*** メインコーナー *** |
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さて・・・
いろいろ感じながら思いながらですが・・・
で・・・
ですが・・・
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私はこれは「正しい」のではないだろうか・・・と感じます。
船井幸雄さんは、「長所進展法」を語ります。
これは料理でいってみれば「素材を大事に」、「素材のよさを引き出す」ということなのですが、しかしながら、それだけではなく、船井幸雄さん理論ですと・・・私が感じるに・・・どうも、すべての人間を船井幸雄オープンワールドで講演するような、あるいは船井幸雄さんの周りにいる著名な経営者、学者のような人たちを同じような人間にまで高める(?)、高めたいがためなのでしょうか、どうしても、ある種の型に人間を入れ込むような何かを感じてしまう時があるのです。
どうもそれが、船井幸雄さん理論をやろうとするとずっこけてしまう理由のように感じてなりません。
一番分かりやすいのが「謙虚」ということですが、これはやはり、すでにある程度の社会的地位だか何か・・・こう確固たる者が出来上がった人に対してのもののようです。
神田昌典さんのメルマガでしばしば「謙虚というものの、それは進歩のステップにおいて、初歩中期のような人がやってしまったら、失敗する。その時代は、謙虚よりも、すこしくらい非謙虚であるべきだ」というようなものが来ますが、おそらくは、その通りでしょう。
逆に言えば、人の上に立っているような人は、「謙虚」でなくてはいけないというのは理解できるわけです。
そうでない場合、謙虚をやりますと、そういう時代というのは、周りにいる人もエゴが強く、精神レベルも低いですので、決して「「立派」「謙虚」などとは捉えず、「良い獲物」、「強く出ればひっこむ」、「弱い奴」くらいにとられるのが普通のようです。
ここら辺は、船井幸雄さんのように、社会に出て、いきなり偉い立場に着くと言うよう尾奈運命の人には決して理解できるものではありませんし、理論化できるものでもないでしょう。
ですので、その意味では、船井幸雄さんはやはり、いわゆる意味でもトップの人たちを導くという運命、使命の人間なのだろうと感じます。
で、その意味では、船井幸雄さんの語る精神世界ですとか、そういう話は素直に分かるわけですので、そういう種類の私のような人間の運命、使命は、どちらかと言うと、そっちの方向になるのかもしれません。
で、話を元に戻しますと・・・
森田健さんの「煩悩に素直に」は、もちろん、精神レベルの著しく低い人はそうすれば、それなりのことをしてしまうわけですが・・・それもまたそれ。
普通の人がすれば、それもまたそれなり。
しかし、それぞれどうもその「煩悩」にこそ、決められた運命と言うものが詰まっているように感じます。
船井幸雄さんの「長所進展法」は、決められた運命すらねじまげて、良い(?)人生にしてしまおう、それができる、というところに大きな間違えがあるように感じます。
もちろん運命は決まっている、という理論に達した今後、ここら辺は変わってくるのではないだろうか、とも感じます。
で、煩悩に素直ということは、要するに、気持ちに素直に、ということですので、これは岡田多母さんのいうようなことと全くおなじわけです。
あるいは、制せ員レベルの高い人だけにあてはめれば、船井幸雄さんの言っていることとも同じなのだろうと感じます。
但し船井幸雄さんの場合は「〜すべきではない」が入りますので、それは自動的に精神レベルが超上級の人にたいした場合は、「煩悩=気持ち」に素直に・・・にはなり得ないわけです。
「でも、煩悩に素直にって言ったら、それこそ人殺しとか、泥棒とか増えるんじゃないの?」と言う人もいるでしょう。
確かに、人によっては、そうするかもしれません。
しかし、別に「煩悩に素直に」などといわなくとも、あるいは「長所を伸ばそう」などとも言わなくとも、する人はいるわけです。
また、今の統制社会が、それこそ、間違えた型に強引に人を当てはめ、あるいは、計算ずくでその目標,計算を追行する、というような人生の歩み方を広めたため、その結果、自分の気持ちに素直になれない、煩悩に素直になれな状況を作り、それが、いわゆる社会的問題を引き起こしているのだとしたら、むしろ結果は、「煩悩に素直に」の方が良いことが増える、悪いことが減る、ということになるのではないでしょうか?
