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もくじ

 

さて・・・

荏原さんと三輪さんの番組(オーラの泉)の特番がやっていましたが・・・
倉本 聰さんが出ていました。
で・・・私と同じことを言っていましたが・・・
倉本 聰さん式には「クリエイターは、天の便利な楽器であればいい。」、

「自分で書いている気がしない」、

「自分の想像を超えた作品がものすごいスピードで書けるときが時々あった、その後吐いたり、肩がこったりした、
霊感のある先生に相談したら、”あたりまえだ、それはなにかに書かされているからだ”ということでした」

などなどです。


で・・・
疲れないために、その先生に薦められ、書くときにはお香を炊いていたそうですが・・・
「あるとき、お香がまとわりつくことがあった。その先生から賞を取るよ、と言われた。
前略おふくろ様で、8つ取った。しかし、その後、”これは自分が書いたものか、霊が書いたものか?”と感じて、
その後スランプになった。

棟方志功さんが「、「これは神様が書せてくれたものだよ」と言っているのを聞いた。
それを聞いた時、スランプから、抜け出た。」

・・・ということで、つまり、クリエイターは天の楽器であれば良い、と言うことだと思います。

これを、「自分で作ろう」、できたものが自分えだけで作ったものだ」、と思ったとしたら、もう良い作品はできなくなります。
その意味では、クリエイターは、決まっている運命通りの行き方・・・ハンドルを手放す・・・ということの一番分かりやすい例でもあり、一番理解しやすい存在でもあるのかもしれません。

倉本さんでしたか・・・
三輪さんが話した三島由紀夫さんでしたか・・・
とてに眠くてどうしようもない状態の時、普通ならそこで休むのですが、そうできず筆が勝手に進んで、原稿を書いたことがあり・・・後に読み直して直そうと思ったが、直そうとすると筆が出ず直すことができなかった・・・というような話も出ました。


三輪さんは、クリエイターのこういうことを自動書記と言っていましたが・・・上の例はそうかもしれませんが・・・少し自動書記とは違うのかな・・・とも感じますが、広い意味では、自動書記でしょうね。



北海道に行ったのも、NHKで喧嘩をして、その足で北海道まで行ったそうですが、NHKを出てから北海道につくまでの数時間の記憶がないそうです。

荏原さんのよれば、倉本さんはネイティブアメリカン・・・いわゆるインディアンのことでしょうか・・・だそうです。



なんでも倉本さんは、今、戦争でなくなった兵隊さんたちが今の日本にやってきて、本当によくなったのだろうか?と感じる舞台をやっているそうです。

舞台の元となった小説は別の方のもののようですが、戦後10年だった頃、兵隊さんたちがやってきて、「日本が復興してよかった!!」と思うものだったそうですが。


で、今の日本は物の判断を法律によって判断し、法律にそむいていなければ、あるいは、誰も見ていなければ・・・という判断をするが、昔は、誰か天の存在が見ている、恥と誇りによって、判断した・・・ということです。
これは私もよく書きますが・・・

山田太一さんの「男たちの旅路」で、そういうシーンがありますが・・・宝石店の警備でライフルを持った犯人に押し入られて、吉岡警備帆が言うのが「私には誇りがある」で、愛する若い恋人が死んでしまい北海道に逃避行し、若い人に迎えに来てもらって変えるとき、なかなか素直に帰らない吉岡が言ったせりふが「私は恥を知っている」ですが。


藤原直哉さんがネットラジオで、ヨーロッパはルールを変えて人や制度を動かす、アメリカは金でそうする・・・と言っていましたが、
日本は・・・どうでしょうか・・・「情」かと思っていましたが、「恥」と「誇り」も加える必要があるかもしれませんね。

ただ・・・神田正則さんのメルマガにあったかと思いますが、「与えることが正しいというのは、搾取する側の絶好の武器になる場合があるので、時と場合を考えなくてはいけない」というような内容だったかと思いますが・・・
{恥」も「誇り」も「情」も双方が持っていて初めて成り立つものかもしれません。

そうとは言え・・・資本主義的、アメリカ的な日本がもう少し元の状態に戻るまでは、昔の日本、正しい日本をそのままやれとは言いませんね・・・
ちょうど良く・・・宇宙の理からはずれない程度に・・・・ということでしょうか。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?






