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もくじ

さて・・・
1月1日です。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

いよいよ2009年になりました。


さて・・・
なんでも、井出章彦さんhttp://raphaelchama.thd-web.jp/が腰を悪くしたそうです。
やはり体を鍛えている人でも、腰は悪くするようですね。

お大事に。

で・・・私がぎっくり腰になった時・・・いろいろ試しましたが、体の側面に腰骨が出ているのですが、そこに貼るタイプのホカロンを貼りますと、具合がよくなることを発見しました。

しかも、そこに貼っていますと、昼過ぎにいつも眠くなる、という現象が起きない、ということも発見しました。
で・・・貼り出してからすぐになおりましたが・・・

但し、一日中着けていますと、ちょっとひどい低温焼けどになりますので、ご注意ください。

で、想像するに、私の場合、どこか血行が悪く、それが腰骨を暖めることにより、改善される・・・ということのように感じますが、果たしてどうでしょうか?

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?

で・・・とにかく、体を冷やすということは、いけないことのようです。

暖めましょう。

で・・・最近、日本酒の熱燗を飲むのですが・・・これをすると、足の先まで温まります。
基本的に酒はあまり飲まないのですが、これから冬場は毎日、半升くらい日本酒の熱燗を飲んでみようかな・・・とも考えています。

果たしてどうでしょうか?


さて・・・
いろいろやってみますが・・・
先日も書きましたが「生きる」、「生きたい」を唱えると、どうも運が良いのです。
しかも、副島隆彦さんが、唸るように力いっぱい唱えると良いようです・・・

これは「愛している」よりも、「ありがとう」よりも、更に効果があるようです。
と言うよりも、「愛しているいる」よりも「ありがとう」よりも、下位の言霊なのかもしれません。

他の人にもそうなのかは、今のところ分かりませんが。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?





2009年 資本主義大崩壊!―いよいよ断末魔の最終章

 船井 幸雄(著) (著), 櫻庭 雅文(インタビュー) (著)
ダイヤモンド社 (2008/12/12)  
発売日: 2008/12/12

ですが・・・

政治家のほとんどは、今回の金融恐慌が、3,4年で元に戻るところか、資本主義経済が終わることになるほどのものであるということを知らない・・・

日本の政治家は、アメリカの言うままに、「100年に一度のできごと」とか言っているようですが、実際は1万3千年に一度・・・つまり文明が終わるかどうかの瀬戸際に一度起こるほどの出来事なわけですね。

麻生さんなどは、景気が悪くなっても、いつもと同じように自分は大丈夫だ、くらいに思っているのかもしれませんが・・・実際はそれどころではないようです。

おそらく石油危機どころか、戦後の状態よりも、もっと特別な状態になる可能性があるようです。

藤原直哉さん式に言えば、仮にお金があってもモノが買えないような状態がくるようですが・・・


ですので政治家は当てにならないようです。

少なくとも食べ物だけは確保できるようにしなくてはどうしようもないようです。

一つ・・・私は肉をもう3年くらい食べていませんが・・・太りませんが、痩せこけたりもしません。
それはつまり、野菜類だけでも、生きていける・・・少なくとも、一般的栄養学で言われていることは嘘であるし、自給自足できる食物・・・野菜だけでも、作れさえすれば、生きていける、ということです。

これは朗報(大げさ)ですね。
米だけは、ある瞬間、舵を切り替えれば、日本はなんとかなるでしょう・・・きっと。
あと野菜は自分で作る、ということになるのでしょう。

田園調布はお屋敷が多いです・・・・
最近、「この家は野菜が作れるだろうか?」と思いながら見ていますが・・・土の庭のある家、というのは少ないですね。

もちろん、いざとなれば、コンクリートをはがすでしょうけれども・・・
是非、都会の大きな家は、土の庭を持つことをお奨めいたしますが。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?

