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もくじ


 


http://www.nihoniyasaka.com/

日本の伝統は「肉類禁物」である


 

先日行われた第82回アカデミー賞で、太地町のイルカ猟を描いた『ザ・コーヴ』が長編ドキュメンタリー賞を受賞しました。
太地町の住民をはじめ、日本国内ではこのことについて反発する声が大きいようです。
つい先日は「シー・シェパード」の船長が逮捕されましたが、捕鯨の問題でも日本は国際社会から厳しい批判の目にさらされています。

私も、アメリカにいた1980年頃、日本の捕鯨やイルカ猟について非難を受けたことがたびたびあります。
その当時は未成年で、そんな問題については考えてもいなかったですし、どう答えるべきかわからなかったのですが、とりあえず日本の伝統、食文化であるということと、漁師にも生活があると擁護するようなことを言ったと記憶しています。

あれから30年が経ち、私もいろいろなことを知り、考え方も変わりました。
この問題については言いたいことが山ほどあり、「今週の一言」などでは書ききれないのですが、今ホットな話題になっているようなので、少しだけ書きます。

様々な神示・神典類や、日本の歴史を研究していくと、この問題に対する答えは明らかなのです。
日月神示に「日本人には肉類禁物である」とあることはご存知の方も多いと思います。
まさに、そのとおりなのです。

捕鯨やイルカ猟は数百年の伝統があるといいますが、それを言うなら、
日本は天武4年(675)に出された「殺生禁断の詔勅(しょうちょく)」以来、明治期に至るまで、1200年間も肉食をしていなかったのです。
そちらの方が「伝統」としてははるかに長いと言えます。
明治になってから、欧米思想に毒された明治新政府より、国民はなかば無理やり肉を食べさせられるようになったわけで、それまでは牛や豚の肉を食らうことなど考えもしなかったのです(一部では隠れて食べたりはしていましたが)。
明治2年には、牛を一頭殺して食べたという罪で10人が島流しの刑を受けたという記録が残っているそうです。


そもそも日
本は縄文時代の昔から野菜や木の実、魚介類に依存する食生活でした。
やがて古墳時代になり、渡来人がやってくると、肉食が日本にも浸透し始めます
それで、
天武天皇以来、元正、聖武、孝謙、桓武、崇徳、後鳥羽と、たびたび「殺生
禁断の詔勅(しょうちょく)」というのが出されるわけです。
これは仏教の影響を受けたということもありますが、仏教渡来よりもずっと前の先史時代にまでさかのぼれば、日本はほぼ菜食中心の食生活だったのです。

さらに、大正期に降りた出口王仁三郎の伊都能売(いづのめ)神諭に「日本人はどこまでも五穀野菜と鮮魚より他のものは、口に入れることは許してないのであれども」とあり、昭和期に降りた日月神示に「臣民の食べ物は五穀野菜の類である」とあるのも、それが開闢以来、日本古来の正しき「伝統」であるが故です。
神々は何度も何度も、このことについて辛抱強く私たちに“警告”を与えてきたのです。

鯨やイルカは言うまでもなく哺乳類であり、魚類ではありません。私たちに近い生き物であり、人類の祖先だとする説もあります。
国際社会から「コメ」や「漬物」が非難されるのなら「日本の食文化」だと反発するのはわかりますが
、ごく一部の地域で行われていたに過ぎない、しかも遡ってもたかだか江戸時代を起源とする捕鯨やイルカ猟などをして我が国の伝統文化などと主張するのは完全な誤りです。
否、たとえ日本の伝統だとしても、
そのような“人非人(にんぴにん)”の行いは率先して改めるべきです。
牛や豚や鶏は、現代の日本人の食生活に深く根付いてしまっていますので、今すぐ改めるのはなかなか難しいでしょうけれども、
鯨やイルカなど、いまさら食べられなくて困る人など、ほとんどいないはずです。

日本は即刻、捕鯨やイルカ猟などをやめるのはもちろんのこと、早期に畜産とも決別して穀物野菜、
若干の魚介類を中心とした本来の伝統食に改めるべきです。
一方で“殺生”ならぬ“殺戮(さつりく)”を繰り返しながら「ミロクの世」の到来を望むことなど矛盾も甚だしいのではないでしょうか。
(注意してクリック↓してください。残酷な動画があります。)
http://www.all-creatures.org/ha/saveWhaleDolphin.html

私は『ザ・コーヴ』のアカデミー賞の受賞が、日本人にとっても正しき食生活を見直す契機となってくれればいいと思っています。

(中矢伸一)

ということです。

ん・・・難しいですね・・・分りますが・・・私は食べませんので。

ただ、どう見ても私より精神レベルの高いなぁ・・・と思うような人でも、おいしく肉料理を食べている場面を何度も見ていますし・・・んまあ、肉だけたべなければそれでいい、ということではないのでしょうが。

いろいろ読んだり見たりしまして・・・明るい霊能者の美鈴さん
http://misuzu-message.com/ は食べているようですね・・・
もちろん、牛なんかとも話せるようで、便秘になった牛を昔から助けたりしているようですので、家畜を必要以上に低く思っているような人ではないと思いますが。

最新のブログでは、豚丼がおいしかった、とあります。私も食べていいものなら食べたいな、とは思います。

岡田多母さんは、「肉、食べてはいけないでしょうか?」と書いていますし、息子さんが、「とんかつが食べたい」と言ったら、作ってあげたようです。

森田健さんは、いくらか食べているようですね。「内臓肉を食べると運が下がります」と言われたようですので、内臓肉(モツともいう)は食べないのでしょうが。

浅見帆帆子さんは、何かで肉料理について書いてあったような気がしますが、よく覚えていません。

船井幸雄さんは、食べるのを止めたようですが、船井幸雄さんの関連会社の社員さん達は食べるようです。
(もちろん、いろいろ言われては、働く方もイヤになりますが)


で・・・別に、「あなたは、あなたでしょう?自分で決めなさい」といわれれば、それまでですし、私は食べませんが・・・
まあ・・・イルカはその特別な地方の方々以外は食べませんので、逆に、これだけ飛球した、豚牛鶏と同様、その地方にはイルカも普及しているのでしょうから、すぐにゼロにとは、私は言いません。
いずれ少しずつ・・・止めた方がいいのでしょう。
ただ、あれだけ、アメリカ人にやられますと、意地でも食べるでしょうね・・・それが狙いではなく、たんあんる日本叩きがねらいのようですが。

鯨も、同じだと思います。
食べないのが正しいのだと思いますが、少しずつですね・・・
禁煙と同じでですね(笑)・・・良かれ悪かれ、いきなりゼロというのは、むつかしいのだと思います。

ただ・・・私も肉しか食べませんでしたが・・・生の肉は食べられませんでしたね・・・
タタキでも、レアのステーキでも、なんでも。

ですので、普通の人よりは、食べない、ということが容易に出来る人間だったのかもしれません。



現実的な話ですが・・・
「肉食べるとどうなるの?」「罰でも当たるの?」となりますと、よく分りません。
政治家だって、お金持ちだってスポーツ選手だって、みんな食べていて、それで裕福に楽しい暮らしを営んでいます。
おそらく・・・仮に何かあっても、罰は当たらないのだろうと思います。
体調も悪くならないかもしれません。
あの世では・・・地獄と言いますか、自分が一番言い世の中だと思い込んでいるところへあの世では行くようですが・・・そこでも・・・まあ肉料理は出るのでしょうから、仮に超能力が使えても、動物と仲良くできるかどうかは不明ですが。

じゃあ、なんで肉を食べてはいけないのですか?と言われると一番困りますね。
立派な霊能者が、そういっているから。
日月神示に書いてあるから。
どれも主体的ではないのですね・・・
もちろん、かわいそうだから食べないは主体的ですが、そういう根拠でいいのでしょうか?

普通に書かせてもらえれば、肉はおいしいです。
私は牛より豚が好きですが・・・もっというと鶏が好きですが・・・
きっと、今でもフライドチキンは、「人質」でも取られれば、5人前くらいは普通に食べられると思います。
カツどんも、「爆弾のスイッチを押すぞ」、とか言われれば、3〜5丼くらいは食べられるかもしれません。

イヤ、もっと書けば、10年前くらいから運が落ちなければ、食べ続けていただろうな、とも思います。
ですので、今普通に生活している人に、「食べるな」と説得できる自信はありません。
「だってさ、なんともないよ。君よりツイテるしさ。無理しないで、食べた方が運がいいじゃないの?」
と言われれば、どうしようもありませんし、それこそ「肉を食べて幸運になる」なんて本が精神世界ではやったら、どうなるか分りません(笑)。
「古代の秘蔵文献が紐解く”運が悪いのは肉を食べなかったからだ”」(笑)とかですね・・・。

もちろん、例の飛脚の話などもありますので、長距離走的な運動では、肉より玄米が間違いなくよいようです。
ただ、現実問題、今は、長距離走はしませんので・・・それだけの理由なら、「まあ、そういうことをする状況になったら食べないようにするよ」と言われればそれまでです。


まあ・・・何といいましょうか・・・相当に精神世界の問題ですので、「何でお線香を上げるの?」、「そうすると、霊が喜ぶからよ」とかと同様な話で、「霊なんていないよ」と言う人はそれまでとなってしまいます。


ただ・・・肉よりおいしいものが出てくると一番速いですね。
本当はこういうのは大きな企業でしかできませんので、船井幸雄さんトコロで何かやると面白いのですが・・・
味が肉とそっくりで、しかし自然素材で、しかも、栄養・滋養が半端ではないくらいすごい・・・こんな食品ですね。
ご飯にもビールにもぴったり!
保存が効いて、緊急食品にもなる・・・
とかですね。

そうすると、急速に肉食はなくなるわ・・・
健康問題も解決するわ・・・
災害地への食糧援助もできるわ・・・
言うこと無しですね。

肉の味はですね・・・あれはたんぱく質と脂です。
本当にそれ以上ではないです。
もちろん、風味とかありますが、油揚げをですね、バターで駆り仮に焼いたら、ほとんど牛肉ですよ。

私は野菜炒めに油揚げを入れて多目の油で炒めますが・・・味噌味になんかしたときには、錯覚を起こします。「肉じゃないの?」とかですね。

ということで、きっとやらないでしょうが、どこかの企業でやってほしいものだと感じています。
で、私書きますと、1,2週間後に、そういうビジネスをはじめた、というニュースを見ることになりますので、もうどこかでやっているかもしれません。

有意の方々の半分は肉を食べていると思いますが、食品会社の方はいないでしょうか?
是非やってほしいと思いますし、私を庶務でも総務でもいいから入れて欲しいと思いますが(笑)。

有意の方々は、どう感じるでしょうか?



