理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

 

 

写真はなし
   
   

  さて・・・
船井ドット・コム ですが、    12月12日付けの更新は、非常に興味深いですね。
ミネラル(微量元素)をちゃんと取りますと、糖尿病・ガンなどにはなりませんし、なっても治ってしまうようです。

野島尚武さんというお医者さんが言っているそうです。
読みますと、野菜からミネラルが取れるようですが、どうも、無機農業により、野菜の中のミネラルが少なくなってしまっているようです。
ですので、勇気野菜などを食べてきちんとミネラルを取りますと、安心なようです。

面白いのは、野島さんによれば、「医学は微量元素(ミネラル)の知識がないので、肺ガンの原因をタバコのせいにして、次は、副流煙(タバコから直接出ている煙)のせいにして・・・」ということで、他にもいろいろ書いてありますが、根本的には、ミネラルをきちんと取っていればよいということですね。

 やはり、健康の源は野菜のようです。
しかも、有機野菜ですね。

詳細は忘れましたが、なんでも、苦労の末、無農薬でおいしいりんごを作っている方がいるようですね。
一時は死ぬことまで考えたようですが、確か・・・死のうと思い、山へ入って行きましたが、自然の山道に、まったく無視に食われていない植物が生息している場所があったようです。

それを見て、不思議に思い、土を触ってみたら、とても柔らかな良い土で、それを参考にしたら・・・ということだったと思います。

そのリングが、都内の高級フランス料理屋さんなどでも出されているようです。
言ってみれば、昔の普通のりんごですね。
しかし、今は非常に貴重なものである・・・

確かに、このりんごは土地を整えたりする必要があるのでしょうから、いきなり、他の人が真似をするわけには行かないでしょうが、玄米なら、いつでもだれでも食べられそうですね。

精製しなければ良いのですよね?
詳しくは知らないのですが。


どこかの定食やさんで、ご飯を玄米が選べるようにしていたなら、今の私なら、きっと玄米を選びますね(笑)。
本当に健康に良いようです。



思うに、このりんご農家の方と、野中邦子さんたちが組んだら、どうなるでしょうか?
おいしくて健康に良い大きなりんごができるのかもしれませんね(笑)。

そうしたら、高級フランス料理やさんではなく、少なくとも、ちょっと良いくらいあの喫茶店で食べられるかもしれません。

なんでも、今は、ネット販売に登場しますと、あっという間に、なくなってしまうそうです。

みなさんは、このりんごを食べたことがあるでしょうか?





さて・・・・・・
いろいろありますが・・・
先日アザラシの親とはぐれた赤ちゃんを保護している外国人女性の番組がやっていましたが(笑)・・・
リビングにアザラシの赤ちゃんが3,4匹いるのですが、何匹かは暖炉に寄って行きます。

その女性によれば、アザラシの赤ちゃんは暖炉の火が好きだということです。
意外ですね。

良く動物は火が嫌いだと聞かされる機会がありますので、何となく潜在感で、「きっとアザラシの赤ちゃんも火は苦手だろう」などと思い込んでいるところがありますが、そうではないうということです。

また、この女性はバイオリン奏者でもあり、あざらしを救うための費用を得るために、CDなども作っているのですが、この人が生みでバイオリンを弾きますと、たくさんのあざらしが海から顔を出してきます。

不思議ですね。
この人の自作の曲なのですが、その曲自体・・・つまりメロディということですが・・・にあざらしを引き寄せるものがあるのか、それとも、音色なのか、両方なのか・・・

想像するに、あざらしと波長のあう波動を持っているとすれば、メロディにも音色にもその影響は出てくるでしょうね。

みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・・なんでも、ノロウイルスというのが、流行っているそうですが。
Jリーグの選手も感染しているようですので、よほど強いのでしょうね。

テレビでは、漂白剤系の潜在でないと菌はなくならない、と言っていますが、あれはれで、あまり体に良いものではありませんね。


本物研究所で売っている「安心野菜」と言いますか、「サーフセラ」と言いますか、あれは、Oー157なども、駆除できるようですので、効果はるのでしょうか?
確かどこかの病院では、院内感染を防ぐために、これを使って、院内を消毒しているようなことを読んだことがあるように思いますが。

これは、まったくもって有機物ですので、体には害がないようです。
検討してみて欲しいですね(笑)。

また、熊笹のエキスなども効果があるのかもしれませんね。

みなさんは、どう思うでしょうか?






で・・・森田健さんの不思議研究所で中国での調査報告をしていますが、「骨相」での占いについて書かれていますね。
盲師派推命占術などと比べても、遜色ないくらいに当たっているようです。


思うにすべては相似形である、ということを考えますと、この世のものの全てには掛が現れているのだろうな・・・などと考えてしまいます。
後は、その掛をどのように読めば良いのか、ということになってくるのかもしれません。
正にそこが、大事なところなのだと思いますが。

この骨相でも、違うアプローチをすれば指先1本の骨にですら、すべてを知っている掛が出ているのかもしれませんね。
もちろん指では小さすぎて、多くの情報を読み取るのには、それこそ骨が折れるかもしれませんが。

不思議研究所での占いの調査を読んで行きますと、その人の特徴や、その時間固有の「あり方」を、比較的分かりやすく表しているものから掛を読み取るものが多いわけですが(占いとはそういうものでしょうが)、私で言えば・・・噛み跡にそれは色濃く出ていますね(笑)。

前歯が出ていて、しかも、いくらか間が開いていますので、スイカでもパンでも、噛み跡は、本当に分かりやすい跡が出来ます(笑)。
ちょうど、凸、のようになるわけですが(笑)。




今ラジオでザ・ピーナッツの歌う「マイホームタウン」が流れていますが・・・これはポール・アンカのヒット曲のコピーですが、日本語の歌詞に「お寺の鐘・・・」、「ふるさと・・・」などの言葉が出てきますね(聞き間違えでなければ)。

所有しています坂本九さんの同じ曲の歌詞には出てきませんので、きっと違う歌詞なのでしょうが、こちらはこちらで良いのですが、せっかく日本人が歌う日本語の歌詞なら、このようにただ訳すのではなく、日本の町並みが感じられる歌詞であるのは良いですね。
その方が「マイホームタウン」と名づけられた歌詞も喜ぶでしょう。

