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100604/erp1006040956004-n1.htm によりますと・・・
(引用)
308人が死亡した昨年4月のイタリア中部地震の最大被災地、同国中部ラクイラの検察当局は3日までに、地震の危険度を判定する国の委員会が中部地震前、大地震の兆候がないと判断したことが被害拡大につながったとして、過失致死の疑いで、地震専門家ら委員会メンバー7人の捜査を始めたと発表した。
ANSA通信などが伝えた。非常に困難とされる地震予知の失敗で刑事責任が問われるのは異例で、捜査開始の妥当性の議論も起きそうだ。
同国防災庁付属の委員会は専門家や同庁幹部から構成され、群発地震が続いていた中部の状況を検討。昨年3月31日、現地自治体などに対し、群発地震は大地震発生に結び付くものではないと報告。しかし、その6日後、マグニチュード(M)6・3の地震がラクイラなどを襲った。(共同)
6月5日15時30分配信 時事通信
ということです。
私もですね・・・先入観がありまして・・・
初めて芋焼酎を飲みましたのは・・・大学生の時で・・・・何年生とかは書きません・・・コンビニでアルバイトをしていまして、アルバイト帰りに、アルバイト仲間の九州から出ていた都立大学の奴と、奴の部屋の近くの公園でいろいろ話をしていたのですね。
(九州から都立大というのも変わっていますよね)
そしたら、そいつが「家から芋焼酎を送ってきた」と言って、持って来ました(笑)。
それで飲んだのですが・・・これが臭いがきつくてですね・・・後々北方謙三さんの真似をしてワイルドターキーをストレートで飲むほどになった私ですが、当時は、ビールくらいしか飲んだことがありませんで(まだウイスキーとは高かったのです)、それがですね・・・印象的で、こその後れまで、1,2度しか飲んだことはありませんね。
しかし、それが飲みやすくなっている、しかも、アメリカに牛耳られる可能性のある麦ではなく芋なわけですから、こんなにいいことはありません。
いや・・・本当にね・・・ウイスキーは高くてですね・・・
卒業旅行で武蔵大学の友人がどこか海外へ行きまして、その時お土産に買って来てもらったのは、「オールドパー」でした。
安くなったと実感したのは、やはり1995年前後ではなかったでしょうか?
92,3年だったかもしれません。
とにかく3000円くらしかバランタインとかが急に千円台になったように思います。
今度、芋焼酎を飲んでみたいと思います。
有意の方々と普通の方々は、如何様に思われるでしょうか?
さて・・・
肉食ですが・・・
実は中矢伸一さんには悪いのですが、この2週間ほどですね、週に2回くらいわざと肉を食べてみているのです。
で・・・どうかといいますと・・・
今のところですね・・・気のせいか運は良くなっています。
食べると言いましても、せいぜい、餃子とかメンチカツとか・・・実家に寄りましたので、その時は相当出てきますのでもっと食べますが・・・
他に何か変わったところはないか?といいますと・・・
さっきですね・・・久しぶりの感覚がありまして・・・無償にいらいらする(笑)と言う感覚で・・・こうですね・・・足を伸ばすように蹴りたくなるのですね・・・何かこう、腿の辺りに力が余りすぎている、と言うような感じで・・・以前はこういう感覚がようありました。
これがいいのか悪いのか・・・
今日現在ですが・・・人して肉を食べるのはいけないようですが、どうも、「私」の「今」は、まだ肉を週2回くらい食べた方が、「生き残れる」種類の人間あるいは精神レベルのようです。
とりあえず、週2回程度の肉食を続けてみます。
また報告いたします。
・・・ちなみに、運がいいのは、ひょっとするとですね・・・トラさんのブログを見ていましたら、「お札が貼ってあるので、逆に・・・」とかなんとか書いてあったのです。
それで、確かに、お札のシールがですね、いろいろなところにありまして・・・でそれを取ってみたのですね・・・
その日からいおりろありますので、そのせいかもしれませんし、そもそも肉を週2回食べるようにしたことが、そのサイトを見る方向に導いてくれたのかもしれませんし・・・
あるいは、2週間くらいまえから、夜瞑想を再開したせいかもしれませんし・・・
よく分りませんが・・・
さて・・・美鈴さんhttp://misuzu-message.com/modules/weblog/ ですが・・・
(引用)
2010/06/05
(略)
人間は、憑依があるとき・・
なかなか、鏡を見ようとしません。
皆さんは、最近・・・
じっくり自分の姿を鏡でチェックしましたか?
