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旧理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー       

 

 

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もくじ  下へ進んで行きます。過去の書き込みはもくじから読めます。
音楽や画像などを自由に入れたいのでブログ式にはしていません。


 

4月20日

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110420-00000001-maip-soci ですが・・・
(引用)

福島第1原発 県産野菜がネットで大人気

毎日新聞 4月20日(水)2時31分配信

 
拡大写真
とまとランドいわきで箱詰めされる福島県産のトマト=同県いわき市で2011年4月19日午前11時21分、袴田貴行撮影
 福島県の農家が福島第1原子力発電所の事故の影響で風評被害に悩むなか、全国の消費者がインターネットを通じ福島産の農産物を直接購入する動きが広がっている。JA全農福島のネット販売は、米や野菜、農産物加工品など約20品目すべてが例年以上の注文を受け、中には品切れになった商品も。市場を介した小売りは値崩れする傾向にあり、価格に変化がないネット販売が地元農家の心強い味方になりつつある。

【被災地で尋ねました】いま、あなたの宝物は何ですか?

 ◇ジュース品切れ トマト取り扱い3倍

 JA全農福島によると、ネット販売している果汁ジュース「福島桃の恵み」が19日、品切れになった。例年、夏に収穫して9月から製造を始めるが、4月の段階で売り切れたのは過去に例がない早さで、ほかに在庫がないかを確認している。

 また、水耕栽培のトマトを販売するいわき市の「とまとランドいわき」では、ネット販売の取扱件数が例年の約3倍になっている。原発事故の前後で、価格は変わっていない。市場や仲卸業者を介した販売が例年の半額以下で取引されている状況と対照的だ。

 とまとランドいわきは原発から約35キロの地域にあるが、
すべてがハウス栽培のため、自主的に検査した放射線量にも問題はみられなかったという。

 事故直後、35人の全従業員はいったん退避し、3月17日から営業再開したが、市場や仲卸業者から出荷を断られる状態が1週間続いた。

 ◇激励メール・手紙800通

 だが、その間に苦境を知った各地の消費者からの注文が次第に増え、今では3割がネットによる直接販売が占めるようになった。「風評に負けずにこれからもおいしいトマトを作ってください」などと
激励するメールや手紙も約800通寄せられているという。

 元木寛専務は「消費者からの応援で何とか経営できている。ありがたい。でも、やはりメーンであるスーパーや小売店でも適正価格で売ってほしい。『福島産』というだけで安く売られる状況は厳しい」と話している。【袴田貴行】

(以上)

ということです。

先達ても同様のニュースを掲載しましたが、これが来るべき農産物の販売方法なのではないでしょうか?
なぜなら・・・小売店へもネット経由で卸せば良いわけです。
少しずつシステム化できると良いのかもしれないです。


と言いますか・・・仮に今でも・・・このルートで仕入れようと思ったら、可能なのですね。
「これくらいのロットで買います。再販用です。いくらか安くしてくれませんか?」で話は通るようにも思います。
少しずつですね。

有意の方は、どう思うでしょうか?

 

 


 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110420-00000529-san-bus_allですが、
(引用)

低コスト・安全な野菜…これが「植物工場」 大阪府立大で公開

産経新聞 4月20日(水)11時54分配信

 大阪府立大の中百舌鳥キャンパス(堺市中区)で20日、室内で光や温度を自動制御し、野菜や果物を人工栽培する技術を研究する「植物工場研究センター」が開設され、内部が関係者に公開された。

 センターは2棟構成で延べ床面積は約2千平方メートル。
太陽光を利用しない完全人工光型の研究施設としては国内最大規模となる。

 8つの実験室からなる研究開発棟では、栽培コストの削減を目指した照明や空調、衛生管理などの技術を研究。別の棟では研究の実証実験の場として、レタス、ハーブ、葉物野菜のアイスプラント、緑化用のコケの4種を栽培する。

 センターでの研究には共同研究企業として、食品メーカーや機械メーカーなど約100社が参加している。副センター長の村瀬治比古・府立大工学研究科教授は「ビジネスに直結する技術の研究の場になる。産学の連携で植物の工場生産を産業として飛躍させたい」と話した。

(以上)

すごいですね。
こういうものと、既存の農業をあわせて行うと、相当の割合で地産地消が可能になるのではないでしょうか?
ということは、農産物は売るものではなく、地元で食べるもの、となるのかもしれないです。
ですので、これまでのような流通のコストは考えなくて良い世の中になるのかもしれないですね。

もちろん、特産物などは、その限りではなくとも良いのだと思いますが。
それでも・・・特産物は、旅行に行った時だけ食べられれば良いのかもしれませんが・・・
これまでは、資本主義でしたので、お金が沢山必要で、お金を儲けることは、相当に大きなウエイトを占めていましたので良かったのだと思いますが。

いずれにしても、無理な便利は必要ないですね・・・
無理のない便利は良いですが。

有意の方々は、どう思うでしょうか?
 


 

 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110420-00000053-jij-pol

桜井財務副大臣が菅首相批判=「退陣要求は当然」

時事通信 4月20日(水)10時54分配信

 民主党の桜井充財務副大臣(参院宮城)は20日午前、野党議員が18日の参院予算委員会で菅直人首相の退陣を求めたことについて、国会内で記者団に「そういう感じを持つのは当然だ」と述べた。

(略)

(以上)

ということです。
以上。



さて・・・森田健さんですが・・・
(引用)

 平安時代までの漢字が元々分かる日本人女性   
 昨日アップした、お兄さんの情報をこの人に送りました。
  
森田健さま
こんばんは。
 これを読んでいて、勉強に関しては、すごくよく似ていると感じました。
 私も勉強をまったくしないまま、小学校受験をして、受験して入った学校(国立大附属小)でも
勉強しないでずっと学年の1〜3位から落ちたことはありませんでした。
 勉強についていけなくなったのは、小学校5年のときです。
 理由は、だいたい小学校4年頃から、
 男子は栄光学園、女子はフェリス受験を目指して、進学塾に通い始めるからです。
 私は「受験戦争」まっただ中の世代ですから、塾で受験用に教える「試験読解にしか役立たない受験用テクニック」は、かなり特殊なもので、塾でそのテクニックを教わった者しか対応できない特殊戦術みたいなものです。
 それでも、
最後まで成績が落ちなかったは国語と美術。
 特に、国語に関しては、日本文学の古典(平安時代までの文学を専攻)で大学院まで行きましたが、まったく困ったことはありません。
 これは前回書いた、僧侶のときの能力(私の前世のひとつが僧侶だった)によるものと思います。
 
なぜ平安時代までかと言うと、中世、近世は文法が違うからだと思います。
 大学院に入って、大漢和辞典という何十冊にも及ぶ漢和辞典を初めて見て、そこで初めて知らない漢字をたくさん見ました
(大漢和辞典には中国語の漢籍に使われていた漢字も載っています)。
 大学院では、仏教、神道、和歌を中心に源氏物語の研究をしていましたが経典に載っている漢字については、もともと知っていました。

 

エヴァ

 >半分しかスープを飲まなかった人の情報を求む 前世の記憶とはちょっと違うのかもしれませんが、私には生まれる前の記憶があります。
その場所というより、宇宙のぽっかり浮いた空間のようなところにいました。そこには、なぜかブランコや滑り台がありました。私と姉を含め何人かの男女で楽しく生活していました。しかし、時間がくると何故か一人ずつ減っていきました。最後は私と姉の二人になってしまいました。しばらく暮らしていましたが、私がどこかに強制的に行かなくてはならない時間になりました。すると姉が「あなたの人生はとても苦しい人生が待っている、余りにも可哀そうだから私があなたの変わりになってあげる」と言い残し、その空間から去っていきました。
  
その後、私の記憶は、1歳くらいまでなくなります。
私がこの世に生まれた時、医者が「生きる気力のない子供」だと言ったそうです。生まれて泣かないので、呼吸ができず仮死状態でした。呼吸器に問題はなく、ただ生きることを完全に放棄している状態だったと周りでは言っていました。
その後、脱走を繰り返す日が始まりました。
ハイハイもまだ出来ないときは、腕力だけでベビーベッドを抜け出しました。歩けるようになると、親の目を盗んで逃げていたようです。
記憶ができたのは、1歳くらいです。家から飛び出し庭の獅子脅しで水を飲んでいたら、親戚に見つかり怒られていました。その時に、
何でこんな所にいるんだろうと思ったのが最初です。
 
肉体はぜんそくで弱っているのに暴れん坊な魂が入ってしまった気がします。昼間は脱走や大暴れをして、夜は発作をおこして病院に担がれ、昼夜を問わず親を振り回していました。親戚では、この子が事故や病気で死んでも両親に何の責任もないからと言っていました。
それでも、来る日も来る日も脱走を繰り返しました。
  
喋れるようになると、母親に「あっちの世界に帰りたい」と言いました。すると、母も限界だったのか、「もう帰ってくるな」と言って私を庭に放り投げました。その後は、逃げ出すのではなく高い所から飛び降りたり、空から誰か迎えに来るのではないかと空を眺めていました。
  
ある日、姉に相談しました。「生まれてくる前のところへ一緒に帰ろう」と話しました。その時姉は、「あそこには、もう帰ることができないんだよ。」と言いました。
あそこにいた姉がそう言うのなら、本当に帰れないのかもしれないと焦りがでました。この世界で生きていくことに絶望を感じたのも、ここかもしれません。
何年かすると、姉はあそこの場所も、相談したことも覚えていないようになりました。
いつか竹取物語のように、成人するころにはいつか迎えに来るだろうとか、死んだら行けるかもしれないと少しの希望がありました。
18歳の夏、おばあさんの家に遊びに行き、その家の裏手に広がる平原を眺めているとき、急に絶望感に襲われました。よく作られた平和そうな平原が完璧にこの世界を演じているように思えたのです。
その絶望はずっと続いていて、今の彼に会うまで、誰にもしゃべりませんでした。
何十年経った今でも、ふとした時「帰りたい」と言っていることがあります。
  
子供なのにできたこと(刃物を扱う、料理をする、図画工作)
・私が幼稚園の頃、母が留守のときに叔母の家に預けられていましたが、そこには
子供の遊ぶようなものがありませんでした。そこで台所で見つけた本物の包丁とまな板でママゴトのようなことをしていましが、本当に
ママゴトなので、耐えられなくなり、その後は叔母の料理の手伝いをしていました。
・小学生低学年頃には、土曜日のお昼に学校から帰るといつも料理を作り、帰ってくる母と姉をまっていました。
・幼稚園では、周りの子供が幼稚すぎてついていけませんでした。
周り子供のヘタなお絵かきや不器用な図工が馬鹿らしくて自分の分を短時間で終わらせては、帰りの時間を待っていました。
特にお遊戯の時間が耐えられなく、幼稚園を脱走しては問題を起こしていました。
  
取り留めのない話ですみません。簡単に思い出されるのは、このくらいです。あっちのことを母親に言うとよく怒られたので、記憶が素直に取り出せないところがあります。母親のことはこの世の縁であった人という感覚で、一般的にいう母親の実感がありません。
スープは残念ながら出てきませんでした。

 メインコーナーのエヴァさんの話(2011/04/20 15:12:03)、面白いです 私のファイルにもコピーしました。
こういう感じで、ダイレクトにメインコーナーに入れてもらってもよいです。
 
>喋れるようになると、母親に「あっちの世界に帰りたい」と言いました。すると、母も限界だったのか、「もう帰ってくるな」と言って私を庭に放り投げました
ここがウケましたが、本人は本気だったのですよね。
お姉さんとはあの世で一緒だったのですね。

 今朝の9:30の時点で15件だったのが
今は19件です
本当にありがとう。 

そしてすでに何人かは 私の追加質問にも答えてくれています。
 >私の追加質問にも答えてくれています。
 
そのためにわざわざその人に電話してもらっています 

小学校のときに「オトナ心」との違和感に悩み 精神病院に行った事例まで出てきました。 
それと
やはり、広域でした。
生まれ変わりの対象となった国は、千差万別です。 

ちなみに メインコーナーにアップした「平安時代までの漢字が元々分かる日本人女性」の直前の国は、オランダですから(笑) 
>メインコーナーにアップした「平安時代までの漢字が元々分かる日本人女性」の直前の国は、オランダですから(笑)
 
だからオランダ語が理解できます 

>メインコーナーにアップした「平安時代までの漢字が元々分かる日本人女性」の直前の国は、オランダですから(笑)
 
 フシトモで紹介したヘミシンクを使った前世を知るCDですが、これを使って彼女は生まれ育ったオランダの地方まで思い出せたそうです。
 あのCDは安い買い物をしたと言っています(笑) 

昨日からきょうにかけてのメールで やはり、セックスの早熟性が顕著です。 
>やはり、セックスの早熟性が顕著です。
 
 もちろん相手がいないから、小学低学年から、ひとりエッチしていた・・とか。 

>やはり、セックスの早熟性が顕著です。
 
 初体験のはずが、精神的には初体験ではない・・とか 

けれど、なぜか多くの人が 20才を過ぎると、貞操感のようなものがでてくる・・ 
そういう事例は
やはり、本人です。
 
私を信頼して送ってくれて嬉しいです。

 このホームページは グーグルにも引っかかりません 
私は ツイッターを中止しています 
ここは 世界から孤立しています 
たった今、新しい事例が来ました 総計20件です。 
なんか みなさんとは、また会えるような気がしてきました。たとえ世界中に散らばっても。 
元々の出版社からは
「中国の狭い地域の情報だからデータ本の価値はない」と言われました。 
それが 一気に飛躍できた気がします 
もしも本として出版するときは
本名を出すか、ハンドルネームがいいか、それとも匿名がいいか、それぞれ相談します。
性の早熟性や、オトナ心との違和感などは、読者の中には救われる人だっていると思います。 

20の事例の中で
スープに遭遇したのは2人です。
けれど、生まれ変わりの村でもスープに遭遇するのは意外に低い確率です。 

もしもこれを読んでいるあなたが 「こんなの、たいした事例にはならないかなあ」と悩んでいたら、まずは私に送って下さい(笑)

(以上)

ということです。

実はまだ、思い出していない事柄が沢山あるような気がしますので、上記の文章をガイドにして思い出してみようと思います。

勉強しないでずっと学年の1〜3位から落ちたことはありませんでした。
 勉強についていけなくなったのは、小学校5年のときです。


ですが・・・
私は、学校で順位を出されるものというのは、中学生の時だけ経験していまして・・・全教科の順位ですね・・・中間テストとか期末テストですが・・・
これは、そんなに良く有りませんでした(笑)。
保健体育とか技術とか私の嫌いな暗記物とかありまして・・・
3教科は偏差値の業者テストですが・・・これも5番以内には入っていましたが、きっと一番になったことは一度もありません。
とは言え、全員、その後東大とか行っていますので、なかなか一番はむつかしいです(笑)。

ただ・・・ですね・・・知能指数なのですが・・・これがですね・・・何でもものすごく高かったそうです・・・
確か一番だったと聞いたのですが・・・勝手に思い違えているだけかもしれません。
母親が中学2年の時、先生と親だけの面談から帰ってきて私に言うのです。
「おまえは、ものすごく知能指数が高いんだって。こういう人が東大とか早稲田とか慶應とかに行くんだろう、ってさ」
すみません、東大にも早稲田にも慶應にも行きませんでした(笑)。

で・・・いつだったか知能指数テストというのは、実年齢と精神年齢の割合なので、どれだけ老けているか以外の何物でもない、と書いたことがあったかと思いますが・・・これは、言いえて妙でして・・・
仮に私が知能指数が高かったのが、忘却のスープを少ししか飲まなかったことによるのだとしたら、正にその通りなのです。
ですので・・・よく脳に人による差はない、と聞きますが・・・それではなぜ知能指数は異なるのか?を考えた時、このスープを飲んだ量との兼ね合いですね・・・これが大きいのではないかと想像します。

暗記力は?となりますが・・・どうも知能指数とは関係ないようです。
それでも、前世で知っていたから今生でも覚えている、というケースもあるでしょうから、その場合は、やはり忘却のスープの量が関係しているのかもしれません。

 

 それでも、最後まで成績が落ちなかったは国語と美術。

ですが・・・私は中学受験の影響で、もうそのときには、3教科だけを塾で勉強する、というヘンテコな勉強をしていましたので、ここラヘンハ全く分りません。
小学校でも、ただやだ国語と算数だけ良く出来ました。
他の教科もできましたが、ぜんぜん勉強した覚えは有りません。
何の教科が全校で何番だったとかもぜんぜん不明です。
そういうのは発表されませんでしたので。