 

 

 

さて・・・
藤原直哉さんの先週のネットラジオですが・・・
考えると腹が据わる、腹で神を感じる、腹で天とつながる、神は信じるものではなく感じるもの・・・
天の氣が通るように行動すればよい・・・

直感に従って行動する勇気を持っているかどうか・・・やっていればだんだん合ってくる(直感が正しく受け取れるとうになってくる)・・・
(良い)経営者は、本当の意味での信仰心をもっている人が多い・・・何教を信じるということではなく、神を感じることのできる、という意味・・・・

というような話をしています。


考えると腹がすわる・・・というのは、顕在意識的には実感はありませんが、私はよく(しばしば)考えます。
岡田多母さんは、考えず感じなさい、とブルースリーのようなことを言います(この間中川翔子さんがヌンチャクを振り終わり、「Don't think, Feel・・・」と言っていました:笑)

精神世界では、よくこれを言いますが、まったく分からないではなく、よく分かります。
右脳で考える、であったり、感じなさい、であったり人によっていろいろですが、おそらく・・・潜在意識がゼロに近づくいた状態であるほど、これは正しいのでしょう。

その意味で、潜在意識に余計な情報が一杯である人(よく勉強する人とか、本を読む人・・・)は、考えることにより、「やっぱりこの情報は余計だ。」という状態になり、潜在意識ゼロの人と同じような回答・・・に到達できる・・・
あるいは、「やっぱり、直感が正しかった」と直感の確からしさが分かる、ということになるのかもしれません。
藤原さんが、そうかどうかは分かりませんが。

そうですね・・・考える、というのは、人によっては、答えを導く、というよりも、直感と余計な情報(潜在意識)があった時に、直感が正しい、ということを検証している行為であるのかもしれません。


で、腹が据わる、とはおそらく潜在意識ゼロの状態に近いでしょう。
腹で天とつながる・・・これは実感としては分かりませんが、腹=丹田、とすれば、なるほどと分かります。
不思議研究所の孫さん瞑想で、丹田で右回転のエネルギーを天目から外へ出し、今度は左回転でエネルギーを天目から入れ、丹田まで戻す、ということをするものがありますが・・・

出入り口は天目ですが、おおもとは丹田なわけです。
ですので、高次元的に考えても、腹で天とつながる、というのは、なんとなく分かります。

腹が座る、とは、一般的には、氣が上に上がらず、丹田に収まっている状態だと思います。
あがったり、浮ついたりしていない状態ですね。
明鏡止水とまで言ってよいのか分かりませんが、本当に腹が据わりますと、明鏡止水なのでしょう。

どうも、結局のところ・・・船井幸雄さんの言う「確信」なのでしょうか、思考の末、確信に至ると腹が座る・・・と。
ただ、直感が潜在意識より正しいと至る時というのは、必ずしも、明快な回答が出た時ということでもないでしょう。

いかなる理路を持って思考してみても、直感の正しそうだ、という感覚を消し去るには至らなかった・・・のような具合にはなるかもしれませんね。

「天の氣が通るように行動すればよい・・・」は、ヒューレンさんの言っている、潜在意識をゼロにすると、宇宙意識が自然に入り、それが潜在意識、顕在意識へと流れていく・・・というものと似たニュアンスを感じます。

どうも、その意味で、潜在意識がゼロい近いのでしょうか・・・藤原さんも。

潜在意識がゼロとは、無意識の状態でも過去の記憶の影響を受けることが少ない・・・あるいは「ない」状態だと思います。
普通は潜在意識どころか顕在意識でも過去の記憶の影響を強く受けるものだと思います。
それは、昔はそうでなかった、とするなら・・・現代教育において、過去のデータを 分析して理論化する・・・というような癖が付いてしまったからかもしれませんが・・・データを重要視すること自体は森田健さんなどを見ても正しそうですので、切り分けはむつかしいでしょうか・・・


