理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

写真はなし    
    さて・・・・・・
JUSTの11月号CDを聞きました。 
その中に、白石康次郎さんというヨットの冒険家のインタビューがありましたが・・・この方は先日、どこかのテレビ番組で見たことがあります。
なんで思い出したかと言えば、船酔いの話で思いだしました(笑)。
「どうせ吐くなら、楽しく吐こうと思い・・・」という話なのですが、文字だけだときたないだけになってしまいますので、書きませんが(笑)。
 
で・・・興味深かったのですが、平常心というものについて語っていたのが、ひっかかりました。
ヨットで海に出ている時、何かトラブルがあった場合の心の持ち方、についての時に出てきた言葉なのですが、「いろいろ勉強してみて、結局、平常心ということのようです・・・」のようなことです。

私はこの平常心という言葉は、あまり良い印章がありませんし、平常心=普通の心、のようなイメージがありますので、「私の場合、決して、普通の状態が良いということでもないな・・・」と感じていますので、多くの人がこれを言っても、あまりピンと来たことがありませんでした。

ただ、白石さんの説明が今まで聞いたことのある平常心、というものと少し違っていたので、「ん?」と思って聞き入ってしまいました。


どうも、剣豪などのについて勉強したようなのですが、当然のように宮本武蔵の名前が出てきました。
そして、その後に、山岡鉄舟さんの名前が出てきたのですね。

私は、どうも、この山岡さんが好きです。
山岡さんを好きになった初めは、北方謙三さんの小説ですが、その後調べて、歴史の改ざんがされていなければ・・・勝海舟さんが、無血開城をしたときに、まず、山岡さんが、敵陣に乗り込み、西郷隆盛と談判をしたことにより、その成功があった、ということを知ったのが、好きになった3次元的な理由です。

もちろん、先の北方さんの小説では、やたらかっこう良く剣豪ぶりが書かれていますので、それも理由にはなっているのですが、その他、残している文献などでも、結構高次元的なことを言っているのも、興味を持っている理由です。

で・・・白石さんの思う平常心で、この山岡さんの名前が出てきたことにより、どうも、この種類の人がとらえている平常心とは山岡さんの言う「明鏡止水」のことなのだろうな・・・と、直感的に感じました。

「ああ、それなら分かるな・・・」
と納得しました(笑)。


白石さんは、「恐れに動じると、仮に20%それに能力を取られたのなら、80%しか実力を発揮できない・・・」というようなことを言っています。

高次元的にはそれだけではないと思いますが・・・つまり恐れの心の波動というのは、ものすごく悪いものである、ということなのですが。

で、平常心、平常心、というそれは、どうも、明鏡止水であり、宮本武蔵の五輪の書によれば、「常の心」と表現されるもののようです。

それは、動じない、ということでもあるようです。
どうもここら辺は、私が瞑想をするときの心構えとしている、「動じず、淡々と、あせらない」に近いような気もしますね。
ただ、どうも、私のものは、そこまで深くはないかもしれませんが(笑)。

で、同様JUSTですが、片岡慎介さんという方のインタビューもありましたが、ここで、人のもっとも良いリズムのスピードは「116」である、ということを言っています。

「ああ」と思いました。
どうも、これは正しいように感じます。
メトロノームのフリーソフトなどがありますので、ダウンロードして聞いて見ると良いかもしれません。
(検索で「メトロノーム」、「フリーソフト」として検索しますと、いくらでも出てきます)

これは、上記の「あせらない」ということと関係しているように感じるのですが、私の場合、大抵、何かをやるときに、遅いスピードから始まります。
その後、徐々に上がって行き、ちょうど良いスピード、テンポになるのですが・・・私の場合、どうも、そこで止まっていれば良いのに、「もっと良くしよう」と思いすぎて、「遅いところからスピードを上げてきたわけだから、もっと上げて行けば、もっともっと良くなっていくのではないか・・・」のように思い、何かのリズム、テンポが異常に上がっていってしまうようです。
そして、これが、(私の場合)、”あせり”、というものの正体のように思いました。

「116」は月の周期と関係があるようですが・・・売り物ですので、興味のある方は、購入して聞いてみてください。
半年くらいしたら、書くかもしれませんが(笑)。


ですので・・・平常心=明鏡止水、とは、「動じず、淡々と、あせらず」であるなら、「あせらず」の分部は「116のテンポで」ということかもしれませんね。

また、「動じず」ですが、明鏡止水は、「静かで波風立たない水の様子。水が止まり、鏡のような状態」のような感じですので、これをして「動じず」ということだとすると、私には非常に、ピンと来ます。

つまり、岡田多母さんの言う「0地点」、「真直(まちょく)の真平(まったいら)」というものが、正に、この明鏡止水なのではないだろうか?と感じるのです。

心を多角的にとらえるなら、
平常心=明鏡止水とは、物質的には液体であり、
状態は真平で鏡のようであり、
テンポは116であり・・・

ということかもしれません。

ただ、「淡々」がまだ、解読できていませんが、淡々は淡々なのでしょう(笑)。



ともかく、平常心とは、「普通の時の心」、「だらだらしている時の心」などとは少し違うようです。

みなさんは、どう思うでしょうか?



で・・・リーディングで思い出したことがありますが・・・
イギリスの前世ですが、実は私は5歳くらいの時に、生まれて初めてミルクティというものを飲んだのですが、それは、父親の知り合いの家でのことでしたが、あまりにおいし過ぎて、おかわりにおかわりを重ねて、牛乳がなくなってしまい、わざわざ買いに行ってもらった、ということがありました(笑)。
確か・・・5,6杯は飲んだのではないでしょうか?

別に前世とは関係ないかもしれませんが、ともかくやたらおいしい飲み物だと思ったことを覚えています(笑)。

ちなみに、品川女子学院の校長先生の話もありましたが、つい先日まで、毎日この高校の前を通っていました(笑)。
ここでも何度か書きましたが、母親が行きたかった高校でもあります。
面白い縁です(笑)。


その上、昨日は、アドマチック天国で北品川の特集までやっていました(笑)。
どうも、私はここら辺に縁がある人間のようです。


で・・・白石さんに戻りますが、これもまたちょうど私が先日書いたことに関係しているようなことを話していました。

私は、テレビでどこかの大学教授の女流評論家が「今の日本は豊かになってハングリー精神が無いのがいけない」などと言いますので、「それでは、また貧しい国に戻れということであり、戻ってもまたいつかは、豊かな国なる。よってそんな理屈はおかしい。豊かになったなったらで、その状態でのどうすべきかを考えるべきである」というようなことを書いたのですが・・・
白石さんは、同じように、「昔は食べられるように、と日本は発展してきた、しかし、もうそれは実現してしまい、それで子供たちなどが幸せかと言えば、簡単に何でも手に入ってしまう状況というのは、実は、幸せではないようだ。今もう、豊かな国なったので、次に目指すものは、美しい国ではないか・・・」というようなことを言っています。

あまり詳細は書きませんが・・・

そうですね・・・美しいとは、全てに対してでしょう。

何でも、阪神大震災の時に、市民の間に暴動が起きなかった、というのは、驚異的なことのようです。
この話は、たびたび世界で大きな災害があるときに、聞くものですが、なるほど・・・日月神示で国常立大神の言っていることは正しそうだ、と感じてしまいます。

白石さんというのは、すごい方ですね。




で、短所是正ですが・・・
思うに、私が頭に映像が出にくい、の話ですが、どうも、「最も出てくると嫌な映像を片っ端から消していく」という作業をしているようにも感じます。
これは、言ってみれば正に、短所是正ですね。

そして、落とし穴としては、一番嫌な映像を消すと、2番目に嫌な映像が、繰上げで一番嫌な映像になってしまうだけであり、次から次に一番嫌な・・・が存在し続けることになるのですね。

これは短所是正でも同じで、一番の短所を治せたとしても、2番目の短所が繰上げで1番になるだけで、おそらく、その作業は、永遠かどうかは知りませんが、相当長く続くのでしょう。
加えて、短所というのは、治すのに、非常に時間がかかりますし、また、短所は実は長所の裏返しでもありますので、治しても、決して良いことはないようです・・・船井幸雄さんによればですが(笑)。



みなさんは、どう思うでしょうか?







さて・・・・・・
今更ながらですが・・・
目に見えないものということを考えてみたりしています。

仕事でも趣味でも目に見えないものを主体に扱っている人というのはいますね。

電気、電波、音楽、気体、住み心地のようなもの、占い、などなど。

株式の予想もある意味そういう面もあるかもしれませんが、基本的には、目に見える情報を下にいろいろやっているのでしょう。
もちろん、最後には勘というものを使う人もいるでしょうが、それを言ったらどんなことでも、勘は使いますね。

電気は小さな家電から大きなものまでいろいろですが、要するに電気が通って何かをする、という機械、設備に関わっているわけですね。
で、電気が通っているかいないかを見るのは、テスターを当てたり、ケーブルを繋いで見たりするわけですが、いずれにしても、電気自体は目には見えないわけですので、「ああ、ここに電気が通っている」とか「いない」とかは計測器によって判断してもらった後にしても、目に見えないものがあおこにある、ということを年がら年中確認しているわけですね。


電波は、関英男さんや森田健さんの専門ですが、放送からリモコン、ワイヤレスマイク、などなど弱い電波から強い電波までいろいろです。
これも、モニターであったり計測器であったりいろいろ計測はできますが、いずれにしても、そこに、目には見えないが電波というものが出ていて、何か起きている、ということを年がら年中確認しているわけですね。

音楽は、演奏したり聴いたり録音したり・・・いろいろですが、これも、音自体は目に見えませんが、演奏している様子を見たり、録音してみたり、ということもさながら、耳という目でないもう一つの五感を使って、多くの人が「目には見えないが確かに何かそこにある」ということを、普通に確認できるわけですね。

気体というのは、流体力学でもなんでも良いのですが、色の付いていない気体は見えません。
しかし、気体は動いいたりしますと、感触がありますので、目以外の五感でもって、「ああ、ここに気体があるな」と分かるわけですね。

住み心地、というのは、どうかと思いますが、だれでも、自分の部屋で家具などの配置をしますし、それを仕事にしている人もいるでしょうし、もともとの建物をデザインする人もいますね。

それは、ほとんどの場合、目で確認するのでしょうが、そうばかりでもないですね。
ここにこれが欲しい、という感覚は、目だけではないでしょうね。

占いは、タロットから占星術までいろいろありますが、それぞれに理屈があるでしょうが、理屈が目で見えたとして、その後、その理屈に従って目に見えない何かが働いて、結果こうなる、ということを体験するわけですね。

他にも、いろいろあるでしょうし、基本的には、細かい部分では、全ての事柄で、目に見えない事柄というのが結構大事であったりしているのだと思います。

なんで急にまたこんないつか書いたようなことを書いているかと言えば、エハンさんのいう「時空はプラズマに満ちていて、全てはプラズマで繋がっている」ということが、頭を離れないからですが。

そして、高次元的には善も悪もない・・・それならあるのは宇宙の理だ、と考えた時にh、宇宙の理の内容もさながら、それはどういうことだ、と考えたりします。

どうも基本は五行であり、大きく分類した5つのグループがそれぞれに影響しあって、この世の出来事は起きているようですが、それをなさしめている媒体がどうもプラズマのようです。

つまり、紙でできたお相撲さんの人形を、口で”ふぅ”とやれば動きますが、その”ふぅ”がプラズマであり、動かされている人形が五行であり、その影響によって起きるできごとが人生、運命であるようです。

それでは、その”ふぅ”とやっているのはだれかと考えてみれば、神である、としてしまっても良いのですが、おそらくそれはもっと奥のことであり、”ふぅ” は、きっと、低気圧・高気圧の関係のように、結構物理の法則に近い何かで、上から下へ流れるのようなことになっているのかもしれません。

