理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

 

 

写真はなし
   
   

さて・・・先日書きましたhttp://www.funaiyukio.com/funa_ima/ですが・・・
まず、もう一度引用します。

(引用)
森木 亮さん『日本国破産への最終警告』(2006年 PHP研究所刊)より。
(前略)
財政学では財政爆発曲線に入ると、その国はやがて破産するといわれる。
(中略)

2008年とはどういう年だろう。7月には日本でサミット(先進国首脳会議)が開かれ、8月8日午後8時には北京オリンピックが開幕する。
 そういう年に日本の国家財政は破産する。しかし、世界経済そのものは明るくなる見通しで、株価も上昇するはずだ。だから私は、利子を2005年の約2倍に想定した。株価が上がれば、現在1.5%である十年物国債の長期金利も倍になると想定しなければいけないからだ(転載ここまで)。
                                                  

つぎに破産するとどうなるかですが、それはIMF(国際通貨基金)の管理下におかれるようになる・・・ということですが、すでにそれはネバダ・レポートとして、2002年2月14日に、竹中平蔵さんが国会で、その存在を認めたので周知になっています。つぎのようになる可能性が大きいのです。

(一) 公務員の総数および給料の30%カット、ボーナスはすべてカット
(二) 公務員の退職金は100%カット
(三) 年金は一律30%カット
(四) 国債の利払いは5年から10年間停止
(五) 消費税を15%引き上げて20%へ
(六) 課税最低限を年収100万円まで引き下げ
(七) 資産税を導入して、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債券・社債に対しては5〜15%課税。株式は取得価格の1%課税
(八) 預金は一律にペイオフを実施するとともに、第二段階として預金額を30〜40%カットする

   
(以上)           

どういうことかと言いますと、IMF(国際通貨基金)と言うのは、私の知っているわずかな知識の範囲では、要するに、財政破綻した国家にお金を貸すところです。
そして、それは、「イシヤ」と関係がある、ということだそうです。
で、どういうことかと言いますと、一度財政破綻して、ここからお金を借りますと、長い間、この機関に金利を払い続ける、ということになります。

 


言って見れば、意図してある国を財政破綻させて、ここからお金を借りるようにしますと、ずっと、その国から金利をもらい続けることができる、ということです。

韓国は、財政破綻しましたので、このIMFにずっと金利を払い続けています。
要するに、一度お金を借りますと、その国の国民は、「イシヤ」に金利を払うために、働いているのと同じことになります。
で、どうも、2008年くらいに、このまま行きますと、日本はそうなってしまうようです。

みなさんは、それでも良いのでしょうか?




で・・・国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」
http://www.mag2.com/m/0000154606.html というのがありますが・・・
船井幸雄さんのサイトにこの人の名前が出てきましたので、メルマガを受け取っています。

で・・・今日来た内容を見てみますと、どうも、日本テレビのアナウンサーがおかしなことを言う、という現象は、私の思いすごしではないようですね・・・。

特に、朝の番組の若いアナウンサーや、女性キャスターに、変なことを言わせているようなのですが・・・。

権力、お金のために、間違った方向に行くのは、この際・・・としまして、変なことを言わすなら、もっと責任のある人が登場して、その人が言った方が、潔いですね。
どうも、若者、女性に罪を着せる魂胆のように見えてしまいます。

あるいは、体制がひっくり返った時に、「あれは、彼らが勝手に言ったのです・・・」とでも言うつもりなのでしょうか?


ただ、少し観察眼のある人なら、あまりに、全体の流れと辻褄があわないような具合、タイミングでその手の言葉を言いますので、仮に日本テレビにわずかな良心が残っているのだとしたら、そのずっこけ加減もまた意図しているのかもしれません。

あるいは、あのタイミングが一番潜在意識に入りやすいものなのでしょうか?

いずれにしても、もう日本テレビも見ないことにします。
「シンボウさん」でしたっけ?不正確ですみませんが、あの人にはいくらかの良心を感じていたので残念ですが、また日本と世界が良くなりましたら、テレビでお目にかかりたいと思っています。
その時まで。

これで、見るのは、テレビ朝日と、TBS、テレビ東京だけになってしまいましたが(笑)。

みなさんは、テレビは好きでしょうか?


 

で・・・何の偶然か分かりませんが、昨日寝ぎわにラジオを付けますと、いきなり、下記のニュースが飛び込んできました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061203-00000069-mai-soci より引用・転載

竹中大阪高裁判事>首つり自殺か 「住基ネット違憲」判決
3日午前9時5分ごろ、兵庫県宝塚市山本台1、大阪高裁民事7部総括判事、竹中省吾さん(64)の妻(59)から「夫が死んでいる」と県警宝塚署に通報があった。同署員が駆け付けたところ、竹中さんは自宅2階の書斎にあるパソコンラックに、ショルダーバッグのベルトをかけて首をつり、既に死亡していた。遺書などは見つかっていないというが、状況から自殺とみられている。死亡推定時刻は、2日深夜。
 竹中さんは、住民基本台帳ネットワークシステム運用を巡る訴訟の控訴審で裁判長を務め、先月30日、「住基ネット制度の適用の強制はプライバシー権を著しく侵害する」と違憲判断を示す判決を出した。関係者によると、妻と2人暮らしで、2日夜、妻と夕食後に話をしてから書斎に入り、変わった様子はなかったという。
 竹中さんは大阪地裁や神戸地裁の総括判事、広島家裁所長を経て04年9月から現職。神戸地裁では「尼崎公害訴訟」を担当し、被告企業が約24億円を支払う和解を成立させたほか、自動車排ガスの浮遊粒子状物質(SPM)の排出差し止めを初めて命じる画期的な判決を言い渡している。
 住基ネット訴訟の弁護団事務局長、大川一夫弁護士は「ただただ、驚いているが、自殺の理由がわからない以上、コメントのしようがない」と衝撃を語り、原告代表の岩本吉剛さんも「判決は画期的だった。非常に驚いている」と話した。
 原告側によると、訴訟は4月25日に結審し、竹中裁判長は判決期日を8月31日に指定。しかし、9月28日、10月31日、11月16日と順次延期し、最終的に同月30日まで計4回、判決期日を延ばす異例の経過だった。理由の説明はなかったが、原告側は「違憲判断にたどりつくまで時間が必要だったのでは」とみている。
 大阪高裁によると、葬儀の日時、場所は、遺族の意向で非公表。
 同高裁の小野憲一事務局長は「最近の執務状況、健康状態等に変わった様子はなかったと聞いており、大変驚いている」とコメントを出した。
(以上)

先日、取り上げた裁判の裁判長の方です。
なかなか立派な方のようです。
遺書は見つかっていないそうです。
何があったのでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?

いずれにしても、正しい判決ありがとうございました。




で・・・・・・暗い話題はできるだけ避けたいですが・・・
森田健さんの不思議研究所ですが、どうも財運など六爻占術で出てくる決まっていることというのは、相対的なものとして出てくるようですね。
つまり、1億円貯金があるから、財運が良い、ということではなく、日本人であるなら、その日本の中での財力というものと比べて、上か下か、ということで、財運が良い、とか悪いとか、ということですが。

これは、どうなのでしょう?
たとえば、ある特定の人が物価、平均賃金などの違う国へ移り住んだ場合、それも相対的になってくるのでしょうか?

つまり、財運の良い人が未開の土地に引っ越したら、そのなかで財運が良い、ということになり、日本人の平均と比べたらそうでもない・・・
逆もそうで、日本は物価が高いから、と外国へ移り住んだ場合、財運の良くない人というのは、そこでも、またそこの平均と相対的に見て、剤運があまりよくない・・・というような現象になるのでしょうか?

なんとなく、そうなるようにも感じます。

今は、財運で書いてみましたが、他の運も、同じような具合なのでしょう。

みなさんは、どう思うでしょうか?


また、すべてはデジタルで決まっているのではない、相対的な内容と言いますか物量と言いますか、そういうことだけ決まっているのだ、というようなことも書かれていますが・・・
ここら辺はもう少し、煮詰めて、また書いてみたいと思います。

 

 

で・・・
私のサイトで一番訪問者が多いURLは、http://www5f.biglobe.ne.jp/%7Emotion-emotion/j995.html のようです。
これは、「森田健さんの「いのちの世界」の図、「天人同一の世界」の図
船井幸雄さん「世の中の構造」の図
江原啓之さんの「スピリチャルな人生に目覚めるために」(新潮文庫: 2003年発行)
というタイトルなのですが。

これを書きましたのは、2年くらい前ですが、要するに、一番スタンダードな高次元論の代表として江原さん、そして、森田健さんがモンロー研究所の体験などから分かってきた高次元論での、船井幸雄さんと森田さんの2つもの、の3つを比べてみることから、何か分かるだろうか?というものです。

訪問者が多い理由は、船井幸雄さん、森田さん、江原さん、の名前のせいだろうか?とも思いましたが、検索ワードで、それらの言葉を入れて、このサイトを訪れた人というのは、それほど多くないようですので、きっと他の理由でしょう。

あるいは、だれかが、このURLをリンクでもしてくれているのかもしれません。


左のような図と共にいろいろ書いているわけですが、現在森田健さんは、これらのフォーカス、あるいは次元は、上下に並んでいるのではなく、みな同じ高さ、対等に存在している、というような解釈になっていると思います。

先達てのリーディングで、トランスチャネラーの守護神は、「どこでも行きたいところへ行ける」、「生まれ変わってくるのも、来ないのも自由」というようなことを言っていました。
また、「人間に分かりやすいように、そう(たとえば右の図のように)しているだけ」とも言っています。


もちろん、「人間に分かり易いように・・・」ということでこうしている、というのはみな自覚しているのですが、おそらく高次元の存在からしてみれば、どうしたら3次元の人間に最も分かりやすく説明できるだろう、という点については、困るかもしれませんね。

マントラの図なども、おそらくは高次元のシステムを3次元の人間に分かりやすくしたものではないかと想像します。

しかし、このように3次元の人間に分かりやすくする方法を試行錯誤していく、ということは、大きな意味のあることだと感じます。

もちろん、日月神示によれば、「高次元のことを教えれば、アセンションがうまくいく、ということではない、そんなことなら当の昔にアセンションは達成されている・・・」ということですので、これだけではいけないのでしょうが。

