*** メインコーナー *

**

旧理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー       

 

 

岡山市エリアガイド

無料カウンター


 

 

もくじ  下へ進んで行きます。過去の書き込みはもくじから読めます。
音楽や画像などを自由に入れたいのでブログ式にはしていません。

 



11月26日

 

さて・・・名古屋ですが・・・

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101126-00000018-jij-pol によりますと・・・
(引用)

河村市長、辞職再出馬へ=リコールの有効署名不足で―名古屋

時事通信 11月26日(金)8時32分配信

 名古屋市の河村たかし市長は26日、自ら主導した市議会の解散請求(リコール)で、有効署名が足りなかったことを受け、来月にも辞職し、出直し市長選に再出馬する意向を明らかにした。市長は同日朝、市内で記者団に対し、「責任を取る。改めて信を問いたい」と語った。
 河村市長はこれまでに来年2月6日投開票の愛知県知事選で、減税などの政策路線が一致する自民党の大村秀章衆院議員=比例東海ブロック=に出馬を要請。大村氏も出馬の意向を固めている。市長は「2人で名古屋、愛知を変えていきたい」と述べた。公職選挙法では、市長が辞職した場合などに50日以内に再選挙を実施するよう定めており、市長選と知事選のダブル選挙となる可能性もある。 

(以上)

ということです。

これはですね・・・詳しくないのですが、市議会議員が嫌がっているところを見ますと、相当効果的な方法のようですね・・・
もちろん、そうなったのには、愛知県知事選で、志を同じくする方の立候補が確実になったからのようですが。

有意の方々と普通の方々は、どう思うでしょうか?






 

http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20101125-OHT1T00160.htm によりますと・・・
(引用)

民放13社と電通がネットラジオ配信会社設立

 東京、大阪の民放ラジオ13社と電通は25日、インターネットを通じてラジオ番組を配信する「radiko(ラジコ)」を運営する株式会社の設立を発表した。12月1日から本格配信をスタートさせ、電通の岩下宏ラジオ局次長が社長に就任する。また、新たな配信エリアとして茨城、群馬、栃木、滋賀、和歌山の各県が加わる。

 岩下氏は「ピーク時と比べラジオの広告費は半減し、ビルの乱立で(電波が遮られ)聞こえにくくなっている」と現状を説明。「可能性のあるメディアが生まれた。大同団結して、ラジオ業界の復活を目指したい」と意気込みを語った。

 13社と電通は、地上波ラジオ放送の難聴取対策や、若年層の聴取拡大などを目的に、昨年12月に「IPサイマルラジオ協議会」を設置。3月から、首都圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)と関西圏(大阪、京都、兵庫、奈良)で試験的に番組配信している。

 参加ラジオ局については、来春までに在京・在阪以外の周辺にも拡大する予定。また愛知、九州、北海道のラジオ局による新たなネット配信サービス開始も今後検討していくという。

(以上)

ということです。
電通が入っているのが、なんとも・・・ですが・・・
いずれにしても、基本的には、テレビとあわせて他の方法でも広告収入を・・・ということでしょう。

あるいは、テレビ離れが進んでいますので、こちら側からも洗脳を・・・ということかもしれません。

ただ・・・昼間はAMラジを・・・若い方聞かないでしょうね?どうなんでしょうか?

深夜放送みたいなものは聴くでしょうが・・・
そうすると、ネット回線を夜中も付けっぱなしで聞くかどうか・・・私の世代の感覚では、電波だから聞く・・・というところがありまして・・・

また外国のネットラジオは聴くわけですが・・・それは選曲の感性とかがですね・・・日本人と異なりますので・・・感性というか、業界とのいろいろな結びつきでしょうが・・・それで聞く、ということ、
そして、まあ異国情緒を聞く、という感じがありますので、それがアドバンテージなのですが・・・

ラジオもテレビもですね・・・基本的には、同じ理由で、もう区切らないで日本全国の放送が日本中どこでも見聞きできると良いですね・・・
今テレビを見たいとしたら、私などは地方のテレビが見たいですね・・・・CMも含めてですね。
どんな商品をどんなふうに宣伝しているのか、その地方の人がどういうものを好んでいるのか・・・
各地方の特色・・・飾らない普段の特色ですね・・・

ただ、基本がCM料金を取る、ということでやっている仕事ですので、地方のCMを違う地方の人に見せても仕方が無い、ということでしょうから、どうしようもないですね。

ですので、むしろですね・・・ネットラジオと同じあり方ができるのは、テレビのネット放送で各地方のものを、そのまま見る、ということでしょうね。
これは私是非見たいですね・・・

「ああ、こんな家電量販店があってCMやってるんだ」とか、「ああこんなインスタント食品売ってるんだ」とか、「ああ、こんな放送が人気あるんだ、も白いな」とか、「こんな企業がCM出してるんだ」・・・ですね・・・
ありようはまったくもって、ハワイのネットラジをを聞いているのと同じで、相当昔からありましたが、ネットラジオはCMはなかったのですね・・・でも今はハワイのネットラジオを聴きますとCMが入る・・・CMは本当に面白くてですね・・・なにのどこを売りにしているのか?とかですね・・・自分の住んでいる場所と違う場所、自分と違う文化・・・旅情も異国情緒もありますが、それだけではないのですね・・・

何にしても、CM広告費が欲しい人と、面白いものが見たい人では、意見の一致はないですね。
できたらたいしたものです。

有意の方々と普通の方々は、どう思うでしょうか?


 


 

http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010112401000277.htmlですが・・・
(引用)

地デジ世帯普及率9割超に エコポイントが後押し

 総務省は24日、地上デジタル放送が視聴できる受信機の世帯普及率が9月末時点で90・3%となり、3月の前回調査から6・5ポイント上昇して初めて9割を超えたと発表した。ただ、9月末の政府目標である91%はわずかに下回った。

 エコポイント制度の延長などでデジタルテレビの販売が伸びたことが普及を後押しした。一方で、ビル陰などの受信障害対策で設置された共同受信施設の対応率は70・2%にとどまるなど、来年7月の完全移行に向けて課題は多く残っている。

 年収が200万円未満の世帯での普及率は前回調査から12・8ポイント上昇して80・3%となったが、依然として全世帯の普及率を下回った。都道府県別では新潟県の普及率が最も高く95・1%で、最低は沖縄県の78・9%だった。

 片山善博総務相は閣議後の記者会見で、目標を下回ったことについて「誤差の範囲で、目算に大きな狂いはない」と述べ、予定通りの完全移行に自信を示した。

2010/11/24 12:09   【共同通信】

 

(以上)


これはですね・・・おそらく嘘です。
出荷台数を世帯数で割っただけか・・・ワンセグ関連機器・・・携帯電話も含めてか?・・・を足した数字か・・・

たとえば・・・http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20100526_369660.html では
(引用)

地デジ世帯普及率83.8%で「目標を上回った」。原口総務相

−地アナの一斉停波テスト実施に理解求める

5月25日会見


 原口一博総務大臣は、25日に行なわれた閣議後の記者会見において、地上デジタル放送対応受信機の世帯普及数が3月に83.8%となったことを明らかにし、「当初の目標を上回った」と述べた。

(以上)

でして・・・この数字も多いと思いますが・・・7ヶ月くらいで・・・1億人いる日本で・・・7%も上がったと・・・ほお・・・格差のないいい社会ですね・・・


年収300万円以下が全体の4割で、200万円以下が1千万世帯を超えた日本ですが・・・
民主党の今の政権は信用なりませんね・・・

有意の方々と普通の方々は、どう思うでしょうか?

 

 

 


 

 

さて、森田健さんですが・・・
(引用)

 

もりけん
場が来ると、偶然から必然に変わる?
  
 いつも周りに起こる事は、偶然で成り立っています。
 ブルマの少女が現れたからと言って、偶然だと考えられます。
 
 ところが、「場」が来ると、偶然から必然に変わるのではないでしょうか。
 それも、偶然を装った必然です。
 
 コインが良い例です。
 私が六爻占術を否定し続けたのは、コインは偶然に落ちると思い続けたからです。
 しかし、「場」が来れば必然に変わるとすれば、納得できます。
 
 単に電車に乗っただけで美人に会ったとしても、それは偶然でしょう。
 しかし、立川駅の現象は、ハッキリ言って「偶然を装う」を超えています。
2010/11/26 10:59:15
 
(以上)

ということです。
これはですね・・・私は以前・・・運命は偶然をよそおってではなく、必然をよそおってやってくるのではないか・・・と書きましたが、何となく分ります。

ウチにピアノがあったのは偶然なのですが・・・私の運命として必然的であったわけです。
これは・・・どこかで場を取ったのでしょうか?

