(以上)
というものもあります。
毛色は違いますが・・・http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011042700573では、
(引用)
燃費30キロの軽、9月発売=最安値は80万円未満−ダイハツ
ダイハツ工業の伊奈功一社長は27日の2011年3月期決算発表の席上、ガソリン1リットルで30キロ走る新型軽自動車「イース」を9月に発売することを明らかにした。伊奈社長は「入り口価格(最安値モデル)で80万円を切り、量販モデルで100万円を切る」と述べた。月間販売1万台を計画している。
同社長は「東日本大震災からの復興という面から見ても、安くて燃費のいい車へのニーズがある。イースを一日も早く出すことで、軽自動車の存在感は増していくと思う」と指摘した。(2011/04/27-15:04)
(以上)
というのもあります。
日本の工業力、技術力はすごいです。
有意の方々は、どう思うでしょうか?
先達て、どこかの商業施設で、天井から金属の塊が落ちてくる動画を掲載いたしましたが・・・
どうも、倒壊しなくとも、あれだけ大きいと危ないようでして・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110504-00000000-jct-soci ですが・・・
(引用)
九段会館だけでない地震による天井落下 首都圏の大型施設で続出していた
J-CASTニュース 5月4日(水)10時12分配信
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拡大写真 |
九段会館(写真)以外の大型施設でも天井落下の被害があった |
東日本大震災の影響で、
首都圏の大型施設でも天井落下の被害が相次いで報告されている。天井が重い材料でできている場合、落下すると生命の危険すらある。
専門家は「耐震性の乏しい天井は、揺れにより落下しやすく、行政の対応も必要だ」と指摘する。
地震が発生した2011年3月11日の九段会館では、専門学校の卒業式が行われていたが、天井の一部が落下。学生ら26人が重軽傷を負い、2人の犠牲者が出た。九段会館は今も休業が続いている。
■日本科学未来館も一部が崩落
建物自体は無事でも天井が落下する例は、首都圏の別の施設でも起きている。
コンサートホールの「ミューザ川崎シンフォニーホール」では、1〜4階部分の客席が、落ちてきた仕上げ材や軽量鉄骨、天井下地などで埋め尽くされた。川崎市によると、現在、被害の原因を究明するため、現場はそのままの状態で保持しており、調査を終えてから改修工事に入る。予定していた公演については中止か、会場を変更して行われている。
また、動画サイト「YouTube」では、日本科学未来館であった天井落下の瞬間を映した動画が投稿されている。「これはひどい」「えー」など狼狽した男性の声が聞こえた。日本未来科学館によると、本震で天井ボードの一部が落ち、その後の余震で別の部分も落下した。屋根の鉄骨や配管がむき出しの状態だったという。被害を受けて、現在、天井ボードに軽い素材を用いるなどして、天井を新たに作り替える作業中だ。6月中の開館を目指している。
神奈川県の横浜駅西口近くにある商業施設「ハマボール
イアス」。8階にあるボウリング場「ハマボール」でも被害があった。運営会社の発表によると、震災から1か月経った4月11日、営業再開の可能性、時期、方法等について検討を重ねたものの、復旧の目処がたたず、
ボウリング場は閉鎖し、事業から撤退することになった。
そのほか、個人ブログやツイッターなどでは、震災時に首都圏のフィットネスクラブや映画館に居合わせた人たちが天井落下の様子を写真付きで紹介している。
■「明確な耐震性能を記述する必要がある」
首都圏のホールやスポーツ施設など大規模施設で、なぜ天井が落下してしまったか。
構造エネルギー工学を専攻する筑波大学の金久保利之准教授は、「一般的に大空間の建物は、屋根の構造材(梁や床スラブなど)から天井までの距離が長い(懐が深い)。耐震性の乏しい天井、たとえば補強する部材のない場合などは、地震動の揺れにより落下しやすい」と説明する。こうした天井は、注文や施工がしやすいという特徴があった。
天井の落下は以前にも問題になったことがある。金久保准教授は「2000年代にも同じような形式の天井パネルの落下事故が見られ、
国土交通省や文部科学省では、標準仕様書というかたちで耐震性の高い天井を施行するように指導しています。今回の地震で落下した天井では、これらの仕様書の作成前に施工されたものが多いようです」と言う。地震を受けて、既存の建物についても天井の耐震性について考慮する必要があり、同教授は「法令や規準などで明確な耐震性能を記述する必要があるように思います」と指摘する。
(以上)
で・・・日本科学未来館の映像はこちらです。
結構、危なくてですね・・・ビルの天井というのは、何度か書いていますが、見かけ上の天井の更に奥に本当の天井がありまして、その間は空間になっているのですね・・・
昔プロジェクターを吊る時など、吊金具は本当の天井に刺さなくてはいけませんので、良く確認しました。
ですので・・・イベントなどで、短い時間吊り下げるものなどは、本当の天井部分固定されていないようなこともあるでしょうし、案外軽そうに見えるモノなどもそういうこともあるかもしれません・・・通常なら見かけ上の天井の強度でも軽ければ落ちてはきませんので。
流石に東京タワーの、あの下が見える床にある窓などは大丈夫だとは思いますが、構造上、何か危ないな、と思うものの近くには、地震の時などは近寄らない方がいいですね。
九段会館の様子がこちらにありますが・・・
Roof Collapse on Tokyo Graduation during
earthquake 03-11-2011 http://www.youtube.com/watch?v=D16mcvCXp24&feature=related
次に何かあった時の何かの情報になると思いますので、是非ご覧ください。
私は昔から、大きな会場に入る時には、天井を見る癖があるのですが・・・最低限頭の上には何があるか、くらいは確認しておくのが良いように思います。
そして、大きさを測って、どこまで逃げておけば大丈夫そうだと検討をつけて、揺れたらとにかくそこまで一目散に走るなどすると良いのではないかと思います。
揺れた後に上を見ていたら逃げ遅れてしまいます。
これは、私はよくそういう想定をします。
そうでないと緊急の場合に対応できませんので・・・決めておくと結構できます。
参考になれば。
ブログですが・・・http://ameblo.jp/saita-saki/entry-10878670973.html ですが・・・
(引用)
フィギュアスケート世界選手権。
本来は東京開催だったけれど、震災の影響で開催不能に。
そのため、1ヶ月遅れでロシアでの開催となった。
この世界選手権で、代替開催国となったロシアは、
わずか1ヶ月という準備期間にも関わらず、あらゆる面で日本に多大な配慮をしてくれている。
自国開催を楽しみにしていた日本国民がテレビで中継を楽しめるようにと、日本時間のゴールデンタイムに合わせて開会。
開会式では日本を、被災地を応援する演出。
そしてフィナーレでは、日本選手を中心に、日の丸を描いて各国の選手が輪になって、日本を励ますパフォーマンス。
選手たちも、随所に日本へのメッセージを伝えてくれた。
アモディオ選手は、減点対象となるボーカル入りの曲をあえて使用。
「これは日本の人たちへのささやかな歌のプレゼントだ」と。
(略)
ところが。
ロシアからの、こんな温かなメッセージは、
しかしほとんどの日本国民には届いていない。
独占中継したフジテレビは、このメッセージを放送しなかった。
(略)
(以上)
ということです。
そうですね、気が付きませんでしたが、ロシアは、短い時間でスケートのために対応してくれたのですね。
こういうのは、もっと表に出すべきだと思います。
もちろんアメリカにしても、中国にしても、台湾にしても、その他の多くの国々にしてもですが。
また別にフジテレビを責めるつもりはありませんで、きっとどこの放送局でもそうだったかもしれませんが。
確かに、どこの国でもそうかとは思いますが・・・「それは仕事上のことだからお客さんである聴視者には言わなくていい」というのはあると思います。
しかし、どうでしょう・・・これかたはですね、言ってもいいのではないでしょうか?
岡田多母さんではないですが・・・それは男の理論で、料理を作った方はちゃんと誉めて欲しいと思うものですし、それは男女とも同じですし、誉めて認めますと・・・決行ですね、心を開く人は多いです。
有意の方々は、どう思うでしょうか?
苦節13年の実松選手がサヨナラヒットを打ったようですね。NHKのニュースでも言っていましたが、こういう方が活躍すると嬉しいですね。
報道ステーションでは、なんでも戦争の記憶を、若い世代に語り継ぐ企画を始めたそうです。
大変素晴らしいですね。
NEWS23Xでは、堀江さんが出演していましたが、やはりずいぶん変わったようで、収監前にお世話になった方々に挨拶に言ったりしているということを話していました。
途中昔の癖でしょうか、話し方が変わりかけるようなシーンもありましたが、ちゃんと修正し穏やかに話していました。
過去は問いませんので、何でもすぐに修正するのが良いですね。
回りも、誰に対してもですが、そういう習慣ができると、急速に環境が良くなりますね。
長らくコピーだけ置いておいたhttp://www.funaiyukio.com/ikedaseiji/index_1104.asp ですが・・・全て良い内容だと感じますが、とりあえず、どうしてもコメントした部分だけ、コメントいたします。
その他、良い文章ですので、是非ご覧ください。
(引用)
2011.4.5(第5回)
日本は蘇る! …世界を救うヤマトごころ
3月11日、未曾有の大震災が東日本を襲った。史上最大規模の地震と津波という天災に加え、原発暴走という人災が重なってしまった。
阪神淡路大震災と有珠山噴火災害に自衛隊の運用責任者として現地で活動した私の体験から言えることは、天災だけならば、@人命救助/遺体収容 A生活ラインの支援/確保 B災害復旧という三段階でやがて復興できる。もちろん災害の規模に応じて期間の長短はあるものの、必ず地域も復活する。現にこの目でその町の再生を見てきた。
また歴史を見ればあきらかなように、四季折々自然豊富な列島に住んできた我々日本人は、列島のこの宿命の試練に耐えて、常に進化してきた。江戸時代の大火においても、灰が暖かいうちにもう大工が家を建て始め、僅かの間に皆が助け合って町を再建した。その悲惨な中にも明るくかつ辛抱強く、ともに協調して働く姿に、訪れていた外国人が驚嘆し感動して母国に伝えている。世界の他の地域でこのような大災害が起これば、そこはもう廃墟となってきた。
われわれ日本人は、ムー大陸の文明を受け継いで列島に住み始めた縄文時代からこの列島で、地震さえも一つの自然現象としてあらゆるものと共生して生きてきて、「和をもって尊し」の「ヤマトごころ」を育んできたのである。
それが、他の国々の人々にとっては、「目指すべき高い人間的社会」という「世界の雛形」の役目として映り、古(いにしえ)より敬われてきたに違いない。
買い物途中の地震で一時退避しても、壊れた店のレジの前に、また列を作りに集まる国民など、世界中探しても日本人しかいない。
忘れてはならない。縄文から伝わり大和王朝で文献上に初めて現れ、江戸の人情豊かな市民社会で華とひらいたヤマトごころは、未来永劫日本人の心に宿り継がれるのである。
忘れないで欲しい。それが今生の世界における「日本の役割」なのである。
ところが福島原発の放射能汚染という「人災」だけは、この復興3段階の適用ができなくなる。プルトニウム239の半減期が2万4千年ということだけでも、この汚染地域が未来永劫使用できないことがわかる。
核燃料は、止めた後、完全に冷却するのに50年はかかる。それも通常運転後の処理に要する期間である。
その後、放射能物質という人類が作った最悪の害毒を密封して、未来の人類の叡智に処理を託して青森の六ヶ所村に封印されるわけである。
その最終的な処理ができない限り、いずれ六ヶ所村が現代文明終焉の放射能汚染震源地になるであろうことも予期できる。
福島原発の場合は、冷却水装置(ポンプ)電源の故障による原子炉の空炊き暴走・爆発により、その核燃料から直接放射能汚染物質を撒き散らしながら、未だ収束の目途さえ立っていない。
実は、レントゲンのような一瞬の高い放射線の被曝よりも、弱い放射能の連続的被曝の方が人体に対する影響が強いことも指摘されている。これを「ペトカウ効果」という。
報道では一切言わないが、100万キロワット級の原子炉1基で、2〜3トンのウラン燃料があると思われる。
広島型原爆は僅か800グラムのウランの核分裂反応で10万人以上の非戦闘員である市民の命を奪った。
更に各基にある、3〜5年冷却用プールの核燃料は何トンなのか。
またその後数十年単位で冷やす共通の冷却プールには、約6000本の核燃料棒があるという。
これらのどのプールの冷却水が枯渇しても核の暴走が始まる。更にまずいのは、人類が作った史上最悪の猛毒であるプルトニウム239を使った核燃料MOXを3号機が使っている。
築40年の老朽3号機に、全国でも3基しか使用例のないプルトニウム燃料を、なぜ4ヵ月前から使っていたのか。
角砂糖5個分のプルトニウム239で全人類が滅びると言われている。
不思議なのは、日本ではこの様な「真実」が主要メディアでは流れない。
仮に暴走しかけた核燃料を数年で処理できても、上記のように冷却しないかぎり、動かすことはできない。さらにそれ自体が一度運転すると放射能汚染源となる原子炉そのものの廃棄処分には更に数年を要するであろう。加えて放射能の特性から冷却に使った水、爆発で粉々になったコンクリート片等々すべてが放射能物質となる。
これらを完全に封じ込めるまでに汚染地域がどこまで拡大するのか全く予断が許さない状況である。
特にこの間に、プルトニウムを燃料とした3号機の核燃料MOXが万一爆発で飛散した場合、東京でも即死者が出てもおかしくない綱渡りの事態なのである。
しかも、循環冷却装置が故障しているので上から常に水を補給しなければならない。
ところが総延長80kmの管の化け物の原子炉には地震や爆発で接合部等が破壊され、いくらでも漏れる穴がある。
上から流す分だけ、その穴等から下へ高放射能汚染された水が流れ出る。
ここからまた「ペトカウ効果」的な、放射能汚染地帯が拡がる。
今もっとも国民の健康に大事なことは、このように拡がる放射能汚染マップを日々刻々キチンと公開することである。
正確な情報が流れれば、その地域に入らなければいい。余計な風評に怯えることもなくなる。
最大の問題点は、その「真実」をTV等のいわゆるメジャーメディアが一切報道しないことにある。
なぜなら主要TV局、新聞社の役員は原子力関係委員会や電力会社出身者でおさえられているからだ。
さらに、電力会社が各TV局等の最大の広告スポンサーなのである。完璧に「原子力事業推進」の情報しか流れない仕組みになっている。
まさに私が指摘する典型的な「マインドコントロール」構造である。
だから日本では、住民・国民の命・安全よりも原子炉・原子力事業(企業)の保全のための情報が流される。
我々は、まずこの「本当のこと」を認識しなければならない。
そのせいかどうかはわからないが、今回の大災害でとても奇異に感じることは、「政府現地対策本部」が仙台あるいは福島などに設置されていないことである。
阪神淡路大震災で国の対処の遅れが指摘され、大規模震災基本法が改定された。
つまり、大震災の時には迅速に「政府現地対策本部」を設置することが規定された。
これにより、国として現場で迅速に総合的に情報を入手し、的確な意思を決定、それに伴う国を挙げての迅速な処置ができるようになった。
そして実際に、有珠山噴火災害で初めて有珠山の麓の伊達市役所内に立ち上げて大成功し、長期化に伴いプレハブを設置、噴火の終焉まで活動した。メディアもここに集中するので、広報と一体化した総合的な運用ができる。被災民・国民もすみやかに事実を知ることができて、人心の安定に寄与した。
それ故これがじ後の国レベルの災害対処の雛形となった。先の中越地震災害等でも、極めて効果的な災害救助ができていた。
阪神淡路で悔しい思いをして、有珠山でこの現地対策本部の立ち上げと活動ルールの確立に直接かかわってきた私としても秘かに誇りに思っていた。
ところがなぜか今回は、福島から200kmも離れた都内で、各機関バラバラの活動をおこなっている。唯一統合されているのは、東北部方面総監の下に陸・海・空が統合運用されている自衛隊だけである。
本来なら今回の事態対応の国軍最高司令部といえる方面総監部があり、かつ被災地のほぼ中央に位置する仙台に政府現地対策本部がただちに設立されなければならない。
ところがいまだに東電の現場からの電話一本の情報源で、記者会見から全国への報道となっている。「彼ら」から見れば、完璧な報道統制、情報操作ができるわけである。
これではまともな政策判断もできず、国民へも放射能汚染の実態等の真実が伝わらない。いや、原発の危険性をカモフラージュして、これからも原子力事業推進に支障をきたさないようにするために、要は「真実を出さないため」に政府現地対策本部が開設されないのかも知れない。TVニュース等はこの観点でチェックして欲しい。
このような情報封鎖の中で、私のかつての部下であり、空手道の愛弟子たちからメールが来た。現場の彼らは、命を賭して活動するだけあって、自ら置かれている状況をよくわかっている。わかっても黙々と救援活動に邁進している。これこそヤマトごころに基づく武士道の体現そのものであろう。
「自分達は、朝現地へ行き、壊滅した町を見て、夜宿営地で現実に戻る事が辛い日々です。自分達が引き上げた遺体を、収容所で家族が見てどうしているのか・・・?
