理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー

CDはたくさんあるのですが、なぜか、いつもこればかり聴いてしまうCDを紹介します。

 


 

300:写真はなし
   
   

さて・・・
神田昌典さんのメールですが・・・
(引用)

キーワード:
これからBOBO(ブルジョア・ボヘミアン)が増えてくる。
年収3000万円を超える彼らが、特別の存在ではなく、
当たり前にまわりにいる時代に入る。

解説:
歴史は繰り返す。
1920年代、BOBOは増えたが、そのほとんどが財を失った。

(以上)

ですが・・・
繰り返すなら、正にそうなのでしょうし、更に時間が短くなっている=繰り返しの周期が短くなっている、ですので、2012年に大きな戦争の可能性が少しだけでもあるとするのなら、上で言っている1920年というのは、何も世界大戦までの20数年後に起こるのではなく、6年以内、つまり5年後とか4年後とかに起こる可能性がある、ということですね。


で、いろいろ考えますが・・・
正木和三さんに起こったことがフラクタルで繰り返されるなら(笑)・・・
正木さんは、戦前何かの特許を取り、それで今でと言いますか、10年くらいまで(笑)で言うところの数千万円くらいの貯金があったようですが(数億だったかもしれません)、預金封鎖ですべてなくなってしまったようです。
戦後は、まったく特許は申請はするが、取らなかったようですので、今特許を持っている人も、ひょっとしたら特許で設けたお金というのは、なくなったりするかもしれないですね。


もしそれがあらかじめ分かっているのなら、今のうちに手放して良い人と呼ばれた方がよいのかもしれません。
もちろん、良い人と呼ばれる目的を持って行う行為だとすれば陰徳ではないですが(笑)、もしも、の話ですね(笑)。


さすがに原爆追悼の日だけあって本日は、昔は良くテレビで見られたように、「二度と戦争はしてはいけない」、「原爆など持ってはいけない」、「経験を継承していかなくてはいけない」という話を放送していました。

本当に以前は,別に特別な日でなくとも、こういった内容の番組を見ることができましたが、最近はないですね。
それは確かに、時間とともに忘れさられて行くということもあるでしょうが、何かが、放送させないような意図を持っているようにも感じますね(笑)。

一番のもとは知りませんが、2番目、3番目の方は、本当に支配階級とその他になったときに、支配階級にいられる保障はあるのでしょうか?

ましてや広告代理店やテレビ局のプロデューサーくらいの50番目、100番目の方々は、どうなのでしょう?

みなさんは、どう思うでしょうか?


そんな3次元的なことは実際どうでも良いのですが、高次元のことを多くの人が知れば・・・少なくとも、今知られている範囲内だけでも・・・少しはこういうことも変わっていくのでしょうね。


みなさんは、どう思うでしょうか?




ただ、昨日は広島で28歳くらいくらいのバーの経営者が自分の店で、開店前に、原爆体験を聞く会をもようしている、という番組がありました。

いいですね、こういうことは。
何でも、お年寄りから原爆のことを問われて、何も知らない自分に気が付いたようですが・・・
ただ、これは、若い人たちに何も知らないような状況を作った人にも3次元的な原因がありますので、彼ばかりは攻められませんね。

高次元的には、そこら辺は運命もあるのでしょうが。


ただ、こういう人が出てきているというのは、宇宙からの高い波動が振り注いでいることを実感させられて、嬉しいですね(笑)。




で・・・私は何ができるのでしょうか?(笑)
分かりませんね。
自然にまかせるしかないようです。
もちろん、始めに大きな意図、目的は持って良いようです。
そして、持ったなら全て忘れて、足元1メートル四方のみ見て進むのが良いようです。
そして、始めの目的が達成できたなら、それはそれで良し、
もし、始めの目的が達成できなくなりそうになったなら、”完全にあきらめて”、とにかく進んでみる・・・

ということのようです。
まあ・・・正木和三さんと森田健さんを足すとこうなるわけですが・・・



こう考えて生きますと、船井幸雄さんは、まさに、総合プロデューサー的ですね。
ご自身でも、いくつか神示のようなこともあるようですし、発見もあるのですが、それに加えて、そういう発見、情報、あるいはそういったものを得る人たちがたくさん集まってくる・・・そして、それを再構築していく・・・

これが岡田多母さんが言ったという「私はとうとう見つけました・・・」ということなのでしょうね。

私は応援していきます。
次のにんげんクラブミーティングが楽しみですね(笑)。
9月30日、10月1日です。
左横の、「セミナー にんげんクラブミーミーティング」で詳細が分かります。




ちなみに、岡田多母さんと正木和三さんはもっと多くの方に読んで欲しいです(笑)。

昔のフナイ・オープン・ワールドでの正木和三さんの講演記録などありましたら、CD化して欲しいですね(笑)。
ちなみに、正木さんの講演は、今でもサイトで聞けるはずです。
私はダウンロードしてCDに焼いて時々聞いています。
確かCD化もされていたかもしれません・・・少し前に見たら、そのようになっていたような記憶もありますが。
ADSLがつながったら、また確認してみたいと思います。








さて・・・・・・
サンディ・プロジェクトで、アメリカのウエルチさんという有名らしい経営者の方と田原さんのインタビューが放送されていましたが・・・
あまり良く見ていませんでしたが、それでも、比較的船井幸雄さん的な経営に近い方のようですね。

長所進展法を取っているように聞こえました。
「仕事のない部門を続けることは、仕事もないようなところで人を働かせたりして辛い思いをさせるので、早いうちに、止めてしまった方が良い・・・」というようなことを言ってしました。

但し、相当大きなリストラ・・・人員削減を行っているようですので、その意味では、船井さんと同じとは言えませんね。
やはりアメリカ人だからでしょうか?

解説の人が、「教育的経営を行っている・・・」と言っていましたが、船井幸雄さん的と言いたかったのかもしれませんね(笑)。







で、
先日の投資コンサルタント、経営コンサルタントですが・・・
連絡は取っていませんが(笑)、最後に妙味に私の言うことを納得していましたが、思いますのは、私は、終始、どんな複雑でむつかしそうな話でも、笑顔で話していました(笑)。
相手が怒鳴ろうが、なんだろうが、笑顔です(笑)。
但し、最後だけ、つまり・・・「時流は変わりました・・・」ですが、真剣な顔だったかもしれません。

その意味では、この人は、普通ですが、話している人の顔が、きつい真剣調の顔でないと、相手が真剣でない、と思っていたのかもしれませんね。
普通ですが・・・。

ここら辺は私には分かりません。
私はあまり真剣な顔をしますと、どんどんエスカレートしていきます(笑)。

これが私のやり方、ということですね。
そういうのは、付き合いが長くないと、理解しろ、というのは難しい話ですね。
「面白いやつだ」と話を聞きたがってくれたことを喜ぶべきでしょう。

みなさんは、どう思うでしょうか?