確かにですね・・・妹がピアノを始める前から、いろいろやりたがる子供でしたが、しかし別にピアノを弾きたいと思ったことは一度もなかったのですね・・・でも私の知らないところで、妹量尾身で話し合いがあり、妹がピアノを始めることになった・・・時々ピアノの先生が来てレッスンをする・・・・

私はむしろその若いピアノの先生とお話をするのが好きで・・・妹のピアノのレッスンが終わるといろいろお話をします。
先生がロックをよく聞くといいますので、例のソニーのラジカセを持ってきて、FENかなにかを受信して、「先生、ほらロックやってる」とか言って聞かせたりします。

で・・・それから2,3年後でしょうね・・・ギターを弾き始め・・・小学校5、6年生くらいです・・・
ピアノに初めて触ったのは、中学1年生の時・・・
妹に分らないところを教わったりしてですね・・・
始めは、特定の鍵盤は特定の指でしか弾いてはいけないものだと思っていましたので、そんなことを聞いたりですね・・・
当時の私からしてみれば、家にピアノがあれば弾きだすのは必然であったわけです。

ちょうど、1人で留学の仕事を始めて、そのためにPCを買ってインターネットを始めて・・・・そうすると自分のサイトを作るのは必然であった・・・と同じように・・・

要するに決まっていた運命ですね・・・
そう、正確には、私の書いたのは、「決まっている運命は、必然をよそおってやってくる」・・・

しかし、運命変更においても、その瞬間というのは必然をよそおう、と言えるでしょうね。
必然でないと行動しませんので。

例の中学生の時のタクシーの件は・・・タクシーの運転手さんが3千円出して、とっとこ行ってしまったのですね・・・で必然的に受け取る・・・受け取った後で、「ああレコード買える」となるわけでして・・・
変な子供でしたので、タクシー運転手さんがごねたりしたら「ああ、いいですよ」とか言った可能性もあります。
もちろん大人になれば、「タクシー運転手さんがそんな些細なことでも事故ったりしたら、食い扶持がなくなってしまう。人によっては、何万円も要求するかもしれないし、出すかもしれないな・・・」などヨコシマな考えも浮かぶかもしれません。

でも、子供ですので・・・相手がお金を出して、渡して、言ってしまわない限りは・・・受け取らないかもしれない、つまれい必然的に受け取った、ということですね・・・


ハワイのカイルア決定は・・・Nちゃんの胸の谷間(笑)・・・確かに全く当ての無い場所に行くよりは、あてのある場所の方がいいですが・・・それでも結構生真面目でしたので「ハワイは英語を勉強する環境としては、よくはないな・・・日本人もいるだそうし、発音もどうだろう?」と思っていましたので・・・

要は、Nちゃんがそこそこ好みでないと決定はしていなかったわけですが・・・ただ女性のタイプとしてはそれほど・・・私の的に100点満点の女性ではなかったのです・・・でも・・・胸の谷間の威力にやられたのでしょうね・・・
そういうことです・・・その意味で胸の谷間の形・綺麗さ100点満点で必然だったのでしょう(本当か?)。

有意の方々と普通の方々は、どう思うでしょうか?

 
11月27日

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101126-00001170-yom-bus_all によりますと・・・
(引用)

ペットに課税、飼育放棄防ぐ!?民主チーム検討

読売新聞 11月26日(金)23時31分配信

 民主党税制改正プロジェクトチームは26日、2011年度税制改正に向けた政府への提言案で、犬や猫などペットへの課税を検討課題とすることを求めた。

 ペットの無責任な飼育放棄などが、行政による処分費用の負担など「負の連鎖」につながっているとして、「地方自治体による登録制を導入して課金も行うことなども含め検討を提言する」とした。

 課税を通じてペットの適切な飼育を促し、税収を処分費用に充てることを想定している。民主党関係者は26日、「ペットは家族の一員という人が増えている」と述べ、課税には一定の理解が得られるとの考えを示した。ただ、ペットへの課税は今年度の税制改正論議で検討課題に上っておらず、11年度税制改正で実現するかどうかは不透明だ。

 過去には自民党も、動物を飼ってもすぐ捨ててしまう飼い主を減らすため「ペット税」導入を検討したことがある。

最終更新:11月26日(金)23時31分

(以上)

ということですが・・・
政治家は国を良くすることが仕事ではなく、税金を取ることが仕事になっていますので、いずにれしてもその内導入され可能性が高いですが・・・
一律は変でしょうね・・・
何でもなんでもお金に換算する現代ですと、おそらくペットの値段によってか税率を変えるのでしょうか・・・
自動車なんかと似ていますね。

 ペットの無責任な飼育放棄などが、行政による処分費用の負担など「負の連鎖」につながっているとして、「地方自治体による登録制を導入して課金も行うことなども含め検討を提言する」とした。

ということで・・・
正しいかどうかは別として・・・たとえば北方謙三さんのエッセイを読むと、北方さんの子供の頃は、猫の赤ちゃんは、海に捨てていたそうで・・・そうすると、トンビだか、鷹だかがやってきて、連れ去っていくんだそうです・・・
その話を友人にしたところ、「それはひどい話だ」と怒こられた、ということだったかと思いますが・・・確かに残酷ですが・・・

あるいは・・・昔は基本的には・・・昔と言っても江戸時代とかですね・・・基本的に台所で出る排水は川に流していたわけです・・・
染物も川で洗っていた・・・どうしてそういうことが不可能になったかと言えば、結局、川に流せないような化学物質、油などがそういったものに含まれる時代になりまして・・・戦後そのせいで川が汚くなり・・・今では整備されて川も綺麗になってきましたが、台所や向上から出る汚水がそのまま川に流せるように戻ったのではなく、処理方法が工夫された、ということです。

そもそも、川に流しても問題のない汚水であれば・・・処理施設などは必要ないわけです。


この2つは少し違う話のようではありますが・・・片方は残酷、片方は税金使って設備を作った・・・
なんというのでしょうか・・・本当に・・・「金さえあれば何でもできるけど、金がないと何もできないんですね、高学歴な人に政治を任せると」ということでしょうか・・・

つまり・・・いつかも書きましたが・・・金の使い方だけ知っている・・・それも価値の一つではありますが・・・
しかしもう、これからの政治家とかリーダーは、そういう能力だけではいけないのでしょうね。

「フランス料理食べたいな・・・」と問いかけて、これまでは、おいしいフランス料理やさん、安いフランス料理やさんなどを紹介してくれる人が良い人だったのですが、これからは、作り方を教えてくれる人・・・

病気でも、いい病院を教えてくれる人ではなく、治し方を教えてくれる人、病気にならない方法を教えてくれる人などが・・・必要な時代かもしれないですね・・・

それは何もお金が、というよりは・・・お金で解決できる能力などは、むはや能力とは言わない、というような時代は時流になってくるのかもしれません。
良く分りませんが・・・


有意の方々と普通の方々は、どう思うでしょうか?

 

 

http://sankei.jp.msn.com/world/america/101124/amr1011241411009-n1.htm などに・・・
アメリカの空港で、身体検査が厳しくなった・・・X線が発がん性があるので拒否すると、手で触られる、性器まで触られる、胸を触られて発見されると、病気治療で胸にパットが入っているのを発見されると「脱いで見せろ」と言われる・・・

ということで・・・アメリカは「テロ防止のために理解して欲しい」と言っているそうですが・・・

これは、もう国として崩壊していますよね?
人権侵害も超えていまして・・・今の時点で越えていますが、これでテロが起きたら、どうするのでしょうね?
飛行機の使用禁止ですよね?

テロをどうしても成功させたいと思ったら、飛行機が使えないのなら、次は電車、次は繁華街・・・でそれに対しても全部同じように身体検査していく・・・鎖国するしかないでしょう?
金融業でGDP100%にする予定ならOKなのでしょうが・・・そのつもりでしょうか?

何度も書いていますが・・・熊をいくら殺しても、意味が無いのですね・・・
森に熊野エサがある環境に戻さなくてはいけないのです。
その内今度は熊がいなくなって、また違う害が出てくるのでしょう。

これもですね・・・すでに・・・武器の持ち込みをゼロにしようとしすぎて、害が出ています・・・本当はテロのない世の中にしなくてはいけなかったのに・・・
テロの原因?
ひとつは、シークレット・ガバメントが自作自演のテロをやっていること、ひとつは、資本主義のお約束ごとである搾取を自国・他国から行った結果、などなど・・・
基本的には、シークレット・ガバメントの世界統一政策とその支流である資本主義の末路ですので・・・
ここを見直さない限りどうしようもなく・・・
それができないのなら、飛行機は使えない、アメリカは国家として機能しない・・・
ということですね。

熊の問題も根は同じで、どうして森にエサが無いかと言えば、資本主義のせいなのです。
なにしろ初めが・・・森を切り開くために、森の精霊を邪悪なものとしたり・・・そもそもが自然破壊主義=資本主義だったわけですので、きちんと目標通りになっている、
同時に、資本主義≒個人主義、利己主義ですので、これもまた、望み通り、国家破綻に近づいています。

有意の方々と普通の方々は、どう思うでしょうか?