ただ、応用自在とか、四谷大塚の問題集とか・・・それ専門に勉強している人は、それについては私よりできていたような記憶はあります。
順位ものについては、すべて塾のものだけです。


 特に、国語に関しては、日本文学の古典(平安時代までの文学を専攻)で大学院まで行きましたが、まったく困ったことはありません。
 これは前回書いた、僧侶のときの能力(私の前世のひとつが僧侶だった)によるものと思います。
 
なぜ平安時代までかと言うと、中世、近世は文法が違うからだと思います。
 大学院に入って、大漢和辞典という何十冊にも及ぶ漢和辞典を初めて見て、そこで初めて知らない漢字をたくさん見ました
(大漢和辞典には中国語の漢籍に使われていた漢字も載っています)。
 大学院では、仏教、神道、和歌を中心に源氏物語の研究をしていましたが経典に載っている漢字については、もともと知っていました。

さすがにこういう種類の記憶はないように思います。
ただですね・・・いつか霊能者の方に見てもらったときの「前世はイギリスの裁判官でした」で・・・ある有名な人で少なくとも人の前世くらいは分るのだけれども、「私には特殊な能力はほとんどありません」と言っている人が「じぇんじぇん違う」と言ったような気がした・・・例の件がらみですが・・・
私は、例の留学関係の会社での入学約款とかですね、あるいは他の仕事で英語の契約書などを読むことが何度もあったのですが・・・あれはthusとか、普通使わないような英語が沢山出てきますし、いかにも法律法律した書かれ方で書かれているのですが・・・訳していて一番すんなり訳せるのです。
ひとつは、理論的ですので、道筋さえつかめば訳し易いとも言えるのですが・・・それあけではなく、これは、ひょっとしたら霊能者さんの言っていたことと関係しているかもしれません。

あるいは、私がいつも書くことを読んでいると分るかもしれませんが、確かに裁判がらみの話などを取り上げることが多いです。
それでも、別に法学部ではありませんし、一度も志したことはありません。

それじゃ他にイギリス関係で何かあるか?となりますが・・・
さて・・・?
ビートルズが好きな人は五万といます。
別に、フィッシュ&チップスが好きなわけでも有りません。
確かにアメリカ語よりイギリス語の方が聞き取り易いですが・・・結構多くの日本人がそうだと思います。
オーストラリアへ行った時、外国に来た感じがしなかったと何度も書いていますが、とはいえ懐かしいとも感じませんでした。
何か自分で気が付かないところで、縁があったりするのかもしれませんが、少なくとも、現在自覚している限りにおいては、イギリスがらみで何かあるということはありません。
前世が本当だとしても、完全に忘れているのかもしれません。

 

私がこの世に生まれた時、医者が「生きる気力のない子供」だと言ったそうです。生まれて泣かないので、呼吸ができず仮死状態でした。呼吸器に問題はなく、ただ生きることを完全に放棄している状態だったと周りでは言っていました。
その後、脱走を繰り返す日が始まりました。

何でこんな所にいるんだろうと思ったのが最初です。

は、ですね・・・私も未熟児で、長く病院にいたそうですが、その時の記憶はありません。
ただ・・・何歳だか不明ですが、部屋で1人でいて「私はなんでここにいるのだろう」と考えていた記憶はあります。

それでも、来る日も来る日も脱走を繰り返しました。
ですが・・・こういう記憶もありませんが・・私の人生はどこか、こういう人生だな、という感じは有ります。
どこか帰える場所を知っているかのような人生です。

 

 

子供なのにできたこと(刃物を扱う、料理をする、図画工作)
・私が幼稚園の頃、母が留守のときに叔母の家に預けられていましたが、そこには
子供の遊ぶようなものがありませんでした。そこで台所で見つけた本物の包丁とまな板でママゴトのようなことをしていましが、本当に
ママゴトなので、耐えられなくなり、その後は叔母の料理の手伝いをしていました。
・小学生低学年頃には、土曜日のお昼に学校から帰るといつも料理を作り、帰ってくる母と姉をまっていました。

・幼稚園では、周りの子供が幼稚すぎてついていけませんでした。
周り子供のヘタなお絵かきや不器用な図工が馬鹿らしくて自分の分を短時間で終わらせては、帰りの時間を待っていました。
特にお遊戯の時間が耐えられなく、幼稚園を脱走しては問題を起こしていました。

ですが・・・何歳までが子供かにもよりますが・・・料理は小学校1,2年生の時にはできまして・・・母親がやっている味付けなどを見ていました。
初めて料理を作った記憶は覚えていまして・・・
何かで両親とも留守だったのです。
確か小学生の1年生でしょうか・・・
で・・・妹と二人でいまして、どういういきさつかは忘れましたが、私が何が作ってあげると言ったのですね・・・
で・・・それは、母方のおばあちゃんが、ラーメンを鳥のガラから作ってくれるときに入れてくれる具でして・・・豚肉を醤油、醤油、砂糖・・・後何かで炒めて煮るのですが・・・それを、おばあちゃんがやるように、アルミの鍋で作りました。
ちょっとこげましたが・・・

そうこうしている内に、アパートの二階にいる新婚のお姉さんが、母から頼まれていたか電話があったかでやってきまして、私の作ったそれを味見して、「結構おいしいわね」と言っていたのを覚えています(笑)。

確かこれが最初の料理ではなかったでしょうか?
これが普通かどうかは分りません。
また妹がいなかったら作ったかどうかも分りません。

でも、お肉を切って、調味料を入れて、ガスに火を着けて・・・
どうでしょうか?

・幼稚園では、周りの子供が幼稚すぎてついていけませんでした。
周り子供のヘタなお絵かきや不器用な図工が馬鹿らしくて自分の分を短時間で終わらせては、帰りの時間を待っていました。特にお遊戯の時間が耐えられなく、幼稚園を脱走しては問題を起こしていました。

は、昨日も書いた通りで、物心付いた時からあり続けています。
これは、結構私の行動・・・団体内でのですね・・・の妨げになるのですが、昨日も書いたように、私は自分の精神レベルガ低いから、あるいはエゴが多いからかと思っていたのですが、忘却のスープを沢山飲まなかった人にこういう人が多いということであれば、それは根本的に考え直す必要があり、ぜんぜん、精神レベルともエゴとも関係がないことのようです。
そうなりますと・・・おそらく、大きく良い方向に行くように感じています。

中学生くらいまで・・・いや、社会人になっても・・・35歳くらいまで・・・回りができないと、「いい、自分がやる!」というパターンが多かったです。
これもエゴと言えばエゴですが・・・忘却のスープを沢山飲まなかったことによるものであるとすると、非常に嬉しいです。
基本的に中身の問題ではない、ということなのだと思います。

お遊戯ですが・・・よく分ります。
いわゆる子供の遊びというのができないのです。
と言っても、一筋縄では行きませんで・・・
私の場合は、いわゆる幼児のやる遊び・・・これはもっての他です。
但し、お人形さん遊びのようなものはしました・・・女の子と一緒に遊べますので(笑)。

子供がやると美しい、あるいは素晴らしい、と、大人が感じる種類のもの・・・これは非常に苦手でした。
卒業式の「僕達は・・・”僕達は”・・・私達は・・・”私達は”・・・」とかですね、その他諸々ですね・・・
非常に違和感がありました。
「私は、やるのではなく、見る方ではなかっただろうか?」のような感じですね。

鬼ごっことかはできました。野球のようなこともできました。
怪獣とかは好きでした。
面子も好きでした。
スーパーカー消しゴムは、まったく興味がありませんでした。


思い出したので忘れないうちに書きますと・・・小学校一年生の時から、チェックのブレザーを来て小学校へ行っていました。
七五三で着るようなやつです。それがお気に入りだったようです。
変な子です。
ちなみに、長ズボンがきらいで、ずっと半ズボンでした。

だってですね・・・小学生の低学年で、なりたい対象が・・・「36階の男」というドラマのニヒルな主人公(スーツ:役者さん不明)とかですね・・・仮面ライダーの藤岡弘さん(スーツ)とかですね(若い頃は結構二枚目)・・・
ですので、ゴレンジャーという漫画があったのですが、主人公がスーツで長髪の二枚目ではなく、スポーティーな感じでして・・・ここら辺からそういう漫画を見なくなりました。

その傾向は、その後も続き、高倉健さん、菅原文太さんより、鶴田浩二さんのほうがかっこいい・・・となるわけです。
田村正和さんでも、近藤正臣さんでも、かっこいいな、ああなりたいな、と思って見ていました。
今は普通の叔父さんですが(笑)。

※と今書追記したのですが、ラジオで、鶴田浩二さんの「傷だらけの人生」が掛かり始めました(笑)。
「どこに新しいものがありましょうか?」と言っています。
この歌は、昔よくカラオケで歌いましたが、例の劇団スバル出身の部長さんによく、「そんな暗い歌止めろ!」と言われていました。
今考えると、よく元役者さんだった部長さんの前で、せりふ入りの歌を歌ったものだな、と思います(笑)。


中学校に行きますと・・・ここら辺から周りと趣味が相当違ってきまして(初めから違っていますが)・・・いわゆる大人になりたがっている子供がやるような種類のこと・・・これは一切興味がわかなかったです。
喫茶店に行ったりとか、その他諸々ですね・・・

せいぜいバンドくらいでしょうか・・・これと勉強関係以外では、友人はいなかったようにも思います。
あとは、なぜか私を慕ってくる種類の男の子がいつもいました。
長男でしたので、そういう波動を出していたのかもしれませんし・・・良く分りません。
そういう男の子は、女性的な大人しい男の子が多かったです。
みんな結婚していますので、別にオカマさんではありません(笑)。


アイドル歌手ですが・・・小学生の時はいくらか興味がありました。
天知真理さんとかですね・・・
でも・・・むしろ「時間ですよ」の裸の方が好きでした。
変な話、ウルトラマンとかを見ていても、女性隊員のことが気になることがありました。
アンヌ隊員が好きでした。
でも、ウルトラマンになりたいな、と思っていました(本当に大人っぽいのか?)

中学生になるといわゆるアイドル歌手はまったく興味はありませんでした。
色っぽいお姉さんが好きでした。
高校に入ると、もうぜんぜん日本の芸能界には興味をなくし、「ロードショー」と「スクリーン」を毎月買って読んでいました。
ブルック・シールズが人気でしたが、好きではありませんでした。
フィービー・ケイツはいくらか好きでしたが、チャーリーズ・エンジェルが大好きでした。
でも、「白バイ野郎、ジョン&パンチ」のピチピチの制服を着たお姉さんも大好きでした。

チャーリーズ・エンジェルのケイト・ジャクソンが好きでしたが(みんな好きですが)、アンヌ隊員といい、フレンズのモニカといい、黒髪で、長い髪で、ボーイッシュで、少し東洋ぽい感じが入っている・・・異国情緒とでもいのでしょうか・・・そういう女性が好みのようです。
とは言え、多岐川裕美さんといい、ジャクリーン・スミスといい、長い髪でカールが掛かっていて、色っぽい大人っぽい女性も好きです。
きっとこの話は、忘却のスープとは関係ありません。
しかし、前世でいた国のようなものと関係しているのかもしれません。
私は金髪は、好みではなく、大抵黒髪です。

ただウルトラマンでも、仮面ライダーでもそうなのですが・・・本当は違う所から来て、悪を倒し地球を守る、という設定に、何か感じていました。
仮面ライダーなんて、ショッカーに改造されそうになって、逃げ出して、正義のために戦うだなんて、どこか、レプティリアンに作られた人間が・・・というような話と通じます。

一部のスープを少ししか飲まなかった人というのは、このように正義感が強くなる、という傾向が出ている可能性があるように思えてなりません。
理由は分りませんが・・・想像すれば、何かの理由で、「飲まないぞ」とがんばったのかもしれません・・・
場合によっては使命感を持って。
場合によっては、好奇心かもしれませんが。
しかし制度上、いくらか飲まなくてはならなかった・・・と。
想像ですが。


 

 小学校のときに「オトナ心」との違和感に悩み 精神病院に行った事例まで出てきました。 
それと
やはり、広域でした。
生まれ変わりの対象となった国は、千差万別です。 

ちなみに メインコーナーにアップした「平安時代までの漢字が元々分かる日本人女性」の直前の国は、オランダですから(笑) 
>メインコーナーにアップした「平安時代までの漢字が元々分かる日本人女性」の直前の国は、オランダですから(笑)
 
だからオランダ語が理解できます 

>メインコーナーにアップした「平安時代までの漢字が元々分かる日本人女性」の直前の国は、オランダですから(笑)
 
 フシトモで紹介したヘミシンクを使った前世を知るCDですが、これを使って彼女は生まれ育ったオランダの地方まで思い出せたそうです。
 あのCDは安い買い物をしたと言っています(笑) 

ですが・・・なるほど・・・
広域・・・つまり、中国の生まれ変わりの村のように、決して、一箇所で輪廻転生しているわけではない、ということですね・・・

これも流石にそういう経験はありませんが・・・
何かないかな・・・練習しないでもできたものは・・・と思いますが・・・

ブルースでしょうか・・・これは、本当に・・・練習しないでもブルースぽいフレーズが弾けました。
そうそういえば、初めて作曲をした時、自然にやるとカントリー調になってしまっていたのを思い出しました。
どうも・・・例のイギリスの裁判官が本当なら、500年前のようですが・・・いずれにしても、結構最近輪廻転生しているのかもしれません。
何かそういう記憶があります。

ちなみに、池田邦吉さんは、直前の前世は、アメリカの黒人で、綿畑で働いていたそうです。
結構管理者的な役割を担っていて、苦労したそうですが。

 

 


昨日からきょうにかけてのメールで やはり、セックスの早熟性が顕著です。 
>やはり、セックスの早熟性が顕著です。  
 もちろん相手がいないから、小学低学年から、ひとりエッチしていた・・とか。 

>やはり、セックスの早熟性が顕著です。
 
 初体験のはずが、精神的には初体験ではない・・とか 

けれど、なぜか多くの人が 20才を過ぎると、貞操感のようなものがでてくる・・ 
そういう事例は やはり、本人です。
 
そうですね、ここでは詳しく書けませんが(笑)。
それでも、上のアイドルの話からも何となく分ります。

そして、確かにですね・・・あんなに小学生の時は女の子とママごと遊びまでしていましたのに、その後、どんどん異性関係に関しては真面目になります。

これはどういうことなのでしょうか?

簡単に言えば、遊びとしての性には興味がなくなるというのは、スープの量に限らず、歳を取るとそうなるというのは比較的一般的ですので、早く始まり早くそうなる、ということかもしれません。


 元々の出版社からは 「中国の狭い地域の情報だからデータ本の価値はない」と言われました。 
それが 一気に飛躍できた気がします 
もしも本として出版するときは
本名を出すか、ハンドルネームがいいか、それとも匿名がいいか、それぞれ相談します。
性の早熟性や、オトナ心との違和感などは、読者の中には救われる人だっていると思います。 

20の事例の中で
スープに遭遇したのは2人です。
けれど、生まれ変わりの村でもスープに遭遇するのは意外に低い確率です。 

もしもこれを読んでいるあなたが 「こんなの、たいした事例にはならないかなあ」と悩んでいたら、まずは私に送って下さい(笑)

ですが・・・
私が洗脳を異常に嫌がる理由は・・・ひょっとすると、忘却のスープに関係があるかもしれないです。想像ですが(誰でも嫌がりますが)。
ただ・・・小学校の頃ですね・・・自分の唾でも、あるいは何らかの食べ物でもそうなのですが・・・飲めないようなことはありました。
それを飲んではいけない、のような感じですが・・・ただ、それを飲むと、記憶がなくなるというような具体的なものではなかったです。
理由はその時、その時あるのですが・・・いろいろな理由で、「それを飲むと・・・」のような発想をするのですね・・・
いつだったか、小学校の課外授業で外を歩いている時、それが来まして、どうしても唾を飲み込めなくなり、口の中に沢山溜まりまして、バッと吐いてしまいました。
先生から初め「ふざけないの!」と叱られて、その後「具合悪いの?」と言われましたが・・・そういうことではありませんでした。
ただ、この頃は、こう誤解で叱られても、怒りや遣る瀬無さ(やるせなさ)は沸かなかったですね・・・なんとも思わない、というのか・・・そんな感じです。


性の早熟性や、オトナ心との違和感などは、読者の中には救われる人だっていると思います。 
これは上で何度も書いていますが、要するに、忘却のスープを飲まなかったことにより起きていることを、他の原因だと思ってくる苦しんで人がいるのなら、きちんと、あるいはある程度解明されれば、相当に救われます。

みなさんも、ぜひ・・・何か思い当たることがあれば、森田健さんへメールをお送りください。
moriken@accnet.co.jp です。

有意の方々と、忘却のスープを少ししか飲まなかった方々は、どう思うでしょうか?