さて・・・
結構すごいことを発見したように思いますが・・・
昨日の倉本 聰さんの番組で、中井貴一さんが倉本さんについて語っていましたが・・・「頑固で偏屈で・・・・」ということでした。
で・・・直感的に感じるのですが、船井幸雄さんでも政木和三さんでも森田健さんでも岡田多母さんでも、他の誰でも、当人はどう思っているか知りませんが、相当に頑固で偏屈です。

で・・・私なりに、どういう人間が創造主に、あるいは時空に気に入られるかと考えますと・・・

頑固で偏屈である、ということはひとつの要因かもしれないです。

頑固で偏屈ということは、裏返しますと、「自由」であるということでもあります。

ただ、頑固で偏屈な人は何人でも知っていますが、全部創造主に気に入られているかと考えますとどうそうではないようです。

ホリエモンだって、横井社長だって、小泉さんだって竹中さんだって、ヒトラーだって、がんこで偏屈でしょう・・・
ただ、頑固で偏屈なら、船井幸雄さんだって森田健さんだって負けてはいません。

で・・・今、時流は西洋的な個人主義から東洋的な和の主義、あるいは地の理から天の理へと変わろうとしています。
そして、岡田多母さんによれば、どうも8月12日を持って変わったようです。

何でもよいのですが、たとえば天の理と地の理を考えてみれば・・・これまでは地の理に沿った方が得るものが大きく、これからは天の理に沿った方が得るものが大きいようですが、ただどちらにしても、頑固で偏屈なくらい自由でなければならない、という重要な要素があるのではないでしょうか?



どうでしょうか?
これは是非船井幸雄さんたち全員に考えて欲しいところだと感じます。

また、もしそうだとしますと、やはり「謙虚」は考え物ではないだろうか?と感じます。
あるいは、「目に見えないものに謙虚で」とか、「創造主に謙虚に」のように言い換えるべきなのではないでだろうか?と感じますが。


で、それを踏まえた上で、やや強引にでも、言葉にすれば・・・
これからの宇宙の理の世の中で創造主が求める人間像とは・・・

明るく暖かく(別に高テンションであるということではなく、要するに「情」と「誇り」と「恥」を知っているということであり、人を騙したりせず、人に自由を与え、お金やルール、力で動かそうとせず、自他共に長所を生かして、自他共に対等に付き合い(自他同然)そうでありながらおせっかいせず問われない限り答えないが、
問われたら答える 、というような内容です)、そして頑固で偏屈で(拘らず、縛られず、縛らず、自由に)、
この条件をすべて満たしていことではないだろうか?と。


気づいた方々は、どう感じるでしょうか?





で・・・
今テレビを見ていますが・・・
アメリカの未公開映画を見る、という番組で・・・最近見始めましたが・・・
今日は、映画の「何とか指定」というのがありますが、あれを決めている組織についてのものです。
どこまで、内容が操作されているのかいないのか分かりませんが、それでも、相当本当だろうなというような内容をやっています。

どうも、暴力描写よりも性描写に厳しいようです。
暴力描写でも・・・拳銃で人を殺すような描写ですが、血が出ないと、更に緩やかになるようです。

・・・これは分かりますね。
血が出ず、人を殺す、ということは・・・
つまり、血が出ますと、拳銃で人を撃つということはひどいことだ、ということが見ている人にわかってしまうわけですね。
しかし、血がでませんと、分からない、まるでゲームでも見ているかのように見てしまう。
それは人間性を低下させるとともに、戦争で簡単に人殺しができるような人間を作るのに適しているわけです。