現実に直面し、望みが消えて悲しんでいるんだろう・・・。
先の震災(阪神・淡路)のときのように、『自衛隊が助けられなかった』と自衛隊反対派に煽動された市民に罵声をとばされている同僚がいるのだろう・・・と皆心配していました。
しかし先日、遺族の方が、捜索中に、『収容所でおじいちゃんの遺体を確認できました。ありがとうございました』 とお礼を伝えに来てくれました。
皆涙をこらえて、一緒に来ていた子供に手持ちのお菓子をあげていました。
(筆者注:捜索隊員は、いつ食事がくるかもわからず、それでも連続して活動できるように、個々に甘菓子などをポケットに持っています。それが文字どおり活動源ともなるのです。厳しい訓練でも、ちょっとした時に自ら食べ物を口にすることができる隊員は、その力を継続して発揮します)
そして現地までの道中で、寒い日も雪の日も、手を振って頭を下げ、応援してくれるお爺さんがいます。『自衛隊さん、頑張れ!』と手作りの看板を持って応援してくれる子供達がいます。
日が暮れるときに集合して翌日の行動予定などの指示を聞いているときに、『自分の身内がまだ見つかっていません、隊員さん、どうか宜しくお願いします』と泣き崩れる男性。
自分達は涙を拭きながら『この人達のために』と、毎日決意して頑張っています。
被災者からの温かい言葉に助けられます。」
「とても悲惨な地域で必死で捜索しています。ところで、これまで阪神淡路や様々な災害派遣に行きましたが、今回とても奇妙な現象があります。これまでの体験によると、地元出身の国会議員などが、邪魔なぐらいに現地視察に来ていたのに、今回は全く誰もきません。放射能汚染だと思います。つまり、我々を抹殺するために今回のことが起こっているのでは!? と思わず考えることがあります。もっともそういうことが頭によぎっても、肉親を捜している人々を見ると、とにかく1秒でもはやく見つけてあげようとがんばっています。」
いかがでしょうか。彼らは、空手道にも熱心で、教えていた当時は一度も稽古を休んだこともありません。小さな自分の子どもと一緒に稽古した隊員もいます。
現在、現地では約10万人の自衛官が救助に当たっています。この中には、上記のような約100の支部に籍を置く自衛隊空手道部員も活動しています。彼らはサムライ精神で黙々と任務を遂行するでしょう。
数日後、その1人からメールが届きました。彼は、生まれた子供に、私と私の三男の名前から一字ずつとって「悠整」君と名付けました。
「昨日、いつも手を振って応援してくれるお爺さんに、売店で買った耳覆いとネックウォーマーをプレゼントしました。『お爺さん、これ…』とジープのスピードを落としてなんとか手渡しました。
今日いつもの場所に、自分達と同じ迷彩の耳あてとネックウォーマーをしたお爺さんが手を振っていました。お爺さんの気持ちと一緒に任務を行ってきます。
今日は悠整の保育園の入園式です。自分が通った保育園と同じ保育園へ通う事にとても喜びを感じます。初の園服姿を見て『おめでとう』と言ってあげたかったのですが、メールで伝える事になりました。
隊員の家族は、自分の夫や親、そして子供が災害派遣に行く事に不安や心配、さみしさを抱くと思います。そういう思いをこらえて隊員を送り出してくれていることが、隊員の家族が行っている被災者への支援だと思います。
そんな支援の中、立派に入園式を迎えさせてくれた、家内、靖斗、両親、そして悠整本人に感謝します。」
退官の身となった私としては、一日も早く、かっての部下たちが任務を達成して無事家族のもとに帰還することを祈るのみです。
『転生会議』(ビジネス社)にも書きましたが、人は何度も地球に生まれてきては、愛と感謝と共生を体験する中で、魂のレベルを上げて、やがて地球を卒業して行きます。
そういう意味では、過酷な体験の中で、魂レベルで愛と感謝と共生を体験している被災者の方々と、それを無私の心で助けている自衛官たちこそ、最高の霊性レベルの勉強、すなわち本来の人生の目的に向かって歩んでいるのかも知れません。
また、亡くなられた3万余の方々は、ともすると日々の生活の中で、「今だけ・自分だけ・お金だけ」で生きていた私たちに、人間本来の目指すべき方向、魂レベルの覚醒をさせるために、自らその役割を負った尊い魂かも知れません。
太平洋プレートが動いている以上、本番とも言える東海・東南海・南海プレートの巨大地震は目前でしょう。前の江戸時代の時には、津波で鎌倉の大仏様の頭が落ちました。私には、「その前にせめて浜岡原発や3号機と同じプルトニウムを使っている伊方原発は止めておきなさい」と、亡くなった3万の魂が身をもって教えてくれている気がします。特に浜岡原発の場合、砂浜の上にあり、まさに砂上の牢獄なので、今回のような巨大地震と津波で確実に倒壊し、保管プールも横倒しとなる。放水の緊急冷却も不能となり、確実にメルトダウンが始まることを断言しておく。
それ故になおさら、まず日本が、本来持っている技術をしっかり結集して、永遠の地獄の釜である原発に依存する社会からすみやかに脱皮すること。そして人間本来の自然と共生する生き方とマッチしたクリーンエネルギー社会を雛形として実現してみせること。それが世界のリーダーとしての日本の本来の役割だとエールを送っている声があなたには聞こえませんか?
原発がなくとも、十分にクリーンエネルギーだけで、現在の経済活動がまかなえることも、「真実」を知る人たちには、自明の理なのです。プラズマと五井野博士開発のナノテクの実用も始まります。
本当のことを知れば、生き方が変わります。1人1人の生き方が変われば、ヤマトごころに溢れた、日本人本来の人情豊かな社会になります。日本が変わるとき、世界が変わります。そして、地球が進化して五次元・弥勒の世に進化することでしょう。
私には、その地球が見えます。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
◆東藝術倶楽部顧問
(以上)
最大の問題点は、その「真実」をTV等のいわゆるメジャーメディアが一切報道しないことにある。
なぜなら主要TV局、新聞社の役員は原子力関係委員会や電力会社出身者でおさえられているからだ。
さらに、電力会社が各TV局等の最大の広告スポンサーなのである。完璧に「原子力事業推進」の情報しか流れない仕組みになっている。
まさに私が指摘する典型的な「マインドコントロール」構造である。
だから日本では、住民・国民の命・安全よりも原子炉・原子力事業(企業)の保全のための情報が流される。
我々は、まずこの「本当のこと」を認識しなければならない。
そのせいかどうかはわからないが、今回の大災害でとても奇異に感じることは、「政府現地対策本部」が仙台あるいは福島などに設置されていないことである。
阪神淡路大震災で国の対処の遅れが指摘され、大規模震災基本法が改定された。
つまり、大震災の時には迅速に「政府現地対策本部」を設置することが規定された。
この部分でして・・・
何度も書いてはいるのですが・・・東電の「お詫びのCM」にしても、その料金はテレビ局に支払われる、という状態でして・・・なんともどうしようもないことになっていまして・・・
この数日くらいから、そのCMはなくなりましたが・・・
会社の役員にも関係者がいるとなると、なんともむつかしいですね・・・
ですので、長期的展望としてですが・・・ニュース報道専門の放送局を作り、法律で受信料金を徴収して運営するようにしたら良いのではないでしょうか?
ちゃんと裁判所並みに、経営者を選挙のたびに評価するような仕組みも取り入れてですね。
そして、NHKもCMを放送し自立する・・・
ニュース専門局以外でも、ニュース報道を行って良いが、おかしいと分るわけでして・・・逆もそうで、1局だけだと絶対におかしなことをしだす可能性もありますので・・・それで良いように思います。
もちろん、通産省の管轄化ですので、政府からの影響は100%受けないわけには行きませんが・・・それもですね・・・そのニュース放送局だけ、管轄をどこか違う機関にするとかですね・・・
資本主義を続けるのなら、そういうやり方でないと公正なニュース報道というのはありえないですね。
だって・・・普通に考えて・・・本当のことでも東電のニュースを流したら、東電の経営陣が一般人と同じ程度の人間性であるのなら、その局にはCM出したくないですよね?
でも、放送局はお金が欲しいわけで・・・そうするとテレビ局の経営陣の人間性が一般レベルであるのなら、手心を加えざるを得ないわけですがし・・・
とは言え、それでは困りますし・・・
CMだけではなく、役員にOBがいたり、初めから影響力を及ぼすために入ったのならなお更でして・・・「電力は足りない」「原発は環境にいい」と放送したくもあるわけだと想像します。
これが、シークレットガバメント・・・国際資本とパイプがあれば、当然のように、もっと辛辣になってきて当たり前です。
とは言え・・・どうも資本主義が相当近い内になくなるようでもありまして・・・10月28日がキーポイントのようですが・・・
そうすると、また考え方が変わってくると思います。
しかし、そういう放送局を作れるかとなりますと・・・そういう政治家が沢山出てくる必要がありますね。
有意の方々は、どう思うでしょうか?