4月21日

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110421-00000057-jij-soci ですが・・・昨日オーストラリアについて、ほんの少し触れましたが・・・
(引用)

両陛下、豪首相と会見

時事通信 4月21日(木)13時4分配信

 天皇、皇后両陛下は21日午前、オーストラリアのジュリア・ギラード首相を皇居・御所に招き、会見された。
 宮内庁によると、天皇陛下は冒頭、「今回の震災に当たっては、さまざまな形で支援していただきお礼申し上げます」と感謝の意を示した。首相は「今回の未曽有の震災によって犠牲になられた方、被災された方にお見舞い申し上げます」と述べたという。
 天皇陛下と外国要人との会見は、皇居・宮殿で行われるのが通例だが、両陛下のご意向による自主停電で宮殿が閉鎖されているため、今回は御所で行われた。 
(以上)

ということです。
ありがとうございます。

関連して、http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011042100334&rel=y&g=soc
(引用)

両陛下、あす北茨城へ=2度目の被災地訪問
宮内庁は21日、天皇、皇后両陛下が東日本大震災の被災者を見舞うため、22日に日帰りで茨城県北茨城市を訪問されると発表した。今回の震災で両陛下の被災地訪問は2度目。
 両陛下は常磐道経由で北茨城市入りし、津波に襲われた大津漁港を視察後、避難所の市民体育館を訪れる。
 北茨城市では今回の震災で5人が死亡、1人が行方不明。茨城県内(死者23人、行方不明1人)で最も人的被害が大きかった。(2011/04/21-11:43)
(以上)
ということです。
お忙しいようです。

両陛下、被災地を初訪問=「頑張りましたね」−千葉・旭市

 天皇、皇后両陛下は14日午後、東日本大震災による津波で13人が犠牲となった千葉県旭市を訪問された。両陛下が今回の震災の被災地を訪れるのは初めて。
 両陛下は、同市海上公民館と飯岡福祉センターに設置された避難所を訪問。ジャンパー姿の天皇陛下は膝を突いて、「どうぞお元気でね」と被災者に声を掛けた。皇后さまは手を握ったり、腰をかがめたりしながら、「よく頑張りましたね」「大丈夫よ、大丈夫よ」と被災者をいたわった。
 ダウン症のため上手に話せない小野正和さん(36)は、「これからも頑張っていきます」と書いたメモ帳を胸に掲げて両陛下に見せた。母親と一緒に津波にのまれ、近所の人に助けられたといい、天皇陛下は小野さんのメモをゆっくりと声に出して読み、皇后さまは「えらかったですね」と励ましの言葉を掛けた。
 両陛下は避難所のほかに、津波で家屋が流されるなどした横根地区を訪問。1人が死亡し、1人が行方不明になった現場の路地に立ち、黙礼をささげた。
 旭市では4カ所の避難所で、計約250人が避難生活を送っている。(2011/04/14-19:23)

(以上)

ということです。
「がんばってください」ではなく、「よく頑張りましたね」というのですね。

勉強になりました。





さて・・・イギリスですが・・・ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110420-00000107-jij-soci
(引用)

英BBCが励ましのラジオ番組=アーティストら無報酬で協力―全国のFM局で放送へ

時事通信 4月20日(水)17時37分配信

 英BBC放送が東日本大震災の被災者を励ますために特別制作したラジオ番組が、22日未明、被災地を含むTOKYO FM系列で放送される。日本でラジオの仕事に携わった経験を持つ英国人女性の働き掛けをきっかけに、BBCのパーソナリティーや「レ・ミゼラブル」などの舞台製作で知られるキャメロン・マッキントッシュさんら著名人が無報酬で協力した。
 BBCがボランティアでこうした番組を制作するのは異例という。激励メッセージと音楽でつづる1時間番組で、午前1時からオンエアされる。
 女性は、現在2児の母となったシボーン・イークさん(44)。1998年まで約6年間の日本滞在を通じ、「こんなに親切で温かい国は他にない」と言うほどの親日家になった。
 ロンドン郊外の自宅で大震災の報に接し、テレビに映し出される津波被害の様相に息をのんだ。今の気持ちを届けたい。そう考えていたところ、95年の阪神大震災の際、東京で心細さを感じながらも、ラジオから流れるメロディーや声に癒やされたことを思い出し、旧知のBBCプロデューサーに話を持ち掛けた。
 プロデューサーは番組制作を即断し、趣旨に賛同したマッキントッシュさんや歌手のリリー・アレンさんらの協力を得て特別番組「フロム・ザ・UK・ウイズ・ラブ〜ガンバロー! 」にまとめた。
 番組はアーティストら18人のメッセージと12曲で構成。イークさんも励ましの言葉を寄せており、全国27局でCMなしで放送される。イークさんは「困難な状況に直面している日本の皆さんを勇気づけるのに少しでも役立てば」と話している。 

(以上)

ということです。
ありがたいですね。
知っている限りでは、イギリス人が英語圏では一番日本人ぽいように感じます。

 

 

さて・・・

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110419k0000e040095000c.htmlですが、
(引用)

東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず

 東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。
仙台平野は400〜500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。
平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。

 国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。
宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。
平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津波を想定して道を敷いた可能性は高い」と指摘する。

 同平野は明治以降も繰り返し津波に見舞われた三陸海岸と比べ、津波被害の頻度が少ないとされる。慶長津波の浸水域は明らかになっていないが、内陸約4キロの山のふもとまで船が漂流したとの記録がある。東北大の別の研究チームによれば、今回の津波は海岸線から最大5キロ程度に達し、平安時代の貞観地震(869年)の浸水域をやや上回った。

 平川教授は「残念ながら明治以降の開発において、津波の経験は失われた。復興のまちづくりは災害の歴史を重視して取り組んでほしい」と話している。【八田浩輔】

(以上)

ということです。
要するに、昔の経験、知恵がつ伝わっていなかった、ということですね。
確かに・・・今のようなインフラも、機材もありませんので、口述と文章だけではなかなか難しいです。
おそらく、このまま文明が続くのなら、今後は問題ないだろうと想像します。
きっと、続きますので、もう大丈夫であると思います。



船井幸雄さんが今回の地震が地震兵器であったということを、広めた方がよいと思っていますので・・・ベンジャミンさんを久ぶりに・・・
http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/
(引用)

04/19/2011

人工地震の記事:読者より

読者より送られてきた人工地震の記事です。多くは日本の朝日新聞と読売新聞。かつては、日本の大手マスコミも地震兵器の存在を認めていた。 

特筆すべきは韓国の中央日報、北朝鮮が地震兵器を持っているという記事
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=79266&servcode=500

 1953-9-13 読売新聞 夕刊3面より「人工地震で9名がガス中毒 釜石」
 ---------------------------
 1955-9-21 読売新聞14版 朝刊7面より 『社説 人工地震と原爆』
---------------------------
 1955-9-21 朝日新聞12版 夕刊3面より 『原爆による人工地震計画』

1984-3-12 読売新聞 朝刊23面より「人工地震大きすぎた! 新幹線のダイヤ乱れる 等。

(以上)

でして・・・直接サイトへ行きますと、新聞記事などのコピーを見ることができます。
確かに、30年くらい前までは、ごく普通に地震兵器が開発されている、実用化されている、ということは、世間に知らされていたようです。
すっかり忘れていますが・・・
有意の方々は、どう思うでしょうか?

 

 

 

 

さて・・・今日善場さんが、被災地に入っていましたが・・・
美鈴さんhttp://ameblo.jp/misuzumessage/ が、少し前ですが、船井幸雄さんの周りの方では、知っている限り、副島隆彦さんについて現地に入っています。

2011-04-21 02:43:07

2度目の気仙沼

テーマ:美鈴日記
美鈴日記 》⇒ http://amba.to/hoN8Oc
美鈴からのメッセージ 》⇒ http://amba.to/eq8iS3
本日の【金の魂語】(きんのたまご) 毎朝配信中!
(Facebookページ『スピリチュアル・メッセンジャー美鈴』にて)
http://www.facebook.com/misuzukouenkai

【2度目の気仙沼】

17日から、物資は陸路、身体は飛行機で、宮城県へ行って参りました。

18日は、前回もお邪魔しました気仙沼の高校と小学校の避難所で、全国の皆様よりお預かりしました義援金にて購入させて頂きました
(前回要望頂いていました必要物資)と、善意で頂きました物資を手渡しさせて頂きました。

体育館の後方に、本棚を設置させて頂きまして、たくさんの雑誌や本や絵本やコミックを陳列させて頂くと、直ぐに避難者の皆さんが手に取って、様々な情報を目で追いながら
「え〜!こんなことになってるの?全然知らない」
「こんな情報、全然知らない!」と、震災の記事が詳しく書かれた雑誌を見ながら、口々におっしゃいました。

本棚と同時進行で、殆ど新品の今から夏まで着れるお洋服や靴、化粧品類、スポーツ用品(男子用)子ども服やカバン、ハンドクリーム、青汁やビタミンなどのサプリメント、帽子、長靴、老眼鏡、下着・・・などが入ったダンボールをトラックから下ろして体育館の後方まで運びました。
重〜〜〜い;ダンボールを、避難所の若い男女が一生懸命にお手伝いしてくれました。
前回の訪問をしっかり覚えててくれて、皆さん大歓迎で親しくして下さいました。


今回、わたしと親方、ユキジェムの水口さんと、その娘さん(学生さん)の4名での少人数のボランティアだったのですが、
わたし達の姿を見付けると、小・中・高の子供たちが駆け寄ってきて、
「本当に来てくれた!!すげ〜!!もう来てくれないと思ってた!手伝うわ」と、みんなニコニコお手伝いしてくれました。
(当日、タレントさんがいらしてたのですが・・・笑;)申し訳ない感じでした;))


「この物資は、全国の愛のある皆さんが、ぜひ!皆さんに直接、寄り添いたい!というお気持ちで下さった義援金で購入させて頂いたものです!
みんな家族です。そんな思いで、皆、一生懸命にみなさんに寄り添っています。」と、本の後ろにも書いて、体育館で大きな声でお話しさせて頂きました。
それから、まるで本当のショップのように棚を作って、お洋服などを陳列して、ハンガーラックにたくさん掛けて年齢や性別などで分類しながら、開店しました。
皆さん、笑顔で楽しそうにお洋服を選んで、笑い声もたくさん聞こえて、オーラもイキイキしてきてコーディネートしながら、同じ避難所にいてもなかなかお話し出来なかった方とも仲良くなられたり、本当に楽しそうでした。

今回私は、何とか「発散」して頂けるように計画していきました。本当にバーゲンセールのように(勿論、ただですょ;)楽しんで、その時だけでも避難所のストレスやこの先の不安から解放して頂いて、楽しんで頂きたい!!

嬉しかったです!「あ〜楽しい!」「あ〜嬉しい!!」と、おばあちゃまたちも杖をつきながらでも大喜びで、
若い方たちも 「わ〜!すごい、これ可愛い!!この色きれいね」
「これ、欲しかったんです」 「パステルカラーなんて着たことないけどこれを機会に着てみようかしら」・・・と、
本当に本当に心から声を出して下さいました。

数の少ないものは、じゃんけん。。
ジャンケン大会に、子どもから大人まで大喜びで、水口さんも私も大阪弁Fullの爆笑接客からジャンケンまで、燃え尽きました;

商品は殆ど新品で、あとは水口さんのアパレル会社のお知り合いが、ステキなサンプル商品を無償で提供してくださいました。
購入したものもステキなものばかりで、ワザとショッピング気分を味わって頂くためにタグを付けたまま陳列しました。

現地の皆さんは、お古でも有り難いですとおっしゃいます・・・
でも、元気に前向きになって頂くために、「我慢」の負担を少しでも軽く、心の蓋を取り除いて、明日への不安を少しでも緩くしてさしあげられれば・・・と。
片付けも、お手伝い頂きながら楽しく終えることが出来ました。

そのときも「ほっんとにっ!楽しかった!こんなに楽しかったの久しぶり!」と、おばちゃんに腕をつかまれながら感謝を頂きました。
「寄付を下さった皆さんに、神様です!あなたたちは神様です!とお伝えしてね・・・」と、目に涙を溜めた80代のおばあちゃんに拝まれました(涙))

サッカーウェアとシューズを喜んでくれた小学生男子が、恥ずかしそうに帰り際に駆け寄ってきて
「本当に有難う御座いました。嬉しかったです!また来てください!」と、頭を下げて走り去っていきました・・・(嬉涙)

また、他の子はTシャツをワイワイ言いながら皆と選びながら「あっ、これ弟にも着せてあげたい・・・」と、
小声で言うので何も考えずに(反省;)
「じゃぁ、弟くんにも持っていってあげて」と声を掛けると
「無理、着れない・・・死んだから・・・」と言うのです。
その子の頭をギュッとしながら、
「今、お兄ちゃんが、弟くんに着せてあげたい!って思ってあげたから、弟くんは同じTシャツをあの世で着れてるんだよ!
良いお兄ちゃんだね。」と、短時間で短いお話しでも
「うん」と頷いて、また笑顔で陳列棚の前の人の輪に入っていきました。

家族のために必死に悲しみを堪えてるんですよね・・・。

全て片付いてから、「お騒がせしてすみません」と、ジュースをお配りしながらお父さん、お祖父ちゃんにお声を掛けてまわりましたが、
皆さん「いやいや、楽しかったです。
お祭りみたいで楽しかったです。
あなた方も、お体には気を付けて頑張ってくださいね」と、かえって励まされました;


滞在中、秋田を震源地に震度5弱の余震も体験しました・・・
被災地の皆さんやテントで寝泊りされてる自衛隊の皆さんの心労・疲労は計り知れません。
二日目滞在したホテルは、遠方から来られた仮設住宅の建設作業員の皆さんや、携帯電話会社の方たちが滞在されていました。
ホテルも節電モードで、夕食は冷えたおかずです。。
作業をされる皆さんも、大変な環境でお仕事されているんですよね・・・。みんな、一生懸命です(涙)。。

また、運送関係も復旧していないなか、何度も情報をやり取りしながら交渉して物資を運んで頂きました。
今回、佐川急便さんには大変なご協力を頂きました。心から感謝いたします!
飛行機もなかなか予約出来ず、冷や冷やしましたが・・・今回も、皆さんの思いはしっかり届きました!長く寄り添っていきましょうね。

ペットたちのこともなかなか書けずにすみません;
講演会でもお話ししますが、次回、ご報告させて頂きますね;(すみません;))

明日は、大阪講演会です。
また、明後日は飛騨高山に参りまして、、ゲスト講演させて頂きます。

こんなときです・・・こんなときの大事なお話しをさせて頂く予定でいます(笑)。。

まぁ〜でも;ハードスケジュールなのに・・・痩せない・・・!?
何でだ?

おやすみなさい。

(以上)

ということです。

う〜ん・・・タレントよりも人気があったようですね。
すごいです。
今回、わたしと親方、ユキジェムの水口さんと、その娘さん(学生さん)の4名での少人数のボランティアだったのですが、
わたし達の姿を見付けると、小・中・高の子供たちが駆け寄ってきて、
「本当に来てくれた!!すげ〜!!もう来てくれないと思ってた!手伝うわ」と、みんなニコニコお手伝いしてくれました。
(当日、タレントさんがいらしてたのですが・・・笑;)申し訳ない感じでした;))

これですね・・・

「もう来てくれないかと思ってた!」というのは、現実的な本音ですね。
二度きてくれる方というのは、きっと少ないでしょう・・・まして、そんなに楽しませてくれる方々で。
(もちろん、作業やボランティアの方などではいると思います)

頭が下がります。

ちなみに、美鈴さんのFacebookは、http://www.facebook.com/misuzukouenkaiです。

有意の方々は、どう思うでしょうか?


