理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

 

 

314:写真はなし
   
   

さて・・・・・・
NHKで柳生宗矩(むねのり)さんについてやっていましたね。
私は、ピンポイントでは知っていることもありますが、基本的には歴史とか、そういうのに”うとい”のですが、この人は要するに柳生担馬守なんですね。
父は、石船斎宗巌 (せきしゅうさいむねよし)で、子供は三厳(十兵衛)である、ということです。


ネットを調べますと、漫画や小説などに書かれるときには、悪役として描かれることが多いそうです。

となりますと副島隆彦さんによれば、どうも、第二次世界大戦の時の軍人さんなどで、小説等では善人として描かれている人などは、どうもいろいろな意図があり本当はそうではないこともあるようですので、逆に良い人なのではないだろうか?と感じたりします(笑)。

善人とか良い人という表現は、正確ではないですが、まあ・・・卑怯な人ではないだろう、ということでしょうか。

「国家の品格」の藤原正彦さんがテレビに出ていましたね。
で、「人殺しをしてはいけない、ということを指摘するのではなく、卑怯なことをしてはいけない、ということを言うべきです」というような感じのことを言っていましたが・・・。

で・・・剣の指南役として弟子を各大名の下へ送ったが、それは監視役であり・・・等々やっていましたが、そこら辺は見方によっては、悪者とも取られたりするのかもしれませんが・・・要するに見方次第ということでしょうね。

で、そういったことにはあまり興味が沸きませんでしたが・・・
なんでも、沢庵和尚さんと交流があったようです。

ここら辺は、詳しい人には常識なんでしょうが。

で、テレビによれば、あるとき沢庵和尚さんが、「剣を使わないで、沢山の相手を一度に倒す方法がある」というようなことを言ったそうです。
で、柳生宗矩さんが、「どういうことでしょうか?」と聞いたところ、
「一々、一人一人の攻撃、言ってくることに心を動かしてはいけない。心を動かさず、その向こう側にある大局を見るようにすれば良い・・・」というような答えをしたようですが・・・
ちょっと違うかもしれませんが。

この言葉は、基本として正しいのだと感じましたが、帝王学としては、民主主義の下では、むつかしいですね。
王制でならそうではないですが。
で、2つの面でむつかしいと思いますが・・・

ひとつは、未熟な心を持っている人が最高権力者になることもある民主主義下では、これをやられたら、単なる独裁体制を導くことになりますね。

もうひとつは、仮に、非の打ち所のない人が最高権力者になった場合、民主主義下では、その人の政策により損益を受ける勢力による策略で民意を操作する方法によって、その政策を邪魔する、ということが可能ですね。


こういうことを考えますと、ある勢力の作った民主主義というシステムは実にうまく、国を滅ぼすのに適当な形をとっていると感じます。

最近、マリー・アントワネットの映画が公開されるようですが・・・
「パンがないならケーキを食べれば・・・」というせりふとともに、CMを打っていますね。

さて、このある勢力は王制が一番素晴らしい国家制度であることを分かっていて、それを廃止させることにより、人民を操作しやすいようにという考えの元、それを実行し、民主主義・・・嘘の自由、博愛、平等による政治制度・・・を広めて今があるようなのですが・・・
この映画は、ひょっとしたら、「王制とはかくもひどい制度です」という嘘を改めて広める意図があるのかもしれませんね。

特に日本を、どうしてもアメリカと同じにしたい、というような意図を持っている勢力があるようですので、要注意ですね。

だって、この時期にマリー・アントワネットというのは、いかにも・・・いかにもですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?



で・・・
柳生宗矩さんの言葉として面白いことを放送していましたが・・・
「こういうようにしよう、という心を持つことは、心の病であり、しかしそれを治そうとこだわることもまた心の病である。自然体でいるのが良い」
というような感じだったと思いますが(笑)・・・。


ネットで調べますと、
「平常心をもって一切の事をなす人、これを名人というなり」
というものもあります。

「剣の極意は何事にもとらわれない平常心を持つことである」
というようなものもありますが・・・


柳生と言いますと、どうしても剣術ということに焦点が絞られることが多いですので、その後の引用としては、上のようにどうしても、「剣の極意とは・・・」的に表現されてしまうでしょうし、あるいは、短い言葉にしようとして、「平常心」ですとか「自然体」という言葉だけ独り歩きしてしまうような表現をされることも多いかと思います。

で、そういった言葉は、普通に生きていると、普通に耳にはするのですが、私などは「どういうことだ?」と思いましたし、教えとしてそういった言葉をいう人たちも、実際は意味を分かっていない人が多いようで、うまく伝わっていないようですね。


その意味では、
「こういうようにしよう、という心を持つことは、心の病であり、しかしそれを治そうとこだわることもまた心の病である。自然体でいるのが良い」
という言い方は、少しだけですが、意味が分かってきたように感じます(笑)。

これは、森田健さんの言う「ハンドルを手放せ」にきっと相当近い意味なのでしょう。
惰性に任せる、ということですね。

要するに・・・
どうしてもこっちだ、と硬い心・・・ハンドルを握る・・・をせず、
ハンドルを握ってしまっているからと言って、それならそれで、それを矯正しようともせず、
惰性・・・瞬間、瞬間の判断でしょうか・・・に任せる、

というような意味ないでしょうか。

それをして、どうも、自然体、平常心と言っているように感じます。

そして、私の目からこれを感じますと、やはり、
「平常心をもって一切の事をなす人、これを名人というなり」
「剣の極意は何事にもとらわれない平常心を持つことである」
のような言葉で、上の意味を人に伝えるのは無理だと感じます。

私というのは、要するに、昭和40年代に小学校教育を受け・・・と言った世代のことですが。
おそらく、インディゴ・チルドレンでない限りは、今の子供たちなどには、もっとむつかしいでしょうね。

なぜなら・・・おそらく根底にある「自然・・・太陽、月、地球・・・に対する信仰心」というものが、どんどん薄いものになっていっているからでしょう。

どういうことかと言えば、おそらく「平常心」、「自然体」という言葉で表される意味が、当時と現在では相当違っている、ということなのですが。


それはつまり・・・個人の価値観は別として、常識での価値観が2極に固定される度合いがどんどん強くなっている、ということでしょうか。

いわゆる「勝ち組」、「負け組み」でもよいのですが、ものの最終判断が短期的に、しかもビットレートを無視した超デジタル的に人為操作されていますので、ハンドルを手放すわけにはいかないのでしょう。


この常識的価値観とは、もっぱら資本主義と大きく関わっている社会の部分での常識、ということではありますが。

日月神示には、「学と神の力との大戦ぞ・・・」とありますが、日月”土”神示・・・「日月地神示―黄金人類と日本の天命
白峰 聖鵬 (著)  明窓出版 (2005/11) を読みますと、この”学”とは、要するに人間の作ったもの、という意味のように読めます。


しかし、そうとは言え、日月神示には「学も大事」とも書かれています。

考えますに・・・
考えますに、とは、つまり、感じて考え(言葉にし)、その言葉をまた感じて、考え・・・ということですが・・・

ひょっとしたら、今のままの状態で、ただひとつ、「太陽、月、地球への信仰心」を加えれば、相当大きな変化が訪れるのかもしれませんね。

「太陽、月、地球への信仰」が正に神の道に近いものであれば、それを、根底に置き、その上で人の作ったものと共生していく・・・

そして、ビットレートを極端に無視した2極化ですが・・・”極端に無視”の一番大きな要素こそ、「太陽、月、地球に対しての信仰心」ということかもしれません。

たとえて言うなら、
「勝ち組、負け組みと言っています。勝てばお金持ちにもなれますし、みなさんの言う好きなこと、みなさんのいう自由得られます。
負ければ、みなさんの言うように、まるで生きていく価値のないような人生かもしれません。
しかし、みなさんの言っていることに大きな矛盾があります。
どうしてみなさんの価値観で負けたとなる人にも朝になると太陽の光が注ぐのでしょうか?
どうしても夜月が出てくるのでしょうか?
どうして地球は水や空気や土壌を提供してくれるのでしょうか?
この意味でみなさんのおっしゃる2極化は、ビットレートを無視したデジタル化だと感じます。
もし、太陽も月も地球も、勝ちと引き換えなら、まったくいらないと言うのなら、みなさんのおっしゃる2極化はきっと正しいでしょうが、それで良いでしょうか?
ハワイへに住みたいのですか?なるほど、太陽のないハワイでしょうか?海のないハワイでしょうか?
アメリカに住みたいのですか?なるほど、空気もない水もない状態でも良いのですか?
セレブになりたいのですか?なるほど、外に出るといつでも真っ暗で高級レストランへ行っても、人工食料しか出てこない状態でも良いでしょうか?」
ということでしょうか?

で・・・「太陽、月、地球に対する信仰心」を根底に置いて、人間の作った”学”を思えば・・・
「私たちはいくら3次元で勝っても、男性は妊娠できません。女性は精子を自分の体で作れません。カシミヤの生地が良いとは言え、羊がいないとできません。羊を0から人間は作れません。トロがおいしいと言っても、人間はマグロを0から作れません。
要するに、太陽と月と地球があるから学がはじめて役に立つのです」
となるでしょうか。


で、何が言いたいか、と言えば、「太陽、月、地球に対しての信仰心」がない状態で、「平常心」、「自然体」という言葉を言っても、本来の意味など通じないのではないか、ということですね(長くてすみません)。


同じように、「太陽、月、地球に対しての信仰心」がない状態で、「ハンドルを手放せ」と言っても、手放せるわけがない、ということのように感じます。

なるほど・・・と自分で思いますが、これをして森田健さんの言うところの、「時空を信頼する」が「ハンドルを手放す」に通じるのでしょうか。

同様、愛、愛とはいうが、それは個人への愛、人間への愛、という狭い意味ではなく、「時空への愛」だ、ということへも通じるのでしょう。


その意味において、「時空への愛」とは、「太陽、月、地球への信仰心」と同じような意味なのでしょう。


「あ、なるほどな」と思いますが・・・
みなさんは、どう思うでしょうか?





ちなみに、沢庵和尚さんを調べましたら、遺言で、
「自分の葬式はするな。香典は一切もらうな。死骸は夜密かに担ぎ出し後山に埋めて二度と参るな。墓をつくるな。朝廷から禅師号を受けるな。位牌をつくるな。法事をするな。年譜を誌すな」
というようなことを言っているそうです。

これは、白州次郎さんの遺言とそっくりですね。
確か、「葬式不要、戒名不要・・・・」のようなものだったかと思いますが。

裏覚えですが、山岡鉄舟さんかだれかも同じようなこ遺言を残していたように思いましたが・・・調べても出てきませんので、思い違いでしょうか?