もちろん、上、下という物理の法則ではなく、そこには、独特な法則があるのだと思いますが。


とは言え、プラズマの段階まで来たら、そこには、電気の法則に近いものが働いているのでしょう、きっと。

ここら辺は、今の私には良く分からない部分が多いですが、いずれにしても、目に見えないものを理解できそうな人というのは、上で考えた趣味、職業を考えただけでも、結構多いのではないだろうか?と思います。

そうしますと、高次元というものを多くの人が意識するような時、というのも、思いのほか速くくるのかもしれませんね。


ただ、その時に、宇宙の理というものは、できるだけ正確にわかっている必要があるように思います。
そうでないと、「目に見えないものがあるらしいが、果たしてどうするば良いのだろう?」というような、以前の私状態になる人が増えるだけのようにも感じます。


その宇宙の理も、全ては分かっていないようですが、どうも、絶対これだけは事実である、と言えそうなのは、「全てが生成発展するような方向へ進まないといけない」、というようなことであるようです。

つまり、「あれを滅ぼして、これだけ発展する」とか、「これを押しとどめて、これだけ発展していく」とか、そういうことは、宇宙の理ではない、ということで、「これが発展して、同時にこれも発展するというような状態が瓜生野理、であるということですね。

同じことを2度書くなら、初めから、下の方だけ書けば良いな、とも思いますが(笑)。

とは言え、日月神示によれば、みんな同じことをする、同じレベルのことをする、というのは悪平等であるようです。

どこかで、「戦後GHQが、日本には大金持ちがでないように、天才がでないように・・・」という政策を取った・・・と書いてありましたが、その結果かどうかは知りませんが、1970年代後半くらいには、みな中流になりましたが、おそらく、GHQの考えでは、それによtt、大きな不満が出る、とでも思ったのかもしれませんね。
しかし、日本人はみな人が良いですので、おそらくは、ほおって置いても、基本的には、それほど極端な差のついた暮らしはしないでしょう。

天才は確かに出にくくなったでしょうが。


で、今度は、どうも、日本人に大きな較差を付けてゆさぶってみよう、ということなのかもしれませんが、それも、今はいくらか効いているようですが、日本人はきっとすぐに状態を立て直すでしょう。

いつも書いている、GHQだったかマッカーサーだったかとスイスの時計産業関係の人との話ですが・・・
戦後スイスの時計産業の関係者が、「また、戦前のようび、日本が安くて良い品質の時計をたくさん作ったら、困ってします」と言ったところ、「大丈夫、今度は、労働組合を作らせたから、みんなエゴに走って、戦前のように一生懸命働いたりしなくなるから・・・」ということだったようですが、どうも、そうはなりませんでしたね。

もちろん、スイスの時計産業が危うくなってしまった、というのは、共栄共存の宇宙の理には反しますので、なんですが、資本主義・民主主義が正しいという立場の人にとっては、何も言えない状況でしょう。

労働組合もあり、競争市場もありでの結果ですので。
結局、日本は民主主義でも資本主義でもないことをやったので、おそらく思う壺にはまらなかったのでしょうね。

逆に日本で、民主主義、資本主義をやりますとうまくいかないことがありますね。
成田空港の話などでも、どうも、私の理解の範疇では、はじめに、役人が、「このたびは、国際社会化のために、この尊い土地を空港予定地として、ご使用させていただきたいというお願いに上がりました。なにとぞ、よろしくお願いいたします」と言ってくれば、ほとんど丸く収まったように感じます。

それを、国会で法案が通ったから、「さあ、四の五の言わず、立ち退け!」とやったのが、全ての間違いのように聞こえてきますが。

きっと、欧米では、上・・・つまり、「どうかお願いいたします」をやったら、「どうして、私が損をしなくてはならないの。いくら出すの?」と始まるのでしょう。
そして、下・・・をやったら、「民主主義にのっとって多数決で決まったことだ。従いましょう」となるのでしょうか?

良く分かりませんが。

資本主義でないことをやった、というのは、説明しなくとも、30代以降の方なら大抵分かると思いますので、書きませんが、年功序列がそうであり、女性が家庭にいた、がそうであるのでしょう。

もちろん、何度も書いていますが、別に女性が社会で重要な仕事をしても、たくさんお金を貰っても、構いません。
それでも、母親は家庭にいたほうが良いと感じます。
法律で女性の給料を男性の2倍にしても、3倍にしても良い、というのは、先達て書いた通りです。


良く実力相応の給料が欲しい、と言いますね・・・。
それってなんでしょうか?
ある程度は分かりますが。

大リーグで年間何十億ものお金を貰っている人と、どこかの会社で月50万円、年間700万円もらって働いている人は・・・1,000,000,000円というのは、10億円で、500,000円が50万円ですが・・・どちらをして実力相応というのでしょうか?

実力相応の仕事なら、意味は分かるのですが。

しかも、松坂投手は60億円の値段が付いたそうで、それはそれで、お目出度いことなのですが、日本が年間何億、何兆ものアメリカの国債を買って、アメリカ経済を繋いで、そのお金で栄えたアメリカの企業が松坂投手を買ったというのに、今度は、レッドソックスでは、試合の入場料金を値上げするようですね(笑)。

これは、実力相応という理論があるのではなく、単なる資本主義での競争理論と、資本主義がもう続かないのを、強引に続かせている仕組みがあるだけですね。


で・・・
張本選手などが、「いまや日本のプロ野球はアメリカの植民地となった」と言っていますが、植民地はともかくとして、マイナーリーグであることは、間違いないでしょう。

アメリカのファンを楽しませるために、”下”のリーグから、選手をひっぱっていく、という図式ですので。
これは、あれですね・・・いつだったか、日本でお米が足りなくなって、タイから米を輸入して、そしてタイではお米が足りなくなってしまった、というのと、似ているかもしれません。
そして、タイ米が口に合わない、ということで、たくさんのタイ米が残ってしまったわけですが・・・

ただ、松坂投手など、大リーグへ行った選手は、相当活躍するでしょうから、タイ米とは話が違いますが、タイ米の話は、むしろ、巨人軍へ高い値段で移籍してきた選手が、試合に出れない、ということと、似たできごとなのかもしれません。

これは、歌手などが、海外遠征するのとは、違いますね。

クイーンのように、日本が育てて人気が出て、それが世界的な存在になって、恩返しに、日本にコンサートに来る、それを日本人がまた感謝して、出迎える、というような図式なら、見ていて気持ちよいですが。

 

とは言え、私の知り合いのハワイに数でいるアメリカ人は、イチロウが新人王を取った時、「イチロウが新人という理屈はおかしい」と言っていましたので、民間レベルではおあい子でしょうか。

それによって、新人王を取れないアメリカ選手がいることになってしまうわけですので。

野球と言えば、元西部の石毛さんが、四国アイランドリーグというもを作ってがんばっていますね。
ボランティアを採用して地域と密着した運営をしたが、社員が少なく営業で手一杯だし、ボランティアの人も仕事を持っているので、なかなか・・・・ということのようですが・・・
あれはあれですね・・・地元の多くの人が携わる、ということが地域と密着する、という意味ですので、仕事を持っていないリタイヤした人・・・女性でもだれでもできるような種類の仕事を作って、携わってもらう、という発想も必要南夫ではないかと感じます。

アメリカのマイナーの番組など見ていますと、70歳近い老人の女性が、チケットもぎりなどを何年もやっているようです。
そうしますと、その親戚の人も興味を持つ、その知り合いも興味を持つ・・・と広がってくる。
これが地域と・・・ということのように感じます。

ですので、球場で売られるお弁当作りでも、チケットもぎりでもなんでも、多くの人が無理なく、”参加”する、ということを前提にいろいろ考えたらどうかなどと思ったりしますが、どうなのでしょうか?

スポンサーも、もうやっているかもしれませんが、資金という意味では大金企業から出してもらえばよいと思いますが、神社などがそうであるように、比較的小額でも良いので、街のお魚屋さんからでも出してもらい、その名前を球状に書き入れる・・・これが、資金ということではなく、「私も参加しているのです」ということを表す、という意味ですが・・・そうしたことが、良いようにも感じます。

しかし、企業名から地域、という流れは、とても時流に沿っていて良いように感じますね。
資本主義から、地域発展へ、というような感じですが。
サッカーが成功したのは、もちろんこれなのですが、要するに時流に沿っている、ということなのでしょう。

それは、日本ハムを見ていても分かりますね。
地域、国、世界と広げていく・・・これがアセンションが起きている現在の時流なのかもしれませんね。

そうしますと、巨人軍なども、全国、ということを必要以上に考えず、東京をアピールするのが良いのかもしれないですね。
とは言え、地元教団がない地域の現在巨人が担っているのでしょうから・・・そうであれば、それで行けば良いのでしょう。
新潟は良く知りませんが、仮に、そこにひいきの球団がないのであれば、そこの地域ともっともっと密接に付き合っていくというのが、良いのかもしれませんね。


おそらく、その意味では、日本ハムの方が、巨人より良い波動を出しているかもしれません。

みなさんは、どう思うでしょうか?






さて・・・・・・
郵政民営化で、反対票を出した自民党銀の復帰問題ですが・・・造反という言葉は違うでしょう・・・、一般の人のインタビューを見ていますと、50代のサラリーマンなどが「信念とか言っているが、そんなものは、我々の生活には関係ない・・・・」のような意見がありました。

どうしてこういう意見が出てくるかと言えば、郵政民営化がどういうことなのか?ということを、テレビではほとんど報道しないからでしょうね。
つまり、一般的には、やはりニュースは、新聞とテレビしかみていない、ということなのでしょうか?
これでは、平沼さんは可愛そうですね。

復帰する11名は、「正しいことをすれば、みんな分かってくれると思ったが、ぜんぜんそうではないので、もういいから自民党に戻ろう」ということなのでしょう。

この1週間くらいできるだけテレビのニュースを見ないようにしているのですが、たまに見ますと、本当に、恐怖、不安、などを叩き込むようなニュースが多いのに驚きます。

昨日、筑紫さんのニュースでは、北海道のJRが開発した線路の上も、道路も走れるバス、というのをやっていましたが、こういうことが世の中では起きているわけです。
報道すればいいのです。
それなのに、交通事故、火事、などの中から、できるだけ恐怖心に繋がるようなものを意識して選んで、ニュース枠を埋めているように見えて仕方ありません。

できるなら、先の50代のサラリーマンなどにも、事実を伝えたいと感じますが、新聞とテレビしか見ないのであれば、なかなかむつかしいですね。

あの人の下に、40代、30代、20代の部下がいて、家族がいて・・・と思いますと、やはり、下に伝えるよりも、できるだけ上のの人間に伝える方が、大切であり、効率的であるようです。

「郵政民営化は、あなたの生活に関係しますよ、あなたの仕事にも関係しますよ」・・・と

もっとも、これ以上、この復帰問題が深くなると、平沼さんなどのテレビ露出が多くなり、何が起きているのかを報道せざるを得なくなってくる可能性がありますので、それを恐れて、「つまらない内紛」ということにして、できるだけ早く収束させたい意図を持ってあのようなインタビューを選んでいるのかもしれませんが。


ただ、郵政民営化に反対したから投票したという有権者は一体どうすれば良いのでしょうかね?
「やっぱり、認めて、自民党に復帰します」だっていうのですが・・・。
鳥越さんが、同じようなことをテレビで言っていますね。)



もう、郵政民営化に反対した議員たちは、一つに結集して欲しいですね。
そうでないと、票が割れてしまいます。
もっとも、そうしない方がよい理由がどこかにあるのかもしれませんが。
仮に、私が綿貫さんの党に投票したとして、その後、自民党復帰とか言ったら、困りますね・・・。
そんなことはしないでしょうが。

その意味では、誓約書とかいうものに、誓約書の内容を破ったら議員を辞めます、とか書かれているようですが、本当は、郵政民営化に反対したからこそ投票した人の身になってみれば、郵政民営化に賛成したら、議員を辞めます、の方が正しいですね。

自民党の若手議員から復帰に関して反対意見が・・・とか言っていますが・・・
あるいは、小泉氏が「そんなことしたら選挙に負ける」とか言っていますが・・・
安倍氏が「情」とか言っていますが・・・

もうはじめの、郵政民営化から間違っていますので、だれが何を言おうと、何に意味もありません。
安倍氏の情、はいくらか分かりますが、それも、郵政民営化が成立し、それに反対したからこそ投票した人達がいる以上、それはしてはいけないでしょう。

平沼さんはまともです。
ミノさんの番組で、面白いことを言っている人がいますね・・・
「議員辞職、という言葉を入れたのは、平沼さんを戻さないためだ」

どうでしょうか?