佐々木功さんがラジオでに出ていまして・・・準レギュラー化していまして、とても音楽に対して深い知識と教養があり何度か聞いていますが・・・
それと、あれです・・・奥さんが、チャーリーズ・エンジェルのジャクリーン・スミスの声優さんですので(笑)・・・中学生の頃、毎週楽しみに深夜見ていました・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%95%E3%81%8D%E3%81%84%E3%81%95%E3%81%8A によりますと・・・
(引用)

私立暁星小学校、私立武蔵中学校・高等学校卒。親からは当初、東京大学への進学を望まれていた(祖父は東京大学出身、父親は早稲田大学出身)[1]

高校時代より歌手として活動し、1960年エルヴィス・プレスリーの日本語カバー『本命はお前だ』でロカビリー歌手として本名でデビュー。
雰囲気がプレスリーに似ていたことから和製プレスリーと呼ばれ、草野昌一には「単なる真似ではなく、もって生まれたもの自体が(プレスリーに)似ている」と評されている。
一方、デビュー当時マネージメントを担当した
堀威夫の著書には「デビュー時の歌唱力はとても人前で披露できるようなものではなかった」と評されており、本人も当時の歌い方に対しては、「気持ち悪い」「プレスリーはこんなに酷くない」など厳しい自己評価をしている[2]

ロカビリーブームが去った後は不遇の時代を迎えたが、この時期に俳優業をこなす傍ら、歌唱を基礎から地道に勉強し直したこと(島田歌穂の父から指導を受けていた。)が、後の飛躍へとつながる。

1972年に声優として、タツノコプロ製作のアニメ科学忍者隊ガッチャマン』にコンドルのジョー役で出演。ガッチャマンの打ち上げの宴席において、余興のカラオケで主題歌を唄いこなしたことが評判になり翌年『新造人間キャシャーン』の主題歌担当に抜擢され、ささきいさお芸名アニソン歌手としてデビュー。芸名が平仮名になったのは、本名だと「(当時ささきが声優を担当していた)コンドルのジョーが歌っているように思われると困る」という理由によるもの。当初は『キャシャーン』の主人公である「東鉄也」名義にする案も挙がっていたが、ささきが拒否したため平仮名表記に落ち着いたまた、1965年発売の『ウェディングドレス』以来、約8年ぶりの新曲発表となった。

(以上)

以降、復帰し、今があるわけですが・・・
プレスリーに似ているかどうかについては・・・昔のレコードも十分似ていると思います。
それはいいのですが・・・不遇の期間がというか、レコードを出せない期間が8年もあったのですね・・・
こんなに歌のうまい人が・・・もっとも、その間更に歌を磨いていたようですが・・・

とてもですね・・・よくてですね・・・
今日も「雪が降る町を」を「難しい歌・・・」と表現していまして、なんともですね、歌に対して真摯な姿勢ですばらしいですね。


で・・・ウイキのささきいさおさんの項目に、草野 昌一さんという方登場していまして、それを辿りますと、渡辺美佐さんにたどり着きまして、更に、渡部晋さんにたどり着き、竹脇無我さんになり、そこから加藤剛さんに到着しました。

そうすると、加藤さんは、小石川高校の柔道部の主将だったということが分りました。
だからどうだということはないのですが(笑)。

そうですね・・・私の小中学校の頃の日本の二枚目は・・・テレビでは、竹脇さん、加藤さん近藤正臣さんとかですね・・・そんな感じでした。
昔のVTRを見ますと、今でも二枚目だな、と感じますが、それでも竹脇さんなどは、本当の自分とのギャップで相当苦しんでいた、とも書かれています。
むつかしいですね。
私など馬鹿ですので、そんなように思われたらすぐに有頂天になってしまいますが・・・まあ、そういう人はそう(二枚目だと思われるとか)はならないようでして・・・(笑)。

そう、加藤剛さんだったですね、平将門さんを演じたのは・・・すっかりどなたが演じたか忘れていましたが・・・とても良かったように記憶しています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%89%9B によれば・・・
(引用)

時には、テレビドラマにおいても歴史的評価の分かれる人物に挑んだ事でも知られ、1976年NHK大河ドラマ風と雲と虹と』における平将門役や、1994年の終戦の日、8月15日に放送された民放ドラマ『命なりけり』での東郷茂徳役がその代表的なものであった。特に前者では、怨霊・謀反人といった暗いイメージがつきまとう将門を、一本気で民に慕われた名君として、さらには先見性ある政治的ビジョンを持った好漢として演じた。後者ではラストで、日本もまた戦争の被災国であり、逆にアメリカの原爆投下の責任を問うという極めてデリケートな台詞を演じるなどし、話題となった。

大岡越前さながらの真面目で真摯な人柄で、映画評論家の田山力哉は、取材の際にジョークをぶつけると、その都度困ったような微笑で返されたと記している。犯罪者を演じることはあっても、残忍な悪人やダメ男にまで役柄を広げることはなく、常に自身の延長線上で演じるタイプである。

(以上)

ということです。


はじめ別に、ささきいさおさんのことを書こうとは思っていなかったのですが・・・書いてみますと、こう忘れていたことが思い出されまして・・・
こういうのをしてですね・・・「とにかく、やってみようと思ったことはやってみなさい」ということでして・・・
何が隠れているか分らない、というよりは、絶対に何かが隠れているわけです。

それをして偶然をよそおって決まった運命は訪れるであるのでしょう。

それほど大げさな話ではないのですが。


有意の方々と普通の方々は、どう思うでしょうか?





ちょっとだけ森田健さんですが・・・
(引用)

もりけん
クラス会から戻りました
 
 所在のわかった33人の中から19人が参加してくれました。
 出席率は50%を超えて、みんな三次会まで参加して、超楽しかった様子です。
 本当にやってよかったです。
 
 一次会は大きなだ円のテーブルでひとつの話題を共有できました。洋食のコースを食べながら、前からリクエストしておいた「自慢話」を披露し合いました。
 
 二次会は和食で、席替えを一度やり、2時間があっという間に終わりました。
 
 三次会は洋酒のバーでした。
 
 路上に列んで通行人にシャッターを押してもらいました。
 
「おい森田、毎年やろう」を連発されました(笑)
2010/11/27 22:48:58
 
(以上)

ということで・・・何かいいですね・・・
「毎年やろう・・・」は。


自慢大会なのですが・・・今忘れていたことが思い出されまして・・・本当に今なのですが・・・
私ですね・・・どうでしょう、20年くらい前でしたか、ラジオか本か何かで「自慢話をしあうと運がよくなる」というようなことを聞きまして、それ以来、そうしていたのですね・・・特に「はじめましょう」ではなく、私も自慢話をする、そして相手にもさせる、という流れを作るのですが・・・そうしますと、いいのですね・・・場もよくなるし、自分も気持ちいい、運も良くなる・・・
今思うとうまい具合に、そういう雰囲気に乗ってくれる人だけが回りに集まっていたということでもあるようなのですが・・・

で、それが普通になりまして、それでもいつの頃からか、それが通用しなくなったのですね・・・通用しなくなるとは、やたら自慢は無しに乗ってこないような人ばかり集まるようになった、というか、周りがそうなってきた・・・という感じでして・・・

但し今思い出すからそう思うのであって、その当時は、すでにそれが普通になっていましたので、特に自慢話しをしているつもりはなく、普通にしていただけなのですが・・・

それが、運なのか、それとも、周りの連中がおかしくなってきていたのか、私の話の内容が変化していたのか・・・
全部あるかもしれないですね・・・

ただ、自慢は話しているとですね・・・し合うのですが・・・本当に・・・気持ちよく、但し嫉妬は入ってはいけないのです・・・相当どんなつまらない自慢話を出しても、「へえ〜すごいね。俺はね・・・こうなんだ・・・」と誉めあうのですね・・・
学校を3年間休まなかった程度の話でもよいのです・・・習字の花丸でもいい・・・

どうしてこれができない環境になったのだったか・・・おそらくですね、例の上場企業だと思うのです・・・

自慢話ゴッコといいましても、実際はぜんぜん自慢にはなっていないんのですけどね・・・
双方ともに、もっとすごい人がいる、という前提で話しているのです・・・以前やっていた正しいやり方はですね・・・ですので半分「馬鹿のフリ」をどこかでしているけれども本当の話でなくていけない・・・というような・・・
逆に言うともっとすごい人がいる、ということを知っていなくては成り立たないのですが・・・そうでないと冗談が冗談でなくなる・・・それでも、そこまでものすごい知識が必要な話もしていなかったように思いますが・・・

果たしてどうでしょうか?


11月28日

例の工場で作る野菜ですが・・・

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101128-00000504-san-soci によりますと・・・
(引用)

広がる工場野菜 エコで新鮮、価格も安定

産経新聞 11月28日(日)9時12分配信

 
拡大写真
店内の植物工場設備内で栽培されている野菜。収穫ははさみで葉の部分を切り取るだけだ=東京都港区のラ・ベファーナ汐留店(写真:産経新聞)

【現場発 ニュースを見に行く】 施設内で効率的に野菜を栽培する植物工場が注目を集めている。店内で栽培し、その場で新鮮な野菜を提供する“店産店消” の店も登場した。コストがかかり露地物より割高になることが多いが、猛暑の影響で10月に野菜が高騰した際は、工場野菜の方が安くなる“逆転現象”も起こった。肥料や水などの資源を無駄なく使えるため、環境にも配慮した「未来の産業」として期待が高まっている。(油原聡子)

[フォト]社員食堂に野菜工場設置の企業も

 ■まるでインテリア  今春オープンしたイタリア料理店「ラ・ベファーナ汐留店」(東京都)。店に入ると、正面に小型の植物工場が設置されていた。高さ約2・3メートルのケース内には、幅約5・3メートル、奥行き70センチの棚が5段重ねられ、レタスなど4種類の葉物野菜が蛍光灯の光の下で、水耕栽培されていた。薄暗い店内の中心で、青々とした葉が光り、まるでインテリアだ。