今日の曲・・・
左:イルカさんです。イルカさんの野菜の歌です。 真中:大貫さんです。お馴染みのフレンチ調の曲です。右:スーパーマーケットでよく聴く曲です。パイナップルの歌は見つかりませんでした。

イルカ サラダの国から来た娘 ベジタブル/ 大貫妙子 おさかな天国 (写真・漢字勉強期間限定版)

その他・・・
http://www.youtube.com/watch?v=D6HbkMN6JXQ
野菜村

http://www.youtube.com/watch?v=63DzG9v6iuI
【吉幾三】 TOFU-豆腐- (新日本HOUSE_MIX)

 


さて・・・http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100315-00000052-jij-soci によりますと・・・
(引用)

大イチョウ、植え直し成功=再生へ向け一歩−鶴岡八幡宮

3月15日12時40分配信 時事通信

 神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮で、強風などで倒れた樹齢1000年以上の大イチョウの根元部分が15日までに、近くに植え直された。県担当者は「植え直しは成功した。再生に期待したい」と話している。
 同八幡宮などによると、大イチョウは根元から約4メートルの部分で切断され、倒れた場所から西側に約7メートル離れた地点に植え直された。
 根が大きく損傷していたことから、同八幡宮は当初、「現状では植え直しは無理」と判断していた。しかし、その後、再生につながるとみられる状態の良い細い根が残っていることが確認されたという。
 このため、同八幡宮が東京農業大の浜野周泰教授に依頼。同教授の指導の下、大イチョウは残された根で養分や水分を吸収できるよう切断され、植え直された。
 県担当者によると、浜野教授は「天候次第だが約90%は再生できる」と話しているという。 

(以上)

ということです。

よかったですね。流石に木は、すごいですね。





さて、ベンジャミンさんhttp://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/ ですが・・・

(引用)
 
 
03/15/2010

ヘンリー・キッシンジャーとBDSの最近の動き

1月のブログで「欧米の黒幕であるヘンリー・キッシンジャーの中心的な仲間5人が12月12日に殺され、本人もその日以降行方不明になっており、殺されたのではないかという人もいる」という記事を掲載した。その後キッシンジャーの事務所に生存を確認するため電話をかけたが、尋ねた後に途中で電話を切られ、その後何度かけても繋がらなかった。

しかし表のニュースによると先週韓国を訪問したらしいので(死亡事実を隠蔽する偽情報の可能性もある生存している可能性が非常に高く、行方不明になっていたのは何かの意味があったのかもしれない。

実はこの記事が出る前にヨーローッパの銀行マンがBDSに連絡をし、「キッシンジャーはまだ生きており、全ての大掛かりなドルの取引には彼の承認が必要だ」と言った。その後この人物はBDSと天文学的な数字のお金を五分五分で山分けをする提案をした。現在日本と中国の銀行がこの提案の信憑性を調べている

Henry Kissinger re-appears, contacts the Black Dragon Society

Earlier reports given two us by two separate previously reliable sources that Henry Kissinger and 5 associates were gunned down on December 12th have been proven wrong by Kissinger’s appearance at a South Korean hospital. We also contacted Kissinger’s office after we were given this information to ask if he was still alive and they just hung up the phone without answering. It is still possible therefore, that this news event was fake but, for now, we will assume Kissinger is in fact alive.

http://www.cnn.com/2010/WORLD/asiapcf/03/14/henry.kissinger/index.html?section=cnn_latest

In fact, prior to his public appearance, we were contacted by a senior banker who told us that Kissinger was still alive, though looking very old and that all major financial transactions involving US dollars still had to go past his desk. The banker who gave us this information then made a proposal to fund the BDS with astronomical amounts of money in exchange for a 50/50 split. Senior Japanese and Chinese bankers are now doing due diligence on this deal to confirm it is not just another scam. If it turns out to be genuine, there will be a public announcement in due time.

Weekly Geopolitical News and Analysis100315: Report on discussions between the Black Dragon Society and a Chinese Politburo(共産党) envoy(使者) plus other news

The Chinese Politburo sent an envoy to hold preliminary(予備の, 準備の) discussions with the Black Dragon Society last week. The discussions were, as was the case with the Illuminati in Italy, friendly and productive. In essence, the Chinese were interested in backing up all the world’s dollars earned through honest means with either gold or commodities(金融商品だと思いますが?) and then putting the new dollars under the control of an institution controlled 50/50 by Asia and the West. Later, the institution that manages the new currency would become a meritocracy(実力主義?) without any regional or racial quotas in its administration.

Weekly Geopolitical News and Analysis
(以上)

ということで・・・私にはcommoditiesが不明ですが・・・まあ、ともかく、中国共産党がブラックドラゴンソサイティと話し合いをするため使者を送ってきて、中国は、世界中のドルを新しいドルと入れ替えることに興味を持っており、それを運営する組織はアジアと西洋半分半分で運営されて、後に、新しい通過を運営する組織は実力主義で地域・民族による制限はない、ということなんだと思います。

よい感じのようですね。
希望の光が見えます。




さて、副島隆彦さん
http://soejima.to/ ですが・・・
すでに、別の書き込みが掲載されていますが、まずはこちらからです。
(引用)

[1532]定例会が無事終わりました。以下の「次官、局長、実質廃止」の記事が何より重要だと私は思います。投稿者:副島隆彦投稿日:2010/03/15(Mon) 15:05:48

昨日の定例会は、東京の五反田(ごたんだ)の学研(がっけん)という大きな出版社の真新しい高層ビルの大会議室(イベントホール)をお借りして、行いました。 研究員の吉田ゆうじ君が、「日銀 円の王権」を出版してもらったご縁で、使わせていただきました。

(中略)

フリージャーナリストの岩上安身(いわかみやすみ)氏が、来てくださったので、私と一緒に登壇していただきまして、現下の「閉鎖的な記者クラブ制度の解体」の闘いを、ご自身が最先頭で、闘っているご様子を、少し解説してくださいました。大変ありがたいことだと思います。

岩上氏と、上杉隆(うえすぎたかし)氏の、ふたりの、まさしく文字通りの奮闘(ふんとう)で、各省のこれまでの「談合組織」であった、記者クラブが、ガラガラと音をたてて壊れつつあります。昨年の9月から、鳩山政権が出来て、記者クラブという、おそるべき、言論統制、情報統制の構造が、破壊・解体されつつあるのです。

このことの重大な意義を私たち、無気力症(むきりょくしょう)に陥って、「どうせ、改革なんか出来ないんだ。自民党時代と同じで、各省の官僚たちや、警察・検察が、一方的に、情報を、自分たちに都合のいいように作って、記者クラブを通して、国民に、テレビ・新聞で流すだけのだ」と、 思って来ました。 

 この私たちの怠惰(たいだ)を、岩上氏と、上杉氏の、両人が、自分の体で、各省庁の役人たち(統制官僚)と、争いながら、打ち破ってきました。私たちは、おふたりの努力に本当に感謝しなければいけないと思います。

 そして、あとに続け、であります。 私は、弟子たちのお尻を蹴り散らして手でも、「お前たちも、大臣室で、フリーの記者たちとも、大臣たちが、相手をして、記者会見をしてくれる、というのだから、行って来い。岩上氏に習って、やり方を教わって来い」と、昨日の講演会でも、勝手にどなっていました。 

私自身も迂闊(うかつ)でした。どうせ、「記者クラブ」が主催する、各省庁の大臣記者会見は、大手の新聞、テレビの記者たちしか入れないのだから、と、諦めていました。これではいけない。 私自身が、行かなくては。 率先して範を垂れる、ということが出来なければ、学問道場の先生ではない、と、今頃になって、気づきました。反省することしきりです。

 きっと、小沢一郎氏の民主党本部での、記者会見に、私が、参加することを、小沢氏も喜んでくれると思います。 ただし、私は、ジャーナリスト(記者)を名乗って来なかったので、どうしようかと、今、考えています。どうにかなるでしょう。 大事なことは、フットワーク軽く、大事なことに気付いたら、すぐに動き始める、ということです。

記者クラブという巨大な談合組織こそは、日本の悪の巣窟(そうくつ)であり、日本のテレビ、新聞による、日本国民への洗脳、統制の手段そのものでした。これを、どんどん打ち壊さなければならない。