もしそうなら、逆に、書いて、強引に戻って自民党をかき混ぜた方がすごい、とも感じますが?
ただ、どっちにしても、戻らない方が良いですね。
是非、綿貫さんたちと行動を一緒にしたりなど考えたら良いのではないかと感じますが。


国民的理解・・・・・・これが民主主義の最大の間違いですね。
つまり多数決ですが。
これを操作しているのは、マスコミでしかありません。
みんなが学者というわけではありませんので。
事実を全部報道するのなら、国民的理解という言葉も生きてきますが。



で・・・上に少し触れた小泉さんが、「造反議員を戻したら、国民の理解を得られなくなり、選挙に負けるから止めろ」、と言ったとかなんとかですが・・・
本当でしょうか?

それすら策なのではないでしょうか?
初めから、こうするつもりで、すべてが作られていたとしたら・・・

考えたくありませんが。



先達て「魂の叡智日月神示:完全ガイド&ナビゲーション (単行本) 中矢 伸一 (著):徳間書店」の第四章 善悪抱き参らせ進む神の道 イシヤ&ユダヤ&日本の結び これが世界を破壊から救う鍵だ!に書かれている、「シオン賢哲の議定書」について、 198〜212ページより、要約の形で書きましたが、ひとつ、もう一度書いておきたいと思います。


  「善良な人間より、先天的不良性の人間の方が多いので、学理上の理論より、強制的威嚇を使った方が、政治上で、効果をあげるものだ」
(要約)

ということだそうです。

善良なのは、平沼さんだけでしょうか?

もっとも、はじめは11人の方々も、反対したのですから、知っていてか知らないでか、日本を売り渡す政策に賛成した方々よりは、まだ増しなのかもしれませんが・・・。

・・・別に、日本を守ってくれないのなら、政治家なんかやってくれないで結構なんですが。
みなさんは、どう思うでしょうか?

議員の方は、年収500万円(活動費は別)でも、「是非やりたい」という人だけで良いのだと思います。
それから、「先生」と呼ばれるたびに、10万円を罰金として、どこかに納めても良い人とか・・・

良い考えだと思わないでしょうか?






平沼さんは、是非、相手の仕掛けるワナなどに気をつけて欲しいですね・・・。
どうしても、日本に10年以内に戦争を起こさせたい勢力がいるようですので・・・なんでも、副島隆彦さんによれば、「やると決めたら、絶対にやる」勢力だそうです。

さすがに、日本にはいくばくかの信仰心、王政国家のDNAは残ることになりましたが・・・

防衛庁が省になり、
治安維持法まがいの法律も少しずつ進行し、
国歌を強引に歌わせてもいいという法律ができ(私は国歌・・・君が代・・・は好きですが、強引に歌わせられるなら歌いません。一人で部屋で歌います)、
NHKに放送内容を命令した、という既成事実もができ、
国会議員も学理上の理論より脅しが効く、ということが暴露され、
郵政法案や会社関係の法律改正で、ちゃんと日本の資金が外国へ流れるようになり、
なぜか、沖縄で自民党・公明党の押す候補が勝ち、
九州だかどこかで、民主党の候補が勝ったことは、ほとんど報道されず、

急ピッチですね・・・。

とにかく今できるのは、できるだけ多くの上の人間に事実を知ってもらい、民間レベルでは、日本人はまず日本の心を取り戻し、その上で、各国の人々と心の結びつきを強化し、少なくとも戦争だけは避けるような状況を作っていく、ということでしょうか。





で・・・上の人に伝える一つの方法は・・・ネットの話ですが・・・まず字を大きくすることでしょうか、次に、文字より音声でしょうか?
いきなり、安直なことを書いていますが(笑)・・・

何か良い方法はないでしょうか?

本当はテレビなどで、そういうドラマでもやってくれれば良いのですが、もう、ほとんどすべて抑えられているようですので、それは無理なのでしょうね。

映画もなんだか当てになりません。

もし有り得るとしたら、インターネット・テレビでの何らかの方法でしょうか?
しかし、50歳以上の人はほとんど見ないでしょうか?

エッチなサイトなら見るでしょうか?
ならば、エッチなサイトでもって、「戦争はしちゃだめよ♡」とかやれば効果はあるでしょうか(笑)?

他にあるとすれば、DNAに訴えることでしょうか?
お祭りとか、そういう日本人のDNAに訴えること・・・
具体的には分かりませんが・・・。

災害があっても、決して暴動の起きない国・・・それが日本なのですが・・・

みなさんは、どう思うでしょうか?




で・・・
アパホテルのあの女性社長さん(かな?)がテレビに出ていましたが(笑)・・・あの帽子がトレードマークの方ですが・・・もう豪華な宝石をごちゃごちゃたくさんつけるのを止めたようです。
「自分に自信があればイミテーションで十分と思うようになった・・・」という言い方をしていましたが。

仕事をしながら大学院の学生までしているという勤勉な人ですが、そういうことを聞かされるたびに、「なんで、こんな宝石ごちゃごちゃの人が、こんなにうまく生きられる世の中なんだろう」と思っていましたが、どうも少ずつ変わってきているようですね。

戦争を避ける、ということなら・・・国会議員も、会社の幹部も全員、女性にする、というのは、良い方法かもしれないのですが・・・

女性は、私の考えでは、マクロに見れば、本能的に、とにかく、理屈がどうであろうが、争い合い、殺し合いは避けます。

その意味では、男女雇用機会均等法とか言っておきながら、なかなか女性の管理職が増えない、というのは、実は、ここら辺をだれかが操作している可能性もあるかもしれない、とも感じますが、実際はどうかは分かりません。

その意味では、変性女子、としての男性というのは、人類として正しいのかもしれません。
変性男子としての女性・・・というのは、私には、どのような状態なのか、まだ良く分かりませんが。

みんさんは、どう思うでしょうか?




高次元的な話はないか・・・と思いますが、どうも、肉もそうですが、ニンニク、玉ねぎ、砂糖なども、霊性には良くないという情報がありました。

ガーリック味のステーキなどはもっての他、ということなのでしょう(笑)。

砂糖は・・・そうなんかもしれませんね。
やはり甘味料ならトレハロースでしょう。
最近購入していませんが。
確か、丸ちゃんのチャンポンだったか、何かのカップ麺は、甘味料としてトレハロースを使っていたように思いましたが・・・違うメーカーかもしれません。






ブッシュ氏が、「NATO、同盟国がアメリカと一緒に軍事訓練をすることを提案」するようですが、急ピッチですね。
みなさん、あるいは人に情報を伝えるマスコミの方々、あなた方の直感は何も感じないように洗脳されているのでしょうか?
(TBSで見ましたが、これを報道したのは、良いことですね)
いや、直感は洗脳されないでしょうから、直感が閉じ込められて、顕在意識が洗脳されているのでしょう。
その洗脳を解くには、おそらく直感を使うように、訓練すれば良いのだと感じます。


考えてみてください。
今、あなたの立場が守られても、戦争が始まるかもしれない数年後には、あなたの家族の食べ物はありませんし、あなたが戦地で人殺しをしているかもしないのだ、ということを気付かないでしょうか?

あるいは、あなたが、30年ローンで買った家が、ミサイルで壊されてしまう、と。

思わないですよね。
現場の人はともかくとして、そう思わなくするために、普通の仕事より、たくさんの給料をもらえて、派手な日常があるように作られていますので。
派手とは・・・無用に大きく豪華な社屋とかです。
それが正に洗脳です。
考えてみてください。なんでマスコミという情報発信業が、他の仕事と比べて実に一般的な忙しさ、一般的能力しか必要ないにも関わらず、高学歴者を集めて、しかも、高級待遇されているのか。
それが洗脳です。

「私は派手じゃないよ」と言う人は、もうそれで感覚が麻痺しています。
3食、意地になって、野菜と魚の食事を1ヶ月間続けてみれば、少しだけ分かるかもしれません。
言っておきますが、お金持ちになってはいけない、と言っているのではないですので。


みなさんは、どう思うでしょうか?






さて・・・
今更ながら、不意に分かったのですが、どうも私は”エリート意識の否定”というものに、30年間くらい無意識的に考え続けていたようです。

シャワーを浴びていて、不意に気付いたのですが・・・。

エリート意識は私は嫌いです。
悪かどうかは知りません。

ただし、エリート意識の否定と悪平等というものを、きちんと分けなくてはいけないようです。
私はこれを、混同していたところがあるようです。

また、エリート意識と自信というのは、どこか似ているようですが、ぜんぜん違うもののようです。
自信は持っていたほうが良いようです。
ただし、エリート意識を基にした自信というのは、実は、最も簡単に自信に似たものを持つ方法のようなのですが、これは間違いで(自信ではなく)、しかも、大したこのないもののようです。

また、仮に学歴でも能力でも、他の人より恵まれた状態にあった場合、エリート意識を持つのはいけないようですが、とは言え、その状態にはきちんと感謝して受け入れた方が良いです。




で・・・もう、すでに、上記で結論に近いのですが(笑)、
なんで、急に、こんな、昔から多くの人が言い続けているようなことを、ふと思ったかと言いますと・・・
私はある特定の種類の年下の人間と”あわない”のですが、急に、ティピカルな(折角打ったので消さないですが:笑、典型的)何人かが頭の中に浮かんできました。

すると、大体の人間は、当時27,8歳のようです。
これも面白い現象だと感じますが。

そして、みな、確かに、それなりに有能で、それなりに幸運(家がお金持ちとか)でした。

それはそれで良いのですが、私は変わっていて、12,3歳くらいで、「エリートというのは、なんてつまらない存在ばかりなんだ」と思い始めていましたので、エリート意識の否定ということをし続けていました。

ですので、高校でも、大学でも、入試、ということについては、どこか力が入りきらなかったですし、長年、ブランド、というものを強く否定してきましたし、みんなが支持するもの、というのも、近寄らないできたりしましたが。


で、人の悪口に通じるようなことは書きたくありませんので、なんとも抽象的な話を書くことになりますが・・・

思いついたところから書いてみますが・・・
27,8歳に変てこなエリート意識を持っている人が多いようだ、というのは、おそらく社会で生きていますと、それくらいの歳になりますと、多くの場合、役職は別として、部下のような存在、あるいは、経験的にその人より劣っていてので、ものを知らない存在が回りに登場してくるからでしょうか?