今週の土橋さんは、
(引用)
2011年5月 3日 (火)
(以上)
ということです。
興味のある方は、お聞きください。
さて・・・森田健さんですが・・・
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マイケル サンデル 究極な選択 その1
が、先達て森田健さんが書いていた番組です。 掲載すると消されてしまうのですが・・・どうぞ消さないで頂きたいと思います。 多くの方々が、考える良い機会です。 |
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今日のかきこみですが・・・ (引用)
池田晶子著「残虐人生論」・・死はどこにあるのか 表記の本を読みました。 面白いのでこれから数回に渡って紹介します。 ちなみに著者はすでに亡くなっています。 |
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うーん、難しい(笑) 一瞬一瞬「死」があるから「生」がある。
分かるようで分からない。 しかし「一度きりの人生だから」と言って一生懸命に生きるよりはマシだということは、なんとなく分かります。 だってそうでしょ、一度きりの人生をマジに生きて、どうすんの? 彼女の文章があまりにも難しくて、むしろ、みなさんの感じたことを聞きたいです。
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「宗教」ではない宗教性
メインにも出しましたが 池田晶子の「残虐人生論」を読んでいます。 メインにも出しましたが、こちらは、独り言にふさわしいページを紹介します。
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たぶんメインに出したページよりも、こっちのうほうが分かりやすいと思います。 著者の言っていることは私の言っていることと、あまり変わらないような気もします。 紹介したページの面白さは信じている人も、信じていない人も、斬っているという点です。 >信じている人も、信じていない人も、斬っているという点です。 宗教を信じていない人は宗教を信じている人を批判しますが、では信じていないあなたはなんで生きているのか?・・と
むしろ私は宗 教を信じた人のほうが健全だとさえ思います。 >宗教を信じた人のほうが健全だとさえ思います。このHPには、一度宗教にはまった人もいます。そういう人は最高です。 私には神はいない・・とか言う人がちょっと理解できません。毎日を刹那的に生きているんじゃないかって思ったりします。 このHPは「神の性質」を考えるところです。
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(以上)
ということです。
池田晶子さんの文章ですが・・・何かとても親しみがありまして・・・
「別に責めているわけではない」・・・ですね・・・どうしても理論的と言いますか、理屈をこねますと、「責めている」ように取られがちでして、これが良く分りまして・・・ただ当人としては別に責めているわけではないのですが・・・自分の話したい内容を、的確に伝えたいだけなのですね・・・
また、句読点の打ち方ですが・・・
(引用)
それは、最初から最後までひとりっきりで考え、られるし、また考える、べき性質のものなのだ。だからそのあたらなる名称は、
垂直的孤絶性、とか、凝縮的透明性、とか、そんなふうな響きをもった、何を隠そうその名は、「哲学」なのである。
(以上)
でして・・・これも私は非情によく分りまして・・・私も普通と少し違うだろうな、と想像される句読点の打ち方をするのですが・・・
良く分りまして、本人的には「これしかない」わけで・・・また、池田さんの打ち方は、私的にもよく理解出来る打ち方です。
これもですね・・・とにかく、正しく伝えたくてですね・・・何を正しく伝えたいかと言いますと、自分の頭の中で起きているといいますか、読んでいるといいますか、生み出されているといいますか、その文章、言葉を、生み出される過程、理論過程をそのまま、正確に誤解なく伝えたいのです。
もちろん、だからと言って、私がこの方の書いていることを理解出来るかどうかについては、それは別の問題ではありますが(笑)。
うーん、難しい(笑)
一瞬一瞬「死」があるから「生」がある。
分かるようで分からない。
しかし「一度きりの人生だから」と言って一生懸命に生きるよりはマシだということは、なんとなく分かります。
だってそうでしょ、一度きりの人生をマジに生きて、どうすんの?
彼女の文章があまりにも難しくて、むしろ、みなさんの感じたことを聞きたいです。
はですね・・・私的には・・・
今この瞬間にも「死ぬ可能性はある」、そして、「今この瞬間にも生きている可能性がある」の連続が生きているということ出るにもかかわらず、多くの場合、今しばらくは生きている・・・そして死とは何年か後のことである、と考えている、それはちょっと違うのではないか、
その考え方では、本当の意味での生も死も実感できないですよ・・・ということではないかと思います。
分る人は分ると思いますが、書き換えますと・・・
池田さんは、人生とは、
→時間軸→
瞬間 |
瞬間 |
瞬間 |
瞬間 |
瞬間 |
瞬間 |
生きているかもしれない |
生きているかもしれない |
生きているかもしれない |
生きているかもしれない |
生きているかもしれない |
生きているかもしれない |
死んでしまうかも知れない |
死んでしまうかも知れない |
死んでしまうかも知れない |
死んでしまうかも知れない |
死んでしまうかも知れない |
死んでしまうかも知れない |
が、毎瞬間ごとに存在する連続であるとしているのですが、
一般の人は
生きている→ → → → → → → → → → → → → → → →→ → → → → → 死(未来のどこか)
と思っている・・・
という感じでしょうか。
そして、これでは、人生に意味を持つということに関して決定的な勘違いであり・・・
おそらくですね・・・考えとしては、「瞬間瞬間に生きている」「瞬間瞬間を全力で生きる」「生きていること自体が奇跡の連続である」というようなことに近く・・・私などは、時々聞かれるこれらの言葉は理屈では分っていながら今ひとつからだで分っていないのですが、この方は、分っており、それを何とかして理論で伝えたいと思っているのではないでしょう?
それ故、決定的に勘違いである、という表現になる・・・
それは、ある意味・・・積み重ねの人生論の否定でもあり、今は生きている、何年後かには死ぬ・・・という発想がそもそも積み重ねの人生論の元であり、それは、積み重ねの人生論そのものが根本的に勘違いなので、実は何の意味もない・・・
ということを「理論癖」で表現したがっている文章に読めます。
そして、生と死は陰陽であり、表裏であり、生を分るので初めて死が分る、死が分るので初めて生が分る・・・
それ故、未来の最後のどこかに死がある、だなんてことでは、実は生を分ることはできない、
生死はどこにあるのかと言えば、いまこの瞬間に表裏、陰陽の形であるのだけれども、「いまここ」と言っても、そう認識したと時にはすでにそれは過ぎ去ってしまっているものである・・・(しかも脳が認識するのは、信号がきた何秒か後ですね)・・・
だから、「ここ」なんてどこにもない、
だから、「瞬間、瞬間」・・・「いまここ」と言いはしたが、それはある意味永遠に認識できないものであり、「なんとま不思議に明瞭すぎる話」であり、そうとは言え、一般的には、この明瞭な話そのものをおそらくは考えたこともなく、意識したこともなく、感じたこともない・・・
それなのに、「勘違いである」ところの、漠然と設定した、生とは生まれてから、いつか特定できない死ぬ瞬間までで、死とはいつくるか分らないその時であり、その設定に基づき、あれを求めたり、これを求めたりしているのが一般的である・・・
私は人生プランなど持ったことはない・・・人が人生に意味、プランを持つのは勝手だが、少なくとも、
「勘違いである」ところの、漠然と設定した、生とは生まれてから、いつか特定できない死ぬ瞬間までで、死とはいつくるか分らないその時でありると思って人生の意味を求める仕方は「決定的な勘違いである」・・・
ということですね・・・
分り安いです・・・
確かに、普通、私もですが・・・明日生きている、あるいは1秒後に生きているということは意識するのですね・・・
それ故、明日の朝ごはんを買っておいたり、今以降何度も聴くと思っているCDを買ったりするわけです・・・
しかし、1秒後に死んでいる、ということは意識しない・・・
もし意識していれば、ぜんぜん生き方は違ってくるわけで・・・
そうとは言え・・・今度は、1秒後に死んでいるかもしれないを意識しすぎますと、1秒後に生きているかもしれないを蔑ろにしてしまいますので・・・全力出しすぎて動けなくなってしまうということも考えなくてはいけないわけでして・・・
ですので、結局の所、一般的には、1秒後に生きているということに対しての意識にあまりにも偏り過ぎていて、本当は、両方ともに考えて、意識して、認識している状態がいいのかもしれません・・・
(私だってすぐにはできませんが)。
次の文章ですが・・・
これはですね・・・森田健さんが、「著者の言っていることは私の言っていることと、あまり変わらないような気もします」としていますが・・・
その通りで、森田健さんが言おうとしていることの内のいくつかを分りやすくコンパクトに表現していますね。
私などは・・・よく考えすぎると言われまして・・・感じるのです・・・と言われがちですので、こういう「考えること」を肯定してくれるものを読みますと結構嬉しいです。
信仰は持っていないが確信は持っている、のいうのは、なるほどな・・・と・・・
参考にさせていただきます。
私の場合・・・基本にとにかく「神はいる」がありまして・・・それはどう考えてもいないと理屈が通らないわけで・・・これをして考えているとしていいのだろうか?とも思いますが・・・少なくとも思考なしで信仰している人よりは「考え」が入っているだろうな、と感じます。
久しぶりに聞く「宇宙とのつながり」が書かれていまして、最近は天外
伺朗さんの本も読みませんので・・・・
基本に、自分は宇宙で、宇宙は自分で繋がっている、というものがありまして・・・
信仰すると、孤独は宇宙全体に広がり・・・
信じない人、信じないことが頭がいいことだと思っている人は、自分と宇宙が別物であり、自分の心、脳を作ったのが宇宙であるということまで頭が回らず、人が宗教的なことに考えを至らすことについての当然性についてまで考えが及んでいない・・・
これはですね・・・入り口はどこでもいいのですが・・・
村上和雄さんが、人間から昆虫からDNAはすべて同じ文字で書かれている、これはどこかに偉大なる存在・・・サムシング・グレートがいるとしか考えられない・・・とよく言いますが・・・
普通、何かを少しだけでも一生懸命やりますと、似たような考えにたどり着くと思うのです・・・
そんなの偶然だよ、という人は、絶対に逃げているか、自分に対して嘘を付いています。
嘘を付かせている原因の一つは資本主義経済だと思いますが、それだけではなく間違えた宗教観もあると思います。
要するに修道女さんではないですが、宗教=厳しいもの、自由のないもの、というような考えがあるから、ということですが。
つまり神の存在を確信してしまった途端、風俗にも行けなくなるし、贅沢もできなくなる・・・というようなことですが・・・
そんなことは決してありませんので・・・
そういう発想をお持ちの方は、どちらかと言いますと、宗教やあるいは船井幸雄さんよりも森田健さんを読まれることをお薦めいたします。
そう・・・今書いていて改めて分ったのは、そういうことですね・・・
根本に「真面目過ぎるほどの真面目」「厳しい宗教観」があり、それ故、神の存在に確信を持つことを避けている、逃げている、うそをついている方は、船井幸雄さんより森田健さんを・・・少なくとも、森田健さんを多く読むことをお薦めいたします。
船井幸雄さんだけ読んでいても、神の存在を信じられながら、風俗にも行け、贅沢もできる人は、それで良いのだと思います。
村上和雄さんですが・・・
あまりにも多すぎていい例が出てきませんが・・・絶対に神がいるとしか考えられないことというのは沢山あります。
たとえば・・・どうしてどんな動物でも赤ちゃん、子供というのは可愛いのか?とかですね・・・これは、生き物を種に関わらず育てていくことが良いことである、意識しなくともそうなる、ということだと思いますが・・・これはダーウインの進化論などでは説明できません。
生まれたてはかわいい遺伝子のみ残る?はいくらなんでも乱暴です。
「そんなことはない。他の雛(ひな)とかを、別の種は食べたりすることもあるではないか?」
という人もいるでしょう。
確かにいますが、他の種の親が、他の種の赤ちゃんを育てるということも沢山あります。
ライオンですらです。
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Lioness Love Baby Oryx これは、以前書いたことのある映像で・・・オリックスの親子を襲おうとしたお母さんライオンですが、ひとり残されたオリックの子供を、食べないで守り続けます。
もし人間が考えるようなことだけが自然の法則であるのなら、こういうことはありえません。 これを成すのは、だれかが「大人になった・・・特に雌・・・は多種の子供でもそだて、守る」ように作ったとしか考えられません。 |
(ライオンのお母さんはプロレスの蝶野選手に似ていますね)
※今上記を検索していましたら、下記のようなものもヒットしました。
「ハタ」とは古代エジプト語で「ユダ」つまりライオンを意味しま
す。
ユダ族の紋章はライオンであり、現在でも狛犬や、獅子舞にその名残をみることが
...三種の神器はアーク伝説と関係するのか。
(以上)
見ていませんが、興味のある方は、ご覧ください。
戻りますが・・・そうしますと・・・神が存在している可能性が高い、いるに違いない、と思いますと、多くの場合は何か宗教的なことに興味を持ったり、特定の宗教に入信する方もいると思います。
そして、そこに長くいる方もいれば、何か違うな、と思う方もいるでしょう。
あるいは日本人は継続力がある、継続することが何でも良いことであるという概念がありますので、その意味でも長いこと所属し続ける方もいることでしょう。
上記池田さんによれば、信仰は自分の孤独に不安を覚えたからであり、そうしたところで、「あなたがあなたでなくなることはなく、宇宙が宇宙でなくなることはない」で・・・
(引用)
いや、信じることによって自分と宇宙は、一体化できるというのなら、宇宙自身の孤独はどうなるのですか。宇宙は自分が自分であって自分以外ではないという孤独を、何によって癒せばよいのでしょう。そのときあなたの孤独は、じつは宇宙大に拡大しただけの話ではないでしょうか。つまるところ、「あなた」とは誰ですか。あなたはそれについて、信じるのではなく考えたことがありますか。また、考えるために大勢でまとまる必要が、なぜあるのでしょうか。
(以上)
でして・・・私は一回読んだだけでは、分りませんでしたが・・・どうもですね・・・宇宙・・・時空と置き換えて良いのですが・・・には信仰の対象はないのですね・・・
人間には信仰・・・究極のヒエラルキー・・・があるのですが、宇宙にはそれができない・・・これは・・・なんらかの事情で一番上になった状況があると分ると思うのですが・・・私は最近ないですが(笑)・・・そういうことだと思います・・・
人間界ならともかく・・・対等でなくてはならない時空と人間・・・その中で人間が時空に対して信仰・・・僕(しもべ)となりますので命令してください・・・としてきた時には、対等でありたいと願っている時空の立場はどうなるのでしょうか?ということなのでしょう。
これは、そもそも、時空が人間と対等になりたいと思っているということを認識しているかどうかが、前になくてはならないもので・・・
この方は、一体どういういきさつで、そういう考えで行き着いたのか・・・この方なので、「考えた」結果だと思うのですが・・・
それとも、「感じた」のか・・・
それでも、私はいいとは思いますが・・・あまりにも考えるには難しすぎる、と私は感じてしまうからですが・・・
多くの場合は、時空と人間は上下の関係だと思っていると思いますし、信仰とは、それが前提になっていると感じます。
そして、それを否定しているのだと感じます。
「そうではなく、時空は人間と対等でありたいと思っています」ということでしょう。
そして、信じていない方に対しては、自分と宇宙が別物であるからだ、と思っている。としていまして・・・
それを理論的に言いえば・・・
(引用)
あなたは『自分』という言い方で何を指示しているのかを、明確にできなけければならない。それはあなたの肉体を指しますか、それとも心ですか。では心はどこにありますか。心なんてものはない、それは脳のことを指すのだというのなら、では、脳を作ったのはあなたですか。あなたの脳を作ったのは、ほかでもない、宇宙ではないですか。ではなぜ、宇宙と自分とを別々にして考えられましょうか。人が宗教的なものに考えを至らざるを得ないのは、じつは救済以前の問題なのだと、このとき気づきはしませんか。
(以上)
ということです。
その通りで・・・「自分」といいますが、何をして自分なのか?その魂の入れ物であるからだをして自分なのか?
