理由もなくこればかり聴いてしまうCDのコーナー
本当の理由はなんでしょうか? |
269センチメンタル・ジャーニー 森寿男とブルーコーツ |
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もう一枚、ブルーコーツです。 こちらはスタンダード中心です。 77年の録音で、前の「ビリー。ストレイホーン」は、76年ということです。 曲目です。
タイトルはいかにも、ダンス向きと言う感じですが、ちゃんととしたジャズ作品になっています。 ちょうどこのころ、私の好きな「運命’76」が発売されたのですね。 ということは、小学校の5,6年生でしょう。 日本のジャズは、もうとっくに世界的レベルだったようです。 |
さて・・・・・・
就職活動に勤しんでいるせいでしょうか、ねたがあまりありませんが・・・
これは、本、テレビなどからねたを仕入れられないせいか、頭が上位の問いに以降しているせいか、なんとも分かりませんが、両方ともあるかもしれません
(笑)。
で・・・過去にメモしたものから、引っ張り出してきますが・・・
ハイテンションでないと、自分が出しにくい、というのは、私だけでしょうか?
しかし、酔っ払いをみていますと、みなハイテンションですので、きっと、そうでもないのでしょう。
私には特技があり、酔っ払っても、ローテンションを意識して維持できるというのがあります(笑)。
これは、以前、10歳も年下の癖に、自分よりアルバイト歴を足せば社歴が長い、と言って、まったく素直に言うことを
聞かなかったやつが、人がせっかく飲み会の場を盛り上げてやっているのに、何かと批判してきたので、ちょっと意地悪をして、「一言も話さない飲み」という
のを、やってやったときに、身に付けた技術です(笑)。
何ヶ月もやっていると、そいつが次第にどうしてよいのか分からなくなってきたようで、これ以上追い込むのもかわいそうだな、と思いやめましたが。
以前はこんな”ひどい”こともしていました(笑)。
口で言っても、態度で見せてもだめですので、まさか暴力を振るうわけにもいきませんので、苦肉の策ですね。
今はしませんが、というより、そういうことをしなくてはならない人間が寄って来ないようになったように感じます。
もっとも、それ自体が運命の流れで、そういう時期もそうでない時期もある、と言うことなのかもしれませんが。
いくら立派なことを書いていても、残念ながら私は実に3次元的な人間だな、と思います。
私も、あなたも創造主の分身ではあるようですが、ちょっと修道女さんのような生き方はまねできないようです。
今はそれでよい、と思っています。
なんで修道女さんかといえば(笑)、私は船井幸雄さんなどの本を読む出す以前は、「どうも修道女さんのように最後はならなくてはいけないのだな。少しづつ
そうして行こう・・・」と思っていた時期があったからですが。
しかし、船井幸雄さんはじめ、正木和三さんでも、岡田多母さんでも、森田健さんでも・・・いろいろ読んでいきますと、だれもそんなことは言っていませんね
(笑)。
言い方に違いはあるにせよ、共通しているのは、・・・私というフィルター、アンプを通してですが、”できるだけ「自由に”、”魂が喜ぶように”・・・とい
うようなことに感じます。
それより下位の次元で、いろいろ言い方や、言っていることなどは、違いがあるようですが。
もし、以前にこれらの考えを知っていたのなら・・・左記の生意気なやつに私は何をしたでしょうか(笑)?
そいつの存在が私に何かを教えるためにあったとしたのなら、もうそういう存在とはめぐり合うことはないのかもしれませんね。
そうではなく、単なる運命であったとしたのなら、そして次があるのなら、次の時には・・・
自分のパンツを脱いでイチモツを見せるか、そいつのパンツを下ろして、みんなに自慢のものを見せてやるかもしれません(笑)。
正木和三さんの顔写真が表紙になっている本が近くに置いてありますが、”笑って”います(笑)。
これでよいのかもしれませんね。
しかし、この正木和三さんの顔は不思議で、表情がどっちにも取れます。 |
で、テンションの話ですが・・・
tensionですね、英語では。
Goo辞書によれば、
(引用)
━━ n. 張り, 緊張; 精神的緊張, 不安; (普通pl.) (国際関係の)緊張状態; 【物】張力;
膨張力; 【電気】電圧.
━━ vt. ぴんと張る.