 

さて・・・森田健さんですが・・・
(引用)

平安時代までの漢字が元々分かる日本人女性の続きです。  
 子供の頃は、基本的には「子どもである」演技をしていました。
 それを、周囲の大人たちが望んでいるのがわかったからです。
 特に「男親をたてて、頭のいい子どもでいること」が、この社会では喜ばれるとわかったので、そう演技していました。
 たとえば、知らない大人から
「パパとママのどっちが好き?」
 と、母親だけがいるところで聞かれた場合、
「そんな質問をするのはどうかと思う」と内心いぶかりながらも無邪気なふりをして
「パパ」
 と答えました。母親は
「そうなのよね、パパっ子でいやになっちゃうわ」
 と答え、それを見て
「幸せな家庭の演技をしている」
 という感覚でいました。ただ、どうも父親はそれが演技だとわかっていたようで
「小さい頃からこいつとは気が合わなかった」
 と言っていました。その言い方が、子どもに対する言い方じゃないのも気になっています。
(「気が合わない」という日本語は、自分と同等の立場の相手に使うと思うので)。
 だから、親と衝突する場合も、常に自分のほうが正しいと思いながら、議論をしていたつもりですが、
それがまたバカにされていると感じるのだそうです。
私はバカにしているつもりではなかったのですが、親には相当こたえたようで、「またバカにして…」と母親には泣かれました。
 
 たとえば、どういったことを親に言ったかというと、
「その男尊女卑の考え方は現代の日本では通用しない。もし、その主張を貫きたいのであれば、家長としての義務と責任をすべて負ってから言うべきである」
 といったような反抗の仕方。
 また、母方の家系は、もともと旧家で地主の家の本家でしたが、昭和以降、資産運用を誤って、また一族の中で資産の奪い合いがあったために、いまは住居のほかにマンション一棟しか資産として持っていません。
 資産運用を誤ったのは、祖母がやはり旧家のお嬢様で、まったく人を疑うことを知らずに、友達と信じていた不動産屋に二束三文で土地を奪い取られ続けていたせいです。
 祖母が亡くなったとき(私が中学のとき)も、たくさんの友人・知人にお金を貸していただけではなく、実印までもだまし取られていました。
 そこで、そういったことに間違っていると口を出していた、という感じです。バブルに向かうときでしたから…。
 
逆に、バブルがはじけそうになる直前に
、親が不動産屋(誰でも知っている財閥系の大手です)にだまされ法外な見積もりでマンション建設用に土地を購入させられ、バブル価格でマンションを建てさせられたときも、当時の経済状況と不動産屋の思惑を説明しましたが、小娘の言うことと誰も信じてくれませんでした。
父に
「社長、社長とおだてられて、言いように操られていることに気づかないと資産を失う、これからは土地の価格がものすごく下がる。それがわかった上で、不動産屋は動いているのだから」
 と言っても、いい気分で接待されているので聞き入れてくれませんでした。
 ギリギリ、リゾート地と北海道の田舎にマンションを建てることだけは止められました。
 いまでは、40代になったので、母親とは対等な感じになり
「やっぱり言ったとおりだった」
 と言ってくれます。
 でも、私が本から得た知識をもとにその後の日本経済を予測して資産運用の仕方を説明していたとは信じてくれていないようで、単なる予知能力だと思っているようです。
 
 また、ふつうの子どものようにデパートで
「●●を買って!」とギャーギャー泣き叫び、その場を動かず親を困らせるということはありませんでした。買ってほしいものがあるときは
「●●を買って」
 と言いましたが、
「いまはお金がない」
 など親に理由を説明されれば
「うん、わかった」
 と答えるようにしていました。それに関してはとてもラクだった、と母親は言います。

 

--------------------------------------

 きょうも 「生まれ変わりの村」関係をやります 
現時点で
28件が集まりました。
 
本当にありがとう。 

やはり
性に関しては、早いです。 
 
とても驚いたのは、6才の息子を持つ母親からの報告です。
すでに息子はオナニーをしているのです。
集まった事例から4件を抜粋して次回の「不思議の友」に載せますが、その許可も頂きました。
この息子さんは外国語も堪能で、3カ国語を喋ります(汗)


それからきょう来たメールでは
小学校に入る前から、下位の問いを持っていた・・というがありましたが、これもオトナ心だと思いました。
人間はなぜ存在するのかとかをお母さんにちゃんと聞いているのです。 

>人間はなぜ存在するのかとかをお母さんにちゃんと聞いているのです
 
自分自身のことを問題にする人は多いですが、この人は「人類全体が滅亡して、何が困るか?」とかを問題にしているのです。 

>「人類全体が滅亡して、何が困るか?」
 
これを幼稚園生が考えているのです。

 あと、ちょっと面白いのは
メールを送ってくる多くの人が件名を『Re: 「こんなの、たいした事例にならないかな」』にしているのです(笑)。 
私にはどんな情報でも貴重です。 

前世と言えば
今までは、ふたつの流れがありました。
 
「ソウルメイト」とか言って、やたらロマンチックにしてしまう流れ・・
もうひとつは退行催眠を使った「前世療法」です。これは前世がアトランティスやエジプトであるときが多く、なんか壮大すぎてついて行けません。
しかし今回の事例募集は、やっと足が地に着いてきた感じがします。本当に些細なことが前世の影響だったりします。

そして何よりも人に言いにくかった性の早熟が浮き彫りにされたことです。 

そうそう、もうひとつありました
 
小学校時代での、いわゆるレズビアンです。
この証言も、数人がしていました。
 
同性愛は異端です。
しかし前世の影響だとすれば、本人に責任はありません。 

こういった問題は 生まれ変わりの村では、なかなか聞けません。

(以上)



ということです。

 子供の頃は、基本的には「子どもである」演技をしていました。
 それを、周囲の大人たちが望んでいるのがわかったからです。

はですね・・・私も何度も書いていますが・・・逆に、みんなこうだと思っていました(笑)。
でも大人になるとそれを忘れてしまっているだけだと・・・
でも、どうも違うようですね・・・スープをあまり飲まなかった人の特徴のようです。

だから逆に、私は・・・小学校中学校・・・まあ高校も大学もですが・・・現代国語の問いは解きやすかったです。
きっと・・・終始上記のように、相手の意図を探って生きていますので、出題者の意図を測るのが得意になっていたのかもしれませんね・・・
それは、どうも今でも役に立っているように感じます。

「幸せな家庭の演技をしている」
 という感覚でいました。ただ、どうも父親はそれが演技だとわかっていたようで
「小さい頃からこいつとは気が合わなかった」
 と言っていました。その言い方が、子どもに対する言い方じゃないのも気になっています。
(「気が合わない」という日本語は、自分と同等の立場の相手に使うと思うので)。
 だから、親と衝突する場合も、常に自分のほうが正しいと思いながら、議論をしていたつもりですが、
それがまたバカにされていると感じるのだそうです。
私はバカにしているつもりではなかったのですが、親には相当こたえたようで、「またバカにして…」と母親には泣かれました。

ですが・・・父親は演技と分っていた・・・ですが・・・これはどうかな・・・と思いまして・・・
実は私も同じような経験があります。
5歳くらいの時に、神社に家族でお参りに行ったのですが・・・母親が何をお願いした?と聞きますので、私がまた父親を喜ばそうとしてですね・・・「お店が儲かりますようにって祈った」と言ったらですね・・・父親が怒り出しまして・・・何と言ったかは忘れましたが、「子供がそんなことを言うな」だったか、「生意気だ」だったかですが・・・

その時は非常に悲しかったですし、結構トラウマにもなったのですが・・・
でも今振り返りますとね・・・男っていうのはですね・・・結構照れ屋なんです。
特に、私の父親のようにですね・・・自分が守ってやるんだ!というような「意気込み}で自分を叱咤激励してがんばっているタイプの男性はですね・・・照れ屋ですし、そこを突かれたくないのですね(笑)。

ですので・・・「気が合わない」というのは、それも本音で・・・理由は今上記に書いたようなことなんだと思うのですよ。
で、男は口ではそういうのですが・・・結構心の中では感謝しているもんでして・・・特に、日本男児はですね・・・「愛している」だなんて言わなくても「愛している」ものです。

でも、ひとつ歯車がかみ合ってしまいますと、一定の方向に考えてしまうものであることも分りますので・・・増して今生は女性のようですので、男性心は分らないのは、当たり前だと思いますが・・・
とは言え、私の仮説以外の何物でもありませんが。

親が不動産屋(誰でも知っている財閥系の大手です)にだまされ法外な見積もりでマンション建設用に土地を購入させられ、バブル価格でマンションを建てさせられたときも、当時の経済状況と不動産屋の思惑を説明しましたが、小娘の言うことと誰も信じてくれませんでした。

実は先達て、妹夫婦が家を建てました・・・世田谷に。
で、ですね・・・見積もりが出ますよね・・・それで、これこれこういう木材は1メートルいくらだから、これこれだ、という感じだそうで・・・
妹の旦那がですね・・・設計図を見て、全部木材の長さを計ってですね・・・見積もりを出し直したのです。
で・・・いくらか間違えていたようで・・・いくらか安くなりました。
妹の話では、建築屋さんが言うには「こういうことをする人を見たのは、初めてだ」ということでした(驚)。

・・・戻りますが・・・私は・・・基本的に家のことで口を出したことはないですね・・・
というか、ほとんど、私の目に触れないところでやっていましたので。

父は・・・損だと分っていても友人などに頼まれますと安く売ってしまうのが男の美学だ、と思っている所がありますので・・・あれは・・・10歳くらいの時でしたか・・・国立に結構広い土地を買いまして・・・家族で均(なら)しに行ったことがありますが・・・
その土地も友人に頼まれて売ってしまったようです(笑)。
バブル少し前ですね・・・もっていたら、10倍でしょうか?

もっとも、父親がそういう性格であるということは知っていまして、高校生の時に、運動をするので、友人に買ったばかりの時計を
預けたのですね・・・そうしたら失くしまして・・・
で、父親に相談しまして、どう弁償してもらおうか?と高校生の私は考えていたのですが・・・「弁償なんかしてもらうな!」と言います(笑)。
買ってくれたのは父親ですので、父親がそう言うのなら、それでいいか・・・と思いそうしましたが・・・
今はそれで一番正しいように思います。
ですので・・・まあ、そういう父親です。

この方の場合は分りませんが・・・ただ男のお金に対しての「考え方」は女性のそれとは違いますね・・・
ある意味、女性から見れば男は「バカ」・・・でして・・・ですので、確かにこの方は前世を覚えているのだと思いますが・・・ですので余計に頭がいいですので・・・ですので、「男のバカさ」が、余計そう感じるところもあるかもしれません。
昔の男であればあるほど、そういう傾向があるようにも思います。人によりますが・・・
「男ってやつは・・・(本当にしょうがないね)」(Nちゃんの口癖)ということですが・・・。
気休めを言うつもりではないのですが・・・どう思うでしょうか?
お母様については、良く分りませんが。

 いまでは、40代になったので、母親とは対等な感じになり
「やっぱり言ったとおりだった」
 と言ってくれます。
 でも、私が本から得た知識をもとにその後の日本経済を予測して資産運用の仕方を説明していたとは信じてくれていないようで、単なる予知能力だと思っているようです。

私なんか今だに子供扱いです(笑)。
40歳以前は、いつになったら大人扱いしてくれるのだろう、と思っていましたが、今はもう諦めています。
親とは一生そういうものだと(笑)。

 

 

 また、ふつうの子どものようにデパートで
「●●を買って!」とギャーギャー泣き叫び、その場を動かず親を困らせるということはありませんでした。買ってほしいものがあるときは
「●●を買って」
 と言いましたが、
「いまはお金がない」
 など親に理由を説明されれば
「うん、わかった」
 と答えるようにしていました。それに関してはとてもラクだった、と母親は言います。

 

ですが・・・私は、父親はおねだりすると良くお金を出してくれました・・・それほど沢山そうしたわけでもありませんが。
確実に4,5回は覚えています。
これは、15,6歳で気が付きましたが・・・父親は、おねだりする人にお金を出してあげるのが好きなようです。
きっと、長男で、空手部の部長だったということが関係しているでしょう。
お金を出すのが男の甲斐性だと思っているのだと思いますし、きっと、周りの人や空手関係の方などからそう学んだのだと想像します。
ですので、おねだりすると喜びます。


子供の頃では・・・母親には、一度だけおねだりしたことがあります。
小学6年生の時でしたか・・・いくらか出してもらったのですね・・・
吹奏楽部がコンサートをやるといいますので、それをラジカセで生録したいと思い立ちまして・・・どうしても、外部に取り付けるマイクとカセットテープが欲しかったのです・・・90分の。

まだまだカセットテープだって、90分となりますと、小学生のお小遣いで簡単に買える程には安くなっていない時代で・・・マイクも定価で3000円ほどのものでしたが・・・
当時お小遣いが月500円だったか、400円だったか・・・普通にしている分には不足はありませんでした。

で・・・確か合計で3000円持って秋葉原に行ったのですね・・・
相当粘って・・・お店の店員さんが、優しい諦め顔で「いいよ」と売ってくれました。
きっと・・・ほとんど利益はなかったろうと思います。
だって・・・3000円のマイクは・・・普通75掛けで入るだろうと思いますので・・・2250円でしょうか・・・
で・・・カセットテープはいくらでしたか・・・結構1000円くらいの定価だったように思いますので・・・75賭けではそれで仕入れ値が3000円・・・もっと仕入れ値が安いかもしれませんが・・・定価もどうだったか分りませんが・・・


いずれにして、ほとんど仕入れ値だと思います。
その節は、大変お世話になりました。
ありがとうございました。

ちなみに、大きなお店ではなかったので、売ってくれたのだと思います。
サラリーマン店員ではないということですね・・・経営者か、その家族か・・・でしょう。


その他両親のことは、ここには書きにくいことが多いですので・・・どこの家庭でもそうでしょうが・・・何か機会があったら、森田健さんにでも直接送るかもしれません・・・




とても驚いたのは、6才の息子を持つ母親からの報告です。
すでに息子はオナニーをしているのです。
集まった事例から4件を抜粋して次回の「不思議の友」に載せますが、その許可も頂きました。
この息子さんは外国語も堪能で、3カ国語を喋ります(汗)


ですが・・・アルキメデスさんでしたか・・・だれでしたか・・・やっぱり小学生で自慰行為をしていたと読んだことがありますが・・・
その方も、ひょっとすると、忘却のスープを全部飲まない方だったのかもしれません。

しかも3ヶ国語を話すのですね・・・忘却のスープを飲まないことが常識になったら、外国語の勉強などだれもしなくなるかもしれませんね。

でも逆に、そうなると、結構知識や能力は偏ってくるかもしれないですね・・・
なぜなら、いくら生まれ変わっても、前に覚えた能力を使うことをするわけですので・・・どこかの時点で、同じことの繰り返しになるでしょうから。

仮に今、日本語と英語とスペイン語が話せて、ピアノと料理がプロ級で、物理学が研究者級だとしたら・・・
次に生まれ変わった時も、それを使って生きる・・・その次も・・・その次も・・・

ですので、ひょっとすると、どこかの時点で、スープを廃止することを前提として、わざと、スープを飲ませて、一魂辺りの技術を増やしているのかもしれませんね・・・想像ですが・・・。



私は6歳の時は・・・小学校1年か幼稚園かだと思いますが・・・オチンチンを触ったことはありませんね・・・(笑)。
ああでも、こう言っていたのを思い出しました・・・小学1、2年ですね・・・大井君という大阪から転校してきた同級生が、「おしっこが溜まったり、エッチなことを考えると、オチンチンが大きくなるんだ」・・と・・・実際は大阪弁だったと思いますが・・・
で、自分はどう思ったか・・・多分「それは普通のことだよな」と思ったでしょうか・・・

それを聞いて、別にエッチだとも思わなければ、セックスも連想しなければ、隠さなくてはいけないことだとも思いませんでしたので・・・きっと、3ヶ国語の彼よりは、沢山スープを飲んだのだろうと想像します。




それからきょう来たメールでは 小学校に入る前から、下位の問いを持っていた・・というがありましたが、これもオトナ心だと思いました。
人間はなぜ存在するのかとかをお母さんにちゃんと聞いているのです。 

>人間はなぜ存在するのかとかをお母さんにちゃんと聞いているのです
 
自分自身のことを問題にする人は多いですが、この人は「人類全体が滅亡して、何が困るか?」とかを問題にしているのです。 

>「人類全体が滅亡して、何が困るか?」
 
これを幼稚園生が考えているのです。

なかなかすごい問いですね。

でも・・・どうですかね・・・結構、今考えると、「これって子供が考えるようなこと?」のようなことを考えていたな・・・という記憶だけはあるのですが・・・
でも具体的には覚えていないですね(笑)。

私はせいぜい・・・小学校3年生くらいの時に、「共産党が第一党になったら、日本は共産主義になっちゃうの?」と先生に聞いたことがあるくらいで、結構上位の問いです(笑)。

※注
森田健さんの言う下位の問いとは、宇宙とか地球とか人類とか・・・いわゆる時空全体にとっての最もベーシックなプリミティヴな根本的な初歩的な原始的な・・・そういうものについての問いを下位の問いと呼び、上位に問いとは、いわゆる時事関係とかですね、なんと言うか・・・俗的であればあるほど上位の問いという感じになります。

きっとこの説明では分りにくいと思いますが、受験問題的コツとしては、人が作ったのものについての問いはほとんど上位です。
神が創ったものについては、下位になりえる可能性が高いです。しかしコツは、必ずしも万能ではないですので。)


むしろ、私の感覚では、私の幼稚園〜小学低学年は、現代の一般的な15歳〜25歳くらいの男性のような感覚に近いと感じます。
下位の問いなどはない、難しいことも考えない、異性のことと、お洒落、くらいしか考えない・・・と言う感じでしょうか?

