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音楽や画像などを自由に入れたいのでブログ式にはしていません。



 

8月12日


中矢伸一さんhttp://www.nihoniyasaka.com/ですが・・・
(引用)

日本弥栄の会
今週の一言

2011年8月8日


「平成の徳政令」は暴論か

アメリカのデフォルト(債務不履行)はギリギリのところで回避されましたが、米格付け会社「スタンダード&プアーズ(S&P)」が、米国債をトリプルAからダブルAプラスに格下げしたことで、一気にドルに対する信用不安が増大しているようです。
世界基軸通貨としてのドルは、このまま急速に力を失っていくことでしょうね。

当然ながら日本でも対岸の火事ではいられないと思います。というより、朝倉慶さんのおっしゃるように、これは初めから欧米勢力が日本の破綻を企図して仕組んでいるものかもしれません。

現在、日本が抱えている国債・地方債の総額は約1000兆円とも言われますが、政府の最終手段として、いわゆる「徳政令」を発令してすべての借金を棒引きにしてしまうことも考えられると予測する人もいます。

私は経済のことは詳しくないのですが、そんなことをしたら日本は破綻する、世界のどこからも相手にされなくなる、デフォルトして借金棒引きにした国の末路を見てみろと、いろいろなことを言う人がいます。
では、今の日本で徳政令を発令したらどうなるか?

やり方にもよると思いますし、様々なシミュレーションがあるようですが・・・。
日本は世界最大の債権国ですし、日本の抱えている借金というのは、ほとんどが日本国内のみで調達しています。
だから、日本人どうしで貸し借りを「チャラにする」と決めれば済む話なのです。
外国に借りている分があれば、その分だけはキッチリお返しすればよい。
日本人全体の金融資産は約1400兆円あると言われますから、ここから借金分を差し引きしてもまだ余裕がありますね。

徳政令を発布したら、日本政府は解散するしかないでしょう。政治システムそのものから変えるのです。
官僚も40代までは残務整理のために残し、あとは全員解雇する。彼らには退職金も年金もありません。借金棒引きにしたらおそらく国民の年金も消えますから。
金融機関や保険会社もほとんどが倒産するでしょうね。
・・・と考えますと、現実的にはあまりに反対が多くて実行は不可能と言えそうです。
その場合は、世界的な流れの中で、破綻に追い込まれていくしかないでしょう。


日月神示には、
「政治も経済も何もかも無くなるぞ。食べる物も一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ」(『水の巻』第12帖) とあります。

金は無くなっても、人は残ります。知恵も技術もマンパワーもあります。
どのみち資本主義は崩壊するわけですし、私たちはすでに崩壊後の世の中の仕組みを真剣に考える時に来ています。
来るべき世の中とは、自給自活型の社会であることがわかっているのですから、もう資本主義システムの時代に所有していたものはすべて捨てるつもりで、新しい社会の形に進んで移行してしまう方が、大難が小難につながることになると思います。

海外との貿易に頼ることはとりあえずやめて、現在の円も無効にして新円を発行するか、各県や地域ごとに独自通貨を発行してしまうのがいいと思います。
そして、日本が率先して、生産から消費、廃棄に至るまでの、自給自活型・完全循環型社会のモデルを作ってしまうのです。
この新しいモデルでは、農地が復興されて食糧の自給自足が可能となり(ただし畜産は莫大な飼料が必要となるためNG)、小規模の電力創出で地域をまかなえるため原発も要りません。自然エネルギーを利用した発電所などを新たに作らなくても、システムを変えるだけで今でも出来てしまうそうです(この時点で電気代は半分くらい安くなります)。
いずれフリーエネルギーのような新電力源が出来れば、完全に自給自足型のエネルギー社会に移行してしまいます(この段階では電気代は実質タダになります)。

日本は一時的に先進国としての役割から外れることになりますが、もう間もなく世界全体が破綻するわけですから、どうということはありません。
むしろ、一抜けした日本にとっては、古い日本から脱皮して新たな日本に再生する、良いスタートとなるでしょう。
そうなれば、ドルだろうが何だろうが、グローバルマネーの動きがどうなろうと、関係なくなります。
やがて世界中の人たちが、自分たちはなんて馬鹿なシステムに踊らされていたのだろうと気が付き、日本モデルを見習うようになるでしょう。

欧米(というより、闇の勢力)が、日本潰しで米経済のデフォルトを仕掛けてきているのならなおのこと、日本が突如として徳政令を発布し、国内向けに債務不履行を宣言し、円を無効にしてしまったら、彼らはさぞ驚愕することでしょう。
例えは悪いですが、まるで徳川慶喜がさっさと大政奉還してしまうかのようです。拍子抜けとはこのことです。

しかし、日本はもう誰がどう見ても、二度と立ち上がれないと思われた時に、“一厘の仕組み”が発動し、神国日本として甦るというのが神示に示されたシナリオです。
そしてその予言を、いかに小難にする形で成就させるのかは、私たち「臣民」の努力にかかっているのです。


(中矢伸一)


(以上)

ということです。
徳政令ですね・・・私も何度か書いていますが・・・

日本は一時的に先進国としての役割から外れることになりますが、もう間もなく世界全体が破綻するわけですから、どうということはありません。

こうなってしまうわけでしょうね・・・
これでいいのか・・・つまり、これ以上の小難はないのだろうか?ということですが・・・

ないのかもしれないですね・・・

しかし、日本は一時的に先進国としての役割から外れることになりますが、もう間もなく世界全体が破綻するわけですから、どうということはありません。
なるでしょうか?
一切外国と貿易をしない、というのなら、そうでしょうが・・・

なぜかというと、アメリカがドルを廃止したなら・・・それは、もっとひどくて・・・たとえばアメリカに売り掛けがある日本の会社は、どうなるのでしょうか?
ちゃらにされてしまうのでしょうか?
もしそうなると・・・自国内でも、外国でも、ちゃらですので、徳政令+外国へは支払う、よどひどいですよね?

それとも、外国へはきちんと支払うはするつもりなのでしょうか・・・民間企業ですね・・・それぞれの会社で自由?ということかもしれません。




しかし、
日月神示には、
「政治も経済も何もかも無くなるぞ。食べる物も一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ」(『水の巻』第12帖) とあります。


が正しい予言であるのなら・・・そして、それがどのような型であっても良いというのなら・・・徳政令で自らそうするのは良いことかもしれません。

森田健さんを呼んでいると分かりますが・・・時空は、型として決まった運命に対して、別のことを行っても、それで「それが起きた」と思ってくれるわけです。

しかも大小関係ない・・・大怪我でも、擦り傷でも同じなわけです・・・

見方を変えれば、自分で気づいて行動して、小難にするか・・・それとも神が行い大難になるか・・・

但しこれは、「それが起きる」と分かっていて初めてできることで・・・
その意味では、日月神示によって、「起きる」とされているわけです・・・


徳政令、良いのではないでしょうか?

いっそ、徳政令政党を作って次の選挙に出る・・・500人くらい候補を立てて出る・・・
そういう手段もありかもしれません。
正確には何人出るのが良いのかまでは、計算していませんが・・・

有意の方々は、どう思うでしょうか?



 

 

さて、森田健さんですが・・・
(引用)

「生きるの、かったるい」   
 ぶっちゃけて言えばこうです。
 「生きるの、かつたるい」
 だってそうでしょ、高校二年までは下位の問いは無いんです。
 これから人生を頑張って生きなければいけない。
 諦めたらそれで終わり(爆)
 とにかく自分の個性を伸ばせ! 
 
 かったるいと思いません?
 だから高校一年で、クラスメートからああいうことを書かれるのは当然です。
 そうでしょ?

------------------

自力で生きる? 他力で生きる?   
 中学三年の時、校長室に呼び出されたのがきっかけでした。
 「森田君、トップの高校受けるんだよね」
 「えーー」
 (笑)
  校長室を出たとき、思いました。
 − 生きるの、かったるい
 どよーんという効果音と共に・・。
 
 それで高校巡りを始めたのだと思います。
 だってさ、トップにいけば自力の人生が待っていそうじゃない。
  
 ところで中学では、異性関係で浮いた話はありませんでした。
 人生に生きる意味はない・・と考えるのと同時にこんな風にも考えていました。
 
− そのうち誰かと結婚するのかぁ
 
 この言葉の背景には「どうせ、ろくな女じゃないだろう」という意味もあります(爆)。 そうでなければ、「生きるの、かったるい」とは思いませんよ。
 
 そしたら高校1年の10月14日、「上の電車に乗って」なんて聞こえるじゃないですか。駈け上がれば、学校イチの美人が目の前に・・。
 
 自力でゲットしていたら「どうせ、ろくな女じゃないだろう」に当てはまる女性になってしまったかも知れません(爆)
 
 もしかして、他力で生きるためには、「人生に生きる意味はない」、「生きるの、かったるい」と思うことが条件なのではないですか?

-------

僕は今、
まったくわかりません。いわゆる「精神世界」の現状が・・です。
一時前までは 霊能力者さんがテレビに出たりして、リードしていたじゃないですか・・。それも最近聞かないし
願望実現とか、引き寄せとか、たまに聞くけど 昔ほどじゃないよね
震災で さすがにアセンションを言う人も減りました
シリウスとかプレアディスも あまり聞きません
宗教も 新しいのは台頭してこないし
誰か トレンドを教えて下さい


レスを見て
 
すみません、そうなると、精神世界にいた人は「何のために生きている」のでしょうか?

でもさ、プレアディスの人なんてすごかったよ 宇宙連合とかイッチャッテ(爆)
>宇宙連合とかイッチャッテ(爆) こういう人たちに言わせると、この地球は「ひどい星」らしい
アセンションの本を 読んじゃいました(汗)
震災のことがこう書かれています
 
「亡くなった方は、この機会を利用するために、わざわざこの時期を選んで生まれてきています。それにはふたつの意味合いがあります。ひとつは本人にとっての意味合い、もうひとつは家族や知人にとっての意味合いです。まず、家族にとっての意味合いとは、自分が亡くなることで、彼らが気づく機会を与えられるということ。次に、亡くなった方本人にとっての意味合いとは、他の人の役に立って死ぬこと、つまり犠牲になるということです。本人が亡くなることで、家族や知人に気づきの機会を提供したからです。その後は、各自それそれに応じた次の生へ進まれるでしょう。彼らの振動数はすでにかなり高いところにあるということを示しています」


こういう本を読むと 僕の振動数なんて、相当低いと思うよ。
>僕の振動数なんて、相当低いと思うよ。 だって「生きるの、かったるい」だもん

いやあ それにしてもアセンションは健在でした。
おそらく
アセンションを唱える人は、自分はみんな「そっち側」だと思っているよね(汗)
僕なんて、「こっち側」
つまり、「救われない側」
こういう人たちにとっては
アセンションが生き甲斐なんだよね
まあ
それは、それで、いいけど

(以上)

ということです。

かったるい・・・ですが・・・思い起こすと・・・私は例のS社関係の仕事の途中まで、これに近かったでしょうか・・・
なぜかといいますと・・・大学も普通の大学ですし、出世には興味がなかったですので・・・
それでも、音楽の仕事に尽きたいな、という夢だけは持っていましたが(笑)

そしてなぜか異常に忙しくなり、その時少し変わりました・・・

で、とはいえ、まだ、いくらかミュージシャン気質がありましたので・・・どこか、投げやりというか・・・まあ「かったるい」系でもありました。


これが・・・33歳くらいでしょうか・・・そのころ、一流企業に入った友人などが、そろそろ差をつけてくる頃なのですね・・・
早い人は家を買ったり・・・ものすごい仕事をしたり・・・

で・・・私は、少し劣等感を抱くようになりました・・・
そして、どうしてだめなんだろう?と思ったりしました。


昔から一番になったことはないな・・・とかですね・・・
いつも実力以下のところにいるな・・・とかですね・・・
まあ、子供ですので・・・そんなことを思ったりしてですね・・・

思うにそれが「もっとストイックにやらなくてはいけないのかな?」という問いに変わり、それがどんどん大きくなり、そして・・・ということだったのかもしれません・・・

「かったるい」が運を良くするのならですね。


自分の人生を見ますと・・・お金関係だけ言えば・・・「かったるい」時期のほうがよかったですね・・・
ただ、それは時代もありますので、どうでしょうか?

で、今ハンドルを握り締めているか?といえば、決してそうでもなく・・・
結構ハンドルを手放しているようにも思います。



かったるいの反対は何か?と思いますが・・・ひょっとすると、感謝、またはありがとう、かもしれませんね。
感謝はよいことですし、ありがとう、も素晴らしい言葉なのですが・・・

思うにですね・・・私は「ありがとう」偏屈状態になっているかもしれません・・・
ちょっと思い当たるところがあります。
私は何にしても、極端に動く傾向がありまして・・・
もういいとなったら、何にでも極端に言うのですね・・・これは、少し、何かいけない部分もあるかもしれません。

ちょうど良いのがいいのでしょう。
ちょっと検討してみます。

ギアがですね、ハイ、とローしかないのです。
少なくとも5段階くらいにしておいて、3か4くらにしておくのが良いかもしれません。

果たしてどうでしょうか?




アセンションですが・・・
私も最近の精神世界の状況には詳しくなく・・・といいますのも・・・基本的に船井幸雄さんと森田健さん周りの人の情報しか得ませんので・・・
その船井幸雄さんが最近は、精神世界をあまり取り上げませんで・・・というか、「これは」というのがないのかもしれません。

しいていえば、中矢伸一さんの日月神示くらいですが、これを精神世界と呼んでいいのか・・・


その意味では・・・今の精神世界の主流・・・日本ですが・・・日月神示かもしれません。
但し中矢さんは、自分のことを精神世界とは思っていないようです。
これは森田健さんも同じでして、当人はそうは思っていません。

しかし、まったくの素人からすれば、どちらも精神世界なのだと思います。

要するに、科学で割り切れないようなこと、高次元的なこと、または学校で教えないようなこと、あるいはテレビやマスコミで取り上げないようなこと、ということなのでしょうか・・・


大体、私の書いていることを見れば船井幸雄さんの状況は分かりまして・・・
相当に政治経済によっています。

私が政治経済を書くのはそういうことでしょうね・・・

もうひとつ・・・言霊でしょうか・・・七沢賢治さんとかですね・・・日月神示もある意味そういう面を持っています・・・
但し、それほどブームということでもないです。




アセンションですが・・・
宇宙連合軍的なことは、昔から書く人が多いですね・・・
私はよく分かりません。

ただ地底人はいるだろうな、と思っています。
神坂新太郎さんも、言っていますし・・・



「亡くなった方は、この機会を利用するために、わざわざこの時期を選んで生まれてきています。それにはふたつの意味合いがあります。ひとつは本人にとっての意味合い、もうひとつは家族や知人にとっての意味合いです。
まず、家族にとっての意味合いとは、自分が亡くなることで、彼らが気づく機会を与えられるということ。次に、亡くなった方本人にとっての意味合いとは、他の人の役に立って死ぬこと、つまり犠牲になるということです。本人が亡くなることで、家族や知人に気づきの機会を提供したからです。その後は、各自それそれに応じた次の生へ進まれるでしょう。
彼らの振動数はすでにかなり高いところにあるということを示しています」



ですが・・・いかにも精神世界的な書き方ですが・・・
どなたの文章か・・・霊能者の方でこういう感じのことを書く人はいます。

これは、仏教的というのでしょうか・・・「こうであれば、多くのやさしい心の人が納得できるだろう」という文章でもありますし・・・
つまり地域道徳教育者として立場です。
これが本当かどうか・・・私には不明です。
これを信じたい方は信じてもいいのだと思います。
信じなくとも、絶対に罰のようなことはありません。

神はそういうことをする存在ではない、ということだけは、はっきり言えると思います。


霊能者の方は・・・ご自身の守護霊さんなどが、「こう言うので」という場合が多いのですが・・・
その守護霊さんのメッセンジャーとして生きる、ということであれば、それもいいのだろうと思います。

私は霊能者さんには基本的に、関わらないのが良いと思います。

むしろ、仮に生き方諭でも生きている人間のいうこと、あの世の情報なら森田健さんのように、あの世のことを覚えている生きている人の言うこと、これが良いのだと思います。

霊能者さんがいけないということではないですが・・・
もちろん、普通の人に見えないものが見えるということはあるようですので、それは参考にしても良い、と思います。
オーラとかですね・・・氣の流れとか・・・

しかし、守護霊さんのおっしゃること・・・というのは・・・私は・・・最近ですが・・・どうなのだろうか・・・と思います。
しいて聞いていいのは、船井幸雄さんではないですが、トランスチャネラーの方・・・ケイシーさんのような方ですね・・・
これだけにした方がいいように思います。



私の感覚ですので、各人お好きにされると良いのだと思いますが・・・
また全て間違えている、ということではないです。
参考になるお話もあるだろうと思います。
ただ私は、それがいいように思う、ということです。

日月神示は・・・特別でして・・・自動書記ですので、ある意味、トランスチャネラー的ですが・・・人間の意志が入らない、ということですね・・・そして、書いてあることが当たっていますので・・・何か大きな意味があるように思いますし・・・一番押している中矢さん自身が、鵜呑みしないで自分で考えなさい、のようなことを言っているのも好感が持てます。




で、仮にトランスチャネラーで、私に、この神なり霊は信じてよいのかサニワしなさい、と言われたら・・・どうするでしょうね・・・
難しいですね・・・

聞いてみたいことはあります・・・先だって森田健さんの書いていた、あの世の記憶のある人の話・・・
あの世はキキララのような世界でした・・・これは本当でしょうか?
ですが・・・
本当のような氣がするのです。

鮮やかで、はっきりしていて、現実感が大きい・・・

ちょっとそう思いましたので書いてみました。




忘れないうちに・・・
先だって山下達郎さんがラジオに出ていましたが・・・

幸せとは?と聞かれまして・・・・
こんな感じで回答していました・・・


夢はほとんどかなわない、こういうと消極的だという人もいるかと思いますが、自分はそう思う。
ただ、やるだけやって後悔しなかったその状態が、しあわせ、なのではないか?

今生きていい手、一年後、後悔しない自分がいるように心がけている、
一年後が若い人にとって遠すぎるなら・・・
自分はコンサートの解き、明日のこの時間、自分が今を振り返って後悔しないように、ということを考える・・・

というような感じですね。

私は、この話は非常に生き方論ですが、支持します。
これを1時間後とか5時間後とかに応用してもいいのだと思います・・・

いかがでしょうか?


またこうも思いました・・・
よく船井幸雄さんが、「確信ももてないことはしない方がいい」と書きますが・・・これは経営者または、相当に予言力のある人?自分のことが分かっている人、強い人、の場合だけだな・・・

自分は少し違うな・・・と・・・


私の場合、だめだな、と思ったことのうち、やってみると、だめだと思っていたことの半分以上はできますね・・・(笑)
ですので、確信を持てることだけやっていると・・・ほとんど何もしない、になってしまいます。
あるいは、よほど簡単なことだけ、ですね。

ですので、むしろ、私のような種類の人間の場合は、山下達郎さんの方が、向いているかもしれません。

ですので、やりたい、と思ったら、確信など考えずに、やればいい、です。
そして、恐れず、歩み続ける・・・ですね・・・

これが大きな会社の経営者になって、しかも自分で自分のやることが100%近く・・・できるできないが的中するようになったら、「確信の持てないことはしない」を行ってもいいのだと思います。

いかがでしょうか?


また・・・生きがいですね・・・森田健さんは、これを否定しますが・・・
きっと森田健さんのような種類の方、あるいは域?でしょうか・・・は、生きがいなど持たない方がいいようですが・・・
私は持った方がいい種類の人間のようです。
どうも、私のような種類の人間は、人生は生きる価値がない、とまで思ってしまいますと、脱力して、元気がなくなるようですので・・・
いくらか持った方が良いようですね・・・


ただ・・・ちょっと、「かったるい」の感覚も思い出してみたいと思います。

こういうことがありますが・・・・・私は、どの会社にいても、仕事は一番速いと思います、相当速いと思います・・・普通以上にできもいいと思います。

といいますのは、私の場合、昔から早く家に帰ってやりたいことがたくさんありますので・・・いかに早く帰るか?
残業代は、そんなにいらないので、いかに早く帰るか?ということを考えていましたので・・・そうなったのだと思います。

船井幸雄さんは、夜中の2時まで会社にいなくてはいけない、と言いますが・・・
私がそれをやったら、おそらく仕事の質が落ちたかもしれません・・・
早く終われば早く帰って良いから、良かったのだと思います。

これが、かったるい、と、どれほど関係があるか分かりませんが・・・
果たしてどうでしょうか?

