理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 

 

 
303:写真はなし
   
   

 さて・・・・・・
いろいろありますが・・・
最近、例の投資コンサルタント兼経営コンサルタントといい、店で隣になったような見知らぬ人と話すことが時々あります(笑)。

なぜかと考えますが・・・
もちろん、そういうことがある、と決まっていたのかもしれませんが、それだけでないとすれば、やはり、「あなたは味方だ」波動のせいのようにも思えます(笑)。

思い出すに・・・こういうことは過去3回あったように思いますが・・・
ひとつは、ある1日のできごとなのですが・・・20代の後半に体を悪くした時ですが・・・それでも仕事をしていたのですが、ある日、直行で日暮だったか西日暮里だったかの駅に行きました。
どうして行ったのかよく覚えていないのですが、きっと、どこか千葉方面か何かに行く予定だったのかもしれません。

で、その朝ももちろん、調子が悪く、歩くのもやっとという感じでしたが、駅の構内にあるファーストフードのお店で胃腸に刺激の少ない何か暖かいものでも飲みながら休んでいると・・・と言いますか、ほとんど動けないような感じだったのですが(笑)、隣に座っていた5,60歳くらいの女性が、このハンバーガーをお食べなさい、と差し出してくれます。
私はきちんとスーツを着ていましたが・・・いずれにしても、物を食べるだなんてとんでもない状態でしたので、丁寧にお断りしました。
その後、忘れてしまったのですが、確か・・・同じようなことが、そのすぐ後に、あったように記憶しているのですが・・・

もう一つは、ハワイですね・・・数ヶ月いた時に、毎日朝から当時・・・12,3年前か?・・・のアラモアナショッピングセンターのベンチに座って、朝からタバコをすっている、という日々を送っていたことがあるのですが、そうすると、いろんな人が話しかけてきます。
もちろん、タバコをくれ、とかそういうのも多いのですが(笑)。

日暮の件は、本当に運命的に、そういうことが起きる日だったように感じます。
見知らぬ人の親切に触れる日・・・ということですが。

ハワイはある意味、今の状況に近いかもしれません。
その、前の前くらいにハワイに行った時に、観光ガイドの日系人が、「ハワイのおばけは怖くありません。みんな陽気な人ですので(笑)」というようなことを言っていたのですが、なぜか、その時、「ああ、そうなんだ。ハワイの人は人を疑ったり、試したり、不必要に厳しくしたりしないに違いない」のようなことを思いました。

で、それがどう影響したかと言えば、ハワイにいる人という存在に対して、「恐れも不安のない」、「みんな味方」状態・・・要するに「つながっている」状態になったわけですね(笑)。

どうも・・・3次元的に言えば、この精神状態が・・・
高次元的に言えば、この波動が・・・
どうも、そういうようなことを招く原因になっているように感じます。



今日もそういうことがあったのですが・・・
中華料理やさんで、塩焼きそばを食べていましたが・・・隣によっぱらって、少し目の据わった50過ぎぐらいの人がいるのですね(笑)。

で、一度意識しますと(笑)、無視するか、敵対的態度を取るか(可能性としてだけ)、後は、「この人は味方だ」波動を出すかしかなくなってくるのですが・・・私の場合は・・・

で、「この人は味方だ」と、称え始めるわけですね(笑)。

そうすると、話しかけてきます(笑)。

ライターがないので、タバコに火をつけてくれ、と言います。
2,3度やったのですが、この人が火が付きそうになりますと、鼻から息を出しますので(笑)、消えてしまいます。

で、あきらめて、この度は、お店の人にライターを貰ったりしているのですが、私の分まで、貰ってきてくれます(笑)。

偶然かもしれませんし、運命かもしれませんが、少なくとも、知覚(?)している範囲内では、どうも、「この人は味方だ」波動が、何か関係しているように感じてしまいます。

みなさんは、どう思うでしょうか?





で・・・・・・
政木和三さんですが・・・
 
http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page020.htmlです。

1996年の講演語録、とあります。

(引用)
◇ 私は、以前の著書にも書いたように、79才で死ぬことになっていました
が、今から1年ほど前に、『79才をクリヤー出来得れば、92才まで寿命を延 ばす』との神示がありました。

(以上)
http://www12.ocn.ne.jp/~agosu1/page004.html に、「大正5(1916)年5月26日兵庫県生まれ。平成14(2002)年8月6日、87年の生涯を閉じる」、とありますが・・・92歳ですと、2007年まで生きることになりますね。

そうであったら、一度くらい講演も聞けたかも知れない、と思いますが(笑)。


(引用)
私は、60才までは龍神界の生命体であった。それ以降は、様々な仏像が発生し、「無から有、汝は発明によって多くの人に喜びを与えよ」との神示があった。周りの人に幸せを与えた分だけ、神仏がやってくるものです。
(以上)

ですが・・・・・・
もちろん、私は結構素直なところもありますので(笑)、そういうこともあるだろうな、とも思いますが・・・
ただ、最近いろいろ読んで思いますのは、これは、欲がないでもなく・・・おそらくは、政木和三さんが・・・言い方は悪いですが、子供並みに素直で真っ直ぐだったので・・・というところが大きいのではないか?と感じます。
どうも、森田健さの書いていることなど読んでも、あるいは私の直感でも、神仏は、基本的にそういう存在が好きなようです(笑)。

政木和三さんは、今どう思っているでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?









さて・・・・・・

HD-DVDとブルーレイで、もめているようですが・・・
http://allabout.co.jp/computer/av/closeup/CU20050405A/?FM=cukj&GS=av などに、2つのフォーマットの違いがでていますが、簡単に言うと、
ブルーレイの方が録画時間が長い、
HD−DVDも、そこそこ録画時間は長いけれど、ブルーレイよりは短き、しかし現行のDVDと互換性がある、
ということのようですね。

どちらが最終的に主流になるのかは、分かりませんが、”時流”から見ていくとどうなるでしょうか(笑)?

ちょうど船井幸雄さんがフナイ・ドット・コムで興味深いことを書いていますので、ちょっと引用してみますが・・・
2006年8月29日付けのものです。
http://www.funaiyukio.com/funa_ima/ですが、URLは変わるかもしれません。
(引用)

1.これからのケンカのコツ、競争のコツ
(1) 冷静な方が勝つ
(2) 先に手を出した方が敗け
(3) 生命をかけた方が勝つ
(4) ハングリーな方が勝つ
(5) 別次元(上位次元)のツールで戦った方が勝ち
          ↓
@ だれもが認める大義名分が必要
A 冷静に充分考えることが必要
B 生命がけでやること
C できるだけすぐれた武器、すぐれた手法を活用すること

2.経営のコツ
(1) すぐれたトップがいると経営できる
(2) すぐれた手法があると利益がでる
(3) 人材が育つ教育運営法があるとつぶれない
(4) 成功の確信のあることをする。あいまいなことはしない
(5) 競争はできるだけしないこと(共創が必要)
          ↓
@ 従業員の人間性が高まる運営法を採用することが必要
A 失敗の可能性のあること、危険性のあることはしないことが大事
B 世のため、人のためになることが何より大事

(以上)

これで、考えて見ますが・・・ちょっと資料が足りないですね・・・(笑)。
で・・・

ブルーレイを推進しているのは、
ソニー 、パナソニック、シャープ、日立、パイオニア、サムスン、アップル、ということで、

HDーDVDは、
東芝、 NEC 、サンヨー
ということです。


上記の船井幸雄さんのもので、左@ だれもが認める大義名分が必要、を考えると、どちらもそれぞれ良い点はあるようですね・・・
個人的には現行品と互換があった方が良いように感じますが・・・但し本気で作ろうと思えば、ドライブを2つつけたようなものができるなら、1台のスペースで、2つ可能なのかもしれませんね。

ただ、それでは少しややこしいですね。
だれでも分かる、という点では、やはり、本当の互換、ということでは、HD−DVDなのでしょう。

録画時間が長い、ということは、大義名分になりそうで、実はならないようにも感じます。
なぜなら、どうせ、またすぐに次のフォーマットが開発されて、もっと長い時間が可能、ということになりそうにも感じますので(笑)。

そう考えると、永遠に互換があるもの・・・という前提で開発されると良いですね・・・私は。
もちろん、それまでのフォーマットのものが再生できなくなる=過去を清算する、みたいなところがあり、実際、カセットテープなどに録音したようなものは、無理すれば今でも再生可能ですが、実際問題、今はもう再生する気持ちが沸いてきません。

それもそれで良いのですが、それでも、本当は互換があった方が良いですね・・・
松下から出ていた従来のカセットテープと互換のあるデジタルテープは普及しなかったようですが、DATというデジタルテープも業務以外では普及しませんでしたね・・・
で、ずっとMDとカセットテープがあり続けたようですが・・・
で、私など、結局MDは一度も購入せず、いまや音声データファイルもの、の時代になってしまいましたね(笑)。

その間、CDーRが従来のカセットテープの代わりのような存在でしたが・・・。
で、テープ式のような、巻くのに時間がかかるようなものは別として、デジタル期以降は、おそらく前のものと互換があった方が良いのではないか?と感じますね。

費用な倹約は必ずしも良いとは言えませんが、不要な無駄は良くないですね(笑)。



http://allabout.co.jp/computer/av/closeup/CU20050405A/index2.htmに、親切・丁寧に仕様の違いが掲載されていますが・・・「優れている」という点では、どちらも優れていますね。

どちらが「ハングリー」かは分かりませんが、営業的には、ブルーレイなのでしょう。
しかし・・・やはり、「無駄」をすることになるブルーレイが時流的に、本当に普及するのかどうか、疑問ですね。


「競争はできるだけしない」、「共生(共創)」を考えるのなら・・・・・・どうなのでしょうか、どちらも、ということではなく、これもやはりHD−DVDなのではないか?とも感じますが(笑)、どうなのでしょうか?

「すぐれた手法があると利益がでる」・・・ですが、これも互換がない、ということは、「優れた」とはどうも言いにくいのではないか?と感じますね(笑)・・・。

VHS,ベータのことを考えて、ソニー、松下、というようなところが組み合わさったのかもしれませんが、ただ、あの時代は、3次元と言いますか、資本主義真っ只中の時流でしたので、今とは異なるのではないでしょうか?

逆に、量で押す、というのは、時流に逆行する可能性もありますね。


退職していく団塊の世代がマーケットである、とするなら・・・実際はどうか分かりませんが・・・もう後先20年くらいなのに、また見たい映画などを見るのに、新しい機械を買い、新しいソフトを買い、孫のビデオも新しいものに焼き直し・・・ということを強いられるのだろうか・・・と考えますと、やはり互換があった方が親切なんおではないか、と感じてしまいますね(笑)。



これなど、六爻占術でみてみると、どのような判断が出てくるのか、興味深いですね。



で、少し違う面から考えてみますと、高画質、高音質は良い事ですが、CDが売れなくなっている理由がどこにあるのか、と考えますと、もっと目に見えない五感だけでは判断できない分部、というのも考えていろいろ開発した方が良いのでしょうね。


なんと言いますか・・・
デジタルによる電磁波などの考慮も必要なのでしょうが、今ラジオから流れている音源も当然デジタルですが、それでも、時々街角やどこかのオフィスなどで、ラジオなどから間接的に聴こえてくる音などに遭遇しますと、「ああ、いい」と感じてしまうことがあります(笑)。

これはどういうことでしょうか?
電磁波も当然あるでしょう・・・デジタルのビットレート不足もあるでしょう・・・
また、果たして計測上の高音質、高画質は本当に人間にとっての高音質、高画質なのだろうか?という点にも何かあるように感じますね。

もちろん業務で使うには、信号のことなどもあり、測定上の高画質、高音質というもの=採用されるべきもの、となるのでしょうが、一般消費者となりますと、どこか違うように感じます(笑)。








さて・・・・・・
日付がまたいでいますが、昨日は書こうと思ったら寝てしまい(笑)、5時半に目が覚めましたので、そこから書き始めたのですが、何か変な文章ですね(笑)。
さっき、少し手を加えましたが。


で・・・
HD−DVDでもブルーレイでも、個人的にはどちらでも良いのですが、何となく、PC用にはブルーレイ、民生機には・・・DVDの後継にはHD−DVDとなるようにも思います。

IEEE−1394端子というのはUSB2にPC接続の端子としては、役割を奪われましたが、1394はちゃんと役割を得て存在しています。
何か、そういうようになるようにも感じます(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?


とにかく、極端な買い替え需要を生むことを目的にしての、ブルーレイはやめて欲しいですね(笑)。
テープ、LDから考えれば、きっと同じ映画のソフトを買い続けている人もいることでしょう。

どうでしょうか?
新しい規格が登場したら、ソフトもハードもメーカーが責任持って、下取りする、というサービスをするというのは?

みなさんは、どう思うでしょうか?





朝の日本テレビによりますと、統計的には1997年以来、凶悪犯罪、少年犯罪などは減り続けているのだそうですね。

そう考えますと、報道の仕方なのでしょうか?・・・凶悪犯罪が多く感じられるのは?
ここ数日など、朝どこを回しても、そんなニュースばかりです。
すぐに回してしまいますが・・・どこもやっていないとなりますと、いよいよ消してしまいます。

事件の報道は、それはそれで良いのですが、どうしてそこまで深くやるのだろう・・・と、しばしば感じています。
きっと、その必要以上の深さが、ワイドショウ的ということなのかもしれませんね。
作る人の勝手なのでしょうが。

見るほうは、見たくなければ消すだけですね(笑)。



で・・・先日、中国に住んでいる・・・と言いますか、シルクロードですが・・・イスラム教徒の民族の番組がありましたが(「うるるん滞在記」とも言う)、少なくともあれが事実なら、イスラム教徒の人というのは、実に、昔の日本人のような、懐かしい感じのする”良い”人たちですね(笑)。

はっきり言って、テレビで報道されるものだけで判断すれば、イスラム教などには、良くないイメージを持っている日本人はたくさんいるのだろう、と想像しますが、やはりどうも、彼らはそうではないように感じました。
いろいろでしょうが・・・。

だれかが意図しているのかどうかは、分かりませんが、特定の宗教を悪い存在に仕立て上げることにより、変な優越感を抱かせる、という手法は、競争社会、資本主義社会が正しいと信じ込まされている状態では、人を動かすのに、適した手段なのかもしれませんね。

テレビは、よほどきちんと見極めて見ませんといけないようです。

みなさんは、どう思うでしょうか?