性描写ですが・・・
これはアメリカはよくやるのですが・・・
ハワイをアメリカが占領した時、フラダンスを「卑猥である」として禁止したのですね・・・

これなのですが・・・
一つは、私が良く書く・・・ハワイにいた時の経験ですが、初めは露出した胸元などがセクシーと感じるものですが、いつも見ているとだんだん感じなくなる、と言いますか、別に大したものではなくなってくるのです。
逆をいいますと、本当は大したものではないもののはずなのに、隠すことにより、妄想が肥大しそれこそ卑猥なものになってくいるわけです。
おそらく、それは正常な状態ではないはずですので、精神に何らかのものを及ばすのでしょう。

押さえつけて押さえつけて、性犯罪のようなものを助長させるのか、それとも、性とものの価値を上げることにより、それを統治できる権力を握ることにより、民衆を操作することができるのかもしれません。

学校と教会は、正にここら辺りを巧妙に使って洗脳をしているのかもしれません。

しかし、今正にこういうものはなくなる・・・当人になくす気がなくとも、自然になくなさざるを得なくなってくる時流になっているわけです。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?






で・・・不思議研究所の森田健さんが、
(引用)

普段、なぜ我々は、普通の楽器に何の違和感も感じなくなってしまったのか?

(以上)

と書いていますが・・・
これだけでは分かりませんので興味のある方は、http://www.fushigikenkyujo.com/menu.asp で前後読んで欲しいですが・・・


確か小学生の5,6年の時、図工の授業で楽器を作る、というのがありました。
このとき先生は私にとって2人目の図工の先生で、以前は変わり者の定年間際の年齢の先生・・・この方は私を気に入ってくれていましたが・・・で、
その先生が定年になり次に来たのがおそらく20代の男性の先生で・・・この方はあまり私を評価していませんでしたが、ただ、絵を一度評価してもらったことがあり・・・

暗い部屋で、右上の窓があります。そこには三日月が見えています。
机が置いてあり、そこには宇宙の模型のようなものが、水槽のような感じですが・・・置いてあります。その左側に男性がいます・・・
で、何を表現したかと言いますと、少なくとも3つの次元がそこにある、といいますか、3つの同じようなものがあると言いますか・・・

模型はある意味一つ下の次元のような所(そこまで意識していなかったですが、要するにこちらから全容を把握できるもうひとつの世界)、そしていまいる次元が正にその部屋と男性、そして右上の窓から月が見えますが、それは更に上側(上下の意識はありませんが、模型と男性の関係と同様、もう一つの宇宙と男性の次元があるという意味)に宇宙がある・・・というようなことを表しました。

で・・・なぜそんな絵を描いたのか忘れましたが、「こういうのを書こう」と思った瞬間のことは、今でも覚えています。
おそらく星新一さんの影響だと思いますが、違うかもしれませんが、いずれにしても、私がだけで書いたのではないでしょう。

で、そのような絵をまさか評価する人がいるとは思っていませんでしたが、その先生は「いいな〜」とうなっているのですね。
どういいのか聞きませんでしたが・・・私の意図と同じ考えが浮かんだでしょうか?それともぜんぜん別のものとして見たでしょうか?

で・・その先生の時に楽器を作ったのですが、私は当時楽器などぜんぜん興味もなく音楽の成績も3か2くらいでした。
みなは・・・中にはませた人もいてギターの弦など買ってきて、付けている人もいました。

私が作ったのは、鍵盤を叩くと、向こう側が上がりますので、それが上に付いている缶を叩き音を出す・・・
それと何やらハープのような弦が張ってある部分があり、それを弾くと何らかの十が出る・・・そんなものでした。
もうすでに、何だかんだ言っても、この時点でピアノ的、ハープ的ですので、既成の楽器の影響を受けていますね。

その意味では、
「普段、なぜ我々は、普通の楽器に何の違和感も感じなくなってしまったのか?」
ではなく、
「気づいた時には、普通の楽器があった。それが楽器というものだと教育された」
というのが正しいのでしょう。

「感じなくなった」のではなく、「感じたことなど生まれた時からない」と言うのが事実ということです。

ただ、分かる限りの歴史を見ても、楽器というものは、そうそう新しいものは出てきませんね。

今電子楽器・・・シンセサイザーですが、これは新しい楽器ではありますが、結局のところ、ピアノの発展系でいろいろな音は出るにはでますが・・・根底から覆すというほど、斬新ではありません。