確かにこういうものは、感じることによって分かるものでしょう。
何せ、3次元での肉体の持っている諸機関、五感では認知できない形をしているはずですので。
しかし、それでは、結局、感じることのできる人間だけが救われて、そうでない人間にはどうしようもないですね。

別にこれは、他人を救いたい、という高尚な理由だけで言っているのではなく、どうもいろいろやってきた中で、自分だけ感じられても、あるいは感じられる人だけ感じても、結局は、アセンションという言葉で言うのなら、アセンションはできないようだ、ということが分かってきたからです。

つまり、ほとんど全員理解できて、それで初めてアセンションというものが達成されるようです。

「イシヤ」にしても、何にしても、みな何が宇宙の理かを理解して・・・それでもって、初めてアセンションです。

ですので、自分だけ、核シェルターを作ったりしても、アセンションということの前では、意味がないようです。
第一、地球がなくなってしまうかもしれません。

もっとも、2国間の核戦争くらいなら、核シェルターも役に立つかもしれませんので、お金が余っている方々は、造られても良いのかもしれません。

地下水などを掘る時でしたでしょうか・・・水が水を呼ぶ、として、水を流して、水の道をつなぐ、というようなことがあったかと思いますが(ちょっと違うかもしれません)、高次元の有様を、3次元の多くの人間、特に、ここ何百年かの教育によって本当の人間の能力を忘れてしまった人達に、分かってもらうために、上記のような図は、その呼び水となる可能性は高いと感じています。


つまり、できるだけ完成度の高い図を見ることによって、眠っていた何かが起きる・・・ということですね。



私は日月神示で書かれていることを信じています。
仮に「イシヤ」の意図通りになったとしても、それは長くは続きません。
神一厘の仕組みが発動されるようです。
ですので、地球が安泰になる道は、皆がアセンションするしかないように思います。

魂の叡智日月神示:完全ガイド&ナビゲーション (単行本) 」
中矢 伸一 (著):徳間書店」の219ページに、
(引用:219ページ)
『アイカギ  コノカギハ イシヤト シカ テニギルコトゾ』
(以上)(この引用は、書き間違えはありません)
とあります。

229ページには、要約して書きますが、
(要約)
『自分だけが助かろうとしたらたすからぬのざぞ。御魂磨けた人から救うてやるのざぞ。神うつるのざぞ。のうつりた人とのかかりた人との大戦ぞ。を中心としてがおさまるのぞ。となるのざぞ。のマツリぞと申してあろうがな。』
(以上)
という神示があります。

私の解釈より、これらがオリジナルですので、人によっては、これらを読まれたほうがより正確に分かるかと思います。

言ってみれば、全てはフラクタルを考えれば、正に、日常のフラクタルの超大型のものが、アセンションなのかもしれません。



ですので・・・やはり、こういう図は役に立つだろうな、と思います。
そしてできるだけ正確であれば、なお更です。

但し、何度も書きますが、それだけでは足りないようです。

船井幸雄さんは神坂新太郎さんのサイトによれば、「2007年の終わりまでには、悪い意図をする人達に諦めさせなければならない」と思っているようです。

要するに、やはり2008年までが正念場である、ということなのだと感じます。


私はいろいろな高次元の存在がメッセージを送ってくれているようですが、日本人だからということだけではないですが、国常立大神からの神示である日月神示を一番信じています。
もちろん、他にも信じているものもありますが。


野中邦子さんではありませんが、先に知った人は、それを伝えていくべきだろうな・・・と感じます。
野中さんは、「病気が治った人は、病気を治す能力を身に付けて、そして病気の人を治してください」とお願いしたそうですが、ほとんどの人は、自分の病気が治ると、それはせず、ただただ野中さんを紹介するだけだったそうです。

結局、病気治療の能力を身に付けるのに、有料にしたら、有り難味を感じて、そういうことはなくなったそうですが。

そう言えば・・・
先達てのワークショップで、病気の方がいましたが、思いのほか・・・つまりそういう種類の集まりであったにも関わらず、病気治療などについての情報が行き渡っていないのを知りましたので、ちょっと記載します。

光田秀さん(エドガー・ケイシー・センター)   http://www.caycegoods.com/(ケイシー・グッズの専門店)
野中邦子さん(アースハート 無限塾)
鈴木眞之さん(日本気導術会)
若山敏弘さん( ヒーリング・アーツの会
矢山 利彦さん
村津 和正さん(歯科)
(株)トータルヘルスデザイン 
安保徹さん(医師・大学教授)
れのあアトピーくらぶ
林原研究所(砂糖がだめな方へ:トレハロース)
毎日水素


もちろん、上記以外にも、
船井幸雄COM、へ行き、本物研究所のサイトを見ますと、いろいろと掲載されています。

順番は、特に関係ありません。

よろしければ、ご利用ください。






さて・・・・・・
先に書いた、「高次元の図」と、ほかにもいくつか訪問数の多いサイトがあるのですが・・・
たとえば、「やさしさに包まれたなら、という歌詞」について書かれている、http://www5f.biglobe.ne.jp/%7Emotion-emotion/j993.html や、http://www5f.biglobe.ne.jp/%7Emotion-emotion/j994.html ですが。

もちっろん、多いと言ってもそれほどではないのですが(笑)、カウンターのクリックして、”アクセス元(サイト内)”というのを押しますと、URLが書かれています。

今日は、5日ですが、昨日はなぜか「40」という私のサイトにしては、多い訪問数があったようです(感謝)。
想像するに・・・上記にあるようにリンクを書き込んだからかもしれません。

確かGOOGLEなどは、そのURLが他のサイトにリンクされている数か何かを指標にして、検索で上位に出てくるものを抽出しているようです。

その意味では私のように、2つのサーバーを使い分けている場合、それぞれにリンクを貼れば、上位に抽出されるかもしれませんね。

故意にしようとは思いませんが。

で、「やさしさ・・・」ですが、ユーミンの古い曲ですね。
詳細は、上記URLに書いてあります。

ちょっと音楽的に行きますと・・・私は当時の録音の音が好きです。
アナログ録音なわけですが、私感で言えば、アナログの音の方が、中音あたりに厚みを感じるように思います。
それでいて、高音も低音も出ているわけ何のですが。
デジタルになってから、今でもそうですが・・・特に日本録音は、やはらと痩せた音・・・つまり中音のない音になってしまっているように聞こえます。

佐野元春さんの録音が途中で中音が聞こえるような録音に変わったのを感じたことがありますが、要するに、スネアドラムの音なんかが、如実に変わってくるのですが。

これも、言葉のマジックとでも言いましょうか・・・音作りなども、目指すのは、おそらく真直の真平の”0”なのだろうか、と考えたりするのですが、ある時点で、「高域が足りない」、「低域が足りない」という言葉をスローガンのように言い出しますと、何の基準もなしに、「高域がたくさん出ていれば良いのか」、「低域がたくさん出ていれば良いのか」というような刷り込みが心に行われ、ただただその方向に向かっていく、ということがあるのかもしれません。

要するに、仮に、低・中・高の3つに音域を分ければ、その3つともに、きちんとバランスよく出ている音というのが良いようです。

それは、音以外の世界にも言えていて、ある時点で足りないもの・・・たとえばゆとり教育なんかでもそうですが、それが言われた時点では、ゆとりが確かに足りなかったのでしょうが、それを基準なしに、スローガンにしてしまうと、それだけが一人歩きして、ゆとり、ゆとり、となってしまうのでしょう。

で、今度は、ひょっとしたら詰め込みの方向に、どんどん進んでいくのかもしれません。
他にもそういうものは、たくさんありますが、要するに真直の0が分かっていれば良いわけですが、それも、見つけるのは、なかなか難しいもののようです。

少なくとも、どっちかにずれれば、それで良い、ということではない、ということは、気を付けておいた方が良いですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?



で・・・・ちょっと調べて見ましたが・・・家には、デジタル録音されて音源というのは、ジャズ・クラシック系以外では、ほとんどないですね(笑)・・・・

要するに、歌の入っているものについては、アナログ録音時代のものがほとんど、ということですが。
ああ・・・ですので、佐野元春さんあたりは、デジタル録音ですね。
もちろん、すべてCDですので、デジタル・マスターなわけですが。

ジャズでも、コンボものなどは、あまり感じませんが、ビッグバンドものは、アナログの方が好きですね・・・良い音です。


更に思いますのは、最近テレビをあまり見なくなりましたので、ラジオを聴きますが、FMより、AMの方が良い音に聞こえたりします。
もちろん、高域特性だとか、低域特性、SNなどは、FMの方が良いのですが、最近の録音された音源などを聴き案しても、AMの方がしっくりきます。

それもひとつには、高域、低域がカットされて中域の量が増えているせいかもしれません。
FMでも、どこかのラーメンやさんなどに入り、粗末なステレオ装置で、しかも、店中でいろいろなものの影響を受け、場合によっては外の車の走る音の影響を受け・・・そんな時に、良い音に聞こえる時があります。
昔はそんなことは無かったですが。

それを考えますと、デジタルからアナログにオーディオ機器の側で変換した後に、更になんらかのアナログフィルターのようなものをかけることにより、気着心地の良い音になる可能性がありますね。
サラウンドのエフェクトがありますが、今はあれらはほとんどデジタルエフェクトなわけですが、あの系統で完全に回路からアナログのものを付けたりしますと、アナログ的な気着心地の良い音というのが出来上がるかもしれませんね。

これは、良く分かりませんが、アースを取る、ということなどにも似ているのかもしれません。
船井幸雄さんのどこかの会社・・・本物本舗でしたでしょうか・・・で売っている電磁波をなくす装置の説明に、「外国では、いわゆる3極のコンセントが主流なんおで、ほとんど電磁波は発生しないが、日本は2極のものが主流で、それにより、アースが取られていないので、良くない電磁波が発生する・・・」というようなことが書かれていたように思います。

電磁波とデジタルを一緒にしてはいけないでしょうが、何か今のデジタルというのは、そのまま出しすぎている、というような印象があります。

コンクリート打ちっぱなしの家のような・・・、何かそんな感じですが。

要するに(笑)、アナログ機器をたとえばCDプレーヤーとアンプの間にもう一台かませれば良いのかもしれないですね。
グライコとかでしょうね。


みなさんは、どう思うでしょうか?