で、今日、仕事で恵比寿駅で降りましたが・・・
実は私は恵比寿という駅は、42年間で数えるほどしか用事があったことがありません(笑)。
本当に数えるほどで、仕事で1回(数ヶ月)、遊びで2回(2日間)・・・それだけです(笑)。

その遊びの1回は、留学の仕事をしていた時に、オフィスをシェアしていたCMディレクターの女性の夫婦に招かれたパーティなのですが(笑)、今日、「恵比寿だな」と思ってある会社へ行ったら、その時の会場の小さなライブハウスと同じフロアにある向かいの扉の会社でした(笑)。

しかも、7,8年ぶりで降りる恵比寿駅(笑)、そして、前に行くまで場所すら思い出せませんでしたのに(笑)。
面白いですね。
ぜんぜん恵比寿が広がりません(笑)。
前世、そこら辺に住んででもいたのでしょうか(笑)?



さて・・・・・・
政木和三さんですが・・・

 
http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page020.htmlです。

(引用)

◇ 目先の欲望がなくなれば、脳波がシータ波になって肉体の中にいる神仏(生 命体)のエネルギーが肉体の前に出てきて、素晴らしいことがどんどん起こります。幸福もどんどんやってきます。      

(以上)

この政木和三さんが良く用いる”欲望”という言葉がなかなか分かりにくいですね(笑)。
単に欲する、ということではなく・・・
どうも・・・要するに「瞬間、瞬間を楽しむ」、「楽しむ」をふ「ざける」、としか理解できない人には、打ち込む、という言葉で置き換えると良いのかもしれませんが・・・そのような意味のようです。

要するに、短期的な意図、目先の金銭などではなく、何かやるなら、「瞬間、瞬間を楽しめ」ということなのでしょう。

みなさんは、どう思うでしょうか?



      

(引用)
◇ 今回、90才まで寿命が延びたのは「汝は神経波磁力線によって、死ぬべき何百人もの人間を生き返らすことができたから」陰徳を積むと新しい生命体エネルギーがやってきます。今までの生命体は新製品を発明するだけでよかったが、新しい生命体はよいものを多くの人に知らしめるようにとのことです。
(以上)

寿命が延びた原因については、政木和三さんの守護神のような存在がそう言ったのでしょう。
森田健さんの六爻占術式で考えますと、「どうなのだろうか?」とは思いますが、高次元もまた決まった運命の中である、という発想で考えれば、分かるようにも思います。

また寿命そのものは、決まっているとしても、そこには、その人一人の寿命ということではなく、多くのつながりがあるのでしょう。

ベーブ・ルースが、自分があまり打つので、3番、5番のバッターも良いバッターでないと、敬遠されたりしてしまいますので、どうしようもない、と考えて、3番、5番を育てることにより、更に自分が有効に活躍できるようにした、という話を聞いたことがありますが・・・
これは、良いコーチ役とも取れるでしょうし、結局自分のため、とも取れるでしょうし、両方でもあり、いろいろな考え方のできるものですが、いずれにしても、事実は、3番、5番の能力があって、初めて彼が生きた、ということですね。

これも、また3次元の中ではありますが、つながりでしょう。

日本だけが良くなっても、世界中が良くならなければ、戦争はなくならない、ということと、同じですね(笑)。
それでも、どうも、まず、日本から・・・という流れのようです。


で・・・それはそれで良いのですが・・・
政木和三さんは、ある歳から生命体が変わり、それまで人前には必要以上に出ない性格であったのに、人前に出て、いろいろ伝えようとする性格に変わったそうです。

それが決まっていたことであるにしても、そうではないにしても、どうも、そういったこともあるのだな・・・と漠然と思います。



性格とは、どこからどこまでを性格、というのだろうな?と考えることがあります。
政木和三さん自身は、確かに人前には出たがらない性格だったようですが、それでも、東条首相にいきなり会いに行ったり、テレビで出て、納得のいかないことを証明しようとしたり・・・と、決して、控えめな性格ではなかったようです(笑)。

それと、人前に出たがらない性格というのが、両立していたのなら、「控えめ」という性格はあるのだろうか?のようなことを考えたりします(笑)。

また、頭がスッキリしている時に、考えますが、性格とは、どういうのを性格というのでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?




 
 


さて・・・・・・
今日は、いつもよりいくらか帰りが遅かったのですが・・・
書き始めようと思いましたら、テレビで、ハワイのカラカウア王が明治時代にハワイ・アジア連合を作ろうとした・・・話が始まりましたので、今見入っています(笑)。




テレビによれば、明治時代、欧米列強の脅威を感じていたハワイのカラカウア大王は、ハワイ、アジア連合というのを考えていた、ということです。
それを模索して、アジアの国々へ旅に出たそうですが、最初に来たのは、日本だったそうです。
日本とハワイは、どこか強い縁がある国のようですね。

井上馨の案内で、私の実家の近所の小石川の兵器工場へも来たそうです。

 

カラカウア王は、2人のアメリカ人随行員を振りきり、明治天皇との面談を願い出たようです。
カラカウアは「欧米列強の利己主義」を嘆いていたようです。
彼は、日本を見学し、天皇こそ、アジア・ハワイ連合の盟主にふさわしい、と思ったようです。

カイウラニ皇女と皇族との結婚の話がカラカウア王よりあったようです。

その後、アジアの国々周りを続けますが、それぞれの国王に面会することは、随行員がさせなかったようです。


最後までハワイの国民のことを思った良い王様だったようですね。

カイウラニ皇女は早見優に眉毛が似ていますね(笑)。




ハワイは、どこか日本に近いところがある、と感じますが・・・
それは、今は確かに日系人の移民も、他のアジアの移民も多いですので、その意味ではそうでしょうが、それだけではなく、どこか、日本に近いなと・・・
なんでしょうか?

おおもとを辿れば、民族が同じなのかもしれませんね。
もっとも、日本も、厳密にはいくつかの民族から出来上がったようですが。


ハワイは、多くの国の人が「好き」という場所ではありますが、きっと高次元的にも、日本とフナイ関係があるのかもしれません。

そう言えば、日本に来ていたカラカウア国王が消えてしまったこと(天皇に会いに行った)をアメリカ人随行員の日記では、「Romantic incident・・・」として、「映画のようなできごと(だったと思いますが)」と約されていましたが、そういう意味なのですね(笑)。
なかなかむつかしいです(笑)。




で・・・
政木和三さんですが・・・

http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page020.htmlです。

(引用)

<1995年の講演語録> 

※ 一生懸命の時は肉体の働きだけで精神が消耗してしまう。脳波がシータ波に下がれば生命体が前面に出てくるので疲れない。ドイツから来た遠い親戚の人も、一生懸命やろうとしたから精神が消耗し、体の具合が悪くなってしまった。頭の中で出来ていることだけをやって、後は一切神経を使わなければ元気になるものです。
(以上)
 
ここで言っている、「神経を使う」とは、要するに「瞬間、瞬間を楽しむ」ということなのでしょう。
それでは、なぜ、瞬間、瞬間を楽しまないと神経を使うのでしょう?
おそらくは、「恐れと不安」を抱くから、であり、欲望が前面に出るから・・・・と言ったようなことなのではないかと想像します。

一生懸命とは、政木和三さん的には、「ずっと、目標を見続けて、はるか前方ばかり見続けて進んでいくこと」のような意味、と私は解釈しています。
それは、要するに、「足元1メートル四方だけ見て・・・」が良い、ということなのですが・・・



確かに、歩いていても、長い真っ直ぐな道で、「あそこまで行くのか・・・」と感じますと、ストレスですし、長いですね。
それに対して、くねった道で、しかも、興味を惹く店などがあったりしますと・・・繁華街とも言う・・・しらない間に長い距離を歩いているものですね。

そういうことでもあるのでしょうし・・・それは、どうも、直感に従って行動する、ということが良いよ、ということなのでしょう。


遠くを見ますと、「測り」ますね(笑)。
そして実は普段歩いている距離というのは、ことのほか長い距離である、ということを知覚していないようで、大抵「こんなに長い距離を歩けるのだろうか?」などと思ったりしているようにも感じます。

それに反して、1メートル四方ですと、「測り」ませんね(笑)。
図る必要も感じない距離なのに、それがなぜか、いつの間にか・・・長い距離を歩いている。
どこか微分だか積分だかを連想しますが(笑)。
私は数学を勉強していませんので、良く分かりませんが(笑)。



逆も言えますね。
どんなに長い距離でも、それを測る必要のないほどに短く区切れば、な余計なストレスなど感じなくなるし、とにかく進んでいけば、時間が来れば、ちゃんと到着している、ということですが。


みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・・・・
昨日も、シャワーも瞑想もすべて終わり、書こうかな・・・と思っていましたら寝てしまいました(笑)。
で・・・・・・船井幸雄さんの本に、「オタフクソース」が良く出てきますので、買って来ました。
今冷凍たこ焼きとビールで食しています(笑)。
感想は、また書きます。

で、いつものスーパーマーケットで買ったのですが、ここのレジでは、首から笛をかけています。
きっと、強盗、万引きなどがあれば、それを吹くぞ、ということなのだと思います。

それはそれで別に好きにすれば良いのですが・・・
私は対等というような概念を考え初めてから、どうもこういうのが苦手です(笑)。

以前はそんなことはありませんでしたが。
つまり、きっと以前は優越感のようなものがあったのでしょうね・・・。
それはつまり、万引きなどをする社会悪の人、強盗をしなくてはならない理由のある人・・・などに対して。

そういうことへの優越感が、実に・・・なんと言いますか、嫌なものだと感じてから、そういうもの・・・笛、ガードマンなどが気になって仕方がありません。

で、どういうように考えるかと言いますと・・・
「この人は、会社の命令にせよ、私も含めて、疑いっているということだな」ですとか、
「この会社は、顧客を全て疑っているのだな」ですとか、

そういう感じなのですね(笑)。

逆に、「この人が勘違いで笛でも吹いたりしたものなら、どうしてやろうか?・・・いやいや、そんなことは思うべきではない」
などと思うときもあります。

こう考えていきますと、差別されている人種の人々が被害妄想意識を持っている状況というのが、若干分かるようにも感じます。

分からないというのは、ひょっとするとつまり優越感を持っている、ということなのでしょうか?

資本主義というのは、考えると、優越感の主義とも言えるかもしれないですね。
上下構造(ハイアラーキー)がすべてそうだ、と発想すれば、当然儒教なども、優越感が基本になっているのかもしれません。

で・・・思いますのは、あの笛は止めて、どこかに文字で「何かあったら、すべてのドアは開かなくなります」と書いておいていただいたほうが、私には気持ちが良いです。

なんと言いますか・・・
あのサンフランシスコで入った、鉄格子に囲まれて、鍵を開けてくれないと入れないマクドナルドの方が、ずっと居心地がよいかな・・・という感じです。

要するに、レジに行くたびに、「できるだけこの人にストレスをかけないようにしよう・・・。きっとこの人も緊張しているのだろうし、私も非常に気分が悪いし・・・。それにはどうした良いのだろう?」というような余計なことを考えたくないのですが(笑)。

増して、個人的に言えば(笑)、大抵夜の11時くらいに会社の帰りで目が血走っている状態で行きますので(笑)、気になります。

ちなみに、笛を下げている魚屋さんがあったら、絶対行きません(笑)。


 
 
で、この分部は書き足しているのですが(過去の変更とも言うかもしれない)・・・
こういうのは、どうでしょうか?
レジに入れたお金が、短い一定の時間で、レジの下を通った管によって、どこかに、自動的に吸い取られるようにするのです。

要するに、あそこに、盗むに値しない額のお金しか入っていなければ、強盗もない、買う方も、レジに行くたびに嫌な思いをしない・・・。

よくよく考えれば、笛を下げた魚屋さんがいないのは、あの籠の中に、危険を冒して盗むに値するような額のお金が入っていないからですね。

勝手に、盗むに値するよう額をレジに入れておいて、それで盗まれる危険があって・・・何にも考えていないこちらが、それによって、いらぬ気を使ったり、ガードマンや、店員、客を装った万引き防止係りなどからの、嫌な波動を受けたりする・・・ということですので、何のことはなく、あのレジというか、お金の扱い方の体制に問題があるのでしょう。

人が変わって来た、ということを問題にするより、どうも、あのレジを何とかするべきなように感じます。


ATMなどでも、お金を集める作業を見かけますが、ガードマンがいますが・・・嫌な波動を出していますね。
たまたま近くを通ってしまった時など、こちらは、あのきつい目で見られるのが嫌ですので、目を避けたりしますと、逆に、目線が追いかけてきたりします(笑)。
「おまえが、勝手にそこに大金が集まるようにして、金を集めているのに、たまたま通りかかった私に嫌な思いをさせるんじゃない。」
と感じてしまうときもあります。
もちろん、利便も受けていますし、
事情は分かりますので、そこまで求めませんが・・・。
私は心が狭いでしょうか(笑)?


みなさんは、どう思うでしょうか?






で・・・関連して、自信と謙虚ということについて考えたりします。
分かる人には分かるのでしょうが、私のような普通の人間には、この両立が非常に難しいです。

また、自信と優越感の違い・・・ということも、関係しているのかもしれません。

どちらかと言えば”自信”は「出来る」ことに対してであり、”優越感”は「できる」の場合もあり、「資格・権利を持っている」でもあるように考えます。

また、”優越感”には、当然、そうでない人に対しての差別意識というものが、表にでも、潜在的にでもあるのでしょう。
その意味で、”優越感”はいけないものだろうな、と想像します。




「資格を持っている」は、できなくとも、できても、OKな訳ですね。
言葉は悪いですが、「バカでも大卒」ということでしょう。

「自信はあるが、優越感はない」、というのは、どういうものでしょうか?
ついでに言えばそれでもって「謙虚である」・・・

ちょっと考えますと・・・・・・
おそらく、超大金持ちで、超良い家柄で・・・などとなりますと、それは比較的容易にできるように感じます。


で、そこから考えますと、どうも、「絶対的な安心感」というものがあると、そういう精神状態と言いますか・・・心の状態、と言いますか、それはできるのではないかと思います。

つまり、「どこかにある3次元的、または資本主義下での不安、恐怖」というものが、0にならない限りは、「自信はあるが、優越感ではなく、そして、謙虚さもある」という状態はむつかしいのかもしれない、ということです。

しかし、超お金持ちで超良い家柄でなくとも、そういう心の状態がある人、というのは、いるようです。

その人たちは、どうして、”今”に不安や恐怖がないのだろう?かと考えますが・・・
一つは、「瞬間、瞬間に生きている」ので・・・つまり先のことを考えすぎませんので、不安、恐怖がない。
二つ目は、「宇宙と一体、という意識がある」、「私は全てとつながっている」という意識がある、ということ。
なのではないか・・・と想像します。
 
どうでしょうか?