無国籍映画・・・というのがありましたが、思うに、あれも、外国から入ってきたさまざまな文化を無理に消化しようとしていた時代から出てきたものなのかもしれませんね。

やはり歌詞に、「チャペルがどうした・・・」だと、それこそ無国籍歌詞になってしまいますが(笑)、日本なら「お寺の鐘」ではじめて「生きた歌詞」というように感じます。

もちろん、意訳ですし、意訳というより、日本語の新しい歌詞なのですが、この歌詞を聴いていると、やはり本当は、アセンションなどの神示も、日本人には日本人チャネラーに降りてきたもの、それぞれの国にはそれぞれの国のチャネラーに降りてきたもの、を知らせていくのが、少しでも正しく伝えるには良いのかもしれませんね。

もちろん、各種ある翻訳によるものでも、良いのだと思いまし、それらを受け取り、発信している方々は、志を同じにするものだと思ってはいますが。
ただ、日本には折角日月神示とか、岡田多母さんの本などがあるのにな、と思います。

そうとは言え、どうしても、外国文化に劣等感を持っている人もいますので、翻訳ものが効果を発揮することもありますね。

私でも、つい先日までは、伊勢神宮がどういうもので、どれくらいすごいものかなど、まったく知りませんでした。
むしろ、逆で、日本のテレビ・報道の中で育った私などは、あのバチカンのローマ法王のいる教会などは、定期的に映し出されますので、「なんか知らないけどすごいんだろうな」などと思っていました。

もちろん、どちらがすごいとか、そういうことはどうでも良いのですが、少なくとも、伊勢神宮が世界のどんな霊的に荘厳な存在にも引けを取らないものである、ということについては、「日本人が当然知っているべきこと」として、定期的にテレビなどに紹介して
欲しいですね。


世界にはすばらしいものがある、そして、日本にも、それらに勝るとも劣らないものがたくさんある、ということですね。

そして、これからは、西洋から東洋へ時流が変わるにつれて、日本の本物、東洋の本物を、どんどん世界中に知らせて行きたいものです。

かく言う私も、まだ伊勢神宮には一度も詣でたことはありませんので、是非、行きたいと思っています。
もちろん、他にも、行ってみたいところはたくさんあるのですが。

みなさんは、どう思うでしょうか?




さて・・・・・・
先日、ラジオを聴いていましたら、生き方・信仰などについてのフォーラムの模様を流していました。
そこにパネラーとして宗教研究家が出席していましたが、面白いことを言っていました。

それは”宗教”という言葉についてなのですが、寝際でしたので、小さな音で聞いたいましたので詳細は聞き逃しましたが・・・なんでも、”宗教”と言う言葉は、元々仏教用語か何かだそうです。

近代になるにつて、海外の文化が入ってきた時・・・と言いますか英語なのですが、 religionを翻訳するときに、適切な言葉が見つからなかったのです、とりあえず一番近いと思われる”宗教”という言葉を当てはめたそうです。

元々は宗教という言葉は、不確かですが「大きな悟り」のような意味の言葉のようです。
ネットで調べてみましたが、正確な意味が出てきませんのでご了承ください。


で、その方が言うには・・・私が噛み砕いたものですので、言葉一つひとつは異なりますが、8割方あっていると思います・・・

「今日”日本人は特定の宗教に属していないので信仰心がない”と言われるが、それは西洋式の”特定の教団”に属して、それにのっとり教えを守り、行動するということを信仰・宗教としているからという面もあります。

古来より日本では、特定の宗教団体に属する、というものを信仰心、宗教心、というのではなく、大自然の営みそのものに神のような存在を抱き、一体になって生きていく、という姿こそが、正に信仰・宗教心というものであったのです。
ですので、信仰心・宗教心を考える時、特定の教団に属する、という形は元々西洋式のものであり、religionを宗教と訳して以降、それが逆の意味で今日に残り、西洋で言うところのreligionのあり方が宗教・信仰という意味で、今の日本で使われている、そして、それはもともとの日本人的なものとは異なる、ということを知っておくのは大切なことです。」

ということです。



もちろん、結論としては、
「日本人は、何千年にも及ぶ間に培われた日本人としての信仰心・宗教心を大切にしましょう」
という意味を込めたものであると感じます。

ですので、やはり八百万の神、という発想こそ日本の信仰心であり、その意味では、クリスマスを祝っても良いのだと感じます(笑)。
それは、信仰心がないのではなく、すべての聖なる存在を肯定している、ということであり、また、全てに魂がある、ということを潜在意識で知っている、ということなのかもしれませんね。

第一、確かに近代キリスト教は、長い間に政治的な意図によってゆがめられているようですが、キリスト自身はいろいろ読みますと、大神さまのメッセージを受け、がんばっていた、というのは事実のようです。
そうであるなら、みんなでお祝いしてあげるのが、私は”良いこと”なのだと感じます。

みなさんは、どう思うでしょうか?


で・・・ここでも、やはり、翻訳ということがキーになっています。
固有名詞以外は、決して一対一で世界中の言葉が対応している、ということはないですね。

ですので、先日も官房長官でしたでしょうか、英語の堪能な政治家の方が「sensitive」だったでしょうか、何か普通の日本人としては馴染みのない英語を、しかも大事な政治方針を説明するような場で使っていましたが、できるだけ日本語を使った方が良いのでしょうね・・・日本人と話すときには。


私はいろいろな名称・・・建物でも、場所でも・・・もできるだけ日本語が良いな、と感じますが、よくある学術用語のむつかしい漢字の塊のようなものは、確かに、日本語による名称を一般なら引き離してしなう原因になっているかもしれないな、とは感じます。

法律用語でもなんでも、そうなのでしょうが。

製造物責任法(通称:PL法-Product Liability-)というのがありますが・・・
ものすごく簡単に言いますと、作ったもので、何か不利益を購入者に与えた時は、メーカーに責任がありますよ、という法律のようです。