 

 



さて・・・「日月地神示―黄金人類と日本の天命 白峰 聖鵬 (著)  明窓出版 (2005/11) 」ですが・・・
187ページ辺りには、日本人はみんな天皇の血を引いている・・・というような内容が書かれています。
日本は島国であり、三千年来、異民族の大量渡来もない、ずっと鎖国であったし・・・
で、一人の人間が存在するには、2人の人間、父と母が必要ですが、さかのぼって行きますと、二代前で4人、10代前で千人台、20代前で百万人台、30代前で10億になる計算のようです。
そして、125代前の神武天皇の時から日本の国土に生きてきた人の数は、たった4〜5億人と推測されるそうです。

超単純に計算して・・・人生50年で25才で子供が生まれて・・・として、275年で10代というような計算をしますと・・・3000年だと275で割って約11として、11×10代で、110代なわけですが・・・人生50年が長すぎるとしても、30代で10億人ですので、はじめの日本人が天皇ですので、間違いなく日本人は全員、天皇の血を引いているでしょうね。

ちなみに、平氏は五十代桓武天皇、源氏は五十六代清和天皇が祖先がそうです。


188ページには、このようなことが書いてありますが・・・
(引用)
『「朕思うに」で始まる勅語は、命令ではなくすべて「みことのり」で、「私はかく思うが、国民のみな様はどう思いますか」と問いかけられておられるのです。この一事でも、天皇は外国の独裁的な皇帝とも、キング、ツァーとも
まったく違う、日本最高の神官であることが分かります。』
(以上)

そして、その後には、天皇のお仕事として、「神事を先にし、他事を後にす」(第八十四代順徳天皇の「禁秘抄(きんぴしょう)に書かれている)、「日本の伝統と文化を守り、これを後代に誤りなく伝えること」と書いています。


次ですが・・・
191ページあたりから、大和心について書かれていますが・・・

天照大神は女性神であるのですね・・・知りませんでした。
確かにアマという響きには女性を連想させるものがありますが。

で・・・日本人の精神にある大和心(和魂:にぎたま)は、恵まれた平和安定の風土から自然に生まれたものであり、縄文時代より神ながらの日本人の心であり続けたものであるようです。
この心は、対立抗争を嫌う和の心であり、日本を「大和の国」と読んできたのは、和を最も大切な国家社会形成の基本と考えたから、と書かれています。

ほとんど引用に近くなってしまいますが・・・
(引用192ページ)
『大和心は平和的で変化を好まない、日常性でありたいと願う女性の心でもあります。日本の親神様である天照大御神を拝むのも、大和心の自然の発露です。
この女性的な大和の国の平和が、外力によって乱される場合には、男性は決然と立ってこれを守ろうとします。その心を「大和魂」といいます。これを和魂(にぎたま)に対して「荒魂(あらたま)」ともいいます。・・・』
(以上)

そして、戦前の教育を受けた日本人は、武士道精神、侍の魂を持っていたが、GHQによって骨抜きにされてしまい残念です・・・というようなことが書かれています。

やはり、読んでみますと、日本は基本的には、男でも女でも、「女性心」を持っている人間の国のように感じますね。

そして、東洋は基本的には、強弱はあるにせよ、その傾向の国なのではないでしょうか?

それに対して西洋・・・たとえばアメリカなどは「男心」の国、と言えるかもしれませんね。
そして、西洋は基本的には、強弱はあるにせよ、男心の国の集まりと言えるかもしれません。

女心とは上記にあるように、大和心であり、それは「大和心は平和的で変化を好まない、日常性でありたいと願う女性の心」であるなら、男心とは、180ページにアメリカについての記述がありますが、それを参考にすれば、「高い理想を掲げ、理想を実現する。」というものであるかもしれません。



同様、日月神示を考えてみるなら、「神の道」主義を東洋とするなら、「学」主義が西洋であるかもしれません。

200ページには、(引用)
『宗教というものは、心のあり方を説き、科学とは、人類の可能性に訴えかけるものでありますが、この宗教と科学というのもは、本来は一つのものであったはずなのです。
もともとは生命原理、生命哲学という観点から、心のあり方を説いたのが宗教であり、そしてそれを法則性の上で物質化させ、人類に応用できる学問というものを科学としてわけです。』
(以上)

もともとひとつであったのなら、科学と宗教が合一しているものが、「神の道」かもしれません。
つまり「心と人類の可能性」の合一です。

そして、「学」とは、科学に代表されるように、「科学と宗教が合一したもの」から「心のあり方・生命原理、生命哲学」を取り去ってしまったもの、なのかもしれません。

その意味では、本当の意味でのロケット技術などが日本のものである、ということは、「宗教と科学」が合一した姿、あるいはそれに近いものが日本にあるからそうなっている、とも考えられるでしょうか。

要するに、「科学」だけでは、突き詰めていくと、大きな発明はできない、ということなのでしょう。

良く、マスコミで、日本は優秀な科学者をないがしろにするので、みんな給料が高く、自由に研究を行わせてくれるアメリカの大学などで行ってしまう、と言われています。

そして、あたかもアメリカに行くのがトレンドのように報道されています。

実際、アメリカの方が給料も高いですし、研究も自由にやらせてくれることでしょう。

それでも、基本的には、アメリカに優秀な人材が集まるように意図されている部分もあるように感じます。
高い給料を出せる、ということは、世界規模で見れば、どこかからお金をぶんどってきている、というわけですので、法外に高い賃金というのは、本来どこか間違っているものであるでしょうから。



で、そう考えていきますと、アセンションの持つ一つの側面として、西洋の時代から東洋の時代へ移り変わる、という部分があるとするのなら、この対比は何かを意味するかもしれませんね。

で・・・これまでのところで、それらを対象化し、アセンション後の姿を考えてみるなら、次のような想像ができるかもしれません。

日本(東洋)

←アセンション後の姿→

西洋

人間のタイプ

大和心・女心・和魂(にぎたま)
平和的で変化を好まない
日常性でありたいと願う女性の心
※但し、外敵から身内を守る「荒魂(あらたま)」の心もある

男でもない、女でもない、男であって女であり、女であって男である、すなわち「観音様」。
中性的な人たち。
そういう人たちがエネルギーを媒介して、神と人とを統一して、ニュータイプとして生き延びる。

男心
高い理想を掲げ、理想を実現しようとする心
フロンティア・スピリット

森羅万象の捉え方

森羅万象を、生命原理・生命哲学という観点から(心のあり方)考え、そしてそれを法則性の上で物質化させ、人類に応用できるように考える

太陽・月・地球への信仰を土台とし、3次元的物質的現象のみでなく、「観音力(間脳・感応・観音)」まで踏み込んだ始点で森羅万象を捉え、その上で、生命原理・生命哲学(心のあり方)を考え、人類に応用できるようにする

森羅万象を3次元的な目で見える部分でだけ捉え、それを法則性の上で物質化させ、人類に応用することのみを目指す


いかがでしょうか?

こういう表にしてみますと、ウーマン・リブ運動がだれかの意図であったとしても、アメリカには根ざしても、日本には根ざしにくい、ということも直感的に分かるように感じます。

また、日本が国際会議などで本音が言いにくい、というのも納得がいきます。


長所もそうでしょうが、欠点というのは、実は欠点ではなく、単に時流にそっていない特性ということ以外の何者でもないのかもしれませんね。


みなさんは、どう思うでしょうか?





で、少し話を変えますが・・・
にんげんクラブのサイト、パーフェクトヘルスから、トータルビューティへ。Part.2  の中で、「マハリシ・アーユルヴェーダ専門医療機関」を設立され、15年にわたり治療に携わっておられるマハリシ南青山プライムクリニック理事長医学博士 蓮村誠(はすむら まこと)先生の話として、次のようなことが書いてあります。

(引用)
『食事によって私たちのこころはつくられていく。
何をどう食べているかで、人のこころは変ってくる。
静かな環境で食事をする人と、ざわざわした中で、毎日のようにサンドイッチとコーヒーを食べる人とでは、こころは変ってつくられていく。
特に子どもにとって食事は、とても大事。
身体だけでなく、こころの成長もつくっていくものが、食事。
きちっとしたものを、食べさせないといけない。
どんなに豪華なものより、高価なものより、子供にとっては、母親のつくったものが、一番。
母親がつくったものに勝るものは、ないと、重ねてアドバイスされました。
(これは、波動の考えからも言えることなのではないでしょうか)』
(以上)

どんなに豪華なものより、高価なものより、子供にとっては、母親のつくったものが、一番。
母親がつくったものに勝るものは、ないと、重ねてアドバイスされました。


ここだけでよいのかもしれませんが(笑)・・・
私と同じ事を言っている人をまた一人見つけました(嬉)。

もし、みなさんが、そう思えないとしたら、多くの場合、子供のときそう感じた記憶がなくなっているだけだと思います。
何歳くらいからの記憶が、みなさんにはあるでしょうか?




さて・・・・・・
昨日NHKのニュースで、:佐々木洋治さん地震予知協会に掲載されている島村教授の裁判についてのニュースがやっていましたね。

私は船井幸雄さんが支持する人の支持することを信じますので、冤罪であることを信じています。
それよりもなによりも、本当の地震のシステムが明らかになった方が良いに決まっていますので、こういう方が闇に葬り去られては困ります、ということですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?

で・・・どうもいろいろな人の言っていることを総合して考えますと、正しいことを言っていて、しかも、相当影響力があり、それでもってその状態がある特定の勢力にとって望まないことである場合、その勢力は・・・
どうもまずその人をテレビ的に有名にして、認知度が芸能人並に高まったところで、今度は、いろいろな方法でスキャンダル報道を流して、「本当は悪い人だ」という嘘を流して、二度とその考えが表に出ないようにする・・・
という感じのようですが、どうなのでしょうか?

一度、テレビで芸能人並に有名にする、というのは、有名であればあるほど、嘘の報道を流した時にも、その嘘の認知度が広まりやすい、ということなのでしょうね。

そして、それは雑誌、インターネット、レベルではなく、テレビレベルで有名なくらい有名でないといけないようですが。

その意味では、テレビに出る、ということは、もうその時点で、相手方がマスコミを牛耳っていますので、本当のことは言えなくなった、ということに等しいかもしれないですね。

ですので、優秀な人ほどテレビには出ない方が良いですし、出ている人というのは、やはり本当のことは言っていないのでしょうね。

みなさんは、どう思うでしょうか?