確かに優越感というものを考えて見ますと、それは瞬間のものではありませんね。
それは、長い時間の中に存在するもの、でしょう。
つまり、「資格」のようなものです。

自信は、本当に「できる」のようなものに対してあるのなら、「瞬間」のものでしょう。
さび付いたらできません。

それでは、「謙虚」とは?と考えますが、これは、私のような人から見ますと、「自信がない」と紙一重です。
しかし、違いも分かります。

その意味では、”謙虚”の反対語が”自信”ではないのなら、”謙虚”の反対語は、きっと”慢心”でしょう。
 
では、”慢心”と”自信”の違いは何でしょうか?


今のところ、私には、「慢心とは、宇宙の理で、やってはならない、とされていることまで、やろうとすること」としか説明できません。

みなさんは、どう思うでしょうか?




今、紳士服のアオキ、という会社のナンバーワン営業成績だ、という人が話していますが、どうやら、購入してくれた顧客には、購入後、「どうですか?」と電話をかけているようです。
当人曰く、「お客様から、きちんとインタビューをして情報を取ること・・・」ということです。

情報を得る、そして、良いサービスを提供する、という意味においても、正しいのだと感じますが・・・
私はどうもひねくれていまして(笑)、「電話をかける」ということに、好奇心が行きます(笑)。

高級な店ではこういうことは良くしますね。
普通の店員でもします。
会社から、「この顧客は上客だから・・・」とでも言われるのかもしれませんし、そうではないこともあるでしょう。

つまり、電話をかけてくる、そして、その後の着心地をたずねる、というようなことは、高級な店以外ではほとんどやらないことなのですね。

つまり、それをされると、量販店的洋服店ではしないだろうなと思われるそのようなことをされますと、顧客としては、何ともいえない「優越感」を得られるのかもしれません。

もちろん、そうではなく、
「ああ、私のような数万円のスーツを買った顧客ですら、大事にしてくれるのだな」
と素直に感じてくれる人も多いと思います。


どうなのでしょうか?
効率を図るとこういうことはしないのでしょうが。

しかし、こうも効率で社会が編成されていますと・・・資本主義的とも言う・・・こういうのは嬉しいですね。

よく量販店的洋服やさんからは、印刷されたDMは来ますね(笑)。

いまや、ほとんどの人がサラリーマンですので、あの作業が、どれほど心が篭っていない、機械的なことであるのかは、ある程度分かっていますね・・・きっと。

コンピューターに管理された顧客情報を元に、ただただ印刷がされていくだけですので、顧客を覚えていて、電話をしてくれる行為とは、違いますね(笑)。


船井幸雄さんは、初めてあった人には手書きの手紙を出すそうですが、これは、嬉しいですし、10年前と比べれば、その嬉しさは、100倍かもしれません。

どうも・・・参考にしてみたいと思います。



で、
関連してですが・・・

ちょっと、寄り道しますが・・・実は、いくつかキーワードだけ書いておいて、今書いているのですが、それらが、ここまで見事に、関連していくのも、珍しいです(笑)。
と書いていましたら、また・・・今日見たモーツアルトの話が、頭に浮かんできました(笑)。
 
こういう時は、とにかく、早く書きたいですので、打ち間違いが多いです(笑)。
 
 
 
 
 
 
で、チェーン店の外食産業というのがありますね・・・。
あれは、どのお店でも均一な味、レベルを提供できる、ということを売りにしていますね。
それはそれで良いのでしょう。

で、条例というのがありますね・・・テレビで関連した番組をやっていましたが。
要するに、みなさん知っているように、法律ではなく、その地域、地域で、抱えた問題が違いますので、地域で取り決める法的効力を持った決まり、ということです。

 
 
いろいろ考えますが・・・
均一の味、というのは、どうでしょう?

今でもそうですが・・・あるいはチェーン店によってはやっているのでしょうが、西と東で味が違うように、むしろ違っていた方が嬉しかったりします・・・私の場合。


名古屋で食べたハンバーガーはこういう味で、大阪ではこう、博多ではこう・・・(笑)。

こうだと、全国で入ってみたいですね(笑)。
でもそうすると、チェーン店の意味がないのですね。
大量仕入れ、大量生産による、価格の競争力というものが、なくなりますので。


ただ、これからずっと、格差が広がって生きますと、果たして、全国で同一価格すらいつまでできるのか?などとつまらないことを考えますが。

東京だけ高い、とかどういう日も来るのでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?
 
 



 
 
で・・・・・・
今日、モーツアルトのついての番組を見ましたが・・・

まず、コント赤信号でしたっけ(笑)の渡辺さん、ベッキー、歌手の瀬川さんが出てきて、脳年齢を測定しましたが、各人年齢は、確か50,23,57くらいでしたが、脳年齢は、61,25,49くらいでした。
そしt、えモーツアルトを聴いた後の測定では、47,16,59ということでした。
瀬川さんだけ劣化したのですが、当人曰く、「気持ちよくてもうろうとした・・・」ようです。


で、確かに効果はあるのですが、人による・・・つまりこれは、直線上での発想ですので、左にあるものを右へもっていけば、適正値にある場合には、今度は右にずれてしまいすぎる、ということが起きるわけですね。


これは、私のような種類の変な人が謙虚という言葉を意識しすぎるとずっこけるにに似ているのかもしれません。
もっとも、確かに謙虚でないときもあるのでしょうが(笑)。



で・・・出てきた指揮者が「モーツアルトというと、癒し・・・」と言っていましたが、ここ数年モーツアルトを聴いてみての感想は”癒し”ではなく、”元気”という感じです。

”癒し”はもっと違うタイプの音楽に感じたりします。
もっとも、相対的なのかもしれませんので、疲れ、仕事などによって、違うのかもしれません。


音声データの分析では、アイネクライネナハトムジークなどは、強弱のパターンの繰り返しが行われているようです。
しかしながら、そこに、F1揺らぎ的な、若干のパターンからのずれもある、ということだそうです。

コード的には、言われて初めて意識しましたが・・・1度メジャー、5度メジャーの繰り返しが多いのですね。
つまり、Cなら・・・C/G,C/G・・・ということですが。
指揮者曰く(識者でも良いが:笑)、「むつかしくないコードだと聴いていて安心感がある・・・」ということです。

そうとは言え、単純なコードですと、メロディまで陳腐になってしまう局が多いですので、やはり、そこら辺は、さすがですね。
単純なコードで、良いメロディなのでしょう。
 
 
モーツアルトが、作曲が速い、という話がありましたが・・・
なんでも、奥さんと世間話をしながらどんどん曲が書けた・・・という話をエピソードとして紹介していました。
要するに、普通は、そんな人と世間話などしていたら曲などかけず、ちゃんと、環境を整えて、部屋に篭ったり、ピアノの前に座りっぱなしであったりしないと、そうはいかない・・・ということに、分かりやすく対象的になる話として出したわけでしょう。
 
 
ただ・・・私がこの話を聞いて思いますのは・・・
あれは、最愛の仲の良い奥さんと世間話をしながら、だから速く曲が書けたのでしょう(笑)。
つまり、脳波がシータ派になった状態ですので、高次元に通じた状態になっていた、ということでしょう。


ただ、そうすると、だれでも。仲の良い奥さんと世間話をしていると””曲が即座に書けるのか?というとそうでもないでしょう。
政木和三さんによれば、3次元である事柄に対しての洗面的知識を身に付けたものに関してのアイディアであれば、やってきても、具現化できる、できやすい、ようです。
しかし、
「ひねり回すより、高次元と繋がった状態を作れば、考えられないような良いアイディアがやってくる。」
そして、
「まして、自分が専門にやっていることならば、それを専門的なレベルで具現化もできる」
というようなことを知っていれば、ほとんどの人ができるのだろうと思います。

全てではなく、ほとんど、としたのは、やはり、それを疑っていると、そうもいかないあ場合もあるような気がしますので(笑)。
事実でも信じないとおこらない現象というのは、たくさんあります。
そこが「科学的」だとだめなところでしょう。
これは、「科学はまだこの世の数%しか解明していない」ということとは、基本的には違う発想ですし、そうでもあり、まさに、分かっていない90数%の中に入っているものでもあるのでしょうね。
 
 
 
 
ただ、モーツアルトは、私の知っている限りでは、その状態が高次元と通じている、ということであるとは認識していなかったのではないかと想像します。
とにかく、事実そうである、という認識でしょうね。
別に、それによって、「じゃあ、なんでそういう状態だと、すぐに良い曲が書けるのだろう?」とは考えなかったのでしょうし、興味がなかったのかもしれませんね。

但し、良く彼の残した文献などを見れば、高次元的なことへの解釈も書いてあるのかもしれません。


いずれにしても、彼は3次元的言い方をすれば天才でしょうが、3次元的捉え方だけでは、彼のようになったり、彼のような人を教育で育てたりするのは無理でしょう。
 
つまり、激しい練習のようなものでは、無理ということです。

「ハンドルを手放す」と、近くずくかもしれませんし、「私は全てとつながっている」と信じるとできるかもしれませんが、今の所っよく分かりません。






あるいは、例の
これから5年、いよいよ正念場―今からこのように対処しよう
船井幸雄 (著) 徳間書店 ; ISBN: 4198621853 ; (2006/06) の150ページに、にある、
カルキ・バガヴァンさんですが、
「右脳と左脳を霊的につなげると、それだけで、『悟り』の入り口に立つことができる」
「悟りは物理的なものだ」
「悟りの状態は自分で努力して得られるものではない。与えられるものだ」

ということのようですので、カルキさんのセミナーに出席して、右脳と左脳をひとつにすれば、なれるのかもしれません。
良く分かりませんが。

みなさんは、どう思うでしょう?






で・・・・・・
左記の本が読み終わりました(笑)。
やはり、結界に興味があります。

で、グラビトン・セラミック、あるいはグラビトン・セラミック・ボールをネットでさんざん捜しましたが、売っていませんね(笑)。

仕方が無いのでEMセラミックで結界を作ってみようかな、と思っています。
今日のところは、なぜか、100円ショップで1つだけ箱入りの炭が売っていましたので、買って来まして、結界風にしてみました。

どうも、例の、目黒の八芳園と都ホテル東京は、両方ともに、良い氣の場所のようです。
きっと、その2つに隣り合わせの、私の大学も良い氣なのでしょう(笑)。
他に近場では、浅草橋に「鳥越神社」、隅田川、「〇(小さくて読めない)神神社」など、氣の良い場所もあるようですので、行ってみたいと思います(笑)。

熱海の伊豆山神社という場所も、良く船井幸雄さんの本に登場しますが、一度行ってみたいと思います。

みなさんは、どう思うでしょうか?










さて・・・・・・
いよいよ左記の本:中丸 薫さんの
泥棒国家日本と闇の権力構造 を、読み始めます(笑)。

中丸さんで、ちょっと気になるところは・・・まだ一度もくだけたところを見ても読んでもいない、というところなのですが・・・(笑)。

まあ、そこら辺は個人の自由ですので、どちらでも良いのでしょうが、一度見て見たいと思います(笑)。
で・・・・・・今、サンディプロジェクトを見ていますが・・・
なんでも、立教大学での学生アンケートで「尊敬する起業家はだれ?」で、本田総一郎さんより堀江氏の方が上になっているようです(笑)。
弁護士は、「彼は閉塞感を打ち破った」・・・それが人気の秘密だろう、としています。
 
なんと言いますか・・・当人の本心はどうだか分かりませんが、「やっぱりお金さえあれば、道徳もへったくれも考える必要なんか無いんだ・・・」的なことを若者に広めたということは事実ですね。

ただ思いますのは、「やっぱりお金さえあれば、道徳もへったくれも考える必要なんか無いんだ・・・」と思っている大人に対して、「そうならこうして差し上げましょう」ということをした・・・とも感じられますね(笑)。

船井幸雄さんの言う「次元上昇に伴い、良い思いも悪い思いも叶いやすくなっている」ということから発想すれば、アメリカ式資本主義を一番良い考えだとして教育された人間が、良い悪いに関わらず、「こうしたい、なりたい」と思ったことが叶って行きやすいとするのなら、それは、まさに、アメリカ式資本主義への・・・なんと言えば良いのでしょうか ・・・フィードバックが起きる、とも言えるかもしれません。

つまり君たちのやっていることが、進行していくと、結局、君らも犠牲になるんだよ、ということを、あたかも、スピーカーから出る「キーン」という音のように、証明してみせた、ということなのですが。

 

・・・しかし、船井幸雄さんによれば、それをして、正に、大本教の出口王仁三郎さんの言った”引っ掛け戻し”、ですので、もうそういうことは起こらない可能性が高いのでしょう。






・・・なんだか自分で書いていて良く分かりませんが・・・どうやら堀江氏問題については、私はもう興味がないようです(笑)。

ただ、田原さんと弁護士が、懸命にそれについて語っていますので、引きずられたようです(笑)。
テレビは怖いですね(笑)。

要するに、おおもとは、ロックフェラー家の権力争いであり、もっとおおもとは次元上昇という地球の運命であり、更にそのおおもとには”高次元を含めた世の中全体の運命・流れ”・・・ということなのだと思いますが。


その意味で、マスコミが堀江氏を持ち上げた・・・故に、マスコミはもっと放送内容に注意をすべきだ・・・という議論も、末端は大資本からのお金でよって、事実を捻じ曲げるような内容の放送をするな・・・であり、そのおおもとには、やはり地球の次元上昇、そのおおもとには、世の中の運命というものが関わっているのでしょう。

もちろん、マスコミに踊らされた一般市民をして、末端、というべきなのかもしれませんが。

 

それは、結局、戦争でも同じなのでしょう。

もちろん、対処としては、末端単位で、放送なら、第二次大戦の時のように、「戦争賛成、戦争賛成」のような論調に落ちていくことがないようにしよう・・・ということはありますが。

いろいろ考えますと、”にんげん”がおおもとなのか”高次元”がおおもとなのか分からなくなってきますが、それでも、相互に関わっている、フィードバックしあっている、というように考えますと、どうも、どちらが初めかわからない”にんげん”と”高次元”は結局立体で考えれば、同じ点にあるのかもしれませんね。

みなさんはどう思うでしょうか?