きっと話も合うと思います・・・普通にアイドルの話とか、洋服の話とかですね・・・

上のお子さんは、私がタジタジしてしまうかもしれませんね(笑)。
負けたら先生と呼びます。



 あと、ちょっと面白いのは メールを送ってくる多くの人が件名を『Re: 「こんなの、たいした事例にならないかな」』にしているのです(笑)。 
私にはどんな情報でも貴重です。 

ですが・・・『Re: 「こんなの、たいした事例にならないかな」』 は、非常に分りますね。
これを気にていると、何も書けませんね。

 

前世と言えば 今までは、ふたつの流れがありました。
 「ソウルメイト」とか言って、やたらロマンチックにしてしまう流れ・・
もうひとつは退行催眠を使った「前世療法」です。
これは前世がアトランティスやエジプトであるときが多く、なんか壮大すぎてついて行けません。
しかし今回の事例募集は、やっと足が地に着いてきた感じがします。本当に些細なことが前世の影響だったりします。

確かにですね・・・何ども書いていますが・・・アトランティスものですと、みなさん前世が立派過ぎまして・・・
本当だとしても、ちょっと参考になる度合いが・・・と感じる時もあります。

大抵、神官である場合が多いです。
それはそれで参考になりますが・・・どうして、一般市民だった人がいないのか・・・

エジプトものは、私はあまり書物に接したことがありません・

ソウルメイトは・・・不思議に関心が深くなりませんが・・・きっと、「その意味では、全員そうなんだろうな」と思うからでしょうか?

つまり、両極端なのでしょうね・・・ものすごく狭い範囲からのものと、ものすごく一般化されたもの・・・ということでしょか?

ちょっと驚く(結構すごいですが)くらいのものとでも言うのでしょうか・・・普通の人でも、確かに、スープを飲まなければそうなるだろう、という感じでしょうか・・・
読んでいると、そういう感触がありますし、適度に自分のこととして捉えられる感触です。



そして何よりも人に言いにくかった性の早熟が浮き彫りにされたことです。 

そうそう、もうひとつありました
 
小学校時代での、いわゆるレズビアンです。
この証言も、数人がしていました。
 
同性愛は異端です。
しかし前世の影響だとすれば、本人に責任はありません。 

そうですか・・・男性愛よりも女性愛が多い・・・
なぜでしょうね?

小学校の時だけ・・・となりますと・・・いわゆる本当のレズビアンとは違う、となるのでしょうか?

想像すると・・・仮に前世、男であったとしたら・・・女性への愛というのは、スープを飲まないと残っている可能性はありますね・・・
女性でもそうでしょうが・・・

ただ、男性の記憶の方が、肉欲としては、強烈でしょうから・・・それが、比較的叶え易いとなった場合・・・そうするということがあるでしょうか・・・?
良く分りませんが。

でもですね・・・私なんかは、ひょっとすると、直前の前世の性は女性であった可能性もあるな・・・と感じています。
料理とかですね・・・ピアノとか・・・



そう・・・あまり関係ないですが・・・今日電車に乗っていて、ふと気付いたのですが・・・
日本人て、ちょっとくらいぶつかっても何も言わないじゃないですか?
あるいは、人ごみを通り抜けたり、込んでいる電車で降りたい時とかでも、何も言わないことが多いですが・・・
英語では、言いますよね・・・Excuse me・・・と。
で、私はいつの頃からかですね・・・日本でも、この英語圏の習慣を盾に取り、「何か言えよ、失礼な人だな」となっていたようなのですね・・・
これは・・・いけませんで・・・日本には、日本の習慣があるのですね・・・

それと・・・「あうんの呼吸」でして・・・今よく「空気を読め」というのが若い人の間では、当然のことのようにまかり通っているようですが・・・きっとこれは間違えてでして・・・
それでは、濃すぎてですね・・・「空気を読め」とは、周りの様子を見て、はずれたことをするな、でして、それを突き詰めますと、きっと、何も言わない、やらないになるように思います。

むしろ・・・今見直したいのはですね・・・「あうんの呼吸」でして・・・
今日ふと思ったのは・・・結構神経を無にしていたのですが(笑)・・・込んでいる電車などで、どいて欲しい時、何も言わない代わりにですね・・・よくよく観察していると(体の神経感覚の単位を2桁くらい上げて)・・・となりの人とかが、微妙に肩で触れたりとかですね・・・雰囲気を出すとかですね・・・何かあるたびにそうしているのですね・・・
それが何であえて顕在的に浮いてこなかったかと言えば「まず、Excuse me と言いたまえ」があったからだと思うのですが、それを日本式の習慣ということに意識的に切り替えて見つめ直してみたのですね。

そしたら・・・その微妙な触れ方とか・・・微妙なあうんの呼吸とかですね・・・そういったものが、浮かび上がってきました。

ついでにですね・・・それを考える前に・・・ちょうど立っている前の席に外国人が座っていたのですが・・・その外国人と顔が会いまして・・・そうしますと、外国人同士だと・・・微笑み会って「普通」なのですね・・・きっとこれも外国の習慣でして・・・私はこの10年くらいこれを日本でもやってしまっていたようでして・・・どうもですね・・・当たり前と言えば当たり前ですが・・・日本人同士で知らない人同士は顔があっても、微笑みあってはいけないのですね・・・
そうすると、変体かホモさんか何かと思われるか、そうでなければ、バカにしているとでも思われるようです。

どうもですね・・・あの留学会社にいた時期から次の例の上場会社に入るまでの間、5年間くらいでしょうか・・・ほとんど周りが外国人か、帰国子女か、留学経験者ばかりと付き合っていましたので・・・ここで、そういった習慣がずれてしまったのではないかな・・・と想像しています。

それが外国暮らしをしていたということであれば、もう少し早く気が付いたかもしれないのですが・・・日本にいてそうでしたので・・・どうも気が付かなかったようでして・・・
それでいながら・・・変だ変だ、と言っていた部分もいくらかあるのかもそれないな・・・と思っていますが・・・
果たしてどうでしょうか?
仮説です。想像です。

でも・・・何かですね・・・私は日本は、そんなに長くないかもしれないですね・・・前世の経験としては。
そんな気もします。

きっとアメリカかイギリスで日本文学でも研究していたことがあるのかもしれません。
想像ですが(笑)。

で、元に戻りますが・・・
同性愛は異端です。
しかし前世の影響だとすれば、本人に責任はありません。 


でして・・・もう同性愛でも何でも、前世の影響なら本人に責任はないですね。
その通りです。

有意の方々とスープを全部の飲まなかった方々と興味のある方々は、どう思うでしょうか?


 

4月22日


http://www.asahi.com/politics/update/0422/TKY201104220312.html
(引用)

民主、衆院総務委で小沢氏系5委員を差し替え 造反防止

2011年4月22日13時0分

 民主党は22日、ガソリン税減税を停止する税制改正法案の委員会採決で反対する構えを見せていた小沢一郎元代表に近い衆院総務委員会の委員5人を差し替えた。法案は同日午後の衆院本会議で可決される見通しだが、5人は本会議採決で造反する可能性がある。

 差し替えたのは、石井章、大谷啓、笠原多見子、中後淳、皆吉稲生の各氏。衆院財務金融委員会では民主党の網屋信介氏が税制改正法案に反対する意向を固め、委員を辞任した。
(以上)

ということです。
10月28日に向けて、政治でもいろいろあるのでしょう。


 

http://www.asahi.com/international/update/0422/TKY201104220187.html
(引用)

南相馬市長と志津川病院の医師、「世界の100人」に

2011年4月22日14時46分

 米タイム誌が21日の特別号で発表した今年の「世界で最も影響力のある100人」の中に、東日本大震災による原発事故で警戒区域に一部が含まれている福島県南相馬市の桜井勝延市長ら、被災地の日本人が2人、世界の政治家や著名人らと並んで選ばれた。

 桜井市長は3月下旬、被災直後の現状について、情報不足や物資調達が滞っていることをカメラに向かって11分間にわたって訴え、動画サイト「ユーチューブ」に投稿。英語の字幕付きの映像が登場するなどして、閲覧者が爆発的に増え、世界各地に「フクシマ」の窮状が伝わった。

 タイム誌は、「優れた効率性で知られる日本が、弱い立場の市民に応えられなかったことを世界中に考えさせた」と評価した。

(略)

(以上)

世界ではこうなっている、ということをお知らせしたくて、引用しましたが、テレビニュースでも放送されていましたので、ある程度広められたようです。
情報の世界中への伝播ということに関しては、ネット時代以降のスピードは想像を絶します。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000068-jij-soci
(引用)

イグアノドン類の下顎化石発見=新種の可能性も―福井

時事通信 4月22日(金)13時4分配信

 福井県立恐竜博物館(勝山市)は22日、同県勝山市北谷町杉山の約1億2000万年前(白亜紀前期)の地層から、恐竜イグアノドン類の左右の下顎の化石を発見したと発表した。骨の特徴から新種の可能性もあるという。新種と確認できれば、国内で5例目となる。
 イグアノドン類は「鳥脚類」と呼ばれ、主に二足歩行する草食恐竜の仲間。これまで国内で発見された新種は、同じ地層で発掘された「フクイサウルス」がある。今回見つかった化石は、フクイサウルスと比べ、顎の形状が細く、直線的だという。
 同博物館の東洋一特別館長は「同じ地層から異なる2種類のイグアノドン類が見つかったのは国内で初めて」と話している。
 化石は、昨年7月から8月にかけての調査で発見された。他にも腰の骨や大腿(だいたい)骨などが多数発掘され、下顎の化石と同一種のものか調べている。 

(以上)

ということです。
まだまだ世界中で、新種の化石というのは発見されているわけですね。
結構沢山の恐竜が日本にはいたのでしょう。
と言いましても、陸地は現在と同じような構成になっていたということでもないのでしょうから、歩いて渡れる範囲というのも現在とは違っていたのでしょうが。


 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000430-yom-soci
(引用)

ぴあ首都圏版、休刊へ…HPの情報提供は継続

読売新聞 4月22日(金)12時28分配信

 映画やコンサート情報を紹介し、1980〜90年代の若者文化をリードした情報誌「ぴあ」首都圏版(隔週刊)を7月21日発売号で休刊すると22日、ぴあ株式会社が発表した。

 インターネットで情報を無料検索できるようになり、80年代後半に53万部に達した部数は6万部に落ちていた。同社ホームページでの情報提供は、これまで通り続ける。

 「ぴあ」は72年、当時学生だった矢内廣社長が月刊誌として創刊した情報誌の草分け。著名人を描いた及川正通さんの表紙イラストでも親しまれ、79年に隔週刊、90年に週刊となったが、2008年から隔週刊に戻った。中部版は昨年6月、関西版は同10月に休刊している。

最終更新:4月22日(金)12時28分
(以上)


しばしば取り上げます「ぴあ」ですが・・・首都圏でも休刊ということです。
どう考えてもですね・・・基本的に若い人向けの情報誌でして・・・みなさん携帯電話を持っていまして・・・難しいですね。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B4%E3%81%82 では、
(引用)

中央大学の学生だった矢内廣1972年昭和47年)に創業・創刊したものであり、これは学生起業の走りであったともいわれる。

当初は映画情報・コンサート情報をまとめた雑誌の出版業だったが、近年ではオンラインによるチケット販売を行うなど、情報サービスの側面が強くなっている。

「ぴあ 首都圏版」が2011年7月21日発売号を最後に休刊し、雑誌としての「ぴあ」の発行は無くなる[1]

沿革 [編集]

(以上)

ということです。
時代が変わったということですね。
とは言え、東証一部上場で、社員数もそれほど多くなく、他の事業もやっているようですので、会社自体は問題ないのでしょう。

何度か書いていますが、一度当選で当たったLPレコードを受け取るためにオフィスに入ったことがありまして・・・認識している有名な会社で始めてオフィス内に入った会社でしたので、何か感慨深いです。

有意の方々は、どう思うでしょうか?



 

http://www.asahi.com/business/update/0421/HOK201104200009.html
(引用)

夏のオフィスは北海道へ 東京で募集 涼しく停電知らず

2011年4月22日9時47分

 北海道倶知安町の倶知安観光協会はこの夏、国際的なスキーリゾート地の比羅夫地区のリゾートマンション(コンドミニアム)や別荘を、電力不足が心配されている首都圏の企業にオフィス用として提供する計画を進めている。「クーラーいらずで停電知らず。夏のオフィスは涼しい北海道へどうぞ」と呼びかけている。

(略)

(以上)

でして・・・速いですね、動きが。
10人以内くらいの会社だったら、アリかもしれないな・・・と感じます。
冷房費との兼ね合いと、社員の総意によるのだと思いますが。

きっと、7〜9月でしょうか?
但し・・・中丸薫さんが言っていた寒冷化は、今年くらいから日本でも、誰の目にも明らかになってくるようにも思いますので・・・なんとも言えません。

船井幸雄さんも、今年から寒冷化、と言っています。

そうとは言え、冷房費以外での、利点もあるかもしれません。
都会を離れたら、社員が蘇ったとかですね(笑)。

有意の方々は、どう思うでしょうか?