(以上)
ということです。
ギターの弦などで、張りがきついことを、テンションが高い、とか、きつい、とか言いますが。
同じ弦の太さで、同じ音程にチューニングしても、各種調整で、弦のはじき具合がきつかったり、柔らかかったりします。
弦の高さとは基本的に別のものですね。
で、ハイテンション状態とは、きっと、自分のどこかで本来必要のないことだ、と分かっているようなことを、捨て去る
ことができるのでしょうね。
興味がありますので、セレブ・・・と言いましても、外国でいう芸能人を含んだことでもなく、日本でいう成り上がり系の人のことでもなく、皇族ほどではない
にしろ、それなりに古くから、””上流階級”と呼ばれている人のこと・・・の人たちをテレビなどで観察してみたりしますが、大抵ローテンションです
ね・・・。
強引に解釈しますと、こういう人は、もともと、何が必要で何が不必要なのかを知っているので、ローテンションのままで良いからそうなのだろうか?とも感じ
ます。
あるいは、中には高次元と繋がっているような人もいるかもしれませんが。
どうも、ご当人たちはどう感じているか分かりませんが、高次元と繋がっている人というのは、普段は、大人しいみたいですね。
知っている限りでは、ですが。
とは言え、みなさんは、何かやり出すと、そうでもないようですが(笑)。
「何もしていないのに、ハイテンションのやつなんかいません」と言う人もいるかもしれませんが、それはそうですね(笑い)。
しかしながら、笑いというものには、何か効力があるようですので、笑わない、ということでもないのでしょう。
テンションとはなんでしょうか?
ぜんぜん関係ないですが、Howeverという単語は、しかしながら・・・と辞書にありますね。
私はよく、Howeverを使いますが(笑)。
「しかしながら」、と、「しかし」、はどう違うのでしょうか?
なんとなく分かりますが・・・
「これこれには、こういう利点があります。しかしながら・・・」
であり、
「これは良いものだ。しかし、数は少ないね(高価だね)」
なのでしょう(笑)。
それでも、どっちが”しかし”、でも、”しかしながら”、でも良いようにも感じます。
みなさんは、どう思うでしょうか?
高次元的ではありませんでした。
さて・・・・・・
就職活動中ですが、先日言ってきた会社は、社長が20代の女性でした(笑)。
輸入雑貨を扱っているということで行ってみたのですが、新しい会社ですが・・・を強調していましたが、なかなかうまく行っているようです。
私の知らない方の成功法の本がたくさんおいてありました。
アンケートを書かされたのですが、そこには、「どんな職場にしたいですか?」とか「あなたの目標(願望だったなか?)は?」のようなことが書かれていまし
た。
「どんな職場にしたいですか?」には、「笑い声の聞こえる会社」、
「あなたの目標(願望だったなか?)は?」には、「私はだれかを知ること」、
と書きました(笑)。」
どちらも、森田健さんが書いていることですね。
実際、「私はだれかを知ること」、は、森田さんの」受け売りのところが大きいです。
「笑い声の聞こえる会社」、は、森田さんも言っていますが、以前からの私のやり方です。
これをやって失敗したことは、ないですね・・・。
あの前の会社でさえも、私の任された場所では、これで大成功を収めていました。
おそらく、私の上司役をしていた人間は、なんぜうまく行っていたのかは、まったく分からなかったのではないでしょうか?
もっとも、その部門は、私が何年かやってきた仕事と大きく関係しているものでありましたので、だからこそできた、という面もあるのかもしれません。
ただ、私はその会社で言われている「正しいこと」にはひとつも当てはまっていない人間でしたので、想像するに、「あの部門は、あいつでもできるんだから、
きっと、やりやすい何かがあるに違いない。きっと、他の体制が整っているのだろう」のように思っていたのではないかと感じています。
実際、その後は、「どうしてこういう種類の人間が来るんのだろうか?」と不思議な人たちが私の後釜になっていきまし
たが、うまくは行かなかったようです。
きっと、笑ってふざけてばかりいるのに、できる仕事、のように取られていたのでしょう。
それはそれで結構ですが(笑)。
ただ、この「笑い・・・」は、何らかの意味で、全体を掌握できるような立場でないと、なかなか実行できないですね。
また、女性が何十人もいるような場所で、そこで能力別に順位のようなものを付けるような場所でも、なかなかむつかしいように私は感じました。
一般的な考えですが。
どうも思うに、女性は大人数の中で順位をつけますと、男性の何倍ものエゴを発揮するように感じます。
きっと、大奥は大変だったことでしょう。
みなさんは、どう思うでしょうか?