偽ドルについてもやっていますね・・・
北朝鮮製ですが・・・おおもとを突き止めようとしていますが・・・
あんな精巧なもの、と言いますか・・・これだけ世界的なことは、北朝鮮だけではできないでしょう?

きっと北朝鮮、中国・・・ずっと辿っていけば大国までたどり着き、その大国と軍事行動を共にしようとしている日本だって、結局、繋がっているのでしょうか。
想像ですが。

ですので、3次元の中をいくら辿っても、完全になくすことはむつかしいでしょうし、それぞれの国のキーになる人というのは、意図して偽札を作っているのだとするのなら、偽札調査というのは、どういう意味のあるものなのだろうか?と感じてしまいます。

 

で、昨日は、例の「国会議員の給料をもっと上げないと優秀な人が入ってこない」と言い張る自民党の東大出身の国会議員が、どうして呼ばれたのか、裏金を作っていた公務員を切る番組に出ていましたが・・・

なんと言いますか・・・
給料を上げると、”優秀な人材”ではなく、”いい学歴の人材”が来る、の間違いでしょうね。

この人の言うとおり、給料を上げれば、良い名前の大学出身者がいっぱいその仕事に従事する可能性は高いです。
ただ、頭がいいのだから、いい加減、”優秀な人材”と”いい学歴の人材”はイコールでない・・・・・・どころか、時流が変わってきましたので、イコールにならない率がどんどん高くなっている、ということに気が付いて欲しいですね(笑)。

 

で、
オタフクソースなのですが・・・
不思議なのは、ソース自体をつけた食べ物よりも、それを食べた後に食べる食べ物の味が、そうしない場合よりも良いです。
面白いですね。

これは、想像するに、口の中、あるいは舌に対して何らかの影響を与えていることなわけですから、不純物、合成物質のようなものが、含まれていない、ということを語っているのでしょうか?

今なんて(笑)、パンに直接オタフクソースだけつけて味を確認していますが、個人的感想では、「自然の酸味」を強く感じますね。

おいしいです。

またレポートします(笑)。





さて・・・・・・
先日、近くの商店街を歩いていて思いましたが・・・
歩いている人の顔などを見ていて思ったのですが・・・
やはり普通に働いていて、普通に生きていて、そこそこ普通の暮らしをしていて・・・次元上昇がどうしたとかとか・・・それどころか、にんげんの本質は魂である、ですら、考えてみようかな、と思う人というのは、本当に少ないでしょうね・・・。

普通、そういった発想にいかないだろう・・・ということですが。

 

で、どうかと言いますと・・・
いろいろ考えますが・・・
仮に、志(笑)ということで考えてみれば、どうでもいいですが、起業を考えて見ますと、今はだれの影響か知りませんがブームですので、以前よりいくらかそれを志す人というのは多いですね。

それでも、少ないでしょう、きっと。
そして輪廻転生を確信している人は、企業家より少ないでしょうね・・・きっと。

%で考えて、20年前の企業家と、今の輪廻転生を信じている人の割合はどちらが多いだろうか?などと考えますが・・・同じくらいでしょうか?
良く分かりませんが(笑)。
企業家の方が、多いかもしれません。

おそらく何らかの宗教に関わっているような人ですら、輪廻転生を信じている人というのは、ぐっと少ないでしょうね。


で、森田健さんが、先達て不思議研究所のサイトで、今のアセンションに関する行動について、70年代の日本の学生運動と比較して、「同じことをしている」と書いているように読めますが・・・

確かに、読みますと、似ているところはありますね・・・
特にスローガン的な分部でそれを感じますが・・・「帝国主義打倒」とか・・・そういうことですね。


70年代の学生運動や、それに先立ったアメリカのヒッピー文化などは、アメリカという国のやっていること・・ベトナム戦争などですが、そういったことへの批判が根本になっていたのだと思いますが・・・
その結果、どうもヒッピー文化がきっとやりたかったことというのは、いろいろ聞いたり読んだり見たり・・・天外伺朗さんの書いていることなどから考えますと・・・
「どうも資本主義というのは変だぞ、それに変わるものは何だ。それは東洋的なもの、仏教的な世界なのではないか?」というところにあったようにも思えますし、そうではなく、仏教に限らず、自給自足が可能な・・・少なくとも帝国主義的なものから逃れられるような生き方・・・小さな集合体での生活・・・のようなものであったりしたのだろうか、とも感じます。


日本は良く知りませんが、資本主義を否定し、共産主義をよりよいものであるとして、それに向かっていたのだろうか?とも感じますし、まったく別なものを作ろうと考えていた人もいるのかもしれません。



で、それは置いておきまして(笑)、ベトナム戦争を今の私の知っていることで考えてみますと・・・
ユダヤ資本が、資本主義と共産主義という一見相反する、しかしながら、どっちもエゴを基にしている主義である2つの主義を意図して作り上げた・・・

それは、軍需産業による利益を受けるためであったり、いろいろな理由がある。


そして、ベトナム戦争・・・よく一般的にも言われますのは、ベトナムには新米派の組織と、そうではない組織がいた・・・
しかし、新米派も、実は、国内の非新米派の組織とは実際の意味では対立していたわけではなく、連絡を取り合い、彼らがアメリカの手に落ちないように、逃れられるように・・・としていた。

また、反米派の組織には、中国などから、どんどんどんどん援助が入ってきていた・・・

などなど、わたしは詳細は詳しく知りませんので、説明不測なところもあるでしょうが。



で、その図を見てみれば、私の解釈では、東洋人は、あるものを基準に対峙しても、この場合ならアメリカですが、決して、同じ民族、同じ国の人が黙って殺されるような状況を良しとはしません。
ここに、東洋文化と西洋文化のひとつの違いが存在します。

そして、帝国主義として悪者扱いされていたアメリカが、アメリカが悪者と呼ぶ共産主義の小国に対して攻撃をし続けるのですが、それに援助をし続ける共産主義の大国というのがいる・・・
そして、その実、両国とも、ユダヤ資本が意図して作ったものであり、どちらもある意味踊らされているに過ぎない・・・

しかしながら、この時期には、ユダヤ資本が裏で糸を引いていたことについては、表には出ていなかった。



そして今ですが、どうも、普通の人は信じていませんが(笑)、アセンション、あるいはそれに近いことは起きる可能性が高い状況が来ている・・・
言っていることは・・・と言いますか、アセンションを普通に表現しようとしますと、普通に口から出てくる言葉というのは、実に70年代の学生運動の時に、運動家達が行っていたスローガンの数々と似通っている・・・

しかし、今回は、少なくとも、ユダヤ資本が大きく今の世界のあり方に関して関わっているということは、表には出てきている。
そして、過去の歴史におけるユダヤ資本のやってきたことも分かってきている。

70年代学生運動と決定的に違うのは、アセンションを達成しようとしている側としては、暴力は使わないであろう・・・ということですが。


その意味では、私レベルでは、必ずしも、日本での70年代学生運動、60年代後半からのアメリカ・世界的なヒッピー文化とは、必ずしも同じではないだろうとは思いますが・・・ヒッピーたちは、基本的には非暴力のようですが。
ただ、薬の影響などもあり、行動は過激ではあったようですが。

ただヒッピー文化も、
言っていることは、今のアセンション・・・私も含めてですが・・・側の人間の言っていることと似たところはありますね。





自由、平等、隠さない、自給自足、高次元と通じる(まだまだ研究は浅かったが)・・・

もっとも、フリーセックスなどというようなスローガンもあったようで・・・ある意味正しい部分もあるのですが、だれがだれの子供だか分からなくなったりしていたようですが(笑)。

先日テレビで見ていましたら、日本のある地方の昔の”夜這い”、というものについて語っていましたが、どうも、出来てしまった子供というのは、だれの子供だか分からなかったようですね。

それでも、とにかく、その夜這いしてきた男性の中で、一番気に入った男性を夫として女性が選んでいたようです(笑)。

それでも、それがその地域で、子孫が絶えず発展していくためにはよいことであり、それはそれで倫理には反せず、出来た子供は、個人の子供と言うより、地域の子供として、みんなで育てたのでしょう。

これを考えると、ヒッピーたちのフリーセックスで、だれがだれの子供か分からなくなっていた状況というのは、ルールが確立されていなかった故に、混乱があったということであり、完全に悪、ということではないのかもしれませんね。

夜這いに行くのも、順番はルール化されていて、だれの子供かということはどうでも良い、但し夫を決定する権利は、女性にある、そして地域はそれを納得して、地域の子供として育てる・・・そういうルールがあれば、ヒッピーたちにも、問題なかったのかもしれませんね。





で・・・
当時、ヒッピー文化を真剣に追っていた人たち、学生運動を格好ではなく真剣にやっていた人たち・・・の数と、アセンションというものを真剣に考えている人たちの数、と言うのは、どちらが多そうだろうか?と考えますと、どうも、70年代の方が圧倒的に多いでしょうね(笑)。

これからどうなるか、分かりませんが。


なにせ、ヒッピー文化には、ロックヒーローたちが付いていましたし、映画も何もかも、そうでしたので。

それじゃ、ヒッピー文化などは、ユダヤ資本の意図ではなかったのか?と考えますが、きっと違うでしょう。
意図された分部もあるのかもしれませんが。

ウーマンリブ運動などは、きっと意図されたものでしょうね。
男性より女性が強い国にすることにより、どうやら、戦争に弱い国を作る、という意味を持っていたようです。
当然、男性が強い国とは、日本などのことなのでしょうけれども。

戻りますが・・・たとえばプレスリーはビートルズの行動をホワイトハウスに連絡していた、とか、ジョン・レノンなどは、やはり監視されていたようですが・・・
もちろん、それすら、そういう情報を流して、いかにも、ヒッピー文化などはユダヤ資本の意図ではないと画策している可能性もありますが・・・私の感じでは、そうではないように思います。

なにせ、ジョンの奥さんはオノ・ヨーコさんですので(笑)。

不思議にちゃんとキーポイントには、日本人がいますね(笑)。



で、ユダヤ資本が意図している・・・というのは分かりましたが、高次元的に見ていけば、それすら本当のおおもとではない、ということになってくると思います。

それじゃ何だ?となりますと、結局、時空、高次元を含めたこの世すべて、というものを考えなくてはならない、ということなのでしょうし、森田健さんの言いたいことというのは、そういうことに近いのかもしれません。
想像ですが。

もしそうなら、70年代など根本的に違うのは、時空には意図がない(笑)、ということなのでしょう。
場合によっては、欲という言葉の方が、適切なのかもしれません。

世界制覇でも、目もくらむほどの大金でもなく、自分たち以外をすべて奴隷にしようということでもなく・・・それじゃ、なんだ?意図と言わなくとも、何か望んでいるものに近い存在があるのだろう、そこがキーなのではないか?

ということを考えてみても良いのでしょう。




そして、これは、今だから考えられることなのかもしれません。

何かことが始まれば、そんなマクロなことよりも、もっとミクロなことに人は忙しくなってしまうはずです。

70年代学生運動のときの話、というのは、さすがについこの間ですので、多くの人が話しますが・・・
変な話、ミクロであるば、あるほど、何か、それに重要な部分で深く関わっていたように聞こえてしまうのが不思議ですが、実際は、逆なのだと感じますが。
良い悪いのはなしではありませんので。


田原総一郎さんなどは、赤軍だか何か有名な女性のだれそれが、お金を借りに来たけど、断って、帰りに一緒にラーメンを食べた、とか、そんな話をしていました。



もう始まってしまえばミクロですね。

なんと言いますか、まだマクロに見られる、ということは、ある状況を作り出せば、間に合う、ということでもあるのかもしれませんね(笑)。



で・・・・・・
何かあるとすれば、それは、70年代の学生運動に似ているところがあるとは言え、起きることは、第二次世界大戦並みである・・・というものです。

その意味では、きっと第二次世界大戦の前はどうだったのか、と考えますが、残っている本、話の限りでは・・・私の知っている限りということですが・・・民衆レベルでの大きな反対運動というものは、なかったようですが、どうなのでしょうか?


結局それは、意図しているほうが、情報をどれくらい隠せたか、ということによるのだと思いますが。

思うに・・・
一般レベル、国レベル、東洋・西洋レベル、世界レベル、地球レベル、宇宙レベル(3次元レベル)、高次元レベル・・・全てで、何らかのことが行われるべきのでしょう。
レベルが嫌なら枠でもなんでもいいですが。

必ずしも、”行う”と言う形式ではないこともあるでしょうが。


と荘厳なことを書きましたが(笑)、分かっているのは、民衆レベルでは、「教育勅語に返ろう」、
国レベルでは資本主義を考え直そう、昔の日本を思い出そう、
東洋・西洋では、まず、東洋同士は仲良くしよう、
地球レベルでは、世界中仲良くしよう、
宇宙レベルでは、3次元だけではない次元があることを知ろう、
高次元レベルでは・・・なんでしょうか?

きっと、ここがキーですし、船井幸雄さんは、まだここでの実践的なことを話すのは早すぎる、と思っているのかもしれませんね。


いずれにしても、そんなに遠くない内に、何かあるのでしょう。
想像ですが(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか? 