 

 

 

元キャンディーズの田中好子さんがなくなられまして、ご冥福をお祈りいたします。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000008-jct-entですが・・・
(引用)

スーちゃんCDに注文殺到 6月発売ベスト盤にも問い合わせ

J-CASTニュース 4月22日(金)20時2分配信

 
 元キャンディーズで女優の田中好子さん(55)が突然亡くなり、中年ファンらからショックを打ち明ける声が相次いでいる。近くベスト盤が出る予定になっており、レコード会社には問い合わせが殺到している模様だ。

 「まだ現実を受け入れられない」「やっぱ俺寝れねぇ(/□≦、)」「泣けた。芸能人の訃報で涙出たの久しぶり」「キャンディーズ聴きながら飲む 泣きながら飲む(T_T)」…

■乳がん伏せ、女優の顔貫く

 スーちゃんこと田中好子さんの訃報が報じられると、2ちゃんねるでは、スレッドが次々立ち、こんな書き込みがあふれた。キャンディーズの現役時代を知る40〜50代のファンらが書き込んでいるとみられ、若い世代からはその反響ぶりに驚きの声が上がっていた。

 田中さんの公式サイトにあるBBSにも、書き込みが相次いでいる。いずれも青春時代のシンボルが1つ消えた喪失感を訴えながらも、「スーちゃんありがとう」と感謝する声が多い。サイトは、アクセスが殺到して、つながりにくくなっているようだ。

 「年下の男の子」「春一番」…。1973年にデビューしたキャンディーズの3人は、次々に大ヒット曲を送り出し、社会現象にもなった。しかし、絶頂の最中に突然、「普通の女の子に戻りたい!」と訴え、78年4月4日のコンサートを最後に解散した。

 その2年後、田中さんは女優として活動を始めた。89年には映画「黒い雨」で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞に輝いている。ところが、夫の小達一雄さん(56)によると、結婚翌年の92年に乳がんと分かり、闘病生活を続けていた。2010年秋に体調を崩して入院し、11年3月に1度ナレーションの仕事をしたのを最後に、4月21日夜に帰らぬ人となった。乳がんと20年間闘っていたことを明かさず、女優の顔を最後まで貫き通した。

■追悼盤を出す予定は今のところない

 キャンディーズの3人のうち、ランちゃんこと伊藤蘭さん(56)も、解散の2年後から同じ女優として活躍している。1989年に俳優の水谷豊さん (58)と結婚し、長女の趣里さん(20)は2011年に女優デビューした。また、ミキちゃんこと藤村美樹さん(55)は、一時歌手に復帰したが、実業家男性と結婚を機に芸能界を引退している。

 スポーツ紙などによると、3人は解散後も時々会っており、田中好子さんの入院後は、伊藤さんも藤村さんもお見舞いに行っていたようだ。伊藤さんは、突然の訃報に絶句し、ショックのため一時コメントも出せない状態だったという。

 絶頂期を知るファンらも、感慨深いものがあるようだ。

 後楽園球場で5万5000人を集めた「さよならコンサート」に行ったという埼玉県在住の会社員男性(48)は、「風呂に入っているときに妻から言われ、やはりショックでした」と明かす。「高1のときにファンクラブの仲間と行きましたが、同じぐらいの男性ばかりで異様な雰囲気でした。紙テープの嵐でトラック数台分になったようで、僕も3本ぐらい持って行きました。当時のレコード盤は、すべて持っていますよ」。

 また、同様にさよならコンサートに行った別の
会社員男性(58)は、「まだ大学生のころなので強烈な印象があり、つい昨日のことのように映像となって思い出されますね」と感無量の様子。

 訃報を受け、キャンディーズのCDを出しているソニー・ミュージックダイレクトには、3種類あるCDなどに注文が殺到している。6月8日にベスト盤を出すことが訃報前から決まっており、追悼盤を出す予定は今のところないという。

(以上)


ということです。
新品CD、DVDは入手が難しいでしょうか?
別にヤフーを宣伝するつもりはないですが・・・
http://auctions.search.yahoo.co.jp/search?p=%A5%AD%A5%E3%A5%F3%A5%C7%A5%A3%A1%BC%A5%BA&auccat=0&tab_ex=commerce&ei=euc-jp で、キャンディーズの商品を見ることができます。

キャンディーズはですね・・・上に、48歳の方の証言がありますが・・・きっとこの方は早熟だと思います。
基本的には。58歳の証言をされている方辺りが、一番多いのではないでしょうか?

私は・・・4月で47歳になりましたが・・・確か中学入りたてか、小学生かくらいでして・・・さよならコンサートの様子(報道)はテレビで見ていました。
もうすでにアイドル歌手に興味がなくなりつつあった時期でして・・・アイドルとしては興味はなかったですが・・・
なにやら上級生(大学生など)が「活動」をしていますので・・・「ああ、ああいうようなことができるかもしれない」と思ったことを覚えています。
それは、小学校とか中学校とかから解き放たれて、また体も大きくなって・・・という意味ですが。

基本的には、「ドリフの8時だよ、全員集合」に毎週出ていましたので・・・ドリフの番組の人達というような印象もあります。
印象が、リリーズですとか、何か他の3人組みのアイドルなどと重なります。
ピンクレディーのライバルとは感じませんでした。
ピンクレディさんは、なんとなく、山本リンダさん系統の「きわもの」(悪い意味ではない)というイメージで、キャンディーズさんは、正統派歌手というイメージがあります。

きっと衣装と楽曲の奇抜さ加減だと思います。
また、ご3方とも、清純な雰囲気のする方々でしたので、そこら辺りもあると思います。

それでも、沢山の方々を楽しませて幸せにしましたね。
ありがとうございました。





増田俊男さんのニュースがいくつか出ていますが・・・
方向性、意図は不明ですが、これらのニュースと最近の増田さんの書いている内容と何かが関係しているということだけは事実でしょうね。
また何か分ったら記載いたします。


 

さて・・・日本に残っている外国人に興味がありますが・・・http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20110421/Gendai_000142754.html?_p=1
(引用)

在日外国人向けに日本のニュースを英訳し「落ち着け、冷静になれ」とメッセージを送り続けた

2011年4月21日 10時00分

ダニエル・カール
“外タレブーム”は今は昔の物語。ほとんどの外国人タレントはブラウン管から姿を消した。しかし、この人はバラエティー番組はもちろん、旅番組のリポーター、情報番組のコメンテーター、司会者などで活躍。茶の間の好感度もピカイチだった。流暢な「山形弁」がトレードマークのアメリカ人、ダニエル・カールさんだ。そのダニエルさんが愛してやまない東北地方が大震災に見舞われた。どんな思いでいるのだろう。
 会ったのは目黒駅から歩いて5分のホテルの喫茶室。NHKが海外向けに放送している料理番組「Your Japanese Kitchen」の収録を終えてやって来た。
「番組は和食を世界に紹介しようというもので、栗原はるみさんが料理を作り、それをオラが紹介します。今年で4年目になるのかな。明るく楽しくをモットーに番組作りをしてるんだけど、今回ばかりはちょっと……」
 ダニエルさん、まずはこういった。どうも様子がおかしい。表情が硬く、口が重い。
「ここ3日ばかり被災地を回り、今朝、戻ってきたんです。震災の惨状が目に焼き付いて離れず、避難所で会ったジッちゃんやバアちゃんの顔が浮かんできたりしてね。気持ちの切り替えがうまくいかなかった」
 米沢市にある避難所を皮切りに、仙台市、多賀城市、天童市などを回ったという。
「本当は地震直後にスコップかついで行くつもりだったんだけど、すぐに行っても迷惑がかかるだけって女房にたしなめられ、思いとどまったんです。でも、どうしても行きたくてね。だって、オラの東北が未曽有の一大事だもの。今回は事前に米沢市役所に電話を入れて欲しい物資を聞き、それを積んで行きました。女性用のスニーカーとか靴下、それに歯ブラシや歯磨き粉といった日用品を積めるだけ積んでね」
●「避難所で会ったジッちゃんやバアちゃんの顔が浮かんできてね」
 また、震災発生直後からツイッターで震災情報を流した。
(略)
(以上)

ということです。
立派ですね。

この方は・・・テレビで見ていると面白くてですね・・・確か、東北時代、勝手に知り合いのご家庭にあがって、炊きたてのご飯をよそい、梅干で食べるのが好きだったそうです。
ご家庭の人も、この方が来るのを分っていて、炊き耐えのご飯を、いつも用意してあげていたそうです。

いや・・・確かにですね・・・本当においしい梅干と、炊き立てご飯の組み合わせは、おいしくてですね・・・
昔はいなかのおばさんが野菜を所って、豊島区あたりまでは売りに来てくれていましたので、きゅうりの古漬とか梅干などのおいしいものを食していましたが・・・

こういう方の忘却のスープの飲み具合なども知りたいですね。
何か情報があったら、掲載いたします。

有意の方々は、どう思うでしょうか?

さて・・・津波で辛くも助かった方々の記事ですが・・・http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000003-khk-l04
(以上)

大震災 津波から紙一重で生還 運命の岐路

河北新報 4月22日(金)6時13分配信

 多くの人命を奪った東日本大震災の巨大津波から紙一重で逃れ、あるいは、死のふちから生還を果たした人がいる。運命の分かれ道はどこにあったのか。迫り来る津波を前に、理屈では説明し難い生死の境目に立った人たちの体験談を集めた。

◎乗れなかった送迎バス、県道で巻き込まれる/国道から「水の壁」/宮城・山元 

 携帯電話から緊急地震速報を告げる警告音が鳴ったのは、路上教習の帰り道だった。
 教習車を運転していた相馬市の専門学校生高山直樹さん(18)は、小さな揺れを感じた。「地震ですね」と教官に声を掛けた途端に、大きな揺れに変わった。
 「危ない。止めて」。教官の指示で道路脇に車を寄せた。揺れは3分ほども続いたように感じた。揺れが収まってから、宮城県山元町の自動車教習所に戻った。
 建物の外には職員と教習生が集まっていた。室内灯も教習コースの信号機も消えていた。
 「午後3時からの教習は、できるか分かりません。待機していてください」と職員の声が聞こえた。取りあえず教習所の送迎バスの中で待った。
 午後3時半ごろ、教習中止が決まった。教習生らは相馬市、角田市など行き先別に送迎バスに乗り込み始めた。
 相馬市方面行きのバスに乗ると、職員に「方向が違うよ」と言われ、降りるよう促された。
バスには相馬市と同じ方角の福島県新地町から通っている人の姿があった。渋々バスを降り、相馬市へ向かうという教習車に乗せてもらった。
 教習車は海岸線に近い県道を南下し、途中で国道6号方面に右折した。後方から来たパトカーに拡声器で「大津波警報が出ている。早く逃げてください」と呼び掛けられた。
慌てて海岸線に目を向けると「水の壁」が見えた。
 「先生、津波が来ています」。運転していた教官は国道6号沿いの少し小高い場所に車を止めた。建物の隙間から、津波に押し流されるがれきが見えた。
 波が引くと、海岸線の方向にあった建物や車がなくなり、大きな水たまりができていた。同乗していた女性は泣いていた。ほかに誰も声を発しなかった。
 数日間は津波の光景が嫌でも思い出された。震災から1週間後、教習所で一番仲のよかった友達の告別式に出た後「落ち込んでいても仕方がない」と割り切った。
 乗り損ねた送迎バスは、海岸線に近い県道を走っていて津波に巻き込まれ、教習生らが亡くなったと聞いた。教習生、職員合わせて教習所の死者・行方不明者は40人近くになる。
 バスに乗ろうとした時、なぜ職員は「方向が違う」と言ったのか。
職員も行方不明という。
 「何かに導かれたとしか思えない」。それ以外の答えを見つけられない。
(若林雅人)


◎避難先二つ三差路か岬の神社か/訓練報われず被害に差/気仙沼  

 気仙沼市のお伊勢浜海水浴場周辺に「高台」と呼べるような場所は、ほとんどない。
海岸から200メートルほど内陸にある三差路と海に突き出た岬が、ともに海抜15メートルほど。どちらも津波から逃れられる場所として、住民に知られていたが、今回はどちらに逃げたかで、被害に大きな差が出た。
 農業三浦祝子さん(66)は三差路に逃げた。沖に津波が見えても、避難者は安心しきっていた
「家から持ち出した椅子で休んでいる人もいた。寒そうなお年寄りに毛布を掛けてあげた」
 三差路は、津波の際の一時避難場所になっており、1896年の明治三陸大津波でも水没しなかった。「津波のときは三差路に逃げろ」が集落住民の合言葉だった。

 だが、津波はやがて斜面を回り込むように駆け上がり、三差路をのみ込んだ。三浦さんは目の前の自宅に戻ったところを津波に襲われた。家の奥で波をかぶり、がれきをかき分けてはい出た。
 流木に女性2人がつかまっていたが、毛布を掛けてあげたお年寄りの姿はなかった。
 「お父さん、お父さーん」。一緒にいたはずの夫正三さん(67)を捜したが、返事はなかった。
 お伊勢浜の背後に広がる集落は、約85棟がほぼ全壊。死者・行方不明者は三差路に逃げた住民を含めて91人に上った。
 一方、岬に逃げた住民10人は全員助かった。
 岬は海に面して切り立った崖で、神社が建っている。主婦斎藤たみ子さん(74)は岬に逃げた。
 腰まで水に漬かりながらもブロック塀に馬乗りになり、渦巻く波をかわした。「ほかの人も木やフェンスに必死にしがみついていた」と振り返る。
 「三差路まで間に合わないときは神社に逃げろ」。これもまた集落住民の合言葉だった。
 集落は避難訓練を欠かさない、防災意識の強い地域だった。
 「避難訓練を重ねたからこそ、三差路に逃げれば大丈夫だという安心感が大きくなっていた」。自治会長代行の藤田康悦さん(63)は、ただ嘆くばかりだ。
(高橋鉄男、丹野綾子)


◎一緒にいた母と祖母が犠牲に「2人が力貸してくれた」/陸前高田

 震災から1カ月がたった11日。祖母が遺体で見つかった。その2日後には母も。津波で2人と生き分かれた場所から、それほど離れていないがれきの下だった。
 「あれだけの津波だったのに、流されなかったんだ」。陸前高田市の会社員鈴木泰治さん(33)は、少し意外だった。
 地震発生時は、仕事で気仙沼市唐桑町にいた。避難した高台から見下ろすと、海の底が顔を出していた。「津波が来る」と直感した。
 車を飛ばして自宅に戻った。祖母ニシエさん(85)と母しげ子さん(60)の手を引っ張って約100メートル先にある本丸公園に向かった。
 途中、背後で黄色い砂煙が舞った。「バキバキ、バキバキ」。何かが家をなぎ倒す音がした。同時に、黒い水が見上げるような壁となって襲ってきた。とっさにニシエさんを抱えた。
 しげ子さんは流されてきた軽乗用車に足を挟まれ、動けなくなった。そこに再び津波が押し寄せ、しげ子さんをのみ込んだ。
 ニシエさんを抱えて陸地を探したが、がれきに引っ掛かって思うように泳げない。握り締めていたニシエさんの襟が破れ、離れ離れになった。
 水から顔を出そうとしても、がれきが邪魔をして息が吸えない。「もう駄目だ」。力が抜け、体が沈み、意識が薄れた。
 波の中を約200メートル漂い、愛宕神社まで流されたようだった。「自分は助かったのか」。現実感はなかった。
 1カ月、2人を捜してがれきのまちや遺体安置所を訪ね歩いた。悲報は友人が知らせてくれた。13日に2人の火葬を済ませた。生き残った者の責任を果たせた気がする。
 平たん部が津波でほぼ全滅した陸前高田市。死者・行方不明者は2000人を超える。自分が助かった理由は分からない。単なる運か。そうではなく、2人が身代わりになってくれたのか。「悲しいけど、2人が力を貸してくれたと考えた方が救われる」
 身辺整理が一段落したら、救援物資を運ぶボランティアに参加する予定だ。「このまちが好きだから、少しでも復興に力を尽くしたい」。拾った命は、人のために使う。
(宮崎伸一)

(以上)


その他、

東日本大震災 無人漁船に救われた 高3、流木足場に乗り http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110409-00000011-maip-soci
毎日新聞 4月9日(土)12時19分配信

「被災者にホカホカ焼き芋を」紙一重で助かった会社員 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110406-00000500-san-soci
産経新聞 4月6日(水)0時32分配信

などにも、助かった方の記事があります。

助かっていただき、本当に良かったです。

しかし、いずれもですね・・・助かったのは自力ではないです・・・
偶然としかいいようがありません。

送迎バスで、どうも方向はあっていたにもかかわらず「違う」ち言われ・・・そして助かった・・・
大丈夫だと言われていた場所に避難した人達が犠牲になり、次点の場所に行った人達が助かった・・・
流されて・・・気が付いたら助かっていた・・・
流されて・・・漁船が流れてきたので、それに乗り移り助かった・・・
商談の帰り、たまたま空港にその時間いたので助かった・・・

もちろん辛くも助かった方々の記事ですので当然と言えばそうですが。

有意の方々は、どう思うでしょうか?

