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ぜ
もくじ
さて・・・
会社の最後の出勤日ですが・・・
私はオフィスが移転になってから、最後の日まで同じお弁当屋さんで昼ご飯を買い続けました。
肉を食べませんので、メニューにはない特別弁当を作ってもらい、それをほとんど毎日食べたわけですが・・・
このお弁当屋さんは、いわゆるチェーン展開しているお弁当屋さんではなく独立系で、映画で言えばATGとでもいいましょうか(言わなくともよいですが:笑)・・・
で、実はすぐ近くに、チェーン展開しているお弁当屋さんがあり、メニュー内容からして、こぎれいな店構えからして、普通はそちらへ行きますし、そうでなくとも、2回に1回くらいはそっちにいくのが普通でしょう・・・
で・・・そうであるにも関わらず、私は毎日そちらへ弁当やさんへ行きました。
で・・・最後の日、「今日で最後なんですよ。ありがとおうございました」と挨拶をして、「いつもの・・・」をお願いしました。
出来上がったお弁当をいつも通りに受け取り、いつも通りに「ありがとうございました」と挨拶をして・・・
・・・会社でお弁当を持ち帰り開けますと・・・なんと・・・超オマケしてくれているのですね・・・・(感動)。
私の特性弁当は、牡蠣フライ3つにエビフライ1つ、海苔とおかかが乗っていて、ご飯大盛で、460円です。
それにですね・・・+エビフライ1つ(合計2つ)、牡蠣フライ1つ(合計4つ)、焼き海苔5袋くらい・・・
いや・・・感動しました。
お店のご主人と奥さんの両方とも良くしてもらったのですが、オマケを入れたのは奥さんですね。
牡蠣フライ2つは、食べ切れませんので会社の若い人2人にあげてしまいましたが。
午後の3時くらいに会社を出ましたが、お弁当やさんにお礼に行きました、通り道ですし。
奥さん(と言っても60歳前後ですが)しかいませんでしたので、ご主人によろしくお伝えください、と言って、ご挨拶差し上げました。
会社へは、ドーナツを全員分買って、経営者に方へ「お世話になったお礼です」と置いてきました。
全員の前で、簡単な挨拶をして、3時くらいに退社しました。
しかし、何と言いますか・・・・お弁当屋さんのお礼は嬉しかったですね。
もう買いに来ないのだから、どうでもいいじゃないか・・・という発想もあるわけです・・・
あるいは、毎日と言っても、たかだか460円じゃないか、という発想もあるわけですね。
(ある、というのは理論的にある、ということで、私の中にあるかと言えば、ないわけですが)
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
で・・・前の会社でもそうですが・・・辞めるときに、こちらからお礼の品物を置いてくるということをやりますが・・・
その会社が楽しいところであったとしても、仮に嫌な会社であったとしても・・・
何度も書いている話ですが、清水の次郎長の「死んだら敵も味方もねえ、みんな仏様じゃないですか・・・」ということですね。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
船井幸雄さんも、「今だけ、自分だけ、お金だけ、はいけない」と言いますが・・・
もちろん、船井幸雄さんも神田さんも同じ次元で正しいことを言っているvと言う前提で考えますが・・・
これはタームの違いでしょうか・・・
中長期的な視点を持った場合、「今だけ、自分だけ、お金だけ。はいけない」・・・
短期的な視点を持った場合、「過去にも未来にもこだわりをなくし、瞬間を生きよう」となるのかもしれないですね。
あるいは、単に、元気の出ない人は、長期的中期的なことは忘れて、今やると決めたことだけに、全力を尽くせばよい、ということなのかもしれません。
そうしてみます。
藤原直哉さんも、「とにかく元気になること、エネルギーをためること」と言っています。
アントニオ猪木さんも「元気があれば何でもできる」と言っています。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
で・・・森田健さんが、「人間て、私利私欲でしか、生きられないと思うのです
」と書いていますが・・・
正確には・・・自利自益とでも言いましょうか・・・何かそのようなものではないだろうかと感じます。
たとえば、地球をアセンションにして、いきよい世の中にしましょう・・・と言った場合、これは「すみよい世の中になって、そうすれば自分も他の多くの人も、楽しく暮らせるな」ということですので、私利私欲も入っていますが・・・
マザーテレサのような方の場合だと、ほとんど私利私欲ではないのですね・・・しかし、自分が欲した(ほっした、よくした)情熱というか気持ちで生きたのだと思いますので、決して「自分」と言う存在がないわけではないのだと感じますが、しかし、私利私欲はない・・・