関口宏さんが、最近、がんばった発言をしていますね。
期待しています(笑)。






さて・・・・・・
いろいろありますが、何事も、自然に任せる・・・直感に従うのが良いようです。
だからこそ、要するに、何の直感も来ない時や、直感を得てから、それに従って、何かが起きるまで、というのは、足元1メートル四方のみ見て進んでいく、ということになるのでしょう。

と・・・なぜか、今、急に書きたくなりましたので、書きました(笑)。




どこかのテレビ局関係で、「それってほめ言葉」という曲をリリースするようですが(笑)、その中に、お父さんが娘にご馳走してあげたら、「普通においしい」と言われる歌詞が登場します(笑)。

若い人が良く使うのですか?
私は知りませんが(笑)。

これは・・・ひとつは飽食でしょうか?
きっと、普通においしい、とは「おいしい」のでしょう。
でも、それと同じくらいおいしいものは、たくさんあるのでしょうね。
かわいそうなのかもしれません。

もうひとつは、やはり学校教育・受験、社会での評価・・・などなどの縮図でしょうか(笑)?
「普通に勉強ができる」、「普通に運動神経が良い」、「普通に才能がある」・・・
は、
「勉強能力が普通」ではなく、「できる」のですね、きっと。
でも、思いっきり抜きん出ていないと、「価値無いもの」とでもされているのでしょうか?
それは言い過ぎでも、褒められもしないのでしょうね。

何にしても、変な日本語です。

そう言えば、私の嫌な「二重丁寧語」・・・「こちらに座っていただいてもよろしいでしょうか?」(笑)式のやつですが・・・
最近、少し聞かなくなりました(喜)。

何が理由かは知りませんが、テレビで、数ヶ月前に、森山良子さんが、10分くらいの寸劇のような曲を歌っていましたが、その中で、やはり、この「二重丁寧語」についての批判の歌詞が出てきていたことが、少しは原因になっているかもしれませんが(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

少し前になりますが、伊藤忠の丹羽会長という人が、楽天の三木谷さんに対して(前にして)、資本主義の横暴もほどほどにしないといけません、と言っているシーンがやっていました。

で・・・見ていて痛快ではありましたが・・・
ただ最近、少し分からなくなってきましたが・・・



左記の本:中丸 薫さんの泥棒国家日本と闇の権力構造 には、パリーグの2球団は、ロックフェラー系の差し金である、というようなことが書いてありますが・・・
そうなりますと、伊藤忠はどうなのだろうか?どこかの勢力の傘下なのだろうか?それとも違うのだろうか?と考えてしまいます(笑)。

別に日本の大企業の多くが、大きな意味では、ロックフェラー、ロスチャイルドのどちらかの系列なのでしょうから、それはそれで良いのですが・・・

このような番組にですら、やはり、大きな勢力の意図というのは、あるのでしょうか?

それとも、泥棒国家日本と闇の権力構造にあるように、トヨタが、懸命にロックフェラーに吸い取られないように、いろいろとやっているように、一応どっちかに付くけれども、距離は置かせてね、自由も保たせてね・・・というスタンスの会社も多いのでしょうか?

そして、伊藤忠などは、そのひとつであるのでしょうか?

私には良く分かりません(笑)。





で・・・今ひとつのりませんが(笑)・・・

http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page020.htmlです。
政木和三さんです。

(引用)

「 神仏はあらゆる人に幸福を与えようとしている。幸せになりたいなら、精神の器を大きくすること。そうすればひとりでに幸せがやってくる。私自身も『私ほど倖せな者はいない』と思うようになったら、周辺の人も幸せになった。
(以上)

 

「精神の器」と書いていますね。
森田健さんが嫌がりそうな言葉です(笑)。

ただ・・・『私ほど倖せな者はいない』が、政木和三さんにとっての、「器の大きい精神状態」のようです。
これは、普通、批判されかねませんよね?

「いい気になるんじゃない」とか、「お前より、もっと成功しているやつは五万といる」とか、「うぬぼれてるんじゃない」とか・・・

でも、どうも、『私ほど倖せな者はいない』、森田健さん式に言えば、「私はいつでも幸せでした」が、「器の大きい精神状態」だそうです(笑)。

決して、「嫌なことを、がまんして受け入れる。抱擁する」ということではないのですね。

なかなか奥が深いですし、きっと、さらっと・・・政木和三さんの本を読んでしまいますと、大きな勘違いに陥る可能性があるかもしれませんね(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?










左記の本:中丸 薫さんの泥棒国家日本と闇の権力構造 ですが・・・
ちゃくちゃくと読み進んでいます。
一緒に書いているベンジャミン・フルフォードさんという方は、読んでいて分かりましたが、「朝まで生テレビ」に一度出た方ですね(笑)。

もう呼ばれなくなってしまったようですが。

読んでいて思いますのは、ベンジャミン・フルフォードさんの言葉は基は英語なんおか、日本語で話したものなかのか、分かりませんが・・・99%正しいのだと思いますが、やはり西洋人的な発想のようなものを感じます。
日本を一所懸命応援してくれていますので、決して、悪口ではないのですが、事実認定が100%正しかったとしても、日本人がそれを分析したら、その解釈とはやはり違うものが出てくるだろうな、という所が何箇所もあるように感じています。

典型的(ティピカルとも言う:笑)なのは、「なんで日本人は怒らないのだろう、西洋人同士だったら大変なことにあんる」というような意味の言葉ですが、正確にはちょっと違う文章だったかと思いますが・・・分からないでしょうね(笑)。
ですので、その日本人故、怒らない分部も、「騙されているのに気が付かない」という分部に加えられていて、「ものすごく騙されている現状」が、「超々騙されまくっている」と表現されているように感じます。
分かるでしょうか?


ですので、なんで、ここまで日本は闇だか面高分からない権力の言うがままになっているのか?を考えるならば、日本人という人種(?)についての考察ももっと深めるべきなのだろうな、と感じます。

ですので、同じように、例の中丸さんの言う「ロックフェラーが言うには、戦争後、食料と交換に、日本人の額にチップを植え込むつもりだ。なぜなら日本人が一番、そういうことに文句を言わないと思われるからだ・・・」も、西洋人からみれば、日本人は「ものすごく騙されやすい人種」。「何にも疑わない人種」とだけ思われているようですが、その認識だけでは、果たして、我々日本人本質を分かっていると言えるかどうか、疑問ですね(笑)。

アメリカ産牛肉を食べない今の日本人は、きっとアメリカ人の全てを知っている人たちには理解できないのでしょうね。

みなさんは、どう思うでしょうか?
 
 
また、ベンジャミン・フルフォードさんは、日本をして、「社会主義」と言う言葉を何度も使用しているのですが・・・
ニュアンスは分かりますが、どうも、完全ではないように思います。
100点でなくとも良いのですが。
どこか、西洋的2原論のようなものから抜け出しきっていないような印象も受けますが、それはそれで、西洋人はどういう発想をするのだろうか?ということを改めて知ることができるようで、それはそれで興味深いです。

なにせ、私が今書いたことが全て正しかったとしても、ベンジャミン・フルフォードさんは、日本を応援してくれているわけですので(笑)。

当人は、理論では、うまく言えないけれど、日本人に感じる何かがあるのでしょうね(笑)。
 
 
みなさんは、どう思うでしょうか?



 
さて・・・政木和三さんですが・・・       

http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page020.htmlです。

(引用)

※ 阪神大震災では『私ほど倖せな者はいない』と思っている人は、被害が最小限で済んだ。例えば、神戸に住んでいる人は、大震災の前日に政木先生から 『至急福山に行くように』との電話でことづけがあり、最終電車で福山へ行った処、翌朝のテレビを見てびっくりしたという。私は電話をしていないが、欲望がなければお互いに思うことが通じるし、生命体はすべてわかっているものです。

※ 『私ほど倖せな者はいない』と思っていると、自分の中にいる生命体(昔からこれを神という)が前面に出てきて、10倍も100倍もの力が出るものです。

(以上)
 
『私ほど倖せな者はいない』ですね・・・

先達て、「どんな運命でも、感情はどう感じようが自由なのかもしれない」というようなことを書きましたが、ひょっとしたら、更に、その感情に対して、「その運命、感情に対して、幸せと思おうが、不幸せと思おうが、それもまた自由」なのかもしれませんね・・・

と言いますか、「幸せ」、「不幸せ」というものは、「感情」というものとは、また別の何か、なのかもしれないですね・・・まだ熟考していませんが(笑)。


ある事象に対して、たとえば電車で隣に、綺麗な女性が座ってきた、でも良いですが・・・それに対して、嬉しい、嬉しくない、のどちらに感じるのも、自由・・・好みもありますし、状況もあるでしょうし・・・
そして、その2つの選択に対して、またそれぞれ、「幸せ」、「不幸せ」と思うのも、また自由・・・なんおかもしれない、ということですが(笑)。

で、4通りできるわけですね。


何が言いたいかと言いますと、どんな状況でも、「それでも、私は幸せです」と思うことにより、何らかの運命変更が出来るのではないか?という想像です。


どこか、五日市さんの「ありがとう」、「感謝します」に似ているところもありますが、果たしてどうでしょうか?

またじっくり考えてみたいと思います。


みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・・・・
さて、今、朝ですが・・・
昨日も、書こうと思いましたら寝てしまいましたが(笑)・・・



左記の本:中丸 薫さんの泥棒国家日本と闇の権力構造 を読んでいますが・・・
ユダヤ資本について、いろいろ書かれていますが・・・
中丸さんが、東西構造が終結したのは、日本がバブルの頃・・・アメリカの経済が、もう立ち直れなくなった時期、つまり、アメリカ式資本主義が、もうこれ以上無理になった時期、である、ということが書いてあるように読めます。

それもそうですし、東西構造を作ったのもまた目的を持ってのことですし・・・

今日のニュースでは地球の人口が65億人になった、と言っていますが、ですので、新しい病気を作ったり、戦争もその手段の一つであるようですが、人口を減らそうとしているようですが・・・

つまり、地球全体の運命の流れに対して、意図を持って、目的を持って・・・手段をほとんど選ばず(少なくとも人道的という意味においては)、いろいろやっているのでしょう。

3次元的にはユダヤ資本が今の世界構造を作った、ということに関して、大きな意味を持っているのは事実のようですが、全次元・・・高次元的には、もっと大きく見るべきなのですね・・・。

彼らでさえ、地球の運命という流れによってその動向と言いますか、意図と言いますか、目的と言いますか、・・・そういうものを変えて”人生”を送っている、ということですね・・・。


 
で・・・
何が言いたいのか、分からなくなってしまいましたが(なぜなら、今は、夜なので:笑)、どうも、3次元を突き詰めても、それだけでは、地球の・・・あるいは宇宙の運命、成り行き、というものを決定的に変える、ということはむつかしいのかもしれない、ということですね。


ユダヤ資本は”ぎゅじっている”、と言っても、まだここ2、300年間くらいのことのようです。

縄文人くらいの時代から弥生人の時代になって以降、嫉妬のスイッチがONになったとするなら(もっと前かもしれませんが)・・・・・・つまり、「人間の嫉妬のスイッチがONになった、大変だ」、となったのは、何も、ここ2、300年のことではない、ということですね。
 
となると、確かに、今、世界が変な3次元的・理論的(?)・現実的(?)な理由はユダヤ資本にあるとしても、もっと根本的な何か、おそらく高次元的な何かを、考える(変える?)、ということが、必要なように感じます。
 
 
で・・・
240ページに中丸薫さんがおもしろいことを書いていますので引用します。
(引用)
日本人がどうしてここまでダメになったかというと、敗戦のときに、ジョン・デューイという社会学者がいたのですが、彼はソ連まで行って、パブロフの犬の反射の理論を持ってきた。日本人が再び誇りを持って強い国にならないように、受け身で非常に従順な国民になるように、日本の教育制度に〇×式の思考を入れたのです。だから、思考力とかそういうものを育てない教育方針です。
 暗記で8科目を勉強して、東大に合格して官僚になったからといって、思考能力という面では非常に足りない。いわれたことを従順にする。だから、アメリカ幕府からいわれたとき、「はいはい」となってしまう。今、そういう人たちが日本の政治をしているから、ダメなのです。』

(以上)

ということですが、みなさんはどう思うでしょうか?
暗記もの嫌いの私としては、「そうだろう」と感じますが(笑)。

勝手に言わせて貰えば、「暗記ものを勉強すると、物を考えられなくなるのではないか?」と、理由もなく強く思っていました・・・学生時代から。

で、確かに今、ものを考えるのは得意なようですが(笑)。

ただ、思いますのは・・・
日本人が、仮に今、欧米人から見て、従順に見えるとしても、それが、このアメリカによる作戦が成功したからだ、と思うのは大間違いでしょうね。

基本的に日本人は、争いごとは嫌いな人種です。
ですので、たとえば、今アメリカ産牛肉を食べないのを見ても分かるように、決して魂の部分まで、アメリカに犯されてしまったわけではないのだろう、と感じます。

しかしながら、小泉さんや、竹中さんなどがニュースに出てきて、まともな質問もできず、その話法にはまってしまう程度の方が、受験戦争とかいうものを勝ち抜いて、エリート、高学歴と呼ばれる人種である、というのは、正に、アメリカの思う壺、ということを意味しているのかもしれません。



どういうことでしょうか?

思考力がない、と言ってもものは考えられるのだろうと思いますので、おそらくは〇×式というところにキーがあるのでしょうか?

想像するに、ある事柄に、正しいことと間違えたことが混ざっている場合に、それを強引にでも、〇か×かに仕分けしようとする思考が働くようになっているのでしょうか?

ですので、自殺者が増えようと、中小企業がつぶれようと、「改革のための痛みです」というなんだか得体の知れない大義名分があると、「これは〇に仕分けしよう」となってしまうのでしょうか?
 
 
何かの事象を目の前にした時、「ここは、正しいが、ここはおかしい。ここは、まったくダメだが、ここは、いくらか可能性がある・・・」などのような発想が、〇×方式が得意な人にとっては困難なのでしょうか?

あるいは、理論的整合性がきちんとあるものでないと、正誤の区別がつけられない、とか・・・



ただ、お金を貰えば、大抵のことはするようですね・・・
それも、きっと、「お金を儲けることは正しいことだから、つまり、やって良い事だ」という〇×式の発想から来るのでしょうか?
 
少なくとも、〇×△くらいの教育には戻して欲しいですね(笑)。


頭が寝ていますので、また明日にします(笑)。
みなさんは、どう思うでしょうか?










