昨日は神葬祭について詳しく記させていただきましたが、それに関連して、今日は神道における他界観について記させていただきます。他界観とは、現実世界とは異なる空間についての観念のことで、具体的にいうと“あの世”とか“死後の世界”などと称される世界についての観念のことです。
■仏教やキリスト教の他界観
恐らく、日本人に最も広く知られている他界観は、仏教による“極楽と地獄”の観念だと思います。人は死後、閻魔大王の裁きを受け、生前善行を積み重ねた人は、極楽浄土という楽園の世界へ行き、逆に悪行を積み重ねた人は、地獄へと落ち、そこで責め苦を負って罪を償うことになる、という観念です。
そもそも仏教ではいくつもの他界を設定しており、それらの他界は、「輪廻する世界」と「輪廻しない世界」とに大別しています。地獄はその「輪廻する世界」を構成する6つの世界(六道)のうちの一つで、極楽浄土とは、「輪廻しない世界」を構成する浄土という仏の世界の中の一つ(阿弥陀如来が治める浄土)であり、仏教では、他界を単純に“極楽と地獄”と二極化しているわけではないのですが、しかし一般には、前述のように“極楽と地獄”という概念が広く世に知られています。
この仏教の他界観は、人々に正しい道徳を身につけさせるための方便としては極めて有効な概念ですが、しかし、仏教の開祖である釈迦は、実は死後の世界についてはほとんど何も語っていません。
仏教の教えは、あくまでも人生の苦悩を取り除くためにあるもので、釈迦にとっては、死んで幸せになることよりも、生きている間に煩悩を捨てて苦しみを減らすことの方がずっと重要だったからです。
ですから、極楽とか地獄とかいった他界観は、仏陀の入滅後に弟子たちにより肉付けされ構築されていった概念であり、仏陀が説いた他界観ではありません。
キリスト教による“天国と地獄”の他界観も、神学的には仏教の他界観とは大きく異なるものの、少なくとも、善行を積めば天国へ、悪行を重ねれば地獄へと落ちる、という点においては、仏教の“極楽と地獄”の観念とほぼ共通しています。実際、人々をキリスト教の福音に向かわせるためには、これも極めて有効な他界観といえるでしょう。
仏教との大きな違いを一つ挙げると、カトリックでは、現世と天国の中間には煉獄という、小さな罪が清められる世界があるとしています。死後直ちに天国に直行できる程自分を完璧な人間と思っている人は少ないですが、そうかといって、死後直ちに地獄へまっしぐらに落ちる程悪行の限りを尽くしていると思っている人も少ないため、その解決策として、中世のカトリック教会は、煉獄という観念を作り上げたのです。イタリア文学最大の古典とも云われているダンテの長編叙事詩「神曲」は、この他界観に基づいて、地獄・煉獄・天国を遍歴して回る物語です。
しかし、新約聖書の中心的な概念はあくまでも「死」、「復活」、「神の国」であり、天国、地獄、煉獄といった概念は、本来は副次的な概念に過ぎません。
■神道の他界観
では、神道の立場では他界、つまり“あの世”を、一体どのような捉えているのでしょうか。神道では、亡くなった人の魂は一体どこへ行くと考えているのでしょう。
日本には、仏教が伝来しその影響を受ける以前から、いくつかの他界観がありました。
例えば、古代の日本人たちは、故人の魂は現世とは全く別の世界へ行く、とは考えておらず、いつまでもその土地に鎮まって子孫とともに生きる、と信じていました。
そして、その地に留まった故人の魂は、長い年月を経て死穢がなくなると、死霊から祖霊へと昇華し、やがて歴代の先祖の神霊と合一し祖霊神となり、山へと還っていき、お正月やお盆などには、子孫たちと交流するために山から降りてくる、という観念を持っており、この他界観は「山中他界観」といわれています。
また、海沿いの町や村では、人は亡くなると山ではなく常世(とこよ)という、海の向うにある世界へと旅たち、お正月やお盆などにはその常世から再び還ってくる、と考えました。これは「海上他界観」といいますが、いずれの場合でも共通しているのは、仏教やキリスト教のように現世と来世をはっきりとは区別していない、ということです。古代の日本人たちは、死んで肉体は土に還っても、その霊魂はどこか遥か彼方の世界へと行ってしまうわけではなく、霊魂は自分達の比較的近くに留まり子孫の暮らしを見守る、という観念を持っていたのです。
