いことに、時々メールをもらいますが・・・
バカヴァンさんですが・・・
悟りについてですが、バカヴァンさんは、「悟りとは、物理的にできるものである」と言っているのではなく、「物理的なものである」と言っています。


悟りってなあに? (単行本)
中西 研二 (著)出版社: ヴォイス (2005/04)にも、中西さんの言葉で書いてありますが、親鸞さんが悟ったときに、「明けの明星が口から入ってきた・・・」とあるように、悟りとは、宇宙意識によって、何かが起こされ、物理的に変わった時に、起こるもの・・・であるということのようですが、私はこれは信じられます。













中丸薫さんも・・・悟っているのかどうか、聞いたことはありませんが・・・「瞑想中、光が空から降ってきて、体を貫いた」というようなことを、言っていましたね。
これも、物理的変化を受けたのかもしれません。


ルターの雷に打たれた・・・は、どうなのかは知りません。

しかし、その他にも、悟りの過程で、何か光のようなものに打ち抜かれる、という話は、よく聞く様に思います。



「物理的変化・・・」について、まるで、DNAを操作しているようだ、という意見も当然だと感じますが・・・
実際正にその通りではないだろうか、と感じます。


村上和雄さんが、「眠っているDNAをONNにすることにより、能力が開花する」と書いているますが、この表現は、ディクシャにとても近いと感じます。

あるいは・・・
例の良くないことをする宇宙人によって人間のDNAが操作され、人間は今のような状態になっているという話もありますが、感じとしては、これを宇宙意識によって元に戻す行為がディクシャであり、その結果が”悟り”であるのではないだろうか、とも想像します。



現在、3重螺旋構造のDNAを持った子供たちが生まれているそうですが・・・これは今の科学でもきちんと見えるようです・・・これなど、DNA操作をされていない、初めから悟った状態で生まれた人間、なのではないだろうか、と思います。

または・・・これからを総合して・・・DNAを眠らせたのが良くない宇宙人であり、眠っているDNAをONNにするのがディクシャであり・・・それだけでは悟りには足りず、DNAを3重螺旋構造にすることこそが、目に見える範囲で言えば、脳の構造を物理的に変化させる、ということなのかもしれません。






修行の結果”悟る”人たち・・・外側から見ればそう見える・・・もいるかもしれませんが、それは、本にもあるように、修行がそれをもたらしたのではなく、修行の結果、宇宙意識がそうしたのでしょう。

つまり、修行の結果、自分の力では悟れないことを知り、そして、「私の力では悟ることはできません。しかし悟りたいです。これは与えられるべきものです。宇宙意識に委ねます」と心底思えるようになったので、それが宇宙意識と通じ、宇宙意識によって、物理的な変化・・・おそらくDNAを正常な状態に戻された、ということ・・・をもたらされ、悟れた、ということなのではないかと想像します。


縄文人の時代には争い合いがまったくなく、弥生人の時代になってから、争い合いをした形跡の遺跡が発見されるようになった、ということですが、これなど考えますと、良くないことをする宇宙人が人間のDNAに変化を与えたのは、この弥生人のころなのかもしれませんね。


その意味では縄文人は、悟っていたか、悟りに近い状態にあった、と思われますが、そうとは言え、「縄文人である」と判断されたことのある私が、この程度の人間ですので、船井幸雄さんも縄文人であることを考えますと、少なくとも、今生きている縄文人には、いくらか幅があるようではあります(笑)。



もちろん、良くないことをする宇宙人によって変えられたDNAが、悟っていない人間を作ったのかどうかは、推測ですので、何とも分かりませんし、ほかの理由があるのかもしれません。


あるいは、DNAの内、使われていない90%以上の部分ですが・・・
バカヴァンさんがディクシャによって行っているのは、この部分を起こしている行為なのかもしれませんね。
エハンさんなどによれば、この部分は、正にアセンション後の人間・・・おそらく半霊半物質の人間・・・に必要なものであるようですが、それこそ、正に、”悟り”のDNAなのかもしれません。

バカヴァンさんも、「日本人が世界で一番早く国民全員が悟り・・・」と言っているようですが・・・
それは、仮に、この後、ブッシュさ、、チェイニーさんの弾劾裁判に続いて、NESERAの実施、宇宙人情報の公開などとなった時、どうも、クリスマスから何から自然に受け入れてしまう日本人が一番初めに、宇宙人、地底人と仲良くなりそうな氣がしてしょうがありませんので、日本人が世界で一番はじめに、物理的変化を与えられる可能性というのは、ありそうだと感じています(少笑)。