で・・・
引越しまして、大変良いところで嬉しいのですが、やはり焼き魚を100円で売っているようなお魚屋さんはありませんね(笑)。
別に100円でなくても構わないのですが、外食でも、焼き魚定食というのは、なかなか見つかりませんし、魚を食べるというのは、今の時代、奥さんがいて作ってくれないと、むつかしいのかもしれませんね(笑)。



食べ物と言えば、森田健さんの不思議研究所のサイトで、例の面相占いの達人が、カレー南蛮+辛子付き
を初めて食べた日本食として食して大変苦労したようだ、という話が載っていますね。


森田さんは、「あのような日本食でないものが、初めて食べる日本食となったなんて・・・」というようなことを書いていますね。

「さっぱりしたものを食べたいときに、うどん屋さんのようなところへ行く・・・」
ということですが、私は以前は、肉がないとどうしようもない人でしたので、うどん屋さんなどへ行きますと、必ず、カレー南蛮か、肉うどんでした(笑)。
しかも、それに、ご飯を付けたりします。
今はそうはしませんが(笑)。

それはそれで、良いのですが、カレー南蛮というのは、なんとも日本的ですね。
日本的と言ってもいろいろありますが、かつお、昆布ダシが日本的ならば、それを基本として、それにカレーでも、ミルクでもなんでも入れてしまう、取り入れてしまう・・・とは言え、日本に定着するためには、ちゃんと、かつおや昆布のダシが入っていないとだめ・・・

これは、日本人の根底に根ざしたものが、道教、神道で、それを踏まえて、仏教、キリスト教などでも、取り入れてしまう日本人のある面を似ているように感じます。


もちろんカレーライスはかつお、昆布ダシは入っていないでしょうが、おソバやさん、ウドン屋さんのカレー系統は、ダシが入っていますね(笑)。

私はあれが好きです(笑)。
もっとも、ここ10年くらい食べていませんが(笑)。


私など、スパゲティですら、レトルトカレーをかけたりします。
スパゲティを茹でて、カレーをかけるだけですが(笑)。
一時、カレーには牛肉が入っているな、どうしよう・・・と思ったことがありましたが、最近は、企業も私のような人を考慮したのか、野菜だけで煮込んだカレーというのを発売していまして、助かっています(笑)。



ただ、辛子は入れませんね(笑)。
さすがに。


あの不思議研究所に出てきた中国の空港の日本食レストランのカレー南蛮ですが・・・
考えてみますと、日本にインド(どうも正確にはイギリス経由らしいが)文化が入ってきて、それを中国に持っていくと、辛子入りになる、ということなのかもしれませんね(笑)。
教えた人が、「とにかくカレーは辛い・・・」とでも言ったのでしょうか?


でも、四川料理に比べたら日本の辛い、という感覚など本当は辛くはないですね。
それでも、辛く・・・と言うと、ああなるのかもしれません。

感じとしては、四川料理の何か・・・唐辛子系の辛いものでも入れた方が、味としては合っているように感じますね(笑)。

ある国の文化がほかの国に入る、ということは、何かこういうことなのかもしれないですね(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?





 

 

 

さて・・・・・・
やっとADSLが繋がりました。
久しぶりにダイアルアップしていましたが、気のせいか、ダイアルアップも昔・・・1990年代後半よりも早くなったように感じます。
どうなのでしょうか?

もう一つ思いますのは、ノートパソコンのキーボードが軽いのか、今討っているキーボードが重いです(笑)。

 

で、
コロラドからメールを頂きました(嬉)。
感謝いたします。

「森田健さん、船井幸雄さんの情報が入手でき、感激です・・・」というような内容です。

「分かりやすい説明をどうもありがとうございます・・・」
という言葉に感激です(驚&嬉)。
日本語ソフトがないようで、ローマ字でのメールです。
そこがまた、何となく嬉しいです。

今はインターネットで、それぞれの方々のサイトより情報はある程度入手できるのでしょうが、さすがに外国にいると、アメリカとは言え、なかなか十分な情報は手に入らないでしょうね。
第一、やはり、講演を行くのと本などからの情報だけとでは、ぜんぜん違いますね。

ひょっとして、一番違ったのは、副島隆彦さんかもしれませんが(笑)。
森田健さんは、ある意味、サイトにいるのと同人物ですが、副島さんは、相当違う印象ですね(笑)。
お酒ぐらい飲めるかもしれません(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

いずれにしても、嬉しいです(笑)。





で・・・
「丸投げ」がいけないと、ことあるごと言われていますが・・・どうなのでしょうか?
もちろん、任せた方が責任をまったく取らなかったり、一度もチェックをしなかったりするのは、いけませんが、「任せる」ということは、私は良いことだと思いますし、任された方も、何度か報告を入れ、分からなかったり、困ったことがあれば、相談する・・・ということをすれば問題がないわけですね・・・・

それをしないことが悪いのであって、「丸投げが悪い」と言う言葉は、何か、「管理国家構築」のための意図にすら感じてしまう時があります。

言いたいのは・・・つまり・・・任されると、いい加減なことを平気でする人間を育てたのは、一体なんだ?ということでしょうか・・・。

少なくとも、私の年代くらいまでは、まだ、「任されたからには、きちんとやらなくてはならない」というような発想をするのが普通だったように感じますが。


ですので、問題が、運命以外に・・・つまり3次元的にあるとするのなら、それは、丸投げではなく、だれも見ていなければ、いい加減なことをする人を作ってきた何か、ということなのではないかと感じます。

 

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

で・・・・・・
決められたことしかやらない人がどうした・・・とニュースで言っていたのですが・・・
何の話か、思い出せませんが(笑)。

それを聞いて思い出だしましたのが、また例の「男たちの旅路」ですが(笑)。

何とか言う巻きで、鶴田浩二が主任を勤める警備会社が警備をしている敷地のすぐ外の道で、女性が事件に巻き込まれたました。

その時間が確か、ガードマンが見回りをした時間と同時刻だったのだと思いましたが・・・

そこで、はっきり覚えていませんが、鶴田は
「決められた範囲がどうであろうが、規則がどうであろうが、すぐそばまで人が行ったなら、そこが決められた範囲外の場所であったとしても、真っ暗闇で危なそうな場所だと思ったのなら、少し見てみておいてやろう、と思うのが普通の人間なんじゃないのか?」
と言って叱ります。

私にとっては、これは、普通なのですが、みなさんは、どう思うでしょうか?

 

もちろん、やらない人のことは、分かります。
私はこの鶴田浩二さんの言うようにやってきましたが、それをやると、「余計なことをするな」と、怒られることの方が多いです。
親切をして怒られるくらいなら、「やらない方がいいに決まっている」というのが普通ですね。

一体、だれが、そういう日本人を作ったのでしょうか?
もちろん、私も日本人ですので、100%責任逃れをしようだなんて思いませんが。

東大生に聞いて見たいですね。







 

 

で・・・
何か高次元的なことを・・・(笑)・・・


左の写真は、昨年の、船井幸雄オープン・ワールドで、岡田多母さんからもらったサインです(笑)。
別に自慢のつもりで、出したのではなく(笑)、「スク」と読む、ということでしたが、「主苦」でしょうか?