さて・・・・・・
紀子さん(慣習では”さま”)が男の子を産みましたね。
喜ばしいことです(笑)。

テレビでは、なぜか、ここに来て、「天皇は女性でもいいんじゃないか?」とか、「こんなに男女平等社会なのに、天皇は男性だなんておかしい」とか、有識者も「天皇が男性というのは、古い習慣である」などと放送されています。
国民の80%が、女性天皇に賛成なんおに、とも言っていますし、なぜか、政府は「男性天皇が良い、と思っていて、それ故、議論は40年後でいいと言っているのだ」などということまで言っています。

私は男性、男系天皇で賛成です。
男系はDNA的なことで賛成です。
もし、それを無視して、精度だけで天皇制を意地するのなら、それこそ、意味がありませんので、天皇制はない方が、むしろ良いのかもしれません。

男性天皇が賛成なのは、私は天皇は、”家族”というもののあるべき姿を表現している存在でもある、と考えています。

私は、家族は、一応表面的には(笑)、男性が糧を得るために働き、女性は、子供が手を離れるまできちんと育てる、そして料理を作る、家事をする、家族を守る・・・もちろん、それぞれ、男性・女性の協力作業の形態を取るのですが・・・そういう姿が、正しいのだと感じます。

ですので、天皇は男性であることが望ましいと考えています。

私は、男女平等社会というのは、権利、就職などについては、それで良いと思いますが、例外を除いて、力仕事、高ストレスをともなうような仕事、勤務時間の長い仕事などなどは、男性がすべきだろうと思いますし、女性は、能力に関わらず、子供が中学校を卒業するくらいまでは、家には母親がいつでもいる、という状態で、きちんと、子育て・・・授乳はもちろん、手作りの料理などを含めて・・・をするというのが、正しい姿だと思います。

日本にはこれがあったのですが、私は、特に70年代以降、アメリカ産のウーマンリブ運動によって、くずされてしまった、と考えています。

アメリカでは、ウーマンリブが完成した現在でも、子供は減っていないようですが、それは、アメリカ人は、人を雇って、子供を他人に育てさせる、ということが平気でできる種類の人間だからだと感じています。
また、どうであれ、日本よりは広い部屋が得られやすい、ということもあるでしょうし、日本のように受験戦争というようなものがない、ということもあるでしょう。

第一、人に子供を育てさせる、というのは、日本でも貴族階級に属するような家では昔からそういうことはあったでしょうが、基本的には、どこか階級的なものが色濃く残っているからこそできるものだと感じます。
実際、アメリカは、つい数十年までまで、黒人を奴隷として、使っていたわけですが、いまでも、どうしようもない格差というものが存在しますので、その状態が、当然という意識がある故、お金をだして、そういう人を雇って、子供を育てさせる、ということが平気でできるのではないかと思います。

結果、その子がベビーシッターから虐待を受ければ、今度は、またお金を出してカメラを設置して、お金を出して、裁判をして・・・という変てこなことをしています。

お金をそんなことに使うなら、余分なお金を稼がなくとも良いので、自分で育てれば良いように感じます。

 

部屋が日本より広い、ということは、結構大きな要素かもしれません。
大抵どこの国でも、部屋の人さ、ということに関しては、広いです。

お金を出して広い・・・というのは、当然ですが、日本人の給料感覚で言えば、5万円も出せば、綺麗でなくて良いのなら、ずっと広い部屋に済むことができる国が多いです。

これは、つまり物理的条件ということなのでしょう。
 
 
また、良きにつけ、悪しきにつけ、日本人は、人がやっていると自分もしなくては・・・という意識が強い国ですので、教育でも、贅沢でも、なんでも、ある程度まで3次元的な下の階級まで降りてくれば、みんな同じことをしたがります。
もっとも、根本は、日本人のDNAに根ざした和の精神によるところが大きい日本人の性質ですので、上手に付き合っていけば、とても良い方向に出る性質なのだと思います。

それは、政策でも、その精神を上手にあおだてることを考えるべきだと感じますし、政策で言えば、今が正にそうであるように、悪い方向にコントロールしようと思えば、ある意味コントロールしやすい人種とも言えるでしょう。

それは、まさに、ロックフェラーをして、「日本人は文句をいわないので・・・・」ということで、住民台帳と言いますか、国民全番号制の導入、数年後の食料と交換での額にチップを植え込むということ、などなどを意図できる、ということなのでしょう。

ですので、今、アメリカ産牛肉が、売れない、という状況は、何以下を意図している人たちにとっては、非常に誤算であったかもしれない、と感じます。

普通に考えても、これだけ報道をコントロールすれば、彼らの分析しや日本人ならば、だれもが、アメリカ産の安く危険な牛肉を食べるのではないか、ということは、想像できたと思います。

私なども、「食べてはいけない」、と書いていながら、「それでも、食べる人が多いのかもしれない」と、半分諦めていましたが、どうも、想像するに、どなに頭の中をコントロールされましても、直接命に関わること、あるいは、それが、子孫にまで残ってしまうような種類のことについては、ちゃんと”直感”が働くようですね、日本人は。
さすがです。





そして・・・
外国と言いますか・・・先進国と言いますか・・・西欧列強とでも言いますか・・・そういう国では、莫大な格差が当然とでも思っているのでしょうか、それ故、別に、「意地でも、人と同じことをしよう」という発想はないようですのですし、あるいは、それ故か、別の理由でか、いろいろな生き方があることを容認していますので、お金がないならないで、別に高学歴を狙わす必要はない、と思っているのでしょうか、そこら辺は、不必要に子供を作る障害にはなっていないのではないか、と感じます。

朝の東ちずるさんなど出演している番組で、私の目には、非常にエゴの強い印象を受ける女性の発言が先週あたりから気になっていますが(笑)、他にも、そういう方はいらっしゃるようで、どうも、70年代ウーマンリブの影響を直接受けたくらいの世代の女性の中には、とても間違えた考えを持っている方が確実に何%かいるように感じています。
その方に対しては、アメリカの作戦は大成功したのかもしれませんね。


もっとも、そんなアメリカも、ユダヤ資本に動かされていた、ということのようですが。
そして、ユダヤ資本にそういうことをさせたものは、ウーマンリブを信じ続けても、きちんと当人が思う、それなりの成功した人生を築きあげているその人の運命を作った”もの”と同じようでして、それは正に、時空ということなのかもしれません。

誤解のないように書いておけば、マザー・テレサにマザー・テレサたる振る舞いをこの3次元でさせたのも、また時空なのでしょうし・・・つまり、3次元的で言う良い・悪いはすべて、結局は時空による産物ということなのだと感じます。

やはり、最終的に本当に考えるべきは時空であるのかもしれません。
 
 
 
ちなみに・・・戦争以前、明治時代以前は、女性は男性とい3歩後ろを歩いて・・・というようなことを言われますが、それ自体は事実のようですが、だから男性が女性を差別的に扱っていた、ということは、どうもないようで、むしろ、今の男性よりはよっぽど、絆も強く、女性は大事に扱われていたようです。
 
先日、江原啓之さんの番組になんとかという女優さんが出ていましたが、以前はとておも男性的な性格だったようですが、今は、3歩後ろを歩く女性が、いかに強く気高い精神を持っていたか、ということが分かるようになってきた、というようなことを言っていました。

精神レベルが高くなくては、人の3歩後ろを歩く、だなんてことはなかなかできませんね。
しかし、3歩後ろを歩く、というのは、あくまで人に見せるためであり、心は・・・人が見ていなければ、仲良く手をつないで、横に並んで歩く状態が、そこには”ある”のでしょう。

古来からの天皇制がそうであるように、それもまた、3次元での最低限の守らなければならないものを演出・表現している、ということのように思います。



中丸 薫さんの泥棒国家日本と闇の権力構造 で、ベンジャミン・フルフォードさんが、「日本が本気をだせば・・・」という意見の中で”ヒーロー”という言葉を使っているのですが、彼は、この本が出た当時は少なくとも、「戦後アメリカは、共産主義と戦うために、日本を良い国にしようとした・・・」のようなことを書いていますのでの、まだアメリカ人ならではも、事実誤認があった状態だったように読めますが、この”ヒーロー”=立派、というような発想も、3歩後ろを歩く、の日本人精神の尊さが分かっていない種類の人の発想のように感じています。

ベンジャミン・フルフォードさんは、どこかで、大きく世界がおかしい、日本が何かやる、ということを理解して、日本を応援している人であることは間違いないようですので、応援したいですが、この本が出た当時は、まだ、どこかに”わだかまり”があるように感じてしまいますし、読んでいて聞き苦しい(読み苦しい?)ところを感じてしまいます。

中丸薫さんが見た彼の前世の中には、日本人でお坊さんだった、というようなものがあるようですが、きっと、いつの日には大活躍してくれることでしょう。

で・・・何が言いたいかと言えば、天皇は男系・男性が良いと思います、ということです。

もし、「女系でも維持したい、それには・・・」という議論があるのなら、私は、もう、あってもなくとも、意味がないと思いますので、「宮家復活には公費がかかる、無駄使いだ・・・」という意見を女性が言っていましたが、それなら、天皇制そのものを廃止したら、ずっと経費がかかりませんので、イッソ、そうなさったら良いのだろう、と思います。



と、書いていましたら、どういうわけか、市川房枝さんについての番組が始まりましたが・・・
「子供のころ、母親がしいたげられていたので女性解放の運動に・・・」ということですが、彼女の言うとおり、参政権などなど、そういったことは、当たり前ですが、男女平等でなくてはなりません。

また、家事をする、子育てをする、家庭を守る、といったことが、お金を稼ぐ、ということよりも、下だなんて思うのも、間違っています。
結局、その間違いから、一部の男性は、女性を蔑視するようなこともあったのかもしれませんが、それも、言ってみれば、「お金を稼ぐことが、この世で一番大事、偉い」という嫉妬のDNAがONになって以来の、人間の間違えからきてたのでしょう。

で、今、どうかと言えば、男女の平等どころか、性の同一と言っても良い状態になりつつあるにも関わらず、その根本である「お金をもうけることが、この世で一番大事、一番偉い」という間違いは、直るどころか、よりその傾向が強まっている・・・ということですね。

これは、言ってみれば、人をお金の亡者にすために、問題を女性解放に摩り替えて、まんまと、その意図が成功した、あるいはしつつある、ということなのかもしれませんね。

みなさんは、どう思うでしょうか?




 
で、ニュースによると、アメリカに入国する際に、すべての指の指紋を取られることになるようですね・・・今年の秋からのようですが。
ああ、もうハワイへは行くな、ということなにのだろうか(笑)?と思ったりもしますが、すでに1本の指の指紋を取られる状態にはなっているのでしょうか?
ここ数年海外旅行していませんので、知りませんが。

これは、テロが活発なため・・・というのが表の理由ですが、テロを自作自演したことの中には、こうやって、できるだけ多くの人を番号製にしていく、ということも当然含まれていたわけでしょうね。


中丸 薫さんの泥棒国家日本と闇の権力構造の、253ページには、興味深いことが書かれています。
(引用)
『今は、世界の人口を減らすために、ほとんどマッチポンプのようなことが行われている。私は186カ国も歩いたから、アフロかも一通り行ってきてわかるのですが、すごく平和な国だったところに、いきなり武器がたくさん入ってきた。どうやって戦争が起こったかを聞いてみると、それまで仲よくしていたのに、黒頭巾をかぶったような人たちがいきなり来て、両方に銃を撃って対立させるようにして逃げていく。そこから民族紛争やいろいろな対立が出てきているとみんないっています。だれかが紛争を起こして、ゴタゴタさせてから、入ってきて武器を両方に売るという形になってきています。
ですから、国連というものに対するイメージを変えたほうがいい。そういうことを国連自身が陰でやっています・・・』
(以上)

いかがでしょうか?
私は信じますが。

まるで、任侠映画の脚本ですね(笑)。
しかも、月に何本も作られていた頃の脚本です。

大抵、どちら側に、器の広い(笑)人いるか、あるいは、第三者の器量の広い大親分のような人が仲裁に入って中を取り持つか、それとも、このまま争いあいになるか・・・
いずれにしても、なかなか仲が割れませんと、いよいよ”悪い”人たちが、もっと露骨なことをしてきまして、最後は、鶴田浩二ですとか、高倉健ですとか、池辺良ですとかが、”悪い”人たちをやっつけにいきます。
どうもある年代以降のものは、やっつけた後、その人も警察に捕まりますので・・・きっと取り締まりの法律か何かの関係なのでしょうか?


で・・・現実問題としては、その陰の存在を棒旅kうでやっつけるわけにはいきませんし、そうしても、また、その一つしたの勢力が、取って代わるだけでしょう。
ロックフェラー、ロスチャイルド以外にも、いくつもあるようです・・・良く分かりませんが。


ですので・・・なんと言いますか、関係ありませんが、ブルーレイとHDーDVDなんかも、仲よくしたほうが良いですね。
あそこには、国際企業と言っても、日本の企業がたくさん入っています。
だれかが、日本の国力を下げるために、何かを意図している可能性だってあるかもしれませんね(笑)。
 
常套手段といったところなのでしょうか?

みなさんは、どう思うでしょうか?



で・・・
もうここ1年くらい、英語を勉強することを、ピアノ同様、まったくしていないのですが・・・(もっとも、e-beyのオークションは見ているが:笑)、私の周りの流れが、私に英語を勉強せよと言ってきているように感じるこの頃です(笑)。
流れと言うより、何かの存在かもしれませんが(笑)。

さて、なにが起きるのでしょうか?
 
 
 


さて・・・
もうすぐ中丸薫さんも読み終わりますが・・・
にんげんくらぶミーティングのチケットがまだ届いていませんので、住所変更がされていないのではないかと思うこのごろですが(笑)、次の講演者の中で、「この人を読んでみたい」という方が現れるのを楽しみにしています。

http://www.ningenclub.jp/semi/index.htmlに、詳細がありますが・・・
以下の通りです。

開場予定
9:00
日付 第1講座 第2講座 第3講座
10:30〜12:30 13:30〜15:30 16:10〜18:10
第3回
『上手に生きるコツ』
9月30日(土) 佐々木洋治
『縄文のヴィーナスと近未来のヴィーナス』
野中邦子
『無限の可能性を信じて』
宮下正次
『上手に生きるコツ』
10月1日(日) 安保 徹
『生き方の偏りと病気』
エハン・デラヴィ
『サンダーボルト』
船井幸雄
『今、一番伝えたいこと』
 
 


題目・講師
講師プロフィール
講師
ホームページ
30日
(土)
第1講座
10:30〜12:30
『縄文のヴィーナスと近未来のヴィーナス』
日本地震予知協会代表
佐々木 洋治
1941年上海で生まれる。慶応大学倫理学を専攻。カリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学。ジャーナリズムと社会学を学ぶ。帰国後、文筆活動、雲の研究を始める。研究は28 年におよぶ。1985年日本地震予知協会を設立。
http://www.
menokami.jp
/index.html
  第2講座
13:30〜15:30
『無限の可能性を信じて』
(株)アースハート 取締役
野中 邦子
福岡県在住。自身の長年の病気との闘いをとおし、外気功による独自の治療法を確立。世界の恵まれない子どもたちへの支援援助を精力的にこなし、平成13年NPO法人「つくしの会」を設立する。意識はエネルギー、そして今こそ意識の変革が必要であることを、実践をとおしてメッセージしつづけている。
なし
  第3講座
16:10〜18:10
『上手に生きるコツ』
森林(やま)の会事務局長
宮下 正次
1944年群馬県生まれ。元関東森林管理局勤務。森林(やま)の会事務局長。マッターホルン北壁、インドヒマラヤ、パミール、カフカズなどの海外の山を登る。炭を撒くことで酸性雨によって荒廃した森林が回復することを実証し、森の生態系を蘇らせる活動を行っている。 なし
 



題目・講師 講師プロフィール
講師
ホームページ
1日
(日)
第1講座
10:30〜12:30
『生き方の偏りと病気』
新潟大学大学院医学部教授
安保 徹
1991年より現職。胸腺外分化T細胞の自己応答性の生物学的意味を研究している。同時に、白血球の自律神経反応の法則により、病気の成り立ち全般も明らかにし、新しい医学を提唱している。 なし
  第2講座
13:30〜15:30
『サンダーボルト』
エハン・デラヴィ マラナサ・ジャパン代表
エハン・デラヴィ
1952年スコットランド生まれ。幼少から神秘的な世界にひかれ、22才より日本で生活を開始。日本で15年間、東洋医学と弓道に専念する。神戸女学院や関西大学などで英語の講師を務めた経験もあり。「人類の意識の進化」をテーマに、世界各国を歩き探究し続けている。流暢でユーモラスな日本語で全国講演をしながら、世界隅々から収集したニューパラダイムに関する情報を伝えている。遠隔透視法として話題になったリモートヴューイングを日本に始めて紹介し、講座も開催。「リアル・エイジの独立個人」へのパラダイムシフトについて執筆と国内外での講演活動など、幅広く活躍中。 http://www.echan.jp
  第3講座
16:10〜18:10
『今、一番伝えたいこと』
(株)船井総合研究所 創業者
(株)船井本社
  代表取締役会長
にんげんクラブ主宰

船井幸雄
船井幸雄は、経営コンサルティング会社としては、世界初の株式上場した船井総合研究所の創業者であり、今でも年間4000人以上の日本のトップ企業と接している人間です。
http://www.
funaiyukio.com/
 
 
野中さん、エハンさん、船井幸雄さんの3人以外の方は知りません。
野中さんは、楽しみです。
どんな波動の人なのだろう?と思います(笑)。

ちなみに、EMWを通販で買いますと、送料がかかりますので、会場で売っていると良いな、と思っています(笑)。
 
 
 



さて・・・・・・
昨日(9月10非)あたりから、反ブッシュの意見をテレビでいくつか聞かれるようになりましたが、何かあったのでしょうか?