実はこんなもの、どうということのないもので、30歳くらいを過ぎれば、自分より経験がなくとも、もっとできる人に会ったりとかいろいろなことを経験しますので、すぐに通り過ぎてしまうのですが。

家柄、学歴のような一生離れないような種類のものに関しては分かりませんが・・・私にはありませんので。
ただ、思うのは・・・私は自分の大学のことを「4流」だとか何度か表現しましたが、これは、別に人のせいするつもりはないのですが、森田健さんが上智を2流と言いますので、そうしますと当然、明治学院は4流くらいになりますので、そう言っているだけですが、私は大好きな大学です。
ですので、世間的に4流でもなんでも良いのですが(あまり書くと少子化の折に大学に申し訳が無いのですが)、こうしますと、もしこれを読んだ人の中で、そこが4流なら私の学歴はどうなるのだ?という人も出てくるかもしれませんので、やはりこういう話は基本的には、あまりしたくありませんが。


ただ世間の評価というものはあるもので、実際上、私の学歴は、ただ大学を出ただけ以上のものはないのかもしれませんが、何となくそれで良かったような気がします。

なぜなら、20代くらいまでは、相当猛烈な人間でしたので、仮に高学歴であったりしましたら、それこそ反宇宙の理の行為を相当大きな規模でした可能性がありますので(笑)。

良く船井幸雄さんの講演会などで、後援者の紹介で、学歴と役職などを初めに発表するのですが、私はそれを聞くと、「内側と言っていることだけで勝負しろ」などと、思ってしまう時があります。

しかし、これは、正に上で書いた、「エリート意識の否定と悪平等を同じにしてしまっている」ということの表れなのかもしれません。

悪平等とエリート意識、ですが、つまり能力がある人はその人の能力にあったことをすれば良いのです。
ただし、3次元的にいわゆる上とされる仕事、地位などにいる人というのは、多くの場合、エリート意識、または、選民意識(≒エリート意識)、を持ってしまうようです。

ですので、基本的には、そういう意識さえ持たなければ、正に、悪平等など不必要で、その人の能力にあったことをすれば良いわけなのでしょう。

私の悪い癖ですが、このようにエリート意識を否定しますので、それを理論的に整合性をもたせるために、自分(私)の持っている能力より、2倍くらいの能力を持っていない限り、なかなかそれを”エリート意識の基”として認めてあげない、というのがずっとあったように思います。

つまり、「過渡期として、エリート意識をどうしても持ちたいなら仕方がないが、その程度でエリート意識なんか持つものではない。ここにいる普通の人間である私とそんなに変わりもしないのに、一体どこがエリートなのだ。あなたは張子の虎ですか?」ということなのでしょうか。

これは、ある意味そうなのでしょうが、しかし、「人を認めない」ということにも通じてしまうでしょうから、良いことではないですね。

また、以前は、「人よりものができたり、知っていたりするのに、わざと自信のないような態度を取る」ということをして、人を惑わせていた時期がありましたが、これは、今考えると、要するに、エリート意識を強く否定するあまり、そうしていたようです。
言ってみれば強引な自虐的な悪平等とでも言うのでしょうか・・・。
今はしませんが、これが、なかなかできるものではないですよ、普通(笑)。

とにかく、エリート意識の否定にしても、悪平等にしても、基本的にはエゴの否定、ということだったようには思います。
それでも、何度も書いていますが、エリート意識はいけませんが、悪平等もいけません。


ただ、最近はやっと上記のような変な発想はしなくなりましたが・・・おそらく想像するに、「張子の虎」でない人をたくさん知ることができた、あるいは、できてきたことを実感してきた、ということなのではないかと思います。

それはもっぱら船井幸雄さんの開催する講演の講演者達ですが、ほとんどの方が学歴が高かろうが低かろうが、社会的地位相応の能力と現在の活動を行っていますね。

これは、お金儲けという意味ではありません。
ただし、ちゃんとお金も儲けています。

ただお金は結果でしょう。

いずれにしても、以前は、高学歴であろうが、高い地位であろうが、それ相応の人というのには、ほとんど会えなかったように感じます。
次元の上昇と関係があるのかどうか分かりませんが、間違いなくそれは変わりました。



日月神示によれば、「これからは、神の道をいけば、嫌でもお金が集まってくる」ということですが、それは一つの過程のようです。
やはり、基本的には、物々交換であり、収入(貨幣ではないが)は、能力に関わらず、皆同じでよいのでしょう。
これだけは、どうも悪平等ではないように思いますが、まだ良く分かりません。

それでも説明してみれば・・・
基本的全ての3次元のモノというのは、個人のものではなく、創造主から借りているに過ぎないわけですので、与えられた能力を使う、つまり相応のことをする、ということは、宇宙の理でしょう。
そして、お金・・・金でも紙でも、なんでも良いのですが、それはすべて同じように創造主からの借り物ですので、だれかがだれかより多く取る、という必要はないのでしょう。

お金は創造主から与えられたものかどうか・・・ですが、占いには運勢として出るようですので、ある意味そうなのでしょうか?
そうであるなら、やはり、今まではどこか間違っていたのでしょうか。
これからは神の道・・・つまり、好奇心、快、喜、のようなことに素直に進んで行くということですが・・・を行けば、自然に嫌でも、集まって来るようです。

ちょうど、森田健さんの不思議研究所のサイトで、「スポーツ選手、芸能人などは、財運が0で、お金を直接の目的として追い求めてやっても、お金は集まらないが、(好奇心に従って行動すると:私の解釈)向こうから自然に集まってくる」というような内容のことが書かれていますが、全ての人が、こういった状態になるということかもしれません。

その意味では・・・
例の、「脳に体が動くという信号が出てくるのは、実際に体が動くわずか前である」、という事実も、ひょっとしたら、今後、同時になったりするのでしょうか?

そうであると、船井幸雄さんの、「今後、占いは当たらなくなってくる」という発言の3次元的証拠にもあるかもしれませんね。

みなさんは、どう思うでしょうか?





神田昌典さんのメルマガが来ましたが・・・
以下のようなものです。
 


キーワード:
儲かるためのスキルが、この世界をよくするために使える。

解説:
マーケティングとは、適切な知識(メッセージ)を、
適切な対象(ターゲット)に対して、適切なタイミングで伝えること。
そして、その伝道活動を費用効果的に行う技術である。

マーケティング知識を活用すれば、世の中に必要な情報を、
必要な人に、必要なタイミングで伝えることができる。
是非、より素晴らしい世界を作り出すためにお使いいただきたい。

■神田昌典公式サイト
  http://www.kandamasanori.com/
仕事のヒント」神田昌典365日語録     株式会社アルマック発行
新規登録ページはこちら→ http://www.almc.jp/

ということですが・・・
来年、団塊の世代の方々が定年ということですが、あの年代に仮に船井幸雄さんの本を読んでもらおうとしたら、正に、来年”適切なタイミング”が来るのかもしれませんね。

ただし、基本的には定年ですので、リーダーという言葉が適切なのかは分かりませんが、それでも、同期で会社に残っている人間、あるいは、部下でリーダーとして活躍することになっている人間もいるのでしょうから、定年の団塊の世代の方々に事実を知ってもらうことは、意味があるかもしれないですね。


みなさんは、どう思うでしょうか?

船井幸雄さんの本物研究所で販売店の募集をしていますが、定年になった方が、何人かで組んで、この仕事をしたりすると面白いな、などと思います。

人脈もそれなりにあるでしょうし、いろいろな経験、技術もあるでしょうし。

それには、まず、興味を持ってもらうことですね。
よく分かりませんが、団塊世代の定年した人達に本物研究所は代理店の話を積極的に売り込んではいかがなのでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?



先達て、トヨタについてテレビでやっていましたが・・・
トヨタでは工場のラインで働いている人達から出てくるさまざまな改善案を積極的に取り上げて、実際にそのためのシステム(機械)やツール(機械)を作ったりして・・・つまり形にして、大いに役立っているそうです。

それは、つまり、その改善そのものと、ラインで働く一人一人がただ流れ作業をやらされているだけではなく参加している、ということによる効果も含んでいるようですが。

で、海外に工場をいくつも持っているようですが、アメリカでしたでしょうか、そこで工場を始めた時、はじめは、日本式のやり方・・・チームワークというものを、容易に受け入れられるかどうか不安があったようなのですが、それは比較的簡単にクリアできたそうです。

ただ、日本でやっているようにだと思いますが、改善というものを同じように実行したかったようですが、どうも、アメリカには改革とか、革新のような概念はあるのですが、改善という概念がないようで、なかなか理解してもらうのに大変だったようです。

正確には忘れましたが、改善を英語で説明するには、everyday improve (something) constantlyだったか何かで(すみません)、とにかく、「毎日絶え間なく直していく」のような言い方になるようです。

今では、それも理解され、効果を上げているようです。

で、やはり思いますのは、日本語と英語は絶対に、1語が1語に対応している、ということはないということですね。
別に、日本語と英語だけではなく、ほとんどの言語はそうなのでしょうが。

良く日本に比べてアメリカは大雑把である、と言いますが、確かに、「改革」とか、「革新」、「革命」のような言葉は単語であるが、日本人が心・体で理解している「改善」という概念を表す単語がない、ということは、そのまま国民性に現れているのかもしれませんね。

これは、正しいとかそうでないとかではなく、おそらくは、国の歴史の長さによるのだろう、と想像しますが、どうでしょうか?

もちろん、辞書を引けば、改善=improvement. とは書かれていますが、中身は違うようですね。

ただ、英語を使っているのはアメリカだけではありませんので、もう少し詳しく白根手みないと確かなことは言えませんが。
ただ、アメリカは動詞を単語ではなく、makeとかtakeとかhaveとかと組み合わせた熟語を使うことが多いようですね。

つまり・・・何でも良いのですが、努力なら、単語というのは、endeavor だとか、いろいろですが、熟語では、make an effortとか、いろいろありますが・・・そういうことです。

想像で言えば、歴史が長い国では、一つの単語に辞書には書ききれないような深い意味、言わなくとも分かる暗黙の了解のようなものが含まれていくのかもしれないですね。
それがないということは、つまり、法律で細かく設定しなくてはいけないようなことになってしまうのではないでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?


これと考えあわせて、例のもうすぐ始まりアメリカの陪審員制度のようなやつですが・・・
あれは、日月神示にある「イシヤ」の世界征服の発想から考えると、どこか意図を感じてしまいます。



魂の叡智日月神示:完全ガイド&ナビゲーション (単行本) 」
中矢 伸一 (著):徳間書店」の第四章 善悪抱き参らせ進む神の道 イシヤ&ユダヤ&日本の結び これが世界を破壊から救う鍵だ!に書かれている、「シオン賢哲の議定書」(198〜212ページ)にある

「人民は、下賎、無節操、であり、非理知的、判断力もない。盲人が盲人の案内役を勤めれば必ず、滅亡してくれる。いかに多才であろうとも、政治の知識のない成り上り者が上にたてば、必ず、滅亡の方向に進んでいく」
(要約)
を考えますと、一般人というのは、マクロでの判断は間違えないでしょうが、政治だけではなく、司法についても素人です。
そうしますと、ミクロではやはり、”間違え易い”でしょうね。

「餅は餅屋」ということわざが日本にはありますが・・・

そうであるにも関わらず、やらせる・・・さてどうでしょうか?