そういえば、先日テレビで、外国のなんとか航空という会社がこの、「笑い」を取り入れて、業績を伸ばしている、ということをやっていました。
求人の面接では、「どうぞスラックスを脱いでリラックスしてください・・・」のように言うのだそうです(笑)。
それで、躊躇なく、パンツ一枚になった人を採用するのだそうです(笑)。
番組を見ている限り、ちょっとやりすぎかな?と思うシーンもありましたが、アメリカだったとは思いますが、あの国で
よい点は、「良いと思ったことは、マイナーな意見・考えでも、実行に移す」ということですね。
いろいろある国ですが。
ちなみに、その会社は立川でしたが、ビルの高いところから見て、初めて知りましたが、基地のすぐ近くでした。
あんなに、駅に近かったことは今回はじめて知りました(勘違いでなければ・・・)。
立川駅で降りるのは、15年ぶりくらいですが、実は、20代の時、彼女の指令(?)により、その女性が(自分で)以前つきあっていた男性に話しをつけるた
めに、家を探す、ということをやったことがあります(大笑)。
当時は家に車がありましたので私が運転して、彼女と一晩中かかってそれをやったのですが、上から見て、はじめて地形が分かりました。
全体像をつかむ、ということは、大切ですね。
ちなみに、今妹は、旦那を伊勢神宮の近くに単身残して、4月から立川に引っ越してきています(笑)。
単なる偶然ですが、「子供に良い教育環境を与えるため」だそうです。
私はなぜか、会社の所在地も確認しないで、申し込み、その後「あ、立川か」と思ったくらいですので。
不思議ですね。
そこに勤めるかどうかは、まだ分かりません。
さて・・・
フナイ・ドット・コムに、仁義礼智信について書かれていますね。
私はこれは大切なことだと思っていますが、思うに、これは本当は人間には備わっているものなんだろうな、と感じます。
ですので、高次元的にはあえて言う必要のないものなんだろうと感じます。
但し、3次元の今のような資本主義下、あるいは人間が本来の能力を忘れてしまっている状況下では、”あえて言わなくてはならないもの”なのではないかと感
じます。
思うに、仁義礼智信という言葉の扱いで感じますのは、ここに相対性が入っては本来の意味がなくなってしまうのではないだろうか?ということですが。
約束をも守ることは大事なことなのですが、これは、約束の相手が、偉かろうが偉くなかろうが、お金儲けに繋がろうが繋がらなかろうが・・・対等でなくては
いけないのでしょう。
船井幸雄さんの本に良く出てくる話で、「コンサルタントを頼みに来たある会社の社長さんが、船井幸雄さんには、礼儀正しくしていたのですが、後で受付の女
性の話を聞くと、受付では、人をあからさまに下に見たような態度を取っていた。ですので、コンサルタントを引き受けるのを止めました」
や、
「ある会社へ行った時に、その会社の車で送ってもらったことがあったが、その運転手さんの言うには、”○○さんは、いい人ですね。こんな私にも、気軽に話
をしてくださる。でも、■■さんは、私のような人間は邪険に扱う・・・”」
というようなものがあります。
つまりは、仁義礼智信は、3次元下での仁義礼智信ではなく、正確には、高次元下での仁義礼智信であるべきなのでしょう。
とは言え・・・
私の前の会社は職場のほとんどがアルバイトで、男女、年齢、やっていること、ではほとんどだれが社員でだれがアルバイトなのか、区別のつかないようなとこ
ろでしたが、私は挨拶の仕方などの扱い方で区別をするのが嫌でしたので、誰に対しても同じように接し、また、私が社員であるというようなことも、言わ
ず・・・というようにしていました。
すると、どうも多くの人は、「あの人は、このような人に頭を下げるのだからアルバイトに違いない。」「えばっていないので、たいした人でないに違いない」
と思うようです。
私は、勤続年数序列には大反対ですが、年上の人には、相手が女性であっても男性であっても、偉かろうが偉くなかろうが、目上の人として扱います。