もちろん、その前に、真実を知り、その結果、宇宙意識と通じて、脳の構造に物理的変化を受けることになるのかもしれませんが。





いずれにしても・・・とにかく、バカヴァンさんの言っている「悟りとは物理的なものです」、「脳と頭の構造が物理的に変化することによって起こるもの・・・」ということは、悟りとは、宇宙意識、あるいは、宇宙意識と同じことができる人間によって、脳と頭の構造を物理的に変える事によって起こることである、という意味だと思います。







森田健さんの言っていることが、この本に書いてあることと非常に似ている、それはこの本、あるいは何か他の本を読んだかからではないだろうか?という推測も聞きますが・・・・
そうではないでしょう。


森田健さんなら、私ではないですが(笑)、自分の意見ではないときには「だれそれの本によれば・・・」と書くような氣がします。

そうでなければ、船井幸雄さんが嫌う「本当は自分の意見ではなく、いろいろな人の本に書いてあることを寄せ集めたに過ぎない・・・」になってしまいますので。


少なくとも、それなりの人は、人の本から得てきた情報を”自分が考えたもの”、”自分が神示を受けて得たもの”、”自分が調査したもの”というような書き方はしないだろうと思います。


また、船井幸雄さんにしても、政木和三さんにしても、森田健さんにしても、岡田多母さんにしても、他の方々にしても、世界中探がせば、同じことを言っている文献は見つかるだろうと思います。

実際、森田健さんは他の方から教わったことなどは、「道教の人によれば・・・」としていますね。



その意味では、バカヴァンさんの本は、森田健さんにも似ていますし、政木和三さんにも似ていますし、森田健さんの言っていることは、浄土宗にも似ていますし・・・岡田多母さんは、森田健さんと同じことを言いますし・・・
政木和三さんの言っていることは、五日市さんの言っていることにも似ていますし、それはつまり、イスラエルのおばあさんの言っていることにも似ていますし、それを辿れば、もっともっと似ている人はいるでしょう。


それは集合意識を通じての共時性もあるでしょうし、正しい結論、正しい途中経過として、同じところにたどり着いたということでしょうし、どれがオリジナルかと言えば、何度も書いていますが、以下の世の中は、過去の文明が終わって何度目かの世の中ですので、きっと、一番最初の文明で最初に言葉にした人がオリジナルでしょうし、あるいは、他の宇宙で地球と同じように、0から次元上昇していった星でも、次元上昇の過程において、同じ言葉を考えた、言った、人というのはいるでしょうから、初めに言ったという意味での”オリジナル”という概念はどうでも良いと感じます。
その結論にたどり着いた、という意味での”オリジナル”ということは、それなりに意味を持つかと思いますが。


きっと、今ですら、同じことを言っている人は、それを目的で探せば、世界中にいくらでもいるでしょう。


何度も書きましたが、チャーリー・パーカーと、ソニーステットでしたか・・・は、バップというジャズのジャンルが作られる前から、そっくりなフレーズを吹いていました。

これは集合意識を通じての共時性でしょうけれども・・・
新しい真実が世の中に現れるときには、そっくりのことを宇宙を通じて言う人が、必ず複数表れるようです。


私は、今の所、バカヴァンさんの言う「悟りとは物理的な変化がなくてはならない。脳の構造を 物理的に変えなくてはならない」ということは信じています。

それはつまり、”悟り”の状態とは、よほどの人が、何十年修行したからと言って、それだけで成し遂げられるような種類のものではない、ということでもあります。


一応、誤解のないように書いておきますが・・・
本の中にありますが・・・願望達成ですが・・・「自分でできることは、宇宙意識は叶えてくれません。頭痛がするなら、薬を買いに行けばなおります。しかし誰も介護してくれる人がいない時は、自分ではできないことを認識して、与えられるべきものである、として、宇宙意識に委ねれば、必ず与えられます」ということです。

自分の努力でできることは、しなくてはいけない、ということですね。


ここがむつかしいところで、だからこそ、みんながんばるのですが・・・できないことなのにがんばると、宇宙意識は叶えてくれないそうです。

つまり、「見極める」ことが大切なようです。

見極めるですが・・・政木和三さんの表現する「諦めるは、だれかによれば、「明らかに、見極める」ことだそうです。
捨て鉢になるのではないのです。

みなさんは、どう思うでしょうか?