国民全体でのマクロの意見は比較的正しくとも、裁判所に招かれた素人何人かのグループは、普通に考えて、正しい判断はできないだろう、一般的に考えて感情論に走り勝ちであったり、賠償金論に走り勝ちになるであろう、ということは、想像が付くように感じます。

小泉さんなどは、こう書くと、「国民はそこまでバカですか?」とか言いそうですが、もしそう言うならそれは話の焦点のごまかしですね・・・国民はバカではないですが、六法全書については素人ですね。

TBSの日曜日の番組で、若い女性に比較的むつかしい料理を作らせて、できないのを見て・・・、というのがありますが、彼女たちはバカではないですが、料理をしたことがほとんどない素人ですね。

おそらく、昔ならあの年代でも、料理をしていたでしょうから作れたでしょうが、今はそうではないですね。
そして、これから・・・ひょっとしたら結婚してから、料理の玄(くろうと)、あるいは専門家・・・お金を貰うわけではないのでプロではありませんが・・・になっていくのでしょう。

素人とは、専門家ではないということであり、バカでもないし、マクロに見れば、正しい、ということは分かっても、ミクロを要求されることについては、「うまくできない」という存在のことですね。

確かに、アメリカのようにそれも長年やればいくらかうまくなるでしょうが、法律、人を裁くというのは、料理で言うなら、相当置くの深いものですので、会席料理とか、そういった専門的なことを勉強して実地で経験して初めて正しく判断できるものでしょう。

ですので、私が想像するには、おそらく、今のアメリカ人にしても、やはり人を裁くだなんていうことにおいては、素人なのでしょう。
それでも、きっと、賠償金の相場ですとか、そういった比較的分かりやすいところについては、皆ある程度の知識は持つことでしょう。


良く分かりませんが、アメリカの賠償金があんなにバカ高いのは、何かそこら辺にも理由があるのではないでしょうか?

良い例かどうか知りませんが、タクシー料金が高いのと、どこか共通した原因を感じてしまいます。
だって、他のものは、みんな以前より安くなってますものね?

私がスーツ一着に一番お金を払っていたのは、20年くらい前のようなです。

賠償金が高くなった結果、賠償問題で、会社が経営危機になってしまう・・・それは雇用されている人や地域を巻き込んだ問題であるわけなのですが・・・
専門家が判決を出せば、おそらく・・・そういうことを社会全体に与える影響を考慮した判決がでるはずですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?






で・・・「夕鶴」で有名な木下順二さんが、
10月30日にくなっていたのが、分かったそうですが・・・
その絡みでFMを聴いていましたら、オペラの「夕鶴」がやっていました。

そこで、有名な「カゴメ、カゴメ・・・」の歌が出てくるのですが、ちょうどここのところで耳がFMに止まったのですが、例の岡田多母さんの「カゴメ、カゴメ」の話が気になりましたので、私の書いたものを読み返してみましたが・・・
http://www5f.biglobe.ne.jp/%7Emotion-emotion/j99986.htmlですね。

特に以下の分部ですが・・・・

(岡田多母さん「愛しの地球(テラ)へ」(1996年:風雲舎)。77ページ:「アル」の物語、より引用)

「ところが、源、太祖は、この地球・テラの劣化や、四次元神界の状態、さらに三次元人類の様子を見ていた、
太祖は、自らの意思を再び七次元神界に伝え、自由奔放に成長していたそれぞれの次元界を再び結ぶことを求めた

第一の仕組み「創造・成長・完結」の流れに、「新生」の流れを組み入れた第二の仕組み「仕組みの仕組み」を伝えた
源、太祖はあらゆる流れを吟味し、限定した
これで、奔放の時代は終わりました。

国常立大神の隠居情報を知った七次元神界、母止津和太良世之大御神(モトツワタラセノオオミカミ)は、これを三次元人類に伝えるため、発信しました。
源、太祖の伝令を含んだその内容は「カゴメのうた」として、人々に伝わった、



一般に知られている「カゴメのうた」は、

カゴメ カゴメ、カゴノナカノ トリワ イツ イツ デヤル、
ヨワケノバンニ ツルト カメガ ツベッタ ウシロノショウメン ダレ

ですが、岡田多母さんが母止津和太良世之大御神(モトツワタラセノオオミカミ)から、聞いたのは、次のようなものだそうです。


カコメ カコメ カコナル ナカナル トリ
イツ イツツ テル
ヨ ワケ ユク ハン ニエ
ツル カメ ツトルム ウシ ロ
シ ヨウメン タレケン

意味は、
地球(この世)よ、地球よ、地球の内側にいる国常立大神の輪(ミヨ)は、五次元と五次元(となった人類)で表われてくる。世を分ける晩(反転の時)に千年も、万年も統治する裏の正面(太祖)は垂れてくる、というものだそうです。


この時、四次元神界はすでに、三次元神界である人類を支配下においていた
人類は神により、頼むことに日々の生活を送っていた、

あらゆる命令と支配が人類を拘束し、人類は自らの可能性を見失った


そして、人類の想念は愛から離れ、満足できなかった想念は地上に渦巻き、二次元の幽界は不浄化のまま放置された、

三次元神界と呼ばれていた正解は、人類をはじめ皆、神格を失なった
霊質よりも物質に、魂よりも肉体に、人類の意識は向いて行った



この時期に、人類のなかで光輝く魂たちが蘇った
七次元神界の計らいで、源、太祖の伝令を具現化するために、純粋な魂を人類のなかに生み出した

この魂たちは、自らの魂の声に純粋に耳を傾け、地球の底に隠れてしまった四次元神界の総合体・国常立大神を呼び覚まし、地上に再び、引き出した、そうです。
「神座開け(かみくらあけ)」と呼ばれる一連の天地和合の神業でした


目覚めた国常立大神は、四次元神界の総合体としてではなく、統一体として自らを覚悟し、バラバラになっていた四次元神界の七十六神を呼び集め、統一した、そうです。

三次元の人類とともに、新たな時代を進ませていくことになった、
「岩戸開き」が見事に成し遂げられた


四次元統一体・国常立大神と、三次元・人類の光輝く神人(カミヒト)が、このときから神人(シンジン)連合事業として、未来の本来の見るべき世、創造の完全な世界「ミヨ」を具現化するために、天地の浄化を始めた
「カゴメのうた」は、このとき、その解き証の時期に入った


一九九〇年、源、太祖からの伝令によって、この世の大改進が始った
これまでのすべての創造の流れを真性させる、新たな流れをこの世に具現化した、

この時から時代は、「完結の時代」に向けて進んだ

それまでは、全ての流れを一方向に進ませる伝達の方式であったようですが、どの次元からも伝達可能なダブルメビウス方式に流れを変えたことから、各次元の情報の総体である神々の名も統一体として、変わった、そうです。


以下のようなものです。


七次元
天地身二太神(アメツチミタイシン)
母止津流顕太神(モトツルラタイシン)

六次元
底一深根太神(ソコイツシンコンタイシン)
根本基母光和太神(コンポンモトモコウワタイシン)

五次元
天一素照光太神(アメハジメモトテラシコウタイシン):(日・月合体)

四次元
国常立大神(クニトコタチオオカミ):七十六神の総本

 

これにより、
直接、源「素示一光顕太祖(ソシイツコウラタイソ)」から、メッセージを受信できるようになった、
アルの思いが何であったのかを知りました

「自らの完全なるすべてを知りたい」、これがあるの思いでした、」
(以上)


 ですが、、森田健さんが、「神すら自分がだれなのかを知らないのではないか?」でしたか、「神も私はだれを知りたがっている」だったかのようなことを書いていたように思いましたが、岡田多母さんによれば、アルという一番初めの存在の思いというのは、「自らの完全なるすべてを知りたい」ということのようです。

はじめて、これを読んだ時には、何のことだかさっぱり分かりませんでしたが、どうも、それは、正に、森田健さんが良く書く「私はだれ?」を創造主、あるいは大神様が問っていたということだな、と今は分かります。


この一番初めをどのように表現するかは、いろいろあるでしょうが、とにかくこのアルから枝分かれして、神々が造られ、そこから人が造られ・・・
そして、すべてがフラクタル(相似形・・・みたいなものです)ということを考えるなら、アルにしてみれば、我々は細胞みたいなものなわけですね。
今、医学、科学では、細胞ですとか、小さな小さなクォークのようなものを観察していますが、あの行為というのは、言ってみれば、正に、自分の相似形を見ているわけですので、「私はだれ?」をやっている・・・研究しているわけですね(笑)。

つまりは、アルは、相似形である我々を見て、自らを知ろうとしているのかもしれないですね・・・きっとそうなのでしょう。

そして、おそらく、何かのはずみで、今よりずっと極小のものが観測できる技術が登場したなら、そこで観測されるものは、どうも、高次元であり、それは、自らの中であり、自らの外でもある、ということになるようです。

つまり、本当に、すべてが繋がっていて、すべてが相似形である、ということが分かるようなことになるのかもしれませんが。

ただ、だからと言って、それで、「私はだれ?」が分かった、ということにはなりませんが。


で・・・どういうことかと言いますと、良く分かりません(笑)。
ただ、神は、私たちの運命、生き方を見て、自らの完全なる全て、を知りたがっているようです。

みなさんは、どう思うでしょうか?







さて・・・
住基ネットから脱退したい人たちの起こした裁判で大阪高裁で、脱退が認められたのですが・・・
各新聞によって本当に書いていることは違いますね・・・

まず、いつも、YahooかMSNを見るのですが、今日は、MSNでは見つからず、このニュースをYAHOOで見つけました。

それがhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061201-00000000-san-soci  ですが、
(引用)
「竹中省吾裁判長は制度上の欠陥や危険性に言及し、「拒絶している市民への適用はプライバシー権を保障した憲法13条に違反する」と高裁レベルでは初の違憲判断を示した。その上で、箕面市など3市に住民4人の住民票コードを削除するよう命じた。賠償請求は認めなかった。」

「判決は、住基ネット運用の問題点として「目的外利用を中立的な立場から監視する第三者機関がない。制度に無視できない欠陥があり、プライバシー情報が本人の予期しない範囲で利用される危険が相当ある」と指摘した。」
 
(以上)

 

ということなのですが、このニュースの発信元が産経新聞ですので、「どちらかと言えば他の新聞から引用したいな・・・」と考えまして(私はフジテレビは見ません)、日経新聞を捜してみたところ、
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20061201AT5C3001I30112006.html ですが、
判決そのものは、当たり前ですが、


(引用)
「大阪高裁の竹中省吾裁判長は30日、「住民の離脱を認めないのはプライバシー権を侵害し違憲」との判断を示し、原告住民の請求を全面的に退けた1審・大阪地裁判決を変更、被告の居住地の自治体に個人情報を削除するよう命じた。」

「1人当たり5万円の慰謝料請求については「国家賠償法上の違法があるとまでは言えない」として請求を退けた。」
(以上)


で同じですが、こちらでは、
(引用)
「竹中裁判長は住基ネットそのものの必要性を認めたほか、セキュリティー面についても「情報漏洩(ろうえい)の具体的危険があるとは認められない」とした。」
などということが書かれています。

 



MSNでは、なぜか、私にはこの記事が見つからないのですが、
もう一つ探してみたいと思いますが・・・
北海道新聞では、表面的事実以外は書かれていませんね・・・

いろいろ情報を知っていきますと・・・
本当かどうかは、分かりませんが、読売はある国の情報機関がらみだとか、毎日はMSNと関係があるのでしょうか、ということは・・・となり、産経はやはり???ですし、日経を見てみれば、上記のように納得いかないことが書かれていますし・・・


朝日も一応見てみますが・・・

http://www.asahi.com/national/update/1130/OSK200611300070.html が朝日ですが・・・どうも、ここがまともなことが書かれているように読めます。
(引用)
「情報漏洩(ろうえい)の危険性については、自治体でセキュリティー対策が施されるなど具体的な漏洩の危険は認められないとしたが、個人情報を利用する国の事務が270種を超えて拡大し続けている現状などを指摘。行政機関が住民票コードをマスターキーのように使い、個人情報が際限なく集積・結合されて利用されていく危険性があるなど、住基ネットの制度自体に欠陥があると断定した。 」
(以上)
ですので、見た中では、一番正確にと言いますか、このシステムについて正しく詳細に書かれているように感じます。

読売も見て見ますが・・・

http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20061201p101.htm ですが、


(引用)
「判判決はまず、「住基ネットが、情報漏えいや目的外利用によって、本人が情報の提供や利用の可否を決める自己情報コントロール権(プライバシー権の一つ)を侵害される具体的な危険があれば、憲法に反する」との判断基準を示した。

 竹中裁判長は「不正アクセスなどには厳重な保安対策が講じられ、情報漏えいの危険性はない」と評価する一方、行政機関の持つ個人情報を利用できる国の事務が広がり、行政機関が法律や条例で将来、無制限に拡大できる点を指摘した。

 防衛庁が自衛官採用適齢者の情報提供を受けた794の自治体のうち、332市町村が住民基本台帳法で閲覧が認められていない情報を提供していた実例も挙げ、「個人情報が際限なく、目的外利用される危険性が具体的に存在することをうかがわせる」と認定した。

 これらの点から、竹中裁判長は「個人情報が、住民票コードによる検索でデータ照合や名寄せが行われ、本人の予期せぬ時間や範囲で行政機関に保存・利用される危険がある」とした。

 そのうえで「目的外利用を監視する第三者機関はなく、同意しない住民に住基ネットを運用することは、自己情報コントロール権を侵害する」と結論付けた。」

(以上)
なかなか良い内容のように読めます。
一番良いでしょうか?