しかしその会社というのは、年功序列否定のスローガンをいいことに、位が上なら年下が目上の人でも、そういうように扱うという常識のある場所でした。
ですので、私のようなことをやっていますと、そこの常識と照らし合わせますと、序列的に”超下っ端の人間”というように”解釈”、”変換”、”翻訳”、で
きるようで、まったくもって、やりにくい職場でした。
そこだけが、変な人間が集まっているのだろうか?とも思いましたが、テレビでIT企業関係の若い人や比較的若い年齢の政治家の討論などを見ていますと、ど
うもそうではないようです。
それが、少なくとも、ある層での常識のようです。
それが学校教育によるものなのか、親のせいなのか、私を含めた社会のせいなのか、アメリカ=グローバル・スタンダード(こんな英語はないらしいですが)と
勘違いしていることのせいなのか、良く分かりませんが。
少なくとも、その状況を見ていますと、仁義礼智信を説かずにはいられないという感覚は良く分かります。
しかし、説いたとしても、それを3次元的に変換されてしまいましては、どうも間違いのように感じます。
相手に関わらず、仁義礼智信なのでしょう。
と、理論では私も言えますが、それでも、やはり、暴力を使う人、悪知恵の働く人、自分の波動では対処できないほどの悪い波動を出している人などには、残念
ながら、今のところ、関わりきれなくても仕方がないな・・・・とは感じていますが。
みなさんは、どう思うでしょうか?
さて・・・・・・
その船井幸雄さんですが、現在の所、公には、「私は結果」である、という説を認めていませんね。
実は、私は、船井幸雄さんは、「私は結果である」ということが正しそうだ、ということを分かっているのではないだろうか?と思っています。
それは、船井幸雄さんが今まで書いてきたこと、会ってきた人たち、経験してきたこと、などを総合してみると、そう感じてしまうのです。
しかし、今はそれを公に認めることはできない、のだと想像します。
アセンション、あるいはそれに類似したものに際して、船井幸雄さんはソフトランディングを目指している、ということは、いろいろな本に書かれていますね。
ソフト・ランディングとは、要するに飛行機で言えば、衝撃が少なく、静かに、着地する、ということですが。
これは、いろいろな意味で犠牲者を出さない、ということで、それは小泉政権への意見などを読みましても、よく分かるところです。
要するに、「私は結果」を、今、認めてしまうことは、ソフトランディングを妨げる、と感じているのだと思います。
それはそうですね、「私は結果」という概念は、むつかしい概念です。
おそらく、多くの人が理解できないでしょう。
仮に、私のように中途半端に理解できたとしても、以前の私のように、ただただ何もする気がなくなってしまうだけ、という人が大半なのではないかと感じま
す。
また理解されない、ということでは、関連会社もありますし、本物商品を取り扱って生活をしている業者の方もいますので、近場を見回しただけでも、ハードラ
ンディングを意味します。
この意味で、今船井幸雄さんは、森田さんと会わないのだろうと思いますが・・・
もうひとつ、船井幸雄さんは、「私は結果」を認めているからこそ、会わないのだろうとも感じています。
つまり、船井幸雄さんであれば、「間違っている理論」に対しては、理論的にも、道義的にも論破できることでしょう。
ですので、いつでも、会おうと思えば会えるのだと思います。
しかし、「私は結果」が正しそうだ、しかし、今は認めるわけにはいかない、と思っているのであれば、やはり会うわけにはにいきません。
はじめから論破しようなどとも、思っていないわけですので。
ただ、問題は、時期、ということだけなのでしょう。
仮に、船井幸雄さんが「私は結果」を公に認める・・・つまり森田さんと会う、ということですが、それがあるとするのなら、「私は結果」を認めても、ソフト
ランディングができる、という道筋を示すことができる状況になった時なのではないでしょうか?