テルミンという楽器がありますが・・・
あれはいくらか斬新ですが・・・

だた、吹く、弾く、叩く・・・これが今の楽器の基本ですね。
その意味でテルミンは斬新かもしれませんが。

ただ・・・雅楽のあのオルガンのような音のする笛・・・あれば西洋に知らせたら、ひょっとするとびっくりするのではないでしょうか?
だって、西洋音楽に染まった、それでも日本人である私が見ても、「なんで、こんなに西洋楽器と同じような音が、ぜんぜん違う形をした楽器から出るんだ?」と多いますので。



まとまりませんが・・・
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?









さて・・・
日曜日の夜、アニメソングの番組がやっていましたが・・・
水樹奈々さん・・・かわいいですね、よいですね。
DVDレコーダーに2曲録画して、日曜日の夜から、今日まで30回くらい見てしまいましたが(笑)。

声がかわいいですね、顔も表情も可愛いですし、曲も良い・・・

はっきり言ってしまいますと、歌は♭しているのですが、関係ないです。
何と言うのでしょうか・・・すべてで表現しているもの、それが良い、ということでしょうか。


で・・・今はアイドル歌手というのが極端に少ないのですが、アイドル歌手というのは、虚構なのですね・・・それを見せる・・・よく言えば夢を見せるとでもいうのでしょうか・・・
ただ、その虚構の部分のグレードというのでしょうか、中身というのでしょうか・・・それが魅力的ではなくなってしまった・・・とでも言うのでしょうか・・・

アニメソングを歌う人・・・この方は声優さんでもあるわけで、声ですとか、顔ですとか、いろいろな意味で魅力的なのですが、虚構の部分・・・がですね・・・要するにアニメの中の人でもあるわけで、その虚構の部分の魅力がすごいのですね・・・


その虚構の部分が魅力的というのは、女子アナウンサーさんでも、女優さんでも、歌手の方でも何でもそうなのですが、いろいろ暴かれてしまいますので、どこか「そんなものだろう」というところがあるのですが、もう虚構の部分がアニメの中、初めから作られたもの・・・であるというのは、もう暴きようがないわけで、と言いますか、暴かれた正にそれがアニメの中と言いますか・・・それがまたすごいのではないでしょうか?

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?

 

で・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090815-00000432-yom-bus_all によりますと・・・
(引用)

米地銀大手コロニアルが破綻、今年74行目

8月15日11時36分配信 読売新聞

 【ニューヨーク=池松洋】米地銀大手コロニアル・バンク(アラバマ州)は14日、州当局から業務停止命令を受けて、経営破綻(はたん)したと発表した。

 総資産は約250億ドル(約2兆3500億円)で、米国の銀行では史上6番目、今年では最大規模の破綻となった。今年に入り経営破綻した米銀数は計74となり、25だった昨年のほぼ3倍に達した。

 公的資金の注入を受けた大手金融機関が業績回復傾向を示す一方で、経営体力の弱い地方銀行はなお厳しい経営環境にさらされていることが浮き彫りになった。

 米メディアによると、コロニアルは不動産向け融資の焦げ付きが相次ぎ、2009年4〜6月期まで5四半期連続で赤字を続け、資金難に陥っていたという。コロニアルの営業基盤は大手地銀のBB&T(ノースカロライナ州)が引き継ぐ。

(以上)

ということです。

 



また・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090813-00000093-reu-int によりますと・・・
アメリカで砂糖が足りないそうです・・・輸入制限をしているということですが・・・
面白いものが足りなくなっていますね・・・





で・・・昨日、爆笑問題さんが出て、いろんな人と話す番組をやっていましたが・・・時々見ますが、芸大でやっていましたね。
表現を見せるスパン、ということを話していましたが、興味深いな・・・・と