で・・・11日の夕方ですが、会社からの帰り、7時少し前くらいに山手線に乗っていましたら、大きな綺麗な虹が見えました。

海に近いからでしょうか、大きな大きな虹でした。
瞬間でしたが、ビルの切れ目になり、地面の虹の足元まで見えました。

あんなに大きな太い虹を見たのは、生まれて初めてです。
嬉しいですね。
有難いですね。
感謝ですね。

で、同じ車両に乗っている人の中で、どうもこの虹に気が付いたのは、私と、私の左隣にいた、お孫さんとそのおばあちゃんだけだったようです・・・ひょっとしたら、私の後ろにいた男性も見たかもしれませんが。
(お孫さんとおばあちゃんも定かではないのですが)

その電車に乗るときには・・・どうしても、いつもの乗り場にいけなかったのですね、人の流れと、電車の来るタイミングで(笑)。

で、車両に入っても、いつものと逆側の位置にいることになったのですが・・・
そして、扉にくっついていなくてはなりませんでしたので、海側の、いつも見ない側の外を見ることになりました。

それで、虹が見えたわけです・・・3次元的にはですが。

そう言えば、おばあちゃんとお孫さんが、「ほら立っていて良かったでしょう。見えて・・・」という会話がありましたが、私はずっと新幹線のことだと思っていましたが、あれは虹のことだったかもしれませんね。



で、虹ですが、私が虹を見た、とはっきり記憶にあるのは、これが2度目です。

良く学校のプールの時間にシャワーの間に見えるあの”虹もどき”は別です(笑)。



一度目は・・・2000年の3月です。
仙台に行く数日前ですね・・・。

ちょうど巣鴨駅の辺りから、当時私が通っていた教会方向を見たときに、教会の下辺りから大きな虹が見えました。
(思えばあの辺りから、非常に勉強の毎日になっていますが:笑)。

そして、今回が2度目です。
私は、勝手に、「ひとつの時代が終わり、新しい時代が始まったな」と思っています(笑)。


この日は岡田多母さんの「ラブコールをあなたへ」でも、”虹”について書かれていますね。

(引用)
タモのリサーチ(7/11−1)
龍太神さまが真榊の祝福を放ちました!

地球テラのオーラに映って見えました☆

祝福が高天原に繋がりますよ

これもまた虹の架け橋のようですね☆

ふたつの架け橋が繋がって、準備が出来るかなぁ〜☆

なんとも待ち遠しい時合わせ!!!!


この世の時間が神世に開く♪♪♪

時合わせの時告げ!!!

心鏡に神世が映る時の明け!

心純真な誰もが、自らの神を観る鏡を、鑑る時が開く…



タモのリサーチ(7/12−1)
今日も佳き日

笑顔のすべてが輝きます

虹の架け橋を繋げましょうね☆彡

たくさんの佳きコトが繋がって、虹の架け橋が繋がって、
素晴らしい笑顔が繋がって…

みぃ〜んな繋がってヒトツの光☆☆☆☆☆

今日のヒトヒの精一杯を、生きて愛して生ききります〜
(以上)


みなさんは、虹を見たでしょうか?







さて・・・・・・
今日は夕方6時くらいから、ヌーランドという大田区の京急・雑色駅にある温泉にへ行ってきました。

なぜか、夕方急に温泉に行きたくなり、ネットで調べました。
いくつか候補が挙がったのですが、とにかくここに行くことしました。

雑色(ぞうしき)の駅を降りて、5,6分でしょうか・・・ありました。
で、少しびっくりしたのですが・・・
その温泉の前に、私が以前通っていた教会と同じ宗派(要するにルーテル)の教会がありました(驚)。

私が通っていた教会より立派で(隣の芝生は・・・)、幼稚園まで付属していました。

「ああ、きっと、ルーテルとは何か縁があるんだな・・・」と思ったりしましたが、今は、まったく出入りもしていませんし、もう5年以上も通っていませんが。

とは言え、もしルーテル教会に呼ばれて、何かの講演でもすることがあったりしたら、喜んで行きますが。


温泉は、どこかとてもよい波動が漂っていて、良いところでした。
子供達(私の子供ではない)もはしゃいでいて・・・それは要するに良い波動が漂っている証拠でもあるでしょうね。