ああ・・・テレビを見る時間が減りますと、愚痴っぽい書き込みをしなくて、精神衛生上は良いですね。

で・・・良く分からないのですが、何かキーワードがあり、その言葉を言うと、だれかからテレビ局はいくらなりもらえるような仕組みになっているのでしょうか?

どう考えても、日本テレビだけではありませんが、時々、「どうしても、こんなタイミングで、このような言葉・・・しかも、いわゆるご法度の心に通じるような種類の言葉を流したりするのだろう?」と感じる時があります。

みなさんは、どう思うでしょうか?




で、今朝瞑想をしていて思ったのですが、念、氣というようなものは、どうも、デリケートな真綿のような柔らかい真綿のようなものとして扱ってあげると、どうも、良いような感触があります。

みなさん、どうでしょうか?

先日のトランスチャネラーの方の守護神は、私に、「太極拳の動きが、あなたの望んでいる自由の流れと一致します・・・」のようなことを言っていましたが、いつだったかテレビで台湾の太極拳をしている人の様子を見ていた時、お年寄りの女性が「ゆっくりな動きをしているのは、こうした方が氣がまとわり付き易いからです・・・」と言っていたように思います。
これが本当なら、それは、ゆっくりの動きがどうした、というより、氣というものは、デリケートな真綿のようなものなので、そう扱った方が良い、ということなのかもしれませんね。

私などは、雑念が多い時など、力まかせとは言いませんが、強い念で持って「ウン!!」というような感じで念を発したりしてしまう時もありましたが、それはどうもいけないのでしょうね。

確かに、ゆっくりと、落ち着いている時の方が、どうなのかは分かりませんが、部屋の端々で、「ミシッ、ミシッ」と音がなったりします(笑)。

ここら辺も、また男性より女性の方に標準状態では分があるように感じますが、それをして、変性女子というものが、理想の形なのかもしれません。

みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・・・・いろいろ考えますが、高次元的な見方(?)をすると、明らかに、東洋と西洋というのは、陰陽の関係をなしていますね。

どちらが陰でどちらが陽かはどちらでも良いのでしょうが。

当たり前ですが、それでも一応書きますと、陰陽というのは・・・
男女、朝夜、理性・感情、白と黒などなどのことですね。

そして、だれでしたか忘れましたが、明らかに800年おきぐらいで、地球では、東洋と西洋が代わる代わる盛衰を繰り返しているようです。

今、中国が発展して、インドも、その他多くの東洋の国々が、大きく発展しようとしていますね。
した、という見方もあるでしょうが。

その意味においても、アセンションうんぬんだけではなく、地球規模で大きな流れの変わり目に来ているのでしょうね。

東洋人の良いところは、マクロに見れば、西洋人には見えない・感じられない独特なもの・・・日本的に言えば和の心とでもいうのでしょうか・・・もっとも、東洋と言えども、国によって個性はありますが・・・を分かるDNAがある、ということでしょうか?

もちろん、西洋人でも、中には、そういう人はいますが・・・マクロに見て、ですね。

陰陽なんかどうでもいい、という人もいるでしょうが、船井幸雄さん式に言えば、本物は、3次元的、眼に見えるものだけ、のような発想で、ものを考えていてはいけないようですね。

盛衰と言っても、どうやらアセンションに入った今、もう東洋同士であろうが西洋同士であろうが、東洋と西洋であろうが、絶対に戦争だけはしてはいけないようです。
して良いのは、せいぜい話し合い、議論までのようです。

そうして、だれが善でだれが悪いかはともかくとして、とにかく、善が悪を包み込むような形でものごとを終結しなくては、アセンションの成功はないようです。

そして、それは、当然軍事力ではなく、経済力でもなく、高次元のことを知っているかどうかというようなことだけでもなく・・・もっと大神の意思にのとったものによって達成されるようです。

”愛”という言葉は、どこか足りないように感じてしまいますが・・・私に言わせれば、現状「宇宙の理」の遂行、ということでしょうか・・・。
まだ「宇宙の理」の全ては、はっきり分かりませんが。

何にしても、まず、心、高次元的”意識”が通じやすい東洋人同士が仲よく、分かり合い、そして、西洋とも同じように分かり合い・・・ということが必要なのでしょう。


で・・・アトランティスでは、おそらく、高次元的なことは一般常識として相当人々に行き渡っていたのではないだろうか?と感じます。

おそらく、相当に精度の高い占いなども、普通であったり、アーカシック・レコードから情報を持ってくるようなことに近いことも当たり前であったかもしれませんね。

なぜか、そういう気がします。

にんげんクラブミーティングの第二回目の感想(http://motions.fc2web.com/nc02-1-2.html)でも書きましたがそ、その時文明が滅んでしまった理由は・・・引用しますと、

「例の沖縄の船井幸雄さんと仲の良い石の話がありました。
その石が言うには、「アトランティス、ムーなどで文明が滅んでしまったのは、”エゴ、儀式、お金”が原因だ(3つの内、どれか聞き間違いかもしれない)」、ということのようです。」

ということです。

考えるに、高次元的なことを、官僚的な制度・・儀式的なもの・・・にでもしてしまったのでしょうか?


そして、今回のアセンションでは、「エゴ、お金、科学」の3つが、大きなハードルになっているそうです。

エゴとお金は同じですので、対象的なものは、儀式と科学ですね。

仮にアトランティス、ムーで科学に変わるものが高次元的知識であったとするなら、儀式と科学の共通点はなんでしょうか?

あるとすれば、利権でしょうか?
儀式という言葉にはどこか権威を感じます。
権威は、自分の利権を守るために、いろいろするわけですが、それが儀式だったのかもしれません。

もしそうなら、地球にエゴのDNAがONになってから終始一貫しているのは、「エゴ、お金、利権」というものなのかもしれません。
まったくの想像ですが。

ただ利権というと、それそのものが、「お金、エゴ」の産物ですので、果たしてどうでしょうか?

そう考えると、今の科学が持っている利権というのは、たとえば地震の発生メカニズムについてですとか、医療についてですとか、いろいろあるわけですが、やはり、名誉、権威、そしてお金、ということなのでしょうが・・・

他で「エゴ、お金」が出ていますので、特に「名誉」というものの比重が大きいのか、と感じますが。

利権は何も科学だけのものでもないですので、科学に固有のものとは・・・しいて言い方を変えれば、「アカデミックな利権」とでも言うのでしょうか?
あるいは、「名誉」とも言えるかもしれませんね。


アトランティスの時などは、儀式が「アカデミックな利権(名誉)」を儀式という手段で牛耳っていた・・・と。
想像ですが。

そうしますと、正に、今船井幸雄さんが表に出している「医学」、「健康」、「地震」、「農業」、「歴史」、「経済」・・・などなどは、今でも大きな意味を感じはしますが、それだけではなく、もっと根源的に別の大きな意味を持っているのかもしれませんね。


そうしますと、地球にエゴのDNAがONになってからの終始一貫した間違いの基は、「エゴ、お金、アカデミックな利権(特に名誉)」というものと言えるのかもしれませんね。

みなさんは、どう思うでしょうか?



ただ、これらは複雑と言いましょうか、単純と言いましょうか、いずにれしても絡み合っていますので、なかなか「実はこうでした」と表現するのは大変ですね。

それでも、いろいろな情報が自然に表に出てきてしまう今の地球上の大きな流れによって、好むと好まざるとに関わらず、事実が明らかになってきていますが。

もちろん、多くの方々の努力によるところもありますが。



「エゴとお金と名誉」と簡単にしてしまいますが、これは根深いですね(笑)。

しかし、やはり宇宙の理・・・この中には、「どれも今しばらくはあっても良いが、いずれには何の役にも立たない物になる」ということに通じる答えがきっとあるのでしょう。


どうしたらそうなるかと考えますと・・・
「全ての人が、有り余る財産を持ち、不老不死(超健康)になり、有り余るほどの食料もあり、異性にもモテモテ状態になり、あらゆる能力が使えるようになり・・・」というような状態になるか、または、

「全ての人が、財産、お金に興味がなくなり、不老不死にも興味がなくなり、食べることにも興味がなくなり、異性にも興味がなくなり、何ができる、ということにも興味がなくなり・・・」という状態になるか、でしょうか。


要するに、正に、人がヒマラヤ聖者のようになる、ということのように感じますが、但し、決して権威に繋がらないように、ということかもしれません。

ロシアのように、超能力免許制度はいけない、ということなのかもしれません。
良く分かりませんが。

みなさんは、どう思うでしょうか?





ニュースで見ましたが、なんでも、ハワイのオアフでは、最近のメインランド(本土)からの移住者の増加などにつれて、家賃があまりに上がってしまい、多くの方がテント暮らしをしている・・・ということですが。

本当でしょうか?
何かの意図を持っての嘘の報道かもしれませんが。


本当だとしますと・・・十分有り得ると感じますが・・・いろいろ感じますが、元々、ハワイの原住民、そして日本人移民を初めとする東洋人、そして、元々のハワイの持っている波動などにより、今までのように、安全でよい氣に満ち溢れた場所であったのに関わらず、それを本土から西洋系の人達がたくさん入ってきて、そして、家賃、土地代などの不動産関係が値上がりして・・・
そして、今まで観光産業に従事していた人が家賃が払えなくなってしまっている・・・というのは、本末転倒というのか、なんと言えば良いのか・・・
少なくとも、いくらか時間が経ちますと、おそらく治安・波動などの点で見ていけば、今までのハワイとは別の場所になってしまうのかもしれませんね。
つまり、”それ”を求めてやってきた本土の人達によって、その求めていたものがなくなってしまう・・・ということですが。

ただ、こういうことは、良くあることですね。
富士山の問題なども似たようなものでしょうか?