たとえば・・・先だって大本と前後して登場した神道系の新興宗教のサイトを見ていましたら、若い男性でしょうか「オナニーの回数が多くして仕方がありません。どうすればよいでしょうか?」というような質問がありまして、それに対して、回答者は、「それは人それぞれです・・・」というようなことを書いていたでしょうか・・・ よく覚えていませんが・・・
私か思うに、若くて宗教に入信している・・・きっと信心深い人なのでしょう。
で、そういう人は、おそらく強烈に煩悩を取り去る・・・実際は押し込めようとしているのではないでしょうか・・・そうしますと、おそらく逆に、欲求は増加と言いますか、強調されていくのですね。
この質問には、おそらく「気にせず何回でもしたらどうですか?神様はオナニーの回数もセックスの回数も、どんな経典にも名何回まで、などとは書いていません」のように答えたらよいのでしょう。
こうしますと、初めは何でも極度に数が増えたりします。
しかし、それは一時的なもので、その後、一定の期間を経て、普通になっていくものだと感じます。
これは、管理者が「好きにしたら良いです」の後、一時的に数が増えたり程度が増えたりするのを見て、「やっぱり!!」などとして禁止したりしますと、一番悪いのですね。
そういうものであるということを経験して、その期間が過ぎるのを待っていれば、通常、普通に戻ります。
もちろん、たとえば、私など、勉強にいけない、とされて、ギターを隠されたりしましたが(なぜかピアノは弾かせてくれた)、それでも、45際にもなっても弾き続けていますので、そういう場合は、「本当に大好き」なわけですので、こういうものと、完全に一緒にしてはいけないとは思いますが。
(それはそれで、ひょっとしたら天才かもしれない、と好きなだけやらせたら良いのでしょう)
で、煩悩に素直に、とはどういうことか・・・と言えば・・・
それはまさに、森田健さん式で、ハンドルを手放す、ということですが・・・
おそらくこれでは、何も分からず・・・どういうことかといえば・・・
運命は決まっているという絶対的事実から来るわけですが・・・それじゃその状況(運命は決まっている)で、運命を良くするにはどうしたらよいか・・・と言うところから始まりますが・・・
それは、「問いを発する」と・・・・最近では「偶然をよそおって幸運はやってくる」を語ります。
で、この「偶然を装って」ですが、どうも私なりに解釈しますと・・・
変に経験や知識などを使って、使命感を持ったり計画などたてず、自分の煩悩に素直に従って行動をすると、運命は偶然と言う形をよそおって、運命を変更して、幸運をもたらしてくれる・・・
ということのようです。
この状態は、今の私・・・あるいはこれまでの私とは、まったく逆ですので、正しい可能性があります。
もっとも、今までの私の人生と言いましたが、すべてではなく・・・
おそらく、私の人生で一番なんだかんだ言っても、幸運を招いて来ているものは、「ピアノ」でしょう。
それは・・・市中学生1年生の時、ある日突然、音楽の成績も悪い私がピアノを弾こうと思ったわけです。
そして、ピアノは家にあった・・・で煩悩にまかせて、とにかく練習した。
名をはせるほどには、これまではうまくなりはしませんでしたが、それでも、数少ないキーボード奏者ということで、中学生のころから、年長年少にかかわらず、バンドに招いてもらったり、ぜんぜんス風の人なのですが、音楽関係の事務所に出入りしたり、そういう人と知り合いになったり・・・
今でも、ピアノを弾けるから、バンドに誘われてそういう活動もしています。
これはすべて、ピアノを弾きたい、という煩悩に素直に従ったから故で、どれくらい決まった運命を変更したのか・・・あるいは、それが良い決まった運命であったのかは、今は分かりませんが・・・
他の計画したことが、ほとんどそうはなっておらず、煩悩に素直に従ったこれだけが、幸運を何十年間ももたらしてくれているという事実を見れば、どうも、「煩悩に素直に」は正しいように感じます。
108、煩悩がある、というのは仏教の教えです。
そしてそれを振り払うのが良い、とするのも仏教の教えでしょう。
でも・・・たとえば今人間は普通3食食べるわけですが・・・確か、このようにまとめ食いするのではなく、おなかがすいたら、その時に、空腹がなくなる量だけを食べる、というような食事方がよいらしいです。
これって、空腹=煩悩だとするば、仏教的にはいけないことですが、人間学的には正しいようです。
で、なぜ3食かといえば、社会が計画社会だからでしょう。
ですので、食事の時間が決まっている・・・だから食べる、と。
古神道ではどうなのでしょうか・・・現在神道ではないです。
知りたいですね。
そもそも神道に煩悩と言う概念はあるのか・・・
道教にはないようです。
煩悩素直にに生きる=気持ちに素直に生きる・・・
これが、限定なし(すでに一角の人物になっているような人だけではなく、すべての人間という意味)の長所進展法だとすれば、運命が決まっている、ということを分かった船井幸雄さんは、きっと、この理論にたどり着くのではないでしょうか?