この季節、ほとんど毎日外を歩き回っていますが、それでも、普段の10倍くらいの汗をかきましたので、きっと厄もたくさん外へ出てくれたことでしょう。


温泉に入るということは、ひとつは、体を温め、免疫力が上がる、という効果があります・・・安保さんなどが言っていますね。

2つ目は、大地のエネルギーをもらう、という効果があります。
白峰 聖鵬さんなどが言っていますね。

3つ目は、体に溜まった厄を出す、という効果があります・・・江原啓之さんなどが言っていますね。


もちろん、それ以外にも、そのお湯に含まれている物質による効果・・・これが一番普通ですが・・・もあります。

また、リラックス効果もありますね・・・あまりお湯に使って、むつかしいことを考える人はいないように思います。



なんでも、大田区は、温泉がものすごく多いそうです。
そういう土地のようです。

黒いお湯の風呂に入りましたが、何でも、この辺りは昔海だったので、そういう成分が含まれているとか、どこかのサイトに書いてありました。

もちろん無臭です(笑)。


風呂から出て、上の階の座敷で食事をしましたが、10人連れくらいの、よくテレビでやっているような「大忙しの家族」が来ていました。


やたら声が大きくて太って口の悪いお母さんと、ひげなど生やしていますが、痩せていておとなしいお父さん、20歳を過ぎたくらいの娘さんとその子供(つまり孫)2人、中学生か高校生くらいの男の子と女の子・・・
ほとんど、他のお客さんなどいるのかどうか分からないような感じで、座敷からステージから子供達が遊びまわり、お母さんが、ちょっと汚い言葉で大声で注意をしていましたが(笑)。

ああいうのを見ますと、大家族もいいな、と感じますね。






岡田多母さんの「ラブコールをあなたへ」ですが・・・

(引用)

タモのリサーチ(7/13−1)

マクロウェーブ(自我想念波動・否定的集合想念波)が、
クォンタムウェーブ(宇宙波動・愛と調和に満ちた精妙な波動)に
溶かされていくー

明暗の分離分岐が清浄化に極まるー

エネルギーブロック(心の曇り・負の感情・身体不調和・
思考の汚濁混乱・緊張)が溶かされていく…

クリーンアップがステージアップに繋がって、
クォンタムリープを起こし、スペースフィールドを深めて…
次元上昇、ミロク世が現れる…個人から全体へ現れる!

今日から鏡磨き!

(以上)

というものがあります。

「マクロウェーブ(自我想念波動・否定的集合想念波)」
というのは、バガヴァンさんの

地球の周りには、人類が地球上に誕生してからのすべての思念が帯状になって取り囲んでいます。
それがマインドです。

の帯状になった思念、に近い存在かもしれませんね。

どうでしょうか?


いずれにしても、集合意識とはぜんぜん別の存在として、そういう負の想念の塊、というのが、今まではあったようですね。

それはマインドそのものではないにしても、関係はあるのでしょう。

そして、それはどうも、急速に消えていっている最中のようです。

高次元は急速にミロクの世い近づいていますね。

みなさんは、感じるでしょうか?




で、岡田多母さんでもうひとつ・・・
(引用)


タモのリサーチ(7/10−3)
未来を過去の延長線上にしたてたら…

変わらないじゃん…
変えられないじゃん…

変わらない終わってしまったものを握り絞めたまま、
変わりたいと願うのは何故?
(以上)

ですが・・・
高次元的には、「過去は関係ないから、握り締めていないで、放してしまいなさい・・・」というのは紛れもない真実のようです。

しかし、これまでの3次元では、未来も現在も、過去の積み重ねですし、それは就職・転職などでは、ものすごくっそうですね。
「過去の経験は?」というのが転職では一番大切なことになってしまっています。

うまい具合に、過去を手放せないように仕組まれている、とも感じますし、自分がそう思い込んでいるとも感じますし・・・いずれにしても、過去との完全なる決別ができる状況というのは、それは、社会的には次元が上昇した姿であるし、個人的にもそうなのだろうな、と感じます。


先週の金曜日、初めて、私のように終始笑いながら・・・微笑みながら話す社長さんと出会いました(笑)。

なぜか、私に周りには・・・今の仕事でですが・・・船井幸雄さんが「笑顔、笑顔」と言う割には、笑顔の少ない社長さんと出会うことが多かったのですが、これも、何かが変わった、ということかもしれませんね。

とてもうまく行っている会社の社長さんですが。


みなさんの会社の社長さんは、微笑んでいるでしょうか?