岩上氏は、「大臣たちが、フリーの記者たちにも、どんどん会って、話をしようとしている。今が、本当にチャンスなのですよ」 と、言っておられた。 本当だなあ、と、私は、腹の底から感心しました。

弟子たちと、なんとか、「各省の大臣との記者会見 専用の ネット(テレビ)局」を、私たち、日本の「無血革命派」が、力を合わせて、実現できたらいいと、本気で思います。やるべきだ、と思ったらすぐに動きださなければならない。

(中略)

私は、出版社との本を次々に作ることの奴隷になって、それで、私は、身動きができなくされていたのだ、と、はたと気づきました。

(中略)

春になりました。元気、「元」「気」にならなくては。「気の元」を発散して、自分がその先頭に立たなくては、と改めて思いました。へこたれて、疲れていてはいけないのです。皆さん、元気を出しましょう。自分の気の元を、腹の底から、絞(しぼ)り出しましょう。

(中略)

以下に載せる新聞記事が、最近では一番、大事なのだと、私は気づいていました。 それは、各省の 「事務次官、局長を、実質的に、一挙に廃止して、部長と同じにする」というものです。これは、明らかに革命です。一本の法律改正の必要なく、この 公務員の 職制(しょくせい)の変更は出来るのです。これは凄(これ)いことだ、と、私は、びっくりしました。

ところが、この民主党政府による、事務次官、局長の 部長級への格下げ」の報道、記事は、ほとんど見つかりませんでした。やっと拾い集めました。 

 本当に大事なことを、今の日本のテレビ、新聞たち(11社体制のアメリカの手先ども) は、伝えようとしない。岩上氏も言っていましたが、大臣たちが、記者会見で、報告したことで、大事なことを、新聞、テレビは、全く報じない、そうです。なんという事態でしょうか。 私たち学問道場は会員が一丸(いちがん)となって、本気で奮起しなければいけません。 へこたれていてはいけない

(以上)

ということです。
副島さんと学問道場の方々、がんばっていますね。
期待しています。

ネットテレビは、学問道場のみなさんは、多芸で頭のよい人ばかりですので、情報機器に詳しい人もいるはずですので、きっとすぐにでもできることでしょう。

録画でよいのなら、それこそTOUYUBEを使えば、明日にでもできるのかもしれません。
ライブ放送も、そういうサーバーを立てれば可能なようです。
こちらは人といくらかの資金が必要になります。

このネットTV局ですが、私も前々から考えていまして・・・TV局のようにワードプロンプターとかそういったものまで揃えますと大変ですので、固定カメラ1台とマイク、そしてバックをそれなりの見栄えにする・・・後は録画してアップロードすればよいわけですが、何を話すか、ですね。

先達てもニュースで、記者クラブにネット関係の人は入れてくれない、というものがありましたが、そうなると、自分で何かネタを探してこないといけないわけですが・・・どうも上記を読んでいますと、入れる、というか、民主党に行けばよいようです。

実はネットラジオも考えているのですが・・・コミュニティーラジオをやっている人がいらっしゃいますが・・・原千秋さん
http://www.768.jp/about_us/ですね。

←ベンジャミン・フルフォード、闇の権力を語る 前編1-3

この方ですが。
ただ、藤原直哉さんのように、ああすらすら話せるか?と考えますと、何か話せたとしても、ここに書いているようなことを話しても仕方がありませんので、何かネタはないだろうかな・・・といつも思っています。

そういえばですね・・・今日、書類を出した会社から電話がありまして「アナウンサーのような良い声ですね」とかお世辞を言われまして、こういうお世辞を言われましたのは、実は一生で二度目です。

アナウンサーの方が読んでいましたら恥ずかしい話ですが、新卒の時にですね、ラジオ短波を受けに入ったのですね。
営業だったかなにかだったかなのですが・・・
とにかく書類は通りまして、面接になったのですが、その担当の人が、「いい声してますね」と声を褒めてくれました・・・お世辞でしょうが、まあそれでも嬉しいです。
当人は、とても、電波に自分の声を乗せようだなんてことは考えていませんでしたので、嬉しい以上はないのですが。

で、二次面接に行かなかったのですが・・・これもまたですね・・・どこかの大きなレコード会社を受けに入ったのですね(笑)。


関連して・・・私は狭い部屋と電話の声は得意なのです。
声が小さい、といいますか、声がですね、モニターできないとうまく話せないのですね。
電話は、自分の声もよく聞こえます。狭い部屋も、跳ね返ってきてよく聞こえます。

ですが、それ以外の状況だと、自分の話しぶり・・・声、感じ・・・などを含めて・・・良い話し方をしているかどうかが、分らないのですね・・・
これは、音楽をやっている特性なのでしょうか?
ライブとか録音とかで、自分の音が良く聞こえないと演奏いにくいですので、モニターを気にするわけですが・・・
そうかもしれません。

ですので、広くても、自分の声がモニターできれば、うまく話せますが・・・
有意の方々は、どう感じるでしょうか?(細かいことを気にするな、と普通言うでしょうか)。




それはそれでいいのですが・・・
ネットラジオですね・・・一応バックに流す音楽とかですね、著作権がありますので、全部自分で作ろうと思いまして機材までは揃えたのですが、会社をちょうど辞めまして・・・それでやらずじまいですね。
転職が決まったらやろう、と思ったわけで酢が、こういうのがいけないのですね。
いりなり両方ともやってしまえばよかったのです。

ただ、決まるまでは、やらない、とすることにより気合をいれようとしたわけですが、まあ・・・ですね。
ただ・・・ヒューレンさんによりますと、潜在意識に間違えた記憶が入っている私のような人は、未来のことを考えたり、願望を持ったりすればするほどいけないようですので、とりあえず、今できることを、今がんばる・・・と・・・


船井幸雄さんの「今だけ、お金だけ、自分だけがいけない」は、絶対に間違え易いと思いますが、「今も大事、お金も大事、自分も大事」が土台にあって初めて意味のある言葉なわけです。

日月神示にも、自己愛はいけない、他人を愛することが大切。しかし自己愛が悪いということではない。自己愛から初めてそれが大きく自他愛になっていくのが良いのだ、というようなことが書かれています・・・
ちょうと、3日前に寝る前に出ていたものですが・・・

なかなか副島さんの話に行きませんが、引用いたします。


第二十九巻 秋の巻 (全二十八帖)
第六帖(七四七)
他を愛することは真愛ぞ。己のみ愛するのは自己愛ぞ。自己愛を拝してはならん。自己愛を拡げて、大きくして、真愛を合致させねばならん。そこに新しき道開けるのであるぞ。自己愛を悪魔と説くは悪魔ぞ。無き悪魔つくり、生み出すでないぞ。一段昇らねばわからん

(以上)

ということです。
これもですね、自己愛を悪魔と説く、それがヒューレンさんのいう「記憶」なわけです。
それで、もういちいち、どういう悪い記憶が入っているのか分らないわけですね。
正しい記憶が入っていれば、自己実現法でも、80%の幸せな状態、恵まれた状態にはなれるはずなのです。
しかし、そうではないですので、とにかく、記憶をクリーニング・・・するわけです。

それが、「I Love you, I'm sorry, Please forgive me, Thank You」です。

こにより、間違えた記憶がなくなるわけです。
もちろん、自己啓発。実現法で80%恵まれた状態になっている人でも、これにより、創造主が思っているその人に一番良い状態が訪れるようになるわけです。

ただし、これだけで終わりではなく、どうも・・・次には、自分の周りをクリーニング、その次には世界中をクリーニング・・・これで創造主が思っていた一番良い世の中が出来上がるようです。



で・・・「使命」をヒューレンさんの文章から否定した内容を書いたその夜は、次のものが出てきました。

第二十七九巻 春の巻 (全六十帖)
第十八帖(675)

使命がいのち。上から、神から命ぜられたことがいのちぞ。使命はつくられた時に与えられる。
使命なくてものは生まれんぞ。自分の使命は内に聞きつつ外に聞けよ。使命果たすがよろこびぞ。
使命は足すには生命がけでなくてはならん。生命ぢゃからのう。努力した上にもせなならんぞ。努力には苦もあるぞ。苦のない努力ないぞ。右を動かせば左も動くぞ。果たせば苦は楽。果たさねば楽も苦。主にあるからこそ、苦あるからこそ、風にも倒れんのぢゃ。神が主であるぞ。

(以上)

で・・・別に作った話ではなく、本当に出てくるのです。


ヒューレンさんは
私はこうなりたい、こうありたいというのは”使命”です。しかし、神聖なる知能は、そんな小さなものより、もっと大きなものをあげたいと思っているのです。
仏陀は、「空」になったら悟りがあると言っています。
ゼロになれば、必要なものはすべて与えられるのです。
 でも、ゼロにならないかぎり、自分にとってふさわしいものが何かすらわかりません。
 たとえば、入学試験に合格したいという願望があったとしても、それが本当にその人のあるべき行き方に導いてくれるかどうかはわかりません。
(以上)

です。
で・・・要するに、何が使命か分る人は、使命に従うのがいいですし、そうするしかないのだと思います。
但し、普通の人は使命が何か?分らないのですね・・・私も分りません。

そして、使命は、「欲して」得るものではないのですね。
としますと、間違えた記憶が潜在意識に入っていない人は、自然に使命が訪れていて、しかも、自分では別に使命と思っていないかもしれませんし、分っている人もいるのかもしれません。