これくらいの漢字なら、それほど違和感はありませんね。
意味も、なんとなく伝わってきますが。
しかし、PL法という言葉では、なかなか素人には概念が掴みにくいですね。

「 Product Liability」の「Liability」というのは、責任、義務、という意味のようですが、主に、「支払いの責任のある」というような場合に使う” 責任”という言葉のようです。

普通、私たちは責任、と言いますと、responsibility という言葉を思い浮かべますね。
そして、私たちは、別に、支払いに関しようが、なんであろうが、「責任」という単語は「責任」ひとつです。
英語では、とにかく異なるようです。

それは、お金に対しての意味が、我々日本人といくらか違うのかもしれませんね。
きっと、他国の言語でも、また違ったニュアンス(・・・英語ですね。日本語では”内包される意味”、とでも言うのでしょうか:笑)が込められていたりするのでしょう。



とは言え、どの国の人でも、異国情緒を感じるものに、あこがれや新鮮な感じをもったりするのも当然です。
その意味で、英語であろうがフランス語であろうが中国語であろうが・・・その言語を使っ命名することにより、商品などのイメージを作ったり、逆に日本語では表現できないものを表したりする、という行為は、いけないことだとも思いません。


あるいは、正に、日本語だけでは表現できないようなもにこそ、本当は外来語を使うべきなのかもしれませんね。

もちろん、外国人と話すときには、外国語と言いましょうか、お互いが話せる言語、ということになるのは、構わないのだと思いますが。


みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・
神田昌典さんのメルマガですが、「与えると入ってくる」の別バージョンです。

(転載)
『キーワード:
お客様に役立つ情報を発信していれば、自動的にビジネスはコンテンツ化していく。

解説:
モノを販売するだけでは、ライバルとの価格競争に陥る。
利益をあげるためには、モノに加えて、精神的な豊かさを実現するコンテンツを提供しなければならない。

コンテンツをつくるために重要なことは、お客様に役立つ情報を発信するというはじめの一歩を踏み出すことである。
情報は呼吸のように循環するので、出せば入ってくる。
入ってくれば、出したくなる。
だから一度、情報を出し始めると、自動的にコンテンツ化は進むんだ。』
(以上)



思うに、私がもし普通の人より情報が多く入ってきているのだとしたら、ここで出しているからでしょうね。


情報は、ものすごく有用なものですね。
ですので、場合によっては、自分だけのものにしておきたい、と思う人もいるのかもしれませんが、どうもそういうことをやりますと、次の情報が入って来ないようです。

ですので、世間のため、と考えられる人はそれで良いのですが、「そんなのかっこつけてる」と思って出来ない方は、「自分のため」で良いのだと思います。

出すと間違いなく入ってきます(笑)。


ですので、版権・著作権などの知的所有権なども、本当は政木和三さんのように、放棄するのが、長い目で見れば・・・あるいは今の時流で考えれば良いのでしょうね。

政木和三さんによれば・・・何度も書いていますが・・・ほとんどの発明は、脳波をシータ波にして得た情報であり、多くは昔々にだれかが作ってすでに何度かこの地球上に出てきたものであるようです・・・あるいは他の星の文明かもしれませんが。

政木和三さんによれば、「ほとんどの発明は1秒(瞬間だったか)でできてしまうので、そのようなもので、特許を得て、お金をもらうわけにはいかない」ということですが、これは別に発明の時間が短い、ということだけではないでしょう。
アーカシックレコードのようなものから、情報を引っ張ってきたのなら、それはすでに全時空のものでありますので、それでお金をもらうわけにはいかない、ということなのでしょうね。

きっと、発明も、自分のものにしないで、外に出す、人に知らせると、ちゃんと、また別の”発明”がやってくるのでしょう。
だから、あんなにたくさん発明をしたのでしょうね。

みなさんは、どう思うでしょうか?




さて・・・・・・
夕方以降、歩いていますと、ウオーキングをしている人を良く見かけますね。
良く知らないのですが、おそらく都・県・市・区などが推奨しているのでしょうか。

医療費が上がっていることが問題になっていますが、どうやら医療行為としては、人間の持っている免疫力を過小評価して、薬を使いすぎることに問題があるようですね。

ですので、免疫力強化により治癒する方向が正しいことを、いろいろな方法で知らしめていくことが必要なようです。

但し、これを医学の方面でやるには、いわゆる、実地での証明とは別に、”医学的な証明”というのが必要なようですので、時間がかかるでしょう。
もちろん、そのほかにも、3次元的な意味での各種根回しのようなものも必要なようですが。


それでも、すでに証明されていることを利用して免疫力強化につながるようなことをするのは可能でしょうね。
つまり、「有機野菜はおいしい」ということは食べれば分かるわけですので、そういったものをキャンペーンするとか、「玄米のおいしい食べ方」のようなものをキャンペーンするとかですが。

もちろん、既成の関係団体がいやがるかもしれませんが。

それとも、どうせなら農協などが、新しい農業製品(?)として、有機農法による野菜などを自らキャンペーンしてくれたら良いですね。

そういったことをしますと、どうも、医療費が節減できるようです。



で・・・
テレビを見ていましたら、面白いことを言っていました。
また、翻訳がらみなのですが、英語で、眠れない時に羊を数えますね・・・Sheepですが。
日本語でも、これの、翻訳バージョンで、羊が・・・と数えますが、あれは、寝るのSleepと羊のSheepが似ているので、シープと言っているとスリープしてしまうようです。

ですので、羊、と何回言っても、どうも、本当は効果がないようですね(笑)
もちろん、「これを言うと眠くなる」という想念によって眠くなる、ということはあるとは思いますが。

日本語でしたらなんというのが良いでしょうか?
また、思いついたら書いてみます。




テレビねたを続けますが(笑)・・・
女性のタレントさんが、「やりたいことがあるから勉強する・・・」と言いましたら、ビートたけしさんが、「やりたいことを見つけるために勉強をするんだよ・・・」という意味のことを言っていましたが・・・

目的は一度だけ、思いっきり大きいものを持ったら、忘れてしまった方が良いようですが・・・それとは別の話で、上の話は、納得してしまいますね。

みなさんは、どう思うでしょうか?