さて・・・・・・
先週入れなかった例のうどん屋さんですが、今日は入れました(嬉)。
本当においしいうどん屋さんです。

で、先週何度来ても、並んでいて、どうしても入れなかったことをお店の人に話しました。
私は「テレビの取材でもあったのかと思いました」と話したところ、
「家の主人はそういうことを、ものすごく嫌うので、一切ないんですよ。」ということでした。

で、そういう話をしましたら、その4,5分後入ってきたお客さんが、「先週は入れなかったけれども、今日は入れてよかった」と同じようなことを、お店の人に話していました(笑)。

とにかく、うどんの感じがぜんぜん他と違うんです。
天ぷらもおいしいですし。

でも、どこにあるのかは、書きません。
ご主人が嫌がっているそうですので(笑)。



 

さて・・・・・・
例のごとく、本が読み終わりましたので、

神聖なるアトランティスエンジェルのスピリチュアル・ヒーリング (単行本)
畑中 真太郎 (著) 出版社: 徳間書店 (2007/04)
を入手しました。

にんげんクラブのお勧めにありましたので、入手したのですが、ほとんどが、一度どこかで触れたことのある内容でしたので、特に目新しいところはないのですが・・・
いろいろ考えるところはあります。











(130ページ辺りの私なりの要約)
「治療する人の意識による力・念力によるヒーリング(サイキック・ヒーリング)では、エネルギー保存の原則により、治療家自身のエネルギーが失われてしまう、著名な治療者が早くなくなってしまうのは、このためです。それに対して、
スピリチャルヒーリングでは、高次元の霊医による治療なのでそういうことはありません。」

(130ページからの引用)
「スピリチャル・ヒーリングの説明の中で、霊医を信用してすべてをゆだね、ただただ祈りを捧げるようにと説明しましたが、、実はこれがとても重要なことです。つまり、自分の力(念力)を使って治療をしようとしたり、感性に従わず、理屈にこだわったり、私利私欲が治療に絡んだりすると、結果的に霊医からのサポートを得られず、スピリチャル・ヒーリングではなくサイキック・ヒーリングになってしまい、治療家自身にダメージが及んでしまうのです。」

(131ページ要約)
「医師の力念力)は非常に強いものだが、それは治療には使わず霊医とのつながりを強くすることにつかうのが良い」


私はこれはその通りのように感じます。

これは、森田健さんの孫さんがらみの調査を読んでいると理解できると思うのですが、どうも、いわゆる超能力というものには、3次元(あるいは4次元か)の力を使うものと、高次元(5次元以上〜7次元までか)の力を使うもの2種類あるようです。

そして、3次元の力を使うものというのは、いくらか強引なところがあり、いくらかエゴの要素も含まれるようです。

それに対して、高次元のエネルギーを使うものは、どうも天人合一、まったくの平等、自他同然の人でないとできない能力のようです。

そして、自他同然とは・・・むつかしいのですが、孫さんの例で言うなら、人が買ってきた肉まんだったかアンマンだっかたを人に分けることよりも、自分で夢中になってすべて食べてしまうことのようです。

むつかしいですね。

「私にもくれ」と言われたら、上げるでしょう。

「くれ」と言わないのは自他同然ではないのかもしれません。

岡田多母さんが、確か「大切なのは、理解することではなく、分かち合うことです」というようなことを書いていたと思います。
きっと「理解する」は、相手の気持ちを慮(おもんばか)る、ということで、それは本来してはいけないことなのかもしれません。
3次元下で、本音が言えない状態がまかり通っているので、慮る必要があるのかもしれません。

「くれ」と言われて、分け与えるのは、「分かち合う」ということなのかもしれません。

私は、バカヴァンさんに倣って、「人を理解する」ことを辞め、「人を変える」ことを止めましたら、急速に人間関係が良くなってきています。

これらのことを、一人でうまく説明している人には今のところ出合っていませんが・・・それでも、分かってはいながら、普通の人はどこが分からないのかを知っている人がいない、ということなのでしょう。


どうも、政木和三さん、岡田多母さん、森田健さん辺りは、分かっているのだと思いますが。

それでも、いろいろな方向から、いろいろな人の書いていることを読み込んでいって・・・
ようやく少し分かるようになってきたように感じます。





今、ニュースを見ましたが、都内のある区では、業者による学力テストの結果により、来年度の学校への予算を変えるということにしたところ、早速、ある学校で不正があった、来年度に業者テストの結果によっての予算の割り当てを実施するのは延期した・・・ということをやっています。

当然ですね。
資本主義が正しいことである、という状況下で、競争原理を取り入れたら、こういうことを普通の人がするのは、それこそ、「資本主義の原則」ですね。

これこそ、正しい資本主義論であり、果たしてそういうことを書いている資本主義の経済論の本があるのかどうかは、私は知りませんが、どうして学校の先生とか、教育委員会とか、高学歴の偉い人が分からないのか、私には想像がつきません。