さて・・・先日書きました沢庵和尚さんですが・・・京急の新番場の駅の近くに、沢庵和尚さんが創建した東海寺というのがありますが、彼のお墓もそこにあるようです。

ここらあたりは縁がありよく行くのですが・・・先日EMWを購入したトーモンハウスも、このお寺の前が通り道ですし、前の会社もこの近く、私の好きな良く行く品川神社に至っては、Wikipediaによれば、この寺の鎮守として創建されたようです。
しかし、別のサイトでは、品川神社は、「1187年、源頼朝が建立したといわれている。」とも書かれていますので、どうなのかはよく分かりません。

私はたくあん漬けは好きですが(笑)、スーパーで売っているものは、着色料を使っていたりするものが多いようで、いつも、成分表を見ては、買わないでいます(笑)。
漬物は、母の作ったものと、幼少の頃、千葉の行商のおばさんが毎朝背負って売りに来てくれていたものがおいしい、という記憶がありますが、みなさんは、どうでしょうか?

ところで、私は本気で、味噌汁、ご飯、お新香または梅干、という献立で味的には困らないのですが、この食事は健康にはどうなのでしょうね(笑)?

健康に良いのなら、これを一生続けようかとも思いますが(どうかな?)、そのうち調べてみます(笑)。

書きたいので書きますと、きゅうりの古漬け、たくわん、白菜のお新香、梅干、この4つは本当においしいですね(笑)。
のざわなとか高菜(たなかではない)は、次点ですが、おしいいですね。

お新香をほめると、何か良いことがあるでしょうか(笑)?




 



さて・・・「日月地神示―黄金人類と日本の天命 白峰 聖鵬 (著)  明窓出版 (2005/11) 」ですが・・・181ページ、121ページ、124ページ辺りにも興味深いことが書かれています。

181ページには、ヒトラーは本当はヨーロッパを征服しようとしていたのではなく、シャンバラ(地底人の世界)やアトランティスの文献を探し出して、太陽系にそういう文明を蘇らせようとしていたのです、というようなことが書かれています。

そして、その残党がNASAであり、ドイツの意思を残す宇宙開発の最たる組織であり、アメリカにあるけれども、アメリカの政府機関ではなく・・・スポンサーは内緒だそうですが・・・そのうち日本に着たがっている、ということも書かれています。

時々ですが・・・ナチスの表に出ている話はひょっとしたら嘘なのではないか???という話を読んだり聞いたりしますね・・・。
事実はどうかは分かりませんが。

シャンバラ、アトランティスを蘇らせられたりしたら、困ってしまう勢力というのは、間違いなくいるようです。

最近教科書に書いてある歴史は信用できなくなってはいますが・・・
そうだ、と知らされていることが事実なら、間違いなく、いけないことではありますが。
みなさんはどう思うでしょうか?


私の世代の教科書には、東条、ヒトラー、ムッソリーニは極悪人である・・・としか読めないことが書いてあったように思いますが、分かる限りでは、東条さんに関しては、ぜんぜん極悪人ではないようです。

少なくとも終戦間際、20代の政木和三さんがねばりにねばって面会を求めた時、会って話を聞いてくれて、そして予算まで付けてくれたようですので、話の分からない人ではないと思っていますが・・・。

みなさんは、どう思うでしょうか?



120ページ辺りですが・・・
日本が地球人のルーツ・・・つまり一番古い人間のようですが、私は常識にはうといのですが、イギリスであるとか、中国であるとか言われているでしょうか?
で・・・「中国五千年と言われているけれども、そんなに古い国ではない」ということで・・・
秦の始皇帝が富士山の不死の薬を求めた、あるいは日本に人を派遣したということだそうですが、それは要するに古文献に日本のことが書いてあった、ということですね・・・とあります。

確かにそうですね。
もっとも、歴史学者の方々が、超能力を認めて、「アーカシックレコードを通じたり、テレパシーで日本という国の存在を知った」という説をまじめに説いてくれるなら、きっと議論の余地はあるのでしょうが。

みなさんは、どう思うでしょうか?



121ページには、天皇による万世一系という制度は銀河系の運行リズムそのものである、と書かれています。

十六弁の菊花紋は太陽系の星の運行システムを表し、それは菊の中心も入れて十七弁だそうです。
一が北極星、十七が北斗七星で、星の運行を象徴している、ということです。


そして、その紋を使い、太陽をシンボライズした国旗を揚げている日本は、何民族かと言えば・・・プリアデスから来ました、オリオンから来ました、という人々がいますが、我々は「太陽民族」である、ということです。

気のせいでしょうか、それとも、私がまだ目にしていないだけかもしれませんが、外国人のチャネラーの方々のものには、プレアデスという言葉をよく聞きますが、日本人で神示を受けている方からの直接の言葉でプレアデスという言葉はあまり聴かないようにも思います。

確かに、先日の江本勝さんの講演などでは、最後に谷村新司さんの「昴」が歌われたりしていましたが・・・。

岡田多母さんの本にプレアデスという言葉はあったでしょうか・・・
あったようななかったような・・・ですが。

どうも、プレアデス(昴)には大きな意味があるのは確かでしょうが、日本人はいくらか・・・ほんの少しだけほかの国とは様子と言いますか役目が違っていて、太陽、月、地球を考えた方が良いのかもしれません。

みなさんは、どう思うでしょうか?


124ページには・・・
911が、数霊的に何か起きやすい日である、という話が書かれている、と以前書きましたが、日本の新潟地震は10月23日・・・旧暦の9月11日に起きていると書かれています。




で・・・124ページから「太陽系とシリウス」というタイトルが始まります。

それによりますと、日本にフォッサマグマという構造線があるように太陽系にもあるようで、それはシリウスの構造線のことだそうです。

シリウスは太陽の250万倍のエネルギーを持っているようで、電子レンジのように太陽と共鳴現象を起こし、太陽フレアを表出しているのだそうです。

現在太陽の黒点活動が十一年周期を過ぎても活発になっているのは、その陰でシリウスが目に見ないマイクロ波で太陽の活動を助長しているからのようです。
(新太陽がシリウスと言われる理由はここにある、ということです)

地球上から一番輝いて見えるのがシリウスだそうです(無知ですみません)。
次が金星、で、シリウスは地球から7,8光年しか(近いのかどうか分かりませんが)離れていないんだそうです。

そのシリウスが太陽の250万倍のエネルギーを持っていて、太陽系そのものが変わってしまうぐらいの力を持っているそうです。

科学者は、当然と言うべきか、それともいつまで経ってもそのせいで、同じところをぐるぐるしていなくてはならないと言うべきか、私には分かりませんが、科学的データがないので、上記のようなことは宗教的真実であっても信用しないそうです。

私も見ましたが、「テレビタックル」で、岡田光興さんという方が出演してフォトンベルトのことをやっていたのですが・・・外国のフェルミ研究所でフォトンの研究をしていると言ったら、大槻教授が、フェルミ研究所にそんなものはない、と言っていたのですが、実際、そういうセクションはないそうです。

日本ではフォトンについて研究している天文学者、物理学者は一人もいないようです。
研究するなら管轄が軍事的なものになり、科学技術庁ではないようです。
アメリカのペンタゴンといった機関に全部管理されているそうです。

とはいえ、外国人で、日本の機関を使って研究している人はいるそうです。
日本では、私(白峰さん)だけだと書いてあります。

これは、日本は一切、太陽系、宇宙に関することに口を出してはいけないことになっているのだそうです。

天体望遠鏡で見て、データを調べるのは良いのだそうです。
情報提供も求められるそうです。

しかし、部分の研究はできても、全体のことは分からないのだそうです。


それは制空権が日本にはないからで、ロケットひとつもまともに飛ばせない、ということです。


で・・・
太陽系構造線ですが・・・
これはシリウスと太陽系、シリウスから太陽を包み込む、大きな円が太陽系構造線だ、ということです。


銀河は半物質宇宙であり、太陽系は物質宇宙・・・極やエネルギーがぜんぜん違うということです。
要するに、シリウスからこっち・・・地球側が物質宇宙、つまり3次元の世界ですね。
そして、向こう側がいわゆる5次元以上の半物質の世界と同じ、ということです。

中間にあるシリウスは、両極性のエネルギーの星だそうです。



エネルギーは太陽の250万倍、そしてものすごく重いのだそうですが、物質ではない、ということです。
重いのに物質ではない、というのは、私だって分かりませんが(笑)、要するに学校で教わった科学の範疇ではない、ということであり、3次元の世界、つまり五感で分かるものではない、ということですね。

太陽ですが・・・
太陽はそんなに重くないのだそうです。

これは、深野一幸さんの本にも出てきますね。

燃えているコロナのせいで、大きく見えるが、実際は600分の1くらいだそうです。

地球上で熱光線が大気に触れることで熱を発生して、海水を通し反射することにより、あのように見えるのだそうです。

宇宙空間も同じ原理だそうで、地球の海の水が全部なくなったら、星は見えないようです。



私のように天体音痴の方のために書いておきますが(要するに自分のため)、太陽系が地球側、です。
で・・・

何万年も前に星から出た光を今見ている・・・瞬間を見ているわけなのですが・・・キリン座で太陽の一兆倍のエネルギーを持つ新星ができたりしているようなのですが、この光が届く間に地球に何も影響がない、というのはおかしいですよね・・・と書かれています。

それは、外銀河で起きる超新星の爆発やブラックホールなどの宇宙現象は、極性の違う太陽系にはあまり影響を与えない、ということだそうです。



で・・・銀河系にはプレアデスの黄金の渦がかかっているようですが、太陽系の軸は極性が違うのであまり影響は受けないようです。
逆に影響を受けるのは、同じ質のエネルギーを持つ外銀河の太陽系のようです。

そして、地球に必要なのは、シリウスの渦だそうです。
精神世界では、プレアデスの人が来て、人間の遺伝子操作をしている、などいろいろな説がありますが、今回、シリウス星人が、地球を助けるのではなく、
(引用:129ページ)
『シリウスの太陽の250万倍のエネルギーが構造線に影響を与えて、太陽系そのものを変えていくということです。今回はエネルギーなのです。』
(以上)
ということです。