もうひとつ・・・
いつかも書きましたアメリカ人の天才(?)子供ドラマーがまた出演していましたが・・・
大人のインタビュアーが
「どうして、あんなにパワフルなドラミングができるの?」
と、聞いたところ、
「神さまがパワーをくれるので、できるんだ」
と言っていました。

これは、子供が、たとえ話をした、と取る方もいるのかもしれませんが、私はどうも、「本当にそれを感じているから、そう言った」と感じました(笑)。


この子は、名ドラマーのバディ・リッチのように、一度聴いたドラムを完全に暗譜して叩けてしまうのですが、これもまた、「神さまがパワーをくれるから〜ができる」ということを知っているからできるのでしょうね。


ちょっとでも、理論的になっていた方が、受け止めやすい、という方には・・・
神坂新太郎さんの「スピリット波動」と呼ばれる宇宙と言いますか高次元と言いますか、底から来る、生き物の松果体へ命令を出している信号のようなものをイメージすれば良いのかもしれませんね。

鳥や魚がみんなで同じ方向に行ったり、急に同じ方向に向きを変えたり・・・
これらは、スピリット波動のようです。

その意味では、心臓が動いて生きている、ということも、ものを考える、ということも、おそらく、何かそう言ったものがあるから、なのかもしれませんね。

そうだと、確かに、今の科学的方法で研究しても、見つからないものがあるのかもしれません。

みなさんは、どう思うでしょうか?



で・・・政木和三さんねたを・・・
http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page020.htmlですが・・・
(引用)
※ 私は本も新聞もほとんど読みません。必要なことは神示でくる。何をするとき でも、文献を集めたら終わりです。まず自分でやろうと思ったことを先にやっ て、そのあとで文献で確認すればよい。
(以上)

これだけ読みますと、実に簡単な話で、
「神示でこうすれば良い、と言ってくるので、その通りにやるだけ。どういう理屈だったかは、やった後に確認すると、ちゃんと3次元的理屈も正しかったことが分かる。それは当たり前で神さまがそうしろ、と言ったのだから・・・ですね」
ということなのですが・・・
直感通りにやって、正にその通りになった、ということもありますが・・・
直感の通りにやらなくて、後で、但しかったことが分かる、ということが時々ありますが、みなさんはどうでしょうか?

つまらない例をあげれば、買い物などで時々あります(笑)。
「なんか知らないけど、これを買いたいと感じている・・・でも、今必要ないし、ちょっと高いからやめよう・・・」
と思いますと、後で必要だったことが分かったり、相場ではもっと高いものであることが分かって、しかたなく高いものを買うことになったり・・・ということがあります。


ここでの、「後で文献で確認・・・」とは、後で市場価格を調べる・・・ということに当たるかと思いますが(笑)。

そうとは言え、「買いたい」と気持ちがいつも直感かと言えばそうでもなく、単なる欲望だったりするときもありますね。
ただ、”今のところ”ですが、ちょっとだけ、違うみたいです。
どう違うかは、”今のところ”説明はできません(笑)。


また・・・買い物の例だけで行きますと、困るのは、「必要がないけど、流行だとか、我欲的に欲しがっている」状態の時に、「直感でも同時に買ったほうが良い」というような感覚が訪れている時なのですが(笑)・・・
こういう時は、「我欲」なのか、「直感」なのか見誤ることもあります。
つまり、直感と思ったら、どうも我欲だった、我欲かと思ったらどうやら直感だった、ということですね。

もちろん、買い物だけでなく、いろいろな場面でそうなのですが。

最近は、見誤りは相当減りましたが、しかし、考えすぎると間違えます(笑)。
しかし、この考え過ぎこそ、本当の”我欲”なのだな、ということは少し分かってきました。

どういうことかと言いますと、「これは我欲で欲しがっているだけなのかもしれない。そうであるなら、これを買う(行う)ことにより、過ち・損害をこうむることになるかもしれない」
という気持ちが我欲なのでしょうか。

説明が足りないのは承知の上ですが、今はここまでしか分かりません。


ただ思うのは、完璧な自分と不完全な今の自分という存在がいると発想している状況下で、不完全な今の自分と言うものに、意識を持って行き過ぎると、上のような余計なことを考えてしまうのかもしれません。

仮に生成発展中の自分がどの段階でも「完全」であるとするのなら、その時の自分の気持ちというものは、すべて「正解」なのかもしれません。

そうしますと、出てきたものは、結果であり、正解・不正解はない、ということになり、余計なことは考えなくなるのかもしれませんね。

それがありますと、直感に素直に従えるということができるのかもしれません。


みなさんは、どうでしょうか?





さて・・・
セレンビティティやシンクロですが・・・
もう最近は、相当一般的にも広まってきた(本当か?)言葉のように思いますが、一応簡単に書きますと・・・
センレンビティティは、何か違うことを一所懸命していたら、思いがけずすごい発見・発明・めぐり合いなどが訪れること・・・
シンクロは、同時に世界中の離れたところで、同じような発想・発言・発明などが同時に起きること・・・個人レベルでも、社会レベル(?)でもですが・・・
ということだと思います。


私は相当以前から目に見えないこと、不思議なことというものに興味がありましたが、それでも、ここ3,4年より前の段階では、今ほどに知識はありませんでした。

で・・・今、まだまだではありますが、その知識で思い返してみますと、この2つに関していろいろ考えることがあります。

と言いますのは、セレンビティティ、シンクロを肯定しますと、ある種のねじれ(?)が解消されるのです(笑)。

実は、「秘密にしていたのに、なぜか、他の人がそれを知っているとしか思えない行動を私にしてくれる。一体どういうことだ。〇〇さんがリークしたのか。リークでなくとも、気を使ってだれかに相談でもしたのか・・・」というようなことを考えることが、昔から良くあったのです・・・。

こんな時、今より更に未熟な私は、「内緒だって言っておいたのに・・・」とか、「誰にも言っていないはずなのに・・・」、「私では無理だと言うのだろうか?」などと思ってしまっていたわけですね(笑)。