その意味では、アメリカ人ばかり攻められません。


私は、ハワイは、家賃・ユーティリティが安く、人が良く、気候も良く、空気がきれいで、雰囲気が良く、自然がきれいで、そして、なぜか知り合いがいろいろなところから登場してくる・・・で、つい2,3年目くらいまでは、いつか住みたい、と思っていましたが(今は日本が好き)・・・
このままでは、いけませんね。

本当はアセンションの視点から言えば、ハワイに昔から住んでいるハワイアン、日系人の初めと人々などが、新しく入ってきた人達を包み込まなくてはいけないのでしょうね。
「帰ってください」では済まないのでしょう。

ただ、もう、何年も行っていませんが、バス代など異常に値上がりしていましたので、要するに不動産だけではなく、物価が全体的に上がっているのでしょう。

確か・・・良く覚えていませんが、90年代の初め頃に行った時は、バス代は25セントではなかったでしょうか?
その後、$1になり・・・いつの頃から行くとバスパス(定期)を買うようになったので、いくらだか良く覚えていませんが、最後に行った時は$1を越えていましたね・・・確か・・・。

しかし、観光業では、おそらく、物価上昇分相応に賃金を上げられないのかもしれません。
なぜなら、全体的に観光費用が高くなりますと、観光客が来なくなってしまいますので。

その意味では、観光業で成り立っている観光地としてのハワイと、高級住宅街として成り立ち始めたハワイとが、マッチしていない、ということなのかもしれませんね。

今はいろいろな国から観光客が行っているでしょうが、それでも、メインは今でもきっと日本人でしょう。
いくら格差社会になり、大金持ちが増えたとは言え、大半は普通の人ですので、当然観光客も普通の人・・・日本の景気での・・・をターゲットにしなくてはならないでしょう。

それは世界の中では裕福な部類でも、当然ハワイに引っ越してくる、というアメリカのお金持ちの作った新しい物価水準とは、そぐわないものでしょう。

なにせ、私など、ハワイで買った一番高いものは・・・1度だけ買ったギターを除きますが・・・せいぜい$100(1万円ちょっとくらい)くらいですので(笑)。

食事も、女性にご馳走する時以外は、屋台みたいなところばかりでした(すみません)。
日本でもそうですが。

私がどうこう言える立場ではないですが、好きな場所だけに気になります。

みなさんの好きな場所は、今何が起きているか知っているでしょうか?






 

さて・・・・・・「エゴとお金と名誉」ですが・・・
これを考えて見ますと、どうも、反宇宙の理から見た「人を思うように動かすことの出来る要素」と言えるでしょうか?

それを用いれば動く、ということを考えれば、ある意味「宇宙の理」の一部とも言えるかもしれませんが、「宇宙の法則」の内、善のものを「宇宙の理」と定義するなら、やはり「反宇宙の理」という言い方で良いのかもしれません。

あるいは、本来、この3つの要素で動く、ということ自体がすでに、「宇宙の理」とも「宇宙の法則」とも言えないのかもしれません。
つまり、宇宙の理では、「好奇心」や「喜」、「直感」、「心に正直」と言った要素で行動を決めるものであるとするのなら、やはり、「エゴ、お金、名誉」などで人を動かす、動く、というのは、宇宙の理ではない、と考えるのが普通であるということだと思いますし、それで良いのだと感じます。


私は、ほとんど上の要素では動きませんがお金の使い方が下手、なようですね。
ここら辺は勉強の必要があります(笑)。

たた、いろいろ意識して見て見ますと、倹約というのは、良く考えて倹約しませんと、どうもいけないように見えます。
私は詳しくありませんが、使うべきところと、使わないところをきちんと見極める能力というのは必要ですね、きっと。

またIT機器というのは、お金の使い方がむつかしいですね(笑)。
それを仕事にしている会社などでは、しょうがありませんので、最新の機器をある程度そろえておく必要があるかと思いますが、とにかく、進歩が早く、何倍も上の能力のものが、2,3年後には、半額だなんてことも良くあります。
今までこんな商品はほとんど無かったのではないでしょうか?
少なくとも私の知っている限りではありません。

なんでも、今度、無線LANの公衆回線と言いますか、どこにいても、繋がるサービスというのが登場してくるようですが、あり方としてはこれが良いですね。
そうですと、非常に便利です。
私など、ひょっとしますと、携帯電話を持たず、小型PCとスカイプ用の受話器を持って移動するかもしれません。
もっとも、かかっても来ますので、そうしますと、PCのバッテリーを着けっぱなしにしなくてはなりませんので、携帯電話は必要なのでしょうが。


で、本田健さんのサイトなどを見ますと、私で言えば、「欲しいものでも買わずに我慢してしまう」のがいけないようです。
確かに私にはそういう傾向があります(笑)。

3次元的理由はいろいろあるのですが、我慢もほどほどにし方が良いのでしょう、きっと。

我慢するというのは、別にお金だけではないのですが、あまり良いことではないようです。
きっと、「そんなに毛嫌いするなよ・・・」という気持ちなのかもしれません。
増田俊夫さんのように資本の気持ちは分かりませんが、普通の金額の気持ちとしてはこんなところでしょうか。

但し、そうとは言え、がまんしなくてはいけないこともあるのですが、「和と自分のこと」・・・と同様、「がまん」という言葉も、普通の人にとっては、むつかしい要素を持っていますね。





で・・・もとに戻りますが、逆に考えますと、「エゴ、お金、名誉」というものは、今の3次元の資本主義下では、普通の人のほとんどが欲しがるもので、あるという言い方もできるかもしれませんね。

なんで欲しがるかと言いますと、要するに、それらがあると、「自由」・・・束縛されない自由が得られる可能性が非常に高いからでしょう。

お金ですが・・・
北方謙三さんは、80年代くらいに書いたものの中で、「99%(ほとんど、だったか・・・)のことは、お金で解決できる」というような言い方をしています。

北方さんは、作家として売れるようになるまでは、質素に暮らしていたようです。
結婚した奥さんは、保母さんだったか何かだったようですが、北方さんとしては、「売れるまで女房に食わしてもらおう」くらいに思っていたのですが、奥さんは結婚すると、仕事を辞めてしまったようです(笑)。

で、アルバイトなどしながら、下積みの末、売れっ子作家となったのですが・・・
何しても、お金があれば、売っているものは買えますが、但し99%(ほとんど)というのは言いすぎですね(笑)。
なぜなら、初めから北方さんが大金持ちだったら、売れっ子作家になれたかどうか、疑問ですので。
その作家になった人生は、お金では買えませんので、価値は1%程度のものではないでしょう。
 


で、ちょっと北方さん話にずれて行きますが・・・
とにかく北方さんとしては純文学を書きたかったようです。
学生時代だったかに、その手の同人誌か何かで認められたこともあったようですが、とにかくずっと純文学を書いていたようです。
で、いくら書いても売れないので、ハードボイルドと言いますか、その後の北方作品の作風のようなものを書きますが、それが評価され、売れっ子作家の仲間入りをしたそうです。

もちろん・・・タイトルは忘れましたが・・・読みましたが、言われなければ、出世作とは分からないくらいに、その後の北方作品の作風をしており、すでに、相当完成していたように感じます。

感じとしては、それまで日本にあったハードボイルドものより、ずっと、痛みの伝わってくるような作風なのですが、今考えると、プロレスのUWFと言い、流れは、「演じる」のではなく、「本当の感じが伝わってくる」に変わっていく最中であり、ちょうどそれにはまったのでしょうか。

それは、ちょうど戦争が終わって40年くらい経っていた頃でしたので、そういった「痛い」という感覚を味わったことのない人が増え、そういうものを知りたがっていたのかもしれませんし、そういうものが、どれくらいバカらしいものか知らずに育った、ということだったかのかもしれません。

北方さん自身は、小さい頃のわんぱく、柔道や学生運動での喧嘩、などでそういうものを良くしっていたようで、うまく表現できたようなのですが、ご自身では、まさか、そんな自分にとっては普通のものを世間が求めていただなんてことは思わなかったことでしょう。




こういうことは本当によくありますね。
自分にとってはあまりにも普通過ぎて、しかも自分が目指しているものは、ぜんぜん違うもので・・・なので、まさか、世間がそんなものを求めていただなんて分からなかった・・・というものですが。

これに上下が付きますと、国民(?)が王様にパンを上げたら、おいしい、と言ったとかいう御伽噺を思い出しますが、要するにそう言ったたものを、少しでも確実に導き出すのがマーケティングなのでしょう。


マーケティングが確実ですと、需要が分かりますので、その需要にあったものさえ作り出すことが可能ならば、商売的には儲かりますね。

モンキーズというバンドがいましたが、基本的には、ビートルズ人気を見て、日本のプロダクションがするように、2番せんじのものを人為的に作り出したわけですが、ちゃんとある程度売れました。
作品を作るのはさすがにお金がかかっていて、ジョンとポール風の曲を歌っていましたが、ほとんどの曲が、売れっ子作家をフル動因してのものだったように理解しています。

リードボーカルの何とかさん(忘れましたが)が、ポールのように時にはジョンのように、非常に器用に歌っていますね。





で、戻りますが、ただ、「お金があるとほとんど叶う」は、それはまやかしのようです。
「お金があると、売っているものは買える」は、正しいようですが。

たとえば健康ですが・・・
これはお金では買えないようです。
「薬や病院に頼れば、いいのだから、そんなことはないだろう」と多くの人は言うでしょうが、そうではないようです。



左記の医者いらず老い知らずの生き方 (安保 徹 (著), 船井 幸雄  徳間書店 (2006/12) )、を読みますと、いろいろ書いてありますが、先達てのにんげんクラブミーティングでも言っていましたが、どうも、病院で診てもらい、言われたとおりに薬を飲みますと、多くの場合、その副作用で違う病気を発症したり、体が治ろうとする能力を奪ったり、邪魔したりしてしまうそうです。

一時期テレビなどで、お医者さんが「言った通りに、薬を飲まないで途中で止めてしまい、それで治らない、と言ってくる患者さんが多くて困る」のようなことを盛んに言っていた時がありましたが、どうも、真実は、”薬は飲まない方が良い”のようです。

また、がん検診を始めたら、始めた地区でのガンによる死亡率が増してしまったそうです。
どうも、要するに西洋医学的に、むやみに体を切ったり、病気の分部を取り去ってしまうというのは、良くないことが多いようです。
とは言え、それ以外の治療方法を知らないお医者さんが圧倒的に多いようです。