で・・・フォトンエネルギー、プレアデスの黄金銀河エネルギーの渦よりも、太陽太陽触フレアの方が強く、太陽エネルギーがなぜ強くなったかとなると、フォトンの影響だと思っている人が多いようですが、実際はシリウスが活発化し、太陽系にエネルギーを送っているからだそうです。

(引用:130ページ)
『目に見えないマイクロ波よりも細かい電磁波が、太陽のフレアを起こして、それが地球に影響を与えているのです。そのエネルギーを日と月が受けて、地球に大変革を与えます。』
(以上)
ということです。


いくらか飛ばしますが・・・

131ページには(引用)
『今回のフォトンのアセンション、次元上昇については、いろんな言葉で語られていますが、ずばり、太陽と月の変化による地球の大改革なのです。』
(以上)
ということです。



日本の”国体”構造線・・・「君が代」、ということで、興味深いことが書かれていますが・・・
日本の国体構造線は、「君が代」=「岐美が世」である、ということのようです。

「岐」と「美」とはつまり、イザナギ(岐)、イザナミ(美)で、日本の神様はイザナギ、イザナミである、ということです。
これが仲悪くなりますと日本がおかしくなる、ということです。
「岐」と「美」とは「精神」と「物質」のことで、「岐」と「美」の働きが、日本という国を守っていた・・・精神と物質の大調和があった・・・ということだそうです。




魂の叡智 日月神示:完全ガイド&ナビゲーション (単行本) 中矢 伸一 (著) (徳間書店)には、天の岩戸開きの話が5回あり、そのうちのひとつが、イザナギ、イザナミの話で・・・
天までイザナミをつれて返りに行ったイザナギが、約束を破ってイザナミの顔を見てしまったのでつれて返れなかった・・・しかし、「いつかまた会おう」と言った・・・
というものである、と書かれていますね。

解釈すれば、この段階で、縄文時代まであった日本の「みろくの世」に近い状態がくずれてしまった・・・精神と物質が調和していた状態がくずれてしまった・・・しかし、いつの日にか(アセンションが達成できた日)再びひとつになろう、という意味なのかもしれません。

超・・・私ごとですが(笑)、今住んでいるところ(数ヶ月前に引っ越してきた)の氏神様は貴船神社さんと言いますが、そこに祀られている神様は、「伊邪那伊邪那岐美神(いざなぎいざなみ)の神」です。

初詣の前日まで知らなかったのですが(笑)
勝手に違う神社さんを氏神様だと思って、毎月お参りに行っていましたが、なぜか、調べ直す気になって、調べましたら、間違いに気づき・・・そうしたら、「伊邪那伊邪那岐美神(いざなぎいざなみ)の神」だったのですね(笑)。
(ちなみにどうやって調べるかと言いますと、神社本庁に電話するか、そうではないかと思われる近くの神社さんに電話します)

いつか、音的に好きな神様として、天照大神、国常立大神、大国主の命、伊邪那伊邪那岐美神」と書きましたが、これで目出度く(?)全員沿いました。
なにをして全部というかと言えば、個人的なことなのですが(笑)。



で・・・白峰さんによりますと、「君が代」は精神と物質のバランスを表している歌、ということです。

私は学生のころ、どういういきさつかは忘れてしまいましたが、”「君が世」は天皇という個人をたたえる歌だ”、と教わったように覚えています。

天皇により治められている状態が、万世一系で素晴らしい状態である、という捉え方をできる知識がある場合には、上記(私が学生時代に聞いた)の説明でも良いのかもしれませんが・・・というより、上記の説明は、おそらくは意図があるかもしれませんね。

実際は、精神と物質のバランスを保つことの大切さの歌であり、それが国歌であり、それは陰陽合一ということであるわけです。

すばらしい歌ですね。
陰陽合一です。


みなさんは、どう思うでしょうか?


国も文部科学省も教育委員会も校長先生も、こうしたことを踏まえて、いろいろしていけばよいのだと思いますが・・・。
ただそうしますと、自分たちもまた、「精神と物質の調和」を問われますので、そうもいかないのでしょうか?
良く分かりませんが。

それでも、
「”君が代”は精神と物質の調和を歌った歌であり、すばらしい国家だ。だから歌おうじゃないか。そして、我々も精神と物質の調和のある教育を目指し、国を目指すことを誓おう」
と、国(政府)も文部科学省も教育委員会もみんなしてくれたら、どんなにか良いだろうな、などと思いますが。

みなさんは、どう思うでしょうか?




で・・・引用しますが(132ページ)
『太陽構造線の秘密とは、すなわち、シリウスのエネルギーが太陽系に降り注ぎ、太陽が活発化して太陽フレアになり、フレアのエネルギーが地球に送られてくるということなのです』
(以上)

ということです。

そして、それを全部調整しているのが月だそうです。
月が海水のエネルギーを全部支配しているからだそうです。




「全部調整しているのが月」と「月が海水のエネルギーを全部支配しているから」の関連性が私には分かりませんが(笑)、きっと天文学だか、物理学だかをきちんとやっていると分かるのでしょう。

いずれにしても、そういうことのようです。
信じます。

みなさんは、どう思うでしょうか?




さて・・・
なんでも、あのヤンキー先生は明治学院大学の卒業生なんだそうですね。
卒業生としては、あんな立派な卒業生がいることを知って嬉しく思っています(笑)。

で、昨日その先生の出演していた番組を見ていたわけですが、ぐれていた学生時代、バイクの事故で生死をさまよったときですが・・・
とても親身になってくれていた学校の女性の先生が、病院に来て、確か・・・「死んではいけません。あなたは私の宝物なんだから・・・」のようなことを言ったようです。

で・・・精神世界では、良く”愛”という言葉を使うわけですが・・・
もちろんその響き自体に言霊があり、意味など分かっていなくても、”愛”という言葉が、いろんな意味でよいように影響はするということもあるのでしょうが、普通、あるいはちょっとやそっと人生修行を積みましても、”愛”という言葉が内包するイメージというものは、なかなかつかめていない人というのはきっと多いでしょうね・・・。

私も分かっているようないないような・・・ですが(笑)。

私は奥さんも私は子供がいませんのでなんですが、それでも、上記の先生の「あなたは私の宝物なんだから」という言葉を昨日聞いて、その後1日暖めていましたら・・・もう10年も前の本気の恋愛のことを思い出してしまったりしました(照)。

そうですね・・・本気で好きになって、”愛している”と、「あなたは私の宝物・・・」という気持ちが自然に沸いてきますね。


ただ、だからといって、本気の恋愛ができた10年前、人類ですとか、地球ですとか、そういう対象に対して、「私の宝物」というような気持ちが持てていたかと言えば、決してそうではなかったようですので、今20代くらいの人たちに、同じような感情を、たとえば全人類に対して持つべきだ、なんてことは言うつもりはありません。

それじゃなにかと言えば、その精神世界で叫ばれる”愛”という言葉の対象が、「人間」に対してであろうが、「自然」に対してであろうが、「他人と自分」に対してであろうが、「時空」に対してであろうが・・・おそらく、”本気の愛”であるのなら、それは、”宝物”という気持ちなのでしょうね。

”愛”を精神世界の方々が説明する説き、それは「LOVE」では説明不足ですし、ひょっとしたら船井幸雄さんのいう「自他同然」ですら、うまく伝わっていないかもしれませんね。

うまく伝えるためには・・・伝える人の精神レベルにもよるのかもしれませんが・・・「それをあなたの宝物だと思うような気持ちです」というのが、良いのかもしれませんね。


そして、どうも・・・”愛”という気持ちは、”信仰”という気持ちとほとんど同じものかもしれない・・・と最近感じています。

ですので、白峰さんの言う「太陽・月・地球に対しての信仰」というのは、「太陽・月・地球を愛している」であり、「太陽・月・地球は私(達)の宝物」ということでもあるのかもしれません。


森田健さんの言う「時空に対しての愛」は、「時空を信仰している」という言い方をしても同じような意味かもしれませんし、「時空は私の宝物」という言葉に言い換えてもいいのかも知れません。

当人たちはどう言うかは分かりませんが。


そして当然、「他人を愛する」ということは、「他人を信仰する」であり、「他人は私の宝物」である、ということでもあるのですが。

同じように、「自分を愛する」は、「自分を信仰する」であり、「自分は私の宝物です」でもあるかもしれません。

そう思って振り返りますと、私などは決して、自分を宝物などと思ってはいませんね。
もちろん「創造主から預かった体なのだから、粗末にはしないようにしよう」とは思っています。
でも、この言葉は、とても、他人行儀ですね(笑)。

自分のものとはぜんぜん思っていません。
もちろん、創造主からの借り物ですので、自分の所有物ではないのですが。

創造主からの借り物であるとすると、それを「自分の宝物」とは思えませんね。
きっと、それで良いのかもしれません。

もしどうしても、「宝物」を付けたいのなら、きっち「時空全体の宝物」という感じでしょうか。
つまり、「私も、みなさんも、時空全体の宝ものです」ということですね。

これでよいのかどうかは分かりませんが、みなさんは、どう思うでしょうか?