鏡を見て、ニッコリ微笑んで♪
呪文を唱えましょう★
(私、朝・晩やってますよ〜!!)
(以上)
ということです。
確かにですね・・・私はこの2年間くらい鏡をほとんど見ませんでしたが・・・実は先達てくらいからよく見ているのですが・・・・
ただ、それでも、5年くらい前は良く見ていたようにも思います・・・部屋に鏡がいくつもありましたので・・・
例のNちゃん(くどい)がアイリーンの家の離れを借りていた時・・・そこは風呂もトイレもキッチンもありますが、以上に狭くてですね・・・4畳くらいしかないのです・・・アメリカとは思えません。
ただですね・・・壁のベッドの置いてある一面が総鏡貼りになっているのです。
そのせいで、いくらか・・・いや相当広く感じまして・・・その感じを出したかったようにも思います・・・鏡が沢山あった理由ですね。
まあ、いずれにしましても、「鏡に笑顔」はよいことのようです。
有意の方々と普通の方々は、如何様に思われるでしょうか?
2020年ごろまでに世の中大転換する ―ミロクの世を作るプラズマ科学や五次元テクノロジー (単行本)
船井 幸雄 (著) |
また、読み進めましたら、記載いたします。
そう言えばですね・・・先達てきくちゆみさんのサイトhttp://kikuchiyumi.blogspot.com/に、すぎたかおるさんが出ていた話を書きましたが、今日なぜかですね・・・なぜかというより、例のコーヒーの宇宙人の出てくるコマーシャルで、すぎたさんが出ているのですが・・・(違う人かもしれません。私は、昔から女性の判別がつきにくいのです)・・・その時思い出しましたのは・・・
私は「例のチーボー」というのを再放送で何度も見ているので年齢が不詳になっています、と書きましたが、普通私の年代ですと、すぎたかおるさんといいますと「金八先生」を思い出すのでしょうね。
私はですね、あの番組が嫌いで嫌いで・・・(笑)・・・
理由は、高校が嫌いだったことと、
武田鉄矢さんが苦手なのですね・・・
で、ほとんど見ていませんで・・・なんで武田さんが苦手かといいますと、会ってみればいい人なのだと思いますが・・・
どうしてもですね、あの顔を見ますと、説教が始まりそうで、「俺に説教すんじゃねえよ。俺を動かしたければおだてりゃ、それだけいいんだよ」と思ってしまうのですね・・・顔を見ますと。
もう基本的に説教されるのが嫌いなのです。
で、私は私を言うとおりにたければ「おだてれば、それで動く」と知っていますが、いまだかつて、ただの1人も、私にそれをしたことのある人はいないですね・・・46年で1人か二人くらいはいたと思いますが。
どうなのでしょうね?
おだてるだけで動く人、というのはそんなに珍しい存在なのでしょうか?
有意の方々と普通の方々は、如何様に思われるでしょうか?