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
え・・・・とですね・・・今夜ですが、以上に頭が回転していまして、普段だったら絶対各期にならない時間ですが、書きます。
どうしてかと考えますと、どうも盆の運い素直に、が良いのではないだろうか・・・などと感じています。
で・・・
6月4日に来ました岡田多母さんのメルガマですが・・・
(引用)
多母さんの一言
―幸運を呼ぶ言霊―
元気な挨拶
☆ちょこっと豆知識
とっても素晴らしい金言を見つけました☆
ご紹介いたします。何かのチャンスになさっていただけたら幸いです♪
他人の好き嫌いや気まぐれに基づいて、自分の人生を生きてはいけません。
人生をどのように生きるか、そして楽しむか苦しむかは、あなたの責任です。
目標がはっきりしていないと、自然法は助けることができません。
疑うことは自然法からの支援を拒否することになります。
私たちは願い、それにしたがって行動するだけです。
自然がどのようにしてその願いを成就してくれるかは、私たちの関心事ではありません。
私たちの関心事は、ただその願望だけにあります。
成功するための秘訣は、願望の成就を妨げる障害物に注意を向けないことです。
聖マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー
みなさまの幸福な人生のために、聖者マハリシさまの金言が光となりますように…
お祈り申し上げます☆
ではでは…また…
ということです。
他人の好き嫌いや気まぐれに基づいて、自分の人生を生きてはいけません。
人生をどのように生きるか、そして楽しむか苦しむかは、あなたの責任です。
ということですね・・・分かりますが・・・むつかしいですね・・・どうしても情に流されるということはあります。
森田健さんでも岡田多母さんでも、ドライだな、と感じる瞬間は、自分をきっちり出す瞬間ですが・・・
ともすれば、自分勝手・・・でも、盆の運い素直に・・・ですので、そういうことですね。
しかし、何かと紙一重でもあります。
ここでしょうね。
目標がはっきりしていないと、自然法は助けることができません。
疑うことは自然法からの支援を拒否することになります。
私たちは願い、それにしたがって行動するだけです。
自然がどのようにしてその願いを成就してくれるかは、私たちの関心事ではありません。
私たちの関心事は、ただその願望だけにあります。
成功するための秘訣は、願望の成就を妨げる障害物に注意を向けないことです。
聖マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー
だそうです。
ここで、目標と言う言葉を使っていますが・・・翻訳ものですので、なんとも言えません。
森田健さん式の「問い」を言っているのかもしれません。
なぜならその後が森田健さん式です。
すべてはつながっている、だからそれが分かれば、すべてが答えてくれる・・・・と同じですね。
目標と問いはどう違うか・・・
「絶対あそこへ行ってやる」、は目標です。
「どうすればあそこまでいけるだろうか?」は問いです。
絶対あそこへ行ってやるは、自分でやるわけですね・・・自分だけではないかもしれませんが。
でも主体は自分。
どうすれば・・・は自分でやるということは絶対条件ではないのですね。
しかし、「どうかあそこへ行かせてください」とも違うわけです。
森田健さんによれば、時空、自分以外のすべて・・・宇宙全体・・・は問われるのが好きで、問われるのを待っているのだそうです。