 レタスの成長速度は露地栽培の3分の1の約30日。主な作業は週に1回程度、水を換えるだけという手軽さだ。店で使う半分を無農薬で栽培、毎朝約60株を収穫している。1年で2万株収穫可能だ。店内で栽培したレタスを使ったサラダを食べていた千葉県柏市の男性会社員(31)は「工場で野菜を作るなんて未来のイメージがある。柔らかい食感で、味もおいしい」と満足げだ。

 同店では、生産者の顔が見える「安心安全」の側面から植物工場を取り入れたが、マネージャーの大島力也さん(44)は「10月に猛暑の影響で野菜が高騰したとき、レタスの値段が3倍から4倍に上がったが、店で作っていたから影響は少なかった」と話す。光熱費などはかかるが
「通年で見れば畑の無農薬野菜よりやや高いくらいでは」。

 ■環境負荷少なく  植物工場は、太陽光を使わずに完全人工制御する「完全人工光型」と、太陽光を使うが雨や曇りの時に照明や室温制御を行う「太陽光利用型」がある。
土壌を使わない水耕栽培が一般的で、基本的には無農薬だ。

 工場野菜に詳しい千葉大学の池田英男客員教授(62)=施設園芸学=は「生育環境をすべて制御するのが植物工場。少ない資源で効率よく生産でき、環境への負荷が少ない」と話す。現在は葉物野菜が中心で、露地栽培に比べて汚れがほとんどない分、無駄に捨ててしまう部分も少なくて済むという。肥料を効率的に吸収させることが可能で、水も循環利用できる。店産店消なら輸送コストもかからず梱包(こんぽう)資材も必要ない。何もしなければ味は薄めになるが「栽培次第で味も栄養素も調整できる」と池田教授。

 課題は採算性だ。施設建設費や運営費などがかかり、露地物より割高になることも多い。ただ、年間を通じて値段が一定となるため、野菜が高騰すると露地物より安くなることもある。工場産のサニーレタスを使用する焼き肉チェーン店「叙々苑」(東京都)の担当者は「天候に左右されず、1年中、安定した価格で仕入れられるのがメリット。農薬を使っていないし、露地物と比べて異物がほとんどないので使い勝手が良い」と話す。池田教授は「大量生産と機械化でコストが削減できればビジネスとして成り立つ」と指摘する。

 ■
海外や南極でも  植物工場は海外にも広がっている。池田教授によると、オランダは太陽光利用型の植物工場先進国。野菜だけでなく、花木も工場で栽培するのが主流だ。作業時には栽培棚が動くため、通路のスペースもほとんど必要なく、工場内の空間を有効利用し、大量生産を実現している。ハウス環境の改善やコンピューター技術の向上も進んだ結果、1970年ごろにはトマトの千平方メートルあたりの収穫量が年間約20トンだったのが、2000年ごろには約60トンと30年で3倍になったという。

 環境の厳しい南極にも設置されている。国立極地研究所によると、南極の昭和基地では野菜栽培設備として1基が稼働、レタスなどの葉物野菜を栽培しているという。担当者は「基地での食事は、基本的には冷凍食品が中心。新鮮な野菜が食べられるのはありがたい」。

 人工光での栽培技術は世界的に日本が進んでおり、経済産業省では中東諸国への輸出を推進している。三菱化学(東京都)は、今年からコンテナ型の野菜工場の販売を開始した。レタスなら1日50株、年間1万8千株が収穫可能だという。中東・カタールの実業家に1基納入が決まっている。中東諸国を中心に、ロシアやオーストラリアからも問い合わせがあるという。 

 ■企業も熱視線  農林水産省によると、工場野菜が比較的多いレタスでも市場流通は1%に満たないが、企業の参入が進んでいる。食の安全や食糧自給率の問題を背景に、低コスト化と製造技術の向上が急速に進んでいるからだ。矢野経済研究所(東京都)によると、植物工場の平成20年度の新規工場建設市場の実績は16億8千万円だが、平成30年度には100億円を超え、平成32年度には129億円の規模に拡大すると予測している。

 日本サブウェイ(東京都)も植物工場に積極的に取り組んでいる。併設店を7月に都内にオープン。10月に初収穫を行った。大阪府立大学と植物工場の共同研究も開始し、来春には、店舗で使用するレタスの全量をキャンパス内で生産する“学産学消”の店舗を開店する。

 培った技術力を生かそうと建設業など異業種からの参入も多い。ラ・ベファーナ汐留店に植物工場を販売した電通ワークス(東京都)の本業は不動産仲介だ。同社には老人ホームなどからも問い合わせがある。経営計画部の津倉尚子さん(46)は「新たな雇用や新規事業を求めているようです。低コスト化が進めば一気に普及するのでは」。

 山梨県の運送会社「山梨通運」では今年の4月から、使っていなかった倉庫を利用して植物工場を始めた。リーフレタスを栽培し、1日60株を収穫。地元の直売所やホテルに納入しているという。同社の定年は60歳だが、大型トラックの乗務は55歳までだ。担当者は「社内で再雇用の受け皿を作りたかった。栽培もマニュアルがあるので失敗はないです」。現在は再雇用のスタッフも含めて4〜5人が栽培を担当しているという。砂漠や寒冷地という自然環境に関係なく、野菜の栽培が可能な植物工場。農業の後継者不足や食糧危機など、人間の未来を変える可能性が秘められている。

(以上)

ということです。

素晴らしいですね。
特に野菜を育てられない地域ですとか、極寒の基地などには最適ですね。

ただ、普通の場所は、本当は、土で野菜を育てるのがいいのだろうとは思います。
但し、今後、何らかの自然の変化があるとしたら、この技術はその時本当の威力を発揮するかもしれないです。

フリーエネルギーと組み合わせれば、半永久的に野菜を作り出せることになりますので、今後の可能性は相当大きいですね。

思うに・・・ネギとかカイワレ大根は、上の方を切り取っておいておくとまた伸びてきますよね?

ああいう種類の野菜もこのような方法を取れば、より簡単に新鮮な野菜を採ることができるようになるのだろうと思うのですが・・・
そういう発想はないのでしょうか?

それと・・・果物でこういうことができたらすごいですね・・・そう簡単に実のある果物と言うのは聞いたことがありませんので、なんともですが・・・

いずれにしても、きっと栄養的・霊的には、太陽を浴びて土で育った野菜の方がよいのでしょう。
併用が最適なのでしょう。

有意の方々と普通の方々は、どう思うでしょうか?




 

さて・・・副島隆彦さんhttp://www.snsi.jp/bbs/page/1/ ですが・・・先達ての北朝鮮関係です。
(引用)

[133]北朝鮮・韓国砲撃合戦 への ブレジンスキーの自署記事(戦略論文)を載せます。これが最高度での現状への理解です。
投稿者:副島隆彦
投稿日:2010-11-26 07:56:23


副島隆彦です。  3日前の11月23日に起きた 北朝鮮・韓国の砲撃合戦(こういう砲撃は割とよくやっている。中国と台湾の馬祖=ばそ=島でも。ただし民間人は死なないように撃ち合う) のことを受けて、書かれた重要な 戦略論文(新聞記事)を、載せます。

この記事(小論文)を読むことが、事態への、最高度の理解となります。

書いたのは、スビグニュー・ブレジンスキーという世界戦略家(ワールド・ストラテジスト)です。 ヘンリー・キッシンジャーと同格の大物のアメリカの軍事・外交の戦略家です。 この ふたりが、昨年(2009年1月)のオバマ政権発足の直前の1月初旬)に、北京に飛んで、「今後は、G2(ジー・ツトゥー)で世界を管理してゆこう」という世界戦略を決めたのです。

G2 とは、もちろん、アメリカと中国です。
 それが、少しうまくゆかなくなった、とブレジンスキーは、以下の文で少し、本音で溢(こぼ)しています。

副島隆彦が日本の国家戦略家として、彼らの即席・緊急の論文を分析するといろいろなことが分かります。 ブレジンスキーでも、3月23日の韓国・哨戒艦(しょうかいかん、潜水艦攻撃用のデストロイヤー)沈没(誰も撃沈とは書かない。お笑いだ) 事件を、北朝鮮のせいにする、という謀略政治に故意に加担するのなだ、と やや、失望します。

それでも、ブレジンスキーは、元祖ネオコン(第一世代の米民主党系ネオコン、スクープ・ジャクソンらと)なのに、今の第3世代ネオコンが、大敗したはずの、イラク、アフガニスタン戦争にも、まだ懲りず、次に、無謀な、極東(ファー・イースト)での戦争を仕組んで仕掛けようとすることに対して、強く牽制(けんせい)していることが良く分かります。

以下の記事(小論文)をじっくりと5回ぐらい読むといいですくだらない日本国内の、頭の悪い人間たちの解説記事や文章など、読む必要はありません。 彼らは、ただの属国泥棒(人まね)学者・言論人たちです。


以下のズビグニュー論文を、翻訳してすぐに私にも送ってくれたのは、私たちの学問道場の研究員のひとりです。 彼が、何かに遠慮して、ここに貼り付けてくれないので、私がやります。

スビグニューは、「グランドチェスボード ユーラシア(大陸)の地政学」(つまらない変な書名で、日経新聞から翻訳が出た) の著者であり、この大戦略論文 を 下敷き(青写真、ブループリント)にして、2001年からのアフガニスタン侵略戦争 と 2003年からのイラク戦争を アメリカは始めたのです。きわめて良く書けている本です。