ですので、日月神示で言っていることは、間違えた潜在意識が入っていないことが前提なのだろう、と感じます。
増して、使命は欲して得るものではないのでしょう。






副島さんに戻りますが・・・

きっと、小沢一郎氏の民主党本部での、記者会見に、私が、参加することを、小沢氏も喜んでくれると思います。 ただし、
私は、ジャーナリスト(記者)を名乗って来なかったので、どうしようかと、今、考えています。どうにかなるでしょう。 大事なことは、フットワーク軽く、大事なことに気付いたら、すぐに動き始める、ということです。

そうなのでしょうね・・・これは、副島さん程の方でも、こういう風にして迷ってしまうことがあるのだ、という我々には、「ああ、じゃあがんばろうか」と思わせてくれるものですね。
自分だけが迷っているわけでもないし、加えて、理由や条件が整っていなくても、進んでしまってもいいだな、と思わせてくれるわけです。

記者クラブという巨大な談合組織こそは、日本の悪の巣窟(そうくつ)であり、日本のテレビ、新聞による、日本国民への洗脳、統制の手段そのものでした。これを、どんどん打ち壊さなければならない。

岩上氏は、「大臣たちが、フリーの記者たちにも、どんどん会って、話をしようとしている。今が、本当にチャンスなのですよ」 と、言っておられた。 本当だなあ、と、私は、腹の底から感心しました。

(以上)
そうですね・・・しかし・・・となりますね(苦笑)。
副島さんがいけば、それは歓迎してくれますね。どんどん行って欲しいです。
で、自分は?「きっと、門前払いされるだろうな」、「それでもって逆恨みして、民主党を嫌いになるだろうな」とか、そういうのが、間違えた「記憶」なわけで、それは願望があって、願望を作る核を間違えた記憶が取り囲み、形になる、というような感じです。

クリーニングです。

「I Love you, I'm sorry, Please forgive me, Thank You」
「愛しています、ごめんなさい、どうぞ許してください、ありがとう」
です。

で、今日の曲・・・

弘田三枝子さん 「ダンケシェーン Danke schon」
有名な曲です。

たまには、ドイツ語でもと思いまして・・・
ドイツ語で「ありがとう」です。
と言っても、実際私はドイツ語にはうといですので、意識して、ドイツ人がこの言葉を話しているのを聞いたことがないかもしれません(笑)。一度くらいあるのかもしれませんが。
でも、きっと、本当だと思います。辞書にも、そう書いてありますので(笑)。
←Wayne Newton - Danke Schoen (1963)

こちらが本家だそうです。
女性のような声ですが、男性ということです。
初めて知りました。何か嬉しいです。新しい発見とでもいのでしょうか?
スイングジャズ調の良い曲ですね。
←瀬戸龍介&花世 『ホ・オポノポノ』 日比谷公会堂 - 2009.8.2  チャリティーフォーラム 「だいじょうぶの花」のライブ。 http://www.galaxymusic.net

この曲も、もう一度出しておきます。

ウイキhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3によれば・・・
(引用)

ウェイン・ニュートン(Carson Wayne Newton,
1942年4月3日 - )はアメリカ合衆国ポピュラー音楽歌手俳優バージニア州ロアノーク出身でチェロキーを祖先に持つ。

40年以上にもわたって、ラスベガスで3万回以上ものソロ・ショーを行い、「ラスベガスの帝王」または「ミスター・ラスベガス」と称されるエンターテイナーで、エルヴィス・プレスリーフランク・シナトラをしのぐ観客動員力を誇った。

(以上)

 

ついでですが、↑、こちらの「ブルーレディに紅いバラ」もこの人の持ち歌だそうです。
ずっと、女性だと思っていました。
真中はラスベガスでのショー、
右は、ジャニス・ジョプリンとの仮想デュオです。男の声になっています。

 


さて・・・今日はニュースがありません。

藤原直哉さん
http://www.fujiwaraoffice.co.jp/のネットラジオhttp://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/ですが・・・
「たまり場みたいな場所が必要」と言っていますね。
いやですね・・・藤原さんが語っていたのは、地域を復興する動きについてですが、次元上昇系にも、こういうのは必要だな、とつくずく感じます。

カフェ、といいますか・・・佐野元春さんが「カフェ・ボヘミア」というアルバムを昔出していますが、なんというのでしょうか・・・昔のフランスとでもいいましょうか・・・こうですね、同じような意思・志向・方向性を持っている人、あるいは、いろいろな能力や案を持っている人々が集うような場所ですね・・・

例の船井勝仁さんが訪れた「オーラカフェ 東京都 港区 東新橋2-16-4 」、 http://ameblo.jp/auracafe/とかですね、非常に候補としてよいのではないかと感じますが。

(追記:いろいろやってらっしゃるようです)



まあ個人的にはお酒もで出る方が良いのですが。

こういうのをですね・・・大都市に一つとか二つとか・・・出来るといいですね。
藤原さんの言っていますが、会って話さないとですね、なかなか物事は起き難いですね。
ただ、ですね・・・若い方々は、そうでもないようなのですよ・・・大学の合格者の方の集まる掲示板などを見ていますと、掲示板だけで、いわゆる「オフ会」と称する飲み会を開催したりするわけです。

しかし、これは、もう同じ大学ということで、方向が同じなのでできることかもしれませんが・・・ただ私のやっていたジャムセッションなんかも、ネットだけで会ったこともない人同士集まってはいましたが・・・
おそらくですね、そこに、大プロジェクトとか、お金が絡むとかビジネスとかとなると、ネットだけではむつかしいかもしれないですね。
さて、どうでしょうか?

あるいは、気軽な話でないわけで・・・そうすると会いませんと、むつかしい話をしたときなど真意を図りかねる、ということなのかもしれませんね・・・

だってですよ・・・「高次元では・・・」なんて私が話して、あったこともない人にとっては「?大丈夫か?この人は?」と思う場合もあるでしょう。
そうでもないでしょうか?知識がある人が聞けば、変か、変じゃないかくらいは分るでしょうか・・・分りますね・・・・どうでしょう?


ということで、とにかく、何とかなったら、その後、是非そういう場所を開拓したいと思います。

そういうのに、だれか力を化してくれるといいですね・・・たとえば・・・
「先日、どこそこへ行くと、○○の◎◎さんがいて、気さくな方で、声をかけたら気が合って、お茶を飲みながらお話しました」とかですね・・・そういう情報が伝わると、どんどん集まってくるわけです(笑)

有意の方々は、どう感じるでしょうか?



さて・・・求職求職とやっていますが・・・今は不況で能力があろうがどうだろうが仕事が見つけにくい・・・まして40過ぎだとそうそうない・・・と世間では言いますが(笑)・・・・洗脳に強いはずの私もこの情報に振り回されているようで・・・

といいますのは・・・妹がですね・・・2歳下ですので、43歳ですが・・・都内の大きな病院で医療事務の契約社員をしていますが、何でも、急に大手財閥系の会社の人が名刺を見せてきて、「ウチに移ってくれませんか?」とか言うのだそうです(驚)。

この不況の時に・・・40過ぎの女性に・・・すごいですね・・・その会社の人もすごいですし、妹もすごいです。

・・・いや・・・そういうことみたいですね・・・妹は、当然アセンションの「ア」の字も知りませんし、ひょっとしたらニュースすら見ていないかもしれません(見てるかな、ニュースくらい)。そういう人なのですね。

で、昔からツイテいてですね・・・面接なんかは100発100中・・・大学は偏差値だけで言うなら本当に高くない大学卒ですが、それこそ、財閥系の会社に昔から社員で入社してしまうのですね。
一度転職していますが、2社とも、言うと「ほぉ〜」というような会社です。

今でこそ、二人の娘がもう大学受験に近い年齢ですので、契約社員やパートなどで状況に応じて働いていますが(段なの転勤が多かった)・・・旦那は長野に単身赴任・・・
なんというかですね・・・女性である、ということもあるかもしれませんが・・・洗脳にかかってしまうような能力なら、何も知らない方が良いのではないだろうか?と感じます。

ということですので、ちょっと考え方を改めまして、がんばってみようと思います。


で・・・結局ですね・・・ここで今私が「偏差値」とか「女性」とか「40過ぎ」とか書いていますが、結局これがヒューレンさんのいう「記憶」なのかもしれないですね。

どこかで誰かが言った「嘘」が潜在意識に入っているわけです。



先だって、「私が慶応大学だったら、また現状に満足できないで、もっと上の大学を受けるとかいうかもしれない」とか書きましたが、状況がどうでも、目指しますと、結局「記憶」通りに動いてしまうようです。

動くだけならいいのですが、創造主が最も良い状態をあげる、というのに、それすら得られなくなってしまうようです。

これは何も、より良い(?)のがダメ、ということではなくてですね・・・難しいのですが、ヒューレンさん式の「記憶」(間違えた情報が潜在意識に入っていることだと思います)がありますと、目指したり、目標をも他t利、意図したり・・・つまり自分から「こういうものが欲しい」と志望しますと、それ自体がすでに間違えているということなわけです。

ですので、きっと、「記憶」が間違えていない人は、ひょっとしたら意図してもよいのかもしれませんが・・・きっとそういう人は意図しないのだと感じます。

「記憶」が問題なのですね。

ですので・・・
クリーニングですね・・・

「I Love you, I'm sorry, Please forgive me, Thank You」
「愛しています、ごめんなさい、どうぞ許してください、ありがとう」
です。

 

 

とは言え・・・もうひとつ・・・
「洗脳されてしまうくらいなら、何も知らない方がいい」というこれもまた、「記憶」なのでしょう。
専横が言い過ぎなら影響でもいいですが・・・

だってですね・・・確かに妹はそういう人間ですが、私は私で・・・まあ、こういう志向、興味、理解力(どれほどか?)があるわけですね・・・
ですので、これもまた幸福なはずなのです・・・

ですので、またここで、クリーニングですね・・・

「I Love you, I'm sorry, Please forgive me, Thank You」
「愛しています、ごめんなさい、どうぞ許してください、ありがとう」
です。

まず自分をクリーニングすることからのようです。


有意の方々は、どう感じるでしょうか?