(むつかしいことを言いましたが「私自身は私の宝物です。すべてのものは、私の宝物です」で良いのだと思います。)




 



さて・・・「日月地神示―黄金人類と日本の天命 白峰 聖鵬 (著)  明窓出版 (2005/11) 」ですが・・・155ページですが、(引用)
『567(ミロク)とは、五が地球、六が人間で、七は物質世界の空間(完成されて光の世界)です。これが調和できたら、八の世界へ行けるということです。』
(以上)

そのほかにも、
・人間は六角形の水の結晶の固まりである、
・太陽系の光線軸は七、
・エネルギーは8の法則で動いている・・・DNAの2重螺旋。英数字の8を横にすると、メビウスの輪になる・北斗七星は、北極星を入れたら8つ。7つのチャクラが8つになる。

などのことが、書かれています。

地球が5であることについては書かれていませんので分かりませんが、5+6+7は18で、1+8が9で最終形ですので、なんとなくなるほどな、などと思ったりします。




で・・・床ずれ、というのがありますが、あれは、寝ている時に特定の箇所が圧迫される、というようなことではなく、体の邪気、マイナスのものが、すべて仙骨に来るので起きる現象だと書かれています。

そして、床ずれが起きると、だんだん歩けなくなってしまうようなのですが・・・

そうならないためには、できるだけ寝ないで立っているのが良いようです。
白峰さんは老人ホームで実験したことがあるそうなのですが、寝かせないで立っていると、はじめは大変でも、徐々に、脳が活性化されてくるようです。

で、人間は寝ている時以外は、できるだけ横にならない方が良いようです。

私は、昔、竹村健一さんがよくテレビに出演する時に、「私は横になっているのが一番楽な格好なので、普段はそうしています」というようなことを言っていましたので、「なるほど」と思ったりしていましたが、どうもそれは、間違いのようです。

で、私は部屋にいるときは、キーボードを打つ時以外は、なぜか立っていることが多いです(笑)。
これは、部屋だけではなく、外にいても、オフィスのようなとこでも、そうなのですが、これは単純に脳が働きやすい、眠くならない、ということですが(笑)。

それで一時期、それがいけないから・・・と思い、わざと横になる機会を増やしたことがあります。

横になると、確かに頭は働きませんね。

ただ、どちらにしても、それで運が劇的に良くなるということはありませんでしたので、それだけで運が良くなる、ということではないようです。

但し、立っている方が体には良いでしょうね。



血液は腸で作る・・・と医学ではなっているのでしょうか・・・といわれているが実は、骨の髄で作るのだ、と書かれています。
腸で作るものも、骨髄のコンピューターで管理しているそうです。

そしてそれの命令センサーは、脳ではなく、一番下のチャクラだそうです。
一番下とは、肛門と性器の間にあるチャクラだと思います。

ここで159ページ辺りには、一番上のチャクラばかり強調されるが、一番下も大事で、上と下がしっかりしていないとだめ、柔術をやる人などは、一番下のチャクラのセンサーがぜんぜん違う・・・というようなことが書かれています。

私などは、森田健さんの孫さん瞑想の影響が強いので、一番上よりも、むしろ天目(チャクラで言えば額のもの)を重要視していますが、一番上と下も大事なのでしょうね。

但し、孫さんには、書かれているものを読みますと、チャクラという概念はないようです。

今ある能力開発では脳ばかり言われるが、下のチャクラがつまっていてはだめ、と書かれています。

最先端医学でも、下の仙骨が注目を集めているようです。

仙骨は仙人の骨で、秘密がある、そうです。


私も、少し発想を変えてみて、下のチャクラも活性化するようなことをしてみようと思います(笑)。

 

仙骨については、
本物の力―超念力と未病を実証する (単行本)
船井 幸雄 (著), 若山 敏弘 (著) 徳間書店 (1998/07)にも、書かれていますね。
116ページ辺りです。

この本は、なかなか面白い本なのですが・・・
43ページ辺りには、太極拳の林先生に太極拳を習っている時のことが書かれていますが、力を抜く、ということが大切なようですが、「自分はボディビルをやっていたので、筋肉がついていて、どうしても力を抜こうとしてもどこかに力が入ってしまう・・・」ということが書かれています。

で、思い出しているのですが・・・
私は33,4歳のころから、バーベルの重さを重くし、結果、体形が明らかに変わったのですが、その辺りとそれ以前では、世間の評価がかなり違うのですね・・・

やっていることは、ほとんど同じ(進歩がないのか)なのですが、それ以前は「まじめで知性派」だったのですが、それ以降は要するにそうではないのですね(笑)。 


むしろ、今の方が以前よりいろいろ知っているくらいですが、これが体の風水的なものなのか、良く分かりません。
形は何かに共鳴するものですので、何かあるのかもしれませんね。

それとも、筋肉が余計なところに付き、力が抜けなくなっているのかもしれません。


いずれにしましても、今はバーベルは止めましたが(笑)。
理由は、「重い」からですが(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?




で・・・「日月地神示―黄金人類と日本の天命 白峰 聖鵬 (著)  明窓出版 (2005/11) 」に戻りますが・・・
太っている人や、病気がちの人は、しょっちゅう横になる習慣をもともと持っていることが多いようです。
また老人の病気が治らないのは、寝たきりになって歩かないでいるから、とも書かれています。

160ページには、(引用)
『下のチャクラにはバッテリーがあり、素粒子の世界でものすごい勢いで回っています。それなのに、寝るとその勢いが、ピタリと止まってしまうのです。横になると、眠くなるのは、回転が止まるからです。寝たきりになると、もうセンサーが働らなくなります。そうすると、ますます歩けなくなります。
だから普通の生活でも必要以上に横になってはいけません・・・』
(以上)
と書かれています。

調子が悪くなると、横になるように人間はできている、とも書かれていますが、とにかく、健康と、脳のためには、できるだけ横にならない方がよいようですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?



で、12月23日について書かれています。

マヤ歴では銀河の夜明け、今の天皇が生まれたのも、12月23日、
そして(引用162ページ)
『私が聞いたところでは、12月23日は宇宙ができた日だそうです。1月1日じゃないのですね。面白いですね』
(以上)

面白いですね(笑:文体も私に似てますね:笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?






さて・・・・・・
テレビで女優さんの手相を見て、「頭脳線が途中で切れているので、直感に頼ってしまい、失敗しやすい・・・」という判定をしていましたが・・・

この直感に対しての解釈ですが・・・、私の感じでは、間違っているのではないか?と感じてしまいます(笑)。

これは直感と、あてずっぽう・または見た目、などを一緒にしているのではないかと感じます。

しかし、これが一般的な直感についての認識ではないかと思います。
実際、私も以前はそうでしたし。

直感は、あてずっぽう、見た目で・・・とはぜんぜん違うものですね。

で、それでは、なにが直感か?を言葉にせよ、と言われると非常に難しいのですが・・・
あえて言えば、
「理由なく、そして、3次元的価値観・欲などなく、3次元的理論・理屈・常識・こうあるべき・当然などの要素なく・・・フッ・・・という感じで、ピッというような感覚で訪れたもの」
が、どうも直感であるようなのですが。

ですので、あてずっぽうも、見た目も、基本が3次元的常識・理屈にあり、その範疇を離れていない種類のものでありますので、これは、直感ではないですし、言ってみれば、常識論の逆を奇をてらってやっているようにすら感じますので、ぜんぜん直感ではない、と思います。


違う言い方をしてみれば・・・
いわゆる左脳と言いますか、3次元的と言いますか、理論的思考で普通はものごとを判断して、答えを出すのだと思います。

そして、この方法を使わないで答えを出すということは、理論的思考を使わない、ということになるわけですが、それを3次元的なことだけで処理するのなら、あてずっぽう、見た目・・・などによるのでしょう。

しかし、直感というのは、3次元側ではなく、5次元以上の部分で答えを出す、という方法なわけです。

ですので、3次元的理論的思考を使ってはいないけれども、その他の3次元的要素で判定している、ということではない、ということですね。


つまり、3次元のことだけに捉われていますと、正しい意味での直感という意味は分からない、ということなのでしょう。


みなさんは、どう思うでしょうか?





 

で・・・
昨日は、ゴアさんが出ると言うのでTBSの筑紫さんのニュースを見ましたが・・・
どうも、本当の本当の温暖化の原因は、CO2ではなく、太陽エネルギーの急激な上昇などが90%で、CO2は10%くらいなのではないかと考えています。

その意味で、ブッシュさんが、京都議定書を拒否したのは、いろいろな方面から本当のことを知らされていた可能性もあるかもしれないと感じています。

但し・・・ゴアさんも全体的な話の中に含ませていましたが、やっていることがたとえ微力なことで無駄になってしまうようなことであっても、今できることをやる、今できる正しそうで、人間として当然のことをやる、ということ、その心がアセンションにおいて、大難を小難に変えることにもなりますし、アメリカ的物質至上主義から、精神と物質の調和を生み出してい行くにつながるわけでしょう。


この意味において、たとえ温暖化を防ぐことにつながらなくとも、京都議定書に同意することは必要なことであると思います。

昨日のゴアさんのように、当人は事実を知っているかいないかに関わらず「CO2を減らすことで地球を救おうよ」という提案、行動をすることは、アセンションから言っても、広い意味で、地球を救う、ということに間違いなくつながっていると言えるでしょうね。


いずれにしても、世界の多くが信仰してしまっている科学というものを納得させる科学的データがあるのは(表に出ているデータ)、CO2と気温上昇の関連性だけですので、高次元的事実がどうであれ、このゴアさんの取っている立場から、「CO2を減らそう、資源を無駄にしないようにしよう、地球に優しくしよう」というスローガンの下、動いていくといのは、正しいと感じます。


それを考えますと、うまくできている・・・と感じますね。

気温上昇が太陽フレアによるものであるにしても、CO2を減らすという方向は、アセンションの方向性と一致しているわけですので・・・。


みなさんは、どう思うでしょうか?



で・・・・先日NHKのラジオでエジプトについての放送をしていたのですが・・・
現地の特派員といいますか駐在員と言いますか・・・駐在員ですね、その女性の方と電話で生放送をしていました。


で、エジプトは90%程度のイスラム教徒と10%程度のキリスト教徒がいるらしいのですが、とても仲良くやっているそうです。

確かコプト・キリスト教というように女性の駐在員の方は言っていたように思いますが・・・。

とても良い情報だと思います。

とにかく、だれかが意図してそうしているのでしょうが、キリスト教とイスラム教、それだけではなく、宗教が違うと人間は戦争をするものだ、とでもいうような情報ばかりテレビのニュースでは流します。

「ちゃんと世界の・・・それもみんながよく知っているような国でも、異なる宗教同士が仲良く暮らしている国、状況と言うのはあります」
ということを、もっと頻繁に報道して欲しいですね。


そうすれば、宗教的な争いが国同士であったとき・・・日本と他の国でもそうですが・・・それで当然と、諦めてしまう気持ちに陥ることなく、「ちゃんと、うなくやっている国同士はいくらでもあるんだ」という気持ちを持ち、それにより。3次元的意味においては、ポジティブに行動でき国同士が仲良くなり、高次元的意味では、その想念、思いによって、仲の良い状況が生み出されることになるのだと感じます。


みなさんは、どう思うでしょうか?