私の想像では、今船井幸雄さんは、できるだけ多くの人に高次元のことを理解してもらおうとしています。
それはちょうど、森田健さんが、時空の調査をして、六爻占術にたどり着くまでの道筋をできるだけ多くの人に辿ってもらおうとしているのだろうと感じます。
「すべてが決まっている」ことを知った時、森田健さんですら、衝撃があったようですので、一般的な人にとっては、その衝撃は大変な、ものでしょう。
以前のノストラダムスの予言の時ですら、思い切った行動を起こしてしまう人たちがいたほどですので、やはり何の前置きなしでは、普通のことでは済み難そう
です。
しかし、できるだけ高次元のことを知ってもらうことにより、比較的多くの人が比較的スムースに「私は結果」を理解できるのではないか?ということなのでは
ないでしょうか。
森田健さんですら、「本を順番に読んでいくことにより、理解できる・・・」というようなことを書いています。
しかし、それも、時空というものに、相当興味と理解のある人のことなのだと思います。
私は、今の中途半端の状態にまで漕ぎ着ける(理解ができる)までに、2年かかりました(笑)。
しかも、そういう系統の本や講演を聞くことを何よりも優先してやって来てです。
みなさんは、どうでしょうか?
以前は良く、「できるだけ多くの人が幽体離脱をできるようになれば・・・」と書いていましたが、それも、今は、できるだけ多くの人が六爻占術を森田健さん
並みに正確にできるようになれば・・・」と思っているのかもしれません。
とは言え、時間がないというのも、また事実のようです。
おそらく、どこかの時点で、船井幸雄さんは、「私は結果」を公にするのかもしれません。
にんげんクラブ・ミーティングの今年の最後の頃だろか?とも思いますが、講演メンバーを見ますと、少しジャンルが異なるようですので、違うかもしれませ
ん。
以上、私の単なる想像ですが、どのように思うでしょうか?
あるいは、六爻占術が、好むと好まざるとに関わらず、世界中に認知されるようなできごとが起きるようなことがあるのかもしれませんね。
想像ですが。
みなさんは、どう思うでしょうか?
さて・・・・・・
頭が上位によっているこの頃ですが(笑)・・・
できるだけ、下位でいたいと思いますが。
アマゾンで浅見帆帆子さんの投稿レビューを見ていましたら、
要約しますが次のようなものがありました。
「やっぱりこれで運がよくなった!」(出版
社: 廣済堂出版 ; 2005/11/26)
(要約)
「読んでみて、好みが別れるとこ
ろだと思う。「超能力」・「予知能力」の類と、ギリギリの内容。現実的な考えを持つ、スピリチュアルに理解の無い人には、相性の悪い本かもしれな
い・・・・・・。」
で、思いますのは、現実的な3次元的活動を主にしていると、今の私を客観的(実際は主観しかない)に見てみましても、普通は高次元的なことにはなかなか興
味がいかないものなのでしょう。
そうとは言え、私もこの2,3年くらいを除いては基本的には3次元的なものを主として生活していたわけなのですが、そんな中でも、普通の人よりは、いくら
かそんなことに興味を持っていたのは、3次元的に考えれば、どうしても立ち行かないようなできごと(主観ですが)にぶつかったような時が何度かあったから
なのではないかと思いますが、高次元的なことに興味を持っている人というのが全てそうかと言うと、そうでもないように感じます。
しかし、大抵は、窮地から奇跡的に助かった・・・というようなケースで一般的な人は、何か高次元的なものを感じ始めたりするもののようですね。
そうしますと、一般的にはキーワードは奇跡、ということなのかもしれません。
何を持って軌跡かと言えば、一般的には、まず普通に考えられる人間の能力の範疇ではできないことおをして、奇跡と言いますね。
ヘレン・ケラーのような人や、あるいは、スポーツなどで、とんでもない偉業をなした人に、その言葉を使ったりします。
あるいは、現代科学で説明できないような現象を起こしたときにも、奇跡、と言う言葉を使いますね。
孫さんの豆の話などは、きっとだれが聞いても、見ても、奇跡でしょう。
と、書いていきますと、やはり、”科学教”の教えに書かれていないことが起きたときに奇跡、というのかもしれませんね。
科学の最大の誤魔化しはなんでしょうか?
再現性でしょうか?
日々変化している科学的常識を無視して、絶対だと言っていることでしょうか?
上のようなことは、精神世界系の本にもたびたび登場してくる言葉ですが・・・。
おそらくは、発見、解明、発明ということを、”自分が作り出したこと”と誤解していることなのでしょうか?