 




 

 

さて・・・http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100317-00000114-mai-sociによりますと・・・
(引用)

<名誉棄損>ネット掲示板で作家中傷 45歳の女容疑で逮捕

3月17日20時37分配信 毎日新聞

 インターネット上の掲示板に作家を中傷する書き込みをしたとして、千葉県警市川署は17日、大阪市浪速区浪速東2、無職、東雲(しののめ)優子容疑者(45)を名誉棄損の疑いで逮捕した。

 容疑は09年11月1日、ネット上の「したらば掲示板」に、同県市川市在住のノンフィクション作家の女性(40)を中傷する書き込みをしたとしている。

 同署によると、東雲容疑者は「ネットの知り合いから頼まれてやった」と容疑を認めているという。女性作家について「現在は風俗嬢。低脳ぶりを発揮中」などと書き込んだ。女性作家自身が掲示板の書き込みを見つけ、警察に被害届を出した。容疑者と作家に面識はないという。【荻野公一】

最終更新:3月17日22時21分

(以上)

ということですが・・・
罪に問っても良いことだとは思いますが・・・逮捕ですね・・・立小便よりは悪いことだとは思いますが・・・
これと同じ程度の悪口は、おそらく何千、何万とありますね・・・日本の掲示板には。

であれを見ますと、初めは「日本にはこんなにたくさんひどい人間がいたのだろうか?」とも感じましたが、どうも見ているとですね・・・あれは、ほとんど、どうでしょう数字は正確でないですが、1%とか0.5%とか、もっと少ないかもしれませんが、その程度の同じ人間がやっていることのようです・・・というかそう想像しています。

で・・・悪いには悪いのですが、これで逮捕が可能になりますと、過大解釈をどんどん適応していきますと、ほとんどのケースが当てはまるかもしれないな・・・十分治安維持法として使用可能だな・・・と感じています。

で・・・たとえばですね、下のニュース・・・

http://mainichi.jp/select/world/news/20100317k0000e040028000c.html によりますと・・・
(引用)

高校無償化:国連委、朝鮮学校除外を懸念 差別改善を勧告

 【ジュネーブ伊藤智永】国連の人種差別撤廃委員会(事務局・ジュネーブ)は16日、欧州本部で2月下旬に行った対日審査の最終所見を発表した。所見は、朝鮮学校など外国人学校への公的支援における差別待遇が、子供の教育に与える影響に懸念を表明した。

 所見は、日本政府が高校無償化で朝鮮学校を除外するのは人種差別に当たり、人種差別撤廃条約の「教育に関する権利の平等保障義務」に違反していると警告し、改善を勧告したものだ。

 また、日本で朝鮮学校の生徒らに対する嫌がらせや攻撃、インターネットなどを通じた人種差別的な表現が依然として続いていることにも懸念を表明し、政府に善処を促した。

 政府は2年後と定められた次の審査までに、改善状況を報告しなければならない。

 所見はこのほか、アイヌ民族▽在日外国人▽被差別部落▽沖縄などの差別問題を多岐にわたり指摘している。

 同委員会は人種差別撤廃条約を解釈し、各国を監視する最高機関。日本は95年に同条約に加入した。委員は各国の国際法や人権問題の有識者18人で構成され、日本も人選に同意した。規定では、各国は2年ごとに審査を受けるが、日本の審査は9年ぶり2度目だった。

(以上)
ということで、2CHとかああいうのを見れば分りますが、本当にですね、先のニュースの方の100倍くらいひどいことが書かれていまして、「こんなに日本人の心は敗退していただろうか?』といつも思いますが・・・ただ、これは朝鮮総連とか、そういう団体が訴えればですね・・・左記のニュースのやり方をそのまま当て嵌めれば、何千人という人を逮捕できるだろうな、と感じています。

で・・・実際、あの手の掲示板が悪いのは当然なのですが、ちょっとどうなのだろうか?と感じます。
むしろ、ああいう匿名で悪口が言える掲示板などでひどいことが書かれていた場合、訴え出ると、書いたほうが本名をサラアナ九手はならない、そして、掲示板上で当人なり、他の本名で名乗り出る人間と掲示板上で公開で討論をしなくてはいけない、というようなやり方が良いのではないだろうか?と感じます。

何でも、法律を適応したり、賠償金を求めるようなことになるのは、どうもよくないように感じますし、最近でも「密約があった」などと公に出てきていますので、自由な発言の既成につながるようなことは、ぎりぎりまでしないのが良いように感じます。

それとも、これも何か意図があって民主党がやっていること、と思ってよいでしょうか?

あるいは、メルマガによれば、自民党が、政権を復権したときに、密かに違法なことをするために、ネットで事実を言いふらす人間を根こぞぎ逮捕するできるよう、今から準備している、ともか書かれていますが・・・

実際はどうなのでしょうか?


イヤ、実際、森田健さんでも船井幸雄さんでも、その手の掲示板を見れば、今日にでも、何百人と逮捕者を出せるようなことが書かれているわけですが・・・
どうなのでしょうか?

治安維持法があったら権力にとっては、これほど便利なものはないでしょう。
何でもできますね。
その疑いのあるようなことは、権力側は一切しないのが良いですね。

有意の方々は、どう感じるでしょうか?






さて・・・ヒューレンさんについて、書いていますが・・・政木和三さんのいう「欲望を捨てて・・・」」とは欲望というより、「願望」ですね。
むしろ欲望という言葉で表現されるものは、良いものかもしれません。

もちろん、だめなものもあるでしょうが。

願望には、未来の目標、欲のような意味がこもっていますが、それこそが、潜在意識に入っている間違えた記憶により引き起こされる物質化の起きる場所にあるものなのですね・・・
未来、ということです。

政木和三さんの「完全に諦めて、もうできましたと過去完了系で言い、ありがとうおざいました」とすると奇跡が起きるは・・・
潜在意識に入った間違えた記憶によって物質化される未来を、諦めることと、もうできたと思うことにより、動作させず、それにより物質化させず、そして「ありがとうございます」と「「クリーニング」することにより、創造主が思っている最善のことが起きる=奇跡が起きる、ということなのかもしれません。

ですので、繰り返しになりますが、政木和三さんの「欲望を捨てて」は、そうではなく一般的には「願望を捨てて」が、より適切なのかもしれません。

欲望には、どうしても、食欲ですとか、恋愛欲、排泄欲、などなどの、あるべき、あって問題がない、ないと困るものまで含まれてしまうように感じるのです。

願望は、未来です。
そして、未来に大きく、間違えた記憶は作用しますので(今にも作用するものもありますが)。

有意の方々は、どう感じるでしょうか?

 

さて・・・
今日はテレビのニュースを見まして・・・
板橋のマンションがおお売れしている・・・そうでなくとも、マンションが値下がりして売れている・・・と何度か見ました。
2,000万〜5,000万くらいが売れているようです・・・中古も含めて。

みなさん、結構金持ちですね。
少なくとも、今日現在では、お金がある人は十分にお金がある、ようです。

それはそれでいいことです。

ただ・・・情報を知っていますと・・・夏以降、秋・・・とまた下がる可能性が非常に高いようですので、資産価値という意味でも、うまい買い物という意味でも・・・もう少し待った方がベターなようです。

もちろん、それで景気が少しでもよくなるのであれば、是非お金を使っていただきたいとは思っていますが。

さて・・・
先だってラジオで面白い話をしていましたので、ちょっとだけ紹介しますが・・・

ヒキスミコさん・・・ミヤケスミコさん・・・という方がいらっしゃるようですが・・・フェリスを出て、今何をしている方かは分らなくなってしまいましたが・・・
おじいさんがですね、アインシュタインさんと交流があったらしくてですね・・・その方は大空襲でなくなってってしまったそうですが・・・ドイツで足掛け5年間医学を勉強した方だったそうです。
九州大学に勤務していたそうですが、アインシュタインが日本に船で来たときに、同じ船に乗ったんだそうです。
その船には、鳩山総理の曾お爺さんなども乗っていたそうですが・・・

また、その船に乗っている時に、ちょうどノーベル賞の受賞報告が来たそうです。

で、アインシュタインさんが具合が悪くてドイツ語だったでしょうか、英語だったでしょうか・・・を話せるお医者さんということで、お爺さん診てもらい、それを感謝して、その後一度九州の家までやってきたそうです。

で、ちょうどアインシュタインさんが来たその日に、だれでしたか・・・お爺さんでしたかが、ドイツで注文したピアノが家に届いたそうです。
娘さんに買ってあげたくて、迷いながらも買ったそうです。
誰も弾けなかったそうですが、アインシュタインさんが、ちょっと奏でてみたら、みんなびっくりしたそうです。

スミコさんのお父さんは子供だったそうですが、アインシュタインさんに靴の揃え方を褒められて、頭をなでられて、それまでまったく興味のなかった医学を勉強するようになり、同じくお医者さんになった・・・と思いましたが、違うかもしれません。
とにかく、褒められて。急に勉強を始めたそうです。