さて・・・魂の叡智 日月神示:完全ガイド&ナビゲーション (単行本) 中矢 伸一 (著) (徳間書店)ですが・・・

肉を止めてずいぶん経ちましたが(笑)、こんなことが書いてあります。
(引用:309ページ)
『正食に基づく食事療法を実践することで、死線をさまようほどの難病を見事に克服し、元の健康体を取り戻し、病気になる以前より元気になってしまった人は数多い。
神示に示された通り、食を正すだけで、実際に病が治ってしまったり、運が開けたりしているわけである。
しかし、治らなかった人もいるのもまた事実である。
それは、なぜか。

実は、そうした人たちをもう一度よく調べて直してみればわかるが、要するに、歓喜をしていなかったのである
彼らは、喜びを持って実践していなかった。病気を治したい。早く直したいと思いながら、仕方なく、嫌々にやっていたのである。つまり、神の気たる正流を、受けていなかった。これでは、本当によくなることは難しい。
神の道は、無理のない道である。苦労はあっても、楽しい苦労、やればやるほど喜びの増す苦労である。
以上のことからまとめると、神示により示された「食」に関する指導の三大重要ポイントとは、
@自分の住む土地(国)で採れた穀物・野菜類を食べること、
Aなるべくよく噛むこと
B喜びもって食べること

に集約される。
なお、「神棚に供えてから」という部分は、食べ物に感謝し、食べ物を拝み、自分と食べ物との「まつり合わせ(調和)」をすることによっていただくことと理解できる。
これも「嬉し嬉し」に通じることある。
神棚に供えることがベストかもしれないが、そうしたことは「供え」のカタであり、一つの物質的な表れである。実際に正式に神棚に供えてみたところで、心の中で食べ物との「まつり合わせ」ができていなかったら、それは偽善であり、むしろやらないほうがよいとさえ言える。』
(以上)

で、私の現在の状態を述べれば・・・

私は野菜と魚介類ばかりの食事で特に文句はありませんし、嫌々食べているわけではありませんが・・・
ただそれでも歓喜はしていないかもしれないです・・・。

また、文句はないですが、それでも2週間に一度くらいは
「ああ、から揚げが食べたいな。カツどんが食べたいな。でも、食べて運が悪くなったりしたら、ここまでやって馬鹿みたいだから”我慢”しよう」
のようなことを思うことはあります。

有難いことに体は非常に健康です。




いろいろ考えてみますが、歓喜をしないといくら野菜を食べてもなにもならない、ということですが、歓喜とは何かと言えば、「嬉しい」ということでしょう。

どういうときに「嬉しい」かと言えば、「おいしい」が一番簡単で普通でしょう。
しかし、今まで肉を中心に食事をしてきた人にとって、野菜を食べて、心のそこからおいしいと思うのは、自分で意図しないとなかなかむつかしいかもしれないですね。

私も、実際、もし体に良いのなら、野菜よりも何よりも、未だにきっと鶏肉が好きでししょう。

それでも、野菜を食べ続けられるのは、ひとつは関英男さんの本に「野菜は食べられたがっている」という記述があるのを読んだから、もう一つは、どうも何かを変えなくてはどうしようもない・・・一番各種の本や精神世界の人の言っていることなどと、もっとも相反するものは食事にあるように感じた、という2つの理由だと思います。

・・・・・・・・・・・・

で・・・ここまで書いて、1時間以上筆が止まりました(笑)。

そして出てきた答えが、岡田多母さんの質問サイトに書き込こもう、でした(恥)。
情けない話です。

質問はこうです。
「タモさん、こんにちは。
日月神示などを読むと、霊性をあげるためには、肉は食べてはいけない、と書かれているものが多いです。
私はこれにならって、招待された方から出される場合を除いて、肉食を断っています。
しかし、それでも、修行が足りないせいでしょうか、時々、鳥のから揚げなど幼少より親しんでいるものをムショウに食べたくなります。
肉食はやはりいけないものでしょうか?
よろしくお願いいたします。 」

私の本心を書きますと・・・
「最終的には食べない方が良いでしょう。しかし、その人のレベルによることですので、食べたい、と思った時には、食べるのが良いのでしょう。
我慢する方が、きっと、よほど精神には悪いでしょう。

そうやって少しずつ減らしていけば良いでしょう・・・」

です。

本心なのか、私の本質の言葉なのか、妙にすんなり(20秒くらい)書けてしまいましたが(笑)。

2012年の黙示録などには、「悪いことと知っている人がそれをやったなた、それは罪で、そうとは知らない人がやったなら、それは罪にはなりません・・・」というようなことが書かれています。

ということは、肉食がいけない、と知ってしまった人にとっては、それはもういけないことであり、それに気が付かない人にとっては罪でもなんでもない・・・つまり食べてよい、ということですね。

これをして、「知らなければ良かった」と言うのは、きっと間違いで、知った方が幸せなのでしょう。

これが事実だとするのなら、3次元でおきている事象と矛盾がないですね。
その意味ではとても整合性は感じます。



みなさんは、どう思うでしょうか?



とは言え、急に筆が動き出しましたので、勢いで書きますと・・・
私を振り返ってみますと、基本的には痩せているとき・・・オヘソが見えるくらいに痩せているときというのが、どうも全体的に見ると運が良いようです。

その意味でも、野菜中心の食事、というのは良いのですが。

とは言え、なによりも、一番良いのは、食べられたがっているという野菜を食べる、ということでの精神面での嬉しさでしょうか。

植物連鎖があるとは言え、基本的には、食べられたがっていない何かを食べてしまう、というのは、問題でですい、できれば避けたいものですね。

ですので、この観点からは、ムショウに肉が食べたくなったりしない場合においては、本当に野菜食で問題ないのです。


で・・・

@自分の住む土地(国)で採れた穀物・野菜類を食べること、
Aなるべくよく噛むこと
B喜びもって食べること


となっています。

@自分の住む土地(国)で採れた穀物・野菜類を食べること、
もいろいろなところでも見かける言葉ですね。
きっとそうなのでしょう。

しかし、お金持ちですとか、こだわりのある巨匠のような人というのは、世界で一番のものを世界中から取り寄せていたりしますね。

ということであれば、これも、「知らない人にとってはなんでもないが、知っている人がそれを破ると罪になる」ということなのでしょうか?


いずれにしても、肉を食べるにしても、国産のものを食べるのが良いのかもしれませんね。

みなさんは、どう思うでしょうか?

Aなるべくよく噛むことは、船井幸雄さんが最近良く書いていることでもありますね。
これは、私は比較的昔から知っていて・・・なんでも刑務所などで、よく噛んで食べる人とそうでない人の栄養状態を検査したら、圧倒的に噛む人の方が良かった、ということです。
これを聞いたのは20代前半のことですが・・・。

しかし、実践したかと言えばそうでもなく、40前までは、食事はせいぜい10分程度で済ましてしまう人間でしたので、ちょっと噛んで流し込む、というような食べ方でした。
そのせいで、必要以上にカロリーをとっていただろうか、とも感じますが。

最近はできるだけ噛むようにしていますが・・・まだまだ噛まない方かもしれませんが(笑)。

みなさんは、噛むでしょうか?



B喜びもって食べること、ですが・・・これですね、一番の問題は。
普通の人間ですと、まず自分が喜べるものを食べますと、「喜びを持って食べる」ことになりますね。
少し変わっていますと、先のように、「野菜が食べられたがっているから・・・」という理由で喜びが得られるかもしれませんね。

でも、食べる方が、総合的意味(?)で喜びを感じられませんと、歓喜と持ち続ける、というのはむつかしいのでしょう。
実際、私などは、ときどき、「嫌々ながら」または、「がまんして」、「なんとしてでも」というような感じで食べていることもあります。
とは言え、残さず食べているところを見ますと、自分が思っているよりは、歓喜している可能性もありますが(笑)。



「自分と食べ物との「まつり合わせ(調和)」をすることによって・・・」というのは、想像するに、「野菜は食べられたがっている、私も野菜を食べたがっている」という相思相愛状態のことを言うのでしょうか。

「野菜を食べたい・・・」という自発的な気持ちが沸いているとき、というのが、正にこの相思相愛状態なのでしょうね。

そうしますと、時々、そうではなく、「ああ、今日は、ムショウにから揚げが食べたい・・・」と思ってしまったときと言うのは、相思相愛ではないので、無理して食べても、何の意味もないということかもしれませんね。

それでも、そういうときでも、無理して野菜を食べることを神は望んでいるのでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?



で・・・何のせいか知りませんが、無性に食べ物のことが書きたいですが・・・

先日、電子レンジだけでうどんを作る、というのを書きましたが、今日はラーメンです。
もちろん私が作りますので肉は一切使いませんが・・・。

まず、先日の100円ショップの土鍋を用意します。
麺は焼きそば用の麺を用意します。
と言いますのは、ラーメン用の麺は一度別の鍋でゆでなければなりませんので、電子レンジだけで作るには向きません。
但し、ちゃんとおいしくできます(いくらか普通の麺とは食感が違いますが)。

土鍋に、焼きそば麺を入れます。
キャベツなどの野菜を好きなだけ(適量)入れます。
粉末状になっている中華のホタテダシ(一瓶300円くらい)を小さじいっぱいほど入れます。
塩も小さじ一杯ほど入れます。
胡椒(こしょう)を少々入れます。
水を麺が隠れるくらい入れます。

ラップで蓋をして、電子レンジの強で、7,8分熱します。

取り出して、ごま油を小さじ一杯ほど入れます。
よくかき混ぜます。

これで出来上がりです。
麺はチャンポンの麺のように太くなります。水を吸っているのだと思います。
麺の腰と言う点では、?ですが、それでも、カップ麺よりはおいしいし、健康に良いと思います。
中華風塩味ラーメンのような味になります。

熱する前に、干し海老などを入れますと、さらにコクが出ます。


これは肉なしバージョンですので、まだ肉がないとどうも、という方は、チャーシューを入れても良いですし、卵を落としても良いですし、ウインナーでもなんでも入れていただければ良いかと思います。
生肉を入れても、おそらく完全に火が通らないかと思いますので、火の通ったものの方が良いと思います。


うどんよりは、私はこちらの方が、今日の時点では好きです。

なお、焼きそばも、電子レンジだけで作ってみましたが、おいしいです。
上の要領で、器をグラタンようのお皿(火に強いし深さがちょうど良い)、熱する前に、ごま油を入れる、に変えれば後はほとんど同じです。(水は入れません)。

野菜を沢山入れますと、野菜炒めにもなりますので、おかずにもなります(笑)。

この際には、オイスターソースを小さじ半分程度いれますと、ぐっと中華風になります。
もちろん出来上がり後にお酢を入れたり、豆板醤を入れたり、いろいろと工夫ができます。


野菜に関しては、キャベツ、ねぎ、きのこ類、は試しましたが、おそらくどんなものでも、5分〜8分熱しますと、おいしくなっていると思います(笑)。


なお、テレビでやっている電子レンジ用の調理フライパンのようなものがあるのですが・・・あれは私も持っていますが、なんと言いますか・・・土鍋、グラタン皿の方が、野菜に関してはずっとおいしくできあがるようです。

で、なんで普通に調理しないかと言いますと、台所が汚れるのが嫌なのですが(笑)。
油を使いますと、どうしても跳ねますので、汚れますね(笑)。



で、とても高次元のこととも下位の問いとも思えない話を書きましたが・・・でも・・・から揚げはおいしいですよね?