そして、ありがとうを生真面目なほど言わない、顔つきが変わってしまうほど言わない・・・これも検討してみます。


また、こんなことも思いました・・・
結構普通の人では信じてもらえないようなことをたくさんいろいろなところで書きますが・・・
私の感覚ではですね・・・
人はひとつやふたつくらい、不思議なことでも確信を持って信じていることがあるケースが多いです。
そのひとつと、私のように不思議なことをたくさん書いていることのひとつがうまくあった時、そのほかの不思議なことも、信じてもらいやすくなる、ということはあるようですし、私自身そうだった、と感じています。

ですので、たくさん発表すると良いですね・・・
いかがでしょうか?

有意の方々とスープを少ししか飲まなかった方々と、興味のある方々は、どう思うでしょうか?


8月16日


少しだけ・・・森田健さんですが・・・
(引用)

 夢や希望  
 なぜ希望を持たなければいけないのですか?
 
 なぜ夢を見なければいけないのですか?
 
 夢や希望がなければ、現状に満足できるではないですか!
 それとも現状に満足してはいけないのでしょうか?
 
 なぜ自分の実力を伸ばさないといけないのですか?
 
 なぜ新しい自分にならなければいけないのですか?
 
 いまのまんまじゃ、いけませんか?

----------------------------
(以上)

ですが・・・
今のまんまでいいのですね・・・
これは、よく分かります。

ただ、なぜ希望を持たなくてはいけないか?夢を見ないといけないか?ですが・・・
これもいけなくはないのですね・・・

ただ、こと私を見ると・・・希望なり、ある程度の目標がないと、異常なまでに無気力人間になるようです・・・
そして、顔色も良くない・・・元気もない・・・

しかし、森田健さんは元気・・・・

何が違うのでしょうか?

つまり、言い直せば・・・今のまんまでいい、はいいのです・・・私はそちらのほうが元気です。
ただ何か目標がないと・・・元気が出ないのです。
ゆえに目標・・・目標でなくとも、なんでもいいのですけれどもね・・・

ただ・・・別にアセンションが目標ということでもなく・・・


いや・・・少し違いますね・・・
むしろ、今の私は目標がないかもしれません・・・
もちろんありますよ・・・ミッシェルポルナレフさんのように60歳には、結婚して、子供を作ろうとかですね(笑)・・・



ただ、持ってはいけないか?となると・・・森田健さんはいけない、と言っているようです。

実力を伸ばしてはいけないのか?となれば、きっといいのでしょう。
伸ばさなくてはいけない、ということはないでしょうが。

新しい自分になれるなら勝手になればいいとは思いますし、いけないとも思いませんが・・・ならなくてはいけない、ということもないでしょう・・・

そう考えると、「してもいいけど、しなくてはいけないと思ってはいけない」のようなことになるのでしょうか?

しなくてはいけない理由があるとすれば・・・多くの人の場合、夢などを持つと、カンフル剤的に、元気が沸いてくるという効果があるから・・・となるのではないでしょうか?

ただ、そこには普通の人ではなかなか気が付かない副作用があるようで・・・実際私も完全には気づいていませんで・・・
どうも、言ってみれば鳥の声が聞こえにくい状態になるようです。

ただ夢・・・私も含めてそうですが・・・森田健さんは、そういった普通の人が持つような夢以上の「良いもの」を夢を持たないことによって得た、実感した、あるいは実感できる能力のようなものがあるのはないでしょうか・・・

普通はないですね・・・


言ってみれば・・・私は今は肉を食べませんが・・・肉ばかり食べていたころ・・・
肉は塩コショウだけが一番おいしい・・・
なんでソースやたれをつけるんだ?
と思っていましたが・・・
それに似ているでしょうか?どうでしょうか?

たとえばポール・マッカートニーが今だにLet it beの正規版のフィル・スペクターさんのオーケストラ・アレンジに文句を言っているようで・・・「ビートルズにストリングスオーケストラなんかいらないんだ」ということでして・・・
私は、絶対的に、あのオーケストラバージョンが大好きなのですが・・・
ただ、これは単なる好き嫌いかもしれませんが・・・

それでも少なくとも、オーケストラの付いていない最近出たものに、ポールは、私が感じない魅力を感じているのでしょう・・・
何にしても、別にオーケストラをつけなくてはいけない、ということはありません。


しかしながら森田健さんが言っているのは・・・少なくと森田健さんには、目標などを持たないほうが得られるもの、もつと失われるものが、はっきりと感じられているのだと思います。
それが、理論でなく、体感で感じられないと・・・なんともカンフル剤から抜け出すことはむつかしいのかもしれません。

あるいは・・・それも含めて能力なのかもしれません。
果たしてどうでしょうか?




(引用)

 サハラ砂漠に行ったことがあります。オアシスには100件くらいの家しかありません。
学校には 屋根すら、ありませんでした。木陰で授業が行われていました。
下の写真の青空教室って 素晴らしくないですか? 
150万円あれば 確かに「立派」なのが出来るかも知れません。
上智の電気科の第一期生と話すチャンスがありました。
教室を作るのが間に合わなくて、一学期はずっと学生食堂の一角でやったそうです。
文系の学生がソバを食べながら、面白そうに聴講していたそうです(笑)。
それを一期生は自慢げに話し、我々もうらやましそうに聞きました(笑)。

下の青空教室だって
親が時々通りかかると思います。
北アフリカのオアシスには 電気はないので、テレビもラジオもありません。自分たちの国の大統領が誰かも知らないかも知れません。
そこに 150万円で学校を作るべきでしょうか?
オアシスの人たちには たぶん、目標はないと思います。
我々が失ったものが オアシスにはありました。ひとことで言えば「目標のない生活」です。
そこに小学校を作ることは それをぶち壊すと思います。
僕は北アフリカから帰国したとき
当時付き合っていたカノジョ(翔子)が迎えに来ました。彼女は言いました。
「何も変化がなかったみたいね」
 
(爆)

僕は やられたんです。努力無しの世界を見てしまったのです。
甲太くんはカンボジアで 生き生きとしたものを感じたようです。
しかし僕は違いました。 だから日本に帰っても、ちっとも「キラキラ」ではないのです。
これは単に 行った国が違うからでしょうか?
------------
甲太くんが日本に帰ってきて感動したのは やはり、日本の方が「上」なのだと思いました。
考えてみれば そうでなければおかしいです。カンボジアに小学校を建てるのですから。
けれど 「彼らは彼らの生活がある」だっていいはずです。
かれについて もうひとつ、気になることがあります。それは、いつも「中年以降」を心配していることです。
>「中年以降」を心配していることです。 あの時が良かったとは思いたくないって
なんで そんなことまで考えるのか?
今は今 そのときはそのときでいいじやないか
----------------

昨夜は文句をつけましたが 甲太君の書く内容は好きです。
だから本を買ったのです。

って 普通、ボランティアと言えば、もっと自分を肯定しそうです。女の子から「甲太君はすごいわ」と電話がかかってくれば、オナニーの最中であれ、気分は良いはずです。
なのに彼は
自己嫌悪のような状態になりました。
自分はマザーテレサにはなれない・・と。

上智の電気科のクラス会のとき 儲けたお金を上智に寄付をした・・と自慢したヤツがいました。それなりの金額を寄付すると、墓標に名前が刻まれます(笑)。
しかし批判したクラスメートがいました 「なんで大学なんかに寄付するんだ? 大学になんか寄付しても意味ないだろ?」
>「なんで大学なんかに寄付するんだ? 大学になんか寄付しても意味ないだろ?」 よく言ったと思います。普通なら寄付は「愛校精神」で解釈されるものです
けれど 上智大に来れるような裕福な奴らのために何で寄付しないといけないのでしょうか?
寄付は 自己満足なのだと思います。
甲太くんは それが自分で分かっていた。
それが 私は、良いと思ったのです。
(以上)


努力なしの世界を見た・・・という感覚は少しだけ分かりまして・・・
カイルアにいたとき・・何度か書いていますが・・・屋上で工事をしていたのですが・・・メキシコの人がいましては・・・工事やさんにですね・・・
で、何かの拍子で話をしたのですが、彼が言うには、「俺はもう30歳をとうにすぎているが、この間高校を卒業したんだ」ということでして・・・
これがですね・・・努力話でも苦労話でもなく・・・「ああ、そういうペースでも生きていられるんだな、この人は・・・」と思いまして・・・

しかいながら、この人が日本に来たら、逆に大変だな、とも思います。
なかなかいませんよね・・・30歳で働きながら高校卒業の資格を取る、という人は・・・
世間が許しません・・・

そう・・・これ・・・世間が許さない、というのが、結構大きいですね・・・夢を持つとか目標を持つとかの問題は。
それがいわゆる資本主義なのではないでしょうか?
あるいは民主主義かもしれません。

何せ今の民主主義は、シークレット・ガバメントによって作られた、見世物自由主義でして・・・
何度も出しているシオンの議定書にあるように、
「世間には、自由、平等、博愛という嘘の情報をばらまいてある。もともと自然界には平等などないのだ。みな違っていてそれが普通なのだ。
それを騙して、平等が一番正しい、ということを言って聞かせたので、みんなでもって、成り上がろうというような競争を始める。
これで世間は優しい心を失っためちゃくちゃな状態になる・・・」
というような内容だったかと思いますが・・・
このせいかもしれませんね・・・仮説ですが。

ただ・・・その意味で、なおかつ、この私ですら、夢、希望があると元気になる、ということは・・・
やはり嫉妬のDNAと関係がある可能性もあります。

それが森田健さんは、ずば抜けて少ない・・・
そうすると・・・夢、希望に対しての感覚が地違ってくるかと思います。
更に、そうなると、夢も希望ももたないでいられるその状態で見えれてくるもの・・・我々には見えないもの・・・が森田健さんには見える・・・
しかし、その嫉妬の感覚のセンサーが一般の人と森田健さんでは、ぜんぜん違うのでお互い、分からない・・・

仮説ですが・・・

果たしてどうでしょうか?


私が唯一森田健さんのこの部分で、よく分かるのは・「今のままでいい」という感覚でして・・・
これは、おそらくですね・・・私が、今のままの能力である程度満足しているから、納得できるのだと思います。

ですので、言ってみれば、他の人の能力に対して嫉妬が異常にない状態ですね・・・
もちろん、もっと上の人はもっとたくさんいますが・・・とりあえず、満足なのです(笑)。

もちろん、もっと伸ばしてもいい、とも思っていますが・・・しなくてはならない、とは思っていません。

どうでしょうか?
嫉妬心・・・関係ありそうですが・・・

いずれにしても・・・嘘の民主主義と、点数主義と、自己啓発本とマスコミ情報・・・これもまた、夢、希望病に拍車をかけているとも言えるでしょう。
つまり、もともと嫉妬心がある所に、更に勢い付けをしているlということですね・・・

今日はここまでです。

有意の方々とスープを少ししか飲まなかった方々とき興味のある方々は、どう思うでしょうか?


8月17日

森田健さんですが・・・
(引用)

アセンション派の人たちに限らず 人類が否定したいことがあると思います。それは「運命は決まっている」と「あの世での評価がない」。
>人類が否定したいことがあると思います。それは「運命は決まっている」と「あの世での評価がない」。 このふたつはペアなのです。運命が決まっていれば人間の自由がなくなるからです。何のために生きているか分からなくなります。
そして自由だとしても
人は見えない存在に評価されたい・・という願望があるような気がします。
だって言うじゃないですか。
「神様はきっと見ていてくださる」

昨夜は映画「告白」を見ましたが
悪魔のような生徒に対して先生が復讐します。
最後は先生の高笑いで終わりますが、それだって運命が決まっていれば、バカみたいです。

あの世での評価を別の言葉で言えば カルマです。
人は カルマを望んでいるのです。
人類は ずっと騙されてきていました。というか、騙されたかったのです。
騙されないと 安定できないからです
>「あの世での評価がない」 この問題は、今、水面下で動きが生じています。
あの世のことについて これから一年間は、つきっきりになりそうです。
しかし 運命の問題も、なんとかしたいです。
あの世は事例を集めれば良いのですが 運命の問題は、そうはいきません。
しかし・・ですよ
運命の問題も、運命自身がハンドルを切るのです(笑)
自力と他力の問題は 自分自身の問題でもあります

------------------
(以上)

でして・・・
人類が否定したいのか、どうかは、別として・・・この世の不条理に対して、がまんしなくてはならない理由付けとして、あの世で評価があるから、と・・・人類はしているのは事実だと思います。

もちろん、この世でも、ある意味・・・評価があるわけですが・・・中には不条理ともとれる・・・がまんしなくてはならないケースもありまして・・・それへの理由付け・・・という意味が大きいと思います。

筋の通らないことにがまんする、ということですね。

昨日ラジオで、伝説のヤンキーと呼ばれている、私同い年くらいの人が出ていましたが・・・
「ヤンキーはストレートだから・・・」というような話をしていまして・・・
結局、ストレートだと、社会規範?というか、不条理をがまんしませんので、悪者と扱われるわけですね・・・

そして、当人たちも、ストレートに生きるのが悪者なんだ、と逆に思い、ああいうワル?のようなかっこうをひたすらしたり、そういう人たちと交わるようになるのかもしれません。

私も昔はスレトーとでしたが、当然ワルではないのです・・・
というか・・・趣味が違う、というか・・・


でも・・・よくよく見れば、ああ、趣味が似ているな、という部分もありまして・・・
ロカビリーとかですね、ああいうのが好きだったり・・・
任侠映画とかですね・・・

これらの特徴は、単純である、ということでして・・・その意味では、ストレートというのは単純である、という特徴があるのかもしれません。

でも実際の世の中は結構複雑でして・・・
それに乗りにくい人がいるわけです・・・

私は幸か不幸か・・・少しだけ複雑なことも考えることができるのですが・・・こと人間関係においては、複雑なのは、異常なまでに苦手です。

自分で複雑にしている節もありますが・・・もう、本当は年功序列なら年功序列、背の高さなら背の高さ、学歴の高さなら学歴の高さ・・・どれかひとつで、すべてが網羅されていれば一番単純で、私は生きやすいです。

つまり、背の高さ順に、外見も中身も優秀さ?が序列化されているとかですね・・・
面倒くさいのは・・・もう最近の世の中で・・・若い癖になぜか会社の位が上だったり・・・

高学歴なのに、何も知らなかったり・・・

で・・・もう嫌になって、ストレートにすると・・・「君は礼儀を知らない」とかですね・・・始まりまして・・・
本当に・・・もう・・・と感じることもあります。

とはいえ、実際私が礼儀を軽んじているわけでもありませんし・・・


今日こんな記事がありましたが・・・

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0817&f=entertainment_0817_011.shtml
(引用)

高岡蒼甫がブログで謝罪したウラで… 芸能界の大物社長に土下座

  自身のツイッターで韓流に傾倒するフジテレビを批判し所属事務所をクビになった俳優の高岡蒼甫。事務所をクビになってもツイッターやブログで持論を展開していたものの、今月10日に一連の騒動についてブログで「社会人として、発言に対する配慮にかけていたことを深く反省し、お詫び申し上げます」と突如謝罪したが、その理由について今週発売の「週刊文春」(文藝春秋)が報じている。

  高岡は米・NY滞在中の7月23日にツイッターでフジテレビを批判し、28日に事務所をクビになり、今月5日に帰国したが、同誌によると、断れない芸能界の大物社長に呼び戻されたために当初の帰国予定を1週間早めて今月5日に帰国。

  都内の飲食店に呼び出された高岡は大物社長の部下や、妻で女優の宮崎あおいの事務所関係者も集まった中、その大物社長からそれまでのブログやツイートを消すことを要求されたものの突っぱね、妥協案としてブログに謝罪文を掲載することを渋々承諾したが、大物社長から「今後どうなってもいいのか」、「謝りかたというものを知らないのか?」などと一喝され、最後には高岡が土下座をしながら「申し訳ありません」と謝罪したという。

  「その大物社長は迷惑を被った複数の関係者から事態を収めるように頼まれ、自ら出向いて高岡を諭した。それで事が収まったかと思いきや、高岡はブログで謝罪した後も持論を展開し続けているので、このままだと済まされないだろう。宮崎はまったく離婚する気がないようだが、宮崎の所属事務所は今後への悪影響を考え、根強く離婚するように説得していて、さすがに宮崎も暴走気味の夫にあきれかえり離婚に向けて少しずつ傾いているようだ」(芸能プロ関係者)

  どうやら、高岡は芸能界の“圧力”に屈しないようだが、このままだと妻も仕事も失いそうだ。(情報提供:リアルライブ)

(以上)

これなど・・・もっとも嫌いなきじのひとつですが・・・
複雑といえば複雑、単純と言えばそうですが・・・

要するに、この高岡さんと言う人は、自分が感じる正しいことを主張したいわけです・・・
で、した・・・
そうしたら会社を辞めることになった・・・
当人はそれでよかったのだと思います。

それで、晴れて続けましたら・・・
今度は、フジテレビが依頼したのだろうと想像しますが・・・強面の芸能会社の社長を使って、当人に土下座をさせた・・・
というか・・・もう当人は自分の事務所を辞めたんだから・・・・・・いいじゃない、と思いますが・・・フジテレビはそれがまだ許せないのでしょうね・・・
広告代理店なのか・・・
まあ、似たようなものです。
彼らは、グルですので。

そして、奥さんが・・・芸能人・・・あの人ですね・・・そういう絡みもあるのと思いますが・・きっとそのせいで、頭も下げた・・・

そして、なおかつ、この記事を書いた会社が・・・こうい記事を書いて「大勢に逆らうと仕事なくなるからな。思い知ったか?」と宣伝をする・・・

ああ、複雑ですね・・・でも単純ですね・・・
既得権益をあくどい手段で成し遂げた人たちが、それを守りたいので・・・正統な方法がないので、お金、暴力でそれを守ろうとしている・・・
そして、彼もしがらみがあるので・・・土下座までしている・・・
それを、フジに頼まれたのか・・・読売新聞に頼まれたのか・・・産経新聞に頼まれたのか・・・広告代理店に頼まれたのか・・・
みんなで決めたのか・・・不明ですが・・・
それを記事にまでして・・・

この高岡さんの場合・・・奥さんが芸能人でなく、しかも自分も体制から離れた仕事をしていくつもりだったら、土下座なんかしなくていいのですね・・・

ようするに板ばさみ・・・

こんな社会ですので・・・土下座した彼のような立場ですと・・・それこそ・・・
「あいつら、絶対にあの世で捌きがまっているに違いない」
{こうやって嫌な頭まで下げたんだから、きっと神様は見ていてくれるに違いない」
と思わなくては、普通は生きていられません。
たとえそれが嘘だったとしても・・・信じなくては生きられません・・・

ですので・・・騙されていたというよりは・・・現在のシステムがある限りは、そう思いましょう、と全員の同意で決めた、と言ってもいいのだと思います。



で・・・しかしながら、ここで運命は決まっているか、そうでないか?という問題が出てきまして・・・
決まっているとすれば・・・またぜんぜん違うのです。

つまり・・・不条理がない、というか・・・あるとすれば、運命であり・・・
としたなら・・・裁きもないはずなのです・・・決まっているわけで、なぜに当人が悪いものか・・・ということです。

で・・・今、この地球が悪いのは、シークレット・ガバメントによる貨幣経済が一番の原因である、とされていますが・・・
しかしながら、同じように、現在のシステムを維持しているのは、あの世に裁きがあるから、この世ではがまんしよう、というその発想でもあるわけです。

ということはですね・・・貨幣システムが崩れなくとも、運命が決まっているということが、全世界に分かることによっても現在のシステムを崩すことが可能である、とも言えるわけです。


ただ運命が決まっているにしても、決まっていないにしても・・・要するに、やりたいようにやるしかないのだと思います。
あるいは、そうせざるを得ないことをするしかないのだと思います。
問いを除けば。・・・

それが運命でそうなのかもしれませんし、相手が考えた上で行動して、それの集大成かもしれませんし・・・







最後は先生の高笑いで終わりますが、それだって運命が決まっていれば、バカみたいです。

ですが・・・今面白いことがありまして・・・
私の昔の写真が見たい、という方がいまして・・・FACEBOOKですが、私は恥ずかしいので、10分で消すという約束で出しました。
そうしたら、そのままにしておいて、と頼まれまして・・・結局、そのままにすることになりました・・・


これもですね・・・運命が決まっていたと思いませんか?