これが、もっと”有り得ない”、”不思議な”ことであれば、そうは発想しなかったのでしょうが、理論的にはありえてしまう程度の現象でありましたので、そう思ってしまう余地が当時の私にはあったわけです。


そうしますと、場合によっては、いくらかの不信感などを持ってしまっていたのですが・・・しかし、今はこういうことはまったくなくなりました(笑)。

その内のほとんど全ては、どうも、セレンビテイティ・シンクロだったんだな・・・と思い返しても納得いきますし、そちらの方がよっぽど自然です。


そうしますと、たとえば、漫画家の松本さんが、槙原さんという歌手と歌詞の盗作でもめている件なども、セレンビテイティ、シンクロというものが実際ある、という前提で考えれば、あそこまでもめるようなことでもないでしょう。

また、こんな例もあります・・・
ジョン・レノンのドキュメンタリー映画で「イマジン」というものがありますが、その中でのシーンですが・・・
ある日、ジョンの広い家の庭に、侵入者が現れます。
どうやら熱狂的なフ男性ファンであり、危険な人ではなかったようですが、ジョンとヨーコさん、その他の人たちが集まり、その彼と話をしています。

彼は、どうも、ジョンが個人的にテレパシーで・・・とまでは表現されていなかったと思いますが、「あなたのは歌詞は私のことを歌っている」のようなことを言います。
ジョンは、「私は別にだれのことも歌っていない。すべて創作だ」というようなことを言います。
彼はそれで納得し、その後、ジョンが「おなかはすいてないか?」と声をかけ、みんなで中に入り食事をします。
食事は、トーストだったか何か簡単なもので、熱狂的ファンがミルクにパンを付けて食べているシーンが印象的でしたが・・・。


これは、セレンビテイティ、シンクロ現象が起きて、それがジョンの歌詞の中に現れたとも取れますし、、あるいは、「すべてはつながっている」ということから考えれば、彼の発したなんらかの気持ち、想念、あるいは一種の問いのようなものに対して、その回答・返答が、ジョンの歌詞に現れたとも、取れますね。

そう考えますと、別に不思議でもないです。

もっとも、本当にだれかが、だまって何かをしてくれた、ということだってあるのだと思いますが、いずれにしても、「すべては繋がっている」ということを認識して、時空全体に感謝する、で良いのだと思います。


ふと、そんなことを思ったわけですが・・・
みなさんは、どう思いますか?









で・・・これらのシンクロなどは、思っていることが、何かを媒体としてどこかへ伝わっているようですが、関英男さんは念波という仮説を立てていますし、その他いろいろ言われています。

エハン・デラビさんは、「空間はプラズマで満たされていて、それを伝わって、すべてのものは繋がっている。そのスピードはものすごく速い」というようなことを言っています。

いずれにしても、媒体が何か?ということだけで基本的なことは同じことを言っているのだと思います。

ただこのプラズマ説は、理由は説明できませんが、なぜか正しそうだ、と感じています。



素人ですので書きますと(笑)・・・
スピーカーというのがありますね。
あれは、CDプレーヤーなどのオーディオ機器から出た電気信号がアンプで増幅されて、そのアンプに繋がったスピーカーへ電気信号を送りますと、それによってスピーカーが振動して、あのようにさまざまな音を出すわけです。
プラズマをものすごく簡素化して電気信号の塊だとしますと・・・
途中の説明が抜けますが(笑)、思うことにより、それが電気信号となり、プラズマを媒体として体を振動させる・・・
これが所謂波動であり、そのスピーカーに当たる人間から出てくるものが、良く言われる雰囲気・気持ちというものなのかもしれません。
そして、この振動によって、また空間のプラズマに振動が起き、それがどこかへ伝わっていく・・・
そしてそのスピードはものすごく速い、神経と同じくらい、あるいはもっと速い、少なくと光速以上である・・・ということなのかもしれません。


高次元的には善悪はないと、先日のトランスチャネラーの方の守護神に言われましたが、少なくともこの3次元においては、振動には意味がありますね。
たとえば、ものすごい超低音、ものすごい超高音は、ものを破壊してしまうようです。
それが、高次元的には善悪関係ないことでも、3次元的には、なんらかの作用をする、という意味ですが。



体の中の電気ということで、もう少し書きますと・・・

http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page020.htmlにある、政木和三さんの言葉ですが・・・
(引用)
※ 人間の神経の中にコンデンサーがあります。このコンデンサーは充電、放電 しても電圧が全然下がらない。人間は未来永劫この様なコンデンサーを作ることは出来ない。現在の物理は程度が低い。真理は自然の中にあるから、自然のものをそのまま使えばいい物が出来ます。人工的に作られた物はすべて ダメです。
(以上)

ということです。

私は、人間の身体についての特別な知識はありませんので、詳細は分かりませんが・・・要するに、常時安定した一定の電圧を供給するコンデンサー(電気を貯めておくところ)があるようです。
つまり、その一定の電圧が、もっとも良い状態である器官が人にはある、ということなのだと思います。

エレキギターでは、音を変えるために、コンデンサーを付け替える、改造する、ということを素人レベルでも良くやります。
「このピックアップ、ギターという仕様のものに、〇〇というコンデンサーを付ける(付け替える)と、暖かい音になる」ですとか、「パワーのある音になる」のようなことが、知識として広まっています。

これは、「初めから付いていたコンデンサーで供給される電圧によって作られる音が、ギター所有者にとって最適な音ではないので、コンデンサーを変えるのだ」、という発想をすれば、上記の「体の中にコンデンサーがあり、安定した電圧を供給している」、ということがどういう意味なのかは良く分かるように思います。

ちなみに、私くらいの知識の方に分かりやすく言えば・・・安定していなくて、動かせるコンデンサーは可変コンデンサーなのだと思いますが、これは要するにボリューム、と考えて良いのだと思います(違っていたらだれか教えてください・笑)。

つまり、電圧が上下しますと、音の大きさで言えば、大きくなったり小さくなったりするのですね。




もっとも、これはエレキギターのようにアンプで増幅する、という機械の話ですが・・・コンセントをつながなくてはいけないような機械は、今度はトランス(
電源)のことも考えなくてはいけないのだと思いますので、むつかしい話なのですが(笑)。