違う言い方をしますと、「データを正しく分析せよ」ということでもありますね。
余計なデータは捨てよ、ということですが。

そうすると、「天の氣が通るように行動」できる・・・要するに、宇宙意識が素直に入ってくる、ということになるのかもしれません。

結局、データを正しく分析すると、朝太陽が昇り、夜月が出る、以外の情報は要らない、とでもるかもしれませんが・・・
それで良いのかもしれません。



「直感に従って行動する勇気を持っているかどうか・・・やっていればだんだん合ってくる(直感が正しく受け取れるとうになってくる)・・・
(良い)経営者は、本当の意味での信仰心をもっている人が多い・・・何教を信じるということではなく、神を感じることのできる、という意味・・・・」

ですが・・・
直感は使っていると正解率がどんどん増えてくるのは事実です・・・
はじめは、山勘と直感の艮の金神 別付きにくいのですが・・・

ちなみに、直感とは、超意識のことで、要するに、宇宙意識のことです。
山勘ではありません。


「(良い)経営者は、本当の意味での信仰心をもっている人が多い・・・何教を信じるということではなく、神を感じることのできる、という意味・・・・」
は、船井幸雄さんの本を読んでいれば、実例が沢山出てきますので、大体において正しいのだと感じます。

その意味では、この10年、アメリカ的な経営者が羽振りをきかせていた、というのは、いかに異常であったか、ということでもありますね。

汚い所にずっといると慣れてしまう、ということがありますが・・・
たとえば、「東京砂漠」という言葉がありましたし、歌もありました。
天地茂さんのドラマで「非常のライセンス」というものがありました。
どちらも、2,30年前のものでしょうか・・・
今は言いません。
どっぷり、長時間汚いものに染まってしまっていた人が多かったですので、もう分からなくなっているのでしょう。

2,30年前の人は、「随分、非情になったな・・・」、「砂漠のようになったな・・・心も、景色も」と分かっていたわけでしょう。

ただ、アメリカ式の経営者が闊歩していた期間は、せいぜい10年程度ですので、きっと多くの日本人は、「東京砂漠」くらいの感性にはすぐに戻れるのだと感じます。



どうも、今正にその時期で、そして、1,2年の内に更にその先まで・・・縄文時代ですら通り超えて・・・
新しい時代に到着するのでしょう。


気づいた方々は、どう感じるでしょうか?






さて・・・
ネットショップでよく買い物をしますが・・・
暮れに青色のジャケットを買いましたが・・・代引きです。
30日に「発送しました」という連絡がメールで来ましたので、「きっと、正月過ぎだろうな」と思っていましたら、31日の19時だったか20時くらいだったかに宅配業者さんが配達にきました。

「31日に大変ですね」と言いますと、「みんなに言われます」ということでした。
で、5200円だったのですが、小銭が5100円とちょっとしかなかったのですが、宅配やさんは「5100円でいいです。内緒にしておいてください」と言いますので、財布にあった数十円だかと、みかんを2つ差し上げました。

宅配やさんは「ああ、嬉しいな」と言っていました・・・

それだけなのですが・・・
私は5100円で良い、と言われた時に、返す言葉をなくしました。
きっと、まだその日のうちにすませなくてはならない配達が沢山有り、そんな100円くらいで時間をとられるくらいなら、自分で出しておいた方がよい、と思うくらいに、急いでいたのか、早く帰りたかったのだと思いますが・・・
それでも、100円に変えるものがある人と久しぶりに出会いましたので・・・言葉をなくしたのだと感じています。
理由は知りませんが、嬉しかったので、感極まったのかもしれませんし・・・どうでしょうか・・・

みかんと端数のお金を入れれば、5200円以上払ったのと同じですが・・・なんか「ああ、嬉しかったな・・・」と感じています。

必要以上に、道徳的なことを言うつもりはありませんが・・・

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?