 

 

 


今、ラジオで、中村宏さんが、沢田研二さんがタイガースであったことを知らない人がいる、堺正章さんが歌手であったことを知らない人がいる、という話をしていますが・・・
なんでも、「タイガースの特集をします」と告知したところ、阪神タイガースの特集だと思ったとリスナーから葉書が来たようです(笑)。
「ザ・タイガース」と言わなくてはいけない、ということです(笑)

1983 悲しき街角:高橋源太郎さん

 人のことは言えませんで、私もですね・・・水戸黄門を幼少時代からずっと見ていましたが、高橋源太郎さんが歌手であったことは、ずいぶん最近(と言っても20年くらい前)まで知りませんでしたね。
そういうものでしょう。歌謡界は流れが速いですので。

マッハGO 高橋元太郎さん マッハ・ゴー・ゴー・ゴー http://www.youtube.com/watch?v=J920oAI4ST0

涙の日記帳・スリーファンキィーズ_一世代目のファンキーズ http://www.youtube.com/watch?v=dkNCd521Mws&feature=related

ついでにということでもないですが、「パイナップルプリンセス 田代みどりさん」のリンクも出てきましたので、こちらも掲載しておきます。

知っている限り、一番古い明治学院OGのヒット歌手の方です。
でも大阪出身なのですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%BB%A3%E3%81%BF%E3%81%A9%E3%82%8A では
(引用)
7歳の頃から大阪のジャズ喫茶で歌い、その歌唱力が平尾昌晃に認められて1958年に上京。1960年8月、小学6年のとき、テイチクより「スイート・ナッシンズ」でデビュー、1961年1月に「パイナップル・プリンセス」が大ヒット。
(以上)

ということです。

ついでにがもうひとつ・・・中村宏さんの高校の栃木県立宇都宮工業高等学校は、渡辺貞夫さんの通っていた高校なのですね。
興味深いな、と思います。

 

 

 

さて、森田健さんですが・・・
(引用)

平安時代までの漢字が元々分かる日本人女性の続き(天皇陛下の妃ぐらいじゃないと意味がない)  
 子どもを作る仕組みについては元々知っていましたが、特に恋愛には興味がなかったと思います。
 それは、僧侶、修道士、巫女といった過去世が圧倒的に多いせいかもしれません。
 また、私ぐらいの世代だと、
「将来、なにになりたいの?」
 と聞かれたとき、女の子の場合、
・お嫁さん
・スチュワーデス
・ウェイトレス
 のように、男に奉仕する女像を演技して言っておくと大人は喜んだのでそう言っておきました。
 とはいえ、「お嫁さん」になるなら、天皇陛下の妃ぐらいじゃないと意味がないと思い、幼稚園の男友達(好きだと言ってくる子)には、
「天皇陛下の妃になるから、天皇になってくれないと結婚できないからね」
 と伝えておきました。
 すると、幼稚園児は天皇が「将来の職業」だと思い、
「じゃあ、ぼく天皇になるからそうしたら結婚してね」
 と言ってきたので
「うん、わかった(なれないからいいよ)」
 と答えて一定の距離を置いていました。
 
 また、そのようにしておくのは、先述の旧家のお嬢様出身の祖母に対する計算もありました。
 祖母の祖母までは、大奥で小姓(刀持ち)に入っていたそうで、お嬢様気分の抜けない祖母は、大奥の話ばかりして、
「世が世なら、おまえは上様に…」
 という、いま考えると時代錯誤なことばかり毎日言われていたので、
「天皇陛下の妃、またはホントは大奥がよかった」
 と言っておくのが、家でトラブルを招かない方法だったからです。
「天皇陛下の妃」ならいやな感じはしませんでした。
 その感覚は、いま思い返してみると、平安時代末期の僧侶の感覚だったと思います。子どもの発想ではなかった、と。
 
 祖母のことはキライではありませんでした。むしろ好きでなついていましたが、世間知らずな夢見る子どもを見ているようでした。

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PS  
 バックアップを取る作業は、今までは三日に一度くらいでしたが、おとついからは毎日です。
 証言してくれたデータを会社のサーバーにコピーするのです。
 我が家か会社が生き残れば、データも生き残る。

「土方歳三ベスト」というのを買い、今、届きました  
 うちのひいお爺ちゃんは新撰組に味方し、上野の山で薩長と戦いいました。
 私は今、土方歳三が最後に五稜郭で着ていたベストを着用します。
 それにしても、似合うかな・・?(笑)

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 メインコーナーに書いている事例は 非常に具体的だと思いませんか? 
欲を言えばみなさんにも あのくらい書いてほしい(爆) 
たとえば 将来なりたい職業は、嘘を言っていますが、どういう風なことを言ったかが重要です
話を
変えます 
きょうも 性の早熟性に関するメール(証言)が来ました 
私には 前世記憶と感じられる部分は、ありません 
小中学校オール5に近いですが 言い方がまずいですが、まわりがバカだった(全然勉強しなかった)だけです 
オナニーは 中二です。そしてセックスの意味を知るのは高一です。 
高二までは 時空のことなんて考えたこともありません 
集まった事例は 20数件です 
ということは 圧倒的多数は、非該当者です 
私も 非該当者です 
けれど私は スープを半分しか飲まなかった誰にも、負けるつもりはありません

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 英誌「雨ニモマケズは東北の美徳だが、我慢のしすぎは復興の妨げ」訴える 【ロンドン=木村正人】英誌エコノミストの最新号は、東日本大震災で東北地方の被災者は東京電力や政府の無策で過大な我慢を強いられていると分析、岩手県出身の詩人、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を引いて「我慢強いのは東北人の美徳だが、我慢のしすぎは良くない」と不満の声を上げるよう呼びかけている。
 
 同誌は「この1週間の3つの出来事を見ると日本人の我慢強い特性が逆に震災復興を妨げていることを疑わせる」と記す。
 
 第一に東電が福島第1原子力発電所の事故を6〜9カ月で収束させると発表したが、避難民を長期間にわたってどう支援していくか青写真が描けていない。
 
 第二に五百旗頭真・東日本大震災復興構想会議議長は「『希望の丘』とでも言うべき震災記念公園をつくってはどうか」と提案したが、復興の道筋を示す内容ではなかった。第三に原発事故をきっかけに今後のエネルギー政策について十分で活発な議論が行われていない−と同誌は指摘する。
 
 東京タワーに「GANBARO NIPPON」の光のメッセージが点灯されたが、同誌は「東北人はさらなる我慢を強いられているように感じて怒りを覚え始めている。もし我慢が限界に来たら、良い兆候かもしれない」と結んでいる。
 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110422/erp11042212030003-n1.htm   

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 日本の被災少女の質問に回答へ ローマ法王、テレビ番組で

 ローマ法王ベネディクト16世=21日、バチカン(AP=共同)
 【ローマ共同】ローマ法王ベネディクト16世が22日に放送予定のイタリアのカトリック教徒向けのテレビ番組で、東日本大震災で被災した日本に住む7歳の少女の「なぜ子どもたちはこんなに悲しまなければならないのですか」という質問に答えることが分かった。イタリアのカトリック系紙アベニーレ(電子版)が21日伝えた。

 >日本の被災少女の質問に回答へ ローマ法王、テレビ番組で
 
 この回答を誰か見つけたら、レスのコーナーに入れて下さい。
 私はきょう、一日外出するので


 法王は初の試みとして、国営イタリア放送協会(RAI)の番組の中で一般の視聴者からの質問に答える。多数の応募の中から7人の質問者が選ばれ、そのうちの1人がエレナさんという日本の少女だった。


>「震災でたくさんの仲間たちが亡くなったり不幸になったりしているのに、神様は何をしているんですか?」パーパはこの質問には答えなかった」(LiLi)  
 カトリックの限界だ

>「我慢強いのは東北人の美徳だが、我慢のしすぎは良くない」と不満の声を上げるよう呼びかけている。  
 余計なお世話だ


(以上)



ということです。

「なぜ子どもたちはこんなに悲しまなければならないのですか」
 >「震災でたくさんの仲間たちが亡くなったり不幸になったりしているのに、神様は何をしているんですか?」
ですが・・・


「なぜ子どもたちはこんなに悲しまなければならないのですか」 へは・・・
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0422&f=business_0422_244.shtml
(引用)

伊のテレビ番組で、日本人少女にローマ法王回答

経済ニュース2011/04/22(金) 23:48

 【ローマ共同】ローマ法王ベネディクト16世は22日に放送された国営イタリア放送協会(RAI)のカトリック教徒向けのテレビ番組で、
日本大震災に関する千葉市の7歳の少女の「なぜ子どもたちがこんなに悲しまなければならないのですか」という質問に、「答えはないかもしれませんが、大切なのは神があなた方のそばにいるということです」と答えた。

法王がテレビで一般の視聴者からの質問に答えるという初の試み。多数の応募の中から7人の質問者が選ばれ、そのうちの1人が日本人の少女だった。関係者によると、千葉市美浜区在住の松木エレナさん。父親がイタリア人で母親が日本人。エレナさんはビデオレターの中で「同じ年頃の子どもがたくさん亡くなったり、外の公園に遊びに行けないからです。なぜこんなに悲しいことになるのか、ポープ(英語で法王の意)、教えてください」と日本語で質問した。

(以上)

ということです。
答えはない・・・で・・・いいのでしょうか・・・?
仮説を言ってはいけないのでしょうか?
言って欲しい、と感じますが。

 

 >「震災でたくさんの仲間たちが亡くなったり不幸になったりしているのに、神様は何をしているんですか?」
へは、http://sankei.jp.msn.com/world/news/110422/erp11042208060000-n1.htm
(引用)

ローマ法王、日本の少女の質問「なぜ、子供たちは…」に回答へ 
2011.4.22 08:05

ローマ法王ベネディクト16世が22日に放送予定のイタリアのカトリック教徒向けのテレビ番組で、東日本大震災で被災した日本に住む7歳の少女の「なぜ子どもたちはこんなに悲しまなければならないのですか」という質問に答えることが分かった。イタリアのカトリック系紙アベニーレ(電子版)が21日伝えた。

 法王は初の試みとして、国営イタリア放送協会(RAI)の番組の中で一般の視聴者からの質問に答える。多数の応募の中から7人の質問者が選ばれ、そのうちの1人がエレナさんという日本の少女だった。

 法王は「私も同じように『なぜ』と自問しています。いつの日かその理由が分かり、神があなたを愛し、そばにいることを知るでしょう」などと回答するという。

 RAIによると、エレナさんの父親はイタリア人。姓や日本での居住地は不明。(共同)

(以上)

ということで、この記事の限りでは、回答は出ていたようです。
こちらも、今の時点での仮説を是非聞きたかったですが・・・

有意の方々は、どう思うでしょうか?


 子どもを作る仕組みについては元々知っていましたが、特に恋愛には興味がなかったと思います。
 それは、僧侶、修道士、巫女といった過去世が圧倒的に多いせいかもしれません。

ですが・・・
私は、よく覚えていませんね・・・
どうでしたでしょうか?
情報は沢山ありましたので・・・学校で教わったか?よく覚えていません。
とにかくいつの間にか知っていました。

でも確か・・・つい最近ですが・・・10年以内・・・ネットで、赤ちゃんが女性の性器から出てくるということを始めて知ったという10代後半だったか20代だったかの男性の話で「セックスをする気がしなくなった・・・」と書いてあったのを読んだ時は、逆にびっくりしたという記憶がありますが・・・
赤ちゃんがどこから出てくるかは知らなくて、セックスの方法だけを知っている、ということについてびっくりした、ということです。


 

また、私ぐらいの世代だと、「将来、なにになりたいの?」と聞かれたとき、女の子の場合、
・お嫁さん・スチュワーデス・ウェイトレス
 のように、男に奉仕する女像を演技して言っておくと大人は喜んだのでそう言っておきました。
 とはいえ、「お嫁さん」になるなら、天皇陛下の妃ぐらいじゃないと意味がないと思い、幼稚園の男友達(好きだと言ってくる子)には、
「天皇陛下の妃になるから、天皇になってくれないと結婚できないからね」 と伝えておきました。
 すると、幼稚園児は天皇が「将来の職業」だと思い、「じゃあ、ぼく天皇になるからそうしたら結婚してね」 と言ってきたので
「うん、わかった(なれないからいいよ)」と答えて一定の距離を置いていました。

ですが・・・
「男に奉仕する女性像を・・・」ですが・・・まあ時流的にはそれで正しいのでしょうね。
いずれにしても・・・私もそうですが、「何をいうと大人は喜ぶか?」ということを考えて、いつも回答していましたね。

天皇のお妃・・・皇后様ですが・・・それでないと意味がない・・・は、どうなのでしょう?
女性ならではでしょうか?
私はあまりそういう発想をしたことがないので分りませんが。

私は、その人が幸せなら、それでいいな、と思ってしまいます。
きっと、男と女の違いでしょう。
これは、前世を知っているからということもあるでしょうが・・・それだけではないように感じます。
男女差ではないでしょうか?

ですので、男の子の意見の方が分ります。
彼にしてみれば、彼女と結婚できるなら、天皇陛下でもなんでもなりたい、と思っているのでしょう。
仮に彼女が私と結婚するなら野球選手になってね、と言ったらそうするでしょうし・・・ということですね。

彼女が大人ぽいからではなく、女性で、彼が男だから・・・成り立っている話ではないか、と思います。



今、ラジオで、自力と他力の話が始まりました・・・
おそらく、NHKのサイトで後日聞けるようになると思います。
宗教評論家のヒロタタツヤさんという方の話です。

※興味深いので、そのまま最後までディクテーションしてしまいました。

まずは、芥川龍之介さんの話から始まっています・・・クモの糸ですね・・・
法然さん・・・当時貴族でもない限り、普通の人間は救われない、貧しい人間は救われない・・・自力ではすくわれない・・・そういう人が救われる方法として、法然さんが他力で救われるということを考えた・・・
自力で、クモの糸を登っていくことができない、それでは、阿弥陀仏さまにお任せしなさい・・・波阿弥陀佛と唱えれば、自動的にウインチで、上がらせてくれます・・・ということを法然聖人が考えた。

親鸞聖人が、考え方に行き詰まり、法然聖人に弟子入りした・・・
人は、それじゃ自分ひとりだけしか助からないじゃないか・・・他の人も助からなくっちゃずるいじゃないか・・・という。
私の話し方が悪かった・・・阿弥陀佛のクモの糸は沢山あります・・・そうでなくては他力が成り立たない・・・

親鸞さんは・・・もっと深く考えた、自分で糸を巻きつける・・・念仏を唱える・・・ことすらできない人は困る・・・そういう人をどうすればいいか・・・
法然さんより40歳若い、90歳まで生きた・・・

親鸞さんは・・糸が降りてきた・・・巻きつけろと言われても、自分ではできない、阿弥陀さまにお任せしろ、と言われてもできにあ、私は地獄からの脱出をあきらめます。行為だけは受けますが結構です、あきらめます・・・

そうするお、阿弥陀さまが地獄を極楽そのものに変えてくれる・・・そう考えた。
助けてください、といわなくとも、向うの方で自動的に助けてくださる・・・

自力と他力は、猿と猫の差・・・
猿は危険が来ると、すぐにぱっと、母親のおなかにすがりつく、そして母親がその状態d得逃げていく・・・これが自力・・・仏さんが助けてくださると自分で掴まる。

他力は猫、子猫は、親猫が首っ玉を加えて運んでくれる、自分で掴まることもしない・・・
こう説明してる、

ある時講演会を開いた、
1人の青年が、憂鬱な顔で、引き困っていると訴えてくる・・・中学から20代前半・・・
検定試験受けて大学には入った、でもダメ・・・

あなたね、せっかく引き困りになったなら、もう少し続けなさいよ、びっくりして、にこっと笑った、
多分彼は色々な人に相談した、どうしたらいいか、どうしたらいいか・・・

せっかく引きこもりになったならもう少しそうしてなさい・・・
だって、止められるのならとっくに止めている、それを止めようとするから余計しんどい、
それなら続ければいい、それしか方法がないのならそうすればいい。

南無そのまんま、そのまんま、を3回唱えなさい、。
あなたそのまんまでいいんだよ、仏は私達をひきこもっちゃだめなんだ、そういう人は救わないと思っているだろうがそうではない、
そのままでいいんだ、成績の悪い人間は優等生にならなくては救わないだなんてことはないんだ、
そのまんまでいてくれればいいんだ、というのが阿弥陀様の願いです。

そのままでいいんだ、というのは、ある意味では、なんでもいいんだ、善人でも悪人でもいいんだ、そのまんまでいいんだよ、別にこれから悪いことをしなさい、というのではない、悪いことをした人が今更反省してもしかたがない、
そのまんまでいい、

優等生になれるというのはごく一部の人、
全員がなれるというものではない、かならず金持ちがいる、劣等性がいるからそのお陰で優等生になれる、

優等生を天狗になっているような人は、ある意味、阿弥陀さまに嫌われるのかもしれない、

善人だって救われるのだから悪人だって救われるのは当たり前、
むしろ自分はだめなんだと思っているくらいの人の方が、阿弥陀さまとしてはしおらしい、と思っている。

若い方のために忠告しますが・・・絶対にお姑さんをいじめちゃだめですよ、
いじめればいじめるほど、おしょうとさんは、元気にぴんぴんしてくる、

いじめられているおしゅうとめさんは、自分を元気にしているんだな、と感謝すればいい。



恥ずかしいですが、私は音痴です。

ある時気が付いた・・・音痴は歌うたってなぜ悪いか、俺が困ることはない、聞いている人が困るだけ、
そうすればどうどうと歌える、歌っているうちにうまくなってしまった・・・
音痴が少し治ってうまくなると、ありきたりの下手になる、これが少し困る、
音痴の時は独創的だった、

カラオケがうまいやつは、みんなサルだと気が付いた、俺はオリジナルだと自慢していたが、ありきたりの下手になってしまった

言いたいことは、みなさんは欠点があると思います
しかし欠点は個性と思って欲しい、

音痴がより音痴になることにより、個性が伸びる、ヒステリーの人は、もっとヒステリーになればいい
そうでなければ、救いがない、
直そう直そうと直さなくてはならない、と思ったらしんどくなる、
瞬間的に、短気になって、すぐに忘れればいい、

親鸞さん法然さん、貧しい人間が金持ちになろうとしたらかえってしんどい、
そうではなく、貧しいまんま、幸せに生きればいい、

インドの人、父親が病気になり6ヶ月病気で看病した、会社やすんだ。日本なら会社、首になる、
それはおかしいといっていた、
父親なくなった・・・病名分らない、
この話聞いてびっくりした・・・
この話を経営者にした、

日本では病院に入れる・・・診てくれる、一週間に2度いく、
どっちが不幸か?
みなインドだという、医者に見られるし、
インドはもっと豊かになるべき、という、

看病してたら仕事できない・・・
それ考えると、貧しいまま、幸せに、金持ちは金持ちのまんま幸せになればよかったのではないか?

