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さて・・・
平塚
八兵衛さんという有名な刑事さんの実話のドラマを楽しく見ました。
で・・・後半・・・いろいろな難事件を解決していく主人公が、社会情勢の変化によって事件の質が変化し、いままでのような現場100回、丹念な聞き込みといったような手法では事件解決ができなくなって・・・そして定年を迎えていく・・・というような流れになっていくのですが・・・
これも表面的なことは事実・・・だとしても、要するにすべて決まっていた・・・運命のストーリーが決まっていたということなのでしょう。ですので、難事件を解決していた時もすごくないですし、解決できなくなってからも、当人に非などまったくないのでしょう。
ただあるのは、そういうストーリーが創造主によって書かれていた、ということですね。
ただここでも分かるように、創造主のストーリーというのは、ある意味分かりやすいのですね。
時代が複雑になっていく、そうすると、昔の人間らしいやりかたが通用しなくなってくる・・・
地道に一生懸命やる人がむくわれなくなってくる。
というようなストーリーを描いたのだと感じます。
そして、今また、時代といいますか、創造主の書いたストーリーというものは、どうも、いわゆる意味での人間らしいやりjかた・・・天の理ですが・・・をするとうまくいく・・・地の理ではうまくいかない・・・
当然相違ストーリーですので、地の理の人、ものは、衰退し、表舞台から去っていく・・・
逆に天の理のものは、表舞台に出ていくし、脚光(?)を浴びることになる・・・
おおよそ、そういうストーリーなのだと感じます。
もちろん、おおまかなストーリーではなく、もっと詳細に知りたい場合は、六爻占術なり、聖書の暗号なりを使えば分かるのでしょう。
ですので、とにかく、全の役目の人も役割の人も、ぜんぜんすごくもなく、悪くもないのでしょう。
ただ、そういう運命が待っているように感じます。
本当に不思議なのは、なぜ創造主は、運命決まっていることがばれないようにして、それでいながら、運命を詳細まで決め、それを地球人に演じさせているのだろうか?ということですね。
おそらくは、分かってしまったら真剣に演じる人が減るから、あるいは演技が下手になってしまうから・・・ではないだろうかと感じます。
要するに、きちんと最高の演技をして欲しい、ということなのではないでしょうか。
でありながら、どうも1996年以降・・・は1%くらい、そして今また難%か上がったでしょうか・・・自分の意思で運命変えることができるようになってきたようです。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
本当に、どうして運命を100%近くも決めたのでしょうか・・・
さて・・・
三沢選手がらみですが・・・
一般的精神世界では、螺旋理論というのがありまして・・・私も一時よく書いていましたが、同じことが繰り返すというもので、そして、ちゃんと正しいことができるまで、その同じことが繰り返す・・・というものです。
運命は決まっていることが明らかになった今、この自己判断を重要視する理論がどこまで正しいのか良く分かりませんが・・・
で、橋本選手がなくなった時、プロレス団体で合同葬を行おうか?ということがあったようなのですが、それはならなかったのですが、今回三沢選手の合同葬を行うという方向で進んでいるそうです。
プロレス界の宝である、ということで、そうしよう、ということなわけですが、これまでですと、団体同士はライバル視する傾向があったので、そういう仲良いことというのは、なかなかできなかったわけです。
それが良いのか悪いのかはいろいろかもしれませんが、どうも運命の流れは、理由なく「中の良いことをする」まで螺旋を繰り返すと言う流れになっているのかもしれません。
良く分かりませんが・・・
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
もちろん、これはプロレス界だけではなく、いろいろなところでみられる現象なのかもしれません。
時代の流れ、運命にそったことをするまで、同じことを繰り返す・・・と
もちろん、自分もそうかもしれませんし。
普段そうありえないようなことで、同じようなことが2度3度と繰り返し起こっているばあいには、少し考えてみると良いのかもしれませんね。
ある決まったことができるまで、その場は解決できても、同じようなことが何度も何度も起きるかもしれません。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
さて・・・
にんげんクラブの会報で、副島隆彦さんが、「情」について書いています。
タイトルは、
”三国志の「義」の思想から考える、日本人の思想”
というものです。
興味深いので、いろいろ書きたいですが、長くなりそうですので、また日曜日にでも書いてみようと思います。
で・・・藤原直哉さんのネットラジオhttp://www.fujiwaraoffice.co.jp/ですが、3,4週前ですが、「みなさんが聞いている音は嘘の音です。CDの音などは上の周波数を20kHzで切ってしまっていますが、本当はそれより上の周波数に、大事な音が含まれています」というような内容を言っています。
「誰かが・・・」と言っていますが、藤原さんなら知っていていわないのかもしれませんが。
これも、何度も書いていますが、CDを定義した責任者はソニー時代の天外
伺朗さんですね。
そのような本も出しているはずです。
天外
伺朗はサックスも吹くようですし、精神世界の人ですが、どうして、視聴した時「変な音だな・・・」と気づかなかったのか、と感じます。
ただ、当人は感じたかもしれないですね。
自分が他の人より敏感である、と分かっているような場合、なんと言いましょうか、たとえば人の命に関わらないような種類のことで、比較的多数の人が「これでいいですよ」となりますと、「ああ、私がちょっと敏感すぎるんだな」引いてしまうような場面もありますので・・・そういうことかもしれないですね。
ただ・・・はじめてきった時、明らかに「変な音」と思ったのは、私だけではないでしょうし、オーディオファンの半分以上の方は、そう感じただろうな、と感じます。
まあ、過ぎてしまったことを言っても仕方がないのですが。
ただ、オーディオが売れなくなったのは、私は趣味の多様化ではなく、CDの仕様のせいだと思っているのですが・・・
どうでしょうか?
何度も書いていますが、レコードは1枚で満足感一杯でしたし、何時間でもスピーカーの前にいることができましたが、CDはどうもレコードとは違うようです。
まぁ、藤原さんのいうように、自然の音にでも耳を傾けるようにしたら良いのかもしれないですね。
それと楽器の生演奏ですね。
PAを通したものはだめです。
そこでまた周波数が切られていますので。
で、私の今使用しているCDプレーヤーは、どういう理屈かは知りませんが、一応20k以上も出るように作られているそうで、これまで使ってきたどれよりも良い音がしますが・・・耳が慣れてしまったのかもしれません。
慣れというのは、良くもあり、そうでもないところもあり・・・
ですね。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
を読んでいますが・・・ |
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