私も以前、見えないものを信じない人に対して、どこかの掲示板で「それじゃ、その心はどこにあるんだ?」と書いたことがありまして・・・何も反論もありませんでした・・・というか、それに対してのレスすら出てきませんでした。
屁理屈をこねる人は、たぶん、心なんか知らない、脳で考えているんだ、という反論をするでしょう、私もされたことがあるような気がします。
この方も結構、そういうディベートを経験したことがあるのかもしれませんし、自問自答でそういうものが出てくるのかもしれません・・・私も出てきたことが有ります。
もうこうなると脳を作ったでも、体を作ったでもいいのですが・・・体となると変に物質的なことを言い出す人もいますので・・・化学反応だけで命が生まれる理論を展開して、そこに魂が入るから命となりえる、ということを説明できない種類の議論ですね・・・それでも、脳、心の方が、そういうつまらない理論をする手間が省けると感じます。
なぜなら、「思う」「考える」その心、脳は、物質の化学反応を超えていますので。
普通に正しい思考があれば、ここで、それをつくっただれかが存在するとしか考えられない、となると思いますが・・・但し、これを認めると困る人、困る場合は、ここで思考が止まると思います。
理由は上で書いた通りで・・・ひとつは、今、異常なまでに資本主義的、物質的なことに拘っている人の場合は、それが否定されてしまうから(全否定ではないのですが、修正が必要)、もうひとつは、今書いたものの亜流ではありますが、それでも別物で、非情に厳しい宗教観を持っているため、それと普通の生き方との整合性が取れなくなってしまうので・・・多少風俗が好きだったり、多少贅沢は好きだったり、多少経済活動をする必要があったり・・・を全否定に近い形で否定しなくてはならない、という意味ですが・・・
地獄絵図などはそうだと思います。
あれは、悪いことをしない人間になるには役立ちますが、サムシング・グレートを信用するためには役に立ちません。
言ってみれば、天の岩戸を強引に開ける行為に似ていて、天照大神が自分から岩戸を開いて出てきてもらうことには役立たない、ということです。
で・・・森田健さんの本で書かれていることは、天の岩戸を自分で開けるために、とても必要なことであると感じます。
そして・・・サムシング・グレートが存在していなくてはおかしい、と考えることができたなら、
人が宗教的なものに考えを至らざるを得ないのは、じつは救済以前の問題なのだと、このとき気づきはしませんか。
であり・・・宗教というものを、信仰してしまう人がいるのは、ある意味当然である・・・その後については先に語っているが(宇宙の孤独の話)、その前に、ここまで考えが及ばなくては、そもそも話しにならない、ということだと思います。
で・・・
(引用)
私は信仰はもっていないが、確信はもっている。それは、信じることなく考えるからである。私は考えるからである。宇宙と自分の相関について、信じてしまうことなく考え続けているからである。救済なんぞ問題ではない。なぜなら救済という言い方で何が言われているのかを考えることのほうが、先のはずだからである。人間はそこのところをずうーっとあべこべに考えてきたのだ。これは驚くべき勘違いである。気持ちは、わかるけど、オウム事件は、たぶん、トドメの悪夢なのだ。
新しき宗教性は、だから、いまや『宗教』という言葉で呼ばれるべきではない。
それは『宗ー教』ではない。教祖も教団も教理も要らない、それは信仰ではない。
それは、最初から最後までひとりっきりで考え、られるし、また考える、べき性質のものなのだ。だからその新たなる名称は、
垂直的孤絶性、とか、
凝縮的透明性、とか、
そんなふうな響きをもった、何を隠そうその名は、「哲学」なのである。
(以上)
でして・・・前半はものすごくむつかしくないでしょうか?
確信を持つ、とはよく船井幸雄さんがいいますが・・・私はこれが難しい人なのですが・・・確信を持つとは、信じることなく考えるからである、としています。
私は確信を持つとは、考えることなく信じることだと理解してきましたが、どうもそうではない、とこの方は言っています。
もしこれが正しいのであれば、根本的に間違えていたのでは、私にとって核心を持つ、ということはむつかしかったようです。
ちょっと、矯正してみます。
この救済とは・・・どういうことを指すのか?・・・
普通に人間が宇宙の孤独感など考えずに、自分の孤独感から救済だけを考えて信仰する、ということとしますが・・・
後に、「救済という言い方で何が言われているのかを考えることのほうが、先のはずだからである。」とありますね・・・
「人間はそこのところをずうーっとあべこべに考えてきたのだ。これは驚くべき勘違いである。気持ちは、わかるけど、オウム事件は、たぶん、トドメの悪夢なのだ。」
ということです・・・
それは「救済なんぞ問題ではない。なぜなら救済という言い方で何が言われているのかを考えることのほうが、先のはずだからである。」ですが・・・
「人間が宇宙の孤独感など考えずに、自分の孤独感から救済だけを考えて信仰する、」ということが、分っていますか?という意味合いでしょうか?
もしそうだとすると、時空が人間と対等になりたがっているということを無視して、自分が救われること、自分が孤独感から抜け出すことだけを考えて上の存在だとして頼った人達・・・信仰した人達・・・が、その間違いに気が付かないで信仰した結果起した最終的な大間違えが、オウム事件であった、という解釈になるでしょうか・・・
どういうことかを考えれば・・・むつかしいですが・・・
対等であるべき時空を上とした結果、無差別殺人を起した・・・
そもそも時空(宇宙)とは我々全てであるにも拘らず、自分達だけが救われようとしたその考えがもたらしたものが、自分達と違う集団である人達を自分達が救われるために邪魔であるとして、無差別に殺害した・・・
言ってみれば一種の差別とも言えるかもしれませんが・・・・
どうでしょうか?
考え方によっては、時空を上とするヒエラルキー発想が、差別の根源とも言えるかもしれません。
いや、それは少し違っていまして・・・少なくとも、時空と人間とは、確かに違うのですが、それは違うだけであって、一種の種が違うようなものとして捉えればいいのかもしれません。
それはどうでしょうか・・・日本では、天皇と一般国民は違うのですが・・・しかし、天皇は、別に一般国民を差別してはいないのですね・・・
しかし、会社などでは、ある意味当然ですが社長の方が給料がいい、命令する、業績のいい人は給料がいい、命令できる・・・
ヒエラルキー発想とは、この発想をそのまま延長したもので、それを時空と人間との関係に当て嵌めますので、他の宗教を信仰している人、自分達と考えの異なる人達は、自分達の理想を具現化するのを邪魔しようとする人達は殺してしまってもよい・・・究極のヒエラルキーと言ってもいいと思いますが・・・命令や沢山お金をもらうどころか、殺してしまう、ですので・・・これは、多くの宗教戦争でも同じ図式なのかもしれません。
新しき宗教性は、だから、いまや『宗教』という言葉で呼ばれるべきではない。
それは『宗ー教』ではない。教祖も教団も教理も要らない、それは信仰ではない。
それは、最初から最後までひとりっきりで考え、られるし、また考える、べき性質のものなのだ。だからその新たなる名称は、
垂直的孤絶性、とか、
凝縮的透明性、とか、
そんなふうな響きをもった、何を隠そうその名は、「哲学」なのである。
でして・・・
『宗ー教』ではない。
でして、私の名前は「宗一」ですが(笑)。
これには・・・
(引用)
いや、信じることによって自分と宇宙は、一体化できるというのなら、宇宙自身の孤独はどうなるのですか。宇宙は自分が自分であって自分以外ではないという孤独を、何によって癒せばよいのでしょう。
そのときあなたの孤独は、じつは宇宙大に拡大しただけの話ではないでしょうか。つまるところ、「あなた」とは誰ですか。あなたはそれについて、信じるのではなく考えたことがありますか。
また、考えるために大勢でまとまる必要が、なぜあるのでしょうか。
(以上)
この部分が大事だと思いますが・・・
そのときあなたの孤独は、じつは宇宙大に拡大しただけの話ではないでしょうか。
これが分るかどうかに掛かってくるのではないでしょうか?
私も説明がむつかしいですが・・・分っているのかも分りませんが・・・少なくとも、時空と人間は対等であり、ある方向からみれば、別個の存在ではありますが、そうでいながら、人間は正に時空そのものであり、時空は、個々の人間そのものであり、時空を孤独にしてしまうその行為は実際のところ、「そのときあなたの孤独は、じつは宇宙大に拡大しただけの話」 ということになる・・・
あるいは・・・時空を上の存在として信仰することは、その時点で宇宙とのつながりを絶ってしまう行為である・・・というようかことなのかもしれません。
つまるところ、「あなた」とは誰ですか。あなたはそれについて、信じるのではなく考えたことがありますか。
でして・・・ある意味、あなたは時空です・・・と言いたいのかもしれません。
そうだとすると、あなたは、全てであり、正に360度の方向に開けている存在である、ということを認識しているということでしょう。
また、考えるために大勢でまとまる必要が、なぜあるのでしょうか。
人の考えを知ることには意味があるとは思いますが・・・考えることは隣に人がいなくともできるのは事実ではあります。
時空との関係がヒエラルキーでなく対等であるとするのなら、時空を語る上で、ヒエラルキーのある団体はいらない、ということかもしれません。
新しき宗教性は、だから、いまや『宗教』という言葉で呼ばれるべきではない。
それは『宗ー教』ではない。教祖も教団も教理も要らない、それは信仰ではない。
ですので。
新しき宗教とは、神を上の存在として捉えるものではなく、対等と捉えるもの・・・・そこには教団、教理はいらない。
教理・・・おそらく、教えや解説ですので・・・時空と対等だということが分れば自ずと分るでしょう、ということか・・・少なくとも、縛られることはないのは事実で・・・後は、時空が何を考えているのか?について分ることですが、今まではそれが教理であったとも言えるわけですが、時空が人間より上だということを前提に書かれているそれには、本当のことは書いていない、ということかもしれません。
それは、最初から最後までひとりっきりで考え、られるし、また考える、べき性質のものなのだ。だからその新たなる名称は、
垂直的孤絶性、とか、
凝縮的透明性、とか、
そんなふうな響きをもった、何を隠そうその名は、「哲学」なのである。
ですが・・・
垂直的孤絶性、とか、
凝縮的透明性、とか、
は、まったく読んだだけでは分りませんが・・・
垂直的孤絶性、は、上下関係がまったくないということの性質?ということでしょうか?
