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さて・・・
今週も下記の田中真紀子さんの映像は残しておきますが・・・
(このあと)番組には(重要な)オチがついた。
番組が集計した視聴者の声として、「代表辞任は必要ない」が66%の支持を集めて「辞任すべき」を圧倒したのだ。
田原氏は(今後も)サンデープロジェクトで、死に物狂いで小沢辞任論を誘導しようとするだろう。
4月2日20時46分配信 時事通信
国土交通省は2日、大型台風襲来時の東京湾沿岸の浸水想定を初めて公表した。試算では、200〜1000年に1度とされる室戸台風(1934年)級が上陸した場合、高潮の発生により、最悪のケースではJR山手線内側の2.6倍に当たる約166平方キロメートルが浸水するとしている。 |
4月3日10時38分配信 毎日新聞
【ニューヨーク支局】「世界自閉症啓発デー」の2日、故ジョン・レノンさんの妻で芸術家のオノ・ヨーコさんが新作の壁画「約束」をニューヨークの国連本部で公表した。 「約束」は青空と雲が描かれた作品で、ジグソーパズルのようなピースに分割。ピースの数は67個で、世界の自閉症患者数6700万人を表現しているという。 ピースごとにインターネットで競売にかけられ、売上金は自閉症への支援活動に充てられる。競売の開始価格は1000ドル(約10万円)。 |
運を良くする王虎応の世界 (単行本(ソフトカバー)山川健一 (著), 森田健 (著), 王虎応 (著)で、トラさんが・・・確か、「川が流れるのは土地に上下があるからです。そうでないと流れません。」というようなことを書いていたと思います。 森田健さんによれば、面相が、陰陽をゼロにするのに対して、六爻占術は、引用のバランスをくずして運命を変更します、ということだったかと思います。 |
「自由は、秩序なのでしょうか、それとも無秩序に属するのでしょうか?
私はここがよく分かりません。」
(以上)
とも書いています。
その元として、日本ではエスカレーターに追い越し路線と、ゆっくり走行路線(止まったまま)が自然にできた、
中国では、自然のままになっている・・・(それで困らない状態)
イギリスでは、「きちんと分かれろ」と書かれてそうなっている、という事実があります。
どれが自由化といえば、日本と中国は自由ぽいですね。
他人の自由も守る、といいますか、自分が自由でいるためには、いろんな可能性を自由にしておかなければならない、という発想からは、日本は自由ですね。
他人の自由とかむつかしいことなしに、とにかく自由にやる、という点では中国が自由ですね。
自由は秩序か、無秩序か・・・
日本だけで見れば、命令されて、法律があって、と言う状態を秩序というなら、日本では自由は無秩序なのかもしれませんね。
ただ、確か明治維新まで、自由と言う言葉は日本にはなかったはずです。
福沢諭吉が「リバティ」という言葉を日本語に訳すときに、初めて「自由」と言う言葉を使ったように記憶しています。
記憶と言っても、当時の記憶ではなく、何かで読んだわけですが。
これは結構重要ではないでしょうか?
日本には自由と言う概念もなかったのかもしれません。
もちろん、「自由」と似たような概念はあったでしょうが、少なくとも西洋式の「自由」という概念はなかったかもしれないですね。
3時から5時までは自由時間です・・・という自由・・・こういうのはフリーダム?でしょうか?
無料をフリー、と言いますね・・・この意味ではフリーは金銭、貨幣経済というものの外にあるので、自由は無秩序であるともいえるでしょう。
西洋式の自由というのは・・・やりたい放題にやる?でしょうか?
それとも、法律を作り、それ以外は好き勝手にやる、ということかもしれないですね。
日本でいう自由とは、エスカレーターの話のように、あやゆる自由の可能性を維持するために、自主的に、そういう状態を作る・・・と言うことまで含めた状態・・・であるとするなら、これはもう、リバティではないわけでしょう。
その意味で、日本人であった福沢さんは訳を間違えたかもしれないですね・・・
と言っても、当然といえばそうですが。
違う意味では、リバティは、「個人の自由」、日本語の自由は「全体の自由」ということかもしれません。
法律がない状態が無秩序なら、日本式自由は無秩序・・・
しかし、西洋式自由でみれば、法律がないのは、自由でもなくなる・・・
個人の自由だけですので・・・
逆に法律を作れば、西洋ではある程度の自由・・・個人の自由は確保され、そして秩序もある、となるでしょう。
もう一度書くと、
日本式自由は、無秩序(無法律)
西洋式自由は、秩序(法律あり)
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
ただ、中国は、そのままでも困らない状態なわけですが・・・
ここにも、日本ほど顕著でないにせよ、無言の了解があるのかもしれませんね。
きっと、中国で生まれ育たないと理解できない、なにかがあるのかもしれませんね。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
さて・・・
4月7日11時58分配信 毎日新聞