日本民俗学の父と称される柳田國男は、「先祖の話」という本の中で以下のように述べています。『私がこの本の中で力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、即ち霊は、永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、恐らく世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである。
これが、いずれの外来宗教の教理とも、明白に喰い違った重要な点であると思う。
これが、暗々裏に国民の生活活動の上に働いて、歴史を今あるように作り上げた力は、相応に大きなものと見なければならない。先祖がいつまでもこの国の中に留まって去らないものと見るか、または追々に経や念仏の効果が現れて、遠く十万億土の彼方へ往ってしまうかによって、先祖祭の目途と方式は違わずにはいられない。
そうしてその相違は確かに現れているのだけども、なお古くからの習わしが正月にも盆にも、その他幾つとなく無意識に保存せられているのである』。
つまり、神道的他界観とは、現世と来世は隔絶されることなく連続しており、山や海の霊場は、死者が祖霊を経て神へと昇華していく場であり、そこから祖先の神霊が訪れてきて、子孫たちに幸運と救済をもたらすという観念、といえます。
このような神道的他界観は、キリスト教やイスラムのように創造者と被造者を峻別する徹底的な二元論とは全く無縁で、神と人の断絶、死者と生者の断絶、来世と現世の断絶はなく、神と人とのつながり、あの世とこの世の繋がりの上に世界が成り立っているのです。
以上の点を踏まえ、古代の日本人たちが考えてきた神道の代表的な他界観である、地中他界観、山中他界観、海上他界観を、以下に簡単にまとめてみます。
■地中他界観
地中他界観は、一言でいうと、地下にあるとされる「黄泉の国」の信仰です。記紀(神社神道が神典とする古事記や日本書紀)には、イザナギノミコトが、亡くなった妻イザナミノミコトを追って黄泉の国へと赴くエピソードが描かれています。この黄泉の国が、記紀で描かれている“死者の国”です。また、記紀には、スサノオノミコトが支配しオオクニヌシノミコトが訪問する他界として「根の国」という世界も出てきますが、これも“死者の国”とされており、黄泉の国とは同視されることもあります。
古事記を初めて本格的に研究した国学者・本居宣長が、黄泉の国は汚れた暗黒の世界、と解釈したため、今でも一般には、黄泉の国とは暗くて汚い世界だと思われていますが、しかし記紀における黄泉の国のエピソードでは、確かにイザナミノミコトの肉体の腐る過程が醜く恐ろしく書かれてはいますが、他には特に汚いという表現はなく、むしろこのエピソードにおいては、黄泉の国では食事もしており、家もあり、櫛もあり、桃もあり、現実の世界とは少しも違っていない様子が記されています。
イザナギノミコトが、櫛の歯に火を灯してイザナミノミコトの姿を見たために、黄泉の国全体が暗いと解されたようですが、イザナギノミコトは、殿の中にいるイザナミノミコトの姿を見ようとして火を灯したわけですから、実は殿の中だけが暗かった、と推察できるのです。少なくとも、殿の外も暗かった、とは記紀のどこにも記されていません。
この黄泉の国は、黄泉比良坂(よもつひらさか)という所(伝承では出雲の伊賦夜坂)で現世と繋がっているとされていますが、この地中他界観は、私たちの生活に馴染みのある他界観というよりは、神話の中での他界観、といえるものかもしれません。
■山中他界観
山中他界観とは、ごく近くの山に祖霊がいるとする他界観です。古代は、死者の葬地としての埋墓が山中深くに定められ、そこに死体が埋葬されたため、そこから発生した他界観で、それを民俗学の立場の人たちが、現実の農民の生活の中から見つけ出して広く知られるようになった観念です。
この観念では、死霊は一定の年月を経ると、やがて先祖代々の神霊と統合され、祖霊神となって山へと還っていきます。そして、山へと還った祖霊神は“山の神”や、農耕を司る“田の神”となり、正月や御魂祭などには山から里に降りてきて家々を訪れ、子孫に繁栄をもたらすとされます。正月に各家庭を訪れる歳神という神様(今月3日付の社務日誌参照)も、この山中他界観に基づく祖霊神であるといわれています。
国の重要無形民俗文化財に指定されている、石川県の奥能登の農家で行われる農耕神事「アエノコト」は、この山中他界観に基づく典型的な事例といえます。
■海上他界観