絵ですとか彫刻というのは、出来上がったものを見せるわけで、それが作品ですね。
作るまでに時間がかかります。

音楽でも、芝居のようなものは・・・CD,DVDのような作品は同じようなスパンですが・・・
基本的には、生演奏のようなものは、正に出来上がるその過程をみせるのですね・・・作曲・作詞とかそういうことではありませんが。

パフォーマンス,という意味ですが。

彫刻をやるような人達が、何百年も後に、作品を見てくれる、ということまで考えているのが興味深いな・・・と感じました。
もちろん、ゴッホですとか・・・・なくあなってから有名になった人、認められた人というのもありますので、その意味では分かりますが、はじめから遠い未来に見てもらうことを想定している・・・というのが興味深いですね。



ああ・・・・と思いますが、絵画でも彫刻でも作曲でも・・・そのできる過程を見せる、ということをやったら面白いかもしれないですね・・・
ライブで。

よく外で絵を描いているのを眺める、ということはありますが・・・それはちょっとこれに近いですね・・・

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?






さて・・・・
いろいろ感じますが・・・
100円ショップでは下着でも何でも売っているわけなのですが、私だけの特性か、それとも私が男だからなのか分かりませんが、私は下着や靴下は100円ショップのものでぜんぜん気になりません。
これがよいのかどうかは分かりませんし、実はほとんどの人が同じような感覚なんだろうな・・・・と思っていましたが、どうもそうではないようです。

先だって女性と100円ショップの下着について話をしたのですが、どうも「絶対だめ」なんだそうです。
もちろん、勝負下着的発送は分かりますので、そういう時はそういうことでよいのですが、その女性が言うには、「救急車で運ばれるようなことがあったら困るから」ということでした。

救急車で運ばれるくらいの状態であっても、どんな下着を着ているのか、を人(医療関係者)に見られる、ということは重要なことのようです。
「ああ、勉強になったな」と思いました。





さて・・・
藤原直哉さんのネットラジオですが・・・
「ああ、そうかな・・・」と思うことを話していましたが・・・
「日本がせごかったことを知っている最後の世代が40代、50代です。今の30代以下の人達は、そういうことをぜんぜん知りません。
だから、40代、50代の人達が、これからの建て直しの時代に力を発揮するべきです」
と言うような感じの内容ですね。


「そうか・・・30代以下の人達は、日本がすごい国だったこと、世界の中でひときわ輝いていた国であったことを知らないのか・・・」
と思いましたが、みなさんは、30代以下の方たちがそういう状態であることを「知っていた」でしょうか?

私は、20代の人であっても、「日本はすごい国であった」、「今はちょっと休憩しているだけである」という認識を、私たちと同じように持っている、と思っていたのですが、そうではないようです。

40代の方々・・・がんばりましょう。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?

 

 

 

さて・・・

岡田多母さんの「ラブコール あなたへ」http://tamo.thd-web.jp/ですが・・・

(引用)

タモのリサーチ(8/19−2)

心の七つの状態

        何かを知りたい
        何かを避けたい
        何かを得たい
        何かを為したい
        悲しみ
        恐れ
        惑い


        自己が内側の知に開かれたとき
        順番に消える心の状態

        完全に内側の知に開かれたとき
        大いなる安らぎが訪れる

        モクシャ 啓発 完全な目覚め



        この時期に内側の知に開かれることは
        何よりも新たかな美徳

        進化はスペシャル☆

        高次意識に進化した証しは

        直観が増す
        幸福が増す
        願望成就が速い



        瞑想し愛し従う

        ただこれだけで
        素晴らしい進化を遂げる


        自らの純粋な目覚め
        自らは純粋な意識

        想い出す…必ず…


        展開されるすべての創造世界を
        ただ目撃する目撃者

        心は宇宙的自己を現し
        創造のすべてを映し出す

        そして至福を楽しむ


        もうすぐ誕生…  

 

(以上)