念というのなら、私が強引に振り切れば、消すことができます。
でも、どうしても・・・と言われてそんなことするのも変ですね・・・

結果とは念でしょうか?思いでしょうか?
相手の思いが通じた、と解釈もできるかもしれませんが・・・私も思いが通じなかったとも言えます。
しかし、どうしても、と頼まれて、それを念で押すことは、精神世界的にも、何的にも変ですし・・・別にこのサイトで出している写真ですので、そこまでどうしても、でもありません。
相手にしても、私が死ぬほど嫌なら、どうしても、というほどではありません。

もし念が変える、というのなら、強引でエゴが強い方の思いがかなうということになってしまいます。
必ずしもそうではありません。

相手の気持ちをこちらが察して・・・というのが、今回ですので・・・それは、相手の想念によって私がねじ伏せられたのではなく、同意したわけです。

もちろん、そこには、そこまで喜んでくれるなら、・・・などいろいろな要素があるわけですが・・・




で、下線の部分ですが・・・
最後は先生の高笑いで終わりますが、それだって運命が決まっていれば、バカみたいです。
森田健さんはどう思うでしょうね・・・先生が高笑いをしたことまで、運命で決まっていたのか・・・
こういう行動をすることまでは、決まっていたとして、高笑いは入るのか・・・

入っているとすれば・・・それはもう、馬鹿ではないと思います。
完全に自動化ロボットです。

しかし、行動までが運命で、それ対しての感情は運命でない、とするのなら、先生は馬鹿と言われてもしかたがありません。


思うに・・・感情の部分は運命で決まっていないかもしれないですね・・・
そうすると、五日市剛さんの「悪いことがあったら、ありがとう、そうすると奇跡のようなことが起きる」というのは・・・森田健さんも時空はごまかされる、で考えると、意味深いものがありまして・・・

嬉しく、感謝してしまうことにより、時空が誤作動、あるいは決まった方程式によって、違う動きをしてしまうのかもしれません。






(引用)

生かされている?   
 よく精神世界では「生かされている」という単語が使われます。
 
 それと、「夢や希望が無い」、「他力」とは、どう違うのでしょうか?
 
 生かす主人公は神様であり、私たちはその恩恵を受けている。
 けれど「他力」とは何かが違うと思いませんか?
(以上)

(以上)

ですが・・確かに違いますね・・・
他力との違いですが・・・
修行させられている、という概念でしょうか?

しかし・・・本当に全員修行しているでしょうか?
上の記事の強面の社長やフジテレビ、広告会社、東電などは、悪の道を修行しにこの世に生まれたのでしょうか?

彼らは時流を読めば、近いウチ没落しますが、彼らの一代前くらいまでは、こういう感じで運命を終えています。

何の修行にもなりません。
仮にあの世であたらな修行がまっていたとするのなら、そこで整合性が取れますが・・・その考えで終わらせていいというのならそれまでですが・・・どうなのでしょうか?

とはいえ、別に彼らのようなことをしたい、とは思いませんが。


生かされているからには、何か意味があろう、ということに関しては異論はありませんが、修行のためではないのではないでしょうか?
これが創造主が何らかのデータを取るため、あるいは、もっと他の理由であるのかもしれません。

ただ道徳的に仮説を作れば、そうならざるを得ないのかもしれません。


思い当たることがあるとすれば・・・副島隆彦さんの「閻魔さまは、道教の道着を着ている」でして・・・
日本は神道の後に仏教が入ってきたわけですが・・・
ひょっとしたら、太古からずっと、あの世で裁きがある、という理論はなかったかもしれません。

それは、どんどんエゴの世の中になり、一定の水準を超えた時点で、何らかの仮説がないと普通の人では生きていけなくなり、道徳担当的役割のあった仏教が、その時点で仮説を作った、
しかし、仏教にもあの世でさばきがある、という理論はなかった・・・あるいは神道でそういう理論がなく、みなそういうか考えを持っていなかった、そこで、仏教が道教的?な、閻魔さんまという存在を作り、裁きがあるとした・・・それが現在まで引き継がれている・・・
どうでしょうか?

ウイキhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%BB%E9%AD%94 では、
(引用)

日本

日本仏教においては地蔵菩薩と同一の存在と解され、これは地蔵菩薩の化身ともされている。後に閻魔の本地とされる地蔵菩薩が奈良時代には『地蔵十輪経』によって伝来していた。しかし、現世利益優先の当時の世相のもとでは普及しなかった。

平安時代になって末法思想が蔓延するにしたがい源信らによって平安初期には貴族、平安後期には一般民衆と広く布教されるようになり、鎌倉初期には預修十王生七経から更なる偽経の『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略して『地蔵十王経』)が生み出された。 これにより閻魔の本地が地蔵菩薩であるといわれ(ここから、一部で言われている閻魔と地蔵とを同一の尊格と考える説が派生した)、閻魔王のみならず十王信仰も普及するようになった。本地である地蔵菩薩は地獄と浄土を往来出来るとされる。

なお前述の通り、十二天の焔摩天は同じルーツを持つ神ともいわれる。中国では閻魔天が閻魔大王に習合されていたが、日本に伝わった時にそれぞれ別個に伝わったため同一存在が二つに分かれたとも考えられている。

日本では、嘘をついた子供を叱る際「閻魔様にを抜いて貰う」という俗信による民間伝承がある。

(以上)

でして・・・
これが事実なら、日本では、そう大昔からではないようです。
と言っても平安ですが・・・

末法思想と同時ですので・・・そういう世で、生きていかなくてはならなかった・・・そこで仮説が必要になった・・・ということはありえるかもしれません。
仮説ですが。


同じくウイキですが、
(引用)

中国

中国に伝わると、道教における冥界・泰山地獄の主である泰山府君と共に、冥界の王であるとされ、閻魔王、あるいは閻羅王として地獄の主とされるようになった。

やがて、晩代に撰述された偽経である『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略して『預修十王生七経』)により十王信仰と結び付けられ、地獄の裁判官の一人であり、その中心的存在として、泰山王とともに、「人が死ぬと裁く」という役割を担い、信仰の対象となった。現在よく知られる唐の官人風の衣(道服)を纏った姿は、ここで成立した。

また、中国的な発想では、冥界の主宰者である閻魔王や、十王であっても、常住の存在とは考えられていない。それらの尊格も、生者が選ばれて任命され、任期が過ぎれば、新たな閻魔と交替するのが当然と考えられていた。よって、唐代や代に流布した説話にも、冥界に召喚されて、閻魔となった人間の話が見られる。


(以上)

でして・・・
おそらくですね・・・私の知っている限り、道教を一番知っているのは森田健さんです。
後の方は理論を知っているだけで、仙人修行をして、何かをもらったりした人はいないはずです。

その森田健さんの道教に関しての話を聞いた上で、上記を読むと非常に違和感があります。
何らかの道教をよく知らない人の文献を勉強した上で・・・ということなのかもしれません。

地獄とかそういった概念が感じられないのが道教だと思います。
ですので・・・
どうでしょうか・・・
これが今の閻魔さまの元で、そして、それがあの世で裁く、につながったとしたとしたら・・・その考えは間違えているように感じます。



同じく
(引用)
インド

本来はインドイラン共通時代にまで遡る古い神格で、アヴェスターの聖王イマと同起源である。

リグ・ヴェーダ』では人間の祖ともされ、ヤマとその妹ヤミーとの間に最初の人類が生まれ、人間で最初の死者となったゆえに死者の国の王となった。虚空のはるか奥に住むという。インドでは、古くは生前によい行いをした人は天界にあるヤマの国に行くとされた。

彼は時として“死”と同一視される向きもあったが、死者の楽園の王、死んで天界にある祖先を支配する神と考えられていた。 しかし後に黄色い衣を着て頭に冠を被り、手に捕縄を持ち、それによって死者の霊魂を縛り、自らの住処・国に連行されると考えられた。またさらに下界を支配して死者を裁き、地獄に落とす恐るべき神と考えられる様になり、ついには単なる死神としても描かれる様になった。

骸骨の姿をした死の病魔「トゥルダク」を従える。現在のインドでは、青い肌で水牛に乗った姿で描かれる(本来は黒い肌だが美術上の様式として青く描かれる)。

のちに仏教に混入されて地獄の主と位置づけられるようになった、と一般的には考えられている。

ただし一説には、本来はヴェーダのYamaという同一尊から二途に分かれていった、とも考えられている。その二途とは

  • 1つに、下界の暗黒世界、すなわち地獄界の王となった。つまり本項の閻魔。
  • 2つに、上界の光明世界、すなわち六欲天の第3天である夜摩天、あるいは焔摩天

しかし、閻魔はYama(ヤマ)であるが、夜摩・焔摩はYaamaあるいはYaamaa(ヤーマ、ヤーマー)なので、本来は関係ないが混同されたと考える向きもある。

(以上)

でして・・・

これも、始めは、今日本で考えられている閻魔さまとは違っていたようです。



いずれも、途中からでして・・・

やはり時代を経るに従って、生きる意味に対する仮説が必要となり、そして形作られて行った・・・あの世で裁きがある、という概念と共に、ですね・・・

そう考えてもおかしくはないように感じます。


 

本地垂迹説』が、仏教と神道を融和させた神仏混淆の理論として,日本人の宗教観を形成しました、とサイトにあるのですが・・・
本地垂迹説は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9 によれば、
どうも仏教伝来から鎌倉時代に形作られたようです。

古神道に真実に近いものがある、と思っている私としては・・・ここら辺に何かを感じます。

 

http://feblog.rmnv.mods.jp/?eid=80852 ですが・・・

特に著名人ではない方ですが・・・
(引用)

死生観にまつわる一考察
元仏教徒、現在は神道なのが私ささであります。
とりあえず靖国の是非論については知識が不足しているので特にコメントはしません。神社って何? という素朴な件のみ。
仏教の僧侶・神道の神主。どちらとも面識があってお話を伺う機会がありました。以下の記述はその時の記憶に基づく私なりの解釈を主とした文章です。ご参考の一端となれば幸いです。

うちでもいわゆる「お盆」に神主さんがやってきて、鎮魂の祈りを捧げています。本来のお盆は「盂蘭盆会」の略で、仏教の概念です。神道にはお盆にお参りという感覚は無い、というか神道と仏教を厳密に分ける時、異教の儀礼である盂蘭盆会を持ちこむべきではないのですが、なぜか氏子(神道の家)でも普通だったりしますね。(寄付を募るいい機会だから便乗しているのかも……あわわわ。暴言でした・汗)

そもそも神道には、仏教やキリスト教における極楽ないしは天国・地獄の考えもありません。
魂の浄化とか、仏教でいうところの悟りの境地に達する、極楽浄土へ往生する(キリスト教なら天国、神様の御許へゆく)、悪人は地獄に落ちて裁きをうける等々。
こういった意識はなく、人の死は「穢れ(けがれ)」です。
辛うじて死者の行き先を「黄泉の国」と呼んで存在すると定義するので、生者と死者を区別する感覚はありますが、死後どうなるという具体的な教えは無いのです。

対象例として、仏教のうち禅宗の一派・曹洞宗の死生観を挙げてみます。
なぜ曹洞宗かというと、実家が宗徒なので多数ある仏教宗派の中でもこれしか知らないからなんですが。
曹洞宗は人の死を人界における修行の終わりと考えます。
神という概念は無く、人より上位に存在するものとして御仏(みほとけ)が在(ま)します。
人は皆、人生を仏になる為に生き、死後その結果に直面する。
悟りを開いた者は涅槃に到達して仏となり、開けなかった者は修行のやり直しです。
輪廻転生で再び人の世に生を享け、悟りを開く努力をする。こういう考え方です。

喩えとして適切かどうか、自信はないですが、涅槃到達を大学受験と考えてみてください。死とは合否発表であり、めでたく合格となれば人の世界とは別にある涅槃へGO! 残念ながら不合格であればまた来年がんばれ、という感じですか。
もっとも、人の世界における倫理(この場合の倫理とは仏教の教えですが)を踏み外した者は、受験資格を失います。カンニング等の不正発覚、5年間受験資格停止処分、といったところ。背負った罪を雪いで来い、というわけで、その罪状に応じた浄化の場へご案内と相成ります。
輪廻転生の中の六道、つまり地獄(正確には地獄道といいます)や畜生道と呼ばれる場所ですね。
大学受験と違うのは、2回ほど受けたけど志望校はだめそうだから違う学校を選ぼう、という選択権が無い事でしょうか。
望む望まずに関わらず、涅槃到達できない人は永久的に修業をやらされるという、(宗教の考えだからしょうがないですが)理不尽なメに遭わされます。

曹洞宗では、悟りを開く修業の方法を「沈黙」とします。そればかりではないですが、禅宗の教えは曹洞宗・臨済宗を問わず座禅を組んでひたすら沈黙し、余計な事を考えず、私利私欲(煩悩)を我が身から追放する事に重点をおきます。
臨済宗はより哲学的で、いわゆる禅問答をやる宗派です。アニメでも有名な「一休さん」が、よく「そもさん・せっぱ」とやったりしましたね。あれです。曹洞宗は禅問答より座禅重視。同じ禅宗でもちょっと考えが違います。
日本に多い浄土宗は「南無阿弥陀仏」を一生懸命唱える事で往生する、と考えます。厳しい戒律を我が身に科して煩悩消滅を目指す禅宗と違い、一般民衆にわかりやすく説かれたのが浄土宗なので、色合いには差があります。
いずれにせよ仏教は死後の事を考えて人生を生きるためのガイドブックといったあたりで、どの宗派でも最終的に目指すところは涅槃到達に変わりはありません。(解釈における)方法論が違うだけの事です。

さて。神道にはそういう概念がなく、死は穢れと前述しました。神道の「葬い」は仏教の「往生を祝う、人間界から旅だった者を迷いなく新たな世界へ送り出す」式典ではありません。
穢れを祓う(はらう)という考え方で、死者のための祭りではなく生者に穢れが及ばないようにという、生きている者へ主眼をおいている儀式の場です。そのため、遺体を直接神社へ安置して式を行うという事はありません。お寺で葬式を見かける事はあっても神社で同様の儀式を見る事が無い理由です。
穢れを祓った後の魂であれば別です。肉体の死という現象が穢れなのであり、魂は無垢と考えるためです。これは私の推測ですが、遺体を放置しておけば疫病の原因となるため、経験からそれを知った昔の人は死を病気など災厄の総称して「穢れ」の始まりと捉えたのではないか、と考えています。

神道が死者を鎮魂するのは、永い安寧の眠りを妨げないよう祈りを捧げ、魂に穏やかに過ごしてもらう目的です。祖先崇拝も関係があると思います。

仏教が宗教観における倫理を設けて説き、その基準に従って善悪を判定し、倫理に背いた者を罰するという考えを持つのに対して、神道では死は単に現世の終わりとしか考えていません。
死者を侮辱すべからずという日本の道徳観に通じるというか、死者に善も悪も無いのが神道の「死」です。
死は眠り(生理的な"眠り"ではないです、現世と縁を切ったという意味合いで考えてください)であり、死者の眠りを妨げれば怒りを被ります。俗に言う「祟る」の概念ですね。
曹洞宗には死者が祟るという考えはありません。死者の世界は人間界とは別のところで、互いに干渉しない事になっています。
神社が祭る魂とは、西洋(キリスト教)的な「神=GOD」ではなくやはりここは「スピチュアル・エレメンタル」に近い解釈で捉えたほうが分りやすいと思います。

なお、死者を神として奉るのは、某神主さんの個人的見解ですが中国・道教の影響があるのではないか、との事です。
道教でも三国志で有名な関羽を関帝として祭っていますから、文化交流の実績やかつて明治期以前の神仏習合などから見て、私もその可能性は有り得ると考えています。

以上が仏教と神道の死生観の違い(あくまで私が学んだ範囲における私の解釈に過ぎません)です。

(以上)

でして・・・
この方の、いずれにせよ仏教は死後の事を考えて人生を生きるためのガイドブックといったあたりで、どの宗派でも最終的に目指すところは涅槃到達に変わりはありません。(解釈における)方法論が違うだけの事です。

は、最近の私の考えと近いですね・・・
どうしても、そう考えると、辻褄(つじつま)が合うのです。

そして、そもそも神道には、仏教やキリスト教における極楽ないしは天国・地獄の考えもありません。
ということです。

おそらく、この方ですと・・・神道でそう説いているのは事実だと思います。
調べれば、そういうデータは出てくると思います。



http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20060119 は神道のプロでして・・・宮司さんですが・・・
(引用)

昨日は神葬祭について詳しく記させていただきましたが、それに関連して、今日神道における他界観について記させていただきます。他界観とは、現実世界とは異なる空間についての観念のことで、具体的にいうと“あの世”とか“死後の世界”などと称される世界についての観念のことです。

■仏教やキリスト教の他界観

恐らく、日本人に最も広く知られている他界観は、仏教による“極楽地獄”の観念だと思います。人は死後、閻魔大王の裁きを受け、生前善行を積み重ねた人は、極楽浄土という楽園の世界へ行き、逆に悪行を積み重ねた人は、地獄へと落ち、そこで責め苦を負って罪を償うことになる、という観念です。

そもそも仏教ではいくつもの他界を設定しており、それらの他界は、「輪廻する世界」と「輪廻しない世界」とに大別しています。地獄はその「輪廻する世界」を構成する6つの世界(六道)のうちの一つで、極楽浄土とは、「輪廻しない世界」を構成する浄土という仏の世界の中の一つ(阿弥陀如来が治める浄土)であり、仏教では、他界を単純に“極楽と地獄”と二極化しているわけではないのですが、しかし一般には、前述のように“極楽と地獄”という概念が広く世に知られています。

この仏教の他界観は、人々に正しい道徳を身につけさせるための方便としては極めて有効な概念ですが、しかし、仏教の開祖である釈迦は、実は死後の世界についてはほとんど何も語っていません。
仏教の教えは、あくまでも
人生の苦悩を取り除くためにあるもので、釈迦にとっては、死んで幸せになることよりも、生きている間に煩悩を捨てて苦しみを減らすことの方がずっと重要だったからです。
ですから、極楽とか地獄とかいった他界観は、
仏陀の入滅後に弟子たちにより肉付けされ構築されていった概念であり、仏陀が説いた他界観ではありません。

キリスト教による“天国と地獄”の他界観も、神学的には仏教の他界観とは大きく異なるものの、少なくとも、善行を積めば天国へ、悪行を重ねれば地獄へと落ちる、という点においては、仏教の“極楽と地獄”の観念とほぼ共通しています。実際、人々をキリスト教の福音に向かわせるためには、これも極めて有効な他界観といえるでしょう。

仏教との大きな違いを一つ挙げると、カトリックでは、現世と天国の中間には煉獄という、小さな罪が清められる世界があるとしています。死後直ちに天国に直行できる程自分完璧人間と思っている人は少ないですが、そうかといって、死後直ちに地獄へまっしぐらに落ちる程悪行の限りを尽くしていると思っている人も少ないため、その解決策として、中世カトリック教会は、煉獄という観念を作り上げたのです。イタリア文学最大の古典とも云われているダンテ長編叙事詩神曲」は、この他界観に基づいて、地獄・煉獄・天国を遍歴して回る物語です。

しかし、新約聖書の中心的な概念はあくまでも「死」、「復活」、「神の国」であり、天国、地獄、煉獄といった概念は、本来は副次的な概念に過ぎません。

神道の他界観

では、神道の立場では他界、つまり“あの世”を、一体どのような捉えているのでしょうか。神道では、亡くなった人の魂は一体どこへ行くと考えているのでしょう。

日本には、仏教が伝来しその影響を受ける以前から、いくつかの他界観がありました。
例えば、
古代の日本人たちは、故人の魂は現世とは全く別の世界へ行く、とは考えておらず、いつまでもその土地に鎮まって子孫とともに生きる、と信じていました
そして、その地に留まった故人の魂は、長い年月を経て死穢がなくなると、
死霊から祖霊へと昇華し、やがて歴代の先祖の神霊と合一し祖霊神となり、山へと還っていき、お正月お盆などには、子孫たちと交流するために山から降りてくる、という観念を持っており、この他界観は「山中他界観」といわれています。

また、海沿いの町や村では、人は亡くなると山ではなく常世(とこよ)という、海の向うにある世界へと旅たち、お正月やお盆などにはその常世から再び還ってくる、と考えました。これは「海上他界観」といいますが、いずれの場合でも共通しているのは、仏教やキリスト教のように現世と来世をはっきりとは区別していない、ということです。古代の日本人たちは、死んで肉体は土に還っても、その霊魂はどこか遥か彼方の世界へと行ってしまうわけではなく、霊魂は自分達の比較的近くに留まり子孫の暮らしを見守る、という観念を持っていたのです。

日本民俗学の父と称される柳田國男は、「先祖の話」という本の中で以下のように述べています。『私がこの本の中で力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、即ち霊は、永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、恐らく世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである。
これが、いずれの
外来宗教の教理とも、明白に喰い違った重要な点であると思う。
これが、暗々裏に
国民の生活活動の上に働いて、歴史を今あるように作り上げた力は、相応に大きなものと見なければならない。先祖がいつまでもこの国の中に留まって去らないものと見るか、または追々に経や念仏の効果が現れて、遠く十万億土の彼方へ往ってしまうかによって、先祖祭の目途と方式は違わずにはいられない。
そうしてその相違は確かに現れているのだけども、なお古くからの習わしが正月にも盆にも、その他幾つとなく
無意識に保存せられているのである』。