このような事実がありますと、どうも、いくらお金があっても、正しい情報を得られないとどうしてようもない、ということになります。

「それでは、正しい情報を金で集めればよいではないか」という人もいると思いますが・・・
良く分かりませんが、そういうことを言う人の中で、「それでは、とっておきの情報です。この本をお読みください。安保さんと船井幸雄さんという方が書いた本です。船井幸雄さんという方は、大きな会社の会長をしたりしましたが、あの世とか、高次元とか、そういう情報も世間に広めている方です。あなたは、この本を信用しますか?」
と言った場合、素直に信じる人がどれくらいるのか、何とも分かりません。


となりますと、勉強と、直観力というようなものが、必要になってくるでしょうね・・・正しい情報を得るためには。
で、その勉強というものは、実はお金はあまりかかりません。
私がやっているくらいですので(笑)。
直観力も、お金はあまりかかりません。
ただ、一般的には、あまり3次元的享楽・悦楽に浸っていたり、逆に、忙しすぎたり、または、嫌なことを無理にしたりしていると、なかなか身に付かないようですし、人にもよりますが、ある程度の時間も必要なもののようです。


他には、食べ物ですが・・・
これも、お金があれば、何でも好きなものを食べられるように錯覚しますが、健康でなければ食べられないのは、当然として、実は、毒のようなものを食べていることが多いようです。
「そんなことはない。実際食べてもなんともないじゃないか」という人もいるかと思いますが、どうも・・・それは病気になった時に、本当の理由を知ってか知らないか病院や世間が教えてくれないから、という要素も多いように感じます。


ここら辺は、説明が足りないでしょうし、もっと実証例を出さなくてはならないでしょうが、それでも、ここまでは納得して頂いたとして、「それじゃ、その健康に良い食べ物というやつを、金をいくらでも出すから、買ってくればそれでいいのだろう?」という人が登場するかもしれません。

しかし、たとえば、有機農法で作られた野菜などは良いのですが、手間がかかりますの、現状、全員に行き渡るほどはないのでしょう。
「ほら見ろ、金があるやつがそれを買うのさ」というかもしれません。

でも、その作っている人がお金が欲しくて農業をやっているのなら、一般的な農法で作れば良いわけですよね。
ということは、そういう種類の人というのは、別に、お金儲けだけのために、有機農法をしているわけではないのです。
もちろん人によるでしょうが・・・「レタス1つを100万円で買い取るから、これから全部家へ納品してくれ」と言ったとしても・・・さて・・・そういう農家の方が、言うとおりにするでしょうか?

2つくらいなら売ってくれるかもしれませんが。

一番良いのは、そういうお金持ちの人は、今すぐに、財産を費やして、自作農となり、有機農法で野菜作りを始めるのが良いのかもしれません。

そうして、余った分は、市場に出すと良いですね。

いずれにしても、お金さえあれば、食べ物はいくらでも手に入る、というのは、ごまかしのように思います。
本当は、食べ物ではない「食べ物」は手に入る、ということですね。

確かに、終戦直後と比べれば、空腹感は絶対にありませんが、健康でしょうか?
銀シャリ・・・白いご飯に憧れた人はたくさんいたようですが、玄米でないと栄養は0というのは、何を意味しているのでしょうか?

それどころか、社会科の授業で習った「江戸時代の階級制度下で、えたひにんが食べるもの」とされていた「あわ、ひえ」などの入った五穀米が一番体に良い、というのは、どういうことなのでしょうか?

いくらなんでも、あれだけ長く続いた江戸時代の中で、そういう事実が分からなかったとは、到底信じられませんね。

ここら辺は、情報を得る、に行き着きますが。


で、どうも、お金があれば、何でも手に入る、というのは、実は、資本主義、民主主義の裏にある大きなごまかしなのかもしれませんね。

きっと、お金で解決が付くのは、普通に暮らしていても、正確な情報下では、50%程度なのでしょう。
むしろ、正しい情報が得られずに、「お金があると99%のことは解決が付く」と思っていると、どこか、ドツボにはまってしまう可能性というのがありますね。


みなさんは、どう思うでしょうか?





そして・・・いずれにしても、お金だけでは、満足できない、という現象は、資本主義、民主主義を100%信じている状況でも起きるようです。

私には実感が無いのでなんですが、それでも、どういうことかと言いますと、今度は、ほとんどの人は「名誉」を欲しがるようです。

もちろん、「名誉」がありますと、それだけで、他の人が言うことをきいてくれますので、「お金」、「エゴ」とも重なる部分があるかとは思いますが。

それでも、少なくとも、お金で買える「モノ」では満足できなくなってくると、今度は、「名誉」になってくる場合が多いのでしょう。
きっと、いくらお金を持っていて、すごいものを入手しても、まあ、世の中には珍しいものはそれほどあるわけではありませんし、お金持ちというのは、他にもいるわけですので、それで、優越感、エゴを満たしきることは、ある時点からできなくなってくるのでしょう。


これは個人単位での話しですが、団体となってきますと、やはり、その仕事、利権を長く続けて生きたい、ということがありますので、「名誉」を汚されることは困りますし、一度得た名誉というものは、たとえ新しい事実が発見されたとしても、認めず、ずっと持ち続けたいと考えるものなのでしょう。

そうしますと、ある時点から「嘘」がはびこることになりますので、困りますね。

あるいは、正しいことを言おうとすると、それを言わせないために、いろいろな力が働いたりすることもあるかもしれません。
それも困りますね。

但し、「名誉」があれば、本当に、自由が得られるのか、と言えば、そうでもないでしょう。

有名税というのが、資本主義、民主主義にはありますね。
何らかの意味で名誉がある個人ですと、できないことも多いと思います。
もちろん、はたから見て名誉があっても、何でもできてしまう人というのは、名誉などにごまかされていないあけですので、それはそれで正しいのでしょう。

あるいは、そうでなくとも、誘拐などもされるかもしれませんので、自由に動き回れる、ということでもないでしょう。

あるいは、団体でも個人でも、「本当はこちらが正しかったです」という自由な発言も、できないかもしれませんね。
素直になれない、ということも含まれるでしょうか?

友達を作る機会を失ってしまう可能性だってあるかもしれませんね。

いくらか説得力に欠けますが(笑)。





と書いていて思いましたが、・・・先の健康、食べ物などにしても、お金だけでなく、名誉・権威のようなものも絡んで、いけない方向に進んで行ってしまっている、ということなのでしょうね。

本当は、もっと大きな理由があるのかもしれませんが、どうも現状、お金と名誉のために、食と健康が乱れている、という事実だけでも、どうも「エゴ、お金、名誉」がいけないようだ、ということは、分かりますね。
くどすぎました(笑)。


もちろん、名誉ではなく、評価、評判なら良いのだと思いますが。


その意味では、お金ではなく情報、名誉ではなく評価・評判、そして、エゴではなく、宇宙の理、ということでしょうか?



もっとも、艮の金神さんが、京都のおおもと訪問の際、船井幸雄さんに言ったことは、「エゴとお金と科学、が原因で今の文明をだめにする」ということだったようですが、「科学」をあえて「名誉」と変えて考えてみました。


みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・
いろいろ考えるわけですが、向上心という言葉がありますが、私はこの言葉に意外な側面があるな、と最近感じているのですが、それは好奇心とは向上心と≒なのではないかということなのですが・・・。

当たり前だと思っている方には当たり前なのでしょうが、今更ながらそう思いました(笑)。
私には、どこか向上心に対して無意識の否定の気持ちがいつのころからかあったようなのですが、いろいろな理由は思い浮かびますが、向上心≒資本主義的(エゴ的)競争心のような概念、向上心≒平等の否定、のような感じでしょうか。
もっとも、ここでの平等とは今思いますと、正に悪平等であったように感じます。

また、えてして私はやりすぎてしまうことが今生では多かったですので、「ほどほどに・・・」という意識が潜在的にあるようですが、それも、好奇心、向上心にリミッターをかける要素になっていたように感じます。
ですので、そのリミッターを取り去るために、大義名分を欲しがるようなところがあるのかもしれません。
しかしながら、基本的には、大義名分などというものは、団体を動かすような時以外には、それほど必要のないものであり、本当は、好奇心、喜のようなものに、素直に従える状態であるのなら、それで良いように思います。
好奇心、喜に素直に従えないのは、今までの私にすれば、上記にあるような、「好奇心≒エゴ的競争心」、「向上心≒平等の否定」、「ほどほどに・・・」などの概念であった、ということです。
想像ですが・・・。

向上心とは、そもそも、正に好奇心であり、「もっとできるようになってみたい。そうしたら何があるだろうか?」、「もっと知りたい。知ったら何が分かるだろうか?」というようなことでありますので・・・
〇本来そこには、エゴ的なものはなく、競争心でそうしているのでもなく・・・
〇好奇心に根ざした向上心を抑えてまで、深く知る、上達することを否定してしまうのは、正に悪平等以外のなにものでもなく・・・
〇「ほどほどに」というのは、もし正しい言葉であったとしても、瞬間的な最大値を示しての言葉なのではないかと感じます。
つまり、「腹八分目」ということでありのでしょう。

みなさんは、どう思うでしょうか?






で・・・
江原啓之さんが、否定の言葉、たとえば、「だめだ」というような言葉を口にしてしまった時、「だめじゃない、だめじゃない」と否定しなくてはいけない、とテレビで言っていましたが、波動的にも、想念的にも、言霊的にも正にそうなのだと思います。

但し、思いますのは・・・
先日のチャネラーは、「瞑想時、嫌な映像が出た時は、それを意識して消そうとすると、それにエネルギーを与えてしまう」と言っていました。
そして、「消さずに、淡々とそれを見ていれば良い」ということでした。

同じような言い方は、天外伺朗さんの瞑想に関して書いたものなどを読んでも書いてあります。

それはそれでまた良いのですが、先日まで私はこれができませんでした(笑)。
つまり、私が読み間違えたか、本が間違えていたか・・・例のマーフィーの法則を読んで、「間違えてでも、雑念でも、思い浮かんだ映像は否定しなくては、それが実現してしまうのかもしれない」という思いがあったからですが・・・。

しかし、そうではないようです。
仮にマーフィーの法則的なものの正しいものがあったとするのなら、それは映像ではなく、気持ち、想念が実現する、といった種類の内容であるべきであるようです。
(マーフィーの法則と言いますと、何かの起きるジンクス的に扱われている時もあるようですが、ここでは、願望実現方としてのマーフィーの法則を言っています)

それを踏まえて先の江原さんの言ったことを考えますと、マイナスの言葉、映像などが出てしまった時などは、否定すべきですが、その否定するというのは、「だめだ」などは、「だめじゃない」という言い方でも良いかもしれませんが、本当は、「大丈夫」ですとか、、「できる」のような・・・、状況によって違いますが、逆の意味の肯定の言葉を言う、とした方が、言いたくない言葉、映像に不必要なエネルギーを与えることがないですので、ずっと良いでしょうね。

映像ならば、私ががやっていたことは、そ雑念、嫌な映像を消そうとして、逆にそれにエネルギーを与えるということをしていたわけですので、要するに、嫌な映像などは、それ自体を否定しないで、逆の映像、つまり、本当に欲しい映像にエネルギーを与える方向に努め、雑念などは、ただ見ていれば良いだけのようです。

その意味では、正に、「動じず、焦らず、淡々と」であり、「明鏡止水」の心境ですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?