良く分かりませんが。
もちろん3次元的には、努力があったのだと思いますが、プラス、高次元的には、それをするようなあらゆる状況・・・それに対しての学習能力のDNA
がONになっていた・それができる金銭的、人的、環境的状況が整っていたこと・他の人が先に発明、発見しなかった、という運命の流れがあったこと、などな
ど・・・があって初めてそうなったのだと感じますが。
スポーツ選手というのは、縁起を担ぎますね。
おそらくは、そういうことを感じる場面が多いのでしょう。
それ故、ひょっとしたら、高次元的に敏感な人も多い職業なのかもしれませんが、人にもよるかもしれません。
朝まで生テレビで堀江氏に対して、東尾さんは、最後まで好戦的でしたね。
私などは、「そこまでしなくとも、若者を多少は理解してやっても良いのではないだろうか?」などと思いながら見ていましたが(笑)。
もっとも、それは、堀江氏を悪い人間として、見ていた、ということよりも、「このまま堀江氏が球団オーナーになってしまったら、何か良くないようだ」、と
いう直感が働いたのかもしれません。
その直感が、スポーツ選手故、現れたものなのか、野球を愛しているので現れたものなのか、あるいは、東尾さん自身に元々そういう能力がったのかは、分かり
ませんし、全部かもしれません。
運命で決まっていた、ということもできるのかもしれません。
阪神の星野さんが、村上ファンド関連で、「そうなれば、辞めるつもりだ」という発言をしましたが、今日の報道では、村上ファンド側が以前より、安値での株
の譲渡を提案している、ということですが。
先日のWBCもそうですが、野球選手が、野球以外のところで、大事な活躍、動きをしているように感じてしまいますが。
もちろん、他のスポーツ選手だって、世間をわかしていますので、私が野球が好きなだけなのかもしれませんが。
上のレビューで、「超能力」・「予知能力」・・・とありますが、この書き方から察すると、これを書かれた方は、「超能力」
をおそらくは念力系のもの・・・スプーン曲げなど・・・のこと、として、その他と分けているのか、
予知能力を超能力とは思っていないのか、どちらかなのでしょう。
もし予知能力を超能力と思っていない、としたら、きっと、この人にとって予知能力は普通のことなのですね(笑)。
超能力者ですね(笑)。
もちろん、この方は、そういうことに理解がある人と、自分を認めてしるようですが。
そう言えば、この方はおそらく女性でしょうが、スプーン曲げでテレビに出てくる人のほとんどが男性のように感じますが、占い、予言関係は女性の方が圧倒的
に多いですね。
やはり一般的な男性には、どこかに、腕力でねじ伏せる的なものがあるのでしょうか?
それ故、4次元的な念力系統は使えても、その他がむつかしいのかもしれません。
そうしますと、予言、予知能力も、5次元的な能力・・・蘇生能力系・・・の仲間なのでしょうか?
もしそうなら・・・アーカシック・レコードですら、ひょっとしたら意思・意識があるものなのかもしれませんので、炒った豆の蘇生のように、相談してみたり
すると、何か教えてくれるのかもしれませんね(笑)。
みなさんは、どう思うでしょうか?
どうも、少しは高次元的な話でしたでしょうか?
「みろくの世」―出口王仁三郎の世界天声社 ; (2005/08) 出
口王仁三郎言行録刊行委員会 (編集), 上
田 正昭: ですが、80%くらいまで、読みました。 どうも、この人は、ユーモアたっぷりで、とても子供っぽい面を表に出していた人のようです。 子供っぽい面を表に出す、というのは、むつかしいことですね・・・と私は思います。 とくに、何かの団体のリーダーである場合には、むつかしいと感じます。 私感では、たくさん人が集まりますと、必ず一定数以上の割合で、「子供っぽい=たいした人材ではない=能力のない人=頼りがいのない人=リーダーとしてふ さわしくない人」という図式を持っている人がいます(笑)。 |
出口王仁三郎も、教団に加わった時には、以前から所属していた人たちといろ
いろあったようですが、単に新参者で尚且つ上の立場(?)ということ以外にも、きっと「子
供っぽい面を表に出していた人」ということも、関係あるのでしょう。
確かにその意味では、船井幸雄さんが良く書く、
「私は若くして髪の毛がなくなってしまいましたが、そのため、若い時から年上に見られて、仕事がやりやすかったです・・・」
というようなことは、団体のリーダーになる人には、良く見られる運命のようにも感じます。
もちろん、それだけ、リーダーになれるのなら、スキンヘッドの人はみなリーダーですので、そんなことはないと思います。
ただ、何度も書きますが、簡単にクサッテはいけないようですね。
もっとも、無理もいけないようですが。
3次元的現象を見れば・・・
きっと、その人が高い波動、氣を放っている、ですとか、想念が強いですとか、話術に長けている、ですとか、・・・学歴、資格があるですとか、いろいろな要
素はあるでしょう。
私などを見ていると、どうもリーダーというような存在になる運命は、???ですが、(笑)。
それでも、好むと好まざるとに関わらず、そういう運命というのは、めぐってくる時はあります。
そんな時には、今までは・・・髭を蓄えたこともありますし、スポーツ刈りのようにしたこともありますし、陰気くさい
めがねをかけたこともありますし・・・いろいろやってみたことがありますが、少なくとも当時は、
「私の言ったり、やっていることは以前と同じなのに、そんなことで言うことを聞いたり、聞かなかったりする人間は信用できない」
と思っていました。
しかし、どうも、森田健さんによりますと、外側が運命を変えるであり、内側を変えるなら外側を変える、であるようですので、人間が決まった運命とおりに動
いているのだとすれば、きっと、外見を変えることにより、態度を変えた人たちは、それはそれで罪のないことなのでしょう。
もちろん、不潔な格好ですとか、そういうのは、話は別だと思いますが・・・。
みなさんは、どう思うでしょうか?