で・・・
住所が変わったこともあり、年賀状が来ませんが(笑)・・・
例のサマージャズコンサートのチケットを取ることができたクラリネットの藤家虹二さんの事務所から年賀状がきました。
顧客名簿全員に出しているのでしょうが、嬉しいです。

しかし、先日の北村英治さんの「北村さん、それは雑音です」で、「ああ、自分の耳はなかなかだな」としばしば思い返して喜んでいますが、そんな自分を第三者的に見て、「あんまり昔から変わっていないな」などと思ったりしていますが。

先日リンクした、北村英治さん、鈴木章治さん、藤家虹二さんの映像を、もう一度リンクします。
お楽しみください。



で・・・藤儀研究所の森田健さんが、
「学生運動をやった人たちは、”あの頃は若かった”というようなことを書いていますが、私は高校生の時から変わっていません。」
といようなことを書いていますが・・・

おそらく・・・岡田多母さんもそうでしょうね・・・そんな気がします。
ひょっとすると、生まれた時から変わっていないかもしれません。

潜在意識がゼロとは、そういうことなのかもしれません・・・が・・・

ただ、私を振り返りますと、どう考えても、幼い頃ですとか、中学生の頃ですとか・・・
・・・今の方がマシな人間のようにも感じます。

ただ、そのマシとは・・・人間性ではなく、常識というものを知っているか知らないか、による部分かもしれません。

強いとか弱いとか考えますと・・・今の方が心身ともに強いようにも感じます。

「真の宇宙の理」に沿っているかどうかと考えれば・・・どうでしょう・・・まず新「の宇宙の理」が半分くらいしか判明していませんが・・・(もう少し少ないでしょうか、多いでしょうか?)
良く分かりません。

きっと、ここら辺に何かあるとすれば、あるのでしょうか・・・

みなさんは、変わったでしょうか?
成長したのでしょうか?

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?



で、冬休みですが・・・2月くらいに先輩(先輩ですの50歳近い)のバンドがライブをやりますが、そのバンドで私もキーボードを弾くことになりましたので、指・腕の筋肉と、鍵盤勘と音勘(音への反応勘)を戻すということに一番時間を費やしましたが・・・
指も鍛えるとこんなに痛くなるものだろうか・・・と感じています(笑)。
特に左手ですね・・・
指って、基本的に痛くなりませんものね。

こう見ますと、どうも、中学生くらいからあんまり変わっていないな・・・やっていることは・・・などとも感じます。

それでも、もし、森田健さんや岡田多母さんが「変わっていない」から良いのだ、とするのなら、私のどこか変わってはいけなかったところが変わっているのだろうな、とも感じます。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか

 

 

 

 

いつか引用して、ずっと下のほうに残りっぱなしだった岡田多母さんのブログ(ラブコール あなたへhttp://tamo.thd-web.jp/)ですが・・・

(引用)
Oshoさんからのメッセージ


覚者は、憶測や推測によって生み出されるものではない。 彼は特別ではない。
あなたや私のような、ありふれた人間に他ならない。
しかし、彼はこれからその可能性を成長させ始める。 星々にまで届き、大地に根をはやし、可能性の奥底へと進む。
垂直に立ち、動物が属する水平な意識の面を離れる。 彼は本当の反逆者、本物の反逆者だ。
                                ーOsho


ありふれた日常から垂直へ進む ありふれた普通の人間が垂直に進む

動物から人間へと垂直に進む  野獣から神性へと垂直に進む


水平から離れた垂直は  段階を踏まない!ジャンプだ!


突然に一気に 高く深く垂直に進む…

ありふれた普通の人間が本当の反逆者に進む  ありふれた毎日が光へと変容する
本物の反逆者に進む


正気から非正気へ落ちる  狂気から光明へと開かれる
日常が神聖のすべてへと変容する  生のすべてが神性な神秘にありふれる!