凝縮的透明性、は、上面の意味としては簡単で、凝縮された透明性ではあるのでしょうが・・・その中身は・・・岡田多母さんが書く、「真直の真平」の性質、あるいは、濁りがゼロの状態とはどういうことか?のように考えるものでしょうか・・・
どうも、そういうものは、「そんなふうな響きをもった、何を隠そうその名は、「哲学」なのである。」ということのようです。
哲学が、時空と人間が対等であることを認識した新しい時代の宗教に変わるものである、ということですが・・・
そうかもしれませんし・・・
確かに、宗教以外で、似たようなものとなると哲学ですので・・・そうかもしれないな・・・とも思いますが・・・
そういえば、先達てラジオで、どこかの国立大学の何でしたか理系ですが・・・機械工学でしたか・・・ロボット大会を主催している方ですが・・・その方は、大学生時代から仏教を熱心にやっているそうで・・・その方が、「仏教がロボット作りと関係している」と、言いましたら、インタビュアーの方がびっくりしていましたが(本気かどうかは分りません。演出上、びっくりする芝居をする可能性はあります)・・・時空の森羅万象・・・もっぱら物理学的側面でしょうが・・・を知ることは、相当ロボット作りと重なる部分があるでしょうね。
そもそも、人間や動物が、どうしてこういう形状なのか、構造なのか・・・を知ることは、すなわち時空全体の仕組みを知るということなのだと思います・・・
押されたら引け・・・のようにですね・・・支点と力点とでも言いましょうか・・・
水は高いほうから低い方へ流れるとでも言いましょうか・・・
岩に急いで穴を開けようとすれば、疲れ果てるか道具が壊れるかするが、100年かけようと思えば、同じどう道具で同じ人でも出来る、とでも言いましょうか・・・
で・・・昔から哲学者で建築家、医師のような人は結構いたように思います・・・レオナルド・ダ・ビンチさんとかですね・・・
ただ、これまでは、哲学と宗教とは似ていながら、異なるのものように感じまして、あと思想でしょうか・・・それでも、本屋さんへ行きますと、「思想、哲学、宗教」が同じ棚にあることもよくあります。
哲学と宗教が何が違うかと言えば・・・おそらく自分で答えを出していい、ということでしょうか・・・
あるいは自分で答えを出さなくてはいけない、ということでしょうか・・・
要は自分で考える、ということですが。
今日はここまでです。
有意の方々とスープを少ししか飲まなかった方々と興味のある方々は、どう思うでしょうか?
5月5日
さて・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20110505-00000004-jnn-intですが・・・
(引用)
“米軍グアム移転費水増し”示す公電
TBS系(JNN) 5月5日(木)6時38分配信
ウィキリークスが公表した外交公電によると、2006年のグアム移転交渉の際、軍用道路の建設費10億ドルがロードマップに盛り込まれましたが、アメリカ側はこの道路について、「絶対的に必要なものと考えていない」としながらも、「費用全体を膨らませることで日本の負担比率を減らすことができる」と報告しています。また、移転対象となる沖縄海兵隊員の数についても、「日本での政治的効果を上げるため、最大化した」としており、日本国内で日米合意への理解を得やすくするための操作が行われたことを示す内容となっています。
一方、別の公電によると、当時の鳩山総理が「アメリカに依存しすぎていた」と発言したことを受け、国務省のキャンベル次官補が日本政府高官に対し、「日米関係に危機をもたらす」と警告しました。さらに、キャンベル氏は鳩山氏の「東アジア共同体構想」について、「アメリカ政府首脳部を驚かせた」と述べ、「アメリカ政府が日本より中国に関心を向けたいと公言すれば、日本はどう反応するか想像してほしい」と苦言を呈しています。
このほか、日本の外務省や防衛省の幹部が鳩山外交を痛烈に非難したとする内容も含まれており、当時の日本政府内部の混乱ぶりがあらわになっています。
こうしたウィキリークスを通じて公開された情報について、菅総理は記者団に対して、「合法的ではない形での情報を発表していると理解しており、政府としてはコメントすべきでないという姿勢だ」と述べました。(05日03:20)
最終更新:5月5日(木)10時26分
(以上)
ということです。
これは・・・資本主義では普通にやることですが・・・
いい悪いではなく、取引とはこういうものですので、途方もない額が動く場合には、きちんと調査する必要があります。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110505-00000010-jij-intですが・・・
(引用)
米軍、生け捕り後に「処刑」? =ビンラディン容疑者の娘が証言―パキスタン紙
時事通信 5月5日(木)6時8分配信
パキスタン紙ニューズ(電子版)は5日までに同国治安当局者の話として、北部アボタバードの隠れ家で米軍の急襲を受けた国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者は、いったんは生きて拘束されたものの、その後殺害されたと同容疑者の12歳の娘が証言していると報じた。
同紙によれば、娘は隠れ家に取り残され、パキスタン治安当局に拘束された。調べに対し、2日未明の急襲作戦開始数分後、ビンラディン容疑者は米軍特殊部隊員に捕まり、家族の前で射殺されたと主張しているとされる。
一方、政府関係者によると、拘束された隠れ家の住民は「(同容疑者も含め、)こちら側から米軍へは一発たりとも発砲していない」と口をそろえている。
(以上)
ですが・・・これもですね・・・なんとなくおかしなニュースだな、と感じていまして・・・いかにも本当にあったのだよ、ということが言いたいような意図を感じます。
つまり、無反撃の相手に発砲したということにより社会的批判を受けることよりも、とにかく本当に殺したんだ、ということを表明したい、という意図ですが・・・
だって、普通しませんよね?無反撃の相手にそんなこと・・・しかも常識的には生きたまま逮捕して、裁判に掛けるなりするのが普通ですので。
有意の方々は、どう思うでしょうか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110505-00000039-jij-intですが・・・
(引用)
対米関係「過去最悪に」=政府・国民に広がる不信感―パキスタン
時事通信 5月5日(木)14時36分配信
【アボタバード(パキスタン)時事】国際テロ組織アルカイダの首領ウサマ・ビンラディン容疑者の殺害を受け、米国を中心とする国際社会から同容疑者の「隠匿疑惑」を突き付けられたことに、パキスタン政府のみならず国民からも猛反発の声が上がっている。
1月の米中央情報局(CIA)契約要員によるパキスタン人射殺事件以降、国内に急速に広がった対米不信が同容疑者殺害を機に一気に噴出した形で、今後2国間関係が「過去最悪になる」との指摘も出ている。
ザルダリ大統領は事件後、パキスタン当局による同容疑者隠匿説について「根拠のない推測」と一蹴、米国への反感をあらわにした。その感情は、ザルダリ政権は支持せずとも、国内各地で身勝手な軍事行動を繰り返す米国に甚だしい嫌悪感を持っていた一般市民にも共有された
。1月の射殺事件を皮切りに、パキスタンでは反米デモが拡大。ビンラディン容疑者殺害後もアボタバードなど各地でデモが相次いでいる。
「パキスタンと米国の関係は過去に例のないほど悪化するだろう」。4日取材に応じた地元紙記者でアボタバード記者クラブ会長のジャドゥーン氏は、米国のビンラディン容疑者殺害の発表はあまりに身勝手過ぎたと怒りを隠さない。
「世界は米国の一方的な情報を信じているが、住民は殺害を疑っている」と指摘。
米国が7月、10年続けたアフガニスタン戦争から手を引き始めるのに合わせ、成果を訴えるため「殺害」を捏造(ねつぞう)したと語った。
(以上)
ということです。
日本のマスコミ以外に、一体だれが今回の報道を信じているのか・・・
とにかく、今後、ドル廃止、アメロへの移行、中東戦争へ参戦、ということが予測できますので、急ピッチです。
ということは、多少雑な細工が出てきても不思議ではありません。
まず絶対に戦争に巻き込まれてはなりません。
次に、できるならアメリカが参戦しないことを・・・
できれば、中東で戦争が起きないことを・・・
有意の方々は、どう思うでしょうか?
被災企業に徳政令を…南三陸町長が要望
読売新聞 5月4日(水)19時38分配信
東日本大震災復興構想会議(議長=五百旗頭真・防衛大学校長)の委員ら6人が4日、宮城県入りし、被災自治体の首長との意見交換や視察を行った。
意見交換の席上、壊滅的被害を受けた同県南三陸町の佐藤仁町長は、被災企業の借金を棒引きする「徳政令」の実施を求め、梅原猛・同会議特別顧問は「政府に申し入れたい」と応じた。
意見交換は同日午前、同県庁で行われ、被災地側から仙台市の奥山恵美子市長と佐藤町長が出席。佐藤町長は「町の全産業が壊滅的な被害を受けた。これまで重ねてきた借金に、災害支援のための融資制度(による借金)を上乗せすると、企業の再生はありえない」と、「二重ローン」に対する救済を要望した。
委員らは同日午後、気仙沼市と石巻市の被災状況を視察、両市の市長とも意見交換した。視察後、五百旗頭議長は「切実な声をたくさん承ったことが大きい。地元の努力を後押ししていきたい」などと語った。
最終更新:5月4日(水)19時38分
(以上)
これはですね・・・是非そうできればいいのですが・・・
銀行からの借金は、場合によってはできそうな氣もしますが・・・
支払いも徳政令となりますと・・・取引先企業の資金繰りもあるでしょうから・・・どうなるでしょうか・・・
どう考えても、今の経済状況下で、借金しても、そうそう簡単にうまく行くとは思えませんので・・・何か抜本的な策が必要ですね・・・
どなたかよい考えはないでしょうか?
とにかく・・・漁業は設備さえ揃えば・・・放射線の影響もないならば・・・比較的早いうちに立ち直るでしょうね・・・
農業は、漁業よりは時間がかかりそうですが、それでも、時間さえ掛ければ、きっと立ち直るでしょう。
後は他の企業などですが・・・漁業、農業関係なら、上記に沿って立ち直るでしょうが・・・他は良く分りませんが・・・
ですので、今私が考えたことなんかよりも、もっと細かく専門的に分析すれば、どの分野は支払いを棒引きし、どの分野はどういう返済計画でいくら貸して・・・
どの分野は国営化にして・・・どの分野は県営化して・・・というような計画が立てられるように感じますが・・・
それを今のブレーンでできないのなら、是非船井幸雄さんへご相談ください。
絶対に、だれか紹介してくれると思います。
エネルギー協力など協議=伴野副大臣、ロシア次官と会談
【モスクワ時事】ロシア訪問中の伴野豊外務副大臣は5日、モスクワでボロダフキン外務次官と会談し、エネルギーなど経済協力の進め方や領土問題を含む政治分野での対話・協力の継続について協議した。
福島第1原発事故をめぐり、伴野副大臣はロシア側に旧ソ連チェルノブイリ原発事故の経験を生かした協力を求める一方、日本の食品輸入規制に関し、客観的データに基づいた冷静な対応を要請。ロシア側も協力の意向を表明した。
(以上)
ということです。
場所がら絶対にロシアの協力が必要なように感じます。
どうなのでしょうか・・・東北地方だけでも、少なくとも、ロシア、アメリカの両方が、けんかすることなく、ビジネスチャンスを得易い状態にするのが良いように思いますが・・・
大宜味村で風力発電 全世帯使用量に相当
【大宜味】沖縄電力(石嶺伝一郎社長)は2013年4月までに、大宜味村根路銘の石山展望台付近に風力発電設備2基を整備し、一般家庭約2200世帯の年間使用量に相当する電力800万キロワット時を供給する計画を進めている。
5月中に近隣区で村主催の住民説明会を開き、住民の理解を得た上で6月にも設計などの作業に入る予定。
村企画観光課によると、整備される風力発電設備は2千キロワット級の出力で、原油に換算すると年間約2千キロリットルを削減でき、二酸化炭素の排出量も約7千トン減らすことができる計算。環境への負荷を低減する効果も期待される。
同村の世帯数は約1500といい、一般家庭に限定するとすべての世帯の年間消費電力を同設備で賄える計算になる。
村は09年に「地域新エネルギービジョン」を策定して太陽光や風力、バイオマス、水力などのクリーンエネルギーを積極的に導入する方針を打ち出しており、今回風力発電を導入することで、住民に対し新エネルギーの普及啓発を図りたい考えもある。
住民説明会は6日の根路銘区を皮切りに、9日に饒波区、押川区、10日に大宜味区の各公民館で実施される。(外間愛也)
最終更新:5月5日(木)11時25分
(以上)
素晴らしいですね。
東京は良く分りませんが、風力発電でまかなえる規模の自治体は、是非風力発電を使うとよいのではないでしょうか?