 「地球をグランド・チェスボード、すなわち、大きな碁盤(ごばん)の目に見立てて、ユーラシア大陸を、アメリカの世界支配用に切り分けてゆく」 という構想で書かれている論文です。中央アジアのキルギスや、タジキスタンなどのことも実に正確に書かれていました。

ブレジンスキーが、以下の文で、 a state 「ある国」が、中東(ミドルイースト)でアメリカの言うことを聞かないから、それで仕方なく 極東(ヒガシアジア)で、戦争を仕組まなければいけなんじゃないか、と、「ある国」すなわち、イスラエルに あてつけの 怒りを表明しています。ここで、私は大笑いをします。 「あんたらも、大変だなあ」と、私は、自分も目先の仕事を抱えて大変ですけど、ポツリと言ってしまいます。

スビグニューの以下のFT(エフ・ティー、英フィナンシャル・タイムズ紙)への自署記事(戦略論文)を、じっくりと読みなさい。そうすれば、世界が、どのように動いているのが、分かるようになります。

 幕末の英国外交官で、戦略家のアーネスト・サトウが、横浜の租界地で、ぽろりと書いた英文記事が、「英国策論」と訳されて、それを、幕閣(老中たち)や開明派の大名、討幕派までが熱心に読んで、それが、坂本竜馬の「船中八策」になったのです。  そういうものですよ。

副島隆彦拝


(転載貼り付け始め)
 
( N研究員の文章と、翻訳文)

・・・・それでは、以下、私が急ぎで、おおざっぱに訳しただけですので、多少の誤訳もあるかもしれませんが、大きな内容をつかんで頂けると思いますので、ご参照ください。

 この記事でアメリカの考え方が分かれば、こんどは、中国の要人たちが、今回の北朝鮮砲撃事件に対してどのような発言をしているかという記事を探して、また後ほど、ご紹介したいと思います。


(転載翻訳引用始め)

● "America and China’s first big test"

「アメリカと中国にとって最初の大きな試練」

By Zbigniew Brzezinski
(ズビグニュー・ブレジンスキー筆)

Financial Times(フィナンシャル・タイムズ)

November 23 2010(2010年11月23日)

http://www.ft.com/cms/s/0/a7d6c130-f73e-11df-9b06-00144feab49a.html#axzz169yEZ8F3

We are faced today with the second provocative warlike act committed in recent times by North Korea.
The first of these, the torpedoing of a South Korean warship,was covert: the origin was deliberately disguised.
But the consequences were overtand painful. This current action is clearly overt.
The origin of Tuesdays attack is identified beyond a shadow of doubt. It is an outrageous action that could qualify even as an act of war.

 私たちは、今日、北朝鮮による二度目の挑発的で実戦のような攻撃に直面した。最初の攻撃であった韓国軍艦への魚雷攻撃は、秘密裏に行われた。
その発端は意図的に隠されていた。しかし、その結果は明らかであり悲痛なものであった。今回の行為は明らかにおおっぴらである。火曜日の北朝鮮の攻撃の出所は疑いもないほど明白に突き止められている。これは法外な行動であり、戦争行為とみなされうる行為である。


This raises fundamental questions. If these actions are deliberate it is an indication that the North Korean regime has reached a point of insanity. Its calculations and its actions are difficult to fathom in rational terms.
Alternatively it is a sign that the regime is out of control. Different elements in
Pyongyang, including parts of the military, are capable of taking actions on their own perhaps, without central co-ordination. That is an even more ominous possibility.

 これは根本的な疑問を提示している。もしこのこれらの行為が計画的で意図的なものであったならば、北朝鮮政権は、すでに狂乱状態に至ったということを示している。
しかし、彼らの行動や目論みを理性的な観点で推し測るのは難しい。そうではなくて、北朝鮮政権がコントロールできない状況に陥っている兆候なのである。平壌(ピョンヤン)政府の他の部局は、軍部も含めて、中央からの統率がきかないまま勝手な行動をとれる状況にあるのか。これはむしろ、さらに悪い可能性である。

 So what is the world to do with a problem that has long vexed the major powers without a hint of resolution?
Here we enter another realm of uncertainty because it is increasingly apparent that we are dealing with a clash of two alternative historical perspectives between the two major powers indirectly involved and actively engaged, namely the US and China.

 それでは、世界の主要諸国が解決のヒントさえないまま長年悩まされてきたこの問題をいったいどうすればいいのか。
ここで私たちは、さらに不確定な領域に足を踏み入れることになる。
つまり、この問題を考えることは、アメリカと中国という2大覇権国の間にある、歴史的に異なるふたつの視点(見解)の衝突を扱うことになるからだ。このことは、次第にあきらかになってきている。


In the case of China we are dealing with a regime that is historically self-confident.
It perceives tectonic shifts in the distribution of global power as ultimately favourable to its prospects.
It senses its power is growing and this leads to a posture of great self-restraint, even passivity and reluctance to rock the boat.

 中国を考えるということは、歴史的にも自信を持った政権を扱うということだ。中国は、世界の権力配分が、最終的には自分たちにとって好ましい構造変化をするであろうという受け止め方をしている。
中国は、世界における自国の権力が増大していること感じている。そのため、かえって自制的な態度をとるようになっており、事を荒立てるのを避けようとさえしている。


The other major power concerned with these events – the US – is in a rather different historical phase.
Public discussion is increasingly dominated by the perspective that historical trends are against America.
And so Washington is preoccupied with the need to mobilise a collective response and is frustrated by the relative unwillingness of others to share with it cumbersome responsibilities.

 いっぽう、もうひとつの覇権国であるアメリカも、このたびの一連の事件に懸念を表明してはいるが、アメリカの場合、中国とは異なる歴史の段階にいる。おおやけの議論でも、歴史の潮流はいまやアメリカには不利な方向で対峙をしているという見解に独占されるようになった。
そのためワシントンは、集団的自衛権による反撃に出る必要があるという考え方に心を奪われている。
しかし同時に、他国がその重荷となる責任を分担したがらないことにいら立ちを感じている。


Making matters worse, America is bogged down largely alone in a prolonged decade-long misadventure in an area ranging from the Middle East proper to south-west Asia. More recently, some major US diplomatic efforts to bring peace to the Middle East were successfully defied by a state totally dependent on America.

 さらに悪いことには、アメリカは、中東本土から西南アジアまでの地域で、10年にも渡って続く地域紛争の災難にひとりとらわれたままである。
さらに最近では、中東に和平をもたらそうとするアメリカの主要な外交努力が、アメリカに完全に依存するある国によって完全に無視されてしまった。


In these circumstances there is a real risk we may find ourselves in a situation where the Chinese favour an under-reaction that will simply lead to further acts of provocation, and where America may be inclined to push for a response that the Chinese will see as a dangerous overreaction.

 こうした状況のなかで、もし中国があまり対応しないことを好むのなら、さらなる挑発行為を招くことになるだろう。そしてアメリカは、中国が好まないさらに危険な過剰反応を、北朝鮮に対して示す結果になるかもしれない。


It is important that President Barack Obama displays cool, firm and globally visible personal leadership in working with China and the other major parties in the six-party talks.
If I were back in the situation room in the White House asking myself what I would advise the president, this is what I would do.

 バラク・オバマ大統領は、冷静で断固とした、世界的にもアピールするリーダーシップを、中国や他の6ヶ国協議のメンバー国との会談の場で示すことが重要である。


The president has to take the initiative. Provocation of this kind cannot be dismissed lightly or left in the hands of diplomats. He should call President Lee Myung-bak of South Korea to reassure him personally and directly of US support.
Then he should call President Hu Jintao of China and express serious concern.
He should call Prime Minister Naoto Kan of Japan, as America ’s prime ally in the Pacific and given its proximity to the Korean conundrum.
He should also call President Dmitry Medvedev of Russia. Hillary Clinton, US secretary of state, should then follow up on these calls and set in motion convening the United Nations Security Council.

 オバマ大統領が、イニシアティヴを取らなければならない。このたびのような北朝鮮の挑発行為は、軽く流されてはならないし、外交官の対応だけに任せるようなことをしてもならない。
オバマ大統領は、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領に電話をして、彼が個人的で直接的なアメリカからの支援をすることを確認するべきである。それから、中国の胡錦濤(フー・チンタオ)首相に電話をして、非常に憂慮しているということを表明するべきだ。

 日本の菅直人首相にも電話をして、アメリカの太平洋における主要同盟国として、朝鮮問題に対処するアメリカの代理人としての役割を与えるべきだ。また、ロシアのドミトリー・メドヴェージェフ大統領にも電話をするべきである。そのあとで、米国務長官であるヒラリー・クリントンは、このオバマからの電話に続いて、国連安全保障会議の招集の準備を始めるべきである。


North Korea has been defiantly challenging the international community in a way that Saddam Hussein was not, at least overtly, and which the Iranians are not quite doing.
The Iranians are maintaining, maybe mendaciously, that they are not seeking nuclear weapons.
That is a different kind of challenge in which our response has to be the insistence that they prove their case.
The North Koreans, however, are defiant, boasting their nuclear prowess and now openly provocative.