さて、森田健さんですが・・・
(引用)
(以上)
ですが・・・
私は・・・六爻占術を良く知らないからかもしれませんが、運命変更の多きものがエネルギーを出しているとは感じていなかったですね・・・
ただ、「置物の大きさに関係ないので・・・」というのはやはり理系の人の考え方なのでしょうね・・・私はそこまでは考えませんでした。
私は、氣の流れでも、陰陽五行でも・・・それは高次元を通っているものとして、なぜか当初より捉えていましたので、そちらが変わるので、結果3次元が変わる、と思っていたわけでしょう。
どうしてそういう発想になったかと言うと・・・考えてみますと・・・何かですね・・・裏側と表面が違うものを何か分らないですが知っていることによるもののようです。
何かな?と考えているのですが・・・一つは、時計かな・・・と。違うかもしれませんが。
機械式のものですが・・・アレは腕にはめていて見える表面がありますが、あのダイヤル(文字盤)をはずしますと、中身が見えるのですが、結構いろいろで、たとえば表面の文字盤を見て日付表示が付いていないような時計でも、文字盤をはずすと実はちゃんとj日付昨日が付いていたりするものがあったりします。
要するに汎用のムーブメントを使っているので日付が付いているのですが、文字盤のデザインで日付がいらないとなったら、それは動いているけれども、表には見えないのです。
そして、中で沢山の歯車がぎしぎしとうまくかみ合って動いているのですが・・・表に見えるのは、二本ないし三本の針だけなのですね・・・
ただこれだけだと、ちゃんと3次元的に大きな力が働いていますので何ですが・・・
何でしょう?
こういう発想かもしれません・・・
自動巻きなら、動力を付ける、時計を巻くのはただ、時計を振ればいいのですね・・・それだけです。
手巻きでもぜんまいを巻けばいいだけです。
そうしますと・・・巻かれた力で動くのは中心のぜんまいですが、それにかみ合っている歯車も動き、またそれにかみ合っている歯車が動き、そしてまた・・・・・・・・・・・
で、1日中時計が動き、しかも、クオーツでもないのに、安いものでも、1日1分程度の誤差で正確な時間を刻む・・・
これを知っているせいで、そう思うのかもしれませんし・・・
あるいは、ですね・・・今思ったのですが・・・カセットテープですね・・・
あれで・・・アジマスと言うのがありまして・・・鯵と鱒ではなく、再生用ヘッドとテープの当たる角度のことなのですが・・・
あれがですね、ひとつひとつの機種によってゼロコンマ何ミリか違うのですね・・・
で違うことによって高音がでなくなったりするのです。
一番いいのは、そのテープを録音したカセットデッキと同じ角度でテープに当たればよくてですね、その意味では、同じデッキで再生するのが一番なのですが・・・
で・・・きちんと岐路kうされているにもかかわらず、再生側の角度が少し違うだけでぜんぜん高域にしぼって聞けば、質が違ってきてしまうのです・・・これがどう関係あるかと言えば・・・ものの質を変えるには大きな力は必要なく、オオモトでこのように角度がちょっとだけでも変わってしまえばそれでできるものである・・・というようなことを知っているから・・・上記のように「そう思った」のかもしれません。
よく分らないのですけれどもね。
その結果、その音を「良い」とか「悪い」とか感じるのは人間で、そこには大きな力が働いているわけです。
しかしその原因を作ったのは、ちょっとだけのアジマスの差だけであると・・・
本当はもっとはっきり2つに分かれていると分りやすいのでしょうね・・・
と言っても本当に私が感じている何かが分るのが一番なのですが・・・
それともシンセサイザーかもしれないですが・・・
今のシンセはよく知りませんが・・・私が一番音つくりをしていた頃のシンセは、ちょうどヤマハのDX7というデジタルシンセが出て10年くらいした後のローランドのJV−80だったか70だったかそういう名前の機種でしたが・・・
詳細は面倒なので書きませんが、音を作っているオオモトにいろいろな設定があるのです。