さて・・・・・・
小松英星さんのサイトに登場するチャネラーのバーバラ・マーシニアックさんですが、私にとって、小松さん、船井幸雄さん以外のところで、初めてその名前が
登場しました。
それは、エハン・デラヴィさんの配信
メールにあったのですが、「プレアデス光の家族」
(出版社: コスモテン (2000/07) )というバーバラさんの本を、エハンさんの奥さ
んの愛知ソニアさんが翻訳しているようです。 何でもこの本を、手直し手して、再出版するようです。 エハンさんのサイトは、http://www.echan.jp/ ですので、興味のある方はどうぞ。 ちなみに、今日開きますと、飛谷ユミ子さんの写真が目に飛び込んできます(笑)。 活躍中ですね。 「プレアデス 光の家族」が 再出版されるのが、楽しみです。 |
さて・・・・・・
朝まで生テレビがありましたので、1日開きましたが(笑)・・・
今日は、嬉しいことがありました。
しばらく音信不通だった友人からメールがありました。
もっとも、彼とは会ったことはないのですが。
以前の私の”はちゃめちゃ”なホームページと、プロレスサイト絡みの友人です(笑)。
http://www.sakai-gumi.com/ が、彼のサイトですので、訪問してみて
ください。
で・・・・・・
まず3次元的なことからですが・・・増田俊夫さんからです(笑)。
最新の更新で、面白いことを書いています。
少し引用しますが、
(引用)
『(前略)
安倍氏が事実上出馬表明をしたが、私は「残念」だと思っている。
(中略)
2001年3月の時点で小泉首相の靖国参拝にはむしろ賛成していたブッシュ大統領が、なぜ昨今苦言を呈するのかが分かっているなら、靖国参拝に消極的でな
くてはならない。
以前にも書いたように、中国の外相があえて無礼なまでの発言で小泉靖国参拝を非難するのは「何として
も小泉靖国参拝を継続してもらいたい」からである。一日200件も発生している暴動のガス抜きに小泉靖国参拝がどれほど役に立っていることだろうか。中国
の国体維持の最大のリスクは国民であり人心である。全国各地の愛国館で国民の反日感情を煽りながら日本の靖国参拝を罵倒することは、政府批判に向かう暴動
の矛先をかわす上で絶対に必要なことなのである。
アメリカにとっても、米軍再編成の企画と日米共同戦略が確立されるまでは中国の目を靖国に集中させて おく必要があった。今後は米軍主導で中国軍事包囲網が動き出すので、これをカモフラージュするためにもアメリカは同盟国日本と中国の関係改善を望む。だか ら最近ブッシュは小泉靖国参拝に苦言を呈するのである。
靖国に積極的な安倍の「若さ」はここにある。安倍の言動は既に進行している日米軍事同盟化の行動指針 と整合しない。中台軍事衝突が起こる2012年頃まで待機していてもらいたい。』
(以上)
ということのようです。
みなさんはどう思うでしょうか?
私は、アメリカの意図は、そうなのだろうな、と感じます。
で、増田さんの本心は、「アメリカが中国と戦争しやすいように、2012年まで待っていなさい」でしょうか?