実際ギターでは、今度はつなげるアンプ(これはコンセントが必要)との兼ね合いで音が変わりますし、アンプ側の、ボリューム、ゲイン、マスターボリュームの調整によっても、出てくる音は変化します。
更に言えば、各種トーン調整のボリュームまで付いていますので(複雑)。

更に先には、コンセントプラグから供給される電気の安定度・・・コンセントプラグが2つに分かれていますが、それのプラス・マイナスまで、音・・・つまり電気によって伝達し発生する振動・・・は影響を受けます。



そして、実は音そのものは電気だけではなく、その音を奏でる部屋、コンサートホール自体がまた楽器的な意味を持っていて、その作り・形状によって人間の耳に届く音というのは変化してきます・・・・。

また、電気的に増幅するギター・・・エレキギター・・・・でも、ギター自体が一枚板ではなく、アコスティック・ギターのように箱状になっているものは、そこでアナログ的な効果が加わり、暖かい音となることも知られています。

もちろん、聴く人の精神状態によって、どう聞こえるかということだって出てきます。
一番最初に来る、弦をどれくらいの強さで弾くか、どういう物質で弦を弾くか(指・ピック)ということも音に影響しますが、それは、弦を弾く強さで言えば正に神経を通る電気によって決まりますが、ピックなどは、3次元的物質ですので、どういった物質を選ぶかということについては、コンサートホールと同じような意味有りがあるでしょう。



と、思うがまま書いてみましたが、電気と言いますか、電圧の大きさというのは、振動・音に相当影響するようですね。

そして、こと音という点で言えば、電気的なことだけではなく、3次元的物質も、相当関わってくるようです。

この点を考えてみますと、ピックなどは柔らかければ柔らかいほど、出てくる音も柔らかい傾向があります。
またホールなども、広くて堅い材質でできていればいるほど、エコー感が大きくなってきます。

ですので、「こういう音が出したい」となりますと、すべての要素を合計して、要するに岡田多母さん式の真直の真平にするためには、そこに音に関係してくるすべての要素を考慮しませんといけないようで、「このギター」とか、「このピック」のようなことに固執しますと、場合によっては違う音が出てきてしまうのでしょう。


そう考えますと、非常に相対的に全てのものは絡み合っているようですので、万能のものはないのではないか?となってしまいますが、EM菌のようなものもありますので(笑)、そうとばかりは言えないようです。

但し、万能というものは、基本的には少ないですね(笑)。


しかし、ことギターで言いますと、各種影響を音が受けるとは言いましても、肝心のギター自体が良い音のするものでありますと、あまりTPOを選ばずに良い音がする、という事実もあります・・・。

これは、事実なのですが、言いえて妙ですね(笑)。

まとまりがありませんが、みなさんは、どう思うでしょうか?





で・・・日をまたいでいますが・・・
上の最後の「各種影響を音が受けるとは言いましても、肝心のギター自体が良い音のするものでありますと、あまりTPOを選ばずに良い音がする、という事実もあります・・・。」という言葉は、船井幸雄さんの言う波動の原則の中のひとつである「上位の波動は劣位の波動をコントロールする」ということなのでしょうね(笑)。

つまり、これこそ、のひとつである「上位の波動は劣位の波動をコントロールする」の典型的な例と言えるのかもしれません。

みなさんは、どう思うでしょうか?


 


で・・・・・・
エッチなことをしたとして犯罪者扱いされてしまっている経済評論家の方ですが・・・
やはり、どう考えてもハメラレた可能性が高いですね・・・。

この手の犯罪が数年前から急にクローズアップされているように感じますが、これもひょっとしますと、こういう使い方をするために、綿密(?)に計算されていたことなのかもしれませんね。

だって変ですね・・・ほとんどの場合、被害者が申告しますと、それが通ってしまうわけですね・・・
本当にそういうことに巻き込まれた被害者は、別として、このあり方は、ある種の策謀罪のように見ますが。
要するに、変形の治安維持法とでも言うのでしょうか。

思いますに、上の件以外にも、昨今まるでスパイ映画さながらのことがたくさん起きているようですが・・・と言いますか、戦後も何度もあったスパイ映画さながらのできごとは、隠されたままでしたが、やはり時流の変動と共に、表に出てきた・・・隠し事ができなくなってきた、ということなのかもしれませんね。


この時流は思うに、何も隠している悪いことだけが浮上してくる、ということではないのでしょう。
表に出なかった良いことなども、きっとすごい勢いで浮上してくるのでしょう。

そうしますと、ある日突然ものすごい歌のうまい人ですとか、ものすごい楽器のうまい人などだ、突如として出てくる可能性がありますね(笑)。
そうして、インタビューしたりしますと、「いや〜私はもう芸歴30年ですが、これまで、せいぜい30人入れば満員になってしまうようなところでしか演奏したことはありませんね。隠していたわけではありませんが、なにか自分の性にあっていましてので・・・」とか、なんとか・・・・。

果たして、どうなるでしょうか?





さて・・・
アースハートの野中邦子さんですが、私は船井幸雄さんの推薦しているものは、無条件に信じてしまいますが(笑)、あの病気治療の技術がもっともっと一般に広まると良いですね。

75万円の件は、私はこれもまた無条件に信じることにしました。
「無料だとありがたいものだと認識できない人があまりにも多いということ」、「75万円は発展途上国の学校建設費として全て使われていること」・・・それで良いのだと感じます。

森田健さんの占い関係のテキストが高価であることも有名ですが、同じような意味あいがあるのかもしれません。
良く分かりませんが。

とは言え、一般論で言うなら、無料だとありがたがらない・・・というのは、分かるところもありますが、それでも本当に嬉しいものだったら、値段は関係なく、むしろ安価な方が良い、というのは普通ですね・・・

それでも、高価な方が、長い期間”有り難味(?)”が継続する、というのも確かでしょう。

別の見方をすれば、普通であれば自分の病気は治したいとは思っても、他人の病気を治したい、とはなかなか思えないのかもしれませんね。
なので、あえて高価な価格をつけることにより、その意義を再確認してもらう、という作用があるのかもしれません。
想像ですが(笑)。