そう考えた時、自利自益と言う言い方になるでしょうか。
貧困もない、格差もない、病気もない・・・そんな世の中になって欲しい、と考えたら、「欲しい」ですので、絶対に欲です。
この意味で、人間は、欲でしか生きることができない」は正しいと感じます。
で、突き詰めて考えますと、いろいろな精神レベル、考え方があるでしょうが・・・結局、自分の欲望に素直に生きる、自分の煩悩に素直に生きる、と言うことになるのだと思います。
なぜなら、仮に、「貧困もない、格差もない、病気もない・・・そんな世の中」が正しいとして、精神レベルの異なる方・・・一部の官僚の方などが「自分の省、学閥などが、永遠に裕福で楽に暮らせる状態を作ることが、全てに優先する」と考えている場合、すぐにか投げ方を直せと言っても無理ですし、「それじゃ、なにもするな、考えるな動くな、行動するな」と言うわけにも行きません。
もしそうしたとして、そういう人達が今度、精神衰弱にでもなって相談に来た場合、やはり「今この瞬間を全力で行きなさい」のようなアドバイスをするしかないのだと思います。
結局、それが精神レベル的にどんなものであるにしても、人は、自分の煩悩に素直に生きる、と言うことなのだと感じます。
一番やっかいなのは、自分の精神レベルと違うことをしようとすることかもしれないですね・・・
背伸びをする、ということですが。
もちろん、自分のレベルより一歩上をやってみると言うことはそれなりに意味のあることでしょうが・・・
大人になろうとして、無理に未成年がビールを飲んだりして「苦い!!」と思いながら、飲んだところで、別に幸せを感じるわけはないのだと思います。
もちろんその逆で、大人に、酒のつまみを出した席で、オレンジジュースばかり飲まされては閉口してしまうわけです。
もちろん、私のように、アイスクリームとかチョコレートでお酒が飲める、という人もいますが。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
で・・・今書いている「2009年にんげんクラブ全国大会」の報告にも、その内書きますが、船井幸雄さんでしたか、中矢さんでしたか、他の方でしたか・・・地球人は他の星から来た可能性が高い、なぜなら、地球にいつ他の動物達とは、あきらかに体の作りが異なっているから・・・」と言う話をしていましたが・・・船井幸雄さんですね、確か。
ただ、船井幸雄さん以外で、そういう話で、実は地球は、他の星の犯罪者を島流しにするための星で、そういう人達がたくさん来ているので、いろいろな人種(星人)が混じっている、と言う話を聞いたように思いますが・・・確か玉たまふら9月号ですね。
これは、あれですね・・・
私がよく書きます、政木和三さんと高橋信次さんの話ですが・・・
政木和三さんが講演会で、
「3億6000年前に、木星の内側を回っていた地球と同じような星にすばらしい文明があった。
しかし、核融合実験の失敗で、水が連鎖反応を起し、大爆発し、その星はなくなってしまった。
前もって察知した学者たちが無数の円盤をつくり、人々をのせ、地球へ送った。その頃、地球に人は住めず、肉体はほろび、生命体だけ残こった。
生命体だけでは修行ができないので、獣、草木に宿った。
何億年もの間に、その85%は動物的な人間性になった。自分さえよければよい、と思い、精神的な話には関心を持たず、ただ生きていればよいという人間になってしまった・・・」
と話したところ、講演後、ある人が政木和三さんに、
「高橋信次さんという方が、政木和三さんと同じ話をしています」
と言って来たそうです。
で、政木和三さんが高橋さんとアポイントを取り、高橋さんの家へ行ったところ、高橋さなんが松下幸之助さんと会っていて、それが伸びてしまい、とうとう合うことができなかった・・・
後々、守護神でしたでしょうか、にたずねたところ、政木和三さんと高橋さんは、同じ魂を分けた存在、分け御霊である、と言われた・・・
と言う話をシンクロしますね。
いずれにしても、地球人は、」他の星から来た存在で、決して、進化論で言われているように、猿人から進化したものではないようですね。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
10:0で負けてもシャツはひっぱらなかった、だfれでもいいから・・・
武
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/12/post_4269.html
テレビ局の場合は本業のテレビ広告の売上が激減している関係で経費を削減しなければならない。本局の職員ボーナスをはじめ、ロケ中に配布される弁当の価格や個数チェック、放送外収入へのアプローチ(関連商品の販売、海外へのコンテンツ売却、本業リソースを用いた新事業の開拓、不動産事業)、そして制作プロダクションへのコストカットの圧力などなど。スポンサーの花王から提供された制作費1億円が、広告代理店・放送局・中請けを経由して実質的な作業を行う制作プロダクションの手には860万円しか渡らなかったという、