もっとも、それが、安心させようという作戦なのか、それとも、ブッシュの影響力が何かの理由で失せたのか・・・良く分かりませんが。

みなさんは、どう思うでしょうか?

各国、ブッシュ政権を支持した偉い人たちは、辞任に追い込まれているようですが、それを見てなのか?
それとも、それが正に裏だか表だかの勢力が、とりあえず、お金と力で押さえ込むことを止めたという証拠なのか・・・

どうも、ここ何日かで何かあったような感じがしますが(?)



先達て、テレビで例の貸付利子の上限について、自民党のだれかが、どうしても、さげないよ、ということを、屁理屈を交えて説明していたように聞こえましたが・・・
あの、やり方は小泉さんが受けてしまった(被害者風ですが)運命だからできたのであって、他の人がやると、まともに我々一般市民の反感を買う可能性が高いように感じます。
これから、何か影響があるのでしょうか?
 
 
 
サンディ・プロジェクトがやっていますが・・・公明党は、人道復興支援だった、というようなことを言っていますが、議論のまとを、国民か、世界の人々かで切り替えないと、その意見にごまかされてしまいますね。

国人は、それで、ごまかされますし、自分自身を納得させることもできますが、世界の人々は、シンプルに「ブッシュ政権に同意して、兵隊を出した」と理解しているでしょうね。
どこかの国が日本へ何かしようとするときの、大義名分にもなりますね。

実際は、アメリカの言うことを、悪いことだろうがなんだろうが、そのままきいた、ということなのですから、何も深いことは考えていないのでしょうが、会社で言えば、悪いことでもなんでも上司や社長のいうことをきいてやっただけ、というのと同じですね。

様相はそうであっても、一応、日本はアメリカという団体とは別”会社”になっていますので、きっと、どこかで責任を取らされざるを得なくなってしまうのが、どうも、時流のようです。

しかし、いろいろ考えますと、テレビによる影響というのが一番国民を洗脳するのに、有益である、ということが事実のようですね。

国民はテレビを信用しているのでしょうね。
「テレビで言っているから事実だ」と(笑)。
もし、国民の何%以上かがその間違いに気が付いた時には、きっと一気に、国民はテレビを信用しなくなるのかもしれませんね。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060909-00000004-yom-polに、
「キレる子」の原因探れ、食事・睡眠など追跡調査へ、というタイトルのニュースが掲載されていますが・・・
引用します。
(引用)
『 児童・生徒が授業中などに突然、「キレる」原因を解明しようと、文部科学省は2007年度から、「定点観測」調査に乗り出す。

 食事、テレビ視聴などの生活習慣や家庭環境が「キレる」現象にどう影響しているかを探ることで、生活・学習指導に役立てるのが狙いだ。

 同省は来年度予算の概算要求に約1億5000万円の関連経費を盛り込んでおり、今後、モデル校や調査テーマ設定などに着手したいとしている。

 小中学校などの学校現場では、近年、普段はおとなしい児童・生徒が教師から注意を受けると、突然、「うるさい」と食ってかかったり、教師に暴力を振るったりする「キレる」行動の増加が問題になっている。
(読売新聞) - 9月9日14時34分更新 』

(以上)

考えて見ますが・・・
まず、交渉の手段として、「暴力」、「キレる」というものが、存在します、ということを、世間やテレビなどが映し出していることが一つの原因ではないかと思います。

岡田多母さんではありませんが、「正確」というものには、確かに「考え癖」という要素がありますね。
私は行動パターンにも、同じように、「行動癖」というものがあるように思います。

潜在意識という言葉に、いくらか疑問を持っていますので、使いませんが(笑)、どこかに入っているのが癖なのでしょう。

それも、運命で決まっているのかもしれませんが、そうであっても、癖は、時間をかけますと、矯正できるものが多いように感じます。

ちょうどバッテイング・フォームを矯正するように・・・モデルの人が歩き方を矯正するように・・・
ですので、きとんとした、交渉のパターンという方を教える、あるいは、「暴力」、「キレる」というパターンを教えない、ということが有効なように感じます(笑)。



テレビで言えば・・・
言葉使い、服装、歩き方、行動パターンなどは、なんと言いますか・・・一連の動作として機能するようなところがありますね・・・現実として。

ジーンズをはけば、行動的に動きますし、スカートをはけば、どうしても、女性的に歩かざるをえません。
べらんめちょうで話せば、どういうわけか、行動もべらんめえ調になりますし、上品(?)に話しますと、どういうわけか、行動も上品(文句のある人もいるでしょうが)になります。
うねうねしゃべりをすれば、どうしても、行動もうねうねしてきますし、堂々と話しますと、なぜか、行動もどうどうとしてきます。

で、何が言いたいかと言えば、「暴力」、「キレる」に結びつくようなシーンというものは、やはり人に影響しますし、特に、若い人の”変わった人たち”を参考にした登場人物、あるいは、インタビューなどでそのものを出す、ということは、そういうパターンのフィードバック、ハウリング効果のようなことをまねいているだろうな、ならば、止めたほうが良いだろうな、ということですね(笑)。

世間が先なのか、現実が先なのか知りませんが、いずれにしろ、フィードバック合戦がおきているのは確かだろう、と感じます。
 
一番良いのは、テレビを見ないことでしょうね。

たとえば、今、女性の服装で、露出度、バストなどの強調度(笑)で言えば、芸能人より一般の人の方が高いかもしれませんね。
もともとは、雑誌、テレビ、ビデオなどで、一般に広まり、今度は、一般人の方がすごい、となれば、テレビなどが、もっとすごくなり、それを見た一般人が、「あそこまでやってよいんだ」と思い、そうすると、またテレビなどが、もっと、もっと、となっていく・・・
これがフィードバックということなのですが(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?
 
 
 
食べ物で考えてみれば・・・
基本的には、高ストレスに耐えられる人間を作るためには、体にとって適したものを食べるべきなのだと感じます。
何度も書いていますが、多くの本土出身の日本人は、どうやら肉をうまく消化できないDNAといいますか、作りになっているようです。

そうなれば、栄養もきちんと摂取できないでしょうし、便秘にもなりますね。
高次元的と言いますか霊的といいますか、そこにも、何か影響があるかもしれません。

ですので、まず肉食をできるだけ止める、ということが大切なのではないでしょうか?



次に、味でしょうか?
ハンバーガーにしても、スパゲティにしても、ジュースにしても、日本古来からのアミノ酸による、奥深い味ではないですね。
特にインスタントのものなどは、”粉末の味の薬(?)”のようなもので、できていることが多いようですが、健康面もさることながら、神経、心に与える影響が良くないでしょうね。

おそらくは、ストレス除去は、五感の全て、視覚(美しい)、聴覚(いい音だ)、嗅覚(いい香りだ)、触覚(柔らかな肌触りだ)、味覚(良い味だ)の全てがその役割を担っているでしょうから、特に意識して食する食べ物ですので、味というのは、大事でしょうね。

そこら辺を考えますと、どうも、マグロが高くなっている、というのは、だれかの意図が奥にあるのではないかな?などど考えてしまいます(笑)。
 
 
できるだけ、日本的な奥の深い味のものを食べるのが良いのかもしれませんね。

みなさんは、どう思うでしょうか?
 
 
 
 
また、きっと学校教育・・・これは仕付けということではなく、教育の質ですが・・・が大きく関わっているかもしれませんね。
たとえですので、実際は知りませんが、仮に、「資本主義と協賛主義では、どちらが正しいですか?」んまどと質問され、まだ洗脳されていない子供が、「どちらでも、ありません。どちらも、エゴによって作られていますので、間違っています」と回答したなら、文部科学省の方針に従っている先生は「はい、0点です。もっと勉強しましょうね。あなたは落ちこぼれです」とでも言うでしょうか?

先達て書いた、〇×方式、暗記、などが、考える力を奪っている、という面もあれば、先生と生徒との議論の余地も奪っているとも言えるでしょうね。

きっと、先生にしてみれば、「何を言われようが、この答えはこれ、としなくてはいけない、というのが私の仕事です」なのでしょうから・・・。

これは、自民党に似ていますね(笑)。
「国民がなんと言おうが、アメリカがこれが答えです、と言っているので、それを通すのが私の仕事です」、であり・・・
アメリカにしてみれば、「世界からなんと言われようが、大資本がこれが答えです、と言っているので、それを通すのが、私の仕事です」ということなのでしょう。
 
正に、フラクタルになっていますね(笑)。



で、アメリカなどは、嘘を強引に通すため、不条理を強引に通すために暴力を使うのですが・・・それに対して、責められた方はキレますね、多くの場合。

先生は、「資本主義も、共産主義も間違っています」と回答し、正しいことを主張し続ける生徒には、成績、内申書などの権力、暴力で生徒を攻め続けるのでしょうが、そうしたら、やはり、生徒の仲にはキレる子もいるでしょうね。
何せ世間も・・・特にシステム化されたところでは、テレビなどの影響もあるし、教育の影響もあり、やはり、「資本主義が一番正しいのだ。それに逆らう奴は、だめなやつだ」と言っているわけですので、当然、学校以外でも、苦しいでしょうね。



これをして、教育が原因ではないか?と私は言います。

みなさんは、どう思うでしょうか?


 
 
「普段おとなしい子が、急に・・・」
は、いろいろ考えられますが、おそらくは、「がまん」していたのでしょうね。
そして、これ以上がまんしたら、自分の方がやられてしまう、というところでそうなるのではないか?と想像しますが、なんとも言えません。

その意味では、がまん、だなんて大人のような子ではなく、そんな大人の世界はどうでも良い、と思っているくらいの子の方が、キレないのかもしれません。

その意味では、キレる子というのは、本当は、国が欲しがっている種類の能力を持っている人材なのかもしれませんが、それを、わざわざつぶしているとも言えるかもしれません。
まあ、今の国が欲しがっている人材になど、ならないで、「幸せ」だとは思いますが。

みなさんは、どう思うでしょうか?
 
 
 
ただ、原因を究明しよう・・・ということですが、これは小学校のことでしょうか?
そうだとすれば、彼らはもう1998年くらいからの生まれということでしょうか?

そうしますと、どうも高次元的には、競争、争いということを強く否定し、今で言うところの超能力を兼ね備えた人間である可能性が高いですので、きっと、3次元だけ探っていっても、あまり良い調査結果は期待できませんね。

ただユダヤ資本などは、そういうことを理解しているようですので、官僚や政府には理解できない種類の調査内容を指示されるかもしれませんが。

しかし、時が経つに従って、そういう子供ばかりの学校になってくるわけで、それはつまり世間よりも、知っている人間が多い環境ということですので、政治、官庁、先生などでは、とておも対等しきれないすごいことが起きる可能性がありますね。

みなさんは、どう思うでしょうか?




で、今、「9.11がアメリカによる捏造だった、とニューヨークでは、言われている・・・」と言う内容の番組がやるようですが・・・
やはり、どうも、何かあったのかもしれませんね。

そんなことは、事件直後から言われ続けていますし、ある意味、常識にもなっていますし、西欧などでは、高次元などに興味のない世界でも常識化されていることのようです。

中丸 薫さんの泥棒国家日本と闇の権力構造 によれば、「日本のマスコミだけ、まったく報道しない」ということです。
ただ、ベンジャミン・フルフォードさんは、「そんなことはない」とまるで日本の政治家のようなことを書いているようですが、今はひょっとしたら、考えを直しているかもしれません。
 
一応テレビでやるようですので、検索する人が多いかもしれませんので、書いておきますと・・・小松英星さんのサイトに詳しいです。

中丸 薫さんの泥棒国家日本と闇の権力構造などにも、掲載されています。
いろいろなところで仕入れた知識を書いておますと・・・

貿易センタービルの倒れ方が不自然。
まったくもって、ビル破壊用の爆弾をきちんと取り付けて爆破したような壊れ方をしている。
それを裏付ける証言もたくさんある。

飛行機が突っ込んだくらいで、ビルの骨組みは解けたりしない、

突っ込む飛行機には、窓もなく、民間機の形をしていなかった、という目撃証言がある、ビデオにも映っている。

などなど、きちんと名称を思い出さないと書けないものなどもありますので、これくらいにしておきますが(笑)、これを機会に、多くの方が、真実に気が付いてくれると良いな、と感じます(笑)。

ただ、まずは、3次元上の真実を知ってからでしょうが、どうも、3次元のことだけを、手直ししても、根本である高次元的なことを、解明しませんと、根本的な改善、永久的な改善にはならないようです。


みなさんは、どう思うでしょうか?