それでも、変えようとも、理解しようともしませんが。


資本主義の肯定はお金儲けこそ、この世における最も正しいことである、ということの肯定であり、そうであれば、そのためには、いかなる手段でも、講じることは肯定される、というのは、アメリカを見ていれば、だれでもわかることだと思います。

資本主義・競争原理を正しいとしておいて、これらの行為を責める、「どうしてそんなことをするのだ?」というのは、はなはだおかしいことですね。

「こういうことをしなさい」と示唆しているのは、競争原理を取り入れた区であり、資本主義を正しいとしているすべてのものであるわけですので。


まず、根本から原理原則を変えなくてはいけないのでしょう。


で、どうするかと言えば・・・良く分かりませんが、すべての職業の給料を同じにすることかもしれません・・・少しくらい差があっての良いかもしれませんが。
で、ないと、先輩か後輩にお酒をおごることができなくなってしまいますので・・・
つまり、その程度の差のみ、許される、ということなのだと感じます。

国会議員でも、CDショップの店員さんでも、です。

看護婦さんでも、お医者さんでも、です。

もっとも、船井幸雄さんは、少し違うことを言っていますが・・・
どれくらいの差を認めているのかは、分かりません。

きっと、同じ階級で、がんばった人とそうでない人に差をつけなくては・・・ということなのだと思いますが。
ソフトランディングをするためでしょうか・・・。

それはある程度理解でき、しかしそれでも、夕食のおかずの数が一品増える程度、晩酌の徳利が一本増える程度までが、人間としての”差”の限度だと思いますが、みなさんは、どう思うでしょうか?


今、今日の地震のニュースを見ていますが、地元のスーパーが水と食料を無料で配っていますね。
「お客さんが水が欲しいと言っているので、そうしているだけです」と言っています。

自衛隊の隊員達が、水を配給しています。
私には、とても嬉しそうに見えます。
「これこそが、我々の仕事であって、戦地に行って、人殺しの手伝いをするのが、我々の仕事ではない」と言っているのが聞こえてしまいます。


これでは、暴動など起きるはずがありません。
暴動が起きない国民だからこそ、こういうことができるのかもしれません。


そういう国で、業者の学力テストの結果、来年度の学校の予算を決める、だなんてことをやっているのが、一体どういうことなのか、私には分かりません。

そんなにアメリカが好きなら、そういう人達だけでどこかにもうひとつアメリカを作れば良いのに、と思います。
日本をアメリカにするのは、止めてもらいたいですね。

この日の本の国は、そんな人たちのいるところではありません・・・私の意見。

しかし神は、そんな人でも日本にいて良い、と言っているようです。
そう書け、と言われてしまいました。

みなさんは、どう思うでしょうか?



続けてNHKニュースでは、嘘の地震の起きるメカニズムを説明していますが・・・
果たして今回の地震は自然によるものなのか・・・そうであれば、佐々木さん
の言っていることが正しいでしょう。

ベンジャミンのさん
のサイトには、アメリカと言いますか、イシヤの連中が前回の新潟地震を起こしたとして、それにより竹中氏らを脅して・・・とありますが・・・

仮にそれが事実だとして、今回もそうだとするなら、この程度の地震しか起こせないようです。
(しかも、佐々木さんの理論によれば、今日は地震はおきやすい日だったように読めます。)
犠牲者の方は残念ですが。



但し私は、前回の地震も今回の地震も、どうもアメリカやイシヤの力によるものではない、と想像しています。

きっと、佐々木さんの正しい地震の起きるメカニズム理論を使えば、どこで地震がきるのかは、科学的にも予知できるのではないでしょうか?

イシヤも、プレート理論が正しくない、ということは知っているはずですので、佐々木さんと同じような理論を使っているはずです。


その意味で、竹中さんでも、だれでも、仮にプレート理論で地震が起きていると思い込んでいる人を、正しい地震予知技術を使って、「これは私たちが起こしたものだ」とするのはできそうな気がします。

もっとも、地震兵器というのは、当然のように可能なようで、それは白峰 聖鵬さんの本にも書かれています。
科学的にも、風水的にもできるようです。


但し、どうやら、神坂さんなどによれば、現在の日本列島は、バリアに囲まれていますので、どうも、外側から人工の地震というのは、起こせないようです。

その意味で、今回の地震は、イシヤによるものではない・・・そうであれば、前回の地震も違う、
そうであるなら、この地震は、自然によるもの・・・佐々木さんの理論が適応されるものである、と想像します。


みなさんは、どう思うでしょうか?