分りやすいもので言えば、どのくらい伸びるかとか、どれくらい鍵盤のタッチの強さに反応するかとか、どれくらい硬い音にするかとか・・・結構一つの波形に対して30項目くらいありまして、なおかつそれオオモトの音を4つくらい重ねてひとつの音にしたりするわけで、そうすると、どの音をどれくらい送れて出すか、それとも一緒に出すか・・・とかですね・・・
で、やっているのは、その数値を変えることだけなのですね・・・もちろん3次元のできごとですので、やる方は、数値を変えては聞き、数値を変えては聞き、と繰り返すわけですが・・・
で、やってみると分るのですが、数値を変えるだけで、ぜんぜん違う音になるわけです。
ここら辺の感覚がですね、置物=数値・・・これも元はと言えば森田健さんが言っていたことのように思いますが・・・その数値そのものには、エネルギーはない・・・
あるのは、サンプリングされている波形、音の方・・・
あるいは、そのシンセという「機械」なのかもしれませんが。
「運命変更には無意識による意識の書き換えが起こりそう。」・・・はですね・・・むつかしい言葉ですね。
5回くらいつぶやいて、何となく感じは分りましたが・・・
無意識が意識を塗りつぶす、または消去して新しく書くわけですね・・・
これも感覚としては分るのですが実感はないですが・・・シンセとかドラムマシーンをですね、シーケンサーという装置で動かすのですが・・・これはシーケンサーに「こうやって動かしてね」というデータをン打ち込みまして、そして、つながっているシンセなどを動かすのですが・・・昔はよくこれがですね誤動作しました。
要するに打ち込んだ通りにデータがなっていないのですね・・・もちろん一度は確認するのですが、何かの拍子で違ってしまうのです・・・今はそういうことはないと思いますが。
(最近はそこまで複雑に打ち込んだりしないので分りません。最近はPCソフトがシーケンサーの役割をします)
あるいはですね・・・ジャズでピアニスト役はコードを勝手に変えるという話を書いていますが、どういう風に変えるかは、その人次第なのですが、その人も理論を持っているでしょうが、結局他の演奏メンバーの音に影響されて、その演奏メンバーの状況の中で変えるわけですが・・・それはある種の無意識だとしたら、そういうことかもしれないな・・・と
意識は、つまり楽譜通り、または当初変える予定だった理論通り、慣れ通り、好み通り・・・なのですが。
包丁人あじへい、という漫画がありまして、コックさんの漫画ですね・・・
その中で、アジヘイが、肉体労働者風のお客さんが来たとき、塩を強くしたのですね・・・それでちょうどよかった・・・というシーンになるわけですが・・・
要するに汗をかくと塩分が失われるので、塩味が濃くないと塩気を感じないので、そうするわけです。
これは理論ですが・・・他の何かによって、味を普段のものと違ったものにするということはあるかもしれないですが、どうでしょう?
しかし、物を売るのでも、あるいは他の何らかの都合で人と接するにも、超意識というか何か理論以外のものによって、接っし方が違ってくると言うことがあるかもしれませんが・・・これも言ってみればピアニストがコードを変えるのと同じことかもしれません。
ただ、これと「運命変更には無意識による意識の書き換えが起こりそう。」が同じかどうかは、分りませんが。
勝手に無意識が意識を網羅するわけですので・・・ピアノの方は、何か近いな、と感じますが。
でも一番近いのは・・・性欲、食欲の類でしょうか?
おなかが空いているときに、好きな食べ物のにおいでもしてくると、唾が出てきてしまうようなもの、
どんなにスカシテいても、胸元の開いている女性が近くを通ったら目が追ってしまう・・・
そんな感じでしょうか?
でもあれですね、話ははずれますが、食欲は結構抑えられないのですが・・・食べ物が目の前にあると、唾液が出てくる・・・ですが・・・
性欲というか、たとえば、部屋でふたりっきりで、仮に裸でいても、「この場面はセックスというシュチエーションではないな」と思っているような時は、性欲というのは来ないときがありますね・・・
食欲と性欲は若干違うようです。
ただ・・・いずれにしても「運命変更には無意識による意識の書き換えが起こりそう。」とは少し違うように感じます。
有意の方々と普通の方々は、如何様に思われるでしょうか?