もちろんそ前提として、自分はひとりぼっちではない、時空全体とつながっているんだ、ということが分かっている、ということがあるそうですが。
その状態で問うと、時空が・・・上では「自然が」とありますが・・・かなえてくれる、それは偶然を装って・・・上では「自然がどのようにしてその願いを成就してくれるかは、私たちの関心事ではありません。」とあります。
似ていますね。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
しかし、何度も書きますが、森田健さんと岡田多母さんは、よくもまあ、こんなに似ていることを言われるのか・・・と。
岡田さんの者は、今回は他人の文章の引用ですが、それでも、「まあ!」と感じますね。
私が船井幸雄メディアの人だったら、絶対に森田健さんと岡田多母さんのディスカッションを企画しますね。
船井幸雄さんがOKを出せば、ですが。
面白そうですね。
森田健さん式に言えば、岡田多母さんは「切ります」ので、森田健さんはさぞ、楽しかろうと感じますが、どうでしょうか?
本でも良いですし・・・
さて、どうでしょうか?
本日、船井幸雄コムの「船井幸雄の今知らせたいこと」http://funaiyukio.com/funa_ima/ (きっと後に、http://funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=200906029 になると思います)は、
拙著『二つの真実』が7月7日に書店に並びます
です。
とても楽しみですね。
ちょうど定期が切れる日で(定期預金ではなく、電車の定期です)、母親の誕生日で、七夕です。
是非お読みください。
で・・・テレビを見ていましたら、曹洞宗だったか臨済宗だったかのお寺の住職jさんは出てきて、禅の話になったのですが、初めて座禅をするときは、だれでも、雑念、妄想がとめどなく出てくるそうです。
それが普通のようで、それが自分なんだと知り、出るようにしておけばよい、ということでした。
私も瞑想を始めたことは、妄想、妄想で、あの時・・・もうわらにもすがるような心境・・・でなかあったら、絶対に続けてはいけなかったろうというくらいでしたが・・・
で、まだ出ますが、とてもたえられないような妄想がなくなるまで、2年間はかかりましたね・・・
嫌だったのはマーフィーの法則・・・妄想が実現するのではないか、と言う恐怖感ですね・・・
しかし、もう騙されません。
画像が実現するだなんてことはないとだんだんわかってきましたので・・・そういうこともあり、今は比較的普通に瞑想できています。
ここら辺は、凡人以下の私だからこその体験ですね。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
森田健三は今中国取材ということですが、サイトによりますと、「、歯を磨くとき、間違えて洗顔の石けんをつけて磨いてしまいました。」ということです。
で・・・私は実は、2日前から歯磨き粉の代わりに、EM石鹸を使っています(笑)。
添加された石鹸、シャンプーをやめたら髪の毛が柔らかくなったという経験から、歯磨き粉もEM石鹸にしてみたわけですが・・・まだ2日しかたっていませんので、良くわかりません。
味には慣れてきました。
また、変化があれば掲載します。
さて・・・・
が読み終わりました。 |
で・・・
昨日からは、左記の |
資本主義崩壊最終ラウンド―2009~2013 大恐慌はまだまだこれからが本番だ!