「”ク”が入っているので、苦労しないように、ご活躍ください・・・」というコメントでしたが、”ス”は少しは良いことであるなら、是非教えて欲しかったです(笑)。
緊張して、そこまで頭が回りませんでした(固)。

 

みなさんは、なんと言う漢字に見えるでしょうか?


で、どうしたかと言いますと・・・どうもしないわけで、やはり最近本を読んでいませんので、インスパイアされる度合いが少ないのかもしれません(笑)。

で・・・中丸薫さんは、お父さんが、明治天皇と何とかの局とのお子さんで・・・ということのようですね。
来週くらいには、中丸薫さんの「にんげんクラブミーティング」報告を書き直そうと思っています(笑)。



どうも、私は女性に弱いようです(笑)。
対等とは思っていますが、言い争う気がまったく起きません(笑)。
守ってやろうとも思いますが、大抵私より強い(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

 

さて・・・・・
船井幸雄さんのサイトですが・・・特に「にんげんクラブ」ですが、現在、「にんげんクラブミーティング」の講演のCDを販売していますが、あれは、ネット経由のMP3ファイルによるダウンロード販売もするべきだと感じます。

そうしますと、外国からでも、簡単に購入し、聞くことができますし、また、日本にいる人にとっても、自分でCDに妬けば良いわけですので、安価でしかも、思い立ったその日の内に手に入ります(笑)。

できれば、船井幸雄オープン・ワールドの講演なども同様にして欲しいと考えますが、ただ、初めの契約とか、CDにした方が利益がある、とか、いろいろと考えなくてはいけないこともあるのでしょう。

是非、可能なものだけでも、ダウンロード販売にして欲しいと感じます(笑)。


また、有料でも良いので動画配信ですね・・・
船井幸雄オープンワールドは、別会場でのサテライト中継をしていたくらいですので、録画されたものもあるのではないかと想像しますが、どうなのでしょうか?

できるだけ多くの人に見てもらおう、というのであれば、きっとやってみる価値はあると思います。
マスコミ関係者だって、見るかもしれません。
政治家だって見るかもしれません。

ただ、クローズドな環境で人に見せる、聞かせる、という前提で出演した人もいるかもしれませんね。
あまりいないと思いますが、中には、オープンだと、少しまずい・・・という人もいるのかも(?)しれません。

いかがでしょうか?

 

みなさんは、どう思うでしょうか?


 

 



筑紫さんが夏休みから戻ってきたようで、「いつもよりテレビを見るようにしてみました・・・」というような発言をしていましたが(笑)。
感想を一言言っていたように思いますが、なぜか、記憶に残っていません。
なぜでしょうか?

 

で・・・・・・
さすがに本を読んでいませんので、高次元的なことが出てきませんが、仕方が無いので、料理かハワイか音楽の話を書く、というのが普通のパターンですが(笑)。





左記の本の中で船井幸雄さんが「貸し勘定で生きよう」と書いていますね。
224ページです。
「なるほど」と思います。

で、私を振り返ってみたのですが、確かに以前は「貸し」状態ですと、それなりに文句を言ってみたりもしていましたが・・・

それよりも最近気づいたのは、私は「借り」状態ですと、何とか借り返そうとして、あせってしまい、うまくいかないことが多かったかな・・・ということですが。
変ですね、相変わらず(笑)

「借り」ていると、どうしてか知りませんが、「申し訳なく」感じてしまいます。
あるいは以前は、エゴで、「借りてたまるか?」とでも思っていたのでしょうか?

思い起こしてみると、昔から人から何かを借りるというのが嫌いでした(笑)。
貸すのが好きか?と考えますと、別に好きでも嫌いでもないようです。

小学校の6年生くらいの時に、どうしてもガットギターが欲しくなり、当時同じ商店街にあった綿屋さんの息子さんが小野満とスイングビーバーズのメンバーでしたが、その人が昔使っていたギターを持っていて、「売るのは値段が着けられないので、無料で貸してあげる」と言ってくれたのですが、私は「借りるのは嫌だ」と言って、借りませんでした(笑)。

これは独占欲でしょうか?それとも、単純に理由無く借りるのが嫌なのでしょうか?

私はどうも、イーブンになっていないと嫌だ、という変な性格があるようです(笑)。

だから逆に、「貸し勘定」も嫌なのでしょうね。
ただ、どうしようもなく「貸し」は目に付きますので、「それでしかたない」とずいぶん前から思うようになっています。
その意味では、「貸し勘定で生きよう」と初めから思っていますと、変な不満も出ませんね(笑)。

ただ、同じように、きっと「借り」も多いのでしょう。
気づかないだけ、なのかもしれませんね(笑)。

 

みなさんは、どう思うでしょうか?






さて・・・・・・
思い出しましたが、ギターを貸してくれる、と言ってくれた綿屋さんの息子さんの兄弟は確か矢島なんとかさんという当時・・・きっと今でも・・・有名な声優さんだったように聞いたことがあります(笑)。

その後、映画に凝って、スクリーンだかロードショウだったか、何かの映画雑誌を購読していた頃、付録に声優特集が付いていて、「ああ、この人か」と思ったのを覚えています(笑)。

それだけなのですが(笑)。




で・・・・・・
プロレスの話です(笑)。
今日、新しい会社の同僚たちと帰りに居酒屋に寄りましたが、なんでも、あの新日の橋本選手がなくなる数日前、会社の近くの居酒屋で、橋本選手が酒を飲んでいるのに居合わせたそうです(驚)。
ですので、あのニュースの日は、「こないだ会ったばかりなのに・・・」
とびっくりした、という話をしていました。

一時期、新日プロレスの掲示板にばかり書いていた時期がありますが(笑)、なんとなく、嬉しいような、複雑な話でした(驚)。

蝶野選手は、いつか書いた通り、渋谷で握手しましたので(笑)、この後、武藤選手の話もどこかであるのかもしれません。
プロレスファンにしか分からない話ですみません(笑)。



で、別に、有名人自慢話を書くつもりではないのですが、この2つの話が急に目の前に現れましたので、躊躇なく書きました。
意図はありません(笑)。







さて・・・・・・・
森田健さんが、よく、「六爻占術には、”幸せ”という判断はない」と書いていますが・・・
もしそうなら・・・と言いますか、そうなんだな、と感じた上での話しですが・・・金運などの運命の流れの上下は決まっていながら、その状態を幸せと思おうが、思わなかろうが自由、ということですので、それはつまり、”感情は人に与えられた数少ない自由なのではないか?”と感じています。

なぜか、今日は朝からこのことについてばかり考えていたのですが・・・運と感情は別なんだな、というとりあえずの結論に達しています(笑)。

ごく簡単に言えば、お金持ちの人がいくらお金を貯めても、幸せに感じられない、というケースは、つまり、金運は運命であり、幸せとは、運命とはまったく関係なく、その人自身が自由に思うものである、ということを知らないからだ、ということですね。