【ローマ藤原章生】イタリア中部で6日未明に起きた地震について、地震発生前、現地の地震学者が「大地震が来る」と当局に上申していたことがわかった。学者は自家用車のスピーカーで住民に避難を呼びかけたが、「パニックを広げる」と市に自粛を求められていた。 この学者は震源地のラクイラ在住の元国家原子力研究所職員、ジャンパオロ・ジュリアーニ氏。レプブリカ紙によると、同氏は地下の岩盤から放出されるラドンガスの量で地震を予測する仮説を提唱している。それに基づき、同氏は今年2月、ラクイラ市に「住民の避難」を呼びかけていた。しかし市は騒乱を引き起こすと、警告を続けるジュリアーノ氏のホームページを閉じるよう命じていた。 一方、イタリアの災害救助隊によると、ラクイラでは1月中旬から約200回におよぶ微震が確認されている。 ロイター通信によると、ベルルスコーニ首相は6日の会見で「地震予知、対策が不十分だったのでは」と問われ、「今は救援に集中する時で、予知について議論するのは後だ」と防戦に回った。ベルトラソ災害救助隊長も「地震の正確な予知はできない」と応じた。 イタリア半島の中央を走るアペニン山脈周辺は地震の多発地帯だが、今回は、2735人の死者を出した80年の中南部エボリ地震(マグニチュード6.5)以来の規模。 ◇ ◇ ◇ 気象庁によると、情報として価値のある地震予知(起こる時、場所、大きさの予測)は、地震の予測される地域で科学的な観測が十分に行われ、岩盤の伸び・縮みなどの高感度観測装置などによる常時監視体制が整っていることが欠かせない。こうした体制が整っていなければ、直前に予知できるほど科学技術は進んでいないという。【花岡洋二】 (以上) ということです。 |
しかし、地震の予測は当たったわけですね。
科学的には、もう2,3度あてればよいわけです。
再現性ですね。
この方の理論は、佐々木洋治さんhttp://www.menokami.jp/index.htmlと同じなのでしょうか?
よく分かりませんが。
さて・・・
森田健さんですが・・・
(引用)
生身の人ははなぜこんなに面倒なのか?(爆)
自由を考える上で、ここら辺のところも押さえる必要があります。
(以上)
と書いています。
自分の自由の選択範囲を残すために、他の人の自由の可能性を残しておく、ということと、自由には他人との合同作業も含まれる、ということのパラドックスです。
ただ、どうでしょうか?リバティを自由(個人的自由)と訳すまでは、日本には、他人を思い通りにする、という発想もなかったのではないでしょうか?
よく分かりませんが。
但し、団体を動かす、という発想はあったかもしれないですね。
結婚でも家族と家族の結婚、
戦国時代ですら、城と城との問題、
むしろ個人は、許婚(いいなずけ)のように、すでに決められている・・・
もちろん、当時生きていたわけではないので、詳しくは分かりませんが。
とはいえ、現在は確かに結婚相手でも仕事でもなんでも、一応個人で決めます。
自分の相手を自分で決めたいので、他人が勝手に自分を相手だと決めるようなシステムは認めない、というのとエスカレーターで、歩いてあがりたい人も止まりたい人もいる、というのは、同じなわけです。
しかし、前者は相手がいて、同意が必要、後者は、同意はいらない、という点で異なる、ということです。
その意味で競争社会が自由な社会だ、と言いますが、思いとおりになるケースというのはそう多くないかもしれません。
結局、競争するのは自由だが、結果は自由ではない、というのが競争社会です。
これと同じ理論で、相手との同意、と勝利・・・これは同じ土俵かもしれませんね。
完全な自由、個人の自由・・・これらは、机上の理論で、そうであることを日本は昔から知っていたのかもしれませんね。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
結婚でいうなら・・・だれとでもOKが出る、というのが自由でしょうか?
それとも、「この人と結婚する、と感じる」、そして「両方ともにそう思っていた」、で「結婚した」というのもまた「自由」と言えるでしょう。
つまり一方的ではない・・・初めから個ではない自由・・・
言葉が足りませんが。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
で、藤原直哉さんhttp://www.fujiwaraoffice.co.jp/ですが、「もう思い通りになるから、行動しましょう」と言っています。
フォトンベルトが来て、人類が絶滅する、というようなことを広めることも、やる気をそぐことになる、というようなことも言っています。
地獄(4次元以下)がなくなったようだ、とも言っています。
少なくとも日本では、もう良いことをするのを邪魔できる存在はいなくなったようだ、とも言っています。
実際、どうもフォトンベルトのような存在はあるようですが・・・
確かにこれを広めている存在は2通りあるでしょうね。
「もう人類は滅亡するのだから・・・」というものと、
「次元が上昇します。精神レベルを上げることにより、危機を乗り越えましょう」
ですが。
小松英星さんなどは「情報を巧みに操り・・・」というようなことをよく書きますが、事実をたくみに操作する、というのは、人を騙すひとつの手段ですね。
「地獄がなくなった」は、精神世界でいわれていることと同じ意味で言っているのか・・・それとも、もっと比喩的、3次元的なのかは別として・・・と言うか、結局のところ、同じことですね。
原因の世界と結果の世界は、相似形ですので。
で・・・目に見えない世界のことは、よく分からない場合には、考えすぎない方が良いでしょうね。
今確かに言えることというのは、どうも次元は上昇している、
御魂(みたま)が磨かれていれば、良い運命がやってくる、という当たり前の世界になってきている・・・
ということですね。
気づいた方々は、どう感じるでしょうか?
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