また、今日中に書き足すかもしれませんが、とりあえず、ここまでです。
 
 
 
 
 
で・・・書き足していますが(笑)、副島隆彦さんのサイトでも、9.11の捏造について、詳細に書かれています・・・数日内にアップされたものかと思います。



また、それによれば、ベンジャミン・フルフォードさんは、どうも今では9.11の事件について「捏造である」という立場を取っているようです。

『9.11テロ捏造 日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ』(徳間書店)と『暴かれた9.11疑惑の真相』(扶桑社)、などの本を書いているそうです。


過去に言ったこととか、発表したことと、異なった事実が、新たな事実として認識されたなら、このように、まったく過去と整合性など取らないで、新しい立場を取るのが、良いですね。
船井幸雄さん式に言えば、素直・謙虚、ということなのだと思います。
ぜんぜん、いい加減でも、恥ずかしいことでもないと思います。

ですので、よく分かりませんが、高次元的なことも、どこかで発言するようになっているのかもしれません。

また、どこかで情報が入りましたら、掲載します。



杉鷹山(うえすぎ ようざん)(1751〜1822) の銅像をテレビで見ましたが、政木和三さんのそっくりで、びっくりしました(笑)。
この人は、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」の言葉で有名な人です。
政木和三さんの本によれば、小さい頃からこの言葉が好きだったようなのですが、高次元に通じるようになってから・・・晩年ですね・・・この人も前世の一つであったことが分かった、ということです。
「自分で言った言葉だと分かり、道理で好きなはずだ、と納得した」というようなことが書いてあったかと思います。


ちなみに、http://seminar.econ.keio.ac.jp/komuro/sisouka/086.html によりますと、
1961年に日本人記者団が第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネディに「あなたが、日本で最も尊敬する政治家はだれですか」と質問した時に、ケネディは、「上杉鷹山です」 とこう答えたそうです。

それだけですが。

ちなみに、検索しましたが、残っている肖像画は、あまり政木和三さんには似ていないようです(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?
 
 
 
 
 
 
さて・・・・・・
今、夜中ですが(笑)、やることがありますので、長くかけませんが・・・
先達て、「にっぽんちゃちゃちゃ」とかいう番組で、確か、白石なんとかさんという航海をする冒険かが出ていましたが、なかなか興味深いことを言っていました。

『「諦める」というのは、仏教用語で、明らかに見極める、という意味です。、諦めては良いが、投げ出してはいけません。』とか、
『判断に迷ったら、頭を使わないで、心を使って考えるのです』とか・・・
2つ目は直感ですね(笑)。

これは、確か・・・限界まで来て、これ以上やったらまずい、となったときに、頭で考えると、お金とか、名声とか、そういったつまらない、と言いますか、3 次元的なこと、あるいは人によっては欲というかもしれませんが・・・そういったことで判断してしまうので、正しい答えを得られない、しかし、心に聞けば、正しい答えが分かる・・・
というような話だったかと思います。
特に、もうすぐ目的地につく、といったような時に限界が来た時に、こういうことがある、という話でしたが、いろいろ読んできたり、考えてきたり、実践したりして・・・良く分かる話ですね(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?






さて・・・・・・
飲酒運転が問題になっていますが、どうでしょう?あれは、酔っ払っているから運転するのはないでしょうか?
大抵、シラフの時なら、飲酒運転はいけない、ということは、理解しているのではないでしょうか。
もっとも、飲酒運転して帰る、ということを前提にしているような場合は論外でしょうが・・・。



で・・・ベンジャミン・フルフォードさんがテレビに少し出ていましたね(笑)。
”9.11の真相を研究している人”、としてでした。
確か日曜日の昼でしたが。

この番組は良かったのですが、昨日の筑紫さん司会のものは、関わった一般市民、消防士などに焦点を当てていましたが、アメリカが正しいことをしている、だなんて嘘に焦点をあてるものよりは、よっぽどましですが、ビルの破壊のメカニズムなどは、もう少し突っ込んで欲しかったと感じました。
アメリカの政府に関係している研究機関の研究結果のようでしたので、たとえば、日本なり、あるいはもっとアメリカの影響を受けない他国の研究機関なりの、その(上の)研究結果に対しての意見なども聞きたかったです。

 
 
さて・・・


中丸 薫さんの泥棒国家日本と闇の権力構造 は、読み終わりました。
事前に、いろいろな情報が、入っていましたので、すんなりと読めましたが、中丸さん自身も紆余曲折あったようです。

どうも、官僚の偉い人などには、ものを頼んでも仕方がないようですね(笑)。

また、最後に”クェンティンさん”の名前が登場します。
281ページ辺りです。
この存在は、池田邦吉さんの本にも出てきますが、「わが深宇宙探訪記」に登場する”地球を守っている人物”ということです。
池田邦吉さんの本では、例のセスでも、クェンティンさんでも、まだ神には達していない修行中の存在・・・というような感じで書かれていたように思います。

「通信したいことがあるので、天橋立まで来てください」と呼び出されたそうです。
いろいろあって通信できたのは、露天風呂に入っている時だったようですが(笑)、とにかく、「これから大変な時代になるけれど、協力するので、心配しないで・・・」ということだったようです。

中丸薫さんが私にとって面白い(興味深い)のは、こういった点ですね。
それは船井幸雄さんとも共通しているとも言えますが。

とても3次元的であり、そしてとても高次元的である・・・ということでしょうか。

私には、それがとても”普通”のことに、あるいは”あるべき姿”に見えてしまいます(笑)。
 
みなさんは、どう思うでしょうか?
 
 


で・・・
無事、にんげんクラブミーティングのチケットが届きました。
と言いますか、宅配便が土曜日に再配達してくれるのですが(笑)。今回は、高次元的なことを中心に語ってくれそうなのは、船井幸雄さん以外では、野中さんとエハンさんですが、他の方々も、おそらく高次元的なことには興味をお持ちなのでしょう。

思いも寄らぬ発見があるかもしれませんので、初めて接する方々も楽しみですね(笑)。

開場予定
9:00
日付 第1講座 第2講座 第3講座
10:30〜12:30 13:30〜15:30 16:10〜18:10
第3回
『上手に生きるコツ』
9月30日(土) 佐々木洋治
『縄文のヴィーナスと近未来のヴィーナス』
野中邦子
『無限の可能性を信じて』
宮下正次
『上手に生きるコツ』
10月1日(日) 安保 徹
『生き方の偏りと病気』
エハン・デラヴィ
『サンダーボルト』
船井幸雄
『今、一番伝えたいこと』
 
 
 
 
さて・・・・・・
昨日もいつもより早く帰ってこれたのに、寝てしまいましたが(笑)・・・

酒酔い運転についていろいろやっていますね・・・
機能のテレビは興味深かったですが、酔っ払っての実験で、肉体的運転能力は、ある程度飲んでも、影響は少ないようなのですが、光に対しての反応は、相当にぶくなるようです・・・そのテレビが、だれかの意図に従っていなければですが。

運転する方も、酔っても、感覚的には運転は問題なしようだ、と感じているようで、確かに、”運転”という肉体的なことに関しては、あまり影響ないようです。

これは、要するに、運転する方は、運転できるなか?と自分をチェックする時に、そういった肉体的な部分のみ、件所うしてみて、大丈夫だ、として運転するのかもしれませんね。
しかし、光に大抵の反応などは、鈍っているわけで、そういうことが、大きく運転ミスに関係しているようです・・・機能のテレビが正しければ。

ですので、刑罰を重くするのも、極悪(?)な人には効果あるでしょうが、酔うと、何がどうで、運転ミスをするのか?ということを、もう少し詳しく世間に広めるのが必要なのかもしれませんね。
まして、日本のように、直感力を取り去られて、教えられたことでだけ、3次元的科学的知識でだけ判断するようになってしまった人種には、効果的なのだと思います・・・そこで教えられる情報が真実ならですが。
 
これは、悪い方にも使えることですね・・・
直観力、考察力なしに、教えられる情報、知識でだけ判断するように洗脳された人は、情報、知識さえ操作してしまえば、間違えた方にも、良い方にも、簡単に動いてしまう、ということですので。
 
みなさんは、どう思うでしょうか?




ただ、気になりますので、例の貸し金業者の金利問題ですが・・・これを世間の目からできるだけ遠ざけるために、飲酒運転のニュースを必要以上に取り上げている・・・操作しているのではにか???ということなんおですが。
 
もちろん、飲酒運転問題は、考える必要のある重要事項ですが、あれだけテレビ局があるのに、もっと効率よく運用できないものだろうか・・・と考えてしまいますね。

縦割り・・・局単位ではなく、これが、横の連携ができたりすれば、どこそこでは、飲酒運転を、どこそこでは、金利問題を・・・とやれば、繰り返し、表面的なことばかり報道することもなくなりますし、時間も多くさけますし・・・

「資本主義だからしかたがないじゃないか・・・」とこういうことを言いますと、反論してくる人がいますが、そういう人は、この世に、資本主義と共産主義しかない、と思っている場合が多いように感じます。
 
つまり、資主義だからしかたがないじゃないか、という言葉には、資本主義そのものということに加えて、「じゃあ、共産主義になっても良いのか?」という意味も意識的にも無意識的にも含まれているように感じます。

それも、〇×式の教育のせいかもしれませんが・・・

資本主義でも、協賛主義でもない社会体制、というものは、作ればいくらでもありますね。

横の連携もできて、それでいて、今の状況を引き継ぐため、ある程度個人の努力も査定、評価され、しかし、賃金という意味では、みな大きな差がなく、できるだけ、その人がやりたいことを、競争なく、できるような体制で・・・

比べる、ということは、全てが悪いことではなく、何かを学んだりする時には、比較対照するものがあったりすれば、それによって、そのものの特性も分かったりもしますし、人同士でもいろいろなヒントを得られたりもします。

しかし、それが、「人より、より多くのお金を稼ぐことが、立派なことであり、それに勝る評価はなく、お金のためになら、相当な非宇宙の理なこともしてもよい」というような概念と結びつきますと、困ったものですね。
 
つまり、比べる、ということは、違いが分かる、ということであり、その違いに対して、優劣をつける、ということではない、ということである、ということでしょうか。

 
また、比べる、という方法を使う時には、それによって、自らの自由を狭めてしまうような使い方はしない方が良い、ということも言えるのかもしれませんね。
きっと、逆に、自由の幅を広げるために使うべきでしょうし、そうなりますと、比べる、ということの意味合い、方法も違ってくるかとは感じます。
 
ちょっと抽象的のは、そろそろ時間切れだからです(笑)。
 
みなさんは、どう思うでしょうか?








さて・・・・・・
また朝ですが・・・

 
なんでも、安部さん、大学を9月入学にして、4月〜9月までボランティア活動をすることを義務化しよう、ということを考えているようですが・・・テレビでは、「国がボランティアを義務化することは、ボランティア活動の定義がはっきりしないことなどもあり、反発が予想されます」と言っています。

どうでしょうか?
ボランティア活動を義務化というのは、そもそも理論的矛盾がありますよね(笑)。
辞書は引きませんが、おそらく、「無償で世のために奉仕をすること」のようなことが書かれているのではないかと想像します。
ただ、辞書がどうかは知りませんが、そこには、「自発的に・・・」という意味が込められていなければなりませんね。
これが、「法律で、強制的に無償で世のためになる特定の活動をやらせる」となりますと、それはボランティアでもなんでもありませんね。
もちろん、何をするかは、自分で選べたにしてもです。

 

良く世間で、ボランティア活動をすることが賞賛されるのは、「自発的に、世のためになるいくらか大変なことをする」という行動と、心に対してですね。

そういったことまで分からなくなっているとは、どうしたことなんおだろうか?と感じてしまいます。

そうではなく、小学校からの教育の中で、「人間として普通のことが普通に発想でき、普通に行動できる」ように育てる、ということであり、また、そういうことをしようとしている人が、普通にそういうことができる社会を作ることが大切なのだろうと感じます。

両方ですね。

いくらやる気があっても、仕事詰めで時間がなければそうはいませんし、それで仕事を休んでしまって不利益をこうむるなら、なかなかできませんし・・・などなどです。

おそらくは、「小泉さんの非人間的な政治とは違います」、ということをアピールするために、付け焼刃でボランティアということを思いついたのでしょうが、もともと、考え出す人の心が「普通の人間」ではありませんし、ひょっとしたら本心ですらないのかもしれませんので、しかたがないところなのかもしれません。

 

それと、9月入学というアメリカにあわせるという行為が気になりますね(笑)。
何か意図があるのかもしれません。
4月の桜の季節、という日本的なものを、排除しよう、とでもいうようなものなのでしょうか?


みなさんは、どう思うでしょうか?



飲酒運転で、「もっときびしく・・・」と言う人が多いですが・・・根本は教育なのでしょう。
要するに、「普通の人間」を育てれば良いのではないかと感じます。

要するに、多くの人が「普通の人間」ではなくなっているのでしょう。
ここで言う「普通」とは、「平均」ではありません。
「当たり前の人間」、という意味ですが・・・。

 

みなさんは、どう思うでしょうか?


 

で・・・
最近は、「あなたは味方だ」に、「あなたは、理解者だ」というのを加えています(笑)。
もっと、良いようです。


みなさんは、どう思うでしょうか?

 

で・・・
高次元的なことが、まったくありませんが・・・・・・



現在、左記の深野 一幸 さんの、
超科学書「カタカムナ」の謎―神代文字に秘められた「宇宙と生命」、驚愕の真相 (新書) 」
を読んでいます。

以前から「カタカムナ」については、興味があったのですが、船井幸雄さんの「イヤシロチ2」を読んで、気になっていましたら、たまたま行ったBOOK OFFで見つけました。

漠然とですが、書かれている宇宙誕生の様子は、岡田多母さんが書いていることにとても近いように思います。
もちろん、池田邦吉さんなどが書いている記紀にある様子とも似ていますが。

一応書いておきますが、私が「似ている」、「近い」と書く時は、「まねしている」、「盗作している」などというような意味はありません。
ある場合は、そういうように書きます。

「どうも、事実であるような直感がしますが、3次元的に説明するなら、かように、同じようなことを書いている人がたくさんいますので、ご紹介しますから、ご自分で感じてみてください」という意味ですね(笑)。

 

みなさんは、どう思うでしょうか?



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