東京なんかでも、区単位などで可能だと素晴らしいですね。
そうすれば東電の独占ということはありえませんので、電気料金も安くなると思います。
次の記事は引用するつもりがなかったのですが・・・「蜘蛛の糸」でしかも、森田健さんに無名の女優と言われてしまった(笑)高畑淳子さんが出るということですので・・・何か縁を感じますので、引用します。
しかし、まあ、演技中と素の時の様子がぜんぜん違っていて分らないというのは、演技派ということですので、素晴らしいことですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110505-00000049-spn-ent
(引用)
芥川龍之介「蜘蛛の糸」平幹二朗主演で映画化
スポニチアネックス 5月5日(木)7時3分配信
芥川龍之介の代表作「蜘蛛(くも)の糸」が映画化され、俳優の平幹二朗(77)が主演する。同作の映像化は初めてで、平のスクリーン主演は1977年の「錆(さ)びた炎」以来34年ぶり。太宰治の「斜陽」や幸田露伴の「五重塔」など数多くの文芸作品を手掛けてきた秋原正俊監督がメガホンを取る。10月公開予定。
「蜘蛛の糸」はお釈迦(しゃか)様が垂らしたクモの糸をたぐり、地獄から逃れようとした罪人カンダタの哀れを描いた小説。映画は現実社会で香典を盗んだ直後、事故死したカンダタが黄泉(よみ)の国で、なぜ香典を盗んだのか過去を振り返る形で物語が展開。すべてが明らかになった時、天国からクモの糸が垂れてくるという物語だ。
文芸作品の主演にふさわしい重厚感と、人間味あふれる演技力を買われた平は「舞台を中心に活動してきましたが、カメラは現在の自分を客観的に映してくれる。この年になって、映像として残る映画で自分を見てみたいと思うようになりました」とオファーを受けた理由を説明。「カンダタをどう演じるか。これから考えながら、役作りをしていくのが大変楽しみ」と意気込んでいる。
また、女優の高畑淳子(56)と長女こと美(24)が初共演。劇中でも母娘役を演じる。映画初出演のこと美は「役者“高畑淳子”はなんの手加減もなくぶつかってくるでしょうから、こちらも容赦なくそれに応えようとワクワクしています」と話している。
(以上)
興味のある方は、封切後、ご覧ください。
浅田慶さんhttp://www.funaiyukio.com/money2/ですが・・・
(引用)
2011.04
インフレの到来
卵が値上がりです。納豆が値上がりです、箱入りティッシュも値上がりです。いよいよ諸物価の上昇が目立つようになってきました。
これは震災後の一時的な動きではありません。まだ本格的な物価上昇の<助走>が始まったにしか過ぎないのです。
私は一貫して「デフレではない、インフレこそが問題なのだ」と主張してきましたが、今回の諸物価の上昇は、今後収まることはなく、いずれ爆発的な物価高に向かっていくことでしょう。
特に注意しなければならないのは、いわゆる必需品、我々が生きていくためにどうしても必要で、何があっても買わなくてはならないものがさらに激しく上昇していくのです。
まだ諸物価が上がってきたと言っても、1割とか2割で穏やかなものですが、やがて毎日のニュースのようにその高騰ぶりが伝えられるようになっていくでしょう。物価上昇は始まったばかりです。震災を契機にしていよいよ水面下でくすぶっていたインフレの炎が燃え出すのです。
現在はあれだけの巨大な震災後ということで過渡期です。ですからいろんな現象が出てきます。評論家でもデフレを言う方も多いですし、インフレの芽が出てきたという方も現れてきました。実際に物の値段を追っていっても様々です。
震災後の急激なマインドの冷え込みを受けて、一気に街は活気をなくし、自粛ムードとなっています。ゴールデンウィークの旅行なども低調ですから宿も値段を下げるでしょうし、居酒屋やデパートなども暇で売れなくては、値段を下げなければなりません。いわば震災がデフレを助長した形です。
このような動きは今後も続きますし、ご商売をされている方にとっては、この消費者のマインドの冷え込みは痛く、売上が思うように伸びず、とてもインフレ、好景気という気分ではないでしょう。
それはその通りでこのような経済の落ち込みはちょっとやそっとでは回復しません。例えば阪神大震災の時は震災後、1ヵ月で消費は大幅にダウンしました。その後2ヵ月目には回復基調に入ってきたのですが、やはり震災の痛手は大きく、震災前の水準に達するには1年以上かかったのです。
今回は震災の規模も桁違いですし、原発の問題もありますから、余計に回復には時間がかかると思わなければなりません。そういう意味では相変わらずデフレ状態が続くのか? と思ってしまいますが、この自粛ムードが続いて、不景気感が続くのは疑いないでしょう。
それでも、激しいインフレは来る
普通、経済学ではこのような不景気ムードではインフレは来ないのですが、今回は違います。
それでも激しいインフレがくるのです。宴会を開いたり、高級品の購入はしないかもしれませんが、自分自身が購買するものを考えてみてください。
必要なものは何ですか? まずは食料、ガソリンなどのエネルギー、衣料、などです。衣食ですね。そして被災した東北の人達はこの衣食に加えて住、住むところがいります。まさに衣食住です。
これらはどんなに不景気だろうが、社会が混乱しようが、必要不可欠の物であり、何が何でも手当てしなければならないものです。
とりあえず、今回被災された方々のために政府は仮設住宅の建設を急いでいます。ところが資材が手に入りません。建設に使う合板や塗料、接着材などは大量に不足しています。当然値段は上がってきています。それでも手当てしなければなりません。また上下水管などに使う塩化ビニールも不足です。合板ではナンバー1の生産量を誇るセイホクなど主要メーカーが被災、全国の生産量の3割が休止状態です。同じく塩化ビニールでは国内最大の生産設備を誇る信越化学の鹿島臨海コンビナートの施設が止まったままなのです。
品不足ですから当然、値段は上がってくるわけで、そうなると遠方からも手当てするようになります。当然、運送費もかさみます。結果としてガソリンの値上がりが効いてくるのです。
トヨタは4月18日にやっと工場での生産を再開したものの、まだ多数の部品の手当てがつかず、フル生産にはほど遠い状態です。11−12月までは手探り状態で、現在から当分の間は5割の操業ということです。これでは新車も手に入りません。車の販売店はお客様から注文をいただいてもいつ納入になるのかわからず、頭を抱えている状態です。他の自動車メーカーも似たようなものです。
今、被災者の方々に一番売れているのは軽の中古車ということです。とにかく動くには車がいるし、いつも避難所の生活ではプライバシーもありません。自分達だけの空間が欲しいわけです。
宮城県では県内の車の保有台数の1割にあたる15万台が津波で流されてしまったということです。福島県や岩手県の被害も大きく、合わせると大変な車の喪失となっています。これら被災された方々はすぐにでも車が欲しいところです。当然、中古車の相場はうなぎ登り、そこに持ってきてトヨタだけでなく、日本の主要メーカーは新車を供給できない状態ですからどうなりますか? 新車が供給できなければ当然、玉突き的に中古車は不足となります。被災地では中古車の値段は、今や震災前の1.6倍に急騰、さらに奪い合いになっているということなのです。
しかし、実はこれらはまだ、かわいいものかもしれません。というのも車にしても合板にしても塩化ビニールにしても、現在工場を必死で直していますから、いずれどこかの地点で復旧が終わり、供給に目途がついてくることでしょう。そうなれば値段は下がってくるかもしれません。
ところが値段が下がらない物があるのです。今見てきたように、値段が上がるということは需要に対して供給が少ない状態になることです。現在の東北地方の中古車の需給状況のようなものです。これはトヨタの生産が回復すれば需要に対して供給が見合うようになっていくかもしれません。そうなれば値段は下がりますよね。
今度は逆に考えて、仮に供給が完全な途絶、ないしは供給がますます難しくなるとすればどうですか? そうなれば当然、物がないわけですから値段は上がる一方となっていくわけです。今の中古車の例ですと車の供給がますます途絶えてくるケースと思えばいいでしょう。
迫りくる、食料など生活必需品の物価高
このように供給に途絶が訪れて値段は急騰するケースが迫っているものがあるのです。それこそが、我々がまさに必要不可欠としている食料なのです。
トヨタは部品が手当てできて工場生産を回復させれば、以前の状態に戻ることができるでしょう。しかし現在、壊滅状態となった三陸の漁業はいつになったら元に戻りますか? 津波で壊滅的な被害を受け、塩水だけでなく、がれきの山となった水田や畑は? これらの農業生産が1、2年で元に戻ると思いますか? 灌漑設備が破壊され排水やポンプ、液状化など、一体復旧にどれだけの時間と費用がかかるのか? その上、原発による被害、この震災で被害を受けた東日本6県でコメの生産量は、全国の4分の1を占めるのです。漁業も壊滅、三陸は日本でも屈指の漁場だったわけですが、今回は船だけでなく冷蔵庫や冷凍設備や燃料タンク、造船のドッグ、製氷機など、どうしても必要な設備が全滅状態です。それこそこれも1、2年で完全復旧ができると思いますか? その上、原発による海の汚染です。
三陸の漁業の全国生産におけるシェアを見てみると、ワカメは8割、牡蠣は3割、サンマは4割、サバも4割、サメは6割です。一方、今回水没したり、がれきに埋まって被害を受けた農地は岩手、宮城など6県でおよそ2万4000ヘクタール、これは東京都内の山手線内の面積の約4倍に匹敵する広さです。
一般的に農水産物の場合、平常時では1割供給が減ると3割値段が上がり、3割供給が減ると倍に値段が跳ねると言われています。今回は、これらの品だけでなく、複合的に品不足状態が訪れると思いますから、とても倍ぐらいの高騰ではすまないかもしれません。
突貫工事で復旧を目指しているトヨタの工場とは違います。簡単には回復できないのです。その上、原発の影響で、今後農漁業には放射能汚染のどんな規制が出てくるかもしれません。まさにこれから日本では食の危機が迫ってくるのです。考えてください。例年と違って、本来あるべきこれらの農作物や魚の供給が止まるのは秋からですよ! 本当の意味での供給の途絶、値段急騰の危機はこれからです。
日銀は、今後出てくる日本企業の予想以上の決算の下方修正をみて、更なる金融緩和に動くかもしれません。そしてこの非常時、そのようなマネーをばら撒く景気対策が世間では歓迎されるかもしれません。しかし、今や世界は、異常なマネー供給の副作用として、インフレの高まりに苦しみ始めています。やがて諸外国と同じように、日本ではもっと激しく、一気に円安と共にインフレが、大きく頭をもたげてくることでしょう。日本だけが違った世界、一人ぼっちでデフレの世界に住み続けると思いますか? 日本は食料自給率4割、食料のほとんどを輸入しているのです。
そして今、世界を苦しめているのはこの食料品の高騰なのです。エジプトやチュニジア、リビアや他の中東各国の混乱も食料高騰が原因です。中国のインフレもしかり、世界中が食料の値段を抑えようと必死です。
今後の日本を考えてください! コメはどうなります? 魚はどうなります? パンや麺の原料の小麦はほぼ100%輸入ですよ。どうして世界的な食料高から逃れることができるのですか! これからではないですか! 国内の有数のコメどころが壊滅、同じく最高の漁場が壊滅、一体どうやって食料を確保するのですか?
今や風評被害もさらに激しくなってきているのです。穀物や鉄鉱石や石炭などの輸送はバルク船と言って包装しないまま、そのままにして運ぶことが多いのです。ところが現在、外国からの船は日本の近海や東京に近づくのを放射能を浴びるということで嫌ってきているのです。確かに福島原発からの放射能の関東各地に降り注いでいますから、多少の放射能汚染は受けるでしょう。しかし、それを理由にして東京湾への寄港を渋ったり、関西方面に回されてしまうということです。このため東京湾に寄港してもらうには1割程度の割り増し料金を払う必要があるというのです。
円安と相まってこの状況、また日本が大量の食料を輸入している中国では物価高は収まらず、特に食料は高騰中です。中国の通貨、元の相場は上昇気配です。当然、日本の輸入価格は上がります。
また統計を見ると、3月の日本の輸入物価は19%上昇、16ヵ月連続の上昇です。この16ヵ月間は円高だったのに、輸入物価は上昇していたのです!
4月に日本政府は、製粉会社に対しての小麦の引き渡し価格を18%引き上げました。
これを受けて大手製粉会社は6月から小麦粉の価格を1割以上値上げします。いよいよパンや麺も値上げが始まります。小麦の国際価格は昨年の1ブッシェル4ドル台から倍の8ドル台後半へと上昇しています。まさに6月に値上げされても第一弾にしか過ぎません。
この小麦の値上がりよりもっと激しいのがトウモロコシで、昨年の1ブッシェル3.5ドルから7.7ドルへと高騰です。もはや8ドル台乗せは必至とみられてきました。
小麦の過去5年間の相場は平均して、トウモロコシに比べて49%ほど高かったのですが、ゴールドマン・サックスの予想によれば、両者の価格は逆転する可能性が高いとのことです。
そうなれば影響を受けるのはどこの国か? トウモロコシの世界最大の輸入国は日本です。
トウモロコシは飼料用として膨大な需要があります。牛肉や豚肉、鶏肉などへの値上がりは必至でしょう。
一方、原料である綿花の高騰を受けてポロシャツなど繊維製品が米国では値上げが始まりました。このように我々の必需品である食料や衣料、エネルギーは値段が上昇する一方なのです。
驚くような物価高が迫ってきています。東日本震災が一夜で世の中が変えたように、ある日、日本の風景は急激な変化を見せるでしょう。驚くほどの物価の高騰に人々は声を失うことになるでしょう。被災地の困難を思うと胸が痛みます。しかしインフレという大波が今度は日本全土を包み、あらゆる人達を襲ってくるのです。
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(以上)
ということです。
とにかく、インフレになる・・・今も始まっているが、こんなものではない・・・その証拠は・・・こうである、ということです。
さて・・・どうすればいいのでしょうか?
一流企業にお勤めの方々などは、まだまだ切り詰める余裕があると思います。
まさか東電の社長さんが、奥さんの手作り弁当を持って行ったりしているとも思えません。
出社も会社の車でしょう。
おいおいそういうものは、削ることになるのだと思いますが・・・
しかし一般の方々は、結構ぎりぎりまで削っていますよね?
これ以上何をどう削ればいいのか?
削れないとなりますと・・・暴動は起きないでしょうが・・・政治的、経済的などの面で、ものすごい勢いでの変革を望む声が上がるのでしょう。
牛丼食べてるから大丈夫、と思うでしょうが・・・あれはもうあれ以上値下げできないですよね?