いずれにしても、試行錯誤の末、たどり着いたやり方のようですので、きっと、正しいのでしょう。

もっとも、今は面接をすることにより、病気治療の技術を教えるかどうかを判定しているようではありますが。

いずれにしましても・・・私は、本物なのにも関わらず、世間からとやかく言われている存在を見ますと、無性に応援したくなります(笑)。

ただ、野中邦子さんへの見方が変わりましたのは・・・にんげんクラブミーティングで言っていた「私は、中年の女性の治療はどちらかというと苦手で・・・」という発言ですね(笑)。

それを聞きますと、
「ああ、一種の超能力者(当人は違うと言っている)なのに、苦手なんだ。若々しくてきれいだからな。」
などと思ってしまいます。
「そこら辺を超えてしまうような、精神レベルは私だって持っていませんよ」、という無言の表明と言いましょうか、「普通なのですよ」という強がらない姿勢が、本物かもしれないな、と感じさせてくれます。

なんとなくですが・・・強がらない女性に本物を感じてしまいます。


みなさんはどう思うでしょうか?



但し、いろいろな方を見ていますと、どうも男性は70歳近くまでは、いくらか強がっていても良いようですね。
つまり・・・仙人とまでは言いませんが、悟り過ぎなくても良い、という意味ですが。

それでも、強がらない女性の方が3次元的意味で大人に近いのかもしれませんが。
ここら辺にも変性女子とは何か?の意味が隠されているかもしれませんね。

ひょっとすると、強がらない男性、という意味に近いのかもしれません。

そして、まだ良く分かりませんが、すべての男性が変性女子になり、全ての女性が変性男子になると、どうも良い状態のようなのですが・・・マクロに言えば、女性というのは生まれつき、男性の変性女子との距離よりは、ずっと、変性男子に近いのかもしれません。


それでは変性男子(女性がなるもの)とは何かと言えば・・・女性らしい女性のことなのかもしれません(笑)。

男性が変性女子・・・強がらない男性・・・になり、女性が変性男子・・・女性らしい女性・・・になる、では矛盾を感じる人もいるかもしれませんが、とりあえず今はなんとなくそう思えてしまいます(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?






さて・・・
一ヶ月ほど前に書きました、江本勝さんの会社での波動機器オペレーターでの求人の件ですが・・・
残念ながら不採用でした(詫)。
応援してくださった方々、申し訳ありませんでした(詫)。

さすがにみなさんお忙しいですので、二次面接まで行き、結果が出るのに、一ヶ月以上かかりましたが、いろいろな方とお目にかかれて大変嬉しかったです(感謝)。

協力および関係くださった方々、ありがとうございました。

しかしながら、先日のトランスチャネラーの守護神のいう「企業経営者に会い、時流の変化を説いていく会社を作るのが良い」の準備段階として、波動機器のオペレーションなどの何らかの技術を習得する、という気持ちは変わりませんので、いろいろ探して行きたいと思っています。

みなさんは、何か知っているでしょうか?
知っている方、および、ご協力いただける方などいらっしゃいましたら、lanikai992000@yahoo.co.jp
までご連絡ください。



で・・・実は、先週の土曜日に、IHMの20周年記念講演・「ウォーター・フォー・ライフ・フェスティバル」を見に行きました。
レポートしたくてしょうがなかったのですが(笑)、諸事情および考えるところがあり、レポートを控えていましたが、本日から掲載していこうと思います。

考えるところとは・・・
良いところを褒めて書きましても、「どうせ、自分の就職の件でおべっかをつかっているのだろう」と、思われましたら、本当に良いものが”良い”と伝わりませんので、控えていた、ということ・・・

何を書くにしても、不採用の場合、「書いたこと」により、それが影響した、と思われては、協力いただいた関係各位に申し訳ができないこと・・・
などですね。

諸事情は諸事情です。
別に隠そうとは思いませんが、書く必要のないことは書かない、ということですね。



さて・・・江本勝さんをはじめ、EM菌の比嘉 照夫さん、船井幸雄さん、来賓の方々などたくさんのお話を聞くことができました。
船井幸雄さんの講演内容については、にんげんクラブのメルマガで、こだまゆうこさんが、すでにレポートしていますね。
(本当は、先を越された・・・と思ったりしましたが:笑)。

と言いましても、このメルマガはにんげんクラブ会員の方以外は見れませんようですので・・・少しだけ引用しますと・・・
(引用)
「先週の土曜日は、株式会社IHMの主宰する、「ウォーター・フォー・ライフ・フェスティバル」にて、船井の講演がありました。
このイベントにきていたお客様はみなさん笑顔で、最後はなんと全員で合唱をするほど。
いい人たちに出会えてとても楽しい一日でした。

船井は講演中に、
1000名近いお客様の前で、「ウソをつかない、ホラをふかないエエカッコしない、言えることは、できるだけあけっぴろげに言うことにしました」
そう、何度も言っていました。

ちなみに「もう白状すると、若いときはホラを吹くこともあったけどね。」
とも、言っていました(笑)。

秘密やウソ、策略のない平和な世の中は、まずは自分でつくるもの。
すべての人が秘密を持たない世界は、じつはすぐそこに来ているのかもしれませんね。


(以上)
ということです(笑)。

当日は、考えるところがあり、いつものように真ん中ではなく、いくらか端の方に座っていましたが・・・
船井幸雄さんが、「やる気のある人はセミナーなどでも、一番前に座っている。そういう人は伸びし、結果も出す」と書いているのは良く知っていますので、なんとも目を合わせるのが辛かったですが(笑)、他にも、いろいろと興味深いことを話していました。
順を追ってリポートしていきます。


さて・・・リポートですが・・・
当日は、いつもの講演のように相当早くつきました(笑)。
良い席を取るためですね。

いくらか早すぎまして、会場の周りを散策した後、会場に向かいました。
会場入り口の手前20メートルくらいのところで、男性とすれ違いました。
エレベーターに乗りますと、その男性と一緒になりましたが、なんとその方は江本勝さんでした(嬉)。