そして、どうせ運命の80%は決まっていて、それでも、どんな状態でも、自分の感情は3次元的事象と、何の整合性もなく、好きに思って良いのであるのなら、好きに思った方が良いですね(笑)。

転んでも、「楽しい」と思えば良いし、眠くとも、「楽しい」と思えばよい。
おなかが空いても、「楽しい」と思えば良いし、給料が少なくとも、「楽しい」と思って良いのです。

良く分かりませんが・・・私のケースですが、不安な時、胃が痛くなってきた時、朝仕事に行きたくない時・・・いつでもよいですが、「楽しい、楽しい」と何度か称えますと、なぜか不安がなくなっていきます。
「楽しい」と称えても、物理的なことがどれくらい変わるか分かりませんが、少なくとも、「不安」はなくなります(笑)。

ですので、「恐れも不安もない」の次に来る何かは、「楽しい、楽しい」なのかもしれませんが(笑)、よくわかりませんね。


いずれにしても、どうも
「感情は生まれた時から、何も決まっていないので、どんな時でも、自由に感じてよいのだから、”楽しい”とか、”嬉しい”とか、場合によっては、”幸せ” とか、勝手に感じるべきだ」
のようです。

その意味で、よく「幸せとは?」という言葉を聞きますが、その結果、3次元的幸せ・・・つまり大金とか、どういうことですが・・・ではなく、もっと日常的なものに、幸せがある、で結論付けてしまっている書物などがありますね・・・。

これは、これで、普通よりは、意味があるように感じますが、実は「幸せとは、各人が3次元的状況に関わらず、自由意思で、そう思ったなら、そうである」という説明、分析が正しいのかもしれませんね。

政木和三さんが奥さんと一緒に散歩をしていた時に必ず言っていた言葉は、「私ほど幸せなものはおりません」だったようですが、これも道徳的というよりも、「感情とはそのようなものである」ということを言いたかったのかもしれませんね。



とにかく六爻占術が正しいのなら、あなたや私が、今3メートル先で転ぶ、ということは宇宙の誕生の時から、決まっていたことのようです。
ならば、それを予期できようが、どうであろうが、「楽しい」と思っていれば言い訳ですね(笑)。


もちろん、私は、六爻占術以外の何か・・・でも絶対に運命は変えられる、と思っていますが(笑)、「楽しい」に、そこまでの効果がああるかどうかは今のところ分かりません(笑)。

とにかく、感情は自由だ、ということは事実のようですね。


みなさんは、どう思うでしょうか?




ちなみに、「あたなは味方だ」波動は、本当に、すごい波動のようです(笑)。
よろしかったら、お試しください。

決して「私はあなたあの味方です」波動ではないようです。
「あなたは、私の味方です」波動です(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・・・・
いろいろありますが(笑)・・・・・・

私は出勤する前と、昼休みに、近くの神社に行きます。
この神社とはずいぶんと前から縁があります。
実際、今のオフィスのすぐ近くですので、縁があるのは間違いないですが(笑)。

大学を出た手の頃、営業の途中、なぜかこの神社にお参りしたら、すぐ近くの商店街で注文が取れた、ということがありました。
それ以来なのです(笑)。
もっとも、しばらく行っていなかったのですが。

近くには母方の先祖のお墓のあるお寺もあります。

そういうことを言い出しますと、すぐ近くは船井幸雄オープン・ワールドをやっていたホテルの近くですし、私の大学もすぐ近くですし・・・きりがなくなりますね(笑)。

で、今日、昼、ムショウに眠くなってきましたが、試しに森田健さんの本に出てくる「太陽に包まれているようなイメージの瞑想。しかsも数秒で良い」をやってみました。

すると、不思議なもので、お守りなどを売っている場所があるのですが、今まで一度も聞こえたことのない売っている人の声(神社の人でしょう)が急に大きな声になって、お客さんとの会話が聞こえてきました(不思議)。

また目をつむると私は大抵そうはなりますが、音がステレオ音声できちんと聞こえてきます。
ミンミン蝉とジージーと鳴く蝉(アブラ蝉?)が、ものの見事に左右に振られて聞こえてきました(笑)。
面白いですね。

ただ、私は貸与運いつ詰まれる、という感じ・・・つまり自分が太陽の中にいて、周りを太陽に囲まれている、というイメージがむつかしいので、背中に観音様のように丸くて金色の後光のようなものをしょっているようなイメージを持ちます。
もちろん、それでも、いくからか太陽に包まれている、という感覚は持つようにしていますが。

お陰で今日はそれ以降、一度も眠くなりませんでした(笑)。

神社の人の声は、私が研ぎ澄まされたのか、声が大きくなったのは、なんとも言えませんが、感覚としては、急に声が大きくなった、というものでした。

眠い時には、よろしければ、是非一度お試しください。



で・・・
私の部屋の前にあるコンビニは、夜11時過ぎに行くと、「お疲れ様でした」とか、「ご苦労様でした」と言います。
もっとも、60歳近い人なのですが。
お金を下ろしに行くだけでも言います(凄)。
私は恐縮して、頭を下げてしまいますが(笑)。

私は好きです。
こういうのは。

みなさんは、どう思うでしょうか?





で、
何でもイギリスではテロが未然に防がれた、ということのようですが。
何も起きなくて良かったですが、普通に考えると、作られたテロ、ということなのでしょうか?
日本では小泉さんが「マスコミは、靖国に参拝することを悪くしか言わない」となんとも、以前の彼なら絶対言わなかったような発言をしているようです。
これらを普通に考えると、ロ小泉さん側ロックフェラー勢力が何か動き出した、ということなのでしょうか?

確かに日本だけ見ていると、明らかに、小沢さん側ロックフェラー勢力が勢いを得ているように見えますので、それへの反動でしょうか?

見た限りでは、テレビは小泉発言に非常に冷ややかなうに見えます。
マスコミがアセンションに気づき始めたのか、それとも、単に違う勢力に寄って行っているのか、良く分かりませんが、良く分からないのなら、都合の良い方に取っておきたいと思います(笑)。

いずれにしても、感情は自由なようですし。


みなさんは、どう思うでしょうか?



高次元的な話ですが・・・
今度の土日には本を注文したいと思います(笑)。

どうも、カリフォルニアの地下の話でも、中丸薫さんの本でもないものを選びそうにも感じますが、そうでもなく、どちらかを選ぶのかもしれません。
いっそう、例の掃除をすると運が良くなる、という本でも面白いのかな、とも思ったりしています(笑)。




左の「あるヨギの自叙伝」という本も興味があります。
同じように、左の「ヒマラヤ聖者の生活探求」も興味があるのですが、私はどうも、日本人が書いた本が読みたいようです(笑)。

どうもそれが本心なのかもしれませんね。
そうなりますと、中丸薫さんの本になるでしょうか?