その後もアインシュタインさんと曾おじいさんは、手紙のやり取りをしていたそうです。
ただ、アインシュタインさんが、アメリカに亡命するまで、だってと思いました。

で・・・大空襲・・・九州だと思いましたが・・・何とか城と言っていましたが・・・の時に、家族がお城の広場に逃げたのですが、おじいさんとおばあさんは、家の近くの防空壕に残り、なうなったそうです・・・おそらく若い人の邪魔にならないように、とそういたのではなか、という話でした。(スミコさんは子供だったそうです)


その後、アインシュタインさんに、お爺さんがなくなったことをアインシュタインさんに報告して、お悔やみの言葉をもらい、それは、お墓に書いてあるそうです。(加筆:それが下記の本のタイトルの所以(ゆえん)です)

で・・・九州大学で、大きな事件があったそうで・・・お父さんが、是非立て直して欲しいということで、九州大学医学部に勤めることになったそうで・・・

スミコさんはお医者さんと結婚したんだと思いましたが・・・違うかもしれません・・・とにかく旦那さんが、何か海外の大学でしたでしょうか・・・機関でしたでしょうか・・・そこで働いているときに、アインシュタインさんの文書というか手紙がいくつか見つかり、担当の人に、「この名前に心当たりはあるか?」と聞かれて「私の妻のおじいさんです」と答えたそうです・・・


確か、アインシュタインさんが、日本の田舎の様子を大変気に入り、自然の中に小さな家があるのがかわいらしい、というように大層関心していたとか・・・あるいは、大空襲の話も詳細にありました。


で、調べますが・・・比企寿美子さんですね・・・

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
比企寿美子(ヒキスミコ)
長崎市生まれ。エッセイスト、ノンフィクション作家。フェリス女学院短期大学卒業。
1966年から夫のドイツ留学に伴いドイツ滞在。その後ゲーテ・インスティチュートで13年間ドイツ語研修。
1972年から5年間慶應義塾大学文学部歴史学科聴講。現在加藤恭子ノンフィクショングループ会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

ということです。
本当にですね・・・運命というのは、興味深く・・・偶然ではないのはもう明らかです。
自分で作っているのか、創造主が作っているのか・・・意思を感じますね。

で、なんでこれを夜中なんですが、最後まで聞いたか、と言いますと・・・いきなり最初に「フェリス」という言葉が聞こえてきたのですね・・・

で、誰も見れないとは思いますが、この「以下作成中」の下に、「フェリス」としばらく前から書いてあったのですが・・・そのせいなのです。

たまたまなにかで、明治学院とフェリスが、キリスト教の「改革派・長老派教会」で同じということを知りまして書いておいたのですが・・・
確か森田健さんが、ミッションスクールはたくさんある、とか何かそういうことを書いたから調べたのでしょうか・・・

昔からですね、フェリスという言葉に、大きく反応するのですね、私は(笑)。  
大学に入る前からです。
例の「なんとなくクリスタル」にも出てきますが・・・そのときも、フェリスの説明をよ〜く読みました。

理由は分りません。


で、聞いたら、大空襲、アインシュタイン・・・とまあ、ちょうど、ここで書いていることばかりお話になる。
しかも、お医者さんの話・・・


でも、アインシュタインさんと懇意にしている日本人がいらっしゃったわけですね。
その方ですら、アメリカの空襲でなくなった・・・


また機会があるたびに、そのお話の中の何かを掲載することもあるでしょう。
今書こうと思って、思い出せるのは、この程度です。


・・・メモを見て、思い出しました。
そのピアノは、今は北海道の大谷大学というところにあるそうです。
いとこの方かどなたかが、その大学で音楽でしたか芸術でしたかの教授か何かで、大学で保管することになった、ということです。
(いくつか加筆しました)

有意の方々は、どう感じるでしょうか?


さて・・・
岡田多母さんの「ラブコール あなたへ」http://tamo.thd-web.jp/ですが・・・
(引用)

タモのリサーチ(3/18−1)
(略)

 ☆ 天界通信 ☆

      留守番電話サービス接続完了


      天海の渦が地上に映り始めるのは23日頃からのようです。
      その写しの変化の波が地上に現れてくるのは…
      28日前後からでしょうか…
      月巡りの間は、変化の波はいろいろに影響を現すでしょう。

      天の龍が走り、その走りに地の竜が響鳴すると、
      地上はいろいろが激しく変化します

      極端な変化は変調不調を強く引き起こしますから、
      影響されないようにゆったりと過ごしてくださいませね☆

      「ゆとり」の実践をよろしくお願い致します☆
  

 

(以上)
ということです。

「ゆとりの実践」ということです。



続いて岡田多母さん関係ですが・・・
(引用)


☆☆サイワイ村通信☆☆
2010年3月18日号

 

------
    〈タモのワンポイント情報〉
○○さんからご質問がありました。とっても素敵な質問だ!と、タモのスケは思います。
ちょこっとタモのスケの感じているところをお話させて頂きまぁ〜す

〈質問〉
よく他人から馬鹿にされた時などに「プライドが許さない」と聞きますが、少し違和感があります。本来、ヒトがヒトとして持つべき「プライド」
とは何でしょうか?
私的には『善』と同じで「何を大切にするのか」がポイントかな?と観じております。以上、よろしくお願いいたします。


もともとヒトは、ヒトになって生まれたこと自体が、進化のプロセスでのプライドと見れば、プライドでしょうか?ね。

人が生きるプロセスは、人生と呼ばれているのですが、この人生の目的を果たすこと、つまり自分本来の具体的なプロセスを生きる、自らの生を完全に開くことがプライドでしょう


ヒトは、その生を完全開花できる能力と可能性、創造性などを《賜》としてもともと持って生まれています。

その意味からは生まれてきたこと自体《プライドの塊》てなことになるのかしらん…?

アハハエヘへ

人生の目的は〜

もちろん『幸福至福』です!
この目的を成就する生のプロセスには、人生の目標として、大きく分けると、四つあります。

『ダルマ、アルタ、カーマ、モクシャ』とヴェーダの真理は語ります。

1)ダルマ:人間性に基づき、他の生命を育む。生命を楽しむ。
2)アルタ:家族・社会・国家に基づき、お金を稼ぎ、願望を満たす。
3)カーマ:人間関係や生活を通して、至福や幸福を体験する。
4)モクシャ:啓発する。

本来ヒトは、人生において、この順番で順序よく開いていくのが、普通です。

人生の始まりから終りまで、時間と成長のなかで年齢や時代に、そのとおりに現れてくるのが自然ですね。

つまり種が生に開いていくと、そのプロセスを自動的に開き、生きて、自分を具体的に表現していきます。

バラはバラを、百合は百合を、桜は桜を、より具体的に表現していくのです。

大きい小さい、深い浅いは、また別の観点ですね。

本来ヒトは、自分のすべてを知っているのです。
求めなくても、探さなくても、知っているのですが、知っているを忘れてしまった〜わけで…

いろんな何かを後からクッツケちゃった…

本来は自己参照的な生が、他者参照的な生になってしまっている〜

バラが百合をクッツケちゃった〜みたいな〜感じなんです、ハイ…

このクッツケちゃった何かを、否定されたと感じた時正当に評価されていないと感じた時に、プライドが傷ついた!とか、許さない!とか、感じてしまうのでしょうか?

自己防衛でしょうか?ねぇ〜
自我の本質はアートマンであり、ブラフマンですね。

『真善美』が真我の本質ですし、『静寂と至福』が本
性ですから、本来のプライドはコレでしょう!

日本のヤマトでは、『真』には「信義礼」があり、『善』には「誠忠儀」があり、『美』には「完潔満」があって、すべてを『誉れ』と呼んでいるのだ!
とタモのスケは観じています。

咲き誇る花のごとし…

『誇り』は「傲り」ではなく、誠実さに基づく清純な真、謙虚さに基づく純粋な善、真剣さに基づく清潔な美。

タモのスケは、このように『プライド』をとらえています。

生き恥をさらすことは嫌いですから…
神聖なものに恥じないように、精一杯明るく生きていきます。

精進第一
一期一会
笑顔満開
祝福全開


タモのスケの毎日のモットーは…
『今の自分に満ち足りて、飽きたらず』です

タモチンのプライドはこのモットーかなぁ〜

すべての生命が成就に至ることを、いつもいつもお祈り致しております…

すべては、深遠で崇高な神聖なヒトツから生まれているのですから…
すべてが、永遠で無限なヒトツを楽しんでいるのですから…

お粗末でした。
ありがとうございました。 

------

(以上)

ということで、プライドというのも、何度も書いていますが、良く分りませんね。

馬鹿にされてプライドが傷つく、という場合のプライドは、なんでしょう?名誉とかそういう種類のものでしょうか?
まあ、馬鹿にされる、正当でない理由で悪く言われるのは、まあ頭にくることもありますが、それはそのものが可愛そうなので怒るというのも分りますが、プライドが傷つくというのは・・・それに関わる人の心の何かが傷つくということなわけですね。

アイドル歌手がいて、その子を、不当な理由で非難する人がいたら、怒りますね・・・
でも、ファンでもあまりプライドが傷つくとは言わないかもしれないです。

学歴とか、資格のようなものが批判されると、きっとプライドが傷つくと感じるでしょう。
それはきっと、ついでにそれに属しているその人の価値も下げるということだからでしょう。

直接・・・「君はダメだ」みたいなことを言われたら、傷つくでしょう・・・これはプライドが傷つくのでしょうか?
ものすごく自信を持っているようなことで、それを言われますと、プライドが傷つく、と思うでしょう。

とすると、プライドが傷つく、とは、自信の源になっている何かの価値を低められた時に感じるのでしょう。


質問者は「私的には(プライドは)『善』と同じで「何を大切にするのか」がポイントかな?と観じております。」と言っていますが、
これは私も同じようなことを書いた覚えがありますが・・・

たとえば・・・「謙虚である」というようなことを大切にしている人がいて・・・「君は謙虚さが足りないな」と言われたら、これもやはり・・・きっと傷つき、「プライドが傷ついた」と思うでしょうか?
・・・思いますね、きっと。


岡田多母さんは「もともとヒトは、ヒトになって生まれたこと自体が、進化のプロセスでのプライドと見れば、プライドでしょうか?ね。」と書いていますが・・・

有意の方々は、いかがでしょうか?