どうも、最近精神レベルが落ちたのでしょうか?無性にから揚げが食べたいこのごろです(笑)。
船井幸雄さんが肉に氣を入れるように、から揚げに氣を入れたなら、これは霊性的にも食べてよいということになるでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?






さて・・・日をまたいでいますが、「にんげんクラブ」のサイトの有料BLOGでの今日の更新ですが、肉のない料理について書かれていますね(笑)。
シンクロしたでしょうか?

またいよいよ動画を取り入れましたね。
やはり動く画像というのは、良いものですね。

みなさんは、もう見たでしょうか?



で・・・私事ですが、また怒とうのごとく履歴書を送っています(笑)。
昨年末から良いことが多いですので、きっと、良い仕事が見つかることでしょう(笑)。


今テレビで「シャル・ウイ・ダンス」の監督が11年ぶりに映画を取る、ということで出演していますが・・・なんでも、裁判関係の映画のようです。
興味深いことを言っています。
痴漢事件で無罪になった方の、関係者が集まっての総括の場に出席を許されたようなのですが、「裁判に接してみて、よく世間では”疑わしくは罰せず”と言うが、裁判はそうではなく、当人が無罪を証明できた場合のみ無罪で、疑わしい場合は有罪になることが多い・・・これは映画にしなくては・・・」

だそうです。

電車の痴漢現行犯でも、改札を出て捕まったり、車両を出て捕まったりしているようで、車内で手を上げて万歳したところで、それを見ていた証人がいない限り、何にもならないようです。

まあ、その場での現行犯扱いは逃れられると思いますが。


変ですね。


私は昔よく、自分に罪があるかどうかを良く問い詰めてみたりすることがありましたが、その時も、究極の無罪を求めるあまり、同じように、有罪を証明できるかどうかではなく、完全なる無罪を証明できるか、というような視点で考えつめ、疲れてしまうようなことが良くありました。

それはそうですよね・・・今やっているテレビでも言っていましたが、容疑者の行動のすべてがきちんと同義的理由のあるものとして説明されなければどうもいけないらしいのですが・・・要するに、無罪であることを証明するということは、行動のつながりつながりのすべてに理由をつけなくてはいけないう、ということに近いのでしょうね・・・。

しかし、普通、右に曲がったか、左に曲がったかの理由なんていうのは、理由などまったくなかったり、むしろ普通曲がる方とは別の方向に曲がってみよう、まどという時などもあるわけですので、非常に難しいことですね。

この監督は、数年後に行われる例の日本版陪審員制度について、「容疑者が有罪か無罪かを判断する仕事ではなく、検察側の主張に納得するかしないかということ・・・」のように言っていますが、正にその通りでしょうね。
意図されているわけですので、その主張が理論的に正しいのは当たり前で、そこを見るのではなく、その根本にある方向性そのものが、正しいのかどうか?を見ることになるのでしょう。

もちろん、主張の理論の中で真ではない”事実”があった場合は問題外ですが。
これは優勢民営化などがそうですね。
出している証拠や未来予想、予定していることなどが、すべて真実であるという前提で理論立てて主張しているわけですので。

みなさんは、どう思うでしょうか?



さて・・・白峰さんの風水の本 「風水国家百年の計」風水の宝典:明窓出版、ですが、実は先だって明窓出版のサイトで見つけて、1時間くらい「今買うべきか否か???」と迷った挙句保留にしました。
そうしたら次の日、フナイドットCOMで、船井幸雄さんがこの本を紹介していたので、すぐに注文したのですが、なんと「売れきれたので2週間お待ちください・・・」ということになりました(笑)。

やはり、見つけたのは偶然ではなかったのかもしれませんね(?)。
まあ、楽しみは後の方が良いですので、構わないのですが(笑)。

きっと、後1週間くらいで届くことでしょう。



で、日をまたいでいますが・・・1月21日です。
早速、左記の本:
風水国家百年の計―LOHAS・ワンネス・地球維新 (単行本) 白峰 (著) 出版社: 明窓出版 (2007/01)
が届きました(笑)。
ちなみに、この本は1,000円ですが、
明窓出版のサイトで買いますと、送料無料で買うことができます。

今回は明窓出版で購入しましたが・・・それはその時点でアマゾンには出品されていませんで、いろいろ探して、ここにたどり着いた、ということです。


で、本自体はどうやって知ったのかと言いますと・・・どうも良く覚えていないのですね・・・。
はじめに明窓出版を見たでしょうか?
かように良く覚えていないことが時々ありますが(笑)。

みなさんは、どうでしょうか?

まだ、読んでいませんが、パラッとめくってみたところでは、またすごいことが書かれているようです(笑)。
また、読み終わりましたら、報告いたします。



で、今日は、1日かかってhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~motion-emotion/f/f-kailua.html を作りましたが・・・ハワイのサイトをこのサイトとは別にしたのを記念して、少しグレードアップしています(笑)。

履歴書に「趣味・ホームページ作成」と書きましても、このサイトは、評価が分かれるところですので、履歴書用にサイトを作ったわけですね(笑)。



で・・・先ほどテレビで島田洋八さんが出ていて、有名なおばあちゃんについて話していましたが・・・
とても楽しいおばあちゃんですね。

私もおばあちゃんは大好きですが。

で、いろいろ言っていましたが、私が心に残ったものは・・・
「夢を持ち続けなさい。かなわなかったら、かなわなかったで、また次の夢を持てば良い。一生かなわなかったとしても、夢はしょせん夢だ。
もし、かなったら、運がよかったなどとは思わないで、実力だと思いなさい。」

というものと、
「見栄を張らない」
ですね。


で・・・はじめの「夢・・」ですが、「夢を持ちなさい」というのは、精神世界から宗教から学校の先生から3次元的に成功している”成功者”まで、いろいろな人が言いますが、今回のものが一番ピンと来ました。

「かなわなっかったとしても、夢はしょせん夢」ということと、
「もし、かなったら、運が良いなどとは思わないで、実力と思いなさい」
の2点が私には重要です。


普通は、「夢を持って、それに向かって努力しなさい。かなわなかったら、努力が足りなかったのです」のように言うことが多いように思いますが、そのたびに・・・つまり夢破れるたびに、「ああ、また私は”悪いこと”をしてしまった」のような罪悪感にさいなまれるのですね・・・私の場合は。

自己嫌悪になります。

しかし、夢というのは・・・多くの人にとっては、間違いなく、生きようとするエネルギーを与えてくれますね。
ですので、持ちたいのですが、罪悪感もこりごりだ、とも感じてしまいます。

しかし、このおばあちゃんは、「かなわなくても、夢は夢」と言い、「かなわなかったら、また次の夢を持てばよい」とまで言います(笑)。


そして、決定的なのは、「もし、かなったら運が良いなどとは思わずに、実力だと”思いなさい”」ということですね。

本当は実力ではないかもしれません。
でも、実力だと思っていて良い、とこのおばあちゃんは言っていますね。

私は馬鹿ですので、失敗しますと実力不足だと思うくせに、うまくできると「これは運命でそうなっていたからだ」、「運がよかったからだ」、「私の実力ではない」と思います。

本当は、どちらも実力なんかではないのです。

できてもできなくても、それは、高次元を含めたすべてのめぐりあわせのように思います。

その意味では、できなかったら・・・はどうでも良いとして、できたなら、実力だと思うのがきっと良いのでしょうね。

運も運命も宿命も努力もすべて実力の内、という理論は、正しいとも感じます(笑)。


「実力なんか、どうでもよい」ということも分かりますが、私のような種類の人間には、このおばあちゃんの言葉は、とても勇気付けられますね(笑)。



また、インドネシアの地震被害にあった小さな村へ、「援助活動」に行っている中高年の日本人の男性の話をNHKでやっていましたが、この人は、決して物を運ぶとか、何かを作るということを手伝ったりはしないようです。
むしろ、その人たちが自分で立ち上がることを援助する、ということをしているようでした。

で、なかなか良いことを言います。
「こちらから教えられることは教えて、逆に、彼らから教えてもらえることは教えてもらう」
という姿勢だそうです。

もちろん、そういうことに関わったことの始まりは阪神大震災のようですが、それでも、「あわれな人を助けてやる」のようなこと姿勢ではないようです。
自分も、その人たちから何かを学ぼうとしているのですね。

記念の碑に何か書いてくれ、と言われ「絆」という字を書いていましたが・・・これは横のつながりですね(笑)。

双方向の横のつながり・・・森田健さん式ですが・・・どうも、これが2007年のキーではないでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?


そう言えば、阪神大震災がらみの番組をもうひとつ見ましたが・・・まるで1日中テレビを見ているようですが(笑)、今日は1日中http://www5f.biglobe.ne.jp/~motion-emotion/f/f-kailua.html を作る、ということをしていましたが、テレビを付けたのは、ほんの1時間程度ですが・・・ニューオーリンズの人たちが復興のヒントを得るために大阪にやってきている、と言う内容のものでした。


一番心に残ったのは・・・日本の復興に尽力した人たちの言葉の中で「怒らないで自治体と交渉することです。いつもにこにこしていることです。」のようなものでした。


やはり、怒ってはいけないようです。

みなさんは、どう思うでしょうか?



ただ、そうとは言え、いろいろ実験しているのですが(笑)、私はまじめな顔をしている方が”うけ”が良いですね・・・せいぜいレジの女の子とかですが(笑)。

そう言えば、笑顔が良い、と言われたことは人生で一度だけあります。
最初の会社の部長でしたが・・・。
いつか書いた新劇の劇団にいて、お金がなくなって最後の最後の競馬で大当たりが出て・・・という人ですが(笑)。

この方は、当時今よりもっともっと生意気だった私を、会社の帰りに車に乗せて、飲みに連れて行ったりしてくれた人でしたが、当時は有難いとは気づかないのですね(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?