 

で・・・・・

神聖なるアトランティスエンジェルのスピリチュアル・ヒーリング (単行本)
畑中 真太郎 (著) 出版社: 徳間書店 (2007/04)
には、「体はあなたのものではなく、天からの借り物です」というような内容が書かれており、
「あなたが体の社長だったとしたら、その社員であるそれらの部分に、正しい接し方をしているでしょうか?」というようなことが書かれています。

「体は借りもの」というのは、ポストに入っていた天理教のお誘いのパンフレットですが。












悟りってなあに? (単行本) 中西 研二 (著)出版社: ヴォイス (2005/04)」には、
(要約75ページ)
「あなたはの体はあなたのものではない・・・髪の毛は勝手に伸びますし、消化も勝手にしてくれます。
それでもあなたの体だと言えますか?」
とあります。


私は、社会人になって以来、どう客観的に分析しても(分析はいけない)、ワンマンな上司ばかりと付き合うことになるのですが(笑)・・・

そして、どう分析しても、「私は他人に極端なワンマンな扱いはしていない」と思っていたのですが・・・

どうも、自分やモノに対しては、極端までのワンマンな扱いをしていたかもしれません・・・波動の原則です。

と書いている最中・・・開かないパンの包みを強引に引きちぎろうとしています(反省)・・・・。

そういうことです。



私は、理由はどうでもいいですが、人でないものに対して、ある条件下、非常に悪い扱いを無意識にしているようです。

そして、それは、もちろん、自分の体各位に対してもそうなようです。

どうも自分の体は自分のものと思わずに、自分に忠実ながら、自分とは別のもの(個別の意識を持ったもの)と思って接してあげなくてはいけないようですね。

しかし、理解せず、変えようとせず・・・それでいながら大切にして・・・愛して・・・
愛するとは愛する理由が分からないのに愛しているのが正しい状態(無条件の合いの状態)のようです。

こういう接し方ですね。

何か分かるでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?





で・・・NHKのニュースで、アナウンサーが「一度起きた場所に近い所では、地震は起きないのではないかと思っていたのですが・・・」と言っています。

専門家は断層について、説明をしています。


それだけです。


みなさんは、どう思うでしょうか?







佐々木 洋治さんの日本地震予知協会・雲に聞こうよ、の本日のサイトには以下のようにあります。

(引用)
ビッグトリガー(台風)後、列島に広域地震が続く。16日10:13分の新潟県上中越沖地震(M6.8)を始めに、夕刻には奈良県を震源とする(M4.7)、そして23:18分、京都府沖を震源とする(M6.6)。京都府沖を震源とする地震は、震源に近い処では滋賀県南部の震度1で、遠く北海道でこの地震の最大震度4となり、広く太平洋沿岸に続く。これを活断層論や、弾性反発論ではどう説明するのだろうか。地震体積説でのみ説明の出来る現象である。    -09:12-

(以上)

いかがでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?





 
岡田多母さんの「ラブコールをあなたへ」ですが・・・
昨日のものです。
(引用)


タモのリサーチ(7/16−1)


世界中がネオエナジーのシャワーに包まれて、
今日から明けに入ります

(中略)

祈りを込めて…
サラサコサティサマ オンマニペメフン


思いを込めて…
オンハビラフンカン☆カルハンマーハーラーリー☆彡

祝福を祈り…
アリテアルタ
スラーム
ナーム ヒ
ラーム タ
スワーム


〈愛の言霊〉

        我 一息ごとに
        神の祝福を現さん
        歩みの一足ごとに
        神の祝福を現さん
        この生命(イノチ)に祝福を見出さん
        内に愛あらば
        この世に祝福あらん
        我 歓喜(ヨロコビ)とならん
        我 歓喜とならん


(中略)


 〈平和の祈り〉

        人の世の太平(タイラ)けきこと
        人の和の太平けきこと
        古(イニシエ)の契りとなりて
        弥栄(イヤサカ)を生み出す
        常に太平なるを
        人の生命(イノチ)に見出しゆかば
        天と地の
        宇(ウ)となりゆきたるを見ゆ

(以上)


よくこの岡田多母さんのブログで「みなさん、祈りを一緒にお願いします・・・」とあるのですが、「そうか」と思っても、一体何を祈ればよいのか、分からない時があるのですが(笑)・・・

そんな時、上記を口に出して読んでみようかな、と思っています。


みなさんは、どう思うでしょうか?