さて・・・
悲惨なニュースを掲載するのも・・・読む人の外応を考えますと、いかがなものかなと思いますので、極力掲載しないようにしようと思いますが・・・
先日書きました明窓出版の霊視のアンケートですが、送信済欄を見ましたら出て着まして・・・・
なんでも『異次元からのメッセージ』Part
2 を企画しているそうで、
半年以上前になくなった故人の中から何人か上げて欲しい、というアンケートでしたが・・・
私はですね・・・
政木和三さん、関英男さん、山岡鉄舟さん、勝海舟さん、西郷隆盛さん、吉田松陰さん、明智光秀さん、ジョンレノンさん
と書いたようです。
吉田松陰さんを書いたと言うのが、以外です。
確かに聞いて見たいところではありますが。
勝さんはですね・・・副島隆彦さんによりますと、歴史の本に書いてあるような方ではないようですが・・・ただ聞いて見たいのですね・・・なぜでしょうか?
有意の方々と普通の方々は、如何様に思われるでしょうか?
今ですね・・・観月ありさの『鬼龍院花子の生涯』を見ていますが・・・
仁侠映画のストーリーって本当に嫌ですね・・・最低です。
人間の最低の部分を表現しています。
なぜなら、こういうストーリーだったら、最後は仕返ししかないではないですか?
実際、ほとんど全てで、最後はそういうシーンになるわけですが・・・
こうですね・・・人の一生懸命や純粋な思いというのを、悪者役のやくざが打ち砕くのですね・・・
それでも最後の最後までがまんするのですが・・・犠牲者がどんどんでるわけです。
そして、最後に報復・・・だれもが納得する報復となります。
これをして「右見ても左を見ても、真っ暗闇じゃございませんか・・・」ということなわけです。
最後まで見ますが・・・任侠映画・・・最低です。
これまで任侠映画を100本以上見てきましたが、本当に最低です。
これも、いまから仕返しに行きますが・・・結局得をするのは、裏で手を引いている設定の大阪のやくざなのですね。
「無駄と分っていてもやらなくてはいけないときがある」という意味のことを親分が言っていますが・・・
無駄ならやるな! と言います。 やるなら無駄でないことをしなくては。
ちゃんと相手の親分をやっつけましたが・・・
こうなるなら、初めから、いらないことはしなければいいのです。
本当に最低です。
で・・・無事終わりました。
本当にですね・・・24,5歳の時から30歳くらいまで、ほとんど毎週1本ずつ・・・
ひとつのレンタルビデオ屋を全部見終わると次のレンタルビデオ屋さんに・・・と言う感じでですね・・・
もつ焼きを屋台で買って来て、缶ビールを飲みながら見ていました。
久しぶりに・・・10年ぶりくらいに、こういうストーリーを見ましたが・・・本当に最低でした。
有意の方々と普通の方々は、如何様に思われるでしょうか?
で・・・本もまだ読んでいませんので・・・メルマガをいくつか・・・
船井幸雄さん関係ですが・・・
(引用)
★ 5/31 【今週お伝えしたいこと】 更新しました。
「幸感力53」 http://www.honmono-ken.com/index.php
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■■
■■ 「制約やこだわりを捨てよう!」
━━━━━━━━━━━━━━━━今週の船井幸雄のメッセージ━━
●皆さん、こんにちは!船井でございます。
私は、こだわりが大嫌いです。
たとえば、仏様に手を合わせるのは当然のことと思われているでしょうが、私はその思いさえあれば、別に手を合わせることもなかろうと、かなり自由に考えています。
世の中にはいろんな制約があり、それが思いこみや先入観や偏見となっていて、物事の本質を見ることが妨げられていることがあるように思えてなりません。
場合によっては、自らそのように縛られることを望んでいるかに思えるくらい、こだわりのなかで生きている人もいるようです。
もっと、自由に生きることで、私たちはもっと成長できるように思えてならないのです。
●今回は、そんなお話をしようと思います。
どうぞ、じっくりお読みになってください。
よろしくお願いいたします。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
【今週の船井幸雄のメッセージ】
「制約に縛られ自分に枠をはめてしまうと
成長の機会を逃すきっかけとなってしまいます。」
┗━━━━━━━━━━船井幸雄流 本物時代の生き方━┛