 北朝鮮は、明らかにサダム・フセインさえもやらなかったやり方で国際社会への挑戦を仕掛けていることは明らかである。
サダム・フセインをも超えるようなやり方で、なおかつ、イラン人でもやったことがないような手法でである。
イラン人たちは、おそらく偽りであるが、核兵器を求めてはいないと主張し続けている。この場合は、彼らにその事実を証明するように強要し続けるという形で、北朝鮮とは異なった対応をするべきである。
しかし北朝鮮の場合は、大胆で、傲慢にも自分たちの核戦力を誇示し、いまや明らかに挑発的、挑戦的になっている。


One of the things we have to discuss in these conversations is the possibility of a selectively punitive embargo on North Korea in the area of high-tech and energy.
This would be a tempest in a teapot were it not for the fact that Pyongyang has nuclear weapons and some manifestations of insanity in the regime.

 この会談の中で話し合われるべきことのひとつは、北朝鮮に対するハイテクとエネルギーなどの特定の分野での懲罰的な輸出禁止措置を実施する可能性についてである。しかしこの対応は、平壌が核兵器を持っていて、その政権内が狂乱状態にあるということが事実でないのならば、ひと騒動になるだろう。


Critically, however, our approach to China should not be adversarial.
It is not in America ’s nor China’s interest to create massive popular hostility.
Governmental disagreements can be managed: they are the stock of international affairs.
But if you arouse public emotions, such crises become harder to control and dangerous.

 しかし、決定的に重要なことは、我々のアプローチは中国の意に反するかたちでは行われるべきではないということである。
巨大な民衆的な対立を引き起こすことは、アメリカの利益にも中国の利益にもならない。政府間の意見の相違は、管理・調整することができるだけの国際情勢の積み上げがある。
しかし、一般大衆の感情をかき立てると、そうした危機は制御することが難しく、かつ危険でもある。

A call from Mr Obama to Mr Hu should be a call between leaders who share a concern.
It should not be an American demand, nor an admonition. It should be an affirmation that our respective interests are endangered and so we have a common stake in an effective response.

 胡錦濤(フー・チンタオ)首相へのオバマ大統領からの電話は、おなじ懸念や利害を共有するリーダーどうしの会話となるべきである。
アメリカが中国に対して、何かを要求したり忠告をしたりするというものであってはならない。
それは、お互いの国益が危機にさらされており、私たちが効果的な対応をすることによって共有する利害がある事実を確認するものであるべきである。


The writer was US National Security Adviser from 1977-1981
筆者は、1977年から1981年まで米国安全保障問題アドバイザーをつとめた。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

((以上)


ということです。

それでも、ブレジンスキーは、元祖ネオコン(第一世代の米民主党系ネオコン、スクープ・ジャクソンらと)なのに、今の第3世代ネオコンが、大敗したはずの、イラク、アフガニスタン戦争にも、まだ懲りず、次に、無謀な、極東(ファー・イースト)での戦争を仕組んで仕掛けようとすることに対して、強く牽制(けんせい)していることが良く分かります。

ということで・・・どうも今政権に残っているネオコンの人達は、どうしても第三次世界大戦をしたいようです。
レプティリアンが当初計画した通りでもありますし・・・
先達て船井幸雄さん書いていましたが、こう経済が立ち行かなくなるとリセットするために戦争をしたがる性質もあるようですし・・・

それに対してアメリカにも、今は戦争するときではない、と考えている人もいる・・・
理由は定かではありませんが・・・
今中国と戦争をやってもアメリカには勝てないなのか・・・
同じような理由で、他の方法によって覇権を維持するような方法を取るのが得策である・・・なのか・・・
人道的見地なのか・・・

ただ、シークレット・ガバメント・・・レプティリアンの命をそのまま受けている連中は、別にアメリカが覇権国である必要はなく、自分達がその国を使って政界制覇をできる条件の整っている国ならどこでもいいと思っているようですので、その意味では、戦争になって中国が勝つということでも良いですし、戦争しないで、そのまま自然な形をよそおって中国が覇権国家になって・・・そして、中国の中枢に入り込み完全に操る、でもいいのでしょうから・・・
必ずしも戦争にならなくてもいいと思っているはずです。


とは言え、レプティリアンの本体はもう地球を離れていますので・・・以前のような超高次元的な成り行きで彼らの思い通りにものごとが進むということはないようです。

それじゃ、ネオコンは?ですが・・・この方達は、おそらくシークレット・ガバメントの本当の奥の院の人達ではないようですので・・・比較的単純な思考回路に基づいて、とにかく戦争を起こす、そうするれば軍需産業も儲かる、適当なところで中国、ロシアとも手打ちをして、日本とかそこら辺の国の領土をうまい具合に折半して・・・また戦後処理が始まって・・・また6,70年くらいは、左団扇で生活ができるだろうくらいに考えているのかもしれません。


でも随分第二次世界大戦の時とは状況が違いますよね?
今は主だった国は核兵器を持っている・・・持っているということは、落としたら落とし返されるのが前提・・・ということは使えないに等しい・・・日本人なら、相打ちでも正義のため、ということで、双方使用するということはするかもしれませんが、どう考えてもアメリカ人はそういうことをしないと思います。
ですので、無いに等しい・・・

地震兵器もあるようですが、これはロシアも持っていて、アメリカと双方の国に対して使用しないように、と約束しているようですが・・・戦争になったら、分りませんね・・・これもアメリカだけが持っているわけではない、ということです。

プラズマ兵器はアメリカは持っていて、すでに使用しているようですが・・・これも本当にアメリカだけなのか・・・
アメリカにできて、ロシアにできないことはあるのだろうか?
中国も同様ですね・・・

核兵器ですら、第二次大戦の時には日本でもほぼ完成しており、天皇陛下のお言葉によって使用しなかった、ということのようですので・・・

また、アメリカの国内ですね・・・今執拗に空港で囚人なみの身体検査を行ったりして、国民統制への慣れを浸透させようとやっきのようですが、もう、ネット時代でもありますし、さまざまな情報ももれてしまっていますので、「さあ、戦争だ」と言って、国民が納得するのか?疑問です。

日本は今のところ、もし戦争、となったら、するのかもしれませんが・・・
ただしたとしても・・・私も含めて徴兵された兵隊さんは使い物にならないと思います。
自衛隊の方々は、立派に仕事をすると思いますが。


で・・・それでも戦争をする・・・東洋で起こす・・・ということですと・・・本当に世界の状況を但し把握しているのだろうか?と疑問を持ちます。

戦争を起こすのは簡単なのだと思います。
アメリカと北朝鮮で内々に話を決めて、明日にでも韓国、日本へミサイルでも打ち込んで、その後にでも、北朝鮮が宣戦布告でもすれば、即戦争開始で、日本中にいるアメリカ軍が日本を統治でもして・・・そのまま戦争になっていく・・・
もちろん、その前に、反対派の政治家に対しての何かがあるのかもしれませんが・・・
そういうことは起きていないようですので、明日開戦ということはないでしょうが・・・

その意味では、いつかも少し書きましたが、事前に戦争になった時に、何をするかを、みんなで考えて決めておいた方がいいのかもしれないですね。

少なくとも、反戦派の政治家などが大挙暗殺されたり、逮捕、辞職するような事態が起きたら、何かの暗号だと思った方がよいでしょう。

ちゃんと郵政民営化の時には、事前に、そういう政治家の追い出しがありましたので・・・。
そんなに都合よく、辞めたりいなくなったりしないものです・・・何の人事でも。
都合よすぎたら、だれかが意図した、と思ってほぼ良いのでしょう。


 

今回の行為は明らかにおおっぴらである。火曜日の北朝鮮の攻撃の出所は疑いもないほど明白に突き止められている。これは法外な行動であり、戦争行為とみなされうる行為である。

 これは根本的な疑問を提示している。もしこのこれらの行為が計画的で意図的なものであったならば、北朝鮮政権は、すでに狂乱状態に至ったということを示している。
しかし、彼らの行動や目論みを理性的な観点で推し測るのは難しい。そうではなくて、北朝鮮政権がコントロールできない状況に陥っている兆候なのである。平壌(ピョンヤン)政府の他の部局は、軍部も含めて、中央からの統率がきかないまま勝手な行動をとれる状況にあるのか。これはむしろ、さらに悪い可能性である。

 北朝鮮は、明らかにサダム・フセインさえもやらなかったやり方で国際社会への挑戦を仕掛けていることは明らかである。
サダム・フセインをも超えるようなやり方で、なおかつ、イラン人でもやったことがないような手法でである。
イラン人たちは、おそらく偽りであるが、核兵器を求めてはいないと主張し続けている。この場合は、彼らにその事実を証明するように強要し続けるという形で、北朝鮮とは異なった対応をするべきである。
しかし北朝鮮の場合は、大胆で、傲慢にも自分たちの核戦力を誇示し、いまや明らかに挑発的、挑戦的になっている。


 この会談の中で話し合われるべきことのひとつは、北朝鮮に対するハイテクとエネルギーなどの特定の分野での懲罰的な輸出禁止措置を実施する可能性についてである。しかしこの対応は、平壌が核兵器を持っていて、その政権内が狂乱状態にあるということが事実でないのならば、ひと騒動になるだろう。


ですが・・・まず・・・金日成さんはですね・・・心が清いかどうかは別として、異常なまでに冷静で策略がうまく頭がよい政治家です。
誤解のないように書いておくと「いい政治家」とか「立派な政治家」とか「聖人」とかということではありません。
なかなかすごい戦国武将だ、ということです。
弱肉強食のシナリオに乗せたら、日本史に出てくる有名な戦国大名より優れているかもしれません。

ですので・・・半狂乱、コントロールからは外れている、統制が効いていない、は間違えていると思います。
全て、お見通しでのことでしょう・・・
というよりは、アメリカのどこか、あるいは、ネオコンのだれか、またはシークレット・ガバメントのだれか、と話が出来ていての行動だと思います。

副島さんの話と合わせれば、おそらくはネオコンなのでしょう。
戦争好きというか・・・その手段しか考えられないネオコンの方々と話ができていた、ということですね。

しかしこの対応は、平壌が核兵器を持っていて、その政権内が狂乱状態にあるということが事実でないのならば、ひと騒動になるだろう。


は、分りにくいのですが・・・輸入封鎖、兵糧攻めにすることは、北朝鮮がコントロールされた状況で合った場合は、ひと騒動につながる、ということですが・・・どういうことでしょうか?