そうしますと、日本テレビは情報機関の影響があるが、読売新聞は、それほど影響を受けずに済んでいる、ということなのでしょうか?


また、個人的には、私が推奨している・・・ネットは読みにくいので、文節ごとに、行を開けるべき、をやっているのは、今日見た限りでは読売新聞だけですね(笑)。


確かに、巨人軍を巡ってのやりとりなど見ていると、読売新聞と日本テレビでは、いくらか温度差があるように感じますし、日本テレビと読売新聞の指針、方針はまったく同じではないのかもしれないですね。


どう考えても、この住基ネットというのは、中丸薫さんなどが指摘している全国民を番号制のもとに統治する・・・という「イシヤ」の人達の考えていることのひとつの具現化だとしか思えません。

少なくとも、現状、司法機関は、なんとか、影響を全面的には受けていないようですね。



魂の叡智日月神示:完全ガイド&ナビゲーション (単行本) 」
中矢 伸一 (著):徳間書店」に、戦前の大本(教)の活躍について書かれていますが、読みますと、相当地位的に高い人まで巻き込んでいたようですが、それでも、国家権力が、「こうする」としますと、どうしようもなかったようです。
つまり、第二次大本事件ですが。

その意味では、やはり、政治家の心が変わらないと、いろいろむつかしいのかもしれませんね。

もちろん、一応法的に正しい、という立場を貫きますので、やはり共謀罪のような治安維持法と同じような法律がまず作られるでしょう。

そうしますと、むしろ、平沼さんや綿貫さんなどは、自民党にいない方が良いのでしょうね。
自民党にいて、自民党を変える、というのは相当困難なように感じます。

とは言え、自民党以外の政党が第一党になるというのもむつかしそうですが・・・
でもないですね、今実際、自民と公明で始めて政権を維持しているわけですので、明らかに、昔とは変化していますので。

とは言え、全てが洗心しないと、どうもいけないみたいです。
決して、宇宙の理と逆の流れを行こうとしている人を外側に追いやってしまう、というやり方では、何もできないようですので。



なんでも、安倍さんが「美しい国」という言葉を使用しているようですが、私が言う美しい国とは、要するに「宇宙の理」に沿った国ということなのですが、安倍さんの考えている美しい国とはどんなものでしょう?

一度じっくり聞いて見たいものですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?

単に「美しい国」というスローガンにのってしまっては、いけないのでしょう。



で・・・なんでネットだと行を文節ごとにあけないと読みにくいかですが、おそらく横書きのせいではないでしょうか?

基本的に日本語は、縦書きで書かれるものですが、日本語は横書きだと読みにくい言語なのかかもしれないですね。

「ネットを読みなれた人達向けに、横書きの新聞が出た」とテレビでやっていましたが、むしろ、「縦書きのネット新聞」を作ったほうが良いのかもしれないですね。
良く分かりませんが。


で・・・にんげんクラブのサイトですが・・・
私がやはり各講演会のビデオのストリーミング放送をするのが面白いですね。
もちろん、有料で良いのですが。
2時間くらいのものを本当は500円くらいで見せることができれば良いように思うのですが、複数の人で一緒に見る人もいる、ということを考えれば 1,000円でも良いのかもしれませんね。

あるいは、サイトではなく、各講演会のビデオ、音声などをいつでも聞くことの出来る場所のようなものがあると面白いですね。
有料でも良いですので。

それでも、折角ネットですので、特性を生かす、ということを考えれば、ネットでしょう。
遠方の人、外国にいる人なども見ることができるわけですので。

外国で、そういうビデオを流しながら、同時通訳も入れていく、というようなことをホールなどでやってみるのも面白そうです。

とにかく、まず日本が変わっていくのが大切だとしても、世界中で変わらないことにはどうしようもないうようですので。

にんげんクラブのサイトではむつかしいでしょうが・・・今ちょっと面白いなと思ったことがあります。
それは自治体と言いますか、県でも市でも町でも良いのですが、匿名で構いませんので、そういったところから、経営、その他いろいろな相談を募集して、回答していく、というコーナーがあればすごそうですね。

「市長から談合の取りまとめを依頼されているのですが、断りたいです。しかし、家族のことを考えると、なかなかうまく断れません。どうしたら良いでしょうか?」とか・・・
「財政が逼迫しています。私の町では自然が豊かなくらいで特に目新しいものはないのですが、どうしたら立て直すことができるでしょうか?」みたいな感じですね・・・。

これはこれで、どこかのサイトがやったら面白いですね。

みなさんは、どう思うでしょうか?




で、運命ですが・・・
私は自分で造る運命もある、と思っていますが、ただ、日本式に言えば宿命というものは当然あって、その2つの割合がどうなっているのか何とも言えませんが、少なくとも、六爻占術ではほぼ99%が初めに作られていたものであるようです。

いずれにしても、決まっているものについては、それをそのまま受け入れるしかないのでしょう。
ただ、受け入れると言っても、その状態が自分にとって望まないものであるのなら、自分が自覚している自由意志の範囲では、”変える”ように動き思考しても良いのだと思います。

それが、また決まった何かに導かれることになっていたとしても。

どうも、いずれにしても、来た物、状態には”感謝”と言いますか・・・「感謝」、「ありがとう」という言葉で臨んだ方が良いようです。
理由はまだ分かりません。
波動かもしれませんし、まだ分かっていない何かがあるのかもしれません。

また、特にトラブルの時には、明鏡止水の心の状態が良いようです。
動じず、焦らず、淡々と・・・ですが。

そうしますと、これも理由は分かりませんが、どうも・・・運命が変更、改善されるように感じます。

また、その行動、あるいは運命でも良いのかもしれませんが、それが、自分だけではなく、周りのもの、全てを生成発展させるようなことになることは、どうも叶いやすいように感じます。
生成発展とは、真ん中の0地点に向かって、モノを向かわせる、という意味で影響を与える、ということのようですが。

どうしてそうなるのか、これも、理由は分かりません。

何が、そのようなことに通じる方向かと言えば、結局宇宙の理なのだと感じていますが、それでも、分かりにくい状況の時には、やはり直感が教えてくれるように感じます。
もっとも、宇宙の理はまだすべてが分かってはいませんが。
ただ、宇宙の理を3次元の言葉に完全な形にするのはむつかしいでしょうから、結局は直感で分かるしかない、ということになるようにも感じます。

森田健さんの問いを発する、ということは、ひょっとしたら、「自発的直感」とでもいうような存在なのかもしれない、とも思いますが、まだ分かりません。

この直感については何度も書いていますが、どうも、明鏡止水の状態、動じず、焦らず、淡々とした心の状態に持っていけると、比較的正確な直感が得られるように感じています。

もっとも、私も、まだまだ発展途中ですが(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?






なんでも、ワタミの渡邊社長が、「教育にも競争原理を。なぜなら自分のやっている学校が競争原理を取り入れたら良くなったから・・・」と言っているようですが、これはちょっと詳しく聞かせてくれないと、良く分かりませんね。

確かに、学習塾などを見ていますと、勉強能力という点においては、先生に競争原理を取り入れたほうが、勉強を教えるのがうまい先生、受験テクニックを教えるのがうまい先生というのが登場しやすいとは思います。

しかし、学校は、勉強以外に、道徳面、などを教えていかなくてはいけないわけですので、競争原理という資本主義そのものの原理が、本当にそういったものを教えることのできる先生を生み出せるのかどうか非常に疑問です。

ライバルはいて良いのだと感じます。
「A先生の下で育って生徒はみな立派な人格者だ。自分もそういう先生になろう」
みたいな感じですが。

ただ競争原理というのは、ワタミの社長の経営している学校の若い(と言っても40代か?)先生も言っていましたが、「(今の競争原理を認めた上で)競争原理についていけなかった先生は辞めていきました。」と言っています。
この先生たちはそんなことはしないでしょうが、競争原理とは、自分よりできる人を追い出して一番になれば良いという側面も持っていますので、その側面が出てきますと、いじめでも意地悪でもなんでもして、その人がいなくなればよいわけなのですね。

資本主義原理主義は、これでOKなのでしょう。
ただただ、人間社会をお金の流れ、財力のあるなしで考えますので。

基本的には、ついていけなくなった先生たちが辞めていった、というのは、どこか変な印象を受けています。
新しい波動に調和しない人が辞めて行ったということであるのは分かりますが、どういう先生が辞めて行き、どういう種類の先生が残っているのか・・・それをもっと詳細に知りたいと思います。

まず・・・現在テレビにちゃんと出演できている人が経営している学校・・・というのが非常にひっかかります。
事実ですので書けば、今常時テレビに出ていられて評論まがいのことをやっている人のほとんどは偽者だと思います。

なぜなら、それまで出ていた本物に近い評論家などは、みな嵌められてテレビに出られなくなっているからですが。

一つ言いますが・・・
私学、あるいは学習塾のような競争原理を先生に取り入れたら、結果、給料が上がっていくのでしょう?
もしそうではなく、給料は、今までと同じ条件ということで、教え方、道徳心の理解させ方などについて競争原理を導入して、成績が良いと、給食のおかずの数でも一品ずつ増えていく、というのなら、それでも良いですが。

そうでないのなら、10年後、20年後の結果は、先生にかかる費用が上がり、それによって学校を経営する費用があがるわけですが、私学などは、お金がある人が勝手に払いたいだけ払えば良いので良いのですが、公立学校がそれでは困りますね。

普通こうなりますと、良い先生はみな給料の高い私学などに勤め先を変えるわけですが・・・
おそらく、先生という人種もマクロにみると変わっていますので、中には、優れていても、公立の学校に残ってくれる人もいるでしょう。

そうすると、何が起きるかと言えば、能力とは関係なく、社会のあり方などにも興味なく、ただただ、教員の間に収入格差が起きる、ということであり、施設などの良し悪しについても、同様、大きな較差が出来てくる、というkとでしょうね。
公立にも競争を取り入れるというのなら、公立の学校では、先生の務め先は自由ではないのでしょうから、こちらは設備、施設にさが出てくる、ということでしょうか?