で、ちょっと思いましたのは、「にんげんクラブミーティング」などでは、ほとんどパネルディスカッションのようなものは見られませんね。
おそらくは、みなさん、個性がありますし、なかなか引かない人が多いようにも感じますので(笑)、そうそうできないのでしょうか。

それはそれで良いのですが、思いますのは、女性同士なら、パネルディスカッションは可能なのではないだろうか?ということなのですが。

それこそ、岡田多母さんと中丸薫さんでも、浅見帆帆子さんでも、どなたでも良いのですが、何か新しい発見が見つかるとうな気もしますが、みなさんは、どう思うでしょうか?





さて・・・・・・
今このファイルの入っているのは無料レンタルサーバーですが(笑)、1ページの容量に制限があるようで、それを超えると受け付けません。
ですので、これくらいになると、新しいページにしなくてはなりませんので、そろそろか、そろそろか、と思ったりします(笑)。
そうなったら、もくじと、現在更新中のページのリンクを変えるだけなのですが(笑)。
(今日変わっていたら、そういうわけです:笑)。


で・・・
私は最近白髪が増えてきましたが(笑)、顔の向かって右の生え際あたりが、部分的に白髪が多いようです。
そこがメッシュでも入れているようで、ちょっと気に入っています(笑)。

北方謙三さんが、学生時代、喧嘩かなにかで、ブロックだったかレンガだったかを頭にぶつけられたのが原因で、やはり生え際の一部に集中的に白髪が出てきて、「メッシュを入れているのですか?」とよく言われていた、ということを書いています(笑)。

で、どうしたということもありませんが、理由は違いますが、同じだな、と思ったりしています(笑)。



さて・・・
今日も、いつもの神社で昼休みを過ごしましたが(笑)、今日は朝からカラスが多い日でした。
で、昼もいたのですが、また眠くなるかもしれない、と思い、後光瞑想(孫さん太陽瞑想の改造版)をしました。
いろいろやってみるのですが・・・カラスが鳴き止まないだろうか?と思って話しかけたりしてみましたが、偶然かどうか、確かに泣き止むのですが、1羽だけ、どうしても、鳴いています(笑)。

少しいろいろやってみましたが、どうにも鳴き止みませんので諦めました(笑)。
すると、なぜか神社の建物の中・・・お払いとかする場所ですね・・・に入ってみたくなり、入れるので入ってみました。

で、何度か入っていますが、先だって入った時に気になったお守り類一式が展示されているガラスケースを覗いてみました。
先だっては、「ああ、あるな・・・」と思った切りでしたが。

で、みますと、伊勢神宮の天照大神のお札があるのを見つけました。
買ってみたいな、とずっと思っていましたので、「買おう」と意識しましたら、ずっと鳴いていたあのカラスの声が止みました(笑)。
カラスが一匹も鳴いていない状態が急に訪れました(驚)。

で、お守りを売っている場所へ行き、購入したわけですが・・・
なんだか、偶然かもしれませんが、すごいです。

ただ、だからこれを理由に神道を勧めます、とかそういうことを言うつもりはないのですが。
政木和三さんの言うように、「信じることによって脳波が下がった」のか、神社という場所の氣が良いのか、伊勢神宮の六爻占術のような儀式による高い氣のせいなのか・・・
とにかく、科学で言っている3次元よりも、もっと深い何かはあるな・・・ということですね(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?



で、本ですが、明日見て見ます。
なんと、転職そうそうに、夏休みになりました。
明日から水曜日まで休みです(笑)。
ツイテいますね。
今は氣が張っていますので、なんとも感じませんが、体調管理という意味では良いのでしょう。







で、指導的立場ということを考えますが・・・
私はどうしても対等が良いので、それを意識しだしてからは、以前のように人並みにエゴのある状態で、やっていたような指導的立場が取れなくなっています(笑)。

分析するに・・・対等を意識し過ぎて、相手より下になっている、あるいは、上だと相手が思っている人間とも対等に引っ張りますので、そうしますと、いろいろありますので、そんならいくらか下にいてやるよ、というようなことを思っている・・・
のようなことが起きているように感じます(笑)。

どうでも良いことですが、どうもここら辺に、何か大きなものがるようにも感じます(謎)。
何に対して、どう大事なのかも分かりませんが、対等なリーダーシップというのは、どんなものでしょうか?
それは有り得るのでしょうか?
有り得たら、普通の人にもできるのでしょうか?

みなさんは、対等と指導的役割の一見相反するものの両立について、どう思うでしょうか?

普通は、人より上になりたい、という、気持ちと、指導的役割、というものがうまい具合に同じような領域にあるものなので、成り立つわけですね。

もちろん、そうなりますと、私の考えている「指導的立場」というものと、基本的には違うものであるようにも思いますが。

ただ、どちらも、ある意味大きな波動を出しているいる(?)のでしょう。
それをして、4次元エネルギーと5次元エネルギーと言う言葉で表現してよいのかどうか分かりませんが、そうなのかもしれません。

そうしますと、私のやりたいことは、5次元エネルギーを使った指導的立場、ということでしょうか?

ある意味、条件、高圧さ、などで人を動かしたくない、と思っているわけですので、正しいですね、この想像は。


それとも、5次元的指導というものができるのは、ジャンルが特定されているのでしょうか?

なんとも、分かりませんね。

ただし、5次元エネルギーを使えるのは、必ずしも、今日現在3次元的意味で、人格者と呼ばれている人の性質と100%一致しているものではないようですので、そこにも何か私自身の勘違いがあるのかもしれません。

肉を止めてから体調が良いので食べませんが、本当は船井幸雄さんのように、氣を入れてでも肉を食べたり、孫さん式に、肉まん8つ全部平らげてしまうくらいの方が5次元的指導エネルギー(?)とでもいうものを使えるのかもしれませんね(笑)。


ただ、良く思い起こしてみますと、私の記憶と解釈の限りでは、私の使えた上司のほとんどは、次元エネルギーによる指導者だったように思います。
その意味では、5次元エネルギー指導者というものを体験したことがない、ということですね。

今の社長は、なかなか面白い人ですが、いずれにしても、いつか、5次元エネルギー指導者の下で、それを体験してみたいとは思います。

みなさんは、どう思うでしょうか?