北朝鮮の意図が分らずに、勝手なことをすると、かえって火に油を注ぐことになるよ、ということでしょうか?


いずにれにしても、先に書かれている「イランとは異なり」・・・を考えますと・・・北朝鮮・東洋に対してはこれまでのようなやり方を踏襲すると、ちょっと困った結果を招くことになるよ・・・ということを、この方は言いたいのかもしれません。
正しいと思います。

朝鮮戦争は日本を巻き込むことなく戦争できたわけですが・・・今北朝鮮とアメリカが戦争を始めたら、それは可能でしょうか?
当然中国も巻き込まれ・・・それは世界経済が即破綻することを意味しますね・・・中東との大きな違いでしょう。

そうしたらEUだって黙っていませんし・・・ロシアも出てきます。

場合によってはいい機会だから、アメリカを覇権国から失墜去れるためにこの機会を使おうと世界中が思い一致団結さえする可能性もあります。


分るのはアメリカはすでに一枚岩ではない、ということ・・・
第二次世界大戦の時のような力を発揮できる国でもないということ・・・
中国が経済という意味でも大きな意味をもっている国なっている、ということ・・・
中国をアメリカよりも大事にしようという勢力がシークレット・ガバメントにはいそうだな、ということ・・・
アメリカ国民にも真実を知っている人が相当数いるということ・・・
日本にもアメリカ不審を持っている人が多い、ということ、世界中にもアメリカ不審を持っている人が増えている、ということ・・・

これらは普通のことですが・・・
もっと高次元的には、おそらく宇宙人がらみもあるでしょう。
占い・・・聖書の暗号等で出ている結果も知っていることでしょう・・・

などなど、ネオコンの意図しているように、簡単に戦争は起こせない状況はあるのだと思います。

それでも油断しましたら・・・第二の竹中さん、小泉さんのような存在が日本は元より中国、韓国などで登場して世論を間違えた方向へ導くようなことが起きたら何が起きるか分りませんので注意ですね。

有意の方々と普通の方々は、どう思うでしょうか?



11月29日                          

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101129-00000083-san-soci によりますと・・・ 
(引用)

小中学生も「コピペ」時代 罪悪感なく…盗作チェックいたちごっこ

産経新聞 11月29日(月)7時56分配信

拡大写真
インターネット上には自由に使える読書感想文のサイトが登場。保護者の知らないところでネット空間は広がっていく(写真:産経新聞)
 文学や詩のコンクールなどで盗作が相次ぐ中、インターネット上の文章をそのまま写し取る「コピペ」(コピー&ペースト)が小中学生の間で広がっている。パソコンや携帯電話をパーソナルメディアとして使いこなすティーンエージャーにとって、コピペの罪悪感はうかがえない。読書感想文の“模範例”を紹介するサイトも登場しており、盗作チェックはいたちごっこの様相だ。(日出間和貴)

【写真】夏休み、子供の“SOS”に助け船 宿題代行サイト

 10月、前橋市が主催する詩のコンクール「詩(うた)のまち前橋若い芽のポエム」で、金賞作品が盗作であることが発覚した。盗作していたのは秋田市内の中学3年の女子生徒(15)で、ネットの投稿サイトからの盗用だった。コンクールの存続にもかかわる事態となったが、ネットを含めた膨大な作品群から盗作を見抜くのは至難の業という現実もある。

 文学賞やコンクールをめぐる盗作はプロアマを問わず、枚挙にいとまがない。最近はネットからの転用が増加し、低年齢化も特徴の一つだ。小学生のときから携帯電話やネットが身体化し、他人の文章を自由にコピペできる環境にあることも影響しているようだ。

 子供を対象にした創作コンクールの選考委員を務める児童文学作家、光丘真理さんは選考には細心の注意を払っているという。「このくだりはどこかで見た気がするとか、表現が大人びているとか、疑い始めるときりがない。今の子供たちは文章を自由気ままに操り、ネットにあふれる情報を引きながらリポートにまとめるのもお手のもの」

 ネット上にある「自由に使える読書感想文」というサイトは作品ごとに事例集を紹介している。学校提出用に限り、著作権フリーなどのルールを明記。サイトを運営するライターの恩田ひさとしさんは
「音楽でもスポーツでも最初はまねて、反復しながら上達する。すべての児童生徒にオリジナリティーを求めるのは無理」と話す。

 著作権法では本人やごく限られた範囲での「私的使用」であれば、著作権者の許諾なしに使用できる。ケータイ小説が浸透し、活字文化が変容していく昨今。光丘さんは「どんな良い文章を書いても借り物が肌身にしみるということはない。つたなくてもよいから自分らしく書くことが大事」と話している。

(以上)

ということですが・・・
大学生でもコピペが・・・とニュースでやっていましたが・・・

これはですね・・・私はいけない、とは言えないですね。

私ですね・・・小学生の時に2度感想文で賞をいただきましたが・・・
一度目は「坊ちゃん」で二度目は「路傍の石」でしたが・・・

その時・・・一回目は相当の部分を親にも手伝ってもらいましたし・・・
二度目は、五年生の時だったかと思いますが・・・2,3,4年生と毎年応募していましたので、要するに、その書くという作業が練習になって、やっと自分で書き上げて賞を頂いた、ということでしょうね・・・
その統治思いましたのは「感想文というのはどのように書くものなのだろう?」「評価される感想文とはどういうものなのだろう?」・・・でして・・・相当一生見目になって、感想文集のような本を探しましたが・・・でもなかったです。

あったら、もっと早くいい感想文がかけただろうな、と思いますよ・・・


ないとですね・・・そもそも感想文とはどういう書き方をするものなのだ?ということすら分らないのですね。

あるいはですね・・・賞をとっったいろいろな感想文も、ひょっとしたら大半は、何らかの感想文を書き写したものかもしれませんし・・・
ただ、その元を見つけることはできなかった・・・

今はネットという簡単なツールがあるので、コピペもしやすいが、元を見つけるのも容易である・・・ということであって・・・
しかしながら、そもそも、それは完全にいけない行為なのか?ですね・・・

そりゃ、まったくそのまま、写し取ったものでしたら問題あるかと思いますが・・・というより・・・そもそも今の日本の教育は、暗記、黒板を写す、なわけですので、それが正しいのなら何がいけないのだろうか?と思います。

もちろん、その賞というのが、単に青少年の本に対しての興味を高揚するため、とかそういうことではなく、賞金、名誉などがメインになっているものでしたら、地の理の世界では色々問題はあると思いますが・・・


とは言うものの・・・ばれるような写し方はどうだろうかな?だれそれの影響を受けてもいいので、丸写しはまずいだろう・・・あるいは、特定の文章を参考にするにしても、元がばれないように書き直す文書的テクニックを養うべきだ・・・とは思います。

真似ると言えば・・・
小説だってですね・・・まったくのオリジナルというのはありません。
音楽でもそうです。
なんでもそうです。

ジャズやロックの世界では練習法としてコピー・・・つまり、あこがれのアーティストの演奏を同じように弾ける様にする練習ですね・・・そういうことをします。

ただ音楽などでは、それをそのまま出せば当然、だれのどの演奏のコピーだと分りますので・・・なんですが・・・それでも、明らかに有名なだれそれを真似ている、影響下で作られている、演奏している、というものはあります。

演奏ですと、コピー演奏するだけでも・・・聞いている人は楽しいですし、それはそれでテクニックの必要なことですので、聞いているほうも楽しいということもあります。

プロレスの実況だってですね、古館さん以降のテレ朝のアナウンサーはみんな古館さんコピーです。

とはいうものの、世の中には、お互い見たことも聞いたことも無いのに似ている演奏のようなものもありますし・・・



仮に小学生がオリジナル料理コンテストをするとしたら・・・100中99、何かのコピーになるでしょう?
それはどこかで見たものや母親の影響などが出ているわけです。
感想文にしてもそうで・・・その真似る対象が増えた、ということですね・・・もちろん、そのまま全部コピーは関心はできませんが。

でですね・・・いいんじゃないですか?
この時代ならコピペでも・・・
もし、コピペをどうしてもダメ、とするなら・・・
開催そのものを辞めるべきか、審査委員がこの世で目に触れるすべての文章を頭に入れておくことでしょうね・・・