金持ちだけ救われる仏教では良くないと思った、貴族のための仏教だった、庶民のものにした、
国家仏教だった、
庶民は自分・・・金持ちが幸せで貧乏が不幸だと思っている、
そうではない、金持ちでも不幸な人はたくさんいる、

おいしいもんを食べたい・・・欲・・・だれでも持っている・・・
高級料亭に行く・・・仏教はおいしいものを食べるには役に立たない、おいしくものを食べるには役に立つ。
粗末なものでも、みんなで楽しく分け合って食べればおいしく食べられる、それが他力の救い、阿弥陀仏にお願いします・・・

みなさんの子供さん、自分の血を引いてるのだからそれほど優秀でもない、
叱るのではなく、このまんまでいいよ、と教えて欲しい、
どうしてもがんばれ、がんばれといいたくなる、お年寄りまでがそれを言ってはだめ、お前の父親もどうしようもなかったんだから、いいんだよ、と言ってあげて欲しい。

先生それでも、負け組みでもいい、劣等性でもいい、では、子供が負けてしまうんだという人もいる、

そんなとき、落ちこぼれになったっとき、一緒に泣いてあげることが大事なんだと思います。
それが私達の仕事なんだ、一緒に泣いてくださる仏さまが他力なんだ、と

万が一の時、一緒に泣こうよ・・・と・・・


娘、バイクに乗りたいと・・・
自分が子供の時、親に心配かけた、でも自分の子供が親に心配させるのが嫌というのはおかしい、と思った
許可した。

ただ、心配していることだけ、知っていて欲しい、と言った

台風の時、止めたかったけど、行かせた・・・
でも、すぐに戻ってきた・・・

娘が怪我したとき、一緒に泣こうと覚悟を決めたということです。

一緒に泣く、一緒に喜ぶ、これが素晴らしい、
1人で喜べば2人、2人なら・・・
親鸞さんはそういう。

ダブルスタンダード・・・2つの物差し・・・持ってほしい、

一つは世間の物差し、貧乏が悪い、金持ちはいい・・・優等生はいい、劣等性は悪い・・・世間の物差し、

もうひとつは仏様の物差し・・・阿弥陀佛、「あ」は否定、「だ」は測る・・・測らない・・・
家の父ちゃんだめね・・・物差しで計る、でも測らない、そのまんま、そのまんま、これが他力の考え方、。
私達はついつい物差しで計り、あの人悪い人ね・・・と測る、あなたにも悪いところありますよ、でも私のはこれくらいでしょう?あの人はこんなに悪い・・・
そんな目で見ていたら阿弥陀さまの救いには預かれない・・・
そのまんまで極楽浄土にいらっしゃい、それが信じられたときに、本当の救いがある・・・
自分の力で地獄から極楽まで登るなんて不可能、でも仏様にお任せする、任せたからには、変な物差しを持たない、


私達が生きているのは競争社会、HOW TOで、その勝者になる、なんとかして勝とうとしたところで、また勝たなくていけない・・・

そうではなく、そのまんまでいいんだ・・・それが阿弥陀様の教えなんだと・・・

ひろたたつやさん、宗教評論家のお話。
(検索しても、出てきませんので、名前が違うかもしれません)

以上です。


 

 

元に戻りますが・・・
 
 また、そのようにしておくのは、先述の旧家のお嬢様出身の祖母に対する計算もありました。
 祖母の祖母までは、大奥で小姓(刀持ち)に入っていたそうで、お嬢様気分の抜けない祖母は、大奥の話ばかりして、
「世が世なら、おまえは上様に…」という、いま考えると時代錯誤なことばかり毎日言われていたので、
「天皇陛下の妃、またはホントは大奥がよかった」と言っておくのが、家でトラブルを招かない方法だったからです。
「天皇陛下の妃」ならいやな感じはしませんでした。
 その感覚は、いま思い返してみると、平安時代末期の僧侶の感覚だったと思います。子どもの発想ではなかった、と。
  祖母のことはキライではありませんでした。むしろ好きでなついていましたが、世間知らずな夢見る子どもを見ているようでした。


ですが・・・
いろいろ言いたいことはあるのですが(笑)、本筋とは違いますので、書きませんが・・・
でも、まあ・・・私も実は・・・どういうわけか生まれた時から高級志向がありまして・・・どこかでそれがいけない、と思い込んだのですね・・・エゴが強いのも理由はそのせいだ、と・・・
でも、そのエゴだと思っていたのはエゴではなく、実は、スープを少ししか飲まなかったことによるものであった・・・回りが子供に見えて何となくバカにするような感じを出していたり・・・とかですね・・・

これが初めからスープを少ししか飲まなかったせいだ、と分っていれば、回りが子供ぽいと感じていても、馬鹿にするような感じを出すようなことなどなかったのだと思います・・・
だって、相手は子供ぽいではなく、スープを沢山飲んで前世の記憶をなくしているだけで、前世はひょっとしたら私よりすごい人であった可能性だったあるかもしれない・・・ということになります。

その意味では、彼女が天皇になってね、と言ったその彼が前世、大きなお城のお殿様だったりした可能性もあるかもしれませんね(笑)。


 

 バックアップを取る作業は、今までは三日に一度くらいでしたが、おとついからは毎日です。
 証言してくれたデータを会社のサーバーにコピーするのです。
 我が家か会社が生き残れば、データも生き残る。

昨日の津波の話ですね・・・経験、知識を後世に残せなかった・・・でも今後は出来るでしょう、という話ですが・・・
これと関係しているかもしれません。

もし、何か問いを発した人がいて、これを読んだのなら・・・外応かもしれませんので、是非バックアップをお薦めいたします。

私は、大切なファイルは、ノート内のハードディスクと、外付けのハードディスクに入っています。
USBメモリーに入れてあるファイルもいくつかあります。

 

 

 メインコーナーに書いている事例は 非常に具体的だと思いませんか? 
欲を言えばみなさんにも
あのくらい書いてほしい(爆) 
たとえば 将来なりたい職業は、嘘を言っていますが、どういう風なことを言ったかが重要です

ですが・・・ちょっと心がけています。
できるだけ具体的な方がデータとしては役に立ちますね。

 


話を
変えます 
きょうも 性の早熟性に関するメール(証言)が来ました 
私には 前世記憶と感じられる部分は、ありません 
小中学校オール5に近いですが 言い方がまずいですが、まわりがバカだった(全然勉強しなかった)だけです 

ですが・・・
本当にですね・・・受験勉強・・・特に中学受験は特殊なんだと思うのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E5%8F%97%E9%A8%93 (中学受験)ですが・・・
(引用)

中学受験の出題内容

中学受験では学校によっては非常に高度な内容を試験問題に出題することがある。そうした問題は中等教育内容を含むことが多く[12]、小学校の学習範囲を逸脱していない問題であったとしても、内容が幾重にもひねってあったり、高度な想像力・発想・文章力・読解力が試される。特に算数ではその傾向が顕著である。

高校受験以降の数学(特に代数分野)では方程式さえ立てられれば、後はそれを解いて行くだけで答えが得られるが、算数は方程式を扱わずに問題を解くことを前提としているため、問題は複雑な出題を方程式を回避しながら解くものとなる。
それらは、結局のところ問題を方程式で解かないとかえって難しい場合が殆どである。
こうした問いを解くために面積図や線分図などの特殊な計算法が必要とされるが、方程式が登場する中等教育およびそれ以降の教育ではそれらを一切使わない。
そのため、「中学入学後には方程式を主に扱うのに、そのような出題の仕方に意味があるのか」という指摘がある。

(以上)

これは、現在のことを分析した上での文章ですが、昔も相当特殊でした。
傾向は同じだと思います。

何かですね・・・知能指数テストと似たような問題が多かったな・・・というのと・・・
複雑な図形が出てきて、円周(軌道)の長さを求めなさい、円の重なった部分の面積を求めなさい、のような問題が多かったな、というような印象があります。
当然微分積分も方程式もなしで求めるわけですが・・・
でも結構、中間点もくれるわけです・・・ですから、途中の式なんかも全部書くケースが多かったように思います。

ですので、先達て書いた知能指数テストですが・・・受けた時に、非常に見慣れたやり慣れた問題だな、という感覚がありました。
ですので、実際の知能指数より若干高く出ていたかもしれないですね(笑)。

で・・・知能指数ですが、思い出してきまして、確か150いくつかと言われたように思います。
比べようがないので、何ですが・・・

知能指数 http://labaq.com/archives/51302469.html を見ますと、結構いい線言ってるな(笑)と思います。

上記サイトによりますと、
(引用)
従来のIQ方式では200を超える天才もいましたが、現行アメリカで主流のIQ方式では、最高値は160程度だとのことです。(知能指数 - Wikipedia
(以上)

ということです。
私のはきっと旧来のものでしょうね。
30年以上前ですので。

いや・・・本当に中学受験の問題に似ていたように思います。
逆に中学受験が、IQテストを参考にしていたか、作っている人は同じ人か・・・よく分りませんが。

元に戻りますが・・・
ですので、もう・・・本当に学校の勉強とは全く関係ないような勉強ですね・・・全くというか・・・何というか・・・関係はあるのでしょうし、役にも立つこともあるのでしょうが・・・違う勉強ということです。

でも・・・最近やっと反省というか認めていますが・・・その学校専用の勉強が試験に役に立つ、という概念が昔からなくてですね・・・
勉強は同じものなんだから、大きな流れでしっかりやり上達すれば何でも対応できる、というように思っていまして・・・
これは、どこの受験でも、受験でなくても仕事でもなんでもそうなのですが・・・

一理有りまして、逆にその方が役に立つケースもあるのですが、こと受験に関して・・・あるいは講義のテストでもいいのですが・・・
は・・・傾向が必ず有り、その傾向に沿った勉強をした方が点数が沢山取れますね。

来世に中学受験があったら役立てます。

恋愛でもそうなのでしょうね・・・
その人に合った方法と対策・・・

もちろん未知なもの・・・だれに出会うか分らないような時・・・などの場合には、個別ではなく大きな流れで能力を磨いておき、それで対応するのがいいのだと思いますが・・・
で・・その方が度胸は付きますね。
そして、それ故いい結果もでる・・・しかし受験だけは、学校別の対策が必要なようです。




オナニーは 中二です。そしてセックスの意味を知るのは高一です。 
高二までは 時空のことなんて考えたこともありません 
集まった事例は 20数件です 
ということは 圧倒的多数は、非該当者です 
私も 非該当者です 
けれど私は スープを半分しか飲まなかった誰にも、負けるつもりはありません

・・・私も時空を考えたことはないのではないでしょうか・・・スープも飲み具合によるのだと思いますし・・・前世の種類にもよるのかもしれません。
思い出せないだけかもしれませんが・・・

思い出すことと言えば・・・今まで書いてきたことと・・・ああ、3歳くらいの時、テレビで座禅かなにかについてやっていて・・・それを真似てなにかやった覚えはありますね・・・

とりとめもなく書きますと・・・肉はですね・・・幼少の時から「塩味」が好きなのです。
照り焼きだなんて概念はまだなかった時代ですが・・・醤油とか生姜とかガーリックより、「塩」なのですね・・・
もう、4,5歳でそうだったと思います。

とにかく、甘いおかずが嫌いでした。
デンブ、とかですね・・・ピンク色の甘いやつ・・・

お店の仕事を手伝うのは好きでした・・・
大人っぽいな、と(笑)。

 



 >「震災でたくさんの仲間たちが亡くなったり不幸になったりしているのに、神様は何をしているんですか?」パーパはこの質問には答えなかった」(LiLi)  
 カトリックの限界だ

>「我慢強いのは東北人の美徳だが、我慢のしすぎは良くない」と不満の声を上げるよう呼びかけている。  
 余計なお世話だ

ですが・・・
そうですね・・・少なくとも、上記の法然さん、親鸞さんの発想だと、何かは言えますね・・・何も言えない、というのは・・・どうでしょうか?
神道でも何か言えるかもしれないですね。

だって・・・変な話・・・合っている間違えているは別にしても・・・「だれがいけにということではなく、自然からの地球全体への警告です」という言葉ですらカソリックだと言えないのではないでしょうか?

なぜなら・・・そんなこと言った時には、もう自然破壊をして無制限に開発していくことはしにくくなってしまいますので。

>「我慢強いのは東北人の美徳だが、我慢のしすぎは良くない」と不満の声を上げるよう呼びかけている。  
 余計なお世話だ

はですね・・・今日の法然さん、親鸞さんだと・・・きっと一緒に泣いてくれるのだと思います。
「おいしい料理を食べる方法」ではなく、「おいしく料理を食べる方法」ですね。

あの・・・きっと・・・何らかの手段があって動ける方・・・は、動くといいですし、そうしていると思うのですが・・・
そうではない方々・・・それは今日のラジオの話ではないですが・・・「不満の声を上げる」としんどくなるのですね・・・

骨折している人に、「もっとすばやく動かせ」「もっと重いものを持て」と言っているのと同じですので。
治ったらまた違うアプローチはあるのだろうと思いますが・・・

ですので・・・一緒に泣いてあげる・・・というのは、何も一緒に泣くということだけではなく・・・
少なくとも、「もっと重いものを持ち上げろよ!」ではないのですね。
うまく言えないですが・・・・一緒に泣くとは、できることは手伝います・・・重いものを持ち上げろとは言いませんよ・・・
というようなことでしょうか。

またうまい表現が出てきたら記載いたします。

 

「土方歳三ベスト」というのを買い、今、届きました  
 うちのひいお爺ちゃんは新撰組に味方し、上野の山で薩長と戦いいました。
 私は今、土方歳三が最後に五稜郭で着ていたベストを着用します。
 それにしても、似合うかな・・?(笑)

ですが・・・先達て明治学院の二代目学長の井深梶之助さんの話を引用しましたが・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%B7%B1%E6%A2%B6%E4%B9%8B%E5%8A%A9
(引用)

梶之助の父・宅右衛門は、知行550石で学校奉行(日新館館長)を務め、戊辰戦争では第二遊撃隊頭として越後方面で戦った。
梶之助は叔父が
近藤勇から譲られた銃[1]を持ち父と共に実戦に参加し1人を討ち取っている。
梶之助の弟は
衆議院議員井深彦三郎ハンセン病者に仕えた看護婦井深八重がいる。次男の健次は陸軍軍医学校長を務めた陸軍軍医中将、ソニー創業者の1人井深大は一族である。

(以上)

でして・・・森田健さんの年代の方のひいお爺さんが、こういう年代の方なのですね。

戊辰戦争は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%8A%E8%BE%B0%E6%88%A6%E4%BA%89
(引用)

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩長州藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力及び奥羽越列藩同盟が戦った日本内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であったことに由来する。

(以上)

でして、明治時代になったばかりの時と覚えればいいのですね。
ヘボンさんがヘボン塾を作ったのが、1863年のようです。
本当に・・・つい最近です。
それまでは江戸時代だったのです。



今日はここまでです。






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