海上他界観とは、海上の彼方にある「常世の国」に祖霊がいるとする他界観で、龍宮城のような海中にある他界も含まれます。記紀においても、ウミサチヒコ・ヤマサチヒコのエピソード(昨年10月23日付の社務日誌参照)で、ワタツミノカミの宮として龍宮城(海中の他界)が登場しており、この時点では常世の国はまださほど理想化された世界としては描かれていませんが、後に、浦島太郎の民話に再登場した龍宮城は、永遠に生きられる理想の世界として描かれています。また、記紀の中のオオクニヌシノミコトがスクナビコナノミコトと一緒に国造りを固めたエピソードでも、後にスクナビコナノミコトが海を渡って常世の国へと帰られたことが記されています。
これらのエピソードからもわかるように、常世の国とは人や神がいつでも往来可能な場所であり、「海上の彼方の世界」とはいっても、常世の国は、十万億土、西方浄土という言葉で考えられる程この世と切り離された世界ではないのです。少なくとも、行ったらもう帰って来ることができない、という世界ではありません。
お盆には、「精霊流し」という祖先送りの行事が各地で見られますが、これは、この海上他界観に基づく行事です。
■現代の神道の他界観
最後に、現代における神道の他界観についても簡単に触れておきます。現在でも、山村の一部では山中他界観が、漁村の一部では海上他界観が信じられ、その観念に基づいて祖霊まつりが行われていますが、近くに山も海もない(あっても造成済の山や工業港しかない)都市部においては、どちらもほとんど現実味の湧かない観念であり、実際近年は、葬儀の終わりに「故人は、山もしくは海へと還っていきました」と遺族に説く神職は、まずほとんどいません。「故人は遥か彼方にある黄泉の国へと旅立っていきました」と説く神職も、多分あまりいないと思います。
現代においては、祖霊は、そのまま霊璽(仏式でいう位牌に相当)に留まって子孫を見守り続ける、と解されることが多いようです。そして、故人のことを知らない世代が遺族の代表となる「五十年祭」を一つの節目として「まつりあげ」を行い、そのまつりあげで、故人の霊は祖先の神霊と合一される、と解されています(地域によっては三十年祭でまつりあげを行います)。
亡くなった御霊は、生者とは隔絶された死者だけの世界に往くわけではなく、そのまま霊璽に留まり続ける、つまり、死後もその家庭や地域に居続ける、と解すると、ではこの世の中は死霊で満ち溢れているということなのか、という解釈もできてしまいますが、しかし神道の立場から考えると、それは決して間違った解釈とはいえないでしょう。先祖の霊の存在を実感することで歴史の縦軸における自分の立場を認識し、あるいは亡くなった恩人や友人の霊を感じることで、横軸における自分の立場を認識する、という所謂“死者の視線を感じる”という感覚は、まさにそういった解釈の上に成り立つ観念であり、また、明治時代に日本に帰化した英国人作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が言った「日本は死者の国である」という言葉も、そういった観念を強く認識した上での言葉だったのではないでしょうか。日本人の社会は“霊と共存”の社会であり、それは目に見えなくても、過去に生きた先祖や知己の霊が確実に実存する社会といえるでしょう。
ただし、この他界観はあくまでも最大公約数的な観念であり、実際には、地域によって、神社によって、個人によってその解釈は大きく異なります。また、現実には、こういった神道的な他界観よりも、仏教的、もしくは神仏習合的な他界観を信じている日本人は多くいます。古来の日本人たちも、平安時代以降は、浄土教による浄土思想を信奉していた人たちの方が多かったのではないかと思います。また、クリスチャンではないにも関わらず、他界観だけはキリスト教の他界観と共通した観念を持っているという人も多くいますし、神道においても、教派神道や古神道は、神社神道とは異なる独自の他界観や神学を持っており、結局は、他界観は人の数だけある、といえるのかもしれません。
ただ、どのような他界観であれひとつだけ確かなことは、霊魂は不滅である、ということです。まだ死んだ経験がないので、他界がどのような世界なのかは私にもわかりません。しかし、わからないから、見たことがないから、というだけでそれを短絡的に否定してしまうほど私は傲岸不遜な人間ではありません。私は人としても神主としてもまだまだ未熟な存在ですが、一人の宗教家として、人の魂は死亡と同時に完全に消滅して失せる、という唯物論的な立場は、当然認めるわけにはいきません。
(田頭)