さて・・・・・・
もうひとつhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~motion-emotion/f/f-kailua2.htmlを作りました(笑)。
ここから行きますと、2つとも見ることができます。

000超シャンバラ―空洞地球/光の地底都市テロスからのメッセージ (単行本)
ダイアン ロビンス (著), Dianne Robbins (原著), ケイミズモリ (翻訳) 徳間書店 (2006/05) 、ですが・・・

少し前に読み終わりました。

ロサンゼルス辺りに、地下への入り口があるように書かれています。
昔からメキシコ辺りはUFOが出るとか、アトランティスかムーの生き残りの一部がメキシコへ渡ったとか・・・あの辺りはいろいろあるようですね。

私は単純ですので、あそこに書いてあることは本当だな、と思ってしまいます(笑)。


どうしてだろうな・・・と考えるのですが・・・
昨日の島田洋八さんのおばあさんの話で、「5分考えて分からないものは、すぐに解決つかないから、なるように任せておけ」のようなものがりましたが・・・

どうも、自分の頭で考えて分からないものは、判断する時に、きっと頭を使っていないのでしょうね(笑)。
ですので、頭じゃないところ・・・高次元的な意味ですが・・・それで判断しているのかもしれません。
それで、「本当だ」と思っているのでしょう(笑)。

その意味では、私の場合、中途半端にむつかしいことというのが一番的中率が低いかもしれません。

ある程度むつかしいこと、となりますと、それは解くのに心地よいわけですので、的中率は高いかもしれません。

もちろん、知識などの相対性で簡単と感じるものも的中率は高いでしょうが、それよりも、頭を使うことを諦めるくらいに難しいことが、一番的中率が高いかもしれませんね(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?



で・・・何を信じるか、と言いますと、地底都市に、進化した人間が住んでいて、アセンションにおいて、地上人のことをアシストしてくれている、ということをですね(笑)。


で・・・地球人をアシストしてくれている存在というのは、5次元以上の高次元、宇宙の他の星の人間(但し存在としては5次元以上の半霊・半物質)、そして地底都市の人々・・・ですね(笑)。

で・・・それはそういうことなのですが、どうもはっきりは分かりませんが、日本人は、ちょっと他の地球の国々とは、何か違うような感じがします。

白峰さんの言う「太陽」、あるいは多くの方々が言う神道的な存在・・・
もちろん、直接的に日月神示などでは、日本は世界のひな型・・・とまで書かれていますが、そういうことの影響でしょうか、いずれにしましても、何か日本は違うような気がします。

別に上とか下とか言うつもりはないのですが・・・違うのでしょう。
白峰さんの本に書いてあったように思いますが、それは何も日本人ということではなく、日本にいる、ということで、どうも、違う何かがあるように感じます。

生まれた国とか国籍とかではなく、日本にいる・・・という意味ですね。


みなさんは、どう思うでしょうか?




静電気ですが・・・私は今年生まれて初めて、水でバチッときました(笑)。
で、その後も何でもあるのですが、今まで気が付かなかったのか、何かが変わったのか・・・たとえば白峰さんのいう「水で言えばクラスタが小さくなるとか・・・」のようなことですが・・・

こう・・・洗面所に溜まっている水とかに指が近づくと「バチッ」となったりとかですが。

みなさんは、水でバチッとくることがあるでしょうか?


今日のテレビは・・・NHKだったでしょうか(どうして覚えていないのでしょう)、脱サラして、自作農を営んでいる元一流サラリーマンの30代くらいの夫婦と四十代後半の女性の番組が興味深かったです。

と言ってもこれくらいしか見ていないのですが(笑)。

CMがあったような、なかったような・・・

夫婦は詳しく覚えていませんが、どちらもクリエイティブ系のサラリーマンで奥さんなどは外国などへも良く行っていたようです。
子供が5人いるのですが、はじめは自宅で助産婦さんに、残りはだんなさんが取り上げたようです。
要するに、昔の生活ですね・・・
出産などは、ふすま一つ向こうで子供たちも声を聞いていたりしていました。

家も自分で作るようです。
とりあえず、練習用の家は建てたようでした。


で、女性一人の方は・・・こちらもばりばりのOLだったようで、昔はオートバイが趣味で、自分で整備するほどだったようで、そのせいで、農機具などはお手の物のようです(笑)。

農業的には番組で分かる範囲では女性の方が、大々的にやっているようではありましたが、こちらはそれだけでは食べられない、ということで、昼はコンビニでアルバイトもしているようです。



で・・・どちらも、がんばっていました。


こういうのを見ますと、やはりちょっと変わってきたな、時代は・・・とも感じますね。


良く分かりませんが、私はおそらく病気しないであのままサラリーマンをできていたら・・・おそらく今頃は、やはり田舎で自作農をやっていたような気がしますが、果たして実際はどうでしょうか(笑)?

どうも、いくら東京から逃げようとしましても、東京、東京へと、引き戻されているように感じてしまいます(笑)。
世間的に大きな使命があるかどうかは分かりませんが、東京にいる意味は、どこかにあるのでしょう。


ホワイトカラーどうしたこうした、というのをアメリカに倣って、日本もやろうとしているようですが・・・
私は確かに、残業代こみこみの方が働きやすいですが、それを日本という国全体で法律の下でやるとなりますと、有様はずいぶん違うでしょうね。

アメリカがそうであるように、本当の意味で儲けたい、得をしたいのは企業の方ですので、義務の方が大きくなりすぎて、余裕なんていうものは、まったくなくなるでしょうね。

こみこみで、しかも働く方が3次元的意味、金銭的意味で得をする・・・という法律の下で、できるならやってみたらいいように思いますが、もともとの意図もそうではないようですので、むつかしいでしょう。

で、左記の本:
風水国家百年の計―LOHAS・ワンネス・地球維新 (単行本) 白峰 (著) 出版社: 明窓出版 (2007/01) では、「イシヤ」系の勢力などは、宇宙の存在と通じていて・・・というようなことが書かれています。
そして、アセンションがある、と言うことも知っていながら、なんとか今の状態をアセンション後も維持したい、でいろいろとやっている・・・
しかし、アセンションはだれがどうであろうが、もう決まっていることなので、だれもそれ自体を止めることはできないようです。

ということですので、自民党でもどこでも、いろいろなところから命令、要望はきているのだろうと思いますが、アセンションは止められませんので、できるだけ余計なことは止めた方が良いのだと思います。


みなさんは、どう思うでしょうか? 




さて・・・
そのまんま東さんが宮崎県知事に当選しましたね(笑)。
おめでとうございます。

アセンションが関係あるのでしょうが、自民党が信用できなくなり、その他の既成政党もすべて不安定だと芸能人が知事になる、ということは以前にもあったようですので、ここから先が従来と何か違うことがあるのかもしれませんね。

今いる県会議員などが非協力的であったりして、きちんと業務を行えなかったりするのが今までのようですが、さてどうなるでしょうか?

但し、インターネットがありますので、地元の人がきちんと情報を発信するのでしょう。
ネットがらみの変な法律が現政権によって開始されるようですが、どのような状況が表れるのでしょうか?

不二家のケースが、どうも不二家株を暴落させることに何らかの意味があるようですが・・・
名古屋の地下鉄で昔の談合事件が浮かび上がってきたゼネコン辺りも、そういうごたごたに巻き込まれてのものであるのかもしれませんね。
良く分かりませんが。

で、いろいろ画策が行われているようであり、そういったことがネットや本ではきちんと表現されているのですが、テレビでは、相変わらず報道されませんね。


後2年くらいでテレビを廃棄できそうですので、別にそれでも構わないのですが。
(地上波デジタルになったら、従来のテレビを持っている人はNHK受信料金を払わなくても良いのでしょうか?)

みなさんは、どう思うでしょうか?



で・・・不二家ですが・・・
たまたま見たワイドショウでは、派遣社員の声として「硬くなったスポンジケーキがあったので社員の方に確認したが、ブランディか何かを吹きかけて、そのまま使用していた・・・」ということだったかと思いますが・・・

これでは、何がなんだか良く分かりませんね。
テレビ局としては、会社がいけないことをした・・・派遣社員だから、隠された悪を暴露できた・・・のような放送の仕方をしたいようでしたが。

なんでも、小泉内閣の時に、それまでは製造業などに派遣社員を働かせてはいけなかったのが、改定されて可能になった・・・ということのようです。
それがいけない、という出演者もいましたし、それだからそういう派遣社員がこのようなことを暴露できるようになった、という出演者もいました。

で、何が分からないかと言いますと、派遣社員の人の言っていることが本当かどうか良く分からないですし・・・これでは、う○・・・・・さんの痴漢疑惑と同じで、証拠もないのに言った方が勝ちみたいなことになってしまいます。

そして、その行為が、本当にいけないことなのか、あるいは業界では普通のことで、しかも法律を犯していないことであるのか、それとも法律に反していることであるのか・・・それも分かりません。

私は知りませんが、一般のレストラン、食堂などでは多くの場合、中を見られたら困るようなことは普通にしているのだと思いますし(全部ではないでしょうが)・・・そういうことはあるでしょう。

もちろん、法律に反していて、しかも、人に害を与えることなら正す必要はある、と思いますが。


ただ、牛乳を賞味期限が1日遅れてしまったものを使うことがいけないことであるとしても、最も発言力のあるテレビという圧力機関が全局をもって、そのことを叩く必要のあることなのか?と考えれば不自然なように感じます。
もっとあるでしょう、することは・・・と普通の人なら思うと思います。

私なんか消費期限ぎりぎりなので安くなったものを買ってきて、平気で1週間くらいかけて消費したりしています(笑)。
単純計算すれば、賞味期限を1週間以上過ぎているわけですね(笑)。
しかも、家庭用冷蔵庫で(再笑)。

あれだけのテレビの放送枠があれば、もっと大事なことなども放送できたろうな、と普通に思います。


私は別に不二家の商品を買うことはないですので、肩入れなどはしていませんが、ただ、よってたかって弱めに立った人を全員で攻撃する姿と言うのは美しくはないですね。

世間で失敗した、と認定された存在をよってたかって攻撃することにより、優位に立つ、正義だと誇って見せる、というその姿は正にいじめそのものでしょう。

その割には、今回のノロウイルスの風評被害にあった牡蠣業者のことなど、ほとんどテレビ局などはフォローしていないようですので、正義を語る資格はないのにな・・・などとも感じます。


みなさんは、どう思うでしょうか?


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