で、もうひとついけないのが・・・私は10代の若者だろうがだれであろうが、何かしてくれたら、「ありがとう」という言うのですが・・・これは船井幸雄さんの本を読み始めるよりずっと前からですが・・・それを言いますと、どうも、その時点で勘違いを起こす人がいるのも確かですね・・・。
「私の方が上位だ」と。

なら言うのを止めれば良いのですが、意地になっています(笑)。
昔は「サンキュー」と言っていたのですが、それがいつのまにか「ありがとう」になっていました(笑)。

映画なら、「〇〇君、礼を言っておくよ。ありがとう」で、まだかっこうが付きますが、3次元では、それでは一言多いですね(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

 

さて・・・・・・
政木和三さんのことを書いているサイトの政木ワールドというのがありますが、どうも、しばらく見ない間に大幅に更新されたようです。

しばらく更新がなかったので、見なくなっていたのですが、やはりサイトと言うのは、更新されないと見なくなりますね(笑)。

政木和三さんの生前に親交が会った方が書いているようで、本などには掲載されていないようなことも書いてあります。
なくなったときの話ですとか、普段の政木和三さんの様子など、なかなか興味深いです。

で、
http://agosu6000.hp.infoseek.co.jp/page023.html には、政木和三んの語録がありますが、やはり面白いですね(笑)、政木和三さんの言うことは。

で、
<1998年の講演語録>  の内からいくつか取り上げて見ますが・・・


(引用)
◇ 普通の人は物体しか見えないが、人間の肉体が神仏と合体すると、目の前
 に見えるものだけでなく、裏側まで、見えないものまで全て見える。中村和尚
 の誕生会でこれを見せてくれました。脳波が下がると生命体の力が出るのと
 同じです。
(以上)

これは、政木和三不思議研究所の孫さんの言う「道教における天人合一」と一緒ではないでしょうか?
中村和尚さんというのは、政木和三さんの著作によく登場する方ですが、「人間の肉体が神仏と合体すると・・・」という表現が、まさしく天人同一の説明そのものなのでびっくりです。

で、政木和三さんは、「脳波が下がると生命体の力が出るのと 同じです。」と言っていますが、私が政木和三さんを引用して説明しそうなことですね(笑)。


どうやら、私の想像は、政木和三さんの考えていることと同じであったようです(笑)。


で、次ですが・・・

(引用)

◇ ゴルフのパターが上手くいかない時に、中村和尚からボールがカップに入っ
 た音を聞いてから打つとよい。又、林原社長には、射撃の時、的の真ん中に 
 銃口を当てて、銃弾が通り抜けた音を聞いてから撃つとよい、との話があっ 
 た。これは『神仏は人間の願いをいっさい受け付けない。どうしても願いごとあ
 らば、願いを忘れて完了形で思えよ』との教えと同じであった。

(以上)

これは、政木和三さんの言う通りなら、どちらかと言いますと、「音を聞いてから・・・」の方が分かりやすいかもしれませんね(笑)。

やってみようかと思います(笑)

『神仏は人間の願いをいっさい受け付けない。どうしても願いごとあらば、願いを忘れて完了形で思えよ』
ですが、本には、
『神仏は人間の願いをいっさい受け付けない。どうしても願いごとあらば、自分の中の神に願えよ
というものも、あったように思いますが、どうでしょうか?

で、よく、「どうして神様は助けてくれなかったのだろう・・・」というようなものを、しばしば見たり聞いたりしますが、もちろん運命もあるのですが、どうも、いろいろ読んでも、神とは、上に書いてあるように「人の願いを一切受け付けない」ようです。

運命を変更するには、とにかく神に頼む、という行為ではいけない、ということですね。

守護霊などは守ってくれいるようですが、運命を変えるには、神に頼む、ではないのですね。
第一神に頼む、というのは、森田健さんではないですが、正に3次元的なハイアラーキーの構造をなぞっているということなのかもしれません。

本当は対等なようです。
脳波が下がるでも、問いを発するでも、完了形でも、自動詞でも、なんでも、とにかく神と対等、時空と対等がないと、何も始まらないようです。

ですので、まず初めにやることは、神に頼む、という概念はどこか違うのだ、ということを納得することなのかもしれませんね。

ただし、政木和三さんによれば、宗教などを”信じる”ことによって、結果脳波が下がる、ということはあるようです。
それをして、神が何かを叶えてくれた、というのは、どうも間違いのようです。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

で、次ですが・・・

(引用)

私は、350年前に民衆のためを思って、幕府に建白書を出して蟄居閉門に
 なった。810年前には立正安国論を出して島流しになった。今回は、磁力線
 で裁判にしようと思ったが、林原社長の勧めでなごやかにしています。生命体
 が記憶しているので、いつも同じようなことをやっています。

(以上)

「いつも同じようなことをやっています」というのはが、私と同じだな、などと思ってしまいますが(笑)。
みなさなんは、どうでしょうか?

私は変に立正大学の卒業生と縁があります。
私の大学の近くにある大学ですが、小学校の時、妹が1年生だったか2年生だったかの時に、大学卒業したばかりで赴任してきた女性の先生が立正大学卒業でした。

ちょっと恋心を抱いたのを覚えています(照)。

その後、私が5年生だったか、6年生だったかの時には、私の担任になりました・・・6年生の時でしたね。

で、礼の留学の会社で、オーストラリアのある大学の代理人(リプレゼンタテジヴ)をやっていたオーストラリア人と一緒に働いていた人が立正大学でした。
この人とは気が合って、その後、そのオーストラリア人が仕事をやめたか何かで、その日本人は、私のいた会社に入ってくるのですが、腰の低い良い人でした。
姿勢が良いのですが、昔オーストラリアだったかのホテルで働いていたからではないか、と勝手に思っています(笑)。
一度、千葉の自宅に招待されたこともあります。
その後どうしているでしょうか?
私事ですみません。

その後、前の会社にも卒業生がいましたが、良い思いではませんが、印象深いやつでした。
やはり大学卒業したての男性でしたが。


ちなみに、私の卒業した区立の中学校(もうなくなってしまった)の隣には大正大学がありますが(笑)。


どうも宗教系の大学と縁があるようです。
そう言えば、昔私が自分の名前を説明する時に、「宗教の宗と書いて・・・」とやりましたら、一緒にいた彼女が、「普通そんなこと言わないわよ」とかなんとか言っていましたが、なぜか、ぜんぜん気になりませんでした(笑)。


語録を読んでいますと、私の知らないいろいろなことがあったようです。
その中で、新しい何かが起こる前には、大きな病気などをするようだ・・・というような内容がありますね。
そういうものなのかもしれません。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

で・・・
(引用)


オーリングで“ありがとうございました”の実験をしてみるといい。心底“有り 
 難い”と思うと指に力が入って指が開かない。だから、心から“私ほど幸せな 
 者はない。ありがとうございました”と思うと、病気はいっぺんになくなって、内
 臓等の働きが良くなって若返ります。そして、本当の幸せがやってきます。
(以上)

知っての通り、オーリングテストは開かない方が良いわけです。
ここに書いてある通りなのだと感じます。

で、曲者は、この「心底」ですね・・・
分かる人には、きっとこの言い方しかないのでしょうね。

ムキになるでも、力が入りすぎでも、ないようです。

みなさんは、分かるでしょうか?