つまり、神道的他界観とは、現世と来世は隔絶されることなく連続しており、山や海の霊場は、死者が祖霊を経て神へと昇華していく場であり、そこから祖先の神霊が訪れてきて、子孫たちに幸運と救済をもたらすという観念、といえます。
このような神道的他界観は、キリスト教や
イスラムのように創造者と被造者を峻別する徹底的な二元論とは全く無縁で、神と人の断絶、死者と生者の断絶、来世と現世の断絶はなく、神と人とのつながり、あの世とこの世の繋がりの上に世界が成り立っているのです。

以上の点を踏まえ、古代の日本人たちが考えてきた神道の代表的な他界観である、地中他界観、山中他界観、海上他界観を、以下に簡単にまとめてみます。

■地中他界観

地中他界観は、一言でいうと、地下にあるとされる「黄泉の国」の信仰です。記紀神社神道が神典とする古事記日本書紀)には、イザナギノミコトが、亡くなった妻イザナミノミコトを追って黄泉の国へと赴くエピソードが描かれています。この黄泉の国が、記紀で描かれている“死者の国”です。また、記紀には、スサノオノミコトが支配しオオクニヌシノミコトが訪問する他界として「根の国」という世界も出てきますが、これも“死者の国”とされており、黄泉の国とは同視されることもあります。

古事記を初めて本格的に研究した国学者本居宣長が、黄泉の国は汚れた暗黒の世界、と解釈したため、今でも一般には、黄泉の国とは暗くて汚い世界だと思われていますが、しかし記紀における黄泉の国のエピソードでは、確かにイザナミノミコトの肉体の腐る過程が醜く恐ろしく書かれてはいますが、他には特に汚いという表現はなく、むしろこのエピソードにおいては、黄泉の国では食事もしており、家もあり、櫛もあり、桃もあり、現実の世界とは少しも違っていない様子が記されています。
イザナギノミコトが、櫛の歯に火を灯してイザナミノミコトの姿を見たために、黄泉の国全体が暗いと解されたようですが、イザナギノミコトは、殿の中にいるイザナミノミコトの姿を見ようとして火を灯したわけですから、実は殿の中だけが暗かった、と推察できるのです。少なくとも、殿の外も暗かった、とは記紀のどこにも記されていません。

この黄泉の国は、黄泉比良坂(よもつひらさか)という所(伝承では出雲の伊賦夜坂)で現世と繋がっているとされていますが、この地中他界観は、私たちの生活に馴染みのある他界観というよりは、神話の中での他界観、といえるものかもしれません。

■山中他界観

山中他界観とは、ごく近くの山に祖霊がいるとする他界観です。古代は、死者の葬地としての埋墓が山中深くに定められ、そこに死体が埋葬されたため、そこから発生した他界観で、それを民俗学の立場の人たちが、現実の農民の生活の中から見つけ出して広く知られるようになった観念です。

この観念では、死霊は一定の年月を経ると、やがて先祖代々の神霊と統合され、祖霊神となって山へと還っていきます。そして、山へと還った祖霊神は“山の神”や、農耕を司る“田の神”となり、正月や御魂祭などには山から里に降りてきて家々を訪れ、子孫に繁栄をもたらすとされます。正月に各家庭を訪れる歳神という神様(今月3日付の社務日誌参照)も、この山中他界観に基づく祖霊神であるといわれています。

国の重要無形民俗文化財に指定されている、石川県の奥能登農家で行われる農耕神事「アエノコト」は、この山中他界観に基づく典型的な事例といえます。

■海上他界観

海上他界観とは、海上の彼方にある「常世の国」に祖霊がいるとする他界観で、龍宮城のような海中にある他界も含まれます。記紀においても、ウミサチヒコ・ヤマサチヒコのエピソード(昨年10月23日付の社務日誌参照)で、ワタツミノカミの宮として龍宮城(海中の他界)が登場しており、この時点では常世の国はまださほど理想化された世界としては描かれていませんが、後に、浦島太郎の民話に再登場した龍宮城は、永遠に生きられる理想の世界として描かれています。また、記紀の中のオオクニヌシノミコトがスクナビコナノミコトと一緒に国造りを固めたエピソードでも、後にスクナビコナノミコトが海を渡って常世の国へと帰られたことが記されています。

これらのエピソードからもわかるように、常世の国とは人や神がいつでも往来可能な場所であり、「海上の彼方の世界」とはいっても、常世の国は、十万億土、西方浄土という言葉で考えられる程この世と切り離された世界ではないのです。少なくとも、行ったらもう帰って来ることができない、という世界ではありません。

お盆には、「精霊流し」という祖先送りの行事が各地で見られますが、これは、この海上他界観に基づく行事です。

■現代の神道の他界観

最後に、現代における神道の他界観についても簡単に触れておきます。現在でも、山村の一部では山中他界観が、漁村の一部では海上他界観が信じられ、その観念に基づいて祖霊まつりが行われていますが、近くに山も海もない(あっても造成済の山や工業港しかない)都市部においては、どちらもほとんど現実味の湧かない観念であり、実際近年は、葬儀の終わりに「故人は、山もしくは海へと還っていきました」と遺族に説く神職は、まずほとんどいません。「故人は遥か彼方にある黄泉の国へと旅立っていきました」と説く神職も、多分あまりいないと思います。

現代においては、祖霊は、そのまま霊璽(仏式でいう位牌に相当)に留まって子孫を見守り続ける、と解されることが多いようです。そして、故人のことを知らない世代が遺族の代表となる「五十年祭」を一つの節目として「まつりあげ」を行い、そのまつりあげで、故人の霊は祖先の神霊と合一される、と解されています(地域によっては三十年祭でまつりあげを行います)。

亡くなった御霊は、生者とは隔絶された死者だけの世界に往くわけではなく、そのまま霊璽に留まり続ける、つまり、死後もその家庭や地域に居続ける、と解すると、ではこの世の中は死霊で満ち溢れているということなのか、という解釈もできてしまいますが、しかし神道の立場から考えると、それは決して間違った解釈とはいえないでしょう。先祖の霊の存在を実感することで歴史の縦軸における自分の立場を認識し、あるいは亡くなった恩人や友人の霊を感じることで、横軸における自分の立場を認識する、という所謂“死者の視線を感じる”という感覚は、まさにそういった解釈の上に成り立つ観念であり、また、明治時代に日本に帰化した英国作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が言った「日本は死者の国である」という言葉も、そういった観念を強く認識した上での言葉だったのではないでしょうか。日本人の社会は“霊と共存”の社会であり、それは目に見えなくても、過去に生きた先祖や知己の霊が確実に実存する社会といえるでしょう。

ただし、この他界観はあくまでも最大公約数的な観念であり、実際には、地域によって、神社によって、個人によってその解釈は大きく異なります。また、現実には、こういった神道的な他界観よりも、仏教的、もしくは神仏習合的な他界観を信じている日本人は多くいます。古来の日本人たちも、平安時代以降は、浄土教による浄土思想を信奉していた人たちの方が多かったのではないかと思います。また、クリスチャンではないにも関わらず、他界観だけはキリスト教の他界観と共通した観念を持っているという人も多くいますし、神道においても、教派神道神道は、神社神道とは異なる独自の他界観や神学を持っており、結局は、他界観は人の数だけある、といえるのかもしれません。

ただ、どのような他界観であれひとつだけ確かなことは、霊魂は不滅である、ということです。まだ死んだ経験がないので、他界がどのような世界なのかは私にもわかりません。しかし、わからないから、見たことがないから、というだけでそれを短絡的に否定してしまうほど私は傲岸不遜な人間ではありません。私は人としても神主としてもまだまだ未熟な存在ですが、一人の宗教家として、人の魂は死亡と同時に完全に消滅して失せる、という唯物論的な立場は、当然認めるわけにはいきません。

(田頭)

(以上)

ということです。

これは宮司さんですが、わざとなのか・・・多少仏教的?なのかな?とも感じます。



むしろ、こちらがすごいですが・・・
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-13/spnl-13-3.htm
(引用)

日本人の伝統的死生観

日本の太古には当然のこととして、東北アジアに共通する「シャーマニズム」が、今日より純粋な形で保たれていたはずです。
最近では縄文研究が盛んになってきましたが、その研究の第一人者である梅原猛氏は、アイヌの研究を通じ、縄文人の抱いていた“あの世観・死生観”を次のように述べています。

  • あの世はこの世とあまり変わらない。ただあの世とこの世は、ものがあべこべである。
  • あの世には極楽も天国も地獄もない。
  • 生きとし生けるものは皆あの世に行く。そして皆、生と死の絶えざる往復を繰り返す。

(以上)

でして・・・梅原猛さんとは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E5%8E%9F%E7%8C%9B でして・・・

それよりも・・・上記が本当だとするのなら、あべこべは別として、まさに森田健さんの調査結果と同じだと感じます。

私は縄文、古神道に何かあると思いますが・・・どうも何かあるようです。

船井幸雄さんは、これをどう読むでしょうか・・・
但し船井幸雄さんも、以前は地獄はなかった、人の想念が作った、と言っています。


ただ、すべてがあべこべである、というのは、初めて聞きますしたが・・・何か感じます。


http://www.enryo.jp/pdf/Abekobe.pdf には、
(引用)
この世とあの世は、あべこべ
え、そんなバカな、と思うかもしれないが、どうもそのようなのである。科学的根拠
はないにしても。日本の習慣では、人が亡くなると、着物はこの世とはあべこべの左前
に着せる。死者の枕元の屏風は逆さに置く。この世の夕べは、あの世の朝。夜の初めの
お通夜は、あの世では朝の始まり。あの世に送り出すのには、あの世が、明るい朝でな
ければならないのである。
また、この世の死者は、あの世の生者。葬式では、死を悼んで涙を流す。でもあの世では、「お帰りなさい、無事に
帰れたね」と笑顔で迎えられる。命の誕生は、この世では大きな喜び、でもあの世では「使命をちゃんと果たせるだ
ろうか」と不安な声に見送られる、と言う。(梅原 猛『日本人のあの世観』中公文庫より)

(以上)

とあります。
全てとありますが・・・どう全てなのか・・・男女の陰陽は?ですとか・・・そういうことですね・・・
全てではなく、そういうものもある、程度なのか・・・
しかし、わざわざ取り上げていますので、相当多くの事象で逆なのか・・・

王制などは、男性の大さまが正しく、女王を置いている王室は嘘のように感じていますが・・・
あの世では、これが逆で、言って見れば、この世で逆をやると、何らかの不都合が生じるというようなことがあるのか・・・?
どうでしょうか?


http://tonko.photo-web.cc/11gatukara/sinanogawa/sinano/toukamati/umehara/bunmei-3/bunmei-3.html 講演録ですが・・・
若干、仏教的なものをわざと混ぜているかもしれません・・・

http://park22.wakwak.com/~kozu5-2/hiroba-02/02.07.08andou.htm ですが・・・
(引用)

 

原日本人の「あの世観」を私は四つの命題で表現したいと思います。

@     まず「あの世」は「この世」とあまり変わりはない。その違いは、ものごとがすべて「あべこべ」である。ということです。
あの世は極楽のような良いところでもないし、地獄のような苦しいところでもない。

  すべての人があの世へ行って神になれる。これが仏教が入ってくると仏になるという事になり、戒名が付けられて「お陀仏(だぶつ)」するのです。人間どころか道具までも壊れれば「オシャカになる」のです。

A     日本の古いあの世観には「裁く」という思想がありません。
閻魔さんもキリストも居ません。あの世に極楽・地獄、天国・地獄の区別を考えるのは、文明が発展して巨大な国家が成立し、ひどい階級差別が生じたあと、差別に悩む人達を救おうとして生れたのだと思います。

B     第三には、人間ばかりか、生きとし生けるもの、更には太陽のような天地自然も、全てあの世へ行き、生と死との絶えざる往復を繰り返すということです。

太陽は朝になると二見が浦から顔を覗かせて「黄泉(よみ)の国」から蘇えります。そして夕方には二上山に沈んであの世へ帰っていきます。動物も植物もそういう生死の循環を繰り返します。アイヌの熊祭り=イオマンテは、死んだ熊が無事にあの世へ行けるようにように祈る儀式ですが、日本人の葬式もそうです。そしてそうした儀式を行うのは、死んだ人が再び無事にこの世へ戻って来られるようにする為なのです。

あの世はそんなに遠くありません。但し、しょっちゅうあの世の人達が帰って来られても困るので、お盆とか正月とかお彼岸とか、帰ってくる日を特定しています。

祀り手のない霊もご先祖様と一緒にやって来ますので、「施餓鬼棚」も用意します。

私は、これは大変良い考え方だと思います。

C     第四に、そういうかりそめの帰還ではなくて、もっと長い帰還があります。

それは、「生まれ変わり」という思想です。
この世で良い事をした人はあの世から早く帰れます。先祖同士の話し合いで、その一人が選ばれると、あの世からヒューッとやって来て妊婦のお腹の中に入り、オギャーと生れると「ああ、この子は七年前に死んだおじいちゃんそっくりだ。おじいちゃんの生まれ変わりだ」という事になります。

 (以上)


でして・・・

「この世で良い事をした人はあの世から早く帰れます」は、梅原さんが仏教的に、いくらか道徳を入れて話しているのかもしれません。

その他はどうですか?
森田健さんに近いですね。

そして、私は始めに書いたように、

A     日本の古いあの世観には「裁く」という思想がありません。
閻魔さんもキリストも居ません。あの世に極楽・地獄、天国・地獄の区別を考えるのは、文明が発展して巨大な国家が成立し、ひどい階級差別が生じたあと、差別に悩む人達を救おうとして生れたのだと思います。

と、書いています。


これが本当ですと、私の仮説が正解だたっということになります。

今日は、ここまでです。

有意の方々と、スープを少ししか飲まなかった方々と、興味のある方々は、どう思うでしょうか?

 


8月20日
 
さて・・・最初に少し森田健さんですが・・・
(引用)
>神に選ばれた、とか、たとえもりけんさんからでも、そんなフレーズを見かけると、0.5w/hくらいは、嫉妬に近い、いいなという思いが(メイン、テクノン)  
 私は自分で運命を作り出しているという気が全然しないのです。
 どう表現すればいいんだろう?(笑)

(以上)

ということです。

確かに、運命が決まっているというのは、解釈の仕方次第では、「選ばれた」的にも解釈は可能ですね。
ただ実際は選んだのではなく・・・何度も書いていますが・・・ガラガラポンに近いのではないだろうか?とも思います。
つまい、選んだわけではない・・・ということですが・・・
実際はどうなのでしょうか?

中国の調査を読んでいる限りでは、そのように感じますが・・・



生かされているですが・・・
これは、見る限り、多くの方が受け入れやすいようです。

つまり、偉大な存在の偉大な力、というものを目の当たりにできるからではないかと想像します。

しかし、それはつまり、自力で生きているのではないということですが・・・
それは多くの方が受け入れにくいもののようです。

きっと、命の寿命というものは、神が握っているのだが、運命の過程は自力である、のように解釈する場合が多いのだろうと思います。

しかしながら・・・運命は99%決まっていたようです・・・
しかしながら・・・どうも10%は自分で変更できる・・・



「私は自分で運命を作り出しているという気が全然しないのです。」はですね・・・

成功している人の多くは、自分で作っている感が強いのだろうと想像しますが・・私もしないですね・・・
とは言え、目標を持っていないと、へなへなになりますので、目標はある程度肯定しますが・・・

会社選びを見ましても・・・ほとんどが、こういう会社に入ろうと思って決めたところはないですし、自力が入っている会社ほど長く続かず、自力が入っていない会社ほど、長く、そして、人生に対しての意味も大きい存在になっています。

船井幸雄さんがツイッターで面白いことを書いていますが・・・


(引用)https://twitter.com/#!/yukiofunaibot

船井幸雄bot

(以上)

ということで・・・
私が結果として、いくらか努力したことは・・・ピアノと英語くらいでしょうか・・・

ピアノは、うまくなりませんね・・・
オルガンは、どうもですね・・・ある程度評価がよいです。http://doratomo.ddo.jp/suku/play/bs2.mp3

よく人を通してしか分からない、と言われますが・・・
FACEBOOKで、いろいろなお仕事をしている方と知り合いまして・・・いわゆる現役でプロの方とも多く知り合えるのですが・・・
オルガンだけは、「素人にしては良い」という評価を得ることが多いです。
ピアノは、自分で聴いても、いまいちですので、聞かせませんで・・・・とは言え、これまでは、まわりに素人の方しか今はいませんので・・・音楽を趣味でやっている人はいます・・・そういう方に聞かせましても、「うまい」といいますが、私の判断とは違いますので・・・「そうかな?」と思っていましたが、どうも最近確信に変わってきています(^_^;)

オルガンはある程度聞かせられるが、ピアノはうまくない・・・これが事実のようです。

で・・・おそらく、ほぼ間違いなく、ピアノを弾くことは・・・船井幸雄さん式で言っても、森田健さん式で言っても・・・決まった運命に、そういう道はないように感じます。

とは言え、オルガン弾きという道は考えにくいですので、演奏すること自体は、きっと違うのではないか?と想像します。



英語もですね・・・船井幸雄さんではないのですが・・・聞くほうが、どうもよく聞こえず・・・船井幸雄さんもそのようですが・・・
ただ、船井幸雄さんの英語の読むことに関しては、相当すごいようです・・・私なんかよりもおそらく3段階くらい上ですね・・・
専門書でも、普通に日本語と同じくらいに読めるようです。
私はそこまでではありません。

となると・・・そういう方面に運命はないのか?となりますが、どうもそうではないようでして・・・
FACEBOOKを始めて再認識していますが、どうもやはり、小学生のときに感じたように、海外の人と話をしていますと、面白いですし、運も良くなっています。

となりますと・・・何か、その方面、会話はしないが・・・読む、書く、接する・・・のようなことに何かあるかもしれません。


・・・とこのような感じの分析をします。

ですので・・・このやり方からするとい、船井幸雄さんの「好きで得意なことに使命がある」・・・とは若干違っていまして・・・
やっていると運が上がって、普通に伸びてきた能力の範囲でも十分に対応できてしまうようなこと・・・に使命、決まった運命の方向性がある、となるでしょうか・・・
まだ仮説ですが。


ただ、それでも、最近感じているのは、英語を聞くときに、横書きを連想せず、縦書きを連想すると聞き取りやすい・・・
しかもできれば、縦書きで下から上に縦書きされるように聞くと聞き取りやすい・・・ということを発見したのですが・・・
果たしてどうでしょうか?
聞き取りにくい方は、お試しください。



で・・・自分で決めたような気がしないですが・・・
住む場所も、仕事も、こと私に関して言えば・・・意図的に図ってそうした、というものは本当に少ないですね・・・

もちろん、この曲が聞きたいので練習した、とか、このCDが聞きたいので買ったとか・・・そういうのはあります・・・
運命というよりも、短期的な希望?とでもいいましょうか・・・そういうものは、自力で決めて自力で達成した感はあります。




また、思いつきましたら、記載いたします。

優位の方々とスープを少ししか飲まなかった方々と興味のある方々は、どう思うでしょうか?