今日は12月8日ですが・・・
昨日から、「今日はジョンレノンの命日です」とか、「太平洋戦争の開戦の日です」とか・・・いろいろ聞きますので、調べてみました。


「はてなダイアリー」によりますと・・・
と言いますか、そこからリンクしているhttp://www.nnh.to/12/08.html によりますと・・・
(引用)

・対米英開戦記念日(太平洋戦争開戦記念日) 備考:1941(昭和16)年12月8日に開戦。
・レノンズデー(Lennon's day) 備考:1980(昭和55)年12月8日にジョン・レノンがなくなった。
・御事納め(その年の農事等雑事をしまう日。)
・針供養
・成道会:釈迦が成道(悟りを得ること)したとされる日。
・母マリア無原罪の御宿りの祝日
(以上)

などが今日であるようです。
前後の日を見てみますと、若干重要なことの多い日ではありますが、ものすごく多い、ということもないようです。

ただ、私にとっては、キーワード的なものが多い日ではあります。
太平洋戦争・・・ハワイの真珠湾を攻撃し、ジョンがなくなり、釈迦が悟り、聖母マリアが妊娠した日ですね。
だからどうだとは言いませんが、不思議な気はします。

ハワイ、ビートルズ、仏教、キリスト教、に関係したことが一度に起きている日があるのだな・・・とは感じます。
とは言え、良い事、悪いことのどちらかに偏っているかと言えばそうではなく、半々と言った感じでしょうか。

それでも、他の出来事は、終わったり始まったりですが、針供養、御用納めなどが今日である、ということは、仏教的には何かの区切りのような意味があるのかもしれませんね。

 


もういつの間にかジョンレノンより年上になってしまいましたが・・・何か不思議です。

 




さて・・・
イチロウ選手が、「最近、打ってみたいないと思わせるピッチャーがいないので、松坂選手にはがんばって欲しいと思います・・・」というような内容を話していましたが、要するに、ライバル心とは「追い抜き心」ではなく、「好奇心」、「あの速い球を打つにはどうしたら良いのだろう?」≒向上心、である、ということのように感じます。

それはつまり「、ライバルが必要である」、とよく言われる言葉の本当の意味も、競争心、追い抜きたいという心ではなく、好奇心、喜≒向上心、が、自らも、相手も良くしていく、生成発展していくことに繋がるということなのだと感じます。

ここを間違えて、資本主義的、民主主義的にしますと、どういう手段でもとにかく多数を集めればそれが正解となる、だとか、どんな手段でも、上の相手、じゃまな相手を蹴落とす、消してしまえば、それで、こちらが上に躍り出るのような発想になってしまうのだと思います。

「それじゃ多数決でなく、どういう手段を取れば、専制的にならずに、もっとも良い決定がなされるのだ?」という方もいるかと思いますが、あるべき姿は、万能の王様がいて、その人が問題ひとつひとつに対して、決定をしていくというものなのだと思います。

但し、共産主義であるとか、2流の王様の場合には、結局、お金、利権などが、そこに集中するようなことになります。

その意味では、徳川将軍であるとか、昔の天皇制のように、帝王学を何世代にも渡って学んだ人が一番上に立つ、そして、有能な側近を使って政治をする、という姿が良いのでしょう。

要するに、上に立つ人間次第ということなのですが、それには、その人の経済的立場が保障されていて、なおかつそのような状態でも、宇宙の理に沿って決定・判断ができ、新しいテクノロジーに対しても、柔軟に対応できる、というような相当に”立派”な存在が必要となるわけですね。

それができれば、王制が一番良いのではないかと感じます。


とにかく多数決というのは、正に、民主主義という名前の下で行われている”多数主義”という内容の政治制度のことであり、ぜんぜん民主的ではない、ということですね。

ですので、国連でもなんでも、多数決で決定するのでしょうが、それは別に民主的決定ではないのでしょう。



資本主義というのも、変な主義です。
長野県ではなんでも入札の参加企業の規定は、長野県内に事務所があれが、どんな企業でも参加できる、ということのようです・・・
結果、入札金額の%は確か裏覚えですが、60%程度になったのだと思います。
そうしますと、当然、東京に本社のあるゼネコンなども入札に参加しますので、仕入れであるとか、技術であるとか、そういったことを考えれば、県内の中小企業では歯が立たないわけですね。

この入札の姿、そして起きた結果は、資本主義の姿からすれば、おそらく100点満点でしょう。
強いものが勝つ、ということですね。

もちろん、そうしますと、税金を無駄に使うことなく、公共の建物などは、経済的に建ちます。

それでも、県内の建築関係の会社は、何年か経っていけば、おそらくほとんどがなくなってしまうのでしょう。
資本主義では、これを、自然の流れだ、という変な言い方をして納得するわけですが。

で、結果、良く分かりませんが、建築の需要が県内にあるのなら、大手の建築会社の大きな規模の事務所、支店などが出来るのでしょうし、入札物件以外に需要がない、となれば、とりあえず、入札に参加できるために、数人の事務所だけ置いておく、というようなことになるのでしょう。

そうなりますと、別に県内に雇用の機会が増えるでもなく、地場の産業が栄えるでもなく、どれほど県にとって得なのか、県民にとって得なのか、、国にとって得なのか良く分かりません。

もちろん、大手の下請け的な仕事だけやるような会社は存在するかもしれませんが、それでは、地場産業に技術力が育たないかもしれないですね。


とは言え、指定業者が5社くらいで、しかも談合をしているような形式の入札では、当然、税金の無駄使いですし、特定の業者だけが金銭的に良い思いをするだけですし、建築の質も落ちるかもしれません。


ですので、生成発展、ということが宇宙の理であるのなら、公共の仕事は、できるだけ多くのその県に属する業者に、持ち回りでやってもらうような形式が一番良いのでしょう。

技術的に金銭的に折り合わないのなら、そこを補うような制度を作り、ある程度の範囲で金額を設定して、いくらかは、他の業者の力を借りても良いとして、利益額・率も事前にある程度の範囲内できちんと設定しておき、きちんと工事終了の時に費用の明細を提出してもらって・・・というようなことをするのが良いように感じます。

ただただ税金を無駄使いしないように、と資本主義原理主義的なことをするのも、間違っていますし、隠れて、私的な利益を稼がれてしまうような体質も困りますし・・・公共の事業なら、本当の意味で、「公に利益のあるようなやり方」をするのが良いのでしょうね。

私は、前長野県知事の田中氏は、がんばっていたな、とは感じますが、ちょっと今の入札制度の姿は、間違っているように感じます。

「それは、なんという主義においてだ?」
と言う人もいるかもしれませんが、しいて言えば「宇宙の理」でしょうか。

みなさんは、どう思うでしょうか?






さて・・・・・・左記の医者いらず老い知らずの生き方 (安保 徹 (著), 船井 幸雄  徳間書店 (2006/12) ですが、安保さんも船井幸雄さんも、「体温を上げることにより、免疫力が上がり、病気にならなくなる」と言っています。

116ページには、人間の体温は、36.5度から38度くらいが一番免疫力が活発になるそうです。
そして、顔色が悪く、病気がちの人は、平均体温がほとんど36度以下だそうです。
平均体温が35度になると免疫細胞がガン細胞に負けてしまうそうです。

はは・・・と思います。
私は、最近はどういうわけか熱も出ず、体温など5年以上計ったことがないので分かりませんが、昔は大抵いつ計っても35度くらいでした(笑)」

但し、大病以外には、ほとんど風邪もひかない人間ではありましたが、疲れやすい感じはありましたね。

で、これと関連してですが、実は少し前に、いつにも増して体調の良い時期があったのですが・・・そのことを考えていましたら、どうも、「鶏肉だけはOK」状態の時に、家の前の中華料理屋さんへ良く行っていたことが思い出されました。
で、鶏肉が体に良いのか?ということではなく、どうも、毎食、豆板醤が使い放題でしたので、相当多目に料理に入れていたのですが、これによって、体温が上がっていたからではないか?と想像しました。

そして、先日、豆板醤を購入してきて、今あらゆる料理に使っていますが、体調が、やはり良いですね(笑)。
どうも、体温が上がっているようです。
それは、ストーブの使用頻度なのを観察しても、分かります。

また、体温が上がりますと、どうも、分かりやすいところでは、嗅覚が良くなってくるようです。
いろんな臭いがします。
気になって、掃除の回数が多くなったりしています(笑)。

私はハワイに行くと、同じように嗅覚が良くなる感覚を覚えるのですが、どうも、暖かい、ということ、つまり体温と関係があるのかもしれないですね。
日焼けしても、体温は上がりますし、重たい感じの湿気がなければ、私は冷房を使わない人ですので。

もちろん、良く調べれば、嗅覚以外にも、体温が上がったことによる変化は他にも見つかるのでしょう。


みなさんは、体温は高いでしょうか?


で、ちょっと関係ないですが・・・
ハワイは、湿度が日本と比べて高いのでしょうか?低いのでしょうか?
湿気をあまり感じないですが、とは言え、湿度が低い、という感じでもないような・・・
もし湿度が高いとなると、湿度ではなく、風が強いので、湿気が重くない、ということなのかもしれませんが。
みなさんは、どう思うでしょうか?