(引用)

名古屋に来る3日前に物事のすべてが分かりそれを皆さまにお伝えしまし 
 た。今日ここで不思議なことをたくさん教わり、胸が一杯になりました。こういっ
 た気持ちになった時はいいことがどんどん起きています。人間は、胸が一杯 
 になってうれしい!という気持ちになることが最高のことだと思います。だか 
 ら、いつも有り難い! と思うことです。

(以上)

この胸がいっぱいになる、という感覚は分かるでしょうか?
実は私はつい最近これをしまして・・・

もう3,4ヶ月くらい前・・・もう少し前でしょうか・・・以前の部屋の近所にある商店街の魚屋さんなのですが、そこで初めて買い物をした時ですが・・・
2人の50過ぎの男性で営まれていますが、初めての買い物をして、いつものように「ありがとうございます」だったか、「ありがとう」だったかを私が言いましたら、その人も、私の顔を見て、「ありがとうございました」となかなかの波動で言ってくれた時ですね・・・

私は、この何年間もずっと言い続けて来ましたが、これほどの波動で「ありがとうございました」が返ってきたことは一度もありませんでした。
しかも私が買ったのは、2,300円分の焼き魚でした。

その時は、荏原啓之さん式に言えば、どうも私というより、私の生命体の方がその言葉にシビレタようです。
確かあそこあたりから、何か違う流れが出てきたようにも感じます。

「胸がいっぱになってうれしい!という気持ちになることが・・・」ですが、確かにそうなのでしょうが、普通の人間はいろいろな理由でそういうことはほとんどありませんね。

意識してできるものではないのだろう、と思います。
精神世界的には、精神レベルの向上によって、そういうことが感じられてくるのでしょうし、大きな意味で言っても、やはり「すべてとつながっている」状態になった時に、そういうような精神状態が訪れるのだろうと感じます。

そして、その状態とは、どうも資本主義が一番良いものだ、と思わされている状態では、なかなか得られないもののようです。
もちろん、そうでない人もいます。

少なくとも、資本主義による洗脳には引っかからないようにすべきなのでしょうね。
一般的なにんげんにとっては、今は地球の過渡期として仕方がなく資本主義なだけであり、これが3次元的に見ても、別に最高の状態でもなんでもない、ということは知っているべきなのかもしれません。



他にもなかなか「すべてと繋がっている」という状態を理解して得ることができにくい理由はあると思いますが、いずれにしても、普通の人間にとっては、まず、輪廻転生がある、そしてそれはどんなものかのか?について知ることが、第一歩のように感じます。

みなさんは、どう思うでしょうか?





(引用)

この世の中で、本来人間が絶対にわからないことでも、わかるようになること
 ができる。欲望さえなくして、自然に人間ができると、人間の中に生命体がい
 るから、何百年も前のことがわかるようになる。それが当たり前の人間で、人
 間本来の姿です。それがわかるといい加減なことはできなくなります。

(以上)
で・・・
人間ができてくる、という表現には、いろいろあるでしょうが、細かいことは抜きにして、これはきっと、説明が必要な内容だろう、と感じます。

 

「どうして人間本来の能力を発揮・・・人間が本来の姿を取り戻すと、いい加減なことができなくなるの?」
という質問が聞こえてきそうです。

 



これは、先に書いた丸投げの話や、「男たちの旅路」での「どうして、ついでにちょっと見れやろう、ということをしないのだ。それが普通の人間ではないのか?」と関係しているかもしれませんね。

丸投げがいけないのではなく、だれが、任されると、いいかげんなことをする日本人を作ったのだ?という話を書いたのですが。

そして、決められたことをきちんとやるのは当然だが、決められていなくとも、人間として当然やること、というのもあり、それをするのが普通の人間ではないか・・・
という話です。

 

 


上の政木和三さんが言っていることの、「いい加減なこと」とは、何も実務上でのことだけではなく、もっと幅広い意味だと思います。

とにかく・・・
普通の人間に戻ればよいのです。
きっと。

その意味では、今、人間は、普通でない人が多い、ということなのでしょうね。
カラスに話しかけて、鳴くのをやめて貰うどころか、何百年の前のことが分かるくらいで、きっと普通の人間なのでしょう。

何もいきなりそこまでいかなくとも、ガードマンの仕事をやったなら、決められたとおりに見回れば良いのですが、そこに、たまたま外の道と面している場所があり、底が危なっかしい場所なら、少しだけ覗いてあげる、というのが”普通”の人間であり・・・
それを、逆に、「何で決められてもいない場所なんか、見たりするんだよ」などという馬鹿げた注意をしたり・・・これは資本主義による洗脳に結果でしょうが・・・、「余計なことをしても、損をするだけだ」だなんていらない解説をしたりするのが、ここ何十年かの社会の趨勢のようです。

少なくとも、バブルの前、日本人はそうではなかったようです。
もっと言えば、戦争前、そして明治時代、そして、明治維新前・・・

地球全体を見るのも、大切ですが、まずは日本が正しくなると、どうも良いようです。

できるだけ、”普通”の人間・・・”元々”の人間に、戻れるように・・ですね。
(相対的での中間という意味ではなく、元々、ということですね)


もちろん、顔をしかめて、変な超能力を使うようなことが、元々の人間ではありません。
そこら辺は、お間違えないように。


私としては・・・良く分からない方は、船井幸雄さんの本に登場してきて、船井幸雄さんが、「良い」と評価したを選択してみる、そしてそれ以外は、接しない方が良い、と思います。



元々の人間に戻る、です。
天人同一です(笑)。


みなさんは、どう思うでしょうか?


 

で、政木和三さんがピアノを弾く写真なども同サイトに掲載されていますが・・・あまりにページが多いので、どこだかすぐには分かりませんのでリンクしませんが・・・顔つき、出している波動は、正にピアニストですね(笑)。
音も是非、聴いてみたいものです。

 

 

 

 

さて・・・・・・
休みですのでテレビを見ますが・・・
昨日は夜更新しようと思いましたが、瞑想もせずに、なぜか、どうしても眠く寝てしまいました(笑)。
そういうときは朝に瞑想をします。

 

で、昨日・・・
日野原さんという96歳のお医者さんがテレビに出ていましたね。
いろいろ言っていましたが、当初、日本人は自分で自分の国を守る、ということをしていないので、若い人などは、腑抜けになる、という意味のことを言っていました。
当然私も?と思いましたが・・・軍備という意味でですが・・・やはり、同じことを思ったのか、だれかがそれについて、「戦争反対と軍事的武装についての整合性」を問いましたが・・・

その趣旨は要するに、「日本はガンジーのように、非武装でいけばよかった」ということであるようです。
私と一緒です(笑)。

で、その他、
「戦争は人をクレイジーにさせる」と言っていました。

「アメリカでは医学部の学生は先生より早く来て、席についているものだ・・・」
これは、若い時に、そういう姿を見て、すごいな、と思ったのでしょうね。
良く分かりませんが、この先生の歳なら、日本の学生もそうだったのではないだろうか?とも思います。

戦争反対のメッセージは、大人ではなく、10歳くらいの子供たちに言っていかなくてはならない、と言っていました。
良く聞いていませんでしたが、「今の大人たちは一種の軽い精神病状態にある」というような意味のことを言っていました。

私の聞いたとおりなら、要するに、今の人間は”元々の人間”ではない、ということですね。


戦争になったら、大人たちは、また前の戦争のように、戦争賛成、敵をやっつけろ状態に、ほとんどの人がなっていくだろう、だから子供たちに伝えなくてはいけない・・・ということかもしれません。
そんなことも言っていたように思いますが、そこら辺は良聞いていませんでした。