 

 

 

 

副島隆彦さんhttp://www.snsi.jp/bbs/page/1/ ですが・・・
(引用)

[652]私たちの夏合宿(研究発表会)が終わりました。そして現状の政治・経済の緊迫と急展開のこと。
投稿者:副島隆彦
投稿日:2011-08-11 08:13:48

副島隆彦です。 今日は、2011年8月11日です。

 私たち学問道場は、9日までの5日間の福島県田村市の都路(みやこじ)町(まち)にある 活動本部での夏合宿を終え、15人が研究発表をした。これは、「SNSI(学問道場)の第6論文集 原発・放射能特集」(仮題。これでは本として売れない)となって秋には結実する。

 福島の人たち(200万人)は、子供も赤ちゃんも含めて、みな元気だ。ひとりの放射能による病人もいない。5年後にもいない。私は重ねて断言する。放射能コワイコワイ派の人々の騒ぎすぎた己に向かって、恥じ入り鬱屈(うっくつ)するのがよく分かる。

 以下に私が、急いでポイントフォームで書いてゆくのは、私が既に書き始めた新しい 会員ページ用 の 論文 の骨子です。 急いで書いて載せます。お待ちください。

1.次の日本の首相はだれか。私は7月17日と、31日のふたつの講演会で、次の首相は、細野豪志(ほそのごうし)原発担当大臣だろう。
丁度この8月で40歳になる。今の菅直人が居座りに居座って来年の3月ぐらいまでやって、それで 若い細野豪志に譲るだろう、と思っていた。
この考えに変わりはない。 ところが昨日10日の日本のメディアでは、菅直人が辞任を表明したのに細野豪志の名前が全く出ていない。不可解だ。

2.アメリカのバイデン副大統領が、「日本の次の首相は細野でいい」と首実検(くびじっけん)したあと決めたはずなのだ。 
中国も、「細野なら呑む」と合意したはずなのだ。米中が合意すれば日本の運命は決められる。
40歳では日本人の感覚ではあまりに若すぎるのか。そんなことはあるまい。世界基準では、たしか38歳でフランスの首相になったファビウスがいる。細野の出番は、次の順番である、来年の9月からということになりそうだ。自分より歳の若い人間の下につくのは他の政治家たちにとっては屈辱となるということだろう。

3.小沢一郎は、10日、自分が育てて150人の議員を集めて勢力を誇示した。
実質の日本の最高指導者である小沢一郎が、「細野なら私もよく知っているから支持しよう」と言うと、私は思う。
2009年8月の国民との約束であるマニフェストを見直し(約束の廃止)を許すべきでない。

4.アメリカの大統領には、今のオバマでは、もう保(も)たない。
彼は、私の予想(予言)では、来年の3月に、財政政策に完全に失敗して「国家財政の不履行(デフォールト)とドルの暴落の容認(すなわち、ドルの基軸通貨であることからの脱落)」を宣言して、辞任してゆくだろう。


5.そのあとには、頑固爺(がんこじじい)で「なかなか、厳しいところも切り抜ける」と評価されているバイデン副大統領が、ヒラリーをランニング・メイトである副大統領に指名して、2012年11月投票の米大統領選を戦うだろう。
そしてそのあと・・・・。 あるいは、オバマがボロボロのまま次の4年に再選されたとしてもそのすぐ後に彼はステップダウンするだろう。何を理由とするかは分からない。  

6.そのバイデンが 私が承認した細野でなぜいけないのか、と、22日に来日するのだろう。
私、副島隆彦の予測を甘く見ないでいただきない。自民党の裏側の一番、力のある勢力の支持も細野なら取り付けることがでいる。そのように着々と大きな政治は動いている。あとは論文の方で書く。

7.NYダウ平均株価は、再度11000ドルを割ってきた。この下降トレンドは変えられない。
為替は1ドル76円に再度なった。もう一度、政府による介入(これは違法行為だ。相場操縦罪の犯罪だ)があっても、もう次の72円は避けられない。そして60円台に向かってゆく。私、副島隆彦がずっと書いてきたとおりだ。

8.7月末の円高阻止介入では、2.2兆円使った。
8月4日の介入では、4兆円を使った。野田佳彦(のだよしひこ)財務大臣という男は、財務省とアメリカの言いなりの手先で、許しがたい男だ。
脳タリンのバカだ。4兆円も突っ込んでアメリカに差し出して、それらはすべて米国債買いになる。そうやって、瀕死(ひんし)の状態のアメリカを助け続けて、湯水のごとく日本国民の大事な資金を、惜しげもなくアメリカに貢いだ。

9. こんなひどいこをやって、それで何が起きるか。
それは、日本の若者たちに暮らしが、さらにますます貧しくなって、彼らが1日の食費が1000円とかの極貧状態になっているのだ。
ここに真の貸借(たいしゃく、バランス)があるのだ。 政治の貧困が、国民生活の貧困と直結している。まさしく、「日米・地獄へ道連れ経済 」であり、日米抱きつかれ心中(しんじゅう)」だ。私のこれまでの本の書名のとおりだ。

10.金(きん)の地金(じがね)の価格が、1オンス(31グラム)ついに1800ドルを越した。
日本国内の卸値の価格では1グラム4430円までなった。これほどの急騰(きゅうとう)になると、政府の規制、統制(コントロール)が始まる。
それは、マーケット・クローズ(市場の閉鎖、market close )という強制措置につながる。 それを柔らかく言うと、バンク・ホリディ( 銀行取引の停止、 bank holidays ) という。 銀行が、土、日、月などの休日を利用して、政府の強権発動の、緊急声明で各種の規制が一斉に実施される。そういう事態に、アメリカの信用不安、デフォールトを中心にして、世界は突入してゆく。

11.この9月14日から18日が一番手前では、危ない。
 ここで、アメリカ国内での 金(きん)の個人取引と、OTC(オーヴァー・ザ・カウンター)取引という相対)(あいたい)取引あるいは、店頭(てんとう)取引が、その次にどんどん禁止措置が取られてゆく。

12.公明党だけでなく自民党までが一気に、民主党政権と合意して、赤字国債(なぜか特例公債とも言った)法案通過に合意した。
そして再生エネルギー(太陽光発電や風力発電など)法案にも合意した。 それで菅直人が急に辞任に追い込まれた。

13.それほどに、アメリカは血相を変えて、日本からの資金を宛てにして、日本からの資金供給で、目下の財政危機の急場をしのいでる。
ものすごいアメリカからの強い圧力が日本にかかっている。問答無用で上から殴りつけてくるような力だ。それで、この22日にバイデン副大統領が来日するのだ。 私たちは、この真夏の炎天下での世界政治ドラマを注視しなければいけない。 

 副島隆彦です。このあとは、私の 会員専用ページに載せますから、数日、お待ちください。以下は、新聞記事です。 副島隆彦拝

(以下略)
(以上)

ということです。

次の総理は、細野豪志(ほそのごうし)原発担当大臣だろう。 ということです。
前原さんがどうしたとか、だれそれ参りをしたとか報道されていますが、そんなのは、一般大衆を欺くいつものマスコミのやり方で、実際は出来レースなのでしょう。

そうやって一般大衆を馬鹿にしていると、また東電のようなところから影で馬鹿にされるのでしょう・・・文系のやつらは数字を出していればありがたがるので・・・ですね・・・



デフォルトは避けられないのは、もはや当然のようです。
何が起きるのか、詳しく書いてあるものをまだ見ていませんが・・・
ドルが紙切れになるようですので・・・お気を付けください。
輸入業者の方などもお気を付けください・・・輸入はまだ良いのですね・・・払うのですから・・・
輸出業者の入金が・・・どうなるのでしょうか?
お気を付けください。
ドル建てで給料をもらっている方々もお気を付けください。
FXやっている人たち・・・ご自分でお考えください。

またいくつか大学などで、問題が出るのかもしれません。
経済学部があるのなら・・・それだけで、その学部は、看板を下ろすべきかもしれません。




これは11日に書かれたものですが、ダウ平均下がっていますね・・・
円も75円台になっています。

当然でして・・・もうドルのデフォルトは誰でも知っている・・・確実なこと・・・
そうなったら、だれがどう考えても円か金(ゴールド)しかないのですね・・・
円というのは、それくらいすごい通貨なのです。
それを踏まえてテレビ、新聞のニュース報道を見れば、いかにうそばっかりかが良く分かると思います。
とにかく、何かひとつ決定的に信じられ真実を知り、それを踏まえて、見聞きしてれば、「変だな?」と思うのが普通の人だと思います。

自分の仕事のことでも、自分の趣味のことでも・・・生活習慣的なことでも・・・
あまりに物を考えない人が多すぎるように感じます。




8.7月末の円高阻止介入では、2.2兆円使った。
8月4日の介入では、4兆円を使った。野田佳彦(のだよしひこ)財務大臣という男は、財務省とアメリカの言いなりの手先で、許しがたい男だ。



で・・・野田さんですが・・・


http://gendai.net/articles/view/syakai/132101
(引用)

獄中のムネオが民主議員にメッセージ「野田だけはダメだ」

【政治・経済】

楽天SocialNewsに投稿!

2011年8月15日 掲載
 先日、小沢一郎元代表を支持する「北辰会」の会合で、気になる「緊急メッセージ」が読み上げられたという。鈴木宗男前衆院議員が、獄中から「野田だけはダメだ」という声明を寄せたのだ。
「増税などの政策的なマズさ以前に、野田氏は絶対に代表にはなってはいけない十字架を背負っている。後輩議員を死に追いやった暗い過去を忘れてはならないという内容でした。当時のことを詳しく知らない1年生議員の中には、初めて知る事実に言葉を失っている人もいました」(出席した議員)
 ムネオの言う「十字架」とは、06年の「偽メール事件」だ。前原代表時代、永田寿康衆院議員が予算委員会で質問に立ち、メールの存在を示して自民党を追及。結局、このメールがガセと判明して永田は議員辞職に追い込まれた。当時、永田の質問にゴーサインを出したのが、国対委員長だった野田である。メールの裏取りもロクにせず、イケイケで永田をけしかけた。当時の事情を知る民主党関係者が言う。
「永田氏は、選挙区が隣の野田さんを兄貴分と慕っていました。偽メール事件で、当初は野田さんも永田氏を手放しで褒めていた。ところが、ガセと分かって批判を受けると、野田さんは永田氏をかばうこともなく、議員辞職するよう説得したのです。野田さんはかつて『永田のことは墓場まで持ってくしかねえなー』と笑いながら話していたものです」
 野田の説得に折れて議員辞職した永田は、その後、徐々に精神に支障をきたし、09年1月にマンションから飛び降りて命を絶ってしまった。
 弟分の命も救えなかった野田に、国民生活が救えるわけがないのだ。

(以上)

でして・・・
あの一軒はこの野田さんが噛んでいたのですね・・・
しかも、若い議員を見殺しにしている・・・

というか、要するにシークレット・ガバメントに魂を売っているのでしょう・・・その筋からのミッションだったのかもしれません。
そういう人は・・・管さんでもそうなのでしょうが・・・総理、大臣になってもらっては困ります。

こうして、貴重な日本のお金をアメリカに差し出すということを、この期に及んでやっているわけです・・・
私が見ていても、介入の高価などないことは明らかでした。
まっとうに判断して素人以下、とは言え実態は、シークレット・ガバメントの命令とおりに動いて日本のお金を差し出した・・・竹中さんと同じですね・・・







10.金(きん)の地金(じがね)の価格が、1オンス(31グラム)ついに1800ドルを越した。
日本国内の卸値の価格では1グラム4430円までなった。これほどの急騰(きゅうとう)になると、政府の規制、統制(コントロール)が始まる。
それは、マーケット・クローズ(市場の閉鎖、market close )という強制措置につながる。 
それを柔らかく言うと、バンク・ホリディ( 銀行取引の停止、 bank holidays ) という。 銀行が、土、日、月などの休日を利用して、政府の強権発動の、緊急声明で各種の規制が一斉に実施される。そういう事態に、アメリカの信用不安、デフォールトを中心にして、世界は突入してゆく。

でして・・・
今日でも、金が上がって、売る人が多い、というニュースがありましたが、もっと上がります。
だまされてはいけません。
金儲けをしたい人が、安く買い取ろうとしているだけです。



11.この9月14日から18日が一番手前では、危ない。
 ここで、アメリカ国内での 金(きん)の個人取引と、OTC(オーヴァー・ザ・カウンター)取引という相対)(あいたい)取引あるいは、店頭(てんとう)取引が、その次にどんどん禁止措置が取られてゆく。


ですが・・・お気を付けください、としか言い様がないですが・・・



12.公明党だけでなく自民党までが一気に、民主党政権と合意して、赤字国債(なぜか特例公債とも言った)法案通過に合意した。
そして再生エネルギー(太陽光発電や風力発電など)法案にも合意した。 それで菅直人が急に辞任に追い込まれた。

13.それほどに、アメリカは血相を変えて、日本からの資金を宛てにして、日本からの資金供給で、目下の財政危機の急場をしのいでる。
ものすごいアメリカからの強い圧力が日本にかかっている。問答無用で上から殴りつけてくるような力だ。それで、この22日にバイデン副大統領が来日するのだ。 私たちは、この真夏の炎天下での世界政治ドラマを注視しなければいけない。 

 要するに、このお金がアメリカに渡るようになっているわけなのでしょう。

赤字国債ということは・・・税金で東電を助ける=アメリカの資金源を税金で助ける・・・という解釈でよいのでしょうか?






http://moto-0358.at.webry.info/201107/article_64.htmlによりますと・・・
素人の方か、玄人方かは不明ですが・・・内容は正しいと感じます・・・
(引用)

■東電を破綻処理せずに救済すると、国民の負担は約10兆円増える
2011年07月23日14時54分

中島聡


「原発賠償支援法案に関して、民主・自民・公明の3党が合意、早ければ来週26日に衆議院で可決される見通し」との報道がされているが、
ここで国民が一番注目すべきは、国民の負担を最小にするために、東電を破綻させるスキームになっているかどうか。
実際の法案はまだ一般公開されていないが、報道を見るかぎり「東京電力に対し、経営責任の明確化や徹底したリストラなどを求める」など、東電救済を前提の生温いものになっているようで、とても心配だ。

まず誤解してはいけないのは、東電を経営破綻させても電気は決して止まったりしないということ。JALを破綻処理しても飛行機が飛び続けたのと同じ様に、電力の供給は安定して続けながら破綻処理することは普通に可能である。

もう一つ誤解してはいけないのは、東電を経営破綻させても、被災者に対する補償はちゃんとできるということ。実際には
東電をまず破綻処理し、一時的に国有化した上で国が被災者の補償を100%する、というのがもっとも速やかに被災者を救済する方法である。

そしてもっとも大切なことは、東電を経営破綻させることが、資本主義の原則から見てもっとも公平で、かつ、国民の負担を最小にする方法だということ。
原発事故の被災者をちゃんと補償するのには少なくとも数兆円が必要だし、福島第一原発を廃炉処理するにも相当なお金がかかる。問題はそのお金を誰が負担すべきか、ということである。

もちろん、どうしても足らない場合は、国が負担したり(これは国民の税金が財源)、電気料金を値上げしたりするしかないのだが、それをする前にできることは沢山ある。

国民に負担を頼むよりも前に、まず、すべきなのは、

1. 株主責任の追求 ー 100%減資し、一時的に国有化する
2. 経営者責任の追求 ー 経営者の解雇、彼らの退職金カット
3. 債務カット ー 年金のカット、銀行からの借金のカット
4. 使用済燃料再処理等積立金の取崩し

の四つである。これで、約10兆円ほど国民の負担が減らせる(参照)。

そして、東電の抱える莫大な負の資産(被災者への補償、福島第一原発の廃炉処理の責任、電力債、カットし切れなかった負債)を国が引き取る代わりに、東電の持つ財産(発電所、送電網など)をすべて取得する。

これにより、責任の所在を明確にし、被災者の救済を国の責任で速やかに行う。その後、金のなる木である(原発以外の)発電所や送電網を民間企業に売却したり別会社として上場せることにより、被災者の救済費用や福島第一の廃炉費用にあてる。
このプロセスで、発送電の分離を実現し、発電の競争原理を導入することにより、将来の電気代を安くすることも可能だ(例:阪神大震災の復興プロジェクトの一つとして作られた神戸製鋼の火力発電所の建設コストは、東京電力の同じ規模の火力発電所の約半分)。

もう一度繰り返すが、東電を救済するのと破綻処理するのでは、国民の負担が約10兆円違う。その違いが、税金の投入額、および、将来の電気料金の値上げという形で、直接国民に降り掛かって来る。

政治家が国民のことを第一に考えて行動しているのであれば、国民の負担を最小限にする東電の破綻処理を選ぶのが当然なのに、東電の救済に声を上げて反対している民主・自民・公明の3党の中の政治家は、河野太郎しかいない(参照)、というのが今の日本の政治のなんとも情けない状況である。

菅首相には、ぜひともここで「東電は破綻処理させる。そうしなければ国民を納得させることはできない」と宣言していただきたい。「ストレステスト宣言」で玄海原発の再稼働をストップしたのと同じように、「東電の破綻処理宣言」で、国民の負担を10兆円も増やす「東電の救済」をなんとしてでもストップしていただきたい。
(以上)

でして・・・似たようなものをほかでも読みましたし、掲載いたことがあると思いますが・・・これは正しい意見で、正しい分析、情報だと思います。


野田さんでも、管さんでも、竹中さんでも小泉さんでも・・・命でも狙われているんですか?
それとも金ですか?
それとも地位ですか?
あるいは弱みを握られたのですか?
そうでなければ、著しく理論的思考能力が欠けているか、心が腐っているかのどれかなのですが・・・

上記のいずれかひとつであたっとしても、答えは同じでして・・・
「政治家を辞める」です。

政治家を続けるかた国民に迷惑をかけるのです。
世界中に迷惑をかけるのです。
もう、上記のひとつに当てはまった時点で、政治家をやってはいけないのです。


有意の方々は、どう思うでしょうか?



8月22日



さて・・・昨日のフジテレビ前でのデモですが・・・日本では大手報道機関では、報道されていませんが、韓国では放送されたようです。

4000人が参加したと言われています。
主催者発表はもっと多いようです。

基本的に、主催者?は、反洗脳報道デモであり、反韓デモではないと、きちんと主張しているようです。

関係者サイトなどでは、フジテレビが雇ったとみられる、偽右翼が、デモに強引に参加し、反韓デモであることを偽装しようとしたようですが、デモ参加者から「帰れコール」を浴びたようです。
http://www.youtube.com/watch?v=Wj1O54F9Ils&feature=player_embedded


「帰れコール」というのは・・・フォークジャンボリー以来でしょうか?
そうでもないですか・・・山下達郎さんなども、シュガーベイブ時代、当時ブルース全盛だったので、ポップスを演奏するバンドだ、という理由で、「帰れコール」を浴びたといっていましたが・・・
それでも、ほとんど同時代ですね・・・




事のあらましについては、この方の文章が非常に的を得ていると感じます。

http://news.livedoor.com/article/detail/5785710/
(引用)

フジテレビの韓流騒動について

小寺信良 プロフィール

この件に関しては静観を決め込むつもりだったが、もうテレビの話を書くついでなのでこれも書いちゃおうかと。フジテレビが韓流ゴリ押しであるとして、ネット民から批難されている件である。

過去テレビ局というのは、ブームを追い、それを報道することでさらにブームが加速するという構造を持っていた。グッズ、ファッション、タレント、ショップなど、テレビによって取り上げられ、それが全国に飛び火するという傾向が70年代から80年代前半あたりまでであろう。
なめ猫、キン肉マン消しゴム、ルービックキューブ、ハマトラといったブームは、元々は雑誌が火付け役だったが、テレビにより全国隅々まで押し込まれる形で大きく広がったと言っていい。

80 年代も後半に入ると、今度はテレビ局自身がブームを作るようになってきた。
つまり流行ったあとから他人のブームに便乗しても、もう利益構造には割り込めない。
しかし権利関係を押さえておいて自分でブームを作れば、利益誘導できる。
その時点で、フジテレビは非常に仕掛けがうまかった。

おニャン子クラブで夕方の高校生層を押さえ、オールナイトフジで女子大生ブームを作り、月9でトレンディドラマを流行らせた。

90年代を過ぎてバブル崩壊のあおりを受け、広告収入が減ると、フジは自社リソースを商品化することで番組制作費を大幅に削減した。
いわゆる女子アナブームである。女性アナウンサーは正社員なので、いくら売れても給料据え置きである。
社員をタレント化することで、外部タレントの発注を押さえて番組を成立させる方向にシフトした。
一時期は男性アナウンサーを司会に、女子アナが運動会のようなことをやるような番組さえ登場した。
やってることは大規模な社員運動会である。

さらにお台場移転をきっかけに、その敷地内をテーマパーク化して観光スポットに仕立て上げた。
場所的には非常に不便にも関わらず、執拗に情報番組内で露出することで、地方からの観光客にとって行ってみたい観光名所として定着させてしまった。
こういうことをやって成功した局は、フジテレビ以外にない。

今回の韓流ゴリ押し騒動もこういった流れで見れば、音楽著作権を大量に保有しているK-Popも実は自社リソースに過ぎず、それを売るためにブームを作ろうとしているということがわかる。
過去80年代から何度も繰り返してきた手法なのである。

それがここにきて、大きな反発を受けることになったのはなぜか。それはたぶん、思ったように利益が上がっていないのだろうと思う。つまり、ブームの火付けに失敗したのだ。

韓流ブームのそもそもは、03年にNHKで「冬のソナタ」が放送されたのがきっかけである。
そこから先韓流ブームが継続しているように思われているが、経済効果としてはほぼ1年~2年足らずで収束している。
韓流ドラマ、K-Popの版権が安いとされているのは、おそらく事実であろう。
円高ウォン安の影響ももちろんあるだろうが、それ以前に経済的価値が低いからである。

それから何度かメディアが再点火を試みたが、うまくいっていない。
もちろんその背景には、韓国という国からの広告宣伝費も出ていると思われる。
韓国は国策としてコンテンツ産業育成を行なっており、海外への売り込みにも国から予算が出ている。