競争原理と言いますが、これは、やはり資本主義のものであり、それは需要をいかに見抜き、需要にあったものをいかにうまく提供していくか、という競争ですので、そこには、”正しい”はないのです。

健康に良かろうが宇宙の理に沿っていようが、どうであろうが、国民の需要が、保存料の味が大好き、となるのなら、保存料一杯の食品を売れば良い、というのが競争原理であり、農薬一杯で、ワックスばりばりでもいいから光ったりんごが好き、というのなら、それを売るのが資本主義での競争原理のように感じています。

先に書いた神田昌典さんのメルマガは、需要側からではなく、「これを売りたい」と言った場合・・・供給側・・・での、マーケティングの使い方ですので、また少し違いますが、こちら側の手段なら使ってみても面白いかもしれないですね。

ホッケが北海道では家畜の餌などになっていたが、それを居酒屋で出したら、美味しいし、大きいし、安いので人気が出た、というのは、「このホッケという魚は、良いもなので、もっと売りたい」という供給側の理論ですね。
(ホッケの話は少し違うかもしれません、違ったらすみません)


で・・・言いなおしてみれば、競争原理というが、それは、親・子供が望んでいる教育、を提供するという立場のものですので、そのことを考えれば、その親・子供の望んでいる内容というのが、個人のエゴを満足させるものでしかないのか、それとも、これからの地域・国・世界を担っていく人材、ということを考えてのものなのか?ということで、競争させる的というものが、ぜんぜん違ってきてしまうということが、考える必要のある項目なのでしょう、ということですね。


とにかく、現在、テレビに常時出ていられる評論家のような人で本物は、どうも・・・いてはいけないようです。
渡邊社長がどうかは知りません。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

 

 

さて・・・・・・
昨日は、先達てリーディングをしてもらったトランスチャネラーの開催するワークショップに参加してきました。

で・・・感想ですが・・・
マクロからミクロへ(笑)展開してきますが、1回ずつの瞑想で、感想を聞かれていくのですが、どうも私だけ他の人とは違うようでした。
上とも下とも言いませんが。


なにが違うかと言えば、目をつむった状態で見えてくる映像、感想、ということですが。

全てが終わった後に、主宰の方から、「考えないでもっと感じることです」というアドバイスがありましたが、本心を言いますと、半分納得でき、半分解釈が違うのではないかと感じています。
主催者はドイツ人男性の西洋人ですが、ニュージーランドなどで、長年活動をしているベテランの人です。

私は瞑想に関しては不思議研究所と言いますか、森田健さんの書いたものに相当影響を受けています。
それはどういうことかと言えば・・・

いろいろありますが、今現在の私の瞑想での最善の状態というのは、天目のあたり白い光の玉のようなものが見えていて、その他一切の雑念が見えていない状態です。
また、その白い玉は、時には向かって左回転・・・つまり、向こう側からしてみれば、右回転しています。

あるいは、目をつむっている状態でも、自分の3次元的回りから意識を取り去ってしまうのではなく、周りのものと一体化するようなイメージを持ち続けます。
それはもっぱら耳で、聴こえてくる音に関しては、ほとんど聞き漏らしていない、と思います。

また、背中辺りから後光が出ているようなイメージを持ち続けます。
これは、オーラとか、後光とかいうものではなく、その光の円をどんどん大きくしていき、可能であれば、自分を中心としたその光の輪が、地球も飛び出して、宇宙全体に広がっていくくらい多いきくしていきます。
これは、太陽のようなものに包まれている状態をやりたいわけですが、太陽と言いますと、どうもできにくいので、とりあえず、コツとして、後光のような光の輪を初めに出す、というやりかたをしているわけです。

これは、どういうことかと言えば、自分の解釈では、結局、「私はすべてと繋がっている」ということなのだと感じています。


当日のプログラムは、レジメによれば、
忘却のベールを剥がエクササイズ、
地球とつながるエクササイズ
無の境地を抱くエクササイズ、
死の恐怖をなくすエクササイザ、
ハートと本当の目のつながりを発見する瞑想、
らせん状に考えるためのエクササイズ、

です。

ただし、実際に行ったものは、いくらか違っています。
あまり細かい点は、良いのだと思いますので、取り合えず、これだけ書きます。

エクササイズとなっているものも、一つ一つ違いはありますが、基本的には、短時間の瞑想に近いものです。


やはり、終わりに近いものの方が印象に残っているのでそこから書いていきますが・・・
最後に行ったのもは、
I'm a soul that I am,
You're a soul that you are,
を、メンバー全員交互に、2人ずる向かい合って手を取り合い、目を見ながらゆっくり3回ずつ言い合っていく、というものでした。
私は、どうも言うのが早すぎるようですが(笑)。

もちろん日本語で言うのですが、日本語では、
「私は私の魂です」
「あなたはあなたの魂です」
というものです。

思うに・・・これは、おそらく、「私は、私の本質と繋がっています」、ということなのではないかと、今、感じています。
私は、私自信の本当の姿は、魂であり、光の存在だと思っていて、すでにそれが定着していますので、私は私の魂である・・・I'm a soul、あるいは、I'm my soulと言われても、当然としかかんじないですし、それは、初めの一歩としか思わないのですが、私は私の本質と繋がっている、ということでありますと、これも当然ではありますが、かなり意味深いものである、と感じます。

で、本質とは何か、と言いますと、森田健さんが、モンロー研究所で高次元へ行った時に会った、もう一人の自分のことのですが、このもう一人の自分がいる場所(?)で、原因の世界・・・バーシャのブループリントのようなものですが・・・が造られるようです。

つまり、原因の世界の場所にもう一人の自分がいて、その自分はすべてを知っている、そして、3次元的意味(?)でも完全な自分であり・・・そしてその自分はいつでも自分を見守ってくれている、
その自分を感じ取る、その自分がいることを認識する・・・
それが、
I'm an soul that I am,
You're a soul that you are,
という意味なのではないかと思います。

ですので、私ならやはり、
「私は、私の本質と繋がっています」、
と、しただろうと、と思います。

もちろん、そうなりますと、説明が長くなりますので、今のままでも良いのかもしれませんが。

ちなみに、これら瞑想、エクササイズは、想像するにチャネリングしてくるこの方の守護神・・・先達て私の使命、目的を教えてくれた存在・・・が教えてくれたものだと思いますので、方法そのものは、正しいのだと思います。





で・・・
地球からエネルギーをもらう瞑想、というのがありました。
「地球は生き物です。体中の骨に意識を順番に意識を持って行き、母なる地球に、癒しのバイブレーションを送ってください、と言いながら瞑想しましょう」
というものでした。
「母なる地球、私に癒しのバイブレーションを送ってください。私は地球とつながっています」
と称えながら、音楽を流して瞑想をします。

私は、バイブレーションという言葉があまり馴染みませんので、波動ということだろう、として、「母なる地球、私に癒しの波動を送ってください」としました。
また、「私は地球とだけつながっているわけではない。すべてと繋がっているんだ」と思いましたので、
「私は地球と繋がっている。私はすべてと繋がっている」としました。



ですので、私が称えていたのは、
「母なる地球、私に癒しの波動を送ってください。私は地球と繋がっている。私はすべてと繋がっている」です。

目をつむっている私には、天目に白い光の輪が見え、雑念はほとんどありませんでした。
光以外は黒色です。
最中、「部屋のライトの光がまぶしいな」と感じた瞬間があり、座っている位置をずらしました。
その時、瞬間目を開けましたが、すぐ隣で瞑想をしてた女性が体を螺旋状に回転させていましたので、ぶつからないように、直感で感じたのか、だれかが教えてくれたのか、それとも、偶然そうだったのか・・・良く分かりません。
目を開けると、おそらくそのせいだろうと思われるライトはありましたので、偶然かもしれません。
但し、それまでは気になりませんでした。


で、最後のみなの感想は、目の前のイメージとして、「ゲートのようなものを潜り抜けていくような・・・」ですとか、「螺旋状の階段が出てきた・・・」とかいうものでしたが、私は終始、天目の辺りに光が見える状態でした。


主催者の意見では「私は考えていて、感じていない状態」というでした。
私自身「みんなと違う私は、どこか間違っているんではないか・・・」などと思っていましたが、一日経って考えて見ますと、いつもは、雑念の数々で、時には苦しい状態でやっている瞑想、あるいは目をつむっている状態が、雑念がほとんどない状態で天目の光を見続けていくことができた、ということですので、これはとても良いことなのではないかと感じています。

そして、「雑念」、「恐れの映像」がない、ということは、その場の「安心」という波動を感じているからであり、どうも、感じていない、ということではないのではないか?と思っています。

また、少なくとも今の私には、「私は、考えることも、感じることも、両方大切であり、そして、目に見えないものは、感じることによりその存在を”感じる”ことをしている」と思っていますので、「私が感じていない」というのは、どうも納得いっていません。

それでも、主催者がそういうのですから、緊張したり、困ると、「感じなくなり、考えてしまう」というようなことがあるのかもしれません。
それが、感想を言う画面などで出ていて、それをして「感じていない」と言っているのかもしれませんので、そうであるなら、そうかもしれません。

あるいは、自分では分からない何かの瞬間に「感じる」ことをしなくなり、「考える」になってしまっているのかもしれませんので、そこら辺は、今後、調べてみようかと思っています。



で、天目に光の玉・・・の状態が良い状態なのか、あるいは私に良い状態として潜在化されている状態がそうなのか分かりませんが、要するに、何らかの作用により、「恐れの概念」が取り去られている状態、だと感じています。

ですので、むしろ、他の人と違っている理由は、私の瞑想経験、瞑想感からくるものであり、状態としては非常に良いものであり、その意味では、この瞑想は良いものなのではないかと思います。

詳細に言えば、この瞑想そのものが良いのかもしれませんし、あるいは、多くの人と一緒にやるから良いのかもしれませんし、5人の参加者のうち、4人が女性であったのが良いのかもしれません。


この「恐れの概念がいけない」という、私が以前より、書き続けていることについては、当日も主催者の方から同じような話がありました。

全般的にですが・・・
ん・・・どうかな?と思う癖が私にはあり、それは、計なヒーリング行為に近いことをしてしまうということです。
当日参加した人は、みな、なんらかの・・・と言いますかそれなりに大きな苦労を抱えていて、その一部は、当人たちの口から説明されているわけなのですが、瞑想をしていますと、外へ外へと意識が広がり、周りの人まで届く頃になりますと、その人に対して、「どこそこが良くなれ」ですとか、「あなたは全てとつながっている」のような余計な言葉を唱えかけてしまいます。
どうも、こういう行為は、当人の確認をとっていませんので、嫌がる人もいるようですが、どうなのでしょう?
私は意識して、と言うより、自然とそうしてしまう方向になってしまうのですが。

ただ、これは、「あなたが好き」ですとか、「あなたきれいですね」と同じプラスの波動である、しかない、と考えれば、それほどいけないものではないのか、とも思います。

但し、私の隣の女性が螺旋回転をしていた理由が私いあるとすれば、考え物かもしれません。

もう一人・・・腰の悪いという女性がいましたが、この方にも、瞑想中、腰の辺りに向かって、池田邦吉さんがやるように、掌をイメージして、そこから光のシャボン玉を腰のあたりへ向かって送り込むようなことをしてしまっていたのですが、彼女も、「体が螺旋状に回転しようになってびっくりした。」と言っていましたので、偶然かもしれませんが、これが私のせいなら、やるならやるで、ちゃんと状況を確認するなり、ちゃんと、だれかについて習うなりした方が良いのでしょう。

私、この掌から光のシャボン玉・・・は効果があると思います。
良く自分や、そのほかの物体に対しても行いますが、良くなったり、故障していた機械が一時的でも直ったりするような経験があります。


但し主催者によれば、体が回転する、というのは、良くあることのようですので、偶然かもしれません。
それはそういうものなのかもしれませんし、地球をイメージする時に、回転している姿をイメージすることにより、そういう状態になってしまうのかもしれません。