面接でお会いしていましたので当人と分かったわけですが、気付いてか気付かずか・・・とりあえず気付かないようにしているエレベーター内の他の人達に当人だと分かると迷惑だろうなと思い、ご当人にだけ分かるような声で、お礼と挨拶をしました(笑)。

江本勝さんの講演は始めての出席ですが、これは、はじめてフナイ・オープン・ワールドへ行った時と、似ていますね(笑)。
何度か書いていますが、あの日も朝相当早く行き、まだ人の少ない出展ブースを見て回っていると、船井幸雄さんが数人の方々と現れ、私とすれ違って行ったのですが(笑)。

後姿を見ながら、「隙がないな。今、後ろからポンと手をかけようとしたりしたら、氣でかわされてしまうのだろうか(疑)?」などと、変なことを考えたりしたのを覚えています(笑)。
もちろん、そんなことしませんが。

当時は、まだ格闘技などに興味が高かったのでしょうね(笑)。

で・・・その後、ブース内を見回っていると、また船井幸雄さんの一行が向こうからやってきまして、じろじろ見るのも失礼だと思い(笑)、近くに来たところで、まんをじして顔を船井幸雄さんの方へ向けましたら、驚いたのか(それはないでしょうが)、船井幸雄さんが、顔をひょいっ、と違う側に向けて・・・という朝だったわけですね(笑)。




そう言えば、左記の船井幸雄さんの新しい本には、意外な人が登場します(笑)。
新日本プロレスの中西学選手なのですが。
なんでも、バルセロナ・オリンピックで銅メダルを取り、新日に入団した頃からのお付き合いだそうです。
アントニオ猪木さんが、政木和三さんと船井幸雄さんを引き合わせ、という話が、以前の本などには登場しますので、猪木さんの関係なのだろうか、とも推測しますが、果たしてどうでしょうか(笑)?

なんでも、138ページによれば、中西選手は、船井幸雄さんに「どうしたら強くなれるでしょうか?」という質問をしたそうですが、船井幸雄さんは、「ご自身の自信のあるところや強い部分を伸ばされたらいいのではないでしょうか」とアドバイスしたようです。
中西選手は、「それなら練習しただけ強くなれますね」と明るい顔をして言ったそうです。


長所進展法ですね(笑)。
中西選手の長所は、体が大きいことと、力が日本人選手の中では圧倒的に強い、というところなのだと思います。

ですので、その戦法はとても一直線と言いますか、小細工一切なしです。
しかし、事実を言えば、あれだけの選手なのに、まだ新日本プロレスのIWGPという一番強い選手が巻くベルトは取っていません。

中西選手のフィニッシュ技は、アルゼンチン・バック・ブレーカーという古典的なプロレスの力技なのですが、あれをやりますと、ちょっと体格の良い選手が相手だったりしますと、技が決まっても、解かれてしまうのですね。

普通、こうなりますと、「もっと関節技なり、なんなりフィニッシュホールドを身に付けたりすれば、良いのに」などと言いたくなるわけなのですが、おそらく中西選手はういうことが苦手なのでしょうね。
小細工と言いますか・・・。
ですので、もし、そういうアドバイスに従い、そういう練習をしますと、船井幸雄さんの書いていることから推測すれば、逆に今ほど有名で強い選手になれなかったかもしれませんね。

で、今はどうかと言いますと、確かにベルトは巻いていませんが、その一直線で実直で素直なキャラクターが受けて、テレビに出演したりしています。
プロレス選手であれだけ、お茶の間(?)に溶け込んでいるのは、アントニオ猪木さん以来ですね(笑)。

その意味では、中西選手の場合、はたから見ていて何を長所と捉えて伸ばしたかを考えますと、”力”のように感じますが、本当はそうではなく、実直で一直線な所が長所であり、それも当人は知っていて、そこを伸ばした結果が、今花開いている最中なのかもしれませんね。

今のプロレスは、昔とは違い、他の格闘技がやるような間接技やキック、パンチなどを使いますが、少なくともエンターテイメントとして女性や子供が見るものとして捉えますと、必ずしもふさわしくない、と思われるシーンなどもあります。

それをせずに、昔のように一直線のプロレスをやっている」中西選手は、ある意味、「宇宙の理」に沿っているといっても良いのかもしれないですね。

たとえば・・・橋本選手と高田選手が戦った頃、新日本プロレスの人気は最高潮に達していたのですが・・・両人ともキックが得意だったのですが、その後ニュースでは、友人にキックをしたら、死んでしまった、というようなものが、いくつか出てきたように覚えています。

そして、その試合の前の試合は、天龍選手と藤波選手のものでしたが、藤波選手の折れた鼻を執拗に天龍選手が攻めますので、リングマットが血だらけになってしまいましたね・・・
天龍選手だったか、藤波選手だったかは、「次の試合の選手に申し訳がないから、きれいにしろ」と言いきれいにしたようですが。

これは、当時私も含めてプロレスファンがリアルさを望んでいましたので、それにそったものなのだろう、と思いますが、今思えば選手もファンもその考え自体いけないことであり「宇宙の理」にそっていないことでしょう。

今プロレスが人気が落ちている団体と人気が出ている団体とに分かれていますが、どうも見ていますと、格闘技・アルティメット的なものではなく、エンターテイメントである昔ながらのプロレスに復興している団体が、人気を得ているように見えます。

ただ、すごいところは、プロレス界はちゃんと人気が落ちた団体をほおっとくことをせず、選手同士協力して、プロレス界全体が弥(いざか)えるようにしているようですね。

プロレス選手は、私が見ますと、小細工が下手で一直線で素直な人が多いのですが・・・いつかも書きましたが、プロレス界の流れが、とてもアセンションの流れと一致するところが多い、というのは、そのせいかもしれませんね。

ですので、プロレスを見ていますと、アセンション・・・2012年12月22日・・・に向けての今の時流、これからの時流が、良く分かるのかもしれませんね。
古館さんも、報道ステーションでキャスターを勤めていますし(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

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