テレビの王者フジテレビとしては、安く仕入れたものを自分たちのブーム着火力にものを言わせて商売するつもりであったのだろう。
もちろん韓国からの広告宣伝費も相当入っているだろう。
しかし、うまくいかなかった。
そこで次第に焦りが見え始め、過剰なまでに露出をエスカレートさせることになったのではないかと思われる。

これまでのフジテレビの火付けは、スマートだった。いや実際にはスマートとは言えない部分もあったが、少なくとも仕掛けに行っていると大半の視聴者にバレない程度には引きどころをわきまえていた。
しかし今回の韓流ゴリ押しは、多くの視聴者が「そんなわけないだろ」というレベルにまでエスカレートした。



もう一つ反感を買っている原因は、売ろうとした商品が「韓国」であったこともあるだろう。
日韓の関係は従軍慰安婦問題から竹島、ワールドカップ、オリンピックまで、非常に摩擦の多い間柄である。
日本には少なからず反韓感情は芽生えているだろう。これまで作ってきたブームは、無風の中から立ち上げてきたが、今回は逆風をひっくり返そうというのだから、大変だ。

韓流ゴリ押しには、非常に大きな圧力がかかっているのも、また事実であろう。
例えば「笑っていいとも!」のランキングによるゴリ押しだけ考えても、おおごとだ。
最近は視聴率が下がっているとは言えあれだけの長寿番組のプロデューサー、ディレクター、構成作家、大物出演者まで全部ネゴして回らなければ、あれだけのことはやってのけられない。

もちろん公共の電波を使って私腹を肥やすべきではない、という意見には一理ある。
しかし実際にはこれまでも、すでに散々やってきたことなのである。それをどこまでエスカレートしたからダメだ、というのは、誰がどのような線を引くのか。
米国のようにマスメディアの権利保有を分散する仕組みもあるが、日本では法が通らないだろう。
米国ではテレビよりもハリウッドのロビーが圧倒的に強いので、テレビはかなり透明性が高い経営が求められる。
しかし日本の場合、新聞社とテレビ局が一体化しているために、メディア力+ロビー力で、とても規制に動かせるものではない。

8月7日(※田中注:一回目のデモ)にフジテレビ周辺で非公式な抗議デモが行なわれたそうである。本番は21日だそうだが、こういったストレートな抗議行動をテレビ局は右翼から以外に受けたことがないので、どのような反応を示すのか、非常に興味がある。

ただ人数が数千人程度では、7日同様、黙殺の可能性は高いだろう。
テレビ局の場合、視聴率が5%ぐらい変わるほどの影響力が必要だ。
ということは、250万人ぐらいの人がなんらかのアクションを起こさないと、影響力を行使できないのではないかと考える。

スポンサーに訴えるというのは一つの方法ではあるが、花王の製品に対して事実ではないことを書き込んだり、風評を立てるような運動は、よろしくない。
こういうものは、たとえ事が解決しても依然として悪評だけが生き残り、ダメージを与え続けるからである。
主張が組み入れられたら撤回し、現状復帰できるような方法を選択すべきだろう。

一部のネット民が騒いでいるだけ、という見方をされてしまったら、伝えたいことも伝わらない。
いちテレビ局に対して具体的な抗議行動というのは日本でこれまであまり例がないのだが、視聴者の意見が反映された好例となるような、前向きな活動と決着を望みたいところである。
(以上)
 


で・・・この方は、この後も、大変優れた文章を書いていますので、興味のある方は、ご覧ください。
http://news.livedoor.com/article/detail/5798136/
「嫌なら見なければいい」に感じるズレ


で・・・
思うに・・・確かにやりすぎた、ということもあるでしょうし・・・
またネット時代になって、個人個人の意見が正しく相互間でやり取りできる状況に変わっていた、ということもあるでしょう。

「何かおかしいんだけど、そう思っているのは俺だけかな?」
「テレビでも新聞でも、そんなこと言ってないから、俺の勘違いかな・・・」

で終わっていたものが、
「いや、俺もそう思うんだよ」
という時代に代わって行った・・・


あるいは、テレビというものが、そもそも洗脳の道具である、という情報も、ネット経由で正しく伝わっていた・・・

こういうような理由もあるのだと思います。


確かに、韓国だから、こういうことになったのではないか?といういけっもありますし、そういった面も少なからずあるとは思いますが、全体的な流れとしては、そんなことではなく、れっきとした反洗脳、であり、これまでは、それをフジこめることができたが、もうできなくなった故のできごとである、と私は感じています。
明らかに、大変革が起きているのと思います。



ただ人数が数千人程度では、7日同様、黙殺の可能性は高いだろう。
テレビ局の場合、視聴率が5%ぐらい変わるほどの影響力が必要だ。
ということは、250万人ぐらいの人がなんらかのアクションを起こさないと、影響力を行使できないのではないかと考える。



ですが・・・ネットを見回しますと・・・いろいろな職業の方が、その見地で知恵?を授けていまして・・・
ここに書いていいものか迷いますので止めますが、流通業勤務の方などは、どうすれば批判が企業に届くか・・・どうすれば、その品物が売れていないとスーパーなどが判断することになるか・・・などについて詳しく書いていたりもします。

視聴率はそうなのかもしれませんが・・・スポンサーに対してなんらかのアクションをとっていくということは、おそらく彼らはしていくでしょう・・・
私は勧めませんし、綺麗な方法とも思えませんが・・・すると思います。

してはいけないか?といえば・・・それは当事者次第ではないでしょうか?

そもそも、スポンサーが支払っている広告費が、テレビ局の給料であるわけですの・・・

一番よいのは、テレビ局が、「もうやしません」とすることなのですが・・・資本主義の常として・・・完全に負けるまで、方向転換をしないケースが多いと思います。

ですので大難なってしまうわけですが・・・

船井幸雄さんは、よく何でも命がけでやる、といいますが・・
宇宙の理に即したことでないことは、命がけでやってはいけない・・・ようです。
宇宙の理とは、何もきれいごと、という意味ではないのですが・・・

少なくとも、洗脳、は宇宙の理ではないようです。



有意の方々は、どう思うでしょうか?








さきほど見つけたサイトですが・・・

http://president.jp.reuters.com/article/2011/08/19/AF67FEC0-C4B9-11E0-8418-05013F99CD51.php
(引用)

【ワイキューブ】人気ベンチャーはなぜ潰れたのか1

でして・・・読みますと、それなりの理由は書いてあるのですが・・・今ひとつ、腑に落ちませんでしたが・・・元社長さんの経歴を見ましたところ・・・
(引用)

安田佳生●「ワイキューブ」代表取締役社長。1965年、大阪府生まれ。高校卒業後渡米し、オレゴン州立大学で生物学を専攻。帰国後リクルート社を経て、90年ワイキューブを設立。新卒採用コンサルティングなどの人材採用関連を主軸に中小企業向けの経営支援事業を手がけ、社員研修事業、広告企画制作事業なども好調となった2007年には売上高約46億円を計上。オフィスにワインセラーやバーを設置するなど独特の福利厚生でも知られ、就職人気企業ランキングでは有名大手企業にまじり、20位内にランクインしたこともある。『千円札は拾うな。』など、著書も多い。
(以上)

と書いてありまして・・・倒産の理由はおそらく『千円札は拾うな。』でしょうね。

森田健さんによりますと、たとえ1円でも、大事にしないといけないようです。
基本的に出るお金についてではありますが。
『千円札は拾うな。』 のような考えを持っていたとすれば、出すお金も結構大事にしなかったのではないでしょうか?

とにかく森田健さんによりますと、仮に1円落としてでも、それをきちんと拾わないと、金運が落ちるようです。
使うお金については、ケチらずに使った方がいいようなのですが・・・

言ってみれば、これも宇宙の理なわけです。

ですので、「1円でも必ず拾え」でしたら倒産しなかったのかもしれないですが・・・

有意の方々は、どう思うでしょうか?




藤原直哉さんのネットラジオで、非常にによいものがありまして・・・

http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/2011/08/2011817-vs-npo-.html
(引用)

2011年8月18日 (木)

対談「未来はどのように創られていくか」2011年8月18日プレゼンシングインスティチュートコミュニティジャパン代表 由佐美加子氏 vs 藤原直哉 NPO法人日本再生プログラム推進フォーラム

対談『未来はどのように創られていくか』(2011年8月18日収録)

プレゼンシングインスティチュートコミュニティジャパン代表由佐美加子氏 vs. 藤原直哉

こちらから、ダウンロードしてください。(46:39)

由佐美加子氏の紹介は、こちらから。

プレゼンシングインスティチュートジャパン(PICJ)のHPは、こちらから。

2011/8/27 日本再生プログラム推進フォーラムでは
由佐美加子さんをお迎えして特別セミナーを開催します:

「未来を創るリーダーシップ -- 対話を通して出現する未来から学ぶ --」は、
こちらから。

(以上)


由佐美加子さんという方ですが・・・
この方がですね・・・私がいうようなことを話していまして・・・どこか似たような脳の構造、思考系統なのかもしれません。
その割にはぱっとしなかった私ですが・・・(笑)・・・
プラスアルファーも話しています。

恐れとは、自分自身の思考ではなく、化学反応・・・というような感じでして・・・
言い換えると条件反射とでも言うのでしょうか・・・藤原さんは、防衛本能のようなものでしょうか、と発言していますが。

で、思いましたのは・・・その条件反射だか本能だか、そういう種類のものというのは、「自分」を超えて過剰に反応する装置のようなものなのかもしれないですね。

センサーがしきい値を高めに設定されている、ということです。

しかし、人は、それを自分がそう判断したものであると勘違いしてしまう・・・
そして、怖がってしまう・・・
それでも、どうもそれは間違えであり、それを自分と思ってはいけないようです。
恐怖心にエネルギーを使われるのはいけない・・・


今の社会システムは教育などを含めて、改善する段階を超えてしまっているので、新しく作らなくてはいけない段階に来ている・・・

そのほか、相当に面白い話をしています。

年収が人の価値であるかのように言われるのがおかしい、ですとか・・・
偉くなるといろいろ帰られると思っていたが、出世してみて、偉くなると、変革が起こしにくいのが分かったですとか・・・

成績がでこぼこだった・・・受験になると日本の教育では、それを矯正しようとされて困った・・・外国へ行ったら直った・・・
でこぼこだから、足りない部分を補おうとして、ほかの人とつながろうとする、全て自分でできたら、人とかかわろうとせず、全部自分でやってしまう・・・
という話が出てきていまして・・・

これは良く分かりまして・・・
私は、船井幸雄さんのセミナーで講演をする方々ほどなんでもできる人間ではありませんが、それでも、能力的には、結構自分だけの能力でできてしまう方です。

それこそ、料理から・・・ある程度理系的なことも、外国と接するようなことでも・・・
ですので、能力的に困って人を接するということが、あまりありません。
ただしそれは、長男だったせいもあり、昔から「何でも自分ひとりでできるようになりなさい」と教育をされてきたせいもあるかもしれません。

しかし、思いますのは、人間だれでも、レベルを設定すれば、自分ひとりでできる存在なのだと思います。
そしてレベルを上げていきますと、どんなに何でもできる人間でも、一人ではできない、になると思います。

その意味では、人間というのは、その人が自分で一人ではできないようなことをしなくてはいけないようになっているのかもしれませんね・・・

私は、基本、何でも自分ひとりでやらなくてはいけない、という発想がありますので、その範囲内だけで動くような傾向があるのですが・・・それはいけないことなのかもしれませんね・・・

その他全部書き出したいくらいですが・・・長いですので、どうかお聞きください。
必聴ものです。

念のために彼女の経歴を見てみますが・・・
http://www.presencingcomjapan.org/about/board.html
(引用)

 由佐美加子(ゆさみかこ)
幼少期からヨーロッパ、アジア、米国で育ち、米国大学卒業後、国際基督教大学(ICU)修士課程を経て 竃村総合研究所入社。その後潟潟Nルートに転職し、事業企画職を経て人事部に異動。次世代リーダーのあるべき姿を模索する中でMIT上級講師ピーター・センゲ氏が提唱する「学習する組織」と出会う。以降その考え方に基づく様々な施策を企業組織内に導入、人と組織の覚醒と進化を探求し続ける。
(以上)

ということです。
ああ・・・なるほどですね・・・ICUですね。
この人がでこぼこでも、基本的になんでも卒なくできるでしょう・・・程度の差ですね。

私は思い起こすと・・・ICU卒の人には縁があるのですが・・・みなさん良くも悪くも変わっていましたが・・・悪い人だったとは言いません。

それでも、基本的には元から強運の方なのでしょう。
強運でいながら、難しいことを考えたくなる人、というのは、基本的にそれだけで興味があります。
普通は先のテレビ局の話ではないのですが、お金さえ儲かっていれば、むつかしいことを考えないのが普通で、
何かうまくいっていないことがある人は、比較的容易にむつかしいことを考えたりしやすいもののように感じています。

但し、決して必ずそうではなく・・・うまく行っていても、悩みというのはあるものですし・・・それが、森田健さん式に言えば、どれくらい下位の問いにつながっていくのか・・・その下位具合が下であれば下であるほど、今興味があります。

ただ・・・こういう高学歴、良い会社出身でない人で、「これはすばらしい」と思えるような人に出会ってみたいとも思っています。

なぜかと言えば・・・そういう人が成功しても、当たり前過ぎて、参考にならないように感じるからなのですが・・・
私がこの人と同じことをしても、同じにはならないだろうな・・・と感じるわけです。


それでも、面白い内容ですので、どうぞお聞きください。






さて、FACEBOOKですが・・・変わったことがたくさんありまして・・・,まずは外国人がらみですが・・・
一つ目は・・・ヨーロッパの国に住んでいる自称27歳、独身・離婚経験あり、男の子がいる、写真は美人、という女性がですね・・・
やたらchatをしてきまして・・
そして、人のことをDarlingとか勝手に呼び出しまして・・・chatじゃまだな・・・やりたいことあるのに・・・会ったこともないのに、馴れ馴れしいな・・・などと思っていたのですが・・・3日後くらいにですね・・・来週日本へ行く、とか言い出すのです。
で・・・いろいろ言ってくるのですが・・・最後にとうとう、「そういうわけなので、1000ユーロ貸して」と来まして・・・・(笑)・・・

NOと断り、また会いましょう、といい、アクセス拒否にしました・・・



後ですね・・・こちらは悪戯はないのだと思いますが・・・フィリピンの女の子がですね・・・どうも私の感じでは写真も年齢も事実のようなのですが・・・
日本でクリーニングの研修を受けたことがあります・・・ということで・・・フィリピンで自分のお店を持ちたいのでお金を援助してくれませんか?というのです。
断りましたが・・・いろいろ聞きまして・・・日本円で80万円くらいあればいいようなのです。

私は・・・一応、自分のファンページを作り、そこに、ありのまま書いて・・・成功したら返すので、だれか貸してくれませんか?と書けば、ひょっとしたらチャンスがあるかもしれない・・・とアドバイスしましたが・・・

その後少し工夫しているようですが・・・

但し・・・こういう感じの話が2つもあるところを見ますと・・・何かそういう詐欺?または成功話がどこかで言われているのかもしれません。


それと・・・本当にですね・・・フィリピンでも、シンガポールでも、どこでもそうですが・・・みなさん英語は相当話せますね・・・
ごくごく普通の人ばかりなのですが・・・
みなさん、日本人で言えば履歴書に「゙ビジネス英語できます」と書けるレベルだと思います。
日本語もうまい人多いのですよ・・・でも、漢字はだめ、という人がほとんどです。

これですね・・・何かうまくしたら、日本で働けるのにな、と感じます。
ひょっとしたら、翻訳、英文作成なんかは、ある程度英語ができる人が、最終的にチェックするという前提でやったら、そういう人にお任せできるかもしれないですね・・・
果たしてどうでしょうか?



次は・・・先のフジテレビの洗脳反対事件でいろいろ書いていまして・・・日本市場最も無関心人間である今の若者がデモを起こしたというのは、それだけですごい、と書いたところ、「そうではなく、閾値が高いのかもしれない」と言ってくれた方がいまして・・・先達て亡くなったジョー中山さんと同い年だということですが・・・

これは、はっとしまして・・・私もですね、普段はおとなしいと言われますので、そういう人のことはよく理解できるのですが・・・それが若者にも当てはまるかもしれない、とまでは考えが行きませんで・・・
もしそうだとすると、日本の未来は明るいですね。
もちろん、そうではなく・・・難しいことはいや、という若者が多いのかもしれませんし、先導した人が優秀なのかもしれませんが・・・
それでも可能性はあると思います。

果たしてどうでしょうか?




次はですね・・・下で副島隆彦さんが書いていますが・・・原爆危ない教ですが・・・
先達てですね・・・児玉さんという東京大学の教授が国会で激しい抗議演説をしたということで・・・その動画が話題になっているようでして・・・

私が、原発関連の記事をアップしたところ、いろいろな方々が意見を書いてくれたのですが、「怖いですね」という意見がしばしばありまして、私はそういう意見がありますと、「安心してください、必ず大丈夫なようになります」と書くのですが・・・そうしましたら、私より年上の男性で、「安心だ安心だ言っているあなたは、児玉さんのビデオを見たことがあるのか?そんなこというやつは御用学者の回し者だ」と言ってくる人が現れまして・・・
その人は後で調べますと、筑波大学の理系出身でして、当然一流企業にお勤めなのだと想像しますが・・・

で、私はその児玉さんという人などぜんぜん知りませんので、「その方は存じ上げません。私には私の情報源があります。私はテレビを見ませんので知りません」
としましたら、
「テレビも見ないようなやつに何が分かというのだ。児玉先生を知らないやつなんて信用できない」のような感じなのですね・・・
そして、「いまどき安心してください、なんていうやつは御用学者の回し者にしか思えない」とくるわけです。

私は私なりのさまざまな理由があり確信の元に言っているのですが、但しそれは、シークレット・ガバメントについてですとか、時流、森田健さんの六爻占術の結果ですとか・・・いわゆる一般の人に話には膨大な時間がかかり、あるいは理解できないことだろうと思いますので、「私の情報源があり、その中で私が確信しているものなので、今は説明できませんが・・・」としましたら・・・

それでは信用できない、おまえは原発推進の回し者だ、というような感じなのですね・・・

別に私は、原発が安全だとも、原発に溢れている放射線入りの水を飲んでも大丈夫だとも言っていませんので、「安心してください」と言っているだけで、そうつっかかってくるのです。

さすがに、頭にきまして・・・とは言え、別に汚い言葉などは使いませんで、
ただ、人を御用学者の回し者扱いしたことだけは、謝らせようとしたのですが・・・

とうとう謝りませんでしたが・・・

「そんなに重要な動画だと思っているのなら、掲載したらいいではないですか?そしてもっと多くの人に広めたらどうですか?実際ここに知らない、と言っている人がいるではないですか?」
とも言ったでしょうか・・・

そうしましたら・・・「いくら掲載してもけされてしまうんだ」と言いますので、
「9.11なんて、もう10年地近く前から消されては出す、消されては出すを繰り返しています。たかだか数ヶ月前に起きたことで、消されたからと言ってあきらめるのはおかしいです」と言いましたが。

で・・・私に原発がどれくらい危ないか、どうして解決できない構造になっているのかの資料を見せますので、見ましたが・・・こちらにしてみれば、3月以来何度も何度も掲載している内容ばかりですので、「それは全部知っています」として、「それでは、どうしてそんなにだれもわかるようなことが国会議員でできないのか分かりますか?」として、シークレット・ガバメントがどういう形でエネルギー利権に絡んでいるか(セブンシスターズのことなど)、シークレット・ガバメントに反対してきた政治家達が殺されてきたり、下ろされたりしてきたことなどをさらりと説明しましたが、案の定理解できませんでした。

その後、親切なほかの女性がアップしてくれましたので、拝見しましたが・・・基本的には私が知っているような情報でした。
ただ、あの激しい言い方は、臆病な人を恐怖のそこに落とすには十分すぎる・・・は言いすぎでしょうか・・・少なくとも恐怖心に刈られる人が、私の目の前に一人現れたのは事実です。

まあ、管さんにはあれぐらいでいいとは思いますが・・・


どう見てもですね・・・一流大学卒のいい大人が、児玉さんのビデオに圧倒されて、恐怖心のあまり冷静な判断、正しい判断ができない状態に陥っているようなのです。
ある意味テレビの洗脳のひとつとも言えるかもしれません。

だからこそ、こちらは「怖がってはいけません、私の情報源から判断すれば、絶対に解決できますので、安心して冷静に行動してください。ただ紆余曲折がありますが、みなが、当然のことを当然のようにやっていけば、きちんと解決できます」
と言っていますのに、もうその言葉を聴く前の時点で、恐怖心にかられて、冷静な判断ができなくなってしまっているようです・・・