で・・・
2012年の黙示録、というサイトがありますが、ここは、面白いことが書いてあるのですが・・・最近翻訳物からの引用が掲載されているのですが・・・きちんと書きますが、『シルバーバーチのスピリチュアルな法則』(フランク・ニューマン・著/近藤千雄・訳/ハート出版)という本です。

その中に、
(引用)
霊的に高い次元にいる人ほど、質的に高いということです。他人への思いやりが強いほど、慈悲心が大きいほど、自己犠牲の意識が高いほど、地上界にあっても無意識的に高い階層に生きていることになります
(以上)
という文章があります。

で・・・この「自己犠牲」という言葉なのですが、私がよく読む系統の日本人による本には、この言葉はほとんど出てきません。
そして、「自己犠牲」という言葉を読むと、すごい違和感があります。
これは英語では、一体なんというように表現されているのでしょう?
別に、翻訳した方を責めるつもりはありませんが、私はこの「犠牲」という言葉にどうしても引っかかってしまいます(笑)。


普通に「犠牲」を調べますとgoo辞書 では、sacrifice;という単語が出てきます。
使用例は、

(引用)
 sacrifice bunt 【野】犠牲バント.
sacrifice fly 【野】犠牲フライ.
sacrifice hit 【野】犠打.
(以上)

のような言葉が掲載されています。


私の日本人的日本語感覚で、「自己犠牲」という言葉を読みますと、「命を捧げて、自分はどうでも良いので、他の人に尽くす」、というイメージと、「自虐的なイメージ」の合わさったようなものを感じてしまいます。


船井幸雄さんなどは、確かに、「命がけで」ですとか、「損勘定で生きる」ですとか、「自分以外の人のために何かやってみる」のようなことを書いていますが、これらの言葉と、「自己犠牲」という言葉から受けるイメージは、ずいぶん違うものに感じます。


英語でどう書いてあるのか分かりませんが、もし、上記の本の中で、メッセージを送ってきた神が、船井幸雄さんと同じような内容を言っているのであれば、たとえそれが、sacrificeだろうが、なんだろうが、一言で書くなら、”無償のアシスト”、”無償の補助”のような言葉が適当であろうな、と感じます。
(「無償の愛」、もどこか抽象的すぎて、良く分からない言葉だと感じていますので、使いません」)

ですので、文章としては、
霊的に高い次元にいる人ほど、質的に高いということです。他人への思いやりが強いほど、慈悲心が大きいほど、無償で他人を補助しようという気持ちが多いほど、地上界にあっても無意識的に高い階層に生きていることになります
のようなものが、良いのだろうな、と感じてしまいます。

もし、回りくどいというのなら、政木和三さんのように、ずばり「情けは人のためならず、とは、人にしたことは、自分に返ってくるということです」と言った方が、まだ事実に近いだろうなとも感じます。


自己犠牲という言葉には、自虐的・・・つまり、「自分は幸せにならなくて良い」、「なってはいけない」、というようなイメージをとても強く感じます。

どうも、これは嘘のようです。
自分も含めて、「全員救われなくては、いけない」というのが、どうも宇宙の理のようです。

「直接は自分の利に繋がらないようなことでも、そこに困っている人がいたら、アシストしてあげれば良い、何も、命を捨てて捧げればよいなどという意味ではない。そんなことでは、命がいくつあっても足りなかろうに」
というような言葉が聞こえてきそうに感じます。



とは言え、莫大な文章を翻訳するのに、そんな細かいところまで氣を配れない、という気持ちも分かるような気もしますし、この翻訳者には、この方の訳した意味通りに読めたのかもしれませんし、あるいは、日本語の意味の取り方も私と違うものなのかもしれませんので、決して、間違えている、ということではないのでしょう。

「そんなこと言うなら、もう精神世界の翻訳はしないぞぅ」と言われたら困りますので、どうかお気になさらないようにお願いいたします。

みなさんは、どう思うでしょうか?




さて・・・・・・
PCは売れていない、ということを聞きましたが、これは、大手電気メーカーだけの話でしょうか?
それとも、中小含んでの話でしょうか?

確かに、大手は売れないというのは分かりますね。
まず、今インターネットで探せば、中小の企業で、本当に安くて高性能のものが、たくさん売っています。
それと、普通の使用・・・インターネットと、デジカメと、ワープロでしたら、おそらく5年近く前の機種でも、まだまだ現役ですね。

ですので、業務用途以外では、最新機種というのは、たとえお金があっても、おそらく不必要なのでしょう。
とすると、買うのはマニアと業務用ということになりますので、売れなくて当たり前ですね。
神田昌典さん式に言えば、売れないものを一生懸命売る、というのは、どうも効率の悪い行為のようです。
(一時は、一流の営業マンは何でも売れるものだ、と思っていましたが)

そうなりますと、売れるものにすれば良い訳ですが、そうしますとマーケティングということが必要になるのでしょう。
もちろん、薄型、軽量、かっこうの良いデザインなどのものも出ていますが・・・私などが思いますのは、究極のアナログ・ライクなPCでしょうか?
理由は、何度も買い換えてくれるのは、おそらく、比較的年齢の上の層でしょうし、ソフトウエアという姿が、出来るだけ裏に隠れた存在の方が、少なくとも日本人には馴染み易いように感じますので。

今でも、Eメール用のダイレクト・ボタンや、タッチパネルスクリーンなどを取り入れたモデルというのは、ありますね。
もっと、アナログ的にして欲しいです(笑)。

文字もキーボードではなく、みんなペンで字を書くような形式ですね。
別にPC上の字に変換しなくても良いのではないでしょうか?
つまり、手紙の字がそのまま画像ファイルになって、E-メールなどへ返信できる、と言った感じですね(笑)。

場合によっては、そのイメージを、購入者の要望によって、PCメーカーがちゃんとワープロ打ちし直してあげる、なんていうサービスまでしてあげると良いですね。
デジカメ写真をプリントするサービスがネット上からできるわけですので、不可能ではないですね(笑)。

あるいは、ソフトウエア別に、キーボードが違う、といったような形式で対応しても面白いですね。

但し、今のPCのCPUのクロック周波数がどんどん上がっているのを見ていると、機械式時計の末期に似ているようにも感じます。
機械式時計は、良く、23石とか、そういう〇〇石という表現をしますが、ここら辺は私も深くは知らないのですが、基本的には、その石の数が多いと、性能が良いわけです。
もちろん、本当はそれだけではないのですが、ひとつの基準ですね。
PCにしても、CPU以外に、マザーボードの性能などが問われるのと同じで、それだけではない、ということです。

それでも、ひとつの基準になるわけですので、クオーツが出る前辺りには、私の知っている限りでは、性能に関係ないところなどで、小さな石をはめ込んで、ものすごく石の数が多い時計、というのが出ていたようです。

想像するに、時計の精度としては、もう普通の生活では、必要十分な耐久能力と精度が完成してしまっていたということでしょうか?
もちろん、値段によっても違いますが、たとえば、「日差30秒」と、「月差1分」では、相当違うようにも感じますが、実際の使用では、そんなに違わないわけですね。
まして、時計を2本持っているなら、日曜日(当時は週休1日)にお出かけ用の時計をしますと、当然、もうひとつは止まってしまうわけで(巻かないと止まります)、それを月曜日の朝、時間を合わせてまた巻くのですから、「月差」の概念など、あまり意味のないことでしょう。

そして、機械式時計が、性能的にも壊れないし、時間も正確だし・・・となって来て、市場が飽和状態になると、ちゃんとクオーツ時計のようなものが出てくるわけですね。
これは電池を入れさえすれば止まりませんし、安いですし、時間は、もう安いモノでも「月差何秒」ですので、こだわりがなければ、こちらの方が良いわけです。


PCも、そろそろ何かすごいものが出てくるのかもしれないな、などと思いながら見ていますが、私は手書き入力に何かヒントがあるように感じています。

みなさんは、どう思うでしょうか?





サンデープロジェクトを、見ていましたが・・・
非常にデリケートな問題を扱っていましたが・・・
内容についてどうこうはないのですが、思いますに、過去との整合性というのは、取らない方が何でも良いみたいですね。
つまり、その時点で正しい、と感じたのなら、過去に拘らず、立場を明確にする、と言いますか・・・とにかく過去に拘らない、ということですが。

そして、同じように思うに、罪、罰というものは、本当に考え物だと感じます。
それがあるが故に、事実を言いたいし、反省しているのだけれど、諸事情により、言えないという人がいて、そして、それによって、事実が出てこない、社会の中で同じ過ちが何度も起きてしまう・・・ということがあるようですね。

とは言え、罰を厳しくしないと、というのも、それはそれで当然の話かもしれませんが。

アメリカは司法取引というのを良くやるようですが、これが影に隠れてやるのではなく、公にできるようであれば、場合によっては、ありなのかもしれないな、とも感じてしまいます。

みなさんは、どう思うでしょうか?




国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」メールマガジン、というのがありますが・・・
今日は、9.11問題です。

http://www.harmonicslife.net/gallery/main.php?g2_itemId=775これをみていただきたい」
というので、見ましたが・・・

日本人は良きにつけ悪しきにつけ、一度世論がある方向に動きますと、全体的にそちらへ動きます。
ですので、この問題などが発端になり、日本人の世論が急激に、今と異なる方向に動く、ということは有り得るわけですね。

その意味では、この問題は結構大きなキーなのかもしれませんね。

現在、既存のマスコミはすべて統制されていますので、どうしようもない、ということは、何度も書いていますが、今のところインターネットだけは、その手から逃れています・・・完全かどうかは、分かりませんが。

その意味では、普通の人の情報源は、既存のマスコミですので、その状況を何とかする方法はインターネットな訳でしょうね。

それを考えれば、インターネットに特化したインターネット・マシーンというのがあると良いですね。

映像や音声を見るソフトも、今のように、ウインドウの位置を変えたりしなくてはならないような面倒なものではなく、ボタンひとつで、しかも指定の場所に出てくるようなソフト(これは、専用ブラウザで可能でしょう)や、さまざまな操作性を盛り込んで・・・検索は、音声認識、手書き入力だけにして・・・というようなものですね。

しかも安価。

Eメールすら場合によっては使えなくて良いのではないでしょうか?