しかも材料費が上がりそうだ・・・
牛丼が2倍になったら・・・きっと、お弁当持って来るでしょうか・・・おにぎり2つに卵焼きか何かだと100円ちょっとの費用でできるかもしれませんので・・・
服なんかは、別に買わなくともよいのかもしれませんが・・・でも買わないと業界としては困りますね、
ですので、高くて買わない、売れない・・・でも下げられない・・・ということになるかもしれません。
必需品も・・・パンなど、今の2倍になったら、買い控えるでしょうね・・・
でも値下げできない・・・
魚も高級魚などは食べなければいいのですが・・・そうすると業界が困る・・・
肉が安いという神話もなくなりそうですね・・・トウモロコシが高くなるそうです。
米は・・・値上がっていますね・・・時期ガラそうなのかもしれませんが・・・
きっと備蓄米(古米)を出すことになるでしょうが・・・ですので、食べ物に関しては最後は純粋に日本食・・・私が小学生くらいの時の標準的な食事・・・メザシとか目玉焼きに味噌汁、お新香、ご飯・・・夜は少し豪華・・・とは言え・・・魚が少し大きくなって、何か1品くらい加わる程度でしょうか・・・
そんな感じになるでしょう。
お新香を家で漬ける人が増えるかもしれないですね。
そして多くの方が、お弁当を持参して出社する・・・
でも・・・ビジネスとしては、そうなったら・・・サラリーマンはご飯だけ持参して・・・オフィスにおかずだけ売りに来たら以外に売れるかもしれないですね。
社員食堂のあるようなところはどうなるのでしょうね・・・値上げでしょうか?
そうするとあまりメリットがなくなるかもしれないですね・・・
そういえばNHKさんの食堂は今は一般の人は入れないそうですね、昔はよく行きましたが(笑)
なかなか大変です・・・
大学が近くにある人は、学食を使うと良いと思います。
場合によっては、夜遅くまでやっていますので、夜ご飯も食べられます。
もっと、普通に、一般の方に入ってもらうとよいですね・・・仕入れを増やさないといけませんが・・・
明治学院なんかですね、あんなホテルみたいな食堂があるのですから・・・夜はお酒か何か出して、周りの白金に住んでいるお金持ちの人に来てもらったらよいのにな、と思いますが、そうもいかないのでしょうか?
明治学院・白金の学食
http://gksk.blog59.fc2.com/blog-entry-56.html
http://gksk.blog59.fc2.com/blog-entry-329.html
http://gksk.blog59.fc2.com/blog-date-200707.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kaigomura/22759111.html
http://blog.goo.ne.jp/campuschannel/e/8a6c91f4dafecec6e5c8a716a68efee5
小麦の過去5年間の相場は平均して、トウモロコシに比べて49%ほど高かったのですが、ゴールドマン・サックスの予想によれば、両者の価格は逆転する可能性が高いとのことです。
そうなれば影響を受けるのはどこの国か? トウモロコシの世界最大の輸入国は日本です。
は大変ですね。
飼料用でしょうか?
4月に日本政府は、製粉会社に対しての小麦の引き渡し価格を18%引き上げました。
もすごいことです。
何が起きるか・・・他国であれば起きていた暴動に変わるものが起きる、としか言い様がないですね・・・
なにかこのことと、メタンハイドレートを使用することになることは関係があるように感じます。
電気料金を引き下げる要望が大きくなるのかもしれません。
その前に戦争で日本に石油が入ってこなくなる、ということも考えられますが。
トウモロコシがそんなに高いとなると・・・おそらく自分の国で作った方が安い、ということも起きるかもしれませんね。
そうすると雇用の機会も増える・・・
トウモロコシは寒いところでも可能なのですよね?
東北はどうなのでしょうか?
詳しくないのでよく分りませんが。
分るのは、これまでは、食糧・飼料の多くは、輸入した方が安いから輸入していたという面が大きかったということです。
とにかく、ものすごいインフレになる、ということです。
良い方へ導かれることを祈りますが。
有意の方々は、どう思うでしょうか?
さて、森田健さんですが・・・
(引用)
|
池田晶子著「魂とは何か?」・・少年Aとは何物か |
「14才からの哲学」と「残虐人生論」を読み終わり、今は「魂とは何か?」を読んでいます。 面白かった場所をさっそく出します。 休日、みなさんと同じ本を読みながら感想を言い合うのは楽しいです(笑) でも今回は、かなり長いですよ。
凶悪犯を「魂」という切り口から論じていて、とても斬新です。 けれど私たちは、著者よりも多くの情報を知っています。 魂があの世で何をしているか 魂は生まれ変わりるとどうなるか・・。
|
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>池田晶子著「魂とは何か?」・・少年Aとは何物か |
自分でレスします。 著者は魂のせいにしようとしました。 しかし生まれ変わりの村で、ヤクの売人がいました。 同一の魂のはずなのに、僕にはどうしても、彼女がそういう人間には見えなかったのです。 だとすると、魂って何?
もりけん |
ここでは「アイデンティティ」です |
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著者によれば |
すべては「思い」が決定しているようです。 これは、ある一時期流行った精神世界にも似ています。 |
しかし、みなさんに問いたい
|
あなたが「日本人ではない」という「思い」を捨てられますか? >あなたが「日本人ではない」という「思い」を捨てられますか? |
捨てられるわけ、ないでしょう? >すべては「思い」が決定しているようです。 |
「生まれ変わりの村」に対する反論の多くも、これです。 彼らの思いが、ああいうあの世を作り出しているのだ・・と。
|
|
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しかし私は逆の仮説を持っています |
「思い」は宇宙全体から作られている・・と これは精神世界とはまったく逆です。
なんかこの仮説は |
これ以上、力説したくはありません。 続きは、「観音様の性質のコーナー」で
|
|
|
「メインサブ」で |
「思い」は宇宙全体から作られている・・と書きました
そうだとすれば |
私の「思い」は変えようがありません
思いが世界を変える・・など |
とんでもない話です
池田晶子さんは |
魂というものに対して固有の性質をイメージしているようですが、私は違います。
魂はやはり |
無色透明だと思います。
だから |
基本的には男にも女にもなれると思います。
観音様が地上に降りたのは |
ひとりひとりが、宇宙の大きさを持っていることに気づいたからだと思います
>ひとりひとりが、宇宙の大きさを持っていることに気づいたからだと思います |
これに気づいた瞬間、観音様は悟って上の世界にいたことを、とても恥じたと思います。
|
|
(以上)
|
先の文章ですが・・・
言いたいことは何なのか良く分ります。
あまりに長いので書き直すことはしませんが・・・
少し前の精神世界論が元になっていますね。
憑依ということが最初の原因であるように読めます。
しかし・・・少なくともこれまでは運命は決まっていた・・・
それが全てのように思います。
道徳と倫理の話は興味深いですね・・・
道徳は強制、倫理は自らするものである・・・
なぜか、あまり意識しませんでした・・・
おそらく、法律という言葉があるからかもしれません・・・
法律と道徳がどう違うのかについて疑問に思ったことはありませんでしたが・・・
道徳が罰則規定を伴わないものだからでしょう・・・その意味では、道徳は罰則のない法律、
それでは倫理はとなりますが、倫理は、罰則も強制もない・・・そういうものを説くことに意味があるのか・・
道徳は罰則規定がないですが、ですので守るかどうかは自分が決めるわけで、その意味では正に倫理と同じものともいえるわけですが・・・
罰則規定のない強制は何によって強制されるのか・・・
なさなければらないが道徳、なしたいから、好きだからするのが倫理とも書かれていますが・・・
おそらくですね・・・道徳を強制たらしめるのは、常識、世間、社会ではないでしょうか?
その意味では、常識、世間の動き?レベル?平均?によって変動しているものでしょうから、なかなか困ったものではありますが。但し、その社会、常識というのは、結局のところ、一人ひとりの倫理によって出来上がっているとも言えるでしょう。
しかしながら、それもまた、運命は決まっていたわけです。
ですので、時流は決まっている運命と同じ、というようなニュアンスをよく書きますが・・・この常識、世間、とういうものもまた、決まっていたものであるのでしょう・・・少なくともこれまでは。
事件などを、霊の憑依として扱うのは一部の霊能者が言うことですが・・・実際彼らの目には、そういうものが見えるのでしょうから嘘をついているのではないと思いますが・・・それでも人によって見えるモノが違うこともあるのだと思います・・・
少なくとも、何度も書きましたが、江原啓之さんと美鈴さんの見えるモノは違っていたということは分りました。
お二人とも、人間性もよく、また1万人に1人くらいしかいない優秀な霊能者の1人であるのですが。
また、以前何度も書きましたが、憑依はある意味結果であり・・・高次元を含めた時空全体が、決まっていた運命に従って動いていた、というのは本当のとこころだと思います。
とは言え今回の地震、津波が、運命通りなのかについては何ともでして・・・何かが運命変更をした可能性もあるでしょう・・・
確かに言えるのは、憑依というのは、結果であって・・・初めではないだろう、ということです。
それでも、これまでの精神世界では、そうではない(初めである)と解釈されていましたので、池田さんの意見は、仕方の無い言い回しだと思います。
そして、その運命は、どうも問いを発することによって、間接的な回答を時空全体から受け取ることによって変更可能なようです。
売春と人殺しを語っていますが・・・私はこれは同じものではないと思います・・・いわゆる「悪いこと」としてくくられていますが・・・倫理的にも道徳的にも・・・
それは人殺しは生命的ではないですが、売春は否生命的ではありませんし、人によっては生命的とすら言うかもしれません。
何となくですが、森田健さんの調査結果も受けての考えですが・・・生命的でないことは基本的には好まないように人間は作られてこの世に送り出せれてくるのではないか?と感じます。
人を殺すのが好きといっている犯人のようですが・・・しかも未成年・・・
しかしながら、実際はそうではないかもしれません。
どこかに、生を生み出す気持ちがあるのではないだろうか・・・それがねじれた形で現れただけなのではないだろうか・・・
そうでないと神の特性を考えると矛盾を感じてしまいます。
・・・売春は、生命繁殖行動を利用したお金儲けで・・・事情がある場合は別ですが、事情があるケースではないようですので・・・なんと言うか、「やりすぎ」だけがいけないとされる理由なのだと思います。
セックスしてお金を貰ってはいけないか・・・ですが・・・一般の営みでも、きわどいことはあると思います・・・行きずりのセックスですね・・・
それをお金の方に重きを置いて、しかも回数を増やしたものが売春と言って良いのだと思います。
ですので・・・時空の性質に反しているというよりも、やりすぎがいけない・・・あるいは動機がいけない・・・
人殺しは・・・これは生命的ではないですので、根本から時空の性質に反していると感じます。
この意味において、同列で語るのはおかしいと感じますが・・・
とは言え、それぞれにおいて、運命で決まっていたものも、運命変更したものも・・・あるでしょう。
もし・・・お金が全員にいくらでも沸いてくるものであり、加えて男女の関係に一切嫉妬というものがなかったのなら・・・この売春をした未成年者はどうなるでしょうか?
お金に不自由はなくなりますので、やりまくるということをしなくなるか・・・
そういう場合もあるでしょう・・・
そうでない場合もあるかもしれませんね・・・セックスの快感が好き、ということではなく、人との密接な関係、密接なぬくもりが好き、という場合もあるでしょうし、子供を作るのが好きというケースもあるかもしれませんが・・・
いや、もしそうであるのなら、売春ではなく、結婚すればいいだけですので・・・やはり、お金が問題なのでしょうか・・・
よく分りませんが・・・
但し、売春については、あまり興味が沸きません・・・
もちろん自分の娘であったとしたなら、対応は異なると思いますが。
きっと、どこにも被害者はいない、と感じているのかもしれません。
性病が心配ですが・・・それへのアプローチはまた別の問題です。
やくざの資金源になるでしょうか・・・これもまた別のアプローチだと感じます。
薦められることではないが、当人次第であり・・・しいて興味が沸くことがあるとするのなら、その状態から抜け出したいが、どうしたら良いだろう?と問われた場合でしょうか・・・
殺人についても・・・興味がないというか、あまり語りたくないと感じます。
少なくとも初めの理由は憑依ではない、それ以上は、語る気がせず・・・
もしゼロにしたいのなら、国民全員が出かけるとき、何かする時には、全て国家へ届出をしてから・・・承諾を得てから、ということになるでしょう。
危ない場所に行く時は、素人が武器を持つよりは、防弾チョッキのようなものを着ているほうが、きっと効果があると思います。
道徳、倫理でいくらか減るかもしれませんが・・・おそらく日本は世界平均から見れば、殺人の犯罪率は極端に低く、人間というものを考えた時、限界ぎりぎりと言っていいほど少ないだろうと思います。
むしろ、クローズアップされるのは、マスメディア、情報通信手段の発達による部分が大きいのでしょう・・・売春とて同じかもしれませんが。
しかし生まれ変わりの村で、ヤクの売人がいました。
同一の魂のはずなのに、僕にはどうしても、彼女がそういう人間には見えなかったのです。
だとすると、魂って何?