藤原直哉さんのところでも出てきましたが、恐怖心というのは、自分のものではなく自己防衛本能、条件反射、のようなものですので・・・そして実際よりは過剰に反応するようです。
ある意味、怖い目にあってきた人のほうがそうなのかもしれませんが・・・経験の多い人とも言えるでしょうか・・・想像ですが・・・
しかし、それは自分の思考ではないようです

恐怖心に駆られると、高学歴の方でも、正しい判断ができなくなる、「安心してください」の一言で、パニッくる、ということのようです。

で・・・副島さんですが・・・http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
(引用)


[664]福島の泉くんの周辺の農家の桃を買って食べましょう。福島復興のために食べましょう。
投稿者:副島隆彦
投稿日:2011-08-20 07:14:22

副島隆彦です。 今日は 2011年8月20日です。

 同じ日本人だったら、福島産の農産物を食べるべきです。
私たちはどんどんガブガブ 福島県でできる果物、野菜、米を食べましょう。
それが同じ日本人として誰にでも出来る原発放射能漏れ事故を起こした福島復興への支援だ。

在、福島県知事が女優の三田佳子を連れて、「福島県の農産物を食べてください」というキャンペーンをやって全国を回っているそうです。私たちも賛同します。

すぐ下 ↓ の「663」番の 投稿者の 泉浩樹(いずみひろき)君は、原発から50キロの須賀川(すかがわ)市のそばの農家 (中通りという)の出で東京で映像カメラマンをしていますが、以下の文にあるように、実家の農家によく帰って農業の手伝いをする人です。

 まるでコマンドウcommando (特殊部隊戦闘員、突撃隊員)のような立派な体をした人です。5,6人は即座になぎ倒すでしょう。彼が咄嗟(とっさ)にカメラを構えるとまるで機関銃のようだ。 

 私たちの学問道場の福島復興活動本部の 看板(意見広告) も彼が作ってくれました。 下の「656」番 で 吉見君が、活動日誌の内容として写真を貼ってくれた一枚にある、国道沿いに作った私たち学問道場としての主張です。車で通る地元の人たちが物珍しそうに読んでくれます。

 その泉くんが、私たちの内部連絡網(内網=ないもう、メーリングリスト)で、自分の親戚の果樹園農家の今年の桃は豊作で味もいいのに、どうも 売れ行きがよくない、ということで、「桃を産地直送で食べたい人は生産農家を紹介しますので買ってください」と内網に書きこみましたら、すぐに「私も食べる」と注文する人たちが出ました。私も一箱(20個ぐらい、送料込みで4000円)を注文しました。

 8月上旬の活動本部での夏合宿の食料の買い出しに、船引(ふねひき)のスーパー(20キロぐらい郡山方向に戻る)に行ったら、ちょっと赤くなったおいしそうな桃(「あかつき」という品種です)が、20個で1890円で売っていました。
一個100円弱です。それを買って帰って、私は皮も剥かないで洗いもしないで、ガブガブ食べました。美味しかった。

 こういう桃は、東京のスーパーで買うと一個300円ぐらいします。それを福島の地元では100円弱で食べています。きっと微量の放射能(セシウム)入りとか何とかで、福島産の果物、野菜は、敬遠されて、全国のスーパーで売れ残っているはずです。

 福島の人たちは、当然、皆、福島産の野菜や果物や米を毎日食べている。地産地消(ちさんちしょう)で食べている。当たり前だ。
福島の人間で、「外国産の放射能の入っていない輸入品の、値段は少し高いものを食べている」というような偽善者(ヒポクリット)は、売国奴(ばいこくど)の県レベルでの人間で、売県奴だ。

 福島県人は、今も3日に一回ぐらいは起きる小さな地震を平然と受け入れながら、皆、元気で生きている。子供も赤ちゃんも、誰一人として、原発事故・放射能漏れのせいで病気になっていない。今、誰も病気になっていないということは、5年後も、10年後も誰も発病しない、ということだ。私、副島隆彦はそのように断言する。 

 私に向かって、「あなたは内部被曝のことを知らないのですか。5年後に子供たちから甲状腺がんの患者が出たら、どうするのですか。福島の農産物を食べろ、と書いて、責任を取れるのですか」 と書いてきた、主に女たち(バカ女たち)が20人ぐらいいた。私たちの学問道場から、「考えが合いません」と退会していった者が10人ぐらい出た。

 私は、重ねて断言する。福島の人は誰も放射能のせいでの発病などしない。5年後も、10年後もそうだ。今、病気にならないということは10年後もならない、ということだ。

 私は、まじめな放射線医学者で、本当の専門家である 山下俊一(やましたしゅんいち)教授( 長崎大学医学部教授のまま、現在、福島県立医大の副学長に就任した)らの言うことを、きちんと聞く。彼ら本当の専門家 たちの言葉に真剣に従う。 このことと、大事故を起こした東電への責任追及は別のことだ。

 放射線(放射性物質)の人体への影響についての本当の専門家でもないくせに、「放射能コワイコワイ」の国民扇動を行い、放射能コワイ教(目に見えないからコワイ、形がないからコワイは、まさしく宗教体験、入信体験 と同じだ) を布教して回った 者たち全員を、私は、これから、徹底的に 追及して、名指しで筆誅(ひっちゅう)を加える。

 この愚か者たちを私は絶対に許さない。向こう側は、「内部被曝の恐ろしさの知らない無知な副島隆彦を糾弾する」と来るだろう。いいだろう受けて立つよ。

 その 高級そうな「内部被曝」というコトバを、お前たちは、5月何日頃の、いったい、どのヨゴレ週刊誌 の 扇動記事で知ったのか。 何年も前から知っていたコトバではないだろう。どうして、そうやって急に、知ったかぶりをして、自分が急に頭がいい人間になったと思い込めるのだ。ただの臆病者で、ヒステリー症状を起こしやすい体質をしているだけのくせに。 

 元々、そういう人間であり、「いや待てよ。本当はそうではないのではないか」と踏みとどまって再考するだけの思考力もない者たちだ。化けの皮がはがれてよかったよ。



 私たちは、今こそ、福島産の農産物を、ガブガブ食べるべきだ。それが同じ日本人としてやるべき本当に大切なことだ。同じ国民、民族、同胞というのは、そういうものなのです。同じものを食べて生きているのです。

 泉さんの周辺農家の果樹園業者たちが、今も収穫しているこの桃(あかつき)と同じようなものが、すでに東京はじめ全国の大都市に出まわって、静かに買われているはずだ。「なんだか、すごく安いわね。もしかしたら福島産なんじゃないの」と軽口(かるぐち)を叩き合いながら主婦たちが買っているだろう。「私は絶対に福島産は食べない」と思慮深そうにする主婦もいるだろう。それでも赤く熟れて、一個50円ぐらいにまで値下がりした果物はおいしい。 

 安ければ買う、というのが消費者の切実な心理だ。それを馬鹿にしてはいけない。質のいいものをより安く消費者(国民)に提供することこそは、すべての生産者の使命であり生き甲斐だ。

 ですから、以下の泉くんのまわりの果樹園農家が摘み取って、即座に新鮮なまま、宅急便で直販(ちょくはん、現地直送)する果物以外に、、もしかしたら、福島県全体では、巨大な冷凍庫のある物流倉庫にすでに大量に滞留したままになっているかもしれない。

 私は、来週にも、また福島市の福島県庁に行って、農政部の幹部たちと会って、「売れ残って困っている福島産の果物や野菜がありますか。それらを、日本国民が手分けして、直販方式で、皆で買う、という国民運動を私たちは始めたいと思います」 と 言いに行こうと思う。 私たちはやると言ったら、やる。

 売れ残っているのなら安くしてくださいと、当然、言う。おそらく泉くんの周辺の農家も、売れ残りそうになったら、現在は桃20個4千円(送料込み。だから一個150円見当だ。送料が、関東圏で1050円かかるそうです)を安くしてくれるだろう。

 福島の現地でたべる一個100円弱とかまでは安くならないとしても、130円ぐらいまでなら、送料(運搬料)を見込んでも出来るのではないか。

 9月に入ったら、中通りのほかに、米どころの会津(あいづ)の福島産の米の大収穫が始まる。それを買い控える傾向が起きそうだったら、そのときこそ私たちが動くべき時だ。

私たちは、同じ日本人としてこうやって、同じものを食べることで福島の復興(そして、岩手と宮城の物も食べる)に協力するべきだ。同胞であるというのはそうことです。

副島隆彦拝

(以上)

ということです。

いいでしょうか・・・私は、放射線は危ないと思いますし、原発でそこにたまった汚水を飲んだら、危ないとも思いますが・・・
みなさん、あまりに自己保身が過ぎます。

副島さんが書いている通り、
 同じ日本人だったら、福島産の農産物を食べるべきです。
私たちはどんどんガブガブ 福島県でできる果物、野菜、米を食べましょう。
それが同じ日本人として誰にでも出来る原発放射能漏れ事故を起こした福島復興への支援だ。


です。


そもそも・・・もっとも怖いことを言っている学者が正しい、で判断していたら、きっと東京の人なら水道水を飲んだら、明日にでも死ぬのではないでしょうか?


 放射線(放射性物質)の人体への影響についての本当の専門家でもないくせに、「放射能コワイコワイ」の国民扇動を行い、放射能コワイ教(目に見えないからコワイ、形がないからコワイは、まさしく宗教体験、入信体験 と同じだ) を布教して回った 者たち全員を、私は、これから、徹底的に 追及して、名指しで筆誅(ひっちゅう)を加える。

 

でして・・・馬鹿に限って、何でも一番高いものにしておくものです。
オーディオでも、服でも、学歴でも何でも・・・もちろんちゃんと調べて結果、それが、そこが最適というのなら話は別ですが、分からないものだから、とりあえず一番高価なもの、一番偏差値の高いところ・・・そんな感じではないでしょうか?

もちろん、それもシークレット・ガバメントによって、そういうものを考えることができず、暗記と先生の言うことだけを聞けば、エスカレーターに乗せてもらえるというような教育を受けたのが一番の原因だとは思いますが・・・

結局のところ、言いたいのは・・・どうせ、東日本に住んでいる人は、とっくに、怖い怖い教で言えば、致死量の被爆をしていますので、もう、細かいことは言わずに、東北のためを思って、普通に作物を食べるのが、理論を越えて日本人がとるべき道です、です。

あなた、今日、水道水飲みましたね?
それは怖い怖い教で言えば、被爆です。

逃れるには、怖い怖い教を止めるしかありません。


但し、副島さんも書いていますように、これと、高密度放射線下で働いている人、その他さまざまなことで、原発事故の犠牲・被害にあったことへの保障などは別問題です。

初めから、普通の知能指数があれば、事故が起きればこういうことになることが分かっていたのに、原発を強引に進めてきたわけですので、きちいんとしてもらわなくてはなりません。

理屈としては、全部保障をして、経営的に、東電社員の給料がゼロになった時点で初めて、電気料金値上げです。
もちろん、現実問題としては、一人年収200万円くらいまでは、仕方がないとは思いますが・・・。


電気料金値上げだなんて、寝言を言うのは止めてください。



桃は売れ切れたようです。
日本は捨てたものではありませんね。

有意の方々は、どう思うでしょうか?








高島康司さんですが・・・http://ytaka2011.blog105.fc2.com/ ・・・
少し時間が経ってしまいましたが・・・FBでは何度も掲載、解説しています。
(引用)

8月12日

今回は少し早く更新できた。いつも記事を読んでいただいている読者の方々には感謝する。
コルマンインデックス終了勉強会のお知らせ
今年の10月28日にコルマンインデックスが終了します。日本時間では29日になります。29日に開催予定でしたが、場所が取れなかったため、23日の日曜日に変更しました。
ヤスの備忘録では、これまでコルマンインデックスのほか、多くの予言や予測を紹介してきました。コルマンインデックスとともに、それらを一度すべて整理し、何が的中し何が外れたのか明確にして、これからさらになにが起こるのか、最新情報を使いながらみんなで予測したいと思っています。

料金は4000円にしました。参加ご希望の方は事前に筆者までメールをください。
info@yasunoeigo.com
日時:10月23日(日)、午後2時から午後5時くらいまで  料金:4000円(資料代込み)  場所:てくのかわさき  川崎市高津区溝口1-6-10  JR南武線武蔵溝ノ口駅、東急東横線溝口駅徒歩3分
ヤス先生の未来社会創造講座 勉強会
勉強会がすごく盛り上がっています。ご都合がよろしければぜひどうぞ!
(略)

予言解説書18の有料配信

最新版 「予言解説書18」が完成しました。これは、ウェブボット最新報告書、「来るべき未来の形0巻9号」の詳細な要約です。今回は内容が濃く、普段の1.5倍の分量があります。新しい磁極の出現、「ドルの死」の過程などいよいよかと思わせる内容です。入手を希望する方は筆者まで直接メールください。 
info@yasunoeigo.com

有料メルマガ

今回の有料メルマガは今回の記事と連動している。メルマガの読者は一緒にお読みいただきたい。

今回の記事

「日本人はなぜ怒れないのか」の続きを書くつもりであったが、もっと重要なテーマがあるのでそちらを書くことにした。続きは別の機会に譲ることにする。

金融危機が始まった可能性がある。まず今回は、金融危機のこれからの展開について解説したい。

次に、コルマン博士の最新論文が出た。いつものようにその全文の翻訳を掲載する。

米国債格下げと金融危機

8月5日、格付け大手のスタンダードアンドプアーズは、突然と米国債をこれまでの最高ランクの「AAA」から、ひとつ下の「AA+」に引き下げたことを発表した。発表の後、市場は混乱し、ダウも日経も大きく下げ、世界同時株安の様相を呈した。

しかし翌日には、ダウは大きく上昇して値を戻したものの、次の日にはまた大きく下げながらも、11日にはまた値を戻すという不安定な状況が続いている。

一方、金は1オンス、1800ドルを突破した。これは史上最高値である。すでにメルマガで紹介したが、エドガー・ケイシーの霊と交信して予言するダグラス・ジェームス・コトレル博士の予言のとおり、8月中に1850ドルまで高騰する可能性も十分に出てきた。

さらにドル安もどんどん進行している。1ドル、76円台の史上最高値を更新し続け、70円台前半から60円台後半まで将来は上昇する可能性すら指摘されている。

金融危機の引き金となる米国債の下落

しかし、株安やドル安が原因で金融危機が発生するとは考えにくい。
金融危機が実際に発生するとすれば、それは米国債の下落が引き金になるはずである。
これは、2007年の前半から始まった金融危機のメカニズムと比較すると分かりやすい。

2007年前半から始まり、2008年9月15日のリーマンショックで頂点に達した金融危機は、周知のように、低所得者用の住宅ローンであるサブプライムローンの破綻が発端だった。サブプライムローンは出所を分からなくされ、優良、不良を含めさまざまなローンをミックスした「債務担保証券(CDO)」という金融商品の一部として販売された。

「債務担保証券」にはムーディーズなどの大手格付け会社から最高ランクの「AAA」として格付けされ、また他の金融商品に比べて利率も極端に高かったため、それこそ飛ぶように売れた。なかには、元本が80%保証されるものさえあった。世界のほとんどの金融機関や膨大な数の個人投資家が購入した。

そのため、サブプライムローンが破綻し「債務担保証券」が暴落すると、これを保有している膨大な数の金融機関や個人投資家は莫大な損失を被った。この損失のため資金繰りに困り、破綻する金融機関や投資家が続出した。

破綻を免れた金融機関も大きな損失を出したので、資金繰りに困り、顧客への貸し渋りや貸し剥しを行い自己資本を守る行動に出た。
これが多くの企業の破綻を誘発したので、景気は一気に低迷し、失業率は上昇した。

これが2007年前半から2008年の前回の金融危機の簡単なあらましである。

被害を受たのは民間、政府は無傷

これから始まる新たな金融危機を理解するために重要なポイントは、前回の金融危機で被害を被ったのは民間の銀行や証券会社、そして投資家であり、各国の政府は基本的に無傷であったということだ。基本的に各国の政府は「債務担保証券」を購入対象の金融資産とは見ておらず、ほとんど保有してはいなかった。そもため
、「債務担保証券」の暴落で政府が大損することはなかったのである。

救済者としての政府

政府が無傷であったため、政府は、収縮する経済に対する外部からの救済者としてふるまうことはできた。2008年当時、各国政府の財政はいまよりもはるかにましな状態にあったため、政府は巨額の財政支出を行い破綻しつつある金融機関を救済し、また大規模な経済刺激策を実施することが可能であった。以下は2008年度に実施された各国の財政出動の総額である。

アメリカ 総額200兆円程度
EU   50兆円程度
中国   100兆円程度
日本   15兆円程度

こうした巨額の財政出動の甲斐があって、各国の経済はなんとか持ち直し、
低いながらもプラスの成長率を確保することができた。失業率の上昇も抑制され、大規模な暴動のような社会不安が発生することもめったになかった。

今度は政府が問題

このような前回の金融危機と、米国債の格下げから始まる可能性のある今回の危機とを比べると、
様相はかなり異なっている。

まず、今回際立っているのは
、将来大きく下落する可能性のある金融商品が米国債であるという点だ。

「債務担保証券」は、儲けが期待できる優良な金融商品として多くの民間の金融機関や投資家が保有していた。
それに対して米国債の最大の保有者は各国の政府である。
米国債は過去70年以上にわたってもっとも信頼できる優良な金融商品とされてきたので、各国の政府が保有する額も半端ではなく大きい。

したがって、米国債が大きく下落した場合、もちろん民間の金融機関や投資家も大きな損失を受るが、もっとも大きな被害を被るのは各国の政府なのである。
(以上)

一応書きますと、サブプライムローンの時は、政府は大丈夫だったので救済ができたが、今回は、政府が被害を受けるので、どうし
ようもない、ということです。




(引用)


実際に下落するとどうなるのか?

では実際に下落するとどういうことが起こるのだろうか?それは、
債券市場全体の下落である。

米国債は、あらゆる国債の頂点に位置するもっとも信頼性の高い金融商品である。

一方、現在財政が健全な国は非常に少ない。どの国も、膨れ上がる社会保障費を国債の発行で工面し、予算をやり繰りしているのが現状だ。
したがって、もっとも評価が高い米国債すらも格下げされ、それが下落するなら、他の国の国債でも同様なことが起こってもまったくおかしくないと市場は判断するはずだ。
その結果、あらゆる国債の売りが加速し、債券市場は大きく下落してしまう可能性がある。

予算の捻出が困難になる政府

債券市場の下落は、各国の政府にとっては死活問題だ。
どの政府も予算の工面は国債の販売に依存している。
債券市場そのものが下落してしまうと、国債の販売は思ったように運ばず、資金は政府の計画したようには入ってこない。
このため、どの政府もこれまで以上に深刻な資金難に直面することになる。

民間の金融機関の莫大な損失

もちろん、民間のあらゆる金融機関と投資家も債券市場の下落で天文学的な損失を被る。
政府の国債はさまざまな投資信託や金融商品に組み入れられているので、国債全般の下落はこうした金融商品全体の下落を誘発する。
この下落による損害は、かつての「債務担保証券」の比ではないはずだ。

最後の救済者としての役割を果たせない政府

しかし前回の金融危機のように、政府が破綻する金融機関や金融システムの救済者となることはできない。
2008年の時点では、債券市場そのものが暴落することはなかった。そのため、高い格付けの国債は問題なく販売できたため、主要な先進国は、金融システムの崩壊をくい止め、失速する経済を下支えするために必要となる資金はかならず確保することができた。

ところが、債券市場が大きく下落し、
国債が思うように販売できなくなれば、各国の政府は途端に資金の工面に困り、最後の救済者としての役割を果たすことはできなくなる。そうなると、金融危機が実際に起こった場合、歯止めとなる機関は存在しないことになる。

債券市場が下落する場合、2008年のときのような、
金融危機が引き起こす金融システムの連鎖的破綻と崩壊を止める有効な手立てを失ってしまうのだ。

市場の原理では動かない政府

今回、米国債は史上初めて格下げされた。では、これで、
米国債が下落してそのまま金融危機に突入し、債券市場の暴落から金融危機が一気に拡大するのかといえばそうではない。米国債の格下げは、すぐには米国債の下落には直結しないのだ。

それというのも、米国債の場合、各国の政府は市場の合理性にしたがってこれを購入しているわけではないからである。
つまり各国の政府は、一般の金融機関や投資家のように、利益を上げることを目的に米国債を買っているわけではなく、政策的な考慮から購入を決定しているからである。

それというのも、
現在でもアメリカは世界最大の消費市場であり、そうしたアメリカの経済を、景気刺激策などの財政支出によって強力に牽引しているのが米政府だからだ。

このため各国政府は、自国の経済の米国市場への依存度が高ければ高いほど、米国債を積極的に購入し、米経済を外から支える必要性に迫られる。
もし各国の政府が一般の投資家と同じように行動していたのなら、格下げによる損失を回避するために、いっせいに国債を手放し、そのため米国債は大幅に下落していたであろう。

このようなことになっていないのは、米国債の暴落による米経済の失速を恐れた各国の政府が、米国債を手放すどころか、これを積極的に買っているからである。おそらく、この間行われたG7の緊急ミーティングでも米国債の継続的な購入が合意されたと思われる。

米国債の売りは政治判断

もし各国の政府による米国債の大量の売りがあるとすれば、それは
市場の合理性にしたがった判断ではなく、あくまで政府の現実的な戦略に基づいた政治判断だということになる。

もちろんそうした政治判断があれば、米国債は大幅に下落し、債券市場は暴落するだろう。
そうなれば、リーマンショックを上回る金融危機は避けられない。各国の政府も予算の資金繰りに困り、金融システムの救済者の役割を果たすことはできなくなる。そのため、金融危機の拡大はリーマンショックをはるかに越えた規模になることは間違いない。





そのような政治判断はあり得るのか?