ただ、一般に言われるプライドは嫉妬心と対ですね。
その嫉妬心は、船井幸雄さんの本質が人間の嫉妬のDNAをONにしたからだ、と岡田多母さんに言われたそうですが・・・
そうすると、嫉妬心がOFFになると、一般的意味でのプライド、プライドが傷つく、という事象は消えるのでしょうね。

嫉妬とプライドが対ですが・・・嫉妬というのは、比較において「自分が否定された感」のことですね。
「あの人の方が、私よりいい目にあっている」という感じです。
プライドとは「私のほうがいい目にあっている」ですかね?

かもしれないですね・・・「いい目にあっている」ということは、「私はそうだから立派である」というように普通は感じますね。

そうすると、一般的意味でのプライドとは、「人よりいい目にあっている」で、嫉妬とは「人より悪い目にあっている」ということなのでしょう。
見事対になっています。

で、人よりいい目にあっている、というのは、大抵、まあ、いくばくかの努力をして、そういう状態になったと感じている場合が多いです。
良く森田健さんやトラさんのものを読みますと「うまく行っている人は、自分の努力の結果だと思っているので、占いを信じません」というニュアンスのことを書いていますが・・・

学問でも・・・まあ、楽器でもいいですが、「うまい」とか言われている人がいて、当然練習しませんと、何も言われませんので練習したと・・・そしてまあ、うまくなったと・・・それをだれかに否定される・・・
当然、頭にはくるでしょうね。

で、ここで問題がいくつかあり・・・相対的な意味で・・・本当に、もっとすごい人がいて、そしてその人の口が悪かった場合、否定するような言葉が出てきまして、プライドが傷ついたということが起きると思いますが、ただこれは、嘘ではないのですね。
現実となります。
そうとは言え、その人が自分の存在価値をそれにかけていたりいた場合には、まあ、相当ショックですね。

それで、もっと練習しよう、と思ってそうする・・・
それはうまくなることにはつながりますが・・・ただ、それにその人が自分の存在価値をかけるというような状態は、究極には良くないのでしょうね。

それでも、発展途上であれば、それは、まあ普通のできごとでしょう。
いつまでも、そうしているのは、問題かもしれませんが。
ただ、それも、相当高いレベルの精神の話で・・・普通は一生、それの繰り返しですね。

練習して、上のレベルに行って、否定されて、また練習して、またもっと上のレベルに行って・・・

で・・・プライドが傷ついた、と言われたとき、言われた方がいけないのかどうか?ですが・・・
むつかしいですね。

「ごめん、傷つけちゃった?」という関係もあるでしょうし、
「なんだよ、おまえの力が足りないんだろう?」という人間関係もあるでしょうし・・・
そもそも、相手のプライドが傷つくようなことを言わない、という人間関係もあるでしょうし・・・

ただ・・・プライドが傷付くというのは、「プライド」が「嫉妬」に変わる瀬戸際ですので、まあ、嫉妬心にからてしまう場合には、相手を「悪」とするでしょう。

いずれにしても、まあ、相当高い精神レベルでない場合においては、この嫉妬とプライドのギッタンバッコン(シーソーとも言う
が続きまして、そして、それで「良い」のだろうと感じます。

で・・・何かの拍子で、もしそれ以上の精神レベルに行くようなことがあったら、きっと、自動的に、嫉妬もプライドもどうでもよくなるのかもしれないですね。
分りませんが。


岡田多母さんが「自己防衛でしょうか?」と書いていますが、そうでしょう。
それは、「人よりいい目にあっていると思っている状態(心境)」から「人より憂き目にあっていると思う状態(心境)」へ、心が移れば、当然、イヤなわけでして、それに対しての防衛本能が働くのだと思います。

ここら辺はですね・・・嫉妬心のない方には分らないことでしょうが・・・この場合、分らない方が正しいのですが・・・
私は、自分のことは分りませんが・・・ものによっては嫉妬心も良く分りますし、ぜんぜん分らないものもあります。

そう考えますと・・嫉妬心を持ちえる精神状態で、一度、レベル分けが世間でされているものの、上のレベルに属した事象において、嫉妬・プライドの感情は出るのかもしれないですね・・・もちろん、出ない人もいるわけですが。

家柄とかですね・・・私は、平民ですので、別に貴族の方に何か言われましても、「?」ですが、これは、精神レベルが高いからか、それとも、貴族に属したことがないからかは良く分らないわけです。

だれでしたか・・・最近読んだ本で「自分がやってやってみたことがないことに関しては、人を批判しない」というようなことが書かれていましたが・・・

その意味では、貴族の人が平民を差別するようなことがあった場合、一度貴族になってみたことがない以上は、それを批判すべきでない、となります。

まあ、損失をこうむる分に関しては、抗議すべきですが、その差別する「心情」に関しては、そうかもしれませんね。
自分が貴族になって、それでも、差別しないようであれば、初めて「批判」してもよいのかもしれません・・・

とか書いていますが・・・実際、何か別の事柄でそうなって、しかも、以前会
った悪い人のようなことをしなかった場合でも、やはり、批判はしないですね・・・最近は。
昔はよくしていました。
何についてとは言いませんが・・・

ただ・・・どうでしょう?
精神レベルが嫉妬などまったく感じない、と自然になっているようなところまで行かないうちは、プライドと嫉妬に素直に従うのが良いのかもしれません。
嫉妬のDNAをONにしたのも、そもそもそうすることによって、全体の3次元的なレベルアップを狙ったようですので。
もちろん、そこまで上の精神レベルに行かない内でも、嫉妬から犯罪を犯したりとか、余りにも心無い行為をするようなことは、避けるべきだと思いますが。

要するに、「もっとうまくなってやる」とかですね「もっといい服を買ってやる」とかですね・・・そう思うならそうすべきなのでしょう。
そう思わないのなら、それはそれで、そういう精神レベルになっているのかもしれませんし、良いのだろうと感じます。

良く分りませんが、違う精神レベルになったら、「国のため」とか違う理由で「もっといいものを作ってやる」とかそう思えるようになるのかもしれません。

もちろん、それ以外にも、そういう方向性を運命が決めていた、あるいは、創造主がそういう方向へ導いてくれている、から、もっとどうかしよう、と思うケースもあると思います。


時間が来ましたので、ここまでですが・・・


話を変えまして・・・

1)ダルマ:人間性に基づき、他の生命を育む。生命を楽しむ。
2)アルタ:家族・社会・国家に基づき、お金を稼ぎ、願望を満たす。
3)カーマ:人間関係や生活を通して、至福や幸福を体験する。
4)モクシャ:啓発する。


ということです。
まずは、願望を満たすことから・・・です。
それが済んで、まだ余裕があれば、もっと深く・・・でしょうか?


ただ、「1)ダルマ:人間性に基づき、他の生命を育む。生命を楽しむ。」の時点で、潜在意識に悪い記憶が入っていますと・・・願望は持たない方がマシのようです。

そのときには、クリーニング・・・です。


「I Love you, I'm sorry, Please forgive me, Thank You」
「愛しています、ごめんなさい、どうぞ許してください、ありがとう」
です。

その後、あらためて願望を持つべきなのか?
それとも、創造主の準備した運命を歩むのか・・・

この、その後は、まだ私には見当もつきません。

とにかく、潜在意識に間違えた記憶の入っている方々は、

「I Love you, I'm sorry, Please forgive me, Thank You」
「愛しています、ごめんなさい、どうぞ許してください、ありがとう」
です。


有意の方々は、どう感じるでしょうか?


さて・・・

先だってふと気が付いたのですが・・・
テレビをつけてですね・・・ある有名な方が出ていまして、ちょっとナルシストが入っているのですが、それでも、まあ、非常に自信満々な人なのですね。

で、無意識にですね、「イヤだな」、「嫌いだな」、「やな奴だな」と思ったのですが・・・
どうもですね、私の潜在意識には、自信溢れるタイプの人を”嫌う”という記憶が入っているようですね。

なんとか謙虚になろう、謙虚な人こそ素晴らしいのだ・・・と思い込もうとした時期があったのですが、三次元的にはそのせいだと思います。
もっとも、船井幸雄さんの言おうとしている「謙虚」というものは、私の感覚では普通の人が思う「謙虚」とはずいぶん違うもののようですので、この私の言っている「謙虚」とは別物のようです。
それいついては、また別途、気が付きましたら記載いたします。

有意の方々は、どう感じるでしょうか?