(単行本) 徳間書店
(2009/5/23) に、中村さんの文章の引用があり、船井幸雄さんによれば、目地時代の古い人の言葉なので読みにくいかもしれませんが・・・のような内容がありましたが、これはですね・・・どうでしょうか、私には読みやすいです。 どうもこれは、東京弁でしょう。 中村さんの生まれは東京都北区・・・私の本籍と同じですが・・・父親が紙幣の印刷工場 の工場長だった時に、お生まれになったということで、あそこら変の言葉でしょうか・・・ 節をつければ、クラリネットの北村英治さんの話し方のよう感じで読んでもらえれば、ぐっと読みやすくなるのではないでしょうか? 何にしても、標準語からすれば、どこの方言でも、「粗く聞こえる」のが方言で、荒いけれど人間味が伝わるのもまた方言でしょう。 |
また追って記載します。
で・・・森田健さんhttp://www.fushigikenkyujo.com/menu.aspの中国リポートですが、宇宙語の報告がありますが・・・
(引用)
ところで宇宙語とは「ピコピコ」言う感じです(爆)。
可愛い感じです(笑)。
(以上)
ということです。
これだけでは分からない部分もありますが、何かピアノの音に似ているように感じます。
鳥はピアノが大好きです。
私もそうですが、他の人の話を聞いても、鳥を飼っている人で」ピアノを弾くと、取りが一緒になってさえずり続けます。
先だって妹の子供がインコをつれてやってきた時もそうでした。
この間、窓を開けてピアノを弾いていましたら、おそらく野生化したインコか、あるいはスズメか他の鳥か(それじゃなんでもよいではないか)が、ピアノを弾いている間、ずっと団体でさえずり続けていました。
大合唱です。
私のピアノは、今カーメンキャヴバレロを意識していますので、装飾音が異常に多いのですが・・・高音のピロピロ・・・です。
どうも、鳥は特にその音色が好きなようです。
鳥の鳴き声に似ていますね。
で、宇宙語も、何か似たような響きに感じます。
良く分かりませんが。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
インコは概してピアノがす好き窓開けたら鳥が大合唱、
気になるニュースを・・・
6月26日6時27分配信 時事通信
ご冥福をお祈りいたします。
もうひとつ、
6月25日19時15分配信 時事通信
(以上)
ということです。
昨日の藤原直哉さんのネットラジオでも言っていますが、横須賀で、自公民あいのりの現役市長でしょうか・・・さんがやぶれ無所属の30代のかたが当選しましたが・・・
いろいろ起きています。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
さて・・・
を読んでいますが・・・ |
というような内容です。
何度も書いているルーテルの信者の東大生の女の子の話ですが・・・
戦争で外国人の友人がなくなってしまって「どうして神は助けてくれなかったのだろう?」と言って熊本へ帰ってしまった話です。
ここに基本があるように感じてなりません。
神を擬人化するしない、と言うようなことも書いてありますが、それよりも、少なくとも神は、この数百年間人々が考えていたような存在とは少し違うようだ、と言うのは事実だと感じます。
それでは、なぜ、問いを発すると答えてくれるのか・・・
また追ってちゃんと読んだら書きますが・・・すべては氣といいますか霊の現れである、と書いてあるように感じます。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
そういえば、生まれ変わった人に聞きたいとすれば・・・やろうと思えば、3次元の知っている人を助けることはできたかどうか・・・でえしょうか?