では、保有している米国債をあえて売るという政府の判断はどのような状況なら成り立つのだろうか?普通では難しい。

そのような政治判断があり得るとすれば、それは、ある政府が、現在のドルを基軸通貨とした世界経済のシステムを放棄し、新しいシステムの導入を決意したときだろう。

このような判断はあまりに唐突に聞こえるかもしれないが、さほど非現実的なものではない。その引き金になるのは大幅なドル安だ。

いまドルは、各国の通貨に対して下落し続けている。もし大幅なドル安がこれからも続くと、各国の輸出にとって大きなブレーキとなる。
そのため各国は、ドル安の影響を受けない安定した通貨で、貿易やサービスの決済をする強い動機を持つようになるだろう。

このような動機が背景となり、
新しい決済システムの導入を意図するような国が出てこないとも限らないのだ。

グレン・ベックのリーク

このように見て行くと、金融危機がこれから始まるとすれば、それは米国債の下落が引き金となる可能性が大きい。さらにそれは、政府の政治判断に基づく米国債の一斉売り、ないし購入停止に結び付くなんらかの決定が引き金になると考えられる。

昨年の11月、大手石油メジャーの元重役、リンゼー・ウィリアムスは、米国大手のケーブルテレビ、FOXニュースのコメンテイター、グレン・ベックの放送を聞くようにと支配エリートから言われた。それが今後起こることのヒントであるという。ブログの記事では何度も紹介したが、再度掲載する。以下である。

・私に情報をリークしている支配エリートは、2010年11月5日に放送される政治評論家、グレン・ベックのトーク番組を聞くように言われた。グレン・ベックはその番組の中で以下のように語っていた。

・私は現在の世界経済や政治を動かす中枢にいる人々の秘密の会合に出席する機会に恵まれた。

・そこで中心者であるある女性が発言した。

・彼女によると、ある大きな事件があるという。その事件がなんであり、それがいつあるのかは示さなかったが、その事件があってからちょうど13日目に世界経済をパニックに陥れる大きな出来事があるという。

・その出来事とは、中国政府による米国債の不買宣言である。中国政府は米国債を二度と買わないことを宣言するのだ。

・この宣言があると、EU諸国や日本を始め、市場で自国の国債を販売するために、国債の利回りを切り上げる。各国は利回り切り上げ競争に入り、利回りは一気に上昇する。

・これが引き金となり、まずアジアの市場がクラッシュする。それに合わせて他の市場も順次クラッシュする。

・この出来事以降、アメリカは激変してしまう。

・彼女のこの発言には他のメンバーも同意していた。

以上である。米国債の格下げが発表になったのは、8月5日である。もしこの日がここで警告されている「ある出来事」にあたるのであれば、その13日後は8月18日から、日本時間であれば19日になる。


(以上)

でして・・・このリーク以外の文章は、まさしくその通りなのだと思います。
ぜひ参考にしていただきたいと思います。

リークについては、今日はもう22日ですので、特に何もありませんしたが、しいて言えば、アメリカを中心に株価が下がっている、ということでしょうか・・・しかし19日である、とは断言していません。


そして、気になるのは・・・今日、船井幸雄さんhttp://www.funaiyukio.com/funa_ima/も書いている自然災害が近い可能性がある、ですが・・・

NASAは、あの後、何も言いませんね・・・
いずれにしても、地震が起き易いときを狙って、HARPを使い、前回の東北震災なことを日本・・・場合にとっては世界中で起こす可能性があるかもしれません。
それが、経済と関係している、何かを意図して地震を起こす、ということですね・・・

どうも、衛星は火山活動には影響しそうな気がしますので・・・その点もご注意ください。

続いてそのエレニン彗星などについてですが・・・






(引用)


コルマンインデックス、第9サイクル、第5の夜

この日付は見覚えがないだろうか?そう、このブログでも何度も紹介したコルマンインデックス、第9サイクル、第5の夜の開始日である。

コルマン博士は、第8サイクルの第5の夜でリーマンショックが起こり金融危機が頂点に達したので、第9サイクルではより大規模な金融危機が発生し、現在の経済システムは本格的な変容が迫られるとした期間である。

第5の夜(破壊)
8月18日〜9月4日
ミッドポイント 8月26日〜27日

第8サイクル、第5の夜
(リーマンショックにより金融危機は頂点に達する)
2007年11月19日〜2008年11月12日


8月18日前後に何かあるのか?

もちろん、8月5日の米国債格下げが「13日後の中国による米国債不買宣言」のきっかけとなる出来事である保証はまったくない。ぜんぜん違う出来事である可能性もある。

いずれにせよ、そうであるかどうかは、あと一週間もすれば分かるだろう。注視して行きたい。

コルマン博士、最新論文

いつものように、コルマン博士の最新刊、
「目的ある宇宙」の翻訳チームのメンバーであるキクチさんより、コルマン博士の最新論文の翻訳をいただいた。そのまま掲載させていただく。

今回の内容はとてつもなく重要だ。ぜひ読んでもらいたい。

2011年9月23〜26日のコスミックコンバージェンスに参加しよう!

本稿を執筆している2011年7月31日は、第9サイクル第5の昼の始まる日であるとともに、全てのサイクルが完了してマヤカレンダーが終了する2011年10月28日が急速に近づきつつある。まだ3つの「昼」が残されているが(通常の数え方で3ヶ月以上である)、第9サイクルが進むにつれて、統合意識への変容に向かう高い周波数の現れが激しくなっている。
私たちは、誰でもこの最終的な変容がどのように顕れて来るかをイメージしてはいるが、その詳細については、正確なことは誰にもわからない。私たちは、患者をどのように扱うのか予想できない、宇宙という医者の待合室に座っているようなものなのである。

第9サイクルのシフトポイントの全体で、さまざまな創意に満ちたイベントが計画され、そして、それは最高点に向けた第7の昼のミッドポイント(2011年10月21日)、終了点(2011年10月28日)ばかりでなく、2011年11月11日(グレゴリオ暦の11:11:11)にも計画されている。
後者の日付はマヤカレンダーではなく数秘学に基づくものだが、マヤカレンダーによって意味を深められるとともに、それは、”終わりの時間”を通過して、その後の新しい世界の創造を祝う日なのである。私は、シフトポイントのこのような創造的なセレモニーを奨励するし、とりわけ、それらのイベントがマヤカレンダーの本当の意味と、さまざまな「昼」と「夜」を、より広く人々に理解させるものであるように願っている。だが、私たちが、今、ここで特に取り組まなければならないイベントの必要性を、とりわけ強調したい。

プロセスのこの側面を理解するためには、第6の夜の始まるシフトポイントに、十分な注意を向けておく必要があるのだ。
それは、第6の夜が始まる2011年9月23日からの数日は、マヤカレンダーのエネルギーシフトが収斂する時であるとともに、エレニン彗星が地球と太陽の間を通過するからなのである。(もちろんこれに秋分のセレモニーを加えてもよい。)

エレニン彗星は小さな彗星だが、インターネットで絶大な注目を集め、時には大なり小なりの恐怖を伴う予言と関連づけられている。そのEleninという名前からして、「絶滅レベルのイベント(Extinction Level Event)、El +Lenin(神+反資本主義革命)、Ellen In(光を意味するEllen、Helen、Elaineといった人名)、またはEl enin(神+9つのアンダーワールドの神的な計画の完了)など、さまざまに読み替えられている。
だが、私たちが実際に知っているのは、この彗星がマヤカレンダーの終了する2011年10月28日とシンクロしているということだけだ。
このように、ユニヴァーサルアンダーワールドとも呼ばれる第9サイクルは、以前にはなかったやり方で、人生に宇宙的な広がりをもたらすのだ。

言い換えれば、ユニヴァーサルアンダーワールドにおいては、人類は宇宙の市民となるのだ。意識のシフトによって、地球外のあらゆる出来事に興味を深めるようになったのだ。だが、おそらく、このシフトは主に私たちの宇宙における起源への関心を強め、そして、コスミックコンバージェンズは、第6の夜の始まる時に、この体験を十分に満たしてくれることだろう。このように、ここでの「コスミック」という言葉は、それに付随する知性と相まって、マヤの文脈においてはより深い意味合いを帯びている。

私は、マヤカレンダーが真に宇宙的で、そして神性が定めた予定表が表現されたものであることを、強調しすぎることはないと思う。マヤカレンダーを通して、神性の予定表が目的を持ち、そして慈悲に包まれているのである。このカレンダーが7つの昼と6つの夜からなるサイクルによって発展する神的な計画であることを認識できないならば、絶望や、世界の終末という信念に陥る危険がつきまとうことだろう。神性の計画との繋がりを欠くために、マヤカレンダーが終わるのは2012年12月21日であるという誤ったポップカルチャーは、しばしば終末思想と関連づけられるのである。

マヤカレンダーに記された計画が神性に裏打ちされたものであるために、宇宙で起こることには偶然など一つもないことが明らかになるのである。あらゆることが、宇宙の計画の目的を成就させるための役割を担っているのだ。私たちがたとえ困難や挑戦に直面しつつあっても、それらは意味を持っているのだ。

このような視点からすると、第9サイクルの第6の夜の始まるときと第7の昼に、エレニン彗星の出現を通じて、神は私たちに何を語りかけようとしているのかという疑問が生じるだろう。結局、彗星は、”終わりの時”に、私たちに語りかけようとしている神的な言葉の一つなのだろう。

もうひとつ、第9サイクルの、とりわけ第6の夜と第7の昼について分かっていることは、図1に示したとおり、これが統合意識へ向かう極性のシフトをもたらすということだ。
そうすると、エレニン彗星は、この最後のシフトのメッセンジャーと見なせるかもしれない。
今日では、エレナ・ブラヴァツキーやエドガー・ケイシーなどのサイキックによって、ポールシフトが差し迫っているという情報がもたらされている。
だが、ほとんどの地球科学の専門家は、近い将来にポールシフトが起こる根拠はないと述べている。
おそらくは、ブラヴァツキーもケイシーも、マヤカレンダーの異なるサイクルがもたらすシフトに馴染んでおらず、そしてそれを表現する言葉がなかったために、彼らは単に誤ってそのようなシフトを地球の電磁気的なシフトだと述べたのだろう。
このような解釈を支持する例としては、ケイシーは2000年にポールシフトが起こると予言した。実際には地球のポールシフトは起こらなかった。しかし、1999年にマヤカレンダーの第8サイクルが活動を開始したことによって、意識の極性のシフトが起こったのである。ケイシーがトランス状態で見たのは、この意識の極性のシフトだったのだろう。彼はそれを地球のポールシフトと間違えたのだ。

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意識の極性のシフトは、マヤカレンダーのシフトポイントにおいて、全宇宙、銀河系、太陽圏、惑星、人類など、宇宙のさまざまなレベルで共時的に起こるのだ。現在の第9サイクルでは、統合意識を創造するシフトがもたらされる。そうすると、私たちは、個人としてこのシフトに関わり、私たちの心からあらゆる闇のフィルターを取り除くには、どうすればいいのだろうか。
結局は、自分自身を変容させる直接の力を持っているのは私たちだけなのだ。それは、偉大なインドの指導者で賢人のマハトマ・ガンジーの言葉のように拡がるのだろう。ガンジーは、「あなたが世界に望むような変化が起こるだろう」と語っている。

コスミックコンバージェンズにとって、これは何を意味するだろうか?マヤカレンダーの法則では、サイクルの夜と昼のエネルギーは、内面の準備と外部への表出という形で相互に関連している。このことは、9月23日から始まる第6の夜と、10月11日から始まる第7の昼の、創造的なスキームの最後にあたるエネルギーのペアには、とくに当てはまることだろう。このエネルギーの交替は、第6の夜のエネルギーが私たちを祈り、黙想、瞑想などに向かわせ、反対に第7の昼のエネルギーは、第6の夜に培われた内面の変化を顕在化させるグローバルなセレモニーへと向かわせることだろう。聖性に基づく儀式や祭式は、私たちの再構成された内面の情景を外に向けて表現する上で、大いに役立つことだろう。

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エレニン彗星は、図2のBの時点に、遍在する宇宙的な知性にエゴを明け渡すように、そしてそれが統合意識へ向けた極性のシフトに参与できる最後の機会になると、私たちに警告しているように思える。
この統合意識は、ワンネス、あるいは神的な意識と呼んでもいいだろう。これはまた、”2012年問題のエキスパート”は言うに及ばず、今日の進化論的なリーダーたちの統合性が試されることになるだろう。エレニン彗星は、マヤカレンダーやそこに表された神的な計画を知らない多くの人々にとっても、最後のウェイクアップコールに聞こえることだろう。
結局、第6の夜は、この最後のサイクルがもたらす極性のシフトに備えて私たちが内面に沈潜できる、最後のエネルギーの期間なのだ。第7の昼が始まれば、新しい極性が顕在化し、その最後の仕上げが行われるのだ。

2011年9月23から26日のコスミックコンバージェンズが、これまでのイベント、たとえば同じく統合意識への希求を意図した2010年7月17から18日のコンシャスコンバージェンスと異なっている理由は、この最終局面の性質によるからである。
コスミックコンバージェンズでも、この統合意識を求めることは必要である。これは、神性と繋がり、内省と魂の昇華を行うときなのだ。神性との繋がりは、集中した祈りや、そのほかのスピリチュアルな実践を行うことで達成できる。宇宙の計画と調和し、その意識の極性のシフトと調和するために、私は次の行動をコスミックコンバージェンズの基本にするように提案したい。

(1)一貫して神性の導きにコミットし、私たちのエゴによって行動や人生の方向を惑わされないようにすること。
(2)私たちの内なる闇からの独立を宣言する。それには、他者の闇と戦うために、自己の闇を用いることを正当化することすらも、手放すことである。

http://www.youtube.com/user/forunity#p/u/2/pkVHYQFL2Xk   

(私は、内なる闇とは、永遠の何かしらの暗い力ではなく、図1に見られる低いサイクルに起因する闇のフィルターによるものだと理解している。)

このように、コスミックコンバージェンズは、本質的に私たち一人一人が世界にどんな変化を望むのかを、はっきりとさせることなのだ。私たちが過去に準備をしていなければ、これは極めて不愉快なものになることだろう。これは、この惑星上の人々や現状を非難する行事ではない。

それは、個人的に責任を負うことなのである。そこでは、私たち自身の内に沈潜し、私たち一人一人が、他の人々や地球の自然を傷つけてきたことを見つめなければならないのだ。私たちは、この世界の暴力や戦争への不満を口にせず黙ってしまうことや、あるいは、その脅威を自然な状態だとして慣れてしまっている。
密かに他者を非難したり、ただ「そんなものさ」と見守りながらも不平を言うようなことと、私たち一人一人がどれほど世界を悪くする選択をこれまでしてきたのか認めることとは、まったく異なっているのだ。

ここで重要なことは、私たちの人生におけるすでに行ってしまった行動と選択を反省しながらも、罪悪感にとらわれずに、むしろ行動の変更を通して癒しへの道を見つけ出すことなのだ。
なぜなら私たちは、ほとんどの場合、地球上の出来事についての個人的な責任にたいして完全に無感覚なので、私たちは、過去のそのような実例を思い出すために祈らなければならないのだ。そのために、私たちが本当に意識の極性のシフトを実現したいと望むのならば、そして、このプロセスに深く係わりたいと思うのであれば、私たちが過去に係わることにどれほど失敗してきたかを認識し、魂の昇華を行うことが必要なのである。もしそうしないならば、私たちは心の闇のフィルターに支配され続け、意識の極性のシフトは達成しないだろう。

このように、コスミックコンバージェンズは、統合意識への変容に責任を持ち、そのために貢献する参加者のためのものである。もちろん、これは困難な仕事に見えるだろう。だが、私たちが自分自身で統合意識へのシフトをやらなかったら、いったい誰がやるというのだろうか?コスミックコンバージェンズは、少なくとも、私たち自身が引き返すことなく意識の極性のシフトに向けて貢献するための絶好の機会を提供するだろう。そのような責任を持って生活することは、すぐには難しいだろうが、これを真剣に受け止め、熟考することによって、新しい世界への適切な導きという力強い結果が得られるだろう。そのような統合意識の実現に向けて真剣に責任を負うことが、まさに必要なのだ。

私自身は、この時にはマヤとホピの長老たちと一緒にフランスで平和の祭典に参加する予定だ。 (http://www.lothlorienfestival.com/EN )  私たちはそこで瞑想することにしている。その内省的な性質のために、コスミックコンバージェンズは、一人で行うか、あるいは安心して体験を共有できる小さなグループで実行するのが理想的だろう。私は、過去と私たち自身への内省と癒しの雰囲気の中でプロセスを進めることをお勧めしたい。そして地球全体を覆うコスミックコンバージェンズの集合的なエネルギーを自らに引き入れるのだ。

聖なる責任をまっとうするために、ロウソクの光を用いるのがいいだろう。コスミックコンバージェンズへの参加は、個人であれグループであれ、もちろん、それぞれの表現方法を用いればよい。しかし、統合意識への変容に向けた行動は誰もが行わなければならない。コスミックコンバージェンズでは、私たちが求めるものが何であれ、それに委ねなければならないのは私たち自身なのである。

意識の極性の転換を達成する上で、エレニン彗星の出現はこのイベントを宇宙的な次元へと自然に結びつけるはずだ。それと同時に、私たちに人類共通の運命を経験させてくれるだろう。この大きなスケールの文脈において、私たちは、統合意識へと向かう極性のシフトを実現していく必要があるのだ。これを実践する人々は、誰でも大きく変わり、そして周囲の人々に光と希望を広げることだろう。もし今という時間が私たちの生存にとって危機的なものであれば、この儀式はより必要になるだろう。2011年9月23日から26日のコスミックコンバージェンズは厳粛で簡素なイベントとして、世界中のあらゆる地域にいる人にとって、とても深いレベルで統合意識と繋がることになるだろう。

私は人類にとって、これが最後のチャンスであると感じている。最後の審判はそこまで来ているのだ。統合意識へと向かう極性のシフトへのコミットメントは、これから誕生する新しい世界へのパスポートであるとともに、世界が生き延びるための唯一の望みだろうと私には感じられる。

闇のフィルターは数千年にわたって人類を支配した。そこには解決はないのだ。もし人類がこのコミットメントをしないならば、世界が生き延びることは期待できないだろう。このメッセージを広めるためにみなさんに最大限の尽力をお願いしたい。そして、周りの人々にも、統合意識へのシフトに厳粛にコミットするように励ましていただきたい。私たちは、まさに待ち望まれている存在なのだ。そして、それは全て私たち自身にかかっている。

私たちが自分自身に偉大さを求めるのであれば、それは否定の内に見出されるのではなく、また恐れを引き起こすものは排除されなければならない。この創造が地上に現れるにしたがい、私たちがなすことを正視する勇気の中にこそ偉大さが見出されるのである。第9サイクルは、宇宙レベルでの変化をもたらし、私たちもその中に参加できる。しかし、それは私たちの魂の奥底からの深く真摯なコミットメントなくしては、起こらないのである。

(以上)

ということです。

これは、アセンション説になるわけですが・・・但し、世界が水浸しになる、というようなことは言っておらず、その点については、ある意味好感が持てます。

日月神示も、火山、地震などについて書かれていますが、ある日にそれが起きて、全滅というような表現ではないと解釈しています。

アセンション論については、森田健さんではないですが、あまり深く関わらない方がいいと思います。
有意の人たちは、関わっても、恐怖心に負けたりはしないでしょうが・・・あまり世間に広めたくないように感じます。

但し自然災害は、完全に自然現象としてでも、意図的でも、あるようです。

非難グッズ、非難場所、緊急時の待ち合わせ場所などはご確認ください。

内容については、各自ご判断ください。

有意の方々は、どう思うでしょうか?


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