出力はアナログでしかもテレビにつなぐ、ですね。

買い物などできなくて良いのです。
ただただ情報端末として、見るだけの”機械”です。

これは、ひょっとしたら船井幸雄さんのような会社で作ると良いのかもしれませんね。
真実の情報をできるだけ広く広める、という意味では非常に効果的だと感じます。


音声認識と手書き入力での検索、そして専用ブラウザを作るのにいくらか手間がかかるかもしれませんが・・・








さて・・・・・・
左記の医者いらず老い知らずの生き方 (
安保 徹 (著), 船井 幸雄  徳間書店 (2006/12) )ですが、131ページに肉食について書かれています。
私の知人で肉食を止めると調子が出ない、という人がいますが、上記箇所によると、肉食をしていると、体は肉を要求する状態であり、腸も肉食で生きるように仕組みが出来上がっているので、急に止めると、当初は、欲求不満状態のようになるそうです。

ですので、肉食をやめようと思っている人は、少しずつですね。

で、やはり安保さんも、肉食をしている時は、きつく叱ったりすることもあったようですが、止めたらそういうことはなくなったそうです。

肉食を止めるというのは、健康にも性格にも良い影響を及ぼすようです。

ただおそらくは、一切れも食べてはいけない、ということではないでしょう。
霊性的には、そうかもしれませんが。

と言いますか、最近、肉のエキスですら除外しようと思って食品を選んでいますが、該当する食品の数があまりに少なすぎて、今度はそれで、フラストレーションが溜まってしまうことがあります(笑)。

ですので、私は、卵は良し、肉のエキスも許してもらう、とすべきかな、と考えています。
でないと、中華スープの系統はみな鶏がらでダシを取っていますので飲めません(笑)。

とは言え、本には青汁だけで生活し、リューマチを治して、しかも、ふくよかでいる女性のことなどが書かれていますので、実際は、肉関係ゼロが理想なのでしょうね。
船井幸雄さんも、空港の時間待ちでは、以前はお酒だったようですが、今は青汁だそうです。

どうしても、凝り性な人用に・・・食品の波動測定やOリングテストなどのテストをしてあげるサービスがあっても面白いかもしれませんね。

「〇〇という食品の測定をしてください」に対して、結果をメールなどで伝える、というものですが。

これなら、特定の個人とのやり取りですので、不要に企業イメージなどを汚すこともなく、健康に良い食品を伝えることができるでしょうね。

0リングテストと言えば・・・私などがやりますと、微妙な力加減で、「強くなったかな?弱くなったかな?」と分からなくなってしまう時がありますが、あれも、小型で数値が見える握力計のようなものがあると便利ですね。
今度、どこかに行った時にでも、探してみようかと思います(笑)。

0リングテストはアメリカで特許も取っているようですので、テレビでも放送できるかと思います。
登場したら面白そうですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?






で、思ったのですが、みなさんいろいろな”健康グッズ”、”不思議グッズ”を発売しています。
その中で、食料品、飲料というのは、たくさんありますね。

このような商品ばかりメニューにあるカフェ(喫茶店ともいう)のようなものを営業すると面白そうですね(興)。
水などは、船井幸雄さんからはじまり、江本勝さんでも、森田健さんでも、多くの方々が商品化していますが、水をそのまま出しても良いですし、場合によっては、お通しとして、”今日の水”として、まず最初に出しても面白いですね。

もちろん、コーヒー、紅茶、日本茶などは、すべてそれらの水を使うわけです。
江本さんのところでは、好きな波動を水に転写できるようですので、レギュラーで何種類か、あるいは、事前予約で、希望の波動を転写した水を用意して提供するようなことをしても良いかもしれません。

もちろん、その他、食料品も出します。
おそらく各種”水”でのうどん、そばなども可能でしょうし、うどん粉などに波動を転写する、というのもおいしそうですね。

そして、スペースにもよりますが、各種健康グッズ、波動グッズなどの販売、お試しなどもできるでしょう。

浮かんできますのは、各種水による”かき氷”ですが・・・おいしそうですね。
コーヒーを各種良い水で作るのは良いとして、コーヒー豆などには波動は転写できるのでしょうか?
できるのであれば、そのコーヒー豆を販売する、というのも良いのかもしれません。

サラダも良さそうです。
波動を転写するも良し、あるいは、特定の農家から野菜を仕入れて、収穫までの何日間か、「ありがとう」でも、なんでも良いのですが、良い波動の出る言葉の紙を巻いたり、特定の音楽を聴かせ続けたりして、その野菜をサラダで出す・・・
いかがでしょうか?


私などは、良いものは玄米でもなんでも食べたいのですが、いわゆる健康に良い、霊性に良い、と言われるものだけで作った定食メニューなどあれば、毎日でも食べに行きたいですが(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?



思うのですが、私は意外に・・・玄米と野菜の煮物などで構成された定食というのは、女性のみならず、働く男性でも、”本当はあるなら食べたい”という人が多いのではないかと感じたりします。

例のアメリカ産牛肉ですが、日本人が、ここまで牛肉を見分けたことで、私は、食に関しての日本人の潜在的な感覚というのはすごいな、と感じています。
牛肉以外にも・・・100円ショップに行きますと、どこでも、”玄米”、”五穀米”が置いてありますね(驚)。
基本的に、利幅の少ない仕事ですので、売れないものは、それこそ売らないはずだろう思います。
日本人はすごいです。


むしろ、食に関しての仕事をしている人達の方が、マスコミに踊らされていてるのではないか?と感じてしまう時もあります。

また不思議なものについても、同様で、確かに、今の30代後半以上の人達は、戦後教育の影響、第二次世界大戦と神道の結びつきに関しての不確かな情報、などにより、少しでも不思議なことは敬遠する人もいますが、案外10代、20代の人達というのは、不思議なことに対して極端な誤解はないのかもしれないと感じます。

高次元的に言えば、アセンションが近づくに従って・・・あるいは少子化に従って・・・目に見ないものを理解できる能力のある人間が従来より多く生まれてきているようです。


この波動カフェだか、不思議カフェだか、本物カフェだか、名称は分かりませんが、面白そうですね(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・・・・
ネットを見ていて思ったのですが・・・一応ですね・・・
BSEの病原菌は、基本的には熱処理では、取り去れませんので。
サイトとしては、
http://www.fsc.go.jp/monitor/1610moni-saisyuhoukoku.pdf のようなものがあります。

それだけですが。



テレビを見ていて思いますが、広告では、最後にチラッと言う言葉が、もっとも人の心に残る、というようなデータがあるのでしょうか?

どうも、そういう意図というか情報でもって、作っているのだろうか?と感じます。
もし、正解なら、ニュースの最後などで、意図的な言葉をCMぎりぎりなどに言っているように感じるのは、そういう理由なのかもしれませんね。

もし、聞いてしまった時は、良く分かりませんが、3回ぐらい逆の意味の波動的に良い意味の言葉を称えた方が良いかもしれませんね。
神経質になる必要はありませんが。

 

色々考えますが・・・
何度か書いていますが、焦っている時、動じている時などは、おそらく性格に測定すれば、意識というのは高次元的には4次元などの囚われた領域と繋がっている状態なのかもしれませんね。

その意味では、明鏡止水・・・動じず、焦らず(急がず)、淡々と、というような心の状態の時というのは、高次元的には5次元以上とつながっているのかもしれません。

一度、太極拳を体験しようと思っていますが、あのゆっくりの流れというのは、こ上記に書いたような心の状態ととも関係しているんかも知れませんね。

何かをやっているとき、乗ってきますと、とんでもないようなスピードでものごとを処理できてしまう時が良くあります。
それは物理的にも・・・このキーボードを打つというような作業などでもそうなのですが。

それを故意に作り出そうとして、いきなりすごいスピードでやってみたりするのですが、そういう時には、えてして、うまくは行っていません。

ここら辺は面白いですね。
波動的と言いますか、共鳴ということをk名が得ますと、外側が同じですと、同じような状態と共鳴するということがあるのだと思いますが、こと、動きと言いますか、処理と言いますか、そのスピードというものに関しては、少し異なるようですね。

まず、ゆっくりと初めて、5次元と通じる・・・それから・・・ということなのかもしれません。

太極拳の動きですが、体験したこともないくせに言うのも変ですが(笑)、見ていると、能、日舞、フラダンスなどの動きとも、どこか共通するようなものがあるように感じます。
どこがかと言いますと・・・・何と言いますか、手を前に伸ばして・・・右手なら、その手をゆっくり正面から右の方向へ、掌で空気を分けるようにする動きなどですが・・・。
日本もので言えば、扇子のようなものを持ち、やはり同じような動きをしているときなどですね。

ああいった動きを見ていますと、空気という気体を液体といいますか、ある程度粘度のあるものをあつかっているような動きに感じます。

五次元の氣、あるいは五次元の蘇生エネルギーというのは、この3次元から見れば、そういうような感じのものなのかもしれません。

政木和三さんによれば、物理的には、スピードが上がりますと、通常の状態で気体のようなものでも、液体のようになり、もっとスピードが上がれば、もっと堅いものになるようです。

その意味では、ちょうど、気体が液体のように感じられるくらいの感覚というものに、隠れた高次元的なスピードが隠されているのかもしれません。

それは、高次元では速いスピードというのは、この3次元に持ってくると、ちょうど太極拳くらいのスピードになる、ということなのでしょうか。


また、この太極拳的ゆっくりとした動きにも、変性女子の秘密(?)が隠されているのかもしれない・・・などと考えてしまいます(笑)。

少し考え方を変えますと、スピードがあがれば上がるほど、堅くなるのであれば、ゆっくりであればゆっくりであるほど、柔らかいということでもあるのでしょう。
そうすると、3次元空間にある五次元以上との扉を開くことができる、ということかもしれません。
となりますと、急げば急ぐほど、下の次元の扉しか開かない、あるいは、高次元の扉を開けられない、ということになってきますね。

いわゆる、西洋式の舞踊、ダンスは、基本的には早めの動きですが、どうも、私が好むような国、地方にあるものは、ゆっくりとした動きのものが多いようです(笑)。

まあ、ヒーリング音楽のほとんどが、ゆっくりしたリズムのであることを考えれば、別に新しい発見でもなんでもないのですが(笑)。

ただ、先日書きましたが、いくらのってきたとは言え、どんなに早くとも、テンポは116くらいが最も良いスピードのようです。

私はこのように、何か行動をするときの、スピードということに、変に昔から興味があります(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

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