江原啓之さんの本によれば、神道式の何かで、正座して上半身をぐるぐる回して体の悪いところを直す、という瞑想のようなものがあるようですが、同じような効果が得られるものであるのかもしれません。



で・・・そのほかの瞑想については、なぜか今、詳細に思い出されてきませんが、全ての瞑想で私の感想は長いものになってしまっていました。

それはなぜかと考えますと、おそらく、森田健さんが書いていることを、説明しなくてはなりませんので、それは、主催者に失礼ですので、そこを説明しないで、森田健さんの書いていることを伝えようとしていたことに原因があるように感じます。

さすがに、だれかの名前を出しての説明というのは、主催者は主催者で、長年やってきている人ですので、失礼だ、と私は考えるわけですね・・・。

あるいは、外側に広がる・・・ですとか、すべてに繋がっている・・・ということを詳しく説明しなくてはなりませんので、それも変だな、と思っていたのかもしれません。
もちろん、船井幸雄さんが書いている太陽に包まれて・・・などの瞑想法なども、私の瞑想には影響しているのですが。
もちろん、太陽・・・は森田さんの本の中に、孫さんの話としても登場してきます。


で・・・ともかく、主催者の考えているような映像は私には出なかったのですが、私として、私が考えてみれば、あの場の瞑想で雑念、恐怖の映像がほとんど出なかったと言うことは、あの瞑想法が良いのか、あるいは、波動のあうメンバーたちと一緒に瞑想をすることが良いのか、それとも、主催者の守護神の波動があるのか、いずれにしても、いつも一人で行うものよりは、「安心」の波動に包まれている良い状態の瞑想ができた、ということなのだと感じます。


最後に、全員で手をつないで輪になって、メロディ付きで英語で、先のI'm an soul that I am, You're a soul that you are,を歌ったのですが、ハワイのルーテル教会の集まりで食事の時など、この手をつないで輪の状態をやっていましたので、思い出してしまいました。
ちなみに、私は今、キリスト教には、???を持っています。
キリストの言ったことはきっと正しいのでしょうが、その後は、政治的にいろいろあったようですので、どうも、信用できません。

と、いつも書いていますが、副島隆彦さんが、似たようなことを時々書いていますね(笑)。

副島隆彦さんは、また、「輪廻転生はない」と言っています。
その言葉だけ読みますと、私は反対ですが、但し、これも、にんげんクラブの会報に書いていることなど読みますと、どうも普通に輪廻転生はない、と言っているわけではないのですね。

キリスト同様、オリジナルの仏陀の言葉しか信用しない、ということで、仏陀の言葉を副島さんが解釈して、「あの世もない、この世もない、一切は存在しない。すべては仮の姿、どうせなくなる。それが空・・・
今生きているが、死んだら全てなくなる。今もなくなる」(私の要約)というようなことのようです。

前半の、「あの世もない、この世もない、一切は存在しない。すべては仮の姿、どうせなくなる。それが空・・・」は、なんとなく納得できますね。

自分で作ったストーリーに沿って、この世で勉強して天国に行って、それを繰り返すことにより、いずれは、神になっていく・・・という解釈でも、
運命は生まれた月日によって決まり、自分では何も決めてこず・・・でも、
3次元的な意味において、今は仮の姿であり・・・カルマ論的には積み重ねという概念に近いものがありますので、全てがない、とは言いにくいですが・・・最後に神になった時、あるいは意味は分からないが何度も生まれ変わってくる状態のどちらをとっても、”さて実態はどこにあるのだろうか?神になったときだろうか?それなら今生きている今、次に生まれ変わる来世、今生の前の過去生というのは、実態なのだろうか?実態でないのならば、正に何もない状態、空なのだろうか?”というような解釈もあります。

あるいは、天外伺朗さんなどがよく書く、「あの世とこの世の両方で生きている」というような解釈ならば・・・私はこれは言えていると思いますが・・・まさに、「あの世もこの世もなく・・・」であり、それはつまり、「あの世もこの世もなく、あるのは、瞬間、瞬間という波動の連続」である、とも言えるかもしれないですね。

あるいは、時間という概念そのものが、3次元特有のものである、という、良く高次元の存在たちが言うことを考えれば、どうでしょう?存在するのもは、全てであり、0である、というような発想ができるのかもしれません。

・・・自分で書いていて良く分かりませんが・・・

きっと、輪廻転生という概念は、時間というものを時間順、タイムコードという波動で認知する我々3次元人間のいう概念であり、それはひょっとすると、高次元で言われているかもしれない、”すべて=0、全てと0は一緒”を、時間軸に置き換えた言い方とも言えるかも知れない、ということでしょうか。
その意味では、輪廻転生という言葉を使うとなりますと、3次元言語ということですので、「輪廻転生はある」で良いのではないかと感じますが。

みなさんは、どう思うでしょうか?


で、戻りますが・・・
手をつなぐ、ということは、何か良いですね・・・
氣的には、船井幸雄さんによれば、「女性は、花など何からでも、外側から手を触れずに氣を得ることができるが、男性は、女性に触れることでしか、外側から氣を得ることができない」ということですので、そういう効果もあるでしょうし・・・
池田邦吉さんの書いていることを読めば、「ヒーリングは、掌をかざすだけではなく、実際に触れるのが一番効果的」ということですので、実際につなぐ、という行為は、何らかの大きな効果があるのだろうとも思います。
他にも、いろいろでしょうが、手をつなぐのは良いですね。

食べ物についての、話もありました。
肉を食べてはいけない、ということについては、これは、もう、ほとんど全ての人が言いますので、本当でしょう。
言わないのは、食肉団体、貿易関係、と関係のあるところだけですね。
この日月神示の説明では、霊性によるものではなく、人間は肉食動物のように短い腸ではなく、長い腸なんおで、という説明でした。

その他、にんにく、玉ねぎ、砂糖などを上げていました。



魂の叡智日月神示:完全ガイド&ナビゲーション (単行本) 」
中矢 伸一 (著):徳間書店」では、卵もいけないようだ、と中矢さんの解釈で書かれていますが、私は、「卵はどうでしょう?」と聞いて見ました。
すると、「自分が必要だと思ったら食べるのが良い」というような回答でした。
回答はもちろん、守護神ではなく、主催者からですが。
表面的には。

実際、私はここのところ、卵を解禁しようと思っているのですが・・・と言うのは、卵でも食べませんと、外食どことか、スーパーでの買い物では、ほとんど毎日、豆腐、サラダ、ひじき、切干大根の食事の繰り返しになってしまっていますので、いくらなんでも、これは体に良くはなかろう、ということなのですが(笑)。

結局、卵をはずしますと、パンはだめですよね?
麺類も場合によっては困る。

家の前の中華さんでは、全滅・・・つまり、以前は、きくらげ、卵入り野菜炒めがかろうじて注文できましたが、今は、肉抜き野菜炒めにしてください、のような注文しかできませんし、歩いて10分の中華さやんでは、えび入り焼きそばならかろうじて、注文できますが、そもそも中華のだしには、肉が入っています(笑)。

和食、和食といって、茶碗蒸しはだめ、玉子焼きの入っている海苔巻き、混ぜご飯もだめ・・・
結構大変ですね。

さて、卵は食べても良いのでしょうか?
腸の長さ論的には、卵ならOKでしょうが、霊性的にはどうでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

で、基本的には、楽しいワークショップでした。
私も楽しみましたが、基本的には、私には、森田健さんの本に登場するような道教式の瞑想の方があっているようです。
それが、最初に接したものだからかどうかは、分かりませんが、なんだかんだと、もう3年以上続けているのですから、あっているのでしょう。

また、私は、特定のもの・・・地球とか、ですが・・・に対してどうこう言うより、「すべて」のような概念の方が向いているようです。
もちろん、完全な全てではないのかもしれませんし、そうではない時もありますが。

これが、私特有のものなのか、東洋人だからなのか、日本人だからなのか、良く分かりません。

一人の女性への質問に答えて、「あなたはもっと、自分のために生きなさい」と言う回答をしてくれたのですが、私は、自分のためと、おそらく”自分のために生きなさい”と言われる人のほとんどが迷ってしまうであろう、その回答に対しての追加の情報を得るために、「調和と個人ののために、の境目が分からなくなった時に、何かの指標はありますか?」というような質問をしました。

それに対しての回答の内容は、私には少し分からないもので「あなたたち日本人は、和を重んじるすばらしい人間であることは分かります。・・・・・・・・・自分のために生きることです」と、初めと、終わりしか耳に残っていないのですが(失礼)、これは、この種類の回答が必要な人間には、船井幸雄さんの言う、「自分が好きで得意で、運が付いていることをやり、それが、地域、国、など周りを良くすることに通じることをするのが良いです」などの一連の言葉が良いように思います。

日本人で今アセンションの中で悩んでいる人には、結構このタイプが多いのではないかと想像します。
日本人のなかには、他国には少ないタイプの個人より和を重んじる人が割合としてたくさんします。
そして今の時代は、資本主義で、個のエゴの分部をあまりに際立たせてしまっていることが原因によるさまざまなできごとが起きています。
そのくせ、個の自由のようなことは、しぼるような状況になってきています。

そんなこんなで、普通の知識しかない場合、よっぽどでないと、混乱してくるのですね・・・。
いろいろあるでしょうが、船井幸雄さんの書いていることは、それの80%以上の問題を解決してくれるように感じます。



昨日、左記の医者いらず老い知らずの生き方 (安保 徹 (著), 船井 幸雄  徳間書店 (2006/12) )、「本物」になるクセづけ (単行本)  海竜社 (2006/10) (船井 幸雄 )、を買いましたが、きっと、まず、「本物」になるクセづけ (単行本)が、良い本だと感じます・・・まだ良く読んでいませんが。

よろしければ、お読みください。

いろいろ組み合わせて、自分にあったものを探していけば良いのでしょう。
私はそうやりますし、私にはそれが良いようです。


で・・・船井幸雄COMにどうも、ビックリするようなことが書いてあります。
http://www.funaiyukio.com/funa_ima/ですが。

少しだけ引用します。
(引用)
森木 亮さん『日本国破産への最終警告』(2006年 PHP研究所刊)より。

(前略)

財政学では財政爆発曲線に入ると、その国はやがて破産するといわれる。

(中略)

2008年とはどういう年だろう。7月には日本でサミット(先進国首脳会議)が開かれ、8月8日午後8時には北京オリンピックが開幕する。
 そういう年に日本の国家財政は破産する。しかし、世界経済そのものは明るくなる見通しで、株価も上昇するはずだ。だから私は、利子を2005年の約2倍に想定した。株価が上がれば、現在1.5%である十年物国債の長期金利も倍になると想定しなければいけないからだ(転載ここまで)。
                                                  



つぎに破産するとどうなるかですが、それはIMF(国際通貨基金)の管理下におかれるようになる・・・ということですが、すでにそれはネバダ・レポートとして、2002年2月14日に、竹中平蔵さんが国会で、その存在を認めたので周知になっています。つぎのようになる可能性が大きいのです。

(一) 公務員の総数および給料の30%カット、ボーナスはすべてカット
(二) 公務員の退職金は100%カット
(三) 年金は一律30%カット
(四) 国債の利払いは5年から10年間停止
(五) 消費税を15%引き上げて20%へ
(六) 課税最低限を年収100万円まで引き下げ
(七) 資産税を導入して、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債券・社債に対しては5〜15%課税。株式は取得価格の1%課税
(八) 預金は一律にペイオフを実施するとともに、第二段階として預金額を30〜40%カットする

   
(以上)                   

日月神示によれば、大難を小難にすることは、可能なようです。
そして、その後、神一厘の仕組みが発動されるようです。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

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