●自分を成長させたいと考えるのであれば、制約をなるべく少なくして心を自由に開放する必要があります。
制約をなくせば思い込みや偏見なく物事を見ることができるようになり、自分と異なるものでもすべて受け入れる“すなお”さが生まれ、自分にはなかった良いところ・悪いところも吸収し、どのような状況の変化にも強くなることができます。
(船井幸雄談)
●私は、かつて整理、整頓がとても下手でした。
ですから、教員を辞めたとき、船井総研を辞めたとき、持ち帰ったり、捨てたりする書類や荷物の多さは半端なものではなかったと記憶しています。
書類は整頓して保管する。
とにかく保管、保管、保管…。
おかげで、どんどん保管用のツールが増えていきました。そうしなければならないと思いこんでいました。これこそが思いこみ。
それによって、制約をどんどんつくってしまっていたともいえます。
●整理とは「捨てること」だとよく言われます。
ところが、自分の感覚では、「捨てる」などという感性はまったくなかったのです。
しかし、一度そのこだわりを捨てたら、感覚は一変しました。
いまでは、整理を楽しむくらいになりました。
デスクの上も、船井会長のレベルまでとはいえませんが、メチャクチャきれいになりました。
この結果、仕事の積み残しもほとんどなくなりました。
一つの制約を外したことで、新しい風が吹いてくることを実感する日々です。 (文責・佐野浩一)
(以上)
ということです。
私は以前は本当い制約嫌いで・・・で今でもそうているのだろうと思っていたのですが・・・どうも違かったようなのですね
知らない間にですね・・・40代なんだから、こうしなくてへいけないとかですね・・・大卒だからこうしなくてはいけないとかですね、
こういう特技があるんだからこうしなくてはいけない、とかですね・・・
ですので・・・本当は「好きで得意」とか「謙虚」とか「勉強好き」のようなものも、掲げない方がいいのだと思います。
私が本を読むのは別に「勉強好き」というスローガンを見たからではありませんし・・・なんというのでしょうか、「こうだ」は必要ないのではないでしょうか。
本当にそう思います。
ただ、それが嵩じて、「逆を強引にやる必要も無いわけで・・・中庸の心で見ればいいのだと思います。
有意の方々と普通の方々は、如何様に思われるでしょうか?
で・・・そのくせですね・・・
こんなメルマガも来ます。
(引用)
★∴∴∴∴☆∴∴∴∴∴∴∴∴☆∴∴∴∴∴∴∴∴☆∴∴∴∴★
船 井 流 ★ 人 生 の 気 づ き と 学
び
【株式会社 船井メディア
発行】
★∵∵∵∵☆∵∵∵∵∵∵∵∵☆∵∵∵∵∵∵∵∵☆∵∵∵∵★
第306回 2010.06.04
■【今日の言葉】=======================================
一流の人になろう
■【気づきと学び】======================================
一流になるには、一流を体験し、一流だと思うことです
一流の眼を養うためには、ホンモノを見続けます
ホンモノを見続けると、ニセモノを見抜く感性が養われます
自分が“一流であれ”と考えて行動し、一流の人になりましょう
◆───−-
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- - -
-−───◆
【メルマガ名】船井流「人生の気づきと学び」
【発行元】株式会社船井メディア http://www.funaimedia.com
(以上)
こだわりをなくしたほうがいい、の後に、「自分が“一流であれ”と考えて行動し、一流の人になりましょう」ということです。
蓮舫さんだったら「二流じゃいけないんですか?」とか言うかもしれませんが(笑)・・・
ただ、これは微妙でして・・・「一流」という概念は、目標ですとかこだわりの対象になるかどうか・・・
なるとも言えるし、ならないとも言えるかもしれません。
だって「一流の二流」だってあるわけでして・・・
あるいは、一位が、あるいは一番高価なものが一流ということではないわけです。
その意味では、「やるからには一生懸命」という意味だと解釈して、「自分が“一流であれ”と考えて行動し、一流の人になりましょう」は、よいことだ、と解釈するのがよいのでしょう。
こだわりとは関係ない、ということです。
有意の方々と普通の方々は、如何様に思われるでしょうか?
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