ヨーガとは、マインドの停止であるという。 マインドのない状態、それがヨーガだ。
マインドという言葉がすべてを含んでいる。 あなた方の自我、欲望、希望、哲学、宗教、
聖なる書物…考え得るもの、すべてがマインドだ。
知っている事、知り得る事、それらすべてがマインドの範囲内にある。
マインドの停止とは、知っている事と、知り得る事が共に停止することを意味する。
それは未知へのジャンプだ。
マインドがないとき、あなたは未知の只中にいる。 ヨーガとは、未知なるものへのジャンプだ。
もっと正確にいえば、「未知なるもの」ではなく、 「不可知なるもの」だ。
                             ーOsho

(以上)

と貼り付けましたら、急に激しい雨脚に・・・

(以上)

 

ヨーガとは、マインドの停止であるという。 マインドのない状態、それがヨーガだ。
マインドという言葉がすべてを含んでいる。 あなた方の自我、欲望、希望、哲学、宗教、
聖なる書物…考え得るもの、すべてがマインドだ。
知っている事、知り得る事、それらすべてがマインドの範囲内にある。
マインドの停止とは、知っている事と、知り得る事が共に停止することを意味する。
それは未知へのジャンプだ。
マインドがないとき、あなたは未知の只中にいる。 ヨーガとは、未知なるものへのジャンプだ。
もっと正確にいえば、「未知なるもの」ではなく、 「不可知なるもの」だ。

がキーですが・・・

きっと以前引用した時も似たようなことを書いたろうな、と感じますが・・・
マインドとは、いわゆる意味の「頭」というゆな意味だそうです。
それに対するのは「ハート」ということです。
これは「心」のようなものだということです。

上記で岡田多母さんは、

「自我、欲望、希望、哲学、宗教、聖なる書物…考え得るもの、すべてがマインドだ。
知っている事、知り得る事、それらすべてがマインドの範囲内にある。


そしてヨーガとは、それらを停止すること・・・
としています。

要するに、潜在意識をゼロにする、という意味ですね・・・

この時点で分からなかったようですので、きっと、この部分の説明にはヒューレンさんの説明の方がピンときたのでしょう。
それとも、この岡田多母さんの文章を読んでいたからこそ、ヒューレンさんの書いていることが理解しやすかったのかもしれません。

「自我、欲望、希望、哲学、宗教、聖なる書物」・・・

これがすべて・・・どうも潜在意識のようです。

そしてそれをゼロにする・・・

しかし・・・欲望も潜在意識であるとすると、「運命を自分で造る」分からなくなります。
なぜかと言いますと・・・潜在意識がゼロでない上智から考えるからだと感じます。

想像するに、岡田多母さんは、これすら潜在意識ゼロの状態で書いているのだろうな・・・と感じます。

潜在意識がある状態で未来を作る感情を「欲望」と呼ぶのかもしれませんね。
潜在意識がゼロの状態で、未来を作る感情・・・それはなんでしょう?
ひょっとすると、創造主の意思、ということかもしれません。
しかし、それは創造主の意思でありながら、自分の意思でもある・・・
分かりにくいですね。
しかし、どうも、潜在意識がゼロでない状態では分かりにくいこの岡田多母さんの状態が、「正しい」状態なのかもしれません。

とは言え・・・潜在意識がゼロでなくとも「完全」のようです。

それでも、潜在意識がゼロになると、創造主からの信号が流れ込んできて、それが潜在意識、顕在意識に入っていく・・・
これがベストなのは、今の時点では間違いないようです。

森田健さんの「成長しない」という言葉の本質は、どうも潜在意識を貯めない、という所にあるように感じます。

その「成長しない」は何も、「学ばない」でもなく「考えない」でもなく「身に着けない」でもないようです。
正し、殊更に、それらを「目標としない」ではあるようです。

むつかしいですね。

今の私に言えることは、「生きる」、「生きたい」をこん身の氣を込めて唱えてみてはいかがでしょうか?
ということです。

気づいた方々は、どう感じるでしょうか?





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