 




 

さて・・・・・・
マインドですが・・・

悟りってなあに? (単行本) 中西 研二 (著)出版社: ヴォイス (2005/04)には、以下のような箇所があります。

(引用72ページより)
「マインド」とは、私たちの内側にわき起こるさまざまな考え概念、思考パターン、感情などのことをいいます。「無意識」(潜在意識)の部分もこれに含まれます。











(要約73ページ)
マインドとは、自分にものだと思っているでしょうが、マインドは、個々のものがあるのではなく、たったひつしかないのです。
地球の周りには、人類が地球上に誕生してからのすべての思念が帯状になって取り囲んでいます。
それがマインドです。
みなさんが、考えたり、思ったりしているのは、それをマインドの河から拾ってきているだけで、あなたはそれ自体とは関係ないのです。

イライラした人が通るとみんながイライラする、というのは、そのせいです。

マインドはあなたのものではない。
いろいろな感情はあるが、自分のものではないです。
先祖達も、ずっと同じ感情を使っています。


あなたの考えは、あなたのものではない。
あなたの考えなどなく、大昔から全人類が作ってきた想念の河から持ってきたものにすぎません。
ある湖の近くに行くと死にたいという想念が沸いてくる場所がありました。そこで身投げしたカップルがいたのです。
あなたの考えなどありません。

(以上)


「イライラした人が通るとみんながイライラする」
などを読みますと、波動の原則と非常に似た部分もあり、現象面だけ捉えると、波動によるものなのか、マインドによるものなのか分からないもののありますね。

そして、「潜在意識」まで含まれる、とありますが、こうなってくると、人の感情、思考は全てマインドであり、信じられるものは、”感じること”のみ・・・ということになってしまうように思えますが・・・それはまんざら間違えてもいないのかもしれません。

そうですね・・・
「あなたの考えは、あなたのものではない」とありますので、「脳」を使ったものは、すべて「私」のものではない、のかもしれません。


またこうもあります。

 



(引用76ページ)
自分自身というのは、概念にすぎません
私たちは常に自分を変えようと思い、罪悪感を持ち、反省したりします。けれども、変えられるものなんてありません。
そこにはあなたはないからです。
常に違う人格が現れるだけです。学生運動のリーダーとしての人格だったり、父親としての人格だったり、夫としての、経営者としての人格が現れているだけです。
(中略)
確固とした「実態」があるわけではないのです。自分自身というのは概念にすぎません。


(以上)

・・・森田健さんがよく、「人は何にでもなれる」という言葉を書きますが、どことなく、同じようなことを言っているようにも感じます。
(一応・・・同じような途中経過の結論に達した、という意味です)

本当に、何度も書きますが・・・星新一さんのショートもので、「門のある家」というのがありますが・・・これが小学生だったか、中学生だったか・・・高校生だったか、大学生だったかの私には非常に心に残っているのですが・・・

(ジョンレノンがアルバム「ロックンロール」の最後の「ビコーズ」で、”この曲を初めて聴いたのは、子供のときだったか・・・それとも、もっと後かもしれない・・・”と語りを入れている意味が、最近分かるようになりました。
忘れたのではなく、本当に過去が一塊になっているような感覚になってくるのですね・・・反復するほど心に残っているもののいくつかは)

それは、門の在るある家にふと入った主人公が、どういうわけか・・・理由もなくただそうだから、その家の主人になり、夫婦生活を送ったり、訪ねてきた、どうしようもない親戚にお金を与えたりするのです。
そして、その家で主人として、自然に何週間か暮らします。

しかし、確か・・・奥さんなどは「出かけてきます」と出て行ってしまい・・・その人は戻ってこないのですが、ちゃんと別の女性が家に入ってきて、奥さんとして何不自然なところなく振る舞い、名前も同じで・・・それで生活が成り立っていく・・・

主人公も、ある日家を出て行きます・・・
「あれは、なんだったのだろう?」と思いながら、ある日、もう一度その家に入っていくのですが・・・今度は、ぜんぜん別の役割を与えられている・・・

というものです。

今までは、これは、「そういう役割、役職になれば、人はそういう働きをするものだ、ということのたとえ」と思っていましたが、そうではなく、人は何にでも、なろうと思えばなれる、ということのたとえのように感じてきました。

「自分自身は概念にすぎない」、とはこういうことなのでしょうか?

ただ、少し違うのではないかと感じています。

こういうことではなく、もっと全体的な・・・やはり「私はすべて」・「全ては私」のようなことでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?



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