ドクターフィリップさんのように、誰かに乗り移って、医療を通じて助ける、ということはできそうですが。
さて・・・
先週、今週と異常なほど疲れるわけですが・・・
佐々木洋治さん(説明付き)
1941年 上海に生まれる。慶應義塾大学文学部倫理学科卒業。カリフォルニア大学ロサンゼルス校留学社会学・ジャーナリズム学科で学ぶ。帰国して八千穂夏期大学創立メンバーになる。
http://www.menokami.jp/index.html によりますと、
(引用)
2009年7月2日
◎USGSを見ると、M5クラスの地震が多発している。
★7月1日09時29分頃(日本時間) キルギスタンを震源とするM5.0
★7月1日18時30分頃( 〃 ) ギリシャ、クレタ島を震源とするM6.4
★7月2日03時58分頃( 〃 ) インドネシア、ニアスを震源とするM5.3
★7月2日05時53分頃( 〃 ) グアム地域を震源とするM5.1
★7月2日06時10分頃( 〃 ) モルッカ海(インドネシア:ラウト島マルク州)を震源とするM5.7
◎環太平洋発生ルートと、少し異なった地震発生であるが、これは7月4日のEF(地球遠日点)の影響と考える。EFの4日を中心に一週間ほど地殻に影響があり、トリガー日となる。
宇宙天気も、28日18時(日本時間)頃から太陽風磁場が南向きに切り替わって、その後−5nT〜−10nTの強い南向きとなり、磁気圏も活発になった。更に29日18時(日本時間)頃には5月9日以来の500q/秒台の高速風も短期間だが、やってきている。
(以上)
とにかく、磁場として徒でも言うのでしょうか・・・いろいろあるようです。
とくに昨日は変でしたね・・・私的には。
例えば、人ごみを歩いていて、前を歩いている人が次にどちらへ動くかの予想というのは大抵当たりますので、歩きやすいのですが、はずれるのです。
「ああ、今日は勘がにぶいのか、氣の流れがおかしいのか・・・そういう運命なのか・・・気をつけよう」となるわけです。
しばらくの辛抱と言ったところでしょうか。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
で、今朝・・・5時ごろですが(笑)、ニュースを見ていますと、70歳を超えたスイマーの方が、「目標を持っているからばんがれる」といって、次のメダルを目標としてがんばっているところを放送していましたが・・・
どうも、目標ではないですね・・・
結果、目標となった、というのが正確でしょう。
そして、もっと正確には、煩悩ですね・・・煩悩に素直になっているから、やる気が出る、が100点満点でしょうか。
この方の煩悩・・・宇宙意識、超意識からの信号として(決まった運命として)、水泳が大好き、水泳で褒められるのが大好き、水泳で人に勝つのが大好き、というものが来ており、それに素直になっているのでしょう。
結果、「メダルを取る」ということを目標としているようですが、目標はそのように作るもので、それでは、私に水泳でメダルをとる、というも目標を掲げられても、ぜんぜんがんばれません。
そういう信号が来ていないからですね。
但し、メダルを取れる取れないは、宇宙ができた時から決まっていた運命ですが。
自分の意思でそれができるようになるまでには、もう何年かかかるようです。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
続けて同じような話ですが・・・
船井幸雄さんがよく「勉強好き」ということを掲げるのですが・・・
最近「どうかな・・・」と感じるようになりました。
これもまた「煩悩に素直」が正確ではないだろうか・ということです。
私は、広い意味で精神世界の本(船井幸雄さんや森田健さんの本を含むので)を、この5,6年間毎日ほとんど絶えることなく読み続けています。
で、こういうのを外から見ますと「勉強好きだな」となるのかもしれませんが、ぜんぜん勉強しているつもりはありません。
熱心に修練していると言うか、そういう感じはありますが・・・というか正確には知りたくてしょうがないから素直にやっていると言う感じです。
感じとしては、好きなアーティストのCDを聞いたり、ギターやピアノを弾いたりしているのと同じ感覚です。
ただ、無料で手に入る最新情報が少ないと言いますか・・・音楽には最新の情報を求めていないのかもしれませんし(リバイバルや昔のもの)、変化が異常に激しいということもあるかもしれませんし、というよりも、世間体として「本を読んでいる」ということが、うしろめたくないですので、煩悩に素直にやりやすい、ということなのではないかもしれません。
その意味では、私に仮に森田健さんと同じような煩悩があり、その上で「不思議研究所」ができたかどうかと言えば、できなかったのではないでしょうか?
なぜなら、世間体があるからです。
少なくともこれまでは、世間体の前に煩悩に素直になる、ということはできなかった、ということですね。
それでも、以前の私は、一般よりは、世間体よりは煩悩を優先するようなところがありましたので、他の人があまりやらないようなことも良くやったように思います。
これもどこかで、改悪してしまったのですね。
世間体を重んじろ、のように。
もちろん、場面によってはそれがよいのですが、よくないところでもそうしてしまったのですね。
それこそ、中学生のころなどは、職員室に呼ばれて先生があまりに理不尽なことを言いますので、職員室を出て隣の廊下抗議行動に出たこともあります(詳細は不問:笑)。
なんといいますか・・・
煩悩に素直に・・・です。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
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