私は違うと思っています。
「こういう意図があるのだから、さあ日本はどうする?
但し、途中までは、アメリカの意図に乗っているように振舞うのが、何をするにしても、コツだよ・・・」
ということのように読めますが。
もっとも、実際はよく分かりませんが。
さて・・・・・・
エハン・デラヴィさんのブログというのがあり
ます(笑)。
2つほど、興味を惹くものがありました。
ちょっと引用しますと・・・
(引用1)
『2006年05月15日
自分として動く神
God is a verb not a noun.
神は名詞ではなく、動詞です。
Buckminster Fullerバックミンスター・フラー(発明家) 』
(引用2)
『2006年5月8日
Crazy Ideas
For any idea that does not seem crazy
at the beginning there is no hope.
アイディアの最初の段階で、
そのアイディアが
クレイジーだと思われないようなものには
希望がない。
Albert Einstein
アルベルト・アインシュタイン 』
(以上)
面白いですね・・・
神は動詞である、、、というのは、どこか、森田健さんの、「私は結果、周りが原因・・・私は空洞・・・」ということと、非常に似たニュアンスを含んだ言葉
であるように感じます。
不確かですが、森田さんも、「私の周りがすべて時空であり、神である・・・」というようなことをどこかで書いていたようにも、思いますが、他のだれかかも
しれません。
上の意味では、「ハンドルを手放す」という行為そのものが、神である、ということなのかもしれません。
「ハンドルを手放した自分自身」も神の分身でもあるとするなら、「神とは動詞」というより、「神という動詞もある」と言う方が、より正確なのかもしれませ
んね。
「人から問われる」、「ものから問われる」、「状況から問われる」、そういったことが、正に空洞である自分自身の中身であり、神の分身たる人を形作ってい
るものであるとするのなら、正に、「神という動詞」は「ハンドルを手放す」であり、「神という動詞」の姿が分かりやすいものとなりますね。
みなさんは、どう思うでしょうか?
「アイディアの最初の段 階で、そのアイディアがクレイジーだと思われないようなものには希望がない。」
というアインシュタイン
の言葉ですが、これは考えるに、科学信仰のように、「今分かっていることだけが真実です」のような殻に閉じ込められている限りは、本当の真実など分からな
い、ということなのかもしれません。
ただ、この言葉は、似たようなものも含めて、多くの人が好みますね。
ある意味、「何をやっても3次元的な意味でもOK」という概念を含んでいますので、使いやすい言葉なのでしょう。
つまり、中には、「人として絶対にしてはいけない」こともあるでしょう。
それでも、森田さん式の「今のままの自分で完璧」を考えるなら、少なくとも、高次元的には、「何をやってもOK」ですね。
人間が本来持っている能力を取り戻したら、そうなのかもしれません。
つまり、「人としてやってはいけないこと」というのは、それでもそういう概念がある、ということは、3次元では、それをやると、何らかの特をする人がい
る、ということなのでしょう。
しかし、人間が本来持っているの能力を取り戻したのなら、その特など、特でもなんでもない、ということなのかもしれませんね。
不思議ですが、「特」と「徳」は、同じ発音をしますね。
これは、興味深いですが、まさか、若い人で、この2つが同じものだと思っている人はいないでしょうね?(笑)。
もっとも、正木和三さんによれば、「徳」も、救われようというが良くでやるのなら、徳にも何にもならないようですが。
みなさんは、どう思うでしょうか?
「みろくの世」―出口王仁三郎の世界天声社 ; (2005/08) 出
口王仁三郎言行録刊行委員会 (編集), 上
田 正昭: ですが、85%くらいまで、読みました。
横のアマゾンへのリンクは、ホームページ・アドレスを登録すると、このようにすることができます。
船井幸雄さんの「にんげんクラブ」のサイトに貼ってあったので、私もやってみました。
便利です。
CDも使えるはずです・・・ちょっとやってみますが・・・
できますね(笑)。 ネットオークションで、1万円くらいでしたが、京都の方からでしたね。 |
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←一応、今このCDについての「なぜか理由は分からないが、好
き・・・」について書いている章です(笑)。 とっかかりですね。 このCD(タイトルになるCD)に空洞に何かを入れてもらっているのかもしれませんね。 |
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