で・・・小学生のために、私が養った感想文の書き方ですが・・・
普通、いきなり書かせますと、始めに粗筋というか要約というか、そして最後にまとめの感想・・・のような文章になってしまいますが・・・そうではなく・・・基本的にはほんの粗筋などは書かなくて・・・

先頭にいきなり、大きな感想を持ってきます。
「〜ということに私は大きな衝撃を受け・・・でした」とかですね・・・
これで1〜2枚書いて・・・
次に、各論のような細かい感想、少し粗筋を書きますが・・・これは先頭の感想の説明、補足のような感じです。

そして最後には・・・感想ではなく、いわゆる「まとめの文章」のようなものを書きます。

この手法は、入学試験の小論文のようなものでも有効です。


1:とにかく、はじめに感想を書きます。
2:次に、感想の説明を書きます。
入試なら箇条書きが良いです。
3:そして最後に感想ではなくまとめ、を書きます。

初めからこのように書くつもりで文章を読みますと、読み終わったときには、あらかた文章構成は出来上がっていると思います。
これが全ての文章でOKかというと良く分りませんが、時間の限られている入試などには良いと思います。
私は小論文のあるテストが昔から大好きで大好きで仕方がありませんでした。



何か例をあげるとよいのですが・・・
詳細はまた次の機会に書いてみたいと思いますが・・・

たとえば・・・

1の結論または感想とは・・・

世界平和に最も必要なものは、西洋的な見地ではなく、日本式の和の精神であると思います。
全てのものに神が宿るという日本人似根ざした神道に基づいた発想は、宇宙・地球を含めた万物に対して謙虚であり、闇雲の自然を破壊して開発を続けるようなことなく、地球を自らの家、自然を自らの家族として捉えて行くことのできる本地となっていると考えます。

とかにして・・・

2の説明とは・・・

その理由として・・・
箇条書きなら・・・
1:江戸における完全リサイクル社会は、現在の先進国の各都市がお手本とすべき数々の工夫、技術が凝縮されている。
例として・・・・
2:日本だけではなく、ハワイの土着の宗教観のように、全ての自然に紙が宿るという発想を持っている地域では、王制の元、長い期間人民が安全に暮らすことのできる文明を築きあげている。
例を挙げれば・・・
3:・・・

とかですね・・・あまり良い例ではないですが、そんなことを書いていきます。


そして、最後に・・・結論は最初に書きましたので、何かまとめに相応しい文章をくっつけます。

資本主義経済が混迷を続け、共産主義の雄であった中国が今や資本主義の大きな一端を担うまでに変化した現在、もはや東西冷戦のようなイデオロギーの緊張によって、各国が見せかけの友好関係によりバランスを取るだけで済む時代は終わっています。
今後各国をつないで行き、バランスを保つ為に必要なものは、イデオロギーでも、お金儲け競争でもありません。
それは、地球中を見渡しても日本人にしかない和の精神と、敵あるいは道端の石ころにですら神が宿っている分りえる崇高な精神性だと思います。
そのような日本人の精神、心というものが世界に理解されるために尽力できる機会があることを私は熱望いたします。

とかですね・・・多少歯の浮くような感じでもいいですので、まとめ、として書くのです。

いかがでしょうか?

 

 

さて、森田健さんですが・・・
(引用)

もりけん 場には過去の場と未来の場があるのではないでしょうか?   
 普通に生活していると過去の場に支配されているのです。
 過去を、惰性として未来に流そうとしているわけです。
 
 ところが外応は、過去からの場の中に、未来からの場が進入する・・。
 
 これが切れ目無しに行われるわけです。
 とても不思議です。
 
2010/11/29 19:20:45

(以上)

ということで・・・
私も、とても不思議です。

で、そういうことで、今日は終わりに・・・というわけにも行きませんので、何か書きますと・・・

普通何でもそうで・・・過去からの積み上げなのですね・・・小説でも音楽でも・・・
絵とか写真は少し違っていて、瞬間がそこにあるだけなのですが・・・

音楽、小説は、起承転結というのがあるのですね・・・それは言ってみれば、過去からの積み上げです。
小説は回想法的な書き方をすると、今から始まって、今が結論で、その説明のために過去を描く、というようなこともありますが。
そう「路傍の石」はそんな感じだったかと思います。

音楽も大抵は、前奏、Aメロ、Bメロ、サビ、というような感じで、これも過去からの積み上げですが、それでもここ数十年は、いきなりサビで、前奏モドキ、Aメロ、Bメロ、サビ・・・というようなものも、一般的です。

何でも良いのですが、後で例を掲載しておきます。

私がさきほど書いた小論文や感想文の書き方も・・・通常とは異なっていて・・・いきなり結論ですので・・・これは起承転結的には、一番最後の未来を最初に書いてしまっている、ということですね。

でも、感想というか・・・延べよ、みたいな問題では、大抵始めに答えが出ていますので、それを先に書いて、その後、説明した方が、時間的にも文章的にもすっきりするように感じます。


でも、小説・・・過去というか・・・今から始めるものが多いような氣もしますね・・・・
「トンネルを抜けると、そこは雪国だった・・・」とか・・・・今手元に小説はほとんどなくてですね、精神世界の本ばかりですが・・・(笑)・・・
北方謙三さんもものは、ほとんど全て持っていましたが・・・あまりに運がおかしかったので、ひょっとしたら北方さんの危ない内容の小説が何十冊も置いてあるからかもしれない、と思いましてほとんど捨ててしまいまして・・・(すみません)・・・今、数冊しかないですが・・・その内一冊だけすぐ出てくるところにありますが・・・「草莽枯れ行く」というもので・・・出だしは・・・
(引用)
一両分の駒が置かれた。
「なんでえ、お侍」
「これで張ってみてくれ」
(以上)

で、これは清水野次郎長と相楽総三との会話で、賭場で相楽が初対面の次郎長に一両渡して、代わりに張ってみてくれ、と言っているシーンですが・・・

「今」から始まっていますね。

なぜか、この小説が手元にあるのですね・・・基本的には北方さんの現代もののハードボイルドが好きなのですが・・・
この小説は幕末の小説で、山岡鉄舟さんと中村半次郎さんの戦いなどもあります(586ページ)。
ちょっと西郷さんが悪者に書かれているのですが・・・それでも明治天皇暗殺のシーンなども出てきます。

で・・・小説は、今、過去、未来、という進み方をするのが多いかもしれません。

過去からの場の中に未来からの場が進入するとですね・・・話は書き易いですね・・・
未来が分っていて、過去が決まっていますと、今が書き安いからです。

未来が分っていなくて・・・成り行きで書きますと・・・それはそれで可能だと思いますが・・・細かい細工がしにくいかもしれませんね。

よくですね・・・曲を聴いていて・・・サビはいいけれども、なんだかAメロとBメロがやたらつまらない曲だな、と感じるときがあるかもしれませんが、きっとあれは、サビが先にできて、AメロとBメロを後でくっつけたものだと想像します。

これは小説とは逆(?)で・・・なんだかいいサビが出来た、これを1曲に仕上げよう・・・という感じで作った場合の失敗の部類だと思います。

この場合は、未来が分っているので細工がし易いかというとそうでもなく、あまりにサビ(未来)が良くて、しかもしっかりとした形をしすぎていますので、途中、や細工がしにくかったのでしょうね・・・

小説と曲で何が違うか・・・
絵に仮に起承転結があるとすれば・・・それは、描く前と出来上がった後でしょうか?それとも、始めに筆を入れた場所が起で、完成したものが結でしょうか?
写真は・・・?対象を探している時が起か、そして結は写真そのものか・・・

で、小説と曲・・・確かに違うのです・・・曲でサビが先に出来ますと・・・Aメロ、Bメロは、何かですね・・・少し間違えますと・・・脇役的でないといけない、と感じてしまうのですね・・・というか脇役なのですが、能力までサビより劣っていないといけない的な・・・ですね。

つまり・・・野球でクリーンアップがいて3,4,5番ですね・・・
3番は3番で100点がよくて、5番は5番で100点がいいのですが、そうではなく、3番と5番は、4番より劣っていないといけないような発想でAメロ、Bメロを作ってしまう、という感じでしょうか?
餅は餅屋で・・・元々役目が違うのですが・・・

それに対して・・・別に小説の専門家ではないですが・・・小説の起承転結は、何かそもそも、上記のような間違いが起きる可能性がないように感じます。

何となく分ってきましたが・・・サビは基本的に一番良い部分、一番人に受けなくてはならない部分ですので、「良くなくてはいけない」的発想になってしまうことがあるかもしれないのですね・・・

しかし、小説は人生の写しのようなものですので・・・別に最後が一番輝いている的なもいのではないことを分っている、とでもいうのでしょうか・・・この言い方では誤解がありますが・・・違う言い方をすれば、最後がハッピーエンドでもいいのですが、別に時の流れとして、過去も今も未来も特別違うものではない、ということですね・・・

曲はサビだけ違う意味を持っている・・・と・・・

で、だからどうだ、ということはありませんが・・・
何か参考になるでしょうか?

有意の方々と普通の方々は、どう思うでしょうか?

 




なんでも、朝倉慶さんhttp://www.funaiyukio.com/money2/index_1011.aspによりますと、来年の春には洋服が超高騰しているようですので、お気をつけください。


もくじ

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送