何かを知りたい
何かを避けたい
何かを得たい
何かを為したい
悲しみ
恐れ
惑い

が、

自己が内側の知に開かれたとき
順番に消える心の状態

ということです。


初め、悟ると言いますか、何かに気づきますと、

何かを知りたい
何かを避けたい
何かを得たい
何かを為したい
悲しみ
恐れ
惑い

の順番に消えていくという意味かと思いましたが・・・
そういうことではなく、順不同という意味かもしれないですね・・・

知りたい、は、一生あっても良い心の状態のようにも感じますが、そうでもないようです。
と言いますか、あってもよいのだけれども、なくなるものだ、ということかもしれません。

得たい、為したい、は欲は感じますが、それでも、まだ前向きですね・・・
これもなくなるそうです。

避けたい、は要するに、悲しみ、恐れ、戸惑い、に通じるもののように思いますが、これらが消える、というのは、普通に分かるだろう、と感じます。


興味深いですね・・・

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?





さて・・・
顧客情報が流出するニュースが、しばしばありますが・・・外側jからネットワークで侵入してというのは、目的としては、自分のハッキング能力を試したい、見せたい、というようなこともあるようですが、内部から流出すると言った場合、私はお金が理由だと思い込んでいたのですが・・・報道でも、報酬をもらったなどとやっていますので・・・で、その観点からすると、見ている限りではん、それなりに高級取りの方の場合が多いようですので、「総合的に見たら損をするのに、どうしてそんなことをするのだろう?」と思っていました。

で、人と話してみますと・・・どうもそうではなく、会社に対する不満、怨恨、仕返し、という理由でやるんだ、ということのようです。
「ああ・・・そういうことで、関係ない第三者の情報をもらしてしまうんだ」と感じました。

まあ、確かに、会社としては打撃は大きいですし、社会的にも、そういうことは「会社の責任」とやっていますので、」どんどん打撃は大きくなる方向へ行っています。

会社への仕返しのために、顧客情報を出す、と言う発想は、ちょっと思いもよりませんでしたので、人の考えていることは分からないものだ、と感じましたが・・・
その考えが、一般論かどうかは分かりませんが・・・・

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?







さて・・・
船井幸雄さんが良く書く「謙虚」ですが・・・
どうしても気になって仕方がありません。


とりあえず、「謙虚とは、すべては自分ひとりの力だけではない、ということを理解すること」と私は定義付けましたが、そう定義しませんと、私には「謙虚」という標語の対処に困ってしまうからです。

そう定義しませんと、「謙虚」という標語が私には、「もっと自信をなくせ」、「もっと卑下しろ」、「もっと発言するな」、「もっと自分を戒めろ」、「もっと自分を隅っこに寄っていろ」と読めて仕方がないからです。


で、なぜか、と考えるのですが、
ひとつは、「謙虚」という言葉は相対的な面が大きいからではないか・・・と。
つまり、「人の悪口は言わない」のようなものは、悪口を言わなければよいのです。

しかし、謙虚は、言ってみれば、レシピの中の「塩」であるなら、ただ「塩」でありますので、そして圧倒的な波動を持っていますので、「入れられるだけ入れなさい」と言うような意味を暗示してしるように感じるのです。

絶対に、「謙虚」を書くなら当たり前ではありますが、それでも「適度に謙虚に」ですとか、「羽目をはずさない程度に謙虚に」ですとか、「分量」を表記すべきだろう、と感じます。

あるいは、私が特に謙虚と言う言葉に敏感である・・・これは良く分かり「謙虚でない人」を見ますと、むしょうに頭にきます。
ですので、自分でもその方向へ向いている・・・謙虚、ということですが・・・
それがすでに、行き過ぎている、行き過ぎているところにもってきて、船井幸雄さんが、「謙虚」と書く・・・
そのようにも感じます。

がりがりなのに、「食べ過ぎに注意しましょう」と言われているようなものかもしれません。

すべて仮説ですが・・・私はどこか船井幸雄さんの書く「謙虚」が「何か違う」と感じて仕方がありません。

少なくとも、今の私が「自分らしく」という言葉以上に「謙虚」にを重んじたら、身を滅ぼす、食い物にされる・・・それは事実だろう感じます。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?

 



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