ですが・・・
何かおにぎりのご飯の部分のようなものかもしれないですね・・・そして梅が入ると梅干のおにぎり、鮭が入れば鮭のおにぎり・・・
色が付いていないという点では、白いご飯もまた、基本的には味が付いていません。
もちろん甘味ですとか・・・実際味の良し悪しもありますが。
それでも、同じ魂のはずなのに、運命によって、ちょっと違う・・・
あの「極道の妻」で、作家の方が極道の妻にインタビューしたものの中で、「どうして極道の妻になったのですか?」と質問した時、「たまたま愛した男が極道だっただけ」という答えがありましたが・・・
ですので、たまたま愛した男が、サラリーマンだったら、普通のいい奥さんになっていたかもしれません。
そういうものなのでしょう。
先日まで平尾昌晃さんがラジオに出ていましたが・・・本当はジャズのスタンダードが好きで、しかも歌手になどなるつもりはなく、ただやだ局を覚えたいので、東京のジャズ学校に通っていたが、ウエスタンのオーディションがあるというので、学校が受けろといってきた、ウエスタンなんて嫌だといって断ったが、どうしてもというので、受けたら受かった・・・で・・・その後歌ったのは、ウエスタンでなく、ロカビリーだった・・・
ただのスタンダードナンバー好きの少年がロカビリースターになってしまった・・・
普通に行けば、慶應義塾高等学校中退ですので、そのまま慶應大学に行き、音楽関係の会社勤めかレコード屋さんにでもなっていたかもしれません。
(もうこうなると、どこに自分の意思があるのでしょうか・・・逆に言えば、全てを受け入れたから、平尾さんは運命を開いた・・・ハンドルを手放していたから運命が開いた、ということだと思います。)
あるいは・・・小田和正さんですが・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%92%8C%E6%AD%A3
(引用)
1969年、アマチュア音楽活動にけじめをつけるために「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に東北地区より出場。東京でなく東北から出場したのは東京だとレベルが高い、東北のほうが勝ち抜きやすそうだからと考えたためだが、実際に出場してみると東北地区も大変レベルが高かったという。
それでも東北地区を1位で通過、全国大会に進出した。全国大会は赤い鳥、フォー・シンガーズ(財津和夫のいたグループ)ら強敵がいたが、小田曰く「寝ててもできるくらい」猛練習を重ね、自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は赤い鳥、オフコースは2位だった。小田らは優勝して音楽活動にけじめをつけるつもりだったが、2位になったことで「このまま終われない」とプロの道を歩むことを決める[1]。
(以上)
でして・・・プロを目指していたわけではないのに、プロになってしまった、ということです。
きっと、東北大学工学部建築学科卒業、早稲田大学大学院理工学研究科修了ですので、1位になっていれば、どこかの大手企業の研究室か何かにいて、そういう生活をしていたことでしょう。
それが、「ニューミュージックのヒット歌手」でいまや「大御所」です。
ですので・・・やっぱり、魂は透明なのだろうと思います。
そこに運命というおにぎりの具が入ることにより、白い塩むすびが、たらこのオムスビにも、昆布の佃煮のおにぎりにもなるのだと思います。
次の文章ですが・・・
森田健さんは・・・
著者によれば |
すべては「思い」が決定しているようです。 これは、ある一時期流行った精神世界にも似ています。 |
こうして書いていますが・・・この池田さんが言っていることは・・・どうも私が読む限りでは、「思いが全てを決める」とも少し違うのではないかな?と感じますが・・・どうでしょうか?
むしろですね・・・私は何者でもない・・・ということに重きを置いているように読めます。
もちろん、そこには、正か運命が決まっている、というような発想はありませんので、自分の意思で自分のことは決める、というようなものは感じられますが・・・それでも、そういう考え方が主流の時代でありながら、自分はだれでもない・・・と表現しているのは、ひょっとしたらすごいのかもしれません。
但し・・・森田健さんは・・・
しかし、みなさんに問いたい |
あなたが「日本人ではない」という「思い」を捨てられますか? >あなたが「日本人ではない」という「思い」を捨てられますか? |
と書いていますが・・・この池田さんが、どうしてこうまで「日本人ではない」に拘るのかは分りません。
ここで「日本人ではない」を持ち出すから、少しは話がややこしくなるのではないかと感じます。
ひょっとすると池田さんは、自分はだれでもなく360度の可能性を持っている、ということを表現したいながら・・・360度の可能性をより強く打ち出したいがため、変えることの出来ないことまでの、強引に変えられる、と表現してしまったのではないだろうか・・・と感じます。
どうでしょうか?
少なくとも、思い込むことによって運命を変えることができるとは言っていません。
自分が日本人でないと思い込むのは池田さんの自由で、さりとて・・・おそらくは、白いご飯が好きではないだろうか?と思います。
風鈴の音が好きなのではないかと思います。蚊取り線香の臭いのする中でスイカを食べるのが好きなのではないだろうかと思います。
結構、被災したならば、率先して助け合うのではないかと思います・・・
つまり、思いこんでも、運命は変わらない、ということです。
もちろん、少しは変わります。瞬間的に自身を持ったり・・・
それでも、おそらくは、外側を変えたり、問いを発し答えを時空から間接的に受け取った場合に様な変わり方はしないでしょう。
むしろ、私なんか、「私は日本人だ」と言い張りながら戦争に行かないかもしれません。
すべては「思い」が決定しているようです。 |
「生まれ変わりの村」に対する反論の多くも、これです。 彼らの思いが、ああいうあの世を作り出しているのだ・・と |
しかし私は逆の仮説を持っています |
「思い」は宇宙全体から作られている・・と これは精神世界とはまったく逆です |
無色透明だと思います。 だから |
基本的には男にも女にもなれると思います。
観音様が地上に降りたのは |
ひとりひとりが、宇宙の大きさを持っていることに気づいたからだと思います
>ひとりひとりが、宇宙の大きさを持っていることに気づいたからだと思います |
これに気づいた瞬間、観音様は悟って上の世界にいたことを、とても恥じたと思います。 |
ですが・・・池田さんも・・・どうも私には「ひとりひとりが、宇宙の大きさを持っていることに気づいたからだと思います
」
のように読めるのですが・・・
但し、それは、また外側だけということだったのかもしれません。
どこにも「運命を変えられる」とは書いていないのです・・・
どこにも属さない・・・日本ですら・・・これは、ひっくり返すと、「私は私が属したと思った所に属するし、それがないなら、どこにも属さない。なぜなら私は360度自由だたか」・・・
しかし、外側だけ、と思っていたのかもしれません。
ですので、今森田健さんの調査結果を知ったら、結構、すごい問いを発せられる人であったかもしれません・・・想像ですが。
いずれにしても・・・よっぽどすごい人であっても、高次元のことについては、過去の大家が書いてきたこと、言ってきたことを・・・なぜか・・・踏襲するしかなかった・・・
そういうところはあったように思います。
なぜか・・・ひとつは、どうやって調査しようか、ということが思いつかなかった・・・
なぜか・・・おそらくですね・・・少なくとも日本では、思想、哲学、宗教関係は、基本的には文系に属したものだったからではないでしょうか?
確かに、同時代(多分)に関秀男さんでも政木和三さんでも深野一幸さんでも・・・理系で精神世界のことを調べていた方はいますが・・・どなたも、一部に熱烈なファンがいるだけで・・・主流派やはり、古典的なものだったように思います。
どうもですね・・・高次元については・・・基本的には文系的思考回路からは、なにをどう調べて良いのか、容易に思いつかないことのように思います。
一応本当に文系かどうか調べますと・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%99%B6%E5%AD%90
(引用)
池田 晶子(いけだ あきこ、1960年8月21日 -
2007年2月23日)は、日本の哲学者、文筆家。東京都出身。慶應義塾大学文学部哲学科倫理学専攻卒業。作家の佐藤哲也とは幼なじみ[1]で御田小学校、港中学校で同窓である。
港区立御田小学校[2]、港区立港中学校(現:三田中学校)、慶應義塾女子高等学校を経て慶應義塾大学文学部哲学科卒業。高校時代は登山に熱中する。大学時代、哲学者木田元に師事する。容姿に優れアルバイトとして雑誌『JJ』の読者モデルを務める。これにより経済的にも自立し、進路を巡って両親との葛藤もあり、在学中に一人暮らしを始めるようになる。卒業後は就職はせず、モデル事務所に籍をおく。このとき『文藝』の校正の仕事をしたのがきっかけとなり文筆活動に専念するようになる[3]。以後、朝日新聞記者(論説委員)であった父親の影響を受け文筆の才を示すことになる。その後埴谷雄高との交流をきっかけに『最後からひとりめの読者による埴谷雄高論』(1987年河出書房)を上梓するも、かつて全共闘闘士であった担当編集者と喧嘩をし、自ら同書を絶版にする。言葉と精神の仕事のはずの言論出版界の陰険さに失望するとともに、数年間文筆業界では「干された」状態にあった。
その後『事象そのものへ!』(法藏館、1991年)の連載で復帰し、専門知識や用語に頼ることなく、日常の言葉によって「哲学するとはどういうことか」を語ることで、多くの読者を集める。現代の思潮や流行している解釈に迎合せず、自分の考え、自分の言葉だけで存在と宇宙について思考をめぐらし、その執筆活動は哲学エッセイというジャンルの草分け的存在にもなっている。
(略)
没後、夫の伊藤實を理事長としてNPO法人「わたくし、つまりnobody」が設立され[1]、(池田晶子記念)わたくし、つまりnobody賞が創設された。
今日、彼女の著作のほとんどが、絶版されずにゆっくりと版を重ね続けている
(以上)
でして・・・ばりばりの文系ですね。
本文中にもあったような気がしましたが、「わたくし、つまりnobody」・・・私はだれでもない、は池田さんにとって、何か大切な言葉であったようです。
いやですから・・・相当優れた人であっても、運命は決まっていた、だなんてことには、直感でも気が付かないのだと思います。
相当に自由な方であっても、気が付かないのだと思います。
しかし、この文章は、40代前半できっと書かれたのでしょうね・・・なかなかすごい方です。
運命が決まっていたということを知らずに、しかしながら、360度の可能性が人間にはあり・・・までは分っていて・・・
そして、既成の精神世界、宗教本などから知識、情報を得たのであれば・・・思いで運命を変えることが出来る、まで言っていませんが・・・これが限度ではないでしょうか・・・
もちろん、「問い」という発想は出る可能性もありますが・・・
とは言え、存命中に、森田健さんは運命は決まっている、ということを言っていますので・・・著作に巡り合わなかったことは残念ではありますが・・・
それでも、船井幸雄オープンワールドとかには来なかったでしょうか・・・うまく森田健さんの講演を見る機械になる、または、私のように、偶然に船井幸雄さんが森田健さんを紹介している時期に船井幸雄さんの著作に会う・・・ということはなかったのでしょうか・・・
ちなみに、私でも、森田健さんの著作を読んでいないと、運命は決まっている、という発想は私の仲からは出なかっただろう、と思います。
その意味では、どこかで、森田健さんの著作を読まなかった自分が書いた文章に巡り合っているような気持ちがあるのかもしれません。
そう考えれば確かにそんな氣もしてきます。
異常なまでに読み易いですし・・・ほとんどあっという間に読んでしまえます。
しかし私は逆の仮説を持っています |
「思い」は宇宙全体から作られている・・と これは精神世界とはまったく逆です
これは・・・どうもそうのようです。ですので、運命も宇宙全体から作られているのでしょう。
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無色透明だと思います。 だから |
基本的には男にも女にもなれると思います。
観音様が地上に降りたのは |
ひとりひとりが、宇宙の大きさを持っていることに気づいたからだと思います
>ひとりひとりが、宇宙の大きさを持っていることに気づいたからだと思います |
これに気づいた瞬間、観音様は悟って上の世界にいたことを、とても恥じたと思います。 |
そうかもしれないですね・・・
悟る=唯一の回答、最終的な回答を得る、ですが・・・実はそうではなく、回答はいくつもあったんだ・・・と言う感じかもしれないです。
似たような経験は多くの人があるのではないかと想像しますが・・・たとえば・・・俺には彼女しかいないんだ・・・とかですね・・・
でも、違う女性と付き合ってみたら、「ああ、こういう彼女もいいんだな。間違えていた」とかですね・・・
「ビートルズこそ一番なんだ」とか言い張ってですね・・・でも他のも聞いてみたら「これもいいじゃない」とかですね・・・
それが、悟る、というレベルにおいて、起きた、体感した、ということなのかもしれません。
でも気付いたそれは、「ひとりひとりが、宇宙の大きさを持っていることに気づいたからだと思います」だったと・・・
でもですね・・・池田さんはモデルをしていたようですが・・・これも、「私はだれでもない」までは、何にしろ気が付けたことの大きな理由の一つではないだろうか、と感じます。
女性はモデルでなくとも、そうですが・・・ですので、この点において男性より有利だとも言えますが・・・お洒落、お化粧に熱心で知識経験がある、だからこそ、外側を変えることにより、全体が変わる、ということを沢山、深く実感していたのではないかと想像します。
男性でもお洒落な人はいますが・・・女性のそれとは比べようもなくてですね・・・一番は、官能的な・・・まあ、セクシーなということですが、そういうお洒落ができる・・・これは男にはなかなかできないもので・・・
礼服、カジュアル、ビジネスなんかは男でもできて、シックにとかどこそこの国風とか、だれそれというデザイナー調にとかもできるでしょうが・・・セクシーにというのはできませんで、しかし女性はできまして・・・
その点だけでも、女性の方が深いです。
しかし・・・そういうことを知っている男性が女性になってしまった観音様は、ある意味最強かもしれません。
だから、悟ることもでき、悟るが間違いだとも分ったのかもしれません。
そして、「ひとりひとりが、宇宙の大きさを持っていることに気づいた」のかもしれませんが・・・
果たしてどうでしょうか?
今日はここまでです。
有意の方々とスープを少ししか飲まなかった方々と興味のある方々は、どう思うでしょうか?
もくじ