良く聞いていなかったのは、「日本は自分で国を守るべきだ」という言葉に違和感を感じたので、興味をなくしたからですが。
ですので、その後のコメンテイターの質問から興味を持ち始めた、ということですね(笑)。


講演を年間190回くらいしている、ということで、講演についても方っていましたが、「初めの5分が大事。そこで冗談を言い、心を掴む・・・」というようなことを言っていました。

 

その意味では、今回の出演では、初めの5分で、私の心は離れていった、ということのでしょう。

難しいですね(笑)。



良く調べていませんが、終戦記念日(?)が近いので、池部良さんが「徹子の部屋」に出るかもしれません。
きっと出るなら良い話が聞けると思います。
調べていませんので、出るかどうか分かりませんが(笑)。

 

 

 

また、今日もさすがに反戦的な内容の番組が多いですね。
良いことです。

 

元朝日新聞の記者が出ていましたが、

「軍部はこういう準備をしているぞ」ということを書き、「戦争をとめようと思えば止められた」と当時を振り返っていました。
戦争が始まってしまえば、家族のことなど考えますと、もう戦争反対の立場などは取れないようです。

ですので、はじめないことですね。

戦後、責任を取るために、記者を辞めたそうですが、
「辞めれば責任が取れると思っていたのは、間違いだった」
と言っています。

そうですね。
これからも、どんどん当時の間違いについて、語っていって欲しいですね。





天皇を中心に一致団結・・・という言葉が番組で出ていましたが、当然戦争が始まってしまえば、その状況下では”勝つ”ことを目指しますので、国は一致団結せざるを得ないでしょう。
その意味では当然、天皇、ということになりますので、そのこと自体で「天皇がいけない」とするのら、少し違うようにも感じます。
実際、天皇は、戦後、GHQと会い、「私が責任を取ります」と言いに行ったようです。
白洲次郎さんだったか・・・確か他の人ですね・・・どなたか、戦後一挙に廃墟になった東京をきれいに直したことに尽力しただれかの取り計らいで、天皇が GHQと会えた、というようなことをテレビで見たように思いますが・・・。


とにかく、始まってしまったら、戦争をやめさせるのは相当に困難ですね。
とにかく、はじめさせないことです。

 

 

また、戦中、アメリカの捕虜になった日本兵にインタビューをしたものがアメリカにあるので、その内容についてもやっていましたが、何に対してもっとも不信感を持ったか?というものでは、マスコミ、という回答が一番多かったようです。
特に、高学歴の人がそういう回答をしていたようですが。
要するに、新聞で言っていた状況と、実際の戦場は違っていた、ということなのですが。

これを出したテレビ局は偉いと思いますが、これを隠さないアメリカというのは、「自由の国」といえば聞こえがよいですが、隠そうと思えば隠せるのでしょうが・・・。

どういうことなのでしょうか?
「これくらいのことが分かろうとどうということはない。どうせ、金や地位で動く人間というのは、いるものだ」くらいに思っているのでしょうか?

確かに、副島隆彦さんの本を読む限り、今よりよっぽど、正しい考えが常識であった明治維新のころから、そういう人間というのはいたようですので、そう思っているのかもしれません。

是非、今回はそういうことがないように、と思いますね(笑)。

みなさんは、どう思うでしょうか?

 

 

 

で、森田健さんが不思議研究所のサイトで、「代替可能」ということを書いていますが・・・
詳細はご自身で読んでみてください。

私の何かを変えたことの一つに、あるとき、こんなことに気が付いたことがありましたが・・・
会社にいると、だれかが辞めて行きますよね(笑)。
中には、相当重要なことをやっていた人だったりもします。
が、大抵どんなすごい人が辞めて行っても・・・困るのかな?と思っても、何とかなってしまうのですね(笑)。

で、私は転職が多いのですが・・・そして、結構特殊な能力(?)がある変な人間ですので、余計それについて考えたりするのですが、どうも、会社という組織は、だれが辞めて行っても、ちゃんと代替可能なようです。

おそらくフラクタルを考えれば、社会もそうでしょう。

ですので、少なくとも人の代替、というのは可能なようです。
ですので、人に関しては、「私にしかできない」ということは、あまりか投げても仕方がない、というもの事実のようです。

ただ、若い内は、そう言ったプライドをくすぐるようなことをバネにしてがんばっていく、というのは、きっと良いこよなのだと感じます。

この話と、「自分というかけがいのない存在」ということは、少し違うようにも感じますが、少なくとも、組織、団体、においては、代替可能なようです。


と言いましても、どう考えても、代替不可能な人というのにもめぐり合います。
だれでも良いのですが、巨人の松井選手などは、どうも代替不可能だったようです。
その後いろんな人が巨人に来ましたが、だれも代替になっていません。

ですので、私などは、代替可能については、99%はそうだろうが、1%くらい違う人がいる、と感じています。
ただ、それも、人として、ではなく、歯車として、ということではありますが。


それでも、六爻占術では、どうも代替は可能なようです。


で、実際、だれが辞めても代替がきく、ということを思い始めてから、更に組織に対して、こだわりが無くなりましたが、ただ最近思うのは、「代替がきくからどうだと言うのだ?」ということですね・・・
英語では、「SO What?」(それがどうした?)などと言いますが(笑)。
マイルス・デイビスの曲名にもなっています。


大きな時空の歯車の中で、その部品は代替がいくらでも利く、ということなのだと感じます。
私の好きな星新一さんの「門」というのが、正にそういう内容のショート・ショートです。

それでも決まっていることなのかもしれませんが、「やってやろう」という気持ちの時には、ちゃんとそれなりの歯車にはなっているようにも感じます。

これが想念によるものなのか、思うことすら決まっているものなのか、俄かには分かりませんが、少なくと今の段階では、見る方向、手元にあるデータによって、見え方が違っている、分析結果が違っている、ということは事実なのだと感じます。

 

 

いずれにしても、代替可能、という概念は、90%以上の人には受け入れにくいものだろう、とは感じます。
しかも、大抵の指導的立場にいる人というのは、「俺がいなけりゃ・・・」式に思っているようにも感じます。

思っていない私のような人間が、指導的立場にでもいたとしたら、それこそ良い事例でしょうが(笑)。

で、そうは言っても、ご自分の成果だと思ったら、3次元的には、それが分かるように会社には言ったほうがよいみたいですね(笑)

私は、普通なら成果、と思えるようなことでも、「私がやらなければ、きっと、他の何らかの人がやったに違いない」という発想をしてましたので、むしろ、私がやったことがわからないように工夫するようなことすらしてきました(笑)・・・サラリーマンとしてですが。

そうすれば、評価されなくとも、「元々評価などされる気はない」と思っているわけですので、頭に来ないで済む、と思っていたわけですね(笑)。
思い起こすと、以前の私はなかなかひねくれていたかもしれません(笑)。
”元々の人間”であれば良いわけなのでしょう。


きっと、そこら辺は、臨機応変(?)にやられた方が良いのでしょう。

みなさんは、どう思うでしょうか?


 

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