さて・・・船井メディアのメルマガですが・・・
(引用)

船 井 流 ★ 人 生 の 気 づ き と 学 び

              【株式会社 船井メディア 発行】

★∵∵∵∵☆∵∵∵∵∵∵∵∵☆∵∵∵∵∵∵∵∵☆∵∵∵∵★
                     第295回 2010.03.19

■【今日の言葉】=======================================

過去の業績やプライドを捨てよう

■【気づきと学び】======================================

プライドを持つことは大切ですが、その過去の業績にこだわり、手放せないでいると、新たな一歩が踏み出せません
ゼロから出発する勇気をもって、過去の業績やプライドを捨てましょう
新たな可能性がひらけてくるでしょう


(以上)


ということで、「プライド」についてのメルマガがきました。

「過去の業績やプライドを捨てよう」とはしばしば聴く言葉ですね。

昨日、プライドを、「人よりいい目にあっていると思っている状態(心境)」
嫉妬を、
人より憂き目にあっていると思う状態(心境)」
と書きました。

この場合の「プライド」は、やはり「、「人よりいい目にあっていると思っている状態(心境)」」で言いかえができるように思います。
「過去の実績や、「人よりいい目にあっていると思っている状態であった過去を捨てよう。」ということでいいのだと思います。


で・・・「プライドを持つことは大切ですが・・・」とあります。
これは・・・「人よりいい目にあっていると思っている状態(心境)」で言い換えできるでしょうか?

・・・言い換えられると思います。
つまり、「良かった時の記憶」という意味です。
とすると、プライドとは「俺は(だって)、すごいこともできるんだぞ」とも言えますね。

現在うまく行っている場合には、「私はすごいことができる」であり、過去ならば、「私だって・・・」になるでしょう。

天外 伺朗さんの本に、何かのプロジェクトでチームでやっていて、信じられないようパワーが出ていた時、その前にみんなに「自分は有能なんだ」というような気持ちが上がってきてた・・・というようなことが書いてあったかと思いますが・・・
その抑揚感のようなものが、「プライド」の正体なのかもしれないですね。

一種の脳内麻薬とも言えるのでしょうか?
ランニングハイでの脳内麻薬効果は、それにより、走るのが気持ち良く、楽しくてしかたがなくなるようです。
その意味では、プライドという脳内麻薬も、生きるのが気持ち良くて、楽しくてしかたがなくなる力を持っているかもしれないです。




プライドを持つことは大切ですが、その過去の業績にこだわり、手放せないでいると、新たな一歩が踏み出せません
ゼロから出発する勇気をもって、過去の業績やプライドを捨てましょう
新たな可能性がひらけてくるでしょう


ですので・・・確かに、過去の脳内麻薬にいつまで酔っていては、新たな一歩というものは、踏み出せないですね。

ただ難しいのは、それまでは、その脳内麻薬効果によって、生き生きしていたわけで、それを捨てて新たな道・・・というのはむつかしいですね。

面白いのは・・・私は過去の実績というのは、精神世界で本を出しているような人達のようにはありませんが・・・
冒険をすることに脳内麻薬が出ていた時期、というのがあります。
これは、ある意味最強です。

初めは大したことのない冒険・・・冒険といえないほどの冒険だったのですが・・それがうまく行くと、少しずつ、大きなものにチャレンジできるようになるのですね・・・
しかも不思議に勝ち続けた・・・勝と・・・まあ、そうですね、脳内麻薬が出るのですね。

で・・・ある地点で失敗して・・・でも同じような麻薬を出すためには、一歩目に戻って成功をしても、出ないのですね。
何度も勝ってしまいますと。
これがまた、ひょっとすると、プライド=脳内麻薬効果、の邪魔な点かもいれないですね。


・・・私は、どうでしょうか?この手法で言うのなら、
「過去のプライドや業績を捨てる」、ではなく、「過去の、人よりいい目にあっていると思っている状態(心境)や経験によって、脳内麻薬を出すことによって生き生きしようということは止めて、新しい脳内麻薬が出るように新たな一歩を進めましょう」
というでしょうか。

これだと、私も、過去に頼らなくても済むかもしれません。


こういうのは、森田健さんなどは、何か言いそうですが、これはこれでいいのです。
なぜなら、正に「THE 自己啓発」
ですので、その人間の持っている可能性の最大80%を出す方法だからです。
どうしてもハンドルを手放せない人が、次に幸せないなる方法だと思うのです。

それもまた必要だと思います。


今のところ、だれでもハンドルを手放すことのできる方法は
「I Love you, I'm sorry, Please forgive me, Thank You」
「愛しています、ごめんなさい、どうぞ許してください、ありがとう」

を、まず自分に言う、それが完成したら、自分の周りにに言う、そしてそれが完成したら国中に、次には世界中に、次には全宇宙に・・・
これ以外には、今の私には見つかりません。

有意の方々は、どう感じるでしょうか?


 



さて・・・森田健さんhttp://www.fushigikenkyujo.com/menu.aspですが・・・
(引用)
 

お金について(25)・・あの世のお金の否定   
 何が否定されたかと言ったって、あの世のお金ほど否定されたものはありません。
 それが理由で、あるメディアは「生まれ変わりの村」の本の広告掲載を拒否したほどです。
 
 しかも生まれ変わりの村の本には「この世で縁があった分だけ支給される」とか書いてあります。
 両替所まであると書いてあります。
 
 どんなに貧乏で死んでも、大富豪で死んでも、身一つで行くのが、あの世だったはずでした。
 だからこそ、死の世界を肯定できたのです。
 欲望から切り離されるからこそ、死の世界は素晴らしいものだったはずなのです。
 それが・・(笑)
 
 
2010/03/18 08:23:35

(以上)

と書いています。

これはですね・・・森田健さんの生まれ変わりの村の調査結果で、「死んでもあの世にもお金があった」という証言によるものですが、しかも、お金持ちほどたくさん持っているということだったようです。

従来のあの世観において、「あの世の肯定」というよりは、「現世の否定」という方が当たっているのだろうと思います。
ですので、5次元のような素晴らしい3次元にしましょう、ということなのだと思います。

これはですね・・・森田健さんの調査結果がまったく分析ミスがなく・・・つまり、どんな人でも死ぬと行く場所は、この現世と同じような場所で、それは別に精神レベルややってきたことには関係なく、一所であり、しかも、あの世にはお金も流通していて、加えて、この世でお金持ちほど、あの世でもお金持ちである、ということであるなら・・・もう、抜本的に考え直さなくてはなりません。

おそらくですね、船井幸雄さん初め、ほとんどの精神世界、宗教界の方々は、森田健さんのこの話を聞きますと、「それは、そういう想念を持った人達だけが集まる場所で、あの世は、その人の思っているような場所が作られ、同じ思いを持っている人が集まるので、そうなるのです」と思っていると思います。

私も、精神世界アプローチでは、そう解釈する以外にありません。

ただ・・・どうも、時空の正しい情報を持っているシークレット・ガバメントの方々が、あそこまでしてお金に固執するのを見ていますと、森田健さんの言うお金は「この世で縁があった分だけ支給される」という調査結果、あるいは仮説は正しい可能性はある、とも感じます。

であるとすれば・・・彼らが、あそこまでお金に固執するということが納得できます。
もっと想像すれば、そのお金で、生まれ変わり先を自分の好きなようにすることもできたりするのかもしれませんが・・・果たしてどうなのでしょうか?

森田健さんの調査で、火の玉を吐く超能力者が、お金を持ってあの世に行き、命を買ってきたというものがありますが、命が買えれば生まれ変わり先も買えるのではないだろうか?とも感じます。



で・・・自分でも想像もしなかったような仮説がでましたが・・・

みなさんも・・・筆でもいいのでしょうし、話でもいいのでしょうし・・・書き出したり、話し出したりしますと・・思いもよらない考察(?)が出てくることがあります。
それが守護神、守護霊、神などによるものか、自分がアーカシックレコードにつながったのか、それとも意識のどこかにあったものがつながったのか・・・いろいろあるでしょうが、新しい発見があります。


有意の方々は、どう感じるでしょうか?



・・・追記しています。
つまり、シークレット・ガバメントの人たちは、あの世でお金を使って、また同じ一族に生まれ変わって来ている・・・だから何千年という時間をかけても、かかっても、世界を奴隷にしようというような発想ができる、ということです。

そういえば私の知っている限りで、前世が貧乏人で今生最終的にお金持ちという経歴の方を、ほとんど知りません。
逆もほとんど知りません。

おかしいですよね?

中丸薫さんの本で、お知り合いに前世マリー・アントワネットで今生はお金に苦労している方が居る、というのを読んだことがありますが、これも、森田健さん式に当てはめますと、前世ではああして命を終わったわけですので、あの世にお金を持っていけなかったと想像できます。
であれば、今生、お金持ちでなくとも、不思議ではありません。

たとえば・・・たとえば船井幸雄さんでもだれでも、ひとつくらい一生貧乏な前世があっても不思議ではないわけです。
もちろん、船井幸雄さんなら戦時中は苦労したようですし、さまざまな成功者でも人生の中では苦労した時期がある人が圧倒的に多いのですが。

しかし、聖書の暗号でも、運命は100%決まっていた、ということが分ったようです。
もちろん、この意味では、地球の初めから、全ての運命は決まっていた、となりますので、生まれ変わり先が買えたとしても、それが自由意志がどうかは、分りませんが。

ただ、あの世でお金が使え、その量も前世の持っていた量によって変わり、生まれ変わり先が買えるということなら、古代の王様達が、宝物をお墓にいれたということも、何となく分るように感じます。

但し、森田健さん式によれば、燃さないとあの世には、届かないようですが(写真でもいいそうです)。



有意の方々は、どう感じるでしょうか?

 


 

 

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