さて・・・
森田健森田さんですが・・・
(引用)
情報の伝わるスピードは、光を超えています
ということは、原因と結果が、どちらだか、分からないのです
ユングの言った「シンクロニシティ」の世界を物理学が相手にし始めたのです
(以上)
ということです。
なるほどな、と思いますが・・・
これまでは、情報が伝わってくるのが遅かったですので、少なくとも3次元的な知覚では、原因らしきもの、と結果らしきものがはっきりしていたわけですね。
それが、情報が瞬時に来ますので・・・と言いますか、目の前で起きていることと、情報伝達が同時になりますので、もはや、どちらが原因で結果だか分からないわけです。
一番分かりやすい例は、株価ですね・・・
森田健さんも、このことを言っているのかもしれません。
これまでは、株価の推移を見て、売る、買うがあったわけですが、今はソフトで株価の推移を見て売って買っての3つが同時に行われるわけです。
そうしますと、下がったら買ったのか、買ったから下がったのか・・・もう分からないわけですね。
ニワトリと卵が分かり易いのか・・・
アドリブソロを弾いていて・・・それを突き詰めて考えますと、今このフレーズを考え付いて弾いているのか、それとも、次に来る展開を考えたから、今このフレーズを弾いているのか・・・のような感じが分からなくなってくることはあります。
瞬時ですので。
それと似た感じだな、と感じていますが・・・つまり、はっきり方をつけようと思いますとつきませんので、ひどくもどかしくなってくるのですね。
で、結局、両方が同時に起きている、場合によっては、どちらかに比重が傾いている場合もある・・・みたいな感じの答えになります。
それが事実かどうかは、分かりませんが、とりあえず知覚していることを理論化しますと、そのような感じになってきます。
どうも結局は、どちらだか分からない、と言うのが答えのようです。
シンクロにシティとは・・・理由なく・・・アーカシックレコードを通して、呼応しあう二つの事柄が、ほとんど同時に発生すること・・・とでもいうのでしょうか・・・
浅見帆帆子さんが得意ですが・・・こういう人に会いたいな、と思うと、次の日巡り合う、とか、どいう感じです。
これですと、「会いたいな」が理由で「あった」が結果ですので、はっきりしていますが、「合いたい」と思ったから会ったのか、「会うのが決まっていた」から合いたいと思ったのか・・・どちらでしょう?としたら、正に原因と結果が分からなくなりますね。
高次元的見地で見れば時間を通り越すようですので、1日も瞬時も同じでしょう。
しかし3次元ではそうではなかったわけですが、今や瞬時になってしまったわけですね。
これまで、偶然の一致として片付けていた・・・しかし精神世界では「理由はある」としてきたものを・・・あまりに日常茶飯事になってしまったので、物理学で扱わなくてはならなくなった・・・
株価は、それでも昔から情報による部分が大きかったですが、競馬などのビギナーズ・ラック・・・
初めて賭け事をやった人が大当たりする、まったく情報なし、経験なし、分析力なしの人が当たってしまう・・・
これも、ビギナーだから当たったのか、だれかが当たるのですから、それがビギナーへ割り振られるのか・・・
あるいは、これはどうでしょう・・・
王選手がホームランを打った。A投手が王選手にホームランを打たれた・・・
どちらの運でしょうか?
これからは、これらもまた物理の対象となるでしょうか?
で、物理が扱かったらどうかと言いますと・・・
少なくともアカデミックな世界が精神世界を扱うようになります・・・あるいは目に見えなかった世界を扱うようになります。
目に見えない世界で、物理と言えば量子力学ですが・・・それの新しい範疇となるでしょうか?
しかし、シンクロニシティは、量子そのものというより、情報の世界ですので、つきつめれば、きっと陰陽五行のような世界を物理で扱うことになってくるのかもしれません。
興味深いですね。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
気づきましたら、また記載いたします。
で・・・佐々木洋治さんhttp://www.menokami.jp/daily.cfm ですが・・・
2009.9.21 の今日に一言で、
(引用)
◎台風14号は、足早に日本列島太平洋側を通り過ぎていった。気象画像-世界域-を見ると東アジアに少し雲が目立つ程度で世界的に晴れている。スマトラ地震の起きる前も世界規模で晴れていた。 -10:06-
(以上)
と書いていましたが、
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